関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかったら
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0001人間七七四年
2007/02/21(水) 02:02:54ID:ELPRAlm/家康の催促の砲撃に小早川秀秋が激高し東軍に襲い掛かったら、
東軍は総崩れ。
それを見た吉川広家もダンマリを決め込むと戦後立場がないので、家康を攻撃するにちがいなく、
家康は東西から挟み撃ちされ、関が原で戦死するのでは。
問題は、その後の豊臣体制だ。
0002人間七七四年
2007/02/21(水) 03:42:33ID:iw1zYzW00003項龍 ◆urdfmZmGvk
2007/02/21(水) 12:13:08ID:EqS22F6j0004人間七七四年
2007/02/21(水) 12:23:06ID:4dvxKvQ+0005仙台藩百姓
2007/02/21(水) 12:32:44ID:jQIOhgRx0006人間七七四年
2007/02/21(水) 12:46:28ID:jtNPYRNlこの手のボケまくりスレいったい何個立てれば気が済むの?
東軍スレはかなり画期的なスレだったが二番煎じならぬ五番煎じぐらいのスレは
正直もういらね
0007人間七七四年
2007/02/21(水) 13:10:33ID:9AIKnNjJ頭弱すぎるお前のがいらねーよ
0008人間七七四年
2007/02/21(水) 14:00:34ID:SfhGYpIM4万にも満たない戦力で関ヶ原で勝利して士気が上がってる西軍には勝てないんじゃないか?
しかも昌幸が合流出来そうだし
0009人間七七四年
2007/02/21(水) 14:44:22ID:fZTVQihkその場合は大坂城の立花部隊と激突かな?
西軍本隊は東からくる秀忠軍と激突・・は、ならないだろうな
秀忠は関東に退却しそう。でも退却途中も真田に足引っ張られそうw
で、西軍勝利の報を聞けば佐竹が関東に攻め込み結城秀康と激突
上杉は最上と伊達を駆逐
各地で戦が続出して面白くなりそう
0010人間七七四年
2007/02/21(水) 15:55:46ID:8L51g/fr実権は三成
また乱世だな
0011人間七七四年
2007/02/21(水) 17:47:58ID:54Roytv1動きたい光成に離脱者が
島津と毛利が表面上結託
徳川・豊臣・毛利の三つ巴が合戦になる。
0012人間七七四年
2007/02/21(水) 19:10:09ID:tO4vO8fm0013人間七七四年
2007/02/21(水) 19:31:17ID:fZTVQihkこの布陣で、もし東軍が勝つとしたら小早川、毛利、吉川の裏切りが必要になる
と、まで言ったそうだ
0014人間七七四年
2007/02/21(水) 19:57:09ID:XZrm71xx0015項龍 ◆urdfmZmGvk
2007/02/21(水) 20:05:15ID:5HhO54Zl二大勢力に挟まれて四苦八苦すると書いてあったな。
0016仙台藩百姓
2007/02/21(水) 20:06:15ID:jQIOhgRxいっそ居ないほうが上手く戦えたよ
0017人間七七四年
2007/02/21(水) 20:41:35ID:0VhtcZzG【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ10【東軍】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152870727/
0018人間七七四年
2007/02/21(水) 21:22:57ID:jtNPYRNlあ・・・失敬。スレタイよく読んでなかった
「もし関ヶ原で東軍が勝ってたら」「もし今川義元が桶狭間で死んでたら」
などのボケまくりと同じかと思ったんだよ
0019人間七七四年
2007/02/22(木) 04:17:58ID:betguZ3y0020人間七七四年
2007/02/23(金) 07:43:00ID:msvXIcHn0021人間七七四年
2007/02/25(日) 15:39:00ID:Alz+R135三成らの横暴に怒った如水が、清正と挙兵。島津、立花らの九州勢を従え大阪城を目指し進軍。三成から冷遇されていた福島正則を始めとする尾張派も、徐々に、如水の軍に加わる。
⇒そして豊臣家臣団は、2つに分かれ、中国決戦へ。
この機会を、領地を50万石には減らされたが、生き延びた家康が、伊達を始めとする奥州連合と挙兵。天下取りへ。再び、関ヶ原へ最後の勝負へ出る。
↑こんなんで、どうでしょうか?
0022人間七七四年
2007/02/26(月) 14:14:19ID:OqAKmA5eつ芳春院(まつ)
0023人間七七四年
2007/02/26(月) 20:33:37ID:cO+PWaPp東軍として動くんだと思うが?
むしろ家康が関が原で大敗して
海道一の弓取りとか野戦上手とかいうわりに
あっけない敗北し
それでおなじく真田に遅れをとった秀忠と合流とかなったら
家康の求心力も大幅に低下するだろう。
前田は周辺を勝手に切り取りしたり
家康には関東への退却をさせつつ西軍との和睦斡旋したり
残った東軍側の収拾するとかするんでは・・
0024人間七七四年
2007/03/01(木) 03:32:08ID:kbPXpcmt0025人間七七四年
2007/03/14(水) 19:58:11ID:kow2PCrS小早川秀秋が関白になった場合
毛利一族は秀秋に加担すると思うよ。高台院とのパイプも
この段階でできてくるし・・
>>如水が、清正と挙兵。島津、立花らの九州勢を従え
の九州勢と三成ら近江派のどちらかを
選択するかといえば・・多分九州勢だろう。
自分らがいなけりゃ徳川を排除できなかった光成たちごときと
剽悍な九州とどっちと組んだほうが得かくらい明白だろ?
こうなると光成ら近江の劣勢は明らかで彼らは上杉に援助を求めて
西の毛利に好き勝手させられるかという上杉が
領地を50万石には減らされたが、生き延びた家康が、伊達を始めとする奥州連合と挙兵。
新しい東軍VS西軍の構図で今度は毛利と上杉の天下取りの戦になるんでないの。
0026人間七七四年
2007/03/15(木) 07:22:59ID:KJbOtPHr0027人間七七四年
2007/03/15(木) 08:20:42ID:lTBF88IGの意見はありそうでない。
0029人間七七四年
2007/03/23(金) 15:44:27ID:jUAiPmrR0030人間七七四年
2007/03/23(金) 19:23:14ID:vLvwIirF追撃をうまくやらないと長期戦になるんじゃないかな
0031人間七七四年
2007/03/24(土) 01:08:30ID:YOrk90Ox特に兵站上に真田、九鬼(潜在的に毛利)が寝転がってる東軍は苦しい。
西軍も大阪〜京〜大津〜関ヶ原の兵站を前田やその他から守らなきゃいけないし楽じゃない。
0032人間七七四年
2007/03/24(土) 04:00:03ID:VL4ecGMp0033人間七七四年
2007/03/24(土) 12:49:17ID:YOrk90Ox毛利も気が気じゃないね。
0034人間七七四年
2007/04/05(木) 22:00:12ID:ECQBZFkf0035人間七七四年
2007/04/05(木) 23:11:08ID:+LR7RFP5A立花宇喜多豊臣石田大谷真田上杉
B浅野中村徳川前田+佐竹?
C伊達最上秋田南部津軽
割れるとしたら、こんな感じ?
0036人間七七四年
2007/04/05(木) 23:30:32ID:RK2PWibI大坂城にいる毛利輝元率いる西軍本隊が動き出すだろう
0037人間七七四年
2007/04/05(木) 23:43:21ID:RK2PWibI東軍は敗退し散り散りに。その後、秀忠軍と合流し、なんとか持ち直す
そこで勝ちの勢いに乗る西軍と改めて激突
九州では如水軍が進撃し統一。海を渡り本州に進軍
その報を聞き、大坂城にいる毛利輝元率いる西軍主力軍が西進
如水軍と激突
関東では東軍敗戦の報を聞き、佐竹義宣が徳川領に進撃
結城秀康軍と激突
奥州では上杉軍と伊達・最上連合軍が激突
0038人間七七四年
2007/04/06(金) 08:58:25ID:2niPv/LY関ケ原敗戦→組織崩壊
秀忠軍37000余も総てが揃って徳川に忠誠を誓っている訳ではない。
黒田は島津を攻略できす空にして東上できるわけではない
前田は始めからやる気がない(わざと関ケ原に遅参したりしてるので)
東北も伊達などまったくあてにならない
0039上州人
2007/04/06(金) 10:21:32ID:xCNbLOEyそして、西軍は善戦した武将と傍観していた武将に亀裂が入るでしょう。
とすると、両軍とも長期戦になっていかざるをえないのではないでしょうか。
自分の領地に戻る大名もあらわれるだろうし。
0040人間七七四年
2007/04/06(金) 10:38:54ID:w6a5yLiVそもそも背後に陣取る毛利(吉川)・長宗我部が退却を許す訳も無く、
東軍崩壊を見れば包囲下に置かれ討ち取られるのは必然。
秀忠率いる徳川主力は急いで引き返すか、そのまま決戦に持ち込むかで割れるだろう。
0041上州人
2007/04/06(金) 11:29:08ID:xCNbLOEyのろしの合図に反応もしなかったんですよ。毛利(吉川)・長宗我部は。
0042人間七七四年
2007/04/07(土) 10:14:01ID:sZF6382k吉川→死刑
毛利→無罪
長曹我部→罰金
長束→罰金
安国寺→無罪
小早川→無罪
脇坂,朽木,小川,赤座→罰金
0043人間七七四年
2007/04/07(土) 10:24:15ID:W1hVvKER家康がやった鉄砲での催促だって、「やるならやってやるぞ」という意志の
表明ともとれるわけだし。
0044人間七七四年
2007/04/07(土) 16:12:15ID:sZF6382k藤堂等壊滅後は大谷等5000程(損害無視で)がフリーになり、次には福島が崩れ宇喜多がフリーになる。
つまり側面を突けばいずれ崩壊する
0045上州人
2007/04/07(土) 16:30:43ID:+wYHGg9xしかし、吉川→死刑 は難しいですな。なるほど、吉川の行為は死刑に値します
が、吉川がその後何をしでかすか。罰金になった大名も東軍に寝返るやもしれません。
0046人間七七四年
2007/04/07(土) 18:20:19ID:kK6gEk66藤堂が崩れ、福島が崩れるまで家康は黙って見てるの?
ずいぶんのんびりやなんだな。
0047人間七七四年
2007/04/07(土) 22:52:37ID:eAQC275+もしくは時間を稼いで秀忠合流を待つか?
0048人間七七四年
2007/04/07(土) 23:12:35ID:sZF6382k0049人間七七四年
2007/04/08(日) 00:04:49ID:nXgWjS+Tまあ、家康は実際やばくなったらすぐに逃げるだろうけど。
家康は逃げるのうまいからな。
0050人間七七四年
2007/04/08(日) 00:48:32ID:MMVytS1Uで、何だかんだと言い逃れて僅かな減封くらいで済みそうだな。
淀とか秀頼を舌先三寸でだまくらかして、却って三成が疎んじられる悪役になりそう。
0051人間七七四年
2007/04/08(日) 11:59:54ID:1CgvnzW20052人間七七四年
2007/04/08(日) 12:07:26ID:oLWr1+5I石田、大谷、宇喜多の軍くらいしかいなず、それでも五分五分
もしくは押してたくらいの状況で
小早川のみならず、毛利、吉川、どれか一隊でも側面から突入したら
戦局は一変するのは小学生でも分るだろう・・
0053人間七七四年
2007/04/08(日) 12:23:10ID:04FKfwllプラス予備兵力として家康本隊3万があるわけで、
どちらに余裕があるかといったらこれはもう間違いなく東軍だろう。
家康にとって最大の不安は後方の毛利が攻めかかってくることであり、
対小早川の恐怖は対毛利のそれに比べたらはるかに小さかったと思うけどね。
じゃなきゃ、鉄砲で恫喝なんてしない。
小早川が西軍として参戦した場合、東軍の藤堂・京極らが敗走するのはまず確実。
家康もその様子を指くわえて見てる訳じゃないから、すぐに何らかの対応はとる。
小早川隊対家康本隊なら家康本隊が勝ちそうな気がするが、
状況不利と見て取った家康がさっさと逃げ出す可能性も否めない。
で、関ヶ原第2ラウンドへ。
いずれにせよ、東軍を壊滅させるには毛利が退路を塞がなきゃ話になんないよ。
0054人間七七四年
2007/04/08(日) 12:38:55ID:5GeeMRG4>小早川が西軍として参戦した場合、東軍の藤堂・京極らが敗走するのはまず確実
その情景を吉川広家が見たら、もはや傍観はできまい。
東軍瓦解、西軍圧倒的有利に戦局が動けば、背後に陣取る毛利秀元が黙っちゃいない。
毛利一派が家康の背後から攻めかかるのは必定。
それに呼応して他の西軍諸将も引きずられるように参戦すれば、東軍の敗戦は確定。
何故なら総兵力は西軍の方が上回ってるんだから。
0055人間七七四年
2007/04/08(日) 13:01:47ID:04FKfwll東軍には磐石の家康本隊がいるからね。
小早川隊を跳ね返す余力は十分にあるんだよ。
史実で小早川隊が大谷隊に攻め込んだのは、無傷の徳川勢と戦うか大谷勢と戦うか
どちらにするか秀秋なりに考え、徳川に味方した方が勝算が高いと見たからでしょうが。
小早川が動けば毛利秀元は参戦するようせかすだろうが、
毛利の采配を握る吉川広家は徳川と小早川の合戦の帰趨を見極めるまでは
動かないのではないかな。
0056人間七七四年
2007/04/08(日) 13:30:20ID:5GeeMRG4小早川秀秋が西軍の一員として戦闘中の東軍の左側面に攻撃を仕掛ければ、
東軍全体が一気に瓦解する。
理屈は西軍が瓦解した史実と同様。
戦意を喪失した東軍の豊臣系諸将は四散すれば、それで勝負有り。
彼らは家康の家来ではなく、上杉征伐の為臨時に編成されたお味方衆。
死力を尽くして家康を守る義理はない。
家康本陣だけがぽつんと戦場に取り残されて西軍に東西から挟み撃ちにされ、
家康自身三方ヶ原の再現の惨敗。
無事に戦場から退却できるだけで幸運だろう。
0057人間七七四年
2007/04/08(日) 14:44:13ID:4rjIpccK距離的に家康本陣からじゃ届かないし、戦場でいちいち鉄砲の発砲音に果たしてびびるのか?ってのをどこかで見た気がする
0058人間七七四年
2007/04/08(日) 16:57:37ID:oLWr1+5I「きっかけ」という意味で重要なんだから
当然、東西両方の傍観組が一気に動き出すのは必定だよ
そうなったら家康本隊がいくら頑張っても支えられるものではないよ
0059名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/04/08(日) 23:55:06ID:/xrWzlGa0060人間七七四年
2007/04/09(月) 01:04:47ID:WfQ6sA4eホォ〜
届く届かないは別として
確かになんだかなぁ〜て話だと前から思ってたけど
0061人間七七四年
2007/04/09(月) 14:06:24ID:xeYDtEuXA傍観してた毛利、吉川、長曾我部、島津も突入
B東軍は前線を退くのがやっと、秀忠軍との合流を図る
C一気に追撃したい西軍だが、ここでも足並みが揃わず、石田vs吉川の派閥の様相を見せる
D同じ頃、九州を制圧すべく暴れまわる如水、清正軍は島津をも制圧し本州に進軍を開始する
E大坂城に陣取る西軍総大将、毛利輝元は迎え撃つべく西進。吉川隊も、これを理由に単独西に向かう
F東軍敗走の報を聞き、親子で進路を争っていた佐竹軍が息子の義宣を総大将に江戸に進撃開始
G江戸の備えとして残っていた結城秀康軍と激突
H奥州では西軍勝利の報を聞き、上杉軍の勢いが増し最上を駆逐
I伊達軍は最上の援軍を止め、急遽、軍を退く
J家康追撃軍、(石田、宇喜多、大谷、小西、安国寺、毛利、小早川、長曾我部、島津・・)が東上し家康を追撃
K秀忠と合流した東軍も、これを迎え撃つ
L本州に上洛した黒田、加藤軍と毛利、立花、吉川軍が激突
M関東では佐竹軍vs結城軍が一進一退の戦い
N上杉軍が最上軍を破る。伊達政宗は上杉景勝に和睦を申し入れるが、景勝はこれを却下
O上杉軍と伊達軍が再び激突
P石田西軍と家康東軍は一進一退の戦い。背後から真田軍が突入
Q東軍再び敗退。家康自刃する。秀忠は辛くも江戸に逃げ帰る
R勢いに乗る西軍は江戸に進撃。結城秀康も討たれる
S黒田、清正軍が毛利輝元を破り、そのまま大坂目指して進撃
0062人間七七四年
2007/04/09(月) 14:14:46ID:xeYDtEuXA黒田、清正軍が大坂城を攻略
B西軍急いで西進するも傍観していた前田家が急遽参戦
C黒田、清正軍も東進
D黒田、加藤、前田軍vs石田西軍が再び関ヶ原で激突
E佐竹軍が秀忠の籠る江戸城を攻略
F佐竹軍が上杉軍支持のため奥州に北上
G関ヶ原で黒田如水軍と石田三成軍の戦いが長期化する
H奥州で上杉景勝軍と伊達政宗軍の戦いが長期化する
I応仁の乱アゲイン
0063上州人
2007/04/09(月) 15:18:02ID:LQD2DxxTD同じ頃、九州を制圧すべく暴れまわる如水、清正軍は島津をも制圧し本州に進軍を開始する
如水は史実では11月過ぎまで九州に手間取っております。大阪への東進は難しい。
I伊達軍は最上の援軍を止め、急遽、軍を退く
伊達は強く、上杉の白石城を奪っています。最上と共に戦うでしょう。Nは2人の性格からない。
J家康追撃軍、(石田、宇喜多、大谷、小西、安国寺、毛利、小早川、長曾我部、島津・・)が東上し家康を追撃
自領が襲われている小西、小早川、島津は九州に戻るでしょう。
家康自刃には東海道に接する城1つ1つ落とさなくちゃ。討ち死にでいいんじゃないですか。
0064人間七七四年
2007/04/11(水) 15:47:09ID:b6mWh0W5元寇が来て九州制圧、ペリーが来て横須賀植民地化
ジンギスカンとペリーが大阪城で激突!
その虚を突いて楠木正成がゴダイゴ天皇を連れて京都奪還
源義経と西郷隆盛に命じてジンギスカンとペリーを撃退。
こうして日本が統一されるのでありました。
0065人間七七四年
2007/04/13(金) 19:27:11ID:utsB8rWw最上への援軍は止めないと思う。
0066人間七七四年
2007/04/16(月) 22:46:02ID:j6vEgnCK0067人間七七四年
2007/05/31(木) 19:29:32ID:m80rlAbTてか史実の結末がつらなすぎる・・・せっかく秀吉が死んで武官派、文官派、五大老など
混沌とした時代になったのにたった一日で決着がつくなど詰まらな過ぎ。
0068人間七七四年
2007/05/31(木) 20:27:55ID:rhBaPNco三成の専横に切れた秀頼が家康につき、困った三成が金吾ちゃんを旗頭に祭り上げ
て応仁の乱状態
0069三等兵
2007/06/03(日) 01:11:14ID:DROAmBt/D架空戦記ものの設定でありがちだが、如水、清正軍に九州を制圧するほどの
戦力はないと思う。
黒田の主力はあくまで長政のほう。清正にしても九州にいたのは朝鮮で疲弊し
たため。
少なくとも、島津を攻略できないのは明らかだし、鍋島の再度の寝返りもありうる。
0070人間七七四年
2007/06/03(日) 12:27:26ID:tAyRn0Qeだよね。黒田があっさり九州を統一できるわけがない。
島津は関が原にいるのはごく一部で、主力は丸々島津本国にいるし。
0071人間七七四年
2007/06/03(日) 15:29:08ID:IvLfttmG0072人間七七四年
2007/06/04(月) 06:34:51ID:hWufKuklヴぁ〜か、毛利は韓信
項羽劉邦(石田徳川)いずれかの勝ち馬に乗るだけの蝙蝠大名
天下統一後は用済みのボロ布扱い大名 W
0073人間七七四年
2007/06/04(月) 09:50:34ID:AUkAKGvIそうなるとまず真っ先に福島が死ぬ。福島隊は宇喜多にふるぼっこされてるし。
遊撃部隊を引き受けてる宇喜多勢が囲いを突破すればそれだけで状況一辺。
まともに動けるようになった宇喜多勢の一部が打って出れば前線の状況は間違いなく西軍の圧倒的有利。
家康はすぐさま浅野ら諸勢力と戦場脱出するだろう。
っとはいえ徳川の余力が余りにもでかく残る。
0074人間七七四年
2007/06/05(火) 22:41:32ID:gjBF2Q/G実際現場見てきたが、とてもありえないと思いますけど。
ゆうに2km以上先から鉄砲で威嚇、なんて。
ただでさえ何万もの人間がワーワー騒いでいるし、
小早川側から見下ろしても、山は夏の林だらけで
見えない山下のふもとで、どちらの軍勢が鉄砲を撃っているのか
わからないよ。
むしろ、それが事実だとしたら、状況的には
小早川は西軍が撃っていると思うんじゃないかな。
まだ寝返ってない、脇坂、朽木がこっちに攻め込む
合図だとか勘違いして。
で、それを撃退するため、もしくは状況を確認するため、
前が見えない林の中、山を(突撃でなく)ゆっくり下って見てみると、
ふもとの脇坂、朽木、小川、赤座がこっちに背を向けて
西軍(宇喜多)に突進しているではないか。
この状況を把握した秀秋が、東軍優位と見て、
論功行賞に遅れまじと、山のふもとまで下りてから、
あらためて陣形を組みなおし、ワンクッション時間があって
初めて東軍についたのではないかなあ。
山を下りて、戦場で小早川が隊列を組みなおし、
秀秋の号令を待つまでの小時間、
確かに家康はキモを冷やしたかもしれない。
もしくは、この山から下りてきたあと、戦場で待機している際に、
「早よ行け」と家康の鉄砲の銃撃合図があったかもしれない。
それなら、この「徳川の鉄砲合図」も理解できるけどね。
0075人間七七四年
2007/06/05(火) 22:59:34ID:gjBF2Q/Gどっちにつくかぎりぎりまで迷ってたとしたら.....
山の下に偵察に行っても、西軍は先に寝返った四将によって
徐々に押し戻されてる。
家康2万5千(3万)の本隊は、本来は不利な状況がために
少しずつ本隊を戦場に前に、前進させていたのだが。
山のふもとに下りて隊列を組んでみたら、
遠くにいたはずの家康本陣が、近くに陣を張っている。
しかも無傷で。
これは東軍が押している証拠だ、と
その時秀秋は直感したかもしれない。
今この状況で西軍につくと、ほぼ小早川勢8千のみで
家康本陣と戦わなければならなくなる。
宇喜多は、遠く向こうに押されてもがいている。
島津も確認できない。
そこで、家康本陣方面からはっきりとわかる至近距離から
鉄砲の合図があったかもしれない。
もしくはほら貝の合図とか。
それを秀秋が、家康本隊の総攻撃の合図と思い込み、
あわてて西軍に突撃した、のかもしれない。
0076人間七七四年
2007/06/05(火) 23:08:24ID:LjhmHaYY0077人間七七四年
2007/06/07(木) 09:30:57ID:tt5r2fxt島津も確認できない。> 島津は眼中にないんじゃない、遠いし少ないし。
基本的には大谷や宇喜多位しかみえないいんじゃないかな。
0078人間七七四年
2007/06/07(木) 17:28:52ID:ZA8airzsすまんがよく読んでくれ。
福島なんか朝イチでとっくにぼろぼろじゃんか。
寝返り4将 対 宇喜多の場面だよ。
だから書いてあるじゃないか。
小早川が山を下ってみてみたが
目で確認できず、宇喜多と一緒になって
戦っている様子が無い。
そうだよ、小早川のところからは、島津は
遠すぎて1500の兵が少なくて見えなかったんだよ。
結論
確かに途中までは西軍が押している場面も
有るにはあったが、
小早川の周りでは、とても西軍につく
状況に見えなかったのだ。
0079人間七七四年
2007/06/08(金) 09:40:34ID:CKX5Q1pv時間軸的には小早川の寝返り、大谷の反撃、四将の寝返り、大谷崩壊でしょ。
0081人間七七四年
2007/06/08(金) 19:33:41ID:cP2uKWuF社会発展もなく、
明治維新もなく欧米の属国化
アジア諸国の独立もなかったでしょう
小早川偉い!!
…ってのは飛びすぎか
0082人間七七四年
2007/06/10(日) 17:12:14ID:/5pkaeCa小早川は東軍にさっさと寝返り、さらに史実どおり脇坂、赤座、小川、朽木らも
東軍に行く可能性が高い。それでもこの場合毛利は総大将という建前上
簡単に東軍に加わる可能性は低く、日和見だろう
そのうち東軍の主力部隊は立花、毛利らと遭遇するが西軍は不利を見て
大阪城に撤退。この場合ならそう簡単にも毛利輝元が大阪城を退去するとも
思えず長期戦になるのでは?西軍は兵力その他を考えても関が原で
戦術上の負け過ぎ。戦術的敗北が歴史を動かした稀有な例
0085人間七七四年
2007/06/13(水) 08:00:06ID:hBTki0fw大谷らが佐和山城に撤退し、そこに立花、毛利らが入った場合
三成ら大垣城の軍勢をそのままにしてはおけなくなる。この場合は
大垣城決戦になる。
もし大谷らが撤退時期を失い、東軍に壊滅される事態になれば
戦況不利を見た毛利が東軍に降る可能性はあるけどね
合戦が始まる前の政治工作での寝返りなら戦国時代にはよくあることなので
小早川も吉川も後世からこうたたかれずにはすんだろうに
0086人間七七四年
2007/06/13(水) 23:55:50ID:xzn1cJVm0087人間七七四年
2007/06/17(日) 00:59:09ID:qReU4be4燃料投下乙
でも、上杉もさすがに伊達の和睦は受け入れて南下するのでは?
中央の戦後にどうとでもできるだろうしW
あと前田が如水につくのも疑問。芳春院の行方もあるだろうけど・・・
0088人間七七四年
2007/07/13(金) 17:18:21ID:Tmh1Ql+l優柔不断が家訓の毛利もそんな決断できないよ。
0089人間七七四年
2007/08/01(水) 01:40:04ID:8KCBFMCm藤堂、福島あたりはおそらく討ち死には避けられないと思う。
家康本陣は、毛利勢次第か。
彼らが攻めかかってきたら家康も正直逃げ切れるか微妙。
家康が討ち取られるか、逃げ延びるかでかなり
その後は違うんじゃないかな。
0090人間七七四年
2007/08/31(金) 01:39:38ID:VclY+3qS一方、家康は南宮山対策の浅野、池田を本戦に合流させようとするが西から敗走してくる
東軍の渦に巻き込まれて身動きできず、そうこうするうちに南宮山の毛利吉川らが動きだし、浅野池田も家康旗本二万も壊滅
0091人間七七四年
2007/08/31(金) 10:40:46ID:amKK6dlj大谷強すぎ、小早川により前後の挟みうちで逆に小早川を500押し返すのは
神業だ
0092人間七七四年
2007/08/31(金) 10:40:50ID:YYlfpKtq東軍側面を突けば流れは完全に西軍。
雪崩のように崩れて、無傷の家康三万など飲み込まれて収拾不能に陥る。
南宮山の西軍も動きだし、家康なんとか関ヶ原から逃れても、
近辺に籠城できる城も無く、清洲までは遠く、西軍の追撃に捕捉され
討ち取られるだろう。
0093人間七七四年
2007/08/31(金) 11:24:59ID:k/ISVAKU0094人間七七四年
2007/08/31(金) 11:40:11ID:aTbUXz+Q日和見の何割かは西軍についただろうな
役者が違うからと思ってた奴も多いだろうし
0095人間七七四年
2007/08/31(金) 14:54:06ID:vAQ9AsFo日和見してた長宗我部勢あたりは突撃したかもな
0096人間七七四年
2007/08/31(金) 14:56:12ID:K7AUdgou少なくても西軍として参戦する気があったとは思えんのだが。
0097人間七七四年
2007/09/01(土) 01:12:08ID:EFAO/Vj9西軍諸将が小早川を西軍としてみていたとならば、とんだお人好し連中って事になる。
まあその為の脇坂ら四将という配置なんだろうけど。
0098人間七七四年
2007/09/01(土) 13:25:41ID:tnZCR542予想外は小川や脇坂の裏切りの方だったという説も最近は多いからな
0099人間七七四年
2007/09/03(月) 05:24:24ID:jN1ybIxc吉川が動いて毛利が動けば東軍は壊滅間違いなしだろうけど、だからと言って
一気に東海道が抜けるとは限らないし、関ヶ原は一局地戦で終わる可能性だっ
足利尊氏の例を考えてもありうる。
第一西軍の殆んどの兵力は毛利一族だ。毛利は関東までの遠征は九州や四国、
北陸、畿内、中部の情勢が落ち着くまでしないと思う。そこら辺が家康との器
の違いだろうし実力の違いだとも言える。(毛利の場合は元就が死後も神で、
広家も輝元に手紙で元就が天下を目指すなという例を出して諌めている)
家康の事だから一戦で負けても生きていれば、何時かは逆転してそう。
0100人間七七四年
2007/09/03(月) 17:10:29ID:3jUHoQ42ことはそう簡単じゃないだろう。
たしかに毛利は西の天下の制圧を優先して
たやすくは西国を動かないだろうが、
少なくとも大阪城の主導権は完全に掌握すると思う。
>>元就の遺言に関しても
毛利が直接天下を狙うんじゃなく豊臣天下を傀儡にした
執権政治は目指すと思うし・・
0101人間七七四年
2007/09/03(月) 17:15:09ID:3jUHoQ42変更する要素にはなるだろう。
秀忠軍は真田に負け、家康も光成ごときに負けたとなれば
徳川の重みは相当に軽くなるよ・。
貴殿の
>>家康の事だから一戦で負けても生きていれば、何時かは逆転してそう。
は史実の家康の重みが関が原の敗戦があっても変わらない前提に
見ているが、あのときの状況からして
局地戦とはいえ直接指揮した戦で大敗北し、息子率いる主力軍も
地方の小豪族真田に足止めされた(事実が違っても)と喧伝されては
徳川家康の権威侮られるものだとおもう。
少なくとも、ある程度挽回できても
史実のような独裁じゃなく相当にほかの勢力に配慮したものに
ならざるを得ず、おそらく幕府開くのは不可能になっていたと思う。
戦が長期化すれば
毛利の大阪城と西国覇権
前田の北陸切り取り
上杉の越後出羽制圧
伊達の奥羽制圧
黒田の九州蹂躙
と徳川の手におえないほどに
巨大勢力があちこちに勝っても負けても
登場している上、史実よりも家康の武威は侮られてる以上
家康の天下になってもそれは、相当に不安定になったと思うが?
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