関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかったら
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0001人間七七四年
2007/02/21(水) 02:02:54ID:ELPRAlm/家康の催促の砲撃に小早川秀秋が激高し東軍に襲い掛かったら、
東軍は総崩れ。
それを見た吉川広家もダンマリを決め込むと戦後立場がないので、家康を攻撃するにちがいなく、
家康は東西から挟み撃ちされ、関が原で戦死するのでは。
問題は、その後の豊臣体制だ。
0132人間七七四年
2007/12/25(火) 12:36:24ID:x5HoxEix上杉(会津の旧領+旧最上領+越後)が常陸の佐竹と同盟を結ぶ形で、徳川と伊達に対抗
前田は基本中立
真田は徳川が関東に撤退した後、信濃を荒らしにかかる
東海は西軍の支配下におかれることとなったが、各地で旧東軍勢力の反乱が起こる
【中央】
豊臣は石田・宇喜多・小西の陣営と毛利・小早川の陣営に分裂してまとまらない
【西国】
四国の諸将は自領に戻るが、長宗我部が阿波に進攻
毛利秀元は北九州を確保するため、黒田・加藤を討ちに西進
九州では黒田・加藤・鍋島と島津・大友・立花が対立
再び戦国の世に……
0133人間七七四年
2007/12/25(火) 20:45:49ID:rmyoq3rA佐竹は無理でない?味方で囲めるならいいけど
0134人間七七四年
2007/12/25(火) 21:48:17ID:X2+ueVGtこの時代に生まれたかったなぁ。
騎馬にまたがり、長槍振りかざし、名乗りを上げて、敵陣に単騎突撃!
後には大将に続けと血気盛んな足軽どもが刀を抜いて続く。。
天下取るのは無理でも、歴史を変えるくらいの裏切り(光秀、秀秋)して、
教科書に自分の名前を載せたかった。。
つまらない時代に生まれたものだ。
0135人間七七四年
2007/12/25(火) 22:08:48ID:mbmxFV9Sいますぐコロンビアかイラクへ行け
本当に命を捨てる覚悟があるなら大統領にもなれるよw
0136人間七七四年
2007/12/25(火) 22:14:41ID:X2+ueVGt0137人間七七四年
2007/12/25(火) 22:21:48ID:zDiOo2Vkでは、まず言葉を勉強して北朝鮮に潜り込め!!
指令は現地にて再び送る
0138人間七七四年
2007/12/25(火) 22:29:27ID:X2+ueVGt0139人間七七四年
2007/12/25(火) 23:05:12ID:zDiOo2Vkキムジョンイルが死んだ途端、その全ての箍は外れ崩壊する
その時に、オマエが動かずしてどうする!?
さぁ、いけ・・
まずは自宅から最寄り駅前のNOVAに通って北朝鮮語を憶えろ
0140人間七七四年
2007/12/25(火) 23:48:53ID:tayjlHfF0141人間七七四年
2007/12/25(火) 23:49:19ID:tayjlHfFお前、煽りとかじゃなく
頭悪そうだな。
0142人間七七四年
2007/12/26(水) 00:00:40ID:ccVlg9rw戦国時代なんて先ず無理。生れで9割決まる。(三傑の影響で江戸時代の大
名は必ずしも名家、名族の出ではないが戦国時代は基本的に格差社会)
これは最下層のみの話しではなく、どれだけ自身の出や才能が良くても盟主
がとんでもない屑野郎なら、逆にほぼ道連れ要員決定の憂き目に遭う。
0143人間七七四年
2007/12/26(水) 02:49:40ID:kJzgMN1yほら、見てみろ
早くも北朝鮮の犬(食用)共が臭いを嗅ぎ付けて騒ぎだしたぞ( ̄ー ̄)ニヤリッ
オマエに残された時間は少ない・・
何故なら北朝鮮の太閤陛下の余命もそう長くはないのだからな・・ ̄m ̄ ふふ
さぁ、行け
オマエの望む世界が、そこにある
0144人間七七四年
2008/02/24(日) 10:27:59ID:7bDRhgts0145人間七七四年
2008/03/01(土) 13:11:56ID:Vmz+huK+0146小早川秀秋
2008/03/12(水) 13:03:14ID:gn6npxl4ざまあみろ三成!!
0147人間七七四年
2008/03/12(水) 14:18:53ID:LNEaj/5C結果「ひこにゃん」も誕生しなかった
0148人間七七四年
2008/03/13(木) 10:22:33ID:TqsF7EpT0149人間七七四年
2008/03/13(木) 11:08:36ID:+vUQXh4d柳川の立花も主戦場に連れてきたほうが良かったと思う。
0150人間七七四年
2008/03/13(木) 13:29:24ID:BaGhbIruまぁかれらは必死だったろうからな。
かなりの戦闘力が期待できたろうな。
0151人間七七四年
2008/03/13(木) 14:12:52ID:+vUQXh4d立花は島佐近と同等か、それ以上に有能。
0152人間七七四年
2008/03/17(月) 10:36:52ID:X8HFERUk0153人間七七四年
2008/04/16(水) 18:09:34ID:k6Nt/v9+0155人間七七四年
2008/04/16(水) 20:13:12ID:qob3P+JB0156人間七七四年
2008/04/16(水) 20:19:37ID:/W2l/b/a秀秋を東軍に攻めさせたかもしれん。
0157人間七七四年
2008/04/17(木) 02:02:12ID:Ep4Qy7fv南宮山に布陣して身動き取れぬよう監視されてたと思うよ
秀包は猛将ではあるが、本家が動かぬなら協調する以外ないでしょ
0158人間七七四年
2008/04/17(木) 11:54:33ID:hJqgZbufこの二家、家臣同士が刀傷沙汰を起こしてたりしてる訳だが
あと、上杉なんて最上に押し返された程度のレベルなのに
簡単に上杉が出羽を制覇するとかよく言えるよな
0159人間七七四年
2008/04/17(木) 17:27:31ID:MTMgYeIF0160人間七七四年
2008/04/23(水) 12:35:52ID:8CRTUFty秀長の調停による手打ちは形式的だったかもしれないけど
朝鮮陣では完全に和解して共同戦線張ってたよ
外征とはいえ小西と加藤みたいに仲の悪いやつらはいがみ合ってた
0161人間七七四年
2008/04/29(火) 01:56:01ID:oWPt1WPv0162人間七七四年
2008/04/30(水) 16:34:24ID:wmcfTUUWめちゃめちゃあるわい!!
0163人間七七四年
2008/04/30(水) 20:57:58ID:o/BDOU6yそのあと宇喜多、輝元、三成らでまとまるかねぇ?
新たな権力闘争が始まって空中分解しそう。
そもそも西軍だって寄せ集めなんだから。
当時、家康以外に明確な政権運営のグランドデザインを持っていた人物っていたんだろうか?
0164人間七七四年
2008/05/01(木) 06:16:21ID:2s6KHOeV0165人間七七四年
2008/05/02(金) 21:07:11ID:HD9K6RFJ福島、黒田、細川や家康の家臣達はかなり危険な目に遭わされるだろうけど。
しかし西軍が一応勝利したとして、で、どうするんだろうな。
結局意思がまとまらないうちに、秀忠軍と合流した家康が迫ってきたら、
西軍は内応者が出て瓦解するような気がするんだわ。
0166人間七七四年
2008/05/02(金) 23:12:54ID:WH9w9xrM0167人間七七四年
2008/05/03(土) 02:30:06ID:dgWXuVwM戦闘参加実数は西軍の方が東軍より少なかったが、実際は数で劣る西軍が押していた。
ここで松尾山の小早川秀秋が東軍の左翼を急襲すれば、赤座・朽木・脇坂らも史実のように小早川軍の後に続いて東軍攻撃に参加するのは明白。
東軍壊滅寸前という情報が南宮山に陣取る吉川広家・毛利秀元らに伝われば、
彼らが傍観する前提が崩壊するわけだから、直ちに背後から東軍を襲うはず。
となれば、総数でも、東軍を取り囲む陣形の上でも西軍が優位なわけだから、東軍に勝ち目はない。
戦局に応じて態度を変える風見鶏傍観武将達の動向を考慮に入れない思慮の浅さには呆れる。
0168人間七七四年
2008/05/03(土) 04:30:42ID:7GnFwwcjだいたい南宮山から関が原なんて戦況に応じて駆けつけられる距離ではない。
思慮が浅いのはどっちだよw
0169人間七七四年
2008/05/03(土) 04:53:12ID:dgWXuVwM>西軍に都合のよい解釈
事実を述べているだけ。東軍に都合のよい解釈をしている貴殿のほうがどうかしている。
>だいたい南宮山から関が原なんて戦況に応じて駆けつけられる距離ではない
なら三成は何故のろしを上げて、毛利勢に攻撃を催促したのか?
少なくても毛利秀元は戦闘意欲はあった。それを押しとどめたのは吉川広家。
後に「毛利の空弁当」と揶揄された有名な文句も知らんのか。
釣りか?
0170人間七七四年
2008/05/03(土) 05:50:19ID:6DoEFHTOこの場所で先に構えてた方が負けるジンクスが存在するな
0171人間七七四年
2008/05/03(土) 06:20:03ID:VhB6rUiBのは、宇喜多隊と大谷隊くらい。石田隊は黒田隊や細川隊等に攻めまくられて
てんてこまいだったし、小西隊も寺沢隊等に攻められてジリ貧状態。
西軍が押していたというより、押し寄せる東軍をはねかえし続けていたという方が正しい。
0172人間七七四年
2008/05/03(土) 07:14:54ID:p9px5Wj8だから、家康は時間ごとに陣を進めたんだろうけど。
比べて三成本陣跡からはわりと近い。
戦況に詳しいわけじゃないが、>>171の言うとおり押し寄せる東軍を跳ね返してたって
表現は結構あたってると思う。
観光したが関ヶ原から南宮山ってめちゃめちゃ遠いな。
毛利が池田輝政を突破して家康の本陣を襲おうと思ったら結構大変だったろうな。
0173人間七七四年
2008/05/03(土) 07:24:00ID:dgWXuVwMま、どのみち戦局は拮抗していたわけで、
ここで小早川軍が東軍に攻め込んだら、一気に戦力のバランスは崩れる。
加えて、赤座・小川・朽木・脇坂らも引きずられるように東軍を攻撃するので、
事実とは逆に東軍は持ちこたえられず戦意喪失して崩壊四散していく。
こうなれば、東軍後方に陣取っていた吉川・毛利も戦功目当てに家康の首を狙いに参戦し、
長宗我部・安国寺・長束らも功名目当てに加勢して、西軍大勝利。
家康は運良く戦場から離脱できたとしても、もはやその権威は大きく失墜。
0174人間七七四年
2008/05/03(土) 07:40:37ID:dgWXuVwM>毛利が池田輝政を突破して家康の本陣を襲おうと思ったら結構大変だったろうな
小早川軍が東軍を攻撃して前線が崩壊すれば、当然その影響は後方部隊にも及ぶ。
勢いづく毛利・吉川勢が攻撃を仕掛ければ、敗戦を意識した池田・浅野らは戦わずに逃げ出す可能性は高い。
彼らは家康の家来でも何でもないので、死力を尽くして家康を守る義理などさらさら無い。
兵の数でも毛利勢の方が多いし、長宗我部勢も加わればもはや戦力差は歴然。
0175人間七七四年
2008/05/03(土) 08:14:55ID:mMDT89YI>ここで小早川軍が東軍に攻め込んだら、一気に戦力のバランスは崩れる。
崩れるのを家康がぼさっと見ているとでも? 都合よく考えすぎだろう。
小早川隊が東軍に攻めかかったら、東軍の左翼に位置する藤堂隊など
は敗退するだろう。だがその先にはすでに小早川隊向けに布陣を整え終えた
無傷の徳川本隊の大軍の姿が。小早川隊は無傷の徳川本隊の前に敗退すると思うが。
小早川の攻撃を徳川本隊が受け止めている間に、
石田隊の防衛線が黒田長政に突破される可能性もあるな。
0176人間七七四年
2008/05/03(土) 08:41:38ID:Jxg9wIv6土佐兵は強いぞ。
0177人間七七四年
2008/05/03(土) 08:45:41ID:dgWXuVwM>崩れるのを家康がぼさっと見ているとでも? 都合よく考えすぎだろう。
東軍主力の豊臣恩顧の諸将が戦意喪失して四散すれば、家康としても為す術なし。
ぼさっと見てるしかない。
怖気づいて敗走した兵を押し留める能力など家康は勿論、信長や秀吉でさえ持ち合わせていない。
>だがその先にはすでに小早川隊向けに布陣を整え終えた
無傷の徳川本隊の大軍の姿が。小早川隊は無傷の徳川本隊の前に敗退すると思うが。
史実では小早川勢の裏切りで裏切りの連鎖が起こり、西軍は総崩れとなった。
小早川勢が東軍を攻撃すれば、西軍に起こった現象が東軍に起こるにすぎない。
東軍の豊臣系諸将が敗走すれば、残った徳川勢だけでは多勢に無勢。
戦力差は歴然だからだ。
0178人間七七四年
2008/05/03(土) 09:57:48ID:4qHk05iM小早川が約定守らないのに、南宮山の毛利本隊が動かないままでいてくれるなんて心理的に期待しにくい。
家康本軍が戦線押し上げた所に万が一にも毛利軍が下山したら、東軍殲滅だよ。
0179人間七七四年
2008/05/03(土) 11:47:28ID:ezzHu4WS小早川と毛利と長曽我部を合わせても徳川本隊よりも少ない兵力。
有機的に連携できるとも思えないし、山の上から見ていれば
こりゃー家康にやられたと思ったんじゃないか。
傍観していたというより
恐怖に支配されていたと思われ。
0180人間七七四年
2008/05/03(土) 12:42:17ID:Pi7iVC6t小早川は徳川に味方すれば恩賞を受けられると本気で思ってたのか?
躊躇した時点で徳川の怒りに触れたことも気づかなかったのか?
あと秀頼が出陣したらどうなった?
前半流れは確実に西軍。安国寺の毛利勢説得次第とも考えられるが?
0181人間七七四年
2008/05/03(土) 12:55:33ID:MZCyYE6n0182人間七七四年
2008/05/03(土) 13:19:54ID:JM6lxLyi>東軍主力の豊臣恩顧の諸将が戦意喪失して四散すれば、家康としても為す術なし。
>ぼさっと見てるしかない。
小早川が松尾山を降りて東軍に攻めかかってくるという情報が
家康の耳に入った時点で何らかの対策をとるだろ。
(つまり、小早川が攻撃を仕掛けてきた時点で家康は動き始めると言う意味だが)
0183人間七七四年
2008/05/03(土) 13:34:33ID:JM6lxLyi>>181
石田隊:開戦早々島左近が討死。散々に攻め立てられて防戦一方。
小西隊:寺沢隊らに攻められて防戦一方。
島津隊:傍観。散発的に井伊隊と銃撃戦。
宇喜多隊:福島隊等に対し優勢に展開するも、圧倒するまでにいたらず。
大谷隊:藤堂隊等に対し優勢に展開するも、圧倒するまでにいたらず。
確実に西軍優勢・・・とは言えないな。
毛利についてだけど、9月15日のうちは関ケ原の東軍が総崩れに
ならない限り動かないだろう。毛利が動けば西軍の完勝だが。
ただ、小早川が動けば100パーセント東軍が総崩れになるかというと、
そうとも限らないということだ。史実において小早川が松尾山を降りたとき、
西軍に予備兵力はなかったが(南宮山のぞく)、東軍には家康本隊3万という
予備兵力が存在していた。
0184人間七七四年
2008/05/03(土) 13:57:43ID:3c0yQ04oなんで西軍攻撃したんだろうね
0185人間七七四年
2008/05/03(土) 14:35:18ID:Pi7iVC6t東軍の攻撃を凌いでいるんだから。
こんなの結果がわかっているうちらはなんとでも言えるが関ヶ原ではものすごく身の詰まった一日なはず。
神経のすり減らす攻防。
平和慣れした現代では想像がつかないが本当の答えじゃない?
0186人間七七四年
2008/05/03(土) 15:48:15ID:4qHk05iMマジレスすると、ガチでやったなら恐怖に震えるのは東軍の方だ。
関ヶ原の合戦は、西軍はカンナエの戦いにも匹敵する理想的な包囲陣形で開戦を迎えてる。
明治にこの布陣図を見たプロシア軍将校が、一見して西軍勝利を予見したのもそのため。
家康は毛利本隊の傍観と、小早川の積極的寝返りを前提にして西軍を決戦に誘い込んだとも言える。
0188人間七七四年
2008/05/03(土) 16:17:19ID:ezzHu4WS三河以来の軍団の結束は硬かろう。
西軍は確かに陣形は有利だが徹夜で雨の中移動、休まず陣地構築で戦う余力などなかった。
みてた奴らなら当然気付くこと。
それに小早川にしろ毛利にしろ自分より倍の徳川本隊に突っ込むバカはいない。
0189人間七七四年
2008/05/03(土) 17:27:23ID:OhxObj3pうーん、関ヶ原前夜の西軍雨中の強行移動→布陣までの
いきさつを見ると、プロシア軍将校の考え方も変わるかもね。
0190人間七七四年
2008/05/03(土) 20:56:10ID:haNVFMcJ考えるべきじゃない?小早川が東軍に攻めかかったというだけの話じゃないと思う
0191人間七七四年
2008/05/03(土) 23:56:35ID:0urRe2Zd東軍は山の上に陣取った西軍の前に誘い込まれた上、退路まで断たれてる。
0192人間七七四年
2008/05/04(日) 00:05:06ID:zQlp3cnv戦前に徳川と連絡を取り続けた吉川に委ねられている。
小早川が東軍になだれ込んだとしても、吉川が呼応する可能性は低い。
連絡を受け、安国寺が背後から突いたとしたら、吉川と毛利は抑えに回ったのでは。
0193人間七七四年
2008/05/04(日) 11:18:14ID:y7Qexx2p気軽に登ったら秀元陣跡まで二時間くらいかかった。
鎧兜姿の武将が短時間で移動して一万数千が整然と動く姿は想像できなかったな。
毛利をあてにした西軍の作戦ミスではないのかと感じた。
0194人間七七四年
2008/05/04(日) 11:59:28ID:HxYx23CT関が原で西軍が勝ってたらさらに長期間に渡って多くの血が流されたことは間違いない。
家康が政権を取るのが結局は最も日本が沈静に収まる道筋だったのは間違いない。
あと豊臣政権はあまり民生的でない重税政権だし、民衆は不幸になったろう。
最悪歴史が変わって日本が植民地化されたりするかもしれない。
戦死する人間の組み合わせが変わったり、結ばれる男女も変化するので、
この世に生まれてこない人間が大量に出てきそうだ。
このスレに書いてる人間の中にも存在してない人間とか出てきそうだね。
日本の首都に東京が首都になっていず関東をはじめとしたの開発が後れそうだ。
大阪が首都で関西方言が標準語となるんだろうな。
0195人間七七四年
2008/05/04(日) 12:19:35ID:HsqPanAW0196人間七七四年
2008/05/04(日) 12:29:32ID:HxYx23CT標準語タメ口主流の2chも
関西弁タメ口で書き込まれるのが普通になるだろうな。
確かなのは秀秋がもし東軍に攻めかかってたら
このスレのタイトルが今頃は
「関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかってはったら」とか
いう関西弁表記になってたのは間違いないという事。
0197人間七七四年
2008/05/05(月) 14:25:27ID:XsmjzxWYもし松尾山に秀頼、南宮山に毛利輝元が入れば、関ヶ原は西軍が可能性が高い。
それができなかった時点で三成は信頼できない将に任せた戦いをすることになった。
裏を返せば、そうした展開に持ち込んだ時点で家康の勝ちはほぼ確定。
0198人間七七四年
2008/05/06(火) 09:39:13ID:ZTrseNQD穴埋めに毛利元康か小早川秀包を連れて来れば
大津攻めなら吉川が手を抜こうと大勢に影響ない
どうせ史実でも間に合わなかったんだから
0199人間七七四年
2008/05/06(火) 14:43:28ID:/m9jdrgg局地戦だと西軍は割りと裏切り組も戦ってるような希ガス。
小早川も伏見や伊勢ではそれなりに戦ってたよな。
なんで関が原でだけ・・・?
0200人間七七四年
2008/05/06(火) 14:51:11ID:65FfdrzFヘ ∧ ヘ
\\||//
`イ ̄ ̄ソ
<=/zニニニ∩=>
ノミノ゚∀゚ハ彡
⊂ ⊂彡
( ⌒)
cし′
(∵)
0201人間七七四年
2008/05/06(火) 15:48:19ID:ByYGKv/Hだからなあ。特に小早川毛利は。勿論徳川には内通した状態で。
だから、家康にすれば、野戦の常識として不利に決まっている中腹
の隘路にいる西軍主力に心おきなく攻めかかることが出来た。相当
強力な約定だったんだろう。
その後の差配で毛利の大減封など吉川も辛酸を舐めたが、それでも
この人に賭けようというものがあったんだろう。金吾はしらんがw
三成の場合は天下人としての能力はなかったから、早晩違った形で
第二関ヶ原的な決戦が起こらざるを得なかっただろうね。
0202人間七七四年
2008/05/06(火) 16:02:32ID:/m9jdrgg201のいうとおり、相当な約定はあったのだろうな。
0203人間七七四年
2008/05/06(火) 17:48:12ID:TeutnVSS頭悪すぎ
0204人間七七四年
2008/05/06(火) 19:38:58ID:IHrQqRHFそれを後から来て味方を蹴散らして陣取ってる。
その時点で裏切るのは確定してるし、だからこそ大谷らは警戒してたんだろう。
なので小早川が西軍のままでいるのだとしたら、
どこか別の場所に配置する必要がでてくると思うが。
0205人間七七四年
2008/05/06(火) 19:48:27ID:gOpg6gj7初めは伊藤盛正が築城していた。
こいつは大垣城主。
大垣は三成に、松尾山は小早川に追い出された哀れな人。
0206人間七七四年
2008/05/06(火) 20:29:23ID:5SCiHWzD0207人間七七四年
2008/05/07(水) 01:18:48ID:/m62YYQT漏れも小早川は石田の前に置いてボコられるようにしたことがある。
結構粘るぜ。
0208人間七七四年
2008/05/08(木) 01:14:58ID:MXK5EsM90209人間七七四年
2008/05/08(木) 06:25:41ID:YNz98B0Iむしろ毛利が退路を塞いで、小早川が烏頭坂方面の出口を塞いだ方が
決定的だと思われる。難所なので大軍の退却は困難だが、毛利への手
当てにわずかしか置いていないので、坂を上る三成本体への突入も無
理となればこのルートしかない。
0210人間七七四年
2008/05/08(木) 17:02:18ID:g/kZ8t6g0211人間七七四年
2008/05/08(木) 22:31:51ID:1ry84Wfj>>209
まあ野戦が得意な家康といえども、主力は秀忠の方だし、
東軍もばらばらだから、小早川が寝返らず、それによって
起きた脇坂・朽木・小川・赤座の裏切り連鎖もなかったら、
最もベターな状態でも対峙しながらの夜明かしになるので、
そうなれば吉川の首が飛んで翌朝払暁に毛利の逆落としを
食らって終了となるんじゃないだろうか。
0212人間七七四年
2008/05/08(木) 22:58:22ID:4wZ+8A3M三成本隊が簡単に崩壊したりして
0213人間七七四年
2008/05/08(木) 23:12:14ID:g/kZ8t6gな感じの書状出していなかったけか?
ま、それはおいといて長宗我部は、毛利の指示に従っていたんじゃないでしょ、
合戦が長引いて、我慢しきれずに、毛利の横とか通って戦場に出てきたらとかは、無理か?
0214人間七七四年
2008/05/08(木) 23:45:38ID:xwUMvdS4事前に裏切りの約束があったから無理じゃないのか?
0215人間七七四年
2008/05/09(金) 00:03:47ID:EHZpTFUC天下一品だなw
0216人間七七四年
2008/05/09(金) 22:51:21ID:ahPjETTC吉川が毛利と一緒になって家康本陣討ったりしてな。
0217人間七七四年
2008/05/10(土) 01:08:39ID:1IPa6Kjm「そんな事出来るか!」って言われ、暴走し、本田勢以下に囲まれて敗走していったよ。
あと、夏の陣で、オトリの軍を最前線に置き、全部隊家康本陣に特攻させたら家康は壊滅した。
0218人間七七四年
2008/05/10(土) 06:43:50ID:eT8N1Vka有能だった島佐近が開戦早々に死んだのも西軍には痛かった。
有能だった立花が主戦場に配置されていれば
もうちょっと粘れたかもしれない。
0219人間七七四年
2008/05/10(土) 06:49:51ID:lrfC6Iaz主戦場に優柔不断な奴らばかり連れてきちゃったって感じかw
0220人間七七四年
2008/05/10(土) 07:34:59ID:imhgJSPF田辺城攻めに一万以上まわしてるんだよな。
五百そこら相手に。
伏見にしろ大津にしろ、大軍差し向ける価値あったのかね。
0221人間七七四年
2008/05/10(土) 08:12:55ID:wYyzRHT5大津:京と佐和山の間にあり、補給路確を脅かされる危険あり。
丹後田辺城はともかく、伏見や大津を確保しないっていう
戦略はありえんわ。
0222人間七七四年
2008/05/10(土) 10:25:27ID:Byfy1OVVのも敗因だろうな。大軍に酔ったのかも。
常識的には退路や補給路の確保として当然の措置だが、自軍の
半数が背きつつあるなら呼び返して決戦を伸ばす選択肢も有力だ
っただろう。とにかく家康の首さえ取れれば東軍は瓦解するわけだ
からね。史実でも事実上の主力と言える福島藤堂軍は崩壊だし、
島が死んだあとも石田軍は驚異的な粘りを見せる強力さ、もしこれ
に立花と小早川秀包、それに長曽我部がいれば、前線で圧倒でき、
井伊も崩壊、さしもの本多平八郎も本陣を守って首をさしだし、攻め
手を持たない家康本陣は自らが島津の退き戦を演じる羽目になる。
そうなれば日和見の毛利小早川も雪崩を打つ他はない。
この大軍で、福島や藤堂、黒田などがいないとなれば、大津や佐和山
など舜殺できるから、放置でおk。
そもそも主力を秀忠に預けた事が大きな齟齬なんだし、それを勝因
に出来なかった事が戦略ミスなんだよ。
まあ、これだけ内通合戦になってるのに自分のいい方にしか見よう
としなかった時点で三成に勝ち目はなかったわけだけど。
0223人間七七四年
2008/05/10(土) 12:48:21ID:imhgJSPFだから、押さえるべきところを押さえてから攻勢にでるべき。
0224人間七七四年
2008/05/10(土) 19:11:27ID:rzXLx46B東軍に攻めかかれば必勝だったのに・・・
亡霊に悩まされ早死することもなく、
故・太閤殿下の養子にして小早川の棟梁、西国の重鎮として
秀頼政権化の老中も夢ではなかったのに・・・
0225人間七七四年
2008/05/10(土) 22:59:29ID:6cRcmbzq中央から遠ざけられたんだからさ。
0226人間七七四年
2008/05/11(日) 07:04:50ID:UvbujwFWこんな馬鹿を大事にした高台って何なの?って思ってしまう。
実は秀吉嫌いになってたのかもね。
0227人間七七四年
2008/05/11(日) 07:13:52ID:l3CY3RG/天下分け目の関ヶ原、勝敗を決める事ができるのは老練な家康でも三成でもない
弱冠19歳の青年、小早川秀秋だった。御家のため、天下のため、若き青年は軍配を振った。
三人の父を持ち、勇敢が故にうとまれ、異例の出世を遂げるも誤解からくる中傷を受け、
ついには命を絶ってしまう。金吾中納言、小早川秀秋の苦難苦闘の21年間を描く。
0228人間七七四年
2008/05/11(日) 16:21:57ID:BdgZ4C1t西軍が勝ったらライバルの宇喜多君が上になっちゃうじゃん。
0229人間七七四年
2008/05/11(日) 18:17:08ID:VoygqqXv秀頼がきらいなんだよ、金ちゃんは。
0230人間七七四年
2008/05/12(月) 04:59:31ID:nnJUQFUTやる気のある協力的な武将ほど、率先して地方にいっちゃって
主戦場に優柔不断な奴らばかり連れてきちゃったって感じかw
そう思う。
これはやっぱり石田三成のミスなんだろうか。
真田は主戦場に連れてこれないにしても
兵が強い長宗我部や、戦闘指揮官としては一流の立花を
主戦場に連れてきておけば。
西軍は大軍割いて細川なんか攻めてもしょうがないだろ。
0231人間七七四年
2008/05/12(月) 16:55:35ID:HxF680vh全然わかんないんだよね。
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