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細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ

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0001人間七七四年2007/02/17(土) 21:24:53ID:kgpQVoWf
戦国時代を代表する文化人幽斎と
幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
0441人間七七四年2008/05/10(土) 17:07:51ID:qgDgTJwR
Wiki見てたら妻絡みの性格は置いとくとして
藤孝より忠興の方が結果的に有能な気がしてきたんだけど違うのかな?
具体的な戦歴・諜報活動も多いし、最終的に得た石高も多いし。
0442人間七七四年2008/05/10(土) 17:19:16ID:qgDgTJwR
あと、関係ないんだが
忠興・興元の生まれも母親も同じってなってるんだが
同年内に2人生んだってこと?双子じゃねえよな?
0443人間七七四年2008/05/10(土) 17:29:24ID:RkLZIRmk
>>442
忠興の生年月日がだいたい固定されている一方で、興元の方は諸説あり。
wikiは、一番あてにならない説を引用したのかも知れません。
0444人間七七四年2008/05/10(土) 17:31:19ID:qgDgTJwR
>>443
なるほど。では他の説では何年生まれ説があるんですか?
0445人間七七四年2008/05/10(土) 17:48:11ID:RkLZIRmk
1564〜1566年まで。
ちなみに1562年説もありますが、これだと忠興の同母兄となってしまいますので、
こちらの信憑性にも疑問符が付きます。
0446人間七七四年2008/05/10(土) 21:14:56ID:qgDgTJwR
>>445
ありがとう。参考になった
0447人間七七四年2008/05/16(金) 13:00:51ID:hA9mjLqq
幽斎は普通に有能でしょう
0448人間七七四年2008/05/18(日) 18:32:48ID:E8BQj1Rd
南禅寺・天授庵に幽斎・興元の墓があり、大徳寺・高桐院に忠興ってことは
やっぱ別家という意識からかな?
0449奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/05/18(日) 21:04:34ID:76mLoTKx
そうだろね。
0450人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/01(日) 18:23:30ID:cccVKFL4
>>448
そうだろうね。
興元は藤孝の跡を継いだと思われる証拠を多分に残しているし
忠興は強く細川輝経家の継承者を意識した伝承が残っているから。
藤孝と忠興は血がつながってるのに無茶苦茶仲悪かったらしいね。
0451人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/02(月) 15:17:18ID:l3UODRpp
藤孝と忠興は実の親子でも系譜上違う家の人間てことか・・・。
勉強になりました。
藤孝の細川より輝経の細川の方が格が上なの?。
細川昭元さんちが一番いい細川なんだよね?
京兆家ってゆーんでしょ?。
0452三十吉@86石(わらじ取り)2008/06/02(月) 21:04:18ID:Mr61WVQp
京兆家は細川家嫡流だし、「格」としては上。
ただ一番いい細川家・・・かはわからん。
徳川の松平だって嫡流は信康で終わりだし。
0453人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/02(月) 21:04:57ID:Mr61WVQp
しまった、誤爆った。
0454人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/02(月) 21:52:04ID:8y8CGmFI
全然誤爆じゃないように見えるのだが
0455人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/02(月) 22:14:28ID:CAauaSF4
京兆家も細川家本来の流れからすれば、傍流なんだけどね。
0456人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/04(水) 16:07:57ID:GVXMRJtN
和氏の子孫か
清氏と正氏の後も続いたらしいけど・・・
0457人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 15:14:48ID:SJHvhUSz
>>455
たしかにそれはそうかもですが、ここではそれは置いといて・・・。
和泉半国守護家と奥州家、家格はどう違うの?。
奥州家とは、どんな家格なの?。
守護になったことはないんだろうか・・・。
0458人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 20:14:26ID:EhU5AiLr
>>452
信康は嫡子だったか否かの立証が難しい。
徳川氏(安祥松平)が松平傍流なのは将軍家が認めている。
0459人間七七四年2008/06/11(水) 13:25:35ID:r0iZiV1n
>>457
細川氏の各守護家の序列としては、
京兆家(讃岐守護家・上屋形)>阿波守護家(下屋形)>その他 みたいだけど
守護家ではない典厩家や野州家のほうが(一般の)守護家よりも権威が高そうだったりするし、
幕府の力が衰えて大名や国人の官位の秩序がくちゃくちゃになってしまった藤孝の時代に
前の時代の家格がそのまま適用するかどうかも判らないと思いますよ。


0460人間七七四年2008/06/12(木) 11:01:16ID:Hysj4nYO
>>459和泉半国守護家よりも守護ではない奥州家のほうが
前の時代には格が上だったってこと?
0461人間七七四年2008/06/12(木) 15:41:20ID:6E+87kt3
ttp://paint.s13.dxbeat.com/up/src/paint_7836.jpg
0462人間七七四年2008/06/12(木) 21:33:10ID:+bWNojXZ
>>460
>和泉半国守護家よりも守護ではない奥州家のほうが前の時代には格が上だったってこと?

全然そんなことは言ってませんが?

守護家よりも、典厩家や野州家のほうが細川一族内では発言力が強いと見られる例がある。
 ・京兆家に養子を出している
 ・京兆家の当主が幼少のときに、代理のような立場になっている
 ・京兆家の屋敷に宴会などで一族が招待されるときに、守護家は招かれず典厩家のみ招かれている例がある
とか。

これが、たまたまなのか(年齢や能力が他の家の当主より上と評価されたとか)、家格として確立していたかは判らないので
守護というポストの有無で、どちらの家が格上なんてことは判断できないのではないかと言いたかった。
0463人間七七四年2008/06/14(土) 20:46:45ID:S+P1gVjc
熊本の県立美術館でやっている永青文庫展に行ってきたんだけど、
細川元常関係の展示のところで、

 藤孝を養子に迎えたのは義晴からの命令があったためだが、元常には実子もいたので不満だったのではないか
 元常は細川家伝来の品を全部菩提寺永源庵に寄進して藤孝には渡さなかった というような解説が付いていました。
 (今は永青文庫所蔵の細川家伝来の品々は、江戸時代に入ってから細川家に戻ったとのこと)

この元常の実子は、その後どうなったんだろう?


0464人間七七四年2008/06/15(日) 11:13:05ID:duuVRLtj
>>463
朝廷に地下の公家として仕えたんじゃなかったっけ?
明治維新が無かったら堂上になってた!と聞いたことがある。
なんでも・・・三代続けて、ある役職をすると堂上になれたそうだ。
もしそうなっていたら官職の上では熊本藩主より上になっていたかも。
堂上なら近衛中将くらいにはなれたんじゃない?。
0465人間七七四年2008/06/22(日) 12:43:51ID:3+3J9Ulw
koeiの戦国無双2だと、ドメ夫さんがガラシャを自殺に追い込んで、
西軍の評価を下げようとしたとかいう悪人設定なんだよなあ。
なんで忠興ってこんなに人気ないんだろ?
0466人間七七四年2008/06/22(日) 20:00:32ID:0BHGImKw
ドメ夫とかいって何を今さらw
0467人間七七四年2008/06/24(火) 21:27:16ID:E93JgY+H
>>467 有名作家(司馬遼太郎、永井路子、松本清帳等)の小説では
どれもガラシャの不幸の大半は忠興にある的な描かれ方してて、みんな
それらを参考資料にしてるからでないの?
0468人間七七四年2008/06/25(水) 21:40:58ID:Cxi8Fguw
忠興好きなんだけどなぁ。イイヨー、理解しがたい文化人

すんごい感性してそう
0469人間七七四年2008/06/25(水) 21:52:45ID:A9rXzuB8
>>468
三斎流の具足は前衛芸術と言っていい。
0470人間七七四年2008/06/25(水) 22:03:32ID:o5uWwlb3
>>465

関が原では他の大名の妻女は無事だったわけで。(ガラシャの行動が人質作戦を頓挫させてしまった側面はあるかもしれないけど)
国許や有力な知り合いの大名家を頼ったりして。
現に細川家内でも、国許に帰るとか長男の嫁の実家の前田家を頼ってはどうかって意見があったのに
結局ああいうことになったのは忠興のせいって思われているからじゃないの?

女性だと嫉妬深くても、あんまり非難されないのは確かにありますね。
前田利家の妻の松なんかも、お手が付いた侍女に対する扱いとか酷いんだが。

0471人間七七四年2008/06/25(水) 22:10:01ID:A9rXzuB8
まあ
ttp://sports.geocities.jp/umazukike/Gv4p0651.jpg
こういうのを考え出せる人間は、やっぱどこか変だと思うんだw
0472人間七七四年2008/06/25(水) 22:24:40ID:Cxi8Fguw
>>471
カコヨスw

ひねり具合にカオスを感じるwww
0473人間七七四年2008/06/26(木) 10:50:23ID:P8B/5YFJ
そもそも忠興って本当にDV男だったのかな
歴史小説はみんなDV設定だけど、本当に愛してるんなら暴力なんぞ振るわんよなあ
侍女とか庭師とか周囲の人間に爆発することはあっても、
ガラシャ自身に直接暴力が振るわれたっていう史料はあったっけ?
0474人間七七四年2008/06/26(木) 11:16:42ID:Vst12sy8
つ DVは肉体的な物ばかりとは限らない
0475人間七七四年2008/06/26(木) 21:48:35ID:0hDOLQhN
周りの人間の首スパンスパンはねたり超束縛してたりは
戦国基準でもDVと言って差し支え無いと思う
0476人間七七四年2008/06/27(金) 13:12:51ID:ja6sOlRd
身近な人間ってのが味噌かねやっぱ。
まぁガラシャがDVと思ってたかはわからんがw
0477人間七七四年2008/06/27(金) 14:29:31ID:U1SZ2OlK
結局は被害者(この場合はガラシャ)がどう思っていたかなんだよね
wikipediaには“夫婦仲はよかった”とか書いてあるが
0478人間七七四年2008/06/27(金) 21:02:06ID:mPgudvkw
愛が強すぎただけさ
0479人間七七四年2008/06/28(土) 13:01:04ID:oNUc6Ycf
いくら玉が美女だったからって新婚の頃はともかく、夫婦を何年も続けていれば愛情の形ももっと穏やかなものに変わっていかないか?
玉がとんでもない色気の持ち主だったのか、それともやっぱり忠興が変人だっただけなのか
0480人間七七四年2008/06/28(土) 13:08:03ID:7yHNqgyE
>>479
そう言うプレイだったんだよ。
0481人間七七四年2008/06/28(土) 14:11:43ID:/5DJatBT
ヤパーリ忠興がhentaiという事でファイナルアン(ry
0482人間七七四年2008/06/28(土) 14:43:50ID:Ulr3GhNu
ここでガラシャhentai説

(ああ、わたしのせいで侍女たちが耳鼻そがれて追放されてるわ…ぞくぞく)

(今度はみさかいなく庭師の首ちょっきんしちゃったわ。かわいいところあるのね。)

「鬼の嫁には蛇がお似合いでしょう。」
(ほら、後悔した顔してる。もっと見せて。)
0483人間七七四年2008/06/30(月) 21:53:05ID:YSxdx837
狂人系大文化人と対等につきあえるガラシャタンもぶっ飛んでるよ。
あぁこの夫婦好きだ…
0484人間七七四年2008/06/30(月) 22:40:11ID:Gh6cKXwx
>>479普通は年を経るについて倦怠気味になってくもんだが、こいつらの場合、
2年も引き離される→好色な天下人に狙われる→キリスト教信仰で騒動etc
と波乱万丈な展開がずっと続いているからね。更に言えば関が原以前は忠興は
結構戦で留守がちだったし、戻ってきても領地の宮津で過ごす日々の方が多く
玉と会えるのは上阪した時だけだった。その分新鮮味が薄れなかった(飽きが
こなかった)んでないの?

0485人間七七四年2008/07/02(水) 21:11:44ID:SvW0IMBx
他スレでの忠興タン罵倒にショックうけたwwwwそんな嫌いなのか…
0486人間七七四年2008/07/03(木) 01:05:17ID:prWwA9Bl
>>484
岳宏一郎の群雲、関が原への二人がそんな解釈だったな。
二人の間に障害があるからこそ愛が燃え上がった的な。
0487人間七七四年2008/07/03(木) 19:49:25ID:SS1N//64
>>485
ひどい癇癪持ちの人殺しだったのは確かかもしれんけど戦国時代の感覚から
言うとそこまで常軌を逸してたわけでもなさそうだし(ちょっとやばいなくらいは
思われてそうだけどw)
ガラシャの軟禁だって実際異常な状態だったか真偽は不明(宣教師の勘違い説)
軟禁したからガラシャが死んだってわけでもないし
キリスト教自体はガラシャの死の前からむしろ保護してる状態だったみたいだし…

自分がひいきしすぎなのかな…そこまで嫌われる要素があると思えん
どっちかというと颯爽とした青年武将期から政治家として縦横無尽に活躍しつつ
文化人としても大成ってイメージが強いわ
0488人間七七四年2008/07/03(木) 21:28:20ID:wYO0yP9Y
>>487
室町期の教養を近世の世に昇華した人、って感じがあるね、忠興には。
0489人間七七四年2008/07/03(木) 21:46:57ID:PxFL+80h
基本的に側室は(主従関係になるんで)忠興に対して従順だが、
珠はいうことを利かないどころか口答えしたり逆らってばかりで
いわゆる「思い通りにならない女」ってとこがポイントかも・・・
0490人間七七四年2008/07/04(金) 11:01:25ID:wfqMJQAI
思い通りにいかない女の方が燃え上がるってわけか
0491人間七七四年2008/07/04(金) 14:56:19ID:y4EWLzc9
>>485 これとか?
20 :人間七七四年:2008/07/01(火) 23:28:34 ID:K+63uZYZ
忠興はどうなん?俺の印象的には悪人

19:2008/07/01(火) 23:57:40 ID:NkN6JFX4
学校で習った限りでは、忠興は文武両道の立派な人だと思ってたんだよ。
それが調べれば調べるほど、
父親や子供への対応とかろくでもない所業が出てくる出てくる。
…文武両道の人であることは間違いないと思うんだが。

25 :人間七七四年:2008/07/02(水) 03:02:17 ID:9xMeYvov
忠興なんて基地外じみたエピソードばかりだもんな


26 :人間七七四年:2008/07/02(水) 03:38:19 ID:IOstKuma
まぁ忠興は、一色氏との戦いで一色義定に姉妹を嫁がせて和睦したあと
義定を謀殺して報復として突撃してきた一色義清を討ったあと
敗残兵を皆殺しだもんな名門のやることじゃない

27 :人間七七四年:2008/07/02(水) 09:05:16 ID:6MfQKday
調べれば調べるほど「こいつの家よく生き残れたな…」と思ってしまう
それが忠興クオリティ


全員じゃないが、住人の中には撫で斬りとかそういう行為への
不快感をそのまま武将の全評価につなげちゃうっていう類の
人もいるようだから、気にしないのがいいと思われ。
0492人間七七四年2008/07/04(金) 15:55:58ID:P8lD+DTW
山本博文の「江戸城の宮廷政治」なんて読むと、忠興と言う人間が、世間全体の流れを的確に読み、
細かい心遣いも勇断も出来、さらに腹芸での政治遊泳も出来る相当な人物だと言うのが良くわかる。
好む好まないは別として、家柄関係なく、現代社会でも間違いなく出世するタイプ。
0493人間七七四年2008/07/05(土) 00:00:44ID:VsbDHP2s
>>491>>492世の中に怨念というものが存在するなら・・
この一族は丹後一色一族および家臣には子々孫々呪われるはず・・
怨念というものが実在するなら・・
0494人間七七四年2008/07/05(土) 13:23:33ID:3LiVirsJ
>>492
そして忠興の性格の悪さもよくわかるという諸刃の剣。

あんなにネチネチと説教されてたら忠利が細々と気を使う(使いすぎて他人に嫌われたりする・・・)性格にもなるわなあ。

黒田如水・長政あたりもやっていることは変らない(地元旧勢力のだまし討ちとか、一族家臣とのぎすぎすした関係など)のに
忠興ほど嫌われることはあまりない気がする。
(長政も好かれるタイプではないだろうけど、生理的に嫌いとかいう評価は少ないイメージが。単に知名度の差?)


0495人間七七四年2008/07/05(土) 18:38:21ID:K3MgVhfU
忠興と長政の世間一般の評価の差は、
美人の妻をDVってたか 妻といちゃついてたか というイメージの違いじゃなかろうか。
家庭での振る舞いひとつで人間性全部を評価されてしまった忠興の不幸とでも言おうか。
0496人間七七四年2008/07/05(土) 18:59:24ID:NlXW5v3Z
そうかなあ黒田長政は病んでる人どころではない嫌われ方してる印象。
性格が地味に普通な上で地味にこつこつ騙し討ちとか裏切りの斡旋とか
嫁離縁とかしてるからある程度仕方ないけどな!
長政好きの俺にもフォローしにくい。
0497人間七七四年2008/07/05(土) 22:46:34ID:nP7N0NL7
DV野郎細川忠興 vs パワハラ野郎黒田長政

・・・藤孝の話題余り出てませんなぁw
まあ忠興が強烈すぎるし
0498人間七七四年2008/07/06(日) 10:14:01ID:k2Ocq0MP
あ、黒田長政か!
長政と聞いてすっげえナチュラルに浅井長政だと思ってた。
なんで浅井が嫌われるんだろう? とか思っちゃったぜ。
0499人間七七四年2008/07/06(日) 16:34:01ID:KkgrOmG6
長政は又兵衛を追放して刺客を差し向けたり迫害した事が男を下げたが、
父親や又兵衛のせいで小物っぽく扱われる事が多い気の毒な人物でもある。
忠興はそこら辺、父とは別に超然としてると思う。
0500人間七七四年2008/07/06(日) 16:51:18ID:K5CrtqJ/
黒田長政
浅野長政
浅井長政
0501人間七七四年2008/07/06(日) 16:56:22ID:dpXF9Nji
山田長政
0502人間七七四年2008/07/06(日) 17:30:03ID:K5CrtqJ/
織田長政
池田長政
上杉長政
小笠原長政
0503人間七七四年2008/07/06(日) 18:40:07ID:Sf/oYdz3
>>492
>山本博文の「江戸城の宮廷政治」
といえば最後の方忠利が危篤に陥った時の忠興の手紙はちょっとぎょっとした
あそこだけ忠興の中の人が違うみたいだった
0504人間七七四年2008/07/06(日) 19:14:15ID:K5CrtqJ/
>>503
「忠利の病気、ずっと私に隠して、良い良いとばかり言っていたので、そうかと思っていたところ、
今日十四日、急に危篤だと知らされ、驚いて八代を三時半後ごろに出、熊本に夜の十時に付き、
忠利の様子を見たところ、もう駄目で、私の事もわからず、目も明かない様子だった。

ああ…、とにかく酒井殿や柳生殿に相談してお暇をもらい、急いで帰国してきてくれ。
私は混乱して、なにがなんだかわからない」


やっぱり人の親ですよね。
忠興八十歳の時の賀歌

 思いやれ 八十のとしの くれなれば そこはかとなく 物ぞかなしき

臨終の言葉

『皆共が忠義、戦場が恋しきぞ!いづれも稀な者共ぞ!』
0505人間七七四年2008/07/07(月) 09:12:23ID:otg/09dN
忠興と長政はそれぞれ能力の似た、より優秀な父親を持っているんだけど
忠興は実にストレートに嫌っているのに対し
長政はすごく複雑にコンプレックス持ったりリスペクトしたり、むつかしいんだよね。

で、親父同士はまったく違ったタイプなのに普通になかよし。
息子同士はいわずもがな。
0506人間七七四年2008/07/15(火) 21:53:25ID:Jn59Nqni
>>504
その本読みたくなった。サンクス
0507人間七七四年2008/07/18(金) 15:04:48ID:6rB/Ehx1
>>505
関ヶ原合戦後、細川と黒田は一触即発の事態になったはずだが・・・
0508人間七七四年2008/07/18(金) 15:10:26ID:zdWOGiYv
>>507
「親父同士が」仲良し、って事だろ。
0509人間七七四年2008/07/18(金) 21:23:11ID:f00myab0
>>42
>>43
長政と忠興は関が原までは普通に仲よかったと思うけど。
三成弾劾の七将にお互い入ってたりするし。(メンバーに異説はあるけど)

仲悪かったら、松井康之が黒田勢に応援頼んだことで、康之に対して根に持ちそうな性格だし。忠興は。

豊前の引継ぎで黒田が先取りした年貢を返さないことが発端で、お互いの重臣の出奔に手を貸したってことで、敵対関係になるけど。



0510人間七七四年2008/08/27(水) 06:15:27ID:okod4AnX
興秋の守役は飯河宗祐らしいけど、他の息子たちは誰がついたんだろう?
0511人間七七四年2008/08/27(水) 21:17:00ID:MDMSw1JK
忠利は小さい頃「自分には兄が二人もいるし、病弱だから養子にやられるか
寺に入るしかない」みたいに嘆いてたそうで、実際愛宕山の福寿院に入れら
れてたそうででちゃんとした守役いたのかな?
同年代にお付の者はいたみたいだけど。
0512人間七七四年2008/08/28(木) 15:14:25ID:uP49F0F9
忠興と父との確執の表れは、お玉との婚姻の時、
羽織の家紋を、細川のものにするか、今の長岡のものにするかで刀を抜いての争いになったり。
本能寺の変の時は、明智に味方しない忠興を父藤孝が殺してまで出陣しようと、もみ合いになり、
忠興が藤孝から刀を奪い、結果剃髪し信長の喪に服すという忠興の考えを通した。
本との親子かいなと思えるようなエピソードがイッパイ
0513人間七七四年2008/08/28(木) 16:34:49ID:tNJlFnDY
やっぱり忠興って鴨川でひらってきた(以下自粛
0514人間七七四年2008/08/30(土) 19:11:04ID:3Wq0o/m3
忠興を鴨川で(鯵のように)開いてきた、に見えた…。
忠興なら侍女とか家臣とか何人か開いていそうだが、
藤孝はそんなことしねーよ、とか素でつっこんでから、
タイポということに気づいた。
0515人間七七四年2008/09/02(火) 02:58:19ID:PlzwlLTB
>>515 tamatukuri
0516人間七七四年2008/10/10(金) 23:37:07ID:ey24eKID
忠興はガラシャに執着しててもその息子たちはどうでもいいみたいだね。
立孝ばかり可愛がるし、宗家は途中で立孝の系統になるし。
0517人間七七四年2008/10/11(土) 16:44:01ID:ta3y7Xth
>>516
忠利とは膨大な数の手紙のやり取りをしてるんだよね。
かなり小うるさく口出しして、忠利も「最近父上はますます
こらえ性がなくなってきた」と書き残していたりする。
0518人間七七四年2008/10/11(土) 23:17:13ID:CMAr796c
奥方好きの遺伝子は幽斎→忠興→忠隆にしっかり受け継がれているようだ
0519人間七七四年2008/10/11(土) 23:32:24ID:Cd646EPf
>>517
>>503にもあるように息子達に愛情が無かったわけではないのだろう。
ガラシャへの仕打ちを考えるとかなり歪んだ愛情みたいだが。
0520人間七七四年2008/10/15(水) 23:54:46ID:PAWxvfJU
忠興の意外な面:
荒木村重の女房衆が処刑される時、同情してた・・・
0521人間七七四年2008/10/16(木) 03:24:52ID:Gjs070Of
地味に松井康之(現代人みたいな名前だな)が好き
0522人間七七四年2008/10/16(木) 18:07:39ID:QDu17a+W
沢村大学が好きな俺は間違なく異端
0523人間七七四年2008/10/20(月) 19:35:30ID:nwbWpE4A
>>520
村重の息子も召し抱えてるんだよね
0524人間七七四年2008/10/20(月) 21:43:57ID:iWeh10bL
藤孝は俺の中では真田昌幸を強化した感じって位置づけだな〜
肥とかの評価は真逆だが、世渡りの巧さといい、戦での実績といい完全に藤孝が上をいってると思うんだがな〜
特に田辺城は篭城戦として考えうる最悪のシチュエーションの中であの長期間耐え凌いだからな。
0525人間七七四年2008/10/20(月) 22:16:02ID:V5e4ASyH
>>524
攻め手があんまりやる気がなかったからな。
0526人間七七四年2008/10/20(月) 22:27:37ID:iWeh10bL
>>525
その手の事言い出したら上田城だって似たようなもんだろ。
0527人間七七四年2008/11/02(日) 01:53:38ID:yOzsRQjp
ほそかわただおきんたま
0528人間七七四年2008/12/04(木) 17:29:56ID:78PWIz5U
今週のへうげもの、利休見送りシーンだったけど、テンションおかしかったなw
0529人間七七四年2008/12/04(木) 19:55:49ID:vrGi4FMx
ラストシーンまで我らが細川家は肉体言語だったしなw
0530人間七七四年2008/12/07(日) 00:21:57ID:GY+61s55
ここの過去ログで細川家家臣についても語られてるが、「下津権内」をスルーしてるな。
岩成友通を討ち取った有名人なのに。
0531人間七七四年2008/12/07(日) 07:58:20ID:02o07Fwq
下津って手柄を自慢していて忠興にお前うぜーよみたいなキレ方された人だっけ
0532人間七七四年2008/12/16(火) 23:34:34ID:cRvh4zly
忠興・玉は本能寺前は、白洲次郎・正子夫妻みたいな雰囲気だったのかな?
0533人間七七四年2008/12/17(水) 22:56:31ID:H7cXXKCS
>>530-531
この人か
http://www.j-sampo.com/sengoku/2007/10/post_623.html
http://www.shinshindoh.com/oie-3-1.html

下津権内(一通)は天正五年に戦死となってるから、
忠興と揉めたなら忠興は14-15歳くらいか?
0534人間七七四年2008/12/18(木) 22:35:52ID:CIkMQL9p
>>533 本能寺後は高村光太郎・千恵子夫妻みたいになった?
0535細川徳生2008/12/21(日) 22:46:36ID:ycucWCtd
細川徳生

被告、株式会社チャンスイットにドメインの返還を要求する、
公開質問状と内部告発と損害賠償請求事件で裁判中です。
集団ストカー・インサイダー取引・中野サンプラザ問題
巨大組織の細川徳生グループと戦っております。
まるで、巨象と蟻の戦いです。宜しくお願い致します。
0536sage2008/12/26(金) 18:13:32ID:uvBBxBOX
>535 なんだちみは
0537人間七七四年2009/01/01(木) 19:39:20ID:MQDx4vVW
柴田錬三郎の剣鬼シリーズにも忠興出てたけど、
美少年を閨に引き込もうとして(!)拒絶されたり、
最後には男根切り落とされたりと、散々な役だった…
0538人間七七四年2009/01/03(土) 11:10:29ID:FBNQUYm1
忠興は禁止令出すくらい衆道嫌ってたのに..
0539人間七七四年2009/01/03(土) 23:47:21ID:2YBVeM51
忠興は干し柿が好物だったそうで、三成はそれをダシに関係修復を
試みたけどダメだったつう話が残ってるが
三成もつまんない手を使うね
0540人間七七四年2009/01/03(土) 23:49:43ID:pCwaVxZQ
>>539
そんな珍説があるのかw
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