【歴史的難儀】本能寺の変の真犯人が判明【解決】
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0002人間七七四年
2007/03/01(木) 19:57:52ID:MpT49E6fあらかじめ計画されてたからこそできたのである。
それに信長だけでなく、二条城で信長の嫡男信忠も殺してることから
信長の死後に天下を取る野心による犯行だったことが証明される。
信長の死後に天下を取るために動いたのは秀吉であり、秀吉の右腕となったのは官兵衛である。
(官兵衛は重度の皮膚病で正常な歩行も困難だったため裏方に回った)
信忠は官兵衛の主君の小寺政職を殺してることから、官兵衛自身の恨みもあったと思われる。
本能寺の変のときも光秀は本能寺に誰がいるかは、最後まで自分の兵に伝えなかったと言われてるが
山崎の戦いも秀吉と光秀にとっては茶番であるが、兵隊にとっては生死を賭けた戦いだった。
それなのに光秀が戦場から逃げたのは秀吉と手打ちをしていたからだろう。
歴史上ではその後に町で農民に殺されたとされるが、テレビもネットも無い時代に
戦場から逃げてきた数人の兵隊を農民が「明智光秀だ!」と分かるわけがない。
よって光秀は生き延びたのである。そして出家し天海と名乗った。
信長を殺した光秀を真っ先に仇討ちしたようにみせ、秀吉は後継者最右翼になったのである。
柴田勝家はお市とともに織田家から後継者を立てようとしたが
家を継ぐとされていた嫡男の信忠が死んだので、リーダーの資質を持つ者がおらず失敗に終わった。
こうして黒田官兵衛の策略により、豊臣秀吉が天下人となった。
あとがき
・光秀の娘で細川忠興の妻のガラシャは、本能寺の変で父の光秀が信長を裏切ったことにより
細川家から追放されるが、後に忠興とガラシャを復縁させたのは秀吉であることからも
秀吉と光秀は特別な関係だったことは明らかである。
・本能寺の変で信長が死んだと一報が入ってきたときに
官兵衛が秀吉に「(天下を取る)御運が回って参りましたな」と言ったのは有名で
事前に信長が死ぬと予測してないと、驚いてこんなことは言えないだろう。
・秀吉が晩年に家臣を集めて「次に天下を取るのは官兵衛だ」と言った。
・徳川第二代将軍秀忠は「官兵衛は今世の張良なるべし」と言った。
※張良とは秦の始皇帝を暗殺しようとして(失敗)、後に劉邦を天下人にした中国の軍師で
官兵衛が黒幕なら張良とそっくりである。
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