当時の戦というのは先鋒部隊に最強の大部隊を配置して、ほぼ先鋒戦で勝敗が決するのがほとんど。
関が原の場合、東軍先鋒は名目は福島。西軍はこれに相対した宇喜多とみると、終始宇喜多押し気味で
小早川参戦ということになれば、友軍の無い西軍がいよいよ押し出す展開と移行する。
福島等、東軍前線の部隊は壊滅し、本営家康軍に向かって混乱する敗兵がなだれこむ。
それを追う西軍各隊が家康に襲い掛かり、さすがの家康も敗兵と怒涛の西軍攻撃に退却と追い込まれる。
基本的に寄せ集めの大軍なので、一旦流れが決まってしまうと混乱の上、収拾がつかなくなるのは
いかな家康といえどもコントロールできるレベルではなく、清洲に向かって総退却令を下すのが
関の山だろう。