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細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ

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0001人間七七四年2007/02/17(土) 21:24:53ID:kgpQVoWf
戦国時代を代表する文化人幽斎と
幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
0588人間七七四年2009/01/30(金) 19:08:59ID:zYXWPSvp
忠興は信長の近習だったらしいけど、堀秀政との接点は無かったんかな。
0589人間七七四年2009/01/31(土) 20:02:00ID:2BkgI8gs
>>587
忠政の死因が割れたのが細川家の書状だったりするし交友は相当深いと思う。
0590人間七七四年2009/02/01(日) 00:52:54ID:T+YnKX8t
>>587 一番かどうか知らんが、森忠政主人公の小説に忠興と親しくしてるエピが入ってる。
あと実際に残っている話として>>97より
@秀吉死後、文治派が家康を討とうとした時忠興と共に家康の屋敷に駆けつけて
「両家の真心は徳川家が続く限り忘れない」と家康に感謝された。
A忠政が津山城を普請する時、家臣に命じて密かに小倉城の城郭図を写し取らせようとしたが
見つかってしまい捕らえられたが事情を話すと、以外にも忠興は城郭図を貸し与えた。
更に津山城落成の折にお祝いとして南蛮の釣鐘を贈っている。
−なんかの本で忠興の度量の大きさを伺わせる話(!)として紹介されてた。
0591人間七七四年2009/02/01(日) 01:16:59ID:T+YnKX8t
「千世と与一郎の関が原」という面白そうな新刊本が出てた
0592人間七七四年2009/02/02(月) 20:22:17ID:Q79JqFlw
忠興の評判<『伴天連追放令』頃>
@日本で最も凶暴な大名(フロイス談)
A屋敷内に5人も側女をかかえガラシャを苦しめ虐待している(オルガンチノ談)
0593人間七七四年2009/02/02(月) 20:25:20ID:jHcr0HH1
バテレンの評価は話100分の1くらいにして聞くのが正解。
0594人間七七四年2009/02/02(月) 20:35:01ID:qVSfIzeZ
>>593
そうだな。宣教師の史料って、キリスト教に好意的か否かで
全然評価が違うんだよね。
そういえば、最終的に忠興ってガラシャの信仰を認めていなかったか?
0595人間七七四年2009/02/02(月) 20:44:08ID:jHcr0HH1
>>594
いいや?認めてるよ。忠興本人はキリスト教に入信する事はなかったが。
0596人間七七四年2009/02/02(月) 21:25:51ID:bBFsGyj8
>>592
最初のは間違ってないだろw
0597人間七七四年2009/02/02(月) 21:30:33ID:db0dNjZo
森長可よりは穏やかだと思うんだが
0598人間七七四年2009/02/02(月) 22:31:35ID:s31l0lhE
>>597
同意語:「死なないだけマシ」
0599人間七七四年2009/02/03(火) 04:23:38ID:OcktrhOl
森さんは遭遇したら諦めがつくけど、忠興は普段は常識人ぽいから性質が悪い。
0600人間七七四年2009/02/03(火) 15:21:07ID:3055Gv7X
新潮新書、島内景二著『源氏物語ものがたり』に当時の第一の学者としての細川幽斎が大きく取り上げられている。
0601人間七七四年2009/02/03(火) 21:00:53ID:t1zCNAlP
>>600 そういや永青文庫の解説では当代一の源氏学者と解説してたな。
0602人間七七四年2009/02/03(火) 21:21:00ID:NPReQuSR
>>594
つーか、普通に考えて、人柄だのを認知できるほど、身近にいれているわけがないんだから、
人物評なんて、全くアテにならないと思っている。
0603人間七七四年2009/02/04(水) 22:07:03ID:DARYFSAV
>>592 今日のサスペンス劇場でも忠興の側室5人と紹介されてたね
0604人間七七四年2009/02/04(水) 23:36:47ID:DARYFSAV
日テレさんガラシャ覗き見した庭師切捨て・鬼蛇問答・乳母の耳鼻削ぎと入れて
くれたはよいがなんかあんま迫力なかったような・・・
ただ一般視聴者には忠興の変態っぷりは十分伝わったかも
0605人間七七四年2009/02/05(木) 01:06:02ID:4Tql5p2O
ひでぇ番組だったなぁ優しい忠興とか、本能寺直後で豊臣とかw
0606人間七七四年2009/02/05(木) 19:08:57ID:YGJsxoAy
長男忠隆の系統に細川隆一郎さんがいることもスルーだったな
あと、忠興と忠利のローマ字の印鑑も(ガラシャ婦人亡き後宣教師と親しくなったため)
0607人間七七四年2009/02/05(木) 23:43:31ID:OS6jKaYa
つくづく>>604のようなことをする人物が、蒲生氏郷・高山右近・立花宗茂
たちと友人とは信じがたいよなあ。
0608人間七七四年2009/02/06(金) 00:25:37ID:wv51c67d
伊達政宗や島津家久や森忠政も友人です
0609人間七七四年2009/02/06(金) 20:43:04ID:RFIaIPDy
一度心を許した人のためなら結構あぶない橋を渡ることも厭わないって点はあると思う。
利休切腹前の見送りや、谷衛友の家督争いに首突っ込んだりとか。

逆に一度関係がこじれると、どうしようもないというかw

0610人間七七四年2009/02/06(金) 22:00:26ID:xAN3K8U3
>>607
高山右近は、利休の弟子仲間。右近も交友関係がきわめて広かった。

蒲生家、細川家とは足利家を通じた古い付き合いがあったのでは。

立花宗茂とは、秀忠の時に一緒に相談役だったという以外に、
九州が封土の大名で付き合い大事、とうことでは。
立花宗茂、伊達政宗、藤堂高虎、忠興が肥後に行く前までの黒田長政も友人。

この当時の大名というのは、社交も戦場と同じく必死に大事。
小大名の木下延俊の慶長日記でも、ありとあらゆる大名家と毎日訪問しあい、
茶会や夜話で、毎日分刻みのスケジュールだった。
0611人間七七四年2009/02/08(日) 19:30:47ID:nCKrNpSs
テレビ(九州朝日放送)の歴史シリーズ「細川ガラシャ」の回では、暴君・細川忠興
の元に嫁ぐと紹介されてたぞ
0612人間七七四年2009/02/08(日) 21:08:10ID:f1iSKCqm
>>610
宗茂の第2夫人である八千は細川幽斎からの紹介らしいから
宗茂とは慶長の役の前から付き合いがあったみたいだね。
0613人間七七四年2009/02/11(水) 22:28:27ID:gOPqC+GC
忠興って83まで長生きしたせいか健康で丈夫なイメージあるけど
記録には結構病気してる表記があるとこみると実は病弱?
0614人間七七四年2009/02/11(水) 22:29:36ID:gOPqC+GC
忠興って83まで長生きしたせいか健康で丈夫なイメージあるけど
病気してる記述が結構あるとこみると実は病弱だった?
0615sage2009/02/11(水) 22:33:56ID:er/ERH9q
2回書かなくちゃいけない位 大事な事だったの?
0616人間七七四年2009/02/12(木) 01:47:31ID:EJKm/B6l
病気してもなかなか死なないほど頑強だった
0617人間七七四年2009/02/12(木) 08:37:13ID:wr17EK05
身体が弱いと普段から養生するように心がける。
0618人間七七四年2009/02/17(火) 21:11:30ID:RoSpz4C1
忠興や歴代藩主とガラシャがご祭神になっている熊本<出水神社>の
『縁結びお守り』には次のような説明が・・・
−ご祭神・忠興公と玉姫は信長公の仲取持で縁組し、世の荒波にもめげず
仲睦まじく子宝にも恵まれ、深い愛の絆で結ばれて幸福に暮されました−
0619人間七七四年2009/02/19(木) 22:07:18ID:bwjfqjqV
その忠興の「深い愛」というのが何やら背筋が寒いです
0620人間七七四年2009/02/21(土) 23:52:02ID:wmk0zHb2
今だったらモンスター・ペアレントで、夫婦で
学校に怒鳴り込んでくるだろうね。

で、警察来たら別人のように知的に振る舞う・・・
0621人間七七四年2009/02/22(日) 02:07:23ID:6dJ+VIDr
>618
モノは言い様だな
0622人間七七四年2009/02/22(日) 02:25:25ID:Ro4dmiwk
この父子のうち、いづれがより男色好きだったのですか?
また、この二人の主な衆道相手を知られて居る限り教えて下され。
よしなに頼み入り申す。
0623人間七七四年2009/02/22(日) 06:04:30ID:8vPdGfN3
断る。
0624人間七七四年2009/02/23(月) 03:42:26ID:ilW4Ke45
たぶん、糞リアリストの細川親子に男色をたしなむほどの気概はありません
0625人間七七四年2009/03/05(木) 22:29:40ID:4cQqy/wJ
幽斎正室の麝香ってゴージャスな名前だよね。幽斎が名乗らせたんだろうか。
0626人間七七四年2009/04/19(日) 20:10:49ID:o1DLDTJa
忠興は横山裕のイメージだなあ
0627人間七七四年2009/04/19(日) 20:52:06ID:QWyceQ9x
酒と女に飽きたときに文芸に向かうか新境地に向かうか。
いつまでも飽きないサルもたまにいるけどな。
0628人間七七四年2009/04/19(日) 20:59:58ID:wH//T63r
忠興って夏の陣終了まで羽柴の名字を名乗ってたそうなんだが・・・
どういうわけで?細川の名がいやだったのかな?
0629人間七七四年2009/04/19(日) 21:05:05ID:YKLMi7VR
>>628
姓と名字の違って知ってる?
0630人間七七四年2009/04/19(日) 21:07:03ID:3jLZXkR3
そういえば前田もずっと羽柴筑前守を使ってるよな

幕府的に問題はないのか
0631人間七七四年2009/04/19(日) 21:10:20ID:m7Cd02I7
苗字って字使うと混乱しないですむよ。
0632人間七七四年2009/04/19(日) 21:14:48ID:QWyceQ9x
細川家は50万石超なのに松平貰ってないのか。
0633人間七七四年2009/04/19(日) 21:21:39ID:wH//T63r
>>572
そんなことしようものなら、日本の商人全員からハブられますが?
0634人間七七四年2009/04/19(日) 21:31:33ID:QWyceQ9x
まあこれが幕末になると、御用金強盗の連中が天下取ったりするわけだが。
0635人間七七四年2009/04/20(月) 06:04:26ID:VuQHkljk

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0636人間七七四年2009/04/26(日) 17:20:07ID:PeByG20i
母・麝香は(珠という説もあり!)忠興のために、
茶室は寒いからと白い足袋をつくってあげたらしい。
それから白足袋が使われるようになったそうだ。
0637人間七七四年2009/05/02(土) 10:49:37ID:vh23FbHJ
>>632 いや、大阪夏の陣後、松平を賜る話もちかけられてるよ。
−家康は忠興の戦功に報いるため土井利勝を通じて、秀吉から与えられた
羽柴の姓を止めて松平姓を下賜しようとした。しかし忠興は「徳川ならば
御願い成さるべきか。松平は源氏の名字にてもなく、羽柴と同意なり。」
と言い放って松平姓を拒否し、室町期以来の姓である細川氏に戻ることにし
た。利勝は家康の手前なんとか受けるよう説得したが「(元来の)家の
細川にて候わん」とはねつけたという−
0638人間七七四年2009/05/02(土) 10:59:37ID:SCHixyT7
まあ細川は、羽柴や松平どころか、豊臣徳川よりよほど名門だしねw
0639人間七七四年2009/05/02(土) 14:50:19ID:oQQwtK6G
あのころの忠興、徳川幕府の政策顧問というか、
えらい勢いで徳川の官僚達と手紙のやり取りしてなかったっけ。
新政府の法令面や政策面で、かなり寄与してたと聞いたんだが。
0640人間七七四年2009/05/02(土) 19:07:25ID:/gRIJkRe
昨日の「必殺仕事人−武士の異常愛−」って忠興がモデル?
0641人間七七四年2009/05/04(月) 08:30:12ID:74q1/Y3p
>>638
重臣に、長岡とは名乗らせるけど細川はダメ ってのは
やっぱりそのあたりの自負があるからなのかねえ。

藤堂・蒲生・黒田あたりは、主君と同じ苗字を名乗らせている。
0642人間七七四年2009/05/04(月) 11:51:46ID:EEiOh9aI
>>618 コンビにに売ってた[戦国検定]でも「忠興に嫁いだのは信長が図った
政略婚姻であったが、二人が稀に見る強い愛で結ばれたことは知られるとこ
ろ」となってたけど、忠興の<片思い>じゃなくて最近の解釈って<両思い>
なのか?
0643人間七七四年2009/05/04(月) 14:00:44ID:4QWdzgkb
>>637
えっと
なんかの文書に羽柴忠興って見たなあ、文書は忘れたけど
羽柴松平の賜姓は適当な勲章みたいな感じなないか
前田利家が羽柴筑前って呼ばれて喜んでたくらいだし
0644奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/05/05(火) 09:27:09ID:GiSJzL8s
豊臣羽柴の姓バラマキと松平のバラマキは総じて血の濃さに差があるけどね。
0645人間七七四年2009/05/05(火) 12:33:25ID:hIiqKVnA
秀吉は陪臣にまで豊臣や羽柴姓を下げ渡してて、どうにも節操が無い。
0646人間七七四年2009/05/06(水) 15:11:00ID:qOliZqPk
>>641 あと自分の名を一字与えたりとかはしてたみたいだが(加賀山隼人に対して「興良」とか)

>>643 蒲生氏郷とか大概の武将は「羽柴」賜ってたし。そういう風潮だったんでしょ。
   あの頃から関ヶ原にかけての書状の宛名も、忠興に限らず皆「羽柴○○」に
   なってるし。
0647人間七七四年2009/05/06(水) 23:52:44ID:GWzdGZtY
>>637
この話って出典は何ですか?

>−家康は忠興の戦功に報いるため土井利勝を通じて、秀吉から与えられた
>羽柴の姓を止めて松平姓を下賜しようとした。しかし忠興は「徳川ならば
>御願い成さるべきか。松平は源氏の名字にてもなく、羽柴と同意なり。」

徳川ならばまだしも、源氏の由緒ある苗字でもない松平なんていらない、
羽柴と同じような価値しかない って解釈でいいんですよね?

由緒ある苗字を大事にして羽柴も貰わなかった、同じように松平も遠慮しますって理屈なら、まあスジは通っていると思うけど。
羽柴は貰ったのに松平は拒否するってのは、徳川家に対して、豊臣家に対するほどの忠誠心はないと
難癖つけられかねず、松平を貰った他大名にも反感を持たれるのではないか、そんな断りかたをするかなあと。

あと、土井利勝って秀忠の側近で、家康の側近ではないと思うので家康から利勝を通じてってのも、ちょっと疑問。
家康側近から内々の打診があって、形式としては将軍秀忠から利勝を通じて松平と名乗る許しを貰う
という流れなら自然だけど。
0648人間七七四年2009/05/09(土) 00:55:45ID:dlIgCBlv
幽斎は息子のキチっぷりをどう思っていたのだろう
忠興の嫁のガラシャがむしろ親父の方と仲が良かったみたいだから
歪んだのはそのせいだろうか?
0649人間七七四年2009/05/09(土) 06:57:06ID:8KGfg2kI
「忠興、諸事厳正に過ぐ」と、父の幽斎に告ぐる者あれば、
忠興の老臣を呼びて、古歌二首を書きて与へらる。


 『逢坂の関の嵐の寒けれど、行方知らねばわびつつぞぬる』

この歌の心を察せよ

 『まこも草つのぐみ渡る沢辺には、つながぬ駒も離れざりけり』

此の歌の心をよく思慮されよと忠興にいへ」

と教訓させられけり
(常山紀談)
0650人間七七四年2009/05/10(日) 18:29:45ID:Wt/5PuSk
>>647 「武家と天皇」(岩波新書)の中で紹介されてたが。
0651人間七七四年2009/05/11(月) 21:41:22ID:UF6f7Xeo
>>642 「夫と別れたい」と伴天連に手紙送ってんだから、
    やっぱ忠興の一方通行だろう。
0652人間七七四年2009/05/11(月) 22:01:21ID:i+8UkPpU
>>651
それは愛情とは別の問題だろ
0653人間七七四年2009/05/12(火) 02:41:28ID:+BaypHt8
>>652
貴殿は独身者でござるか?
これが愛憎問題でなくて(ry
0654人間七七四年2009/05/12(火) 09:54:52ID:jPagyO9i
>>653
宗教問題
0655人間七七四年2009/05/12(火) 21:27:05ID:ee0mnk9p
今週の週刊朝日の特集記事<戦国武将に学べ>みたいな記事で
蒲生氏郷たちと一緒に幽斎取り上げられてたな。
(さすがに忠興は載っとらんが・・・)
0656人間七七四年2009/05/12(火) 22:01:11ID:6nBlsbYI
DV問題でもあるな。
一緒に入信した侍女の鼻削いだり、会話した下人を面前で斬り捨てるなど
本人に手を上げるより余程キツいわ。
0657奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/05/13(水) 06:14:37ID:yrKYYm/s
キレ芸なんだろうな。
0658人間七七四年2009/05/16(土) 21:39:19ID:KPr8LDBA
新興宗教にはまった妻、夫のDV、女性側からの離婚とまあ現代的な夫婦だ
0659人間七七四年2009/05/19(火) 00:19:14ID:apjGrvoK
幽斎の書道て何派っていうんだっけ
0660人間七七四年2009/05/19(火) 12:28:14ID:8UYEbsep
某やる夫スレで藤孝がメインで取り上げられてたな
あらゆる作品でチョイ役としてしか取り上げられてないから少しうれしかった
調べれば調べるだけ凄さがわかる人なんだがいまいち有名になれんのは何故なのか?
0661人間七七四年2009/05/21(木) 23:07:56ID:Np8sW7hJ
この時代について齧った事のある人なら絶対知ってる有名人だと思うけど
幽斎に限らず、この時代の様々な出来事へ、その当時から表向きに・大っぴらに関わったり、
自他から派手に宣伝する事やチャンスが無かったからじゃね?

下克上を成し遂げ、永禄4年頃に機内なり地方なりに一大領国を持つようなポジションにいたり、
家中に独自色の強い分国法を持っていたり、軍事・経済で革命的な制度を実施して大成功の結果を収めたりすれば
教科書に載る様な有名人になるようなチャンスがある可能性は普通に高いと思うなあ
ただ、それも結局、別に細川幽斎に限った話じゃあ無いんだけれどw
0662人間七七四年2009/05/28(木) 23:27:16ID:2oJwMamR
東京国立博物館の新収蔵作品として珠の消息が展示されてて、
内容が忠興を気遣う(!)内容の手紙だとか、署名もガラシャになってる
という話だが・・・
0663人間七七四年2009/05/29(金) 23:34:21ID:ZNP5GH7T
徳川家康は関ヶ原の行賞で細川家を京都の丹後地方から遠い九州に転封したのは昇進?
加増には違いないけど、秀吉が黒田を九州に封じたと同じ理由では?
畿内に置いておきたくなかったんじゃ・・・・・・・信用できないし・・・・・・・・
0664人間七七四年2009/05/29(金) 23:39:06ID:lK84txWP
どう考えても昇進。
畿内には豊臣対策として徳川勢力を入れるのはわかりきった事。
天下を望まない以上あれは昇進。
0665人間七七四年2009/05/30(土) 00:02:34ID:qqGu2znd
細川家に仕えてた木っ端役人の裔だが、
あれは「島津に変な動きあったら防波堤になれ」
ということで監視役。だとウチでは教わった。
0666人間七七四年2009/05/30(土) 15:53:47ID:ERnWcsMZ
>>663
家康が、「他の大名が反乱起こしても、細川は絶対にそういうことはしない」とか言ってたような。
大坂への出陣も他の九州の他の大名が家康に従うのを確認してから、細川氏は出発したとかいう話もあるし、
忠興の隠居分の軍役免除しえもらったりと、徳川氏からは優遇されてもいますね。

島津の押さえは肥後(加藤氏)で、細川氏の任務は黒田・毛利の押さえだったのでは。

島津と細川って幽斎時代から付き合いがあって、島津の江戸留守居役なんかは
忠興にいろいろアドバイスを求めたりしている。
0667人間七七四年2009/06/05(金) 22:26:09ID:aRHyqgV8
忠興みたいなオタク気質の男ってなんだかんだで男同士から好かれるね。
で、忠興は光秀に憧れてたんじゃないかな。
たまはファザコンでデウス様=父上と思って心の支えにしてたのでは。
0668人間七七四年2009/06/05(金) 22:49:12ID:jhaUdT5l
>>662 出先にいる忠興に自分や家中が息災でいることを伝える内容で、
宛名が「忠興殿」で差出に「がらしゃ」となっていた。
入信した天正15年以降だろうと解説されてた。
0669人間七七四年2009/06/05(金) 23:02:11ID:1KxNSi3N
消息って、もと永青文庫にあった、細川家のヤツ?
0670人間七七四年2009/06/08(月) 19:08:46ID:y2KuV3Ft
>>669 永青文庫のじゃなくて、幽斎の短冊、忠興の茶事控書と一緒に
個人から国立博物館に寄贈されたもの。
0671人間七七四年2009/06/08(月) 22:55:12ID:9CIXvWjw
舞鶴の田辺城のパンフだと「忠興は離縁・幽閉という形で領内の山奥深くに
匿いました。これは忠興が玉を守ろうとする苦肉の選択であったに違いあり
ません。」とあったが・・・。地元だしホントのことは書けないよな。
0672人間七七四年2009/06/11(木) 15:38:18ID:cjobHIRZ
忠興は川崎麻世のイメージ。
0673人間七七四年2009/06/13(土) 08:12:21ID:1syorh9y
幽斎の晩年 老耄(ぼけ)
忠興の晩年 アルツハイマー
0674人間七七四年2009/06/13(土) 08:38:29ID:/82syVKA
細川家は愛妻主義でしょう?玉を溺愛することがいけないことでしょうか?いけないことでしょうか?いけないことでしょうか!?
0675人間七七四年2009/06/13(土) 12:05:18ID:xAfX75KR
溺愛と言うより変愛だ罠
0676人間七七四年2009/06/13(土) 12:06:59ID:N9lv0XnJ
なんであれ、深く愛するのはOKですが、
溺愛はそれだけでダメです。


実際問題、明智が謀反起こした後、
お玉を軟禁してはいるけど、離縁はしなかった
っていうのは、かなり特異なことだと思う。
それが他から見て健全な「愛情」だったかはともかく、
もの凄く深く執着してたことは確かなんじゃないかと。
0677人間七七四年2009/06/13(土) 17:33:52ID:owteML5x
玉に利用価値があったからぢゃ・・
0678人間七七四年2009/06/13(土) 20:51:25ID:VqZFgTkc
ねぇよ
0679人間七七四年2009/06/13(土) 21:21:55ID:o784Fl9E
むしろ足手まとい
0680人間七七四年2009/06/13(土) 21:25:24ID:N9lv0XnJ
というかアレ、
細川家も明智の郎党とみなされて滅びる危険性と、
お玉への個人的な愛情はかりにかけて、
お玉への愛情(別に執着でもいいけど)とった、
ってくらいの重い決断だったと思うよ。
0681人間七七四年2009/06/14(日) 09:05:28ID:5mkyKHEA
忠興さんは究極の愛の戦士なんだよ…!
0682人間七七四年2009/06/14(日) 09:48:16ID:0dYe9WXb
何がそこまで良かったのでしょう?
それで何で夫婦喧嘩ばっかしてたの?
玉がワガママだったの?
0683人間七七四年2009/06/14(日) 10:20:06ID:kqwGmtop
そりゃ一方的かつ自分本位な愛情ってのは(ry
0684人間七七四年2009/06/14(日) 13:39:41ID:CR7r7MPD
夫婦喧嘩ばっかりしてたってのも後世の小説の妄想でしか…
0685人間七七四年2009/06/14(日) 19:25:17ID:BVTI+0Zg
>>682 細川家記に載ってる「鬼蛇の話」がインパクト強すぎて、小説や特集記事とかで
それがよく引用されて夫婦喧嘩ばっかしてるみたいなイメージになったんだろうね。
でもこの記録よく読むと、忠興は家中では恐れられていたけど、珠には頭が
上がらなくて珠の方が一枚も二枚も上手って感じだ。
0686人間七七四年2009/06/15(月) 02:59:20ID:8S4gep0H
>>685
「日本一凶暴な大名」とか言われてたと思ったけど、そいつをして
最終的に信仰を認めさせてるあたり、惚れた側の弱みなんだろうか。
0687人間七七四年2009/06/15(月) 22:12:00ID:nmj/QppU
>>686 「そちがキリスト教を奉じたければかまわない」
とあっさり許可しちゃったり礼拝堂作ってやったりしてるしね。
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