【武田】2万5千で上洛【信玄】その47
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0001人間七七四年
2007/02/19(月) 17:26:44ID:6p/Z1wyU【武田】2万5千で上洛【信玄】その46
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164030811/
ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。
テンプレ
>>2-30ぐらい?
0002人間七七四年
2007/02/19(月) 17:42:48ID:Hm5rmZaT>1-12 >31-36テンプレ
>17-18包囲網の実情
>20-46信玄がそのまま進軍して尾張に侵入したら
>47-57 73年4月家康は近江に出陣する積りだったか・当時の信長の危機感の薄さ・
>58-65包囲網側の各自の思惑・畿内政権
>66-80信長と信玄継いだ時の状況・両者の差 成長速度の差の原因
>82-108信玄-謙信同盟のIF・信玄の戦術能力・三増峠と駿河攻めの関係
>99-100氏康の病状
>116-131 >150上杉を攻め続けていたら
>120-212武田騎馬軍団の虚実・戦国時代の騎馬隊
>192武田北条の騎馬率
>213-231武田軍の強さの要因・北条との戦い・関東の状況
>234-258騎馬・当時の馬の流通
>260-295信玄はどの程度の大名だったか信玄の戦略戦術・各大名との比較・甲斐の国力
>291信玄信長が戦った大名の石高
>296-315信玄の租税民政治水財政
>301培養秘録 >315武田家の諸税
>316-340信虎追放・クーデーターや謀反の成功失敗
>341-377 >387-392信玄の戦績・戦略戦術論勝敗の定義
>360-385薩田峠の戦い >378薩田峠の戦い年表
>398-415人身売買
>416-430武田による初期段階の美濃攻めの可能性
>431-448武田による日本海経由の上洛の可能性・北陸の状況
>466-485 72年の織田武田の国力・織田家による農村政策治水事業
>486-498木曽三川の治水
>496木曽三川の治水リンク
>512-575騎馬隊
>525三河兵の特徴
>550-578専制体制・大名の権力・家臣分裂
>576-652兵農分離・農兵の割合
>600-618信長の小兵力で戦った例
>600-638全農民中軍役につく農民の割合・動員力の限界
>630全農民中軍役につく農民の割合計算例
>639-647損耗による農村への影響・金米の貸出 >644信長による無償提供扶持米
>648-652兵站と長期戦
>655-750略奪・大名の戦争費用・災害・戦に参加する農民・雑談
>667藤木久『飢餓と戦乱の戦国をいく』
>681過去ログ
>751-890>967-騎馬隊について・雑談煽り
>797織田の騎馬運用
>894上田市歴史・生島足島神社文書リンク
>892-966各大名の戦績・第二次伊勢長島・戸石崩れの影響
>892一般論による信玄の戦績一覧リンク
>924各大名の騎馬率
0003人間七七四年
2007/02/19(月) 17:43:19ID:Hm5rmZaT・信玄が健康で長命
・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力
・三方ヶ原の戦い後、徳川家を早期に攻略乃至は降伏
・武田軍が甲斐に帰らず1年以上遠征可能
・上杉が空になった信濃、上野を 襲うことは決してない
・北条も軍艦の記載のように援軍を出す
・三河尾張国境の 水野家が離反する
・織田との決戦で勝利する
0004人間七七四年
2007/02/19(月) 17:43:51ID:Hm5rmZaTちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。
関東
上野:49万6千石/12400
甲信・中部
甲斐:22万8千石/5700
信濃:40万8千石/10200
飛騨:3万8千石/950
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375
東海
駿河:15万石/3750
遠江:25万5千石/6375
三河:29万石/7275
尾張:57万2千石/14300
伊勢:56万7千石/14175
志摩:1万8千石/450
北陸
越後:39万1千石/9775
越中:38万3千石/9500
越前:49万9千石/12500(慶長検地では68万石)
若狭:8万5千石/2125
畿内
山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550
伊賀:10万石/2500
四国
讃岐:12万6千石/3150
阿波:18万4千石/4570
淡路:6万2千石/1550
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)は以下参照
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/
0005人間七七四年
2007/02/19(月) 17:45:20ID:Hm5rmZaT●武田
・甲斐…100%(5700)
・信濃…95%(9690)
*飯山周辺は残す。
・上野…36〜43%(4450〜5375)
*倉賀野、松井田、箕輪など領地は広げているが、ほとんど北西山間部なのがネック。
面積で言えば4割だが、石高では三分の一程度とする意見あり(上野の平野部は南東)。
14郡中武田は吾妻郡 碓氷郡 甘楽郡 群馬郡の半分 故に石高的に3分の一 の説。
利根川以西を領土とすると、これに録野、片岡、多胡郡が加わる。(約四割)
・駿河…100%(3750)
・飛騨…10%(95)
*72年7〜8月に飛騨諏訪城を落としている。これ以前の直接の軍事行動はなし。
もともと飛騨の豪族は越中の対一向一揆で上杉と仲がいい。諏訪城主江間氏も逃亡
して上杉氏を頼る。
・越中…?
*68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っているが、71年には謙信に落とされている。謙信は73年
には加賀まで攻め寄せているから、その頃までに越中の武田勢はなくなっていたとみるべきか?
松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・遠江…7.8%(500)
*遠征前に陥したのは71年に国境の榛原郡小山城(この時高天神や掛川も攻めるが落せず)と犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略 。
武田が本格的に東に出てくるのは、氏康が死んで同盟復活する71年後半(正式な復活は71年12月)。
遠征後は20%ほどに増大
・三河…12%(850)
*足助城を落とし、賀茂郡一部・設楽郡ほぼすべて・八名郡一部を支配。ただし全て山地なのがネック。
・美濃…ほぼ0〜5%(0〜675)
*秋山信友が岩村城を落すのが72年11月。 それ以前に落していた恵那郡の小城を、どの程度に見積もるか?
18(21?)郡中これだけでは最大5%もないとする意見。
総計25035〜26635
後北条と同盟。義昭や顕如ら畿内の反織田勢力と連絡を取り合う。背後に上杉と上野方面を巡って火種。
ただし、もともと高税率のうえ、69年以降は戦もそれまでの二倍以上。領国の疲弊はすでに始まっていた
とする説あり、ただしソースは少ない。継戦能力にも疑問。
0006人間七七四年
2007/02/19(月) 17:46:08ID:Hm5rmZaT・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢70%(9923)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。
総計51114
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山荒木などが味方勢力として存在。
池田和田淡路の安宅などはテンプレ時は旗幟をはっきりさせていない。
●徳川
・三河…78%(5675)
・遠江…92.2%(5875)
*両国とも、武田にどの程度侵略されているか。また調略如何によっては動員はさらに下がるかも。
総計11550
三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。上杉と同盟。
0007人間七七四年
2007/02/19(月) 17:48:48ID:Hm5rmZaT1572年
十二月 二十二日 三方ヶ原の戦い
1573年
一月 三日 武田軍野田城を囲む
北山城や摂津河内の国衆から義昭に付く者が続出する。信長は村井、島田、朝山日乗を講和の使者に出すが義昭は一蹴。
近江志賀郡の石山、今堅田に兵を入れる。
二月 十五日 武田軍野田城を落とす。
二十四日 柴田、丹羽、明智、蜂屋の軍が近江を攻撃。石山、今堅田も数日で開城。
三月 二十五日 信長、岐阜を出陣。
二十九日 細川藤孝、荒木村重が逢坂に信長を出迎えて忠誠を誓う。
四月 三日〜四日 上京焼き討ち。二条御所を包囲。
七日 調停の仲介により信長と義昭との和睦なる。
八日 信長、京より岐阜へたつ。
十二日 武田信玄死去
柴田、佐久間らは六角氏が立て篭もっていた近江愛知郡の鯰江城を攻略。さらに百済寺も焼き討ち。
七月 足利義昭京より逃れる。
八月 朝倉・浅井両家滅亡。
0008人間七七四年
2007/02/19(月) 17:49:21ID:Hm5rmZaT織田は
近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど、
江南の抑えと京へのにらみに八千ほど、
北伊勢への抑えと尾張の守備に五千ほど、
美濃では岩村への抑えに三千ほど抑えに置くとすれば、
(基本的な任務は守備、現状維持)
計算上は2万8千ほどを対武田に向けられるのでは?
武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、
北条の援軍が二千〜三千で、
合計ニ万〜二万五千ほど?
武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、石高的には10万石3000ほど
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、石高的には6万石1500ほど
北条の援軍が二千〜三千で、
遠征軍合計実数二万五千ほど
信玄率いる遠征軍は石高的には84万石〜90万石で21000〜22500ほど+北条の援軍2000〜3000
+美濃へ入ってくる秋山隊が3000ほど
0009人間七七四年
2007/02/19(月) 17:51:35ID:Hm5rmZaT●長尾上杉
・越後…100%(9775)
*ただし、揚北衆特に本庄氏の扱いは微妙。
・上野…10%(1240)
*沼田・厩橋近辺と考えるとこれぐらいか? 武田・北条におされ気味。
・越中…20〜25%(1900〜2375)
*神通川以東(新川郡)松倉・富山は1573年正月まで攻撃中。72年〜73年にかけての遠征によって、越中の大部分を支配下に収める。
この時は越中から加賀にまで攻め込み、顕如から信玄へ援軍要請が行われた。
松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・飛騨…三木氏や江間氏とは友好的。1572年の富山攻めでは江間氏が援軍派遣してる
・信濃…5%?(510)
*飯山城とその周辺は保っていた模様。最大見積もってもこの程度。
総計13425〜13900
・遠征能力○
遠征能力は高いが、北陸へ出陣中。仮に北信・上野に出陣するとしてもメリットは薄い? ただし史実
ではこれ以前も以後も関東への出兵を繰り返している。武田・北条・加賀を敵に回して織田・徳川と同盟。
関東の諸将(佐竹ら)とは疎遠になった。
●後北条
・遠征能力○
武田・上杉と並ぶ大国だが、武田とは同盟中。今回の武田西上でも援軍(二千~三千?)も出している。
数年前まで戦っていたとはいえ、手切れをしてまで武田を攻める事は無いだろう。北関東には他に敵
もいる。
●朝倉
・越前…100%(12500)
*寺社領については、明確な根拠を示さない限り否定されます。
・若狭…?
*守護武田氏は抑えているが意味なし。有力国人である逸見氏・粟屋氏などはこぞって織田について抗争中。
朝倉軍の一部は粟屋氏の居城を攻撃していた模様。(武藤氏が反織田に回ったが、この時期の動向は不明)
総計12500+?
・遠征能力○
遠征は10000程度は可能か? 現在、越前にフラフラ様子み。70年の講和以降、浅井への援軍以外に
出兵なし。経済疲弊。一部軍役拒否の状態。若狭の支配圏は低下中、むしろ抑えるための兵力派遣
が必要。
●浅井
・近江…9.5〜14.5%(1850〜2825)
*伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城しか残っていない。
高島郡はもう少し高いとみる説あり。これも考慮に入れた。
総計1850〜2825
・遠征能力△(朝倉が来れば助力可)
単独での侵攻は辛い。木下隊に苦戦。小谷城の眼前に虎御前山砦を築かれて押し込められる。
●六角
・近江…?
*愛智郡鯰江城で逼塞状態。甲賀の土豪がどれほと力になるか?
●松永・筒井(反松永)
・大和(11225、ただし双方合わせて)
*寺社勢力は心情的にも筒井派。土豪も多くが筒井につく。
・遠征能力×(両派とも)
大和で両派が泥沼の抗争中。お互い支援を求めて織田や三好と手を組むことに。
元亀三年の時点では織田の支援を受けた筒井側に有利。松永は押されっぱなし。
0010人間七七四年
2007/02/19(月) 17:52:06ID:Hm5rmZaT計20000?
遠征しないが尾張は目と鼻の先。ただし動きは鈍い。守備力は高い。
●石山本願寺+雑賀衆?
計23000?
遠征準備は謎だが、近江まで歩いて1日。 ただし動きは鈍い。守備力は鬼。本願寺自身は織田と直接
軍事衝突は行っていない(するのは後年)。信長との外交ルートあり。
※もともと本願寺と一揆は別ものであり、絶対的な命令権があるわけではない。各地の一揆はそれぞれ
の権益を守るために支配者に抵抗した。また、兵力には老幼婦女が多数含まれていると考えられる。
●北畠
・伊勢…30%(4253)
*大湊など、伊勢湾の海上交易に大きな影響力をもつ。かつては南伊勢五郡を有したが、織田へ離脱
するものが出る。
計?
・遠征能力×
織田による内部からの乗っ取り進行中。そのため勢力としては身動きとれない。隠居させられた北畠
具教は面従腹背。武田と接触をとっているが(根拠は不明)、実質どれほど動かせるかは不明(後年、
具教が討たれたときに北畠残党が挙兵するが、一族などの一部に留まる)。
ほとんど織田の一部とみなしてもいいとする意見あり(ただし、信雄が正式に跡目を継いで北畠軍が
織田の一環として行動するのは74年以降)。
●伊賀
六角に協力したり北畠についたり。基本的には中立。
0011人間七七四年
2007/02/19(月) 17:52:38ID:Hm5rmZaT三好一族の主だった頭(各国の支配率は不明、動員数は100%の場合)
畿内
・本家:三好義継 三人衆との関係から信長に従っていたが、義昭と共に敵対する
・三人衆:三好長逸、三好政康、石成友通 これも一枚岩ではない。義継や久秀と
抗争の為に行動をともにしていただけ。特に石成は一人信長についた時期もある。
・三好笑岩 基本的に、四国三好家にちかい。信長以前は本家と戦い続ける。
・三好政勝 管領細川家の家臣。長慶を親の仇と長年争い続ける。
・摂津(8900)
・河内(6050)
・和泉(3550)
*ただし、この全てを三好一族が抑えていたわけではなく、細川、畠山、池田、和田、荒木、伊丹、など
その他在地勢力が根を張り、反三好から織田につくものも多数いた。他に足利家につくものも多数いた。
総計18500-敵対勢力
・遠征能力×
反織田という形で立場は同じになったが、指揮が統一されたわけでもなく分裂状態のまま。
統一行動は難しいか。
四国
・阿波三好家:三好長治-篠原長房 基本的に、主筋になる細川家と争ったり講和したり。 畿内には
あまり関わらず。播磨方面で抗争があった模様?
・讃岐十河家:十河在保 阿波三好家と行動を共にす。
・淡路安宅家:安宅信康 四国三好家についていたが、1572年には義昭信長につく。
・阿波(4570)
・讃岐(3150)
・淡路(1550)
*安宅信康が織田についてしまったので、これは三好には加えられない。
離反は確実であるが織田に付いたとも言い切れない。
総計9270-安宅氏の勢力
・遠征能力×
お互いに争ったり結んだり。このころには篠原長房との確執が表面化しだす。73年4〜5月に長房が
討たれた後は抑えられていた豪族たちが反旗を翻すことになる。
四国の三好家関連は、後にほとんど信長に属することになる
おまけ
●足利将軍家
・山城…?
*北山城の国人が義昭に呼応し、明智の配下から離脱者が出たとの記録あり。また細川藤孝や石成友通
などの勢力もあり。細川・明智は織田勢力とみなしてもいい。和田池田伊丹などは義昭勢力。
総計不明
・遠征能力×(史実でも城に篭った)
0012人間七七四年
2007/02/19(月) 19:13:29ID:ny25vxfw秋山信友、秋山光継、朝比奈信直、安倍勝宝、安部宗貞、跡部勝資、安中景繁、甘利信康、
雨宮家次、飯尾助友、依田信守、依田春賢、一条信竜、一条信就、今福昌和、今福丹後守、海野信親、
大熊友秀、大嶋長利、小原忠継、小原 広勝、小原下総守、小幡昌盛、小幡憲重、小山田昌行、小山田信茂、
小山田大学、鎌原之綱、金丸定光、川窪信実、葛山信貞、笠井満秀、小宮山友晴、高坂昌澄、高坂昌元、
五味高重、座光寺貞房、三枝守友、真田信綱、真田昌輝、諏方頼豊、常田春清、武田信堯、
武田信友、武田信綱、武田信勝、武田信実、武田信貞、武田竜宝、武田信豊、長坂光堅、土屋昌恒、土屋昌続、
内藤昌豊、内藤昌秀、名和宗安、馬場信春、馬場少輔、原昌胤、日向是吉、室賀信俊、望月義勝、
望月重氏、望月信永、望月信雅、横田綱松、横田康景、米倉重継、湯本善太夫、湯本九右衛門、祢津是広、
名和宗安、仁科盛信、山県昌景、山県昌満、和田業繁、
信玄公ならば・・・・・・・・・
0014人間七七四年
2007/02/19(月) 22:00:37ID:eV2UliIE小山田とか
あと寿命だか病死も混じってない
それだったら信玄だって一杯死なせていないかw
0015人間七七四年
2007/02/19(月) 22:23:21ID:2abT60fL景虎は2度上洛してるけど。
0016人間七七四年
2007/02/19(月) 22:34:44ID:z2nhMmrr>あっそうなの?俺が見当違いの奴にレスしてしまったんならお前はス
>ルーすれば言いだけだろ、何でそんなにムキになるのかなあ? 笑)
>それから俺が貼ったWEBに文句言い出したのはアンチの方だからね
>「騎馬軍団なんか存在しなかった」ってしつこつ言い張ってるのはね
騎馬軍団が存在しなかったと言い出したのは俺じゃないが、
君が貼り付けたWEBのページと君の意見が違うだろ?
と指摘したのは俺って言うだけだが。
つまり、
1:君と誰かが騎馬軍団の有無について話している。
2:騎馬軍団があると主張しているらしき君がWEBのページを貼り付ける。
3:君が貼り付けたWEBのページを読むと、そのページでは騎馬軍団はないと主張している。
4:俺が君にWEBのページについて突っ込む
という事なんだよ。
分かったかな?
0017人間七七四年
2007/02/19(月) 23:35:42ID:ny25vxfw具体的に。
それと小山田を離反させたのは他ならぬ勝頼の手腕。
信玄公ならあんな無様な滅び方しないだろ。
0018人間七七四年
2007/02/19(月) 23:59:50ID:1c5cdu62出来ないからガキは駄目なんだね、女の子に嫌われるよそういう態度
ばかりしてたら。笑)
お前が自分のレスしてる通りなのであれば、俺の意見なんてスルーす
れば良いことだろ、何でそれが出来ないわけ?
早く正直になれよ、WEBを見てやっぱり騎馬軍団が存在していたこ
とが悔しいんだろ?だからそんなにしつこく「せめて何かぎゃふんと
言わせてやらねば!」と思ってるんだろお前?
しかし新スレまで噛み付いてくること自体哀れで仕方がないよ。
0019人間七七四年
2007/02/20(火) 00:05:28ID:Xr6RyoFI領土を荒らされたことなかったもんな。
今川は駿河を北条に三河を織田に一時、北条は上杉に何度も荒らされて
るし武田にも攻められ、織田は包囲網などで度々、上杉は周知の通り、
家康も武田に攻められた。毛利は西国だから関係ないし。
0020人間七七四年
2007/02/20(火) 00:14:22ID:Xr6RyoFIんだが、今初めてはっきり見てやったよ。
WEBの内容と俺自身の意見が違うって?一度も間違ったことなんて言
ってないよ、てゆうか突っ込まれるような複雑なこと言わないし俺。
0021人間七七四年
2007/02/20(火) 00:38:21ID:5D5RzXHI全て最大で見積もって、武田26000が石高的に捻出される。
北信上野上杉対策に-5000、ここで21000。
美濃秋山隊で-3000で18000。
これに北条援軍3000加わって21000で、これが信玄が直接率いて遠江三河あたりに持ってきた数。
まとめると、26000-5000の信濃上野防衛部隊-美濃別働隊3000=18000。
これに北条援軍3000で21000、これが三河まで進出してきた武田の総兵数。
美濃別働隊も加えた武田遠征軍総数はこれに3000をたして24000。
でも>>8だと
>信玄率いる遠征軍は石高的には84万石〜90万石で21000〜22500
この時点で美濃の別働隊を込みで計算しないとこの数字が出ないにもかかわらず、
>+美濃へ入ってくる秋山隊が3000ほど
で二重計算してね?
0022人間七七四年
2007/02/20(火) 00:53:33ID:Z64SQjUP動員基準が違うからでしょ
北信上野上杉対策に5千
美濃秋山隊で3千
は軍鑑史料講談などから考えて実数で
おそらく一万石辺り400人500人の動員としている
一万石辺り250人の動員ならそれぞれ
2500と1500になる
あなたの計算だと石高的に武田の兵力を26000と見積もるなら
北信・秋山も250人基準で控除しないと
0023人間七七四年
2007/02/20(火) 01:01:50ID:oSEfGx1k前スレからあなたの意見は極端なんだよね
騎馬隊の運用が上手だからって他大名に対し決定的に上ってほどでも無い
信玄or家臣団が最強だってよく言えるよね
極右武田厨の鏡だよ
0025人間七七四年
2007/02/20(火) 01:20:32ID:Z64SQjUPそれ武田の騎馬の運用が他大名より上という史料どころか
以前に武田の騎馬隊の運用についてさえまともな史料やデータが出ていないと思う
ほとんど想像の類だけで語られている
0026人間七七四年
2007/02/20(火) 01:28:31ID:Xr6RyoFI織田徳川との戦闘すら理解してないの?駿河攻略の今川北条撃退の仕方
知らないの?
それから日本一の山岳地帯で長い間戦闘してれば自然と騎馬の扱い方が
他大名より 圧 倒 的 に 優れているのは当然だね、もちろん騎馬
の特性をフルにいかしてきた信玄の利用の仕方こそが凄いわけだが。
なら聞くが武田以上に騎馬の扱い方に優れたとこがあるの?
0027人間七七四年
2007/02/20(火) 01:32:47ID:3LCswd8M論戦相手を煽れるというのもある種の才能とでも言うべきですかね
0028人間七七四年
2007/02/20(火) 01:34:54ID:3LCswd8MID:Xr6RyoFIとかメガ豚とかキチガイに片足突っ込んでるような人が多いですからね
0030人間七七四年
2007/02/20(火) 02:02:11ID:Z64SQjUP>ならなんで今日まで武田のみが最強といわれたきたか理解してるの?
何を分かりきったことを、
兵力3倍差とは言え後に天下をとった家康が野戦で唯一負けた相手だから
強かったことにしてもらっただけのこと
あと武田のみが最強?
そんなことは無いだろ講談で最強と言われてる大名は武田の他にもいる
>なら聞くが武田以上に騎馬の扱い方に優れたとこがあるの?
だからまず武田が優れていると言う具体的な事実を出してくれ
>それから日本一の山岳地帯で長い間戦闘してれば自然と騎馬の扱い方が
>他大名より 圧 倒 的 に 優れているのは当然だね、
もしこれが成り立つのであれば日本の歴史を通して甲斐信濃の人間は
優れていることになるが有名なのは壬申の乱と源平の木曽ぐらいで
その木曽も関東武士らを率いる義経に敗北
日本で最も騎馬の運用に優れていたと言われる義経は陸奥や関東武士を率いている
南北朝の争いでも甲斐信濃の将兵は目立たない
室町には小笠原が斉藤妙椿を攻めたけど負けているし
武田信長も関東の兵に負けている、結城合戦で活躍したけど
特に優れていると言う事実は浮かび上がってこないと思うが
関東や陸奥はそうでもないが
>もちろん騎馬
>の特性をフルにいかしてきた信玄の利用の仕方こそが凄いわけだが。
史実で具体的に示してくれ、
仮にフルに運用していたとするなら信玄の野戦の弱さは何
0031人間七七四年
2007/02/20(火) 02:08:59ID:Z64SQjUP0032人間七七四年
2007/02/20(火) 02:32:37ID:Xr6RyoFIを組むときに重要なことが書かれていることは事実なんだよ。
>>30 家康が負けたのは、信玄の作戦に引っかかって浜松城を出てき
た時点で負けだって野てきたの知らないんだねえ、それに武田兵とへろ
へろ三河兵の強さの違いもあるしね。
騎馬の運用の仕方?信濃や甲斐の他の人間じゃなくて信玄がそれに優れ
ていると言ってるんだが頭大丈夫か?そこまで騎馬軍団が気になるんな
ら自分で調べればすむことなのに、こんな2ちゃんでしつこく噛み付い
ても幼稚に必死になって反論してるだけだってのが伺えるよ。笑)
また戦国時代と他の時代を一緒くたにするアホぶりも笑えるww
あ〜あ、理屈で反論出来なくなればいろんな角度で無理に屁理屈並べて
武田を批判したいんだろうけど、「信濃の豪族を抑えて平定」「他の列
強に一度も負け知らず」なのは 事 実 で す か ら 残 念 !!
0033人間七七四年
2007/02/20(火) 02:47:48ID:Xr6RyoFIして幼稚に批判してるだけだね、家康がどうしてあんなに武田の軍略を模
範にしたのか?それは「三方ヶ原以外にも負け続けてた」から何ですが良
く理解されてるんですか?
また、信濃の豪族も戦上手だったいうのを無視して信玄の軍略がどうのこ
うの言う時点で笑えるね。
まあそんなに武田を批判したいんなら、歴史家や大学の教授などに問い合
わせて、自らの意見を言えば良いことだ、気が弱いからそんなの出来ない
って?駄目だこりゃwwww
0035人間七七四年
2007/02/20(火) 03:00:26ID:Xr6RyoFIば す む こ と で す か ら 。
こんなインターネットの書き込み(顔名前を知られないから恥しなくてす
む)でワーワー言ってるお前らは笑えるよ 笑)
俺は資料の良し悪しなんてお前らほど気にしないからね、ただ妄想だけで
信玄は弱いだのと言ってるお前らが笑えるだけ、世間では信玄が最強なの
は誰しも認めることですからね。
北条はなんで今川を見限って信玄と同盟したのかなあ?????
織田家康の対武田の散々な敗北はどう説明するのかなあ????
信濃の豪族は結局どこの家に平定されたのかあ????????
0037人間七七四年
2007/02/20(火) 03:04:38ID:diGBNg2qいわれるものがあるんだけど、信玄の西上は入ってないんだよね。
志賀の陣や、野田福島の戦いに懲りて、内線戦略というものを
きちっと組み立ててたから信玄西上時に余裕はあったわけだ。
まー信玄は途中で陣没して余計な敗戦をしなくてよかったね。
0038人間七七四年
2007/02/20(火) 03:05:18ID:Xr6RyoFI0039人間七七四年
2007/02/20(火) 03:09:46ID:Xr6RyoFIそれより早く答えろよお前ら、信濃ほぼ全土を攻略したことや
駿河を攻略したことや織田徳川に恐怖を抱かせたことなどにつ
いて一 度 も ま と も な 意 見 を 聞 い て
ま せ ん が ど う し ま し た か ?
0040人間七七四年
2007/02/20(火) 03:15:45ID:Xr6RyoFIまさしく英雄そのものだね。
信玄の軍略に嫉妬すればするほど、当時の山国の統治の仕方を侮蔑し
てることに気が付かないアンチはまさしく単細胞そのものだなwww
0041人間七七四年
2007/02/20(火) 03:24:52ID:Xr6RyoFI・北条は何で最初駿河を攻めた武田に敵対していたのに、最終的に
信玄と同盟組んだのかなあ?
・家康が信玄に負け続けたのは何で?
・信長包囲網でどうして武田が一番期待されてたのは何故?
・信玄が戦下手であれば、信濃全土を攻略出来た理由は何かなあ?
結局これに対してまともに反論出来ない時点でアンチの負けwww
0042人間七七四年
2007/02/20(火) 04:03:24ID:eTyBuVRPそれらは別に「甲斐の騎馬隊は最強」じゃあなくても出来ることですから。
信玄が勢力を拡大させた有能な戦国大名であったことは否定のしようの無い
事実だが、それだからといってイコール武田の騎馬隊最強!にはならない。
0043人間七七四年
2007/02/20(火) 05:06:20ID:DLyPnC1pとりあえず、馬は通常平野しか走れない、
山で馬が機動力を発揮することは難しいということを踏まえた上で
発掘の結果から
当時の木曽馬が、平野部の馬と違う特殊な骨格か骨の形かを持っていて、
普通の馬では考えられないほど山を自在に移動できたことは間違いないらしい。
つまり
文献は無いが、考古学的に甲斐や信濃の馬が特殊であったことは事実。
0044人間七七四年
2007/02/20(火) 05:14:58ID:DLyPnC1p現在の在来種が非常に小さい馬であることは事実だが
日本の在来種は、徳川政権下で弱体化・小型化政策が取られており
現在の大きさとはまったく違ったものだった。130cm前後あったと見られている。
ポニーとはそもそも147cm以下の馬を指し、
ポニーの代表として出されるシェトランドポニーは100cmしかない。
つまり、ポニーに分類されること、イコール小さいではない。
また、サラブレットは特殊な改良が加えられており、
通常の馬と比べて圧倒的に重さに弱く、馬力も体力も無い。
つまり、サラブレットを使った実験は何の意味も持たず、
サラブレットより小さい馬だからといって、機動力が無いという理論はまったく成り立たない。
0045人間七七四年
2007/02/20(火) 08:10:14ID:xyGDJP3Vこの手の極右武田厨はいくら相手にしても無駄なんだって。
0046ダイジェスト野郎
2007/02/20(火) 08:33:58ID:d01Lf2Q/1572年(元亀三年)
事実上の宣戦布告
9月26日 武田信玄、遠藤加賀守へ三村兵衛尉を派遣し、
東美濃国内(織田領)に100貫の地を給与した旨を通知。
──『経聞坊文書』
0048人間七七四年
2007/02/20(火) 11:26:52ID:fb9sr2Qf逆に、なぜそんな捏造が発生したのか気になる
帝国陸軍に騎兵部隊が作られたからか?
カネが無いし馬も貧弱だから重装騎兵の編制を取り止めて軽装騎兵一本槍にしたレベルだが……
0049人間七七四年
2007/02/20(火) 12:54:36ID:Xr6RyoFIした大名を、それが証明出来ないと結局「武田騎馬軍団最強」にし
かならないわけなんだが。
その武田の勢力拡大、幾多もの合戦において騎馬が一番重要な働き
をしたから、家康などの敵は「最強武田=最強騎馬団」と認識した
んだろうよ。
0050人間七七四年
2007/02/20(火) 12:59:05ID:eTyBuVRP0051人間七七四年
2007/02/20(火) 12:59:36ID:OLAl20ki0052人間七七四年
2007/02/20(火) 13:04:48ID:OLAl20ki(軍鑑巻6品14)
一備えは約千人。8%程度の騎馬が何しようが戦況に影響が出るとは思えない
馬上のまま一騎打ちでもしてたとか?w
0053人間七七四年
2007/02/20(火) 13:19:34ID:Xr6RyoFI頭に入ってないんだねえ。騎馬の突破力や機動力をいかした陣形
などは頭にないの?
敗走する敵の追撃や自軍の退却、輸送における機動力の時間短縮
など一切無視なの?
史実史実ってそんなに気になるんなら、逆に武田が騎馬を重要し
ていないっていう証拠でもあるっての?
それからいつも思うんだが、武田が騎馬を使用しようがしまいが
武田の強さの有無に何か関係でもあるっての?
0054人間七七四年
2007/02/20(火) 13:25:27ID:eTyBuVRP悪魔の証明
この時点でおまえは議論の場からは存在を無視される。
このスレのみなさんはやさしいからかまってもらえるんだよ。
0055人間七七四年
2007/02/20(火) 13:25:57ID:OLAl20kiだからそういうことしたという史料があるなら出せと
無いならお前の妄想だろう?だったら違うってこと
あと悪魔の証明を要求されてもこまるぜ( ^∀^)
0056人間七七四年
2007/02/20(火) 13:39:55ID:Xr6RyoFIはっきり言ってそういうこと気になってるのは明らかにお前らの
方なんだよ。笑)
悔しがってそうやってレスで煽るようなことしても無駄だと何度
教えても理解出来ないんだねえ、ほんとたちの悪い子供だこと。
武田が気になればきになる程、自ら資料を調べる為に行動するの
は当然のことだからね。
それに完璧な資料とまではいかなくても、様々な本、こういうイ
ンターネットからでも色々検索してちゃんと書いてあるんだから
そういうことまでも安易に批判ばかりするっての?
0057人間七七四年
2007/02/20(火) 13:42:06ID:swTiC0zFつまり、お前には提示できる史料が一つもないわけだな?
その癖えらそうに妄想垂れ流した挙句、挙証責任を相手に押し付けるわけだな?
ここまで無様な武田厨、もうとっくに絶滅したもんだと思ってたwwww
それじゃ全否定は当然だ
0058人間七七四年
2007/02/20(火) 13:48:37ID:Xr6RyoFI結局俺が提示してやらないといけないんだねえ、やっぱ低脳で
どん臭い学生君は自ら行動を起こすという概念が欠落してます
ねこりゃあ。こんな程度の史料は今や誰でも知ってますからね。
0059人間七七四年
2007/02/20(火) 13:52:07ID:DLyPnC1pしかし、なぜ武田を騎馬軍団にしたのかは謎だな。
どんなに講談でも、作り話を作る過程で
武田と騎馬を結び付けた根拠が
小さいなりに何かあるんだろうと思うが。
何の根拠も無いなら、武田槍軍団にしたって問題はないはずだ。
なぜ武田=騎馬にしたのか、気になるところだ。
0060人間七七四年
2007/02/20(火) 14:13:22ID:Xr6RyoFIだけだし、それに戦国時代の軍団だからね、戦闘が日本中で起こって
る時代の最強軍団。
それにしてアンチ共はぐうの声も出なくなっちゃった?まあどん臭い
今川や弱兵の北条なんかをマンセーしてるアホには永遠に嫉妬される
運命なんだね武田は。
0061人間七七四年
2007/02/20(火) 14:49:49ID:zYK94GY5北条は羽状別としてほとんど国力で説明できるだろ
>>43
ただそれはもっともなように聞こえるけど
実際の戦場や交通路は平地とまではいかないにしても
そんな険しい山じゃないし
日本全国ある程度の山野はあるからどの大名も山を自在に移動できる
騎馬は持っていたことになるんじゃないか
駿河や遠江だって山間部は凄いし美濃だって北・東の山は険しい
甲斐信濃より飛騨の馬の方がより特殊な可能性だって出て来る
>>58
それがソースになるんだったら2chの書きこみだろうがNHKだろうが何でもソースになると思うぞ
つーか武田好きの品位が下がるから荒らすな煽るな直リンするな
>>他の人
>敗走する敵の追撃や自軍の退却、輸送における機動力の時間短縮
結局これを何とか証明しないと無意味な議論だな
追撃は一言坂や第4次川中島、
退却は46年ぐらいの小笠原焼き討ちからの撤退・砥石崩れ・三増峠
輸送における機動力の時間短縮は川中島への移動速度・西上戦での甲斐からの移動速度を
天正壬午の徳川北条の移動速度・武田征伐時の織田軍の速度辺りで比較してみる
こんなところかな?
0062人間七七四年
2007/02/20(火) 14:50:27ID:zYK94GY5北条は別としてほとんど国力の差で説明できるだろ
0063人間七七四年
2007/02/20(火) 14:50:45ID:flTdjE4g義元死後の混乱、衰退している今川に同盟破棄してあろうことか嫡男、重臣まで殺しちゃって結局武田滅亡の原因を作った武 田 信 玄 ww
そして悪魔の証明を要求するキチガイメガトンww
都合の悪い資料は完全無視ww
最強?長野業正にはどうだったの?
最強なら弱兵の北条ごとき滅ぼしているよね?
お前のレベルに合わせてやったんだからなww
0064人間七七四年
2007/02/20(火) 15:09:10ID:Xr6RyoFI手の打ちようもない程人格破綻してるのはわかるが、俺の貼ったもの
にいちゃもんつけてる時点で、ろ く に 調 べ も し な い
で 基 地 外 み た い に 喚 い て る だ け だ っ
て の が 永 遠 に 理 解 出 来 な い ん だ ね え
全くのデタラメであれば、どうしてインターネット上にこんなのが出
るのかなあ、多くの史料にどうして武田が他より秀でているような史
料が残されてるのかなあ?結局妄想だけで、アンチ武田やってる自分
が哀れと思わなきゃね^^
甲斐信濃と周辺の国の地理地形を一緒にするとは恐れ入った、そんな
こと言う学者作家なんかがどれだけいるんだろうねえ、デタラメな屁
理屈ばかり言っちゃってまあ^^
0065人間七七四年
2007/02/20(火) 15:15:35ID:Xr6RyoFIたのは北条だからねえ、悔しいんだねえ。
北条は元々後ろ盾のつもりなのに敵対してきたのは北条の方だったから
ねえ、滅ぼす必要なんてなかったからねえ、ちなみに北条が武田に勝っ
た試しでもあるの?悔しいんだねえ。
それから駿河をほうっておけば、家康が進行してくる危険があったから
正当な行為だからねえ、悔しいんだねえ。
0066人間七七四年
2007/02/20(火) 15:32:58ID:Xr6RyoFI・世間で大人気の最強武田信玄、最強武田家臣団、最強騎馬軍団
という華々しさに嫉妬し、ひたすら今川のしょぼさを後ろめたさ
に感じながら、武田を叩きたがる毎日。
・「史料を提示しろ!」この言葉を全面に押し出せば、武田ファン
は黙るとでも思ってるんだろうが、自らが史料をろくに調べもせず
ひたすら妄想だけで、武田の史実を捻じ曲げたがる程愚かな性格。
・基本的に今川を持ち出して武田にかなわないとなると、織田や北
条など他の大名を持ち出して武田叩きを開始、武田より優れている
証拠を理屈で何一つ提示出来ないアホぶりww
・武田の領土(甲斐信濃)の特性に合った戦略戦術軍の編成が他の
大名に出来るわけは無いのだが、それすらも強引に「他大名にも出
来たことだ!」などと嘘吹く程愚かな性格。
・大名によって軍略や政略外交なんてのはやり方に差があって当た
り前なのを、一々他大名を持ち出して屁理屈を言いながら信玄を叩
く毎日。
・戦略上の小さな合戦を、さも大々的に「武田の負けだ!」と必死
になる始末、例を上げれば武田と北条が駿河で対峙した時、武田は
状況の悪化から一端兵を引いたが、その時点で武田の負けと彼らは
言う、その後の三増峠などの合戦で結局武田が北条を抑えて駿河平
定を完成させた戦略上の成功を全く無視する始末www
0067人間七七四年
2007/02/20(火) 15:42:17ID:tWFnxIpd0068人間七七四年
2007/02/20(火) 15:48:18ID:Xr6RyoFI・「史料を提示しろ!」とか自ら指摘しておきながら、結局提示して
やってもろくに読みもせず、ひたすら単細胞な脳みそで屁理屈と妄想
のみをぐだぐだと喚く程愚かな性格、おまけに「直接リンクするな」
だって 爆笑) もうここまで性格歪んでれば永遠に社会で生きてい
けないね。
・信玄が騎馬を活用した証明になる資料なんていくらでもあるのは事
実なものを、ひたすら全否定したがる程「武田には無いもの」と決め
かかる性格は幼稚園児そのものだ。
・あげくには、甲斐特産の馬のことまで否定する始末、傾斜を自在に
走れる筋力耐久力を兼ね備えてるのは甲斐の馬だけなのは事実なのに
それすらも否定する姿は哀れになってくる。
・仮に全国で甲斐の馬のようなのがあったとしても、信玄程軍略に活
用した人物はいない以上、武田の騎馬軍団のみがナンバー1であり、
オンリー1であったのは間違いないのに、アンチときたら「そんなの
信玄以外でも出来たことだ」と言う始末、基本的に誰でも出来るなど
という感覚してるアンチは見るに堪えないというか爆笑ものだこりゃ
0069人間七七四年
2007/02/20(火) 16:07:19ID:Xr6RyoFI「最強=武田の代名詞」この2文字は言うまでもないが根拠が十分に
ある、まあ単細胞人格破綻のアンチに今一度教えてやると
・諏訪 村上 小笠原 など強力なライバルは多かったが、結局それ
らの敵に打ち勝って信濃平定したのは武田である、そもそも信濃だけ
で70万石もあるほど版図が広い為一概に「時間がかかりすぎ」とも
言えないのである。
・信玄生前までは、甲斐と信濃が他国に侵されたことは無い、これは
有力大名の中で、信長家康謙信氏康義元などには出来なかったこと。
・東海攻略における、北条撃退 今川攻め 織田徳川撃退などがまさ
しく武田信玄とその軍団が最強と言われる所以であったと思う。
結局信玄の信濃攻略以降の列強は、武田軍に勝つことが一度も出来な
かったと言える。
・アンチからすれば「東海攻略に4年もかかって駿河しかまともに
平定していない」と言い訳するが、北条や上杉などのけん制があった
ことなどもう忘れているわけである、まあ叩く為のネタにしてるだけ
であろうが。
0070人間七七四年
2007/02/20(火) 16:13:44ID:diGBNg2q出させるわけだが?
名馬の類は、そんな用途には使わないと思うよ?
0071人間七七四年
2007/02/20(火) 16:21:39ID:Xr6RyoFI0073人間七七四年
2007/02/20(火) 16:41:12ID:Xr6RyoFI0074人間七七四年
2007/02/20(火) 16:46:54ID:AUVAIGCH>武田軍はこの点で他国の戦国大名たちよりも格段に優れていたのでしょう。
調教はわからんが保有数はそんなに多いわけじゃないのは実証済みだよな。
つうか、そのソースだと運用法が騎馬隊というより荷駄隊の延長戦みたいなもんじゃね?
0075人間七七四年
2007/02/20(火) 16:57:44ID:Xr6RyoFI敵撹乱の方が信玄らしくていいと思う。
0076人間七七四年
2007/02/20(火) 18:17:56ID:Xr6RyoFI武士階級の高かった武田は騎馬武者も多かったというし。
0077人間七七四年
2007/02/20(火) 19:29:21ID:Xr6RyoFI密集型の突撃部隊が存在しないからって、輸送や追撃などに利用
することまで完全否定するんだもんな、散々いい気になって武田
を叩いてきたつもりが、結局自ら自滅行為になっちゃったね。
まさしく信長を侮っていた義元そのものだな、ハハハハハハ!!
0078人間七七四年
2007/02/20(火) 19:36:55ID:YTvMILsE0079人間七七四年
2007/02/20(火) 19:48:21ID:jTz4e0Y70080人間七七四年
2007/02/20(火) 20:25:19ID:TIPJ3fcd輸送=荷駄隊のような扱いなら、馬を利用するなんて常識中の常識であり、輸送でどう馬を上手く使うのか具体的な内容を教えてくれ。
あと自分の過去の発言にも責任もてないなら、煽る資格もないからとっととうせろ
0081人間七七四年
2007/02/20(火) 20:37:09ID:cWWMMzjg周辺を山で囲まれた武田にとってはそれは大きなアドバンテージだったんじゃないかな?
008270
2007/02/20(火) 20:44:24ID:diGBNg2q基本的に走らない。走っても遅い。
名馬は、もちろん武士が乗る。替えの馬もそのようとに使う。
自分の馬を荷駄に使われるといったら絶対に拒否する。
まあ、ディープインパクトを牧場で客を乗せる馬に使わないのと同じだね。
0083人間七七四年
2007/02/20(火) 22:07:19ID:Xr6RyoFIやっぱり>>77みたいなレスしたら、噛み付いてきたな、もう何回も
同じこと言ってるんだけどねえ、幼稚園児じゃないんだからさあ。
お前の後の>>81のレス見て少しは勉強しろ、俺もせっかくWEB貼
り付けてやったりしたのに何が気に入らないんだか。
「武田の騎馬軍団説」「優秀な甲斐の馬」これを連想しただけでも
軍略に生かしたってのがわからなきゃ駄目、ひらめきと発想が無い
なら最初からこんなスレに生息するなばーーーか。
進撃ルートが限られた山国で、険しい道を行き来出来る輸送隊があ
れば、機動力の向上に繋がりまーーーす^^
軍の進撃において兵糧などを馬に積んだ輸送隊が一番困難だっての
すら知らなかった?通常の駄馬では傾斜を行き来出来ませーーーん
てゆうより、もう一度俺の貼ったやつ読み返せよなあ^^
0084人間七七四年
2007/02/20(火) 22:14:12ID:Xr6RyoFIの支城を落とす為にどのようなルートから武田軍はやってくるのか、敵は戦々
恐々とするわけですよ、「はやきこと風の如く」機動性を改善させた武田軍は
次々と敵を撹乱させ落としていきます。
0085人間七七四年
2007/02/20(火) 22:37:50ID:eTyBuVRPつまり武田の荷駄軍団は戦国一優秀ということか。まあそれについてはとりたてて
否定するつもりはないけれども。
0086人間七七四年
2007/02/20(火) 22:41:31ID:cVkYU+Zf>早く正直になれよ、WEBを見てやっぱり騎馬軍団が存在していたこ
>とが悔しいんだろ?
なにを言っているのかな?
なんども言うけど、
君が貼り付けたwebのページでは
「騎馬軍団は無かったが騎馬の運用は優れていた」で
君の主張は
「突撃をするような騎馬軍団はないが、騎馬の運用は優れていてそれを騎馬軍団と呼んでも差し支えない」
というものだろ?
どうして騎馬軍団がないと言うWEBのページを見て、
騎馬軍団があると思い知らなければいけないんだ?
0087人間七七四年
2007/02/20(火) 22:54:57ID:DhV5pvlO0088人間七七四年
2007/02/20(火) 22:55:45ID:Xr6RyoFIんな細かいこと気にすると思ってるの?
じゃあ「騎馬軍団」というの定義は100パーセント「突撃する軍団」
っていう証明でもあるのかよ。
敵から見れば合戦にしろ進撃にしろ追撃にしろ「武田=騎馬」という
恐怖心があったのは事実なんだから別に問題ないだろ、それだけ他国
より騎馬の運用の仕方が優れていたんだしね。
0089人間七七四年
2007/02/20(火) 23:00:28ID:Ow3ITJWQ0090人間七七四年
2007/02/20(火) 23:01:19ID:3mqR8mu0豚ちゃん(´;ω;`)かわいそうです
0091人間七七四年
2007/02/20(火) 23:13:13ID:Xr6RyoFI騎馬軍団の証明の一つになるな。
0092人間七七四年
2007/02/20(火) 23:28:44ID:3mqR8mu0そうっすね
今日は早く寝ないと仕事に差し支えますよ
0093人間七七四年
2007/02/20(火) 23:30:35ID:TIPJ3fcdいい加減相手するの疲れてきたな・・・
0094人間七七四年
2007/02/20(火) 23:55:25ID:Xr6RyoFI何々の何々の何々の」ってだけで、自分から史料を確認しないもんだ
から何も武田のこと理解出来ていないようだね、まあ周辺の雑魚敵ば
かりマンセーしてるから武田のこと見えないだけなんだろうけどね。
嫉妬すればする程「武田のブランド力」を全否定したくなるもんだ。
0095人間七七四年
2007/02/21(水) 00:31:47ID:JUl0LuhL0096人間七七四年
2007/02/21(水) 05:40:13ID:OsITV6vyもういいんだよめがとん。
0097人間七七四年
2007/02/21(水) 07:57:03ID:eez3+yUk>そんな険しい山じゃないし
平野に比べて、山岳部の通行に使える部分が圧倒的に少ないのは確かでしょ。
平野部の人間が、道と思わないような所を、武田軍がすばやく移動したとしたら
相当に脅威でしょうね。
>日本全国ある程度の山野はあるからどの大名も山を自在に移動できる
>騎馬は持っていたことになるんじゃないか
馬産地のレベルとしてどうだったのか、ということになりますね。
本来、馬は山岳部には居ないものであるわけですから。
同じ様な山岳部でも、馬の質が違うなら、その性能はまったく違ってくる。
できれば、武田軍が独自の馬の調教技術を持ってる資料でも出てくれば完璧なんだけど。
>甲斐信濃より飛騨の馬の方がより特殊な可能性だって出て来る
飛騨には、中央戦国史に大大名は居ませんでしたよね。
山岳部の馬産地としては東北が挙げられると思いますが、
東北は、中央戦国史に関わらないので、除外していることを述べておきます。
0098人間七七四年
2007/02/21(水) 08:06:47ID:eez3+yUk1つ逆の意見をしたいと思います。
武田が本当に騎馬の優位性(運用法とか調教法とか)を持っていたなら
絶対、甲陽軍艦で自慢してるはず。
0099人間七七四年
2007/02/21(水) 08:13:36ID:eez3+yUkそんなに絶対として語ることはできないでしょう。
山本勘助だって、ついこの間までは架空の人物で存在しない、ということにされていたわけです。
しかし、今は違うことがわかった。
こういうことが騎馬軍団に起こる可能性はあるでしょう。
0100人間七七四年
2007/02/21(水) 08:45:38ID:oqr1bDjcそれは市川文書で使番の菅介という人が実在する、というネタを軍鑑の軍師・足軽大将の山本勘介だ!と無理矢理こじつけただけ
軍鑑の記述によればとっくに足軽大将になってる時期に使番やってる同名の人間がいたからってその本人の証明にはならないよ
そんな間違った認識を例に出した都合のよい未来図を想像されてもねw
0101人間七七四年
2007/02/21(水) 08:47:02ID:XXupo6NN0102人間七七四年
2007/02/21(水) 09:24:14ID:SfhGYpIM相手が何もしないで無防備なら、騎乗したままでも斬り付けるのは簡単だろう。
だが実際には、相手も当然武器を構えて抵抗する。重い鎧を身につけた上に、馬上という条件が重なれば、身動きは非常に取り辛くなる。
そんな状態で、相手の武器と自らの武器がぶつかり合えば、その衝撃で体勢が崩れてしまう。
臨機応変に動かなければならない戦場で、手綱を放して武器を扱い相手と斬り結ぶというのはよほど修練を積んだ一部の者にしか出来ない。
だから、旗本とかの手練が数十人規模というなら存在したかもしれないが、何千人規模でのものは存在しえない。
0103人間七七四年
2007/02/21(水) 09:56:05ID:d8dMv9tbと言う突っ込みはどうだろう。
騎馬の定義を勝手に決めるなって言いだすかな?
0104人間七七四年
2007/02/21(水) 13:57:23ID:SfhGYpIM「神君家康公」が目立った大敗をした相手だから信玄や家臣団が「最強」でなくてはならない。
実際に資料を探してみても、一般の人がイメージするような騎馬軍団の存在は確認出来ないし、
江戸時代から土台が築き上げられてきて、歴史小説とかの演出でイメージが定着してしまったのかな?
0105人間七七四年
2007/02/21(水) 17:29:12ID:vtut36JR西洋の騎士軍団はどうかな?あいつらめっさ重い鎧つけて
武器を振り回して戦ってるけど。数も結構多くなかった?
0106人間七七四年
2007/02/21(水) 17:51:07ID:YQ8hA7x1その後、歩兵が突撃。
0107人間七七四年
2007/02/21(水) 18:00:23ID:SfhGYpIM西洋と日本ではそもそも馬の種類も違うし、何よりも大きいのは運用方法の違い。
西洋の騎兵ってのは、ランスを構えて突撃して同様にランスを構える敵とぶつかりあっていくのが前提の戦い方。
そして初撃の後にランスを捨てて武器を剣に変える。
武器が(片手)剣なら手綱も片手は握ったままでいけるが、日本戦国期の場合に主に使用された槍では両手でしか扱えないから手綱を握れない。
条件が根本から異なっているから、日本戦国期のものと違い西洋の騎兵軍団は成立する。
0108人間七七四年
2007/02/21(水) 18:04:17ID:vtut36JRあれは接近では太刀を主に使いつつ、遠距離で弓矢を使うという形だね。
0109人間七七四年
2007/02/21(水) 18:04:47ID:b0v75heU西洋の騎士も下馬が基本だよ。時代によるけどね。
あくまで推測話しだけど、騎馬隊の運用方法は様々な使い方があったのではないだろうか?
1.重装の兵士を前線に送り込むための下馬を主眼とした兵員輸送車的使い方。
2.隊列を崩す事を主眼とした下馬をしない撹乱的使用方法。
3.敵への稜線射撃を主眼とした高速移動を目的とした移動射撃中心の運用方法。
何十年も戦をしていたわけなんだし、自分の命のみならずお家存亡の危機がかかっていたり
するんだから頭でっかちに戦っていなかったような気がするんだけど、どうなんだろ?
0111人間七七四年
2007/02/21(水) 18:23:11ID:vtut36JRさまざまな使い方があったという点では同意。
一応戦国期における使い方としては
乗込・・・少数の騎馬武者を出して敵陣に行う威力偵察
乗切・・・敵陣の崩れた部分に10騎くらいで乗り入れてかく乱。
乗り崩し・・・敵陣に徒立の兵と一緒に一気に突撃し突破して蹂躙する。
という主に3つの使い方があったそうだ。
でも下馬を主眼とした兵員輸送的な使い方もやっぱり大きかっただろうね。
馬上から弓を使うのは戦国ではなんか聞かないね、どうしたんだろうね?
0112人間七七四年
2007/02/21(水) 18:27:54ID:eez3+yUk日本の1/5だか1/10だか。
その程度でいいなら、武田でも全兵騎馬にもできそうだ。
0113人間七七四年
2007/02/21(水) 18:37:53ID:vtut36JRこいつらも多くは下馬騎兵だったのかな。
その割には馬ごと突っ込んで泥に足をとられて動けなくなったというのがよく
いわれるね。あおりでも皮肉でもなく気になった。
0114人間七七四年
2007/02/21(水) 20:08:17ID:gL6htaymこれはこのスレでは常識なの?
昔来た時はこんなに過剰な武田最強論者はいなかったのに随分変わったなぁ。
あんまり武田万歳すぎると逆にアホに見えるわ。
誰がなんといおうと武田は強かったし、その中でも信玄時代はさらに強かったわけだから。
自信を持っておくれやす。
0115人間七七四年
2007/02/21(水) 20:33:35ID:aaUDGXku0116人間七七四年
2007/02/21(水) 21:42:11ID:FDfL9veo馬上槍試合など、騎馬突撃に対する鍛錬がしっかりあった。
チャージという専用の用語まで存在する。
下馬騎兵として、東ローマのタギネーの会戦など実例はあるものの、
主流としては重騎兵の突撃が重視されていた。
ただ、純粋な騎兵からなる編成ではない。
時期や国にもよるが。
徒歩で戦う従士や旗持ちがおり、
騎士の周囲を守って戦っていた。
0117人間七七四年
2007/02/21(水) 21:50:46ID:ziTFSUBNそ れ は 大 河 ド ラ マ で 久 々 に 武 田 が
主 役 に な る の が 悔 し く て こ れ 以 上
武 田 ブ ラ ン ド が 全 国 に 浸 透 す る の
が 腹 立 た し い か ら な ん で す ね ^^
0118人間七七四年
2007/02/21(水) 21:51:59ID:FY6lGvqJ0119人間七七四年
2007/02/21(水) 21:59:37ID:ziTFSUBNなどもそれに関して誰も否定してないし。
・信玄生前は、有力大名の中では武田のみ領土を荒らされたことは無い
・武田の駿河攻めを阻止したかった北条は結局武田に破れ、今川上杉と
の同盟を破棄して武田と同盟へ
・クソ漏らしは結局一度も武田には勝てず
・武田の東美濃侵攻を織田は許してしまう
・結局上杉は北信濃を守ることが出来ず
0120人間七七四年
2007/02/21(水) 22:07:00ID:FY6lGvqJ>信玄生前は、有力大名の中では武田のみ領土を荒らされたことは無い
あのー、川中島は・・
>武田の駿河攻めを阻止したかった北条は結局武田に破れ、今川上杉との同盟を破棄して武田と同盟へ
上杉がバカな上に関東に兵を割かなければいけなかった それを含めて考えていれば大したもんだがそんな先見の明があるならあんなバカなことしないよねwww
>クソ漏らしは結局一度も武田には勝てず
石高の差を考えろよカスwww 三河が30万石ちょい、遠江は20万石ちょい 三河の一部は織田が持っていたから30万石ちょい これで120万石の武田に勝つのは無理
北条氏康や毛利元就は一応こういう風なことをやっているが相手が寄せ集めだったりしてた つか不利すぎるだろ
>武田の東美濃侵攻を織田は許してしまう
どうせ3000の兵だろ 織田は雑魚の武田に構ってるほどヒマじゃなかった 褒めるなら本願寺や朝倉を褒めろ
>結局上杉は北信濃を守ることが出来ず
川中島で弟と重臣殺してるくせにwww あんだけの大損害で得たのがこれっぽっちの領土ですかwww あれだけの損害なら信長なら200万石は手に入れれてるねwwwww
0121人間七七四年
2007/02/21(水) 22:07:51ID:FDfL9veo0122人間七七四年
2007/02/21(水) 22:09:36ID:vtut36JR0123人間七七四年
2007/02/21(水) 22:16:05ID:FDfL9veo中国などの東アジアはよくわからないな。
日本に影響を与えているとすれば朝鮮と中国だと思うのだが。
モンゴル高原の遊牧民はは別格として。
0124人間七七四年
2007/02/21(水) 22:26:30ID:pZbQ90+B>じゃあ「騎馬軍団」というの定義は100パーセント「突撃する軍団」
>っていう証明でもあるのかよ。
そういう定義のWEBのページを君が貼り付けるのが悪い。
自分で貼り付けて定義がおかしいって
君は頭大丈夫か?
0125人間七七四年
2007/02/21(水) 22:56:40ID:vtut36JR三河の領地が一部信長領で1572年くらいの家康の領地が30万石って
本当か?信秀までには三河にも一部領土があったけど太原などに取り返されて
家康が独立する時にもとってるので三河に織田の領地はなかったように思うのだが。
もし家康の領土が減ってるならそれは信玄の侵攻によるものじゃないか?
信玄は三河遠江を結構取ってるし。
0126人間七七四年
2007/02/21(水) 23:03:24ID:BIX6kghk0127人間七七四年
2007/02/21(水) 23:05:58ID:vtut36JR0129人間七七四年
2007/02/21(水) 23:11:46ID:vtut36JR家康の直営軍だろ?
それらをあわせればテンプレ道理一万一千を超えるんじゃないか?
0130人間七七四年
2007/02/21(水) 23:13:10ID:vtut36JR0131人間七七四年
2007/02/21(水) 23:17:46ID:FY6lGvqJ三河30万石ちょいも1/4ぐらい織田や武田に取られてたし25万石ぐらい 遠江は支配が磐石じゃない
30〜40万石程度になると思うが・・
0132人間七七四年
2007/02/21(水) 23:25:38ID:BIX6kghk前は詳細な説明と共に
三河遠江の72年と73年のそれぞれの支配率がテンプレに入っていたけど
今は省略されるようになっているからな〜
0133人間七七四年
2007/02/22(木) 00:37:52ID:hF59YGSBも領土化することが出来たってのを知らないんだねえ。
武田VSクソ漏らしの戦いは、三方ヶ原以外は、細かな合戦ばか
りだったろアホめが、石高の差なんて関係あるかよ、一度も勝て
なかったんだからねえクソ漏らしは。
0134人間七七四年
2007/02/22(木) 01:44:05ID:hF59YGSB騎馬軍団の言葉の意味が気になってるのはお前の方だろ大マヌケが笑)
言葉の定義なんてどうでも良いの、お前がしつこく噛み付いてるだけ
0135人間七七四年
2007/02/22(木) 02:02:42ID:LV04qQGc0136人間七七四年
2007/02/22(木) 06:09:13ID:7broRJEy漢民族の軍隊は 常に周辺の騎馬遊牧民に脅かされていた
彼らに騎兵戦で対抗するのは事実上不可能つーことで 常に歩兵が軍隊の主力だったって事情もあり
騎兵戦術が高度に発達する素地があまり無かったって事情がある
また 西洋と比べると 根本的に人口がクソ多く 大規模な歩兵軍を動員・維持しやすかったことも 騎兵の発達を阻害した原因
装具技術的には西洋のそれを上回るか 少なくとも遜色ないレベルにはあったはずだけどもね
0137人間七七四年
2007/02/22(木) 09:16:46ID:JEnR1/JH逆に言えば、石高の差も関係しないような小競り合いの勝敗なんて持ち出すの?
武田最強説を肯定しようと必死すぎで見てて哀れ・・・
0138人間七七四年
2007/02/22(木) 09:39:50ID:hxTeF1Mj元気が無いぞ?
前みたいに一日中2ちゃんに張りつかないのか?
0139人間七七四年
2007/02/22(木) 13:48:47ID:iysula1Q0140人間七七四年
2007/02/22(木) 14:24:58ID:hF59YGSB武田最強説に気が付かず、ひたすら嫉妬レスだけを続けて年をと
っていく人生を送るがよろしwww
石高に差があろうがなかろうが、一度も勝てない時点で「武田の強さ」
+「織田とクソ漏らしの弱さ」は当然成り立つってことだよ。
これについて哀れに必死に反論してるのはアンチですからねえ。笑)
0141人間七七四年
2007/02/22(木) 14:30:20ID:Id6yncvw確かに石高では圧倒的なのに武田軍負け続けだ。納得
0142人間七七四年
2007/02/22(木) 14:31:22ID:jVjA7xG80143人間七七四年
2007/02/22(木) 14:47:36ID:UlOPEqV8城攻めの失敗は負けには入らねーよww
0144人間七七四年
2007/02/22(木) 14:52:35ID:Id6yncvwへぇ、じゃあ信玄はその程度の相手に「あいつがいる間は上州には踏み込めない」と泣き言言ったわけかぁ
信玄を持ち上げてるようで凄く貶してるねw
もしかして手の込んだ誉め殺しだったりする?
0145人間七七四年
2007/02/22(木) 14:57:58ID:o8ajVfHe横からすまんが、よく聞く言葉だけど、ホントにそんなこと言ったんかなw
誰かに送った書状とかで残ってるの?知ってたら教えてほすぃ。
0147人間七七四年
2007/02/22(木) 15:10:19ID:Id6yncvw軍鑑だったはず
もっとも名将言行録のほうに業正が真田幸隆の出奔を見逃す際の書状に「ワシがいる限り信玄に馬を飼わせはしない(支配させないという意味)ぞ」と書いてるから、それが変化した可能性もあると個人的には思ってる
0148人間七七四年
2007/02/22(木) 15:15:24ID:Id6yncvwよく思うんだけど、東国では付け城戦術って無かったのかね?
謙信にも唐沢山城の佐野氏を十回攻めて十回撃退されている例がある
0149人間七七四年
2007/02/22(木) 15:22:14ID:wmXvmg6M十分優秀だよ信玄は
0150人間七七四年
2007/02/22(木) 15:26:58ID:hF59YGSB他の地域を領土化して力つけていけば問題ないしね、無理に難攻な城を
攻めないのも兵法だ。
長野業正>>>>>>>>>クソ漏らしってことでOK?
0151人間七七四年
2007/02/22(木) 15:32:48ID:hF59YGSB永禄元年(1558年)には武田信玄率いる1万3千の軍勢を、業政は上州勢2万を率いて妙義山の東にある瓶尻の原で迎撃、約8時間にわ
たり激戦を展開した。業政自身も槍を取って奮戦したが、統制が取れずに敗退した。
1557年って言えば、まだ信玄が北信濃を領土化してない時期だな、上杉
との対立が主な時期に無理して攻めようとしなかったんじゃないか?
0152人間七七四年
2007/02/22(木) 15:32:58ID:iysula1Q0153人間七七四年
2007/02/22(木) 15:35:38ID:UlOPEqV8見て取れるね。
0154人間七七四年
2007/02/22(木) 15:39:43ID:/MQJbNYv縁戚を裏切ってまで領土増やす必要ないし
領民が離散するほど税金かけなくてもよかったし
治水工事やる苦労もしなくて済んだわけだから……
マジ信玄贔屓を演じるアンチじゃないの?
0155人間七七四年
2007/02/22(木) 16:16:35ID:hxTeF1Mj0156人間七七四年
2007/02/22(木) 16:50:21ID:2hAU1lVP武田家の内情が信長に筒抜けだったのは、どう考えても(史料からも)、
三条の方→三条家→京の公家衆→信長
のルートだよね。違うかな?
0157人間七七四年
2007/02/22(木) 17:13:41ID:N+Zs/Gys信長が京を抑えたのも1568年の後半だし、違うんじゃないか?
どこの大名だって情報収集はやるだろうし。
0158人間七七四年
2007/02/22(木) 19:45:01ID:hF59YGSBんだねえ、信虎追放後にすぐに甲斐で始めたんですが知らないの?
低脳アンチは未だに駿河攻めを正当とは認識したくない幼稚園児ww
信濃という極めて特異的な地形で合戦をこなすということが、どれだけ
難しいか全く理解出来ないアンチは低脳そのものww
0159人間七七四年
2007/02/22(木) 20:34:10ID:hF59YGSB信虎の方がましとか抜かしてるアンチはもう全国的な笑いものだね
http://www17.plala.or.jp/msak/takeda.html#singen
0160人間七七四年
2007/02/22(木) 20:37:58ID:/kLo0qXx信玄堤すら、近年の研究ではかなり疑問視されているのを知らないらしい。
>>150
その理屈だと、どう考えても信玄より信長の方が上だな。
0161人間七七四年
2007/02/22(木) 20:38:35ID:hF59YGSBに使い戦に参加するよう積極的に促し風林火山を旗印に武田軍として領
土を上手くまとめていった。そうした信玄の働きもあって甲斐国はしだ
いにまとまり着実に武田軍は勢力を伸ばし、信濃へ侵攻していった。
信玄率いる武田軍に攻められた信濃の豪族たちは信玄を倒すため結束し
信濃の塩尻峠に集結した。信玄はすぐに進軍を開始したが、敵を目の前
にして突如進軍を止めた。武田軍を待ち構えていた信濃の豪族連合は不
審に思いながら信玄の出方を待った。しかし1週間が過ぎてもいっこう
に動かない武田軍に信濃軍は油断しはじめた。その時、信玄率いる武田
の騎馬部隊は一気に進軍し数時間で敵陣のもとへ進み攻撃を開始した。
不意をつかれた信濃の軍勢は総崩れとなり、次々と逃げていった。好機
をじっくりと待ち、相手が隙を見せたら一気に攻める。
信玄は風林火山の戦略で確実に相手を倒し領土を拡大していった。
0163人間七七四年
2007/02/22(木) 20:41:04ID:hF59YGSB長篠の合戦でどうしてあんな馬防柵が必要だったか全くしらない
んだねえ、可哀想にww
0164人間七七四年
2007/02/22(木) 20:42:11ID:hF59YGSB甲州法度之次第という法律を制定したり、領土の整備に力をいれたりと
民の信頼を得ると同時に、領地の生産性を高め勢力を伸ばしていった。
信濃の大半を手中に治めた信玄は、さらなる領土拡大のために
越後(新潟県)に向け進軍を開始した。
しかし越後へ入る前に新たな強敵が現れた。
その強敵とは越後の上杉謙信。このとき謙信はおよそ24歳で
若くして越後を統一したばかりだった。
0165人間七七四年
2007/02/22(木) 20:45:55ID:hF59YGSBhttp://www.sengokushi.com/gote/b00210.html
0166人間七七四年
2007/02/22(木) 20:52:34ID:hF59YGSB非難し出したかww
http://www.bekkoame.ne.jp/~fk0985/kai/index.html
0167人間七七四年
2007/02/22(木) 20:55:01ID:hF59YGSB普段は穏やかな流れであるが増水すると急流となる御勅使川が、釜無川にほぼ真横から合流するため、その対岸に溢れて水害を引き起こしていた。
信玄は家督を継ぐとすぐ、ここの水防工事に着手した。
まず御勅使川の流路を変え、釜無川との合流点をやや川上側に移した。
ここには対岸に『竜王高岩(りゅうおうたかいわ)』と呼ばれる堅固な岩盤でできた自然の崖があり、合流した御勅使川の水流をこの高岩にぶつけることによりその勢いを弱めたのである。
上の写真が竜王高岩。高さ14〜15mの絶壁が、ほぼ50mにわたって続いている。
南アルプス山麓 夜叉神峠の方向から甲府盆地へ流れ出てくる御勅使川、武田氏の領国となる以前より度々水害を引き起こし、それを鎮めるため帝の勅使が3度も訪れたことから、この名が付けられたという。
現在、釜無川とは高岩よりさらに川上で合流しているようだ。
上の写真が現在の合流点。左の写真で手前の二筋が御勅使川、写真の奥から流れてくる釜無川と右の写真のように双田橋の辺りで合流している。
0168中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/02/22(木) 21:00:53ID:bjCdCLkb0169人間七七四年
2007/02/22(木) 21:04:53ID:sgfrWoct弱腰で侵攻能力ないんだからwwwwww
0170人間七七四年
2007/02/22(木) 21:09:17ID:D2sBAY0o0171人間七七四年
2007/02/22(木) 21:21:06ID:hF59YGSB川の流れを柔らかく受け止め、背景地を守るとともに、大きな洪水の際は、溢れた水が下流の隙間から再び川に戻っていく仕組みになっている。
現代のような強力な堤防を作ることができなかった時代の知恵である。
釜無川には霞提の痕跡がわずかに見られる。これが今日、信玄提と呼ばれる堤防である。
信玄は更に、高岩と霞提の間で水の勢いを弱めるための工夫を行っている。
高岩のすぐ下流に岸から川に向かって突き出すような形で作られた、『出し』と呼ばれる土塁である。
信玄の頃は、一の出し 二の出しと呼ばれた二つの出しが存在したようだが、現在では一の出しだけが石とコンクリートで作り直された格好で残っている。
これによって、水の流れの勢いを更に弱め、霞提の負荷を軽減したのである。
左の図も現地の案内板にあったもので、『聖牛』と呼ばれるもの。『出し』と同様、水の勢いを弱めるために川岸に配置される。
牛が背中を丸めて座り込んだ形をしているのでこう呼ばれるようだ。聖牛の『聖』の意味は確かなことは不明であるが、案内板では『超』とか『スーパー』『ウルトラ』といった意味ではないかと説明している。
今日でも使われている聖牛、後方から見た姿はまさしく牛の背中のように見える。
信玄は以上のような釜無川治水工事を20年の歳月をかけて行った。
今日これらの技法は、『甲州流防河法』と呼ばれ現在でも通用するところが多々あり、信玄の功績はおおいに評価されている。
治世当時も領民から『御屋形様』と呼ばれて慕われていた所以である。
これらの施設は、JR中央線 竜王駅に程近い信玄橋から川上の双田橋にかけて点在する。
0172人間七七四年
2007/02/22(木) 21:26:28ID:jVjA7xG80173人間七七四年
2007/02/22(木) 21:27:35ID:LV04qQGcそして勝った
なんの問題があるんだろう
織田方からすりゃ長篠で無理に戦う必要もないし
0174人間七七四年
2007/02/22(木) 21:32:21ID:utZo1LFB新手の荒氏?このスレ潰したいのかな
0175人間七七四年
2007/02/22(木) 21:41:01ID:iysula1Q馬鹿みたいに正面決戦で決着つけないといけないんじゃないのか?メガトンの脳内ではww
ゲームですら調略やなんだはあるのになww
0176人間七七四年
2007/02/22(木) 21:42:02ID:hF59YGSB強兵で陣形を巧みに使ってくる武田軍をある程度柵の守りで疲れ
させておいてから、一気に反撃に出るという。
0177人間七七四年
2007/02/22(木) 21:57:35ID:hF59YGSB甲府西方の釜無川・御勅使川と並び、東の暴れ川として同じ富士川水系の笛吹川がある。
ここにも信玄の治水工事の跡が残っている。
富士川は甲斐・武蔵・信濃三国国境の甲武信岳に源を発し、丹波山系の山間を流れ、甲府盆地に流れ込んだ後も丘陵地帯を流れてくる。
信玄はこの自然条件を利用して、笛吹川沿いに多数の防河林を施した。その代表的なものが甲府の北東10kmほどの所(現山梨市)にある『万力林』である。
笛吹川の土手に沿って植林がなされ地盤が固められている。
これらも『甲州流防河法』の一環に数えられ、今日土木工学の分野においても多大の評価を得ている。
万力林は現在万力公園として、その姿を残している。
万力公園はJR中央線 山梨市駅から徒歩5分のところ。
0178人間七七四年
2007/02/22(木) 21:59:32ID:LV04qQGc馬防柵なくても多分織田徳川が勝ったしなあ
ていうか馬防柵で疲れさせられてる時点で、
風林火山のお株を奪われてるよね
0179人間七七四年
2007/02/22(木) 22:00:45ID:jVjA7xG80180人間七七四年
2007/02/22(木) 22:03:53ID:XS4vgJZZお前は無能な働き者だ
お前は武田を擁護してるつもりかもしれないが手段が決定的に間違っている
そのために徒に武田への反感を買っていることにすら気付かない
武田を愛するなら今までのようなレスはやめてくれ
お前のレスは武田を貶しているのと道義だ
0181人間七七四年
2007/02/22(木) 22:04:29ID:UlOPEqV8出てこようと勝てるわけない
0182人間七七四年
2007/02/22(木) 22:30:53ID:tDpO0xyM>騎馬軍団の言葉の意味が気になってるのはお前の方だろ大マヌケが笑)
>言葉の定義なんてどうでも良いの、お前がしつこく噛み付いてるだけ
なにを言っているのかな?
言葉の意味なんて気になってないよ。
騎馬軍団があると主張しているのに騎馬軍団がないと言う
WEBのページを貼り付けた馬鹿がいたから
君って馬鹿ですねと突っ込んでいるだけだよ。
0183人間七七四年
2007/02/22(木) 22:52:22ID:hF59YGSB「騎馬軍団」と「騎馬の活用方法」を混同させてワーワー言ってたの
はお前らwwww
俺は最初から密集された突撃騎馬兵が存在してたなんて一度も言って
ないからねえwwww
0184人間七七四年
2007/02/22(木) 22:56:47ID:hF59YGSB>なんども言うけど、
君が貼り付けたwebのページでは
「騎馬軍団は無かったが騎馬の運用は優れていた」で
君の主張は
「突撃をするような騎馬軍団はないが、騎馬の運用は優れていてそれを騎馬軍団と呼んでも差し支えない」
というものだろ?
どうして騎馬軍団がないと言うWEBのページを見て、
騎馬軍団があると思い知らなければいけないんだ?
なあんて言ってたのもう忘れたの?ばーーーーーか
0185人間七七四年
2007/02/22(木) 23:07:39ID:hxTeF1Mjだから貼り付けたネットの内容と主張が違うって言う突っ込みなんだろ?
0186人間七七四年
2007/02/22(木) 23:09:55ID:LV04qQGc0187人間七七四年
2007/02/22(木) 23:11:03ID:D2sBAY0oメガトンという糞コテ
コテが無くてもわかるところがメガトンのメガトンたる所以www
結論ありきで話すから質が悪く、
長文・連投上等という、荒らし一歩手前の奴
0188人間七七四年
2007/02/22(木) 23:20:35ID:w1zYufni昼から2chって生活なのなw
0189人間七七四年
2007/02/22(木) 23:24:51ID:w1zYufniこんな時間にも書き込んでるのなw
どう見てもニートです。温かく見守ってやってください。
0190人間七七四年
2007/02/22(木) 23:59:36ID:hF59YGSB何が問題あるというのか?それが騎馬軍団で何が問題があるというのか?
元々騎馬武者が甲斐には多く 合戦における敵陣への撹乱 行軍する時の
進撃ルートの多様性による機動力など これが騎馬軍団とみないでなんと
言おうぞ?^^
0191人間七七四年
2007/02/23(金) 00:20:43ID:PdWVQAkP0192人間七七四年
2007/02/23(金) 00:36:52ID:uZ6THNNB信玄は山地で一流、平地で三流ってことでオッケー?
0193人間七七四年
2007/02/23(金) 00:42:13ID:vfYkdSseそう言うことは、騎馬武者含有率が10%を越えてから言って下さい
0194人間七七四年
2007/02/23(金) 02:19:44ID:4sEyVZTwねえ武田軍はアハハハハハハ
>>193 可哀想に、基本的なことも無知でいるアンチは俺のこととやかく
言う資格ゼロだってのいい加減理解しなきゃね、社会出て後輩達から散々
馬鹿にされるのが目に見えるよwww
武士階級の高い甲斐では騎馬武者が大勢いるってのは史料に書いてあるんだ
よばーーーか
0195人間七七四年
2007/02/23(金) 07:26:06ID:Yp2UuV9R0196人間七七四年
2007/02/23(金) 08:16:02ID:PYQsqAV0が、これは史料的に問題ありまくり
例えば武田を滅ぼした奸臣とされる跡部勝資は本当は武田譜代で、信玄時代からの当主側近(竜朱印状に連署するほど)
勝頼の暴政のせいとされる増税・領民離散も実は信玄時代・信濃攻撃中に既に起こったこと(妙法寺記)
上田原の板垣の戦場での首実検等、失敗の責任を家臣に押し付ける話もここにしかない
その軍鑑すら騎馬軍団についてはわざわざ一品設けて否定しているのだから、マンセー神話に付け加えられたのは早くて江戸中期の講談からだろう
0197人間七七四年
2007/02/23(金) 09:53:48ID:Ebpsz36S信玄が最後に攻めた野田城って以前に落としたのを徳川に取り返されたもの
東国大名の限界なのか謙信にも似た話があるけど、遠征で得た領土の維持が下手で帰国したら取り返される
国力差がある相手ばかりだったからいいようなもの
一気に落とせないのなら、箕輪城を六回攻めてその都度失敗したような真似せずに付け城なり砦なりで封鎖すれば良いのに。丁度信長がやったように
略奪に依存する体質を改善しないと、信玄の寿命が延びても帰国→取り返される→再度遠征という効率の悪い状態から脱却できず時間切れになりそうな
0198人間七七四年
2007/02/23(金) 10:56:35ID:cdJdnw/n武田軍においては三増峠のように小荷駄を重視していた様子が見受けられる。
第2回川中島の時のように今川領の駿河を通して物資を調達した事もあったのだから
兵站には結構気を使っていたほうでは?
略奪はどっちかというと将兵に与える戦利品の意味合いが強いだろう。
平地や比較的交通の整備された地帯で戦った信長と違って信玄や謙信は
周囲を山に囲まれ、遠征の時は大抵山を越える。山を隔てたむこうの領土を
奪われる事があるのは仕方ないかと。それでも武田の場合、勢力の衰亡が始まるまで
大量に城をとられていたわけではなかったと思うが。
0199人間七七四年
2007/02/23(金) 11:03:57ID:Ebpsz36S小荷駄の逸話は軍鑑でしょ、例によって
武田家の兵站が末期までに改善されていたという史料は無い
あるのは略奪しまくったことと、家臣に高利で兵糧貸し出しをしたことぐらい
0200中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/02/23(金) 11:13:05ID:Gqztg/Cm1、付け城を築いて敵城間の連絡を遮断
2、敵方の一部を調略してそれを合図に本体が出陣
3、敵方を上回る大兵力を投入
4、とにかく力攻め(大河内と小谷で失敗してるが)
武田ってこんな用兵したことあるの?
0201人間七七四年
2007/02/23(金) 11:15:29ID:cdJdnw/n0202人間七七四年
2007/02/23(金) 11:15:54ID:Ebpsz36S普通の兵糧攻めすらほとんど出来た試しがない
箕輪城を何回も攻めて失敗した例もあるが、穴掘り攻撃以外は平攻めしかできる能力がなかったっぽい
0203人間七七四年
2007/02/23(金) 11:20:55ID:cdJdnw/n略奪だけで兵站を賄うのは無理があると思うのだが。
武田の軍編成にもちゃんと小荷駄はいるし、蔵前衆という兵糧を管理する
役職もある。なぜに略奪だけだと思うのか。
0205人間七七四年
2007/02/23(金) 11:27:49ID:Ebpsz36S思うのは勝手だが、実際に武田軍が略奪しまくっていることと長期戦を不得手とすることは事実
じゃあ逆に略奪以外で賄っていたという証拠は?
>>204
出来ている例って?
0206人間七七四年
2007/02/23(金) 11:38:06ID:5wc5hoMN0207人間七七四年
2007/02/23(金) 11:45:02ID:cdJdnw/n2、敵方の一部を調略してそれを合図に本体が出陣
代表的な例は駿河攻め、ていうか信玄は調略はよくやってたと思うが。
その生涯の戦いの多くで。
3、敵方を上回る大兵力を投入
信玄は生涯のほとんどの戦で敵の兵力を下回った事はないと思うが。
4、とにかく力攻め(大河内と小谷で失敗してるが)
これについてはいちいちあげていくのも馬鹿らしいが駿河蒲原城、笠原城、箕輪城その他
略奪以外で賄っていないなら、小荷駄とか蔵前衆とかいらないし、
家臣に兵糧を貸し出したりしないでしょうが。
0208人間七七四年
2007/02/23(金) 11:50:45ID:48VtqYO7だから武田がせいぜい兵糧不足の家臣に高利で貸し付けるぐらいしかしなかったのはむしろ標準。
大名だって自前の家臣と武具を食わせなきゃならないからね。金や米はそのためにいる。
信長のように全部ではないとはいえ国人レベルまでの兵站まで面倒みたのは異例。
大坂の陣ですら兵糧は幕府支給じゃなくて自弁で、徳川家がやったのは貸し金程度だから進歩なんてほとんどしてない。
0209人間七七四年
2007/02/23(金) 11:52:38ID:G/Me8DrFこれって、武田軍だけが突出して
略奪しまくってるの?他の大名には記録が無いだけ、とかいうオチじゃないの?
突出して長期戦が不得手なの?
他の大名と同じぐらい、ってことはないの?
0210人間七七四年
2007/02/23(金) 11:56:09ID:48VtqYO7少なくとも東国では突出してるんじゃない?
身内側である小山田領の記録にすら「こんな略奪は今後できねぇ」と書かれるぐらいやってるんだから
人身売買のレートも上杉氏に比べて相当高いし(むしろ謙信のそれが低いのか?)
0211人間七七四年
2007/02/23(金) 12:26:59ID:BvJNEuAJ0212人間七七四年
2007/02/23(金) 12:33:37ID:cdJdnw/nこれは相当な規模になったらしいが。
0213人間七七四年
2007/02/23(金) 14:11:03ID:2lUXmRw/ただ武田が兵站で劣っていたのではなく、武田は標準的で
織豊系が非常に発達していただけじゃないの
>>205
>>207の他に
諏訪攻めで高遠を煽ったり
小笠原攻めで仁科を離反させたり
村上攻めで各城を調略したりと
合戦でイマイチな分調略では頑張っていると思う
>>210
東国だと陸奥はみんな親戚だからかあまり酷い戦いも無かったし
北条は民政第一だから、どうしても武田上杉の記録が突出する気がする
でも略奪焼き討ちは当然の戦略でしょ
0214人間七七四年
2007/02/23(金) 18:05:25ID:sAK17j6vそもそも武田の本拠は山だらけ 根本的に交通の面で不利な甲斐信濃なわけで
荷駄で後方拠点から各種物資運びこむ手間や必要な人数といった点で
東海道や濃尾平野の河川・海上交通などを縦横に利用できる織田や徳川と比べたら圧倒的に不利で当然だろう
三河・遠江方面で補給が続かずぐだぐだになるのは 当時の技術的限界としか言いようがないんじゃないのか
実際 本拠から離れた地域で軍勢を長期行動させ得たのは 機内を抑えて経済面で突出していった後の織田くらいしかおらんだろう
0215人間七七四年
2007/02/23(金) 18:11:41ID:D5MLqmjf上杉の記録は小田原のだけだろ。武田はあきらかに頭ひとつ突出してるよ。
志賀城といい、小岩嶽城といい、穂高・有明の小岩嶽城址では今も安曇武士の悲哀の歴史を後世に伝えようと、
地元区民らが中心となって8月に石墓前で慰霊祭を行っているが、どんだけ殺したんだか。捏造史ではないよな。
0216人間七七四年
2007/02/23(金) 18:18:11ID:9nqgj2qJ三河兵は一人で尾張兵三人を相手にでき、甲斐兵は一人で三河兵を三人相手にできる。即ち甲斐兵は一人で尾張兵九人相手にできる。
従って戦争では圧倒的に甲斐兵が有利である。
これくらい馬鹿なことを言ってることに早く気付こうな。
0217人間七七四年
2007/02/23(金) 19:12:50ID:fIB6pK6N誰が考え出したんだっけ。
0218人間七七四年
2007/02/23(金) 19:33:15ID:VfjGe/cB0219人間七七四年
2007/02/23(金) 20:13:25ID:4sEyVZTw信長の攻略した領土と信玄の攻略した領土の違いも考えないアホウぶりwww
信濃一国だけでも難攻不落の要害と言われた城は大量にあったんだよ、織田が
攻略してきた難城とは数の多さが違う、一々城攻めだけに長期にわたってこだ
わっていては拉致があかない、だから信玄は野戦に引きずり出してといった誘
導作戦などをを得意としたんだろうねえ。
それよりさあ、信玄が戦下手とか言ってる連中は早く答えろよ、どうやって信
玄は120万石まで版図を広げることが出来たのかなあ?
0220人間七七四年
2007/02/23(金) 20:30:10ID:4sEyVZTwそれに加えて、卓越した武田軍の戦闘システムを考えれば、そうい
う図式も成り立つわな
0222人間七七四年
2007/02/23(金) 20:48:38ID:h1u8d7l0そんなのあったら武田あんな簡単に滅びねーだろwwww
それとも何か?信忠は画期的な新しい歴史に残る素晴らしいやり方で武田を滅ぼしたのか?
0223人間七七四年
2007/02/23(金) 20:54:19ID:4sEyVZTw信忠が攻めた時は家中が揺らいでいた武田でしょう、長篠以降、信濃の
武田の家臣団ももう戦う気はなかったんだと思いますね、てゆうかやはり
ア ン チ は 武 田 信 玄 の 攻 略 の 概 要 を ろ く
に 理 解 も せ ず に 、 ひ た す ら 喚 い て た だ
け な ん で す ね wwwwwだーめだこりゃ
0225人間七七四年
2007/02/23(金) 21:13:04ID:h1u8d7l0>てゆうか
お前は雰囲気を「ふいんき」って打って変換できないタイプだろww
ではその難攻不落の要害とやらをお教えいただこうか 難攻不落の要害があるなら勝頼は急いで城を作る必要も無かった て ゆ う か僅かな兵で大軍を相手にできるんだろ? 信玄が攻めた時のように兵力差があってもさ
確かに信玄は甲斐22万石から120万石にまで領土を広げた 領土拡大率は6倍 一流の部類だ
敵の弱いところを突き(格下しか相手にしません!)、不意打ちをして(同盟? 何それ、食えんの?)、武田家崩壊の原因を作りまくって手に入れた120万石だもんねww
仮に、100歩 いや、1000歩譲って信玄が敵を誘い出すのが上手かったとしよう なんでそれを上杉謙信や北条氏康に使わなかったの?
アホにしか通用しない策なら秀吉とか光秀の方がよっぽど上手いよ、その程度のことで信玄が凄いというなら秀吉や光秀はどうなるの? 神?
0226人間七七四年
2007/02/23(金) 21:18:21ID:cdJdnw/nそしてその家康に苦杯をなめさせられた秀吉は・・・
その秀吉に敗れた光秀は・・・
という事になるんでないかい?
0227人間七七四年
2007/02/23(金) 21:21:07ID:h1u8d7l0あそこで逃げたら遠江の徳川の影響力は無になり三河もガタガタになる
まぁホントはつついて帰るつもりがボコられたのは完全に家康のミス(=信玄の見事な戦術)だけど
0228人間七七四年
2007/02/23(金) 21:21:42ID:D5MLqmjf氏ねばいいのに。
0229人間七七四年
2007/02/23(金) 21:24:28ID:NTf+txoh被害妄想ありすぎ
アンチも信玄が雑魚だなんか一言も言って無い
優秀だが世間一般で言われるほど過大評価してないだけ
あなたに一つ聞きたい、このスレの主題上洛についてはどう思ってるの?
信玄最強論者のあなたは、生きてれば上洛楽勝とでも思ってるの?
0230人間七七四年
2007/02/23(金) 21:31:53ID:h1u8d7l0・最初が有利すぎる(信長が尾張の半分の半分 10万石程度 稲生はたった700 元就はもっと小さくて初期の兵力は500〜800ぐらい)
・何度も大敗をしている(村上に2度負け重臣死にまくり、川中島で弟も死んだ)
・格下にしか勝てていない(信長や元就のように圧倒的格上を相手にしていない)
・信玄が凄いから勝った戦というのがない(例えば一乗谷の戦いは織田信長だからこそ大勝できた戦である)
・武田騎馬隊なんて存在しない(8%wwwwwww)
・信玄は小説や講談で美化されすぎている
・というか信玄最強説自体が小説や講談(ry
まぁ戦国大名の中では強い方だと思う(特に晩年)けど最強じゃない
0231人間七七四年
2007/02/23(金) 21:40:13ID:4sEyVZTw謙信??信玄の誘いに乗らなかった事ぐらい知ってるよ、信玄と
同じく最強と言われてるね
氏康??信玄が小田原城から退却した時に三増峠まで誘い出されてるだろ
地理的に有利でありながら、山県隊などが撤退したと判断して武田軍に突
撃かまして返り討ちにあっただろ
格下しか相手にしていないって?村上を破ったことは無視なの?上田原や
砥石城の戦いだけじゃないことぐらい知ってるんだろうねえ
川中島のかけひきはどうなの?
0233人間七七四年
2007/02/23(金) 21:54:41ID:h1u8d7l0>>231
川中島の駆け引きwwwwwwwwwwww
お前ホントに文盲だな 村上を破ったって兵力的に有利なんだから勝って当然、順当勝ち
問題はそれまでに2度も負けてるってところだ
信長の重臣格で信長の戦術ミスで死んだのはほとんどいない
どんなに多く数えても1〜2度 信玄は3度もやってる いくらなんでも痛すぎる
0234人間七七四年
2007/02/23(金) 21:57:10ID:fIB6pK6N村上って義清個人の能力ならいざ知らず、どう考えても格下だろうがww
0235人間七七四年
2007/02/23(金) 21:57:12ID:4sEyVZTw武田が主役になって悔しいからって、こんな2ちゃんでみっともなく喚いても
無駄なのですwwww
・最初が有利って?信濃の豪族も団結して信玄を倒そうと考えてたのは頭にいれ
ないんですか?てゆうか甲斐一国の時点で最強なわけないだろばーーーか
・何度も大敗をしているって?信玄は最強といわれるがゆえ、負け戦のインパク
トも強かったりするだけじゃないの?全戦績49勝3敗20分けは戦国の有力大
名の中でダントツ(対北条 上杉 クソ漏らし)周囲に大影響を与えてたのは事
実ですからねえ
・格下にしか勝っていないって?村上は格下じゃないの?上杉や北条は格下じゃ
ないの?むしろ信玄の兵法によって強い相手も簡単に転んだという考えが、信玄
嫌いのアンチには理解で出来ないんだろうねえ。
・信玄が凄いから勝ったという戦が無いって?そりゃあお前らからすれば、正面
からの力攻めが凄いというのかもしれんが、信玄ほど兵法を心得てる武将がそも
そもそんな下手な戦をするわけないだろ。
塩尻峠のように、敵が怯むまで待って敵陣が緩み始めた時に突撃をかますような
兵法がアンチからすれば「雑魚敵を一蹴しただけ」という解釈にしかならないだ
けなんだねアーーホ^^
・進撃ルートが限られており、戦略上困難な山岳地帯で馬を巧みに利用して機動
力改善に成功した「はやきこと風の如く」は無視するのかなあ?
0236人間七七四年
2007/02/23(金) 21:57:17ID:cdJdnw/n0237人間七七四年
2007/02/23(金) 21:57:39ID:2lUXmRw/織田や北条と比べるとかなり低いからな
>>233
村上は武田と比べれば格下だし、武田が最終的に勝ったのも順当勝ちだと思うが
信長の重臣クラスだって結構死んでいるぞ
0239人間七七四年
2007/02/23(金) 21:59:59ID:h1u8d7l0お前は横山三国志の読みすぎだ
当時の戦ってのはほとんどが農民、純戦闘部隊じゃない
だからんな自由に手足のように動かせないの それなのに兵法てwww
んで君から見て織田信長の一乗谷の戦いはどう映るの? それ聞きたいわ
君の話を聞いていると織田信長の一乗谷の戦いが戦国最高に凄い戦のように思えてくるんだが
0240人間七七四年
2007/02/23(金) 22:02:50ID:tuy581hg徴兵されてきた農民兵ごときに、国ごとで強い弱いなんて存在しない。
そして旗本レベルになれば、強い弱いは個人の資質。
島国日本のさらに一部の国ごとで強い弱いの優劣なんて発生するわけがない。
尾張兵1=三河兵3=甲斐兵9なんてただの作り話。
0241人間七七四年
2007/02/23(金) 22:04:16ID:h1u8d7l00242人間七七四年
2007/02/23(金) 22:06:03ID:Dl2a+zjx0243人間七七四年
2007/02/23(金) 22:07:06ID:4sEyVZTwあったと勘違いしてるんだねお前らは、入り乱れた信濃の豪族を倒してまと
め挙げるのに単純に数の多さだけで楽に勝ってきたという勘違いぶりはマジ
で笑えるね、それから情報で敵より多く兵力を揃えるという考えは無いの?
お前らは^^
信長信者からすれば、桶狭間みたいな大勝を挙げた戦が信玄にないから
信玄はたいしたこと無いとかいう風に思ってるんだろ 笑)
信長がどうして、勝頼相手に3倍もの兵力を揃えながら大層な馬防柵を
作り上げて合戦に望んだか知らないの?
武田の戦闘システムが(陣形 敵陣撹乱など)他より優れているのを知
ってるからあんなものを作ったんだよ。
0244人間七七四年
2007/02/23(金) 22:08:39ID:h1u8d7l0陣形wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
陣形!! 陣形!!?? 陣形!!!!
だからお前は横山三国志の読みすぎなんだって
0245人間七七四年
2007/02/23(金) 22:11:08ID:4sEyVZTw毛利の周囲にいたわけじゃないし、そんなに関わってもないし。
それから配下の武将じゃなくて大名で比較してくれ(吉川)
0246人間七七四年
2007/02/23(金) 22:11:13ID:jJ+D6XpS0247人間七七四年
2007/02/23(金) 22:11:50ID:BvJNEuAJ0248人間七七四年
2007/02/23(金) 22:14:00ID:h1u8d7l0多分三段鉄砲で武田騎馬隊破った信長最強! とか言ってるぜww
それはそうと陣形についてコメントしてくださいよ〜 豚よぉ
0249人間七七四年
2007/02/23(金) 22:17:45ID:BvJNEuAJNHKの受信料はちゃんとはらってるか?
0250人間七七四年
2007/02/23(金) 22:18:16ID:4sEyVZTw一生を終えるんだろうねえ、史料に記録が無いからって「そんなの絶対
不可能!!」とかいう解釈ぶりはやめた方が良いね^^
むしろお前らのレスみてたら、武田のことに関してろくに調べていない
上でのレスだな〜って良く分かるよ。
0251人間七七四年
2007/02/23(金) 22:21:28ID:tuy581hg一生を終えるんだろうねぇ、史料に記録が無いのに「武田は最強だったんだ!!」
とかいう解釈ぶりはやめた方が良いね^^
むしろメガトンのレス見てたら、武田のことに関してろくに調べていない
上でのレスだな〜って良く分かるよ。
一部変えただけできっちり当てはまるな。自分に対するレスか?
0252人間七七四年
2007/02/23(金) 22:22:06ID:h1u8d7l0だから
・最初が有利すぎる(信長が尾張の半分の半分 10万石程度 稲生はたった700 元就はもっと小さくて初期の兵力は500〜800ぐらい)
・何度も大敗をしている(村上に2度負け重臣死にまくり、川中島で弟も死んだ)
・格下にしか勝てていない(信長や元就のように圧倒的格上を相手にしていない)
・信玄が凄いから勝った戦というのがない(例えば一乗谷の戦いは織田信長だからこそ大勝できた戦である)
・武田騎馬隊なんて存在しない(8%wwwwwww)
・信玄は小説や講談で美化されすぎている
・というか信玄最強説自体が小説や講談(ry
これ覆してよ
自分に都合の悪いことは無視か? 豚よ
0253人間七七四年
2007/02/23(金) 22:22:39ID:BvJNEuAJ0255人間七七四年
2007/02/23(金) 22:25:28ID:4sEyVZTw必死になって痛いとこ突かれて、お前らアンチがひきつけ起こしてるのが
伺えるねwwww
三方ヶ原での魚燐の陣も捏造とか言い出すんだろうねえ、江戸時代に作ら
れた偽ものだって???
鶴翼の陣も捏造だっての?謙信の車懸かりの陣は?(ただの反転攻撃という
説もあるが)
戦国時代合戦の仕方で家によって様々な工夫があって当然だろばーーか
それから農民兵が主力でも、騎馬隊長がそれぞれの部隊配置を指示すれば
可能だよ、そういう史料とか無視していつまでも、ガキみたいに批判して
るわけ?
0256人間七七四年
2007/02/23(金) 22:25:43ID:fIB6pK6N0258人間七七四年
2007/02/23(金) 22:28:13ID:BvJNEuAJ0259人間七七四年
2007/02/23(金) 22:28:44ID:Yp2UuV9R0260人間七七四年
2007/02/23(金) 22:29:36ID:ddnbpzrF0261人間七七四年
2007/02/23(金) 22:30:31ID:cdJdnw/n0262人間七七四年
2007/02/23(金) 22:31:16ID:BvJNEuAJ俺は応援しているぞ!
0263人間七七四年
2007/02/23(金) 22:32:26ID:h1u8d7l0まず1つ目に、当時の兵というのはほとんどが農民で今の自衛隊みたいに訓練を受けていない
・・・というか明治維新までああいう整った動きそのものがあまり重要視されてなかった だからそもそも純戦闘部隊でもぐちゃぐちゃ
流石に一斉に鉄砲を撃つ ぐらいはできただろうけど よって陣形みたいな比較的細かい動きとかは無理
わーわー適当に戦ってたのが実情 だから兵力の差は絶対で唯一これを崩せたのが奇襲
2つ目に、ただ単にやる意味がない、意義が無い
0264人間七七四年
2007/02/23(金) 22:32:42ID:Yp2UuV9R0265人間七七四年
2007/02/23(金) 22:33:22ID:h1u8d7l0落ちろ!
0266人間七七四年
2007/02/23(金) 22:38:31ID:4sEyVZTw対してまともに解釈出来ないだけえええええええええwwwwwwwww
・スタートが良かったからどうだっての?信玄最強説と何か関係があるの?
信濃攻略するのにそれが必ずしも有利に動いてたとは限らない、信濃の豪族
達を旨く利用するなり、状況を見極めるなりして勝ってきた信玄が凄い!
信長はスタート悪かったって?それ逆だろばーーか、戦下手だから尾張統一
するのに時間かかっただけだろ、桶狭間以降、クソ漏らしと同盟して尾張統
一するのにどれだけ時間かかったんだよ、しかも信濃みたいに戦略上複雑な
地形じゃないしねアハハハハハ
・信濃攻略の成功は相手が格下とかいう問題じゃない、戦略上困難だっただ
け、北条や上杉は格下なの?
・大敗が多いって?なら最終的に信濃から追いやられた村上はどうなの?
戦略上信濃攻略を成功させた信玄は何なのかなあ?
0267人間七七四年
2007/02/23(金) 22:40:54ID:Yp2UuV9R0268人間七七四年
2007/02/23(金) 22:41:22ID:h1u8d7l0お前は自分の書いた文章の数行前ですら読めんのか・・ いや、忘れただけか
>・大敗が多いって?なら最終的に信濃から追いやられた村上はどうなの?
>戦略上信濃攻略を成功させた信玄は何なのかなあ?
だから信玄は戦術で負けて戦略で勝ったんだよ 戦術では村上>信玄
ツッコむのもアホらしい・・ まさしく池沼だな
0269人間七七四年
2007/02/23(金) 22:41:36ID:cdJdnw/n一応そこまで適当ではないよ。
備を始めとする戦闘の組織体系もあったし。
お使い番たちを上手く動かして部隊間の連携や統制もとっていたし。
伏兵を始めとする戦術もあったし、戦闘前の布陣は非常に重要で陣馬奉行という
役職もあった。
0270人間七七四年
2007/02/23(金) 22:43:16ID:ddnbpzrF2ちゃんねるでこの手のこのやられても仕方が無いしな。
理知的な部分もあるんだからそっちを前面に出して欲しいよな。
0271人間七七四年
2007/02/23(金) 22:49:16ID:4sEyVZTw武田関連の史料見てみろよ、ちゃんと乗ってるよ。
それからやる意義な無いとか言ってるけど、じゃあ仮に陣形が無かった
としようか?なら鶴翼のように密集した敵陣の横側を突撃させるという
解釈を見て存在しなかったって言い切れるの?確かに中央の本陣は手薄
になるが状況によって横から突撃されれば敵はたまったもんじゃない。
魚燐はどう?敵に対して3角形の形(中央に本陣)に敷いておいて、敵
が中央に攻めてくれば、3角形の横から随時突撃を繰り出す、まあ鶴翼
潰しとも言われてるが、こういう工夫した戦闘方法が無いなんていう学
者や作家はいないよ。
それから足軽農民兵にはそれぞれ部隊長がいるってのに対してはどうなの?
まだある程度統率が取れた部隊なら、常にごちゃごちゃになりはしない。
0272人間七七四年
2007/02/23(金) 22:50:51ID:h1u8d7l00273人間七七四年
2007/02/23(金) 22:52:38ID:4sEyVZTw信玄は3度村上勢を撃退してますが何か?砥石城は真田の功績だけど
上田原以降野戦で信玄は負けなしだよん〜〜
てゆうか戦略で負けておいて、よく「信玄は村上に大敗したぞ!!」
なんてほらが吹けるよな〜〜
0274人間七七四年
2007/02/23(金) 22:54:08ID:h1u8d7l0だから村上に勝ったのがどんなプラスポイントになるんだよ
所詮は豪族 1 度 で も 負 け る の が お か し い ん だ よ
ホントに君は馬鹿だな
0275人間七七四年
2007/02/23(金) 22:54:42ID:4sEyVZTwな ら お 前 ら が 言 う 信 玄 戦 下 手 だ の 残 虐
だ の っ て い う 根 拠 も 創 作 で は 無 い の で
す か ?
0277人間七七四年
2007/02/23(金) 22:58:13ID:4sEyVZTwそのものだキャハハハハハ
当時信玄(28歳)村上義清(48だったか)だろ?戦に長けてるのは
元々村上の方だったんだから一度くらい負けても差し支えないだろ、
お前、戦闘を重ねる事に武将として成長していくという考えはないの?
0279人間七七四年
2007/02/23(金) 23:00:17ID:Yp2UuV9R0280人間七七四年
2007/02/23(金) 23:00:29ID:h1u8d7l0どちらにしろ信玄がレベル上げしてた時信長は既にレベル99だったんだから
0281人間七七四年
2007/02/23(金) 23:02:36ID:2lUXmRw/史実に基づくなら騎馬の荷駄に関する運用、軍の移動速度、戦場での運用に
関してはこんな感じでしょうか、かなりの長文ですが
軍の移動速度だが
移動速度の遅い例だと
川中島まで61年8.18〜8.24
諏訪まで45年4.11〜4.14(雨と伝えられている)とかあるから置いといて
武田側で速い移動例は
諏訪から古府中まで一日
桔梗峠から古府中まで45年6.15〜6.17
古府中から犬居72年10.3〜10.11
織田徳川で速い例は
織田の武田攻めの
岩村飯田間を2.16〜2.17
飯島高遠間一日
上諏訪甲府間一日かからず82年3.5〜3.5
岩村飯田間を3.13〜3.15
徳川の天正壬午において
浜松から古府中まで82年7.3〜7.9
戦略的な速度において両者に差があるとは見うけられない
軍の行軍可能可能交通路だが
戦略的にはハンニバルのアルプス越えのような無茶な行軍はしていないため
戦略的に武田軍の行動可能地形交通路が他家より多いと言うことは無い
武田軍が使用した道は他の大名なども使用している
戦術については小田井原で他家の騎馬では機動が無理な地形を踏破出来た可能性がある
追撃についてだが
武田の追撃でいうと
塩尻峠第4次川中島吉田城攻防戦一言坂の戦い三方ヶ原があるが
刀根山合戦・賤ヶ岳の戦い・耳川の戦い・摺上原の戦いにおける追撃戦と比べると
非常に戦果は少ない
この点から考えると武田勢の追撃に関しては優れている点は見うけられない
0282人間七七四年
2007/02/23(金) 23:02:59ID:4sEyVZTwだろうね、だ〜〜〜れもそんなこと言ってる人いませんからねえ、お前ら
が一度の合戦だけ見ていつまでワーワー喚いてるの??^^
上田原の時は家臣団の身勝手さが一番盛んな時だったみたいだからね、あ
ながち信玄だけの失態とは言えないね、あれからどんどん家臣団は団結し
て強力な軍団になってきんだが、・・・・あ、そうかそれにアンチは嫉妬
してるんだったねえ、何せ離反続きの織田家(信長当時)だったわけです
から^^
0283人間七七四年
2007/02/23(金) 23:03:04ID:5wc5hoMN若い頃から実践で先頭にたって実績を示してきた賜物
0284人間七七四年
2007/02/23(金) 23:03:28ID:ddnbpzrF遠征軍2万5千は武田の国力考えて精一杯どころかどう考えても
赤字確定だと思うんだけど、信玄は成功する気あったと思いますか?
それとも、遠征によって活路を見出すと言うアレクサンドロスと似たような、無謀な作戦を規定していたと思いますか?
0285人間七七四年
2007/02/23(金) 23:05:03ID:h1u8d7l0家臣の力がとてつもなく強い そういう組織自体が間違ってる
その点信長は凄かった、自分に圧倒的な力を集め自分で自由に動かせるようにした
システムを整えたからこそ信長から離反する者は少なかった
信長が離反続きとかいうのはあまりに馬鹿げた意見すぎるので放置
0286人間七七四年
2007/02/23(金) 23:10:55ID:4sEyVZTw最強の証明☆☆☆☆☆周囲へ一番震撼させた証明
・上杉の武田侵攻阻止を抑えてほぼ平定
・北条に一度も負けず、最終的に北条の邪魔を抑えて駿河を平定
・弱体化した今川をものともせず
・弱い織田とクソ漏らし勢に対して常に常勝
・美濃 三河 遠江の一部を切り取り、織田クソ漏らしを戦々恐々とさせる
・何より平定した領土に一度も侵略されたことがなーーーーーい
・甲州兵は無敵の山岳兵
0287人間七七四年
2007/02/23(金) 23:11:49ID:h1u8d7l0平定した領土にって川中島で上杉にだいぶ奥まで攻め込まれてるじゃん・・・・
0288人間七七四年
2007/02/23(金) 23:20:00ID:ddnbpzrF武田の戦法は領土の奪い合いで敵主力殲滅じゃないのが気になるんだけど
敵軍殲滅の方がどう考えても、効率が良いと思うんだけどなんで兵法を知り尽くしていた武田信玄は
主軍殲滅作戦を取らなかったんですか?
5分勝ちなんて言ってるから相手の損害が抑えられてしまうと思うんですが?
0289人間七七四年
2007/02/23(金) 23:22:30ID:h1u8d7l0というよりそもそも当時の戦争は敵主力殲滅が狙いじゃなかった
それを狙っていたのは織田信長 マイナス面もあるしやらないほうが無難だっただけかも
逆に考えるんだ、信玄はただ単に10勝てなかったんだ
0290人間七七四年
2007/02/23(金) 23:24:59ID:4sEyVZTw武田の追撃でいうと
>塩尻峠第4次川中島吉田城攻防戦一言坂の戦い三方ヶ原があるが
刀根山合戦・賤ヶ岳の戦い・耳川の戦い・摺上原の戦いにおける追撃戦と比べると
非常に戦果は少ない
この点から考えると武田勢の追撃に関しては優れている点は見うけられない
どんなにまともそうな理屈を言ってるように見えても、信濃の地形を無視して
議論しても意味ないよ。
それから織田クソ漏らしの武田領への進撃速度について言ってるけど、信玄が
信濃を攻めた時は、新たな進撃ルート(道)を切り開いたりしてるから、織田
軍は通りやすかったんじゃないの?離反続きの武田領は案外進みやすかったん
だろ。
信玄が攻めた時はある程度慎重さが求められてたからねえ。
0291人間七七四年
2007/02/23(金) 23:26:46ID:tuy581hgつまり川中島=北信濃は武田領じゃなかったってことか?
どんどん支離滅裂になってくるな
0292人間七七四年
2007/02/23(金) 23:28:37ID:4sEyVZTw恐怖を与えておいて、後で敵が内応に応じればそれで良し。
0294人間七七四年
2007/02/23(金) 23:29:10ID:sAK17j6v戦争が 敵国野戦軍撃滅を主目的にするようになるのは近代からだろ
基本は領土(城)の奪い合い その中でたまに 両軍の思惑が一致したときに大規模野戦が発生するってだけで
0295人間七七四年
2007/02/23(金) 23:32:03ID:ddnbpzrFそれだったら、余計にプロセスを一個増やすだけだと思うんだけど
(主力が壊滅している方が、内応やりやすいわな。)
敵が体勢を立て直しちゃったらまた戦なんですが、
信玄は「敵」=「将来の征服したときの自軍」だと考えて、あえて人口を減らさないように
配慮していたということですか?
0296人間七七四年
2007/02/23(金) 23:32:06ID:4sEyVZTwそれから一応謙信も最強?と言われてるの忘れたの?
あのねえ、川中島だけを見て勝ち誇った気になってるお前らはほんと
に笑えるよねえ 笑)
0298人間七七四年
2007/02/23(金) 23:38:02ID:4sEyVZTwかなあ?
君の意見も正しいよ、でも大名によって兵法は様々でしょ、それが理解出来
ないからアンチは駄目なんだよ。
主力をある程度叩いて後々無理な戦に発展させない為にも、敵の方から和議
に応じさせるだとか出来るだろ、殲滅させてそいつの家臣連中から恨みでも
買われて「武田憎し!!」なんてなる方が都合悪い
0299人間七七四年
2007/02/23(金) 23:38:09ID:2lUXmRw/他に高遠や小笠原村上にも攻めこまれているな
>>290
耳川以外は山地や峠で地形的には険しいと思うが
むしろ吉田城攻防戦一言坂の戦い三方ヶ原は平地での話しだろ
あと進撃速度だが
武田は自領内での移動で最も速かった例
織田は武田領に攻めこんだ時の話しで
最初から武田に有利な条件で比較しているから
0300人間七七四年
2007/02/23(金) 23:42:36ID:2lUXmRw/刀根山合戦・賤ヶ岳の戦い・摺上原の戦いなどは
追撃に次ぐ追撃で相手の中枢を麻痺させて
そのまま相手を崩壊させる電激戦の類だし
殲滅戦といえるのは信玄の志賀城や小岩岳
信長の伊勢長島や越前一向一揆とかじゃないか
0301人間七七四年
2007/02/23(金) 23:46:44ID:4sEyVZTw大体1570年前後の頃だろ最強と言われてた時期は、それ以前
でも戦ぶりで列強を震撼させてたのは事実だね、で?その時期に
ついての最強否定説が一度も反論が聞けていないんですが?それから
進 撃 速 度 に つ い て 勘 違 い し て る 大 馬
鹿 も の に 教 え て や る が
織田軍は目的の拠点にたどりつくまでがたやすかっただけ、武田は戦意
喪失してる状態だったろ半ば、一気にワーワーと攻め入っただけ。
信玄みたいに、敵の目を反らしながら密かに進撃とかじゃない、様々な
迂回ルートとか回らなきゃいけないし、織田軍は信玄が通った道を後か
ら通りやすかっただけ。
0302人間七七四年
2007/02/23(金) 23:47:53ID:sAK17j6vんだから
そもそもいったん敵野戦軍を殲滅するのに成功したとしても
”人数”をそろえなおすことは ある程度の規模をもった大名にとっては別に難しいことじゃない
当時の(つーか近代に至るまで)一番安く 集めやすい軍事資源は人命だから
長篠で武田軍壊滅ってのはよく言われてるけども
実際問題 軍を再建して 再出兵可能な状態に持っていくのには別に苦労してない
経験豊富な下級指揮官をごっそり刈られたせいで 軍としての機能低下は防げなかったが
んで 長篠クラスの殲滅戦なんて 狙って起こせるものでもしょっちゅう起こるものでもない
だからこそ 長篠は信長にとってのマスターピースなんだ
0305人間七七四年
2007/02/23(金) 23:56:35ID:4sEyVZTw武田軍は 笑)
途中の寄り道(必勝祈願やら軍備の整えやらで)とかが普通あるだろ
支城に寄ったりもする。
それから移動速度を比較するなら同じようなルートで比較したら?
甲斐産の馬を利用していた武田軍が山岳で速かったのは事実、当時
信濃を攻略してた時期は特にね。
まあ織田軍も兵農分離やらである程度は速かったかもしれんが。
0306人間七七四年
2007/02/24(土) 00:09:11ID:YPXMn1uW武田織田両者が使って日付が分かる同じようなルートの甲府諏訪間では
武田軍の一番速い例は諏訪に攻め入る時、諏訪や川中島など味方の後詰の時よりも
武田領内での移動だった
ただそれだけ
0307人間七七四年
2007/02/24(土) 00:09:58ID:Qrz3oiehみんなは楽しくて相手してるのか?
もういいんじゃないか?
釣ってるほうはきっと画面の向こうでにやけてるよ。
0308人間七七四年
2007/02/24(土) 00:18:27ID:CFnNHTLNちょっと批判するとすぐ武田最強を唱えてくるからなw
0309人間七七四年
2007/02/24(土) 00:19:21ID:kxvtvBWCに応じさせるだとか出来るだろ、殲滅させてそいつの家臣連中から恨みでも
買われて「武田憎し!!」なんてなる方が都合悪い
どうやら、俺が↑をレスしたあたりから静かになった感じがするねえ
まあ日頃信玄の戦は効率悪いとか弱い敵も殲滅出来ないとか言ってる
無知な連中だからねえ ワラワラ)
0310人間七七四年
2007/02/24(土) 00:56:11ID:B3VgetIs君の世界の戦国時代の人間が仲良し愛好会で
「石」と「棒」で戦争をやっていて、何も食べなくても生きていけるんだったらば理解できるけど。
「軍役」可能人数が大幅に減ることで国力の低下。
国人の負担の増加や見限りで離反。
暫くの間疲弊や被害や再構築のせいで抗戦不可能な状態に陥る。
主軍を構成していた精鋭兵は多数死んでしまうし埋めた人間は弱卒。
領民の負担が増える。
戦をやる上ではどう考えても、主軍殲滅した方がやりやすいのは事実だな。
なんでかというと野戦殲滅で受ける被害は「人数」と「組織」なわけで、
「組織」が壊れたときの被害は甚大だ、ある一定の水準に立て直すまでが非常に厳しい。
ただ単純に「人数」が死んでも国力と兵の質と国力低下による装備の低下を招く。
お金かかるんだよね戦争って。
一億そう火の玉とかそんな類のことを考えている人間ですか?
この人は「人数」しか見ていないんだよな。
誰も俺は「野戦殲滅の効果は人数だ」なんて言っていないのに。
事実戦国時代だけでも
河越
桶狭間
巌島
耳川
摺上原の戦い
長篠
負けたら滅亡、降伏一直線というパターンが多い。
>実際問題 軍を再建して 再出兵可能な状態に持っていくのには別に苦労してない
これって再建だったらばいいけど、ただのハリボテなんだよな。
しかも信濃大離反を招いてるし、領地奪い返されてるし。
苦労してないは勝頼にたいする冒涜でしょ。
信玄時代は、軍役衆と呼ばれる農業しながらも
軍事特化集団が戦をやっていたりしたわけだけど
勝頼時代は根こそぎ動因の体制になっていた
それに合わせたように国力が落ち、弱卒が増え、それを埋め合わせるために税を多数かける。
特に長篠以降はそれが顕著だ。そして離反を招き滅亡。
0311人間七七四年
2007/02/24(土) 01:17:24ID:8+6+8cYpよーするに 古今東西軍の背骨は下士官〜下級の戦術指揮官なわけだ
こいつらが有能&経験豊富であればあるほど軍の戦闘力はUPする
逆にここが弱ったらいかにTOPが優秀でも軍の機能低下は避け得ない
そこで上がってる野戦においては 兵卒もさることながら 下級指揮官へ与えた損害が馬鹿でかかったが故に その勢力の軍は以降機能不全を起こす羽目になっちまった
が 戦術指揮官クラスに大打撃を与えられるような一戦なんてめったに起こるもんじゃない
戦国100年の中でもせいぜいその6個+沖田畷くらいなもんだ
日本全国そこらじゅうで戦やってんのにその程度の数しか起こりえないレア戦例っつーこと
世界史上でもなかなか無いぜ? 一戦の元に一勢力の軍隊が破滅的状況に追い込まれた戦なんて
大方の場合 野戦に持ち込めたとしても 戦慣れした職業軍人連中を一気に削りとるとこまで持ち込むのは非常に難しい
んで 雑兵の数をそろえるのは別に難しいこっちゃない ある程度の国力持ってりゃね
古代から近世まで 兵卒に求められる資質なんざたかが知れてるんだから 結局人数さえそろえられりゃー後はどうにかなるもん
故に 武器・兵器と戦術の発達により 兵卒に求められるものが可及的に増大していった近代に至るまで
野戦軍の撃破は戦争の主目的足りえなかったわけ
そりゃ当然決まればでかいよ? だが 狙って起こせるようなものでは到底ありえなかったし
”決戦”に持ち込んだ場合 下手すりゃこちらが大敗北喫してえらい目に遭う可能性もある
ギャンブル的要素が強いため 条件が十分整わない限り選択されないってのも野戦殲滅戦を起こしがたくしている要因になる
0312人間七七四年
2007/02/24(土) 01:26:59ID:kxvtvBWC美濃 近江 山城 いずれも勝手に内紛やらなんやらな状態だっただけ。
しかも平地なんて楽に移動しやすい地理を攻略してきたわけだからね。
良く武田のシステムと比較して勝ち誇った気になる信長厨は多いが、山岳地帯
の武家社会と経済的に恵まれた武家社会を一緒に比較する方がおかしい。
信長の尾張統一〜美濃平定〜上洛戦なんて、信玄の信濃攻略に比べれば楽なも
んだね、内紛やらなんやらで敵は勝手に弱体化してるとこばかりだし
0314人間七七四年
2007/02/24(土) 02:28:56ID:kxvtvBWCそりゃ当然決まればでかいよ? だが 狙って起こせるようなものでは到底ありえなかったし
”決戦”に持ち込んだ場合 下手すりゃこちらが大敗北喫してえらい目に遭う可能性もある
ギャンブル的要素が強いため 条件が十分整わない限り選択されないってのも野戦殲滅戦を起こしがたくしている要因になる
つまり、必勝の体制を整えないと無理に戦に持ち込まなかった信玄は凄いって
ことだね^^
0315人間七七四年
2007/02/24(土) 02:40:23ID:kxvtvBWC諏訪氏を討滅して信濃国の一部を支配下に収めた甲斐国の武田信玄の矛先はさ
らに北上して北信濃に向けられたが、更級・埴科地方を領有する葛尾城主・村
上義清が立ちふさがることになる。
義清は天文17年(1548)1月18日、武田家に対する軍事行動を起こし
た。信玄も7千の軍勢を率いて2月1日に甲府を発向、雪の深い野辺山高原を
避けて、諏訪から大門峠を越えて小県郡に入った。当時、村上義清は佐久方面
に進出し、小県郡の塩田城を前線基地にしていたが、信玄は塩田城と葛尾城の
間を分断する作戦を取った。
それに対し義清も葛尾城を出て佐久方面へと向かい、2月14日、千曲川支流
の初川・浦野川の河原(ここが上田原と呼ばれる)で合戦となった。義清の軍
勢は5千とも7千ともいわれている。
合戦の帰趨は、武田勢の先鋒・板垣信方隊が村上勢の第一線を突破し、敵陣深
く追い込んだが、深追いしすぎて逆に村上勢に包囲されて壊滅、信方は討死を
遂げた。これに勢いを得た村上勢が猛反撃に転じたため、武田方の甘利虎泰も
これを支えきれずに戦死、信玄自身も負傷するという大敗北を喫した。後詰の
小山田信在の奮戦により、辛うじて全滅の危機を免れたという。
しかし村上勢にも戦死者は多く、この合戦での兵力の減少が村上氏の滅亡を早
める要因になったともいわれる
0316人間七七四年
2007/02/24(土) 02:43:35ID:kxvtvBWC楽〜〜〜〜に攻略しやすい、畿内東海なんて信濃の難しさの比では
無いと思うね。
0317人間七七四年
2007/02/24(土) 02:47:25ID:SI7kfmdq0318人間七七四年
2007/02/24(土) 03:01:01ID:5A5W/WNj相手も同じ土俵にいるわけだが
0319人間七七四年
2007/02/24(土) 03:23:44ID:B3VgetIs君の主張は「軍隊は士官で決まる」なんだけど、
僕の主張は簡潔に言うと「軍隊は複合的な組織なんだからそうじゃない」だね。
ここまで偏ってると口調に合わせて何かのキャラだよな。キャラは論争が強い。意外と。
>んで 雑兵の数をそろえるのは別に難しいこっちゃない ある程度の国力持ってりゃね
>古代から近世まで 兵卒に求められる資質なんざたかが知れてるんだから 結局人数さえそろえられりゃー後はどうにかなるもん
「古今東西軍の背骨は下士官〜下級の戦術指揮官」と言っているが違うと言わざる終えない。
意地悪な事例を出すと、イェニチェリという部隊は指揮官が存在していなくても目的を遂行し勝利していた。
そして、いかに下士官が優秀でも兵やTOPが間抜けだったらば、軍としては弱いといわざる終えないし
いかにTOPが優秀でも補給が無いと軍隊としては壊滅状態になる。下士官というひとつの要素だけで決まるわけじゃない。
君の主張は「数」さえそろえばなんとかなる!と主張しているが
今から2ちゃんねらーを集めて戦国当時の軍隊を結成したとしてもいかに下士官が揃っても戦国武田軍ほどの水準に達することは出きるわけが無い。
しかし君の主張はそこらへんの秋葉原ヲタクでも数さえ揃えて下士官さえいれば戦国武田軍ほどの戦闘能力を持つことができると主張していると同義だ。
武道の練習の過酷さを少し軽視しすぎている。
弩や石などの誰でも扱える武器だけで戦争やっているのならばともかく、
武道をやっている人間だったらば誰にでもわかると思うんだけど弓や、刀、槍、鉄砲はを相当修練しないと扱うことが出来ない。
まずは何十キロの行軍に耐える基礎体力、すぐには上がりません。
弓は的に飛ぶようになるまで何年もかかるし
槍だってあんな重いものを振り回せるようになるまで体力が凄い必要だし、敵を有効に傷つけられるようになるのにはどれくらいかかるだろう
鉄砲はまともに撃つことが出きるようになるまでどれくらいの時間とコストがかかるかな?
だから雑賀が強かった。
そしてこれらを育成するコスト、その間は生産力が落ちる。当然だ。
更に、世の中の移り変わりで武芸の流行廃りだって変わってくる。それらの芸は特殊だ。
すぐに補充することなど出きるわけが無い。
ハードウェア揃えても、兵の錬度すなわちソフトウェアはすぐにはそろえられない。
海戦になってくると凄い顕著なんだけど、いくら船と下士官をそろえられてもまともに勝つために100年かかるとかざら。
兵を一人育てるには莫大な時間とコストがかかるわけだ。。
その主軍が壊滅してしまうと、多くの精鋭を失うことになり、更に新しく入ってくる連中は新人の弱卒だ。
なので、兵が弱くなってしまうことと精鋭を失ってしまうことにより、純戦闘能力は弱くなってしまう。
だから大敗は危険だ。下士官ではなくて兵の問題としても。
これで滅んだのが「ナポレオン」だ。
>んで 雑兵の数をそろえるのは別に難しいこっちゃない ある程度の国力持ってりゃね
国力があれば揃えられるとか言っているけど、そんなに甘くは無い。
兵役比率はどんなに多くても全人口の5%だ。働き盛りの男が兵に取られてしまうと
大敗して、更に数多くの働き手がいなくなると国力そのものが落ちてしまう。
国力が落ちると国として弱くなる。育成コストも莫大だ。
現に武田勝頼も数を揃えられなくなってどんどん動因兵力が落ちていっている。
0320人間七七四年
2007/02/24(土) 03:53:12ID:B3VgetIs>下級指揮官へ与えた損害が馬鹿でかかったが故に その勢力の軍は以降機能不全を起こす羽目になっちまった
上記以外の戦でも「下士官」に甚大な被害を与えた戦なんてのはたくさんあるが、
というか死ぬのは日常茶飯事だがそれが必ずしも機能不全に直結しているわけじゃない。
何故戦で負けて機能不全に陥るかは、「政治的な混乱」だ。
下士官や直臣が死んでも政治的な影響力は皆無だが、もし戦で大敗して○○家の当主だのが死んでしまったり、
軍役で負担があったにも関わらず、何も恩賞が場合はそういうわけにはいかない。
離反や後継者争いが起きてしまう
政治的が機能不全に陥ってしまうので、軍も何も勢力自体の衰退だ。
次々と離反され、国は疲弊し、それを見た隣国に侵攻され滅んでしまう。
三方ヶ原合戦なんて、一番わかりやすい事例だ。
三方ヶ原合戦では、徳川方の下士官が半端なく死にまくった。
しかし徳川軍は機能不全になることなく、
大名として破滅することが無く戦争を継続することが出来た。
それはほとんど離反せず、一致団結して闘っていたからだ。
そして武田を逆に滅ぼした。
逆に河越は、長野業正以下、下士官は大勢残っていたにも関わらず滅亡した。
軍が敗北することにより、組織が壊滅し次々と離反されたからだ。
0321人間七七四年
2007/02/24(土) 03:54:05ID:kxvtvBWCったという(誤解の無いように言っておくと、これは決して蹂躙したというわ
けではないのであしからず)。この強さの秘密はいったい何だったのだろうか
まずは信玄の用兵術である。元寇以降、集団戦が日本に浸透していったとはい
え、まだまだ「組織的」と呼ぶにはほど遠いものだった。それをいち早く取り
入れたのが信玄だったといえよう。まず「寄親」と呼ばれる部隊長を任命(大
抵武田譜代の重臣が就いた)、その下に同心衆、さらに下に被官などの下級武
士をおいた。これが武田軍団の主力であり、他には親族衆・近習衆・直参衆な
どの旗本達、主に甲斐の国境警備の任に就いた津川衆や武川衆、御嶽衆など、
そして占領地におかれた外様の先方衆がある。駿河侵攻後には海賊衆がおかれ
、計53隻の軍船が武田水軍として組織されていた。これらに所属する武士は
知行地に応じて軍役が課せられており、一度合戦ともなれば定められただけの
人数の兵を引き連れ出陣せねばならなかった。信玄はこれを軍法・軍令をもっ
て厳しく統制し、組織力を強めたのである。
これに前述の情報伝達機能が加われば、戦場での用兵が自由自在となる。実際、信玄の采配一つで兵が手足の如く動いたという。まさに臨機応変な作戦が可能なわけであり、北条軍の挟撃の危機にあった三増峠の戦いにおいて見事敵を撃退する事ができたのである
0322人間七七四年
2007/02/24(土) 04:12:23ID:kxvtvBWC策」と『孫子』にある長期の城攻めはあまり好かなかったのだろう。確かに
同じ城攻めでも秀吉のように長期間を要する兵糧攻めや水攻めはあまり用い
ず、金堀衆を使ったり城の水の根を止めたりと短期決戦を狙ったものが多い。
分かるでしょ?秀吉は立派であるけど、こういう考え方もあるんですよ、長期
の城攻めだけが上策では無いということ
0323人間七七四年
2007/02/24(土) 04:20:21ID:B3VgetIs>野戦軍の撃破は戦争の主目的足りえなかったわけ
これも少し勘違いをしている。
むしろ野戦軍の撃破を戦争の主目的としていない日本の時代は戦国時代だけなんだよな。
平安も源平も南北朝も律令時代も幕末も主軍同士の激突が主な攻防戦だったわけだ。
例えば、富士川の戦いなんてそうだけど、いきなり主軍同士が対決している。
この戦いで、源氏が平氏に勝ち源氏の覇権が決定的になった。
源氏と平氏の対立軸は、やはり朝廷が絡んでいる。
平氏は朝廷とつるみ政治的な覇者の立場を崩さないように、台頭してくる源氏の芽を摘もうとした
源氏は、多くの武士の願いである土地所有権を求めて、それを阻害してくる平氏を叩きつぶさなければならなかった。
平氏が存続している限り、武士の栄光はありえない。だから執拗なまでに主軍壊滅に拘った。
なんで主力決戦がメインだったかは「領地の奪い合い」じゃなかったことが大きい。あくまでも敵勢力を殲滅することが目的だったからだ。
要するに「政敵の抹殺」といった類のもので、戦国時代のように「領地拡大」が目的ではなかった。
なので、決戦方かそうでないかは「軍事的」な問題ではなくて、あくまでも日本に限っては、「政治目的」の違いだ。
なぜこうなったかは、「中央政権」の崩壊だ。
以前はいくら領土を奪っても、政治的に繁栄するためには、中央を意識する必要があった。なので政敵を軍事的に抹殺することで、政治的な繁栄を得ようとした。
群雄割拠化が進むことにより、中央の政治的な思惑よりも自家の繁栄の方が重要になった。そのためには、必ずしも敵勢力を殲滅する必要性は無かったため、
「戦略的劣勢」の戦国大名家だけが自家の存亡を賭けて決戦に臨む必要性があったわけだ。
天下を志ざした頃の信長や秀吉や家康に、
敵主力殲滅が多いのはやはり政治的な目的があったからだろう。
信玄も後半になるにつれ、敵主軍の撃破をしようと目論んでいる。
それが三方ヶ原や駿河攻防戦や小田原攻防戦なわけだけれども。
多分、信長との争いでも決戦を嗜好しただろう。勝つと敵が次々離反していってだいぶ楽になるからだ。
下士官よりも従属国人を殺した方が見せしめにはなる。
0324人間七七四年
2007/02/24(土) 05:10:14ID:B3VgetIs野良田
姉川
駿河攻略戦(今川滅亡)
三方ヶ原(下士官の数)
一の谷
天王子(あとは篭るだけ)
関ヶ原
大阪の陣
今山
中富
第二次国府台
応仁の乱
江ロ
戸石崩れ
稲生
三船山(下士官を大量に殺し完全に息の根を吹き返す)
吉田郡山(本拠を包囲される)
月山富田城
神流川
木崎原合戦
明善寺合戦
0325人間七七四年
2007/02/24(土) 06:45:22ID:S3jZL+fp0326人間七七四年
2007/02/24(土) 07:10:45ID:gcCO6jQdこの主張は根本的におかしい 近代以降の事情と中世の事情をまるっきり混同しとる
当時の兵卒はそのほとんどが農村から徴収されるわけだが
当時の農村にゃ 秀吉が刀狩なんて強硬手段で武器を没収せにゃならんかったほどに武器が集められており 修練もそれなりに行われていた
また 体力的にも農作業で十分鍛えられてる 狩猟を生業にしてりゃ弓も引けて当然 近現代人と比較すること自体が間違ってる
落武者狩りの事例を挙げるまでも無いと思うが 当時は農民つったって武器に嗜み弓を引きが当たり前だった時代であり
そういった連中は 徴募し 集団戦のやり方をちょいと教えるだけで即戦力足りうる
いちいち武芸を一から仕込む手間なんてほとんど無視してかまわんファクターだ
扱いにはある程度の専門知識と技術が必要となる銃器の普及率もまだまだ低い時代なわけで
兵士を育て上げるコストが馬鹿高くなってくるのは さまざまな技術革新によって個々の兵士に求められる技能技術がどんどん増えていってからの話だ
ゆえに 指揮官さえ十分に生き残っていれば戦闘力のある部隊を再編するのはさほど難しいことではなく
一戦で指揮官クラス=小領主 国人 豪族の長といったやつらにまで大打撃を与えるのはなかなか達成できる事柄じゃない
だからこそ 野戦軍の撃滅はさほど重視される要素ではなかった
あと 誰も下級指揮官さえいれば軍隊は機能するなんて妄言を吐いてなんかいねぇ
兵站補給の安定やTOPの能力と同格レベルの要素として 下級指揮官の能力も大事だよなっつー話
戦国時代における下級指揮官っつーのは 備一つ一つを統率する国人領主や家臣団であるからなおさらな
俺はあくまでも >288の疑問に答える形で 16世紀の事情で何故野戦が起こりがたかったか 重視されなかったかっつー話をしとる
全然別の時代の事例やらなんやらとごたまぜにしてやたらと話を大きくするんじゃねぇ 論点がずれまくっとるやないけ
0327人間七七四年
2007/02/24(土) 07:47:31ID:gcCO6jQdあの時代なら 戦が終わりゃ農兵は農村に戻って農作業に従事するようになんだから
高度に訓練された職業軍人を揃える常備軍が整備されて以降の時代とごちゃごちゃになっとりゃせんか
当時の戦争はたいして死傷率高くないしな
三方ヶ原で徳川の受けた損害なんてたかが知れてるだろ? 認識違いか?
負けは負けにしても 酒井本多大久保石川榊原らといった主要な家臣団・有力豪族の長といったあたりは誰も死んでねぇし
夜闇を利用してうまく離隔に成功し 浜松の守備を固めることができてる(空城の計はさすがにジョークだろう)
長篠や河越と比較するには規模が小さすぎるだろ
第一 徳川にしてみれば 粘ってさえいれば織田の増援ないし武田の補給切れないし農繁期にかかるがための撤収が期待できるわけで
政治的・戦略的な状況が全く違うだろ
一戦して敗退も主力は健在 家康ほぼ無傷 有力武将や豪族連中もほとんどが生還って状況で
それで政治的混乱起こってばらばらになるほうがおかしいわいな
河越で両上杉が受けた損害は長篠の武田以上のものだろう
何せ扇谷家当代当主が戦死した上継嗣がいないときてる そりゃ大混乱起こって当然だろうさ
軍が壊滅してどうこう以前の問題だーな
0328人間七七四年
2007/02/24(土) 11:00:09ID:jNDi8xVY0329人間七七四年
2007/02/24(土) 11:29:25ID:OtHYfVZ6布陣だけなら関ヶ原とかでもやってるからな。
しかも、武田軍は布陣の変更が上手かった、って話は時々出てきてる。
元々、ろくな統制の取れないような烏合の衆で当たり前だった戦国時代において
少しでもマシに統制の取れた動きをできたら、
とんでもない革命かもしれない。
元々があまりにもひどいんだから、ちょっとでもマシになるだけで、全然違うだろう。
0330人間七七四年
2007/02/24(土) 11:42:51ID:S3jZL+fpそんなに適当じゃないんだってば。
備を始めとした戦闘組織もあるし、ほら貝のような合図もあるし
お使い番を使った部隊間の伝達や統制もあるんだってば。
合戦前の布陣はもちろん重要だし、陣馬奉行っていう役職もあるし、
伏兵を始めとする戦術もあるよ。
0331人間七七四年
2007/02/24(土) 13:34:25ID:AqU9wTiuよっぽど練度の高い備でないと戦闘中の陣換えなり後退は、即潰走の危機に
つながるだろうし。
0332人間七七四年
2007/02/24(土) 13:56:55ID:t7vsqE0a0333人間七七四年
2007/02/24(土) 14:18:45ID:S3jZL+fpそれだから先陣には最強の部隊を通常はもってくるといわれるね。
それで戦線を支えつつ、後方から機を見て兵力を投入し撃破するというのが
あるね。
0334人間七七四年
2007/02/24(土) 14:32:59ID:kxvtvBWCしてますね、まあ信長といえば、一人で突っ走り過ぎて家臣団の信
用を次第に無くしていき、挙句に謀反されるなどという大ドジっぷりww
まあ信玄が病没したおかげである程度天下の端っこを見れたぐらいでしょ
次第に家臣団の結束が高まっていった武田とは偉い違いですねww
0335人間七七四年
2007/02/24(土) 14:56:31ID:jfMcSVs10336人間七七四年
2007/02/24(土) 15:30:03ID:/br92N4o昼から2ちゃん
一日中2ちゃん
見事なニートっぷりだ
0337人間七七四年
2007/02/24(土) 16:11:50ID:CFnNHTLN平日も大体同じだが・・・
0338人間七七四年
2007/02/24(土) 17:43:24ID:kxvtvBWC0339人間七七四年
2007/02/24(土) 17:57:11ID:JkPtxOXy0340人間七七四年
2007/02/24(土) 18:03:30ID:kxvtvBWC0341人間七七四年
2007/02/24(土) 20:19:47ID:DVjNh3KH上洛しても木曽義仲の二の舞になる悪寒
ってか謙信もそうだけど、東国の大名って兵站構築が苦手なのかね?
0342人間七七四年
2007/02/24(土) 20:34:59ID:UHnRrid2西国も大友や島津のように鬼のような略奪をしていたし、日本全部そんなだったんだろ。
武田が抜き出ていたようだが
0343人間七七四年
2007/02/24(土) 20:46:11ID:DVjNh3KH一部の軍事行動で略奪を厳禁した程度の信長がえらい評判になる程度だからなあ
0344人間七七四年
2007/02/24(土) 21:34:45ID:kxvtvBWCアホでも分かる史実通りのことなのに、何で信長オタはこんなに信玄のうそ
でまかしに必死なんだろうか?
0346人間七七四年
2007/02/24(土) 21:48:51ID:Vq6XXnAM洗脳して女子供を戦争に巻き込む方がよっぽど悪だと思うよ
もし相手も戦いにくいだろう くらいの打算があったのなら鬼畜生にも劣るよ
0347人間七七四年
2007/02/24(土) 22:34:32ID:5A5W/WNj0348人間七七四年
2007/02/24(土) 22:50:43ID:kxvtvBWC信長厨でしたwww
0349人間七七四年
2007/02/24(土) 22:51:27ID:JkPtxOXy0350人間七七四年
2007/02/24(土) 22:58:40ID:ZOxVy3Vy0352人間七七四年
2007/02/24(土) 23:14:23ID:kxvtvBWCでは無い。越前しかり、伊勢長島しかり
大体比叡山討伐のきっかけ作ったのは、他ならぬ信長自身だろ、浅井の
考えを無視して朝倉討伐などとアホなことをして。
0353人間七七四年
2007/02/24(土) 23:15:52ID:t7vsqE0a0354人間七七四年
2007/02/24(土) 23:19:35ID:eGXL7JCL0355人間七七四年
2007/02/24(土) 23:33:24ID:S4yILilEやって中世にして政教分離を形にしたことだと思うんだが。
0356人間七七四年
2007/02/24(土) 23:33:36ID:eGXL7JCL信長の理想は>>354みたくバラバラになった
日本に「天下布武」すること。
すなわち中世社会を構成する公家・寺院・町衆・国人その他諸々を服従させて
武家による天下統一を目指したわけ。
0357仙台藩百姓
2007/02/24(土) 23:48:29ID:O190mUon0358人間七七四年
2007/02/25(日) 00:01:31ID:oVWDv0zt0359人間七七四年
2007/02/25(日) 00:05:46ID:SsEnbb6a0360人間七七四年
2007/02/25(日) 00:14:14ID:hx4lhlvO0361人間七七四年
2007/02/25(日) 00:16:27ID:KKNcTzOR比叡山、一向宗も一度に敵に回すようなのは案外戦略下手だとしか言いよう
が無いね。
それに信玄の上洛の大儀を持たせたのも比叡山を焼き討ちした信長自身だ。
0362人間七七四年
2007/02/25(日) 00:20:22ID:KKNcTzOR0363人間七七四年
2007/02/25(日) 00:23:35ID:SQGCDQfR>同じ武家の同盟国を裏切って
同盟?朝倉がいつのまに?ちなみに浅井は信長が裏切ったのでなく浅井が裏切った。
朝倉を攻めるときは〜なんてヨタを持ち出すなよ。
>比叡山、一向宗も一度に敵に回すようなのは案外戦略下手だとしか言いようが無いね。
では古くからの同盟国今川と新たな同盟国徳川をほぼ同時に裏切った結果、北条上杉他
周囲を一斉に敵に回した信玄は案外戦略下手だとしかいいようがないということで。
>信玄の上洛の大儀を持たせたのも比叡山を焼き討ちした信長自身だ
問題は、それに呼応した勢力がほぼ皆無なこと。
0365人間七七四年
2007/02/25(日) 00:27:34ID:hx4lhlvO頭を下げる、というのをそれの謝罪と言い訳にいったという意味でいった。
0366人間七七四年
2007/02/25(日) 00:29:42ID:ZsvQ+6la信長が
「朝倉が大壇越なのはわかってるから味方しろとは言わない、せめて中立を保ってくれ」
と請願したのに、無視して朝倉に荷担したのは比叡山だからなあ・・・・
結局、志賀の対陣で信長は戦略的敗北を喫している
その報復を受けても仕方ない
0367人間七七四年
2007/02/25(日) 01:02:10ID:4KzCAsqXテメーら何をわけのわからねえことほざいているんだ?
(^○^)キャハハハハハハ 〜♪
0368人間七七四年
2007/02/25(日) 01:05:47ID:KKNcTzORの 約 束 を 裏切ったと言う意味で言ったんだよ、ちゃんと文章
読んで自分の頭で整理してからレスしろばーーか
それから武田に同盟を最初に裏切ってきたのは今川の方ですよ、事前
に義信の正室をちゃんと今川に返還してるから、武田の愚行とは言い
切れない。その時点では武田は今川領を分け攻める意味で家康と同盟
を組んでいたんだよ、駿河平定後家康と同盟破棄になったが、逆に今
度は北条と再度同盟を組み直す。
というように北条 今川 家康と全て一度に敵に回してはいませんよ、
そういう下手な外交は組みません信玄は。
あと何度も言うけど、信玄の軍の編成の仕方や戦い方では信長では到
底及びません
0369人間七七四年
2007/02/25(日) 01:08:08ID:KKNcTzOR家康の方だからね、上杉と組んでね。
そういうことは無視して一方的に信玄のやり方がどうのこうのってアホ
ですか?あなた方は
0370人間七七四年
2007/02/25(日) 01:31:05ID:T8r3lt9T信長「で」は じゃなくて信長「に」は だろ? 正しくは 文法からして間違ってるぞ
武田の愚行かはともかく信玄の愚行であるのは確か 所詮信玄はその程度の人物だったということだ
0371人間七七四年
2007/02/25(日) 01:31:33ID:PHzQC4tHメガ豚飽きた
0372人間七七四年
2007/02/25(日) 01:37:22ID:T8r3lt9T上洛の話は散々ループした挙句にやっぱりどう考えても99.999999%無理でした で決着ついてるからな
もし信長と信玄が入れ替わったとしてもやっぱ上洛無理だろう そういう次元 25000で200万石を越える大国織田とどう戦うの
0373人間七七四年
2007/02/25(日) 01:57:08ID:KKNcTzORせっかく援軍を送ったにも関わらず信玄によって家臣を滅ぼされた信長の
マヌケさは?援軍を送らなければ家康の三方ヶ原の大敗は無かったかもね。
それにしても信長厨はと今川厨って良く似てますねwww
200万石以上もあるからどうしたというのですか?織田領の人間全て
農 民 な の で す か ? 何より
家 康 に 3 0 0 0 し か 援 軍 出 せ な か っ た
信 長 が ど う や っ て 武 田 に 立 ち 向 か う ん
ですか?
信長があの当時真剣に危機だったという基本中の基本を全く無視してますね。
0374人間七七四年
2007/02/25(日) 02:11:03ID:SsEnbb6a徳川に大打撃をあたえられれば恩の字って程度もんだったんだろう。
もういいけどさ。3000は篭城のための援軍な。
信長が本当に困ってたのは志賀の陣の時だろ。
信玄が最後の出陣をした時には浅井、朝倉は滅亡寸前だった。
0375人間七七四年
2007/02/25(日) 02:19:57ID:95jUbBh+その辺のソースをまずplz
んで一応、武田は長野攻めで長尾とも対立、今川攻めで今川、北条、上杉と対立してる。
(この辺りの逸話から謙信は援軍としては役立たずと言うことが証明されるわけだが・・・)
三方が原は完全に家康の失策
籠城するなら十分の兵力送ってるし、兵力の上回る敵軍相手に野戦に出てったらダメなのは当たり前
信長的には家康を無傷のまま残して信玄が進軍するようなら挟撃させたかったと考えてたのかもしれないね(あくまで推測なのでどうとも言いようがないが)
挟撃の場合は正面から30000、家康が15000弱
これの挟撃が信玄の25000で耐えきれるとは到底思えない、むしろ殲滅されるんじゃないのか?
0376人間七七四年
2007/02/25(日) 02:42:04ID:KKNcTzOR史実では動員してないでしょうが (失笑)
信長が畿内を動けなかったのは何故でしょう、ちゃんとそれに答えら
れるのですか?
信玄はそういうことも見計らっての浜松侵攻でしたよね、で?武田軍
に突撃してしまったという家康のミスについて何も聞けてませんが?
結局、背を向けたふりをした所を武田軍が迎撃したってのが正しいん
ですよ、家康のミスというよりは誘導させた信玄の戦術。
0377人間七七四年
2007/02/25(日) 02:48:23ID:LQrwJeSy99.999999%無理って程完璧な状態じゃないと思う
信長と信玄が入れ替わればまだ可能性はあるんじゃないか?
信長が武田軍を率いても史実の織田軍を指揮していたような能力が発揮されると仮定してだが
テンプレによるなら相手に割ける兵力は徳川の分織田が多い程度なんだし
逆転の可能性は多少はあると思う。
0378人間七七四年
2007/02/25(日) 02:56:23ID:KKNcTzOR信 長 が 自 身 の 領 内 の ど こ で 信 玄 を 迎 え
撃 っ て ど れ だ け の 軍 勢 で 対 決 す る の か
が 一 度 も ア ン チ か ら 提 示 さ れ て ま せ ん
がwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
話をそらして、家康のことばかりワーワー言っても意味無いんですよ。
0379人間七七四年
2007/02/25(日) 03:17:41ID:b5M2R37u0380人間七七四年
2007/02/25(日) 03:24:19ID:JY+VrQ5v近畿方面がちょっと落ち着いた段階になってようやく武田出撃→既に武田に対応するだけの余力があり迎撃準備→結局信玄が病気で乙って撤退
病気で倒れなければあのまま勝っていたって言っても、癌だったとか言われてるしある程度の前兆はあったはず。
陣中で自分が倒れる事も考えないで、微妙な出撃を決めたのが手痛い。
0381人間七七四年
2007/02/25(日) 03:31:00ID:V2iUDfx+やはり時代の中心にいたのは信長だったわけ。
0382人間七七四年
2007/02/25(日) 03:38:44ID:KKNcTzORを進めれないのですねアンチはwww
さてさて直接対決となればどうなっていたでしょうか?
0383人間七七四年
2007/02/25(日) 05:15:33ID:LQrwJeSyあと1年、せめて半年早ければまだ望みはあったかもしれないのに
0384人間七七四年
2007/02/25(日) 08:13:48ID:JY+VrQ5v0385人間七七四年
2007/02/25(日) 08:30:06ID:4KzCAsqXあと信長が信玄を領内のどこで向かい撃って聞かれてもな、
信玄の方こそ何処で対決する気だったか知りたいね。
家康に勝っただけで十分だろ、信長に勝とうなんて失礼だぞ。
現代がトヨタに売り上げで勝とうと妄想するようなもんだぞ。
0386人間七七四年
2007/02/25(日) 10:28:04ID:5Z8b7hNP浜松城を囲んで落としておけば、勝頼の代の火種は少しは減ったのに
なんで三方ヶ原後に攻めなかったのかよくわからん。夜の追撃が難しいのなら朝待って囲めばいいのに
略奪依存の体質だから一箇所に留まることはできなかったのか?
0387仙台藩百姓
2007/02/25(日) 10:54:44ID:cPncQH5r義昭の駒の一つである武田が上洛した所で武田の天下になるわけじゃない
みんなで行けば怖くない的発想でもしかしたら美味しい思い出来るかも
程度の考えしかなかったでしょ
0388人間七七四年
2007/02/25(日) 10:56:50ID:5Z8b7hNP0389人間七七四年
2007/02/25(日) 11:29:27ID:Id3ZNzUf兵力差考えれば浜松囲んだところで落とすことは出来ないだろうし
信玄が北遠江奥三河の支配を固めたのは自然なことだとは思う
0390人間七七四年
2007/02/25(日) 11:29:42ID:wi7AM3+e0391人間七七四年
2007/02/25(日) 11:31:51ID:Zocyo0hr4月になるまでずっと武田の2万5千が三河に居座り続けたんだよな?
周辺の豪族やら城主にとってはすごい圧力だとおもうけど
なんで寝返る城がでなかったんだろ?
それとも書かれてないだけで出てたのかな?
0392人間七七四年
2007/02/25(日) 11:44:11ID:4NYifyId0393人間七七四年
2007/02/25(日) 11:45:32ID:Z+nSRrPs0394仙台藩百姓
2007/02/25(日) 11:52:25ID:cPncQH5rお漏らしより信用ない信玄可哀相・゚・(つд`)・゚・。
0395人間七七四年
2007/02/25(日) 12:21:28ID:95jUbBh+歴史小説や講談>歴史の一級資料と思ってる典型的な香具師か
っとチラ裏
それよりも最近感じたことで主観的になって悪いが、三方ヶ原って家康が籠城してたら長野戦や村上戦みたいな
状況に似てそうな気がしてならない。この辺どう思うよ?
0396人間七七四年
2007/02/25(日) 12:39:27ID:kI7EGHKB海(湖)からの補給が出来るからるから、包囲には強そうだが
0397人間七七四年
2007/02/25(日) 12:42:38ID:InnEWrEp長期で見れば織徳同盟の方が有利だからね。
ヘタに武田に寝返ったら織徳の巻き返し後が怖いし、実質的に自分の領地が武田に攻められて
命の危険がでるまではワザワザ自分から武田には寝返らないだろう。
>>395
>目が豚はテンプレも読めないみたいだし相手するだけ無駄だね
>歴史小説や講談>歴史の一級資料と思ってる典型的な香具師か
そんな事みんな分かっているだろう。
まともに史料を出さない奴はみんなもまともに相手していないよ。
豚は釣っているつもりだろうけど、みんなおちょくり返しているだけ。
まともに相手してもらっていると思っているんなら豚は頭悪すぎ。
まぁ豚を自称するくらいだから馬鹿にされて喜んでいるマゾ豚かも知れないけどね。
0398人間七七四年
2007/02/25(日) 13:58:45ID:x2vlVUpp一発勝負に持ち込んでしばらく動けないようにしたかった信玄の作戦は上手くいったが
意外と三河遠江の諸豪族が武田になびかなかったのかもね。
結局は織田家本隊を直接叩くしか、なびかせる方法は無かった
でも、今川スレと同じだけど2万5千じゃ尾張までな気がするよ
尾張に兵を裂いて更に西へ進軍 は、ちと考えられない。
畿内の反織田勢力は、あくまでもリアクション大名なわけで
0399人間七七四年
2007/02/25(日) 15:18:44ID:JY+VrQ5v浜松城は戦国期としては珍しい石垣を備えた城
城っていうと石垣があるイメージがあるが、戦国期の真っ只中において石垣を備えた城はそんなに多くなかった。
0401人間七七四年
2007/02/25(日) 17:40:39ID:OS36ITfh武田が帰った後に織田、徳川に滅ぼされたらかなわん。
0402人間七七四年
2007/02/25(日) 18:13:41ID:KKNcTzOR以上、信玄が死んだのを言いことに、妄想ばかりにふけてる惨めなレス
祭りでしたwwww
まあ一番状況が複雑な時に死んだからね信玄は、単純に考えてあのまま生
きてれば、野田城落城〜更に三河遠江に侵攻三河、となればクソ漏らし臣
従は、どう考えても有り得るね、てゆうかそれしかクソ漏らしに道はなか
ったでしょ、それと信玄は元々長期の城攻めを下の下策と見ているらしく
浜松城は最初から無理に攻めなかっただけのこと。
0403人間七七四年
2007/02/25(日) 18:21:29ID:KKNcTzORとなった時の状況を未だに説明出来ない姿はマジで笑えるwww
武田は時間が経過すれば本領に引き上げるって?なら再び信玄が攻めてきた
時の状況は?浅井朝倉を抑えて、周囲の一向宗もちゃんと抑えて、その上で
信玄とどこかで一騎打ち出来るっての?ええ?(笑)
残念だけど調略で一向宗も浅井朝倉も再び奮起するってことを考えた方がい
いね君達はwww
信玄は前の出陣で攻略した領土に備えの武将を置いておけば問題ないし、移
動速度も増してくるから、まあ尾張か美濃あたりで信長をペチャンコにしちゃ
いますねwww
0404人間七七四年
2007/02/25(日) 18:26:45ID:hEUtLOv90405人間七七四年
2007/02/25(日) 18:28:17ID:b5M2R37u0406人間七七四年
2007/02/25(日) 18:31:32ID:KKNcTzORまあ信長が長篠の合戦のような馬防柵みたいなのが、この時点で起用してく
るとは思えないし、勝頼相手にあのような策を使わなければならない信長に
信玄を倒せるとは到底思えませんね^^
0408人間七七四年
2007/02/25(日) 19:08:35ID:KKNcTzOR>民衆は信長の政策を支持していた、とも考えられる。
「織田信長が徳川家康軍とともに、初めて上洛したとき(永禄11年9月)
両軍の兵士は乱取り(略奪・強姦)に熱中し、あげくは古烏帽子ひとつ
を奪い合って戦闘(内ゲバ)を始めた」(「三河物語」日本思想大系、岩波書店刊)
>むろん、抵抗する一向一揆は皆殺しにしたが、
「生け捕られ信長のもとに送られた数は一万二千二百五十人あまり
ほかに、生け捕りと誅せられたる分(略奪された人々)、三、四万にも及ぶべく
候か」(「信長公記」岩沢・奥野、角川文庫版)
つまり、一向宗徒を略奪(奴隷化)するのが織田軍の目的だったわけだ。
>経済政策が支持され、城下町ができると民衆(商人や消費者)
>が集まってきた。京都の人々も信長を支持。
「京中辺土ニテ、乱妨ノ捕物共、宝ノ山ノ如シ」(天正元年、織田軍上洛ノコト・「永禄年代記」「続群書類従」)
つまり、織田勢が再上洛したときに、京都で乱妨狼藉がくり返され、
略奪品が宝の山のようになったという史料だ。京都の人々が怯えている史料も
ほかに多数ある。まるでナチス並みの鬼畜だな、信長の組織した軍隊は。
0409人間七七四年
2007/02/25(日) 19:11:54ID:KKNcTzOR【ふつうの人間が抱く疑問】
信長厨はなんでこうも「天才、天才」と得意げに語るんだろう?
別にあんたらが天才なわけでもなく、何をした訳でもないんだろうに。
【臨床医学的な解答】
心理学的に云う「ヴァーチャル・アイデンティティ」(仮想世界に自分を仮託する)
つまり、自分がゲームの中の主人公に置き換えられてしまい、その主人公が危機に晒される
(批判される)と、自分の存立そのものが侵されたという危機感に陥る。
したがって、仮託した主人公(信長)のライバルや仮想敵を攻撃することで、
危機を回避する心理構造。歴史解説書やPCゲームで信長厨になった人間は、大抵の場合
これに該当する。現実世界では惨めな自分が、信長となって天下を統一するという
仮想世界に生きるのが、彼らの唯一の癒し。病人だから大目にみるように。
【理論的補足】
なぜ信長厨に特有の症状かというと、単純な最強英雄願望がその底辺にある。
秀吉(信長の部下)や家康(同盟者)では、その英雄願望は充たされず、
ましてや他の戦国大名は、信長に仮託した自分の攻撃対象にすぎないから。
ついでに付記すれば、信長が天下統一の途上で斃れたことも影響している。
信長が生きていれば、この閉塞感のある世界も変わっていただろう・・・・、と。
0410人間七七四年
2007/02/25(日) 19:14:06ID:4KzCAsqXして山へ帰るくらいだな。無事退却出来ればの話だが・・
>>403
大河見て寝ろ
0411人間七七四年
2007/02/25(日) 19:19:18ID:oVWDv0zt「信長厨」を「信玄厨」に変えて
「天才」を「戦国最強」に変えると・・・
あーら不思議、意味が見事に通じるのでした。
0412人間七七四年
2007/02/25(日) 19:45:36ID:KKNcTzOR武田軍によって織田領は削り取られていくんですね。
0413人間七七四年
2007/02/25(日) 19:53:42ID:JY+VrQ5v0414人間七七四年
2007/02/25(日) 20:03:22ID:4KzCAsqX>>409
他のスレでも見たコピペだな、信長叩いて苦しくなると意味も無く
貼りまくる。かなり病んでるようだな
0415人間七七四年
2007/02/25(日) 20:51:50ID:KKNcTzOR信長の虐殺の比では無いってことだ
>>414
そうそう信玄叩いて苦しくなると、勝頼を持ち出すんだよなあ
信玄>>>>>>>>>>>>信長は常識ですからwww
0416人間七七四年
2007/02/25(日) 21:15:03ID:JY+VrQ5v比叡山の場合は浅井・朝倉軍を匿い「せめて中立の立場を取れ」って言っても聞かず、半ば信長包囲網の一角として比叡山が機能していたのだから、ある意味虐殺よりも戦闘に近い。
伊勢長島も、民衆が相手ではあるが、一揆として蜂起した連中でもある。これも戦闘に近い面がある。
だが略奪というのは、そこら辺の別にろくに抵抗してもいない農民を相手取るんだから、農民達にとっては目立って敵対しなくても奪いにくる信玄の方が脅威だったと思う。
0417人間七七四年
2007/02/25(日) 22:06:13ID:T8r3lt9T信玄の虐殺&略奪には意味が無い
ここが信長と信玄の絶対的な差 スケールでも中身でも所詮信玄は信長に勝てない
0418人間七七四年
2007/02/25(日) 22:55:24ID:i1zQlxm70420人間七七四年
2007/02/25(日) 23:27:17ID:e7K9aofx0421人間七七四年
2007/02/25(日) 23:28:41ID:T8r3lt9T武田や上杉の小説もたまに読む程度
0422人間七七四年
2007/02/26(月) 00:08:05ID:xoI6l95I>>408のレスは特におかしくないと思うんだが。
ちょいと信長を過剰に持ち上げすぎじゃないかい?
略奪が当時としてはありふれていた以上信長軍団もそれに手を染める事は
もちろんある。その頻度が他国より少なかったかもしれないがやる事はやっていた。
あまり過剰に信長のだけ「意味がある」「相手が悪い」とだけするのは
どうかと思う。
0423人間七七四年
2007/02/26(月) 00:20:51ID:NoON4Njg0424人間七七四年
2007/02/26(月) 00:56:30ID:xoI6l95I0425人間七七四年
2007/02/26(月) 00:59:46ID:U+uTaqKM越前 比叡山 伊勢長島 伊賀 などで総勢何万人と大虐殺してるのを
マジで正当化している信長厨は痛すぎるwwww
その一向宗と戦闘する引き金を引いたのは信長自身だという問いには
一切答えられずwwwwそしてあげくには家臣から謀反される始末w
何でもかんでも皆殺し作戦だったねえ、キャハハ
一部の馬鹿な家臣の身勝手な略奪だけを抑えて家臣団を最終的に統率
出来た信玄とは雲泥の差だね
0426名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/26(月) 01:04:37ID:iXbe19ya生のキチガイ見れて良かったよ。勉強になった。
あんなのリアルじゃなかなかお目にかかれないからなあ。
しかし親御さんもさぞかし困っておいでだろう。同情する。
0427名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/26(月) 01:13:06ID:iXbe19yaお前も2ちゃんだからそういうレスするんだろう。
もちろん現実じゃそんな態度はとらないよな。
でも、お前友達少なめで不遇な生活送ってないか?
2ちゃんねるだから、ってそういうことできてしまう奴はその時点で社会不適合者なんだよ。
普通の人は2ちゃんねるであってもそんな書き込みしないからね。
かわいそうに。
0428人間七七四年
2007/02/26(月) 01:16:34ID:NoON4Njgそうか?
信長は確かに大勢殺してるが、その相手は軍事行動の対象(敵対者)
頻繁に略奪していた武田のほうが、ただの農民にとっては脅威だったっていうのが正しいと思うが
そりゃあ織田の軍勢だって略奪はするだろうが、武田>織田の略奪頻度なのはほぼ間違いない。
0429人間七七四年
2007/02/26(月) 01:22:55ID:U+uTaqKMしかし上田原合戦〜信濃平定につれてだんだん無くなっていくん
だからまだしもだね。
しかし信長の行為をここまで正当に擁護するのは、まさしく脳細胞
が麻痺している信長厨ゆえのことか?お前らの方こそ歴史作家など
の意見に刷り込まれてるだけだろ?
まあ自ら招いた失策で多くの虐殺に至った信長は戦略も統治も下手
どへ〜〜〜たです
0430人間七七四年
2007/02/26(月) 01:25:06ID:xoI6l95I書いている。ただそれでも信長軍もやることはやっていた以上、
信玄の虐殺には意味がなく、信長のにはある、絶対的な差があるというのは
どうかなと思ったんだよ。まあ、これはあなたのレスじゃないのかもしれんが。
0431人間七七四年
2007/02/26(月) 01:30:34ID:Trk0WkGM信長も信玄も同じようなもんだろ
0432人間七七四年
2007/02/26(月) 01:46:59ID:NoON4Njgなんかスルーされてて可哀想だから相手してやるが、それを言ったら信玄だって北信濃攻略に当たって上杉に根回ししないっていう失策で上杉と長年の敵対関係になったじゃん・・・
謙信と敵対してたから、包囲網以前に西進できなかったんだしな。
0433人間七七四年
2007/02/26(月) 01:57:28ID:U+uTaqKMあったとしても今川北条が後ろにいた以上、上杉を旨く抑えても
西上は難しかったと思う、それに信玄の虐殺行為ってみなさん散
々言ってるが、それなら武田領内で一揆とか起こった試しあるの?
特にでかいやつとか。
それと虐殺って書いてある資料が創作だという認識は??
0434人間七七四年
2007/02/26(月) 02:04:50ID:U+uTaqKM0435人間七七四年
2007/02/26(月) 02:06:29ID:NoON4Njgそれから、略奪するのは攻めた先の現地で奪い取るってこと。自分の領国で略奪なんてやるわけがない。
そして資料の事を持ち出すなら、散々講談関係を持ち出してきた自分からな・・・
0436人間七七四年
2007/02/26(月) 02:07:19ID:U+uTaqKM信玄の虐殺人数=推定数千人(あればだが)
0437人間七七四年
2007/02/26(月) 02:08:38ID:vuXbvX/x三河に居座ったといっても三河の外れの方だしね
でも野田城周辺から北はほぼ寝返っていると思うぞ
石高的には三河の15%ほどだが
>4月になるまでずっと武田の2万5千が三河に居座り続けたんだよな?
それにこの程度で凄い圧力となるなら
近江に居座った織田軍のほうが規模期間共に上にもかかわらず
寝返らない城は多々ある
>>408
史料はともかく何でそういう解釈になるんだ?
文章の前後や背景を無視して意図的に事実を歪めているぞ
>>410
浜松の方が城としては上なんじゃないか?
石垣を備えた近世城郭でしょ一応
>>416
虐殺と言う言葉は戦闘員軍隊相手にも使える言葉じゃないか
比叡山はともかく、伊勢長島の方はほぼ無力化していた相手を
殲滅したのだから虐殺でもいいと思う
>>417
虐殺はともかく略奪焼き討ちは当時では
相手の経済力に負担を与える基本的な戦術でしょ
信長だって信玄だって一杯やっている
例えば信長は自ら刈田をしたりもしているし
71年か72年には浅井領の大半を焼き討ちしたりしている
朝倉滅亡時にも略奪は起きているし
京都などの都市を保護したりもしているが、それ以外は普通でしょ
流石に信玄みたいに本尊を奪い去るみたいな真似はしてないが
>>422
そうでもないと思うが、上でも書いたが解釈がぶっとんでいる、例えば
>「京中辺土ニテ、乱妨ノ捕物共、宝ノ山ノ如シ」(天正元年、織田軍上洛ノコト・「永禄年代記」「続群書類従」)
上京焼き討ちは義昭を脅すためであってこの結果か義昭は和睦に応じている
そしてこの焼き討ちで迷惑した京の民衆に対しては地子銭と諸役の取り立てを猶予し、
結果町の復興は早まり、すぐに町々は焼き討ち前の様子に戻ったことを無視するのは
どうかと思う
0438人間七七四年
2007/02/26(月) 02:09:01ID:U+uTaqKM虐殺=wwwwもはや言うまでもない
0439人間七七四年
2007/02/26(月) 02:12:21ID:U+uTaqKM信玄が死んだという報が敵に知れ渡ってたんだろ、それに武田軍は
時期に引き上げてるし、三河遠江をそのまま攻略せずに
0440人間七七四年
2007/02/26(月) 02:16:37ID:vuXbvX/x個人的には志賀や小岩岳の虐殺略奪は必要だったのか分からない
見せしめとしての効果があったようには思えないし
一揆のように軒並殺す必要があったのかどうか
>>431
焼き討ちにかんする記録は両者とも多いな
焼き討ちするぐらいなら当然略奪だってやっていると考えるのが自然だな
0441人間七七四年
2007/02/26(月) 04:35:12ID:HNHPJ/HD>18>19>20>26>32>33>35>38>39>40
>41>49>53>56>58>60>64>65>66>68
>69>71>73>75>76>77>83>84>88>91
>94>117>119>133>134>140>150>151>158
>161>163>164>165>166>167>171>176>177
>183>184>190>194>219>220>223>231>235
>243>245>250>255>266>271>273>275>277
>282>286>290>292>296>298>301>305>314
>315>316>321>322>334>338>340>344>352
>368>369>373>376>378>382>402>403>406
>408>409>412>415>425>429>433>434>436
>438>439
112/440 多すぎ
0442人間七七四年
2007/02/26(月) 05:35:58ID:L76L2NBZ0443人間七七四年
2007/02/26(月) 08:11:54ID:7GqSAOUyttp://www.sasakijo.com/kiba.htm
0445人間七七四年
2007/02/26(月) 13:07:45ID:Tgpglclf伊勢長島にこもっていたのか一向宗門徒です。
長島を退去したとしても石山本願寺に入るか、ほかの地で
一揆を繰り返すと判断したのでしょう?
0446人間七七四年
2007/02/26(月) 13:51:33ID:Jl76X462本願寺が織田と講和してた時に越前で一揆が蜂起
出先が勝手にやったことにすればいいのに、本願寺は坊官派遣してそれを追認しちゃう
講和破り一回につきお返しの講和破り一回
ヤクザちっくにいえば血のバランスシートを取ると
もっとも当時の人口や軍の殺傷能力からして本当に万単位で殺せたか疑問
追い散らした分も示威のために加算したとか
0447人間七七四年
2007/02/26(月) 13:57:52ID:2M1Sh8HN退散するって言うから見逃したら他の一揆に合流したとか。
こんな奴ら見逃す分けないだろう。
0448人間七七四年
2007/02/26(月) 14:22:53ID:1pin2hxHこれぐらいは、まともな想像力のある人間なら簡単に思いつくでしょ。
ちゃんと前提で話してると思うよ。でなきゃ、どこぞの豚と同じだ(笑)。
0449人間七七四年
2007/02/26(月) 18:00:38ID:U+uTaqKM内心悔しがってる姿が目に浮かぶから信長厨はからかわれるんですよ。
0451人間七七四年
2007/02/26(月) 18:13:18ID:NoON4Njg真性を装って武田を褒め殺しにする新手のアンチ武田か
どっちかだな
0452人間七七四年
2007/02/26(月) 18:18:14ID:U+uTaqKM書かれていないなどのことには興味ないんだろ、本当に捏造であれば
もっと世間に広まってるだろうし
むしろ信長厨のようなアンチ武田の連中の方がそういった史料に興味
あるんならとっくに自身で調べるような行動をとらなきゃいけない
そして調べ上げ、愕然とし武田への嫉妬心からせめて2ちゃんでは叩
いてやろうとするどうしようもない態度w
また、メガトンは基本的な事は周知してるがアンチの中にはそれすら
も知らず、ひたすらアンチをする毎日w
0453人間七七四年
2007/02/26(月) 18:20:43ID:w+ocYnNx0454人間七七四年
2007/02/26(月) 18:22:10ID:NoON4Njg0455人間七七四年
2007/02/26(月) 18:25:40ID:NoON4Njg0456人間七七四年
2007/02/26(月) 18:30:21ID:U+uTaqKM・信長の大量虐殺について何も言い返せないアンチwww
・作家学者の殺戮擁護に刷り込まれてることも気が付かないアンチwww
・信長自身の戦略ミスから招いた包囲網について何も言い返せないアンチwww
・結局家臣団の統率を最後まで出来ず、無様に光秀に殺されたことに対して
何も言い返せないアンチwww
0458人間七七四年
2007/02/26(月) 19:43:48ID:U+uTaqKM0459人間七七四年
2007/02/26(月) 19:46:23ID:w+ocYnNx0460人間七七四年
2007/02/26(月) 21:00:18ID:spErszio0461人間七七四年
2007/02/26(月) 21:59:55ID:726emJfD本当に逝っちゃってるな・・・
0462人間七七四年
2007/02/26(月) 22:55:14ID:X+b7PEyX書かれていないなどのことには興味ないんだろ、本当に捏造であれば
もっと世間に広まってるだろうし
むしろ信玄厨のようなアンチ織田の連中の方がそういった史料に興味
あるんならとっくに自身で調べるような行動をとらなきゃいけない
そして調べ上げ、愕然とし織田への嫉妬心からせめて2ちゃんでは叩
いてやろうとするどうしようもない態度w
0463人間七七四年
2007/02/26(月) 23:07:35ID:U+uTaqKM0465人間七七四年
2007/02/26(月) 23:21:46ID:Vu0Eg+/Dっーかメガトンww
IDも変えずに自演で自分を擁護しちゃうようなお馬鹿さんが何言っても無駄だよ^^
とりあえず自演で擁護しなくてもいいようにまともな知識をつけてこようねww
0466人間七七四年
2007/02/26(月) 23:31:09ID:726emJfD0467人間七七四年
2007/02/26(月) 23:31:36ID:X+b7PEyX悪いがインチキ大河観てないんだ。
お前、社会人じゃないだろう中学生か?それとも信玄大学
とか言ってた奴?
0468人間七七四年
2007/02/26(月) 23:32:45ID:aGWEyaFM0471人間七七四年
2007/02/27(火) 00:23:38ID:p5ZJgQJL0472人間七七四年
2007/02/27(火) 09:14:07ID:ntQ+1sJJ恩賞に事欠いて滅ぼした豪族の婦女を有力武士に与えるような真似までしているし
略奪と現地調達に依存した兵站を改善できなかった結果、小城ならともかくとして防御の堅い敵の重要拠点を攻囲できないといういびつな戦略をもたらした
勝頼に三年喪を秘して軍事行動控えろと遺言したというが(軍鑑なので信憑性はアレだが)、むしろ信玄自身がそれをやっておくべきだった
0473人間七七四年
2007/02/27(火) 09:26:28ID:S25KmMAQ一言でまとめたみたいな文章になっていてよく分からんし
3年喪を秘せなんて映画やテレビでしか聞かないような話が
出てるが、とりあえず板垣甘利が実権を握っていた統領
初期の時代、甲斐連合軍が機能し始めた北方侵攻時代、
義元の死で南方へ矛先を変えた時代、織田徳川と決戦を
計画していた時代では甲斐軍の体制も武器装備も全然
異なるのだから、どこにポイントを置くかを明示した
方がよいと思うが。
0474人間七七四年
2007/02/27(火) 09:39:41ID:ntQ+1sJJ合流した、じゃなくてもろ講和破りの攻撃をしている
「彼一揆原所々盾籠之間、攻死べし之処、種々詫言の令に依って赦免候」
(大鳥上総介宛信長書状)
侘びを入れたので赦免して帰ろうとしたら一揆勢に襲われて氏家ト全らが討たれている
伊勢への過酷な仕打ちはこの懲罰だと思われる
武田氏への扱いもそうだが、信長はこの手の同盟盟約破りにはかなり厳しい扱いをしている
0475人間七七四年
2007/02/27(火) 11:13:36ID:1h5ZBD9M小山田は笠原の未亡人を恩賞として貰う
秋山は遠山の未亡人を城もろとも奪う
上級幹部がこれだけ略奪人攫いに手を染めた大名家は珍しい
公家の娘を無理矢理妾にした木曽義仲以来の伝統か
0476人間七七四年
2007/02/27(火) 12:03:00ID:16Q3PfJE0477人間七七四年
2007/02/27(火) 12:15:51ID:eEccM2YS目先の利益に拘って条約等を破るのは論外以外の何物でもないがな
0478人間七七四年
2007/02/27(火) 18:21:17ID:neVLmYnhの行動をワーワー言っても、大 量 虐 殺 と の 比 に は な り
ま せ ん か ら ね え え え え え え え (笑)
>>472 信玄は長期の城攻めになるような戦が嫌いなだけ、狙った拠点は
ちゃんと攻略してきてますからねえ。
まあ一番ややこしい時に信玄は死んだから、妄想だけであの攻略がどうだ
あそこがどうだなんてのはいくらでも言えるわな
0479人間七七四年
2007/02/27(火) 18:23:07ID:neVLmYnhそのクソ城の城主は降参してたでしょうね、これは妄想ではなくて当た
り前の常識
0480人間七七四年
2007/02/27(火) 18:45:07ID:HItPgYRR0481人間七七四年
2007/02/27(火) 18:49:48ID:fJfriCU30484人間七七四年
2007/02/27(火) 20:33:49ID:neVLmYnh・墨俣などという、もろ敵の領内で城を作ろうとし、その度に敵に邪魔され
続け同じことばかりを繰り返すwww
・自らのご都合的な考えから招いた朝倉攻め失敗〜浅井裏切りで死にそうに
なる、結果包囲網を招くwww
・自ら招いたミスによる包囲網の中、比叡山を焼き討ちし武田信玄に西上の
決意をさせ、窮地に追い込まれるwww
・因縁から敵将の頭を金ピカにし、杯として家臣に酒を振舞おうとする異常
な行為www
・アホのように、一向宗皆殺し〜一般民衆も巻き添え〜伊賀の民も無差別に
を繰り返すwww
・石山合戦を無駄に続けること十年、結局信長の天下統一を遅らせることに
なるwww
・京へ上洛後、家臣団による略奪虐殺の繰り返しwww
・家康の息子に嫉妬し、正室共々殺させるwww
・光秀の忠告や何でも無い態度に対して、アホのように怒り続け、所領を没収
する上、戦に行けというマヌケな指示の仕方www
・父信長死後、何を気が狂ったのか安土城に火をつける信雄の信じられないマ
ヌケな行為、しかも敵がいなくなった後にである(爆笑)www
・豪快な戦馬鹿の柴田を後見人にし、結局自滅する信孝www
・後で天下を貰えると勘違いし、兄弟間で殺し合いを演じる(しづがたけ)www
・現代の末裔は「エロカワイーーー!」などとテレビ中継でアホをさらけ出し、
マザコンであり、いじめられたような泣き方をするほどのマヌケぶりwww
0486人間七七四年
2007/02/27(火) 20:37:26ID:HItPgYRR0487人間七七四年
2007/02/27(火) 20:43:48ID:IUuo+XRT0490人間七七四年
2007/02/27(火) 22:11:48ID:0Kpnu9tJ・旭山城などという、もろ敵との交戦地帯で城を作ろうとし、その度に敵に邪魔され
続け結局取り潰すwww
・自らのご都合的な考えから招いた砥石城攻め失敗〜大敗で死にそうに
なる、結果部下を大量に死なすwww
・自ら招いたミスによる今川侵攻の中、北条が武田との敵対する事を決意をさせ、
窮地に追い込まれるwww
・因縁から志賀城、小岩岳城の住人を皆殺しにし、家臣に領主の女を振舞う異常
な変質者www
・アホのように、降伏した兵を皆殺し〜一般民衆も巻き添え〜信濃の民も無差別に
を繰り返すwww
・川中島の合戦を無駄に続けること十年、結局武田の天下統一がただの虚言妄想に
終わるwww
・信濃への侵攻後、家臣団による略奪虐殺の繰り返しwww
・息子に嫉妬し、殺すwww
・父親の忠告や何でも無い態度に対して、アホのように怨み続け、所領を没収
する上、家を追い出す恩知らずな態度www
・父信玄の死後、何を気が狂ったのか大敗に大敗を重ねるマヌケ行為、
しかも10倍の兵力で敵に負けるのである(爆笑)www
・豪快な戦馬鹿の勝頼を後見人にし、結局自滅するwww
・上洛をすれば天下を貰えると勘違いし、惨めに病死(みかたがはら)www
・現代の末裔はオセロで上杉に敗れるwww
これで満足?w
0491人間七七四年
2007/02/27(火) 22:15:27ID:WApHXpiW0492人間七七四年
2007/02/27(火) 22:22:48ID:0AJQGYF4講談話まで史実と信じこんでやがるのかww
0495人間七七四年
2007/02/27(火) 22:56:24ID:neVLmYnh砥石城攻略のどこがご都合敵なの?信濃攻略に必要な拠点だろばーーか
駿河攻略が信玄のミスって?両家と敵対するの承知で始めた戦だよ、弱
体化した隣の大国をそのままにしておけば、北 条 や ク ソ 漏
ら し に 平 定 さ れ るって考えねえのかバーーーーーーーカ
川中島の戦いが不毛に終わるって?北信濃の領有に関わる戦のどこが不
毛なの?上杉にあれ以上南下されれば武田にとって都合が悪いに決まっ
てるだろターーーーーーコ
北条と同盟組んでた以上、あの時点で上杉と和議なんて出来るわけない
しね
0496人間七七四年
2007/02/27(火) 23:00:20ID:7XEOVNV90497人間七七四年
2007/02/27(火) 23:02:53ID:56bKI/P+最初は見てて笑えたがいい加減喰い厭きてきたぞ
0498人間七七四年
2007/02/27(火) 23:05:08ID:neVLmYnh・アホな信長厨は、作家歴史家の考えを真に受けることしか出来ない真性の単細胞であるwww
(大量虐殺=正当化などなど)
・アホな信長厨は、信長を美化するのに一々信玄と比較することしか出来ない惨めぶりwww
・アホな信長厨は、信玄とその軍団が最強と言われてることに嫉妬し続ける毎日www
・アホな信長厨は、信長の大量虐殺と信玄の少量虐殺を一緒にする程の単細胞www
・アホな信長厨は、信長に都合の悪いことは信玄にも強引に当てはめようとする程愚かな生き物www
0499人間七七四年
2007/02/27(火) 23:06:48ID:neVLmYnh・アホな信長厨は、信玄評を貶めたいが為、最初から信玄が天下を狙ってた
という前提で都合よく信玄の行動をワーワー言う始末www
0500人間七七四年
2007/02/27(火) 23:10:27ID:HItPgYRR0501人間七七四年
2007/02/27(火) 23:17:09ID:fJfriCU3こんな状態のスレをどうまとめればいいんだよ?
0502人間七七四年
2007/02/27(火) 23:22:33ID:neVLmYnhという結論に至ります、加えてアンチがいかに単細胞かが伺えます。
0503人間七七四年
2007/02/27(火) 23:26:04ID:ZsA+WCDe0504人間七七四年
2007/02/27(火) 23:27:31ID:HItPgYRR0505人間七七四年
2007/02/27(火) 23:30:21ID:neVLmYnh0506人間七七四年
2007/02/27(火) 23:31:59ID:7XEOVNV9信玄なぞよりよっぽど目的を達成している。
0507人間七七四年
2007/02/27(火) 23:35:19ID:S5eEooGEある意味関心する。
0508人間七七四年
2007/02/27(火) 23:43:00ID:AXsagJ+M真面目に聞くわ
信 玄 の ど こ が そ ん な に 凄 い の ?
・反論用
政治→重税を課していた、国内は疲弊する一方
戦争→格下に2回負けて川中島でも惨敗を喫した 長野を6度攻めて攻めきれず(その領土は北条がおいしくいただきました)
智謀→色々やってるよーなやってないよーな・・
外交→言うまでも無いほどアホ
人事→親を殺し息子を追放 家臣の力が無駄に高まり、国人が反対したら何もできません><
信玄にとって都合のいいことは大抵『講 談』
0509名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/27(火) 23:49:42ID:IuWKnt1Cマジ迷惑だから早く消えてくれよ。頼むよ。
0511人間七七四年
2007/02/27(火) 23:53:57ID:QtIdZPNI長文書く暇あるなら履歴書の1枚も書いて
面接にでも行けばいいのに。
>>505
2ちゃんもいいけど、まず働く事だ。
額に汗して働け
0512人間七七四年
2007/02/28(水) 00:03:15ID:neVLmYnh出来ないよねえ、大体君の言うとおりの大名ならあそこまで版図広げら
れる分けないでしょ、家臣団から謀反されまくりでしょ、一揆起こりま
くりでしょ、武田領内散々に荒らされてるでしょ
政治→→貧乏山国ならではの様々な工夫した治水などは無視なの?
戦争→→結局負け戦しか取り上げても無駄なのです
外交→→また駿河攻略時のこと言い出すんでしょ?>>495にも書いたが
下手なのは信玄じゃなく北条
人事→→無駄に謀反が起きなかったぐらいに抑えてた信玄の統率力が良い
0513人間七七四年
2007/02/28(水) 00:04:53ID:tdPlVJtP0514人間七七四年
2007/02/28(水) 00:05:03ID:7ytjkP95息子に追放されかけている信玄wwww 信長並かそれ以下だな
そもそも信玄にまともな勝ち戦なんてあったっけ? 5分〜7分しかないだろこいつ
0515人間七七四年
2007/02/28(水) 00:06:14ID:7ytjkP950516人間七七四年
2007/02/28(水) 00:11:41ID:uua+zuWJアンチはさすが信長厨らしく、「敵殲滅!!」だけが勝ち戦とか
思ってるんだろうねえ、皆殺し=戦における勝利ってか(笑)
そうだよ、「戦は5分を上とし、七分を中とし、敵殲滅が下である」
という考えが信玄
0517名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/28(水) 00:14:53ID:7j5rW3duひまそうで羨ましい
0518人間七七四年
2007/02/28(水) 00:17:05ID:iulH+ZjE自分が出たい時だけ出てきて後は山に篭ってるから
引きニートに人気なのは当然
0519人間七七四年
2007/02/28(水) 00:17:32ID:GI+PbFMw孫子の云わんとするところは
10勝ってしまったたらそのために慢心を引き起こしてしまう
そうならないように 常に慢心と増長に気をつけましょうね て話が本筋だろうに
というか
無意味に5分勝ちに自制してたからこそ時間切れかましたんだろうがアホうか
0520人間七七四年
2007/02/28(水) 00:19:30ID:uua+zuWJあった。戦国大名の多くは彼ら国人や土豪を自らの家臣団に組み込む努力を怠らなかった。
武田信玄率いる甲州軍団。信玄擁立当初は板垣・飯富、甘利といった有力な国人が家臣として君臨。必
ずしも全て信玄の意になる存在ではなかったようだ。そこで信玄は馬場信房、山県昌景、内藤昌豊、高坂
昌信ら「武田四名臣」といわれた人たちを抜擢し、自らの家臣としている。彼らはもとから武田家の重臣で
はなく、牢人や国衆から取り立てられたものがほとんどだ。さらに真田幸隆など他国の人間を直臣同様の
扱いで遇し、自らの軍事力増強に繋げている。信玄が馬場、山県、真田、高坂、内藤といった名臣たちを
従えて精強な甲州軍団になったのは信玄が直属的な軍事組織を作り上げようとした成果でもあろう。がそ
の一方で信玄は、半独立国状態であった小山田氏を常に戦いの先鋒に命じている。信玄は直属の軍隊を
作る一方で、国人衆を見事操りながら軍事行動を続けている。
0521人間七七四年
2007/02/28(水) 00:22:56ID:uua+zuWJ5分勝ちで敵敗走みたいなの結構あるし、また無理に攻めないで内応で
見方に引き込む=痛み分け=5分勝ちになるでしょ(失笑)
0522人間七七四年
2007/02/28(水) 00:24:47ID:bMwaVx5/という考えが信玄
だから時間だけが過ぎて上洛どころか、信濃平定も
お前の人生と一緒で中途半端で終わったんだよ
明日はハローワークにでも行って来い
0523人間七七四年
2007/02/28(水) 00:27:12ID:GI+PbFMw最終的に味方に引き込んでるならそりゃ大局的には10分勝ちだろーが
その理屈なら敵も将来の味方も一掃しちゃう殲滅戦こそが5分勝ちの理屈だ
味方に引き込むがなぜに痛み分けと=になるのか
国語の授業やり直して来い 日本語がなりたってねぇぞ
0525人間七七四年
2007/02/28(水) 00:42:09ID:uua+zuWJ考えようによっては何とでも捕らえれるだろうが、互いの兵の損失を
考えたら、内応策が5分勝ちでおかしくないだろ、目的の攻略は達成
してるんだから。
敵も将来の味方も一掃するのが5分勝ちって?何その屁理屈、理解力
の無い単細胞は一々レス返してくるなばーーーーか
0526人間七七四年
2007/02/28(水) 00:43:41ID:8xascVIuメガトンさん史料より、まず↓ここ読んで
http://info.2ch.net/guide/faq.html
0527名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/28(水) 00:46:05ID:7j5rW3du>これだから教養の無い生き物は頭が単純なんだよ
論理関係が崩れてる
>何とでも捕らえれる
漢字間違えてる
>目的の攻略は達成
×目的 ○目標
すごくバカっぽいよね。
0528人間七七四年
2007/02/28(水) 00:49:01ID:SEoeVuWGあまりに悪意のあるレスばかりなんでちょいと反論しとくわ。
>>508
>政治→重税を課していた、国内は疲弊する一方
飢饉や水害に悩まされていた山国で治水事業、新村開発、新田開発、度量衡の統一、
商人・職人の保護育成、法度による国内整備、などあの手この手を駆使して国内の安定と
発展を目指した業績は無視か?これらには後世に受け継がれたものもあるぞ。
>戦争→格下に2回負けて川中島でも惨敗を喫した 長野を6度攻めて攻めきれず(その領土は北条がおいしくいただきました)
信長の伊勢長島は格下相手じゃなかったのか?浅井・朝倉にも苦戦したのは無視か?
長野の領地は北条なんかにとられてないぞ。箕輪を落としてしっかり西上野を制圧してる。
>智謀→色々やってるよーなやってないよーな・・
調略・謀略を多用し、勢力をあそこまでひろげたのは悪くないだろう。
>外交→言うまでも無いほどアホ
駿河攻めのことか?本庄や一向一揆、反北条勢力、織田などを駆使して状況を好転させ
目的を達してるのは無視するのか?批判の為の批判にしか見えないのだが。
>人事→親を殺し息子を追放 家臣の力が無駄に高まり、国人が反対したら何もできません><
家臣の力が無駄に高まりって、武田も中期以降は信玄子飼いの旗本たちが取り立てられて
軍の中核をなし、国人達に対する統制は強まっている。小山田にも棟別役を課し、通行税にも干渉し、
母親も人質にとって譜代家老並の職責を与えて家臣化をすすめた。悪くない事だと思うぞ。
0530人間七七四年
2007/02/28(水) 00:57:21ID:GI+PbFMwんじゃあんたの定義する10分勝ちってのはなんだ? ああ?
そもそも目標の攻略を軍事でなく経略外交で達している以上 それは問題なく10分勝ちの類だろうが
目標の攻略を達成している=完全な勝ちっていう理屈すら分からんか?
しかもこの場合は自前の兵の損失を避け 敵の勢力を無傷で取り込んでしまっているわけだからな
それを完勝と言わんでなんというのか
無駄に損害をだし かつ味方にもなりえた旧敵勢力を叩き潰してしまった殲滅戦のほうがよっぽど苦い勝ちじゃろうに
0532人間七七四年
2007/02/28(水) 01:08:23ID:I/MgNMg0おちつけ!
0534人間七七四年
2007/02/28(水) 01:13:42ID:xOnvwRf0毛利みたいに国人勢力が強すぎたり
豊臣政権みたいに外様大名が強すぎたりして
不安定なる可能性はあるな
0535人間七七四年
2007/02/28(水) 01:38:56ID:GI+PbFMw>533-534
いや
彼奴が 敵を殲滅することが10の勝ちであり 諜略内応で味方につけるが5の勝ちであるなんつー
彼がおそらく大好きであろう孫子の兵法と真っ向から対立する主張をほざいておったので
とりあえず細かいトコ抜きで指摘してみただけなんだ
なんて返してくるか結構楽しみなんで とりあえず無視して話進めてくれると嬉しい
0536人間七七四年
2007/02/28(水) 01:41:33ID:uua+zuWJ一言こう書いただけで、しつこく噛み付くその姿勢が理解でき
ないね、君の文章から凄い陰険な感じがするんだが?
そう捉えたいんならそういう風に考えて人生送れば?(笑)
10勝ちを下とするっていう意味は、何も怠慢を呼ぶってだけの
意味じゃない、「敵殲滅=敵から恨まれる」という意味としても
捉えられるんだよ、知らなかった?
従って、内応策によるきれいな攻略の仕方が10にはならないね
無傷での勝利が10にはならない、互いの兵の損失が少ない程5
分勝ちの上になる
0537人間七七四年
2007/02/28(水) 01:51:05ID:GI+PbFMw己の言うところの10勝ちってのは何なのかって聞いてンだよ はぐらかすな
>10勝ちを〜、「敵殲滅=敵から恨まれる」
そもそも敵の殲滅を10勝ちとするって主張は己のモノであって そこから言葉尻を勝手に解釈しとるだけだろーが
およそ、軍勝とは、五分を以って上となし、
七分を以って中となし、十分を以って下となす。
五分では励が、七部では怠が、十分では驕が生じる。
どこに敵から怨まれるどうこうの話が出てるのか また 敵の撃滅を10勝ちとするという己の主張はどこから導きだされとるのか
>内応策による綺麗な〜
凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。
百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。
おい 貴様孫子に喧嘩を売るか
>無傷での勝利が10にはならない、互いの兵の損失が少ない程5 分勝ちの上になる
日本語の意味が分からん
互いの兵の損失が少ないほど良いというなら無傷が最高になるだろう
しかし無傷が10=最高とならず かつ損失が少ないほどってのはどういう理屈を通すのだ
0539人間七七四年
2007/02/28(水) 02:02:40ID:GI+PbFMw頭ン中に 兵の損失が少なければ少ないほど勝ちの度数は上がるって先入観があったから文意読み取れんかったんだな
なんつーか やっぱあんたの10勝ちの定義が気になるわ
自軍の兵に派手な損害を食らいつつも勝てば10なのか
しかし それは一般的には苦い勝ちとか辛勝とか言わねーか
兵力の損耗を抑えつつ勝つのがより良いのではないのか
より損失を少なくすればするほど勝ちの度合いが下がるというのはどういう理屈なんだ
0540人間七七四年
2007/02/28(水) 04:25:29ID:I/MgNMg0そのつぎが圧勝じゃなかったか?
0541人間七七四年
2007/02/28(水) 04:49:54ID:uua+zuWJ「およそ軍勝五分をもって上となし、七分をもって中となし、十分をもって
下と為す。その故は五分は励を生じ七分は怠を生じ十分は驕を生じるが故。
たとへ戦に十分の勝ちを得るとも、驕を生じれば次には必ず敗るるものなり。
すべて戦に限らず世の中の事この心掛け肝要なり」
大勝して、次に負けに繋がるような事と言えば、敵からの恨みを軽視して
る事や、敵はもうしょぼいなどと言う油断から来るものでしょう、別に俺
の考えはあながち間違ってもいないね。
0542人間七七四年
2007/02/28(水) 05:09:00ID:TZLV2AXpよう、馬謖
内応策は交を断つ(信長の美濃調略の様に戦略レベル)、
或いは勝ってから戦う(小早川・吉川の様に戦術レベル)事に該当する、
どちらも戦場で「戦う」より上に位置する問題なんだよ
わかる?
君は「戦ったら勝つ」事を前提に話を進めているけど、それは逆
負ける可能性を1%でも低くするための努力なんだよ
その努力を無視して結果だけ語ってもしょうがない
0543人間七七四年
2007/02/28(水) 05:24:25ID:M5NKk77bだから何度も言うがな
己の言うところの10勝ちってのは何なのかって聞いてンだよ はぐらかすな っつーとんだろうが
っつーかその理屈なら
別に(その意味はどうあれ)10勝つことそれ自体は問題ないって話になるだろーが
10勝って尚慢心せずことに当たれば万事OK問題なし
敢えて5分7分に抑える必要なんざありゃしねぇ 慢心せぬようにと本人が言うてんだからな
まして10勝ったことを>516で言うてるように貶したり毀したりするのは 理屈が根本から転倒かましとるのと違うか
0544人間七七四年
2007/02/28(水) 05:34:32ID:uua+zuWJだーーれが戦ったら勝つということを前提に話してるんだよ、単細胞に
限って知識を見せびらかしたいんだろうけど、自分の言ってることを相
手に理解させるような努力をしないと駄目だね。
内応策が戦うより上に位置するなんてのぐらい理解してるよ、ちゃんと
レスの流れ見てるのか?
>「およそ軍勝五分をもって上となし、七分をもって中となし、十分をもって
下と為す。その故は五分は励を生じ七分は怠を生じ十分は驕を生じるが故。
たとへ戦に十分の勝ちを得るとも、驕を生じれば次には必ず敗るるものなり。
すべて戦に限らず世の中の事この心掛け肝要なり」
↑ ↑ これに対して、やけに噛み付く馬鹿がいるから、無駄なレスを返してた
だけんだが。
0545人間七七四年
2007/02/28(水) 05:44:35ID:uua+zuWJお前あれだろ?戦国の研究とかで自分の持論が覆されたりするのが嫌なんだろ?ええ?
一般の自由なネット掲示板で、そういうの持ち込まれると迷惑なんだよなあ、どんな発
言しようが基本的に自由なんだしね。
何度も言うが、10勝ちで怠慢するってのは、大勝の気分から油断し、その
後の負け戦を招く、あるいは敵から恨まれる程の大勝を行うと、後々怨念を
買うことに繋がるという意味だ。
まあ人にいつまでもああだこうだ言う前に、自分の頭の回転の悪さを認めな
いと駄目だねボーヤ
0547人間七七四年
2007/02/28(水) 08:15:46ID:AXj+9Nz8ついに開き直ったかw
自分の持論=妄想による武田最強説が覆されるのが嫌なのはメガ豚のほうだろw
0548人間七七四年
2007/02/28(水) 08:33:15ID:8z0SKtQZまぁ喚いているだけで「論」とは到底いえない内容だが。
0549人間七七四年
2007/02/28(水) 08:36:20ID:68XjhvJp大友ですら当主だけじゃなくて上級幹部まで略奪婚するような醜態は見せてない
史実から見た結論は、武田=略奪魔集団
0550人間七七四年
2007/02/28(水) 10:11:14ID:jDAP3Tip当主と幹部武将までが誘拐略奪を堂々とやるということは、個人の非行じゃなくて武田家全体の体質とするしかない。
武田に攻められた地は略奪され、戦争が収まったら今度は戦国期屈指の苛斂誅求が待っている。侵略された場所はたまったもんじゃない。
0551仙台藩土百姓
2007/02/28(水) 12:21:07ID:aVyDJ2j10552人間七七四年
2007/02/28(水) 12:47:40ID:RZR9XQYL孫子の言葉は勝ち戦で生じる油断や傲りを戒めるもので、実際には勝てる戦いをわざと負けたり引き分けにしたりすることはないでしょ。大将がそれでよくても実際に戦って血を流す将兵がそんなの納得するわけない。勝てるんならきっちり勝たないと。
で、豚はいったい何を主張してるの?
0553人間七七四年
2007/02/28(水) 13:12:36ID:VzN303boどう戦うかはその下策の中でマシにやれるかというレベル
よって武田は元より戦国大名ほぼ全部が孫子からすればせいぜいギリギリ及第程度
0554人間七七四年
2007/02/28(水) 13:36:10ID:9yTxaqD4しかし理解している、ましてや実用してる者など何人居ると言うのか。
…信玄はそれなりだったよね?
0555人間七七四年
2007/02/28(水) 13:36:15ID:vTzYtawq0557人間七七四年
2007/02/28(水) 16:40:15ID:uua+zuWJお前らアンチが噛み付いてくるだけだろばーーーーーか、ほどほどに
勝って(6分勝ちが丁度良い)油断を生じさせないように戒めるって
言う考えは、逆に言えば「敵から恨みを買わない程度に抑えておく」
っていう考えにも当てはまると言ってるんだよ、まあ単細胞な学生君
には一辺倒な解釈の仕方しか出来ないか。
まあ信長厨には所詮無駄で意味のなかった皆殺し作戦を擁護するに必
死なのは分かるけどね。
0559人間七七四年
2007/02/28(水) 16:46:08ID:uua+zuWJ戦いをわざと負けたり引き分けにしたりすることはないでしょ。大将がそ
れでよくても実際に戦って血を流す将兵がそんなの納得するわけない。勝
てるんならきっちり勝たないと。
だから知ってるっつうの(笑)だれが勝てる戦を引き分けにしたりわざと負
けたりするのが良いなんて言ったんだよ、もうレスの流れ無視してるの丸分
かり
0560人間七七四年
2007/02/28(水) 16:49:49ID:uua+zuWJ徑久好きだよ、時代が少しずれてたなら中国地方で元就と良い勝負
だっただろうね
0561名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/28(水) 16:50:52ID:7j5rW3du>敵から恨みを買わない程度に抑えておく
孫子はそういう意味で言ったのではないし(>>544)
信玄がそういう意味で解釈していた根拠も無い。
だからそれは信玄が合戦に勝てなかった言い訳にはならないんだよ。
全部あんたの頭の中で作られた妄想なんだよ。
高層ビルの屋上から飛び降りてごらん、目が覚めるから。
0562人間七七四年
2007/02/28(水) 16:51:47ID:7ytjkP95だ か ら お前の大好きな信玄と比べて能力どっちのほうが上よ
お前は信玄とありとあらゆる人物を比べてるんだろ? それなら経久でも比較できるよな?
0563人間七七四年
2007/02/28(水) 16:57:17ID:uua+zuWJ言い方してる信長厨には恐れ入ったね(笑)
天下への戦略が全く練れず、結局一向宗に対する皆殺しだけで費やした一
生だもんね信長は。
ぶっちゃけ聞くけど、お前らさあ信長のどこが言いの?美濃から京へ上洛
したまでは良かったが、その後は凡将への道まっしぐらだろ、自らのミス
のせいで招いた皆殺し作戦なんてのはねえ「旧勢力の破壊」にはならない
とは思うね、比叡山も伊勢長島なども、無理に刺激させた信長のミスだね
0565名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/28(水) 16:59:38ID:7j5rW3du>しかし、信玄が「孫子」を活用したが為に、天下を取れなかったみたいな
>言い方してる信長厨には恐れ入ったね(笑)
それはお前だろうが!!
0566人間七七四年
2007/02/28(水) 17:03:36ID:uua+zuWJ捉えられるってことを俺は言ってるんだよ、お前ねえそんな短絡な頭
してたら社会で生きていけないよ。
兵書に書いてある通りの言葉のみが、さも当てはまるかのような考え
してるのは君達学生君だけ、朝生で散々馬鹿にされてる学生君だけ。
信玄も徑久も戦国の人、戦場でいた武将それぞれにも解釈の違いはあ
るでしょうね。
0567人間七七四年
2007/02/28(水) 17:10:34ID:uua+zuWJもうあれだな、お前らの性格は女の子から一番嫌われるタイプだろうね、幼稚
でグズグズして、どうでも良いことでもやっきになってはしゃぎだす性格して
るんだろうねえ(笑)
信玄が天下取れなかったのはあくまでも運がなかっただけ、周囲の敵が強力な
石高もっていて、かつ同盟を硬く結んでいた間柄、まあ結局は破棄して西上を
試みる戦略を練るが、そこを相手国を旨く利用しながら、進めていったのは実
に見事だね。
まあ途中で死んだ後の話を妄想だけで語るなら、西上が遅かったとか何とでも
言い訳出来るよなあ。
0568名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/28(水) 17:12:18ID:7j5rW3du>物は考えようによって何にでも捉えられるってことを俺は言ってる
で、それと信玄様にいったい何の関係が?
ここは武田の上洛を語るスレだからそういうこと言いたいなら出て行ってくれるかな。
0569名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/28(水) 17:13:39ID:7j5rW3du楽しそうだな。
早く仕事見つけろよ。
0570人間七七四年
2007/02/28(水) 17:15:37ID:uua+zuWJただ軍団の編成の仕方や、内政などを見ればやはり
信玄>>>>経久かな
0571人間七七四年
2007/02/28(水) 17:18:57ID:uua+zuWJったという(誤解の無いように言っておくと、これは決して蹂躙したというわ
けではないのであしからず)。この強さの秘密はいったい何だったのだろうか
まずは信玄の用兵術である。元寇以降、集団戦が日本に浸透していったとはい
え、まだまだ「組織的」と呼ぶにはほど遠いものだった。それをいち早く取り
入れたのが信玄だったといえよう。まず「寄親」と呼ばれる部隊長を任命(大
抵武田譜代の重臣が就いた)、その下に同心衆、さらに下に被官などの下級武
士をおいた。これが武田軍団の主力であり、他には親族衆・近習衆・直参衆な
どの旗本達、主に甲斐の国境警備の任に就いた津川衆や武川衆、御嶽衆など、
そして占領地におかれた外様の先方衆がある。駿河侵攻後には海賊衆がおかれ
、計53隻の軍船が武田水軍として組織されていた。これらに所属する武士は
知行地に応じて軍役が課せられており、一度合戦ともなれば定められただけの
人数の兵を引き連れ出陣せねばならなかった。信玄はこれを軍法・軍令をもっ
て厳しく統制し、組織力を強めたのである。
これに前述の情報伝達機能が加われば、戦場での用兵が自由自在となる。実際、
信玄の采配一つで兵が手足の如く動いたという。まさに臨機応変な作戦が可能な
わけであり、北条軍の挟撃の危機にあった三増峠の戦いにおいて見事敵を撃退する
事ができたのである
信玄の用兵術は常に負け戦をしないように、という心構えなので、「下の下
策」と『孫子』にある長期の城攻めはあまり好かなかったのだろう。確かに
同じ城攻めでも秀吉のように長期間を要する兵糧攻めや水攻めはあまり用い
ず、金堀衆を使ったり城の水の根を止めたりと短期決戦を狙ったものが多い。
0572名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/28(水) 17:23:15ID:7j5rW3du何も言い返せなくなったのか?
お前、現実で負けてこんなゴミ溜めでも負けてどうしようもないな。
信玄のすごさについて語りたいんなら他の適切なスレに行けよ。
ここは武田の上洛を語るスレだ。スレ違いなんだよ。
0573人間七七四年
2007/02/28(水) 17:24:03ID:uua+zuWJそうだよ、信玄の上洛のスレを散々荒らしてるのがお前らマヌケなアン
チでしょ?
まあこのスレに執着してる以上は、お前らが信玄に嫉妬してるってのは
誰が見ても理解出来るよね。
てゆうかまともに信玄上洛時の議論誰もしてないでしょ馬鹿だねえーー
0574名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/28(水) 17:28:21ID:7j5rW3du日本語でOK
0575人間七七四年
2007/02/28(水) 17:32:29ID:uua+zuWJのはお前ら信長厨だろ?何お前の見苦しい言い訳は?信長のこととやかく言われ
たくなければ、さっさと出て行けばお前らが(笑)
スレ違いなことばかり散々言ってきた信長厨は、勝手に被害者意識を持ちつつ、
ここが信玄関連のスレであるにも関わらず「信玄の凄さはよそでやてくれ」だって
あのねえ、いくら信長を悪く言われるのが嫌だからって、そりゃあないでしょう。
あ、そうか信長関連のスレはどこも荒らされて終わるんだったねえ、で居場所が
無くなって難民のように信玄のスレに入り込んで荒らしてるんだねえ、もう2ちゃん
のゴミだなこりゃ
0577人間七七四年
2007/02/28(水) 17:46:28ID:uua+zuWJ信長って天下取ったんだっけ?中央で散々馬鹿にされてるというイメージ
しか無いんだよねえ。
まあどっちが嫉妬してるかなんてのは、互いのスレにおける比較の仕方な
んか見れば良いんじゃないの?
そ う こ と あ る ご と に 一 々 信 玄 と 比 較 し
た が る 信 長 厨 の レ ス ぶ り を ね
0578名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/28(水) 17:52:31ID:7j5rW3du豚ちゃんは信玄様が好きなん?
0579人間七七四年
2007/02/28(水) 18:01:37ID:eV38F4Pn武田軍は武田厨のみが戦国最強と自称しているだけのことはあり、広野に略奪の炎が広がるかのようだ
ったという(誤解の無いように言っておくと、これは決して蹂躙したというわ
けではない。虐殺をしただけなのであしからず)。この残虐性の強さの秘密はいったい何だったのだろうか
まずは信玄の用兵術である。元寇以降、集団戦が日本に浸透していったとはい
え、まだまだ「組織的」と呼ぶにはほど遠いものだった。それをいち早く取り
入れたのが戦国時代だったといえよう。まず「寄親」と呼ばれる部隊長を任命(大
抵信長が選んだ優秀な部下が就いた)、その下に同心衆衆、さらに下に被官などの下級武
士をおいた。これが武田軍団の主力であるが、別段特殊なものではない。
他には親族衆・近習衆・直参衆などの旗本達、主に甲斐の国境警備の任に就いた津川衆や武川衆、御嶽衆など、
そして占領地におかれた外様の先方衆がある。これだけの軍隊を維持するために信濃においては重税が課せられていた。
駿河侵攻後には海賊衆がおかれ、計53隻の小船が武田水軍として組織されていた(安宅船は2隻のみ)これらに所属する武士は
知行地に応じて軍役が課せられており、一度合戦ともなれば定められただけの
人数の兵を引き連れ出陣せねばならなかった。信玄はこれを軍法・軍令をもっ
て厳しく統制し、組織力を強めたのである(メガトンの妄想。注意)
これに前述の情報伝達機能が加われば、戦場での用兵が自由自在となる。実際、
信玄の采配一つで兵が手足の如く動いたという。まさに臨機応変な作戦が可能な
わけであり、北条軍の挟撃の危機にあった三増峠の戦いにおいて見事敵を撃退する
事ができたのである(しかし被害は・・・・・・・)
信玄の用兵術は常に負け戦をしないように、という心構えなので、略奪オンリーの戦が多い。「下の下
策」と『孫子』にある長期の城攻めはあまり好かなかったのだろう。川中島の戦で半年もの長陣をしたのは忘れろ!!!!確かに
同じ城攻めでも秀吉のように長期間を要する兵糧攻めや水攻めはあまり用い
ず、金堀衆を使ったり城の水の根を止めたりと短期決戦を狙ったものが多い。が、失敗も多い
0582人間七七四年
2007/02/28(水) 20:40:33ID:7Pt7TxgD0583人間七七四年
2007/02/28(水) 20:59:53ID:6JzJ3ZaN究極のアンチさんですねwww
0584人間七七四年
2007/02/28(水) 21:02:39ID:e6vYRwZV夕方5時近くに登場する豚の私生活の方が面白い。
学生かと思いきや学生馬鹿にして社会で生きていけないとか言い出す始末。
特権階級の人は言うことが違うなぁ
0585人間七七四年
2007/02/28(水) 21:15:02ID:6JzJ3ZaN時間
徳川の狙撃を免れたとしても、どうせ野田城攻めで兵糧を使い果たす
使い果たすというより、田植えが始まる前に甲斐へ撤収というのは既定方針だったんじゃないか?
いつものパターンからして
0586人間七七四年
2007/02/28(水) 21:22:49ID:uua+zuWJより先にいたの?いたとしても武田以降だろタコ助が(笑)
0587人間七七四年
2007/02/28(水) 21:43:31ID:6JzJ3ZaN寄子・寄親制なら
お子様向けの戦国本武田ものの読みすぎちゃうかwww
0588人間七七四年
2007/02/28(水) 21:44:23ID:SEoeVuWG0589人間七七四年
2007/02/28(水) 21:50:39ID:uua+zuWJ上杉も毛利も北条も今川も大友も島津も、武田程他国に先駆けて
軍団を組織化してなかったよ、織田はまた別の形で強力な編成し
ようとしてたらしいが
0590人間七七四年
2007/02/28(水) 21:52:20ID:moELYvCi2chで言うのもなんだが
貴方はまず言葉使いを直した方がいい
文章力も付けよう
そうすればもっと説得力が出てくると思うよ
0591人間七七四年
2007/02/28(水) 21:56:03ID:6JzJ3ZaNそうだったか
記憶は曖昧だw
それなら次はどこだろ?
吉田城か?岡崎城か?
まあどっちでも結果は同じだな、多分
0593人間七七四年
2007/02/28(水) 22:03:33ID:iulH+ZjE0594人間七七四年
2007/02/28(水) 22:11:55ID:6JzJ3ZaNいや、大人しく織田に降伏すればすぐにでも上洛できたよ
家康みたいに首がつながったままでいられたとは限らんが
0595人間七七四年
2007/02/28(水) 22:27:08ID:7ytjkP95自分で指揮してたんだろ、それならこういう時こそ用兵が必要なんじゃ・・ 信長は用兵術が半端なく上手かったのか?
それとも単なる奇襲?
0596人間七七四年
2007/02/28(水) 22:40:25ID:7Pt7TxgD奇襲の時点で単純じゃないわな
0597人間七七四年
2007/02/28(水) 22:41:28ID:w2qSMvXB天王寺を取り囲んでたんだから分散はしてただろうね。
そこを突破して合流するのはそう難しくは無いんじゃないかな?
信長がすごいのは、普通ならそのまま防御に徹して
援軍を待つところを打って出るところかな。
しかも別働隊を後方に回してそれが勝敗を決めたんだったか。
信長が戦争下手だったなんて絶対嘘だって思えるのは事実w
0598人間七七四年
2007/02/28(水) 22:44:23ID:O62IBAlG旗本のみ馬廻りのみ常備兵専業武士のようなもののみで突撃かけたようなものだし
0599人間七七四年
2007/02/28(水) 22:46:40ID:7ytjkP95まぁそれも要因の1つだろうけど
0600人間七七四年
2007/02/28(水) 22:52:35ID:iulH+ZjEむしろ戦面のみでのしあがったって言う人もいるくらいだ
0601人間七七四年
2007/02/28(水) 22:57:01ID:7ytjkP95ただ城攻めの上手い秀吉や篭城の上手い氏康と比べられないから「最強」じゃないだけで
0603人間七七四年
2007/02/28(水) 23:16:55ID:7ytjkP95三方が原? 長篠でいいだろ お釣りが多すぎて困るぐらいだ
0604人間七七四年
2007/02/28(水) 23:17:28ID:n05fsxah0606人間七七四年
2007/02/28(水) 23:27:28ID:uua+zuWJしかもお前のレスが 一 番 不 毛 で 意 味 な い し ね
大軍に対して旨く分散させて攻撃し、別働隊で止めを刺した戦?
ならどうして最初からそんな5倍の敵を相手にするような戦した
分け信長は?(笑)
信玄?確実に勝てる戦略たてて、情報により敵より多く兵力を集め
てから戦場にいく信玄には、元からそんな戦なんて必要ありません
から(笑)
まあ皆殺ししか取り得のない信長ならではの、必死さが伺えるよ、それ
0608人間七七四年
2007/02/28(水) 23:32:31ID:7ytjkP95まさかこれほど馬鹿な答えが返ってくるとは・・
何故信長がこんな戦をしたか?
兵が集まらなかったからだよ、放っておいたら光秀死んでただろうし織田の防衛線は決壊 ボロボロになるなー
確かにこれは200万石を越える大大名である信長がするような戦法じゃない、だからそれを逆手に取った 織田の士気は上がりに上がった
まぁお前の大好きな信玄じゃ確かにこんな状況にはならないよ、そもそも畿内に出てくることすらできないからなwww
0609人間七七四年
2007/02/28(水) 23:34:04ID:SEoeVuWG国内整備や権力確立、経済発展にいそしまねばならなくなる。
下手に強引に進めすぎるとそれこそ信虎と同じ事になるかもな
0612人間七七四年
2007/02/28(水) 23:35:26ID:7ytjkP95信長はその手のことにも長けている
信玄がやったこと以上のことを信玄がやったより短い時間で信長はやるだろう
0613人間七七四年
2007/02/28(水) 23:38:07ID:8z0SKtQZ>信玄?確実に勝てる戦略たてて、情報により敵より多く兵力を集め
>てから戦場にいく信玄には、元からそんな戦なんて必要ありません
>から(笑)
それは「信号は守りましょう。赤信号では渡ってはいけません」と言うルールを
忠実に守っているようなもの。
確かに間違いじゃないよ。
でも、時と場合によっては破らなくちゃ行けない事もあるんだよ。
0614人間七七四年
2007/02/28(水) 23:38:17ID:n05fsxah信長的な急新的改革は無理だと思うぞ
社会経済条件的制約が大きすぎて能力の如何によらず無理
0615人間七七四年
2007/02/28(水) 23:40:54ID:eV38F4Pnお前はここのスレでも行ってホルホルしてなさい
武田幕府スレ
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1159965965/
0616人間七七四年
2007/02/28(水) 23:41:06ID:db2Pl9PM見事地元の有力豪族連中に追放食らった前国主がいるわけで
0617人間七七四年
2007/02/28(水) 23:41:13ID:6JzJ3ZaNまあただの印象論だけど
信玄は・・・信虎の爪の垢でも煎じて飲めばよかったのに
0618人間七七四年
2007/02/28(水) 23:42:37ID:SEoeVuWG無理だよ、それは。
治水事業や新田開発なんて権力を確立しないと無理だし時間もかかる。
信長だからといってすぐにできるわけじゃない。
それに信長は豊かだった地域を生かして経済力を高めたが
もともと貧しい地域を整備し発展させるのはまた別の才能だろうし。
また信長のようなタイプでは甲斐の国人は不満をつのらせるだろう。
へたすりゃ内乱でまた甲斐統一戦をやることになるかもな。
0620人間七七四年
2007/02/28(水) 23:43:54ID:3obLOicD中央の一線どころに背かれるのは問題有り。
信玄は時間軸の軽視と自分で逆包囲網作っちゃうのが痛い。
双方ともそれが魅力ではあるが。
0621人間七七四年
2007/02/28(水) 23:44:42ID:SEoeVuWGだから信虎方のやり方じゃあ甲斐ではうまくいきづらいんだってば。
それを学んだからこそ信玄は時間をかけて権力を確立していったんだろうし。
0622人間七七四年
2007/02/28(水) 23:45:31ID:uua+zuWJそもそもそれって石山合戦の延長だろ?(笑)相手が一向宗ばかり
じゃないか?一喝されて脆く崩れていくような連中だろ?普通の軍隊
よりも脆いね。
そりゃ信長が戦場で機を見てたまたま旨く采配が当たったんだろうけ
ど、まあまぐれでしょ。
しかし信長自身のミスから始まった一向宗との戦い(結局天下統一を
遅らせた最大の原因)を擁護するなんてやっぱ小学生並みの精神構造
してるんだね信長厨は
0623人間七七四年
2007/02/28(水) 23:52:58ID:7ytjkP95織田信長編
@弟に裏切られて稲生で死亡
A桶狭間で死亡
B美濃攻略できず寿命で死亡
C尾張統一できず寿命で死亡
羽柴秀吉編
@飢えで死亡
A野武士に殺されて死亡
B兵士壱として死亡
徳川家康編
@四つん這いになれ なったら今川に送っていただけるんですね などの会話を隔てアッー!
A桶狭間の時ついでに死亡
B三河一向一揆で死亡
C上洛してきた武田信長相手に死亡
D人質時代「四つん這いになれ」「なれば許して(ry」などの会話を隔てアッー!
明智光秀編
@浪人時代に芽が出ず寿命
A朝倉の家臣壱として死亡
B義昭に最後までついていき最後の最後で裏切るも結局殺される
C信長の部下になるも実力が足りなかったため出世できず死亡
D天王寺で信長が助けにきてくれなくて死亡
毛利元就編
@尼子経久に殺される
A大内に殺される
B大名になれず大内か尼子の家臣壱として死亡
C500とか700の兵で戦えるわけねー! 死亡
D信玄は両川体制とか無理 死亡
E厳島の戦いに勝てない 死亡
0624人間七七四年
2007/02/28(水) 23:53:41ID:db2Pl9PM元々尾張って国が豊かだったところにもってきて 前主の信秀の手によって 基盤は既に築かれていたっつー有利もあるわな
後継争いでごたごたしたとはいえ その過程で返って信長の君主権は高まってもいる
逆に晴信の場合
信虎の進めていた改革路線を已む無くか進んでかはともかく打破してしまい 基盤作りからはじめなきゃならんかった
自分を担ぎ上げた有力豪族連中が概ね鬼籍に入ってから 君主権拡大への道を敷いていったものの道半ばで病没
後継者には恵まれたほうだと思うが……その時点で隣のアレは手の付けられない状態まで行っちまったと
根本的にスタートラインが一段階ずれてんだよな
強引な比較ってのは分かってるけど あえて言うなら晴信=信秀なわけだから
単純に信長なら甲斐でも……って比較するのはどうかと思う
0625人間七七四年
2007/02/28(水) 23:53:51ID:uua+zuWJ>謙信と不毛な戦いを演じ過ぎてるから
北信濃制圧の為の戦のどこが不毛なの?謙信は村上を擁護してる以上
信玄と和睦なんかになれば、村上の旧領を要求してくるにきまってるしね。
それに謙信と和議になんかなったら北条と敵対してしまうことになるしね。
>駿河なんか攻略して今川北条と敵対することになった外交下手
弱体化した今川をそのままにしておけば、北条やクソ漏らしに平定される
危惧があったのは当然のこと、また山国のみの領土から脱却の為にも駿河
侵攻は当然の行動。
>南信濃に本拠を移せばよかったんじゃないか?美濃から織田領に攻め入れる
これこそまさしく地理を把握していない証拠だね、当時は信濃から美濃へは
まだ攻め入ることは出来ない。
0626人間七七四年
2007/02/28(水) 23:55:11ID:bMwaVx5/よりも脆いね。
一向衆を馬鹿にしといて
>しかし信長自身のミスから始まった一向宗との戦い(結局天下統一を
遅らせた最大の原因
一向宗によって統一が遅れたなんて書いてるよ
その一向宗の親玉と親戚なのは誰なのさ
0627人間七七四年
2007/02/28(水) 23:55:14ID:e6vYRwZV0628人間七七四年
2007/02/28(水) 23:55:51ID:7ytjkP95なんで北条が今川を攻めるんですか? 無知な俺にわかるように説明してください><
関東にも敵がいる北条がわざわざ今川を攻める理由を教えて下さい>< そんな馬鹿なことをするのは武田信玄だけでーすwwwwwwww
流石は武田厨 ゲーム脳だ 信長の野望のやりすぎなんだよお前は 一時的に石高が高くなればいいとか馬鹿すぎ
0629人間七七四年
2007/02/28(水) 23:56:42ID:uua+zuWJ山々の高さに先ず驚かされる。そして雪の壁にびびる。
どうもゲーム画面のような平面からしか物を見て居ない気がするな。
中仙道は信玄の時代には既に衰退してて、美濃への侵攻は容易では無かった。
現に信玄は東美濃制圧を武力では失敗し、諜略によって成功させている。
そして一番抜け落ちてるのは、当時の世相の感覚だ。
武田家というのは御存知の通り、逸見、小笠原などと共に甲斐源氏の筆頭と成る。
言わば信濃、甲斐は武田家の影響力が存在していたが、美濃への影響力は低くなる。
(と言っても武田家の重臣の中には元をたどれば美濃出身者も多いのは確か、ただ
時代が違いすぎて戦国時代には既に姻戚関係等が途絶えてる)
こういう影響力の低い他国を占領統治するのは容易な事ではない。しかも、美濃は
統治メリットが非常に薄い。美濃は畿内、近江、伊勢を結ぶ交通の要所では在るが
武田の本領甲斐から見れば重要な中継地とは成らない。駿河と美濃では全く比べ物
には成らないし、駿河を取らずに美濃へ侵攻する事などゲーム厨以外思いもよらな
い愚かな考えである。
0630人間七七四年
2007/02/28(水) 23:58:08ID:7ytjkP95そこだけは豚のほうが正しい
0631人間七七四年
2007/02/28(水) 23:59:09ID:SEoeVuWGまったく違う人間のシチュエーションをして
これだけ悪意に満ちた妄想をするのはどんなものか?
そんな事いったら信長だって信虎が追い出されたあとに
独裁制をしこうとして追放もしくは殺害、内乱が起きてろくに国内整備も出来ず
内乱を収めてからそれをやろうとしていて時間をくって甲斐一国と信濃を少しで
寿命とかいえるんじゃないか?
0634人間七七四年
2007/03/01(木) 00:00:38ID:bpLp45H3今川と徳川のパワーバランスが崩れたのは半ば以上武田侵攻のせいだろう
三河一国を失ったとはいえ 徳川の遠江への浸透は掛川の朝比奈氏を中心にかなり防いでいたわけで
そこに殴りこんで今川叩き潰したのはどこの誰かっつー話だよな
結局徳川はついに武力で掛川落とすに至らんかったし
武田の乱入が無けりゃー 今川はまだまだ粘れてたと見るが
0635人間七七四年
2007/03/01(木) 00:03:05ID:FQhm2BnZ1万とかそういう大軍になったら無理 補給路切られて伏兵食らって壊滅がオチ それでなくても一箇所固められて進めず終了
結局信玄も国内まとめられず上杉と八百長の戦(という説もある)やってる程度の地方大名だからな
晩年はマシになったけどそれでもやっぱ信長とかとの間には越えられない壁があるよ
0636人間七七四年
2007/03/01(木) 00:04:04ID:PfKwF0byメリット(水軍の向上や経済力)を考えたら隣国の北条家も侵攻
してくる危険性もあながちないことはないでしょ、それに数年前
は駿河の一部を占領していて、3国同盟によりやむなく手放した
わけで。
0637人間七七四年
2007/03/01(木) 00:04:04ID:yD4tnA1Yまあ確かにそうなんだろうが、信長とてギリギリのところでそれをやったんだろ?
社会状況とか経済状況的に不可能だったかどうかといわれれば、甲斐の方が条件が厳しかっただろうとしか言えないな俺には
信虎だっていい線までいってたんじゃないのか?
信長だって上の方で指摘されてるとおり、最後は高転びに転んだわけだし
0638人間七七四年
2007/03/01(木) 00:06:27ID:sfj1cSPwもともと経済的に豊かだった尾張では国内整備にさく労力が
信玄の甲斐とは格段に違うんだよ。
甲斐で内乱が起きてろくに国内整備ができなけりゃそれこそ飢饉や水害に
悩まされる日々が続く事になる。そしてこれらの国内整備は権力を確立しても
時間がかかることだ。尾張のように内乱を収めたら豊かな経済力があって外に
すぐさま飛び出していけるわけじゃない。
内乱を収めて国内整備をしつつ侵略しても結局天下にとどかずタイムアップだろうよ。
0639人間七七四年
2007/03/01(木) 00:09:37ID:PfKwF0byなのに対して、信長の周りは、雑 魚 敵 ば か り で し た か
ら ね え (失笑)
で?で?その雑魚敵を攻略するのを見誤って、包囲網を招き、一向宗を皆
殺しにするのにどれだけ時間かかったんですか?
天下統一が遅れた原因を無視して、信玄のことワーワー言っても意味ない
ですよ(キャハハ)
0640人間七七四年
2007/03/01(木) 00:12:20ID:FQhm2BnZ周り雑魚? 雑 魚 ?
当時最強とまでいわれた海道一の弓取り今川
50万石の大国美濃斉藤家
更に上洛してからは名家朝倉との対決
そして何より本願寺
一番強敵と戦ってるだろ
0641人間七七四年
2007/03/01(木) 00:12:32ID:sfj1cSPw信虎もかなり頑張ったが彼は国内整備をおろそかにした感がある。
国内整備を整えず、水害や飢饉に悩まされる状態でありながら外征を行い
しかも成果があがらなければ不満がたまるのも無理は無い。
信玄の国内整備と平行しつつ、調略を駆使して有利な状況をつくり
数の優位を生かして敵を撃破していくというのは当時の甲斐においては
ベストにちかい選択だったのではと思う。
0642人間七七四年
2007/03/01(木) 00:13:02ID:yD4tnA1Y武田も美濃に攻め込んでるし、信長が武田を滅ぼした時は美濃から攻め込んでるし
武田がよくやった信濃から青崩峠を越えて遠江へ攻めいる方がよっぽど大変そうだけどな
あと、得意の棒道はどうしたw
0645人間七七四年
2007/03/01(木) 00:16:16ID:FQhm2BnZ斎藤が雑魚なら上杉も雑魚だろ
対武田の時の上杉は関東管領の役職も意味を持たないからな せいぜい50万石程度の大名でしかないわけだろ
0648人間七七四年
2007/03/01(木) 00:18:06ID:PfKwF0by教えてねボクちゃん^^
戦略を見誤って朝倉討伐なんかするから、本願寺連中ともやり合う
結果になったっての分かってるうううう??^^
0649人間七七四年
2007/03/01(木) 00:18:47ID:mu4gsZpH軍神と出来の悪い3代目を一緒にするんじゃねえよばーーーーかwww
武田と比べたら信長の周りなんて雑魚ばっかりwwww
0650人間七七四年
2007/03/01(木) 00:20:25ID:FQhm2BnZその出来の悪い三代目、軍神ってのが江戸時代の創作講談ってのがわからんのか
お前はホントに歴史を知らんのだな
0651人間七七四年
2007/03/01(木) 00:23:31ID:PfKwF0byしかも日本一の山岳地帯の攻略の難しさときたもんだ。
加えて上杉謙信、北条氏康などなど信玄の方がよほど強敵と戦ってる
んだねえ
0653人間七七四年
2007/03/01(木) 00:25:29ID:PfKwF0byちっこい浅井 これまたちっこい朝倉 これまたちっこい波多野
これまたちっこい三好 これまたちっこい六角そして不毛な一向
宗ときたもんだ
0654人間七七四年
2007/03/01(木) 00:26:28ID:eCV7EdEu0656人間七七四年
2007/03/01(木) 00:27:09ID:FQhm2BnZこれは確定だろ 異論を唱える奴は豚だけだろ?
0657人間七七四年
2007/03/01(木) 00:28:15ID:yD4tnA1Y信玄坊主はいいよな
何せ大僧正(猊下?)であらせられるし、法衣なんか着て喜んじゃってるし
信玄が万に一つ上洛できたら、本願寺の門番に使ってもらえたんじゃね?
0658人間七七四年
2007/03/01(木) 00:28:19ID:FQhm2BnZ信長が村上ごときに負けるはずないだろ・・
北畠の上らへんにあった名前も忘れたようなショボイマイナー豪族レベルだぞ
長野でも所詮北畠レベルだしな 六角ぐらいはあるか
0659人間七七四年
2007/03/01(木) 00:29:22ID:tsOhpkc70662人間七七四年
2007/03/01(木) 00:31:47ID:yD4tnA1Yそりゃ一番の武田与党の諏訪をぶっつぶしたり、やたら撫で斬りしてみたりすりゃアンチにもならあ
信玄は調略の天才なんだろ
何とかしろよ
0663人間七七四年
2007/03/01(木) 00:32:49ID:PfKwF0by今川義元を相手にするのとはわけが違いますからねえ
0665人間七七四年
2007/03/01(木) 00:37:00ID:PfKwF0by織田の虐殺行為 数万人←←←WWWW
0666人間七七四年
2007/03/01(木) 00:37:37ID:DsMtLk+E0668名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/01(木) 00:40:18ID:TqcboNvjお前本当は信長厨だろwwww
0669人間七七四年
2007/03/01(木) 00:45:47ID:yD4tnA1Yそれに宗教入っちゃってる連中は、降伏させたとて簡単には靡かないだろうという判断があったんじゃないか?
武田の場合の単純な見せしめとは違うような
0670人間七七四年
2007/03/01(木) 00:46:37ID:PfKwF0by教えてくれないかなあ?結局一度も聞けてないんだが、信玄が一度
甲斐に引き上げて、また進軍してきた時の状況をね、また家康がどう
たらとかいう風に逃げては駄目だよーーー^^
怖 い ん だ ろ え え ?
信長が信玄に勝てる方法が思いつかないんだろうねえ、で今まで散々
話を反らしてきたんでしょ?ええ?
0671人間七七四年
2007/03/01(木) 00:47:01ID:yD4tnA1Yだから。。。それは武田が戦下手だからです
0672人間七七四年
2007/03/01(木) 00:54:02ID:mu4gsZpH戦下手が9割5分8厘の驚異的な勝率を達成できるか?ww
現実見ろ莫迦者wwww
0673人間七七四年
2007/03/01(木) 00:54:54ID:tsOhpkc70674人間七七四年
2007/03/01(木) 00:56:06ID:yD4tnA1Y信玄はなんども本陣切り崩されて負傷するくらい身辺警護も疎かにする凡将だから、スナイパーを雇って撃ち殺してしまえばオケ
どうせ春までには甲斐に撤収するから、吉田城か岡崎城に食いつかせたまま放置しとくのもよし
時間を稼いで戦略状況が好転すれば、武田を圧倒する兵力でもって決戦を挑むもよし
その結果を占うには、3年後の長篠合戦が参考になろう
0675人間七七四年
2007/03/01(木) 00:59:37ID:yD4tnA1Y周りが雑魚ばっかりだったからだろ
オタクに言わせれば、今川も北条もへぼなんだからw
それにその数字自体が伝説
0676人間七七四年
2007/03/01(木) 01:03:38ID:mu4gsZpH周りが雑魚ばかりなのは信長。
武田は豪族クラスでさえ強敵ぞろいでこれだけの戦績上げられる凄さは
誰も認めざるを得ないだろ?wwww
0677人間七七四年
2007/03/01(木) 01:10:49ID:aF1yXpsl君少しオカシイよ
実際戦った事ない者同士どう勝敗つけるのさ?
信玄は強かった名将だった それだけで十分だと思う。
信長が勝つかもしれないし信玄が勝つかもしれない。
ココで意地を張るのも大人気ないぞ。
0678人間七七四年
2007/03/01(木) 01:13:20ID:tsOhpkc7新参ですね
あのageてる阿呆にゃ何を言っても無駄です
スルー推奨 相手しても話聞きゃしねぇ
詳しくは過去ログ読んできな
0679名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/01(木) 01:14:44ID:TqcboNvj自らの品位を貶して言うが、
この人は頭がちょっとアレで、要するにキチ○イ。
真面目に相手すると馬鹿を見るよ。
0681人間七七四年
2007/03/01(木) 01:21:50ID:yD4tnA1Yメガ豚じゃなかったの?
0683人間七七四年
2007/03/01(木) 01:52:16ID:PfKwF0by出来ないくせにワーワー言っても無駄だと言うこと
しかし超山岳地帯の攻略の難しさをそっちのけで、いつまで妄想
に浸ってるんだかアンチは。
織田領みたいな楽な平地を攻略してたわけじゃないんだよ信玄は
0684人間七七四年
2007/03/01(木) 01:58:42ID:PfKwF0byhttp://shingen3.hp.infoseek.co.jp/shingen/shin_kassen.html
0686人間七七四年
2007/03/01(木) 03:31:51ID:KdjQYdCP平野の大勢力である、今川と北条のうちどちらか一方と結んで一方を倒せれば一番良かったんだろうが
この2勢力は切り離せるものじゃないし、
そうなると、相手は謙信しかいなかった。
しかし、越後も大して裕福な土地ではないし、
美濃を取るには国力が少なすぎるし…
なんか、詰んでるな。
0687人間七七四年
2007/03/01(木) 04:07:52ID:tL9JskrKスレ違いだし。
今川撃退、斎藤滅亡、六角滅亡、北畠乗っ取り、三好従属、足利滅亡、朝倉滅亡、本願寺無力化、延暦寺や金剛峯寺無力化等々色んな意味で非常識なことやってる
あ、武田滅亡っての忘れてた
豚が騒ぎまくるんで小物と勘違いしてしまったよ^^^^^^^^^^^^^^^^^
0688人間七七四年
2007/03/01(木) 08:18:02ID:lD/kVzhN領土が大きくて相対的に相手が小さいから雑魚を倒しただけで凄くないなんて、
頭がおかしい話だ。
0689人間七七四年
2007/03/01(木) 08:21:35ID:lD/kVzhNまず君が武田だったらどう攻めるかを持論を展開した方が良いんじゃないかな。
武田の動きが君の思うとおりじゃなかったら、君も納得しないだろう?
0690人間七七四年
2007/03/01(木) 08:37:54ID:PfKwF0byまあ持論って程でもないけど、めっちゃ簡単に言えばだねえ、武田北条家康
連合で約30000人、信長の兵力も約30000人ってなとこかな。尾張
国内で野戦になってだねえ、統率の取れない織田軍がイライラするまで待ち
油断を旨くさそって陣が乱れたとっころで一気に突撃をかけるわけだね武田
軍は。
あらかじめ信長に、畿内の雑魚敵の鎮圧か、信玄との一騎打に踏み込ませる
か、心理的に揺さぶっておいてだねえ(尾張を切り取りつつ)、そして信長
に一騎打ちの決意をさせるわけだよ、東美濃もどんどん侵食されるわ、尾張
も侵食されるわじゃあいくらなんでも出撃しないわけにはいかないでしょ。
そして兵卒は武田にびびってるときたもんだ、加えて信長家臣を内応策で裏
切らせる可能性も出てくるね(信長を背後から奇襲させるとか)
まあ何にせよ、あれ以上領内を侵食されれば信長は絶命してたでしょ。
0691人間七七四年
2007/03/01(木) 08:55:05ID:4SYvauZn義清は形勢不利と見ると撤退するから、信濃の雑魚大名にも負けカウントはついている。
問題はその3勝より多くの重臣を殺された手痛い大敗なんだがな。しかも2倍の兵の奇襲戦で2回も大敗って・・・・・・・・
信長は奇襲に成功したのにね。
0693人間七七四年
2007/03/01(木) 10:53:16ID:XhLYZSRl何故か家康が寝返ってるくらいの超現象がないと無理なのね
まぁ、そうじゃないと織田徳川連合軍4万と武田2万5千で絶望的だもんね
信玄に桶狭間や天王子みたいな、万単位の兵力差を覆して大勝したことがあるなら別だったんだけど
0694人間七七四年
2007/03/01(木) 11:16:27ID:4SYvauZn運が悪いとさらに、織田徳川に上杉+2万とかなりそうw
形勢次第じゃ北条も織田に付くだろうし史実だと徳川、北条連合にボコボコにされて滅んだわけだし
北条に富士川の合戦で1万2000人も溺死させられてるしな(武徳編年集成)
0695人間七七四年
2007/03/01(木) 11:37:17ID:sfj1cSPwなにそれ。ありえないだろう。
そもそも北条と武田の戦いで富士川の戦いなんてあったの?
黄瀬川の戦いなら聞いたことあるけど。(それでも講談臭が強いわけだが。)
0696人間七七四年
2007/03/01(木) 12:02:32ID:JME3LP472万5000出しっぱなしにしたら謙信にチャンス与えることになるし。
北条にも裏切られない程度の牽制しないとあかん。
そして当の相手は倍以上の国力を持つ織田徳川連合。
完璧に詰んでる。
0697人間七七四年
2007/03/01(木) 12:09:49ID:sfj1cSPw信玄死後も長篠後も北陸方面に勢力を拡大しているし。
0698人間七七四年
2007/03/01(木) 12:38:12ID:FQhm2BnZ0699人間七七四年
2007/03/01(木) 12:46:45ID:sfj1cSPwそれに完全に空っぽといえたのかな?
信玄死後も勝頼が2万単位の兵であちこち動いているけど
そのときも謙信は動いていないよ。長篠後の戦闘の時でさえ。
0701人間七七四年
2007/03/01(木) 13:01:58ID:sfj1cSPw長篠の事は知っているよ。長篠後の戦闘って書いてあるでしょ。
勝頼は長篠以前も2万の兵を率いて侵攻作戦やっているし、
長篠後で武田が打撃を受けた後も2万単位の兵を動かしている。
それでも謙信は動いていないといっている。
0702人間七七四年
2007/03/01(木) 14:01:06ID:HzGlKHl1信玄が駿河侵攻の盟約破りで三方包囲された時も攻撃しようとしている(これは信長の仲介で兵を退いたが)
要するに単独で攻めて火中の栗を拾うのを避けてたんじゃないか
積極的な信濃出兵をしていた時期の徒労は信玄に教訓を与えたように謙信にも慎重さを教えたんだろう
0703人間七七四年
2007/03/01(木) 14:20:37ID:sfj1cSPwそれどころじゃなかったというのもあるがね。
0704人間七七四年
2007/03/01(木) 14:45:55ID:HzGlKHl1他ならぬ信玄が将軍家からの停戦要請を度々無視してついに謙信に「討伐してもいいよ、もう」と伝えるまで面子潰した例もあるし
0705人間七七四年
2007/03/01(木) 15:57:59ID:sfj1cSPwまあ、その足利将軍への和睦要請の仲介をしたのは信長だけど。
0706人間七七四年
2007/03/01(木) 17:02:39ID:W9TBqAD0クソスレ化しすぎてまとめられんぞ。
メガ豚は透明あぼーんで排除したほうがいいような。
0707人間七七四年
2007/03/01(木) 17:04:53ID:sfj1cSPw0708人間七七四年
2007/03/01(木) 17:25:35ID:/iWGwdJy両方脳内あぼんしときゃ良かろう
0709人間七七四年
2007/03/01(木) 17:49:23ID:/iWGwdJyっつーか 武田にとってみれば 上杉が実際動くか動かないかはさほど問題じゃない
上杉という有力な敵対勢力が存在し 自領に攻め入ってこれるだけの軍事力を保持しているってことが問題なんだ
北に大敵が存在している以上 あまり長いこと留守にしてるわけにはいかんわけで
必然的に腰を据えての対織田長期戦はやり難くなる
しかも 出陣先は北信濃や上野とはちょうど正反対かつ交通の便も良くない美濃・東海道方面ときた
いくら抑えの兵を置いてるっつっても 上杉が本気で攻め込んできたら太刀打ちできる数にはならんし
太刀打ちできるだけの数の抑えを置いたら対織田戦での勝利がおぼつかなくなると
主力が出払ってる隙に北関東や信濃方面が攻められる"かも"ってだけで 武田のとり得る戦略の幅は非常に狭くならざるを得ない
0710人間七七四年
2007/03/01(木) 18:08:17ID:PfKwF0by>>691 2倍も兵力差はありませんよ、というよりそれしか信玄叩くネタない
んでしょうか?
>>692 自軍に損害出さずに戦術的撤退であれば負けにはなりませんよ、信玄は
引き分け後、必ずその城落としてきましたから、戦略的な勝利は常に武田にあった
わけですよ
>>693 あのまま信玄が生きて攻めてれば家康は殲滅させることぐらい容易でし
たからね、もしくは数千人程度兵力を持たせる程度に降伏させてたか
0711人間七七四年
2007/03/01(木) 18:14:51ID:PfKwF0byから、武田領への出兵は困難だったんではないかと思われます
信玄が、じわりと緩やかに東美濃 三河 遠江を順調に攻めてる間は、北条も
信玄の敵に回ることは無かったと思われますね
信玄が1572年で詰まれている状態にいるとか言われてる方々は、それって
信玄死後勝頼の代になってからの状態のことを言ってるんじゃないでしょうか?
何を勘違いしてるんだか(笑)
0712人間七七四年
2007/03/01(木) 18:30:54ID:FYVBoNh9具体的に何か根拠あるのそれ?
そうでないなら○○には短期間で成し遂げる能力があったが○○には無かったという
根拠を個人の能力に求めても良いわけだし
外患の無い甲斐より尾張の方が急進的改革は難しいと考えることも可能だし
それに尾張の方が豊かというけど、
当然それは従わない国人一族も豊かということになるため
ハンデにならず反論とするには説得力無いし
>>618
新田開発とかはともかく
信長の場合は弟重臣と争って甲斐統一戦をやったようなものじゃないか?
>>624
それは違わないか?
信虎だってそれなりの基盤を残しているし
信秀晩年は一族にまで離反されている状態で信長は最初数百の兵を率いるような状態
信虎の最初期よりはましだけど
むしろ信虎+勝頼=信長のほうが近い気もする
>>631
そりゃ当然言えるだろ、今までだって過去スレで両者の立場が入れ替わったらのIFで
信玄は尾張に生まれたら降伏か滅亡だろうけど
信長が甲斐なら、天下統一〜信虎によって廃嫡殺害の可能性があるって言われてたし
ただ実際に
0713人間七七四年
2007/03/01(木) 18:49:22ID:FYVBoNh9織田以外に勝頼が侵攻しているし
小笠原も美濃に侵攻している、兵力はたいしたこと無いし斉藤氏に負けたが
>>641
それなりに国内整備はしているだろ
国掟だかをだしているし
棟別銭を課そうとしているし、結果小山田と戦争になったというがソースは?
家臣を集住させ、人質を集めて、躑躅ヶ崎に本拠地移して
今川と同盟結んで
有力国人を討ったり、穴山小山田と婚姻したりといろいろしている
>>647
でも木曽は通らずに飯田方面を本隊は通過しているぞ
関ヶ原までは中山道は主要なルートじゃないのかもね
>>651
そのわりにはバラバラだったが
>>658
国力比だと
上田原直前で武田30万石村上15万石くらいで2:1ぐらいじゃないか
関長野神戸なんかは合わせても15万石ぐらいじゃないか?
1568年だと織田との国力比は8:1ぐらいじゃない
>>686
三国同盟締結までは今川北条は割りと敵対関係にあって
武田は今川と組んで北条に対抗していた
あと越後は商業的には非常に豊かな地域なんじゃないの?
0714人間七七四年
2007/03/01(木) 18:56:03ID:yYUmvx/a0715人間七七四年
2007/03/01(木) 19:00:07ID:FYVBoNh9でも長篠前後でも2万超の兵力だったりするよ
高天神攻め2万5千とか
75年の8月に2万とか
74年の明智城攻めは兵数は分からないし、上記の兵数も史料によって異なるから
あてにならないけど
ただ三方ヶ原以後春日は参戦していないから、それなりに備えを必要とした可能性は
あるけど
>>709
74年に勝頼が謙信の関東出兵で兵を引いたことがあったと思う
>>714
正確には太閤検地で567,105石らしいですけどね
というか誰へのレス?
0716人間七七四年
2007/03/01(木) 19:03:15ID:g/cKVlVOまだ兵脳分離の時代じゃないから
0717人間七七四年
2007/03/01(木) 19:08:03ID:FYVBoNh9越後国内に限定するなら
御館の乱、新発田本庄の離反などから分かるように一年中戦っていますし
関東遠征みて分かるように長期遠征もしているし
能登攻めのように一年近く北陸で戦えたこともあるみたいだが
0718人間七七四年
2007/03/01(木) 19:38:57ID:kfLzhxcD石高で強さを測るなんて馬鹿がする事なんだよwwww
0719人間七七四年
2007/03/01(木) 20:55:54ID:21moDUo+0720人間七七四年
2007/03/01(木) 21:13:22ID:OMJIBeBPではどのようにして強弱を計るのか対案を示して下さい
ああ、騎馬軍団とか、甲州兵1:三河兵:3と言われているとか、信玄スゲー信長なんていちころだぜ
などの妄想は一切省いて下さいね
0721人間七七四年
2007/03/01(木) 21:17:00ID:PfKwF0byとはいっても、「敗戦」というほどのものではなく、何人かの優秀な武将は死にましたが、信玄本陣はまったく無傷でした。
あまりにも信玄が強いため、この2回の戦いが大きく取り上げられることとなるのです。
この戦いで逃げる時に武田家臣・高坂昌信が殿(しんがり)を務め、うまかったため「逃げの弾正」と呼ばれることになります。
0722人間七七四年
2007/03/01(木) 21:21:13ID:PfKwF0by大軍同士の戦いであれば、信玄の方が分がありますよ、信長は姉川での未熟な
戦い方や、長篠で見せた兵力に劣る相手に対する「後手の必勝方法」を見る限り
信玄より戦闘の仕方が上手とは思えませんね。それに信玄は当時駿河の兵を多く
は動員しませんでした、単純に信長の石高が高いからと言って、それが勝敗を
決する要因にはならないでしょうね。
0723人間七七四年
2007/03/01(木) 21:29:41ID:yD4tnA1Y武田軍は飯を食わずに戦ができると見えるな
そりゃあ強いわけだwww
石高で少なくとも3〜4倍あった武田の村上に対する戦ぶりを見れば、強さってな、石高“だけ”じゃないってのは言えるかもなwww
0724人間七七四年
2007/03/01(木) 21:29:43ID:lWty5cda0725人間七七四年
2007/03/01(木) 21:38:08ID:yYUmvx/aついでに
姉川っすかww
さすがは講談基準で歴史を語る人っすねww
聞く耳持たない人には勝てませんww
泣く子と地頭には勝てぬってね。
0728人間七七四年
2007/03/01(木) 21:48:00ID:PfKwF0by騎馬軍団が無いということは、更に武田の足軽兵が強力かが伺えますね
0729人間七七四年
2007/03/01(木) 21:54:30ID:sfj1cSPw俺は小山田と戦争になったなんていってないよ。
どこのレスをいっているの?
俺が>>637でいった外征とは信濃のことをいっているのだが。
信虎と小山田は甲斐統一戦において戦って、小山田が信虎に屈してたと
思ったが。
0730人間七七四年
2007/03/01(木) 21:55:26ID:yD4tnA1Yメガ豚、他スレにいる牛とでも戦ってこいよ
あっちは兵卒ならは安芸が最強だって言ってるぜ
ほおっちゃおけんだろ
もっとも彼の博識ぶりには俺も頭が下がるけど、どうゆう訳か結論が(笑)
0731人間七七四年
2007/03/01(木) 21:57:42ID:lWty5cda毛利にでも絡めないと無理かな
0732人間七七四年
2007/03/01(木) 22:03:29ID:FYVBoNh9そういう意味じゃない
棟別銭問題で信虎と小山田とそれを支援する北条とで戦争となったと言う話があるが
ソースは不明
と言う意味
0733人間七七四年
2007/03/01(木) 22:47:01ID:FQhm2BnZ姉川wwwww 兵質wwwwww 武田厨理論では武田の領土の兵士は全員今のヨーロッパの人間みたいに巨漢なのか?wwwww そうでないと成立しないぞこの理論wwww
0735人間七七四年
2007/03/01(木) 23:03:42ID:yD4tnA1Y究極の非対称戦争と言えるかもな(笑)
0736人間七七四年
2007/03/01(木) 23:08:48ID:4RzkL8I0誰か呼んで来いw
0737名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/01(木) 23:09:59ID:TqcboNvj誰か牛と豚の対決スレ作ってよ。
(豚)甲斐武田vs安芸毛利(牛)みたいなやつ
0738人間七七四年
2007/03/01(木) 23:29:28ID:FQhm2BnZ武田信玄>>毛利元就は定説です
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1159020720/
しかしこういうスレを見るとなんで武田厨はこういうのばっかなのかと(ry
0739人間七七四年
2007/03/01(木) 23:36:40ID:4SYvauZn2倍もの兵を死なせ、本陣を襲われ信玄自身も切りつけられ2箇所に傷を負ったと甲陽軍艦に書かれているが
お前は武田厨でありながら読んだ事がないのか?メガ豚よ
0740人間七七四年
2007/03/01(木) 23:37:15ID:kfLzhxcDそれを認めないお前らが馬鹿で無知なだけなんだばーーーかwwww
0741人間七七四年
2007/03/02(金) 00:03:56ID:H6+ezNLTそんな信玄がまだ若くて家臣団の統率に苦労した時の戦ばかり
取り上げて何がなさりたいんですか?
0742人間七七四年
2007/03/02(金) 00:08:26ID:bIosFUoYゆいいつ[唯一]
唯一つでほかに無いこと「−−無二」
おまえ自身が言った二回の敗戦を、さりげなく一回減らすなw
0743人間七七四年
2007/03/02(金) 00:12:40ID:H6+ezNLT減らすまいが、9割5分も誇る信玄の勝率の大した妨げになる
わけじゃないし
0744人間七七四年
2007/03/02(金) 00:15:41ID:RFV7q//0こればっかりは武田厨は言い繕うことはできんわな
勝頼のせいにしたとて勝頼を後継者にしたのは信玄だしな
0745人間七七四年
2007/03/02(金) 00:17:09ID:BK91rf5U0746人間七七四年
2007/03/02(金) 00:22:55ID:bIosFUoYそら、戦略目標達成できなくてすごすご帰っても引き分けにカウントされればそうなるよ
この手のカウントには長野業正は言及されないしな
0747人間七七四年
2007/03/02(金) 00:24:35ID:H6+ezNLTさほどなかったわけで。
まあ信長さんは、戦略ミスから膨大な一向宗との戦いばかりに明け暮れ
てましたので、信玄のことをとやかく言える資格はないものかと。
しかしよく見れば、信玄生前の武田領と当時の織田領って版図の大きさ
そんなに違いないように思えますが。
0748人間七七四年
2007/03/02(金) 00:26:55ID:RFV7q//0面積が広ければ良いってもんじゃないぞ
0749人間七七四年
2007/03/02(金) 00:29:37ID:H6+ezNLT伊勢長島・・・・・・・結局強引な皆殺し
天正伊賀の乱・・・・・何ですかこれは?(笑)
手取り川・・・・・・・(失笑)
稲葉山城は攻略は何度失敗しましたか?
0750人間七七四年
2007/03/02(金) 00:30:57ID:RFV7q//0豚乙
0751人間七七四年
2007/03/02(金) 00:32:13ID:L+XI9LFRなるんだ?
自領内部で追い払うこともできない、村上の敗北なんじゃないの?
砥石城でも、追撃しただけだろ?
長野も自分の城でこもってただけだろ。
武田の領地に攻め込んで、切り取って、初めて勝利したと言えるんじゃないのか?
信玄自身が自分の戒めの為に砥石などのことを取り上げているだけで
敗北ってのは学者などが勝手に言ってるだけだと思うぞ。
0752人間七七四年
2007/03/02(金) 00:32:39ID:H6+ezNLTしかし、最初から攻略する地域が限られてた中で、あれだけ
版図をひろげられるのが逆に凄いね
0753人間七七四年
2007/03/02(金) 00:35:02ID:LYXhkgEv村上より多くの兵をそろえたのに
被害は上、重臣死亡
武田の負けだな
0754人間七七四年
2007/03/02(金) 00:35:21ID:H6+ezNLTになると思ってることをただワーワーとおっしゃりたいだけなんですね
0756人間七七四年
2007/03/02(金) 00:55:55ID:9YXjK3dWその方式なら、メガ豚流の数字に近いものになるような気もするが・・・
教えてエロい人
0757人間七七四年
2007/03/02(金) 00:59:18ID:H6+ezNLT失敗は、信玄自身は一度も出陣していない
0758人間七七四年
2007/03/02(金) 01:03:13ID:9YXjK3dW信玄の情報収集分析能力に問題があったのかな?
それとも戦略眼が欠如してたんかね?
禿しく疑問だ
てか、そうゆう信玄はぉバカということでオケ?
0760人間七七四年
2007/03/02(金) 01:13:13ID:XiGE1n+Yなんで上杉(憲政)、長野、村上、小笠原がもっと連携できなかったのか、
と言うところにある。
武田はどれに対しても、ほぼ同時につまみ食いを仕掛けていたわけだろ。
小笠原にしろ、村上にしろ、武田より家の格が上だったと自分で言うくらい
プライドが高かったらしいから、自分から助けてと隣に言えないまま
結局逃亡するしかなくなったように見える。
長野も在原業平の末裔だとか。プライド高かったのだろう。
上杉憲政は・・・
0761人間七七四年
2007/03/02(金) 01:21:39ID:9YXjK3dW盆地ごとに分裂した弱小勢力しかいなかった信濃だからこそ、武田家がどうにかこうにか攻略できたわけで
0762人間七七四年
2007/03/02(金) 01:32:04ID:0GD87SAD信長包囲網が何故うまく機能しなかったと同じようなものだと思うが
小笠原と村上は昔から信濃支配を巡って争っていた間柄だし
村上と上杉(憲政)=長野も佐久の支配を巡って対立していた
他に信玄が佐久を攻めていた頃は上杉(憲政)=長野は河越で北条に大敗して以降
北条に押されて信濃どころではないし、(一度だけ援軍を送ったけど)
信玄と小笠原が争っているころ村上は北信濃で高梨らと抗争中
小笠原は藤沢高遠らを支援していたけど
小笠原の勢力は武田と比べるとずっと小さいし、
藤沢高遠はその小笠原より更に小さい勢力、
その程度じゃ協力しても焼け石に水
0763人間七七四年
2007/03/02(金) 01:42:39ID:H6+ezNLTしやすいでしょうね
0765人間七七四年
2007/03/02(金) 01:58:39ID:0GD87SAD国力の差がより出やすいというのは事実じゃないかと思う
0766人間七七四年
2007/03/02(金) 02:05:24ID:H6+ezNLT(あるいは内応出来るか確認する為)の侵攻なのですよ、周囲からじわり
じわりと攻め入られれば脅威でしょうに
0767人間七七四年
2007/03/02(金) 02:09:47ID:ISSfkwGm0768人間七七四年
2007/03/02(金) 02:41:19ID:H6+ezNLT家康領の諸将は寝返ってたか、戦意喪失で逃げ出してたでしょうね。
0769人間七七四年
2007/03/02(金) 03:07:00ID:BK91rf5U>でしょうね
結局主観論かよ
0770人間七七四年
2007/03/02(金) 05:56:24ID:lpoLj0yG妄想の中でアンチ信玄厨の心を完全に揺さぶって説得しました。
実際は自身の無知をさらけ出しただけに過ぎませんでした。
0771人間七七四年
2007/03/02(金) 08:45:54ID:6ozqgCky実際には信玄のほうが朝倉が一時退いて織田への牽制が一個無くなるだけで大慌てするほどギリギリだったわけで
0772名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/02(金) 09:32:23ID:EBMncTKiてことは、その平地で義元を倒した信長は最強伝説ですね。
0773人間七七四年
2007/03/02(金) 09:45:57ID:IvMkHOdn(田楽狭間のことではない。「桶狭間というところは谷が入り組み、深田が
たくさんあり、難所という事限りない場所だ」というのは信長公記にもある。
戦闘前の大雨もあって今川勢は進退に不自由したと思われる。)
0774名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/02(金) 10:09:10ID:EBMncTKiいや、相対的な話でしょ。甲斐に比べて、ということ。
小山田の居城だったかな。攻めるのが絶望的な断崖絶壁の上にあって
あれ見たら確かに少々の国力差は出にくいと思える。
逆に桶狭間見たことないけど、相対的に攻め易い平地のうちでしょう。
0775人間七七四年
2007/03/02(金) 10:27:02ID:buoOvttR平地なら逆に後詰や援軍も活動しやすいという点を見逃してないか?
0776人間七七四年
2007/03/02(金) 10:35:25ID:V0aLxQzE0777名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/02(金) 10:41:40ID:EBMncTKiごめんなー。俺は平地だから攻略容易とか思ってないんだ。
平地だから容易と言うならば>>772という結論になるぞと言っただけで。
それ以上のことは豚に聞いてみてくれ。
でもその論法については
軍を動かしやすくなるのは双方同じだし
後詰は国力差の問題になってくるのでピントがずれてる
と言えてしまうかも。
0778名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/02(金) 10:49:23ID:EBMncTKi複雑な地形も多いし山の代わりに入り組んだ河川という敵もいる。
平野の勢力であっても城は山の上に作られるから結局は山攻めになる。
自国の生産性高いかもしれないが、周囲の敵国も同様に生産性高くなる。
山岳には山岳の困難があり平野には平野の困難があり
それぞれに何らかの傾向はあるかもしれないが決して一概には言えない。
また山岳地帯での攻略は難しい、ということ自体は言えるかもしれないが
だから平野に比べて攻略が遅くなり勢力拡大が遅れた、とは言えない。
自分の考えではこんなところです。
0779人間七七四年
2007/03/02(金) 10:58:00ID:IvMkHOdnそれこそ優秀な人物が現れれば。
山岳地帯では行軍自体が困難で、攻略するのもまた厳しく、
優秀な人物がでても全体的に平地と比べると遅くなるのではないかと。
それこそ圧倒的な戦力でも無い限り。
信玄が苦戦した村上にしろ長野にしろ信玄より勢力は劣っていたものの
圧倒的というほどの差ではなかったように思える。
村上でやく2対1?長野でやく3対1くらいかな?長野には上杉のバックアップも
あるしなあ。
0780人間七七四年
2007/03/02(金) 11:12:08ID:buoOvttR山地だからとか平地だからっていうのは後付けで分かりやすいからそう言ってるだけで
実際織田軍の甲斐信濃制圧は高速で終了したし
0781名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/02(金) 11:21:21ID:EBMncTKiもうね、そういうのは完全に机上の空論になるけど。
平野で機動性が増す→敵も動きやすい
攻略自体が容易→敵も容易
例えば信長が北を攻めると速攻で南の勢力が侵入してくる
攻略が容易なのは敵も同じだから守りに兵力を多く割かねばならない。
と、逆のことも言える。
で、そもそも平野で機動性が増すかどうかは謎。
一般的にはそう言える気もするが
昔の平野なんて道なき道だしなあ。湿地なんて最悪。
大きな川があれば船がいるし。雨で増水したらお手上げ。
でもこんな概論的な話してても答えは出ないよ。
具体的に、この戦はどうだったということならともかく。
0782人間七七四年
2007/03/02(金) 12:17:15ID:IvMkHOdn武田滅亡の時は例にできるのかな?
武田が内部崩壊しまくってて、兵力もほとんど集まらず
戦う前から自壊してるしなあ。戦力差も圧倒的だし
通常の例といえるかどうかは疑問。
まあ、戦は複数の要素の絡み合いではあるんだろうけどね。
0784人間七七四年
2007/03/02(金) 12:59:28ID:SDPTmPTUただ、有利不利だと色々な要素が絡んでくるね。
武田は内部崩壊しなければ織田も手は出しにくいと思うよ
情報収集も補給も山岳地帯だと地元有利に働く
武田家は特に「人は城、人は石垣」だったんだと思う
まあ、圧倒的に織田家有利の状況が武田家の内部崩壊の最大要因だろうけどね。
0785781
2007/03/02(金) 15:31:19ID:EBMncTKi僕チンは何故平野が一概に機動性増すとは言えないかを具体的に述べた。
それに対して「常識的に考えて当然」というレスはずさん過ぎる。
そんなのfuckingお前の主観に過ぎねえだろが!ってこと。
0786人間七七四年
2007/03/02(金) 16:50:39ID:TRamhn3Wこうですか? わかりません><
0787人間七七四年
2007/03/02(金) 17:04:59ID:6wznIaXF勝ち○ 松平長親 500 VS ×北条早雲 1万。
勝ち○ 松平清康(世良田二郎三郎) VS ×織田信秀。
勝ち○ 徳川家康 2万 VS ×豊臣秀吉10万。
勝ち○ 松平信康 VS ×武田勝頼。
松平普通に強い。イレギュラーがなければ、清康の時代に天下を取ってもおかしくないほど。
0788人間七七四年
2007/03/02(金) 17:15:07ID:nqfq/zvW細かい奴だな
仮に直線距離100mを進むとして、
アップダウン無しの場合の道のりはX軸100mそのままなのはわかるよな。
仮にX軸100mかつY軸100mを登る場合の道のりはは、141.42mになる(まあ45度勾配なんて坂じゃなくて壁だけどなw)
上は極端な例だが、道程が平らであるよりも上り下りがある方が実際の距離は長くなる
また峠道を通ったことのある人ならわかるだろうが、
山道は地形の制約を受けるため、非常にロスが多いのに対し、
平野は山地に比べて地形の制約を受けないで済むので、山道のように蛇行させる必要が無い
直線距離は変わらなくても、実際の道のりは平野の方が短くてすむ
他にも実際に上り下りするときの疲労などを考慮に入れれば、
山地よりも平野の方が機動性がますと言える
これでいいか?
0789人間七七四年
2007/03/02(金) 18:58:04ID:EfzZ9tsRそうなると、より領土を広げやすいだろうと考えられる。
救援の後詰も出しやすくなるし、攻めての援軍も出しやすくなる
とにかく、兵力をフルに活用できるから、大決戦しやすいかと。
勝っても負けても、勢力図の変動が激しくなるように思う。
逆に山岳部だと兵を移動するだけでも時間と労力がかかるし、
各城の堅牢さが高いから、一度に攻め落とせる限度も小さい。
移動が厳しいから、救援を出しにくく戦線を維持しにくい。
そして、平野の決戦はより兵力差が響くとすると
一度勝つことでより強力になっていきどんどん力を付けられる。
つまり、平野の方がリスクは大きいが勢力の伸張スピードも大きい
→石高で山岳地帯の勢力より有利になる
という図式は成り立つ。
0790人間七七四年
2007/03/02(金) 19:08:55ID:9YXjK3dWそういうわけで信濃には統一された大勢力が生まれず、弱小勢力ばかりが乱立することとなった
そのため武田家は容易に信濃を制圧することが可能になった
という結論になるな
0791人間七七四年
2007/03/02(金) 19:15:27ID:IvMkHOdn峻険な山岳地帯とその土地に根付き、その土地に慣れた地元の相手というのは
たとえ多少の勢力差があったとしても制圧するのは難しい。
信虎の信濃攻めだって中々うまくいかず、結局不満がたまって追放となった。
0792人間七七四年
2007/03/02(金) 19:15:40ID:v1w3SXOY信長の美濃攻めの例で言うなら
平野部(河川が多いけど)の西美濃への侵攻はあまり伸展しなかったが
山岳部の東美濃への侵攻は非常に速かった
山によって区切られているから分断しやすく攻めやすかったのかもしれない
>>784
山地の場合は相手もより援軍を出し難く
各勢力を分断しやすく各個撃破しやすいため有利とも言えるし
相手の逆襲から守りやすいとも言えるな
>>788
低湿地帯と山地ではどっちが楽かはまた別問題だけど
平地と山地はそれでいいんじゃないか
>>789
つまるところより国力の差が出やすいってことでいいんじゃないか
0793人間七七四年
2007/03/02(金) 19:22:03ID:v1w3SXOY信濃に纏まった統一勢力がいるよりは容易ってことでしょ
>その土地に根付き、その土地に慣れた地元の相手というのは
>たとえ多少の勢力差があったとしても制圧するのは難しい。
これは山地以外に対しても言えることだと思う
それと信虎の信濃攻めでの失敗は最初の諏訪攻めぐらいなんじゃないか?
今川と同盟後は上手くいっていたと思うが
0794人間七七四年
2007/03/02(金) 19:30:44ID:9YXjK3dWおいおい、話の流れに沿って語ってくれよ
理屈でいけばそうなるだろ
信濃が平坦な土地柄で統一された大勢力の支配する土地だったほうが(蓋然性の問題ね)攻略しやすかったとでも?
武田家が苦戦したというなら、それは武田家の問題だろうよ
0795人間七七四年
2007/03/02(金) 19:35:48ID:IvMkHOdn諏訪攻めの前にも一回佐久を攻めて失敗してなかったっけ?
諏訪攻めは足掛け8年くらいに渡って行われ、結局失敗したんじゃなかったっけ?
それで今川・諏訪と和を結んだ後、村上とも組んで佐久を攻めて
ある程度の成果をあげたんじゃなかったっけ。
得た成果の割りにえらく苦戦している印象があるんだが。
0796人間七七四年
2007/03/02(金) 19:40:17ID:IvMkHOdnなんか強引に結論だけ自論にあわせようとしてないか?
>>789では山岳地帯より平野部のほうが勢力を拡大スピードが速いといってるんだぞ?
0798人間七七四年
2007/03/02(金) 20:21:06ID:v1w3SXOY諏訪攻めの前に一度佐久への侵入を試みたみたいといわれているね
>諏訪攻めは足掛け8年くらいに渡って行われ、結局失敗したんじゃなかったっけ?
それだとまるで諏訪を8年間も攻めていたように聞こえるが?
史実じゃ諏訪に攻められていて、甲斐防衛のための戦いの時期もあったと思うが
実際には8年間のうちどれだけ諏訪に攻めこめたかだと
1528年以外にあとどれだけある?
0799人間七七四年
2007/03/02(金) 20:28:40ID:9YXjK3dWそのことは結果的に、弱小勢力ばかりの信濃は武田家にとって攻略しやすい地域だったと論理展開したわけだが
どこかおかしいかい?
0800人間七七四年
2007/03/02(金) 20:33:21ID:TRamhn3W山ばっかってことは人口が少ないってことだからな
0801人間七七四年
2007/03/02(金) 20:34:14ID:IvMkHOdn地元でさえ統一しにくい地域を
外部勢力が容易に攻略するのは難しいだろ。
一つの難所を越えて攻略しても次の攻略地帯はまた難所、という繰り返しで
攻略速度は遅くなる。まして武田の地盤である甲斐は飢饉や水害に悩まされ、
国内整備も未完成でそれらを平行して行っていたんだしな。
0802人間七七四年
2007/03/02(金) 20:37:29ID:IvMkHOdn山岳地帯では平野より人口が少なくても
峻険な地形を生かして平野より少ない兵力で防衛が可能になると思うんだが。
戦国時代にも山岳の地形をうまく生かして思わぬ大軍を撃退した例は結構あると
思うのだが。
0803人間七七四年
2007/03/02(金) 20:41:08ID:TRamhn3Wしかし人口が少ない(=兵力が少ない)
例えば中国地方なんてどうだろう 信長の野望なんかだと小勢力がいっぱいあるように見えるが西側は毛利だか大内だかが持っていて東側も実際には尼子が持っている
尼子や毛利は一気に領土を広げれた(が、石高は少ない)のに他は領土を広げるのは困難とはこれ如何に
0804人間七七四年
2007/03/02(金) 20:42:03ID:v1w3SXOYおかしい点は無いと思うが勘違いされているのは恐らく
あなたの結論を
>俺は山地の方が勢力を拡大するスピードが遅いという結論
この仮定が真とするなら
山地の弱小勢力は(平地の弱小勢力)よりも攻略しやすいと
勘違いしているんだと思う
あなたの主張は攻略のしやすさなら
弱小勢力>統一勢力
と言っているだけだと思うけど
0805人間七七四年
2007/03/02(金) 20:44:06ID:TRamhn3W中国地方や四国も山ばかり 信濃と同じくらいの人口密度(というより広さに対する石高)だ
ではそこは勢力拡大が果たして困難だっただろうか、答えは否だろう
0806人間七七四年
2007/03/02(金) 20:44:54ID:9YXjK3dW地形的なな難点は、統一された大勢力が存在する場合より大きな攻略阻害要因とはならず、むしろ弱小勢力の横の連携を阻害する点で攻略側に有利に働くと考えられる
0807人間七七四年
2007/03/02(金) 20:52:19ID:v1w3SXOY平野部だから連携協力しやすいってのはあるだろうね
山地なら数少ない街道峠を封鎖すれば簡単に分断できるけど
平地だとそうはいかない
0808人間七七四年
2007/03/02(金) 20:56:41ID:9YXjK3dW群小勢力<統一勢力
が真ならば、信濃は攻略し易かったという結論になるだろ
当たり前すぎて笑える結論だが、まあ論理学みたいなものだな
0809人間七七四年
2007/03/02(金) 20:59:09ID:IvMkHOdn中国をかなり制した尼子経久だが、彼は1488年に出雲を統一しているが
積極的な他国侵略に手をつけるのは1512年からでそれまでは国内整備に力を
注いでいたと思ったがどうだろうか。
四国の長宗我部元親も土佐をとるまでにかなり時間を要していると思うが。
0810人間七七四年
2007/03/02(金) 21:19:10ID:v1w3SXOY他に陸奥も山がちだし
九州も山は多い
でも伊達や島津竜造寺なんかは一気に領土を広げれたな
>>805
織田派かもよ
平野は攻略しやすい兵力差が響く
これってそれだけ信長は不利ってことだし
>>808
まあ当たり前のことだね
>>809
15世紀じゃ他国侵略はちょっとね
例としてあまりふさわしくない気がする
元親は土佐統一まで1560〜1574
土佐2〜3郡から土佐7郡を統一するのに14年
遅いか速いかは各自の判断に任せます
0811人間七七四年
2007/03/02(金) 21:34:03ID:IvMkHOdn信長の尾張攻略戦の偉大さは認めるが、
その前半においては斉藤道三から兵を借りて城番を勤めさせたりしている。
全ての兵力的不利を独力だけで乗り切っていたわけではなかったよ。
それが悪い事とも言わないし、信長の戦術能力も認めるがね。
0812人間七七四年
2007/03/02(金) 21:34:26ID:2kV5d13W伊達ww島津www龍造寺wwwwそいつらの周りは雑魚しかいねえじゃん
バーーーーカwwwww
雑魚大名出されると武田の偉大さが骨身に染みるぜwwwwww
0813人間七七四年
2007/03/02(金) 21:42:25ID:yEyRtNzaその状況下でも勢力拡大できる武将もいれば、滅ぼされる武将もいる。
織田信長は尾張の守護代の一家臣から始めて日本の半分近くまで勢力を拡大できた人間。
毛利元就は安芸の一国人領主から始めて安芸・周防・長門・石見・出雲・備後etcまで勢力を拡大できた人間。
長宗我部元親は土佐の一国人領主から始めて土佐・阿波・讃岐・伊予まで勢力を拡大できた人間。
武田信玄は甲斐の守護大名から始めて甲斐・信濃・駿河・遠江etcまで勢力を拡大できた人間。
それでいいじゃん。
0814人間七七四年
2007/03/02(金) 21:47:59ID:ERaG0MUK者がいないのは何故かを説明してくれ。関東平野での例でもいいぞ。
>>811
村木攻めの時の話か?たしかそのときは林氏が従軍拒否して、結局信長は手持ちの
兵だけで攻撃せざるを得なかったんだよな。結果論で言えば、林を最初から留守に
しておけば美濃から兵を借りる必要もなかったなあ。
もちろん、こんな馬鹿な話は冗談でいっているのだが。
0815人間七七四年
2007/03/02(金) 21:50:09ID:TRamhn3W0816人間七七四年
2007/03/02(金) 21:51:43ID:9YXjK3dWメガ豚は相変わらず元気がいいなw
寝起きか?
俺は風呂落ち、皆さん頑張って相手してやっちくり
ああそうだったそうだった
つ牛
0817人間七七四年
2007/03/02(金) 22:02:30ID:sshKfuQm0818人間七七四年
2007/03/02(金) 22:05:42ID:IvMkHOdn俺にいっているのかな?
俺は平野では勢力の拡大速度が山岳地帯より早いというだけでその困難さについては
否定しない。平野でもそれを統一するにはそれ相応の優秀な能力者でないと無理だ。
だから俺は信長の偉大さは否定しない。
でも山岳地帯の場合、優秀な人物が現れても平地よりは拡大速度が遅くなるのでは
と思うだけだよ。
0820人間七七四年
2007/03/02(金) 22:15:04ID:IvMkHOdn>>789の主張のように
俺は平地の拡大のリスクは認めているよ。
敵地に移動するだけでいちいち山を越えていかにゃならん山岳地帯では
侵攻速度なども違ってくると思うだけだよ。
0821人間七七四年
2007/03/02(金) 22:18:15ID:TRamhn3Wだから、本当に山岳部が領土拡大が困難なのであれば四国の長宗我部や中国の尼子や毛利などはあれだけの領土に広げることはできないだろう
長宗我部はむしろ能力からいうと良く石高を取ったほうだろう 本当に山岳部での領土拡大が困難ならば長宗我部ごときがあれだけの領土を広げることはできない
0822人間七七四年
2007/03/02(金) 22:29:51ID:IvMkHOdnそれに尼子に従った国人たちも尼子が優位と見ればそれに従い、大内が優位とみればそれに
従うというものも多く、完全に撃破せずに勢いを見て傘下に入ったものも多い。
それは尼子が不利になった時にたびたび面従腹背として現れる。
長宗我部も土佐を得るまでに随分時間がかかっていると思うが。よく石高をとったというのは
同意。その秘訣は元親の能力プラス三好一族が中央との争いで疲れきっていた事、
そして一領具足による兵力の多さに求められると思うがね。
0823人間七七四年
2007/03/02(金) 22:35:14ID:TRamhn3W尾張でも甲斐でも駿河でもそれは同じこと
尼子は直轄地だけでも80万石を越え、>>822がいったような天秤にかけてる連中を合わせれば120万石
毛利も領土拡大スピードはとても早かった 陶を倒したのが大きかったがそれでも尼子やそれよりも更に東へ侵攻した時のスピードは遅いといえるだろうか
あの長宗我部でも四国を丸ごと取れた(それでも石高はたかがしれてるが)んだから山岳地帯での領土拡大の難しさというのは無いと思うが
0824人間七七四年
2007/03/02(金) 22:39:48ID:v1w3SXOYたった一度だけの援軍だしな
それに確かに道三の存在が反織田勢力の抑止力になっていたとは思うけど
それも道三が死ぬまでだし
>>813
まあ、そうだろうね
>>820
抽象論や想像でなく史実で証明しろってことでしょ
山地なら分断しやすく各個撃破しやすいから勢力広げやすいと考えることもできるわけだし
0825人間七七四年
2007/03/02(金) 22:40:46ID:2kV5d13W長宗我部は周りに雑魚しかいないからなwwww
馬鹿殿率いる一条に弱体著しい河野と三好領国広げられない方がおかしいですねwww
0827人間七七四年
2007/03/02(金) 22:44:34ID:IvMkHOdn一領具足による兵力の多さは大きかったと思うが。元親が優秀なのは認めるが。
中富川においては四国をまだ完全制圧してもいないのに兵力2万3千を動員している。
四国全土をあわせても確か80万石くらいじゃなかったっけ?それなのにこの兵力は大きいだろう。
実際相手の十河は5千しか集められていないしね。
0828人間七七四年
2007/03/02(金) 22:46:05ID:TRamhn3Wしかしお前の理論だと山岳地帯だから防げるということになってしまう
自分の発言に責任を持て お前の発言はそういうことだ
0829人間七七四年
2007/03/02(金) 22:48:31ID:IvMkHOdn多少手間がかかるというだけだよ。
そしてその相手は疲弊した三好だったことも事実だろ。
0831人間七七四年
2007/03/02(金) 22:52:33ID:v1w3SXOY0832仙台藩百姓
2007/03/02(金) 23:00:22ID:XtyzMrb8山岳+積雪で行軍がままならないし輸送も十分にできない
無理に出兵して天候の急変によって大敗をした例も少なくなく
12月〜3月辺りは出兵しないのが無難
つまり活動期間にハンデがある
しかし、ハンデ付きでも政宗公の進攻速度は戦国一!
さすが政宗公、天才だお( ^ω^)
0833人間七七四年
2007/03/02(金) 23:04:58ID:IvMkHOdn信長の美濃攻めでは加治田、犬山、鵜沼城といったように調略を主としている
様子が強いのだが。猿喰は水絶ちだし、最終的な契機は美濃三人衆の寝返りだし。
0834人間七七四年
2007/03/02(金) 23:07:13ID:v1w3SXOY秀吉の中国遠征で山の多い但馬はすぐに制圧できたが
平野部の播磨では時間かかった
家康が三河統一する時
東三河に関しては平野部を後回しにしてまず山地の奥三河から攻めた
逆の例だと
信長が六角を滅ぼした時は平野部を攻めて甲賀郡は放置して上洛した
また伊賀や紀伊、南大和なども攻めるのは後回しになった
でも攻めた時はすぐ決着ついたか
0835人間七七四年
2007/03/02(金) 23:08:57ID:TRamhn3W0836人間七七四年
2007/03/02(金) 23:09:09ID:v1w3SXOYそれのどこに問題が?
調略も含めて攻めやすいか否かでしょ
それとも話しを城攻めとかに限定して話すの?
0837人間七七四年
2007/03/02(金) 23:12:59ID:IvMkHOdn別に問題があるなんていってないさ。
でもそちらが攻め取ったというからそれに答えただけだよ。
調略には時間がかかるものだしね。山岳地帯を攻めるのに調略を主に使うというなら
それは時間がかかっているという事だろう。
0838人間七七四年
2007/03/02(金) 23:17:40ID:v1w3SXOYまあ人口少ない経済的価値低い表立って敵対していないなど
いくらでも理由は付けられそうだが
>>837
まあそれならいいけど
調略にせよ軍事にせよ
結果信長派極短期間で東美濃を手に入れているけど
西美濃ではあまり進捗しなかったが
山地の方が攻めやすいという証拠じゃないの?
0839人間七七四年
2007/03/02(金) 23:27:45ID:IvMkHOdn信長が美濃を制圧したのは1567年
加治田がおちたのは1565年
犬山・鵜沼は1564年
猿喰も1565年
全体のタイムスケジュールでみれば美濃攻略に費やした時期の過半をすぎたころに攻略した事になる。
信長公記には「鵜沼・猿喰は信長公を悩ませていた」とか「信長公は内通者を切望していた」
とかあるように大分てこずっていたんじゃないのかな?
0840人間七七四年
2007/03/02(金) 23:30:37ID:9YXjK3dW遠州でいうと、武田の南下は二俣城―天方城のラインをほぼ南限とするが、それは見事なまでに山間部と平野部の境界だ
ついぞ信玄も勝頼も遠州のバイタルパートたる掛川と浜松の平野部を支配下に置くことはできなかった
これは三河・美濃・上野でも同様である
0841人間七七四年
2007/03/02(金) 23:33:13ID:v1w3SXOYそりゃ梃子摺りはするだろ
美濃と尾張じゃ国力差は少ないし
大河を越えないといけないし
でも今の問題は山地と平地どちらが攻めやすいかで
平地の西美濃で進めなくなった信長が山地の東美濃を攻めたら短期間で取れたということ
むろん東美濃攻めずに西美濃攻めていれば
もっと楽だったという可能性もあるかもしれないけど
それは検証の仕様が無いだろうから置いとく
0842人間七七四年
2007/03/02(金) 23:40:01ID:v1w3SXOY単純に甲斐信濃と国境を接している部分が山地しか無いんだから
山地から攻めるのは当たり前だと思う
遠江に関して言えば駿河から攻めこむことも出来たので
山地の方が攻めやすいといえる可能性もあるけど
北から攻めることで徳川の戦線を広げて兵力分散させる狙いとかあったかもしれないし
織田や畿内の関係もあるから断言は無理だし
甲斐信濃の騎馬が山地に適していたため山地では他大名と比べてメリットがあり
平野部ではそのメリットがいかせないから山地を攻めやすかった可能性もあるけど
これは想像で具体的な根拠が示せない
0843人間七七四年
2007/03/02(金) 23:40:07ID:IvMkHOdn三河は本格的に攻める前に信玄は病死だし、
上野は北条との取り決めで西上野を取る代わりに東上野はとらないようにしてたし、
西上野の箕輪城には周知のとおり苦労しているが。
浜松には徳川の主力がこもってるしね。主力のこもった城を落とすのは大変でしょ。
俺は別に平地の城ならあっさり陥落するとはいってない。
0844人間七七四年
2007/03/02(金) 23:44:47ID:IvMkHOdnいや、だから信長の美濃攻略に費やした期間の過半をすぎた後に
それらの城はおちているんだってば。
「鵜沼・猿喰は信長公を悩ませていた」とか「内通者を切望していた」とか
前からてこずっている様子があるのにそれを落ちた時だけで見て
短期間でおちたとかいうのはいかがなものか。
それいったら箕輪城だって短期間になるんじゃないのか?
0845人間七七四年
2007/03/02(金) 23:49:16ID:9YXjK3dW0846人間七七四年
2007/03/02(金) 23:51:28ID:v1w3SXOY一応飯田各輪匂坂を即座に落としているがどれほどの城だったか分からないからな
信虎が一日で36の城を落とした時と同じ程度の城かもしれんし
>>843
>浜松には徳川の主力がこもってるしね。主力のこもった城を落とすのは大変でしょ。
浜松以外にも城はあると思うが掛川とかこの時期落としておけば
どんなに良かったか
>俺は別に平地の城ならあっさり陥落するとはいってない。
だれもそんなこと聞いてないでしょ
さっきも思ったが少し落ちついて相手のレスを読んでみては
0847人間七七四年
2007/03/02(金) 23:52:47ID:TRamhn3W0848人間七七四年
2007/03/02(金) 23:58:04ID:v1w3SXOY信清を滅ぼしたのがいつか考えてみては
それに時間がかかったにせよ
結果は西美濃より東美濃の制圧の方が早かったんだが
西美濃が織田側に寝返ったのは一番最後なんだが
先ほどから思っていたがわざと話を逸らしている?
上のほうでも誰かにイチャモンつけていたし
箕輪に関して言えば
西上野のうち山間部と平野部どっちが先に武田のものになったかで
どっちが攻めやすいか考えられるんじゃない
ただ信濃からじゃどうしても山地から攻めることになるから
良い例とはならないけど
0849人間七七四年
2007/03/03(土) 00:02:41ID:/y1+uoiM山岳部は自然な感覚として攻めにくさや行軍のしにくさがあると思うのがそんなに変かな?
俺は別に平地なら楽勝ともいってないし、平地のリスクもみとめているよ。
山岳地帯ならどれだけ戦力さがあろうと落ちないともいわないし。
>>v1w3SXOY
落ち着いてないように感じられたら申し訳ない。
0851人間七七四年
2007/03/03(土) 00:14:02ID:etv7/cstやっぱ平野部の重要な城主要な城は落としにくいんじゃないか
それだけ相手も必死で守るだろうし
>>849
>山岳部は自然な感覚として攻めにくさや行軍のしにくさがあると思うのがそんなに変かな?
それは別に変じゃないと思うが、攻め難いことは取った後守りやすいし
行軍のしにくさは相手の援軍の来辛さにも繋がるし
現に信長が美濃攻めで斉藤の後詰が間に合わなかったことや
武田の例で行くと志賀城攻めで後詰のルートが限られているためか上杉の後詰を破ったり
したこともある
それに感覚としては理解できるが史実でそれを証明できなければ空論とまでは言わないけど
説得力がイマイチ薄い
0852人間七七四年
2007/03/03(土) 00:14:48ID:/y1+uoiM俺は別に話をそらしてはいないよ
ただ他の人のレスにも答えていただけだよ。
>>843は>>840に答えただけだよ。
>>849は>>847へのレス。
それから東美濃が先に落ちたことだけどそれは上記であなたがいっているように
東美濃をさきに攻めたからだ。それなのに西美濃がさきにおちたらそれこそ
へんだと思うが。
ちょっと今疲れているのでこれで今日は寝ます。お疲れ様。
0853人間七七四年
2007/03/03(土) 00:19:24ID:0evwE7urその結果、余所の大勢力にとっては、信濃は比較的攻略が容易な地域であった
侵攻する際は、地形要因は群小勢力の連携を妨げるように作用し、かえって侵攻側に有利に働いた
よって、信濃は攻略するのが比較的容易であったと結論づけられる
これは信玄の実際に下した戦略と合致している
俺のまとめはこんな感じだが、ダメか?
0854人間七七四年
2007/03/03(土) 00:23:56ID:fiNvPT/3しかし信濃は40万石と石高の面でもなかなかの大国であり、例えば三河でも松平清康という逸材が現れて一時平定に至ったがその後分解された
その40万石の信濃を統一するならそれなりの人物の登場が必要であり、それに値する人物が登場しなかったというだけのことではないだろうか
0855人間七七四年
2007/03/03(土) 00:27:48ID:etv7/cst東美濃攻める前に西美濃攻めこんでいるだろ
実際には墨俣に入るぐらいだからそれなりに成果があったのだろうが
話をそらしてと言うのは
こちらは信長には
山地と平地のどちらに攻め入るかという選択が可能な状態でどうして山地を選んだのか
平地での侵攻は頓挫して山地の侵攻は成功したのか
という問いに対して
>>839>>844
梃子摺った時間かかったというズレタ回答をしてくること
別に100年かかろうがどれだけ犠牲でようが
重要なのは山地と平地でどっちが攻めやすいかで
信長は山地を選んでそれなりに成果が出せたと言うこと
0856人間七七四年
2007/03/03(土) 00:39:38ID:etv7/cstその前提に立つならそれで良いと思う
ただ余所の大勢力というのが
甲斐23万石で足りているかどうかという問題はあると思うけど
足りていないなら23万石の国力では通常なら群小勢力が乱立するだけという結果になるし
>>854
そういえば清康も東三河攻める時まず奥三河から攻め
尾張攻める時も比較的山の多い春日井郡方面から
攻めて行ったような
ただ今まで上げた例は戦略的な面からの話しであって
戦術的にはまた別だろうな
戦国時代は城のほとんどが山城、平山城だからな
0857人間七七四年
2007/03/03(土) 20:51:10ID:55wUu7sO>1-11テンプレ
>12-24 73年以降武田家で死んだ武将
>12一覧
>16-98騎馬の運用 煽り荒らし
>30-31日本史を通しての甲斐信濃の兵
>43木曽馬
>52軍鑑による武田の騎馬の運用
>99-101山本勘助
>102-116西洋の騎兵運用
>125-132三河遠江の徳川支配率
>133-195治水とか煽り荒らし
>143-147長野業正の信玄評価の元ネタ
>196-215兵站と略奪・織田武田の城攻め煽り荒らし
>216-262武田織田戦術能力煽り荒らし
>263-280 >329-333陣形煽り荒らし
>281-306軍の移動速度煽り荒らし
>281騎馬の荷駄に関する運用、軍の移動速度、戦場での運用検証
>307-328下級指揮官の能力の戦争に占める割合煽り荒らし
>341-382 >413-482兵站と略奪・宗教勢力
>408史料による織田軍略奪例示
>474大鳥上総介宛信長書状
>383-437信長と信玄が対決していたら煽り荒らし
>508-565孫氏の説明煽り荒らし
>519 >537訳
>595-608天王寺の戦いとその勝因
>604-638 >712信長と信玄もし立場が入れ替わったら・集権制改革
>639-696信長信玄の戦った相手煽り荒らし
>697-717天正以降の上杉の動きと対策
>760-762信濃諸勢力は何故共闘できなかったか
>763-856平地と山地で有利不利はあるか
0858人間七七四年
2007/03/03(土) 20:52:06ID:55wUu7sO0859人間七七四年
2007/03/03(土) 22:32:19ID:qYR8vCxV山岳地帯の攻略の複雑さを論じてるの?なんで武田領の話をしてる時に
四国だの中国だのって関係の無い低層地帯にまで話が飛ぶんだ?
甲斐信濃とその他の低層地帯を一緒にされても困りますね、進撃ルート
が少なく複雑な森林地帯に囲まれた国を攻略するのは常識に考えれば、
理解できることだよ、まあ信玄はそれらを考慮した改善を行い機動力ア
ップなどを測ったがそれでも難しい、それから信玄の信濃攻略の年数の
大半は謙信との戦いって知ってます?(笑)謙信がいなけりゃもっと早
く平定してましたよ。
毛利???ああ、確か山岳地帯の尼子を最後までだらだらと攻略出来ま
せんでしたよね、元就が死にかけ直前にやっと平定したんでしたっけ?
0861人間七七四年
2007/03/03(土) 22:46:15ID:qYR8vCxV制圧してたからね、それからさりげなく40万石とか言ってるアホがい
たが、信濃は70万石だよ。それと信濃の地図を一度見てみること薦め
るよ、でかさが理解してないんじゃないか?君達
つまりはだ、日本一の山岳地帯を順調に平定しつつあったが、謙信みた
いな大名のおかげで結果的に長い年月を費やしたということだな
0862偽豚
2007/03/03(土) 22:51:55ID:BZfy+yK6戦国最強武田信玄or家臣団が
信濃70万石(日本一の山岳地帯)とはいえ
平定に20年もかかるはずが無い
なにか他に理由があるはずだ
訂正しろ(笑)
0863名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/03(土) 22:55:21ID:psPLQBHt40万石な。
いや、面積はでかいけど人住んでないんだから・・・
無人の荒野でも攻略に時間かかるって何なの一体。
そりゃ関東の小城一つ攻略できなかった謙信にも勝てんわけだ。
0864人間七七四年
2007/03/03(土) 23:02:37ID:t5wcD5Km1542・06 諏訪攻略。信濃侵攻の開始。
1553・04 葛尾城攻略。同月、越後の長尾軍と交戦。
この時点で、木曾と北信を除いて七割くらい(?)を征服。約十年。
まあたしかに、謙信という存在が出てこなければ信濃攻略はもっと早くに済んだか。
ただ謙信がいないと、北条氏の侵攻速度も上がる。上野は間違いなく北条が獲ったな。
しかし誰それがいなかったらなんてIf、どんな大名にだっていえるわな。
0865人間七七四年
2007/03/03(土) 23:07:19ID:qYR8vCxVそれぞれ違うってことも考慮しないんだねえ、信玄は慎重派だし、当時
は攻略するルートが信濃方面に限られてたから別に信長みたいに急がな
かっただけでしょ。
それから無人の荒野???山岳地帯の複雑さは考慮しないの?(笑)
まあ武田ファンを強引に黙らしたつもりなんだろうけど、結局アンチが
自ら理解していかないと駄目だねこりゃ
0866人間七七四年
2007/03/03(土) 23:08:58ID:qYR8vCxV信玄が西上野を攻略してくれたおかげで北条は脅威を多少押さえられたんだよ
0867人間七七四年
2007/03/03(土) 23:09:07ID:sAE3CdZyなんで生きてたんだろう。武田とかいう雑魚でゴミの大名は。
0868人間七七四年
2007/03/03(土) 23:13:58ID:qYR8vCxVええと確か、比叡山焼き討ちからどれだけの年月一向宗と無駄に戦っていたっけ?
比叡山どうして焼いたの?浅井との約束を破って朝倉討伐に出向いたら、結果そ
うなったって?
え?将軍義昭がそれを画策してたって?おいおい何で信長はもっと義昭を旨く利用
しなかったわけ?信長の戦略って一体どうなってるの?
まあこんなこと繰り返してれば天下なんて取れないよね(笑)
0869人間七七四年
2007/03/03(土) 23:14:27ID:sAE3CdZy秋山は明智に追い出され、長篠でぼろぼろに虐殺され、
信濃を取ったのですら10年もかかってるような雑魚軍団なんて軍神上杉謙信から比べればクソみたいなもんだけど、
そのクソを有難がっているスカトロマニアが多いスレですね。
0870人間七七四年
2007/03/03(土) 23:22:10ID:sAE3CdZy@困ってるときに塩を送り
A信玄包囲網で攻めるのやめて
B勝頼と同盟を結んであげたり
感謝されこそすれ武田に上杉謙信が恨まれる覚えなんて無いよね。
0871人間七七四年
2007/03/03(土) 23:22:47ID:0evwE7ur武田が万が一上洛できたとしたら、足利幕府の三管領の一つくらいには取り立ててやろうぞwww
0872人間七七四年
2007/03/03(土) 23:24:22ID:/y1+uoiM織田が撤退して和議をもちかけているけどな。
信玄も西上野にかまけてたからそれを受け入れているけどね。
0873人間七七四年
2007/03/03(土) 23:27:39ID:/y1+uoiM塩に関しては上杉側にもメリットがあったし、他の方面からも塩は手に入った。
信玄包囲網のときは信玄にそそのかされた一向一揆や本庄に絡みつかれて
謙信はそれどころじゃなかった。
勝頼と同盟むすんでたっけ?景勝とは結んでた気がするけど。
0874人間七七四年
2007/03/03(土) 23:28:30ID:qYR8vCxV@塩止めのせいでまた越後国内の一揆が起きてしまえば世話は無いし行商人
に文句言われますね「信濃甲斐にいかせろや!コラ!」ってね(笑)
Aまあアホのように関東に出撃して一つも領土取れないもんだから武田所では
なかったでしょ、越中も取れないわ一揆が起きるわ、家臣で謀反が起きるわで
0875人間七七四年
2007/03/03(土) 23:41:09ID:sAE3CdZyそのレベルだったら一向一揆や足利義昭なんて織田に何回も勝ってる!というレベル。
撤退させて和議だったらば。
占領地放棄させられたり、壊滅したり滅亡させれたのはどこだっけ(笑)
武田が一回も上洛できなかったのに上杉謙信公は何回もやっているレベルだからなあ。
次元が違うよ。上洛ひとつとっても。
>>873
信長の仲介で直前になって兵をひいてるの知らないんだ。これだから武田史観は。山梨県だけで通じる史観。
信長の顔も立ててあげるために、信濃を放棄した謙信公の暖かいお心に信玄は救われました。
だから「謙信公を頼れ」と言われてます。
一向一揆なんてすぐに壊滅されてるくせに何を言ってるんだ。椎名とか神保だろ。敵は。
まあそれもすぐ壊滅させたんだけど謙信公は。
>874
塩止めごときで一揆が起きるなら、塩止めをした北条、今川なんて一揆起きて当然だけど起きてない。
直江津収入とはほとんど関係ない、貧乏国からの搾取なんてあってもなくても同じ。
実際出兵寸前まで行ってるんだけどね。「不可能」みたいな書き方をしてる武田史観乙。
信長に泣きついた信玄が信長を動かして辞めさせただけの話。
そんな恩がある信長を裏切った信玄は報復に滅ぼされました。
しかし義の道を貫いた上杉家は現在まで存続しています。
0876人間七七四年
2007/03/03(土) 23:44:56ID:0evwE7ur大僧正猊下と言っても名ばかりだから、比叡山で一から修行し直すのも悪くはないな
足利将軍はどうするの?尻の穴でも舐めてやるのか?
0877人間七七四年
2007/03/03(土) 23:46:31ID:P90ts5PH0878人間七七四年
2007/03/03(土) 23:50:20ID:/y1+uoiM甲越和与は当然知ってるよ
それを踏まえたうえで、謙信は信玄にそそのかされた一向一揆や本庄に絡みつかれて
いたから、兵を引いたんだってば。ちなみに甲越和与は信玄が信長を介して
足利将軍からの仲介で行われたものじゃなかった?
越中一向一揆はその後も長く謙信と戦っているような気がするんだが。
0879人間七七四年
2007/03/03(土) 23:53:26ID:qYR8vCxV何なの?
村上を奉じて信玄に挑んでも結局敗れて諦めたの謙信でしょ?
それから信長はアホのように信玄に贈り物を送り、婚姻も積極的に結び
たがる程信玄のこと恐れてたんですが?
むしろ信玄包囲網は、信玄自ら信長を利用して旨く謙信を止めた信玄の
外交上手と見るのが正しいね
0880人間七七四年
2007/03/03(土) 23:54:56ID:/y1+uoiM補足しておくと謙信は一向一揆だけでなく本庄にもかなりてこずっているし
1568年・69年のめまぐるしい動きを見ているととても武田に
構っているような余力は無かったように思えるんだが。
0881人間七七四年
2007/03/04(日) 00:00:46ID:0evwE7ur将軍足利義昭の尻を掘るくらいは造作もないかw
両刀遣い?
だから武田家はあんなに団結力があったのかwww
0882人間七七四年
2007/03/04(日) 00:04:30ID:0evwE7ur信長だらしねーwww
0883人間七七四年
2007/03/04(日) 00:05:16ID:BOmM+Frg本庄は家臣じゃなくて同盟者だっし、一向一揆なんて遠征力が無いから無視しても全く構わないレベル。
織田との戦いでも上杉との戦いでも散発的な抵抗しか出来ずに城を囲まれたり大虐殺されたりしてる。
石山合戦や信玄西進時の加賀を見ればよくわかる。
本庄についてはたった数ヶ月で鎮圧されるているんだよな。
それをみても本庄ごときの勢力なんて脅威でも全然無いんだけど。
信玄ごときの扇動だったらばその程度しか出来ないという好例ですね。
しかも、謙信公に攻められる前は対等の同盟者だったのに人質出して降伏(笑)
しかも北条との同盟、今川に懇願を受ける前にこれらは鎮圧できていて準備万端。
だけど謙信公は川中島以降は武田を攻めないであげた。かわいそうだったから。
勝頼が継いだときもお前は弱いから攻めないでやるというかっこ良さ。
それは性別なんて関係ない。女性説もあるし、男性説もあるんだけれども。
0884人間七七四年
2007/03/04(日) 00:14:39ID:44wUfGQNもっと時間かかっていたろう大宝寺との関係もあるしそれなりの勢力だろ
予定していた芦名と飯山抜けないため武田の支援は無かったが
0885人間七七四年
2007/03/04(日) 00:21:10ID:6P+gUnc0本庄の謀反が制圧されたのは1569年の3月じゃなかったっけ?
11月から包囲をしてそのまま年を越してなかったっけ?
一向一揆に関してはほっといていいにしては随分と構っているようだが。
1572年には富山城をとられているのを始めとしてかなりてこずっては
いるように感じるが。
0886人間七七四年
2007/03/04(日) 00:33:05ID:hxcvuzG0いやしかし恐れ入った!信長厨は遂に信長で信玄に対抗するのが無駄
と分かり、謙信を持ち出すこの卑怯さ、幼稚さは笑えるねww
0887人間七七四年
2007/03/04(日) 00:37:00ID:BEGmXaxH武田厨は無知すぎるぞwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ああ、だから武田厨なのか、賢かったら武田厨なんてやめてるよなwww
0888人間七七四年
2007/03/04(日) 00:37:05ID:NH5T0k3Z長篠合戦後、へなちょこの武田家を信長が放置したのと同じ
0889人間七七四年
2007/03/04(日) 00:39:26ID:5qaBxlOEお前こその無知なんだよバーーーーーーカwwwww
信濃の広さと国力を考えれば70万石くらいあんだよwwww
信長厨は頭に蛆でもわいてんじゃないのwwwwwww
0890名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/04(日) 00:40:50ID:/1f+Wqbc何がしたいんだお前は
0891人間七七四年
2007/03/04(日) 00:41:36ID:BOmM+Frg一回も謙信公は信玄になんか負けてませんが。
飯山城を防衛ラインにとっておけば良かっただけで。
泣きついてきた村上とか高梨には信濃を奪い返すというポーズだけ見せておけば良かっただけのこと。
あと越後を狙ってくる武田軍に打撃を与えればよかっただけ。
関東管領だから、信濃なんておまけよりも関東(これも防衛ライン用だが)や親父の代からの目標である北陸を優先させるのは当然。
だから謙信公は、信玄の晩年や勝頼の代になってもがら空きの信濃や長篠で打撃を受けているのに放っておいた。
信濃なんて西進時とか長篠後とか攻めれば簡単に取れたのに。
越後にさえ手を出さなければどうでもいいからね武田なんて。
越後に手を出そうとする信玄を懲らしめるための戦いだよ川中島は。
0892人間七七四年
2007/03/04(日) 00:43:43ID:6P+gUnc0関東の多くは北条にとられたわけだが・・・。
0893人間七七四年
2007/03/04(日) 00:44:00ID:BOmM+Frg>たがる程信玄のこと恐れてたんですが?
謙信公も贈り物程度なら受け取ってますが?
婚姻なら沢山の家にしてるし、徳川や蒲生ごときにも婚姻はしてますが?
0896人間七七四年
2007/03/04(日) 01:00:57ID:NH5T0k3Zその主張が一般常識ならともかく、常識からかけ離れた主張をする以上、その根拠を示すことは、あんたの義務だ
0898人間七七四年
2007/03/04(日) 01:03:28ID:hxcvuzG0装ってるだけだって気づけよwww
それから信長厨のみなさんは、にゃんこと語り合って見れば?(笑)
0900789
2007/03/04(日) 01:07:13ID:TzLzZc82山岳部は、戦線を維持しにくいし、地の利が活かしやすい。
規模が広がって国力が上がっても、石高による有利が少ない。
なので、弱小勢力を取り込むにも苦労する。
北条の場合は、相手が弱小だったわけではないし、そもそも拡大路線じゃない。
毛利は、山しかないわけではないし
既に、陶を倒してるし。
この陶を倒したことで、山岳の不利を超えるほどの圧倒的な規模力を持てば
もはや問題はなかろう。
武田は、ちっぽけな甲斐だけで、信濃と戦うわけだから
毛利の例を出しても規模差が違いすぎる。
0901人間七七四年
2007/03/04(日) 01:08:58ID:NH5T0k3Zもはや武田ファンにも見捨てられたメガ豚哀れ(ry
0902人間七七四年
2007/03/04(日) 01:13:10ID:hxcvuzG0明らかに違う奴だよそいつ
0905人間七七四年
2007/03/04(日) 03:40:43ID:hxcvuzG0伺えるね
0907人間七七四年
2007/03/04(日) 03:54:54ID:IE9kI4Rq織田なんか自力だったら浅井朝倉にも勝てない。家臣団あってのもの。
そして、統率力と人望を失った信長なんか存在価値なし。只のいちDQN。
0908人間七七四年
2007/03/04(日) 04:22:10ID:DUlZuCNO0909人間七七四年
2007/03/04(日) 05:32:06ID:56evElUqアホがアホを呼ぶ戦国乱世。
皆さんいかがおすごしですか?
0910人間七七四年
2007/03/04(日) 06:37:07ID:jct2m9R/見てて飽きないよホント
より一層のM豚の活躍を期待する
0911人間七七四年
2007/03/04(日) 06:45:08ID:NH5T0k3Zやりおったわい!!
流石は武田厨、影武者遣いの達者と見えるわッ!!!
0912人間七七四年
2007/03/04(日) 09:01:29ID:vzyFqt/B今までで散々話され決められたテンプレ40万石と違う以上、ソースを提示する義務は言った側にあるんだぞ?
「信濃の広さと国力を考えれば70万石くらいあんだよwwww」
「信濃の広さと国力を考えれば70万石くらいあんだよwwww」
「信濃の広さと国力を考えれば70万石くらいあんだよwwww」
石高はお前の脳内で決まるわけじゃないんだよ(笑)
0913人間七七四年
2007/03/04(日) 09:39:12ID:gvarS6p5遊んでルだけとか言うのかもしれんが、相手してる時点で遊ばれてるんだよ。
0914人間七七四年
2007/03/04(日) 12:58:24ID:drehv961哀しい信玄厨の 願望 だろう<70万石
0915人間七七四年
2007/03/04(日) 13:17:16ID:BEGmXaxHいや、でも豚を見てるとな・・
普通は武田家の真実を知って武田厨を辞めるだろ それでも武田厨を続けるのは本物のマニアか馬鹿かのどっちかだ
馬鹿の可能性もあるだろう? あるいはただ単に知らないだけか
0917人間七七四年
2007/03/04(日) 16:32:53ID:LkMuRjCW信玄の生まれ変わりの俺が言うから間違いない
0918人間七七四年
2007/03/04(日) 18:34:17ID:D7MrSMDk0919人間七七四年
2007/03/04(日) 19:33:33ID:jct2m9R/○70万石に決まってると思いこんでる
×信玄の生まれ変わり
○信玄の生まれ変わりという妄想をしている
0920人間七七四年
2007/03/04(日) 23:02:42ID:6bZiduCv居なくなったみたいだからこのスレも落ち着いたかな。
0921人間七七四年
2007/03/05(月) 00:27:17ID:T/L3msCj機動力と情報伝達力があったから信濃を取れたんだろ? 無敗=最強ってのはおかしいかと。
信長が強かったのは堺や鉄砲に必要な硝石のルートを押さえてたからだろ?
どちらが最強だったとかいうのは、どうもおかしいかと。
それに、織田は、兵農分離をしてた感があるかなね、勝頼の代で兵農分離が完全にできてかというと疑問だし。
0922人間七七四年
2007/03/05(月) 00:27:35ID:jKA8XU1j牛vs豚だけは見たかった
それだけが心残りw
0923人間七七四年
2007/03/05(月) 00:33:13ID:T/L3msCjんで親父の国親は一条氏の下で岡豊を奪取したわけで。
能力的に四国をほぼ統一できたのは凄いと思うよ。
四国の大名や九州の大名が雑魚だったとは思いませんが。
大友はかなりの拡大をしたしね。 島津はむしろ九州を統一するのが遅かった方かと漏れは思うよ。
0924人間七七四年
2007/03/05(月) 00:34:53ID:7VN2qFr0俺もここじゃアンチ武田だけど、アンチ風鈴退治も偶にはしてんだよw
今日はメガ豚がいたので撤収したけどw
0925人間七七四年
2007/03/05(月) 03:32:38ID:pd1YbNLz0926人間七七四年
2007/03/05(月) 23:15:25ID:y9adOmqcすれ違いだが、高知ではあまりみかけないんだよなあ。。。
龍馬>山内一豊(最近急上昇w)>板垣>中岡>長曾我部
くらいの感じ
0927人間七七四年
2007/03/06(火) 20:09:03ID:60DFJNAXううむ・・・
0928名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/07(水) 00:25:51ID:XQ+Rf2dL0929人間七七四年
2007/03/07(水) 22:22:46ID:FdcZ9UMX信濃攻略後、信玄に対抗出来る敵は皆無の状態だったから最強といわ
れてるんだね
信長は、岩村城の争奪戦を信玄と戦って負けたから、それから恐れを
抱くようになったんだよ
>>915 また略奪がどうたらこうたらとか言いたいの?南信濃を攻略
してた時のような状況が信玄没まで続いてたのかよ、信玄があれだけ
家臣団の統率に精を注ぎ最強軍団を作ってきたのも、身勝手でバラバ
ラな家臣団を改善する為だったからね
0930人間七七四年
2007/03/07(水) 22:53:15ID:2LHPKewG頭のおかしな人に関わるとなにかと面倒なことが起こる可能性があるので、注意しましょう。
頭のおかしな人の判定基準
・「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人
他人が自分とは違うという事実が受け入れられない人です。自分の意見が通らないとコピペや荒らしなど
無茶をし始めるので見かけたら放置してください。
・根拠もなく、他人を見下したり、差別したりする人、自分で自分を褒める人
他人を見下すことで自分を慰めようとする人です。実生活で他人に褒めてもらう機会がないが
プライドだけは高いとか、匿名の掲示板しか話し相手のいない人です。可哀想なので放置してください。
0931人間七七四年
2007/03/08(木) 00:33:16ID:up/BUOG5http://homepage3.nifty.com/ksatake/fkunu1.html
たしかに実高70万強になってるがこれって恐らく太閤検地以降の話だろ、常識的に考えて
0932人間七七四年
2007/03/08(木) 02:23:13ID:CHV+qJ9z何十年、何百年後のデータを適用させれば気が済むんだ?w
0933人間七七四年
2007/03/08(木) 16:45:14ID:kOM/kjjL例えば、尾張と信濃が同一石高だとしても領地面積は信濃の方がデカイ
密度の大きい方が維持経費も少なくてすむと思うのだが
もちろん地形や川などの要素も絡んでくるが
0934人間七七四年
2007/03/08(木) 19:18:09ID:r61LQns0アンチは馬鹿だねえwwww
0935人間七七四年
2007/03/08(木) 19:33:31ID:zZ1gSWldバーーーーーーカwwwww
駿遠三の広さと国力を考えれば100万石くらいあんだよwwww
バーーーーーーカwwwww
0936人間七七四年
2007/03/08(木) 19:35:13ID:t+SVMjR/0937人間七七四年
2007/03/08(木) 19:40:27ID:r61LQns0若気の至りを何も叩くしか信玄の戦績にケチつける事しか出来ない
お前は哀れだなwww
0938人間七七四年
2007/03/08(木) 19:47:18ID:zZ1gSWldいわゆる表高に対する実高という意味でそれが用いられているわけではないのは明らか
そういう意味で、このサイトの制作者に落ち度があるともいえ、メガ豚は自分がバカな所為とはいえ、大恥をかいてお気の毒とも言える
0939人間七七四年
2007/03/08(木) 19:50:31ID:tJGdbQDpOK、つまり
信玄の最大石高 約120万
甲斐の石高 約23万
駿河の石高 15万
信濃での信玄の領有地の石高 70万
上野での信玄のry 約20万
三河でry 約3万
遠江ry 約2万
(いずれも太閤検地の石高で計算。飛騨・越中・美濃は0〜数千石なので計算しない)
120万−(23万+15万+70万+20万+3万+2万)=−13万石????
こうですか?わかりません!><
0940人間七七四年
2007/03/08(木) 19:53:21ID:3igdNCcI/⌒` 三ミヽー-ヘ,
__,{ ;;,, ミミ i ´Z,
ゝ ''〃//,,, ,,..`ミミ、_ノリ}j; f彡
_) 〃///, ,;彡'rffッ、ィ彡'ノ从iノ彡
>';;,, ノ丿川j !川|; :.`7ラ公 '>了
_く彡川f゙ノ'ノノ ノ_ノノノイシノ| }.: '〈八ミ、、;.)
ヽ.:.:.:.:.:.;=、彡/‐-ニ''_ー<、{_,ノ -一ヾ`~;.;.;) >>939
く .:.:.:.:.:!ハ.Yイ ぇ'无テ,`ヽ}}}ィt于 `|ィ"~
):.:.:.:.:|.Y }: :! `二´/' ; |丶ニ ノノ 逆に考えるんだ
) :.: ト、リ: :!ヾ:、 丶 ; | ゙ イ:}
{ .:.: l {: : } ` ,.__(__,} /ノ 「妄想国の石高 」
ヽ ! `'゙! ,.,,.`三'゙、,_ /´
,/´{ ミ l /゙,:-…-…、 ) | と 考えるんだ
,r{ \ ミ \ `' '≡≡' " ノ
__ノ ヽ \ ヽ\ 彡 ,イ_
\ \ ヽ 丶. ノ!|ヽ`ヽ、
\ \ヽ `……´/ |l ト、 `'ー-、__
\ `'ー-、 // /:.:.} `'ー、_
`、\ /⌒ヽ /!:.:.|
`、 \ /ヽLf___ハ/ {
′ / ! ヽ
0941人間七七四年
2007/03/08(木) 20:53:03ID:CcDVsmlo信玄の攻略時と、太閤検地と、江戸のなんとかの数字がいずれも
一致しないって?それなら他国もそうだね、例えばヘタレ信長が
生前の時のヘタレ領の石高もお前らへタレ厨がほざいてる石高よ
りは 少 な か っ た っ て こ と だ ろ ?(笑)
確か信長は500万石領有してたとかほざいてなかったけえ?(爆笑)
実際信長生前は、300万石程度だったんだろ?ええ?
0942人間七七四年
2007/03/08(木) 21:01:51ID:7QHnY5M80943人間七七四年
2007/03/08(木) 21:04:23ID:f6W7lQf40944人間七七四年
2007/03/08(木) 21:08:43ID:urYT0vlo0945人間七七四年
2007/03/08(木) 21:16:25ID:7QHnY5M8太閤検地の数値を使いたがらないヤツがいたが
江戸の石高を適応すれば
甲斐信濃の石高も上がる代わりに
美濃尾張の石高も上がる
越後など江戸になって開拓が進んだ地の上昇率も大きい
その辺分かって言ってるんだろうかね。
0946人間七七四年
2007/03/08(木) 22:01:44ID:Gk9n45yUはいはいわろすわろす
「信玄の攻略時と、太閤検地と、江戸のなんとかの数字がいずれも一致しない」
なんて話はしてないし、そもそも一致するわけない
0947人間七七四年
2007/03/08(木) 23:06:01ID:JTchUdsuメガトンもそれならうれしーだろ?
0948人間七七四年
2007/03/08(木) 23:09:00ID:GxzjIrh9信玄は日本の半分を支配したのだ。
0949人間七七四年
2007/03/08(木) 23:19:08ID:7QHnY5M8信玄最高
信玄最強
信玄無双
信玄神
山梨旅行してけっこう武田好きになったのにな〜・・・
0950人間七七四年
2007/03/08(木) 23:26:56ID:zZ1gSWldメガ豚を何とか汁!!!
0951人間七七四年
2007/03/08(木) 23:28:29ID:7QHnY5M8それができるのは中の人だけだろ
0952人間七七四年
2007/03/08(木) 23:48:02ID:v+qufDr4ニート生活に戻ったからまた出没するようになったのか?メガ豚よ。
0953人間七七四年
2007/03/09(金) 09:48:38ID:xzvgnOxfそれでも日本の過半とすると、それを領しながら天下統一どころか一地方制覇も未完遂で終わった信玄ってばかなりの馬鹿ということに
……やっぱ豚は手の込んだ誉め殺しのようなw
0954人間七七四年
2007/03/09(金) 13:27:34ID:QIawV25y0955人間七七四年
2007/03/09(金) 14:10:36ID:idMdFP96信長厨は無知すぎてワロスwwwwww
0956人間七七四年
2007/03/09(金) 14:36:02ID:Kivsv4ZQ0957人間七七四年
2007/03/09(金) 20:24:30ID:D4vDLydB同時に徐々に生産力があがっていくのは誰が見ても常識なことだ。
信玄攻略前の豪族が入り乱れてた時の信濃の方が、余程過酷な状況
だったのはいうまでもないね。
信長といえば、無駄に一向宗に火をつけた為、ひたすら皆殺しにば
かりに目が行き天下統一どころか天下らしいものすら取れずに終わ
る始末www
0958人間七七四年
2007/03/09(金) 20:28:31ID:HB27n3mp0959人間七七四年
2007/03/09(金) 20:29:12ID:WSCDBxCN0960人間七七四年
2007/03/09(金) 21:25:29ID:y8Fhkl5b信長軍が岐阜城で春まで籠城したら武田軍はどうするの?
補給は?来年の米は?
信玄が食べる米まで無くなるよ。
武田軍は肉弾戦には確かに強いけど、城からの鉄砲には関係無いよね?
仮に上洛したとしても、春には絶対に帰らなければならないから天下は無理。
井沢元彦氏の本に書いてあるよ。
0961人間七七四年
2007/03/09(金) 21:38:47ID:VPX7xsP/0962人間七七四年
2007/03/09(金) 21:42:58ID:E6p9t/Fiもしかしたら、アンチ武田を偽装した武田厨じゃないか?
言ってることこそまっとうだが、信長が岐阜城に籠城する必要なんて全然ないだろ!
取り敢えず、信玄は徳川領の吉田・岡崎を抜くことも出来んだろ
あと、井沢元彦はあまり表に出すなよ
俺は井沢ファンだけど、一部の頭の固い連中から猛反発くうぞ
どっかのスレにいる井沢本丸写しでえらそーこいてる奴なんかにゃ、井沢ファンの俺でさえ、かなりイラつくからな
0963人間七七四年
2007/03/09(金) 21:48:26ID:cmgrXsH7家康を片付けてからじゃなきゃいかないタイプ
0964人間七七四年
2007/03/09(金) 21:51:27ID:y8Fhkl5b0966人間七七四年
2007/03/09(金) 23:54:29ID:E6p9t/Fi俺の言い方はよくなかったな
俺も井沢は高く評価しているが、ここで井沢論争をやるつもりはない
やるなら余所でだ
攪乱要素はメガ豚だけでお腹いっぱい
0967人間七七四年
2007/03/10(土) 12:38:26ID:bBtCDK8p信濃が統一されると、生産力が上がるのは当然のことだぞ!
何でもかんでも叩けば言い訳じゃない!
しかし…
それは、どこの国でも同じことだ。
それが戦国大名だ。
周りの大名家の生産力も同じように上がってるし
大名家の規模が大きいほどその効果は上がる
つまり、織田家領土などはもっと生産力が上がっているわけだ。
0968人間七七四年
2007/03/10(土) 23:35:05ID:8vX/90QUまあ結局散々馬鹿にされるのは決まって信長だしね(笑)
改革者なんてのは嘘八百!
0969人間七七四年
2007/03/10(土) 23:42:02ID:8vX/90QUで死んだから、先のことを都合よく勝手に妄想してるだけだろ?
普通に考えれば、クソ漏らしはとっくに臣従させられるのは分かりきった
ことだし、そもそも 本 拠 を 移 す 可 能 性 が あ る と
は考えないの?(笑)
遠州に進撃する時は、甲斐から2つ向こうの国だからあの時点では甲斐が
本拠でも別におかしくはない、しかし東海道平定後であれば移転する可能
性は大だね。
0970人間七七四年
2007/03/10(土) 23:45:16ID:qh+ZvSMJ0971人間七七四年
2007/03/10(土) 23:47:31ID:8vX/90QUむしろ「他の戦国大名に比べて信長は凄かった」的なヨタ話の大部分は、
歴史学界ではとっくの昔に否定されているものも多い。
むしろそういうものを面白半分に盲目的に信じて宣伝しているのは、そういった
学界の状況をよく分かっていない知ったかぶりの小説家や素人歴史ヲタの類だよ。
あと戦国大名の個別研究をしている研究者の数という面においても、
武田、今川、後北条あたりの大名をメインの研究テーマにしている人は、
他の戦国大名に比べて非常に多い。
信長厨は小説家(PHP文庫に書くような人)や 素人に毛の生えたアマチュア歴史
家 の発言を真に受けすぎだね、この武将は他と比べてこんなにすごい!って視
点自体 学者はあんまり持たないよ、幼稚で低モラルで単細胞な信長厨に言って
も無駄か
0972人間七七四年
2007/03/10(土) 23:58:00ID:JcqUq6qdあと、ここに一人居るような特に劣化の禿しい武田厨ってのは、どうやったら生成してくんのか、是非ご教授願いたいもんだなww
0973人間七七四年
2007/03/10(土) 23:58:54ID:uIXF1HdP信玄があそこで死んだから先の事を都合よく妄想してるのはおまえらじゃないんですかあww
0974人間七七四年
2007/03/11(日) 00:09:11ID:Hbk5F5C+0975人間七七四年
2007/03/11(日) 00:18:38ID:5dAzZLyb状況見ろよww
0976人間七七四年
2007/03/11(日) 00:19:14ID:HEBmG4Cx言うことの方が正しいっての?ええ?(笑)
>>973 ほ〜らこれだ、まさしくゲーム脳ww美濃が隣接してるから
信濃に移転ってか?地理地形考えたことある?信玄生前までは中山道
は機能しなかったから大軍が移動出来る道がなかったんだよ。
むしろ三河平定後次に尾張に攻める為には最低駿河あたりに本拠移転
とか考えてたんだと思われるね。
0977人間七七四年
2007/03/11(日) 00:21:40ID:5dAzZLyb0978人間七七四年
2007/03/11(日) 00:37:20ID:bWS/BxuL参考までに是非教えて欲しいもんだなw
あと、三河平定なんてサラッと妄想入れてんじゃねえよ
信玄が生きてたって、そのうち甲斐にすごすご帰るんだろ
場合によっては、信長が決戦を決意したかも知れんが、その結果は多分長篠合戦と同じだろうよ
0979人間七七四年
2007/03/11(日) 01:08:04ID:k2aRO5ENまぁ山梨県の人にしてみれば神なのは分かるけどね。
まぁ信長はほとんどの人がやってない事をやったって事でいいじゃん。
信玄は志なかばで死んだって事で。
0980人間七七四年
2007/03/11(日) 01:31:05ID:HEBmG4Cx劣化してる生き物だってのが伺えるよ、そんなに信長がマンセーし
たいんならそれなりのスレ立ててマンセーしたらどうなの?
あっそうか、それが出来ないから、無理やり信玄を貶めでもしない
限り信長の評価を正当化することが出来ないんだねえ(笑)
極めて幼稚なその精神は益々信長が世間から忘れられていく温床に
なりかねないね、まあ天下人が秀吉と思ってる俺からすれば信長な
んてどうでも良いけどね。
0981人間七七四年
2007/03/11(日) 01:33:24ID:bWS/BxuL大事なことは、様々な施策を実際に遂行したということで、前例があろうがなかろうが、そんなことに大した意味はない
考えてみろよ、信玄はどうだ?
よく挙げられる棒道にしたって狼煙ネットワークにしたって、別に珍しくもなんともないだろ
でも、信玄がそれを整備し、有効に活用したことに意味があんだよ
ま、寄親寄子制が武田家の発案だなんて言ってる香具師にゃ、何をいっても無駄だろうが
0982人間七七四年
2007/03/11(日) 01:36:01ID:HEBmG4Cx落とした後、信濃に引っ込まずにそのまま三河と遠州の奥深くまでは侵攻
出来たから、どの道高天神も浜松も落城までには時間の問題だったでしょ
それより早く言えよお前らよ〜〜〜〜、大軍を指揮するのが下手な信長が
どうやって信玄に勝つことが出来るの?野戦の天才の信玄に(笑)
ちなみに東美濃を抑えてた武田領と岐阜城は目と鼻の先だよねえ(笑)
信玄が尾張に侵攻すれば信長はいやでも出陣せざるを得ないよねえ(笑)
0983人間七七四年
2007/03/11(日) 01:38:54ID:HEBmG4Cxまあ兵農分離がどこまで出来てたのやら信長は
0984人間七七四年
2007/03/11(日) 01:42:03ID:ntxt4VCe0985人間七七四年
2007/03/11(日) 01:42:34ID:bWS/BxuL逆に半分にも満たないヤツに大敗してんじゃん
野戦の天才だの軍略だのって、ちゃんちゃら可笑しいわ
おまえの云うヘタレの糞もらしに一回勝っただけじゃんww
0986人間七七四年
2007/03/11(日) 01:43:31ID:T+hzEMnF40万石は信玄のずっと後の太閤検地の時代だ。
0987人間七七四年
2007/03/11(日) 01:45:04ID:Hbk5F5C+0988人間七七四年
2007/03/11(日) 01:45:40ID:0phfCPDZ0989人間七七四年
2007/03/11(日) 01:49:12ID:bWS/BxuL0990人間七七四年
2007/03/11(日) 01:56:55ID:5dAzZLyb0991人間七七四年
2007/03/11(日) 02:03:20ID:k2aRO5EN信玄が神だと思ってる人に何言っても無駄だよ。
0992人間七七四年
2007/03/11(日) 02:22:20ID:bWS/BxuL第四次川中島なんかも、最近はいろいろな説があってわけわかめだが、通説にしろ新説にしろ、戦下手の見本みたいなもんだよな
0993人間七七四年
2007/03/11(日) 04:37:32ID:jMKTvyT1http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1172746623/
0994人間七七四年
2007/03/11(日) 08:18:57ID:X59icQHwちょいと待て。
学者に歴史がわからなかったら誰にわかるんだ?
まさか基本的に創作活動が主な小説家のほうがわかると思っているのか?
0995人間七七四年
2007/03/11(日) 09:46:44ID:bWS/BxuLその学者達が決めた学界の定説とか云うもんが、幾たびも覆されてきたのを知らないのか?
要するに、学者であろうとなかろうと、わかってる奴にしかわからん
基本的に学者は下働きとして史実を掘り返してくれるだけでいい
それを使って歴史を総合的に解釈するのは、「わかってる」人にお願いしたいものだ
それが学者であろうと作家であろうと別にかまわんと俺は思ってる
0996人間七七四年
2007/03/11(日) 09:55:12ID:X59icQHwそれこそ昨今は作家やビジネス作家が戦国時代にやたらと自分の色をつけて解釈し
それが世の中に蔓延してしまってもいる。
信長の業績も多くがパイオニアが別にいたりするのに、全て信長の独創であるかのように
いったりしてもいる。「わかっている人」というのをどう定義するかも問題じゃないか?
0997人間七七四年
2007/03/11(日) 09:59:54ID:X59icQHw信長の兵農分離ってどこから生まれた話なんだ?
なんかそれを裏付ける資料ってあるのか?
0998人間七七四年
2007/03/11(日) 10:15:34ID:bWS/BxuL昨今は学者も新説を出すことにご執心らしくて、珍妙な説も随分あるんじゃないか?
しかも、一般人はどうしても新説の方を有り難がるから、2ちゃんなんかでも、よく定説でもないことを「最近の主流」とか「今時そんな古臭いこと」とかいって威張ってるヤツがいっぱい居るだろ
0999人間七七四年
2007/03/11(日) 10:28:43ID:X59icQHwわかりつつある。ちゃんと資料に触れて研究を進める分、珍妙な説が
生まれるリスクは作家とかビジネス作家よりも少ないと思うんだがね。
1000人間七七四年
2007/03/11(日) 10:35:42ID:bWS/BxuL俺は門外漢だから、細かいことはわからんが、当時石山本願寺や三木城との戦いのような長期にわたる包囲戦を遂行できたのは信長くらいだろ
兵農分離の直接の証拠にはならんが、少なくとも動員能力に何らかの優位性があったと認められないか?
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