細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ
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0001人間七七四年
2007/02/17(土) 21:24:53ID:kgpQVoWf幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
0430人間七七四年
2008/04/19(土) 00:22:46ID:63GDwe2g「旦那様が下人を切りました。まあ使えない人だったからしょうがないかな」
とかかかれてたんで、かなり殺伐としてたり、
家中の者に刃を振るってたのは事実だと思う。
0431人間七七四年
2008/04/19(土) 00:44:51ID:uhrHdSps当時は普通だったんじゃね?
0432人間七七四年
2008/04/21(月) 12:52:55ID:LYRu/ptS0433人間七七四年
2008/04/26(土) 18:55:40ID:sCCCNKAaそういう人多かったんじゃない?
0434人間七七四年
2008/04/27(日) 21:06:42ID:P4uDPCdZ戦国の常識を決められた日にゃあ‥
0435人間七七四年
2008/04/27(日) 21:16:57ID:zcOfFtWR0436人間七七四年
2008/04/27(日) 21:42:12ID:TVVecSCS義輝と幽斎に「一の太刀」を授けたそうだ。
0437人間七七四年
2008/05/03(土) 17:28:18ID:drT++qj/0438人間七七四年
2008/05/09(金) 00:23:14ID:K26Pc7XF・嫁の顔を見ただけの庭師をブッ殺しちゃう
・嫁のご飯に髪が入っているのに立腹台所人をぶった切る
・息子達とことごとく不和に
・関が原で開城した親父が気に食わず俺が初代なんで、前のことは知らんとか言っちゃう
・その他手討ちの雨あられ
これ気違いの顔ですわ
0439人間七七四年
2008/05/09(金) 00:23:52ID:K26Pc7XF0441人間七七四年
2008/05/10(土) 17:07:51ID:qgDgTJwR藤孝より忠興の方が結果的に有能な気がしてきたんだけど違うのかな?
具体的な戦歴・諜報活動も多いし、最終的に得た石高も多いし。
0442人間七七四年
2008/05/10(土) 17:19:16ID:qgDgTJwR忠興・興元の生まれも母親も同じってなってるんだが
同年内に2人生んだってこと?双子じゃねえよな?
0443人間七七四年
2008/05/10(土) 17:29:24ID:RkLZIRmk忠興の生年月日がだいたい固定されている一方で、興元の方は諸説あり。
wikiは、一番あてにならない説を引用したのかも知れません。
0445人間七七四年
2008/05/10(土) 17:48:11ID:RkLZIRmkちなみに1562年説もありますが、これだと忠興の同母兄となってしまいますので、
こちらの信憑性にも疑問符が付きます。
0447人間七七四年
2008/05/16(金) 13:00:51ID:hA9mjLqq0448人間七七四年
2008/05/18(日) 18:32:48ID:E8BQj1Rdやっぱ別家という意識からかな?
0449奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/05/18(日) 21:04:34ID:76mLoTKx0450人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 18:23:30ID:cccVKFL4そうだろうね。
興元は藤孝の跡を継いだと思われる証拠を多分に残しているし
忠興は強く細川輝経家の継承者を意識した伝承が残っているから。
藤孝と忠興は血がつながってるのに無茶苦茶仲悪かったらしいね。
0451人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 15:17:18ID:l3UODRpp勉強になりました。
藤孝の細川より輝経の細川の方が格が上なの?。
細川昭元さんちが一番いい細川なんだよね?
京兆家ってゆーんでしょ?。
0452三十吉@86石(わらじ取り)
2008/06/02(月) 21:04:18ID:Mr61WVQpただ一番いい細川家・・・かはわからん。
徳川の松平だって嫡流は信康で終わりだし。
0453人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 21:04:57ID:Mr61WVQp0454人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 21:52:04ID:8y8CGmFI0455人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 22:14:28ID:CAauaSF40456人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 16:07:57ID:GVXMRJtN清氏と正氏の後も続いたらしいけど・・・
0457人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 15:14:48ID:SJHvhUSzたしかにそれはそうかもですが、ここではそれは置いといて・・・。
和泉半国守護家と奥州家、家格はどう違うの?。
奥州家とは、どんな家格なの?。
守護になったことはないんだろうか・・・。
0458人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 20:14:26ID:EhU5AiLr信康は嫡子だったか否かの立証が難しい。
徳川氏(安祥松平)が松平傍流なのは将軍家が認めている。
0459人間七七四年
2008/06/11(水) 13:25:35ID:r0iZiV1n細川氏の各守護家の序列としては、
京兆家(讃岐守護家・上屋形)>阿波守護家(下屋形)>その他 みたいだけど
守護家ではない典厩家や野州家のほうが(一般の)守護家よりも権威が高そうだったりするし、
幕府の力が衰えて大名や国人の官位の秩序がくちゃくちゃになってしまった藤孝の時代に
前の時代の家格がそのまま適用するかどうかも判らないと思いますよ。
0460人間七七四年
2008/06/12(木) 11:01:16ID:Hysj4nYO前の時代には格が上だったってこと?
0461人間七七四年
2008/06/12(木) 15:41:20ID:6E+87kt30462人間七七四年
2008/06/12(木) 21:33:10ID:+bWNojXZ>和泉半国守護家よりも守護ではない奥州家のほうが前の時代には格が上だったってこと?
全然そんなことは言ってませんが?
守護家よりも、典厩家や野州家のほうが細川一族内では発言力が強いと見られる例がある。
・京兆家に養子を出している
・京兆家の当主が幼少のときに、代理のような立場になっている
・京兆家の屋敷に宴会などで一族が招待されるときに、守護家は招かれず典厩家のみ招かれている例がある
とか。
これが、たまたまなのか(年齢や能力が他の家の当主より上と評価されたとか)、家格として確立していたかは判らないので
守護というポストの有無で、どちらの家が格上なんてことは判断できないのではないかと言いたかった。
0463人間七七四年
2008/06/14(土) 20:46:45ID:S+P1gVjc細川元常関係の展示のところで、
藤孝を養子に迎えたのは義晴からの命令があったためだが、元常には実子もいたので不満だったのではないか
元常は細川家伝来の品を全部菩提寺永源庵に寄進して藤孝には渡さなかった というような解説が付いていました。
(今は永青文庫所蔵の細川家伝来の品々は、江戸時代に入ってから細川家に戻ったとのこと)
この元常の実子は、その後どうなったんだろう?
0464人間七七四年
2008/06/15(日) 11:13:05ID:duuVRLtj朝廷に地下の公家として仕えたんじゃなかったっけ?
明治維新が無かったら堂上になってた!と聞いたことがある。
なんでも・・・三代続けて、ある役職をすると堂上になれたそうだ。
もしそうなっていたら官職の上では熊本藩主より上になっていたかも。
堂上なら近衛中将くらいにはなれたんじゃない?。
0465人間七七四年
2008/06/22(日) 12:43:51ID:3+3J9Ulw西軍の評価を下げようとしたとかいう悪人設定なんだよなあ。
なんで忠興ってこんなに人気ないんだろ?
0466人間七七四年
2008/06/22(日) 20:00:32ID:0BHGImKw0467人間七七四年
2008/06/24(火) 21:27:16ID:E93JgY+Hどれもガラシャの不幸の大半は忠興にある的な描かれ方してて、みんな
それらを参考資料にしてるからでないの?
0468人間七七四年
2008/06/25(水) 21:40:58ID:Cxi8Fguwすんごい感性してそう
0470人間七七四年
2008/06/25(水) 22:03:32ID:o5uWwlb3関が原では他の大名の妻女は無事だったわけで。(ガラシャの行動が人質作戦を頓挫させてしまった側面はあるかもしれないけど)
国許や有力な知り合いの大名家を頼ったりして。
現に細川家内でも、国許に帰るとか長男の嫁の実家の前田家を頼ってはどうかって意見があったのに
結局ああいうことになったのは忠興のせいって思われているからじゃないの?
女性だと嫉妬深くても、あんまり非難されないのは確かにありますね。
前田利家の妻の松なんかも、お手が付いた侍女に対する扱いとか酷いんだが。
0471人間七七四年
2008/06/25(水) 22:10:01ID:A9rXzuB8ttp://sports.geocities.jp/umazukike/Gv4p0651.jpg
こういうのを考え出せる人間は、やっぱどこか変だと思うんだw
0473人間七七四年
2008/06/26(木) 10:50:23ID:P8B/5YFJ歴史小説はみんなDV設定だけど、本当に愛してるんなら暴力なんぞ振るわんよなあ
侍女とか庭師とか周囲の人間に爆発することはあっても、
ガラシャ自身に直接暴力が振るわれたっていう史料はあったっけ?
0474人間七七四年
2008/06/26(木) 11:16:42ID:Vst12sy80475人間七七四年
2008/06/26(木) 21:48:35ID:0hDOLQhN戦国基準でもDVと言って差し支え無いと思う
0476人間七七四年
2008/06/27(金) 13:12:51ID:ja6sOlRdまぁガラシャがDVと思ってたかはわからんがw
0477人間七七四年
2008/06/27(金) 14:29:31ID:U1SZ2OlKwikipediaには“夫婦仲はよかった”とか書いてあるが
0478人間七七四年
2008/06/27(金) 21:02:06ID:mPgudvkw0479人間七七四年
2008/06/28(土) 13:01:04ID:oNUc6Ycf玉がとんでもない色気の持ち主だったのか、それともやっぱり忠興が変人だっただけなのか
0481人間七七四年
2008/06/28(土) 14:11:43ID:/5DJatBT0482人間七七四年
2008/06/28(土) 14:43:50ID:Ulr3GhNu(ああ、わたしのせいで侍女たちが耳鼻そがれて追放されてるわ…ぞくぞく)
(今度はみさかいなく庭師の首ちょっきんしちゃったわ。かわいいところあるのね。)
「鬼の嫁には蛇がお似合いでしょう。」
(ほら、後悔した顔してる。もっと見せて。)
0483人間七七四年
2008/06/30(月) 21:53:05ID:YSxdx837あぁこの夫婦好きだ…
0484人間七七四年
2008/06/30(月) 22:40:11ID:Gh6cKXwx2年も引き離される→好色な天下人に狙われる→キリスト教信仰で騒動etc
と波乱万丈な展開がずっと続いているからね。更に言えば関が原以前は忠興は
結構戦で留守がちだったし、戻ってきても領地の宮津で過ごす日々の方が多く
玉と会えるのは上阪した時だけだった。その分新鮮味が薄れなかった(飽きが
こなかった)んでないの?
0485人間七七四年
2008/07/02(水) 21:11:44ID:SvW0IMBx0486人間七七四年
2008/07/03(木) 01:05:17ID:prWwA9Bl岳宏一郎の群雲、関が原への二人がそんな解釈だったな。
二人の間に障害があるからこそ愛が燃え上がった的な。
0487人間七七四年
2008/07/03(木) 19:49:25ID:SS1N//64ひどい癇癪持ちの人殺しだったのは確かかもしれんけど戦国時代の感覚から
言うとそこまで常軌を逸してたわけでもなさそうだし(ちょっとやばいなくらいは
思われてそうだけどw)
ガラシャの軟禁だって実際異常な状態だったか真偽は不明(宣教師の勘違い説)
軟禁したからガラシャが死んだってわけでもないし
キリスト教自体はガラシャの死の前からむしろ保護してる状態だったみたいだし…
自分がひいきしすぎなのかな…そこまで嫌われる要素があると思えん
どっちかというと颯爽とした青年武将期から政治家として縦横無尽に活躍しつつ
文化人としても大成ってイメージが強いわ
0489人間七七四年
2008/07/03(木) 21:46:57ID:PxFL+80h珠はいうことを利かないどころか口答えしたり逆らってばかりで
いわゆる「思い通りにならない女」ってとこがポイントかも・・・
0490人間七七四年
2008/07/04(金) 11:01:25ID:wfqMJQAI0491人間七七四年
2008/07/04(金) 14:56:19ID:y4EWLzc920 :人間七七四年:2008/07/01(火) 23:28:34 ID:K+63uZYZ
忠興はどうなん?俺の印象的には悪人
19:2008/07/01(火) 23:57:40 ID:NkN6JFX4
学校で習った限りでは、忠興は文武両道の立派な人だと思ってたんだよ。
それが調べれば調べるほど、
父親や子供への対応とかろくでもない所業が出てくる出てくる。
…文武両道の人であることは間違いないと思うんだが。
25 :人間七七四年:2008/07/02(水) 03:02:17 ID:9xMeYvov
忠興なんて基地外じみたエピソードばかりだもんな
26 :人間七七四年:2008/07/02(水) 03:38:19 ID:IOstKuma
まぁ忠興は、一色氏との戦いで一色義定に姉妹を嫁がせて和睦したあと
義定を謀殺して報復として突撃してきた一色義清を討ったあと
敗残兵を皆殺しだもんな名門のやることじゃない
27 :人間七七四年:2008/07/02(水) 09:05:16 ID:6MfQKday
調べれば調べるほど「こいつの家よく生き残れたな…」と思ってしまう
それが忠興クオリティ
全員じゃないが、住人の中には撫で斬りとかそういう行為への
不快感をそのまま武将の全評価につなげちゃうっていう類の
人もいるようだから、気にしないのがいいと思われ。
0492人間七七四年
2008/07/04(金) 15:55:58ID:P8lD+DTW細かい心遣いも勇断も出来、さらに腹芸での政治遊泳も出来る相当な人物だと言うのが良くわかる。
好む好まないは別として、家柄関係なく、現代社会でも間違いなく出世するタイプ。
0493人間七七四年
2008/07/05(土) 00:00:44ID:VsbDHP2sこの一族は丹後一色一族および家臣には子々孫々呪われるはず・・
怨念というものが実在するなら・・
0494人間七七四年
2008/07/05(土) 13:23:33ID:3LiVirsJそして忠興の性格の悪さもよくわかるという諸刃の剣。
あんなにネチネチと説教されてたら忠利が細々と気を使う(使いすぎて他人に嫌われたりする・・・)性格にもなるわなあ。
黒田如水・長政あたりもやっていることは変らない(地元旧勢力のだまし討ちとか、一族家臣とのぎすぎすした関係など)のに
忠興ほど嫌われることはあまりない気がする。
(長政も好かれるタイプではないだろうけど、生理的に嫌いとかいう評価は少ないイメージが。単に知名度の差?)
0495人間七七四年
2008/07/05(土) 18:38:21ID:K3MgVhfU美人の妻をDVってたか 妻といちゃついてたか というイメージの違いじゃなかろうか。
家庭での振る舞いひとつで人間性全部を評価されてしまった忠興の不幸とでも言おうか。
0496人間七七四年
2008/07/05(土) 18:59:24ID:NlXW5v3Z性格が地味に普通な上で地味にこつこつ騙し討ちとか裏切りの斡旋とか
嫁離縁とかしてるからある程度仕方ないけどな!
長政好きの俺にもフォローしにくい。
0497人間七七四年
2008/07/05(土) 22:46:34ID:nP7N0NL7・・・藤孝の話題余り出てませんなぁw
まあ忠興が強烈すぎるし
0498人間七七四年
2008/07/06(日) 10:14:01ID:k2Ocq0MP長政と聞いてすっげえナチュラルに浅井長政だと思ってた。
なんで浅井が嫌われるんだろう? とか思っちゃったぜ。
0499人間七七四年
2008/07/06(日) 16:34:01ID:KkgrOmG6父親や又兵衛のせいで小物っぽく扱われる事が多い気の毒な人物でもある。
忠興はそこら辺、父とは別に超然としてると思う。
0500人間七七四年
2008/07/06(日) 16:51:18ID:K5CrtqJ/浅野長政
浅井長政
0501人間七七四年
2008/07/06(日) 16:56:22ID:dpXF9Nji0502人間七七四年
2008/07/06(日) 17:30:03ID:K5CrtqJ/池田長政
上杉長政
小笠原長政
0503人間七七四年
2008/07/06(日) 18:40:07ID:Sf/oYdz3>山本博文の「江戸城の宮廷政治」
といえば最後の方忠利が危篤に陥った時の忠興の手紙はちょっとぎょっとした
あそこだけ忠興の中の人が違うみたいだった
0504人間七七四年
2008/07/06(日) 19:14:15ID:K5CrtqJ/「忠利の病気、ずっと私に隠して、良い良いとばかり言っていたので、そうかと思っていたところ、
今日十四日、急に危篤だと知らされ、驚いて八代を三時半後ごろに出、熊本に夜の十時に付き、
忠利の様子を見たところ、もう駄目で、私の事もわからず、目も明かない様子だった。
ああ…、とにかく酒井殿や柳生殿に相談してお暇をもらい、急いで帰国してきてくれ。
私は混乱して、なにがなんだかわからない」
やっぱり人の親ですよね。
忠興八十歳の時の賀歌
思いやれ 八十のとしの くれなれば そこはかとなく 物ぞかなしき
臨終の言葉
『皆共が忠義、戦場が恋しきぞ!いづれも稀な者共ぞ!』
0505人間七七四年
2008/07/07(月) 09:12:23ID:otg/09dN忠興は実にストレートに嫌っているのに対し
長政はすごく複雑にコンプレックス持ったりリスペクトしたり、むつかしいんだよね。
で、親父同士はまったく違ったタイプなのに普通になかよし。
息子同士はいわずもがな。
0507人間七七四年
2008/07/18(金) 15:04:48ID:6rB/Ehx1関ヶ原合戦後、細川と黒田は一触即発の事態になったはずだが・・・
0509人間七七四年
2008/07/18(金) 21:23:11ID:f00myab0>>43
長政と忠興は関が原までは普通に仲よかったと思うけど。
三成弾劾の七将にお互い入ってたりするし。(メンバーに異説はあるけど)
仲悪かったら、松井康之が黒田勢に応援頼んだことで、康之に対して根に持ちそうな性格だし。忠興は。
豊前の引継ぎで黒田が先取りした年貢を返さないことが発端で、お互いの重臣の出奔に手を貸したってことで、敵対関係になるけど。
0510人間七七四年
2008/08/27(水) 06:15:27ID:okod4AnX0511人間七七四年
2008/08/27(水) 21:17:00ID:MDMSw1JK寺に入るしかない」みたいに嘆いてたそうで、実際愛宕山の福寿院に入れら
れてたそうででちゃんとした守役いたのかな?
同年代にお付の者はいたみたいだけど。
0512人間七七四年
2008/08/28(木) 15:14:25ID:uP49F0F9羽織の家紋を、細川のものにするか、今の長岡のものにするかで刀を抜いての争いになったり。
本能寺の変の時は、明智に味方しない忠興を父藤孝が殺してまで出陣しようと、もみ合いになり、
忠興が藤孝から刀を奪い、結果剃髪し信長の喪に服すという忠興の考えを通した。
本との親子かいなと思えるようなエピソードがイッパイ
0513人間七七四年
2008/08/28(木) 16:34:49ID:tNJlFnDY0514人間七七四年
2008/08/30(土) 19:11:04ID:3Wq0o/m3忠興なら侍女とか家臣とか何人か開いていそうだが、
藤孝はそんなことしねーよ、とか素でつっこんでから、
タイポということに気づいた。
0515人間七七四年
2008/09/02(火) 02:58:19ID:PlzwlLTB0516人間七七四年
2008/10/10(金) 23:37:07ID:ey24eKID立孝ばかり可愛がるし、宗家は途中で立孝の系統になるし。
0517人間七七四年
2008/10/11(土) 16:44:01ID:ta3y7Xth忠利とは膨大な数の手紙のやり取りをしてるんだよね。
かなり小うるさく口出しして、忠利も「最近父上はますます
こらえ性がなくなってきた」と書き残していたりする。
0518人間七七四年
2008/10/11(土) 23:17:13ID:CMAr796c0519人間七七四年
2008/10/11(土) 23:32:24ID:Cd646EPf>>503にもあるように息子達に愛情が無かったわけではないのだろう。
ガラシャへの仕打ちを考えるとかなり歪んだ愛情みたいだが。
0520人間七七四年
2008/10/15(水) 23:54:46ID:PAWxvfJU荒木村重の女房衆が処刑される時、同情してた・・・
0521人間七七四年
2008/10/16(木) 03:24:52ID:Gjs070Of0522人間七七四年
2008/10/16(木) 18:07:39ID:QDu17a+W0523人間七七四年
2008/10/20(月) 19:35:30ID:nwbWpE4A村重の息子も召し抱えてるんだよね
0524人間七七四年
2008/10/20(月) 21:43:57ID:iWeh10bL肥とかの評価は真逆だが、世渡りの巧さといい、戦での実績といい完全に藤孝が上をいってると思うんだがな〜
特に田辺城は篭城戦として考えうる最悪のシチュエーションの中であの長期間耐え凌いだからな。
0525人間七七四年
2008/10/20(月) 22:16:02ID:V5e4ASyH攻め手があんまりやる気がなかったからな。
0526人間七七四年
2008/10/20(月) 22:27:37ID:iWeh10bLその手の事言い出したら上田城だって似たようなもんだろ。
0527人間七七四年
2008/11/02(日) 01:53:38ID:yOzsRQjp0528人間七七四年
2008/12/04(木) 17:29:56ID:78PWIz5U0529人間七七四年
2008/12/04(木) 19:55:49ID:vrGi4FMx■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています