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福島正則、加藤清正は最低の裏切者 三股目

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0001人間七七四年2007/02/19(月) 19:49:18ID:Hm5rmZaT
秀吉の恩を忘れ、豊臣家を滅亡に追いやった最低の裏切者。
家康に踊らされた大馬鹿者。
0853人間七七四年2008/08/02(土) 22:50:04ID:uuvdmpL3
>やはり家康のような実力者でなければ天下は治まらないと判断したのだろう。それは関ヶ原に参戦した多くの
>武将たちがもつ共通認識かと。非があるのは家康の方だと重々承知の上でもなお。

普通、あの状況でそこまで先読める奴はいないと思うぞ。
0854人間七七四年2008/08/03(日) 00:07:15ID:AQ0ATVVU
誰もがあの一戦で西軍壊滅なんざ思ってもないかと…
0855人間七七四年2008/08/03(日) 00:52:00ID:oGAdIgZQ
>>852
>非があるのは家康の方だと重々承知の上でもなお。

三成側も問題ある行動を繰り返しているわけだし
三成派閥の人間以外は家康のほうに非があるとは考えていないんじゃないか?
家康に非があると皆が考えていたらいくら家康が大大名でも日和見や寝返りが大量に出るとは思えない
0856人間七七四年2008/08/03(日) 01:21:05ID:N1sMPRlN
>三成側も問題ある行動を繰り返しているわけだし

具体例あげれ。

>三成派閥の人間以外は家康のほうに非があるとは考えていないんじゃないか?

いえ、福島の発言からわかるように開き直っているか、適当にごまかしているだけです。
まあ、それも段々言い訳もしなくよいような雰囲気になったけど。
0857人間七七四年2008/08/03(日) 05:57:51ID:bS3UvpMO
徳川もその政権を盤石にしたのは3代から4代、5代。既に5代目には国庫を傾けて
しまっているがw

見事に出来上がった幕府機構の結果を知っているわれわれだから言えることであっ
て、広家がそこまでわかるわけがない。毛利家中でもずっと後年まで一人勝ちの裏
切り者と誹謗され続ける事は容易に読めただろうがなwww
逆に、小早川どころじゃない戦力を持っていた毛利が早々に背後から責め立てれば
それこそ死地にいた家康の首を取ることも容易であっただろう。毛利の存在は更に
盤石になり、豊臣家の存亡如何によっては毛利政権もあり得た。三百年もネチネチと
恨みつらみを語り続ける必要もなかった罠

俺も広家の行動はわからんとしか言いようがない。結果的に日本の歴史をつまらなく
してしまった主犯格なのは間違いない。
0858人間七七四年2008/08/03(日) 08:00:41ID:8eE1F2lS
広家はよくわからない
山を下りさえすればそこに天下が転がってる
そんなに簡単なものでもないけど大げさに言えばこれくらい有利だった

関ヶ原前後の行動を見ても政治的センスがないわけでもない
そもそも毛利家中において政治的センスの塊と言っていいほどの安国寺と
対立できていたということは彼自身にも政治的センスがなければ無理
軍事的センスは朝鮮出兵での行動を見てもある
兵力がないわけでもない
ただの手伝い戦ですら大坂南宮山合計で毛利吉川5万、小早川含めれば
6万は動員している
軍資金がないわけでもない
広島城築城〜朝鮮出兵で並の大名なら疲弊極まりないところをただの手伝い
戦に大軍動かすほどの金はある

ほんとよくわからない
0859人間七七四年2008/08/03(日) 09:18:20ID:Pxc/vrH1
この時代みな秀吉晩年の暴走状態を目の当たりにしているから、
「やっぱり天下はちゃんとした人物に治めてもらわないとエラいことになる」との思いはあっただろう。
で、輝元に天下をまとめるほどの器量がないこともわかっていた。
実力のない者が下手に天下の大事に口を挟むとろくなことにならない。
ならば頼れる親分を探して、それに取り入ろうという一豊あたりと似たような心境だったんじゃないかと。
0860人間七七四年2008/08/03(日) 09:54:50ID:UcIsAvLb
>>859
ああ、なるほどねえ<秀吉の暴走目の当たりに
実際なんか残ってないのかな、誰かが秀吉の暴走に辟易して
友達におくった愚痴の手紙とか
0861人間七七四年2008/08/03(日) 13:07:45ID:9d/1mrz5
>>859
そんな崇高な考えがあったようには思えんな・・・・・
どちらにせよ、その「ちゃんとした人物」と見込んだ相手に約束反故にされてるんだから、目も当てられないんだけどw
0862人間七七四年2008/08/03(日) 13:58:50ID:rSgKZV/p
毛利は水軍の使える戦場においては、瀬戸内海でも朝鮮出兵においても、
軍功目覚しいものがあるけど、関ヶ原のような陸の野戦においては、
イマイチ自信がないんじゃないかな。何かそんな気がする。

ま、福島・加藤スレで話す内容じゃないけど。
0863人間七七四年2008/08/03(日) 15:36:20ID:N6w6nKLq
広家って、輝元が西軍に積極的に加担してないで担がれただけって前提で、家康と通じてたけど大阪城に入ってみたら、
輝元が加担してた証拠が出てきちゃって、どうしようって羽目になったんじゃなかったの
0864人間七七四年2008/08/03(日) 15:51:11ID:N1sMPRlN
輝元が大阪城入る前に家康に通じていたけど、
それ以降はそれなりに熱心に伊勢攻略をしている。
ただ、家康の西上に伴う関ヶ原に移動で動きは鈍くなっている。
(この時期密書の返答きているし)

たぶん、岐阜城がきっちり持ちこたえたら何食わぬ顔で
西軍主力として活動したと思われ。
0865人間七七四年2008/08/05(火) 23:41:51ID:mhOqUrED
福島と小西
どっちが最悪か決めようぜ!
0866人間七七四年2008/08/06(水) 06:50:55ID:1ylQg8uC
小西が最悪って、何の話だ?

商人あがりかしらんが、武士らしく散っただろ。ふぬけて何の抵抗もせずに
騙されたことにほぞを噛んで惨めに死んでいった馬鹿とは比べるべくもない。
0867人間七七四年2008/08/06(水) 15:45:43ID:C8FYjM6C
そ の 通 り
いくら薬屋上がりでもいくら武勇伝なくても、加藤程度と比べる程ひどくない
0868人間七七四年2008/08/06(水) 16:20:39ID:pYmHWOHx
薬屋の何が恥なのか
その周旋の才を買われて外交などを担当していたのだから
誇りに思うべきなのだ
武ばった将だけでは世はまわらん
堂々としているべきだったのだ
げんに与えられた石高は加藤より五万石近く多いではないか
加藤より評価されていたということだコンプレックスなぞ感じる必要はなかったんだ
反発からではなく誇りを持って紙袋に朱丸旗印を掲げるべきだったのだ

そもそも武将ったって秀吉系は百姓じゃねーか
百姓が薬屋よりそこまで優れているとでも?
黒田家だって元は流れ者の目薬屋だ
0869人間七七四年2008/08/06(水) 16:51:32ID:aWrHvVR/
斉藤は(ry
北条など(ry
徳川に至っては(ry

大体、戦国中期〜末期に武士階級が増大して独立・確定したわけで、加藤や
福島なんかも出自は非常に怪しい。織田・豊臣が何の力でのし上がれたのか
もよくわからず、自分たちの科せられた任務もわからずに豊臣を潰したこの
両者は、豊臣の向かうべき方向をしっかりと体現していた小西や石田と比べ
て劣っているなんて、あり得ない。
0870人間七七四年2008/08/06(水) 17:51:32ID:i1HNpgjP
>>869が何を言いたいのかよくわからない

福島・加藤が石田・小西に劣っていたって言いたいの?
それとも劣っていなかったって言いたいの?
0871人間七七四年2008/08/06(水) 18:04:56ID:O6f1WIOd
こんな文も読めない子には2ちゃんは早いよ。
0872人間七七四年2008/08/06(水) 20:32:48ID:Gcyd5CNF
小西の外交力が高い?
ソースだせよwwww

天草で講和外交失敗して大嫌いな清正に援軍頼む惨めな姿はアホとしかいいようがないねw
結局「商人」だから大名になれたわけだ。
博多商人と朝鮮で上手くやるための駒に過ぎないね。

結局政治や商人が関ヶ原に出たところで開幕粉砕されて逃げ回る惨めな姿を晒しただけw
0873人間七七四年2008/08/06(水) 20:45:58ID:eOOocd9O
>>872
小西が商人だからなれたなら、福島と加藤は、秀吉の七光りでなれたんですね。わかります。
0874人間七七四年2008/08/06(水) 20:59:06ID:eC0470DG
一説のは宇喜多の降伏を担当した小西らしいですね
小西のおかげでうまくいったと主張する人もいますが
直家公の能力を考慮すれば小西は直家公の指示通り動いただけなのは明白でしょうね・・・
実績が違いますからね
この程度のソースしか出せぬ>>868氏は失礼ですが私情を抜きにして
歴史という学問を語れぬ未熟であると思われます
高校生レベルで趣味でやっておられるのでしたらよろしいのですが
それ以上に学問としてたとえ学生としてでも携わっているのならば
>>868氏の将来には暗雲が立ち込めておると思われます
将来必ず絶望に打ちひしがれるでしょうね・・・哀れではありますよ

私も>>872さんに全面同意ですね
戦闘では失策だらけですし天草5人衆がキリシタンだったから刑を課さなかったおかげで
舐められて反乱大爆発
朝賎人に味方の祐軍司令官清正公の暗殺を持ちかけ
しかし信義という言葉が日本が統治するまで母国語になかったという
超賎人ごときにも信用ならんといわれる始末笑いが止まりません
現代社会では営業部長にもなれませんねよくて市役所の苦情処理係が器の男でしょう小西は

第一本当に優秀で評価されていたとしたら祀られるはずです
清正公は神になっておりますが小西は墓すら残っていません
足元にも及ばないのです清正公小指にたかるあり以下の男というのが民からの評価なのです
この現実をとくと見るがいいですね
判官ひいきを気取るつもりなのでしょうがそれにしても相手を選ぶがよろしい
大谷や石田ならまだ理解できますが・・・
0875人間七七四年2008/08/06(水) 21:26:13ID:Gcyd5CNF
>>873
福島は無意味に加増が乱発されたが加藤はそうでもないだろw
大名になる道は贔屓だったがそれをいいはじめたらきりがない。
0876人間七七四年2008/08/06(水) 21:31:01ID:eOOocd9O
>>874
最終的に西軍に属して、家康に逆らってるのに、徳川幕府の世で神としてまつられるわけないだろ・・・
大体、キリシタンなのに、「神」として祀られるのがどうの言ってる時点で、お前さんもかなり未熟すぎる。
0877人間七七四年2008/08/06(水) 21:46:38ID:aKpDERYu
>>874
 
   お ま え は 何 を い っ て る ん だ ?
0878人間七七四年2008/08/06(水) 23:28:17ID:5CFQN+YI
>朝賎人に味方の祐軍司令官清正公の暗殺を持ちかけ
お前、前にも同じようなこと書いてた奴か・・・?
ソースは?

戦前の教育受けた人間って、こんな感じだったのかな
0879人間七七四年2008/08/07(木) 07:54:46ID:kUOUQm5O
>>874の暴言も吐かず終始丁寧な口調で人をいらつかせる才能は特筆すべきだと思うw
>>878
874を擁護するわけではないがウィキに書いてあった
柳成龍「懲録」だそうだ

あと宇喜多時代のこともウィキに載ってたよ
0880人間七七四年2008/08/07(木) 08:43:46ID:caGIdgIh
>しかし信義という言葉が日本が統治するまで母国語になかったという
超賎人ごときにも信用ならんといわれる始末笑いが止まりません

朝鮮って漢字も知らない奴が戦国板に来るなよ。ただの馬鹿じゃんw
0881人間七七四年2008/08/07(木) 19:52:58ID:Wj24y/r5
>>880
0882人間七七四年2008/08/07(木) 20:41:57ID:b2nJHWcd
これはひどい
0883人間七七四年2008/08/08(金) 10:41:00ID:rZnmK72W
敵国の史料でいいなら
「加藤は鉄砲が上手いだけだが、小西は彼より武略、知略に勝る。侮ってはいけない。」
みたいなのもあるけど・・・
信用ならないというのもやっかいな朝鮮人にそこまで言わせるのは大した曲者だという感じ
このあたりは受け取り方の違いというより好悪の感情の問題かもしれないね
0884人間七七四年2008/08/08(金) 12:15:01ID:lkCZHXX0
加藤に苦しめられたから、嫌いだから高く評価してやんない、てこと?
なんかありそうではあるな。
0885人間七七四年2008/08/08(金) 16:39:57ID:MboM2hir
>>883
確かそれって解釈によりかなり違うはず。
小西は嘘つきで(これまでの経緯)武に頼る加藤の方が誠実で遥かに信用できるだろう。
って解釈の仕方もできたはず。
>>878
俺も見たことあるな。見たのは確かに戦前の本だったけど。
参考文献は忘れたから今度調べてくるわ
0886人間七七四年2008/08/09(土) 08:40:58ID:lSoAjQFy
福島と加藤は嫌いだけど
秀吉も信長を裏切ってる様なもんだしな
だから秀頼は気の毒だったかもしれないけど
豊臣家に同情はしないなあ
0887人間七七四年2008/08/09(土) 10:25:21ID:BVPgZIuI
因果応報って感じするしね<豊臣家

まあそんな事言うと徳川だって十分悪なんだけど
0888人間七七四年2008/08/09(土) 10:44:19ID:IgiWuHu7
戦国時代、元の主筋が臣従しているケースも珍しくなかったし、なにより豊臣家と織田家の関係を
みてきているはず。

徳川政権下で豊臣家が生き残る道は十分あったのに、それを選ばなかった豊臣家自身の問題だろ。
0889人間七七四年2008/08/09(土) 11:48:57ID:BVPgZIuI
>それを選ばなかった豊臣家自身の問題
これの原因が誰だったかってのが気になるんだよなあ
秀頼って感じはしないんだけど
0890人間七七四年2008/08/09(土) 15:33:33ID:fBcFn98+
明確な主犯者がはっきりしないまま、ずるずるとみなで事態を悪化させていくのは、日本人にはよくあること。
0891人間七七四年2008/08/09(土) 16:36:05ID:4vGE+CGz
三成を討つまでは選択としてあったとしても
そうであるなら夏の陣までに至るまでに
清正らは豊臣のために兵を挙げるべきだった。

秀頼を大将にして清正らをはじめ子飼い、恩顧武将を
かき集めれば10万の兵力に上るのだから家康を討つことも夢ではない。

家康配下の譜代大名の多くは小禄だし、本体そのものの兵力が5万位あるだけのもん。
0892人間七七四年2008/08/09(土) 19:11:48ID:eX0FIXgB
ヘタレの清正には無理
0893人間七七四年2008/08/09(土) 21:14:10ID:K1xPKGOI
>>891
無理だろう、清正風情には。確かに家康の動員兵力はそれぐらいかもしれんが、
大きく絵を描いて関ヶ原の決戦まで持っていった政治力は、家康と三成以外は持
ち得なかった。

だから、余計に加藤や福嶋が不細工に見えるわけだ。おのれらは何もできん癖に、
三成憎しで豊臣の天下をぶち壊したわけだからな。
0894人間七七四年2008/08/09(土) 22:14:43ID:XTyp7mq3
石田だからこそ関ヶ原のような大事件になったのかもしれないな
黒田や伊達のような戦略家でさえ石田に便乗するだけだったから
加藤はその黒田老人に便乗して仲の悪い小西領に攻め入ってるけど相手は主力を欠くのに城を落とせない状態
政局が関ヶ原の前でも後でも加藤らが中心だと一地方の叛乱で処理されてしまいそうな気がする
0895人間七七四年2008/08/09(土) 22:45:35ID:ZCUKTmgT
>>892
それは家康がもちこんだんであって
最初は関ヶ原で戦う事なんて三成は想定してなかっただろう
あと豊臣の天下をぶち壊したことを攻めるのなら
この戦で負けてその結果徳川家に力をつけさせる原因を
作った三成も十分せめられるべきだろう

>>893
三成のように相手の考えや意見を聞かずむりやり兵を集めるようなやり方
を加藤や福島たちがしないだろうし、だらかこそ彼らは家康に味方したんだろう

0896人間七七四年2008/08/09(土) 23:10:43ID:eX0FIXgB
現実をみろよ
三成の挙兵前から家康は十分力を持ってたよ
三成が何もしなかったら豊臣の天下は続いたのか?
その後家康を除く絶好の機会が巡ってきたのか?
0897人間七七四年2008/08/09(土) 23:32:50ID:8feqT605
三成って様は人望のないやつだったんだろ。そんな奴を見込んで重用した
秀吉が人を見る目がなかったな。
0898人間七七四年2008/08/09(土) 23:47:53ID:uDTu5c42
三成がいるから豊臣のために戦う気が起きない、三成が権勢を振るうくらいなら徳川の天下の方がマシ
こう考える大名は武断派に限らず結構多いんだよ
豊臣が自分の天下を保持したいなら三成を自分の手で粛清して一致団結を図るべきだった
庇護者の秀吉が死んでもなお三成を表舞台に上げ続けた豊臣側の選択ミスだろ
0899人間七七四年2008/08/10(日) 00:16:09ID:n6WsrWbu
有能で人望がないやつと
無能で人望(人を引き寄せる生来の得がたい魅力のようなもの)だけがあるやつのどっちに人が集まるか
当然後者だ
史上何人の有能な人物がそのカリスマのなさで
無為に死んでいったことだろうか
まずは器が必須
「こいつ馬鹿だけどおれがなんとかしてやらなきゃ」って思わせられない人物はダメ
(天下とった奴から大犯罪者までトップはおおむねこれを持っている。もちろん生まれつき
持ってない者はどんなに頑張っても得られん。逆に努力すればするほど不快感を買ってしまう)
0900人間七七四年2008/08/10(日) 00:19:01ID:4SeKOCgN
>三成がいるから豊臣のために戦う気が起きない、三成が権勢を振るうくらいなら徳川の天下の方がマシ
>こう考える大名は武断派に限らず結構多いんだよ

かるく2,3名挙げてみて。
0901人間七七四年2008/08/10(日) 00:38:30ID:L+tr6T7Y
人望の話になるとじゃあ人望ある奴って誰よって話になるからなあ
0902人間七七四年2008/08/10(日) 00:42:04ID:+ge7vMx8
>>900
加藤清正・福島正則・黒田長政・細川忠興
藤堂高虎・浅野幸長・加藤嘉明・蜂須賀家政
池田輝政・吉川広家・小早川秀秋・最上義光

これほど大勢の人間と対立しておいて家康に勝つ気だったんだから
身の程知らずとしか言いようがない
0903人間七七四年2008/08/10(日) 00:59:33ID:Q/MpmnDZ
東軍並べただけじゃん
0904人間七七四年2008/08/10(日) 01:05:05ID:+ge7vMx8
>>903
三成と対立しているのに自発的に西軍について一生懸命家康と戦った人間がいるなら教えてくれ
0905人間七七四年2008/08/10(日) 01:17:24ID:tGCofQA2
島左近
0906人間七七四年2008/08/10(日) 01:18:21ID:tGCofQA2
大谷刑部
0907人間七七四年2008/08/10(日) 02:25:50ID:IcYHt/Jf
>>904
大っ嫌いな宇喜多秀家が副将なのに西軍についた立花宗茂
0908人間七七四年2008/08/10(日) 06:19:23ID:PuE9Z2py
大谷も東軍につこうとしたふらいだからな。秀吉に可愛がられた癖に。

よく、武士の行動原理として目先の理につくのが当然という意見があるが、
ここまで天下分け目の大決戦になると、その行動が恒星に及ぼす影響も
大きいわけで。
三成は、私欲で戦ったわけでなく、秀吉のイメージした重商主義の官僚組
織の頂点として三成に権限を与えた。ただ、自身強敵をなぎ倒した信長の
ような形で天下を取ったわけじゃないから、荒っぽい部下でも無碍には出
来ず、福島クラスの馬鹿でも尾張に置くなどの豊臣政権の二重構造が死後
そのまま残されてしまったんだよ。
既に天皇制権力など皆無で、いずれはその廃棄も日程に上っただろうが、
それが武辺にはわかりやすい「信義」の名の下、実は理念じゃなく利害だけ
で組織も軍制も古くさい徳川の手に天下が落ちてしまった。
いずれは各藩の武士階級も官僚化するにしても、幕府はじめその政治手法
は最低限の事しかしない、貧困な政治しか施さなかった。古代天皇制に変わ
る中央権力は遂に明治維新まで樹立できなかったわけだ。
別に三成を美化するつもりはないし、例えば王安石のような人望もなかった
わけだが、政治史的には大きな出来事だったな。立花人気も、筋目という点
だし。
0909人間七七四年2008/08/10(日) 06:25:31ID:PuE9Z2py
仮に秀吉が朱元璋のように政敵をことごとく葬っていけば、豊臣朝初代
皇帝の座も簡単だっただろうが、さてそれがやる気になれば出来たのか
どうか。本能寺だって宮家の意向もあっただろうし、安土遷都や年号制
定権の制限、被官の拒否など、織田王朝樹立的雰囲気を漂わせた信長
が京都と関係深い光秀に裏切られたのを見ての本能寺だからなあ。
本当にその気なら小牧長久手でさっさと徳川を滅ぼしただろうし。
0910人間七七四年2008/08/10(日) 06:55:56ID:wJheIQoi
日本人はあまり大陸みたいに極端な粛清しないから甘いんだろ民族的に
0911人間七七四年2008/08/10(日) 06:59:29ID:PuE9Z2py
それはあるな。良くも悪くもw

優しさ、甘さも「人たらし」秀吉の武器だからな。
0912人間七七四年2008/08/10(日) 08:28:16ID:ZRmQsp9S
>>907
何故、大嫌いなんだ?
0913人間七七四年2008/08/10(日) 09:14:01ID:TKqBWoKn
泳いで来たりするからw
0914人間七七四年2008/08/10(日) 09:16:03ID:kKlUSzuZ
福島も加藤も裏切り者とは思わんな。
徳川につくことは関ヶ原の前に態度を明確にしている。
但し、豊臣の恩恵を享受し直子飼の立場に居た者が徳川につく意味と
それを駒として使う家康の本心を読めなかった“頭の足りなさ”が致命傷。
家康でなくとも、恩を仇で返す人間は危なくて信用できない。家臣への影響が大きすぎる。
0915人間七七四年2008/08/10(日) 09:19:40ID:TKqBWoKn
秀吉の病気の為に虎の肉を送ったけど三成がそんなもん食わせられるかって
捨てたとかいう話聞いたんだけどそれ清正?
0916人間七七四年2008/08/10(日) 09:45:48ID:SsSkjlGh
>>915
聞いた人に尋ねてみてはどうかな。
又は、目の前の箱で調べる。
0917人間七七四年2008/08/10(日) 09:58:35ID:TKqBWoKn
調べると献上したってのは出てくるんだけど三成が秀吉に渡さなかったってのは
出てこないんだよねえ
0918人間七七四年2008/08/10(日) 11:46:36ID:L+tr6T7Y
毛利輝元の桃の話と混ざってないか?
季節外れの桃を食べて秀吉が身体を壊しでもしたら輝元も不都合だろうから〜と
返却したやつ。
0919人間七七四年2008/08/10(日) 12:00:03ID:vfIuG/MZ
まあ、もし虎の肉の話が本当だったとしても、
日本にろくに食べた人間がいないもの、高齢で体調不良も出ている時期の秀吉に慣れないものを食べさせる、
この時点でストップをかけられて当然だと思われ。
保存技術も発達していないこの時代、海路で長時間かけて渡ってきてるブツだし。
0920人間七七四年2008/08/10(日) 14:21:11ID:+ge7vMx8
虎の肉は秀吉が獲ってくる様に命令したものだから三成にストップすることは不可能
どうしても止めたければ秀吉の通達そのものを止めるべきで
危険を犯して虎の肉を獲ってから渡さないなんて虎狩りをした武将に喧嘩を売っている様なものだろ
0921人間七七四年2008/08/10(日) 14:46:43ID:kSOSk0QY
だから多分桃の話と混ざっちゃっただけだと思うんだよね
少なくとも自分は聞いたことありません
0922人間七七四年2008/08/10(日) 21:11:08ID:Q/MpmnDZ
>>920
秀吉が命令したってソースは?

秀吉はむしろ虎狩りで被害が出るのは馬鹿らしいから自重しろって
通達を出しているほどだが
0923人間七七四年2008/08/11(月) 00:14:00ID:1imirjTC
>>922
そのソースは?
0924人間七七四年2008/08/11(月) 02:50:41ID:QbiBVJkd
>>923
質問に質問で返すのはマナー違反だとおそわらなかったかい?

名護屋城博物館にその旨書かれた朱印状が展示されてるよ

さ、こちらの質問に答えてもらおうか
0925人間七七四年2008/08/11(月) 04:46:12ID:0NarKvAm
ところでさ、もう一人の加藤の嘉明って同じ様な状況だったのに全く話題に上ることがないね。
七将のおまけみたいな扱いでさ。
家康と秀頼対面の時は清正・浅野・福島は奔走したのにコイツはなにもしてないし。
ついでに晩年は会津40万石の大太守だぜ。
跡継ぎが危地外で死後改易になったけど、そうでもなきゃ会津の太守の座は安泰だったろうな。
0926人間七七四年2008/08/11(月) 07:07:18ID:Whf3kDZO
>>925
それはね。例えばそうだな。郵政民営化の造反議員を語るとき、
亀井とか平沼とか野田の話しが中心になるよね。綿貫や藤井がどんなに大物でも、霞む時は霞む。
…つまりそういうことなのさ。
0927人間七七四年2008/08/11(月) 08:07:18ID:Mz2kSX2v
加藤嘉はなんだかんだで明治まで残ったし(片桐は本人じゃなくて弟系だし
平野は大名じゃないから脇坂とここだけ残った)
なんか同じ苗字のもっと目立つ奴がいるし
(旧自民でも亀井といえば津和野藩主の人じゃなくて広島の百姓が出てくる)
だからなんか40万石って言われても地味というか
ほかの東軍主力の連中の戦後大出世に比べて大守って気がしないんだよね・・・

葵三代では「生き残りはわしだけか・・・」てちょっと目立ってたけど
0928人間七七四年2008/08/11(月) 08:22:20ID:APXsHLfn
>>925
福島や加藤清と違って血縁じゃないし、そもそも親父は家康の家来だし、
他の武断派と違って嫁貰ってない。
関ヶ原前の問題行動は七将襲撃位だし(メンバーに入ってないこともあるし・・・)。

責める予知が少ないと言えば少ない。
0929人間七七四年2008/08/11(月) 09:39:02ID:Mz2kSX2v
血気にはやる友人たちを「まぁまぁ落ち着きなよ」といさめつつも
結局止められずに巻きこまれるタイプに見える>義明
0930人間七七四年2008/08/11(月) 19:05:55ID:iUq6ZC8e
三成襲撃に際しての個人的主観だが彼等の考えは

超積極派(ようやくフルボッコにできるぜぇえぇぇぇぇ)
正則 
積極派(前々からいつかシメてやろうと思ってたんだよ)
清正、長政
潜在派(自発的にはやらないが、呼びかけがあればすぐいくぜ。仲間だし)
忠興、輝政、(家政)
空気読み派(別にどうでもいいけど、どっちか選ぶかと言えばそりゃあね)
嘉明、(高虎)
0931人間七七四年2008/08/11(月) 19:06:49ID:8F3q6sg9
まあ秀吉生前は15000石だしな。地味。
0932人間七七四年2008/08/11(月) 20:36:19ID:QbiBVJkd
>>920は早くソース出せよ
言い逃げか?
福島並のヘタレやな
0933人間七七四年2008/08/11(月) 21:49:43ID:X4Jj4gVT
>>930
なぜ襲撃されたほうが罰せられたんだ。
襲撃側はお咎めなしなんて変だ
0934人間七七四年2008/08/11(月) 22:04:17ID:YMB542Xx
>>631
最初こそ1万5千石だが
ぎりぎりで10万石までなってる
七本槍だとちゃんと3番手(この3人とそれ以外の差がでかい異常に)
縁戚でもないのに上位2人に食らいついていけたので実は一番優秀だったんじゃないか?
最終的に10→20→40とちゃんと段階踏んでるよな
09359252008/08/11(月) 22:40:18ID:bLc6eZQ4
嘉明のことは急に皆冷静になっててワロタ
まぁ地味でどうでもよさそうな奴ではあるしね。
朝鮮の時も水軍の大将で武功はあるけど地味だし。

ただ親父が元は家康の家来だったとはいってもガキの頃出奔してて
実質的には清正・福島同様ゼロから有力大名に引き上げてもらったようなものなのに
家康・秀頼会見の時すら何もしてない空気っぷりが個人的には気になったんだ。

>>930
一部では清正は元々は三成とは仲が良かったって言われているから積極派じゃないかも
あと忠興はキレっぷりが有名だし、意外とかなり積極的じゃなかったかなと思ってる。
0936人間七七四年2008/08/11(月) 23:34:13ID:APXsHLfn
>>935
>実質的には清正・福島同様ゼロから有力大名に引き上げてもらったようなものなのに

清正・福島は血縁なのでゼロからじゃないけど、だから最低の裏切り者とか言われているわけだけど・・・

0937人間七七四年2008/08/12(火) 00:33:52ID:D0s5KtX4
>>933
秀吉の生前は讒言された側だけが罰せられて
讒言した三成はお咎めなしだったのだから
第三者的に見ればこれでようやく五分五分だろ
三成派閥の人間以外は誰も家康の裁定がおかしいなどと思っていない
0938人間七七四年2008/08/12(火) 01:35:46ID:2XU5/c3G
>>930
三成襲撃メンバーも資料によってメンバーが異なってたりするよな。
『関ヶ原合戦と大坂の陣』では蜂須賀家政がこの騒動の影の主役だと指摘していたが
0939人間七七四年2008/08/12(火) 01:41:01ID:lipbUc88
>>937
清正が豊臣姓使って朝鮮側と交渉したのだって、黒田の親父が碁にかまけて三成をほっぽっといたのだって本人が悪いんだろ
これは罰されて当たり前

コレを逆恨みしたアホ共が徒党を組んで三成を襲撃したのは、明らかに襲撃側に非がある
仮に三成にも非があったとしても、ここでの裁定は喧嘩両成敗になるべきだろ
これが罰しなかった家康の最低はやはりおかしかったと言わざるを得ない
0940人間七七四年2008/08/12(火) 06:15:35ID:AEPlGZ/y
>>932
920じゃないけど今手元にないのよー
けっこういろんな本で見たけどそういえば一次史料はなんなのかねえ
そのうち図書館で探してくるから気長に待ってね
もしかしたら自分で探してもらった方が早いかもしれないけど
なにで見たか覚えてないけど(小説とかだったらごめんw)
命令したはいいけどたくさん送られすぎ&意外と被害が大きいので
自粛命令が出たって話を読んだ気がするからもしかしたらそういうことかも

ていうかそういう煽りみたいな書き方やめなよねー
0941人間七七四年2008/08/12(火) 06:39:21ID:PPLX9RAZ
>>938
確かに藤堂高虎とか蜂須賀家政って一筋縄でいかない人物だから
裏で七将に調略掛けて決起させたってのあるかも
特に血の気の多い加藤・福島・細川なんて簡単に操れたろうし。
まあ所詮妄想の域だけど、家康の意を受けた黒田長政だったってのもありえるかも。
0942人間七七四年2008/08/12(火) 10:11:12ID:oOMAKsS9
蜂須賀ってずっと怪しいよな。明治以後もw

桶狭間だって、わざと接待して油断させたとかいう話もあるし、相当いろんな事を
裏の裏まで知ってそう。こういうのが裏切るって事はやっぱり豊臣はだめだった
んだろう。
0943人間七七四年2008/08/12(火) 11:24:34ID:IR1r7mg3
>>930だがあの中に幸長入れるの忘れてたよ。
あいつも親父に似ず血の気が多そうだ。

家政も反三成だし、裏で何かやっていた可能性ももちろんあるけど、
関ヶ原に自身は行かず子を送ってるのを見るとそこまで恨みはなかった
のじゃないかと思う。恨みっていうか関心かな。冷静なやつだったと思うよ。
武断派では。

>>935の言うように忠興はノリノリだったかもね。目に見える大きな衝突が
なかっただけで、小競り合いみたいなのはあったかもしれない。

しかし、俺は一応三成が好きなんだが、ここまで大勢に嫌われることって
できるもんかね。それも元勲の息子まで入ってんだぜ。
0944人間七七四年2008/08/12(火) 11:47:09ID:czKgZOhK
>>943
幸長の場合朝鮮出兵で清正と父子の関係を結んでて清正に影響されてああなった。
0945人間七七四年2008/08/12(火) 11:48:39ID:czKgZOhK
>>939
裁判の結果を揉み消すのは悪じゃないのかな(´・ω・)
幾らなんでも片寄りすぎ
0946人間七七四年2008/08/12(火) 12:01:24ID:vtmFag0J
>>943
三成はやってることはなかなか立派なんだが、とにかく態度が横柄だったらしいね。
しかも自分でそれに気づいてなかったっぽい。
そういった人となりってのはなかなか史料には現れにくいが、人の行動の結構重要な部分を占めているからね。
好き嫌いは侮れない。
0947人間七七四年2008/08/12(火) 12:04:26ID:TAnEz8Bu
>>944
襲撃メンバーって幸長だけやけに若いし、なんか清正に乗っただけって
イメージがあるんだが違うかな。

>>945
これ(裁判揉み消し)よく見るけど出典わかる?
0948人間七七四年2008/08/12(火) 13:08:27ID:53TkB7ta
三成ってなんとなくB型ぽいな
0949人間七七四年2008/08/12(火) 16:43:38ID:+li0/oDX
他の人はいい

言い出しっぺの>>920がちゃんと証明責任を果たせ

出来ないならいい加減なこと言ってごめんと謝れ

そのどちらも出来ないなら二度と書き込もう等と思わぬことだ
0950人間七七四年2008/08/12(火) 17:51:12ID:+/D4hHle
えらく必死だなw
0951人間七七四年2008/08/12(火) 18:19:40ID:+li0/oDX
うやむやにしたらまた同じこと繰り返すからな

大体普通は一度訊いたら答えを返すもんだ
論拠を示すのは当然のことなんだから
言いっぱなしで逃げてる奴こそ「必死」と形容するにふさわしい
0952人間七七四年2008/08/12(火) 19:02:22ID:czKgZOhK
>>947
出兵前に長政は若く戦経験がない幸長を清正に護衛を依頼。
清正も此を快諾。そこから清正と幸長の関係が始まる。
清正と幸長は常に一緒に行動して泥水すすって戦い抜いた。
日本に帰国すると幸長は三成の接待に怒るが清正が三成に一言言ったので幸長も怒り収まる。

幸長はこの経験から清正を理想に行動し、幸長自信は豊臣家に恩は無いが
律儀に豊臣に忠誠を尽くすようになる。
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