トップページsengoku
989コメント311KB

細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2007/02/17(土) 21:24:53ID:kgpQVoWf
戦国時代を代表する文化人幽斎と
幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
0355人間七七四年2008/01/08(火) 11:36:43ID:DaZjC7WB
>>353
俺は歪んでるのかな?そうかもね。>>354の言う様に生き残り一辺倒の細川
父子が嫌いなだけかも。
ついでに言わせてもらえば、あなたの考えは限りなく現代思考だと思うよ。

自分は『義』なんて謳ってないけど、”無理矢理殉じさせられ散っていった”
戦国時代は合戦に於いて、敵前逃亡なんて当たり前。雑兵なんて当然至極。
殺されるの嫌な人は逃げるよ。天皇万歳の近代戦争じゃないんですから・・。

光秀の山崎の合戦でも代表される様に『お見方不利!』って理解してても殉じ
てる武将はなんぼでもいる。自分はそうゆう武将が好きなの。細川藤孝はそう
ゆう人じゃないって言いたいだけ。
大体ね、殉ずるとは主君に対する最後の奉公だよ。(最後まで尽くしてんの)
無理矢理殉ずるなんて言葉は存在しません。

あと、配下より指導力が付加されるって意味が良く分からんので、具体的に
お願いします。
0356人間七七四年2008/01/08(火) 11:48:56ID:hvLoQ/1K
>>355
君の意識は江戸期的だな。戦国時代のものじゃ無い。
配下に利益を提供出来ない、世の中の先を読めない、そんなものは指導者として劣悪だとされ
家臣から「見限られる」のが戦国時代だ。

> あと、配下より指導力が付加されるって意味が良く分からんので、具体的に
> お願いします。
集団に対する「指導力」ってものは上部の人間が権利のようにもっているものじゃ無い。
配下の人間が「彼は指導者としてわれらに利益を与えてくれる」と認識されてはじめて
付託される権力だ。
武士の「奉公」とは、あくまで主君の側からの「御恩」があった上での相互契約である。
0357人間七七四年2008/01/08(火) 12:11:35ID:oXrAz7tS
みんな、仲良くな
双方とも間違っちゃいない。

”武士の「奉公」とは、あくまで主君の側からの「御恩」があった上での相互契約である。 ”
というのは正しい。主君を渡り歩くものや、戦場で主君を見限る武将なんてのはごまんといる。
良い主君というのは”自分の所領を保障してくれる人物である”というのが第一なのだ。
これは東国武士団の発生からの伝統でもある。
自分たちが開墾し切り開いた農地を守り保障してくれる力ある者に付くことで武士団の形成が進んだわけで。

もう一方で、そういった物質的利益よりも精神的なものを重視する人たちもいた。
江戸時代の儒教的武士道ではなく、なんというか任侠道に近い感覚の士道が古くから存在する。
これは武士団が武装集団であった事とも関係する。武士たちは重武装のヤクザ集団とも言えるわけで。
つまり”こいつのためなら死んでやってもいい”という、やつ。
こういったものを重視する奴らは、負け戦でも付いて行こうとする。
江戸期に入ると、こういった士道は幕府から嫌われて儒教的武士道が流布されるようになる。

0358人間七七四年2008/01/08(火) 12:36:56ID:DaZjC7WB
>>356
君の方が江戸期的だと思うがな。
戦国期に於いて先見の明は確かに最重要だと思うよ。ただあなたの論を聞いて
ると自分は精神論ばっかりぶってる様に聞こえる。戦国期の信賞必罰は大前提。

主君に殉じた武将が家臣や一族の事を考えないで、猪突して周りが可哀相なん
て言ってるけど、極論も良い所。自らを省みず主君に殉じる武将が一族郎党の
事を考えない分けないでしょ。懊悩の連続での結論だよ。だからこそ、一族が

最後まで追従する。没落する大名の家臣達は先を読んで、仕える家を変えるの?
みんな?そうではないじゃん。何度も言う様で悪いけど、生き様として島・大谷
の生き方が自分は戦国武将らしいと思うだけだよ。

あと『指導力』と『支配力』はきちがえてない?
0359人間七七四年2008/01/08(火) 12:47:49ID:hvLoQ/1K
>>358
そう感情的になられても困る。
戦国武将とは一般に義なんぞは薬にもする気のない、自己勢力の保全を第一義とする
人間達である。

君の上げているのは極端な例でしかない。そう言うタイプの人間は戦国時代に限らず
どの時代でも出ては来るだろうが、どの時代であったとしても一般的なタイプではない。
それを「戦国武将らしい」などとあたかも一般概念であったかのように語るのは間違いだ。

君の中のロマン主義英雄主義を否定する気はないが、それはあくまで君の意識の中にしか
存在しないモノだ、という事も同時に知っておくべきだろう。
0360人間七七四年2008/01/08(火) 13:27:27ID:DaZjC7WB
>>357
冷静なご判断ありがとうございます。自分が言いたい事をほとんど言って
くれてます感謝!
>>359
君に一言言いたい。一番初めに『アホか』って始めといて、人をロマン派
で落ち着かせて、自分は冷静人ぶるとは、なんて奴だ。しかも自分は私的
思考だと強調してるのに一般概念だとも言う。

教えて欲しいのだが、あなたは戦国期ではやっぱ細川父子が好きなのか?
自分は明智派だから、細川を否定したい(正直!)スレ違いスマン!
後は>>357に仰って頂いた通り。

自分は確かに精神的な物を支柱に考える傾向が有る事は認めます。
0361人間七七四年2008/01/08(火) 14:03:19ID:DASh3BDN
明智派、勝利。
0362人間七七四年2008/01/09(水) 00:05:36ID:f7ycvohu
天皇万歳の近代戦争w
0363人間七七四年2008/01/09(水) 09:27:20ID:0H3No/Ac

明智派には飾らない本音が見えます。
0364人間七七四年2008/01/09(水) 12:14:08ID:cmUibBri
頭は悪そうだけどな
0365人間七七四年2008/01/10(木) 11:32:01ID:5u+aQGT0
>>364
うっせ〜。悪いよ。
0366人間七七四年2008/01/14(月) 22:55:30ID:6Qza703d
名物・阿弥陀堂釜を、忠興が休無(忠隆)に譲った時に「おまえのような
数寄者にこの釜をつかわすのはあたかも阿弥陀を地獄に落としたような
ものだ」と言ったそうだ・・・。なんてひどい言いようだ。
その後忠隆は(忠興死後)甥の光尚にこれを譲ったそうで、こんなひどい
言われたかたしたんじゃ持っていたくなかったのでは?
0367人間七七四年2008/01/14(月) 23:38:44ID:xOZQtvms
現代人である自分のシュミ嗜好で、誰それが好き誰それは嫌いとやるのは自由ですがね。
「自分の現代的感覚こそがイコール戦国武将」とか主張されては、「それは違う」と反論せざるを
えないわけで。
0368サイコメトリー2008/01/15(火) 12:50:56ID:bc6s6To4
>>367
でも、それを自由にぶつける事が出来る場が2chじゃないの?
しかも”自身の現代的感覚”で主張する以外の方法ってなに?
0369人間七七四年2008/01/15(火) 12:54:52ID:mBGyrq/W
当時代人感覚を推測して主張する、当たり前だな
0370人間七七四年2008/01/15(火) 14:13:31ID:dR/Efmoc
島が出奔したのって筒井順慶が光秀に加担しなかったからだっけ?
筒井定次との折り合いがよくなかったって話だと思ってたけど。
0371サイコメトリー2008/01/15(火) 17:49:26ID:bc6s6To4
>>369
それこそ当たり前。
0372人間七七四年2008/01/15(火) 18:54:38ID:/bNd5N3I
>>370
僕は、筒井順慶ちゃん!
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151136284/
0373人間七七四年2008/01/15(火) 19:04:07ID:NQSByyxt
>>366 なんせ茶杓を譲るのに「涙を流して・・・」などと未練たっぷりな
添え状出すような奴だからね。
0374人間七七四年2008/01/15(火) 20:03:04ID:1UQJwfTF
このスレでさんざん分かっていたつもりだったんだが





・・・超弩級に嫌みな奴じゃん、忠興w
よく幕府に取りつぶされなかったもんだ。
0375人間七七四年2008/01/15(火) 22:04:49ID:UMn+MXsx
>374
幕府に対してはとても良い人だったから。
0376人間七七四年2008/01/15(火) 22:35:19ID:1UQJwfTF
>>375
つまりそれって

つ 内弁慶
つ 強きを助け弱気はくじく

・・・うわっ、超最低男だw
0377人間七七四年2008/01/15(火) 22:54:20ID:l6tSV1Ew
>>373 光尚も被害者その3です。[肥後拵え]だか「歌仙拵え」の
どちらかを婚礼の時引き出物で忠興から譲られたんだけど、涙を
流して惜しんで「特別にくれてやる」とか言って与えたそうだか
ら、光尚もいやな思いしてるよ。
でも総合して考えると、一番接点が多かった忠利が一番の被害者かも。

0378人間七七四年2008/01/16(水) 09:16:04ID:Nmp5+zVa
狡猾也。細川家。まぁそれでもお家守るって考え方では
良いのかな? それだけだけど・・。
0379人間七七四年2008/01/17(木) 18:12:51ID:gjlIG4Ys
人間的な問題点もまた興味深いし面白いと思うんだがなぁ、忠興
0380人間七七四年2008/01/17(木) 18:25:52ID:ZvLYsjHt
ゲームみたいに人間の性格ってものを単純化したがる奴が多いな。
実際は、特に忠興なんてものすごく複雑な人間だっただろうに。
0381人間七七四年2008/01/17(木) 18:38:56ID:HrnTQKz/
まあ、来年の大河の主人公みたいに
婿養子で結婚した奥さんを大事にし
主君大事
文武両道(武はアヤシイ説もあるが)
戦国武将には珍しく義を第一に置く
・・・というあまりにも出来過ぎた人物よりはおもしろいことは確かでしょう









ネタにするには。
0382人間七七四年2008/01/18(金) 23:00:01ID:UffQBCTM
以前中村新助について質問させていただいた者なのですが、
あれから中村新助について調べてみたのですが、手に入った資料には来歴までは書かれていませんでした(汗)。

彼はそこそこ高い身分にあったのでしょうか? 奥さんの事は書いてありましたが、
彼がどのように生きて亡くなったか、どなたか教えて頂けませんか?

なにとぞよろしくお願いします。
0383人間七七四年2008/01/19(土) 21:40:50ID:/cVr/oYs
>>382 永禄11年に百五十石遣わされたと記録にあり。
(乳母である妻には別に百石与えられた)
豊前で病死したらしい。
0384人間七七四年2008/01/20(日) 14:24:35ID:BbR4iAkc
家康が畿内近郊の丹後から

遠い九州に細川を、大幅加増で栄転(?)させたのは

裏切り常習犯を近くに置いておきたくなかったから。

幕臣で同僚の一色をだまし討ちにし、重代の主人である足利氏を裏切り、

親戚の明智を支援せず、豊臣を裏切り・・・

こんなやつら、誰が信用するかね。

関ヶ原一回で褒章させられた徳川は可哀想。
0385人間七七四年2008/01/21(月) 00:10:23ID:QWxMp2WI
それはあるな……
0386人間七七四年2008/01/21(月) 00:44:13ID:9ItHWT+f
>384

>幕臣で同僚の一色をだまし討ちにし

本能寺のとき光秀側に付いたから

>重代の主人である足利氏を裏切り

主君「押込」の構造だよ

>親戚の明智を支援せず

謀叛人になんて味方しない

>豊臣を裏切り

家に仕えたんじゃなくて個人に仕えたんだよ、みんな

…と、全てを正当化してみる。
0387人間七七四年2008/01/21(月) 12:57:08ID:u9l1QVsG
戦国期の謀反人の定義は難しいよ。
どこの誰が台頭してきても、結局誰かの謀反人じゃん。
ってか、それが戦国時代でしょ。
0388人間七七四年2008/01/21(月) 23:54:01ID:Kufd7WqE
義父を見捨て、義弟を謀殺。
妻を幽閉し最後は自刃に追い込み、
長男を妻と離別させたあげく廃嫡。
次男は切腹させる。77で下女を孕ませる。
・・・列挙するとホントとんでもない奴。
0389人間七七四年2008/01/22(火) 00:09:08ID:9JKbnJpZ
息子より嫁さんが大事とは、忠興も変わった親だな
0390人間七七四年2008/01/22(火) 00:32:56ID:lWHZgtaa
>>388
列挙した史実に間違いはないんだが、書き方に忠興を貶めようとする意図が感じられるな(玉の生害に関しては言い掛かりに近いし)。
忠興に恨みでもあるのか?
0391人間七七四年2008/01/22(火) 00:36:57ID:nAij/vj8
>>390
同じ史実を忠興サイドに立って記述してみよう! 頑張ってね
0392人間七七四年2008/01/22(火) 01:06:00ID:VRagEKvX
まじで興味深い人物だよな
ガラシャ関係以外でもっとメジャーなって良いと思う
好き嫌いは別にして
0393仙台藩百姓2008/01/22(火) 10:56:03ID:eqpZmG2z
秋の田をからで其儘ただおきの
心なかおか何をいふさい

統治者としても良くなかったようだお┐ (´ω`) ┌
0394人間七七四年2008/01/23(水) 17:57:15ID:54cFz2CZ
忠興の方が人間的だよ(直情型だけど)
藤孝は底知れぬ、したたかさを持つ、冷淡な武将だと思う。
0395人間七七四年2008/01/23(水) 18:24:23ID:9XSfjHiv
この細川忠興ってミニ信長って言われた人? かなりの短気者だったみたいだけど。
もう一人ミニ信長って言われたのって蒲生氏郷だっけ?
0396人間七七四年2008/01/23(水) 20:31:54ID:PH3/nHDL
>>395
確か氏郷のほうが、「天下一気の長い人」で忠興が天下一気の短い人だったはず
0397人間七七四年2008/01/23(水) 23:33:04ID:zFA1Ey95
キレ易いとは言われてるが、忠興ってそんなに領民の評判悪かったのか..

例の三十六人手討ちを除けば、家臣にはそこそこ優しかったんじゃなかったっけ?

個人的には振幅の激しさも大好きだが、やっぱり今も昔も世間的にはアレな人とみなされてるのかなぁ
0398人間七七四年2008/01/26(土) 08:41:55ID:qZZJEzGq
>>388

義父を見捨てる…主君への筋を通して謀反人を討った
義弟を誘殺…政権移行に伴う激変期を生き残るための判断
ガラシャ幽閉〜自刃・時期にもよるが、味土野への幽閉であれば嫌ったのではなく、
ガラシャの命を狙う家臣から守り、かつ離縁したくないから
一旦細川家から遠ざけた。
最期の生害についても事前に言いつけはしていたが、
決断はガラシャによるものだから、「追い込んだ」という表現は不適切
なお忠興のキリシタン迫害は一時的なもので理解を示したあとはむしろ擁護した。
玉造り屋敷には小さな礼拝堂まで作っているし。

忠隆廃嫡…福知山攻め同様に私怨丸出しだからフォローはしない

興秋切腹…関ヶ原における輝経同様、細川家の生き残りをかけて幕府と大坂に分かれたものと
考えられはするが、敵方についた人間は処断以外にやりようがないのでは。
ただし興秋については逃がされて九州で病没した説もある

忠興の立場で考えるとこうなるんじゃないかなぁ。
77歳で子供作ったってのはフォローしようもないがw
0399人間七七四年2008/01/26(土) 18:43:08ID:OFME3Y7G
一色氏誘殺は、明智に付いたのでという理由付けがなされていたはず。
明智が勝った場合の保険とするつもりだったけど、負けたので口封じってことはあるかも。

忠隆廃嫡はいきなり(ガラシャが死んだけど嫁は脱出したってのはとっくに知っているはず)ですねえ
これも忠隆室の脱出の件は名目だけのような気がする。
でも前田との縁を切って、秀忠に気に入られている忠利を跡継ぎにするためにしてもタイミングが唐突。

あと領民に嫌われていたってのは初耳。
肥後への国替えのときも中津の町人が付いていったりしている。
0400人間七七四年2008/01/26(土) 20:25:49ID:nCQZXNrh
一色は潰しとかないと
本能寺のどさくさでひっくり返される危険はあったわけだし
0401人間七七四年2008/01/26(土) 21:17:05ID:tnvVDB82
あの当時は現地の土豪謀殺なんて細川に限ったことでない。
結構その手を使って領地平定してた時代。
黒田親子が宇都宮鎮房に対しておこなったのと同様。
0402人間七七四年2008/01/26(土) 22:24:46ID:bDDGUiJg
>>398 あと70の時にも娘誕生させてるよ。
0403人間七七四年2008/01/26(土) 23:34:54ID:ZI56/e7i
子孫繁栄、いい事じゃん
つか子供多く作るのは大名の義務だぞ
0404人間七七四年2008/01/27(日) 18:37:03ID:Ax2or/p+
70越えてできた娘云々についてもう爺さまになってからで老耄としてる年代だから
しょうがないんじゃない?忠利も光尚に「三斎様ますます短気でこらえ性なく」と
心配してる手紙書いてたし・・・。

四男以降については、あの当時忠利が結婚後何年経っても子ができず
更に忠利も病弱で早世する可能性あったから、お家存続のため跡継ぎ候補作っ
とく必要があったからだしね。

0405人間七七四年2008/01/27(日) 18:45:55ID:C/G1xzdr
泉谷しげるみたいに何に対してもキレまくり爺な忠興を想像して和んだ。
手のかかる爺さんだったんだろうなぁ。
0406人間七七四年2008/01/27(日) 18:50:36ID:DEhU2shg
>>405
泉谷のは芸だが、こっちはリアルだけどなw
0407人間七七四年2008/01/27(日) 23:31:09ID:+oXMIPWT
師の利休は切腹させられるし、仲良かった友人とも切り離され
(氏郷は病死・右近は国外追放・利長とは付き合い禁じられる)
玉とも死に別れだし。かわいがってた孫娘も産褥で死んじゃうし
興元、忠利・光尚親子や興孝とかとは不和になったあげく、
溺愛してた立孝には先立たれと、考えてみるとかなり寂しかったんでないの。
妾をとっかえひっかえしてたのもそのせいでは?
0408人間七七四年2008/02/03(日) 00:45:14ID:XiUudwQh
忠利の幼名・光(光千代)はもしかして光秀からとった?
0409人間七七四年2008/02/21(木) 00:01:54ID:3yk1b873
高桐院の例の墓って、忠興の遺言により「自分と玉の墓塔とするように」
ということで灯篭が墓石になったらしい。(住職談)
忠興の遺骨のうち、歯が埋葬されてると説明にあった。
0410yoko*2008/02/21(木) 00:26:58ID:g3SVLWCl
細川幽斎は確か中学・高校と国語便覧で名前を見ました。
0411人間七七四年2008/02/21(木) 00:57:59ID:JBStUatb
結局、勝ちそうな方に付く家柄じゃん。
明智光秀 対 秀吉の時もそうだし
石田三成 対 徳川家康の時もそうだし
熊本の殿様といったら、加藤清正の方が
豊臣家一筋に忠義を尽くしたから好感度が高い。
0412人間七七四年2008/02/21(木) 09:55:57ID:3qTHh90U
だね。後世の人からすれば藤孝は良く見られない。
0413人間七七四年2008/02/21(木) 15:33:43ID:zQEZzTIS
>>411
でも常に勝つ前に身代賭けてるんだよ?
で、負ける前にすばやく乗り換える。
それで室町末期から江戸初期までを常に権力中枢で泳ぎきったんだから尋常じゃない。
0414人間七七四年2008/02/21(木) 17:22:24ID:31WecVxH
>>411・412 もし当時の人から卑劣漢みたいに思われていたのなら、田辺篭城の際
攻城の将の何人かが(西軍にくみしたものの)矢を射掛けるのをあえて
しなかったり、わざと空砲でうったりと手加減してくれるだろうか?
0415人間七七四年2008/02/21(木) 20:46:08ID:BxSU4mUZ
>411
>石田三成 対 徳川家康の時もそうだし

を「勝ちそうな方に付く家柄」と称すのならば

>熊本の殿様といったら、加藤清正の方が
>豊臣家一筋に忠義を尽くしたから好感度が高い。

の清正も「勝ちそうな方に付く家柄」だよな。
清正も東西両方から誘われたのだから。
0416人間七七四年2008/02/21(木) 21:39:10ID:zdiw+/dc
つーか、普通は「勝ちそうなほう」に付くよな、中世の武家は。
その目算が外れて滅亡しちゃうことが多いけど。
去就を正当化する理屈は後から付いてくる。

負けそうと思いつつ付いた例というと、鎌倉時代の毛利 季光とか関が原の大谷吉継あたりかね?
0417人間七七四年2008/02/22(金) 02:25:01ID:9bVZxUnr
>>416
江戸時代と同じような感覚でとらえられないですしね。
南北朝期など、有利なほうへコロコロ寝返ったりするので、非常にカオスなことになってる。
0418人間七七四年2008/03/05(水) 00:11:59ID:uDGjmYHa
小倉城の普請がはかどらないのに苛立った忠興は現場監督となっていた者を
手討ちにしたと小倉城の説明書きにあった。
これじゃあ、例の庭師(屋根師?)手討ちもホントだろうな。
0419人間七七四年2008/03/05(水) 01:07:35ID:Vo6heZ1w
なんかでかい岩を動かせなくて監督手打ち、その後動かせたってやつ?
0420人間七七四年2008/03/05(水) 07:50:23ID:VbauPos0
忠興とはその様な男。
たいした武将ではないよ。特に人として。
0421人間七七四年2008/03/05(水) 10:17:42ID:RNUWo2n4
こいつ、短気すぎwwwww けど、武人としてはキレやすいから結構強いよなw
0422人間七七四年2008/03/06(木) 20:09:51ID:wVeQp6iY
親父の幽斎は塚原朴伝から「一の太刀」を、息子の忠利は「柳生新陰流」の
白紙の相伝とそれぞれ受けてたが、忠興はなんもない。
0423人間七七四年2008/03/06(木) 23:41:16ID:kUOy3/jt
というか、忠興の世代だとそんなの修めている時間が無いと思う。
同世代の武将でその手のを受けたのっていたっけ?
0424人間七七四年2008/03/07(金) 08:08:54ID:gj+0+Zi6
立花の宗ちゃんとか?
0425人間七七四年2008/03/07(金) 10:00:05ID:yuGvT8v1
剣術習うのが盛んになったのが、むしろ平和になった関ヶ原以降くらいですからね。
その時期に成長した世代だと大名個人でも熱心に習う人が出てくる。

0426人間七七四年2008/03/07(金) 16:21:23ID:Mh/mIKio
>>422
幽斎は上様と一緒に剣術の修練をしてそうだ。
0427人間七七四年2008/03/08(土) 11:25:50ID:iEYiyDKx
つか幽斎は塚原卜伝の弟子じゃなかったっけ、一応?
多分、誇大広告だろうけど一の太刀まで会得したって何かの本で読んだよ
0428人間七七四年2008/03/21(金) 17:57:20ID:nlf9N7Gn
関ヶ原の時代じゃ既に人間国宝扱いだったのもうなずけるな
そんなオヤジを降伏したと罵る息子・・・
0429人間七七四年2008/03/23(日) 06:21:05ID:xf7Qqu/L
卜伝は将軍家の指南役だったけど
具体的に何年まで幽斎と関わりがあったのだろうか
0430人間七七四年2008/04/19(土) 00:22:46ID:63GDwe2g
妻お玉の手紙にも
「旦那様が下人を切りました。まあ使えない人だったからしょうがないかな」
とかかかれてたんで、かなり殺伐としてたり、
家中の者に刃を振るってたのは事実だと思う。
0431人間七七四年2008/04/19(土) 00:44:51ID:uhrHdSps
お玉がそう書いていたなら、
当時は普通だったんじゃね?
0432人間七七四年2008/04/21(月) 12:52:55ID:LYRu/ptS
酔った勢いで切腹命じる大名もいたしな
0433人間七七四年2008/04/26(土) 18:55:40ID:sCCCNKAa
井伊直政もささいな家臣のミスを許さずすぐに斬り付けてたそうだから
そういう人多かったんじゃない?
0434人間七七四年2008/04/27(日) 21:06:42ID:P4uDPCdZ
細川忠興と井伊直政の二人だけで
戦国の常識を決められた日にゃあ‥
0435人間七七四年2008/04/27(日) 21:16:57ID:zcOfFtWR
その2人は日本の戦国時代を代表する人間の極北・歩くシベリア流刑ですものね
0436人間七七四年2008/04/27(日) 21:42:12ID:TVVecSCS
>>492 卜伝は1556〜72年にかけての武者修行の途上京に滞在した折に
義輝と幽斎に「一の太刀」を授けたそうだ。
0437人間七七四年2008/05/03(土) 17:28:18ID:drT++qj/
将棋で勝ったら斬り殺された奴もいたな
0438人間七七四年2008/05/09(金) 00:23:14ID:K26Pc7XF
忠興の素敵なエピソード
・嫁の顔を見ただけの庭師をブッ殺しちゃう
・嫁のご飯に髪が入っているのに立腹台所人をぶった切る
・息子達とことごとく不和に
・関が原で開城した親父が気に食わず俺が初代なんで、前のことは知らんとか言っちゃう
・その他手討ちの雨あられ

これ気違いの顔ですわ
0439人間七七四年2008/05/09(金) 00:23:52ID:K26Pc7XF
すまん、誤爆ですわ
0440人間七七四年2008/05/09(金) 00:27:09ID:H+0WdqFy
>>438のどこがスレ違いか理解できない
0441人間七七四年2008/05/10(土) 17:07:51ID:qgDgTJwR
Wiki見てたら妻絡みの性格は置いとくとして
藤孝より忠興の方が結果的に有能な気がしてきたんだけど違うのかな?
具体的な戦歴・諜報活動も多いし、最終的に得た石高も多いし。
0442人間七七四年2008/05/10(土) 17:19:16ID:qgDgTJwR
あと、関係ないんだが
忠興・興元の生まれも母親も同じってなってるんだが
同年内に2人生んだってこと?双子じゃねえよな?
0443人間七七四年2008/05/10(土) 17:29:24ID:RkLZIRmk
>>442
忠興の生年月日がだいたい固定されている一方で、興元の方は諸説あり。
wikiは、一番あてにならない説を引用したのかも知れません。
0444人間七七四年2008/05/10(土) 17:31:19ID:qgDgTJwR
>>443
なるほど。では他の説では何年生まれ説があるんですか?
0445人間七七四年2008/05/10(土) 17:48:11ID:RkLZIRmk
1564〜1566年まで。
ちなみに1562年説もありますが、これだと忠興の同母兄となってしまいますので、
こちらの信憑性にも疑問符が付きます。
0446人間七七四年2008/05/10(土) 21:14:56ID:qgDgTJwR
>>445
ありがとう。参考になった
0447人間七七四年2008/05/16(金) 13:00:51ID:hA9mjLqq
幽斎は普通に有能でしょう
0448人間七七四年2008/05/18(日) 18:32:48ID:E8BQj1Rd
南禅寺・天授庵に幽斎・興元の墓があり、大徳寺・高桐院に忠興ってことは
やっぱ別家という意識からかな?
0449奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/05/18(日) 21:04:34ID:76mLoTKx
そうだろね。
0450人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/01(日) 18:23:30ID:cccVKFL4
>>448
そうだろうね。
興元は藤孝の跡を継いだと思われる証拠を多分に残しているし
忠興は強く細川輝経家の継承者を意識した伝承が残っているから。
藤孝と忠興は血がつながってるのに無茶苦茶仲悪かったらしいね。
0451人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/02(月) 15:17:18ID:l3UODRpp
藤孝と忠興は実の親子でも系譜上違う家の人間てことか・・・。
勉強になりました。
藤孝の細川より輝経の細川の方が格が上なの?。
細川昭元さんちが一番いい細川なんだよね?
京兆家ってゆーんでしょ?。
0452三十吉@86石(わらじ取り)2008/06/02(月) 21:04:18ID:Mr61WVQp
京兆家は細川家嫡流だし、「格」としては上。
ただ一番いい細川家・・・かはわからん。
徳川の松平だって嫡流は信康で終わりだし。
0453人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/02(月) 21:04:57ID:Mr61WVQp
しまった、誤爆った。
0454人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/02(月) 21:52:04ID:8y8CGmFI
全然誤爆じゃないように見えるのだが
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています