【歴史的難儀】本能寺の変の真犯人が判明【解決】
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0001人間七七四年
2007/03/01(木) 19:57:03ID:MpT49E6fその黒幕は誰か?を日本人は何百年も探しているが、やっと真犯人が見つかった。
まず、今まで有力だった説の紹介と論破をしてみよう。
説1 信長に権力を奪われた朝廷説
説2 信長に宗教はカルトと認定され延暦寺を焼き払われた僧侶説
説3 天下取るために信長が邪魔だった徳川説
説1ならば信長死後に朝廷が復権しようとするだろう。
だが、実際は朝廷の力は衰えるばかりで、信長に対抗する闘争心すら無かったので却下。
説2は光秀が個人的に信長を不信になる原因になっただろうが
光秀の立場や状況からして、それだけで謀反を起こすのは考えられないので却下。
説3は信長の死直後から山崎の戦いに至るまでに光秀は細川家や筒井家などへ
味方探しに奔走したが、光秀の味方をする諸大名がいなかったことから
織田家以外の大名の指示は考えられない。
他大名との共謀ならば、信長を殺ったあとに徳川家なり毛利家なり長宗我部家なり
その大名のところに逃げれば良いのである。
前置きが長くなったが、ここから本編に入ることとしよう。
本能寺の変が起こる前から秀吉は当時織田家最大の敵であった毛利攻めの過酷な任務を任され
中国地方へ遠征に行っていた。そこで出会ったのが稀代の軍師黒田官兵衛である。
この黒田官兵衛は奇抜で大胆な妄想家であり、それを実行しようとする変人である。
関ヶ原の戦いが起こってる間に、九州・四国・中国をまとめ上げて
関ヶ原で勝った方が弱ってるときに出陣し、天下を取ろうとしたほどである。(息子に邪魔される)
秀吉は官兵衛に毛利攻めの相談をし、官兵衛の知略を高く評価して
自分の右腕として働いてもらうべく、側近中の側近である軍師にする。
そう、本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛である。
実行犯である光秀と秀吉は家柄は正反対だが大きな共通点があった。
外様でありながら早い出世をしたため、織田家臣の重鎮達から妬まれていたのである。
秀吉の天下人への野望、光秀の信長への不信感、その二人を繋ぐ織田家内での微妙な力関係
そしてそこに官兵衛の知略が加わり本能寺の変が起きたのである。
本能寺の変の直前に官兵衛が動いた。
秀吉は毛利攻めを着実に進め、官兵衛の水攻めで城が落ちそうになっているにも関わらず
信長に嘘を吐いて「このままでは危ないから援軍が欲しい」と伝令を出した。
このとき織田家臣のうち勝家は北陸、秀吉は中国、滝川は上野、河尻は甲斐にいた。
安土城にいたのは信長と家康と光秀である。
家康は三河(東海)に戻って兵を連れてくるには時間が掛かり過ぎるため
秀吉と光秀が内通してれば、今すぐ援軍が欲しいと言えば
信長が光秀をよこすのは簡単に見抜いていただろう。
現に信長は光秀にすぐに挙兵し、中国へ向かうように指示した。
そのおかげで光秀が信長の足元で大軍を率いても不思議じゃない状況ができたわけである。
信長も中国遠征に出ることになり、安土城のある滋賀から移動する途中
その日は京都の本能寺で寝泊りすることになった。
そこで大軍を率いて中国地方へ向かうはずの明智光秀が「敵は本能寺にあり」になったのである。
0002人間七七四年
2007/03/01(木) 19:57:52ID:MpT49E6fあらかじめ計画されてたからこそできたのである。
それに信長だけでなく、二条城で信長の嫡男信忠も殺してることから
信長の死後に天下を取る野心による犯行だったことが証明される。
信長の死後に天下を取るために動いたのは秀吉であり、秀吉の右腕となったのは官兵衛である。
(官兵衛は重度の皮膚病で正常な歩行も困難だったため裏方に回った)
信忠は官兵衛の主君の小寺政職を殺してることから、官兵衛自身の恨みもあったと思われる。
本能寺の変のときも光秀は本能寺に誰がいるかは、最後まで自分の兵に伝えなかったと言われてるが
山崎の戦いも秀吉と光秀にとっては茶番であるが、兵隊にとっては生死を賭けた戦いだった。
それなのに光秀が戦場から逃げたのは秀吉と手打ちをしていたからだろう。
歴史上ではその後に町で農民に殺されたとされるが、テレビもネットも無い時代に
戦場から逃げてきた数人の兵隊を農民が「明智光秀だ!」と分かるわけがない。
よって光秀は生き延びたのである。そして出家し天海と名乗った。
信長を殺した光秀を真っ先に仇討ちしたようにみせ、秀吉は後継者最右翼になったのである。
柴田勝家はお市とともに織田家から後継者を立てようとしたが
家を継ぐとされていた嫡男の信忠が死んだので、リーダーの資質を持つ者がおらず失敗に終わった。
こうして黒田官兵衛の策略により、豊臣秀吉が天下人となった。
あとがき
・光秀の娘で細川忠興の妻のガラシャは、本能寺の変で父の光秀が信長を裏切ったことにより
細川家から追放されるが、後に忠興とガラシャを復縁させたのは秀吉であることからも
秀吉と光秀は特別な関係だったことは明らかである。
・本能寺の変で信長が死んだと一報が入ってきたときに
官兵衛が秀吉に「(天下を取る)御運が回って参りましたな」と言ったのは有名で
事前に信長が死ぬと予測してないと、驚いてこんなことは言えないだろう。
・秀吉が晩年に家臣を集めて「次に天下を取るのは官兵衛だ」と言った。
・徳川第二代将軍秀忠は「官兵衛は今世の張良なるべし」と言った。
※張良とは秦の始皇帝を暗殺しようとして(失敗)、後に劉邦を天下人にした中国の軍師で
官兵衛が黒幕なら張良とそっくりである。
0003人間七七四年
2007/03/01(木) 19:58:51ID:MpT49E6f0004人間七七四年
2007/03/01(木) 20:06:57ID:Cw9PhEnn0005中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/03/01(木) 20:23:17ID:C90Ws9Rg個別の説ごとにいったいいくつ本能寺スレを立てることやら
0006にゃんこ
2007/03/01(木) 20:30:21ID:OyV+y48Q戦いでは摂津衆を主力にしなければならなかった。つまり、秀吉は事前の準備
などしていないということ。
2,筒井は先遣隊を、光秀の命に従って、河内へ侵攻させている。その後、秀吉から
の情報が無ければ、筒井は全軍を光秀側に参加させていただろう。もちろん、
その時は、無名の国人・地侍たちの参加により、光秀軍は大きく膨らんでおり、
天下人となれる可能性が大きい。
3,結局、毛利との交渉や、畿内諸勢力への通達等、この時の秀吉が優秀過ぎた
ために、光秀の合理的な謀反が、「謎」に見えてしまった、ということだろう。
0007人間七七四年
2007/03/01(木) 20:44:41ID:tBqZjQ7m鈴木・藤本の本をよく読んでこい。
あらゆる黒幕説が馬鹿にしか思えなくなるから。
それでも黒幕がいると思うならここで自説を
開陳でもしろ。
0008人間七七四年
2007/03/01(木) 20:46:02ID:I7LnBl4b0009人間七七四年
2007/03/01(木) 20:47:16ID:TMMUSO2D説2の否定に対する否定 信仰心が強かった可能性。
説3の否定に対する否定 徳川かどうかはさておき、そそのかされて
裏切られた可能性
0010奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/03/01(木) 22:22:13ID:wquikL0r0011人間七七四年
2007/03/01(木) 23:17:42ID:0w4iNBRZ0012人間七七四年
2007/03/02(金) 06:38:47ID:TVnHU9mE0014人間七七四年
2007/03/02(金) 13:20:34ID:1XzOSLv10015人間七七四年
2007/03/02(金) 13:22:48ID:o3mZMJpLどこがっかりなのか言ってみな
0016人間七七四年
2007/03/02(金) 13:26:38ID:BK91rf5U0017人間七七四年
2007/03/02(金) 13:43:36ID:aLXqX4I7もしくは『また騙さry』
0018人間七七四年
2007/03/02(金) 13:55:48ID:1XzOSLv1スレタイに判明と解決とあったから歴史的な資料でも発見されたのかと思ったのよ
そしたら1の妄想だったので、っかりしたわけ
0019人間七七四年
2007/03/02(金) 13:58:36ID:o3mZMJpLどこが妄想なんだ?
一つ一つの事実を繋ぎ合わせると
裏で全てを操ってる人に辿りついた
それが歴史的だろ
黒田官兵衛説は初めて聞いたし
でもそれをやるだけの頭脳と発想力のある人物だ
0020人間七七四年
2007/03/02(金) 13:59:06ID:VXAKvG0Hそれで解決と謳ってるところが痛々しい・・・
0021人間七七四年
2007/03/02(金) 14:07:23ID:GQdN13CK0023人間七七四年
2007/03/02(金) 14:17:55ID:hWLRrLjf0024人間七七四年
2007/03/02(金) 14:34:21ID:r84Q806Oとりあえずここに書いてある諸説を全部否定してみてください
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA%E5%85%89%E7%A7%80
0026人間七七四年
2007/03/02(金) 14:42:25ID:o3mZMJpLだいたいソースの無い新しいことは何も言ってないのに
ソースが無いってどういう批判だよ?
秀吉と光秀の織田家内で関係も事実だし
秀吉が柴田勝家と丹羽長秀に嫌われてるから
気に入られるために同じ境遇の光秀に相談したら
二人から一字を貰って羽柴という名を付けたらいいとアドバイスされたり
秀吉が本当は必要ないのに信長に嘘の伝令を出して
信長の足元で光秀が1万を越える兵を集めたのも事実だし
その大軍で信長のいる本能寺を攻めたのも事実
光秀は信長を殺した足で息子の信忠を殺しに行ったのも事実だし
山崎の戦いか光秀がら逃げ延びたのも事実
信長死後に天下取るために最も動いたのが秀吉なのも事実だし
秀吉が現に天下人になったのも事実
秀吉が光秀の娘と忠興を繋いだのも事実だし
関ヶ原のときに官兵衛が九州を制圧しようとしたのも事実
秀吉が次に天下取るのは官兵衛だって言ったのも事実だし
後に秀忠が官兵衛は張良と言ったのも事実
全てを操れる状況下にあってそれだけの資質と才能を持ったのは官兵衛しかいない
間違いね
0028人間七七四年
2007/03/02(金) 14:50:16ID:T6MxwTdu信長に代わって天下を取りたかった
これじゃ駄目なの?
光秀は宣教師に「人を騙す72の方法を身につけていた」とまで書かれてる究極の裏表人間
0029人間七七四年
2007/03/02(金) 14:55:24ID:WOPjn7XY天才なんだろ、かんべえは。
こんな重大な不確定要素をほったかして。
これじゃ運がいいだけの馬鹿じゃん。
0031人間七七四年
2007/03/02(金) 14:59:03ID:o3mZMJpLお前馬鹿だろ
秀吉が信長に嘘の伝令を出したのは
高松城が落ちる直前だよ
水攻めで包囲されてるから
毛利からしたら和議に応じなければ
城は取られるし中にいる人物は虐殺される
和議に応じるしか手は無い状況だったんだよ
そのタイミングで信長に伝令を送ったのも官兵衛が全てを読んでる
そして光秀を出陣させるのも官兵衛は見抜いてた
0032人間七七四年
2007/03/02(金) 19:10:42ID:WOPjn7XY疑問1。落ちる直前かどうかなんで外からわかるの?
疑問2。毛利が信長の死を和議のまえに知ってしまったらどうするの?
おまえ毛利のほうが軍勢多いの知ってていってるの?
その状況で毛利にばれたら、どうやって撤退できるの?
大軍に半包囲されてるんだよ、秀吉はw。天下どころか終了だよ。
そんな博打みたいなことを天才がやるのか?気違いだろ完全に。
それからもうあげるな、こんな糞擦れ
だいたい歴史的難儀ってなんだよ、恥ずかしくねーのオマエw
0034人間七七四年
2007/03/03(土) 02:48:36ID:CpGsXqLQ0035人間七七四年
2007/03/03(土) 02:50:28ID:gUgJkb3Q自演乙wwwwwwwww同じ時間に革新スレに書き込んじゃバレバレだよww
251 名無し曰く、 sage 2007/03/03(土) 02:44:27 ID:2eBfBUW5
S1上級相馬で太田城→鹿島港→古河御所→宇都宮城と北関東を制覇したとこで
武田が猛威を振るって包囲網になって
包囲網1回目と2回目は参加したけど
3回目は武田が長尾(上杉)の黒川城を攻めてたところを横取りしようとしてたから
包囲網に参加しなかったのが運の尽き
一緒に長尾を倒して横取り入城で城取ったけど
そのまま残った武田兵にやられて結局城を奪われる
俺から見て北の伊達、南の北条まで武田は飲み込んで
完全に東西南北を武田に包囲される
しかも古河に隣接する佐倉、河越、平井の3つの支城に20万ずつ計60万を配備しやがった
こっちは古河に18万
でもそれは罠だった
武田が攻めて来たのは上から宇都宮へ
ヤベーと思って古河から5万のヘルプを出したその瞬間
古河の周りを囲った60万が一気に攻めてきて
部隊の数は30以上で城を隙間なく囲ってもまだ余ってる部隊があるくらいの
信野史上最高の大軍で一気に陥落した
しかもまだ城があるのに何故かそこでゲームが終わった
相馬みたいな弱小家だと統率+武勇+知略の揃った部隊を1つしか作れないんだよな
それ以外は武勇と知略が60〜70くらいで8000人のショボイ部隊
いくら上級者でもこんなんで武田の精鋭部隊を倒せるわけがない
しかもユーザーばっかに不利になる台風や凶作や雪ばっかのヤラセも多いし
上級プレイはストレスが溜まる
かといって中級だと相手が弱すぎるしバランスが悪いなこのゲーム
0036人間七七四年
2007/03/03(土) 02:56:37ID:FhnmuT+l0037人間七七四年
2007/03/03(土) 12:23:22ID:qnlS3ECm>>本能寺の変で明智光秀は実行犯に過ぎず、黒幕がいることは明らかである。
の根拠を教えいただきたい。
黒幕説が出始めたのは平成の世になってからでしかも、その多くは歴史小説などのフィクション
光秀の動機ですら定まっていないのに黒幕がいたことがなぜ明らかなのか?
0038人間七七四年
2007/03/03(土) 13:12:42ID:CpGsXqLQ歴史上、大きな権力を持ち横暴した主はいくらでもいるが
直属の部下がその主を殺したケースは無い
なぜなら横暴な主であるほど部下もその恩恵を受けるからだ
だから暗殺とかの場合は他の勢力の意図が必要になる
それに明智光秀はとても賢い人物として知られてる
悪とする織田信長を討ったあと自害する聖戦だったら別だが
光秀の信長死後の行動からは権力欲があるのは明らかである
光秀ほどの人物が単独で謀反を起こして自分が権力を得られるなんて
そんな馬鹿げたことを考える馬鹿とは思えない
つまり他に共謀した人物がいる
信長の死後直後に動いたのは秀吉だ
中国大返しも多くの歴史家が検証したがみんな信じられないと言う
あと天海の行動もおかしい
僧侶にしては珍しく天海の着た鎧が残ってる
つまり戦に出たということ
これは武将が不本意ながら理由あって出家したが
また戦地へ戻る必要があったことを意味する
天下の信長を討ったあとノウノウと生きていられるわけがない
出家したという味方が妥当だろう
あと天海は江戸幕府設立から運営まで家康の右腕となって助けてる
明智光秀は戦国武将の中でも有数の政治が得意な武将である
室町幕府第15代将軍の足利義昭に仕えていたこともある
その経験を家康が天海(=光秀)を必要とした理由だろう
0039人間七七四年
2007/03/03(土) 13:28:50ID:0fF/urlq0040人間七七四年
2007/03/03(土) 14:11:08ID:IgVcsZrp>光秀ほどの人物が単独で謀反を起こして自分が権力を得られるなんて
そんな馬鹿げたことを考える馬鹿とは思えない
つまり他に共謀した人物がいる
信長の死後直後に動いたのは秀吉だ
織田軍団の有力幹部は、信長の下では統制されてはいたが、
個々の関係は織田家中にて蹴落とすべきライバルでしかなかった。
秀吉と光秀は四国での自己の勢力拡大を巡って敵対関係にあり、
共同謀議にて信長暗殺を企てるような親密な関係では無い。
秀吉は阿波三好家に甥の秀次を養子として送り込み、
光秀は長宗我部に深く食い込み、斉藤利三の妹を政略結婚させ、
各々彼らのために信長への取次役となっていた。
出世をかけて火花を散らしていた秀吉と光秀が共同謀議するなど絶対不可能だ。
本能寺の変直前での四国侵攻作戦発動(=長宗我部征伐)は、
四国における秀吉三好ラインの勝利であり、
光秀長宗我部ラインの負けを意味する。
時を同じくして、
光秀は信長から備中行きを命じられ、
一時的とはいえ唾棄すべき秀吉の傘下に入らざるを得ず、
その時、朝廷から信長朝廷打倒の意志有りと吹き込まれ、
腹心の部下の斉藤利三から妹の除名嘆願され、
信長から毛利征伐後国替えまで示唆されていたとしたら
(現に滝川一益はその直前関東に国替えとなっている)、
光秀が頭に血が上って本能寺に襲い掛かったとしても不思議では無い。
0041にゃんこ
2007/03/03(土) 15:11:28ID:AlRBa4BQだった事が挙げられる。秀吉軍の主力は、秀吉に着いて来られず、山崎では
秀吉は摂津衆を主力とすることになった。その摂津衆に対しても秀吉は最初
安心できず、動向を石橋を叩いて確認している。
また、筒井は、最初は光秀側に着き、先遣隊を光秀のために河内に派遣している。
後に、秀吉側に寝返ったが、この筒井の行動こそが、畿内の諸侯の標準的な
動向だろう。秀吉の宣伝戦と畿内への退却が遅ければ、もう少しで、光秀は
多くの配下を握るところだった。
結局、秀吉の宣伝戦の見事な勝利によって、光秀が敗れたのだが、秀吉に不運や
不手際があれば、光秀が天下人になれる可能性は高かった。
光秀の天下取りは、成功する確率の高い合理的なものであり、謎でも何でもない。
0042人間七七四年
2007/03/03(土) 15:27:24ID:CpGsXqLQお前柴田勝家や徳川家康の存在を忘れてる
明智光秀が天下人なんてニワカでも言わねーよw
あと黒幕は秀吉じゃなくて官兵衛な
0043人間七七四年
2007/03/03(土) 15:40:24ID:Ryic+DdD0044人間七七四年
2007/03/03(土) 16:50:15ID:qnlS3ECm>>つまり他に共謀した人物がいる
これはあなたの主観であり明らかである理由には全然あたりません。
がんばりましょう
0045人間七七四年
2007/03/03(土) 17:12:10ID:zuy+Pmx1官兵衛を動かしていたのが秀吉なら
本能寺の「本当の」黒幕は秀吉ということだな
0046にゃんこ
2007/03/03(土) 17:25:40ID:AlRBa4BQ秀吉の「大返し」が成功しなけりゃ、光秀の述べた通り、50〜100日で
畿内を制圧して、山崎後の秀吉並の勢力を持てるんだよ。
しかも、朝廷という錦の御旗も持っている。
秀吉や官兵衛の黒幕説は、当時の秀吉の綱渡りの危険性を理解していない。
信長の後ろ盾による寄せ集めに過ぎない、秀吉軍の脆弱制を理解していない。
秀吉対光秀の宣伝戦・情報戦の危険性を理解していない。
大返しがガセであり、実態は、主力を放棄した秀吉本陣だけの撤退であり、
準備不足を宣伝戦・情報戦の勝利によって何とかカバーした事を理解して
いない。
0047人間七七四年
2007/03/03(土) 17:27:18ID:CpGsXqLQいや、当時の関係から考えて秀吉が信長を裏切ることは考えられない
同様に光秀も同じ
官兵衛は秀吉の毛利攻めで中国に行ったときに秀吉と会った
しかも古くから毛利派だったが信長が強くて信長派に寝返りしたのが若き官兵衛
官兵衛は信長を強いと認めているがそれとともに恐れてもいただろう
それに秀吉や光秀みたいに信長と直接的な関係ではないから
信長を殺るという発想ができるのは官兵衛しかいない
0048人間七七四年
2007/03/03(土) 17:42:36ID:zuy+Pmx10049人間七七四年
2007/03/03(土) 17:43:20ID:CpGsXqLQ中国大返しがガセなんてトンデモ理論のお前がソース出せよw
中国大返しは歴史学者が何人も集まって証明されたことであり資料もある
もちろん小中学校の歴史教科書にも太字で載ってる事だ
個々の思惑など想像の余地がある部分ならまだしも
歴史に残ってる出来事が嘘とかいう妄想は別のスレでやってくれ
0050にゃんこ
2007/03/03(土) 17:50:02ID:AlRBa4BQ>中国大返しは歴史学者が何人も集まって証明されたことであり
「秀吉軍の主力を保持したまま撤退」などと証明した学者がいるなら、教えて
くれよ。どの教科書に「秀吉軍の主力を保持したまま撤退」と書いてある?
誤読するなよ。私は「大返しは無かった」などとは言っていない。「大返しの
実態は、本陣だけの撤退であり、そのために、摂津衆との合流に慎重であり
合流後は、摂津衆を主力とした。」だよ。
0051人間七七四年
2007/03/03(土) 17:50:48ID:CpGsXqLQただの若造じゃないぞ
織田側に裏切ったことで毛利と敵対したわけだが
その毛利が大軍で攻めてきたが
10分の1以下の兵で追い返したりして土地を守ってたキレ者として知られてた
人が思いもしないトンデモ理論を発想できる想像力の持ち主だ
0053人間七七四年
2007/03/03(土) 17:57:47ID:CpGsXqLQそれは明らかに違うな
何故なら、もし兵の多くを残して秀吉周りだけ帰ってきたなら
毛利と和議をする意味が無い
高松城は水攻めで陥落直前だったのに
官兵衛が毛利との間に入って和議を持ち込んだのは
多くの勢力を大返しする必要があったからだ
しかも光秀が本能寺に向かったのは1万3000人の大軍である
その後の二条城攻めなどで減ってはいるだろうがそれでも大軍には変わりない
しかも当時の明智軍は織田家の中でも鉄砲隊の質は最高レベルだった
つまり少数の兵や摂津の鍛えられてない雑兵で
明智軍の大軍に勝てるわけがないのだ
つまり秀吉軍の多くが戻ってきたということ
もちろん秀吉と光秀は茶番だがそれを兵隊に伝えてるわけはない
兵隊同士は本気で戦って秀吉軍が明智軍の大軍を破ったことになる
0054人間七七四年
2007/03/03(土) 18:04:16ID:P90ts5PH0055にゃんこ
2007/03/03(土) 18:05:57ID:AlRBa4BQだから宣伝戦なんだよ。摂津衆と四国渡海軍だけで、光秀を凌駕する。畿内の
諸侯が、光秀側に着くことを決断する前に、「信長は生きている」「秀吉が
到着した」とさえ流せば、畿内の諸侯を糾合できる。数で光秀を圧倒できる。
本軍を連れて、ゆっくり帰って来てたら、畿内の諸侯の多くが、光秀側に
着いてしまう。現に、筒井はもう少しで光秀側になるところだった。
0056人間七七四年
2007/03/03(土) 18:13:24ID:CpGsXqLQ君は一回教科書読んだ方がいい
本軍連れてゆっくりだ?
本軍を一気に返したから歴史的な中国大返しなんだろw
その大軍で明智を倒したんだよ
君の理論は残ってる歴史資料すら逸脱してる妄想に過ぎない
事実は事実と認めないと筋の通った理論にはならないよ
フィクション小説ばっか読んでると真実に辿りつかない
0057にゃんこ
2007/03/03(土) 18:15:14ID:AlRBa4BQ宇喜多は対毛利防波堤。秀吉は毛利との同盟を本気にしてなかったし、畿内へ
大軍を連れて行く必要も感じていなかった。
0058にゃんこ
2007/03/03(土) 18:17:44ID:AlRBa4BQ藤木久志氏のどこが小説家なんだよ。せめてネットで調べてから言え!
ついでに、山崎の戦いの参加者に、最大手の宇喜多がいないことも、
ちゃんと調べといてね。
0059人間七七四年
2007/03/03(土) 18:18:06ID:qnlS3ECm一族の存亡がかかっているのに
秀吉に内緒というのは官兵衛が死ぬまで秘密にしてたの?
もしそうであるならばなんの見返りがないいじょう次に行動(秀吉暗殺等)を興さなければ何の意味をなさないね
本能寺の変後官兵衛は冷遇されているから恩賞はなかったと思われる。
その秘密にしていた事実がCpGsXqLQだけに判明できたのか謎です
秘密がばれてしまっていた場合いつ寝首をかくかわからない家臣を生かしておく理由はなんでしょう?
0060人間七七四年
2007/03/03(土) 18:19:58ID:P90ts5PH事実は事実と認めないと筋の通った理論にはならないよ
フィクション小説ばっか読んでると真実に辿りつかない
>君の理論は残ってる歴史資料すら逸脱してる妄想に過ぎない
事実は事実と認めないと筋の通った理論にはならないよ
フィクション小説ばっか読んでると真実に辿りつかない
お 前 が 言 う な
0061人間七七四年
2007/03/03(土) 18:21:05ID:CpGsXqLQ秀吉は3日で帰って5日で光秀の居場所を調べて山崎の戦いに持ち込んでる
電車の移動がなく、インターネットのない当時の状況ではありえないくらい早い
そして宇喜多はなにをしてたかというと
戦国時代に撤退する場合に本体を逃がし敵が追ってこないように殿役がいる
その殿役をやってた宇喜多が戻る前に秀吉は山崎の戦いに持ち込んだということ
そんなに早くできたのは光秀と秀吉が繋がってたからである
だいたい対毛利に大軍を残してきたなら
光秀を討ったあとは毛利攻めを続けるだろ
でも秀吉は毛利攻めをしてない
君の理論は歴史を知らない人の妄想にしか聞こえない
0063人間七七四年
2007/03/03(土) 19:26:23ID:Ryic+DdDちゃんと勉強しな。
長岡藤孝が秀吉に逐一情報を送っていたんだよ。
その藤孝がいち早く光秀に組しないことを表明したから筒井順慶を始めとして、
皆が光秀への協力を控えたのさ。
そうした経緯があったから、秀吉も藤孝と起請文を交換したんだよ。
0064人間七七四年
2007/03/03(土) 19:46:15ID:CpGsXqLQブッブー
それはありません
藤孝の息子の細川忠興は光秀の娘を嫁にしてるのと
同じ朝廷寄りで武士側の人間じゃないから
本能寺の変の前から藤孝が光秀のスパイをして
秀吉に付くなんてありませんw
本能寺の変のあとに光秀が真っ先に藤孝を頼ったのがその証拠
一番味方になってくれる可能性があるのが細川家だった
でも信長を殺ったという大事態をした光秀の味方をすれば
織田家の武将にもやられることが明らかだから細川家は光秀を助けなかった
そして織田家に忠誠を示すために自ら光秀の娘のガラシャを追放した
でもそれはしなくていいと後に秀吉が光秀とガラシャのために
細川家に復縁するように持ちかけてることからも細川家と秀吉の思惑は全く違ってたわけだ
つまり君は間違ってることが証明された
0065人間七七四年
2007/03/03(土) 19:54:58ID:UwwHuv5Cあなたは自分の家族や友人の命と引き替えにしてまで誰かを殺しますか?
引き替えにするなら自分の命でしょう?
共謀者だという秀吉とは随分見返りが違いますね。
0066人間七七四年
2007/03/03(土) 20:03:19ID:CpGsXqLQそれは信長が延暦寺を焼き払ったのが光秀の動機になっただろうね
現に光秀は出家して同じ仏教系の天台宗を開いてることからも信仰心はあった
あのまま行けば信長の世になるのは明らかだった
宗教を根絶して自分が神という信長が治める世界にはしたくなかったのでしょうな
だから>>1でも言ってるように官兵衛も秀吉も光秀も同じ心だったわけじゃない
それぞれの違った方向への考え方が上手くまとまる三角関係だったからこそできたんだよ
みんながみんな自分が天下を取るっていうのが3人集まったって
その3人で最終的には喧嘩することになるから同じ野望を3人が持ってたらできなかった
0067人間七七四年
2007/03/03(土) 20:05:42ID:P90ts5PH光秀はノリノリだったのは知ってるか?
講談噺をまともに信じるかww
だから自分は史料も無い完全妄想で語るくせに
>君の理論は残ってる歴史資料すら逸脱してる妄想に過ぎない
事実は事実と認めないと筋の通った理論にはならないよ
フィクション小説ばっか読んでると真実に辿りつかない
とか言っちゃうんだよなww
0068人間七七四年
2007/03/03(土) 20:06:06ID:Ryic+DdD妄想に耽っていないで、ちゃんと史実に向きあいな。
長岡藤孝が秀吉に逐一情報を送っていたのは史実。
その藤孝がいち早く光秀に組しないことを表明したから筒井順慶を始めとして、
皆が光秀への協力を控えたのも史実。
そうした経緯があったから、秀吉も藤孝と起請文を交換したのも史実。
小説読んで歴史を勉強したつもりになってるんじゃダメだよ。
0069人間七七四年
2007/03/03(土) 20:08:41ID:9o7XiJVy史実(事実)と、史実を基にした解釈、の区別がついていないのがいるな。
0071人間七七四年
2007/03/03(土) 20:14:50ID:CpGsXqLQ揚げ足取りはいらない
史実(事実)と、史実を基にした解釈の違いを勉強してからまたおいで
>>1は別々に起こった忠実(事実)を並べて
それを繋ぎ合わせていくと一人の人間に全てが繋がっていくことが分かる
そしてその人物はとても奇抜な天才軍師であることから
史上唯一本能寺の変を起こせた人物である
0072人間七七四年
2007/03/03(土) 20:18:22ID:wTSEVXae事前準備の形跡すらゼロだし、見破られたらあっさり破滅
そんな無茶苦茶な。結果からの過大評価含みの逆算以外根拠無い暴論
007365
2007/03/03(土) 20:19:11ID:UwwHuv5Cつまり恨みを果たすために家族を犠牲にしたって思ってるの?
おかしいなあ。
聖戦じゃなかったんでしょ?
66における理屈は聖戦の理屈だよ。
一体どっちなの?
ミツヒデが聖戦後自害したというのでなければあなたの説は真偽以前に筋が通らないよ。
0074にゃんこ
2007/03/03(土) 20:24:00ID:AlRBa4BQ筒井は、いったん光秀側に立ち、河内侵攻に先遣隊として奈良南部の国人衆を
派遣してますよ。途中から秀吉側に寝返りましたが。
61>
秀吉は、多くの兵士が脱落した状態で姫路に帰って来ましたよ。一部だけなら、
事前の準備などなくても高速移動できるからです。そして、秀吉本人さえ、畿内
にいたなら政治工作は可能ですから。
その後、だらだらと兵士達は遅れてやって来ました、が、かなり山崎に間にあい
ませんでした。
>だいたい対毛利に大軍を残してきたなら
>光秀を討ったあとは毛利攻めを続けるだろ
防御用大軍を必ず後に攻勢に使用する、というのは珍説だと思うよ。
0075人間七七四年
2007/03/03(土) 20:25:46ID:CpGsXqLQ宗教上自殺はできなかったんだよ
だから出家した
光秀の娘も最後は城を攻められて逃げ道の無いため自殺したかったけど
宗教上できなかったから家臣に殺させてる
光秀が山崎の戦いから逃げてる途中に農民に襲われて
光秀が死んだとする歴史解釈でも
致命傷を受けた光秀が自分のことを家臣に殺させてる
光秀は完全な武士ではないのくらい知っとけ
0076人間七七四年
2007/03/03(土) 20:28:10ID:CpGsXqLQ防御用の大軍が毛利との戦線に残ってるなんてトンデモ説を唱えてる馬鹿はお前だけ( ´,_ゝ`)プッ
歴史資料でも歴史教科書でも秀吉は大軍で帰ったから中国大返しという歴史的偉業があったのは事実(忠実)である
0077人間七七四年
2007/03/03(土) 20:28:29ID:P90ts5PH史実すら知らない、
お 前 が 言 う な
0078にゃんこ
2007/03/03(土) 20:28:50ID:AlRBa4BQ宗教を根絶?信長は、いくつもある浄土真宗の諸流派のうち、一派を攻撃した
だけですよ。信長は、宗教を禁じたのではなくて、「税金払え」と要求しただけ
ですよ。払わないと殺しましたが。
0079人間七七四年
2007/03/03(土) 20:31:21ID:P90ts5PH光秀は完全な武士ではないのくらい知っとけ
介錯って言葉知ってる?
0080人間七七四年
2007/03/03(土) 20:34:08ID:CpGsXqLQ馬鹿だねお前
切腹して介錯するのと
敵にやられて介錯するのは武士の意味が違ってくるんだよ馬鹿w
0081にゃんこ
2007/03/03(土) 20:35:15ID:AlRBa4BQちゃんと調べろ。山崎の戦いの図のどこに、宇喜多の名がある?
宇喜多は、黒田や中村のような国人レベルじゃなくて、歴とした戦国大名
だぞ。
中川・高山・池田は摂津衆 丹羽・織田信孝は四国遠征軍だ。つまり、主力は
畿内から集めたのだ。
0082人間七七四年
2007/03/03(土) 20:36:02ID:wTSEVXae都合のいい予想にあわせた手順を勝手に前提にされてもね……
典型的な陰謀論の詭弁だよ
0083人間七七四年
2007/03/03(土) 20:39:39ID:CpGsXqLQ馬鹿だねお前
戦国時代は撤退するときに必ず殿がいるんだよw
相手が追ってきてやられないように本隊を逃がすためにいる
和議を結んだとはいえ敵軍の毛利を全幅の信用するわけにはいかないから殿を立てた
この殿は重要な役目だから宇喜多が任されたんだよ
でも殿やると本隊より何日も帰還が遅くなる
秀吉達は中国大返しで真っ先に帰って数日で山崎の戦いにしてる
つまり殿だった宇喜多がいないのはある意味当然である
その分を秀吉は摂津衆で補ったわけだ
0085人間七七四年
2007/03/03(土) 20:43:26ID:CpGsXqLQお前は頭が悪いね
お前みたいな馬鹿は歴史を見る資質が無い
歴史というのは事実は事実として認め
分からない部分は当時の周りの状況から埋めていくのが歴史学者の仕事だ
つまり光秀の最後が分からないからって
光秀の人生の全てが分からないってなるのは馬鹿の所以
光秀の残ってる記録や人物像や立場から
彼はどういう行動を取ったかある程度分かる
そして繋げていくと光秀の人生が分かる
お前が無知なだけなのに分からないって決め付けるな
0086人間七七四年
2007/03/03(土) 20:44:54ID:P90ts5PHというか「防御用の大軍」、という点については一致してるんじゃないのか?お前ら二人は。
0087にゃんこ
2007/03/03(土) 20:45:23ID:AlRBa4BQ宇喜多勢
播磨衆
山陰の諸勢力
近江・尾張・美濃出身の秀吉軍
が各1万としたら、計算に合う。
さらに、山崎の頃は
摂津衆が1万弱、丹羽や信孝が数千。
これで、総計は5万数千人。
山崎の戦いの秀吉軍については、2万5千説と4万説があるが、どっちにしろ、
秀吉軍の全力ではない。
0089人間七七四年
2007/03/03(土) 20:48:08ID:P90ts5PHお前みたいな馬鹿は歴史を見る資質が無い
歴史というのは事実は事実として認め
長岡が情報を秀吉に流してたって「事実」を認めてねえのは誰だよww
自分がやってねえ事を他人に求めるかww
「俺はお前の話は聞かないが、お前は俺の話を聞け!そして俺の言うことは全て真実だ!」
ってかww
0090にゃんこ
2007/03/03(土) 20:56:04ID:AlRBa4BQその通り。反論しているつもりで、同じ論を吐くのは、にゃんこの文を誤読
しているから。
0092人間七七四年
2007/03/03(土) 21:03:53ID:OuxBxA/0http://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1172386344/208-
テレビゲームのスレに宣伝し、住民にスレ違いを指摘されると発狂。
痛い。非常に痛い。
0094人間七七四年
2007/03/03(土) 21:13:00ID:P90ts5PH0095人間七七四年
2007/03/03(土) 21:13:45ID:C4hbkbbLという見方もできるのではないか。
0096人間七七四年
2007/03/03(土) 21:14:34ID:UwwHuv5Cテンカイはどこへ行ったの?
自分だけ生き延びてテンカイになったんでしょ?
0097にゃんこ
2007/03/03(土) 21:18:30ID:AlRBa4BQ私は2万5千人説。この方が、初戦の光秀軍有利を説明しやすいと思う。
4万人説だと、摂津衆、四国遠征軍を1万5千としたら、差し引き、2万5千
高松で4万だったなら、「大半」というより「過半」。
0098奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/03/03(土) 21:27:00ID:ISJ888pJ0099にゃんこ
2007/03/03(土) 21:33:54ID:AlRBa4BQ従来の大軍高速移動説の問題点
1,事前に準備がないと難しい。
2,事前に訓練がないと難しい。
1は、仮に秀吉陰謀説ならクリアーできるが、それでも、陰謀説自身に問題が
多い。さらに、2は戦国時代には不可能である。
そこで藤木久志氏の、本陣だけ高速移動、残りは後から着いてくる説なら
1,準備も訓練も不要である。
2,摂津手前での足踏みの理由を説明できる。大軍では無かったから、摂津の
動向がはっきりするまで、進軍できなかった。
3,2と重複するが、大返しが、最初は速かったのに、だんだん、遅くなって
いった理由も説明できる。政治工作のために、いち早く畿内(姫路まで)
に戻る必要があったが、その後の進軍は危険だったのだ。
0100仙台藩百姓
2007/03/03(土) 21:36:32ID:PnfWPuYa0101人間七七四年
2007/03/03(土) 21:45:30ID:CpGsXqLQ上の2が無いのは賛同する
しかし下の2と3の理由は明らかである
人間は機械じゃないんだから疲労度は蓄積されて
1日目より2日目、2日目より3日目の進行速度が落ちるのは当然だ
そして戻るのが目的じゃない
戻ったあとの明智軍との戦が目的なんだから
疲労して弱ってる体を休めてから京に入るのは理に適う行動だ
よって上の1、つまり事前の準備があったといえる
その証拠に秀吉達が通る道端の農村でオニギリを用意させて走りながら食べて
高松城から三日三晩寝ずに移動してきてる
この歴史的大偉業の中国大返しは計画されてたからこそできたのである
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