細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ
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0357人間七七四年
2008/01/08(火) 12:11:35ID:oXrAz7tS双方とも間違っちゃいない。
”武士の「奉公」とは、あくまで主君の側からの「御恩」があった上での相互契約である。 ”
というのは正しい。主君を渡り歩くものや、戦場で主君を見限る武将なんてのはごまんといる。
良い主君というのは”自分の所領を保障してくれる人物である”というのが第一なのだ。
これは東国武士団の発生からの伝統でもある。
自分たちが開墾し切り開いた農地を守り保障してくれる力ある者に付くことで武士団の形成が進んだわけで。
もう一方で、そういった物質的利益よりも精神的なものを重視する人たちもいた。
江戸時代の儒教的武士道ではなく、なんというか任侠道に近い感覚の士道が古くから存在する。
これは武士団が武装集団であった事とも関係する。武士たちは重武装のヤクザ集団とも言えるわけで。
つまり”こいつのためなら死んでやってもいい”という、やつ。
こういったものを重視する奴らは、負け戦でも付いて行こうとする。
江戸期に入ると、こういった士道は幕府から嫌われて儒教的武士道が流布されるようになる。
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