>>503
「忠利の病気、ずっと私に隠して、良い良いとばかり言っていたので、そうかと思っていたところ、
今日十四日、急に危篤だと知らされ、驚いて八代を三時半後ごろに出、熊本に夜の十時に付き、
忠利の様子を見たところ、もう駄目で、私の事もわからず、目も明かない様子だった。

ああ…、とにかく酒井殿や柳生殿に相談してお暇をもらい、急いで帰国してきてくれ。
私は混乱して、なにがなんだかわからない」


やっぱり人の親ですよね。
忠興八十歳の時の賀歌

 思いやれ 八十のとしの くれなれば そこはかとなく 物ぞかなしき

臨終の言葉

『皆共が忠義、戦場が恋しきぞ!いづれも稀な者共ぞ!』