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細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ

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0001人間七七四年2007/02/17(土) 21:24:53ID:kgpQVoWf
戦国時代を代表する文化人幽斎と
幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
0714人間七七四年2009/07/05(日) 21:01:39ID:5Pr0laan
>>713
小説じゃないか
0715人間七七四年2009/07/05(日) 22:47:52ID:QJ85Wl8g
でもホントらしく思えてしまうのがDQN忠興らしい
0716人間七七四年2009/07/06(月) 02:54:04ID:BHLCLiNl
とんとつく ころりと転ぶ幽斉が いかでこのまに 歌を詠むべき
0717人間七七四年2009/07/06(月) 23:11:30ID:t2znasT4
パパは>>716みたいな状態でも歌読めたりとっさの機転で詠んだ歌で秀吉の
小姓の失敗を救ったりとかっこいい話が多いのに、息子はDQNな話ばかり
だな。
0718人間七七四年2009/07/07(火) 01:19:20ID:TyZXxIAL
俺の中でパパはニヒルでダンディズム
戦国一、東京砂漠が似合う男 立ち広しの「泣かないで」でも可
異論は認める。
ちなみに息子に似合う歌はBUCK-TICKの「悪の華」。
異論は認めない。
0719奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/07(火) 07:17:19ID:GkOyyL49
同じBUCK-TICKなら「ICONOCLASM」のほうが合うかも。
0720人間七七四年2009/07/07(火) 08:39:51ID:TyZXxIAL
異論は認めないと書いたけど

それは認める!
0721人間七七四年2009/07/07(火) 21:54:35ID:ZJoANcZE
DQNな忠興と16の時から20年以上も連れ添ったんだから
ガラシャも普通じゃないってことか。
0722人間七七四年2009/07/13(月) 22:34:44ID:RCNrSw7r
忠興が投げつけた生首を膝の上に終日のせてたり、居室に生首おいたままに
していたり、血で汚れた小袖3日も着ていたという話、読む限り尋常でないよ。
どの話も忠興の方が屈服してるのがスゴイ。
0723人間七七四年2009/07/14(火) 01:29:17ID:aPFWVcjo
忠興の行動はあくまで一時的な激情に過ぎないからな
ガラシャさんの方が怖いw
0724奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/14(火) 07:49:06ID:KmxNEBwR
そんな玉さんに結局逆らえないわけだ。
0725人間七七四年2009/07/14(火) 21:53:15ID:ngLG7sRV
最後は燃える江戸城で大立ち回りですよ
0726人間七七四年2009/07/15(水) 00:54:37ID:UtWow+gP
稲富もそりゃ逃げる・・・関係ないか
0727人間七七四年2009/07/16(木) 23:48:57ID:hD5QDfGz
二人の仲がどうだったのかは永遠に謎だな・・・
0728人間七七四年2009/07/18(土) 17:13:41ID:wd121l4k

猫に「タマ」って名づけるようになったのは忠興の仕業?
0729人間七七四年2009/07/19(日) 18:04:05ID:dT47RlR8
短パン
0730人間七七四年2009/07/20(月) 19:51:21ID:1FjTnpaf
友人の蒲生氏郷や前田利長はそれぞれご当地キャラ(がもにゃん、利長くん)
になってるが、さすがに忠興は無理だろう。
0731人間七七四年2009/07/22(水) 20:18:52ID:M88p48JE
歌仙・兼定を片手に微妙な笑顔を浮かべる忠興にゃん
0732人間七七四年2009/07/22(水) 23:54:01ID:uUpgPrrc
『鬼の旦那とへび女房』をモチーフにファンシーな感じで
0733人間七七四年2009/07/23(木) 04:03:44ID:ZlB4prFl
DVにゃんで良い
0734人間七七四年2009/07/23(木) 23:04:43ID:tAL/B6IO
「頑固なご隠居三斎」
八代市のご当地キャラということで・・・
0735人間七七四年2009/07/26(日) 09:02:29ID:SF5vE2uW
そういやなんで関ヶ原前にガラシャを大坂から退去させてなかったんだ?

大坂の人質を戦前に国元へ回収してる大名も居たみたいだが。
0736人間七七四年2009/07/26(日) 19:57:08ID:tONs0K+I
>>735
忠興は側室がお気に入りでガラシャを嫌ってたって説もある。
だからキリスト教にハマっていったんジャマイカ。
0737人間七七四年2009/07/27(月) 02:34:49ID:xDxYQIK5
>>732
つくってみた。
「ただおに君」なんてどうだ?
http://imagepot.net/view/124862962285.jpg
0738人間七七四年2009/07/27(月) 02:39:53ID:lgcZQcd7
もはや妖怪
0739人間七七四年2009/07/27(月) 10:54:09ID:m1LWXNEl
ホヒョンくん。
0740人間七七四年2009/07/28(火) 14:51:40ID:NdaVrJcJ
>>736 本能寺の変の時はまだ19歳でキレイで若かったし執着があった。
関ヶ原の時はもう38歳で容色も衰えていたので未練もなかった。
若くてキレイな側室(珠子の姪)もいるしね。
0741人間七七四年2009/07/29(水) 22:29:00ID:lKI+ZYz5
>>737
嫁までもw
0742人間七七四年2009/08/04(火) 22:47:11ID:lwARIxmd
>>713 これはホントの「忠興(三斎)の回想」。
「自分が珠と結婚した時は輿一丁で質素に嫁入りしたというのに、
近頃の家臣ときたらカゴを何丁も連ねてやってきて派手にやっとる」
とばやいていたそうだ。
・・・座敷も6畳しかなかったし。
0743人間七七四年2009/08/06(木) 02:40:15ID:7zSorO0Q
俺が小学生だったころに読んだ学級文庫の古田織部主役の漫画では忠興は超いい人だったのになぁ
ガラシャとも相思相愛で関ヶ原前の悲劇って感じで描かれてて子供心にすげーかわいそうだと思った記憶がある
だからずっと忠興は文化人で超善良な人だと思っていたのに…
最近いろいろ調べてくうちにまさかのDQNっぷりで非常にびっくりだぜ
わが郷里の英雄鬼武蔵のDQNっぷりにもびびったけど
0744人間七七四年2009/08/06(木) 21:25:37ID:wkDmx2eN
忠興って晩年は失明寸前だったんだっけ?

右目は完全に見えなくなってたと聞いたような
0745人間七七四年2009/08/06(木) 23:59:05ID:GlC+4cHW
「しろそこい」だっけ?
0746人間七七四年2009/08/09(日) 21:51:16ID:dHXGzLy3
細川家に赤松系有馬氏の血筋って入ってる?
入ってたら澄元流京兆家の血筋引くことになるけど
0747人間七七四年2009/08/11(火) 23:05:30ID:IdV/BpGP
>>743
学級文庫にへうげものを置くとはちょっとしたテロですね
0748人間七七四年2009/08/14(金) 10:30:07ID:1CrOxWwW
>>721
ガラシャは早くから遠ざけられてるよ。
忠興は明智の娘と言うことで嫌ってたのが事実。
0749人間七七四年2009/08/14(金) 20:43:51ID:AFBmHg9t
俺の玉子見たら殺すぞ、という忠興のスタンスは個人的に好き
0750人間七七四年2009/08/16(日) 08:21:49ID:aq37sfqx
玉のことを「所有物」として異常に愛していたっていうのはわかる。
忠興ほどじゃなくても、現代でもいるしな。
0751人間七七四年2009/08/18(火) 10:20:21ID:gcOw+flP
>>750 名物茶道具に執着するのと同様
0752人間七七四年2009/08/18(火) 11:10:49ID:gcOw+flP
>>732 嫁は既に京丹後市野間地域のメインキャラクターになってる。
「ガラシャ米」の宣伝で・・・
0753人間七七四年2009/08/18(火) 11:42:35ID:N4Dn1WpD
中に侍女の鼻とか混ざってそうで……
0754人間七七四年2009/08/20(木) 01:27:09ID:kgZj84qH
パパが嘆いている
0755人間七七四年2009/08/20(木) 05:29:50ID:Gwjr+Vye
ニヒルでダンディーな清々しいほど京都人
俺の中のパパのイメージ
0756人間七七四年2009/08/21(金) 03:02:53ID:is79mq/c
>>754 あまりの暴虐ぶりに寺に入れようと何度思ったことか・・・
0757人間七七四年2009/08/21(金) 17:06:22ID:3gaza3L1
パパが鯉を真二つにしたのはいつ頃だっけ?
0758人間七七四年2009/08/22(土) 05:41:27ID:FNFbsBMK
忠興って最初山上宗二にお茶習ってたんだよな。
0759人間七七四年2009/08/25(火) 20:59:29ID:rDcOrnoa
>>743 その漫画何てタイトルですか?作者は?
0760人間七七四年2009/08/26(水) 23:25:35ID:fxjGPZkf
細川隆一郎も忠興の子孫だよな
0761人間七七四年2009/08/26(水) 23:38:06ID:qyG2VdPv
珠と忠興の子孫だよね
0762人間七七四年2009/08/27(木) 02:20:10ID:zkp0RWvT
>>761
忠隆の子孫だっけ?
0763人間七七四年2009/08/27(木) 12:20:12ID:ZJwyOOIk
たしか長男の子孫だったと思う
0764人間七七四年2009/08/27(木) 23:36:11ID:IwPl8GLA
>>762
>>763
忠隆の子孫だけど、忠隆の流れの中でも分家出身だけど。
0765奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/08/28(金) 05:26:20ID:W8x9cAAr
拝んどけ拝んどけ。
0766人間七七四年2009/08/30(日) 22:24:00ID:88iesaiP
雑誌「pen」にDQN仲間の政宗と一緒に特集になってるが・・・
忠興のDQNな面は一切書かれてないので、一般人が勘違いしそうだ
0767人間七七四年2009/08/30(日) 22:26:17ID:ra7KFnd1
へうげもの効果なのかね。あの面子は。
0768人間七七四年2009/08/30(日) 22:44:04ID:13xdFaY1
>>767
シロモチくんの代わりに小堀遠州とか織田有楽斎とか高山右近が載っておれば・・・

政宗につられてページをめくった女子が「誰?この人たち」と回れ右しそうな面子
0769人間七七四年2009/09/02(水) 22:11:55ID:VhiWnoj/
細川元首相のお祖父さんって近衛文麿やってんな

ということは源氏だけじゃなく藤原氏の血も流れてんのか

名門すぎやろ
0770人間七七四年2009/09/02(水) 23:24:14ID:Lud+i24J
>>769
いや、藤原氏どころか皇室の血が。
0771人間七七四年2009/09/03(木) 00:12:51ID:iUu0rZ0z
近衛文麿って自殺したんじゃなかったかな?

とはいえ気の毒な人ではある
0772人間七七四年2009/09/03(木) 02:40:34ID:qvUYf9Xo
>>769 今調べててさらに分かっことやけど、細川首相の曾祖母が加賀藩主の三女

どんだけ名門やねん
0773人間七七四年2009/09/03(木) 02:44:53ID:6Fl84H5m
細川は武士の血は薄まりおじゃると言っていいくらいでおじゃる
0774人間七七四年2009/09/03(木) 03:01:11ID:qvUYf9Xo
>>771 日中戦争が始まった時も不拡大方針を出して和平工作をしよとしてたし

アメリカとの戦争には最後まで反対してて、首相を解任されたし

戦後はGHQに協力的でマッカーサから信頼され、憲法作成を頼まれたりしてた

時代に翻弄された可哀想な人生を送った人やと思う
0775人間七七四年2009/09/03(木) 03:19:10ID:8i2B5J+/
細川元首相に誰の血が入ってるかって調べたら
有名所だけでも20人くらい入ってた、ってレスをどっかで見たな
0776奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/09/03(木) 05:09:50ID:hJLkOdlO
そりゃまあ思いつくだけでも
・清和天皇以前の皇統+藤原摂関家
・近衛文麿
・細川幽斎
・徳川家康
・加藤清正
・尾張の大足軽木下弥右ヱ門閣下
・織田信秀
・伊達稙宗
・浅井長政
・佐々木道誉

重複して隠れてしまう人物もいるわけで、大変な数になるのは当然ちゃ当然。
これは加山雄三にも当てはまるな。
0777人間七七四年2009/09/03(木) 09:39:01ID:6BzoqseQ
>>774
そう断定してしまうのもどうかな

細川内閣が成立したときには祖父・近衛文麿とよく比較された(顔も似ているし)
夜中に突然辞職したときには「政権投げて逃げたところも祖父そっくり」と言われてしまったね
0778人間七七四年2009/09/03(木) 20:56:26ID:UD1S8Zx2
あのおちょぼ口は、本当にそっくりだ。
0779人間七七四年2009/09/03(木) 23:24:25ID:sEjNGvSG
>>776
加藤清正はないでしょ。
紀州家に嫁いだ娘には実子はいないし、息子(忠広)の子供の世代で断絶して子孫はいないはず。
浅井長政もないんじゃないのかな?京極家と細川家って婚姻していたっけ?

話は変わるんだけど、熊本の新聞のコラムで、熊本大学永青文庫研究センター特任教授 川口恭子って人が
書いたコラムで、以下のような話を知ったんですが、具体的な内容を知っている人はいますか?

 今年春、細川幽斎の出自について学会の話題となった。定説とは違うのではないかというものである。
 江戸幕府が諸大名の家系図編纂に着手した寛永18(1641)に細川家へも照会があり、当時存命であった
 三斎(忠興)とその妹浄勝院が、細川伊豆・細川刑部少輔の養子であったと答えている。

 〔あとは浄勝院(伊也)の紹介なんで略〕


0780人間七七四年2009/09/04(金) 23:37:49ID:avg4UOfI
>>779 日本歴史学会の『日本歴史』730号(2009年3月号)に
載ってる「細川幽斎の養父について」by山田康弘の中で
「淡路守護家細川晴広の養子だった」としている件かな?
0781人間七七四年2009/09/20(日) 17:04:46ID:pnQyC6qd
>>780
オレもその論文読んだわ。
その論文で合ってる。
0782人間七七四年2009/09/23(水) 23:04:20ID:5AEqH83k
今日図書館で読んできました。

藤孝のことを江戸幕府から聞かれたときに、
「えーと、細川伊豆だか細川刑部少輔なんとかの養子とか言ってたとような・・・」という忠興の(適当な)回答が
綿考輯録筆者の「元常も刑部少輔って名乗った時期がある」という主張から
「和泉守護家の元常の養子」説が定着したという内容でした。

補強材料は
 ・藤孝署名の書状で父晴広ということが書いてある
 ・細川伊豆の孫熊千代が幕府に出仕したという記録があり、
  かたや藤孝・忠興・忠隆と三代続けて幼名熊千代とされている

しかし、「当時(戦国時代)は家系なんて気にしてなかったから、よく判んないよねー」ってのは
太平の江戸時代の人とは、全然違うなあ。



0783人間七七四年2009/10/09(金) 22:45:23ID:QlKWh4hi
>>782
名門と言われるような細川氏でこれってのは意外だよね。
0784人間七七四年2009/10/11(日) 16:11:09ID:Tf2guOt4
>>783
名門といっても政元暗殺の後は分裂して抗争を繰り広げていたからね。
それがようやく落ち着いたのは信長末期くらいなわけで。
その混乱期はきちんとした記録が無くてむしろ当然では?
0785人間七七四年2009/11/17(火) 02:09:48ID:zPEq4zpi
細川家について書かれてる良書ってある?
0786人間七七四年2009/11/17(火) 02:59:29ID:2CXzq1MA
細川両家記
0787人間七七四年2009/11/22(日) 10:23:57ID:Jsg9XnGD
護煕氏は細川家としては側室の血筋だけど、
母方の系譜を辿ると玉子の血筋(忠隆の血筋)ってのはホント?
0788人間七七四年2009/12/02(水) 16:19:41ID:Ubf6LnFl
明日発売の名将の決断が幽斎の田辺城ですよ
0789人間七七四年2009/12/12(土) 22:28:24ID:CruPLWGA
調べても調べてもわからないんですが、藤孝、忠興の烏帽子親って誰なんでしょうか? ご存じの方がいましたらお知恵を貸してください・・
0790人間七七四年2009/12/19(土) 10:38:08ID:pRYLe4kR
玉甫って何者ですか?
以前忠興関連の本読んだ時出てきた気がするのですが…
0791人間七七四年2009/12/19(土) 12:33:54ID:zaQRWFnl
>>789
忠興は信長本人。お玉(光秀3女を養女にして忠興に嫁がせることもこの時決まったらしい)
藤孝はわかんね

>>790
この時代2人いるけどな。
一人は織田信安。
  信勝(信行)を担ぐが信長に敗れる。
  その後美濃斉藤家に仕えるが滅んで京に逃れる。
  信長に許されて安土総見寺住職。
もう一人は玉甫紹j
  京都大徳寺住持。後に高桐院をひらいた
0792人間七七四年2009/12/19(土) 13:01:02ID:pRYLe4kR
忠興の親戚なんですよね?
忠興はその玉甫って人に育てられたんだっけ?
0793人間七七四年2009/12/19(土) 13:46:44ID:zaQRWFnl
>>792
それなら玉甫紹jの方だ。
彼は藤孝の弟だよ
0794人間七七四年2009/12/20(日) 16:52:56ID:AUJ5kXOe
小野木重勝だけど
文句あっか
0795人間七七四年2009/12/23(水) 18:49:13ID:KIHTYrIp
>>>790
>
>藤孝の弟で忠興の伯父さんにあたる人物で大徳寺の所謂和尚さん
>
>藤孝と忠興が揉めた時仲裁に入ったり歴史的に
>
>あまり大きな事はしてないが細川家を影で見守ってた人
>
>
>
>玉甫和尚は清巌宗渭や名古屋山三郎の僧時代の散禅の師で山三郎は
>
>玉甫和尚の通して藤孝から蓮歌や茶を学んで

早蓮歌と槍の舞を歌舞伎にまで昇華させたって話がある

清巌宗渭も玉甫和尚の後を次いで大徳寺の住職になった
0796人間七七四年2009/12/25(金) 02:12:02ID:iAEYVfAH
忠興が黒田(長政)と険悪になった理由はわかるんだけど、加藤(清正)と絶縁した理由がわからんのだがなんで?
関ヶ原後くらいまでは普通に友人同士だよね
0797人間七七四年2009/12/25(金) 13:30:22ID:DELzB9b2
よく言われているように、加藤家との絶縁は
・秀吉時代に加藤・福島が血縁ゆえに大封を得、重要な仕事を与えられていた(と勝手に信じていた)
・加藤・福島は三成の手から婦人救出できたが自分はできなかった(あいつらだけウマイコトやって・・・)
 ※(救出は可能だったがお玉を人目にさらすことを極端に嫌い、殺して屍骸を残さないように、
   部下の小笠原に襖越に槍でお玉を刺し、爆薬で吹き飛ばすように命じた)
・熊本に転封となったが、地元での加藤家の圧倒的人気に嫉妬し、加藤という名を嫌うあまり、嘉明とも絶縁。
 部下の中から加藤姓を排除。

といろいろ勝手な思い込みが重なった結果。
ろくな理由じゃないが、嫉妬に気がふれるとなにをしでかすか分からないキティちゃん。
長政も「お前にだけは言われたくないぜ、じゃあな!せいぜい長生きして嫌われろ」と。
0798人間七七四年2009/12/25(金) 16:29:33ID:7gSwNRxe
でも、清正はたまの葬儀に来ていらんこと言ったり、関ケ原の後に忠興が奉公構えの仲裁みたいなことやってるから、
そこにあげられてるような理由じゃ少し弱いし、 忠興が加藤家はシカトしろって支持出したのは、加藤家改易前だよね
決定的な理由がないなら、反徳川親豊臣色の強い加藤家と距離を置きたい政治的な理由な気もする
前田家(元々利長とは友人同士だったよな)と絶縁した時みたいな
0799人間七七四年2009/12/25(金) 16:34:00ID:/b2dWkN4
>>798
忠広期の加藤家は、「改易も止むなし」な雰囲気だったようだし、光広は遊び半分で
変な怪文書をつくったような奴なので、やっぱりそのへんの事情が大きいと思うな
0800人間七七四年2009/12/25(金) 16:58:01ID:7gSwNRxe
だったら、清正とは特に不仲になったわけではないのかな?
高桐院に何かあったし、忠利が熊本に入るときも清正は敬ってるし
0801人間七七四年2009/12/27(日) 10:34:27ID:MmvD9ABN
>>797
>熊本に転封となったが、地元での加藤家の圧倒的人気に嫉妬し

熊本で加藤家(つーか清正個人だけど)が神格化されて、大人気になったのは細川時代じゃないかな。
加藤家の旧家臣で、そのまま細川家に仕えた人も結構います。

加藤家が改易になったのを肥後の庶民は喜んだという話もあり、
後世では評価される土木工事も、負担が大きいということで工事中は反発した人もいた。
熊本城の築城も並行してやっているし、重臣達も自分の支城の工事のため、勝手に人員徴発して
清正は度々止めさせようとしている。

清正が朝鮮に出陣して長期不在だったこともあって、元々家中の統制もいま一つうまくいってない。
死後に重臣達の勢力争いから幕府の介入も受けている。

忠興が「肥後の侍が親戚頼って肥後から逃げ出している。国内が何か不穏な状態みたいだ」
と伝聞記事を残している(改易騒動の前に)。
0802人間七七四年2009/12/27(日) 13:46:34ID:SlaT5LUP
結局忠興と清正不仲説のソースはないのか?
加藤家→清正死んで息子も孫も馬鹿だし藩内ごたごたしてるから、関わっちゃだめよ
黒田家→長政pgr 息子も馬鹿でご愁傷さまwww
ってのが、「加藤と黒田は蔑にしとけよ」の意味なのかね
忠興が清正の不作法な性格を苦手としてた面もあるらしいけど
0803人間七七四年2010/01/03(日) 18:48:47ID:VWY31kUQ
忠興自身が複雑な性格だから>>797の要因もあったのかもしれないけど
主因は幕府対策じゃないかな
細川家は豊臣恩顧じゃないけれど、もちろん徳川譜代ではなく
旧幕臣系または織田系なわけだし
なんといっても明智の関係者だしね
0804人間七七四年2010/01/04(月) 01:20:54ID:s2MkfjBk
家柄からいっても忠興の性格からいっても少しでもミスれば取り潰し確定と、
自分でわかった上での行動かも試練。
嫁その他のことを抜きにすれば基本ハイスペックな人ですから。

グチや文句付きの手紙をまめに送ってることもあるし。
0805人間七七四年2010/01/06(水) 01:45:35ID:PJDay/Ie
http://hosokawaten.com/

東京でやるんだね
楽しみだ
0806人間七七四年2010/01/06(水) 10:48:53ID:xLqq2cJZ
解除きた
0807人間七七四年2010/01/06(水) 11:18:36ID:xLqq2cJZ
>結局忠興と清正不仲説のソースはないのか?

「地震加藤」の話。
一番乗りは忠興で配下と共に警備に当たっていたところに清正が来た。
謹慎中ということだったが、快く秀吉に面会させた。
世間では一番乗りの自分は忘れられ清正の忠誠心だけが褒め称えられた。
「あの人は殿下の血縁だから」という妬み嫉妬から愚痴がもれた。
0808人間七七四年2010/01/07(木) 18:30:25ID:Bm8rv/iV
忠興って割とグチっぽいよな
0809人間七七四年2010/01/07(木) 18:51:43ID:H35LL1jY
割と?・・・普通にグチの塊のような
0810人間七七四年2010/01/07(木) 21:45:54ID:Bm8rv/iV
そんなに?何かエピある?
0811人間七七四年2010/01/08(金) 13:43:04ID:B6IM9ox4
頭に血が昇ると手が付けられないDQNエピソードはありすぎるね。
・刀の銘々「歌仙兼定」と「晴思剣」の話。
・長政との絶交の一因ともなった関が原の評定や同士討ちの話。
・松山主水暗殺・巌流島決闘の逸話。

一つ弁護するが
「清正の喧嘩下手」は確かに忠興の口から広まったが、これは清正をバカにしたのではなくて、
後年、武将を評価した際に、清正はタイマンではそれほど強くはないが、軍を率いたら右に出るものはいないという、
いわば誉め言葉の中の一つが勝手に一人歩きして後世に伝わったということ。

0812人間七七四年2010/01/24(日) 18:51:19ID:91cIKkTe
忠興は石田三成襲撃に本当に参加したの?

森忠政と一緒に向島城に詰めてたはずじゃ
0813人間七七四年2010/02/13(土) 21:07:07ID:jp2/kzeo
土佐郷士で無双直伝英信流の細川義昌という人は、
幽斎の二男である興元の子孫らしいけど、谷田部藩主の子孫が
土佐の郷士なんてことがあるんですか?
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