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関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかったら

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0001人間七七四年2007/02/21(水) 02:02:54ID:ELPRAlm/
関が原での家康(=東軍)の勝利は単なる幸運。
家康の催促の砲撃に小早川秀秋が激高し東軍に襲い掛かったら、
東軍は総崩れ。
それを見た吉川広家もダンマリを決め込むと戦後立場がないので、家康を攻撃するにちがいなく、
家康は東西から挟み撃ちされ、関が原で戦死するのでは。

問題は、その後の豊臣体制だ。
0083人間七七四年2007/06/10(日) 22:22:28ID:MCfdfGAS
小早川秀秋の歴ゲでの能力が凡将→松野重元くらいの猪武者に。

>>64
それなんてHARAKIRI?
0084人間七七四年2007/06/11(月) 23:58:01ID:PbX3cG/h
>>82
佐和山城もスルー?
0085人間七七四年2007/06/13(水) 08:00:06ID:hBTki0fw
>>84
大谷らが佐和山城に撤退し、そこに立花、毛利らが入った場合
三成ら大垣城の軍勢をそのままにしてはおけなくなる。この場合は
大垣城決戦になる。
もし大谷らが撤退時期を失い、東軍に壊滅される事態になれば
戦況不利を見た毛利が東軍に降る可能性はあるけどね
合戦が始まる前の政治工作での寝返りなら戦国時代にはよくあることなので
小早川も吉川も後世からこうたたかれずにはすんだろうに
0086人間七七四年2007/06/13(水) 23:55:50ID:xzn1cJVm
三成が片倉重綱を使者として出してれば西軍側についてた
0087人間七七四年2007/06/17(日) 00:59:09ID:qReU4be4
>>61>>62
燃料投下乙
でも、上杉もさすがに伊達の和睦は受け入れて南下するのでは?
中央の戦後にどうとでもできるだろうしW
あと前田が如水につくのも疑問。芳春院の行方もあるだろうけど・・・
0088人間七七四年2007/07/13(金) 17:18:21ID:Tmh1Ql+l
義の上杉は動かないよ。
優柔不断が家訓の毛利もそんな決断できないよ。



0089人間七七四年2007/08/01(水) 01:40:04ID:8KCBFMCm
小早川が東軍に攻めかかれば
藤堂、福島あたりはおそらく討ち死には避けられないと思う。

家康本陣は、毛利勢次第か。
彼らが攻めかかってきたら家康も正直逃げ切れるか微妙。
家康が討ち取られるか、逃げ延びるかでかなり
その後は違うんじゃないかな。
0090人間七七四年2007/08/31(金) 01:39:38ID:VclY+3qS
小早川が東軍にかかった場合、まず藤堂隊京極隊はすぐに壊滅するだろう。そして宇喜田隊との死闘でへとへとの福島軍も支離滅裂。
一方、家康は南宮山対策の浅野、池田を本戦に合流させようとするが西から敗走してくる
東軍の渦に巻き込まれて身動きできず、そうこうするうちに南宮山の毛利吉川らが動きだし、浅野池田も家康旗本二万も壊滅
0091人間七七四年2007/08/31(金) 10:40:46ID:amKK6dlj
三成軍忠誠高すぎ全滅だからね、関ヶ原に最後まで居て。
大谷強すぎ、小早川により前後の挟みうちで逆に小早川を500押し返すのは
神業だ
0092人間七七四年2007/08/31(金) 10:40:50ID:YYlfpKtq
狼煙の時点では西軍優勢だから小早川&朽木・赤座・小川・脇坂ら二万近い軍勢が
東軍側面を突けば流れは完全に西軍。
雪崩のように崩れて、無傷の家康三万など飲み込まれて収拾不能に陥る。
南宮山の西軍も動きだし、家康なんとか関ヶ原から逃れても、
近辺に籠城できる城も無く、清洲までは遠く、西軍の追撃に捕捉され
討ち取られるだろう。
0093人間七七四年2007/08/31(金) 11:24:59ID:k/ISVAKU
南宮山からはさすがに間に合わないと思うがどうかw
0094人間七七四年2007/08/31(金) 11:40:11ID:aTbUXz+Q
ただ西軍が関が原で一勝あげれば
日和見の何割かは西軍についただろうな
役者が違うからと思ってた奴も多いだろうし
0095人間七七四年2007/08/31(金) 14:54:06ID:vAQ9AsFo
吉川勢にブロックされていた毛利本隊はともかく
日和見してた長宗我部勢あたりは突撃したかもな
0096人間七七四年2007/08/31(金) 14:56:12ID:K7AUdgou
小早川そもそも最初から東軍じゃないのか。
少なくても西軍として参戦する気があったとは思えんのだが。
0097人間七七四年2007/09/01(土) 01:12:08ID:EFAO/Vj9
在陣の西軍を追っ払っての、松尾山布陣だからな。
西軍諸将が小早川を西軍としてみていたとならば、とんだお人好し連中って事になる。
まあその為の脇坂ら四将という配置なんだろうけど。
0098人間七七四年2007/09/01(土) 13:25:41ID:tnZCR542
西軍としては最初から小早川は敵・あるいは旗色不鮮明として扱ってて
予想外は小川や脇坂の裏切りの方だったという説も最近は多いからな
0099人間七七四年2007/09/03(月) 05:24:24ID:jN1ybIxc
小早川が西軍に付いた場合いろいろ難しいだろうな…
吉川が動いて毛利が動けば東軍は壊滅間違いなしだろうけど、だからと言って
一気に東海道が抜けるとは限らないし、関ヶ原は一局地戦で終わる可能性だっ
足利尊氏の例を考えてもありうる。

第一西軍の殆んどの兵力は毛利一族だ。毛利は関東までの遠征は九州や四国、
北陸、畿内、中部の情勢が落ち着くまでしないと思う。そこら辺が家康との器
の違いだろうし実力の違いだとも言える。(毛利の場合は元就が死後も神で、
広家も輝元に手紙で元就が天下を目指すなという例を出して諌めている)

家康の事だから一戦で負けても生きていれば、何時かは逆転してそう。
0100人間七七四年2007/09/03(月) 17:10:29ID:3jUHoQ42
>>99
ことはそう簡単じゃないだろう。
たしかに毛利は西の天下の制圧を優先して
たやすくは西国を動かないだろうが、
少なくとも大阪城の主導権は完全に掌握すると思う。

>>元就の遺言に関しても
毛利が直接天下を狙うんじゃなく豊臣天下を傀儡にした
執権政治は目指すと思うし・・

0101人間七七四年2007/09/03(月) 17:15:09ID:3jUHoQ42
家康のほうも関が原での敗北は家康有利で西軍不利の状況を
変更する要素にはなるだろう。
秀忠軍は真田に負け、家康も光成ごときに負けたとなれば
徳川の重みは相当に軽くなるよ・。
貴殿の
>>家康の事だから一戦で負けても生きていれば、何時かは逆転してそう。
は史実の家康の重みが関が原の敗戦があっても変わらない前提に
見ているが、あのときの状況からして
局地戦とはいえ直接指揮した戦で大敗北し、息子率いる主力軍も
地方の小豪族真田に足止めされた(事実が違っても)と喧伝されては
徳川家康の権威侮られるものだとおもう。
 少なくとも、ある程度挽回できても
史実のような独裁じゃなく相当にほかの勢力に配慮したものに
ならざるを得ず、おそらく幕府開くのは不可能になっていたと思う。

戦が長期化すれば
毛利の大阪城と西国覇権
前田の北陸切り取り
上杉の越後出羽制圧
伊達の奥羽制圧
黒田の九州蹂躙
と徳川の手におえないほどに
巨大勢力があちこちに勝っても負けても
登場している上、史実よりも家康の武威は侮られてる以上
家康の天下になってもそれは、相当に不安定になったと思うが?
0102人間七七四年2007/09/03(月) 20:43:26ID:iOe1Wkg+
早期決戦で西軍が勝ったとしても家康が生きてたら領国に戻って、
東軍が勝った場合みたいには行かないでしょ。

家康が毛利、島津、上杉を潰せなかったみたいに徳川、伊達、佐竹には
手を出せず、前田を三成が擁護、旧七本槍を秀頼、北政所が擁護、って
感じで新しい対立軸が生まれそう。

『東北』 勝利の褒章として領土を広げたい上杉
(西) 上杉 
(東) 伊達 最上

『関東』 必死の謀略を張り巻き返しを狙う徳川
(西) 真田 佐竹
(東) 徳川 

『中部・北陸』 縁故の人脈に頼り生き残りを図る前田・福島
(西) 織田 大谷 
(東) 前田 福島

『畿内』 毛利を押さえ込み新らしい秩序を模索する豊臣・石田
(西) 豊臣 石田 増田

『中国』 祖父の遺言を打破し天下を狙うか毛利
(西) 毛利 宇喜多
 
『四国』 本当は東軍に参加するつもりだった長宗我部
(西) 長宗我部 安国寺

『九州』 東軍参加大名をまとめ上げ、生き残れるか黒田如水
(西) 小早川 島津 小西 立花
(東) 黒田 加藤 鍋島
0103人間七七四年2007/09/03(月) 22:42:40ID:e4CsNueY
関が原で西軍が勝てば鍋島は西軍についたままじゃないのか
0104人間七七四年2007/09/04(火) 00:52:29ID:nJMRPIP/
>>103
そうだね。
ちなみに、東・西両軍で親父・息子双方、罰せられなかったのは
鍋島と蜂須賀の2大名だけ。

まあ、智謀で知られた大名だね。
0105人間七七四年2007/09/04(火) 13:38:06ID:nBoF6RdR
生駒親正・一正親子は?
0106人間七七四年2007/09/06(木) 02:52:15ID:f5jiqin5
津軽や前田も動きは怪しかったぞ
0107人間七七四年2007/09/06(木) 10:29:21ID:zrKANGUj
親子ともに免責なら生駒もその範疇だな
0108人間七七四年2007/09/06(木) 13:53:19ID:qaoWMh+j
正直、実際は秀秋は関が原まで来て東軍参加を決めたわけじゃなく、
最初から東軍みたいだったからね。

相当苦しいIFだな。
0109人間七七四年2007/09/06(木) 17:58:21ID:SnKfrooN
>>106
津軽は為信と信枚は東軍で、信建が大坂に居たんだっけ?
三成と津軽は、結構関わりあるからなあ。

あとは小出吉政と秀家兄弟も東西で別れたはず。
0110人間七七四年2007/09/06(木) 19:20:22ID:CiZwySnS
>>108
最初から決めてたのに家康が鉄砲撃ってくるまでじらすとは、なかなか肝の据わった男だな。
0111人間七七四年2007/09/06(木) 22:21:40ID:b8FxgD7m
冶部から関白位をチラつかされて心が動いたのでは
0112人間七七四年2007/09/07(金) 06:23:17ID:3bMo1w9r
実際西軍に味方してたら関白に成れたのかね?
0113人間七七四年2007/09/07(金) 12:38:07ID:x1zC2Ot7
なれたであろう。
というか関白ではなく内覧にするという手がある。
これなら関白秀次のような懸念は一切ない品。
内覧に秀秋をすえて、秀頼を豊氏長者とでもすればよいだろ。
0114人間七七四年2007/09/07(金) 18:17:16ID:3bMo1w9r
武家の長者も公家の長者も微妙な血筋ってなんかいやだな。長続きしなさそう。
0115人間七七四年2007/09/08(土) 18:09:52ID:x5KktNS4
長続きしたいなら天下は取らないことだね。
天下取っちゃうと、それが崩壊したとき滅亡確実だから。
0116人間七七四年2007/09/09(日) 11:35:48ID:GYxMTvtz
徳川はいまだに資産家として隆盛。
徳川、松平性のもので500人以上。
0117人間七七四年2007/09/09(日) 11:43:57ID:Z00XnKUp
それこそ坂本龍馬のはからいだろ
0118人間七七四年2007/09/09(日) 13:01:54ID:vZwWpVya
素朴な疑問ですが、水戸黄門は関が原ではどんな活躍をしたのですか?
0119人間七七四年2007/09/09(日) 16:00:27ID:fdRWxY2q
関ヶ原の戦い
慶長5年9月15日(1600年10月21日)

水戸光圀誕生
寛永5年6月10日(1628年7月11日)

つまり、まだ生まれていません。
0120みつくに2007/09/09(日) 19:09:08ID:Nqe9x/zs
三成のやつに柿をあげようとしたら
「いらない」だってよ!何様だ!
0121品川狼之助2007/09/10(月) 10:54:32ID:iV/zDxqZ
裏切り者と一生言われたであろう。
0122人間七七四年2007/10/10(水) 16:37:17ID:oGz26LwK
あげ
0123人間七七四年2007/10/28(日) 22:03:29ID:YqfY+6Xe
まぁ・・裏切らなければ
余裕で勝っていただろうね
裏切りでもなければあの布陣で負けようがないからね

西軍は
0124人間七七四年2007/11/23(金) 03:34:55ID:mRtM5BiT
仮に関が原で勝利しても東軍勢力の一掃は難しそうだし、毛利・上杉を始めと
して国持大名が各地に蟠踞していて不安定な政権ですね。豊臣直轄領は二百万
石として、貿易や鉱山収入だけで政権を維持できるのかな?
0125人間七七四年2007/12/05(水) 17:12:41ID:bzHlhwVL
結論としては細川VS山名の応仁の乱のように豊臣VS徳川の第二戦国時代の幕開けということかな
0126人間七七四年2007/12/07(金) 18:54:23ID:goNm9Jab
西軍が勝利しても論功行賞で躓きそう。豊臣家の直轄領もそのうち、各地の大
名が押領しそうな気がします。
0127人間七七四年2007/12/07(金) 18:56:12ID:goNm9Jab
皆さんは、石田三成と徳川家康のどちらか家臣となるならどっちがいい
ですか。
0128人間七七四年2007/12/07(金) 19:33:54ID:A7gWSjCP
豊臣家の外様なら三成
豊臣家の譜代なら家康
0129人間七七四年2007/12/12(水) 05:50:28ID:Wv5odqDu
黒田家かな
0130人間七七四年2007/12/25(火) 09:34:31ID:JwUcok6y
あの陣形だと、小早川の役目は自分の陣地を守る事で、家康本隊が西軍左翼に攻めかかって始めて左り後方から横槍を加える役目が出てくる。
裏切りを考えない、家康本来の戦いは、攻撃力の高い部隊を西軍左翼に集中して、西軍右翼が抑えに置いた部隊を突破しない間に倒すこと。(各個撃破)
その為には、もっと早い段階で、小早川に戦いを挑んで倒し、小早川陣地の方向から西軍左翼に横槍を加えなければならなかった。
史実で、家康が「小僧(小早川)に、たばかれたか?」みたいな事言ったのは、まんまと、時間稼ぎされる形になったからだと思う。
西軍右翼は動かなかったので、小早川が家康を倒そうして、勝ち目がないと判断したのか、それとも、今日、言う様なバカなのかは、分からない。
いずれにしても、小早川から、家康に襲いかかるのは、単独で家康本隊を倒す兵力がないと駄目。
長文で、失礼しました。
0131人間七七四年2007/12/25(火) 12:18:21ID:x5HoxEix
まぁ、スレタイ通り
@小早川秀秋が東軍に攻めかかったら
A西軍右翼の四将も小早川軍と共に、藤堂・京極勢に攻めかかる
B藤堂・京極勢は敗退し、福島勢は宇喜多と小早川に挟撃される形となる
C徳川本軍が福島勢を救出するために西進する
D東軍危うしの報を聞いた吉川広家も流石に西軍に加担することを決める
E毛利軍・吉川軍・安国寺軍・長宗我部軍・長束軍が東軍の背後を急襲
F池田軍・浅野軍・山内軍は敗走
G徳川本軍は三方から挟撃される形となり、敗走を始める
H傍観していた島津軍が東軍に襲い掛かる
I福島正則・井伊直政が戦死
J家康は本多忠勝などに守られ、辛うじて木曾路に向けて敗走を始める
K前線で戦っていた黒田長政・細川忠興・松平忠吉が西軍に捕らえられる
L東軍の諸将は自領に引き揚げる
M西軍が岐阜城を取り返す
N九州の西軍諸将は黒田・加藤軍を討つため自領に引き返す
O前田利長は越前を勢力下に置いて、しばらく傍観することを決める
P上杉軍が最上軍を一掃して、上杉が出羽を完全に掌握する
Q佐竹軍が江戸に進軍
R家康軍は秀忠軍と合流して江戸に引き返す
S西軍は内部がまとまらず、徳川軍を関東に逃してしまう
0132人間七七四年2007/12/25(火) 12:36:24ID:x5HoxEix
【東国】
上杉(会津の旧領+旧最上領+越後)が常陸の佐竹と同盟を結ぶ形で、徳川と伊達に対抗
前田は基本中立
真田は徳川が関東に撤退した後、信濃を荒らしにかかる
東海は西軍の支配下におかれることとなったが、各地で旧東軍勢力の反乱が起こる

【中央】
豊臣は石田・宇喜多・小西の陣営と毛利・小早川の陣営に分裂してまとまらない

【西国】
四国の諸将は自領に戻るが、長宗我部が阿波に進攻
毛利秀元は北九州を確保するため、黒田・加藤を討ちに西進
九州では黒田・加藤・鍋島と島津・大友・立花が対立


再び戦国の世に……
0133人間七七四年2007/12/25(火) 20:45:49ID:rmyoq3rA
>>131
佐竹は無理でない?味方で囲めるならいいけど
0134人間七七四年2007/12/25(火) 21:48:17ID:X2+ueVGt
俺も無難な上下の凝り固まった現代じゃなくて、ハチャメチャできる
この時代に生まれたかったなぁ。

騎馬にまたがり、長槍振りかざし、名乗りを上げて、敵陣に単騎突撃!
後には大将に続けと血気盛んな足軽どもが刀を抜いて続く。。

天下取るのは無理でも、歴史を変えるくらいの裏切り(光秀、秀秋)して、
教科書に自分の名前を載せたかった。。

つまらない時代に生まれたものだ。
0135人間七七四年2007/12/25(火) 22:08:48ID:mbmxFV9S
>>134
いますぐコロンビアかイラクへ行け
本当に命を捨てる覚悟があるなら大統領にもなれるよw
0136人間七七四年2007/12/25(火) 22:14:41ID:X2+ueVGt
言葉が通じないからダメだよ
0137人間七七四年2007/12/25(火) 22:21:48ID:zDiOo2Vk
よし!
では、まず言葉を勉強して北朝鮮に潜り込め!!

指令は現地にて再び送る
0138人間七七四年2007/12/25(火) 22:29:27ID:X2+ueVGt
北朝鮮の方が上まできっちりしているからダメじゃん?
0139人間七七四年2007/12/25(火) 23:05:12ID:zDiOo2Vk
今の北朝鮮は太閤秀吉の桃山時代と相似している

キムジョンイルが死んだ途端、その全ての箍は外れ崩壊する

その時に、オマエが動かずしてどうする!?

さぁ、いけ・・

まずは自宅から最寄り駅前のNOVAに通って北朝鮮語を憶えろ
0140人間七七四年2007/12/25(火) 23:48:53ID:tayjlHfF
>>139
0141人間七七四年2007/12/25(火) 23:49:19ID:tayjlHfF
>>139
お前、煽りとかじゃなく
頭悪そうだな。
0142人間七七四年2007/12/26(水) 00:00:40ID:ccVlg9rw
だよな、こんな平和な競争社会(自分で努力すればOK)でも勝てないのに
戦国時代なんて先ず無理。生れで9割決まる。(三傑の影響で江戸時代の大
名は必ずしも名家、名族の出ではないが戦国時代は基本的に格差社会)

これは最下層のみの話しではなく、どれだけ自身の出や才能が良くても盟主
がとんでもない屑野郎なら、逆にほぼ道連れ要員決定の憂き目に遭う。
0143人間七七四年2007/12/26(水) 02:49:40ID:kJzgMN1y
>>136

ほら、見てみろ
早くも北朝鮮の犬(食用)共が臭いを嗅ぎ付けて騒ぎだしたぞ( ̄ー ̄)ニヤリッ

オマエに残された時間は少ない・・

何故なら北朝鮮の太閤陛下の余命もそう長くはないのだからな・・ ̄m ̄ ふふ

さぁ、行け

オマエの望む世界が、そこにある
0144人間七七四年2008/02/24(日) 10:27:59ID:7bDRhgts
良スレ
0145人間七七四年2008/03/01(土) 13:11:56ID:Vmz+huK+
西軍勝利
0146小早川秀秋2008/03/12(水) 13:03:14ID:gn6npxl4
宴じゃ!
ざまあみろ三成!!
0147人間七七四年2008/03/12(水) 14:18:53ID:LNEaj/5C
井伊直政、彦根入りならず
結果「ひこにゃん」も誕生しなかった
0148人間七七四年2008/03/13(木) 10:22:33ID:TqsF7EpT
現代の日本が複数の国となり選択の幅が広がった。
0149人間七七四年2008/03/13(木) 11:08:36ID:+vUQXh4d
西軍は長宗我部をもっと前線にだせば良かったのではないか?

柳川の立花も主戦場に連れてきたほうが良かったと思う。
0150人間七七四年2008/03/13(木) 13:29:24ID:BaGhbIru
>>149
まぁかれらは必死だったろうからな。
かなりの戦闘力が期待できたろうな。
0151人間七七四年2008/03/13(木) 14:12:52ID:+vUQXh4d
長宗我部の兵は精強。

立花は島佐近と同等か、それ以上に有能。
0152人間七七四年2008/03/17(月) 10:36:52ID:X8HFERUk
東軍後詰めの山内一豊が手のひら返して、大権現さま本陣に突撃しただろうなあ w
0153人間七七四年2008/04/16(水) 18:09:34ID:k6Nt/v9+
西軍はリーダーが固定してなかった時点でアウト。
0154人間七七四年2008/04/16(水) 18:45:50ID:b5MB3ePU
>>149
立花勢は大津城で足止めくらってたんじゃなかった?
0155人間七七四年2008/04/16(水) 20:13:12ID:qob3P+JB
立花とか13万石で四千動員する気合の入りようだしな
0156人間七七四年2008/04/16(水) 20:19:37ID:/W2l/b/a
宗茂といっしょにいた小早川秀包だけでも関ヶ原にいれば、
秀秋を東軍に攻めさせたかもしれん。
0157人間七七四年2008/04/17(木) 02:02:12ID:Ep4Qy7fv
秀包が関ヶ原に間に合ったとしても、吉川によって毛利・小早川同様
南宮山に布陣して身動き取れぬよう監視されてたと思うよ
秀包は猛将ではあるが、本家が動かぬなら協調する以外ないでしょ
0158人間七七四年2008/04/17(木) 11:54:33ID:hJqgZbuf
というか安直に宇喜多―立花ラインを結ぶ人がいるけど
この二家、家臣同士が刀傷沙汰を起こしてたりしてる訳だが

あと、上杉なんて最上に押し返された程度のレベルなのに
簡単に上杉が出羽を制覇するとかよく言えるよな
0159人間七七四年2008/04/17(木) 17:27:31ID:MTMgYeIF
それを言うなら島津-立花ラインが一番無いだろ、仇敵だし
0160人間七七四年2008/04/23(水) 12:35:52ID:8CRTUFty
>>159
秀長の調停による手打ちは形式的だったかもしれないけど
朝鮮陣では完全に和解して共同戦線張ってたよ
外征とはいえ小西と加藤みたいに仲の悪いやつらはいがみ合ってた
0161人間七七四年2008/04/29(火) 01:56:01ID:oWPt1WPv
小早川1万数千が西軍に参加しても大勢に影響ないのでは?
0162人間七七四年2008/04/30(水) 16:34:24ID:wmcfTUUW
>>161
めちゃめちゃあるわい!!
0163人間七七四年2008/04/30(水) 20:57:58ID:o/BDOU6y
家康が戦死・・・
そのあと宇喜多、輝元、三成らでまとまるかねぇ?
新たな権力闘争が始まって空中分解しそう。
そもそも西軍だって寄せ集めなんだから。
当時、家康以外に明確な政権運営のグランドデザインを持っていた人物っていたんだろうか?
0164人間七七四年2008/05/01(木) 06:16:21ID:2s6KHOeV
そこで真田、上杉のラインですよ
0165人間七七四年2008/05/02(金) 21:07:11ID:HD9K6RFJ
家康はまんまと逃げおおせるだろ。
福島、黒田、細川や家康の家臣達はかなり危険な目に遭わされるだろうけど。

しかし西軍が一応勝利したとして、で、どうするんだろうな。
結局意思がまとまらないうちに、秀忠軍と合流した家康が迫ってきたら、
西軍は内応者が出て瓦解するような気がするんだわ。
0166人間七七四年2008/05/02(金) 23:12:54ID:WH9w9xrM
戦闘参加3万数千に小早川1万数千が加わっても東軍を破るには至らないだろうね。
0167人間七七四年2008/05/03(土) 02:30:06ID:dgWXuVwM
>>166
戦闘参加実数は西軍の方が東軍より少なかったが、実際は数で劣る西軍が押していた。
ここで松尾山の小早川秀秋が東軍の左翼を急襲すれば、赤座・朽木・脇坂らも史実のように小早川軍の後に続いて東軍攻撃に参加するのは明白。

東軍壊滅寸前という情報が南宮山に陣取る吉川広家・毛利秀元らに伝われば、
彼らが傍観する前提が崩壊するわけだから、直ちに背後から東軍を襲うはず。

となれば、総数でも、東軍を取り囲む陣形の上でも西軍が優位なわけだから、東軍に勝ち目はない。

戦局に応じて態度を変える風見鶏傍観武将達の動向を考慮に入れない思慮の浅さには呆れる。

0168人間七七四年2008/05/03(土) 04:30:42ID:7GnFwwcj
かなり西軍に都合のよい解釈w
だいたい南宮山から関が原なんて戦況に応じて駆けつけられる距離ではない。
思慮が浅いのはどっちだよw
0169人間七七四年2008/05/03(土) 04:53:12ID:dgWXuVwM
>>168
>西軍に都合のよい解釈
事実を述べているだけ。東軍に都合のよい解釈をしている貴殿のほうがどうかしている。

>だいたい南宮山から関が原なんて戦況に応じて駆けつけられる距離ではない
なら三成は何故のろしを上げて、毛利勢に攻撃を催促したのか?
少なくても毛利秀元は戦闘意欲はあった。それを押しとどめたのは吉川広家。
後に「毛利の空弁当」と揶揄された有名な文句も知らんのか。
釣りか?
0170人間七七四年2008/05/03(土) 05:50:19ID:6DoEFHTO
源平の昔から太平記、関ヶ原に至るまで
この場所で先に構えてた方が負けるジンクスが存在するな
0171人間七七四年2008/05/03(土) 06:20:03ID:VhB6rUiB
>数で劣る西軍が押していた
のは、宇喜多隊と大谷隊くらい。石田隊は黒田隊や細川隊等に攻めまくられて
てんてこまいだったし、小西隊も寺沢隊等に攻められてジリ貧状態。
西軍が押していたというより、押し寄せる東軍をはねかえし続けていたという方が正しい。
0172人間七七四年2008/05/03(土) 07:14:54ID:p9px5Wj8
桃配山から主戦場もそれなりに距離があるよな。
だから、家康は時間ごとに陣を進めたんだろうけど。
比べて三成本陣跡からはわりと近い。
戦況に詳しいわけじゃないが、>>171の言うとおり押し寄せる東軍を跳ね返してたって
表現は結構あたってると思う。

観光したが関ヶ原から南宮山ってめちゃめちゃ遠いな。
毛利が池田輝政を突破して家康の本陣を襲おうと思ったら結構大変だったろうな。
0173人間七七四年2008/05/03(土) 07:24:00ID:dgWXuVwM
>>171
ま、どのみち戦局は拮抗していたわけで、
ここで小早川軍が東軍に攻め込んだら、一気に戦力のバランスは崩れる。
加えて、赤座・小川・朽木・脇坂らも引きずられるように東軍を攻撃するので、
事実とは逆に東軍は持ちこたえられず戦意喪失して崩壊四散していく。

こうなれば、東軍後方に陣取っていた吉川・毛利も戦功目当てに家康の首を狙いに参戦し、
長宗我部・安国寺・長束らも功名目当てに加勢して、西軍大勝利。

家康は運良く戦場から離脱できたとしても、もはやその権威は大きく失墜。

0174人間七七四年2008/05/03(土) 07:40:37ID:dgWXuVwM
>>172
>毛利が池田輝政を突破して家康の本陣を襲おうと思ったら結構大変だったろうな

小早川軍が東軍を攻撃して前線が崩壊すれば、当然その影響は後方部隊にも及ぶ。
勢いづく毛利・吉川勢が攻撃を仕掛ければ、敗戦を意識した池田・浅野らは戦わずに逃げ出す可能性は高い。
彼らは家康の家来でも何でもないので、死力を尽くして家康を守る義理などさらさら無い。
兵の数でも毛利勢の方が多いし、長宗我部勢も加わればもはや戦力差は歴然。
0175人間七七四年2008/05/03(土) 08:14:55ID:mMDT89YI
>>173
>ここで小早川軍が東軍に攻め込んだら、一気に戦力のバランスは崩れる。

崩れるのを家康がぼさっと見ているとでも? 都合よく考えすぎだろう。
小早川隊が東軍に攻めかかったら、東軍の左翼に位置する藤堂隊など
は敗退するだろう。だがその先にはすでに小早川隊向けに布陣を整え終えた
無傷の徳川本隊の大軍の姿が。小早川隊は無傷の徳川本隊の前に敗退すると思うが。
小早川の攻撃を徳川本隊が受け止めている間に、
石田隊の防衛線が黒田長政に突破される可能性もあるな。

0176人間七七四年2008/05/03(土) 08:41:38ID:Jxg9wIv6
西軍は長宗我部軍をもっと前のほうに配置すべきたったと思う。

土佐兵は強いぞ。
0177人間七七四年2008/05/03(土) 08:45:41ID:dgWXuVwM
>>175
>崩れるのを家康がぼさっと見ているとでも? 都合よく考えすぎだろう。
東軍主力の豊臣恩顧の諸将が戦意喪失して四散すれば、家康としても為す術なし。
ぼさっと見てるしかない。
怖気づいて敗走した兵を押し留める能力など家康は勿論、信長や秀吉でさえ持ち合わせていない。

>だがその先にはすでに小早川隊向けに布陣を整え終えた
 無傷の徳川本隊の大軍の姿が。小早川隊は無傷の徳川本隊の前に敗退すると思うが。
史実では小早川勢の裏切りで裏切りの連鎖が起こり、西軍は総崩れとなった。
小早川勢が東軍を攻撃すれば、西軍に起こった現象が東軍に起こるにすぎない。
東軍の豊臣系諸将が敗走すれば、残った徳川勢だけでは多勢に無勢。
戦力差は歴然だからだ。


0178人間七七四年2008/05/03(土) 09:57:48ID:4qHk05iM
つーか、小早川隊が裏切らなければ家康本軍はますます動けなくなる
小早川が約定守らないのに、南宮山の毛利本隊が動かないままでいてくれるなんて心理的に期待しにくい。
家康本軍が戦線押し上げた所に万が一にも毛利軍が下山したら、東軍殲滅だよ。
0179人間七七四年2008/05/03(土) 11:47:28ID:ezzHu4WS
>>178
小早川と毛利と長曽我部を合わせても徳川本隊よりも少ない兵力。
有機的に連携できるとも思えないし、山の上から見ていれば
こりゃー家康にやられたと思ったんじゃないか。
傍観していたというより
恐怖に支配されていたと思われ。
0180人間七七四年2008/05/03(土) 12:42:17ID:Pi7iVC6t
疑問がいくつかあるんだが。
小早川は徳川に味方すれば恩賞を受けられると本気で思ってたのか?
躊躇した時点で徳川の怒りに触れたことも気づかなかったのか?
あと秀頼が出陣したらどうなった?
前半流れは確実に西軍。安国寺の毛利勢説得次第とも考えられるが?
0181人間七七四年2008/05/03(土) 12:55:33ID:MZCyYE6n
どこをどう見たら「前半流れは確実に西軍」になるのだろう?
0182人間七七四年2008/05/03(土) 13:19:54ID:JM6lxLyi
>>177
>東軍主力の豊臣恩顧の諸将が戦意喪失して四散すれば、家康としても為す術なし。
>ぼさっと見てるしかない。

小早川が松尾山を降りて東軍に攻めかかってくるという情報が
家康の耳に入った時点で何らかの対策をとるだろ。
(つまり、小早川が攻撃を仕掛けてきた時点で家康は動き始めると言う意味だが)
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