細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ
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0001人間七七四年
2007/02/17(土) 21:24:53ID:kgpQVoWf幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
0181人間七七四年
2007/07/15(日) 23:09:23ID:fa9axV8U幽閉され三戸野で興秋を出産したし、乳飲み子見捨てて自害は忍びなかったんじゃないの?
更に、幽閉後生んだ光(忠利)がえらい病弱で付っきりで看病してたらしいからなおさら
見捨てられずそのままずるずるいっちゃったのでは?
(珠が入信したのは光の病弱も原因の一つだったらしい)
0182人間七七四年
2007/07/16(月) 04:50:53ID:m5Gy9ckGどっちにせよ、この男にそんな事言われても全く説得力はないがw
ただ、このサイトを見ると、案外忠興も寛容だったところもあるらしい。
ttp://www.tamahime.jp/text/faq/
0183人間七七四年
2007/07/16(月) 12:58:19ID:RU1FwzXg江戸城で、登城する大名のおつきの武士が控えている部屋があって、やることもないので、つい居眠りしている者が結構いた。
ところが、細川家の家臣のみ背筋を伸ばして、ちゃんと正座している。
感心したある大名が、「どうやって指導してるんですか?」と聞いたら、「2度までは失敗しても許すけど、3度やったら成敗します」だと。
逆に好きなエピソードは、
中津に隠居した忠興が忠利に「家臣がちっとも挨拶にこない、お前が挨拶に行くのを禁止してるんだろ」と文句をつけたら
忠利が、「いや、ちゃんと挨拶に行ってかまわないと言ってます。来訪者のリスト貰えれば、行ってない人間を指導します」と返事した。
家臣たちは「こりゃ、大変」と大挙して中津に挨拶に行ったので、逆にあまりにも来訪者が多くなって
忠興が「やっぱ、挨拶はほどほどでいいよ」って前言撤回したやつ。
0185人間七七四年
2007/07/16(月) 18:11:12ID:INuXbkVa小笠原の浸透はイマイチだな。礼儀作法位か。
0186人間七七四年
2007/07/16(月) 20:47:44ID:AS0kMlxfそういえば小倉城の展示解説に>>97のAにある話が紹介されてて
この話から忠興は度量の広い人物であったとコメントを載せてあった!!
(これじゃあ何も知らん人たちに誤った印象を与えてしまうじゃないか)
0188人間七七四年
2007/07/16(月) 23:28:14ID:AS0kMlxfと言ってガラシャが思いのままにいつまでもお祈りができるように、そのための礼拝所や祭壇を、
忠興自らそれらの建築に指図したって話のこと?
このエピも、それ以前の鼻削ぎ等々のエピからすればものすごい豹変ぶりだね。
0189人間七七四年
2007/07/17(火) 00:32:53ID:9cpJl9/o後には礼拝所やら祭壇やらに配慮を示すようになってる。
ガラシャの死後のコメントといい・・・・越中守に何が起きたんだろうか?
0190人間七七四年
2007/07/17(火) 01:08:25ID:k+KahlRM思ってたが、玉が本気だとわかって止めたんじゃないか?
これ以上やったらマジで捨てて出て行かれる、と。
0191人間七七四年
2007/07/17(火) 02:55:53ID:sLZBSMg4キリシタンで自害は御法度。
0192人間七七四年
2007/07/17(火) 03:02:56ID:9cpJl9/o鼻削ぎやってたころくらいに、玉が「別れたい」と宣教師に
相談したことがあったらしいから、それを聞いて慌てたのかも
しれんなw
あと、なぜか三斎が衆道が大嫌いだったらしいが、何故だろうな?
0194人間七七四年
2007/07/17(火) 11:48:34ID:ZirGNA2W精神的に不安定だったガラシャが、とりあえずキリスト教に入信したことで落ち着いたとか
周囲の人物も入信して、強硬策取りづらくなったということもあるかも知れない。
豊前時代の初め、領内で比較的キリスト教に寛容だったのは、
九州の領民への普及率が丹後時代と比べて高かったからじゃないかなと思ってるんですが。
0195人間七七四年
2007/07/17(火) 22:34:07ID:BFvN/wHL0196人間七七四年
2007/07/19(木) 00:14:39ID:b2TJORpm言われてたらしい。(本能寺の変で光秀に付くか否かの二者択一を迫られたこと、
秀次事件で連座させられそうになったこと、関が原の折ガラシャが自刃させられたこと
以上3つの災難で三災というわけ)
0197宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/07/19(木) 00:30:25ID:Lg7Zmxbe細川幽斎と仲が良かったらしい。
元親が松山城に籠城してる時、幽斎は元親に歌書「八雲集」を届けている。
また、元親が自害する際にも幽斎へ一句残している。
この2人の繋がりが個人的に気になってる。
流れぶったぎってすまん。
0198人間七七四年
2007/07/21(土) 16:27:21ID:Y3047f2eこの人の資料ってあんまり無くて・・
0199人間七七四年
2007/07/23(月) 00:16:37ID:E747rRLjとして召しだされた(1609年近江に千石与えられた)
0200198
2007/07/24(火) 16:18:18ID:AHbjiVdQ一応は家臣入りしたんですね。しかもその後、ヘッドハンティングとは驚きました。
細川家臣団は皆さん逸話が多くて凄いと思います。
特に飯河親子の最期は・・(;_;)
0201人間七七四年
2007/07/24(火) 21:51:30ID:MOzl+qhi0202人間七七四年
2007/07/25(水) 06:17:02ID:cnWg+LJr私の読んだ資料には三淵光行は関ヶ原合戦に参加したと書いてありました。
実際はどうだったんでしょ。
>>201
飯河親子粛清で細川家に不審を抱いて出奔したみたいですね。
この頃は加賀山隼人の切腹とか内部的な事件も多かったので
嫌気がさすのも仕方ないのかなぁ。
0203人間七七四年
2007/07/25(水) 23:50:16ID:27+3l7ISご自由に利用してください。
http://www37.atwiki.jp/sengokuita/
0204人間七七四年
2007/07/27(金) 18:37:37ID:6VlOX55t忠興が母親(麝香の方)と一緒に登場。まだどんな人物設定かは謎。
0205人間七七四年
2007/07/27(金) 19:42:58ID:7S38pBFb0206人間七七四年
2007/07/27(金) 21:58:24ID:b1D74hn7秀忠の家老の息子と結婚するんじゃなかったっけ・・・?
うろ覚えでスマソ
0207人間七七四年
2007/07/27(金) 23:55:22ID:jJY9MlcAたぶんそれは違うと思われ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%BF%A0%E8%88%88
0208人間七七四年
2007/07/28(土) 21:56:41ID:X/ibWLDN剃髪させて細川家で引き取ったので秀吉の餌食にはならなかった。
・秀忠関連で縁づいてるのは2人の三男・忠利。正室は家康のひ孫にあたり秀忠・小督夫妻の
養女として忠利に嫁ぐ。
0209人間七七四年
2007/07/28(土) 22:02:21ID:mZsHwbQT0210名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 03:47:38ID:axSHbCEA言われとる。
0211人間七七四年
2007/07/31(火) 17:48:40ID:srSCuB2v石切り場で石工に石の切り方まで指導したり、甲冑(越中流)や刀(肥後拵え)とか
工夫したりとそういうの得意だったみたいだから、可能性はかなり高いかもね。
0212人間七七四年
2007/07/31(火) 19:08:07ID:OUxvu0FM0213人間七七四年
2007/08/01(水) 01:22:24ID:rUw1k+Pv本能寺の変の時はどうしたんだろ?
0214人間七七四年
2007/08/07(火) 20:58:49ID:3EZ3hvlr家臣2人が厳禁していた男色をひそかに行っていた。忠興が2人を呼びつけて厳しく咎めたが、全く反省する色がなかった。それどころか
「われら両人、一命をかけて兄弟の契りを結びましたうえは、いかなる仕置きをも甘んじてお受けいたします」と決死の覚悟を見せた。すると忠興は
意外にも「よろしい、お前たちは特別に許してやろう。そのかわり、今後より一層忠節を尽くせ」と言った。てっきり成敗されるものと思っていた
2人は意外な結果に茫然自失した。まもなく両人の男色はやみ、それを最後に家中の弊風はすっかり改まったという。
0215人間七七四年
2007/08/07(火) 21:22:57ID:xvU57W5E0216人間七七四年
2007/08/07(火) 21:35:11ID:Pv56z3kR本気になってる奴は少数。
0217人間七七四年
2007/08/10(金) 12:37:06ID:RI21yP8A書くつもりでして、主に登場する家臣団は以下の面々を選出しました。
彼等の他にこの家臣は外すなというご意見がありましたら、よろしくお願いします!
松井康之
有吉立行
米田是政
沼田延元
三淵光行
飯河宗祐
沢村才八
加賀山隼人
河喜多石見
小笠原秀清
穴生理右衛門
稲富祐直
0218217
2007/08/10(金) 19:00:06ID:RI21yP8Aあと青龍寺以来の家臣で魚住万之允を出そうと考えています。
万之允は魚住市正の事でよろしかったですよね?
間違いがありましたら、遠慮なく指摘してください。
0219人間七七四年
2007/08/12(日) 19:02:08ID:lwNuflh50220人間七七四年
2007/08/12(日) 23:00:31ID:NvOLFIZM0221Y ◆nzdGjBH722
2007/08/12(日) 23:01:54ID:Xpwnn3ph0222人間七七四年
2007/08/14(火) 21:11:13ID:Nv+DkaMSちなみに、龍伯については彼が質問した部分が秘伝に触れるため誓詞を出させた
といういきさつなのでホントの意味での古今伝授ではない。
0223人間七七四年
2007/08/14(火) 21:15:00ID:Nv+DkaMSできたら能がらみのエピで
0224217
2007/08/14(火) 23:13:05ID:LsK/njxDご意見、ありがとうございます。
幸隆や興元のエピソードも入れるつもりでした。こないだ話題に挙がった妹のすごいエピソードも。
ちなみに幸隆について能にまつわる有名なエピソードとはなんでしょう?
幸隆に関する資料をあまり用意できない状況で、それは存じませんでした;
0226225
2007/08/15(水) 00:19:20ID:YDz7VXMP>龍伯については彼が質問した部分が秘伝に触れるため誓詞を出させたといういきさつ
の下りについて
コピペする前にUPしてしまった・・・(´・ω・`)
0227人間七七四年
2007/08/15(水) 10:16:53ID:i1kAQV5+三条西公国・・・後に息子に相伝することを条件に、三条西実枝は幽斎に古今伝授した。
実枝の死後、天正8年約束通り公国に「返し伝授」したが、後に彼は32歳で亡くなってしまった。
中院 通勝・・・実枝の甥。公国の死後、伝授を開始したが一旦中断。最終的に終了したのは慶長9年。
烏丸 光広・・・慶長8年に伝授終了。ちなみにこの人の息子に忠興の娘(万)が嫁ぐ。
0228人間七七四年
2007/08/16(木) 18:18:40ID:UdN/2sju能を舞ったと記録にあるそうで幽斎夫妻が描かせた画像が南禅寺に残されてる。
細川家は能が好きで松井等家臣と天正11年から慶長5年の間に50回以上演能してますね。
幸隆も若くして亡くなって、能楽史の上で結構重要な本を残してるらしいです。
0229人間七七四年
2007/08/17(金) 23:25:46ID:auFjydC1(しかも宗茂に側女を紹介してたし!)
0230217
2007/08/18(土) 15:57:30ID:3XFq6HdE情報をいただきましてありがとうございます。
先日手に入れた資料に能興行の事も記されていましたが、まさか五十回とは!
改めて文武両道を地で行く家柄なんだと感じ入りました。
それから関ヶ原後に加わる主要な家臣も以下の通りに絞りこんでみました。
氏家宗入(行継)
清田乗栄
村上景広
志水元五
藪正照
益田蔵人
後藤又一郎
調べれば調べるほど、細川家臣団ってキャラの立っている事がわかってきて面白いです。
よろしければまたご意見などいただければ幸いです!
0231人間七七四年
2007/08/19(日) 14:35:37ID:YUBoWjL/宗茂と忠興が仲良しという明確な証拠になる史料は知らないが
細川家が宗茂に側室・矢島氏を融通したのは本当のようだね
河村哲夫『立花宗茂』に書いてある話。
0232人間七七四年
2007/08/21(火) 19:47:03ID:i5K/S8utその親子は地元の名家ってやつで(俺んちの周辺は超田舎で、明治かよって
ぐらいに封建主義が残ってる。未だにこの家の使用人とかいっぱいいる)
しかも親戚が代議士だの網元だの神主だのがいて、まあこの狭い町じゃ
絶対的な権力者なんだが、
親父は超人格者で町中の人たちから尊敬されていて、しかも骨董とかで
個展を開くぐらい芸術好き(あまり上手くないらしいが)。
息子は、親父の権力をいいことに暴れまくり。忠興と違い文化的素養は
ゼロだけど。
0233人間七七四年
2007/08/21(火) 22:52:22ID:39HQQl3k似ているのは親子という点だけだな。
0234人間七七四年
2007/08/22(水) 00:59:45ID:4ip6oDyj0235人間七七四年
2007/08/22(水) 01:38:27ID:PXap4h+k言っちゃあ何だが、馬鹿息子ひとり矯正できんような親父も
たかが知れたものよ
細川忠興の場合はDQNというより偏執狂だし、なによりも
かなりの将であり文人であるからな
0236人間七七四年
2007/08/22(水) 06:34:32ID:gsbfuuQL立花宗茂は夏の陣の時に忠興の部隊と一緒に毛利勝永と戦ってるしね。
客観的に見ると仲良しとして描かれるだけの接点はあるように思われる。
0237人間七七四年
2007/08/22(水) 06:56:53ID:05DsuYBW0238人間七七四年
2007/08/22(水) 08:35:06ID:Ds/98Ywj全面的に同意だが、藤孝も教育に関しては?だよな
あれだけの男だったらいくらでも教育で矯正できそうなものだが
教育される方も賢いんだし
まあ自ら手塩をかけて育てる時代でもないが
0239人間七七四年
2007/08/22(水) 10:44:59ID:r4WbmAf20240人間七七四年
2007/08/22(水) 12:37:47ID:57h2NKHl0241人間七七四年
2007/08/22(水) 13:38:30ID:6A0he+1Lこれは掛け軸になった物で、妻の麝香夫人のも対である。
忠興のもあったと思うが所蔵までは覚えていない。
0242人間七七四年
2007/08/22(水) 20:44:12ID:PXap4h+k0243人間七七四年
2007/08/22(水) 21:14:56ID:1zC0eixj忠興の性格は戦国時代の基準から言えば「ちょっとキレやすい」くらいだろ。
そんなどうこう言われるほど歪んじゃいない。
0244人間七七四年
2007/08/22(水) 22:45:09ID:gkyhkoY4もう公開終わっちゃったかな
0245人間七七四年
2007/08/23(木) 01:11:00ID:/PYL2tyVガラシャとは美男美女夫婦と言われてたらしいし
0246人間七七四年
2007/08/23(木) 22:50:59ID:bZYN+J/k隠居・剃髪後の肖像画見たけど、幽斎は丸顔で、忠興は面長だったよ。
忠利はどっちかつうと、束帯姿の幽斎に似てたな。(性格的にも忠興の子とは思えん。)
0247人間七七四年
2007/08/23(木) 23:52:58ID:+T6lBh+Zカコ(・∀・)イイ!
でも昔の基準でいうとどうなん?
0248人間七七四年
2007/08/24(金) 00:32:12ID:pmGkZAT9つ http://www.sengoku-expo.net/portrait/images/L/009-q02.jpg
こんなのしかないな>忠興像
神経質な爺という印象w
幽斎の左うちわ
つ http://www.sengoku-expo.net/portrait/images/L/080-q01.jpg
忠興には似ているようで似てないような
忠利
つ http://www.kumamotonet.jp/siro/museum/hosokawa.jpg
・・・うーむ。意外といかつかった。
0249人間七七四年
2007/08/24(金) 05:05:46ID:Xe1r8Fo10250人間七七四年
2007/08/24(金) 11:59:12ID:OBGdtrFr>>249 幽斎のDNAって延々と十八代目まで面ざしが受け継がれる程強いんだな。
0251人間七七四年
2007/08/25(土) 01:22:47ID:K3Nry8jx0252人間七七四年
2007/08/25(土) 01:31:09ID:DADMvcN10253人間七七四年
2007/08/26(日) 11:04:53ID:/vxGzzJ70254人間七七四年
2007/08/26(日) 11:22:35ID:/vxGzzJ70255人間七七四年
2007/08/28(火) 06:10:55ID:OyWw+vxW0256人間七七四年
2007/08/28(火) 10:38:53ID:1JiPSSVkhttp://www.kmnh.jp/hosokawa/
の黒糸威横矧二枚胴具足
0258人間七七四年
2007/08/30(木) 18:17:37ID:GnFMMyD/忠興の顔、渋くて良いじゃん
ttp://www.geocities.jp/senryusai/senryusai.hosokawa.html
0260人間七七四年
2007/09/02(日) 10:23:11ID:+dK8bjk+忠興が入ってる!(一般人が誤解する)
0261人間七七四年
2007/09/02(日) 10:32:45ID:FgunW2qv0262人間七七四年
2007/09/02(日) 10:35:11ID:8+e59Z320263人間七七四年
2007/09/05(水) 00:08:11ID:XX3DT7bmに混ざって玉の嬌声が聞こえたのを不審に思った忠興がやがて奥から下男が出てき
たのを見咎めて手討ちにした)忠興・玉の夫婦喧嘩を必死で仲裁する幽斎夫妻の話
もあり。あと極めつけが春日局は忠興の斡旋で家光の乳母になったというトンデモ説だった。
0264人間七七四年
2007/09/05(水) 00:28:34ID:LeEKSpo7だと、すると、相当の体格のいい人だったんだね。
0265人間七七四年
2007/09/12(水) 23:02:14ID:+2GNlpDH他の怪力エピとしては、幽斎が織田信勝の屋敷へ入ろうとした時に門番が不審人物と誤解し竹の棒を突き出され、
すかさず竹棒とともに門番の手をねじり上げ手の骨を砕いてしまったという話もある。
0266人間七七四年
2007/09/17(月) 22:15:56ID:CDKLH4zRなぜか忠興が載っている。如水の備考欄は「受洗大名」だが、忠興のは「妻・
ガラシア」となっていた!だったらガラシャを項目にすべきと思うが・・・。
0267人間七七四年
2007/09/17(月) 23:24:18ID:CDKLH4zRとわざわざ断り書きしてるとこ見ると、ガラシャが次の手紙書く前に忠興から
手紙届いちゃってたのかな?
(他の書状読むとガラシャは筆不精だったみたいで、だとしたら苦痛だろうな)
0268人間七七四年
2007/09/17(月) 23:35:32ID:F55KV+Liだがそれがいいのか
0269人間七七四年
2007/09/18(火) 01:40:44ID:KzpgK+bw親父そっくりだw」なんて手紙を送ったりしてるあたり、
かなり細川忠興という人は筆まめだったんじゃないか
0270人間七七四年
2007/09/18(火) 13:59:37ID:zMxinAnRあの人ったら手紙まで寄越して来て、しつこいのよ!」って感じかも
忠興の(愛の)束縛が鬱陶しかったのね〜
0271人間七七四年
2007/09/18(火) 18:12:57ID:62oZhhrc返事してたらしい。
実際、忠興が手紙の中で「なにより手紙を書くのが好きなので」と書いてる(笑)
忠利死後、今度は孫の光尚が忠興の相手しなければならなかったから
手紙の量にびっくりしたんじゃないか?
0272人間七七四年
2007/09/18(火) 21:05:32ID:Z/Chww4x0273人間七七四年
2007/09/18(火) 21:31:21ID:h8mGDazl0274人間七七四年
2007/09/18(火) 23:42:20ID:ISKvZY530275人間七七四年
2007/09/19(水) 00:02:54ID:OpBvm9Mp0277人間七七四年
2007/09/19(水) 00:57:15ID:QhLtqebpしつこくメールしてきそうだ。
0278人間七七四年
2007/09/19(水) 03:01:14ID:djKlKoyGヤンデレは忠興を元に作られた
0279人間七七四年
2007/09/19(水) 21:46:03ID:EnGCmEJ0「この若い越中殿の妻に対する過度の嫉妬と彼女に対して行った極端な監禁は
普通一般の日本人の習慣とは大いに異なって信じられぬほど厳しいものであった。
2人の身分の高い家臣に昼夜を問わず妻の監視を義務付けた。ごく親しい親戚か身内の
者以外には彼女へのいかなる伝言も許さぬようにした。」
−ルイス・フロイス「日本史」より要約−
0280人間七七四年
2007/09/19(水) 23:09:06ID:d2Yg4h9w文化の誤解で(または忠興を反キリスト教な人物として)書いたとも考えられる。
昼夜を問わずの監視も、身辺警護なら昼夜を問わないで行うのは普通だし。
自殺しそうなガラシャを見張るためだったとも言える。
「普通一般の習慣と違い」って一般庶民の妻と大名の妻とでは、厳しさが異なって当然だから
フロイスの言葉を全て鵜呑みにするのは危険だと思うが。
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