>>957
家康が秀秋に威嚇射撃したからといって、その備えをしていた事にはならないし、
大谷が備えをしていたからといって、家康も同様だとはいえない。

その証拠に、家康は東軍諸将を督戦するため本陣を前進させ、東軍諸将の真後ろに位置づけしている。
東軍の左翼はがら空きだ。
もし家康が秀秋を警戒していたなら、本陣をずっと左に移動させて、
無防備の左翼を手当てしている。
小早川軍の自軍への攻撃など想定していなかった証しだ。