>>607
高山右近は、利休の弟子仲間。右近も交友関係がきわめて広かった。

蒲生家、細川家とは足利家を通じた古い付き合いがあったのでは。

立花宗茂とは、秀忠の時に一緒に相談役だったという以外に、
九州が封土の大名で付き合い大事、とうことでは。
立花宗茂、伊達政宗、藤堂高虎、忠興が肥後に行く前までの黒田長政も友人。

この当時の大名というのは、社交も戦場と同じく必死に大事。
小大名の木下延俊の慶長日記でも、ありとあらゆる大名家と毎日訪問しあい、
茶会や夜話で、毎日分刻みのスケジュールだった。