細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2007/02/17(土) 21:24:53ID:kgpQVoWf幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
0277人間七七四年
2007/09/19(水) 00:57:15ID:QhLtqebpしつこくメールしてきそうだ。
0278人間七七四年
2007/09/19(水) 03:01:14ID:djKlKoyGヤンデレは忠興を元に作られた
0279人間七七四年
2007/09/19(水) 21:46:03ID:EnGCmEJ0「この若い越中殿の妻に対する過度の嫉妬と彼女に対して行った極端な監禁は
普通一般の日本人の習慣とは大いに異なって信じられぬほど厳しいものであった。
2人の身分の高い家臣に昼夜を問わず妻の監視を義務付けた。ごく親しい親戚か身内の
者以外には彼女へのいかなる伝言も許さぬようにした。」
−ルイス・フロイス「日本史」より要約−
0280人間七七四年
2007/09/19(水) 23:09:06ID:d2Yg4h9w文化の誤解で(または忠興を反キリスト教な人物として)書いたとも考えられる。
昼夜を問わずの監視も、身辺警護なら昼夜を問わないで行うのは普通だし。
自殺しそうなガラシャを見張るためだったとも言える。
「普通一般の習慣と違い」って一般庶民の妻と大名の妻とでは、厳しさが異なって当然だから
フロイスの言葉を全て鵜呑みにするのは危険だと思うが。
0281人間七七四年
2007/09/19(水) 23:20:41ID:aGk56WC7キリスト教に好意的でない奴らのことはボロクソ書くし、
秀吉の側室200人というのも、実際は側室とそのお付きや侍女も
含めての人数で、どうもフロイスはそこらへん理解出来てなかった
みたいだし。鵜呑みはできまいて
0282人間七七四年
2007/09/20(木) 00:14:09ID:XDEh11m9そのまま受け取れるようなもんじゃ無い。
まぁ、信じて騒いでるアホも多いけど。
0283人間七七四年
2007/09/21(金) 23:19:37ID:Pmo0BrdUだが三淵氏についてハッキリしない。
尊氏の落胤とか義満の落胤とか。
0284人間七七四年
2007/09/21(金) 23:20:40ID:Pmo0BrdUだが三淵氏についてハッキリしない。
尊氏の落胤とか義満の落胤とか。
0285人間七七四年
2007/09/22(土) 00:36:18ID:zcmkoxF0その三淵晴員が和泉守護細川家の出身で、彼の母系が三淵氏だったはず。
つまり、父系では細川、母系では三淵氏(将軍家の落胤?)の血筋
0286人間七七四年
2007/09/22(土) 06:21:29ID:ESJ1jIXF血は引いてる。
0287人間七七四年
2007/09/25(火) 21:29:28ID:4qZ7ZXiu細川忠興は、細川奥州家の細川輝経の家系を継いだんだから
肥後熊本藩にとっては、細川輝経の経歴のほうが重要
0288人間七七四年
2007/09/25(火) 22:20:32ID:mQpTxZSfまぁ、幕臣→義弟に厄介→自害、な訳だが…。
0289人間七七四年
2007/09/25(火) 22:50:31ID:Fpt/V0cQローマ字の印鑑をプレゼントされたらしいが(『tadawoqui』と彫られている)
0290289
2007/09/25(火) 22:59:42ID:Fpt/V0cQ0291人間七七四年
2007/09/25(火) 23:07:36ID:6HynxyT6忠興自身は自分の才覚で大名になったという自負のほうが大きかったようだけど。
忠興が幕府から藤孝以前のことを聞かれて”俺が初代なんで、その前のことなんて知らね”といったとか。
でも何で嫡妻の子供でしかも長男を養子に出したんだろう。
すぐ下に同母弟もいるのに。
0292奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/09/25(火) 23:50:56ID:AxPD2ogH0293人間七七四年
2007/09/26(水) 00:07:23ID:buPTAHVQ>でも何で嫡妻の子供でしかも長男を養子に出したんだろう。
>すぐ下に同母弟もいるのに。
義輝の命令で養子に出したという話が本当であれば話は簡単。
興元がまだ生まれていなかったから。
0294人間七七四年
2007/09/26(水) 08:37:22ID:nLvRrMqr輝経は名前からしみて藤孝より年少と思われる。(元服したのが、足利義藤が義輝に改名したあとだから)
そんな若い人間に、まだ他に男子がいない藤孝の息子を養子にする理由は?
実際に、輝経には子供がいたみたいだし。
(田辺篭城時に同一行動とった息子がいたと思う。忠興とどっちが上かはわからないけど)
嫁の実家や本家筋が男子がいなくてというのは、結構きく話なんだけど。
それ後出した側に後継ぎがいなくなり、更に養子を貰う。
(吉良義央の息子が上杉家をついで、その息子が祖父にあたる義央の養子になるとか、伊達晴宗の場合も息子を義父の養子にしているかたち)
0295人間七七四年
2007/09/26(水) 19:06:29ID:xSk9g2aEその辺もなんか事情がありそうだ。
0296人間七七四年
2007/09/27(木) 00:42:32ID:RqRIxVVL0297人間七七四年
2007/09/27(木) 02:36:01ID:Nm55Mw4J0298人間七七四年
2007/09/27(木) 02:47:43ID:d8YfPG6B「細川家 美と戦いの700年」
・よみがえる熊本城
・歌に遊び、茶に憩う 〜乱世の達人・幽斎と三斎
・茶の湯vs.世界基準 〜細川家の茶道具・やきもの18選
・財政破綻もなんのその肥後国主200年の夢
・往復書簡3000通 細川家、情報戦を制す
・「殿様」の思い出 〜護立コレクションをめぐって
熊本県立美術館
細川コレクション 永青文庫展示室 開館記念
「細川歴代の文と武と美展」
2008年4月25日〜6月末(予定)
0299人間七七四年
2007/09/27(木) 08:24:30ID:77qnL4d7>・よみがえる熊本城
熊本城を設計施工したのは加藤清正っつー話はなしですかそうですか
でもその展覧会はいってみてーなー
もう一つのゆかりの地・京都辺りに巡回しないかなー 九州トオイヨ
0300人間七七四年
2007/09/27(木) 13:28:02ID:LjwudtWE18代目当主・細川護煕さんの展覧会とガラシャ夫人展も火曜日まで熊本県熊本市・鶴屋デパートで開かれていた
ガラシャ夫人のところで幽斎(藤孝)公・忠興公親子のことも結構触れられていた
0301人間七七四年
2007/09/27(木) 18:15:36ID:neO4kJXO島田美術館「近世肥後の文武−清正、忠興・ガラシャ・武蔵まで−」10月1日〜
熊本県立美術館「激動の三代展−加藤清正・忠広、細川忠利の時代−」10月12日〜
(ちなみに八代市立博物館では清正の宿敵・行長展やるらしい)
0302人間七七四年
2007/09/28(金) 19:53:00ID:iUQCkcdy当時、三好党が支配する勝竜寺に、藤孝がいれるはずがないよね。
0303人間七七四年
2007/09/28(金) 22:41:48ID:5T9qZzE/いや、義輝家臣をみな殺しにするって目的だったわけでもないし。(後に義昭の家臣になった足利氏の譜代家臣が一杯登場するでしょ)
非番かなにかで、藤孝が居城にいたらとりあえず危険はない。
屋敷を囲んで奇襲かけたから、屋敷内の男達は全滅かもしれないけど。
0304人間七七四年
2007/10/11(木) 02:54:13ID:C6LWWsWS足利義輝暗殺の翌年の段階では、岩成友通が城主になっているが、
それより以前は細川元常(細川幽斎の養父)が城主なんだよな。
だから藤孝が城主で、義輝暗殺後に三好が接収した可能性もあると
思うが、誰か詳しい人いる?
ただ、藤孝にポジションからみても、洛中の自邸にいた可能性も
否定はできんかな。
細川家中の岩間六兵衛が武田義信の遺児という情報をみたことあるが、
本当かなあ。尾池玄蕃といい、おちぶれた名族のたまり場になっている気がw
0305人間七七四年
2007/10/11(木) 23:23:48ID:HQj+EhU+>岩間六兵衛
ググると、信玄・六男:武田信清の子となってるな。
ただ本当に武田氏の縁者なら、若狭武田氏の方が可能性があると思うな。
0307人間七七四年
2007/10/27(土) 17:21:57ID:ZWdcSEUy0310人間七七四年
2007/10/31(水) 17:11:50ID:uJ5Xt29f斯波武衛家の末裔までいるのか・・・
0311人間七七四年
2007/11/02(金) 08:59:12ID:8Qddn4QZリンク先みるかぎり、水戸藩みたいに手当たりしだいに集めたというわけじゃなくて、
室町幕府に仕えた仲とか血縁などを頼って自然と集まったって感じですかね。
しかし、吉良親実と久武親直の子孫が両方仕えているってのもすごいな。
0313人間七七四年
2007/11/03(土) 01:09:59ID:qPG4mCDW逆だったら泣けるが・・・
0314人間七七四年
2007/11/10(土) 09:29:31ID:xfveAhdQどの領地も海に面していたし…それとも現地で徴兵なりして再組織してたんだろうか
0315人間七七四年
2007/11/14(水) 23:26:53ID:nt0Rszrw0317人間七七四年
2007/11/15(木) 15:25:30ID:t9uTpgQfたしかあのあたりにかの長岡京があったはずだから・・・
0318人間七七四年
2007/11/16(金) 20:25:33ID:FyPB7bnU平安京のひとつ前の。
0319人間七七四年
2007/11/19(月) 00:03:53ID:lz1rj1fw臣従してもある程度我慢ができるからじゃないの?
0320人間七七四年
2007/11/19(月) 21:24:09ID:IGoRsXKH公では対立しても私では恨みとかなかったんではないのかなぁ
しかし面白いぐらいに没落した人が集っているね
0321人間七七四年
2007/11/19(月) 21:28:56ID:BN+3KB/I0322人間七七四年
2007/12/15(土) 09:54:25ID:xJ5csQ+v忠興が男色家だったと書かれてて全く否定する人いなくて笑ったw
あと牛肉大好きだったのは意外だな
0323人間七七四年
2007/12/17(月) 17:47:46ID:d+6lPTtn0324人間七七四年
2007/12/17(月) 22:07:33ID:C3JgtkH+戦国武将=男色で忠興もひとまとめにされてた頃があったんだなぁと
0325人間七七四年
2007/12/17(月) 22:32:36ID:hD60TzGI今もあの辺りは長岡京市があるんですが…
0326人間七七四年
2007/12/18(火) 21:20:14ID:wOlXkKQi0328人間七七四年
2007/12/19(水) 00:51:20ID:AZ3SGgQWなにこれ!笑
細川やばっ・・・
最後の方とか胡散臭さハンパないな・・・
これの水戸藩版ってある?キボンヌ
0329人間七七四年
2007/12/20(木) 21:18:58ID:LgQBnDaG思案しましたが、やはり貴方様にこそ相応しいもの、私のほんの志ばかりでございます。
(中略)六十年来の苦もなんのその、今こそ、ここに別れがやって参りました。先般来の御心尽くしの
お礼は、筆舌につくす事はできません。・・・」
八代市でやってた小西行長展に陳列されてたらしい。
0330人間七七四年
2007/12/23(日) 14:25:10ID:kKoNL6UI0331-
2007/12/23(日) 17:24:33ID:AH19I6Ld0332人間七七四年
2007/12/23(日) 22:30:18ID:b1tnuh8d0333人間七七四年
2007/12/30(日) 18:41:35ID:aBStunxS忠興が優秀であるので、より格式の高い細川家を継がせたいと将軍が思ったから
>>287に対する回答
あなたは、すばらしい
>>32に対する回答
そう答えたんじゃなく「自分は輝経の跡を続いだので幽斉とは関係ないです。
同じ細川でも自分の継いだ細川は大外様の細川とも呼ばれた奥州家です。
幽斉の細川とは関係ありません」
と答えたんだそうですよ。
0334人間七七四年
2007/12/30(日) 20:59:58ID:pFXCw/aX>忠興が優秀であるので、より格式の高い細川家を継がせたいと将軍が思ったから
将軍がねえ。
忠興はおしめをつけていたくらいから、優秀だと評価されていたと?
0335人間七七四年
2007/12/31(月) 02:42:11ID:8oHn6bEj義輝(もしくは義昭?)が将軍にいた頃、細川忠興はまだガキなので、
むしろ幽斎と公方の関係から・・・というセンの方が妥当とは思う
0336人間七七四年
2007/12/31(月) 12:25:56ID:U/n+27iUおんなじ感じでいいじゃない
0337-
2007/12/31(月) 18:43:46ID:JQ2yso62だっこされて泣かなかったら「むぅ、肝が座っとる…ゆくゆくは大物に」
逆に大泣きしたら、「こいつは勇ましい…ゆくゆくは大物に」
0338人間七七四年
2008/01/02(水) 01:15:49ID:6UPAPqvV細川昭元>細川輝経>細川藤孝だね
席次は
0339人間七七四年
2008/01/04(金) 14:07:46ID:FwXTsQGn更に、小さい頃から藤孝のこと嫌ってたよね。
手に負えなくて玉甫和尚のトコに預けられてたし。
0340人間七七四年
2008/01/05(土) 10:46:24ID:VdxvkJ7kじゃあ玉甫が忠興の傅役ってことになるのかなぁー
0341人間七七四年
2008/01/05(土) 13:47:18ID:Mr+6IW765歳の時勝竜寺城に戻って藤孝に会えたんだけど
7歳の時に騒動起こして藤孝と険悪になって
玉甫叔父さんトコに預けられたそうだ。
0342人間七七四年
2008/01/05(土) 13:50:13ID:Q3IneSqI長岡姓にも同じように改名しているし、藤孝が隠居したときにも忠興が所領を相続しているんだから
輝経との関係はあくまで名目上のことにすぎないのでは。
>>340
藤孝が義昭と亡命生活を送っていたときは、忠興は守り役の夫婦と一緒に、京都で潜伏生活をしていた。
この夫婦の子孫は江戸時代にも引き続いて細川家に仕えている。(全然高待遇じゃないけど)
0343人間七七四年
2008/01/05(土) 18:12:43ID:4ADTRc9A家康に忠興自身が、藤孝と自分の家系は関係ない
自分は輝経の家系を継いでいる
と言い切っているんだから
後世の他人がケチつけるべきではない
0344人間七七四年
2008/01/05(土) 18:39:19ID:VdxvkJ7k答えていただきありがとうございます。
その傅役は中村と言う夫婦でしょうか?
手持ちの資料には記載がなかったので、もう少し詳しく教えていただけませんか?
0345人間七七四年
2008/01/06(日) 12:42:54ID:decrHlGuそうですよね、忠興自身が主張してるんだから
輝経および奥州家が小倉〜熊本藩の先祖ですよね。
0346人間七七四年
2008/01/06(日) 13:08:49ID:T7WgS4EOのちに細川家奥向きの大局をつとめる。知行百石。
忠興−忠利の書状に、大局の娘から借米した話が
いくつかでてくるので、結構お金持ち?
0347サイコメトリー
2008/01/07(月) 10:30:23ID:MW42B6oV本能寺に至る以前に光秀が細川父子に事前説得、協力を申し込んだとしたら
細川父子は光秀と手を組んだであろうか?
0349人間七七四年
2008/01/08(火) 08:35:56ID:DaZjC7WBしたたかな細川藤孝なら、表面では協力体制を取り、実際は筒井順慶と同じ
動きを取る公算が高い。戦国武将らしいといえば、らしいが、自分は光秀に
同調しなかった筒井家を潔しとせず、出奔した島左近こそが、本物の戦国武
将だと思う。
0350人間七七四年
2008/01/08(火) 09:20:00ID:hvLoQ/1K本物の戦国武将だ。家を潰してどうする?
島左近なんぞはただの「猪武者」と呼ぶ。
0351人間七七四年
2008/01/08(火) 10:10:44ID:DaZjC7WB島左近や大谷吉継は負け戦と理解しながら、それに殉じた武将ですが、彼らは
戦国武将その物だよ。状況判断を的確にし、家を守る事を事の大事とし、強き
に着くのは江戸時代の外様と一緒。男気と心意気なくて、戦国武将と呼べるか!
0352人間七七四年
2008/01/08(火) 10:21:09ID:CgC79cTd>状況判断を的確にし、家を守る事を事の大事とし、
>強きに着くのは江戸時代の外様と一緒。
ほとんどの武将はそうやって生き残った訳だが。
0353人間七七四年
2008/01/08(火) 10:28:37ID:hvLoQ/1Kどうやったらそんな歪んだ戦国武将観を持てるんだろう…。
戦国武将ってのは何よりも自分と自分の配下の生存権の確保と利益を誘導するのが
最大の任務だ。それがあるからこそ配下より「指導力」が付加される。
君の大好きな島や大谷の後ろに、自分には何の関係もない主人の「義」とやらに無理矢理殉じされ
本人の意思に反し意味も無く散って行った多くの人々の事、そしてそんな判断をした(分かった上で
やったならなおさら!)島や大谷の傲慢さを、少しでいいから考えて下さい。
0354たられば君
2008/01/08(火) 10:30:45ID:tBJ7gblC0355人間七七四年
2008/01/08(火) 11:36:43ID:DaZjC7WB俺は歪んでるのかな?そうかもね。>>354の言う様に生き残り一辺倒の細川
父子が嫌いなだけかも。
ついでに言わせてもらえば、あなたの考えは限りなく現代思考だと思うよ。
自分は『義』なんて謳ってないけど、”無理矢理殉じさせられ散っていった”
戦国時代は合戦に於いて、敵前逃亡なんて当たり前。雑兵なんて当然至極。
殺されるの嫌な人は逃げるよ。天皇万歳の近代戦争じゃないんですから・・。
光秀の山崎の合戦でも代表される様に『お見方不利!』って理解してても殉じ
てる武将はなんぼでもいる。自分はそうゆう武将が好きなの。細川藤孝はそう
ゆう人じゃないって言いたいだけ。
大体ね、殉ずるとは主君に対する最後の奉公だよ。(最後まで尽くしてんの)
無理矢理殉ずるなんて言葉は存在しません。
あと、配下より指導力が付加されるって意味が良く分からんので、具体的に
お願いします。
0356人間七七四年
2008/01/08(火) 11:48:56ID:hvLoQ/1K君の意識は江戸期的だな。戦国時代のものじゃ無い。
配下に利益を提供出来ない、世の中の先を読めない、そんなものは指導者として劣悪だとされ
家臣から「見限られる」のが戦国時代だ。
> あと、配下より指導力が付加されるって意味が良く分からんので、具体的に
> お願いします。
集団に対する「指導力」ってものは上部の人間が権利のようにもっているものじゃ無い。
配下の人間が「彼は指導者としてわれらに利益を与えてくれる」と認識されてはじめて
付託される権力だ。
武士の「奉公」とは、あくまで主君の側からの「御恩」があった上での相互契約である。
0357人間七七四年
2008/01/08(火) 12:11:35ID:oXrAz7tS双方とも間違っちゃいない。
”武士の「奉公」とは、あくまで主君の側からの「御恩」があった上での相互契約である。 ”
というのは正しい。主君を渡り歩くものや、戦場で主君を見限る武将なんてのはごまんといる。
良い主君というのは”自分の所領を保障してくれる人物である”というのが第一なのだ。
これは東国武士団の発生からの伝統でもある。
自分たちが開墾し切り開いた農地を守り保障してくれる力ある者に付くことで武士団の形成が進んだわけで。
もう一方で、そういった物質的利益よりも精神的なものを重視する人たちもいた。
江戸時代の儒教的武士道ではなく、なんというか任侠道に近い感覚の士道が古くから存在する。
これは武士団が武装集団であった事とも関係する。武士たちは重武装のヤクザ集団とも言えるわけで。
つまり”こいつのためなら死んでやってもいい”という、やつ。
こういったものを重視する奴らは、負け戦でも付いて行こうとする。
江戸期に入ると、こういった士道は幕府から嫌われて儒教的武士道が流布されるようになる。
0358人間七七四年
2008/01/08(火) 12:36:56ID:DaZjC7WB君の方が江戸期的だと思うがな。
戦国期に於いて先見の明は確かに最重要だと思うよ。ただあなたの論を聞いて
ると自分は精神論ばっかりぶってる様に聞こえる。戦国期の信賞必罰は大前提。
主君に殉じた武将が家臣や一族の事を考えないで、猪突して周りが可哀相なん
て言ってるけど、極論も良い所。自らを省みず主君に殉じる武将が一族郎党の
事を考えない分けないでしょ。懊悩の連続での結論だよ。だからこそ、一族が
最後まで追従する。没落する大名の家臣達は先を読んで、仕える家を変えるの?
みんな?そうではないじゃん。何度も言う様で悪いけど、生き様として島・大谷
の生き方が自分は戦国武将らしいと思うだけだよ。
あと『指導力』と『支配力』はきちがえてない?
0359人間七七四年
2008/01/08(火) 12:47:49ID:hvLoQ/1Kそう感情的になられても困る。
戦国武将とは一般に義なんぞは薬にもする気のない、自己勢力の保全を第一義とする
人間達である。
君の上げているのは極端な例でしかない。そう言うタイプの人間は戦国時代に限らず
どの時代でも出ては来るだろうが、どの時代であったとしても一般的なタイプではない。
それを「戦国武将らしい」などとあたかも一般概念であったかのように語るのは間違いだ。
君の中のロマン主義英雄主義を否定する気はないが、それはあくまで君の意識の中にしか
存在しないモノだ、という事も同時に知っておくべきだろう。
0360人間七七四年
2008/01/08(火) 13:27:27ID:DaZjC7WB冷静なご判断ありがとうございます。自分が言いたい事をほとんど言って
くれてます感謝!
>>359
君に一言言いたい。一番初めに『アホか』って始めといて、人をロマン派
で落ち着かせて、自分は冷静人ぶるとは、なんて奴だ。しかも自分は私的
思考だと強調してるのに一般概念だとも言う。
教えて欲しいのだが、あなたは戦国期ではやっぱ細川父子が好きなのか?
自分は明智派だから、細川を否定したい(正直!)スレ違いスマン!
後は>>357に仰って頂いた通り。
自分は確かに精神的な物を支柱に考える傾向が有る事は認めます。
0361人間七七四年
2008/01/08(火) 14:03:19ID:DASh3BDN0362人間七七四年
2008/01/09(水) 00:05:36ID:f7ycvohu0363人間七七四年
2008/01/09(水) 09:27:20ID:0H3No/Ac明智派には飾らない本音が見えます。
0364人間七七四年
2008/01/09(水) 12:14:08ID:cmUibBri0365人間七七四年
2008/01/10(木) 11:32:01ID:5u+aQGT0うっせ〜。悪いよ。
0366人間七七四年
2008/01/14(月) 22:55:30ID:6Qza703d数寄者にこの釜をつかわすのはあたかも阿弥陀を地獄に落としたような
ものだ」と言ったそうだ・・・。なんてひどい言いようだ。
その後忠隆は(忠興死後)甥の光尚にこれを譲ったそうで、こんなひどい
言われたかたしたんじゃ持っていたくなかったのでは?
0367人間七七四年
2008/01/14(月) 23:38:44ID:xOZQtvms「自分の現代的感覚こそがイコール戦国武将」とか主張されては、「それは違う」と反論せざるを
えないわけで。
0368サイコメトリー
2008/01/15(火) 12:50:56ID:bc6s6To4でも、それを自由にぶつける事が出来る場が2chじゃないの?
しかも”自身の現代的感覚”で主張する以外の方法ってなに?
0369人間七七四年
2008/01/15(火) 12:54:52ID:mBGyrq/W0370人間七七四年
2008/01/15(火) 14:13:31ID:dR/Efmoc筒井定次との折り合いがよくなかったって話だと思ってたけど。
0371サイコメトリー
2008/01/15(火) 17:49:26ID:bc6s6To4それこそ当たり前。
0372人間七七四年
2008/01/15(火) 18:54:38ID:/bNd5N3I僕は、筒井順慶ちゃん!
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151136284/
0373人間七七四年
2008/01/15(火) 19:04:07ID:NQSByyxt添え状出すような奴だからね。
0374人間七七四年
2008/01/15(火) 20:03:04ID:1UQJwfTF・・・超弩級に嫌みな奴じゃん、忠興w
よく幕府に取りつぶされなかったもんだ。
0375人間七七四年
2008/01/15(火) 22:04:49ID:UMn+MXsx幕府に対してはとても良い人だったから。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています