忠興って生まれた時、藤孝が義昭救出とかで奔走している大変な時期だったんで家臣の中村夫婦に預けられ粗末な小屋で彼らの子どもとして育てられ隠れるようにして暮らしてたらしい。
5歳になって初めて勝龍寺城に戻って幽斎に会えたと「綿考輯録」にある。
こんな生い立ちがあの性格をつくりあげたのかも・・・。
更に7歳ぐらいの時に、家臣同士の争いが起こってこの騒動を大いに喜び、一方に肩入れして一方を追い出した。
これを聞いた藤孝が激怒して忠興を譴責しその結果親子の間が険悪になった。
その後、大徳寺の玉甫(幽斎の弟)の所に預けられたとか。
そういえば玉との縁談を信長が持ちかけた時、「剛強に過ぐる」と辞退してるくらいだから
藤孝がもてあますぐらい相当なものだったんでしょう。