戦国ちょっといい話
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0001人間七七四年
2007/02/23(金) 22:33:24ID:OA17Uaqt0799人間七七四年
2008/08/29(金) 20:19:34ID:LZQYPXp2戦国ちょっと悪い話
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1220008704/
0801人間七七四年
2008/08/29(金) 23:08:23ID:4VQ44jZH0803人間七七四年
2008/08/30(土) 02:02:43ID:bQqgPH4s0805人間七七四年
2008/08/30(土) 02:31:37ID:ovwOyXhGでも史実は史実な訳だしまあいいんじゃないですかね
0806人間七七四年
2008/08/30(土) 10:32:11ID:g1VXCmJV0808人間七七四年
2008/08/30(土) 12:51:56ID:k13OsBMO本多忠勝が娘婿の真田信之が父と弟の助命嘆願した時、強く取りなしたとかなんとか。
大久保長安は、武田家臣だった時の恩を忘れず、信玄の娘の信松院(松姫)の暮らしを支援したそうな。
0809人間七七四年
2008/08/30(土) 16:51:56ID:mtJEhULH0810人間七七四年
2008/08/30(土) 18:05:59ID:pc+O0ghU0811人間七七四年
2008/08/30(土) 18:07:05ID:pc+O0ghU0812人間七七四年
2008/08/30(土) 18:43:09ID:tNzXIThI0814人間七七四年
2008/08/31(日) 09:53:11ID:O/WsQd190815人間七七四年
2008/08/31(日) 13:49:42ID:AkpVdDD0和泉守護と九条家は、その領地の境界を争っていた。ある時、日根庄内の入山田村の住人二人が、
和泉守護細川氏の家臣によって拉致されると言う事件が起こった。
政基はすぐに、家臣の塩野兵庫助を、守護の滞在する堺へと派遣した。
くどくどと言い訳をする守護側に、塩野はこう言い放った
「所領問題に気に入らないことがあるのなら、それは百姓の責任ではない、和泉細川家と我が九条家の問題である。
九条家の家来である私が今ここにいる。私を拘束し、かわりに百姓を開放しなさい!」
同じ頃京では、政基の工作により、細川の本家である京兆家から「九条家は報復として、和泉細川家の
係累を人質に取るといい。我々も協力する。」との言質を取った。和泉細川家は追い込まれた。
結局、守護側は何も出来ず、拉致した百姓を開放した。
当時は公家であっても、地下の領民のためにすら、これだけのことをした、と言うお話。
0816人間七七四年
2008/08/31(日) 14:39:30ID:T0WBPrV40817人間七七四年
2008/08/31(日) 16:19:37ID:kvfRK2yaサクラマス(山女の降海型)かサツキマス(アマゴの降海型)
じゃなかったのか?
富山の鱒の鮨なんかはサクラマスだし
長良川名物はサツキマスだし
0818人間七七四年
2008/08/31(日) 18:27:39ID:GWTH4TzRインテリだからむしろ
民を大事にするメリットを意識している、ということなのかな
当てずっぽうだけど
>>815
ここまで体も張って、面倒な立ち回りもするなんて・・・イイハナシダナー
0819人間七七四年
2008/08/31(日) 19:06:12ID:vgn8GgQ/↓
↓
0820人間七七四年
2008/08/31(日) 20:15:53ID:hCXKI+sJそんな面子の問題。
0821人間七七四年
2008/08/31(日) 22:07:17ID:bOd7dXa10822人間七七四年
2008/08/31(日) 22:29:11ID:AkpVdDD0「守護が私に対して武力で攻撃すれば、入山田を含む九条家由緒の五ヶ村が、昔のように九条家領に
なってしまうことは目に見えているではないか。
私とともに討ち死にする者たちには気の毒だが、私が討ち死にこそ、幕府の処断によって九条家領が
回復される絶好の機会となる。私はむしろ、それを望んでいると言っていいくらいだ。
このようなことは、馬鹿でもわかる話だ。」
0823人間七七四年
2008/09/01(月) 01:10:44ID:OqZOmtq7永禄四年(1561)、武田信玄が上州に侵入してきた。
当地の大寺である長年寺は戦乱に巻き込まれることを恐れ、僧、受連は信玄から、
「予の軍勢がこの寺で略奪や暴力、破壊行為などの狼藉を行うことを禁止する」との制札を手に入れた。
が、戦乱は長引き、長年寺周辺も無事ではすまない状況になってきた。
寺に住んでいた200人あまりの僧俗に、受連は「このままでは危険である。皆、避難するように」と言った。
僧の一人が「しかし、我々がここから避難してしまえば、この寺は軍勢にどうされるか…」
受連「私が、守るよ」
彼は一人この寺に残った。戦禍は、たちまち長年寺に襲い掛かってきた。武田の足軽たちが
あるいは食物を、あるいは資材を、あるいは金銭を奪いに、長年寺に押しかけてきたのだ、そのたびに
受連は一人門前に立ち、戦場で荒くれている軍兵を前に、制札を掲げた。
「ここは保護された場所である!」
ある時は刀で脅され、ある時は暴行を受け、ある時は着ているものを身包みはがされたこともあったと言う。
やがて上州の情勢が落ち着く。避難していたものたちが、長年寺に帰ってきた。
そこには、
かわらぬ長年寺の姿と、痩せこけ、体中に傷を負いながらも、門前に立ち彼らを迎え入れる、受連の笑顔があった。
0824人間七七四年
2008/09/01(月) 01:34:43ID:1hH+R0Zj0825人間七七四年
2008/09/01(月) 02:09:49ID:A5W0CLpW0826人間七七四年
2008/09/01(月) 02:21:36ID:9kfSACql0827人間七七四年
2008/09/01(月) 02:27:11ID:+Ags8dIv0828人間七七四年
2008/09/01(月) 06:41:55ID:t8ppktj7うんこうんこしょんべんじゃーで大爆笑してる小学生に見えるから
そう思っちゃうのは個人の自由だし生まれ持った発想のくせとしてしょうがないとしても
人前ではそういうこと言わないほうがいいとおもうよ?
コメディアンでもない限りメリットのないバカにされかたで笑われるだろうし
0829人間七七四年
2008/09/01(月) 13:53:52ID:ridcVTZ30830人間七七四年
2008/09/01(月) 14:04:23ID:B120HDp+腐女子のアホをバカにしたかったんだろ
0831人間七七四年
2008/09/01(月) 14:23:41ID:6EdMc/940832フリーザ様 ◆LYPInvIoiQ
2008/09/01(月) 17:13:21ID:rPSxkFHq敵味方の区別がはっきりしてるんでしょう。
ある種ボーダー型の人格障害っぽい人もいるが
0833人間七七四年
2008/09/01(月) 22:14:37ID:fAL4m92t最上家臣・北楯大学が大堰を工事していたときの話。
ある日、工事作業員が大騒ぎしているのをききつけ、大学が現場に駆けつけたところ、
金銀のびっしりつまった壷があった。
どうしようかとまどう彼らに大学は言った。
「おまえたちの心がけがいいから、こういうこともあるのだな。とっておけ。
そういえばこのあたりの城主が、落城のときに埋蔵金を残したらしいぞ?」
皆は大慌てであたりを掘り進んだところ、次々を埋蔵金が出てくる。
こうした幸運もあってか、工事は予定よりずっと早く終わった。
実はこの壷…偶然ではない。夜中に大学と家臣たちが現場にこっそり埋めて、
わざと見つかるようにしていたのだった。
大学の親切心と機転のおはなし。
ちなみに大学は最上側で鮭がとれると、最上義光に献上していました。
義光はとても喜んで、彼にもいろいろプレゼントをあげたそうです。
義光が大学を大事にしたのは確かですが、さすがに鮭のせいではないかなと…たぶん
0834人間七七四年
2008/09/01(月) 22:35:20ID:hbA9Q5Os0835人間七七四年
2008/09/01(月) 23:46:30ID:bHiIscEa鮭は日本を平和にする魚だな
0836人間七七四年
2008/09/02(火) 00:06:21ID:gUjOvRnb鮭とサクラマスは重複して分布してるよ
全部鮭の仲間だけどね
鮭=シロザケは北海道から太平洋側は利根川まで、日本海側は福岡まで
サクラマスは北海道から太平洋側は神奈川まで、日本海側全域、九州南部まで
サツキマスは太平洋側神奈川から大分の一部まで
0837人間七七四年
2008/09/02(火) 00:33:32ID:hGBAUmey0838人間七七四年
2008/09/02(火) 09:00:12ID:V63xJhSo0839人間七七四年
2008/09/02(火) 09:10:30ID:5cxj1FlCさーもんあらん。
0843人間七七四年
2008/09/02(火) 18:34:09ID:rzFcpMRr0844人間七七四年
2008/09/02(火) 19:40:33ID:5guRsVTz0845人間七七四年
2008/09/02(火) 20:15:00ID:crBXjLyk0846人間七七四年
2008/09/02(火) 20:18:27ID:K8F46CFmずっといい感じだな、なごむわ
0847人間七七四年
2008/09/02(火) 21:02:02ID:IZkUsmREttp://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=66153
0848人間七七四年
2008/09/03(水) 02:32:22ID:ih8VIv8T推定されるマグニチュードは8.2〜8.4.阪神、淡路大震災の、数十倍の規模であった。
この地震は房総半島から東海、紀伊半島にいたる地域に、大津波を起こした。
伊豆半島も大きな被害を受けた。が、伊豆を預かる堀越公方の政庁は、この災害になんら具体的な
救済を行わなかった。伊豆の地には多くの死体が放置され、被災し、苦しむ人々が溢れた。
その時である
海上に、多くの船舶が現れた。まっすぐこちらに向かってくる。
「海賊か?」
住民たちは逃げようとした。しかしどこに?堀越公方の政庁は、自分たちを助けてくれない。
そうこうしているうちに、船は接岸し、侍たちが上陸してきた。
たくさんの医師を伴って。
侍たちは早速炊き出しをし、医師たちは被災した家々を回り、病人、けが人の治療をし、薬を調合した。
多くの命が、救われた。
この船を率いてきた大将も、いっしょにかゆを配り、病人を看病した。
この男の名は、伊勢宗瑞。後に北条早雲と呼ばれる武将である。
0849人間七七四年
2008/09/03(水) 03:12:18ID:RGznkm6T0850人間七七四年
2008/09/03(水) 05:29:15ID:eT2pQ3oU0852人間七七四年
2008/09/03(水) 06:52:09ID:4UlUAbTe0853人間七七四年
2008/09/03(水) 06:54:22ID:PrbyFGJi0854人間七七四年
2008/09/03(水) 09:25:39ID:pZnGoihf正しいありかたじゃないの
0855人間七七四年
2008/09/03(水) 09:56:54ID:SJtoyB9h最高の形だよな。
これが前田利家なら救援物資売りに来るぜ
0856人間七七四年
2008/09/03(水) 10:11:32ID:apumvUhL0857人間七七四年
2008/09/03(水) 10:15:16ID:7BYsnQNV人身はあまり掌握しすぎない方がいいw
まあ、徳川家康をして、領民が前領主の徳を慕うので治めにくい、と言わせた後北条の初代だし、そういう逸話もスレタイに合ってるからいいじゃん
0858人間七七四年
2008/09/03(水) 12:53:17ID:RGznkm6T俺たち汚れちまったのかなぁ
とか言ってみる
0859人間七七四年
2008/09/03(水) 13:28:20ID:W3hoAJfH0860人間七七四年
2008/09/03(水) 16:37:08ID:NVGcmZPtなんか泣けてきた
0861人間七七四年
2008/09/03(水) 23:03:44ID:7Yy5uT8T0862人間七七四年
2008/09/04(木) 05:40:02ID:WSPeQpVf0863人間七七四年
2008/09/04(木) 10:11:25ID:1NHg0sgh遅レスだけど、側室持たなかったのは立場的に無理だったからでは
・隆元
大内義隆の養女という当時毛利が臣従していた大内家から嫁をもらってる以上、側室なんて持てない
・元春
講談ベースに考えるなら、熊谷家との絆を考えた打算でブスを嫁にしてるから、
わざわざ側室を迎えて熊谷家との仲を微妙になんかしない
・隆景
二つに別れた小早川家を統一する為の結婚だったから、側室なんて持てない
まあそれを抜きにしても嫁さんを大事にしてるのは事実だろうけど
0864人間七七四年
2008/09/04(木) 14:17:57ID:6PKkhzKZ嫁さんに会う時は常に正装して、主君に対するかの如き振る舞いだったとか聞くぜ。
そんなよそよそしい夫婦関係なら、そら子の一人も出来んわ。
0865人間七七四年
2008/09/04(木) 15:16:45ID:+zwxPN6T元春の嫁さんは、本当はブスじゃなかったんだが・・・・・
後家さんになってしまって、親父が心配していたところへ元春の求婚で、感謝感激した。
というんであって、時代が経つにつれていつのまにやらブスということになってしまった。
0866人間七七四年
2008/09/04(木) 16:28:51ID:+y/K+54oゴクリ
0868人間七七四年
2008/09/04(木) 16:50:57ID:8NBH9hcu0869人間七七四年
2008/09/04(木) 22:55:08ID:duZbFBCJ0870人間七七四年
2008/09/05(金) 08:44:32ID:vp7tvVLA結果、関ヶ原で中途半端なことして、アレだからなぁ。
0871人間七七四年
2008/09/05(金) 10:08:37ID:YaJgxsYk元清が隆景と同時期に死んじゃわなければなぁ。
0872人間七七四年
2008/09/05(金) 12:01:37ID:5JzlzxVsもっともそれが性格的になのか、たかが1国人に過ぎなかったゆえなのかは不明
0873人間七七四年
2008/09/05(金) 15:05:24ID:pkMeJIpz天正十四年三月
徳川家康と北条氏政・氏直親子が伊豆にて、同盟締結のための会見を行った。
一同が集まって先ずは酒宴、と言う時、家康の宿老である酒井忠次、「余興に」と、
お得意の踊り、「海老すくい」を舞い始めた。
これは今で言う泥鰌すくいのようなもので、相当滑稽な踊りだったそうな。
これに一座大爆笑。その和やかな空気のまま。徳川と北条の同盟は、無事締結された。
締結直後に、北条側から酒井に向かって一言
「立派な海老がすくえましたなあ」
0874人間七七四年
2008/09/05(金) 15:21:22ID:IYcLe+69その後徳川家は北条という海老を捨て
豊臣という鯛につきましたとさ
0875人間七七四年
2008/09/05(金) 15:35:45ID:HuQOVOej0876人間七七四年
2008/09/05(金) 15:40:59ID:pkMeJIpz海老=同盟締結の事だよ。
ついでに言えばこの同盟のおかげで、家康は小牧長久手の対決に至るための、後顧の憂いが無くなったし、
北条も北関東戦略に集中できたし、と、双方に大きなメリットがあった。
あと、家康は関東征伐のぎりぎりの段階まで、北条に豊臣につくように説得しているわけで、しかも
氏直は、命を助けられ、早死にして果たせなかったが、「家康の婿」として、豊臣政権化で大名として
復活するはずだった。
この同盟は、かなり強固だったと言っていい。
0877人間七七四年
2008/09/05(金) 15:59:56ID:IYcLe+690878人間七七四年
2008/09/05(金) 16:11:03ID:pkMeJIpzんーっと、きちんと説明するとね?
徳川と北条はそれまで甲斐や信州をめぐって敵対関係にあり、実際に戦闘も行われているわけ。
それが色々な情勢の変化で、和平、同盟、と言う方向に行ったのだけど、ちょっと前まで戦火を交えていた
両家だから、当然反対派も存在し、会見の進め方次第ではどうなるか解らない、って状況でもあったわけ。
そこで忠次の海老すくいで、会談の雰囲気が良くなって、すんなりと同盟締結に持って行けた。
それについて北条側からも、ある意味感謝の念をこめて発言されたのが、
「立派な海老がすくえましたなあ」
って言葉なのよ。
0879人間七七四年
2008/09/05(金) 16:40:03ID:5nKgkDIO何か言いたいところだけど言って良スレが荒れるのはなんとしても避けたい。
0880人間七七四年
2008/09/05(金) 17:09:44ID:VgJpGR9x0881人間七七四年
2008/09/05(金) 17:18:00ID:R1QvOiAsちぇっ
0882人間七七四年
2008/09/05(金) 17:42:47ID:HRd83ObP0883人間七七四年
2008/09/05(金) 18:23:25ID:GgMwgVoX土佐人たちの大酒のみっぷりに苦慮しついに禁酒法発令
皆不満たらたらであるもののやむなくお酒は控えることに
所がる日元親自らこっそり酒を飲んでいるのを福留さんが目撃
ここぞとばかりに自ら作った禁酒法を自ら破ってしまった殿を責めまくり
元親平謝りに謝って禁酒法の条項を撤廃しましたとさめでたしめでたし
土佐人じゃないのに幕末の豊信は鯨海酔侯
なんだ?血筋じゃなくて風土が酒好きに影響しているのか?
0884人間七七四年
2008/09/05(金) 20:55:01ID:twwV9+mc0886人間七七四年
2008/09/05(金) 23:06:01ID:rgTrvICxあそこに住んでたら、周りにあてられてついつい飲みたくなるだろうな
0887人間七七四年
2008/09/06(土) 16:52:54ID:y6tdixCV一、町人に申し分があれば、書きたてて目安箱に入れること。(市民の意思や要求を把握する)
一、町人に訴訟したい事があれば、板倉家中のものに頼む必要はない。直接申し出る事。(直訴を認める)
一、訴訟、裁判において、他の有力者に仲介、斡旋を頼むようなことがあれば、理非にかかわらず負けとする。(裁判の公平性を確保する)
一、所司代の者だと言っても、町人の売り物を掛買い(値引き購入)させてはならない。(官僚としての規律を確保する)
一、法は町触れによってはじめて執行される。武家奉公人が所司代の命令だなどと言ってきたときは、所司代に通報する事。(法公開の原則)
これは板倉の治世の間ほぼ守られ、さらに彼に続く京都所司代の、基本方針となり、さらには幕府における
江戸、大阪などの都市行政においても、これが原則とされた。
彼が名所司代と京と市民からたたえられたのも、裁判においての手腕だけでなく、このような、自らを律し、
市民の話を聞き、公平であろうとする姿勢があったため、だったわけだ。
0888人間七七四年
2008/09/07(日) 00:07:33ID:BT+LsTAa秀吉が風呂に入っていると、蜂屋伯耆守がやってきて、お背中を流しましょうと言う。
それではと秀吉、やらせてみると、蜂屋、こう節をつけながら、リズミカルに背中をこすり始めた
「知行くれい〜 知行くれい〜」
そんな感じで背中を流してもらった秀吉、蜂屋に向って「今度はわしがお前の背中を流してやろう」
そんな、殿下に、勿体無い、と断るも、無理やり服を脱がせて、同じように節をつけながら背中をこすり始める秀吉
「奉公せい!奉公せい!奉公せい!」
蜂屋伯耆守、すっかり恐縮したそうな。
0889人間七七四年
2008/09/07(日) 00:12:24ID:QHHB6OoT0890人間七七四年
2008/09/07(日) 01:01:23ID:BT+LsTAa78 名前: 四十代(東京都)[] 投稿日:2008/09/06(土) 18:35:16.05 ID:kb9fMQ7A0
「巧すぎる絵師」の宿命としての真田幸村のトラブルとは対照的に、こんな心温まるエピソードも
残っている。
「花の慶次」に登場する徳川家康の外見が勝新太郎をモデルにしていることは有名であるが、
あるとき知り合いの演歌歌手の誕生パーティーに原が出席したときのこと。原が隅で料理を
つついていると、ホールの向こう端から全身白のスーツ姿にサングラスをかけた小太りの男が
つかつかと歩み寄ってくるのが見えた。誰あろう、その恐ろしげな風貌の人物こそ、かの勝新
その人であった。
勝は原の目の前に立つと、原の胸を、どんとひと突きした。「―――殴られる。」原はそのとき、
そう直感したという。原は勝に無断で、肖像を拝借して作中に徳川家康を登場させていた。真田
幸村の一件が頭をよぎる。しかし。勝はサングラスをはずし、ぐい、と原に顔を寄せると満面の
笑みを浮かべこう言った。「おめえ、絵が巧いんだな。」それだけ言うと勝は手を振りつつ去って
いったという。
数ヶ月して、原のオフィスに一本の見事な長唄三味線が届いた。紫檀製の胴には見事な綾文
(鑿で内面に彫られる模様細工)、既に昨今では珍しい本皮張りに、象牙の撥(ばち)。時価に
して数百万になろうかという逸品である。それは、三味線職人の次男坊である勝新太郎ならで
はの、原の作画に対する素直な評価、粋な贈り物であった。原は以後この三味線を何度も
作品中に登場させ、前田慶次に弾かせている。
0891人間七七四年
2008/09/07(日) 01:03:43ID:332D1d3M0892人間七七四年
2008/09/07(日) 01:32:08ID:wus4eEpj0893人間七七四年
2008/09/07(日) 03:22:35ID:0UV3iztH0894人間七七四年
2008/09/07(日) 06:28:25ID:OXsLOA7xカジワラ先生だったらこんないい話で終わらないだろう
0895人間七七四年
2008/09/07(日) 09:39:43ID:6w8L4YxR秀吉が大事にしていた鶴が
世話係の不注意で逃げてしまった
世話係がおそるおそる報告すると
最初は顔色を変え、しばらくは
無言の秀吉だったが
やがて静かに問いかけた
秀吉「あの鶴は唐(から)まで逃げたか?」
世話係「いえ…いくら何でもそこまでは…」
秀吉「なら良い、日の本の中ならどこでも俺の領地だ。領地の中にいるのなら、お前は逃がしたわけではない」
そいうって秀吉は世話係を咎めなかった。
秀長や利休がまだ健在の頃の話らしい。
0897人間七七四年
2008/09/07(日) 13:13:59ID:n9UNGfEW■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています