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細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ

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0001人間七七四年2007/02/17(土) 21:24:53ID:kgpQVoWf
戦国時代を代表する文化人幽斎と
幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
0538人間七七四年2009/01/03(土) 11:10:29ID:FBNQUYm1
忠興は禁止令出すくらい衆道嫌ってたのに..
0539人間七七四年2009/01/03(土) 23:47:21ID:2YBVeM51
忠興は干し柿が好物だったそうで、三成はそれをダシに関係修復を
試みたけどダメだったつう話が残ってるが
三成もつまんない手を使うね
0540人間七七四年2009/01/03(土) 23:49:43ID:pCwaVxZQ
>>539
そんな珍説があるのかw
0541人間七七四年2009/01/04(日) 00:28:29ID:QI5j83zM
干し柿とはまたw
0542人間七七四年2009/01/04(日) 01:00:44ID:z9ZA/feM
忠興の頑固さっつーか三成の付き合い下手が忍ばれるお話ですなw
つーかそんなんで吊れたら苦労しないだろ。相手忠興だぞw
0543人間七七四年2009/01/04(日) 01:32:30ID:+xI16PLc
>>539
これか

石田三成と細川忠興が仲たがいをしていたのだが、石田三成からの申し入れで、前田玄以を仲介して
仲直りすることになった。
その席で、三成は、忠興に仲直りの挨拶もせずに、盆の上に載せた柿を忠興の前に置いて、
「越中守(忠興)は柿が好物だと聞いたので持参致し候。それがしのことは気にせず食して頂きたく候」
と云った。
0544人間七七四年2009/01/04(日) 01:42:28ID:JJV5PSvR
>>543
こんな不自由な人が実在したことも政権の中枢にいたことも信じられないネタに違いない
反射的にそう思った
0545人間七七四年2009/01/04(日) 01:44:29ID:+xI16PLc
子供をあやしてるわけじゃないんだからなあw
0546人間七七四年2009/01/04(日) 11:49:54ID:z9ZA/feM
>>543
これはちょっとシャレにならんくらいひどいなw
同席していた(と思う)前田玄以の心境や如何に!
0547人間七七四年2009/01/04(日) 21:34:45ID:jm6GqbrW
>>543
仲直りどころか、火に油を注いでるだけだな。
つーか忠興もアレだけど三成の対人交渉能力も結構破綻してるんだな。
0548人間七七四年2009/01/05(月) 15:56:34ID:9mxzZfPm
忠興の性格について家族よりコメント
「性格が豪強」父・幽斎より
「引くことを許さない人」妻・玉子より
「人の言うことを少しの疑いもなく受け入れ、
感じたままを受け入れる人」息子・忠利より
0549人間七七四年2009/01/07(水) 20:57:41ID:x9mu8Fcp
>>543
逸話のネタ元は何だよw
0550人間七七四年2009/01/07(水) 21:16:10ID:7cxILCkm
>>549
細川家の文書「綿考輯録」
0551人間七七四年2009/01/07(水) 23:59:35ID:IOwowkqR
>>548 『戦国悪い話4」で質問出てたんで、忠利コメントの解説。
   忠利が酒井忠勝に宛てた書状の一文。文面からすると
   「(一徹な、激しい性格は)幼児のような純粋で邪気のないもの」
   という意味らしい。
0552人間七七四年2009/01/08(木) 00:14:29ID:zx7zh/8V
>>551
父親の事良くわかっているなw
0553人間七七四年2009/01/08(木) 01:42:13ID:lFWkb6P1
>>551
質問した人間です。
良く分かりましたー。
ありがとう。
0554人間七七四年2009/01/11(日) 07:01:03ID:aVSN3n2Q
関係ないけど、江戸時代の商家の記録で細川家は、
「絶対に金を貸しても返ってこない家」として有名だった。

「もともと武家は策謀のお家柄なので、返す返すといいつつ、
はぐらかしてまったく返さない。特に細川は・・・」

っていう記録がたくさんある。基本的に大名家ってあまり返さない
から、”大名貸し禁止”が家訓第一条に書いてある三井家なんてのも
あるんだけど、細川は特にひどいらしく多くの商家の記録に
悪口が書いてある。
0555人間七七四年2009/01/11(日) 07:22:19ID:xMDkjK9G
そりゃー
農民から搾ると一揆を誘発して家を潰しかねないが
商人から金借りて返さなくても家は潰れない
って家だからなぁ
0556人間七七四年2009/01/11(日) 07:30:38ID:aVSN3n2Q
基本、大阪商人だからね。金借りるの。熊本ではたいした商人がいないし。
だから、金返さないと、あっさり金貸してくれなくなるよ。
島津なんて、家老まで出てきて番頭に頭下げないと貸してくれなくなっていた。in大阪
0557人間七七四年2009/01/11(日) 09:24:20ID:bxCXrw++
>>554
おかげさまで熊本城を初めとする数々の文化遺産を現在の我々も愛でられるのですから
商家の皆さんご苦労さんとしか言いようが無い。
0558人間七七四年2009/01/11(日) 10:48:46ID:FwDAlKBr
肥後・細川家の財政を傾けさせたのは綱利の代から。
家老の松井から諫言受けるほど、相撲に熱中したり派手好きだった。
(忠利・光尚は倹約してたんだけど)
0559人間七七四年2009/01/11(日) 11:38:32ID:BAKyhOme
>>556
そりゃ、島津の借財整理ひどすぎるもんw
0560人間七七四年2009/01/11(日) 21:49:23ID:/gELtD7W
森鴎外「渋江抽斎」に、他の大名家の養子に出された熊本細川家の4男坊が、
東海道を家来数人とその領地に向かうも貧乏道中。
医者の渋江家から金を持ち出し出奔した渋江の放蕩息子と出会って意気投合。

その金で何日も宿場で遊興したとかあったような。


0561人間七七四年2009/01/12(月) 08:49:35ID:snBiBP94
忠興・忠利の書状に「借銀」の話が結構あるし、幽斎もお金がほしいって
歌に詠んでるくらいだから代々借金してるの当たり前だったんだろうな。
0562人間七七四年2009/01/12(月) 09:02:47ID:bOnr53mt
そんな早い時期から……
0563人間七七四年2009/01/12(月) 09:30:43ID:rkujnnZT
>>561
江戸幕府の体制が固まるまでは、「また戦争状態になる」ことをどこの大名家でも想定しているから、
いくら金があっても足りないってことなのでは。

商人なんかに金を(無理やり)貸して、高金利で取り立てるなんてことは、多くの大名がやってたって
解説を読んだことがあります。


0564人間七七四年2009/01/12(月) 15:24:11ID:snBiBP94
経済的に余裕ないから幽斎は側室置かなかったし、忠興も丹後時代はあんまり
側室いなかったのでは?
0565人間七七四年2009/01/12(月) 21:54:51ID:ey5hNEc7
>>563
いつでも戦争状態で、そんな金を貸して無理やり取り立てるなんて
ことができた時代にはそんな回りくどいことをやらなくても、
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
0566人間七七四年2009/01/12(月) 21:59:56ID:SFPqod9w
>>565
戦国大名ってものを何もわかってないな。
0567人間七七四年2009/01/12(月) 22:03:39ID:ey5hNEc7
>>566
低能っぽい無意味な煽りレスですね。
0568人間七七四年2009/01/12(月) 23:17:43ID:PcoPoMdT
>>565
馬鹿だろ、お前
0569人間七七四年2009/01/13(火) 00:07:13ID:DEV6OOfE
馬鹿はおまえですw
一生気付かないだろうけどねw
0570人間七七四年2009/01/13(火) 00:08:24ID:DEV6OOfE
なんも知らないから、そういうレスしかできないw
0571人間七七四年2009/01/13(火) 00:24:58ID:h1YHRuep
戦国大名が戦争用の物資の確保に関して広域の商取引を行う商人に大きく依存していたところから
説明しないと駄目なのか?

それとも無視したほうがいいのか?
0572人間七七四年2009/01/13(火) 01:04:16ID:cBbRDUly
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
0573人間七七四年2009/01/13(火) 01:07:01ID:h1YHRuep
だいたい戦国時代既に、為替による商取引が広く行われているってことすら頭に入ってないんだろうな。
商人に家に現金があるとか思ってやがる。
0574人間七七四年2009/01/13(火) 01:38:48ID:cBbRDUly
預金は全部銀行に預けられたままとか思ってそうだな
0575人間七七四年2009/01/14(水) 23:55:26ID:jx5w1oT6
忠利くんは義輝さまの遺児を見つけ出して召抱えてるけど、
小さい頃幽斎からいろいろ義輝のこと聞かされてたのかな?
0576人間七七四年2009/01/15(木) 22:25:50ID:nNQLKVFp
直木賞取った「利休にたずねよ」の忠興はかなりらしくって楽しめるよ。
幽斎・ガラシャもいい味出してるし。
0577人間七七四年2009/01/16(金) 00:25:19ID:EkFG22/S
>>575
名門の吹き溜りと化してる細川家中でも、妙に待遇が良いからね。

東国では水戸徳川、伊達、西国では細川はしくじった感のある名門が
あつまっている印象が有る。
0578人間七七四年2009/01/16(金) 11:23:34ID:pSTtypmc
>>575
尾池義辰(玄蕃)?

>>577
拾われた者が、更に人を呼ぶって流れもあったろうね。
0579人間七七四年2009/01/17(土) 19:31:44ID:U1uz9Mqh
明日の出来事
【誕生日】
シャルル・ド・モンテスキュー(1689)、松平定敬(1847)、鈴木貫太郎(1868)
石原莞爾(1889)、おすぎとピーコ(1945)、ビートたけし(1947)、ケビン・コスナー(1955)
片桐はいり(1963)、伊吹公子(不明)
【命日】
細川忠興(1646)、土居まさる(1999)、ザ・シーク(2003)
【主な出来事】
藤原頼道が関白になる(1020)
木村さんが徳川さんの血判が薄いとかなんとか因縁をつける(1615)
ドイツ帝国成立(1871)
大逆事件(1911)
りしょうばんラインをお隣の国が勝手に宣言(1952)
長崎市長が鉄砲で撃たれる(1990)
ライブドア株が売りまくられえらことになって全銘柄取引停止(2006)
アクシズとア・バオア・クーが衝突してゼダンの門壊れる(0088)

振袖火事の日、都バス記念日
0580人間七七四年2009/01/18(日) 21:07:11ID:kF9V3PbP
「へうげもの」で忠興が「立ち飲み喫茶」してたのを
いくらなんでもありえない設定とその時は思ったけど
『三斎流』に立ったままで行う点前<出陣前の点前>
の存在を知って驚いた。
0581 ◆dnoKwkvYg6 2009/01/18(日) 22:05:13ID:kD4HFxzZ
test
0582人間七七四年2009/01/20(火) 09:47:32ID:1enY7nzP
家老松井家当主の話聞いてきた。
昔からそうだけど本家と松井家は姻戚繰り返し、現当主も元首相の従兄弟さん。
今は水前寺公園横の出水神社の神主さんのバイトやってる。
明治廃藩置県、戦後農地解放、折々、
実成のある田畑山林は、耕作者農家が登記。
それはめでたいいいことだけど、河原湿地山岳原野などなど、
荒蕪の地は誰も登記しない→自動的に旧藩主所有。
ということで、熊本県(旧肥後藩)中に、
膨大な細川当主(元首相さん)名義の荒地が残っているそうです。
生産性がないのに毎年資産税は無条件にかかってくる。
たまに、道路や、高架電線で収容、国や公社に買い上げしてもらってるが
他の個人や農家みたいに、先祖伝来とか生活がかかってるという理由で
値上げ交渉ができない。
公示価格の最安値。不労不動産売買につき高額課税。
虫食いの荒れ地が、道路や電線でさらに寸断。
げっそりされてましたとさ。

0583人間七七四年2009/01/20(火) 18:46:25ID:DdiTSrpZ
>>582
>昔からそうだけど本家と松井家は姻戚繰り返し、現当主も元首相の従兄弟さん。
松井氏の地元八代の博物館で系図を見たことがありますが、細川本家とそんな何回も関係してなかったような。
細川の分家筋(内膳家、刑部家、支藩主家あたり)の名前は系図に頻繁に出ていたと記憶しています。
まあ、多少は先祖自慢も入っているのかな。




0584人間七七四年2009/01/20(火) 21:36:16ID:88D5HY5d
>583
>松井氏の地元八代の博物館で系図を見たことがありますが、
>細川本家とそんな何回も関係してなかったような。

本家との婚姻は松井興長と忠興の娘、
あとは元首相のお父さんの後妻が松井さんというぐらいだと思う。
0585人間七七四年2009/01/21(水) 22:22:57ID:09GObg2K
それから、興長夫妻には子がなかったが忠興六男(寄之)が養子に入って
松井家継いでる
0586人間七七四年2009/01/28(水) 23:02:10ID:dfOs0Pjz
来週の「日本史サスペンス劇場」はガラシャの話だから
忠興さまの数々の名場面(庭師切捨→鬼蛇夫婦・侍女の耳鼻削ぎ)が
見れるかな。野村宏伸が演るらしいが・・・
0587人間七七四年2009/01/29(木) 02:40:38ID:3aGIzaGQ
忠興が一番仲良かったのって森忠政だろうか。

やけに細川家の記録なのに名前が出てくるんだがw
0588人間七七四年2009/01/30(金) 19:08:59ID:zYXWPSvp
忠興は信長の近習だったらしいけど、堀秀政との接点は無かったんかな。
0589人間七七四年2009/01/31(土) 20:02:00ID:2BkgI8gs
>>587
忠政の死因が割れたのが細川家の書状だったりするし交友は相当深いと思う。
0590人間七七四年2009/02/01(日) 00:52:54ID:T+YnKX8t
>>587 一番かどうか知らんが、森忠政主人公の小説に忠興と親しくしてるエピが入ってる。
あと実際に残っている話として>>97より
@秀吉死後、文治派が家康を討とうとした時忠興と共に家康の屋敷に駆けつけて
「両家の真心は徳川家が続く限り忘れない」と家康に感謝された。
A忠政が津山城を普請する時、家臣に命じて密かに小倉城の城郭図を写し取らせようとしたが
見つかってしまい捕らえられたが事情を話すと、以外にも忠興は城郭図を貸し与えた。
更に津山城落成の折にお祝いとして南蛮の釣鐘を贈っている。
−なんかの本で忠興の度量の大きさを伺わせる話(!)として紹介されてた。
0591人間七七四年2009/02/01(日) 01:16:59ID:T+YnKX8t
「千世と与一郎の関が原」という面白そうな新刊本が出てた
0592人間七七四年2009/02/02(月) 20:22:17ID:Q79JqFlw
忠興の評判<『伴天連追放令』頃>
@日本で最も凶暴な大名(フロイス談)
A屋敷内に5人も側女をかかえガラシャを苦しめ虐待している(オルガンチノ談)
0593人間七七四年2009/02/02(月) 20:25:20ID:jHcr0HH1
バテレンの評価は話100分の1くらいにして聞くのが正解。
0594人間七七四年2009/02/02(月) 20:35:01ID:qVSfIzeZ
>>593
そうだな。宣教師の史料って、キリスト教に好意的か否かで
全然評価が違うんだよね。
そういえば、最終的に忠興ってガラシャの信仰を認めていなかったか?
0595人間七七四年2009/02/02(月) 20:44:08ID:jHcr0HH1
>>594
いいや?認めてるよ。忠興本人はキリスト教に入信する事はなかったが。
0596人間七七四年2009/02/02(月) 21:25:51ID:bBFsGyj8
>>592
最初のは間違ってないだろw
0597人間七七四年2009/02/02(月) 21:30:33ID:db0dNjZo
森長可よりは穏やかだと思うんだが
0598人間七七四年2009/02/02(月) 22:31:35ID:s31l0lhE
>>597
同意語:「死なないだけマシ」
0599人間七七四年2009/02/03(火) 04:23:38ID:OcktrhOl
森さんは遭遇したら諦めがつくけど、忠興は普段は常識人ぽいから性質が悪い。
0600人間七七四年2009/02/03(火) 15:21:07ID:3055Gv7X
新潮新書、島内景二著『源氏物語ものがたり』に当時の第一の学者としての細川幽斎が大きく取り上げられている。
0601人間七七四年2009/02/03(火) 21:00:53ID:t1zCNAlP
>>600 そういや永青文庫の解説では当代一の源氏学者と解説してたな。
0602人間七七四年2009/02/03(火) 21:21:00ID:NPReQuSR
>>594
つーか、普通に考えて、人柄だのを認知できるほど、身近にいれているわけがないんだから、
人物評なんて、全くアテにならないと思っている。
0603人間七七四年2009/02/04(水) 22:07:03ID:DARYFSAV
>>592 今日のサスペンス劇場でも忠興の側室5人と紹介されてたね
0604人間七七四年2009/02/04(水) 23:36:47ID:DARYFSAV
日テレさんガラシャ覗き見した庭師切捨て・鬼蛇問答・乳母の耳鼻削ぎと入れて
くれたはよいがなんかあんま迫力なかったような・・・
ただ一般視聴者には忠興の変態っぷりは十分伝わったかも
0605人間七七四年2009/02/05(木) 01:06:02ID:4Tql5p2O
ひでぇ番組だったなぁ優しい忠興とか、本能寺直後で豊臣とかw
0606人間七七四年2009/02/05(木) 19:08:57ID:YGJsxoAy
長男忠隆の系統に細川隆一郎さんがいることもスルーだったな
あと、忠興と忠利のローマ字の印鑑も(ガラシャ婦人亡き後宣教師と親しくなったため)
0607人間七七四年2009/02/05(木) 23:43:31ID:OS6jKaYa
つくづく>>604のようなことをする人物が、蒲生氏郷・高山右近・立花宗茂
たちと友人とは信じがたいよなあ。
0608人間七七四年2009/02/06(金) 00:25:37ID:wv51c67d
伊達政宗や島津家久や森忠政も友人です
0609人間七七四年2009/02/06(金) 20:43:04ID:RFIaIPDy
一度心を許した人のためなら結構あぶない橋を渡ることも厭わないって点はあると思う。
利休切腹前の見送りや、谷衛友の家督争いに首突っ込んだりとか。

逆に一度関係がこじれると、どうしようもないというかw

0610人間七七四年2009/02/06(金) 22:00:26ID:xAN3K8U3
>>607
高山右近は、利休の弟子仲間。右近も交友関係がきわめて広かった。

蒲生家、細川家とは足利家を通じた古い付き合いがあったのでは。

立花宗茂とは、秀忠の時に一緒に相談役だったという以外に、
九州が封土の大名で付き合い大事、とうことでは。
立花宗茂、伊達政宗、藤堂高虎、忠興が肥後に行く前までの黒田長政も友人。

この当時の大名というのは、社交も戦場と同じく必死に大事。
小大名の木下延俊の慶長日記でも、ありとあらゆる大名家と毎日訪問しあい、
茶会や夜話で、毎日分刻みのスケジュールだった。
0611人間七七四年2009/02/08(日) 19:30:47ID:nCKrNpSs
テレビ(九州朝日放送)の歴史シリーズ「細川ガラシャ」の回では、暴君・細川忠興
の元に嫁ぐと紹介されてたぞ
0612人間七七四年2009/02/08(日) 21:08:10ID:f1iSKCqm
>>610
宗茂の第2夫人である八千は細川幽斎からの紹介らしいから
宗茂とは慶長の役の前から付き合いがあったみたいだね。
0613人間七七四年2009/02/11(水) 22:28:27ID:gOPqC+GC
忠興って83まで長生きしたせいか健康で丈夫なイメージあるけど
記録には結構病気してる表記があるとこみると実は病弱?
0614人間七七四年2009/02/11(水) 22:29:36ID:gOPqC+GC
忠興って83まで長生きしたせいか健康で丈夫なイメージあるけど
病気してる記述が結構あるとこみると実は病弱だった?
0615sage2009/02/11(水) 22:33:56ID:er/ERH9q
2回書かなくちゃいけない位 大事な事だったの?
0616人間七七四年2009/02/12(木) 01:47:31ID:EJKm/B6l
病気してもなかなか死なないほど頑強だった
0617人間七七四年2009/02/12(木) 08:37:13ID:wr17EK05
身体が弱いと普段から養生するように心がける。
0618人間七七四年2009/02/17(火) 21:11:30ID:RoSpz4C1
忠興や歴代藩主とガラシャがご祭神になっている熊本<出水神社>の
『縁結びお守り』には次のような説明が・・・
−ご祭神・忠興公と玉姫は信長公の仲取持で縁組し、世の荒波にもめげず
仲睦まじく子宝にも恵まれ、深い愛の絆で結ばれて幸福に暮されました−
0619人間七七四年2009/02/19(木) 22:07:18ID:bwjfqjqV
その忠興の「深い愛」というのが何やら背筋が寒いです
0620人間七七四年2009/02/21(土) 23:52:02ID:wmk0zHb2
今だったらモンスター・ペアレントで、夫婦で
学校に怒鳴り込んでくるだろうね。

で、警察来たら別人のように知的に振る舞う・・・
0621人間七七四年2009/02/22(日) 02:07:23ID:6dJ+VIDr
>618
モノは言い様だな
0622人間七七四年2009/02/22(日) 02:25:25ID:Ro4dmiwk
この父子のうち、いづれがより男色好きだったのですか?
また、この二人の主な衆道相手を知られて居る限り教えて下され。
よしなに頼み入り申す。
0623人間七七四年2009/02/22(日) 06:04:30ID:8vPdGfN3
断る。
0624人間七七四年2009/02/23(月) 03:42:26ID:ilW4Ke45
たぶん、糞リアリストの細川親子に男色をたしなむほどの気概はありません
0625人間七七四年2009/03/05(木) 22:29:40ID:4cQqy/wJ
幽斎正室の麝香ってゴージャスな名前だよね。幽斎が名乗らせたんだろうか。
0626人間七七四年2009/04/19(日) 20:10:49ID:o1DLDTJa
忠興は横山裕のイメージだなあ
0627人間七七四年2009/04/19(日) 20:52:06ID:QWyceQ9x
酒と女に飽きたときに文芸に向かうか新境地に向かうか。
いつまでも飽きないサルもたまにいるけどな。
0628人間七七四年2009/04/19(日) 20:59:58ID:wH//T63r
忠興って夏の陣終了まで羽柴の名字を名乗ってたそうなんだが・・・
どういうわけで?細川の名がいやだったのかな?
0629人間七七四年2009/04/19(日) 21:05:05ID:YKLMi7VR
>>628
姓と名字の違って知ってる?
0630人間七七四年2009/04/19(日) 21:07:03ID:3jLZXkR3
そういえば前田もずっと羽柴筑前守を使ってるよな

幕府的に問題はないのか
0631人間七七四年2009/04/19(日) 21:10:20ID:m7Cd02I7
苗字って字使うと混乱しないですむよ。
0632人間七七四年2009/04/19(日) 21:14:48ID:QWyceQ9x
細川家は50万石超なのに松平貰ってないのか。
0633人間七七四年2009/04/19(日) 21:21:39ID:wH//T63r
>>572
そんなことしようものなら、日本の商人全員からハブられますが?
0634人間七七四年2009/04/19(日) 21:31:33ID:QWyceQ9x
まあこれが幕末になると、御用金強盗の連中が天下取ったりするわけだが。
0635人間七七四年2009/04/20(月) 06:04:26ID:VuQHkljk

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0636人間七七四年2009/04/26(日) 17:20:07ID:PeByG20i
母・麝香は(珠という説もあり!)忠興のために、
茶室は寒いからと白い足袋をつくってあげたらしい。
それから白足袋が使われるようになったそうだ。
0637人間七七四年2009/05/02(土) 10:49:37ID:vh23FbHJ
>>632 いや、大阪夏の陣後、松平を賜る話もちかけられてるよ。
−家康は忠興の戦功に報いるため土井利勝を通じて、秀吉から与えられた
羽柴の姓を止めて松平姓を下賜しようとした。しかし忠興は「徳川ならば
御願い成さるべきか。松平は源氏の名字にてもなく、羽柴と同意なり。」
と言い放って松平姓を拒否し、室町期以来の姓である細川氏に戻ることにし
た。利勝は家康の手前なんとか受けるよう説得したが「(元来の)家の
細川にて候わん」とはねつけたという−
0638人間七七四年2009/05/02(土) 10:59:37ID:SCHixyT7
まあ細川は、羽柴や松平どころか、豊臣徳川よりよほど名門だしねw
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