細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2007/02/17(土) 21:24:53ID:kgpQVoWf幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
0619人間七七四年
2009/02/19(木) 22:07:18ID:bwjfqjqV0620人間七七四年
2009/02/21(土) 23:52:02ID:wmk0zHb2学校に怒鳴り込んでくるだろうね。
で、警察来たら別人のように知的に振る舞う・・・
0621人間七七四年
2009/02/22(日) 02:07:23ID:6dJ+VIDrモノは言い様だな
0622人間七七四年
2009/02/22(日) 02:25:25ID:Ro4dmiwkまた、この二人の主な衆道相手を知られて居る限り教えて下され。
よしなに頼み入り申す。
0623人間七七四年
2009/02/22(日) 06:04:30ID:8vPdGfN30624人間七七四年
2009/02/23(月) 03:42:26ID:ilW4Ke450625人間七七四年
2009/03/05(木) 22:29:40ID:4cQqy/wJ0626人間七七四年
2009/04/19(日) 20:10:49ID:o1DLDTJa0627人間七七四年
2009/04/19(日) 20:52:06ID:QWyceQ9xいつまでも飽きないサルもたまにいるけどな。
0628人間七七四年
2009/04/19(日) 20:59:58ID:wH//T63rどういうわけで?細川の名がいやだったのかな?
0630人間七七四年
2009/04/19(日) 21:07:03ID:3jLZXkR3幕府的に問題はないのか
0631人間七七四年
2009/04/19(日) 21:10:20ID:m7Cd02I70632人間七七四年
2009/04/19(日) 21:14:48ID:QWyceQ9x0634人間七七四年
2009/04/19(日) 21:31:33ID:QWyceQ9x0635人間七七四年
2009/04/20(月) 06:04:26ID:VuQHkljk■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
オナニー記録 [新記録・珍記録]
0636人間七七四年
2009/04/26(日) 17:20:07ID:PeByG20i茶室は寒いからと白い足袋をつくってあげたらしい。
それから白足袋が使われるようになったそうだ。
0637人間七七四年
2009/05/02(土) 10:49:37ID:vh23FbHJ−家康は忠興の戦功に報いるため土井利勝を通じて、秀吉から与えられた
羽柴の姓を止めて松平姓を下賜しようとした。しかし忠興は「徳川ならば
御願い成さるべきか。松平は源氏の名字にてもなく、羽柴と同意なり。」
と言い放って松平姓を拒否し、室町期以来の姓である細川氏に戻ることにし
た。利勝は家康の手前なんとか受けるよう説得したが「(元来の)家の
細川にて候わん」とはねつけたという−
0638人間七七四年
2009/05/02(土) 10:59:37ID:SCHixyT70639人間七七四年
2009/05/02(土) 14:50:19ID:oQQwtK6Gえらい勢いで徳川の官僚達と手紙のやり取りしてなかったっけ。
新政府の法令面や政策面で、かなり寄与してたと聞いたんだが。
0640人間七七四年
2009/05/02(土) 19:07:25ID:/gRIJkRe0641人間七七四年
2009/05/04(月) 08:30:12ID:74q1/Y3p重臣に、長岡とは名乗らせるけど細川はダメ ってのは
やっぱりそのあたりの自負があるからなのかねえ。
藤堂・蒲生・黒田あたりは、主君と同じ苗字を名乗らせている。
0642人間七七四年
2009/05/04(月) 11:51:46ID:EEiOh9aI政略婚姻であったが、二人が稀に見る強い愛で結ばれたことは知られるとこ
ろ」となってたけど、忠興の<片思い>じゃなくて最近の解釈って<両思い>
なのか?
0643人間七七四年
2009/05/04(月) 14:00:44ID:4QWdzgkbえっと
なんかの文書に羽柴忠興って見たなあ、文書は忘れたけど
羽柴松平の賜姓は適当な勲章みたいな感じなないか
前田利家が羽柴筑前って呼ばれて喜んでたくらいだし
0644奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/05/05(火) 09:27:09ID:GiSJzL8s0645人間七七四年
2009/05/05(火) 12:33:25ID:hIiqKVnA0646人間七七四年
2009/05/06(水) 15:11:00ID:qOliZqPk>>643 蒲生氏郷とか大概の武将は「羽柴」賜ってたし。そういう風潮だったんでしょ。
あの頃から関ヶ原にかけての書状の宛名も、忠興に限らず皆「羽柴○○」に
なってるし。
0647人間七七四年
2009/05/06(水) 23:52:44ID:GWzdGZtYこの話って出典は何ですか?
>−家康は忠興の戦功に報いるため土井利勝を通じて、秀吉から与えられた
>羽柴の姓を止めて松平姓を下賜しようとした。しかし忠興は「徳川ならば
>御願い成さるべきか。松平は源氏の名字にてもなく、羽柴と同意なり。」
徳川ならばまだしも、源氏の由緒ある苗字でもない松平なんていらない、
羽柴と同じような価値しかない って解釈でいいんですよね?
由緒ある苗字を大事にして羽柴も貰わなかった、同じように松平も遠慮しますって理屈なら、まあスジは通っていると思うけど。
羽柴は貰ったのに松平は拒否するってのは、徳川家に対して、豊臣家に対するほどの忠誠心はないと
難癖つけられかねず、松平を貰った他大名にも反感を持たれるのではないか、そんな断りかたをするかなあと。
あと、土井利勝って秀忠の側近で、家康の側近ではないと思うので家康から利勝を通じてってのも、ちょっと疑問。
家康側近から内々の打診があって、形式としては将軍秀忠から利勝を通じて松平と名乗る許しを貰う
という流れなら自然だけど。
0648人間七七四年
2009/05/09(土) 00:55:45ID:dlIgCBlv忠興の嫁のガラシャがむしろ親父の方と仲が良かったみたいだから
歪んだのはそのせいだろうか?
0649人間七七四年
2009/05/09(土) 06:57:06ID:8KGfg2kI忠興の老臣を呼びて、古歌二首を書きて与へらる。
「
『逢坂の関の嵐の寒けれど、行方知らねばわびつつぞぬる』
この歌の心を察せよ
『まこも草つのぐみ渡る沢辺には、つながぬ駒も離れざりけり』
此の歌の心をよく思慮されよと忠興にいへ」
と教訓させられけり
(常山紀談)
0650人間七七四年
2009/05/10(日) 18:29:45ID:Wt/5PuSk0651人間七七四年
2009/05/11(月) 21:41:22ID:UF6f7Xeoやっぱ忠興の一方通行だろう。
0655人間七七四年
2009/05/12(火) 21:27:05ID:ee0mnk9p蒲生氏郷たちと一緒に幽斎取り上げられてたな。
(さすがに忠興は載っとらんが・・・)
0656人間七七四年
2009/05/12(火) 22:01:11ID:6nBlsbYI一緒に入信した侍女の鼻削いだり、会話した下人を面前で斬り捨てるなど
本人に手を上げるより余程キツいわ。
0657奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/05/13(水) 06:14:37ID:yrKYYm/s0658人間七七四年
2009/05/16(土) 21:39:19ID:KPr8LDBA0659人間七七四年
2009/05/19(火) 00:19:14ID:apjGrvoK0660人間七七四年
2009/05/19(火) 12:28:14ID:8UYEbsepあらゆる作品でチョイ役としてしか取り上げられてないから少しうれしかった
調べれば調べるだけ凄さがわかる人なんだがいまいち有名になれんのは何故なのか?
0661人間七七四年
2009/05/21(木) 23:07:56ID:Np8sW7hJ幽斎に限らず、この時代の様々な出来事へ、その当時から表向きに・大っぴらに関わったり、
自他から派手に宣伝する事やチャンスが無かったからじゃね?
下克上を成し遂げ、永禄4年頃に機内なり地方なりに一大領国を持つようなポジションにいたり、
家中に独自色の強い分国法を持っていたり、軍事・経済で革命的な制度を実施して大成功の結果を収めたりすれば
教科書に載る様な有名人になるようなチャンスがある可能性は普通に高いと思うなあ
ただ、それも結局、別に細川幽斎に限った話じゃあ無いんだけれどw
0662人間七七四年
2009/05/28(木) 23:27:16ID:2oJwMamR内容が忠興を気遣う(!)内容の手紙だとか、署名もガラシャになってる
という話だが・・・
0663人間七七四年
2009/05/29(金) 23:34:21ID:ZNP5GH7T加増には違いないけど、秀吉が黒田を九州に封じたと同じ理由では?
畿内に置いておきたくなかったんじゃ・・・・・・・信用できないし・・・・・・・・
0664人間七七四年
2009/05/29(金) 23:39:06ID:lK84txWP畿内には豊臣対策として徳川勢力を入れるのはわかりきった事。
天下を望まない以上あれは昇進。
0665人間七七四年
2009/05/30(土) 00:02:34ID:qqGu2zndあれは「島津に変な動きあったら防波堤になれ」
ということで監視役。だとウチでは教わった。
0666人間七七四年
2009/05/30(土) 15:53:47ID:ERnWcsMZ家康が、「他の大名が反乱起こしても、細川は絶対にそういうことはしない」とか言ってたような。
大坂への出陣も他の九州の他の大名が家康に従うのを確認してから、細川氏は出発したとかいう話もあるし、
忠興の隠居分の軍役免除しえもらったりと、徳川氏からは優遇されてもいますね。
島津の押さえは肥後(加藤氏)で、細川氏の任務は黒田・毛利の押さえだったのでは。
島津と細川って幽斎時代から付き合いがあって、島津の江戸留守居役なんかは
忠興にいろいろアドバイスを求めたりしている。
0667人間七七四年
2009/06/05(金) 22:26:09ID:aRHyqgV8で、忠興は光秀に憧れてたんじゃないかな。
たまはファザコンでデウス様=父上と思って心の支えにしてたのでは。
0668人間七七四年
2009/06/05(金) 22:49:12ID:jhaUdT5l宛名が「忠興殿」で差出に「がらしゃ」となっていた。
入信した天正15年以降だろうと解説されてた。
0669人間七七四年
2009/06/05(金) 23:02:11ID:1KxNSi3N0670人間七七四年
2009/06/08(月) 19:08:46ID:y2KuV3Ft個人から国立博物館に寄贈されたもの。
0671人間七七四年
2009/06/08(月) 22:55:12ID:9CIXvWjw匿いました。これは忠興が玉を守ろうとする苦肉の選択であったに違いあり
ません。」とあったが・・・。地元だしホントのことは書けないよな。
0672人間七七四年
2009/06/11(木) 15:38:18ID:cjobHIRZ0673人間七七四年
2009/06/13(土) 08:12:21ID:1syorh9y忠興の晩年 アルツハイマー
0674人間七七四年
2009/06/13(土) 08:38:29ID:/82syVKA0675人間七七四年
2009/06/13(土) 12:05:18ID:xAfX75KR0676人間七七四年
2009/06/13(土) 12:06:59ID:N9lv0XnJ溺愛はそれだけでダメです。
実際問題、明智が謀反起こした後、
お玉を軟禁してはいるけど、離縁はしなかった
っていうのは、かなり特異なことだと思う。
それが他から見て健全な「愛情」だったかはともかく、
もの凄く深く執着してたことは確かなんじゃないかと。
0677人間七七四年
2009/06/13(土) 17:33:52ID:owteML5x0678人間七七四年
2009/06/13(土) 20:51:25ID:VqZFgTkc0679人間七七四年
2009/06/13(土) 21:21:55ID:o784Fl9E0680人間七七四年
2009/06/13(土) 21:25:24ID:N9lv0XnJ細川家も明智の郎党とみなされて滅びる危険性と、
お玉への個人的な愛情はかりにかけて、
お玉への愛情(別に執着でもいいけど)とった、
ってくらいの重い決断だったと思うよ。
0681人間七七四年
2009/06/14(日) 09:05:28ID:5mkyKHEA0682人間七七四年
2009/06/14(日) 09:48:16ID:0dYe9WXbそれで何で夫婦喧嘩ばっかしてたの?
玉がワガママだったの?
0683人間七七四年
2009/06/14(日) 10:20:06ID:kqwGmtop0684人間七七四年
2009/06/14(日) 13:39:41ID:CR7r7MPD0685人間七七四年
2009/06/14(日) 19:25:17ID:BVTI+0Zgそれがよく引用されて夫婦喧嘩ばっかしてるみたいなイメージになったんだろうね。
でもこの記録よく読むと、忠興は家中では恐れられていたけど、珠には頭が
上がらなくて珠の方が一枚も二枚も上手って感じだ。
0686人間七七四年
2009/06/15(月) 02:59:20ID:8S4gep0H「日本一凶暴な大名」とか言われてたと思ったけど、そいつをして
最終的に信仰を認めさせてるあたり、惚れた側の弱みなんだろうか。
0687人間七七四年
2009/06/15(月) 22:12:00ID:nmj/QppUとあっさり許可しちゃったり礼拝堂作ってやったりしてるしね。
0688人間七七四年
2009/06/15(月) 22:23:04ID:nLpwUBTz細川家の家臣団のかなり上の方に、
キリシタンに改宗した人もそこそこ居たらしいよ。
禁教になったときとか結構具合悪かったらしい。
0689人間七七四年
2009/06/16(火) 23:17:33ID:u+pOSiMV0690人間七七四年
2009/06/19(金) 01:49:47ID:K+mn8Cvl一方的に警戒して権力争いしてただけ。
妻が家臣を懐柔したり家の実権握られないように見張ってただけ。
だからむしろ最弱の立場である逆臣の娘の方が都合がよかった。
自分に自信が無くて支配欲の強いモラハラ男にはありがちな選択。
「イジメ」だよ。
女と対等に向き合う気が無いどホモです。
0691人間七七四年
2009/06/19(金) 01:57:09ID:K+mn8Cvl利用できるものなら何でも利用する男。
お玉は死んでも死にきれなかっただろう。
0693人間七七四年
2009/06/19(金) 02:15:34ID:K+mn8Cvl男が女を閉じ込めて自由を奪うのはそれしか理由が無い。
「俺の知らない所で勝手な事をするな」
ってやつ。恋愛感情はゼロ。
だって普通愛する人にそんな酷い事しないでしょ。
凡庸な家臣だったら不興を買って切られて終りだろうけど
お玉の場合忠興に盲目的に尽しすぎて空気読んでキリスト教徒にまでなって、
自殺までしたのが無惨だった。
結果的には後世まで細川家にトコトン利用されただけ。
0694人間七七四年
2009/06/19(金) 12:03:53ID:tX0if/yb0695人間七七四年
2009/06/19(金) 12:40:51ID:VsUmj34O少なくとも忠興は「棄教しないと侍女の耳鼻削ぐぞ」
的立場だったわけだが。
三浦さんの著作をさらにフェミったおかしな漫画でも出たんか。
0696人間七七四年
2009/06/19(金) 14:33:08ID:K+mn8Cvlキリシタンになって自害しなければ外国勢力を払い除ける事も出来なかっただろう。
細川家が現在に至るまで根付く事も無かったろう。
そこまでした割には、天下泰平の世とまでは至らなかった。
男性原理でおかしな策謀ばかりしてるから話がややこしくなる。
守れたのは父に従うもの=「家」だけだった。
母のような無条件の愛では無い。
0697人間七七四年
2009/06/19(金) 18:27:26ID:fBksdAfm0698人間七七四年
2009/06/22(月) 23:43:37ID:cf7pJlEz忠興・ガラシャ夫婦に来てもらって細川コレクションの解説をしてもらうという
すさまじい企画があった。
0699人間七七四年
2009/06/24(水) 15:34:13ID:szrSZQQo0700人間七七四年
2009/06/25(木) 00:08:16ID:KyT6boo1肝心の掛軸は残っていないんだな
0702人間七七四年
2009/06/25(木) 20:40:07ID:kFsfkM9Sって、へうげものの感染力って凄いよね。
0703人間七七四年
2009/06/25(木) 20:52:14ID:fC8Z9g5u0704人間七七四年
2009/06/26(金) 21:29:31ID:n52eQB3P掛け軸も借金の返済の足しにしたんじゃないの?
0705人間七七四年
2009/06/26(金) 22:03:46ID:Fv5lyr750706人間七七四年
2009/06/27(土) 02:18:31ID:kexM5wdj0707人間七七四年
2009/06/27(土) 12:22:34ID:e5JU3f4R0709人間七七四年
2009/06/29(月) 19:35:57ID:2ukQMzcT今っぽい人たちだこと。
0711人間七七四年
2009/06/29(月) 21:44:42ID:2ukQMzcT0712人間七七四年
2009/07/05(日) 13:40:33ID:QJ85Wl8gガラシャの侍女頭のルイザに目をつけ、
側女にならなければ殺すと脅したので、
ガラシャが他の侍女と相談して京へ逃れさせたという。
0713人間七七四年
2009/07/05(日) 20:58:57ID:QJ85Wl8ghttp://blog.livedoor.jp/sambockarie/archives/51381161.html
0715人間七七四年
2009/07/05(日) 22:47:52ID:QJ85Wl8g0716人間七七四年
2009/07/06(月) 02:54:04ID:BHLCLiNl0717人間七七四年
2009/07/06(月) 23:11:30ID:t2znasT4小姓の失敗を救ったりとかっこいい話が多いのに、息子はDQNな話ばかり
だな。
0718人間七七四年
2009/07/07(火) 01:19:20ID:TyZXxIAL戦国一、東京砂漠が似合う男 立ち広しの「泣かないで」でも可
異論は認める。
ちなみに息子に似合う歌はBUCK-TICKの「悪の華」。
異論は認めない。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています