川上久朗

の庶流の一族であるということもあったが、久朗は若い頃から智勇兼備の誉れが高く、その才能は島津忠良や島津義久にも高く評価され、弱冠18歳にて、当主の義久から島津氏の家老職、並びに守護代にまで任命されるという異例の抜擢を受けている。

肝付氏との戦いなどで、その才能を遺憾なく発揮して武功を挙げたが、1568年、相良氏との戦いである大口城攻めのとき、島津義弘を守るために孤軍奮闘して討ち死にした。もし、彼が長生きしていたら、島津氏の九州制覇は10年は早まっていたのかもしれない。