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細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ

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0001人間七七四年2007/02/17(土) 21:24:53ID:kgpQVoWf
戦国時代を代表する文化人幽斎と
幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
0407人間七七四年2008/01/27(日) 23:31:09ID:+oXMIPWT
師の利休は切腹させられるし、仲良かった友人とも切り離され
(氏郷は病死・右近は国外追放・利長とは付き合い禁じられる)
玉とも死に別れだし。かわいがってた孫娘も産褥で死んじゃうし
興元、忠利・光尚親子や興孝とかとは不和になったあげく、
溺愛してた立孝には先立たれと、考えてみるとかなり寂しかったんでないの。
妾をとっかえひっかえしてたのもそのせいでは?
0408人間七七四年2008/02/03(日) 00:45:14ID:XiUudwQh
忠利の幼名・光(光千代)はもしかして光秀からとった?
0409人間七七四年2008/02/21(木) 00:01:54ID:3yk1b873
高桐院の例の墓って、忠興の遺言により「自分と玉の墓塔とするように」
ということで灯篭が墓石になったらしい。(住職談)
忠興の遺骨のうち、歯が埋葬されてると説明にあった。
0410yoko*2008/02/21(木) 00:26:58ID:g3SVLWCl
細川幽斎は確か中学・高校と国語便覧で名前を見ました。
0411人間七七四年2008/02/21(木) 00:57:59ID:JBStUatb
結局、勝ちそうな方に付く家柄じゃん。
明智光秀 対 秀吉の時もそうだし
石田三成 対 徳川家康の時もそうだし
熊本の殿様といったら、加藤清正の方が
豊臣家一筋に忠義を尽くしたから好感度が高い。
0412人間七七四年2008/02/21(木) 09:55:57ID:3qTHh90U
だね。後世の人からすれば藤孝は良く見られない。
0413人間七七四年2008/02/21(木) 15:33:43ID:zQEZzTIS
>>411
でも常に勝つ前に身代賭けてるんだよ?
で、負ける前にすばやく乗り換える。
それで室町末期から江戸初期までを常に権力中枢で泳ぎきったんだから尋常じゃない。
0414人間七七四年2008/02/21(木) 17:22:24ID:31WecVxH
>>411・412 もし当時の人から卑劣漢みたいに思われていたのなら、田辺篭城の際
攻城の将の何人かが(西軍にくみしたものの)矢を射掛けるのをあえて
しなかったり、わざと空砲でうったりと手加減してくれるだろうか?
0415人間七七四年2008/02/21(木) 20:46:08ID:BxSU4mUZ
>411
>石田三成 対 徳川家康の時もそうだし

を「勝ちそうな方に付く家柄」と称すのならば

>熊本の殿様といったら、加藤清正の方が
>豊臣家一筋に忠義を尽くしたから好感度が高い。

の清正も「勝ちそうな方に付く家柄」だよな。
清正も東西両方から誘われたのだから。
0416人間七七四年2008/02/21(木) 21:39:10ID:zdiw+/dc
つーか、普通は「勝ちそうなほう」に付くよな、中世の武家は。
その目算が外れて滅亡しちゃうことが多いけど。
去就を正当化する理屈は後から付いてくる。

負けそうと思いつつ付いた例というと、鎌倉時代の毛利 季光とか関が原の大谷吉継あたりかね?
0417人間七七四年2008/02/22(金) 02:25:01ID:9bVZxUnr
>>416
江戸時代と同じような感覚でとらえられないですしね。
南北朝期など、有利なほうへコロコロ寝返ったりするので、非常にカオスなことになってる。
0418人間七七四年2008/03/05(水) 00:11:59ID:uDGjmYHa
小倉城の普請がはかどらないのに苛立った忠興は現場監督となっていた者を
手討ちにしたと小倉城の説明書きにあった。
これじゃあ、例の庭師(屋根師?)手討ちもホントだろうな。
0419人間七七四年2008/03/05(水) 01:07:35ID:Vo6heZ1w
なんかでかい岩を動かせなくて監督手打ち、その後動かせたってやつ?
0420人間七七四年2008/03/05(水) 07:50:23ID:VbauPos0
忠興とはその様な男。
たいした武将ではないよ。特に人として。
0421人間七七四年2008/03/05(水) 10:17:42ID:RNUWo2n4
こいつ、短気すぎwwwww けど、武人としてはキレやすいから結構強いよなw
0422人間七七四年2008/03/06(木) 20:09:51ID:wVeQp6iY
親父の幽斎は塚原朴伝から「一の太刀」を、息子の忠利は「柳生新陰流」の
白紙の相伝とそれぞれ受けてたが、忠興はなんもない。
0423人間七七四年2008/03/06(木) 23:41:16ID:kUOy3/jt
というか、忠興の世代だとそんなの修めている時間が無いと思う。
同世代の武将でその手のを受けたのっていたっけ?
0424人間七七四年2008/03/07(金) 08:08:54ID:gj+0+Zi6
立花の宗ちゃんとか?
0425人間七七四年2008/03/07(金) 10:00:05ID:yuGvT8v1
剣術習うのが盛んになったのが、むしろ平和になった関ヶ原以降くらいですからね。
その時期に成長した世代だと大名個人でも熱心に習う人が出てくる。

0426人間七七四年2008/03/07(金) 16:21:23ID:Mh/mIKio
>>422
幽斎は上様と一緒に剣術の修練をしてそうだ。
0427人間七七四年2008/03/08(土) 11:25:50ID:iEYiyDKx
つか幽斎は塚原卜伝の弟子じゃなかったっけ、一応?
多分、誇大広告だろうけど一の太刀まで会得したって何かの本で読んだよ
0428人間七七四年2008/03/21(金) 17:57:20ID:nlf9N7Gn
関ヶ原の時代じゃ既に人間国宝扱いだったのもうなずけるな
そんなオヤジを降伏したと罵る息子・・・
0429人間七七四年2008/03/23(日) 06:21:05ID:xf7Qqu/L
卜伝は将軍家の指南役だったけど
具体的に何年まで幽斎と関わりがあったのだろうか
0430人間七七四年2008/04/19(土) 00:22:46ID:63GDwe2g
妻お玉の手紙にも
「旦那様が下人を切りました。まあ使えない人だったからしょうがないかな」
とかかかれてたんで、かなり殺伐としてたり、
家中の者に刃を振るってたのは事実だと思う。
0431人間七七四年2008/04/19(土) 00:44:51ID:uhrHdSps
お玉がそう書いていたなら、
当時は普通だったんじゃね?
0432人間七七四年2008/04/21(月) 12:52:55ID:LYRu/ptS
酔った勢いで切腹命じる大名もいたしな
0433人間七七四年2008/04/26(土) 18:55:40ID:sCCCNKAa
井伊直政もささいな家臣のミスを許さずすぐに斬り付けてたそうだから
そういう人多かったんじゃない?
0434人間七七四年2008/04/27(日) 21:06:42ID:P4uDPCdZ
細川忠興と井伊直政の二人だけで
戦国の常識を決められた日にゃあ‥
0435人間七七四年2008/04/27(日) 21:16:57ID:zcOfFtWR
その2人は日本の戦国時代を代表する人間の極北・歩くシベリア流刑ですものね
0436人間七七四年2008/04/27(日) 21:42:12ID:TVVecSCS
>>492 卜伝は1556〜72年にかけての武者修行の途上京に滞在した折に
義輝と幽斎に「一の太刀」を授けたそうだ。
0437人間七七四年2008/05/03(土) 17:28:18ID:drT++qj/
将棋で勝ったら斬り殺された奴もいたな
0438人間七七四年2008/05/09(金) 00:23:14ID:K26Pc7XF
忠興の素敵なエピソード
・嫁の顔を見ただけの庭師をブッ殺しちゃう
・嫁のご飯に髪が入っているのに立腹台所人をぶった切る
・息子達とことごとく不和に
・関が原で開城した親父が気に食わず俺が初代なんで、前のことは知らんとか言っちゃう
・その他手討ちの雨あられ

これ気違いの顔ですわ
0439人間七七四年2008/05/09(金) 00:23:52ID:K26Pc7XF
すまん、誤爆ですわ
0440人間七七四年2008/05/09(金) 00:27:09ID:H+0WdqFy
>>438のどこがスレ違いか理解できない
0441人間七七四年2008/05/10(土) 17:07:51ID:qgDgTJwR
Wiki見てたら妻絡みの性格は置いとくとして
藤孝より忠興の方が結果的に有能な気がしてきたんだけど違うのかな?
具体的な戦歴・諜報活動も多いし、最終的に得た石高も多いし。
0442人間七七四年2008/05/10(土) 17:19:16ID:qgDgTJwR
あと、関係ないんだが
忠興・興元の生まれも母親も同じってなってるんだが
同年内に2人生んだってこと?双子じゃねえよな?
0443人間七七四年2008/05/10(土) 17:29:24ID:RkLZIRmk
>>442
忠興の生年月日がだいたい固定されている一方で、興元の方は諸説あり。
wikiは、一番あてにならない説を引用したのかも知れません。
0444人間七七四年2008/05/10(土) 17:31:19ID:qgDgTJwR
>>443
なるほど。では他の説では何年生まれ説があるんですか?
0445人間七七四年2008/05/10(土) 17:48:11ID:RkLZIRmk
1564〜1566年まで。
ちなみに1562年説もありますが、これだと忠興の同母兄となってしまいますので、
こちらの信憑性にも疑問符が付きます。
0446人間七七四年2008/05/10(土) 21:14:56ID:qgDgTJwR
>>445
ありがとう。参考になった
0447人間七七四年2008/05/16(金) 13:00:51ID:hA9mjLqq
幽斎は普通に有能でしょう
0448人間七七四年2008/05/18(日) 18:32:48ID:E8BQj1Rd
南禅寺・天授庵に幽斎・興元の墓があり、大徳寺・高桐院に忠興ってことは
やっぱ別家という意識からかな?
0449奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/05/18(日) 21:04:34ID:76mLoTKx
そうだろね。
0450人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/01(日) 18:23:30ID:cccVKFL4
>>448
そうだろうね。
興元は藤孝の跡を継いだと思われる証拠を多分に残しているし
忠興は強く細川輝経家の継承者を意識した伝承が残っているから。
藤孝と忠興は血がつながってるのに無茶苦茶仲悪かったらしいね。
0451人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/02(月) 15:17:18ID:l3UODRpp
藤孝と忠興は実の親子でも系譜上違う家の人間てことか・・・。
勉強になりました。
藤孝の細川より輝経の細川の方が格が上なの?。
細川昭元さんちが一番いい細川なんだよね?
京兆家ってゆーんでしょ?。
0452三十吉@86石(わらじ取り)2008/06/02(月) 21:04:18ID:Mr61WVQp
京兆家は細川家嫡流だし、「格」としては上。
ただ一番いい細川家・・・かはわからん。
徳川の松平だって嫡流は信康で終わりだし。
0453人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/02(月) 21:04:57ID:Mr61WVQp
しまった、誤爆った。
0454人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/02(月) 21:52:04ID:8y8CGmFI
全然誤爆じゃないように見えるのだが
0455人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/02(月) 22:14:28ID:CAauaSF4
京兆家も細川家本来の流れからすれば、傍流なんだけどね。
0456人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/04(水) 16:07:57ID:GVXMRJtN
和氏の子孫か
清氏と正氏の後も続いたらしいけど・・・
0457人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 15:14:48ID:SJHvhUSz
>>455
たしかにそれはそうかもですが、ここではそれは置いといて・・・。
和泉半国守護家と奥州家、家格はどう違うの?。
奥州家とは、どんな家格なの?。
守護になったことはないんだろうか・・・。
0458人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 20:14:26ID:EhU5AiLr
>>452
信康は嫡子だったか否かの立証が難しい。
徳川氏(安祥松平)が松平傍流なのは将軍家が認めている。
0459人間七七四年2008/06/11(水) 13:25:35ID:r0iZiV1n
>>457
細川氏の各守護家の序列としては、
京兆家(讃岐守護家・上屋形)>阿波守護家(下屋形)>その他 みたいだけど
守護家ではない典厩家や野州家のほうが(一般の)守護家よりも権威が高そうだったりするし、
幕府の力が衰えて大名や国人の官位の秩序がくちゃくちゃになってしまった藤孝の時代に
前の時代の家格がそのまま適用するかどうかも判らないと思いますよ。


0460人間七七四年2008/06/12(木) 11:01:16ID:Hysj4nYO
>>459和泉半国守護家よりも守護ではない奥州家のほうが
前の時代には格が上だったってこと?
0461人間七七四年2008/06/12(木) 15:41:20ID:6E+87kt3
ttp://paint.s13.dxbeat.com/up/src/paint_7836.jpg
0462人間七七四年2008/06/12(木) 21:33:10ID:+bWNojXZ
>>460
>和泉半国守護家よりも守護ではない奥州家のほうが前の時代には格が上だったってこと?

全然そんなことは言ってませんが?

守護家よりも、典厩家や野州家のほうが細川一族内では発言力が強いと見られる例がある。
 ・京兆家に養子を出している
 ・京兆家の当主が幼少のときに、代理のような立場になっている
 ・京兆家の屋敷に宴会などで一族が招待されるときに、守護家は招かれず典厩家のみ招かれている例がある
とか。

これが、たまたまなのか(年齢や能力が他の家の当主より上と評価されたとか)、家格として確立していたかは判らないので
守護というポストの有無で、どちらの家が格上なんてことは判断できないのではないかと言いたかった。
0463人間七七四年2008/06/14(土) 20:46:45ID:S+P1gVjc
熊本の県立美術館でやっている永青文庫展に行ってきたんだけど、
細川元常関係の展示のところで、

 藤孝を養子に迎えたのは義晴からの命令があったためだが、元常には実子もいたので不満だったのではないか
 元常は細川家伝来の品を全部菩提寺永源庵に寄進して藤孝には渡さなかった というような解説が付いていました。
 (今は永青文庫所蔵の細川家伝来の品々は、江戸時代に入ってから細川家に戻ったとのこと)

この元常の実子は、その後どうなったんだろう?


0464人間七七四年2008/06/15(日) 11:13:05ID:duuVRLtj
>>463
朝廷に地下の公家として仕えたんじゃなかったっけ?
明治維新が無かったら堂上になってた!と聞いたことがある。
なんでも・・・三代続けて、ある役職をすると堂上になれたそうだ。
もしそうなっていたら官職の上では熊本藩主より上になっていたかも。
堂上なら近衛中将くらいにはなれたんじゃない?。
0465人間七七四年2008/06/22(日) 12:43:51ID:3+3J9Ulw
koeiの戦国無双2だと、ドメ夫さんがガラシャを自殺に追い込んで、
西軍の評価を下げようとしたとかいう悪人設定なんだよなあ。
なんで忠興ってこんなに人気ないんだろ?
0466人間七七四年2008/06/22(日) 20:00:32ID:0BHGImKw
ドメ夫とかいって何を今さらw
0467人間七七四年2008/06/24(火) 21:27:16ID:E93JgY+H
>>467 有名作家(司馬遼太郎、永井路子、松本清帳等)の小説では
どれもガラシャの不幸の大半は忠興にある的な描かれ方してて、みんな
それらを参考資料にしてるからでないの?
0468人間七七四年2008/06/25(水) 21:40:58ID:Cxi8Fguw
忠興好きなんだけどなぁ。イイヨー、理解しがたい文化人

すんごい感性してそう
0469人間七七四年2008/06/25(水) 21:52:45ID:A9rXzuB8
>>468
三斎流の具足は前衛芸術と言っていい。
0470人間七七四年2008/06/25(水) 22:03:32ID:o5uWwlb3
>>465

関が原では他の大名の妻女は無事だったわけで。(ガラシャの行動が人質作戦を頓挫させてしまった側面はあるかもしれないけど)
国許や有力な知り合いの大名家を頼ったりして。
現に細川家内でも、国許に帰るとか長男の嫁の実家の前田家を頼ってはどうかって意見があったのに
結局ああいうことになったのは忠興のせいって思われているからじゃないの?

女性だと嫉妬深くても、あんまり非難されないのは確かにありますね。
前田利家の妻の松なんかも、お手が付いた侍女に対する扱いとか酷いんだが。

0471人間七七四年2008/06/25(水) 22:10:01ID:A9rXzuB8
まあ
ttp://sports.geocities.jp/umazukike/Gv4p0651.jpg
こういうのを考え出せる人間は、やっぱどこか変だと思うんだw
0472人間七七四年2008/06/25(水) 22:24:40ID:Cxi8Fguw
>>471
カコヨスw

ひねり具合にカオスを感じるwww
0473人間七七四年2008/06/26(木) 10:50:23ID:P8B/5YFJ
そもそも忠興って本当にDV男だったのかな
歴史小説はみんなDV設定だけど、本当に愛してるんなら暴力なんぞ振るわんよなあ
侍女とか庭師とか周囲の人間に爆発することはあっても、
ガラシャ自身に直接暴力が振るわれたっていう史料はあったっけ?
0474人間七七四年2008/06/26(木) 11:16:42ID:Vst12sy8
つ DVは肉体的な物ばかりとは限らない
0475人間七七四年2008/06/26(木) 21:48:35ID:0hDOLQhN
周りの人間の首スパンスパンはねたり超束縛してたりは
戦国基準でもDVと言って差し支え無いと思う
0476人間七七四年2008/06/27(金) 13:12:51ID:ja6sOlRd
身近な人間ってのが味噌かねやっぱ。
まぁガラシャがDVと思ってたかはわからんがw
0477人間七七四年2008/06/27(金) 14:29:31ID:U1SZ2OlK
結局は被害者(この場合はガラシャ)がどう思っていたかなんだよね
wikipediaには“夫婦仲はよかった”とか書いてあるが
0478人間七七四年2008/06/27(金) 21:02:06ID:mPgudvkw
愛が強すぎただけさ
0479人間七七四年2008/06/28(土) 13:01:04ID:oNUc6Ycf
いくら玉が美女だったからって新婚の頃はともかく、夫婦を何年も続けていれば愛情の形ももっと穏やかなものに変わっていかないか?
玉がとんでもない色気の持ち主だったのか、それともやっぱり忠興が変人だっただけなのか
0480人間七七四年2008/06/28(土) 13:08:03ID:7yHNqgyE
>>479
そう言うプレイだったんだよ。
0481人間七七四年2008/06/28(土) 14:11:43ID:/5DJatBT
ヤパーリ忠興がhentaiという事でファイナルアン(ry
0482人間七七四年2008/06/28(土) 14:43:50ID:Ulr3GhNu
ここでガラシャhentai説

(ああ、わたしのせいで侍女たちが耳鼻そがれて追放されてるわ…ぞくぞく)

(今度はみさかいなく庭師の首ちょっきんしちゃったわ。かわいいところあるのね。)

「鬼の嫁には蛇がお似合いでしょう。」
(ほら、後悔した顔してる。もっと見せて。)
0483人間七七四年2008/06/30(月) 21:53:05ID:YSxdx837
狂人系大文化人と対等につきあえるガラシャタンもぶっ飛んでるよ。
あぁこの夫婦好きだ…
0484人間七七四年2008/06/30(月) 22:40:11ID:Gh6cKXwx
>>479普通は年を経るについて倦怠気味になってくもんだが、こいつらの場合、
2年も引き離される→好色な天下人に狙われる→キリスト教信仰で騒動etc
と波乱万丈な展開がずっと続いているからね。更に言えば関が原以前は忠興は
結構戦で留守がちだったし、戻ってきても領地の宮津で過ごす日々の方が多く
玉と会えるのは上阪した時だけだった。その分新鮮味が薄れなかった(飽きが
こなかった)んでないの?

0485人間七七四年2008/07/02(水) 21:11:44ID:SvW0IMBx
他スレでの忠興タン罵倒にショックうけたwwwwそんな嫌いなのか…
0486人間七七四年2008/07/03(木) 01:05:17ID:prWwA9Bl
>>484
岳宏一郎の群雲、関が原への二人がそんな解釈だったな。
二人の間に障害があるからこそ愛が燃え上がった的な。
0487人間七七四年2008/07/03(木) 19:49:25ID:SS1N//64
>>485
ひどい癇癪持ちの人殺しだったのは確かかもしれんけど戦国時代の感覚から
言うとそこまで常軌を逸してたわけでもなさそうだし(ちょっとやばいなくらいは
思われてそうだけどw)
ガラシャの軟禁だって実際異常な状態だったか真偽は不明(宣教師の勘違い説)
軟禁したからガラシャが死んだってわけでもないし
キリスト教自体はガラシャの死の前からむしろ保護してる状態だったみたいだし…

自分がひいきしすぎなのかな…そこまで嫌われる要素があると思えん
どっちかというと颯爽とした青年武将期から政治家として縦横無尽に活躍しつつ
文化人としても大成ってイメージが強いわ
0488人間七七四年2008/07/03(木) 21:28:20ID:wYO0yP9Y
>>487
室町期の教養を近世の世に昇華した人、って感じがあるね、忠興には。
0489人間七七四年2008/07/03(木) 21:46:57ID:PxFL+80h
基本的に側室は(主従関係になるんで)忠興に対して従順だが、
珠はいうことを利かないどころか口答えしたり逆らってばかりで
いわゆる「思い通りにならない女」ってとこがポイントかも・・・
0490人間七七四年2008/07/04(金) 11:01:25ID:wfqMJQAI
思い通りにいかない女の方が燃え上がるってわけか
0491人間七七四年2008/07/04(金) 14:56:19ID:y4EWLzc9
>>485 これとか?
20 :人間七七四年:2008/07/01(火) 23:28:34 ID:K+63uZYZ
忠興はどうなん?俺の印象的には悪人

19:2008/07/01(火) 23:57:40 ID:NkN6JFX4
学校で習った限りでは、忠興は文武両道の立派な人だと思ってたんだよ。
それが調べれば調べるほど、
父親や子供への対応とかろくでもない所業が出てくる出てくる。
…文武両道の人であることは間違いないと思うんだが。

25 :人間七七四年:2008/07/02(水) 03:02:17 ID:9xMeYvov
忠興なんて基地外じみたエピソードばかりだもんな


26 :人間七七四年:2008/07/02(水) 03:38:19 ID:IOstKuma
まぁ忠興は、一色氏との戦いで一色義定に姉妹を嫁がせて和睦したあと
義定を謀殺して報復として突撃してきた一色義清を討ったあと
敗残兵を皆殺しだもんな名門のやることじゃない

27 :人間七七四年:2008/07/02(水) 09:05:16 ID:6MfQKday
調べれば調べるほど「こいつの家よく生き残れたな…」と思ってしまう
それが忠興クオリティ


全員じゃないが、住人の中には撫で斬りとかそういう行為への
不快感をそのまま武将の全評価につなげちゃうっていう類の
人もいるようだから、気にしないのがいいと思われ。
0492人間七七四年2008/07/04(金) 15:55:58ID:P8lD+DTW
山本博文の「江戸城の宮廷政治」なんて読むと、忠興と言う人間が、世間全体の流れを的確に読み、
細かい心遣いも勇断も出来、さらに腹芸での政治遊泳も出来る相当な人物だと言うのが良くわかる。
好む好まないは別として、家柄関係なく、現代社会でも間違いなく出世するタイプ。
0493人間七七四年2008/07/05(土) 00:00:44ID:VsbDHP2s
>>491>>492世の中に怨念というものが存在するなら・・
この一族は丹後一色一族および家臣には子々孫々呪われるはず・・
怨念というものが実在するなら・・
0494人間七七四年2008/07/05(土) 13:23:33ID:3LiVirsJ
>>492
そして忠興の性格の悪さもよくわかるという諸刃の剣。

あんなにネチネチと説教されてたら忠利が細々と気を使う(使いすぎて他人に嫌われたりする・・・)性格にもなるわなあ。

黒田如水・長政あたりもやっていることは変らない(地元旧勢力のだまし討ちとか、一族家臣とのぎすぎすした関係など)のに
忠興ほど嫌われることはあまりない気がする。
(長政も好かれるタイプではないだろうけど、生理的に嫌いとかいう評価は少ないイメージが。単に知名度の差?)


0495人間七七四年2008/07/05(土) 18:38:21ID:K3MgVhfU
忠興と長政の世間一般の評価の差は、
美人の妻をDVってたか 妻といちゃついてたか というイメージの違いじゃなかろうか。
家庭での振る舞いひとつで人間性全部を評価されてしまった忠興の不幸とでも言おうか。
0496人間七七四年2008/07/05(土) 18:59:24ID:NlXW5v3Z
そうかなあ黒田長政は病んでる人どころではない嫌われ方してる印象。
性格が地味に普通な上で地味にこつこつ騙し討ちとか裏切りの斡旋とか
嫁離縁とかしてるからある程度仕方ないけどな!
長政好きの俺にもフォローしにくい。
0497人間七七四年2008/07/05(土) 22:46:34ID:nP7N0NL7
DV野郎細川忠興 vs パワハラ野郎黒田長政

・・・藤孝の話題余り出てませんなぁw
まあ忠興が強烈すぎるし
0498人間七七四年2008/07/06(日) 10:14:01ID:k2Ocq0MP
あ、黒田長政か!
長政と聞いてすっげえナチュラルに浅井長政だと思ってた。
なんで浅井が嫌われるんだろう? とか思っちゃったぜ。
0499人間七七四年2008/07/06(日) 16:34:01ID:KkgrOmG6
長政は又兵衛を追放して刺客を差し向けたり迫害した事が男を下げたが、
父親や又兵衛のせいで小物っぽく扱われる事が多い気の毒な人物でもある。
忠興はそこら辺、父とは別に超然としてると思う。
0500人間七七四年2008/07/06(日) 16:51:18ID:K5CrtqJ/
黒田長政
浅野長政
浅井長政
0501人間七七四年2008/07/06(日) 16:56:22ID:dpXF9Nji
山田長政
0502人間七七四年2008/07/06(日) 17:30:03ID:K5CrtqJ/
織田長政
池田長政
上杉長政
小笠原長政
0503人間七七四年2008/07/06(日) 18:40:07ID:Sf/oYdz3
>>492
>山本博文の「江戸城の宮廷政治」
といえば最後の方忠利が危篤に陥った時の忠興の手紙はちょっとぎょっとした
あそこだけ忠興の中の人が違うみたいだった
0504人間七七四年2008/07/06(日) 19:14:15ID:K5CrtqJ/
>>503
「忠利の病気、ずっと私に隠して、良い良いとばかり言っていたので、そうかと思っていたところ、
今日十四日、急に危篤だと知らされ、驚いて八代を三時半後ごろに出、熊本に夜の十時に付き、
忠利の様子を見たところ、もう駄目で、私の事もわからず、目も明かない様子だった。

ああ…、とにかく酒井殿や柳生殿に相談してお暇をもらい、急いで帰国してきてくれ。
私は混乱して、なにがなんだかわからない」


やっぱり人の親ですよね。
忠興八十歳の時の賀歌

 思いやれ 八十のとしの くれなれば そこはかとなく 物ぞかなしき

臨終の言葉

『皆共が忠義、戦場が恋しきぞ!いづれも稀な者共ぞ!』
0505人間七七四年2008/07/07(月) 09:12:23ID:otg/09dN
忠興と長政はそれぞれ能力の似た、より優秀な父親を持っているんだけど
忠興は実にストレートに嫌っているのに対し
長政はすごく複雑にコンプレックス持ったりリスペクトしたり、むつかしいんだよね。

で、親父同士はまったく違ったタイプなのに普通になかよし。
息子同士はいわずもがな。
0506人間七七四年2008/07/15(火) 21:53:25ID:Jn59Nqni
>>504
その本読みたくなった。サンクス
0507人間七七四年2008/07/18(金) 15:04:48ID:6rB/Ehx1
>>505
関ヶ原合戦後、細川と黒田は一触即発の事態になったはずだが・・・
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