つーか、普通は「勝ちそうなほう」に付くよな、中世の武家は。
その目算が外れて滅亡しちゃうことが多いけど。
去就を正当化する理屈は後から付いてくる。

負けそうと思いつつ付いた例というと、鎌倉時代の毛利 季光とか関が原の大谷吉継あたりかね?