今川義元が桶狭間で死んでいたら?
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
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2007/02/02(金) 14:41:02ID:Vd1t7Sgpその後どうなったのか全く予想つかんよな。
義元の本来の目的も分からなくなって、
今頃2ちゃんでは「上洛目的だ」「いや尾張制覇が目的だ」とか、
どっちも間違ってる同士で無益に言い争ってたりしてね
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2007/02/02(金) 15:11:41ID:nkNFYY5d゚v゚
/⌒ヽ
( ^ω^) ブンブンブーーーン
〃 (⌒0",,''',,゙0⌒) ヾ
(_#(≡≡)#_) ←義元
(ノ(ノ
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2007/02/02(金) 15:31:18ID:TXHRBif60004名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 15:33:56ID:Q6VfF6kf0005名無し議論スレにて投票方法審議中
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2007/02/02(金) 16:20:22ID:8qzuzZK1http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1169979531/
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2007/02/02(金) 18:19:43ID:8fk1WWO4討ち取って一気に日本を統一するってのがあったけど大笑いして読んだなあ
常識で考えれば織田は清洲城に篭城するしか手は無いでしょ
とろででフィギュアスケートの今川って選手、今川義元の子孫なんだってね
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2007/02/02(金) 18:28:03ID:TIvm4I3d司馬って1867年に高知の田舎者が薩長連合を成立させて
幕府を倒すとか、バカな話ばっかり書いてるよな
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2007/02/02(金) 18:28:42ID:Q6VfF6kf東軍スレが成功したのはその後の天下を読みやすいというのも一因だろうな
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2007/02/02(金) 18:37:30ID:TIvm4I3d0011名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 14:12:24ID:HeTSUW4F0012名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 15:34:24ID:p7AXsAng普通は逆なんだけど、これがものの見事に成功した。
氏真には岡部元信がいたからあれだけの戦果を残せたんだろうけど、一週間で伊勢攻略できたのはそれだけじゃ考え付かない。
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2007/02/03(土) 16:08:05ID:HUzWclzP430年たってもなお幕府は健在なのを見るに
腐敗の象徴室町幕府が健在だったら今頃アメリカ領になってたに違いなく鳥肌が立つ
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2007/02/03(土) 16:12:07ID:+fD9C1nP0015名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 16:15:04ID:GitZ2f7k智謀はせめて80台はあるだろ
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2007/02/03(土) 17:34:48ID:iwiK9Wph漏れは織田信忠でプレイして信長が桶狭間で死んだ無念をはらす
シチュエーションが萌え。
ただ信忠が登場するシナリオは義元の寿命間近なんで
氏真に代替わりしたら萎えるんだよなぁ orz
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2007/02/03(土) 18:19:39ID:949bO6EZ0018名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 19:50:09ID:CY6TDonh氏真「それなんてバーボン?」
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2007/02/03(土) 21:07:11ID:IwGQu/IEんなわけないw
そんなアホネタにつられるわけねーだろ
と釣られてみる
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2007/02/04(日) 00:31:09ID:KTALbAPv0021名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/04(日) 00:33:36ID:TnnZujR0誰が天下とったんだっけ?
どういう過程だったかもkwsk
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2007/02/04(日) 02:35:15ID:UBOv91K20023名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/04(日) 09:21:22ID:467vJ6vE0024名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/04(日) 11:45:27ID:MZG2LBivあそこで新撰組叩き潰されてたら初代総理大臣は近藤勇じゃなく、誰になってたんだ?
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2007/02/04(日) 12:52:22ID:467vJ6vE総理大臣なんていないでしょ。あえていえば今川氏慶
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2007/02/05(月) 14:51:33ID:FBOMezdrその後の今川2万5千に2千で突撃して当然撃退された後は
「やっぱり見込み違いじゃった」って言って息子の義龍に家督を譲っちゃうんだよね
ただ、今川義元は桶狭間で討ち取られていて、その後は影武者が…っていう珍説も根強いな
IF歴史物だと襲撃時に大雨が降った為に多くの部隊が襲撃に気がつかなかったってあるけど無理やりすぎ。
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2007/02/05(月) 16:33:25ID:WxnpgRAv0028名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 16:41:56ID:4BsS1meVここは初めてか?力抜けよ
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2007/02/05(月) 16:48:41ID:WxnpgRAvちくしょう、煽りに来たのに笑わせられたじゃねーか
0030名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 18:42:26ID:j5D7UMoWまぁ義元氏真親子じゃ相手がわるいわな
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2007/02/05(月) 19:09:23ID:6wABFieB0032名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 19:23:53ID:QotEykVnちゃんと義元公記も読めよ
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2007/02/05(月) 21:26:11ID:AiDO+xj5結構面白そうなのが多いんだよな。
特に柴田、佐久間、丹羽、佐々、前田とかの部将クラスの人間。
織田信長の尾張統一戦で割りと戦果残してるんだよね。
結局1560年にみんな戦死しちゃってるけど
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2007/02/05(月) 22:24:20ID:N45kNcs8ちょww考えられん
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2007/02/05(月) 22:27:06ID:4BsS1meV布団を敷こう。な!
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2007/02/05(月) 23:39:23ID:d3CRHjA+0037名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 23:57:10ID:JIBAhXWv桶狭間以前の時系列は守れよ
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2007/02/06(火) 00:06:51ID:p/4DqVr1なんか蟻みたいな兵力で、初代将軍義元の大軍勢に突っ込んで死んだアレ?
あんなマイナー武将、言われるまで名前も出てこなかった。
お前ら詳しすぎw
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2007/02/06(火) 00:31:25ID:aQL29ulvたしかに今まで言われてきたような単なる猪武者で無かった事は事実だが
だからといって「天下を取る器だった」とかほざいてる輩にはあきれる
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2007/02/06(火) 01:32:05ID:tdeB6hQGでも実際、元康や義信なら最終的に天下を取れたという専門家や作家が多いくらいだから、信長がそういわれててもそれほどおかしくはないんじゃないかな
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2007/02/06(火) 02:25:32ID:rufpAtV/もし信長幕府ができてたら楽しそうだな
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2007/02/06(火) 02:40:51ID:zh1HqPu8今ほどプロ蹴鞠がメジャーにならなかったかも
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2007/02/07(水) 12:14:47ID:E3iabRXH氏真は偉大だよ
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2007/02/07(水) 21:24:05ID:bWFTAZjM将軍じゃなくて関白でしょ
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2007/02/07(水) 21:36:09ID:pvyinmGR0046名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 01:39:56ID:IkJtPJRJぼくは「よしもとこうき」と発音しているのですが
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2007/02/08(木) 07:33:19ID:1SuKb2aKそれでも良いけど、「ぎげんこうき」と私は発音している。
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2007/02/08(木) 12:22:17ID:tzSR3wouそれが正解。何年か前のセンター試験に出題されていた
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2007/02/08(木) 14:30:01ID:fVo3gjGA0050名無し選出投票・投票日は2/11(日)於名無し投票所
2007/02/08(木) 14:38:37ID:4YvJr/wN名軍師松下之綱の使い番から足軽頭をつとめたらしい。
実名が伝わらないのが残念です。
0051名無し選出投票・投票日は2/11(日)
2007/02/08(木) 15:35:56ID:aMCZ5Y5m日本の三大国技の一つだもんな。相撲、柔道、蹴鞠
0052名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 16:26:36ID:x+TkVvTOあの時飯富兵部が氏真を庇ってなかったらと思うと末恐ろしいよな
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2007/02/09(金) 13:35:22ID:6ctnpBKyあの時の氏真公の迅速な対応は今でも世界の指導者の手本になってるね
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2007/02/09(金) 14:46:15ID:Z/AO3SOo今川が天下とらなかったら2002年のW杯で
日本は優勝できなかったと思うよ・・・本当に感謝、感謝
0055名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 15:01:26ID:d0BshQeI0056名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 19:46:03ID:6ctnpBKy蹴鞠の基本があったからトルシエジャパンは個人技が優れていると
評価されたんだね。
0057名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 19:49:30ID:XTZ2mPqXえ?ワールド蹴鞠の事を言ってるのかい?
国技だってのに今じゃドイツとかブラジルに押されてカナシス
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2007/02/09(金) 19:58:40ID:S0U/TPM1最近の蹴鞠は「急に鞠が来たので」とかとぼけたこと言う選手もいるしな
もっと歴史を勉強すればそんなこと言えないのに。氏真公の爪の垢を煎じて飲めばいいと思う
0059名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 20:46:32ID:XTZ2mPqX高校蹴鞠も勢力変化が著しいね
まさか国見高校の蹴鞠部があんなに早く敗退するなんて
下鴨神社の砂を袋に詰める姿が悲しかったよ
0060名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 21:18:58ID:kDdoaC+uあと代表メンバーより清水エスパルスのほうが強いというネジレ
0061名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 13:48:33ID:RnyGCfsm当然松永久秀に盗まれた、三種の神器を義元公が
取り戻すこともないから天皇家はどうなっていたか分からない
0062名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 16:15:50ID:qdmrQoqa松永といえば、その能力を買っていたとはいえ、氏真公もよく二度も許したよな。
あれってやっぱり松平配下の伊賀者で松永の謀叛の規模を完全に把握していたからなのかな。
三度目の時の対応の速さから言っても、松永が起つか起たないかという時に既に河内から兵を送り込んだのは流石としか。
0063名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 16:40:04ID:5w7gjfxEゼロに等しいじゃん
千歩ゆずって戦に勝つもしくは
義元を討ったとしても
氏真の第二陣にやられるのがオチ
もぅ糞スレたてるなとしかいいようがない
0064名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 23:31:58ID:zWFt1EkK真昼間というところをあえて意表をついて突撃すれば
雨が降って気取られる事なく接近できておまけに今川の陣営も乱れて
そこを突き崩して捨てられた塗輿を見て「旗本はこれだ」って気づいて
300人くらいで固まって逃げている今川義元の本隊を追撃し続けて
最後には討ち取れるんだよ。
そうすれば今川は屋台骨が揺らいで、松平も自立して統制力が落ちて
そこを武田とかに攻撃されて滅びるんだよ・・・。
0065名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 23:47:16ID:zWFt1EkKでも信長が勝つにはこれくらい無理しないとできないんだよ!
信長好きの妄言と笑ってくれい!
0066名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 00:02:30ID:ufhrmnTa万が一その攻撃が成功しても武田とかに滅ぼされるは流石にねーわwww
0067名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 00:03:31ID:AAdIM9To0068名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 00:48:36ID:I1FKKsSy同意、武田ごときが氏真公に勝てるわけない
0069名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 01:53:40ID:RtKAknt0攻めて撃退されたりしてるけど、義元が死んだ場合、1561年には上杉と
川中島で戦国時代稀に見る大激戦を展開して北信濃を制圧し、
箕輪城を攻略して西上野を制圧し、義元なき後の今川を攻めて前から調略してあった
今川家臣達が次々と戦線離脱して各地の城も次々と落として一ヶ月余りで駿府を制圧して
急遽手を結んだ北条・上杉の前に一旦は駿河から退くものの、上杉を外部勢力を動かして
封じ込め、北条を各地で次々と撃破して牽制し、駿河を再び攻めて占領し、北条との同盟も
復活させて、義元亡き後勢力を西に勢力を広げていった織田信長と松平改め徳川家康の同盟に
対して西上の軍を起こして三方ヶ原でこれを撃破するも、進軍途中で病死して
後世に天下取りもあり得た戦国屈指の名将として称えられるんだよ・・・きっと。
0070名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 03:39:36ID:hA1FmHnC外様とはいえなにげに松平家は優遇されてるし
徳川家康なんてダサイ名前で独立なんかしないよ
かりに元康が時勢を読めないバカで独立しても
武田が簡単に三国同盟を破るとは思えないなぁ
義信もいることだし
今川家が滅亡する確率より
俺が夏川純とセークスする確率のほうが高いよ
0071人間七七四年
2007/02/12(月) 10:11:53ID:xPLv/cGG信長は討ち死にしてない!討ち死には義元のほう!
見てると哀しくなってくる…
0072人間七七四年
2007/02/12(月) 10:59:50ID:+kAOhfTiお前ここ初めてか?力抜けよ
0073人間七七四年
2007/02/12(月) 11:11:48ID:8OpVYqQPたとえそうだったとしても織田信長は信包には勝てなかったよ。
まあ信長が勝ってれば斉藤も攻めては来なかったかもしれないけど。
0074人間七七四年
2007/02/12(月) 17:40:48ID:SV5sIXTS汚い尻じゃのう
0076人間七七四年
2007/02/12(月) 22:42:02ID:oyPoHcKu竹中半兵衛が師事を乞うたが、病を治すことを考えて
やんわり断ったらしい。ま、有名な話だけどね。
0077人間七七四年
2007/02/13(火) 11:12:37ID:uB0Vsz11義元に、敵ながら天晴れと認められたんだな。
那古野城を明け渡す交換条件として信長の首級返還を申し出て、度肝を抜いた。
半年後に織田家そのものがとうとう今川家に降伏したけど、
外様陪臣から今川直属に引き抜かれた佐久間氏が、元主筋の織田氏より発展したのは、
あの敗戦での意表を突いた行動が高く評価されたからなのかな。
0079人間七七四年
2007/02/13(火) 19:54:32ID:E4I0AmFV三郎兵衛や勝頼は氏真の下だったからこそ実力を発揮できた。
信玄の配下では一見凄い戦術家、猛将として名を馳せても、どこか危なさを感じる。
むしろ氏真が信玄に劣っている点は、内藤修理や原隼人みたいな人間の使い方だろう。
とはいっても氏真はもっと違うやり方で戦を進めたのだから仕方ないか。
0080人間七七四年
2007/02/13(火) 22:59:30ID:9TUhHeiN0081人間七七四年
2007/02/13(火) 23:08:44ID:hv46/1wv0082人間七七四年
2007/02/14(水) 01:38:41ID:iGSBasL2オレはいつも3回くらいクリアした後は
六角とか織田とかのどうしようもない国で始めるよ。
でも織田はさすがにきつい。周りが今川武田斉藤浅井といった強国だもん。
統率59、知能12じゃどうしろっての。ウツケ過ぎる。
0083人間七七四年
2007/02/14(水) 03:09:37ID:o6w0xcfj0084人間七七四年
2007/02/14(水) 07:59:05ID:9WFpfLgW知力はもっと高くていいと思うんだがなあ
0085人間七七四年
2007/02/14(水) 12:54:36ID:7pchImwsそうそう、その弟信行だか信勝だかの息子が津田姓で今川家に仕えていたんじゃなかったっけ?
今川義元家臣人名辞典欲しいんだけど、絶版・古書でも見当たらないんだよなあ。
あれほど家臣団の詳細を網羅した本ないんだよなあ。
0087人間七七四年
2007/02/15(木) 00:41:24ID:sCDJQFta富士山の噴火は止まらねーわ、東海大地震は頻発するわで
日本はどうなってたか・・・
地殻変動を即座に察知して静めた駿河守はまさに駿河の神だったな
0088人間七七四年
2007/02/15(木) 02:18:00ID:sHtp1rYG被害を出すどころか逆に経済をうるおしたらしい
0089人間七七四年
2007/02/15(木) 18:39:17ID:CWWvXgOf0090人間七七四年
2007/02/15(木) 23:05:17ID:gocrUvvg題名何だっけ?
0091人間七七四年
2007/02/15(木) 23:57:49ID:KKSa3Lpx大河は今川のマイナーな家臣まで主役にして一年かけてやるからなあ・・・。
おかげで史実じゃ全然たいしたことない奴が大活躍してた事になっちゃうし
ちょっとやめてほしいよなあ。
0092人間七七四年
2007/02/16(金) 00:00:15ID:7loOleA3氏真公はあの早期撤退で一時「怯将」と蔑まれたけど、歴史的には
正しかった。ただ、元康の「今川名乗り事件」だけが心残り。
0094人間七七四年
2007/02/16(金) 10:39:17ID:ch8/7cZPいくら悪役だからって信長役がビーバップのキクリンてのもな・・・
>>93
今度反町がやるね映画だけど。元康役が今井翼で信長がペナルティーのワッキー。
で、注目の氏真は公開オーディションだって。優勝者には賞金10億だそうだ。
0095人間七七四年
2007/02/16(金) 13:17:59ID:CzWIBUlf信長なんか後の創作だろが。
0096人間七七四年
2007/02/16(金) 14:13:57ID:KkJYAtH7「正面玉砕説」「迂回玉砕説」
の二つがあるけど正しいのはどっちなんだ?
0097人間七七四年
2007/02/16(金) 16:01:35ID:ch8/7cZP0098人間七七四年
2007/02/16(金) 17:24:59ID:FguntYvq一戦交えようと出陣したはいいが、撤退に失敗して討死した。
こんな感じだねえ。
玉砕説は、後の小瀬甫庵が脚色したらしい。
0099人間七七四年
2007/02/16(金) 21:21:50ID:hot7BN7I映画は1部と2部に分かれるそうだ。
1部は花倉の乱から幕府成立まで。2部は義元公が逝去するまでで
クライマックスはスペイン、ポルトガルの連合艦隊を破った、
インド沖海戦だそうだ。
0100人間七七四年
2007/02/17(土) 11:23:38ID:szrUWiGN0101竜田
2007/02/17(土) 11:25:42ID:zjapPQYp0102人間七七四年
2007/02/17(土) 15:17:41ID:m7OCP0Ra欧米列強が義元公に追いつくのですら200年かかったんだよな
0103人間七七四年
2007/02/17(土) 15:31:44ID:onQIZdD/その事跡、本当は義元公は噛んでないよ。
高天神城の原型を造ったのは福島氏で、当時は三紡星に近い形だった。
福島氏が花倉の乱で没落し、勝ち組である小笠原氏に高天神城が与えられてから、
小笠原長時が拡張して五紡星に近い形になったんだよ。
発案も設計も小笠原家中で済んでいて、義元公は工事完了後に訪問しただけ。
0104人間七七四年
2007/02/17(土) 15:50:57ID:UBUsICVFこれは経済力が多くて兵力も大きかったから鉄砲の数が多くて
射撃が猛烈だった事から生まれたうそだな。
0105人間七七四年
2007/02/17(土) 16:17:50ID:szrUWiGN諸説が入り乱れているね。あまり知られていないがマシンガンの
原型を発案したのも義元公らしいが完成までには至らなかった。でも凄い先見性
だと思わない?
0106人間七七四年
2007/02/17(土) 16:21:27ID:UBUsICVF美濃の斉藤道三と会った時は多くの鉄砲を持っていったとか。
義元公のような先見性だな。
もし桶狭間を逆転できたら結構天下とりに近づけたかもな。
ま、桶狭間を覆すのはまず無理だけどなw
0107人間七七四年
2007/02/17(土) 16:48:54ID:szrUWiGNでなきゃスレタイのような疑問も起こるまい
0108人間七七四年
2007/02/17(土) 17:03:32ID:TYacFnEm篭城のほうがよかったきがする
突撃なんて気が狂ったとしかおもえん
0109人間七七四年
2007/02/17(土) 19:45:06ID:VmtXS/q30110人間七七四年
2007/02/17(土) 19:48:52ID:szrUWiGN槍の名人である義元公の一突きで絶命した。
それに懸けていた信長は失敗を察知するも諸将を諌みきれずに無謀な突撃へ
だが多勢に無勢、単騎防戦するも討死。
歴史家の中にはそんな信長を評価する人がいるが、俺はアホ、うつけだと思う。
0111人間七七四年
2007/02/17(土) 20:20:15ID:BBNAZEPBとても義元公の足元におよぶとは思えないだがなぁ〜
0112項龍 ◆urdfmZmGvk
2007/02/17(土) 20:44:08ID:Lj/KO4t1でもさ清洲城は山城じゃないから篭城には不利だろう
0113人間七七四年
2007/02/17(土) 20:50:33ID:NvSWTKti伝令に偽装した梁田政綱が義元公を襲おうとしたけど、
顔見知りの松井宗信に討ち取られたってのは後世の創作?
0114人間七七四年
2007/02/17(土) 21:55:55ID:SS/qhqXj1554 善徳寺の会盟
1560 尾張侵攻、織田信長を破る。その後、今川方は織田信長方の諸城を攻撃、
清洲城を接収する。織田信長はこの戦いで討たれたというが誤伝で、妻子
とともに伊勢へ逃れたと言われている。なお、この戦いで戦功をあげた
松平元康は三河の旧領を返還される。
1561 正月、信長庶兄・信広が今川氏に帰順。この後も伊勢へ逃れた信長は尾張の国衆や
一向一揆と結び抵抗する。
1563 三河松平領で一向一揆発生。鵜殿長照が救援に向かうも、到着前に鎮圧。
七月には尾張をほぼ平定するが、この後も信長の煽動で尾張は安定を見ない。
1564 尾張にて、一部を改正した今川仮名目録を行き渡らせる(永禄の仮名目録)。
同年二月・今川義元は尾張守護に補任される。なお、この年に今川氏仲裁により、
甲斐と越後に和睦が成立する。
もう少し資料を集める。ちょっと待っててくれ
0115人間七七四年
2007/02/17(土) 22:03:07ID:wChfisdW詳しいことは分らないが梁田政綱説は司馬遼太郎の小説だったかな?
世界的歴史学者の井沢元彦氏の論文では特に名前は出ていなかった。
0116人間七七四年
2007/02/18(日) 00:18:37ID:4euegHAd日本の基礎を築き上げた義元公について学ぶのは日本人として当然だよね。
キリスト教と義元、氏真公の攻防なんかは、日本史だけでなく世界史でも取り上げるべきだよね。
0117人間七七四年
2007/02/18(日) 14:25:44ID:trinWSam今川信成だっけ?
0118人間七七四年
2007/02/18(日) 16:05:50ID:TfyXBZ2h今川と三好に対しては、兄弟間で三好が紛争を起こし、三好長慶が隠居することで今川と和議をした。
しかし、その後も三好に対しての策謀はやめることなく、十河一存を動かし他の兄弟を攻撃させたり
兄弟を暗殺したり、松永を唆して謀反を起こさせたりして弱りきった三好を大軍で攻撃して滅亡させたのは
今でも義元が嫌な要素の一つだよね。
朝比奈あたりはドン引きしたんだけど、無理だったわけで。
0119人間七七四年
2007/02/18(日) 16:21:25ID:fLzj3sy9誰かとごっちゃになってるぞ。
今川氏成ね。
0121人間七七四年
2007/02/18(日) 18:58:44ID:HADoshBs・東海一の弓取りとは偽りで実は家臣の太源雪斎に軍略はまかせっきり
・桶狭間で周囲の警戒に気を配らず奇襲を受け尚且つ神輿に乗り兵に担がせ
て逃げようとする大マヌケ
・戦国の世にあって公家風の趣味ばかり持つお気楽人
・桶狭間であっさり負けた敗因を棚にあげひたすら信長は運が良かったなど
と必死に反論したいが為史実にも乗ってないような妄想を抱く毎日の今川厨
・長い間本領の駿河の一部を北条に取られておき3国同盟によってようやく
返還してもらう程大マヌケ
・織田や武田や北条の数多くの戦闘や周囲の強敵に対する強豪ぶりを妬み両家
のわずかな失態を派手に持ち上げ「織田や武田や北条は過大評価である」と
ほ ざく毎日の今川厨
・織田や武田や北条の輝かしい戦歴を妬み、両家のスレを散々に発狂して荒
らす毎日の今川厨
・逆に今川の惨めさや失態を論じられると何も言い返せずに話をそらし織田
武田北条のことに話をそらす惨めっぷりの今川厨
・織田武田を祭るような行司が今川には無いことを悔しがる今川厨
0122人間七七四年
2007/02/18(日) 19:46:32ID:D7tRbsl70123人間七七四年
2007/02/18(日) 22:48:11ID:jstZdeln義元公の時代からこの国は自由な発言が出来るようになったし
思想、信教の自由も認められるようになった。
しかし、悪意ある教えを説く輩も多い。君も早く目を覚ますべきだ。
一度、世界遺産の駿府今川館へ行ってみたらいかが?
そのすばらしさに心が洗われるよ
0124人間七七四年
2007/02/18(日) 23:30:13ID:wh7OJdy40125人間七七四年
2007/02/18(日) 23:33:33ID:TiVB7oDg0126人間七七四年
2007/02/19(月) 04:05:43ID:0n7Gt9Y00127人間七七四年
2007/02/19(月) 05:20:12ID:937a0d8v『義元公記(ぎげんこうき)』に
「元亀二年閏二月 勝頼公、駿府出仕」
「同月同日 勝頼公、同弟五郎没」
『甲斐後風土記』に
「元亀二年辛未 諏訪殿行方不定 法性院殿出駿大雲大居士」
とあるだけで、死因が判りません。一部の識者によれば、勝頼と
弟の五郎(盛信?)が駿府で暗殺されたとしていますが本当でしょうか?
0128人間七七四年
2007/02/19(月) 07:29:42ID:8GaPGP7u浅田真央じゃないの?
0129人間七七四年
2007/02/19(月) 09:50:30ID:Pc0o0xvr兄弟揃って同じ日とは驚きだ。暗殺だとしたらちと大胆だね。
義元公上洛後常に今川の遊軍を勤めた武田家になにがあったのか
0130人間七七四年
2007/02/19(月) 16:15:51ID:DHbV4L+u信虎の時と同じように、武田=今川の共謀らしいね。
といっても、この場合は信玄嫡男の義信と義元との間らしい。
北に強敵上杉謙信、南に三国同盟の今川北条で進出する場を失った信玄が、
三国同盟を破棄した上で、今川家の駿遠へ侵攻を画策したようだ。
この頃には、今川は美濃近江から京都へと進出していたから、東海道はがら空き。
それに気付いた親今川の義信が勝頼謀殺を企んだ。
義信と信玄の間で、実際、武田家の方針について激しくやりあったらしい。
信玄はカリスマがあったらしく、父親の追放・暗殺は義信にとって難しかったようだ。
それがなぜ、勝頼兄弟謀殺に結びつくかと言うと、
当時、信玄は親今川の義信廃嫡を画策してたようだ。それを察知した義信が、
嫡子候補である勝頼兄弟を先手を打って消した。そのような流れのようだ。
実際、勝頼兄弟の死亡後、武田信玄の書状の数が激減・義信のは増えている。
信虎・信玄の二代にわたって、政変で当主交代が行われたと言えるんじゃないかな。
0131人間七七四年
2007/02/19(月) 16:20:33ID:DHbV4L+u〜ようだ。〜らしい。ばかりで申し訳ない。
今川家についての本で読んだ説なのだけど、本の名前を忘れてしまった。
なんだったかなあ。
0132sage
2007/02/19(月) 16:50:05ID:enucsU3Sこんな事中学生の僕でも知っています。
皆さん、もう少し勉強したほうがいいですよ。
見ていてとてもはずかしいです。
0133人間七七四年
2007/02/19(月) 19:28:14ID:Pc0o0xvr確かにその頃の武田は金山の枯渇に悩んでいたが、そんな暴挙に
出るほど無能だったとは情けない。後世の創作に騙されることだった。
しかし義信はお公家の母を持ち義元公の姫を妻に迎えて、甲斐の山国
にはもったいないほどの御仁だね。信玄や勝頼みたいな田舎大名の
血しか流れていない者達に比べて品もある。
0134項龍 ◆urdfmZmGvk
2007/02/19(月) 19:32:57ID:0WZ/zJUj釣り?
0136項龍 ◆urdfmZmGvk
2007/02/19(月) 20:10:18ID:ylDydavJ0137人間七七四年
2007/02/19(月) 21:16:26ID:Pc0o0xvr義元公が討たれていたら今頃似非将軍にマンセーしてたかも。
これでオケ?
0138人間七七四年
2007/02/19(月) 21:46:35ID:HVDtdnkt蜘蛛の巣状の模様が入った鞠、というのは異論ないとしても、
それをもってサッカーの元祖日本説は無理だと思う。
0139人間七七四年
2007/02/20(火) 18:46:57ID:Usghkx830140人間七七四年
2007/02/20(火) 19:30:32ID:A+hcTCrQ0142人間七七四年
2007/02/21(水) 09:46:56ID:4lmp3ji1義元公が留守中に電撃作戦を展開すれば勝てると思ったのではないか?
次々と愚かな史実がでてくるな信玄坊主は・・・
0143人間七七四年
2007/02/21(水) 21:09:28ID:0RCNuRv90144人間七七四年
2007/02/21(水) 21:18:41ID:sI5B7fjQ0145人間七七四年
2007/02/21(水) 22:42:30ID:4lmp3ji1唯一かつ最大の汚点だな。
0146人間七七四年
2007/02/21(水) 23:05:07ID:r1HsUKyHニューヨーク、ロンドン、パリとかになってたかもな
0147人間七七四年
2007/02/21(水) 23:45:19ID:qsotZUH8初代 今川義元
2代 今川氏真
3代 今川義光
4代 今川義綱
5代 今川綱氏
6代 今川義宣
7代 今川義吉(のりよし)
8代 今川範宗
9代 今川義重
十代 今川義治
11代今川氏叔
12代今川義慶(よしのり)
13代今川義定
14代今川氏茂
15代今川慶範
16代今川義隆
17代今川義郎
18代今川義長(現職)
0148人間七七四年
2007/02/21(水) 23:48:33ID:OYZULqjD第二次世界大戦以降は「惰性将軍」とまで言われている。
明攻めをやめた後、日本国王認定受けているわけだからとややこしい議論はウヨが集まる板でやった方がいいよな。
0149人間七七四年
2007/02/22(木) 00:50:54ID:vruV4qz5http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1171066041/
0150人間七七四年
2007/02/22(木) 02:41:16ID:hF59YGSB信玄が駿河攻略に踏み切った最大のは、クソ漏らしに駿河を取ら
れないようにする為に決まってるだろばーか
0151人間七七四年
2007/02/22(木) 10:39:47ID:jVjA7xG80152人間七七四年
2007/02/22(木) 11:41:00ID:VvAAPE1Qあほ
0153人間七七四年
2007/02/22(木) 21:40:46ID:/G+BbDqB江戸だったりして
↑
オイ、オイ!
0154人間七七四年
2007/02/22(木) 22:24:11ID:NFWhkFvR狩猟民族的にアレンジしたのがフットボール(サッカー)で、
その後欧州全土に広まり、南米にも伝えられたらしい。
その結果、蹴鞠とフットボールのルールやゲーム性がかけ離れてしまった
ため日本はフットボール後進国になってしまった。それ故に
蹴鞠がオリンピックの公開競技にすらならないのは我が国体育界最大の
懸念事項でもある。
0155人間七七四年
2007/02/23(金) 00:18:55ID:iWYyQDRQ0156人間七七四年
2007/02/23(金) 11:17:51ID:dS00H0st0157人間七七四年
2007/02/23(金) 12:09:27ID:Gqztg/Cm│ └範興
└高久┬高如─重治┬伊氏┬範高
└高寛─氏睦├勝秀├範主┬範房
└信方└範増└義泰─義範─義用─義順─義叙─叙人
0159人間七七四年
2007/02/24(土) 02:22:40ID:8p3ThJJN0160人間七七四年
2007/02/24(土) 10:51:36ID:8p3ThJJN氏真公がいるからさほど混乱もなければ時代変化もなかったはず。
0161人間七七四年
2007/02/24(土) 18:35:41ID:61rQLjtgフロイスから地球の形を教えられてすぐにワープの可能性を見いだしたのはさすが義元公。
0162人間七七四年
2007/02/24(土) 21:51:50ID:DEJexg200163人間七七四年
2007/02/24(土) 22:02:53ID:Vq6XXnAMワープってあれだろ?
軍勢を2つに分けて1手を背後に回りこませて敵をおびき出して
もう1手が正面で待ち構えて挟み撃ちにする作戦の事だろ?
あれはフロイス以前に義元公自らが考案した作戦だよ
0164人間七七四年
2007/02/24(土) 23:05:41ID:2jrsLE7hどこまで歴史を遡っていじくりまわすつもりだ?
0165人間七七四年
2007/02/24(土) 23:13:51ID:DEJexg20なんでも坊主のくせに鳥獣の肉を喰らってたらしいな。なんで義元は
あんな奴近づけたかな。
0166人間七七四年
2007/02/25(日) 19:31:28ID:uQhW+B2X0167人間七七四年
2007/02/25(日) 23:04:03ID:puTmYx+dほとんど資料がないけどWWW
0168人間七七四年
2007/02/26(月) 00:09:47ID:DSauXq9e織田信長という大名自体はマイナーだけど、旧織田家臣はそこそこ知られてるんだよなあ。
今川家に組み込まれて名を挙げた武将が大勢いるからねえ。
特に、佐久間信盛なんか対今川戦での一族の活躍から贔屓目に見られ、重用。
三河一向一揆での松平元康支援、伊勢長島攻め。上洛してからは対本願寺戦と
一向宗との戦いでは名前がないことがないぐらいだからね。
義元からの感状の多さは旧織田家でピカイチじゃね。
0169人間七七四年
2007/02/26(月) 01:18:00ID:r1mzhcjG0170人間七七四年
2007/02/26(月) 01:58:37ID:OuaE9GtM0171人間七七四年
2007/02/26(月) 04:11:19ID:t5xlzv2N形式的には足利幕府を継いだ形だから征夷大将軍
しかし氏真以降は将軍、関白、太政大臣と三官をもらっている
0172人間七七四年
2007/02/26(月) 04:25:38ID:t5xlzv2Nたしかに織田家は信行の家系が小大名として残ってし
佐久間や丹羽や農民から福岡藩主になった
木下秀吉なんか有名だな
0173人間七七四年
2007/02/26(月) 04:35:08ID:9fA/zPVVめざましい戦火は挙げていないのに忠実だという理由で西域の要である毛利領を結構与えられているから
実力主義で成り上がった木下家に対する押さえなんだろうけど、幕中にこいつらががんばってくれなかったら、
今川幕府は滅んでいたよな。佐久間家のおかげで今川家が存在するといっても過言じゃない。
0174人間七七四年
2007/02/26(月) 16:03:36ID:owzYDSTO「援軍撤退」「隣城落城」「落人無視」などの文字で次々と山城を落としていった。
平城はイマイチだったけどね
0175人間七七四年
2007/02/26(月) 16:49:44ID:t5xlzv2N義元公も木下をたたえられたらしい
ただ謀反の疑いや秀吉の野望をうざったがり
中央から遠ざけて九州にとばして外様あつかい
普代あつかいの佐久間とは正反対
0176人間七七四年
2007/02/26(月) 20:05:46ID:tAr6fghe木下を重用したのは氏真公でなかったか?
義元公の木下に対する印象は「あの下働きの猿面冠者」程度では
なかったか?義元公記を読んでないので詳しいことは分らんが
0177人間七七四年
2007/02/26(月) 23:47:47ID:Pm2KdzCb子がなくて、一代で終わったんだっけ。惜しい。
0178人間七七四年
2007/02/27(火) 03:31:01ID:14gflex4家名は存続してるよ〜。
秀吉没後、一度御家断絶されたけど、その功績が認められて後に旗本として家名存続している。
ひとつは、秀吉没後の御家騒動の原因となった養子の秀次系。
もうひとつは、秀吉の死後に生まれた実子の秀頼系。怪しいと言われてるけどね。
両者とも、旗本としては大身の五千石を与えられてる。
今も、福岡と名古屋に何代目かさんがいるらしいよ。
0180人間七七四年
2007/02/27(火) 13:50:28ID:C9yX2Ine0181人間七七四年
2007/03/01(木) 00:01:51ID:+cvQzN4+0182人間七七四年
2007/03/01(木) 03:16:41ID:9rJlsdPV0183人間七七四年
2007/03/01(木) 03:51:34ID:pJ++fQGEもなってる。一時的だけど。
0184人間七七四年
2007/03/01(木) 09:11:32ID:kX9iiv1p0185人間七七四年
2007/03/01(木) 09:12:59ID:pJ++fQGE後期になると大老が偉いとは言いがたくなってくる
0186人間七七四年
2007/03/01(木) 14:50:22ID:yOEd/DeR新府城で武田家を滅ぼしたのはズルいと思うよ。『国氏安真』が名前を二つに切ってるなんて
言いがかりもいいところじゃない。
あ、・・・あ、でも義信の子の頼信は死なないで岩殿山に逃げたって説もあるんだよね。
0187人間七七四年
2007/03/01(木) 16:49:02ID:+cvQzN4+0188人間七七四年
2007/03/01(木) 17:59:34ID:PS1CVjINクソスレすぎるよ
結局信長がどうあがいても勝てない
今川に従うほかない
武田や北条も勝てない相手に勝てるわけがない
0189人間七七四年
2007/03/01(木) 20:09:49ID:UZoE0bTcあえてIFを話すのも重要でないか?
この世にはいっその事、桶狭間で義元公が死んでいれば
我が家はもうちょっと・・・なんてどうしようもない事を
考える人はいる。
こんな議論が出来るのも義元公のおかげかもしれない。
0190人間七七四年
2007/03/02(金) 06:21:01ID:GEh3EBk4小田原を明け渡し転封にしたがった
信長も義元公にこびてヨーロッパ先発隊になるぐらいの
先見の名があれば大大名として残っろうな
0191人間七七四年
2007/03/02(金) 08:54:28ID:1NC2shPRこのあたりの記録って意外と残ってないんだよな。なんでだろう
0192人間七七四年
2007/03/02(金) 10:02:20ID:IvMkHOdn義元公を当主につけたのも彼の尽力だし。
たしかに前半で死んでしまったから派手ではないけど、今川関連のドラマでは
必ず登場するはずだよ。
ドラマでやってた太源と義元公の死別のシーンは泣けたなあ。
0193人間七七四年
2007/03/02(金) 13:26:37ID:tMAYgUo8信秀の代ならまだしも信長なんて尾張のうつけ殿だぞっw
0194人間七七四年
2007/03/02(金) 17:08:20ID:vl35MHBLでも新作の「ヨシヤボ」の「智謀1」ってひどすぎない?顔グラもひどいし。
過大評価って言えば岡部元信の戦闘105だと思うよ。隠しパラあるから実際には
210でしょ。難易度低くなりすぎなんだよ。
0195人間七七四年
2007/03/02(金) 18:08:10ID:2bH5DS6f義元政権で100万石超えてたのはやつらだけだし。(旧三好領の押さえ)
正綱、元信、長盛の三人の合計戦闘値は285だし。
0196人間七七四年
2007/03/02(金) 20:21:51ID:B8SHQl310197人間七七四年
2007/03/03(土) 13:50:38ID:/GIngjfUうつけだうつけだ言われるけどやってることはそれなりだし。
0198人間七七四年
2007/03/03(土) 16:58:37ID:Wle72F9k相手が相手だし玉砕覚悟なんて無策中の無策。
ただそれを勇敢と言う意見は否定しない。色んな見方、考え方があるから
0199人間七七四年
2007/03/03(土) 18:17:03ID:S0HEjAjA義元公は野戦は得意だけど城攻めは苦手だった。当時健康面の不安もあったらしいし
夏の暑い盛りに清洲に何ヶ月も篭城されたら天下はどうなってたかわからない。
信長も勇敢と言えば勇敢だったと思うけど、そこまで見通す力がなかったのは
責められても仕方ないこと。ただ、脱糞しながら逃げたけどやっぱり死んじゃったってのは
気の毒すぎるよね。あと、林通勝の空城の計が義元公に見破られてそのまま場内に
雪崩れ込まれたのが致命的だった。
0200人間七七四年
2007/03/03(土) 19:39:48ID:Wle72F9k0201人間七七四年
2007/03/04(日) 18:49:34ID:i/27R1UH篭城しても同盟国含めた今川に対抗できるだけの援軍は期待できないだろうし...
サラっと打って出たことや、討死必死な状況で>>33みたいな家臣団から離反者が出
てないってのも信長がどんな人物だったかをを今に伝えてるとオモ。
0202人間七七四年
2007/03/04(日) 19:33:56ID:uPCQV3xqその程度の武将なら戦国時代どこにでもいそうだがな
ノブヲタのマニアックぶりには敬服するわい
0203人間七七四年
2007/03/04(日) 19:46:13ID:BOmM+Frg天皇抜きでも一応権威として成立しちゃうのがめんどくさいから天皇の方が歴史が深いから
将軍制は廃止しろよ。
人権も何も無いし、蹴鞠ばかりじゃどうにもならんよ。
0204項龍 ◆urdfmZmGvk
2007/03/04(日) 20:30:20ID:CtA39O1A通報しました
0205人間七七四年
2007/03/05(月) 08:29:12ID:U/T18UaG織田家がどうのって言うのだから、尾張か三河?
0206人間七七四年
2007/03/05(月) 15:06:36ID:PbbC7Y9z織田マニアにとっては大今川に立ち向かったなど
言って神話化されている。だから捏造も多い。
0207人間七七四年
2007/03/05(月) 15:18:36ID:wWGhZUaZ織田が天下をとったなんて言い出すんじゃないか
それはあまりにも歴史をしらなすぎ
0208人間七七四年
2007/03/05(月) 15:39:40ID:wWGhZUaZあの時期義元公がいなければ天皇家が今に続いたかどうか
天皇家がなくても成立しちゃうけど
それでも天皇をうやまう今川家の忠誠はすごい
もっと評価されるべき
それなのに幕末の薩摩と長州ときたら…
0209人間七七四年
2007/03/05(月) 18:39:04ID:Uy/dKAn9いや、そのあたり考察したいだけだが。
レッテル張りで思考停止するのは面白くないぞ。
歴史を楽しめなくなる。
0210人間七七四年
2007/03/05(月) 20:19:34ID:WvIIeOdUそもそも前田って何者?
0211人間七七四年
2007/03/05(月) 21:10:19ID:dynThBAL伊丹康直の活躍で大勝するんだけど、流れ弾で負傷した康直が故郷伊丹城で死ぬんだよな
0212人間七七四年
2007/03/05(月) 21:17:27ID:WhaRdTuP確かに幕末の薩長はみっともなかった。
お互いが天皇家に娘を嫁がせようと争い大紛争になったからね
あの時、今川家が姫を嫁がせた上で主権を天皇家に譲らなかったら戦国に逆戻りした可能性まであった
と、主張する歴史評論家もいる。
0213人間七七四年
2007/03/05(月) 21:24:03ID:WvIIeOdU一般人には知るよしもない人物が多いよな。
さすが戦国ヲタは奥が深い
このスレも日本史板に移ってもいいかもね。
0214柏原和泉守家興
2007/03/06(火) 01:09:06ID:V489RewXそれって鉄甲船で戦ったやつだけ?
0215人間七七四年
2007/03/06(火) 01:11:04ID:Kbg3kYlQ0216人間七七四年
2007/03/06(火) 01:18:35ID:7c13UR8/天皇家抜きに成立しちゃうし、主権は奪っちゃうしで
第二次で天皇家と違ってほとんど罰則を受けなかったし(それでも象徴という言葉だけが付け加えられた)
0217人間七七四年
2007/03/06(火) 02:46:54ID:L7+UMAJ4今川家が裏で糸をひいてるからな
まぁ2chでもふれてはいけないタブーだけど
枢軸側の黒幕は今川家で連合国側は将軍の弟氏次が
黒幕らしい。以後このことにふれては命が危な
0218人間七七四年
2007/03/06(火) 05:36:48ID:pC0sRzaA今川軍が400から500挺の鉄砲を清洲で接収したという記録が残ってるよ。
桶狭間戦を見てもわかるように、うまい使い方は見つけれていないけど、
多数の鉄砲を仕入れたという点だけは今川へのヒントになったのかもね。
清洲城であれだけの鉄砲を接収出来てなかったら、義元公の勇躍に少し狂いが出ていたかも。
0219人間七七四年
2007/03/06(火) 10:28:32ID:dRhZxdrs足利か織田かその次あたりの弱小政府がのこのこ出て行って長引いたあげく負けるw
0220人間七七四年
2007/03/06(火) 11:07:18ID:mXd4RPL2仮にあの場を切り抜けても天下になんかとどきそうもないのは
このスレで散々いわれているじゃないか。
尾張半国で終わった大名家によくそこまで期待できるな。
0221人間七七四年
2007/03/06(火) 11:37:53ID:dRhZxdrs無敵の今川軍をもし仮に寡兵の織田が打ち破ったとしたら、
そのあと天下を取れないと思うほうが不自然じゃないか?
でもわからん。誰かが足利幕府を再興して、その勢いで朝鮮攻めるかも知れないし。
0222人間七七四年
2007/03/06(火) 11:45:56ID:sHSIAHJv織田厨は歴史を知らないうえに偏った知識を植え付けられてるからな。
あの漫画なんてタイトルだっけ!?
0223人間七七四年
2007/03/06(火) 11:49:03ID:jN7vLNUf0224人間七七四年
2007/03/06(火) 12:07:37ID:dRhZxdrsまかり間違って誰か書いたとしても、出版段階で絶対に検閲にひっかかるぞ。
義元公が討たれたなんて過激な妄想はよ、上様公認のこのスレ限定のお遊びじゃないか。
しかも漫画なんてものは、半島発祥の低俗な精神文化であってだな、
4世紀半近くも今川家の薫陶を受けてきた我が国に存在するわけないだろ。
幕府の外郭団体である世界今川財団が主催する、
歴史検定の一級を持ってるオレが言うんだから間違いない。
0225人間七七四年
2007/03/06(火) 12:09:11ID:mXd4RPL2その漫画。どんな内容だったっけ?
0226人間七七四年
2007/03/06(火) 12:15:11ID:mXd4RPL2マジレスだが、漫画の形式を整えているとされる最も古い作品は
1682年のフランシス・バーローの作品だそうだぞ。
半島発祥とかいうのは多分ガセだと思うぞ。
0227人間七七四年
2007/03/06(火) 12:17:14ID:dRhZxdrs幕府初期に書かれた戯作な。
あれを知ってるとはなかなかの研究家だな。
だがアレは漫画なんかじゃないぞw日本人が漫画なんか読むものか。
織田が義元公を打ち破ってそのあと天下を取って云々という内容だろ。飛躍が激しくてかなりイタい内容だが、最後に史実の幕府忠臣・光秀公に討ち取らせて
ジ・エンドという構成はなかなかだな。
0228人間七七四年
2007/03/06(火) 12:19:35ID:dRhZxdrsもう忙しいからオチるぞ!
0230人間七七四年
2007/03/06(火) 12:47:06ID:mXd4RPL23千の兵で1万5千の敵を正面から打ち破ったりw
義元公を打ち破った所も、信長が少ない兵で丘の上の義元公の本陣に突撃かけると
いきなり大雨がふって気づかれないうちに接近できちゃうんだよなw無理あるだろw
滅んだ大名に仕えていた牛一のやるせない気持ちが反映されているな。
0232人間七七四年
2007/03/06(火) 19:50:13ID:nmi+ycDfこのスレで「信長公記」とかいう逆説本の内容は語って欲しくない。
三戦板に逝ってくれ
0233.
2007/03/06(火) 21:15:13ID:XITYZngE0234人間七七四年
2007/03/06(火) 21:55:16ID:L7+UMAJ4考えづらいからな、義元公を討っても三好毛利武田
なんかの強国と織田が渡りあっていけるのか?
だから俺は今川に勝っても天下とれないとおも。
しかも「信長公記」は最後は源氏の明智家を持ち上げてんジャン
0235人間七七四年
2007/03/07(水) 23:06:07ID:I2GnPPVq0236人間七七四年
2007/03/08(木) 05:59:24ID:QWGxJiFg織田の系譜で一番有名なのは有楽斎長益なんジャマイカ?
有楽斎って名字を名乗ってたから、あまり馴染みがないと思うけど
茶聖の有楽斎長益って本名は織田長益といって織田信長の異母弟な
んだよな。
今じゃ表有楽斎家、裏有楽斎家を合わせれば茶道の8割方を仕切っ
ちゃってるし、清水の方には有楽斎女子大とかあるし。
織田の中で一番の勝ち組は有楽斎長益で決定だな。
0237人間七七四年
2007/03/08(木) 10:42:10ID:uUGDHPZ5mjd?
どっちもあまり愛知県関係の資料に出てこないからてっきり別の家だと思ったのに・・・
でも、それにしても本当に信長とそんなに血が近かったの?清洲とか岩倉の生き残りって言う方がまだ信憑性があるけどなあ
0238人間七七四年
2007/03/08(木) 13:03:00ID:sepY5SYrまともに名前が残ってるのは信長、信勝、それに有楽斎くらいなもんだろう
ただし有楽斎は本当に織田家系かどうかは微妙なところだな。
自分で名乗ってただけだし。
0239人間七七四年
2007/03/08(木) 15:54:32ID:mE0nd1VN明智ってわかりにくいw。
将軍家を継いだ(だれから継いだんだっけ?)義元公の配慮で土岐光秀を名乗っているな。
当時はさすがに浮かれたのか、吉良、渋川、斯波といった足利系の名家を多数
復興させているな。
徳川は新田だけど、南北朝合一以後は臣従しているからセーフ。
0240人間七七四年
2007/03/09(金) 11:54:05ID:DumfXIx3跡目問題とかでまた応仁の乱みたいなことがおきたのではとの学識見解
もあったが、みな今川家に忠実だったね。偉大なる将軍さまだ義元公も氏真公も
0241人間七七四年
2007/03/09(金) 12:20:06ID:uAwPPUQ/弱小織田が今川を討つ(ないないwww)
どんどん大勢力になり終いには武田も討つ(ありえないwww)
という史実から掛け離れてるからあの時代でも
OKになった。ただジャンプの信長公記はおもしろかた
0242人間七七四年
2007/03/09(金) 15:15:51ID:DumfXIx30243人間七七四年
2007/03/09(金) 15:41:28ID:HB27n3mp0244人間七七四年
2007/03/09(金) 16:50:45ID:DumfXIx3中国語?
0245人間七七四年
2007/03/09(金) 17:02:52ID:uAwPPUQ/これで木下厨が増えるなマイナー的存在だけど
0247人間七七四年
2007/03/09(金) 19:11:44ID:pn0N6amh>>244の中国語っていうのもあながち間違いじゃないけどな
本来は摂政や太政大臣に対する敬称だな。天皇陛下に対する天子様みたいなものか
そう言った意味では上杉を見限って義元公を支援した近衛前久なんかも太閤になるよ
0248人間七七四年
2007/03/09(金) 19:55:44ID:DumfXIx3木下厨って何者?
ごめん俺は勉強不足か?
0249人間七七四年
2007/03/09(金) 20:04:23ID:pn0N6amh才能はあったし、武士とは違う発想から行う城攻めは中々のものだったんだけど
義元公に野心を見透かされて大きくは出世できなかった奴
立場で言えば榊原康政とかあの辺りと同格か少し下くらいで、かなりマイナー
その出身地から、太閤記では織田家に仕えてるんだが、元々木下は今川の家臣に仕えてるからなぁ
歴史にとらわれずに、純粋な異世界戦記ものの物語として読んだら、
俺みたいな貧乏人には中々夢があって楽しめるかもしれない。ギャグとしか思えない部分もあるが
0250人間七七四年
2007/03/09(金) 21:15:37ID:0i4AxFBn0251人間七七四年
2007/03/09(金) 23:44:28ID:SyHjrQoHいま漫画になってる「トリイ」にしても、鳥居元忠なんてマイナーな武将が主人公の漫画だしね。
0253人間七七四年
2007/03/10(土) 00:24:01ID:5GQshIWB六角残党に城を包囲されたとき、寡兵ながら逆に殲滅するなんて元忠tueeee
瓶割り鳥居は伊達じゃない!
0254人間七七四年
2007/03/10(土) 11:19:34ID:WitOQr4Dたしか今川軍の毛利攻めあたりから九州平定までを描いた作品だったけど…
文部省か何かの大賞もらってたよな。
0255人間七七四年
2007/03/10(土) 17:42:24ID:/HFe+qDj0256人間七七四年
2007/03/10(土) 22:59:44ID:J7AUCnHw今川の盟友として、伊勢志摩伊賀大和の四カ国に威を振るったんだよねえ。
国司とは言いながら、伊勢の北半分には影響力がなかった。
それが永禄年間後半から、今川と結んだことで関・神戸や北勢の諸氏を支配。
義元の上洛に合わせて、伊賀の地侍を押さえ込むのに成功。
今川包囲網の危機にも盟友と共にし、大和を押さえる。
ウラー!! われらが地元の英雄剣豪大名北畠具教万歳!!
0257人間七七四年
2007/03/10(土) 23:27:08ID:64vtHqQ+北畠の大和併呑は松永弾正の謀略の一端に過ぎないとか、共謀していたとかって説もあるけどな。
今でも義元公死去の後に北畠が天下を狙ったと言われるのもそんな説が関与してるのかな。
0258人間七七四年
2007/03/11(日) 10:49:24ID:X59icQHw0259人間七七四年
2007/03/11(日) 12:03:46ID:mTE76Lkb聞いたことねえな
0260人間七七四年
2007/03/11(日) 12:30:15ID:xpmB8jht信長が義元公に玉砕した場所の近くにある
0261人間七七四年
2007/03/12(月) 00:32:38ID:NhIj0yULああ、あの大名のくせに特攻隊長やって即死した奴ね
よくそんなマイナーな地名知ってるね
0262人間七七四年
2007/03/12(月) 21:53:32ID:XahsDkKo圧倒的な勝ち戦でしかも織田が勝手に突撃してきて一行にまとめられてるから忘れても仕方ない。
やっぱ今川家の歴史を語るなら相手が織田とかよりも毛利攻めや武田との最終決戦のほうが面白い
0263名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/12(月) 22:17:15ID:gYOcGXUt武田は、確か義元公が上洛直後に、八方塞がりで血迷って、駿河侵攻したものの、
朝比奈勢に堅守されて攻めあぐね、最後は京から進軍してきた義元公に晴信自身が討ち取られた
のではなかったかしら。ここでいう「最終決戦」とは、武田残党のことでしょうか?
0264人間七七四年
2007/03/12(月) 22:45:23ID:+Ay6eLhlどうみても狂って見える。現在も研究が進められているが晴信の
心中までは解明できないだろ。
最終決戦は駿河から退却する武田軍が身延山に籠ったときの話でしょ。
氏真公の本陣跡はいまや世界遺産だもんな。
0265人間七七四年
2007/03/12(月) 23:28:01ID:5ZAlGiXvあれだけ酷使するとなぁ。
しおかし武田が今川の天下統一に欠かせなかった存在だともいえるのが皮肉だな。
一説では駿河攻めに出陣した直後に晴信が病で倒れたっていう話もあるが、
駆け戻る氏真軍の足を遅らせつつ本隊を結集した勝頼の実力は中々だった。
義信軍が甲信を奪還してなかったり、義信まで謀叛していたらちょっと危なかった
かもしれないな。
でも、全てが氏真や、その幕僚の松平や庵原による勝頼に対する策謀だったっていう
一般的な説の方が俺は好き。
0266人間七七四年
2007/03/13(火) 00:24:26ID:llMTt/au山本勘助って浪人が始め今川に恨みを抱いて復讐のために近隣諸国を放浪するも最終的には今川家の優秀な軍師になるって話。
最終回で毛利との戦いの途中討ち死にするらしいけどね
どう考えてもフィクションでしかないけど純粋に話を楽しんだらなかなかの作品だと思う。
だれか見てる奴いる?
0267人間七七四年
2007/03/13(火) 00:53:36ID:pfzg4/Em原作者の出身地に住んでる
家から歩いて十五分のところに原作者の記念館あるよ
山本勘助ってあれだよな。今の駿府城の基礎を縄張りしたとか、
対三好の調略に当たったとか、実は元々は武田の密偵だったとか
色んな説あるらしいけど、実在はしたらしいね。
流石に小早川隆景がその死を悼んだていうのは嘘だと思うけど
0268名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/14(水) 01:00:58ID:ZxJkKQFO確かに人間関係学の達人たる義元公の抜群の器量に魅せられたという
一連の解釈もそれなりに納得出来るものの、もうひとつ何かがあるような
気がする。根来寺の方へは、随分早い段階で調略が進んでいたというのは、
和歌山の郷土史家が発掘文書をもとに日本史学界に論文を発表して以来、
定説となっているが、この辺りとも繋がりがあるのでは。
いづれにせよ、3千の雑賀の鉄砲衆が、義元公の手足の如く、畿内、西日本を
駆け回ったことが、今川幕府の早期成立の原動力となったことは、もっと
着目されてよいと思うのだが‥
0269人間七七四年
2007/03/14(水) 09:42:39ID:pJuw3o/C根来寺と本願寺が手を結ぶ前に熊野を手に入れたのが大きいだろうな
そして、それを可能にした財源だろう
更に今川ほどの財源がなければ、雑賀が一つの勢力につくことなんてなかったろうし
そう、考えると北畠との連携がなければ今川があの鉄砲に悩まされていたのかも知れないなぁ
0270人間七七四年
2007/03/14(水) 10:41:16ID:sBEmBJutと金山開発に加え、東海道を完全に掌握して、移動交易ルートを支配し、尾張の窯業を
保護したことが、覇者として他地域の戦国大名が足元に及ばない経済力をもった要因だろう。
0271人間七七四年
2007/03/14(水) 11:40:58ID:nwwozthk厨でごめんね
0272人間七七四年
2007/03/14(水) 12:26:08ID:sBEmBJut尾張は国人や豪族が分裂状態だったので、パワーアップキットの
シナリオなら、プレイ出来るよ!
0273人間七七四年
2007/03/14(水) 12:52:07ID:GWQvxXXm早速PK買ってきたんだけど、独立勢力扱いでプレーヤーは選択できないのね
1560年シナリオの最初のターンで滅ぼされて(´・ω・)カワイソス
みんなよくこんなマイナー武将知ってるよなー
0274人間七七四年
2007/03/14(水) 13:42:15ID:LUZE/Tmi昔に比べりゃ扱いよくなってるぞ
初登場した天翔記の頃なんか目も当てられなかった
なぜか旧臣のはずの佐久間、丹羽、木下もデフォで今川家臣だったしw
0275人間七七四年
2007/03/14(水) 13:46:13ID:fidbnyWLでも、守護代風情の武将でやるのも乙かな。
0276人間七七四年
2007/03/14(水) 14:05:10ID:9xB9wg9/妙に智謀が低いので印象に残ってるな>信長
0277人間七七四年
2007/03/14(水) 15:39:31ID:w1/LxXVRたまに大名が死んじゃうんだよね。うまく乗り越えても浅井や
北畠に攻められて滅亡。凄く印象的。
0278人間七七四年
2007/03/14(水) 17:48:25ID:r2JfkR3D北条、武田、上杉を次々電撃的に撃破していくんだよな。
レベル1でも中々今川は倒せない。
逆に今川でプレーするときはレベル5でも余裕で統一を果たせたな。
0279人間七七四年
2007/03/15(木) 00:36:16ID:iyhZhm4A休んでいる処を思い切り襲われていた
荒唐無稽すぎて大笑いしたら目が覚めた
0280人間七七四年
2007/03/15(木) 01:57:30ID:1eA0LZaI学びきっていなかったとしたら、その後尾州南半国の一奉行家がどう伸びてくかちょっと
楽しみでもあるな
義元の能力を上回ることが出来たなら、だけどな
0281人間七七四年
2007/03/15(木) 10:35:57ID:EyI36EN4するのがスレの目的だったな。でも信長は候補に挙がることはないと思うが。
0282人間七七四年
2007/03/15(木) 20:17:04ID:t/MimUas桶狭間で今川軍を撃退できたとしてもその後武田やら浅井やら朝倉に敵うはずが無い
万が一義元公が信長に討たれたとしても氏真公がおられたから織田がやられるのは時間の問題。
なんたって今川には岡部や朝比奈がいるもの
0283人間七七四年
2007/03/15(木) 21:09:18ID:3jreOnUVそういえば松平元康って今川の人質になる前に織田に拉致されてたよね?
誰だっけ、織田抑留時代の元康虐めて尾張平定時に処刑された奴
0284人間七七四年
2007/03/15(木) 23:04:42ID:5ttr5hxR取り上げてる歴史書なんてないでしょw
0285人間七七四年
2007/03/16(金) 09:24:41ID:YMXsEizaもしかしたら佐々内蔵助かもしれんね。
なんでも桶狭間で華々しく散って、松井宗信に「敵ながら天晴れ」と称えられた
佐々隼人正の弟だとか。マイナー過ぎて資料に乏しいけどさ。
0286人間七七四年
2007/03/16(金) 15:32:15ID:4otowP7N別のスレでは今川は天下取れないという結論だが
下のスレで意見を聞かせてくれ!
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1161523192/l50
973:人間七七四年 2007/03/15 13:53:36 r1oADSSB
ここまでのスレのまとめ
今川義元上洛
→不安定ながらも畿内支配
→氏真の器量不足で外敵続出&内部不満噴出
→今川政権崩壊
さて、その後は…?
979:人間七七四年 2007/03/15 15:21:35 Fleu1waE
>>858のように今川義元の寿命を五十五歳とすると義元の死は1574年。
1574年と言えば史実で信長が包囲網の一角浅井朝倉を滅ぼし
信玄が死にようやく体制作りに着手できるようになった年。
そんな時期に義元が死ぬわけだがよく行っても上洛か今川包囲網の真っ最中に寿命が来るわけだ。
桶狭間があると仮定して義元が尾張経営に着手するのが1560年。
義元が自由に使える時間はわずか14年しかない。
上洛出来たとしても政権を築くことすら義元には無理だろう。
0287人間七七四年
2007/03/16(金) 16:08:25ID:ok8sRBRg0288人間七七四年
2007/03/17(土) 14:18:20ID:pxcjMo4Z0289人間七七四年
2007/03/17(土) 14:36:48ID:VoAbZETQ義元公と氏真公のお陰だと思う
もし義元公が桶狭間で打たれていたら
今頃日本のサッカーチームなんて二回戦にもすすめない
弱小クラスだっただろうよ
それにしても日韓ワールドカップの時は
本拠地、草薙球場で日本チームが
ブラジルを破って堂々優勝
大分前だが今でも思い出すたびに震えがでてくる
0290人間七七四年
2007/03/17(土) 16:58:40ID:nmst2tpk日本つうか、静岡って感じだけどなw
さすがにお膝元ってだけあって、サッカーは盛んだよ。
代表の大半が静岡出身で、静岡のクラブや海外クラブ所属だもん。
海外の有名選手も、Jリーグはあれだが、静岡のチームならって言うくらいだもんな。
0291人間七七四年
2007/03/17(土) 17:45:38ID:wlcJBiHvでも氏真公は治世の名君だと思うんだよ。
1560年時点で戦国に放り出されたら、もしかしたらということもあるぞ。
まあ織田に義元公が殺されることはありえないけどなw
心臓発作や脳溢血より、はるかに確率低いわ。
0292人間七七四年
2007/03/17(土) 18:01:55ID:2QQgKAuJ現在でも人口の1%を動員出来るとの噂もある。
0294人間七七四年
2007/03/17(土) 18:55:33ID:l+KbwVIw若い頃は武芸や兵法に興味が無かったとか
0295人間七七四年
2007/03/17(土) 18:58:52ID:VoAbZETQ他にも義元公は信玄や謙信とも戦っているし
もっと他にも苦境に立たされた時期はあったんだが
桶狭間ってたんなる小競り合いだろ
俺、名古屋地元人だけど、織田信長なんて知っている人の方が少ないって
0296人間七七四年
2007/03/17(土) 19:10:32ID:VDemjV0Wでもまぁ桶狭間なんて語るネタ限られてくるけどな
0297人間七七四年
2007/03/17(土) 19:12:16ID:l+KbwVIw0298人間七七四年
2007/03/17(土) 19:18:46ID:FpT4VXgL頭の悪い、後先考えずに突っ走るタイプの人間を
「織田者」
10倍近い敵にバンザイアタックを掛けて討ち死にした織田家が語源になっている
0299人間七七四年
2007/03/17(土) 19:38:17ID:ljNAIFP+孫子みたいな大衆書を世間の大名家は必死に読んでいたが、氏真公
は戦国という時代にある突発的事項に対処するため、読み、勘を
大切にしていたらしい。
その結果は皆が知るところだから今更ここで述べる必要はないね。
>>298 そういう意味か!なんで織田なのか分らなかったが、
語源は意外と単純だったね。
0300人間七七四年
2007/03/17(土) 19:43:44ID:mdDPS7wpお歯黒は使っている?
オススメのブランドあったらおしえてよ
0301人間七七四年
2007/03/17(土) 19:58:24ID:KcUeGb/O最近は輸入品の粗悪品が手回っているようでおじゃるが
やっぱりお歯黒は国産でおJAL
こればガチでおじゃる
0302人間七七四年
2007/03/17(土) 21:36:21ID:TEQl9DZ/松平元康公あたりもだな、信長と親しかったりするし、ちょっと危険性がある。
信玄公がちゃんと援軍出してくれればいいが、あの人も史実見ても信頼度いまいちだし。
五年位で駿府明け渡して隠退、蹴鞠と和歌と茶会三昧になってたかも知れないぞ氏真公。
0303人間七七四年
2007/03/17(土) 21:45:02ID:5gZ8HFiV実は義元は桶狭間で暗殺されていて、以後影武者と氏真が陰で権力争いをするって筋書き。
今まで暗愚な敗将と言われ続けた織田信長をカッコ良く描いた珍しい作品でもある。
0304人間七七四年
2007/03/17(土) 21:55:26ID:pxcjMo4Z0305人間七七四年
2007/03/17(土) 21:55:59ID:TEQl9DZ/織田がそこで死んだので、棺桶に入ったという比喩から、桶狭間が通称になったのでは?
0306人間七七四年
2007/03/17(土) 22:13:53ID:KcUeGb/Oこの織田者めが!!
忠臣松平元康が裏切るなんて絶対にない
義元公記にも
元康が織田に人質に捕われた時代は最悪だった。
信長はただの馬鹿と述懐している記載がある
0307人間七七四年
2007/03/17(土) 22:32:45ID:l+KbwVIw颯爽とした若武者だったな
実際ヨシヤボでは大宝寺義氏に毛の生えた程度の雑魚扱いだし
一般の知名度なんか皆無だけど、短期間で尾張を殆ど統べた手腕は中々だとおも
最後の最後の大ペケやらかしたが篭城しても結果は同じだったろうしね
0308人間七七四年
2007/03/17(土) 22:40:58ID:l+KbwVIw文庫版で復刊されてる
原哲夫がジャンプで漫画化してて、なかなか痺れた
滝川一益に主人公交代した続編の「SAKON−戦国風雲録」は原作無視しまくりで最悪だったけど
0309人間七七四年
2007/03/17(土) 22:47:58ID:TEQl9DZ/0310人間七七四年
2007/03/17(土) 22:48:33ID:pxcjMo4Z尾張統一だったり、半国だったり、桶狭間で死んでたり、生き延びていたり。
スレ主は死んだという一般認識でスレ立ててるが、詳しい人教えて
0311人間七七四年
2007/03/17(土) 22:51:42ID:TEQl9DZ/0312人間七七四年
2007/03/18(日) 00:26:38ID:Jcveiq7P妙なお笑い番組で、やたらと広い草っ原で大の男どもがあくせく走り回って、
日本が負けまくってる野蛮なギャンブルとしてパロディー化されて長々と放映されているが、
失礼だな。人格が疑われるな。
0313人間七七四年
2007/03/18(日) 01:48:10ID:472ql+bYその時点から元康は忠臣でなかったんじゃないか?
通説では、元康が上野に転封されたことを不服として、関東の地侍(真田、結城、里美など)と結託して関東の乱が起きたと言われているが、今川の人質となっていた頃から恨みを抱えてたとも考えれる。
元康処断の後、瀬名姫の嘆願で再興した徳川家は、なんとか幕府に残ってるわけだけどさ。その後も結構優秀な人材を出してるし。
ところで、元康の軍司を勤めた天海が、桶狭間で落ち延びた信長だって話はまゆつば?
0314人間七七四年
2007/03/18(日) 02:47:42ID:c1OntUx9これまた意外なところついて来たな
幼少のころ織田家に人質に出されていた元康が信長を軍司として使うわけないじゃん
万が一信長が桶狭間で生き延びて元康に仕えたとしても10倍近くの相手に体当たりかけた信長だぜ?
そんな無謀なことするやつに軍司が務まるわけがない
0315人間七七四年
2007/03/18(日) 05:06:51ID:VOvWdsHI氏真の将軍就任の時に蹴鞠を披露してた気がする
あいつ名前何だっけ?
0316人間七七四年
2007/03/18(日) 05:27:02ID:2l+n0vVy0317人間七七四年
2007/03/18(日) 06:27:50ID:9zritXEF氏真公の寛大さはいつでも驚かされるな
0318人間七七四年
2007/03/18(日) 06:57:19ID:Jcveiq7Pなにせ、信長が屠られた時にたった3歳だったからな。慈悲深い義元公が殺すわけない。
しかしあの時のは、蹴鞠というのは誤伝で、実は相撲だっただろ。田舎に蹴鞠はない。
しかもあの氏真公暗殺事件のせいで、将軍家は3代までで途絶え、執権政治になった。
とにかく、あのあとの武田、北条、松平による覇権争いが凄絶だったんだよな。
0319人間七七四年
2007/03/18(日) 08:25:51ID:VOvWdsHI俺は飯尾一族あたりが怪しいと睨んでるんだが
0320人間七七四年
2007/03/18(日) 08:45:07ID:Jcveiq7P確かアイドル政子たんの「ほうじょの虫干。」に書いてあったような気はするが…
0321人間七七四年
2007/03/18(日) 09:50:47ID:xD0xQgW80322人間七七四年
2007/03/18(日) 10:36:39ID:30NAfyhN外戚執権の力を押さえ込んだ
まあ彼の治世は功の面と罪の面の差が激しくて
中興の祖とも、最悪の暗君とも言われてるけど
0323人間七七四年
2007/03/18(日) 10:45:04ID:VOvWdsHI0325人間七七四年
2007/03/18(日) 12:12:53ID:ZHD2dxmo氏睦公の出自は怪しすぎだな
でも、氏睦公の布いた賄賂政治も
もはや戦国の世では無くなった
あの時世の各地諸侯の勢力をそぐ政策として高く評価
されている。
現在の賄賂のイメージから、暗君とされているが
もっと再評価されるべきだろ
0326人間七七四年
2007/03/18(日) 14:14:05ID:UOkXMxMwかっくいい〜
0327人間七七四年
2007/03/18(日) 17:22:11ID:Jcveiq7Pペリーたちの米軍は、碇の綱を切って退却したんだよな。あれは実質上の勝利だよな。
0328人間七七四年
2007/03/18(日) 18:44:42ID:wDGtY3E40329人間七七四年
2007/03/18(日) 19:24:49ID:zglm6Cfy二代目・氏真
三代目・松平元康(今川氏元)
4代目・松平信康(今川氏信)
五代目・氏昭
であってる?
0330人間七七四年
2007/03/18(日) 19:54:45ID:30NAfyhN中学生以下ですか><
初代 義元
二代 氏真
三代 範以(執権 松平元康)
四代 直房(松平信康と品川氏高のに巨頭政治)
五代 氏堯(松平・北条・武田・品川間の権力争い)
0331人間七七四年
2007/03/18(日) 19:56:16ID:wDGtY3E4織田写楽斎(奇妙丸)らによる御前相撲での氏真公謀殺事件によって、
今川将軍家が一時的に衰退し、松平氏の執権政治になったんだよな。
だけど武田氏や北条氏の追い上げが激しくて独裁勢力になりきれず、
その抗争の隙をついて駿府譜代の幕臣たちがクーデターを起こし、
今川家による親政を復活させたんだろ。テストに出るよ。
0332人間七七四年
2007/03/18(日) 19:57:22ID:30NAfyhN0333人間七七四年
2007/03/18(日) 19:59:57ID:wDGtY3E4確か教科書にそう載ってたような気がするから正しいのでは?
すまんが日本史赤点のオレには品川っていうのが誰だかわかんね
0334人間七七四年
2007/03/18(日) 20:06:49ID:30NAfyhNまあそれには松平親子の後押しが強いって話だけどね
直房公で将軍家の嫡流は絶えるから
氏堯公以降の将軍は大体品川家の家系から輩出してる
0335人間七七四年
2007/03/18(日) 20:17:13ID:wDGtY3E4かろうじて、支配権力の名目まで奪われる執権政治の屈辱を返上しただけで。
執権松平氏も大老として抜かりなく政権に残って幕末まで健在だったし。
0336人間七七四年
2007/03/18(日) 20:39:15ID:Jcveiq7P0337人間七七四年
2007/03/18(日) 23:46:14ID:ZIj7kFqf真康なら知ってるけど。
0338人間七七四年
2007/03/18(日) 23:54:52ID:8gDCcLaP駿河の名将
朝比奈信置から「信」を一字貰ったんだよ
無論、桶狭間で自殺したやつから一字もらっているわけじゃないぞ
0339人間七七四年
2007/03/19(月) 02:36:24ID:q9dfB8nmう・ち・じ・に
してるよ
その後の義元は
か・げ・む・し・ゃ
だ
0340人間七七四年
2007/03/19(月) 11:41:51ID:ASyZnP3A関東の名門結城家の養子になった結城真康ね
武勇に優れてたけど、ついにそれを発揮する場がなくて
不遇な人生だったらしいけど
>>338
仮にも一門衆の元康が嫡子の名を主君ではなく
本来格下の相手から一字取るというのは屈辱と考えたのか
(もっとも当時今川軍で八面六臂の活躍をした信置の武威にあやかったというのが真相なのだが)
後世の松平家の家系図では氏康になっているね
他の成人した兄弟は元康に嫌われていた忠輝を除いて
真康・真忠・忠氏・信氏・義直・以房・以信
と偏諱をいただいている
しかし九男の義直だけなんで義元公にさかのぼってるんだろうな?
0341人間七七四年
2007/03/19(月) 17:11:34ID:kL19gIIo実質上、天下分け目だったよな。
まぁ 上杉勢に蹴散らされる武田を氏真公が少数の兵で助けたのは勇ましかったからその回も良かったけど。
0342人間七七四年
2007/03/19(月) 17:33:28ID:r4IFMzaJ討ち死したみたいだけど実は死んでいないくてかつての友の
松平元康の側近になったと聞いたことがあるが?
0344人間七七四年
2007/03/19(月) 17:36:45ID:kL19gIIoさらに愛知県今川町が聖地となり、世界遺産には指定されなかった。
今川幕府がなければ、日本は世界大戦に破れていた。
0345人間七七四年
2007/03/19(月) 17:38:16ID:r4IFMzaJそんな噂があったとは驚きだ!
詳細を教えてください
0346人間七七四年
2007/03/19(月) 18:09:26ID:KrzpOnr8誰か、スレタイ以降の年表書いてくれない?
0347人間七七四年
2007/03/19(月) 18:50:14ID:ASyZnP3A『義元公記』には織田信長について、守護の斯波家の一奉行から尾張半国を仕切るまでになった父信秀の功績
信長の若い頃の奇行ぶり、そして桶狭間での無謀な玉砕についてしか記されていない。ここから見える信長は
まさに愚将としか判断のしようがない。しかし、最近信長はそれなりの器量を持った武将だったという説がある。
まず信長時代の尾張の勢力状況に関する資料は殆ど残っておらず、『義元公記』にもなんの記述もないため、
信長の器量を考えると、家臣の支えで父の手にした尾張半国を何とか維持していた程度という見解が一般的だった。
しかし、信秀時代には彼と争った尾張は対抗勢力は多かったが、義元公の尾張進攻以降、家名を存続している家が
一つも無い。合戦の形跡は無いし、義元公は降伏した相手を撫で斬りにするような方ではないから、守護の斯波家を
始めこれらは義元公の尾張侵攻前に滅ぼされていたと見たほうが自然である。つまり、実は信長は父の跡をついでか
らのわずかの年月で尾張を統一していたのではないかという説が近年有力になっており、一次史料などが見直されて
きている。また信長の器量についても斉藤道三が「わが息子達はうつけの馬をつなぐようになる」と評していたとい
う記録がある(信長の死後、「やっぱり思い違いだった」と述べるという後日譚は道三の没年を考えると確実に捏造)
ではなぜ、『義元公記』には信長の愚将の顔しかみえてこないのか?信長がいかな器量人であっても、義元公にとって
は路傍の石同然だし、信長をある程度の人物としておいた方がそれを破った今川軍の武威もこうせいにつたわるであろ
うから、今川家が信長の記録を抹消したとは思えない。むしろ犯人の有力候補となるのは、織田家で唯一大名家として
存続した信長の弟信行の家であると思われる。信行は兄と違い品行方正な人物で、尾張侵攻に際して信長の死により動
揺する家中をまとめ上げて、幼主奇妙丸(後の写楽斎)を立て降伏。家名と領民を守った賢君とされるが、最近、織田
家菩提寺の過去帳の弘治三年の頁に名がある信勝なる人物が実は信行ではないかという説がある。それ以降の織田家に
関する文書や書状にはに信勝はおろか信行の名は見られず、彼の永禄三年生存の可能性は低い。おそらく、信行と信長
の間に確執があって、信行は信長の手によって殺害され、後に家を再興した信澄が、叔父憎しの余り、信長の功績を抹
殺し、今川家にもそう働きかけたと思われる。また、織田写楽斎による氏真公暗殺事件も信長の功績抹消にかかわって
いると思われる。
0348人間七七四年
2007/03/19(月) 18:59:42ID:Kd/GmOL31560年代に入ってから側室腹だが11男13女を設けている。
何か心境の変化でもあったのかな?
0349人間七七四年
2007/03/19(月) 19:03:58ID:ASyZnP3Aここまでがかなり信憑性の高い話。ここからは話半分に聞いて欲しい。
伊勢の北畠中納言の日記に、「桶狭間で討たれた信長は実は、信長の元
近習でその数年前に歓喜を蒙って出奔していた前田又左衛門なる人物
で、本物は戦場を落ち延び僧形に身をやつして伊勢に潜伏してる。」
という噂がまことしやかに流れていたらしい(中納言自体は与太話と
一笑に付している。)。その話を膨らませたのが元康のブレーンの僧侶
で異常な長命で知られる天海が、旧知を頼って落ち延びた信長である
という説(一般的に元康の尾張人質時代は塗炭の苦しみを味わったとさ
れるが信長個人とは親しかったという説もある)。
天海の出自は会津の蘆名一族の支流という説が一般的だがそれにしても
謎が多く、歴史の表舞台に立つのが信長の死とほぼ前後するためそうい
う説が流れた。何といっても氏真公死後、執権・大老として権勢を振る
う松平三代を支えた怪人が今川家に滅ぼされた小大名というどんでん返
しが、話として面白いんじゃないの?
0350人間七七四年
2007/03/19(月) 20:10:37ID:ya6PP6Uo歴史小説家が喜びそうだ
0351人間七七四年
2007/03/19(月) 20:14:40ID:8jZ8lpcg0352人間七七四年
2007/03/19(月) 20:15:38ID:ASyZnP3A0353人間七七四年
2007/03/19(月) 21:48:31ID:kL19gIIoまぁ氏真が蹴鞠の最中に心不全っつーのは爆笑。蹴鞠に生き蹴鞠に死んだ氏真だが、ヨーロッパ人は今のサッカーにおける4-4-2のフォーメーションが氏真の発明だって知ってるのかな?
0354人間七七四年
2007/03/20(火) 03:02:51ID:sWomYeRQ討った敵将の妹を側室にするなんて・・お市とか言ったっけ
お市との間に生まれた子供達って、その後どうなったっけ?
0355人間七七四年
2007/03/20(火) 08:04:35ID:awvYgQyD夜のほうも睦まじかったらしいな。「イク」っていう表現もお市の方の考案だしw
0356人間七七四年
2007/03/20(火) 17:30:32ID:yzrIV+Ft二人の禁断の愛は、歌舞伎にもなったし、戦前には映画にもなった。
当時、義元公も気付いていたが、御家のため黙殺していたらしい。
0357人間七七四年
2007/03/20(火) 19:30:08ID:awvYgQyDところが信長がそれを断ってきて、桶狭間で奇襲失敗して死んでからは 事情が変わった。
慈悲深い義元公は市の面倒を見ようとされたが、さすがに氏真公の妻にはできなかった。
それではあまりにも、滅ぼした敵である織田の血が、今川の直系に入りすぎるからだ。
それで義元公は、ご自身の側室としてお市の方を迎えられ、ご寵愛を加えられた。
義元公が52歳で亡くなられたのは、市を孕ませるための度を過ぎた閨事が響いてるよな。
0358人間七七四年
2007/03/20(火) 20:40:37ID:fc38XYM20360人間七七四年
2007/03/20(火) 21:14:21ID:fc38XYM20361人間七七四年
2007/03/20(火) 21:22:49ID:fc38XYM20362人間50年
2007/03/20(火) 21:24:11ID:/+0nuvx20363人間七七四年
2007/03/20(火) 21:38:51ID:37JqG0cN今川焼きを売り歩いて全国を旅した人だよ。
0364人間七七四年
2007/03/20(火) 22:26:33ID:fIy/GvHU春休み中にもう一度勉強しなおしなさい
0365人間七七四年
2007/03/21(水) 10:25:11ID:ODhz5xqMが、現実逃避が過ぎると、信長のように若くして犬死しちゃうから気を付けた方がいい
0366人間七七四年
2007/03/21(水) 10:32:03ID:31p6dSaH0367人間七七四年
2007/03/21(水) 22:05:15ID:A9Es7xdy今川幕府の功績は大きいよな
ただある大きな飢饉の時に
「飯がなければ今川焼きを食べろ」
なんて姫様が言ったとか言わないとか‥
0368人間七七四年
2007/03/22(木) 15:29:57ID:N0z+GixB自ら駿府城下の民に施したんだよ。
0369人間七七四年
2007/03/22(木) 21:03:43ID:iA2YIq9Tそういうことか(;_;)勘違いしてますた
やっぱり今川は偉大ですね。
0370人間七七四年
2007/03/22(木) 21:41:36ID:ia41n2WP0371人間七七四年
2007/03/22(木) 22:04:36ID:7Y1aD8UK0372人間七七四年
2007/03/22(木) 22:11:33ID:dKVQw/Yfそれは今川の徹底した攻撃を敵方がもじった言い方。
義元軍の今川焼を恐れた敵将は次々と降伏したわけだ。
もちろん菓子の今川焼が元なのは今更云わんでも・・・ねぇ。
0373人間七七四年
2007/03/22(木) 22:23:24ID:ia41n2WPそれに、飢饉の時に飢えを凌げるくらいなら、菓子じゃないだろw
0374人間七七四年
2007/03/22(木) 22:55:33ID:J1tyo0Kw0375人間七七四年
2007/03/22(木) 23:31:12ID:jCan0PWj0376人間七七四年
2007/03/22(木) 23:41:03ID:zG/ZiKvK島津との対明貿易の利権争いが発展して発生した台湾沖海戦の際に使われたヤツ。
0377人間七七四年
2007/03/22(木) 23:49:50ID:3Vr3md3A織田家
統率力 政治力
織田信長 22 32
柴田勝家 52 18
前田利家 42 38
ぐらいで終わりじゃない?
で
0378人間七七四年
2007/03/22(木) 23:56:59ID:3Vr3md3A評価
織田家は尾張の弱小大名で周囲を斉藤家、今川家、北畠家に囲まれて圧倒的に不利です。
配下の武将は二人しかない上に碌な能力じゃありません。
織田家が生き残る道は今川、斉藤のいずれかに従属して比較的攻略しやすい北畠家を攻略して勢力拡大を狙うしかありません。
0379人間七七四年
2007/03/23(金) 00:49:16ID:GVekJG9I0380人間七七四年
2007/03/23(金) 20:18:42ID:gNQtLOWAこれも日本史教育が徹底されなかったツケか・・・
0381人間七七四年
2007/03/23(金) 22:24:34ID:DXiZb2uM上洛前の配下には後の名宰相を出した松平。管領の朝比奈がいた。
天下統一の過程で同盟者だった武田に征西軍を北条に征東軍を任せ、今川本軍は畿内を完全に制圧した。
武田は信玄が反旗を翻すが、武田中納言義信が父・信玄を討ち義元に従った。
北条は東国を制圧した後に、関東管領として名を残すが、初期の頃は氏康が太田資正に討たれて弱小になっていた、しかし 義元公が援軍を送った為になんとかなったのだ。
0382人間七七四年
2007/03/23(金) 23:43:53ID:DXiZb2uM北条は後に常陸を拠点にし、坂東の主となり、初代の氏政が大納言になったことから北条坂東大納言と称された。
長曽我部は四国を統一するのに今川の力を借りていたため、統一後に従順に従った。官位は土佐守ならびに左近衛少将であり、土佐少将と称された。
0383人間七七四年
2007/03/24(土) 16:42:36ID:8vi1ECF6織田信広 一向一揆で討ち死
織田信行 伊賀?表石1万石 実石3万石?
織田有楽 摂津5千石 のちに子孫が小大名
織田信包 伊勢5千石?
織田奇妙丸 (信長長男)出家
織田信雄 (出自不明) 上野5千石? のちに子孫が小大名
織田信孝 (出自不明) 北陸攻めで討ち死に
織田家は有楽や信雄など一芸にたけた人が多いな
信長も平和な時代なら文化人として生きたかも
まあ戦国大名としては落第点だろう
0384人間七七四年
2007/03/24(土) 17:53:11ID:qmKn+bfPなんでも信長公記の続編とかいうふれこみで信長が暗殺された後籐吉郎が
名だたる家臣を討ち滅ぼしてついには天下統一して名前を豊臣秀吉に改めるんだとかw
大体豊臣なんて名字涼宮と同じで日本に存在しないのになに馬鹿書いてるんだろうな。
0386人間七七四年
2007/03/24(土) 18:36:32ID:ggKpY1/l>織田信広 一向一揆で討ち死
甥の信澄が後を継ぎ、飯尾連竜謀反時、四国征伐、九州征伐などで活躍、
後に肥後宇土24万石を与えられている。
>織田信行 伊賀?封\石1万石 実石3万石?
この人物は詳細は不明だが、義元公の尾張攻略以前に死んでいるはず。信澄の実父。
>織田奇妙丸 (信長長男)出家
織田写楽斎と言った方が分かりやすい。
氏真公暗殺犯として有名。
>織田信包 伊勢5千石?
>織田信雄 (出自不明) 上野5千石? のちに子孫が小大名
>織田信孝 (出自不明) 北陸攻めで討ち死に
そんな奴いたか?
0387人間七七四年
2007/03/24(土) 20:21:18ID:8vi1ECF6>この人物は詳細は不明だが、
>義元公の尾張攻略以前に死んでいるはず。信澄の実父。
間違えてました、たぶん信澄だとおもいます
>甥の信澄が後を継ぎ、飯尾連竜謀反時、
>四国征伐、九州征伐などで活躍、
>後に肥後宇土24万石を与えられている。
それは間違いでは?唐入りのあとならわかるんですが
さすがに織田にそんな大領与えないでしょう
>>織田奇妙丸 (信長長男)出家
>織田写楽斎と言った方が分かりやすい。
>。氏真公暗殺犯として有名。
冗談ばっかり〜騙されませんよ
0388人間七七四年
2007/03/24(土) 20:40:16ID:3KdCRYB3氏真公は慶長19年に蹴鞠の最中に心筋梗塞で急死されたわけだが
その直前の勅使との会食の席にいた織田写楽斎による毒殺という噂が
当時からまことしやかに流れてるわけだ
0389人間七七四年
2007/03/24(土) 20:42:15ID:DZx+1x30織田写楽斎による氏真公謀殺事件を知らんとはいかんな。若者の文系離れも甚だしい。
信長玉砕時に3歳だった奇妙丸を、心優しい義元公は殺さずに出家させたんだよな。
しかし、その寺の境内で相撲見物とは、氏真公も迂闊だよ。元康黒幕説もあるけどな。
0390人間七七四年
2007/03/24(土) 20:44:34ID:3KdCRYB3しかし、その寺の境内で相撲見物とは、氏真公も迂闊だよ。元康黒幕説もあるけどな。
>あれ『今川実記』と当時の一次資料で食い違いがあるんだっけ;ごめん
0391人間七七四年
2007/03/24(土) 20:52:43ID:8vi1ECF60392人間七七四年
2007/03/24(土) 21:51:19ID:Q/FmDymE普通に考えて、蹴鞠で心臓発作なんて起こすとは思えないよ。
サッカーとかいうのは伝播先の欧米で変形派生した亜流。
けまりって庭で円になってリフティングみたいのやるやつだよ?
その最中に死んだという説が本当なら、それは毒殺なわけだが…
写楽斎が氏真公を斬殺し、その場で元康に成敗されたんだろ。
「今川実記」って読んでないから、蹴鞠説の詳細はわからないが。
0393人間七七四年
2007/03/24(土) 22:09:35ID:lZKD06ok0394人間七七四年
2007/03/24(土) 22:15:20ID:3KdCRYB3「義元公記」は義元公の祐筆の小田馬一が記したもの
「今川実紀(記は誤記だった;)」は嘉永年間に編纂された幕府公式の資料
確実性では実紀のが上
0395人間七七四年
2007/03/24(土) 22:17:21ID:3KdCRYB3義元公記のが上;
0396人間七七四年
2007/03/24(土) 22:17:53ID:Q/FmDymEしかし、命を捨てて父親の仇を討ったことを潔しとする向きもある。
実は、この件では元康ないしは元康の重臣との間に密約ができていて、
その裏をかいた元康が口塞ぎのために写楽斎を討ったとも言われてる。
これを機に松平氏は執権として幕府の頂点に登りつめたわけだしな。
しかし、北条や武田が黙っていなかったことは歴史が示す通りだ。
0398人間七七四年
2007/03/24(土) 22:28:08ID:Q/FmDymE松平氏は全権を掌握しきれなくなって勢力に翳りが生じた。
その隙に高久公はじめ今川譜代が挙兵して駿府と京都を制圧、
松平とも和睦しつつ将軍家による親政を復活させたんだよな。
でも将軍の直接の権勢は義元公のときが最高で、それ以降は
親政の谷間に大老が実権を担ったりしつつ今に至ってるんだよな。
0399人間七七四年
2007/03/24(土) 22:42:47ID:3KdCRYB3氏真公の77歳が今の所最高だし(ただし御前相撲暗殺されたとすれば61歳)
0400人間七七四年
2007/03/24(土) 22:44:13ID:IF9LgzJR日本史苦手な俺に教えてくれ
0401人間七七四年
2007/03/24(土) 22:47:05ID:3KdCRYB3しかしその後、朝鮮半島の近代化は成し遂げられたとおっしゃって
独立させたのは失敗だったな
0402人間七七四年
2007/03/24(土) 23:06:00ID:DZx+1x30蹴鞠の最中にマリを落としそうになって心臓発作で亡くなったなんてのは落語の話。
明智光秀が朝廷との折衝を成功させて、執権政治の形で幕府存続となったんだよな。
高氏公による親政回復と国制改革によって、今川幕府は輝きを取り戻して今に至る。
0403人間七七四年
2007/03/24(土) 23:08:57ID:JimW4eD7隣はああだが、東南アジアだとかなり感謝されてる
0404人間七七四年
2007/03/24(土) 23:12:25ID:JimW4eD70405人間七七四年
2007/03/24(土) 23:24:27ID:DZx+1x30しかし、清国とロシアは各個撃破してれば良かったのに、大戦に持ち込んで実質敗戦。
ヒトラーやムソリーニを説得して、賠償金を支払って早期降伏したあたりは流石だよ。
徹底的な殲滅戦法「イマガワヤキ」は、戦国60年越えた現在でも語り草になってるね。
0406人間七七四年
2007/03/25(日) 02:17:55ID:ijtGJ8uW0407人間七七四年
2007/03/25(日) 02:50:04ID:s6QwR6aw米英が慢性的な経済難に喘ぐ中、日独伊や仏などは順調に戦後復興に成功し繁栄。
0408人間七七四年
2007/03/25(日) 07:39:46ID:Vofw4Rc/0409人間七七四年
2007/03/25(日) 09:39:58ID:s6QwR6awロシア正教会やカトリックと協力し、イスラム世界との対話にも貢献しているね。
0410人間七七四年
2007/03/25(日) 10:43:47ID:WUboOMoyナチスの迫害を逃れてアメリカに渡ったという記録がある。
それを辿っていくと、どうも彼は「原子力」(核分裂)っていう、
例の大量殺戮兵器のもととなる原理の研究テーマを持っていた。
もちろん、彼自身はそのような忌まわしい殺人の目的ではなく、
人類の発展に貢献するための純粋な科学として考えていた。
しかし、それを亡命先のアメリカの政府や科学者が利用して、
「原子力爆弾」っていう恐るべきものを作り出したらしい。
それこそあの時に日本が、今川将軍家の優れた舵取りによって、
賠償金を支払って早期降伏しなければ、実戦使用されていた。
研究データと原料のウランが廃棄され、世に出ることのなかった、
原子力爆弾(別名「核爆弾」)の、正確な殺傷力は不明である。
0411人間七七四年
2007/03/25(日) 11:25:16ID:s6QwR6aw最初ロシアに亡命するつもりだったのが、チャップリンの誘いで米国にしたんだよな。
今川幕府がペリーの米冦を今川焼きで撃退し、莫大な賠償金を取ったのが大きかった。
今の常任理事国・日本があるのは、将軍家とチャップリンさまさまなんだよな。
0412人間七七四年
2007/03/25(日) 11:57:20ID:WUboOMoyまとめると…
《常任理事国》
清国(皇帝制) ロシア(皇帝制) アメリカ(共産制)
イギリス(共産制) 日本(幕府) ドイツ(総統制)
《世界の宗教》
ロシア正教…ロシア帝国の国教で世界最大の教団
カトリック…ドイツ、イタリア、フランス
プロテスタント…米国の公認教会(祖国基督教団)
英国国教会…国王退位に伴い共産党の管轄となる
イスラム…アフガンやイラクをはじめアラブ諸国
清国・日本…こういうのを何宗教っていうんだろ?
0413人間七七四年
2007/03/25(日) 12:35:54ID:s6QwR6aw共産化した米英は大変だよな。ロシア皇帝がペレストロイカ勧めても聞かないし。
とにかく、上様がヒトラーに降伏を決意させた、あの電話の録音は貴重な史料だよな。
あのあとヒトラーはユダヤ人に謝罪したし、占領を免れて統一国家を維持できた。
0414人間七七四年
2007/03/25(日) 17:07:13ID:AkX4Hjy5一時松平に押されてたけど今川家のすごさは室町時代から変わってないな。
0415人間七七四年
2007/03/25(日) 17:41:51ID:WJP8iqDm0416人間七七四年
2007/03/25(日) 18:14:37ID:usXAeriC今川家の施政で最も評価すべきはそこであると書き残したのって、
松平の分家の和歌山少将の主税頭頼方だったっけ?
0417人間七七四年
2007/03/25(日) 18:53:37ID:s6QwR6aw清・露の大陸陣営、米英の共産陣営、日独伊の枢軸陣営の三大勢力が牽制しあってた。
特に米英の属領をめぐって一触即発の時期もあったが、バランスを崩せる国はなかった。
もしあの時、清が真珠湾を爆撃してたらと思うと恐ろしいよな。でも上様が阻止した。
戦争がなかったので、核兵器は一度も使用されないまま研究データと共に廃棄されたし。
アラブ諸国との対話も、正教会と日本が担ったんだよな。今はテロのテの字もない。
戦争と核の脅威のない今の世界になってるのは、本当に上様のおかげと言える。
0418人間七七四年
2007/03/25(日) 19:25:57ID:to3Rpslm和歌山は品川高寛が賜っている。
松平頼方は越前葛野3万石(実高1万5,000石)の領主。
0419人間七七四年
2007/03/25(日) 19:31:37ID:WUboOMoy戦争もしたけど、後の平和のために貢献もしてるんだよな。
唯一朝鮮だけは、清の属国だったのに革命を起こそうとして、
皇帝直属の軍隊によって一ヶ月で攻め滅ぼされてしまった。
こんど征夷大将軍職を選挙制にするなんて言っているけど、
選挙なんてしないでいいよな。将軍はずっと今川の殿様でいいよ。
0420人間七七四年
2007/03/25(日) 20:52:38ID:s6QwR6aw0421人間七七四年
2007/03/25(日) 21:03:10ID:WJP8iqDm0422人間七七四年
2007/03/25(日) 21:24:22ID:s6QwR6awあと、静岡茶の某メーカーが発売した「ヲーイ茶の湯」は不朽の大ロングセラー。
サッカーとかいう蹴鞠の派生競技に参戦した清水蹴球団は、抜群の戦績をあげている。
0423人間七七四年
2007/03/25(日) 22:05:54ID:AkX4Hjy5今まで家で飲む物だった抹茶をペットボトルに入れて持ち運べるようにした画期的な新商品!
お茶って言ってもムギ茶や緑茶もあるけど俺はやっぱり抹茶だな。
これから暑くなってきたら常備携帯するようになるな
0424人間七七四年
2007/03/26(月) 04:15:36ID:N3Xhgsx8決勝トーナメントには出場をボイコットしてるのはいただけないよな。中途半端だよ。
こないだも幕府の方針に抗議して、ヒデが突如の引退を表明したよね。気持わかるよな。
0425人間七七四年
2007/03/26(月) 08:58:00ID:s2vFRivo(独自戦法「威光」)の15000と朝比奈泰朝統率98 知略92
の9500に対してどうやって凌げばよいのでしょうか?
しかも上級でやってしまっていて・・
迎撃しても氏真や元康の流言が確実に決まるし。。
0426人間七七四年
2007/03/26(月) 09:25:15ID:w20kItQm今川が北条に潰されたりするから笑える
0427人間七七四年
2007/03/26(月) 11:48:53ID:2/87c1n8そんなもん初級でも無理だよな
0429人間七七四年
2007/03/26(月) 21:25:46ID:gEw703RS0430425
2007/03/26(月) 21:53:10ID:s2vFRivo今やってるシナリオは尾張併合です。
義元が攻めてくる前に北畠に全軍突撃・・しましたが、偽報で全く進みません・・
でもネットでは確かに信長でクリアしている方もいらっしゃるので方法は
あるはずなのですが・・
今川は名声1800なのでとても同盟なんて組んでもらえないし・・
0431人間七七四年
2007/03/26(月) 22:08:58ID:w20kItQm0432人間七七四年
2007/03/26(月) 22:24:22ID:YDjVxbIqこの二人がいなけりゃあ倒幕とか攘夷とかやっかいなことになっただろうな。
0433人間七七四年
2007/03/26(月) 23:33:41ID:PyBsAq6T執権松平家、北条家、武田家の絡み、それに駿河、尾張、紀伊の御三家の三すくみ状態も興味深い。
ところで氏堯公って結局誰の子だったんだろう。
一説に言われる、義元公三男葛山元貞公の曾孫説って本当だろうか?
0434人間七七四年
2007/03/26(月) 23:57:17ID:s2vFRivo0435人間七七四年
2007/03/27(火) 00:26:53ID:Adjyd+rw0436人間七七四年
2007/03/27(火) 01:00:38ID:bxQAiMAePS版では独立勢力だけど、PC版では一応独立大名
当主信長は智謀は最低だけど、戦闘はそこそこで鉄砲が意外と強いので篭城すれば結構いける
シナリオにもよるけど、後に今川家で活躍した佐久間信盛もいるので、弱小の中では恵まれている方だと思う
ただ歴史イベントの桶狭間でボロボロになっちゃうけどな
0437人間七七四年
2007/03/27(火) 07:53:23ID:gB4jnp9+運がよければ武田と今川が潰しあってくれるし、信長も能力シャッフルで平均50前後まで持ってけるからな
佐久間信盛や滝川左近が引き抜かれた時は悲惨だったけど。
0439人間七七四年
2007/03/27(火) 09:41:26ID:S43z45ki滝川左近って
桶狭間で奮戦して唯一今川の武将クラス(由比正信だったか)を討ち取ったってのと
その後尾張と伊勢でゲリラ活動展開したってだけで評価高すぎじゃね?やっぱ「影武者徳川家康」と「SAKON」のせい?
結局3年で討たれてるし(生存説あるけど)武力も智謀も80台超えなんてありえねぇ(智謀なんて朝比奈信置より高い)
0441人間七七四年
2007/03/27(火) 17:49:57ID:jmVuqfZiその時に義元公から貰った名前だろ。康の字ついてる けど、執権松平氏とは関係なし。
0442人間七七四年
2007/03/27(火) 18:31:32ID:gB4jnp9+群雄伝は今ほど研究が盛んじゃない時代に作られたからな。20年以上前だっけか
そもそも智謀なんてない時代のヨシヤボだ。有名度に能力が比例するようなもんだし
そんな時代から評価高かったのは、天晴れな戦いぶりが民衆受けして広まってたんだろう
0443人間七七四年
2007/03/27(火) 18:35:28ID:S43z45kiいや群雄伝だけじゃなくシリーズ通してよ
覇王伝までは猪武者だったけど、天翔記から急に能力評価高くなったよな
0444人間七七四年
2007/03/27(火) 20:33:43ID:sqC++zYHそのゲリラ活動は「怒りのアフガン」って映画になってるよな
0445人間七七四年
2007/03/27(火) 21:26:44ID:G8gDA/gU案外能力あったりして
0447人間七七四年
2007/03/27(火) 22:35:02ID:qSKZAwqIさらに蹴鞠においては、前人未到の十試合連続ハットトリックしたしな。
今もFIFA本部にはペレと氏真公の銅像がある。
さらに監督としては十シーズン無敗とそちらもかなり素晴らしい。
0449人間七七四年
2007/03/28(水) 22:18:04ID:iSD+TEynケマリーは地面に落とさずリフティング〜パス〜リフティング〜パスで相手ゴールまで攻め込む高等技術。
日本はここ最近までケマリーを使用して負け知らずだった。しかし、海外サポーター達のツマラナイ!と言う指摘から日本は今大会にてケマリーを封印して戦い、準決勝でブラジルに破れてしまった。
これをベルリンの絶望といい、監督の今川元気(今川氏・浜松宮)「80才」監督はこれにて監督職を辞任。選手を四十才でやめ監督職は八十才で辞めることになった監督を皆が涙を流して見送った。
後任は今川真ニ(今川氏・越後宮)「34才」が就任予定。今川真ニは選手時代に今川元気監督に育てられ、今大会で引退した人物。
0450人間七七四年
2007/03/29(木) 21:48:49ID:xPh1i9ow0451人間七七四年
2007/03/29(木) 22:18:51ID:dtYDsPQj欧米諸国から『イマガワファイター』とか『ケマリファイター』とかいって恐れられたやつ
0452人間七七四年
2007/03/29(木) 23:20:54ID:cyCKO382見事撃墜してくれたのも駿河だったよな。もちろん戦後明らかになった事だけどね。
0453人間七七四年
2007/03/30(金) 01:29:07ID:MerJzvTo0454人間七七四年
2007/03/30(金) 01:31:18ID:LcOw8sd0結局アメリカ軍は上様が講和なさるまで『今川焼き』の攻略法をみつけることができなかった。
講和後も駿河は日本海軍の主力戦闘機となり後の戦闘機や自動車なんかにもその技術が受け継がれた。
まぁ戦後の高度経済成長は上様の工業大国日本を謳った政策にもあるんだけどね。
0455人間七七四年
2007/03/30(金) 05:08:52ID:kBiHUk2r他の国はもっと貧しいと上様はおっしゃるが・・
0456人間七七四年
2007/03/30(金) 14:50:59ID:LcOw8sd0でも上様はちゃんとした政治を行ってくださるから税もちゃんと払う気になる。
上様のおかげで日本は世界一位、二位を争う国になったんだぜ?
0457人間七七四年
2007/03/30(金) 16:22:30ID:ukzlrblwたしか、名前の由来は上様の家臣の武田の臣下だったな。
日本の空母の名前は武田財閥がつくった「朝比奈」「松平」「雪斎」が有名だな。
0458人間七七四年
2007/03/30(金) 22:10:24ID:J84BwPmW0459人間七七四年
2007/03/30(金) 23:00:53ID:ukzlrblw普通の武将の家だな
今川はほとんどの大名家の領国を安堵したのに毛利とか織田はかなり攻撃されたよな。毛利は安芸の安堵はされたけどさ。ただ小早川と吉川は九州で戦死したのが毛利にとっては痛かった。
もっとも九州は島津のものだったから大名みんな苦戦したんだけどな
0461人間七七四年
2007/03/31(土) 03:23:27ID:DBXVSQmu例え結末は同じでも一時中国地方を支配した毛利と桶狭間で自殺した織田じゃ天と地の差
織田は勝手に潰れたけど毛利は義元公も苦戦したのに
0462人間七七四年
2007/03/31(土) 14:16:36ID:4y0B/IaL0464人間七七四年
2007/03/31(土) 16:31:10ID:Xom+0+PK織田写楽斎はねえよwww
0465人間七七四年
2007/03/31(土) 20:20:23ID:1msnWdZH鳴かぬなら…なんだったっけ?
0466人間七七四年
2007/03/31(土) 21:13:52ID:LThcVieC0467人間七七四年
2007/03/31(土) 21:30:04ID:5zaOq4c3鳴かぬなら、それもまた好し、ホトトギス
だったかな?
大身の余裕か、寛大なのかいまでも研究されているね
0468人間七七四年
2007/03/31(土) 22:27:23ID:oMMnnO7Jあーそれだそれだ。すっかり忘れてたよ。
義信は確か
鳴かぬなら、自分が鳴こうホトトギス
だったよな。
0469人間七七四年
2007/03/31(土) 22:37:10ID:5zaOq4c3鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス
なんだよな。結構意味深で、今川が潰れるのを待ち
ひたすら機会到来を狙ってたという意味なんだよね。
結局、執権ながら事実上天下人になったから、執念とは凄いね。
0470人間七七四年
2007/04/01(日) 01:46:55ID:LqJp7T7Q鳴かぬなら 品種改良 ほととぎす
0471人間七七四年
2007/04/01(日) 04:29:50ID:81MMng/W武田=京大
徳川=一橋
北条=東工
0472人間七七四年
2007/04/01(日) 09:08:59ID:7bFs16lF0473人間七七四年
2007/04/01(日) 14:59:31ID:YcT53p520474人間七七四年
2007/04/01(日) 17:58:47ID:IVwqu4nr逃げるのを追いかけて討ち取ったんだし。服部小平太が槍で傷を負わせて毛利新助が
討ち取ったんだよ?
0476人間七七四年
2007/04/01(日) 19:54:23ID:40Vux+wc大丈夫か?何かゴチャゴチャしてるけどw
テストに出るぞ〜
0477人間七七四年
2007/04/01(日) 22:19:18ID:IVwqu4nr家を潰したんだって。で、後に氏真は恥も外聞もなく親父の仇に茶器を献上して
目の前で蹴鞠を披露したんだぜ。あんなクソ評価に値しないよ
0478人間七七四年
2007/04/01(日) 22:30:22ID:Xpz1p1mi鳴かぬなら
餌をあげよう十姉妹(ジュウシマツ)
もはやホトトギスじゃないけどさ。
0479人間七七四年
2007/04/01(日) 22:39:38ID:2myqIq77まぁたまに来る織田厨はいつもスルーされてるけどな
0480人間七七四年
2007/04/01(日) 22:58:10ID:40Vux+wcお前さ、ひろゆきに迷惑かかるから政権批判は
違う形でしてくれ。ホント頼むわ・・・
0481人間七七四年
2007/04/01(日) 23:07:09ID:cnN4EZlN聞いたことがあるのですが?
0482人間七七四年
2007/04/01(日) 23:14:41ID:IVwqu4nrなんか「公安だ!ドアを開けなさい!」とか言われてるんだけど……
どうしよう、氏真公はクソとかいうんじゃなかた誰か助けて
0483人間七七四年
2007/04/01(日) 23:18:01ID:cnN4EZlN| 火風||/' \
| 不徐/ / _◆_| _______
| 動/__ / - -|| /
| /__ / __ /| ____< 侵す事火の如し!
| 山侵/ \__| ̄| ̄ / \\
| Λ 1 /___| / ● ● |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄/ |_| /| | |Y Y \ ____
/___| |_| | |/ | | ▼ | /
/ ̄| /| |_/  ̄ ̄ \/ _人_| o ○ | 強姦!
/ /_ |_|_|イ _/ \
| | | |  ̄ ̄ ̄ ̄
| / / |
| / / | /
0484人間七七四年
2007/04/01(日) 23:24:15ID:IVwqu4nr0486人間七七四年
2007/04/02(月) 00:28:19ID:uFVyY5Thちゃんと働いて心を入れ替えれば帰ってこれる
0487人間七七四年
2007/04/02(月) 02:13:37ID:UrZ6vaV9公安ことお庭番衆にはプライバシーもクソもないから今川批判はすぐ盗聴される
0488人間七七四年
2007/04/02(月) 09:56:37ID:hPQVkIye>>481がすごい事をいってる気がする
0489人間七七四年
2007/04/02(月) 14:21:28ID:p5SW9Oyg風はしゃべらへんやろ〜おーじょーしまっせ
チッチキチー
0490退屈@親父
2007/04/02(月) 15:07:45ID:+7f6TVp6age
0491人間七七四年
2007/04/02(月) 19:28:01ID:ic1UBcLB今川はともかくとしてそんな没落した家の家系なんて分かるわけないだろ。
それに今川家の血統は詳しい参考本が出てるから調べればすぐ分かるぞ。
捏造乙
0492人間七七四年
2007/04/02(月) 20:46:18ID:UrZ6vaV90493人間七七四年
2007/04/03(火) 13:01:09ID:8P8QhkUT0494人間七七四年
2007/04/03(火) 19:32:08ID:MBsGhbFV氏真公に自分のうんこを食べさせたって記述があったんだけどお前等的にどう思う?
0495人間七七四年
2007/04/03(火) 22:10:39ID:axe12mTp0496人間七七四年
2007/04/03(火) 22:11:56ID:axe12mTp0497495
2007/04/03(火) 22:12:52ID:axe12mTp0498人間七七四年
2007/04/03(火) 23:05:58ID:7WczhaPBそれは資料ではなく50年前のタブロイド紙。
しかし当時からすげーこと書くな「駿スポ」はwww
0499人間七七四年
2007/04/04(水) 12:43:26ID:cZgr9O5v松平元康=徳川家康
0500人間七七四年
2007/04/04(水) 19:27:01ID:Hm+emP780501人間七七四年
2007/04/05(木) 11:31:54ID:OLucKpBk0502人間七七四年
2007/04/05(木) 21:05:14ID:78WVceGn0503人間七七四年
2007/04/05(木) 21:14:59ID:ylygYDA2北朝鮮のあった場所がが丸ごと地球上から消えてしまうぞ…
0504人間七七四年
2007/04/05(木) 21:46:26ID:ECQBZFkfある意味反則
0505人間七七四年
2007/04/05(木) 23:11:25ID:7MpUm0Fxまぁこれからも北朝鮮が上様に対して失礼な行為をしたら別だろうが…
その時は世界一位二位を争う我等が日本軍(今川軍)の今川焼きが炸裂するだろうな
大戦時にアメリカ軍でさえ打ち破れなかった今川焼きを最新設備を持った今の日本軍がやったら…
考えただけで恐ろしい…
0506人間七七四年
2007/04/06(金) 06:26:22ID:PVq4ykOD北は消滅だし、南朝鮮の国土も、運良く残ったとしても無人の孤島になっちまうな…
0507人間七七四年
2007/04/06(金) 20:49:30ID:XZELvHHe黒船でやってきたペリーも大戦中のルーズベルトやチャーチルも上様に対してここまで対抗しなかったのに…
北の連中はよほど自信があるのかただ単にバカなのか
0508人間七七四年
2007/04/06(金) 21:58:17ID:it3y545/対抗なんかしてないでしょ?
ただ、拉致問題の解決に現将軍は命を懸けているから、同じ土俵に
上がってやっただけ。
それを奴らは計略の賜物だとか我が国は軍事大国だからと勝手に
思い込んでるわけさ。
乞食猛々しいよな。
0509人間七七四年
2007/04/06(金) 22:54:28ID:PVq4ykOD「松平」とか「武田」「北条」でも良かっただろうに 。
0510人間七七四年
2007/04/07(土) 00:11:59ID:wicGEqWd0511人間七七四年
2007/04/07(土) 00:50:32ID:nebBmNjt信長のことを指していないと意識してもなぁ…
0512人間七七四年
2007/04/07(土) 02:14:23ID:9M8p4ddj0513人間七七四年
2007/04/07(土) 04:13:44ID:wicGEqWd信長の家来の佐々蔵人は、生涯を織田家に献げて「忠臣蔵」という講談になってるし。
戦後、信長の甥の信澄を家督、林・柴田を家老にして、いったんは家名存続したよな。
信長の三人の息子と弟たちは出家したが、後に信包は薬屋、長益は銀行を開いた。
0514人間七七四年
2007/04/07(土) 10:06:39ID:aDlh3wwk死んだ織田家に忠誠ったってどうやってww
信用できる史料に忠臣蔵なんて出てこないだろ。
0515人間七七四年
2007/04/07(土) 10:51:41ID:VKmUYjalっていうかツマンネ
0516人間七七四年
2007/04/07(土) 11:43:08ID:9M8p4ddj現実の佐々蔵人は尾張時代の松平元康を虐めていたので
それを根に持っていた元康に腹切らされた人物
大体その講談自体ドマイナー
0517人間七七四年
2007/04/08(日) 02:24:38ID:ExVh63iy0518人間七七四年
2007/04/08(日) 05:22:32ID:r/x7FGU1スルガ銀行(駿銀)>長益銀行(長銀)
これ常識。小学生でも間違いようない。
リニアを導入した東海道新幹線「海道一の弓取り」に乗ったことない香具師は気の毒。
五十三次駅伝>箱根駅伝
これも当たり前。
静岡茶健康法>信包製薬
これも比較にならない。
蹴鞠>サッカー
文化度が違う。
0519人間七七四年
2007/04/08(日) 09:46:34ID:Gmkj7RB30520人間七七四年
2007/04/08(日) 23:16:51ID:EsItZWv4ここ数年では静岡茶は日本国内にとどまらず世界中に広まった。
ロシア皇室や英国王室じゃ今川家の御紋が付いた静岡茶を直接日本から輸入して愛用しているのは有名な話
ただそれに便乗して茶の効能を謳った信包製薬の薬はどうも信用ならんが
0521人間七七四年
2007/04/09(月) 16:21:39ID:tQ0jlsEk0522人間七七四年
2007/04/09(月) 23:10:51ID:65GTBe4Q0523人間七七四年
2007/04/09(月) 23:16:29ID:OKe7uFxd天下が定まった後義元公は毛利を叩き潰した黒田孝高の功を認め姫路に領地を与えた。
黒田孝高は姫路城を大改修し中国地方を統治するにふさわしい白亜の天守閣を作り上げた。
播磨出身の俺としては黒田孝高の話が出てうれしいな
0524人間七七四年
2007/04/10(火) 01:38:26ID:LV2RMUvb0525人間七七四年
2007/04/10(火) 21:06:59ID:jAldwDGR長い執権政治がなかったら今頃はちょっと違った国になっていたかな?
0526人間七七四年
2007/04/10(火) 23:07:10ID:y1LzihcYギリギリ領土を保ってた大友と龍造寺は泣きながら今川軍の武田義信に土下座をして助けて下さいと訴えたのはあまりに有名な逸話。
先遣隊の大将・武田義信は自分の草履の裏を二人に舐めることを強要したのはいただけないけど・・・
0527人間七七四年
2007/04/11(水) 00:37:10ID:b7Oj8+Inちょwww義信は義に厚い武将だからそんなことしないぜ。草履の裏を
舐めるのを強要したのは義信付きの茶坊主の石田某とかいう奴。
義信に取り入ってもらう代わりに大名に好き放題していたけど
飯富虎昌に見つかって一刀のもとに斬り殺されたんだろ。ちなみにその時逃げ回った
挙げ句台所に隠れた石田某を刀で押し殺したのが彼の名刀「圧切長谷部」
覚えておいて損はないぜ
0528人間七七四年
2007/04/11(水) 08:01:14ID:ZXIwRvWP1600年あたりから現在までの、大まかな日本史概説を誰かまとめてくれよ
俺、不勉強で知らないからさ
0529人間七七四年
2007/04/11(水) 13:32:57ID:jlskEY240531人間七七四年
2007/04/11(水) 19:48:21ID:UrhxXiT0山中鹿之介を拾った話が俺は好きだのう。
直参の誘いを断りあくまで陪臣であり続けたが、意を汲んでやった公も大したもんだわ。
出来れば主家が出雲に帰るのを見せてやりたかったな…
0532人間七七四年
2007/04/11(水) 20:51:02ID:8Pj7qD7y0533人間七七四年
2007/04/12(木) 15:21:52ID:M+eWXus7今川義元は既に1570年には征夷大将軍となっており、駿河に幕府を開いていたとする書物が存在する。今川氏真公は1573年に将軍になっていることから、義元は早々将軍職を辞して宗教勢力との戦いに身を投じていたかがわかる。
0534人間七七四年
2007/04/12(木) 15:34:14ID:M+eWXus7九州が武田。中国地方が黒田。四国が長曽我部。近畿〜中部が幕府。北陸は松平。関東が北条。東北が朝比奈。がそれぞれ行政をしていた
四管領に黒田・長曽我部の二家を加えた六家を六大柱と呼称する。
0535人間七七四年
2007/04/12(木) 17:52:14ID:w/XwfP1f0536人間七七四年
2007/04/12(木) 18:27:08ID:M+eWXus7だが穂井田らによって家を建て直し、裏で畿内の本願寺を支援していたんだよな。これによって今川の天下統一は五年は遅れたと言われている
0537人間七七四年
2007/04/12(木) 20:08:57ID:7IpTdXNeその後、今川方は織田信長方の諸城を攻撃、清洲城を接収する。
なお、この戦いで戦功をあげた松平元康は三河の旧領を返還される。
1561 正月、信長庶兄・信広が今川氏に帰順。
この後も伊勢へ逃れた滝川一益は尾張の国衆や一向一揆と結び抵抗する。
1563 三河松平領で一向一揆発生。鵜殿長照が救援に向かうも、到着前に鎮圧。
七月には尾張をほぼ平定するが、この後も滝川一益の煽動で尾張は安定を見ない。
1564 尾張にて、一部を改正した今川仮名目録を行き渡らせる(永禄の仮名目録)。
同年二月・今川義元は尾張守護に補任される。北近江の浅井長政と同盟を締結。
1565 滝川一益と結ぶ伊勢の北畠具教を攻撃。義元公次男(北畠元顕)を
養子とする事を条件に降伏。滝川一益は尚も抵抗。
1567 美濃を平定。斎藤龍興は伊勢長島へ逃走。
三顧の礼で竹中半兵衛を軍師に迎える。
1568 足利義昭を奉じ、駿河、遠江、三河、尾張、美濃、伊勢の六カ国の
総勢6万の兵力で上洛。六角義賢を撃破し、三好三人衆も逃走。
管領に任じられる。
1569 義元公率いる今川軍主力が駿河に帰還した隙を突いて、
滝川一益や三好三人衆、斎藤龍興ら共謀し、足利義昭の御所を襲撃し殺害。
義元公5万の兵を率いて滝川らを撃破。
幕臣、家臣より征夷大将軍に推戴されるも固辞。
1570 逆臣斎藤龍興を匿う朝倉義景討伐のため越前へ進軍するも、浅井長政の裏切りの為壊走。
義元公も九死に一生を得る。(金ヶ崎の退き口)
武田信玄謀反、武田義信駿河に逃れる。
近江国姉川河原で浅井・朝倉連合軍を撃破。(姉川の戦い)
滝川一益、三好三人衆摂津で挙兵。これに乗じて浅井・朝倉・延暦寺の連合軍が
近江坂本まで侵攻。両軍は近江国志賀において対峙。伊勢長島も蜂起した。
進退に窮した義元公は朝廷の調停で和睦に成功。
つかれた。誰か続き頼む。
0539人間七七四年
2007/04/12(木) 22:01:18ID:7IpTdXNe1575年義元公征夷大将軍任官。
1579年義元公薨去。氏真公将軍任官。
1582年近江坂本城主飯尾連竜謀反(氏真公自身により鎮圧)
1614年氏真公、織田写楽斎に暗殺される。
0540人間七七四年
2007/04/12(木) 23:09:28ID:VR8Oievo0541人間七七四年
2007/04/12(木) 23:45:15ID:Z6bQeSxA甲斐の信虎公以外で?
0542人間七七四年
2007/04/13(金) 00:05:51ID:5qz5AlNFしかし、松平が執権になると些細な事で山名・一色は所領を奪われ五万石格にされてしまった。
松平は1567年頃?自身の拠点を越後にしてからは滅ぼされた長尾家の家臣を吸収した(一説にはこれ以前に長尾景虎を匿い、彼の養子になっていた)ため強力な兵力を持っていたため誰も逆らえなかった
0543人間七七四年
2007/04/13(金) 00:44:40ID:y6vgidTB後半二行がまるで意味不明
元康は越後に足を踏み入れた事すらないわけだが
府中長尾というか長尾上杉家が降伏したのは1976年
武田義信と北条氏政に攻められて、既に養子に入っていた氏政の弟
景虎を当主にするって条件で越後の西半分のみ統治を許された
謙信は高野山に入って数年後死去、楊北衆は北条に編入されて奥州平定で活躍するよ
義信が「せめて本庄繁長とその郎党だけでも私の配下に」と義元公に直訴したのは有名な話
0544人間七七四年
2007/04/13(金) 14:14:26ID:5qz5AlNF北陸を本拠に移された当時は家臣は怒っていたが、元康は領土が増えるなら良いと言ったとされる。
この地域の金山が松平を支えたのだから彼はかなりの先見性があった
0545人間七七四年
2007/04/13(金) 14:46:25ID:SEKg5b64今川の血を松平に色濃く引くサラブレッドであり一門きっての猛将。
0546人間七七四年
2007/04/13(金) 15:21:07ID:o3wEp2DDだから松平家は北陸には移ってないとあれほど…
>>545
ただ信康は統一後の二代執権として権力闘争に明け暮れるダーティなイメージも強いんだよなぁ…
真康というい方はよくされるけどあれは後世の系図にのみでてくる名前で
松平信康自体は真康とは名乗ったことがないんだがな
家督を継いだ時点で関口姓から松平姓に復してるし
0547人間七七四年
2007/04/13(金) 15:36:25ID:R29qTR1u0548人間七七四年
2007/04/13(金) 15:45:56ID:5qz5AlNF東照宮様漫遊記のあの台詞(ワシは越後屋じゃっ!)は間違いなの?あの本のすっげーファンだったからかなり驚いた。
じゃあ松平ってどこ治めてたのさ!?
0549人間七七四年
2007/04/13(金) 16:03:39ID:R29qTR1u松平が上野を本拠に武蔵、相模、伊豆の領主になる
直後に信玄入道の残党、真田兄弟の煽動で里見、結城らが反乱を起こすけど元康に鎮圧されてる
その後元康は、次男真康と四男忠氏を、それぞれ結城、里見の養嗣子にして取り込んでる
0550人間七七四年
2007/04/13(金) 16:53:59ID:SEKg5b640551人間七七四年
2007/04/13(金) 17:27:54ID:2BEU95Sf左様に御座る。
今川義元の寵愛した小姓や、
また念者の名前は何人ぐらい伝わって居りますかの?
0552人間七七四年
2007/04/13(金) 17:33:33ID:5qz5AlNFまぁあの城を見に行くのは日本国臣民の務めだけど・・・行って良かったです!
氏真様の像はまさに戦国武将!!ってカンジでした。
でも 自分が好きなのは十代目の氏仁様ですけどね。
0553人間七七四年
2007/04/13(金) 19:05:00ID:dDYw/8Gr井伊家は直盛の後、甥の直親が継いでいる。
直親は浅井・朝倉攻め、武田信玄征伐などで活躍し近江佐和山13万石を与えられるも、
1582年病没。跡は嫡男の直政が継いでいる。
0554人間七七四年
2007/04/13(金) 20:55:59ID:5qz5AlNF0555人間七七四年
2007/04/14(土) 09:30:26ID:rYG1es5Y帝の系統が途絶えると、既に宮家が今川家に滅ぼされていた事もあり、金山殿が女帝となった。
晩年には嫡男が帝になったため、ここに将軍と帝が統合された。死後、太上天皇という称号を賜った。
0556人間七七四年
2007/04/14(土) 12:50:47ID:HYLZ/pSm地元の大名なので教えてください。
0558人間七七四年
2007/04/14(土) 21:27:16ID:rYG1es5Y里見松平家から嫡流松平家に養子に行った人物がいたはず。
14代目・松平家当主であり、16代目の執権:右大臣仁家(ヒトイエ)は里見松平家出身。
0559人間七七四年
2007/04/14(土) 22:51:14ID:i91relqk>帝の系統が途絶えると、既に宮家が今川家に滅ぼされていた事もあり、金山殿が女帝となった。
妄想乙。
勤皇の志の篤い義元公が直宮の出家を禁止し和仁親王の4皇子に宮家を設立させて以来、
天皇の御子はすべて宮家を立てるなり、継ぐなりしている。
また、皇族の庶子の約半数は臣籍降下、または公家に養子に入っている。残りは門跡寺院に入っている。
そのため皇統は繁栄し、今では56宮家が現存する。皇統断絶なんてありえない。
0560人間七七四年
2007/04/14(土) 22:57:14ID:RLUDJJPqそう言う奴らは米寇の時、一網打尽にされたはずだ
0561人間七七四年
2007/04/15(日) 01:54:48ID:1Awx0Xgy0562人間七七四年
2007/04/15(日) 02:15:52ID:Xz5blVgL京の女の顔をのぞいた男の顔面を
50m先から蹴鞠でぶち当てたさせたという逸話がある
0563人間七七四年
2007/04/15(日) 21:01:33ID:WJ4vJyoOさらに実際に彼は太上天皇の称号を与えられている。
彼が駿河に築いた虹閣寺(永安寺)はすばらしく、
これを守る為に世界遺産という制度が出来たぐらいである
0564人間七七四年
2007/04/16(月) 03:37:10ID:3yLygs8a氏真公が仲介に入った時の話
北条氏照と武田勝頼を引き合わせて
氏真公は50m先の扇の要に見事蹴鞠が当たったら
天の意思と思って兵を引き上げよと言った
氏輝と勝頼はいくら氏真でもあんなところに蹴鞠が当てられる訳が無いと思って快諾した
しかし、蹴鞠は50先の扇に命中
両将はその芸術的なシュートにひれ伏し兵を引き上げた
0566人間七七四年
2007/04/16(月) 18:31:09ID:ZVaZ1Ne9謀叛に組した諏訪勝頼と仁科盛信は信玄誅殺後
それぞれ別の場所に蟄居させられてるけど同日に死んでるんだよな…怪しい
0567人間七七四年
2007/04/16(月) 19:33:57ID:5tWj0wX3出家経験あるからとかでどうにかなる問題でもないだろ、信玄謀叛は
そういや盛信の実妹と氏真嫡男との婚儀は本当に残念だったよな。間違いなく戦国最大の悲恋
0570人間七七四年
2007/04/16(月) 20:41:00ID:5tWj0wX3生まれる前に決めていたとかっていう説も見たことあるが
でも確かに9歳も年が離れてたらないよなぁ
信清の号は龍宝じゃなくて玄竜
上杉の家臣になってる安田信清っていうマイナー武将
信玄入道の六男だか七男
0571人間七七四年
2007/04/16(月) 21:58:59ID:6WbjZ2MDえらい前にもそんなレスあったけど、真相を
早く知りたい。
予想はつくが。
0572人間七七四年
2007/04/17(火) 18:57:44ID:fX2N/X7oそもそも義元公が桶狭間で亡くなられるなんてタイトルが反逆罪の容疑がかかる。義元公からしたら桶狭間は単なる通過点でしかなかったのに。
三好戦争や毛利討伐ならまだわかるが・・・。
0573人間七七四年
2007/04/17(火) 19:07:29ID:7PaeBmA4調べたら、桶狭間でボコボコにされた田舎大名じゃん。ありえねー。
アイツアホだw
0574人間七七四年
2007/04/17(火) 19:27:15ID:yauvKDWJ安心しろよ
公方家は世界一、体制批判に寛容な政権だぜ?
if物の出版も認められているし、よっぽどの事意外は政権の暗部を語ることも許されている
0575疑問
2007/04/19(木) 12:11:50ID:r29if7eC0576人間七七四年
2007/04/20(金) 21:43:52ID:p0SKpahJ0577人間七七四年
2007/04/20(金) 22:01:43ID:QCrs5n5/しかし、天下統一まじかの1565年には記述がなくなる。一説には毛利攻めに入る前に浮田某に暗殺されたと言われている。
0578人間七七四年
2007/04/20(金) 22:10:34ID:BbXHLYZiん?
北條はそもそも将軍家の領地を奪って発足したから後に改易になり、
その後は相模が朝比奈氏で伊豆が興津氏になったじゃまいか。
んで武田が陸奥に飛ばされて甲斐は庵原氏か。
岡部氏は朝比奈氏と共に遠江の半国守護だろ。
んで両朝比奈、岡部、庵原、興津の譜代五名家はいづれも参議だな。
少納言ごときと並べたら失礼にあたるぞ。
0580人間七七四年
2007/04/20(金) 22:14:21ID:APUtIrUAお前こそ何を言っているんだ
北条は北陸に飛ばされたが
武田は功臣として甲信三美飛の五ヶ国守護だろ
まあ義信は将軍家に忠実だったが次代が
松平信康と並んで専横に走ったのは残念打破
0582人間七七四年
2007/04/20(金) 22:22:00ID:BbXHLYZi北陸の北條は執権北條の後裔を称してるけど、ちゃんと後北條に繋がってるみたいだね。
勘違いスマソ
武田の記述はメチャクチャだから駿河茶でも飲んで酔いを醒ましてくれ
つ 旦
0583人間七七四年
2007/04/21(土) 23:57:49ID:4FmcG1Cvしかし、今川家の岡部の手勢二万の援護を受けて島津を叩きつぶした。(第二次耳川の戦い)武田はこの功績から太宰府を任される。〜義元公記より〜
0584人間七七四年
2007/04/22(日) 00:00:57ID:AZjFOQF70585人間七七四年
2007/04/22(日) 00:09:40ID:AZjFOQF7名君初代武田義信
暴君二代目武田真信
病弱三代目武田信健
ここまではいいんだがそのあとの武田は太宰と甲斐の派閥に分かれ四代目が二人になる。信健の長子・康信と真信の次子・信臣である。武田はここから弱体化してしまう。
0586人間七七四年
2007/04/22(日) 00:30:11ID:bxm+oLap古い家には付き物だけど、武田は一族同士の争いが酷過ぎる。
駿河も介入する気全く無いし。
0587人間七七四年
2007/04/22(日) 00:33:34ID:4D8qDr0E「真信御膳返し」の逸話のせいで
暴虐非道扱いされてるけど
実際はかなりの能臣だと思うよ
武田領には今でも彼の治世を称える碑文が点在してる
0588人間七七四年
2007/04/22(日) 00:46:57ID:jA0Aqrw8御膳返し
鞠潰し
は信真の増長ぶりと、松平信康の老獪さ
弟君・品川高久公の気骨、そして三代範以公の寛大さ(悪く言えば軟弱さ)を表すエピとして有名だよな
0589人間七七四年
2007/04/22(日) 11:00:03ID:7CpJMuBpこれで義元が氏真に殺されたんだよな。
親爺に惚れていた側室候補を取られたんだからさ。
それで早川殿との中は余計良くなったけど。
0590人間七七四年
2007/04/22(日) 11:20:17ID:4D8qDr0E>これで義元が氏真に殺されたんだよな
どこの三文小説だよwww
これだからゆとりは…お二人を呼び捨てにしている時点で
どれだけ公方家を軽んじているかがわかる
0591人間七七四年
2007/04/22(日) 21:21:12ID:1EK6PyC5義元公が身罷った時点で、まだ30歳にもなってなかったんだよな。エロい存在だよ。
そのあと明智光秀公に再嫁したんだよな。その魅力であっという間に虜にしちまったw
しかし怖いもので、織田写楽斎による氏真公暗殺事件に一枚噛んでたって噂もあるよな。
0592人間七七四年
2007/04/22(日) 21:24:36ID:NAmUkAAI0593人間七七四年
2007/04/22(日) 21:50:33ID:1MiUYcSu0594人間七七四年
2007/04/22(日) 21:53:07ID:1EK6PyC5静岡茶の効能で健康を回復し、のちに幕府の重要な軍団長として働いた。
ただし政治的には光秀公が優れてた。暗殺事件後に朝廷工作で幕府を存続させたし。
それを考えると、妻である市姫が事件の黒幕だったっていうのはありえないなw
0595人間七七四年
2007/04/22(日) 22:32:07ID:AZjFOQF7芦名との交戦中、与力に付いていた佐竹に同士討ちで討たれた氏康
初代・氏政
二代目・氏直
ここまでは名君揃いだった。 氏直の養子三代目・氏盛と氏直の庶子・氏次が家督争いを起こしてしまい、家臣団や与力だった武将によって領土は分裂してしまったしな!!
0596人間七七四年
2007/04/22(日) 22:39:18ID:AZjFOQF7今川家も関東公方を潰した北条を恨んでいた事もあり、北条は相模・武蔵周辺しか所有を許されず弱体化したんだよな。
0597人間七七四年
2007/04/22(日) 22:41:30ID:4D8qDr0E氏康は病による陣亡です><
直後に佐竹との同士討ちがあったから戦死にしてる小説が多いけど
0598人間七七四年
2007/04/22(日) 23:13:50ID:AZjFOQF7私は佐竹の陰謀なのかと思ってましたよ。
結局 芦名も佐竹の仲介で降伏したから、氏康の死ってあんまり意味無かったなぁ。
0599人間七七四年
2007/04/23(月) 08:56:53ID:iKm0eA5I市姫は義元公との夜の楽しみで洗脳されて、とても信長の敵討ちどころではなかった。
満28歳で寡婦にするにはもったいない美姫だったんだろ。光秀を動かすには格好の餌。
しかしこの縁組のせいで、正妻は娘を連れて南蛮寺に出家してしまったんだよな
0600人間七七四年
2007/04/23(月) 09:13:58ID:GrgNrgvV最後の最後まで辞退してたらしいな
0601人間七七四年
2007/04/23(月) 10:27:29ID:T6L2m5ZB明智日向は後に品川姓を名乗ること許されてるから、本当は義元公の子なのかもしれないよな。光秀に嫁いで二月で懐妊が発覚したらしいな。
0602人間七七四年
2007/04/23(月) 11:41:30ID:iKm0eA5I娘の玉は修道女になって、貧者の救済とキリスト教の普及に尽くしたよな
0603人間七七四年
2007/04/23(月) 11:58:36ID:T6L2m5ZB0604人間七七四年
2007/04/23(月) 12:12:08ID:GrgNrgvVまた講談厨か
市と光秀の正妻は姉妹のように仲がよかったというぞ
娘の玉が南蛮寺で出家したのは事実だが
0605人間七七四年
2007/04/23(月) 12:49:05ID:iKm0eA5Iそれによると、一度は娘を連れて出奔した元妻が、光秀の臨終の床に立ち会って、
涙を流して詫びる光秀に対して、「神の愛で赦します」って言ったそうな。
それこそ涙なしでは聞けない話だよな。今川文学賞も受賞したし、映画化されて欧米にも受け入れられた美談だよ。
0606人間七七四年
2007/04/23(月) 21:35:05ID:tcnSVaSxキリスト教へのお目こぼしなんてなかったわな。
0607人間七七四年
2007/04/23(月) 21:47:46ID:vno2BhtU>>606
日本海軍の名前が世界に知れ渡るきっかけになったあの海戦だね。
0608人間七七四年
2007/04/23(月) 22:18:06ID:GrgNrgvVそれをきっかけにどんどん斜陽の道を歩んでいくんだよな
0609人間七七四年
2007/04/23(月) 22:26:42ID:iKm0eA5I一緒に出家して後に修道女になったのが娘のお玉。彼女の洗礼名はマグダラのマリヤ。ガラシャだというのは誤伝。
ちなみに長岡忠興は彼女らの伝道で切支丹になったんだけど、父親の藤孝は氏真公と和歌で張り合った。
ついにはその遺恨で織田と組んで暗殺を画策したんだよな。人間の野心ってのはおそろしいものだよな。
0610人間七七四年
2007/04/23(月) 22:45:52ID:T6L2m5ZB結局、彼にはお咎め無かったし・・・まぁ彼は帝からも大事にされてたから大丈夫なのかもしれないが、、
0612人間七七四年
2007/04/23(月) 22:53:38ID:T6L2m5ZB九鬼ビールや河野ライスと言った食物がスペインの敵国で生産され、持て囃されたらしいしな。
ちなみにクッキーの由来は九鬼。九鬼氏の食料からヒントを得ているものだそうだ
0613人間七七四年
2007/04/23(月) 23:58:56ID:iKm0eA5Iでも神学校時代にお玉とできてたなんて妙な噂もあるw
それにしてもお市の方は義元公との間に三男四女を産み、
そのあと光秀公の嫡男を産んでる。衰えないよなー
0614人間七七四年
2007/04/24(火) 00:24:12ID:Q+7K09T5中学時代の同級生で九鬼って奴がいたんだがあだ名がでクッキーだったな…(実話)
長岡神学校ってのは今でも駿府と京都にあるよな
確か長岡忠興の子孫が建てたんだっけ?
0615人間七七四年
2007/04/24(火) 00:31:52ID:iBS4m9qYかくいう俺は暗記が嫌いだからほとんど言えんがなw元々四十人は架空の人物だしな
蔵人と丹羽五郎佐、前田又佐、木下藤吉郎、池田勝入斎、平手駒之助、森長可は実在
ただし林佐渡の屋敷に討ち入ってみたら罠で、全員返り討ちに遭って死んだんだよな…
0617人間七七四年
2007/04/24(火) 06:32:55ID:iBS4m9qY熱田神宮から駆け出して行った信長について桶狭間に辿り着いたのは、たったの47騎。
のちの「忠臣蔵」の7人と、森可成、滝川一益、佐久間信盛、内藤勝介、河尻秀隆、
蜂屋頼隆、生駒某、梁田某、毛利某、服部某らがその主要なメンバーだがほとんど戦死。
戦後の論功行賞で、信長の妻だった濃姫は褒美として勝家に与えられたんだよな。
この勝家が精力絶倫だったので、濃姫はほとんど子を産む機械と化してた感があるよな。
0618人間七七四年
2007/04/24(火) 07:44:01ID:eoxxLwL0その馬廻り週のご先祖様が書いた桶狭間の戦いを主観で書いたという書物を
読むとこう書いてある「わが殿が尾張を攻めることを決定した(中略)休息していると
雲雨が降り始め雷の音が聞こえ始める、前方で騒ぎが起きていると思ったらあっというまに
単騎、義元様に向かって行った、某その武将の顔を見たがまるで毘沙門天が乗り移っている
ようだ」
もう時間がない、後で続きを書く。
0619人間七七四年
2007/04/24(火) 11:18:13ID:iBS4m9qY代わって幼少の信澄の後見兼筆頭家老になった勝家の活躍が目覚ましかった。
しかし、織田の名がついてるとはいえ傀儡にすぎず、信長の一族はついてこなかった。
弟の長益・信包らは出家したし、子供たちも長じて氏真公暗殺事件を起こしたんだよな。
0620人間七七四年
2007/04/24(火) 12:36:06ID:+EWBvHRY0621人間七七四年
2007/04/24(火) 12:39:03ID:j+poDd5T氏真公が声を上げれば雷鳴は鳴り止み、龍が氏真公の機嫌を伺い。
今川の名を名乗れば、神は敬意を称して頭を下げる
今川将軍の威光が凄かったことを物語る童歌である。
0622人間七七四年
2007/04/24(火) 12:52:47ID:r9/izBof一藩の主となった丹羽、木下、反今川の急先鋒として各地で暗躍する滝川
信長天海説で桶狭間で死んだとされる前田
そして講談で虚像ばかり先行する佐々だな
しかし、その後も存続する丹羽や木下まで死んだことにするなんて・・・忠臣蔵の戯作者が両藩に逮捕、永牢にされたのもわかる
0623人間七七四年
2007/04/24(火) 14:03:56ID:iBS4m9qY0624人間七七四年
2007/04/24(火) 14:25:49ID:GS5a+zgm0625人間七七四年
2007/04/24(火) 15:23:13ID:iBS4m9qY織田関係にはエロい美女が多かったんだな。それらの家が子孫繁栄したのも頷けるよな
0626人間七七四年
2007/04/24(火) 21:49:27ID:35qxVOQ5聞いたことないんだが、
かなりマイナーなのか?
オレの勉強不足かもしんないけど…
0628人間七七四年
2007/04/24(火) 22:19:17ID:GS5a+zgmこの童謡を聴いて義元公は激怒したんだよな
「帝に対して不遜である」って
>>626
尾張の百姓出身で織田足軽頭だった人物。
義元公幕僚の一人として知られる松下之綱の父親の代に奉公していた時期があって
その縁で松下家に再仕官、財務や調略、城の縄張り、城攻めなんかで活躍した人物
機転の利くユーモアのある人物で、九州攻めの一時期義元公が側で使ってた事もある
天下統一後に義元公が選定した名陪臣番付の日本七本槍にも選ばれている
陪臣としては破格の筑前に5万石の領地を得て、今でも地元では人気がある
ただ地位的には本多忠勝とか大道寺政繁と同程度の
地方ではメジャー全国ではマイナーな存在だな
0629人間七七四年
2007/04/24(火) 22:58:29ID:iBS4m9qY静岡茶の効能で健康になった義龍の働きは凄まじく、まさに向かうところ敵無しだった。
竹中半兵衛とのコンビで、一時期は「天下布武」すら志したともいわれている。
でも最終的には静岡茶を贈った義元公への恩返しで、臣従の道を選択したんだよな。
勝家も相当なもので、再興した織田家を見事に盛り立てたよな。濃姫との仲も良好。
林佐渡は性格が悪くて、「サド」(S)の語源にまでなったよな。みっともない香具師w
0630人間七七四年
2007/04/24(火) 22:58:38ID:35qxVOQ5レスサンクス!
福岡藩主まで立身出世したのか。
知らなかったのが、お恥ずかしい。
旧織田家臣は、なかなか優秀な人材が
揃ってたんだな。織田厨は粒ぞろいの
家臣から妄想を広げてるわけだ。
0632人間七七四年
2007/04/24(火) 23:07:10ID:GS5a+zgm0633人間七七四年
2007/04/24(火) 23:13:55ID:r9/izBof斎藤義龍は桶狭間の翌年に没、斎藤家は1567年、義元公に滅ぼされてます
小説と史実の区別は付けてくださいね
0634人間七七四年
2007/04/24(火) 23:47:08ID:iBS4m9qYそれを飲んだ義龍は忽ち健康を回復。将軍足利義輝に拝謁して土岐姓を願い出た。
しかし光秀や藤孝が妨害してすぐには許されず。義龍と光秀は因縁があったよな。
道三が義龍よりも光秀や信長に目をかけていて、その道三を義龍が殺したんだもんな。
しかし後に義元公が、義龍・元康・勝家を働かせて上洛した時、二人を和解させた。
その時に光秀は朝廷との間に立ち、足利から今川への将軍職譲渡を仲介したんだよな。
しかし長岡藤孝は三好・松永と組んで足利を擁立し、和歌で新幕府にやたら噛みついた。それで幕府は藤孝に対し細川姓を禁じたんだよな。幽霊っていうあだ名までつけてさ。
0635人間七七四年
2007/04/25(水) 00:15:42ID:mwMC63r6なんの小説だよ本当
間違い認めろよ
>>537>>633見ればわかるが斎藤がすぐに滅ぼされたのは自明の理
小学生は歴史のお勉強とsageを覚えてから来てください
0636人間七七四年
2007/04/25(水) 06:59:44ID:NYqG96m1まあもし健康体の義龍が義元公に歯向かったらその位は抵抗したかもな。
でも61年に死んでしまったんじゃ、とうてい何年ももたない。
それより松永久秀のキムチ密輸と自爆テロの詳細を誰かうpしろよ。
三好、長岡、佐々木らとの連携はなかなか見事だったよな。
浅井朝倉や北畠などはどういう動きをしたんだっけ?
0637人間七七四年
2007/04/25(水) 07:13:17ID:XnTFO3av嘘で知識って矛盾してるだろw
嘘なら知識ではないし知識なら嘘ではない。
0638人間七七四年
2007/04/25(水) 09:35:48ID:Ny97haNF細川京兆家、阿波守護細川家のことも、
たまには思い出してあげて下さい。
今川様とは一応血筋では繋がっていた訳ですが、
一族で内紛起こして没落して歴史から消えてゆきました。
今川様の家臣として御仕えした家系が、
まだ存続しているのでしたっけ?
0639人間七七四年
2007/04/25(水) 10:12:19ID:NYqG96m1久政の長男の賢政は猛将で、義元公も手を焼いた。朝倉や北畠もかなり抵抗したしな。
0641人間七七四年
2007/04/25(水) 11:11:49ID:NYqG96m1勝家は瓶割っていう姓も賜ってる。鎌倉時代の源氏庶流に遡る由緒ある名字だそうだ。
松平・武田・北条の執権家に次いで、土岐・明智・瓶割は幕府の中核を形成したよな。
0643人間七七四年
2007/04/25(水) 12:53:40ID:NYqG96m10644人間七七四年
2007/04/25(水) 13:56:44ID:cJQ2JF8yお前あれか?「国盗り物語」にはまった俄か斎藤厨だろ
信長公記といいifものは規制して欲しいね
0645人間七七四年
2007/04/25(水) 14:13:01ID:NYqG96m10646人間七七四年
2007/04/25(水) 19:31:12ID:5xlkngQm亜流の写楽斎が氏真公暗殺事件を起こすに至って結局改易になった。
本来は切腹のはずだったんだけど、功臣・勝家のとりなしが大きかった。
あの時点ではすでに甕割姓を賜って、幕府直臣になっていたんだよな。
これで織田の領土はなくなったんだけど、長益はのちに銀行を開くし、
信包は製薬会社を立ち上げた。やはりこの二人は商才があったようだな。
また、市姫の生んだ子供たちが甕割家や柴田家を継いでいくことで、
織田の血筋は今川時代にも色濃く受け継がれていたと言うことが出来る。
0647人間七七四年
2007/04/25(水) 19:34:08ID:mwMC63r6恨みを持たずに今川家に誠心誠意仕えた彼は偉い
0648人間七七四年
2007/04/25(水) 19:35:08ID:5xlkngQm市姫は義元公の側室を経て光秀の二代目正室
0649人間七七四年
2007/04/25(水) 19:59:20ID:NYqG96m1あれは勝家が佐々木・浅井との戦いで、出陣するときに水瓶を叩き割ったのが由来だろ。
あの戦は義龍と勝家の二人で勝ったようなもの。義元公と元康公は伊勢で足止めされてた。
あの時もし朝倉が敵に回ってたら危なかったかもな。
0651人間七七四年
2007/04/25(水) 20:32:43ID:5xlkngQmいかに滅亡した大名の子弟とはいえ、やっぱり児童虐待はいかんよな…。
写楽斎(奇妙丸)なんかは性格のひずみを生じて氏真公暗殺事件を起こしたし、
茶筅丸と三七丸は出家してからもずっと兄弟喧嘩ばっかりだったよな。
天罰が降ってか、暗殺事件の巻き添えで元康公に誅殺されたんだよな。
悪人の行いは必ず悪人の頭の上に返るって聖書に書いてある通りだな
0653人間七七四年
2007/04/25(水) 21:08:48ID:NYqG96m1あんな香具師に和歌の弟子入りしちゃいかんよな。あれで信澄も失脚し病死だもんな。
織田4兄弟は悉く粛清され、残ったのは商人化した長益と信包だけ。武家としては断絶。
和歌といえは義元公に臣従の挨拶に来た朝倉義景は見ものだったよな。茶器も持参でさ。
0654人間七七四年
2007/04/25(水) 21:28:13ID:mwMC63r6信玄入道が掃蕩されたから泡食って龍興と文淋釜を差し出し降伏したんだよな
文化的素養の高さから会見の場で見事な和歌を詠み満座の喝采を浴びたけど
あまりに媚びた態度に領国に帰ってから散々罵声を浴びたのは有名な話
対する浅井義政(賢政)は降伏勧告を突っぱね自害して世間の賞賛を浴びたんだよな
0655人間七七四年
2007/04/25(水) 21:28:49ID:mwMC63r6○美濃を
0656人間七七四年
2007/04/25(水) 21:29:28ID:mwMC63r6○浅井元政
だったw
0657人間七七四年
2007/04/25(水) 22:04:55ID:jyzRgYVq朝比奈は領有を許された東北も、斯波氏の一族の最上が鎮守府副将軍に成ったことで失脚していく。
0658人間七七四年
2007/04/25(水) 23:08:48ID:mwMC63r6全国でも10位内の大領を存続させたのに比べ
岡部の凋落振りは酷すぎるな
0659人間七七四年
2007/04/26(木) 11:16:13ID:1EWUslzf0660人間七七四年
2007/04/26(木) 11:38:00ID:HU71Wpw6不法滞在者が当時松永に嫌疑を被せたお得意の捏造。
0661人間七七四年
2007/04/26(木) 12:11:03ID:1EWUslzf荵遘縺ッ蜍豌励≠繧玖ェ辷繝繝ュ繧呈覆陦後@縺ヲ縲∵律譛ャ萓オ逡・繧剃シ√譛晞ョョ莠コ邨郢斐r螢頑サ縺輔○縺溘s縺繧医↑縲
蜻ス繧呈昏縺ヲ縲√@縺九b閾ェ蛻縺梧が閠縺九ョ繧医≧縺ェ豎壼錐繧堤捩縺ヲ縺セ縺ァ蝗ス繧貞ョ医▲縺滉ケ遘縺ッ闍ア髮縺繧医↑縲
縺昴ョ縺ゅ→雜ウ蛻ゥ螳カ縺九i莉雁キ晏ョカ縺ク縺ョ謾ソ讓ゥ蟋碑ュイ縺碁イ繧√i繧後◆縲よソ蜍輔ョ譎ゆサ」縺縺」縺溘h縺ェ縲
0662人間七七四年
2007/04/26(木) 12:12:45ID:1EWUslzf朝鮮からの害電波か
0663人間七七四年
2007/04/26(木) 15:06:09ID:1EWUslzf0664人間七七四年
2007/04/26(木) 18:42:22ID:IHBJT959http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1166436963/
0665人間七七四年
2007/04/26(木) 19:15:57ID:VLXziXjeって発言がなかったら今も朝鮮人は家畜扱いだっただろうな。
義元公が居なかったらチョンは人間って名乗れないんだから義元公に感謝しろ。
0666人間七七四年
2007/04/26(木) 19:34:18ID:MD5ym6g11561年義元六万の大軍を率いて満を持して上洛開始。六角氏を破る。三好
逃亡。京に上り室町幕府再建を開始する。1562年この頃義元に室町幕府に変わって
天下を取りたいとの欲が沸き足利幕府と対立浮き彫りになる。1563年三国同盟崩壊。
武田公然と義元と対立。北条も武田に同意。義元三万の兵を率いて北条攻め。小田原
包囲するも失敗。1564年頃今川包囲網。あれ、この後史実ではどうなったんだっけ。
0667人間七七四年
2007/04/26(木) 20:34:09ID:Tu+NUuW60669人間七七四年
2007/04/26(木) 20:50:08ID:IHBJT959義元公がそんな馬鹿げたことをおっしゃるわけがないだろ?
0670人間七七四年
2007/04/26(木) 23:41:35ID:MD5ym6g1桶狭間で義元を討った後、上洛するんだって。その世界じゃ英雄がいっぱいで出て
来て武田信玄、上杉謙信、北条氏康が凄い武将ということになってる。
0672人間七七四年
2007/04/27(金) 02:28:46ID:aBMOtP3Z今川のスレなんだからお前らは出てけよ。
0673人間七七四年
2007/04/27(金) 06:18:43ID:9uIHqj5k中央での活躍度でいえば完全に義龍公だよな。晴信は越後長尾氏との私闘が多過ぎた。
晴信が病を得て、実権が義元公の娘婿義信公に移って武田の専横もようやく静まった。
晴信四男に諏訪勝頼っていう猛将がいて、武田二十五将の筆頭とされてるよな。
0674人間七七四年
2007/04/27(金) 08:44:20ID:CaDAl/440675人間七七四年
2007/04/27(金) 11:59:27ID:1qrAUO7T美濃の地侍にも次々裏切られたしね。まぁ今川の調略が凄すぎたせいでもあるが。
0676人間七七四年
2007/04/27(金) 12:19:51ID:hdZloY1M義元公が終わり国内の整備や中央との工作を行っていたから
それから6年永らえたが、いざ攻め込まれると一瞬で消し飛んだよな
0677人間七七四年
2007/04/27(金) 12:31:25ID:31Xh8orI晴信と勝頼は朝倉討伐の際に浅井と共に義元公に弓引いたんだからな。
結局、姉川にて晴信と勝頼は今川軍に破れ去った。
武田義信は義元公に忠誠を尽くして父を討ったんだから素晴らしいよ。
0678人間七七四年
2007/04/27(金) 17:58:54ID:OlL4ElcK0679人間七七四年
2007/04/27(金) 18:09:46ID:31Xh8orI馬場・高坂・真田・斎藤らが義信に付いて晴信を討ったのは必然だったんだな。
0682人間七七四年
2007/04/27(金) 23:16:36ID:RlEskYuT0683人間七七四年
2007/04/27(金) 23:25:46ID:CaDAl/44http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%97%A4%E6%98%8C%E8%B1%8A
0684人間七七四年
2007/04/27(金) 23:44:13ID:Eg7BHnIwあぁ、IF物の定番だよな、内藤。飯富昌景の山県姓とかもそうだし
三増峠で北条とやりあった時の戦功とか、上州攻めの時の戦功など
それぞれのIF作家によってタイミングは違うけど
確かに信玄坊主の旧跡を継がせるっていう褒賞からすれば妥当な姓か
0685人間七七四年
2007/04/28(土) 08:50:00ID:x9vcdJ7T晴信の専横を、義元公は同盟者の立場から見過ごしておられたんだよな。
でも長尾を支援するために、奥羽上越列藩同盟ができかけたんだよな。
長尾、上杉、葦名、伊達、最上、大崎、葛西、南部、相馬、安東、津軽…
この動きが本格化して幕府の屋台骨を揺るがすことを懸念した義元公が、
服部半蔵に命じて晴信を暗殺させた、という噂は昔からあるよな…。
0686人間七七四年
2007/04/28(土) 10:23:49ID:Nn5a7bNb義元公の娘婿であった、U代藩主義信公も一枚噛んでたって話だろ。恐ろしいよな。
直後に輝虎は幕府から北陸探題に任命され、諱までもらって義虎と改名してるしな…
これで東北の諸藩の動きも沈静化したんだよな。義元公ご逝去の二年前の出来事。
0687人間七七四年
2007/04/28(土) 10:25:21ID:BaYSb17r暗殺とかバカスwww
信玄入道は確かに独断で行動する事が多かったが
あくまで同盟者だったわけで今川家の内政外交に
干渉したわけじゃないから専横とはいわない
そして姉川で退廃した後、一度駿河に追われた義信が軍を返して
甲斐に侵攻し、自害させるんだよ
0688人間七七四年
2007/04/28(土) 10:55:48ID:x9vcdJ7Tこれを専横と呼ばないでどうするんだよ?
しかもそのせいで幕府が割れるとこだったんだぜ?
ご自分の健康状態から寿命を予期された義元公が、
将来への禍根を断ち切ろうと晴信暗殺を決行された。
国や家を守るには非常な決断力が必要という手本だよな
0689人間七七四年
2007/04/28(土) 11:29:42ID:Nn5a7bNb化け物のような強さの葦名・南部・相馬、知略の最上、伊達・大崎・葛西らの名家…
これに牙を剥かれたら間違いなく長期戦になる。そうすれば南国諸藩が離反するだろう。
おそらく今川の天下は揺らいでいたぞ。その意味で晴信暗殺はまさしく英断だったよな。
0690人間七七四年
2007/04/28(土) 13:15:05ID:rvJOedr10691人間七七四年
2007/04/28(土) 13:34:10ID:Nn5a7bNbちなみに浅井が佐々木に従属したので、朝倉は賢政を見限って義元公についたんだよな。
ちょうど市姫は義元公に毎晩抱かれて女の喜びを知りはじめてた頃だw
濃姫も勝家に再嫁するし織田関係の女は性的に恵まれてるよな
のちの女系子孫の繁栄は目を見瞠るばかりで良かったよな
0692人間七七四年
2007/04/28(土) 16:16:54ID:Z7gN5tt80693人間七七四年
2007/04/28(土) 17:11:39ID:zFwuMnx70694人間七七四年
2007/04/28(土) 23:21:44ID:Nn5a7bNbその点では勝家公が凄過ぎたんだけどな。おかげで甕割家は立派な跡継ぎに恵まれた。
あまりの睦まじさに子を産む機械なんて揶揄されたけど、よく勝家公を支えたよな。
さすが才色兼備のいい女だった。「マダム・バタフライ」として欧米でも有名だよな。
0695人間七七四年
2007/04/28(土) 23:27:59ID:rvJOedr1土岐の軍勢なんぞ武田勢からすりゃあカス。
晴信は義元公が松平等によって操られているのだと解釈していたんだよ。だから反旗を翻した。
0696人間七七四年
2007/04/28(土) 23:34:45ID:rvJOedr1その時に義信の軍勢が松平の指示によって大垣を経て姉川にやってきて戦になった。
晴信は義元公の真の忠臣だったんだよ。死後、幕敵の扱いを受けた武田晴信だったが、14代将軍・氏詮のときに功と内乱の真意を分かって貰えて許された
0697人間七七四年
2007/04/28(土) 23:35:33ID:BaYSb17rそもそも美濃を納めてたのが
斎藤龍興を討った後義元公が呼び戻した土岐頼芸だからなぁ…そりゃ消し飛ぶよ
0698人間七七四年
2007/04/29(日) 00:53:06ID:wjgfIWqb信繁とともに討死したけどあっぱれなものだと言われている。
武田本隊は、
北条とともに駿河に侵攻したんだけど途中で北条氏康が裏切って甲斐に退却。
結局、今川、上杉、北条に攻め滅ぼされる。
こんな素晴らしい作戦をたてておいて、上野ごときで寝返る北条死ね。
0699人間七七四年
2007/04/29(日) 22:12:00ID:z/kuzzrEかなりのキレ者だったらしく、父が反乱を起こす前に部下達を引き抜いて大垣に退却しちまうんだもん。
主力の譜代衆を連れてかれた晴信は名将・義信によって当然倒された。しかし、義信は後に姉川に父の偉業を記した石碑をたてたんだよな。
0700人間七七四年
2007/04/29(日) 22:21:12ID:mZOJ9Jz9勝頼を嫌ってたという説もある義信も、当時赤子だった勝頼の遺児、信頼を保護してるしな
0702人間七七四年
2007/04/29(日) 23:44:27ID:mZOJ9Jz9勝頼は氏真公の信頼を受けていた時期もあるからな
義信と信玄の仲が一度落ち着いた時にぶつかったから、なおさら義信陰謀説が有力になる
ただ、盛信はともかく、勝頼が駿府で暗殺されたというのは少し信憑性が低い
本当にあの時勝頼が駿府からの呼び出しに応じたのなら、勝頼最期の地碑が遠江地域にあるのがわからない
まあ、つい数十年前までは信玄と勝頼といえば逆臣の代名詞だったからなぁ
武田氏ってなんか面白みがあるから、研究が進むことを願っているよ
0704人間七七四年
2007/04/30(月) 01:31:02ID:kyjAbD5B同日っていう説自体に疑問が残るけどな
晴信死亡後の武田軍が遠江で最期の一戦を行っていて、その戦跡に勝頼の碑がある
この戦いは通説での兄弟の死去より前だから、本当に勝頼が遠江で死んだのなら通説は間違いだろう
薩摩守盛信も自刃説、討死説など色々あるからなぁ
信玄厨の俺は、盛信は討死した勝頼の後を追って駿府で自害したと妄想してるww
ただ、義信の先見の明によって始末された勝頼を悼んで、碑を遺臣の誰かが建てたということも考えられるよな
0705人間七七四年
2007/04/30(月) 01:36:48ID:tT0r4hMmしかし、服部半蔵により松平に情報を取られてしまい、わざわざ義信を派遣され晴信は倒された。いくら父から離れていた義信でも父と戦う際に夜通し泣いていたのは余りにも有名
ちなみに武田はこの戦いでかなり戦力を失ったんだよな。
0706人間七七四年
2007/04/30(月) 01:44:58ID:xtMDZ0E7何いってんだか
晴信謀叛のころは開幕してないし
義元公親政で松平なんて今川軍のエースとはいえ地位的には一門衆に過ぎなかっただろ
松平が増長するのは氏真公死後、それと対抗し将軍家の復権をはかろうとしたのが義信
まあその息子は信康とならんで専横に走るわけだが
0707人間七七四年
2007/04/30(月) 08:09:58ID:KK2gtCTR政虎を助けようとした奥羽勢の主力は、何といっても蘆名氏の会津藩だったよな?
あの時もし会津を敵に回してたら、幕府の根拠地である駿府まで危なかったかもな。
盛氏か最上あたりが誰か親王を擁立して、日本は後期南北朝時代に突入したかもしれんな
0708人間七七四年
2007/04/30(月) 10:00:54ID:tT0r4hMm帝は亡くなられていたから親王が次の帝有力なんだから、今川家に逆らう将はほとんどいないだろ。
まぁ長尾は別だが・・・
0709人間七七四年
2007/04/30(月) 16:06:55ID:5Z3unzxAあれほど優秀な人がそんな後先考えず行動したとは思えない。
やはり義信を一日も早く当主に擁立したかった誰かの陰謀、計略に引っ掛かったのか?
勝頼、盛信暗殺もその延長なんだろうが、ちょっとあからさま過ぎたな。
ちょっと問題発言になるが、義元公は相当晴信を怖れていたのではないのか?
0710人間七七四年
2007/04/30(月) 16:40:52ID:xtMDZ0E7その可能性も否定は出来んな…義元公ほどのお方なら
義元公は才と度量のある人材を愛されたが…それらが野心を持つことは嫌っていた
しかし完全服従のポーズを取っていた元康が後年専横に走るとはな・・・
0711人間七七四年
2007/04/30(月) 17:03:26ID:5Z3unzxA武田家とは同盟の間系、元康とは主従関係。その後懐刀とも言える信頼も得た
訳だし、義元公もそこまでは読めなかったでしょう。
専横的になったのは氏真公死亡後だし、義元公ご存命の頃から
元康もその様な野心はなかったかも知れない。
しかし、専横とは言うが結果として幕府の土台が固まった訳だから
あまり非難も出来ないと思うが。
0712人間七七四年
2007/04/30(月) 19:04:51ID:zStNDe2A大して争乱は無かったしな。技術革新も順調だったし、名実共に「眠れる獅子」だった。
隣の国はライオンっぽい猫だったのがバレて蹂躙されまくったけど。
0714人間七七四年
2007/04/30(月) 21:55:48ID:5Z3unzxAこりん星?
0715人間七七四年
2007/04/30(月) 21:58:03ID:tT0r4hMm真珠湾にたいしての今川焼きはアメリカ軍に五年分の打撃を与えたとまで言われている
0716人間七七四年
2007/05/01(火) 08:36:12ID:BaKM7JHeまさかタイヤキじゃないだろうなw
日本の現代史を整理するとまずペリーの黒船を接舷作戦で駆逐(米寇)
そのあと薩摩藩が英国艦隊を同様の作戦で撃破(薩英戦争)
米英から莫大な賠償金を獲得して日本は栄えに栄えた。
0717人間七七四年
2007/05/01(火) 20:14:32ID:McCGYyE8欧米に遅れを取った。
しかし植民地支配より平等な交易に利を求めた当時の幕府は
金銀の埋蔵量を資本に南洋からインド洋アラビア海まで海洋交易の
範囲を広げることができたわけだ。
>>716で指摘された、かの戦が出発点であり、元を正せば
義元公が天下をお取りあそばせた結果、われらはこのように
平和で豊かな暮らしが出来ているのだな。
0718人間七七四年
2007/05/02(水) 09:09:04ID:/J6b5C4a今までわが国と共に世界をリードしてきたのは清国とロシアだろう
第二次世界大戦では両帝国が手強くて日本は敗戦国になったんだよな
上様が早期講和に向けてヒトラーやムッソリーニを説得したのは流石
現在の国連は清露日独仏伊の六カ国が常任理事だろ。テストに出るぞ
米英はキューバとともに共産化してしまって大変な道を歩んだよな
0719人間七七四年
2007/05/02(水) 09:38:54ID:nW3k9DWx日本に攻めて来たのは北軍(ヤンキー)が樹立した政府だったんだが、
戦争賠償金の支払いで財政が逼迫して立ち行かなくなったんだよな。
一時期、合衆国の連邦政府と、南軍すなわちアメリカ連合国が鼎立して国土が分裂。
共産主義を取り入れることで国家として再統合されたんだよな。
0720人間七七四年
2007/05/02(水) 09:51:19ID:/J6b5C4aまず最初に財政破綻と国内の批判をかわしきれず国王が退位。
大英王国は瓦解し、豪州などの植民地は手放さざるを得ず。
本土もイングランド、スコットランド、ウェールズに分裂した。
それに伴って国教会も解体、カトリックや正教会に吸収された。
アメリカ中心だったプロテスタントもなくなってしまったしな。
0721人間七七四年
2007/05/02(水) 10:23:37ID:it7Mrt4H0722人間七七四年
2007/05/02(水) 13:56:47ID:kn0HLZ+Bもっとやれ
0723人間七七四年
2007/05/02(水) 20:24:02ID:xhjpq3MAひどい誹謗中傷だ、ネット上だからって、何書いても良い訳じゃないんだぜ。
0724人間七七四年
2007/05/02(水) 20:42:49ID:nW3k9DWxW杯だってイングランドとスコットランドが別々に出てるだろ。ベッカム知らないのか。
ウェールズで有名なのは、何と言ってもプリンセス・ダイアナ妃だよな。あの美貌。
ウェールズの領主のお姫様で、今まで独身を貫いて慈善活動に身を捧げてるんだよな。
0725人間七七四年
2007/05/02(水) 20:47:43ID:Tgo6ILWA上様とて万能じゃないんだ。特に少なからず欧色と混じってたせいで官僚化が進んだ今は特に
尤も、上様が様々な国の歴史から、子孫が暴走することを畏れて最高権限を縮小したのもあるが
0726人間七七四年
2007/05/02(水) 22:03:13ID:1cxI97Nwそれに、日本の武田重工製の戦車の馬場型や高坂型は世界の大半の国が使ってるしな。
0727人間七七四年
2007/05/02(水) 22:07:26ID:1cxI97Nw世界ではキングオブケマリーとして上さまは呼ばれている。
0728人間七七四年
2007/05/02(水) 22:11:53ID:8brg2MGe誰だ米英が赤になったとか言ったのは。
0730人間七七四年
2007/05/02(水) 23:20:12ID:VCDbxsHY蹴鞠の起源は韓国です発言には笑ったな。
堅物の岡部総理が公式コメントで皮肉こぼすわ
あの上様ですら公の場で失笑してしまうわと酷いもんだった。
征韓論を「愚策」と取り合わなかった21代将軍に感謝だわ。
0731人間七七四年
2007/05/03(木) 00:06:09ID:BiG5+B35ただ、当時の島津の心情を考えると、はけ口を用意してやる必要もあったかもな
九州の歴史は知らんけど、なんであれだけの力を持ってたのに幕府と仲悪いまま来れたんだっけ?
0732人間七七四年
2007/05/03(木) 08:46:51ID:ElrERup/清や過去の支那王朝が朝鮮半島を併合しなかったのは自分たちの血が穢れるのを恐れた為だしね。
愛新覚羅家も朝貢は過去の政策引き継いだけどそれ以外は関わろうとしなかったのは賢明だった。
>>731
台湾だけじゃ不十分だったか?
0733人間七七四年
2007/05/03(木) 11:26:33ID:nTjN56Ln総統辞任・ナチスの解党・賠償の三条件だけで実質は講和だった。
新政府はユダヤ人迫害を謝罪し、徹底して賠償と保護を行ったよな。
イスラエルの首相はアンネ・フランクさん(77)が長らく務めたし…
なにしろアンネさんはドイツとオランダの首相も歴任してるもんな。
平和の象徴で、三カ国で首相を務めた世界初の人物になったんだよな。
0734人間七七四年
2007/05/03(木) 13:40:15ID:/kfx74nM二位が聖書
三位は古今和歌集
まさか二位に聖書なんかがくるとは、古今和歌集より上なんて信じられないよ!
0735人間七七四年
2007/05/03(木) 14:49:09ID:yLpXIfEY南北戦争を描いた「風と共に去りぬ」もいいよな。今じゃ米国も資本主義に戻ったしな。
ロシアのツァーリはドストエフスキーが好きだそうだな。清の皇帝はやっぱり魯迅支持。
ちょっとマイナーだが、崩壊後のイギリス動乱を描いた「大聖堂」っていう小説もいい
0736人間七七四年
2007/05/03(木) 15:25:28ID:zTHon4S00737人間七七四年
2007/05/03(木) 15:31:38ID:lB82d+7q0738人間七七四年
2007/05/03(木) 15:55:00ID:fL/c7F9Pここのスレの中では義元様が信長に負けたこと自体がIF、そういうことだ
おや?こんな時間に宅配頼んだ覚えは無いのに誰かk
0740人間七七四年
2007/05/03(木) 17:04:45ID:nTjN56Ln「大聖堂」かぁ…
大英帝国が崩壊し本土も分裂した時の戦乱を題材にした小説だよな。
名貴族が攻め滅ぼされて姫様が×××されちゃったりするんだよな
高校の頃舐め回すように読んだぜ。あの気品のあるお色気はいいよな。
どことなく市姫や濃姫の運命とも似てるところがあるしな・・・
0741人間七七四年
2007/05/03(木) 17:29:42ID:4YA9huJW0742人間七七四年
2007/05/03(木) 17:35:34ID:gmow+7GC那古屋に新幹線は走っていません。
0743人間七七四年
2007/05/03(木) 17:36:29ID:gmow+7GC那古屋に新幹線は通ってないでしょ。
0744人間七七四年
2007/05/03(木) 19:19:56ID:z1tbIRCmここ平野なのになんでこんなに寂れてんだ!
数百年経っても未だ呪われてるのか?てかコンビニまで車で20分てどうよ?
0745人間七七四年
2007/05/03(木) 20:21:25ID:/kfx74nM氏真公が街づくりを京の全盛期の状態を再現したのが良かったんだよな、帝が寂れた京から駿河に遷都した理由がそれだからな・・・
0746人間七七四年
2007/05/03(木) 21:21:32ID:OspZ6zUI帝は戦乱が収まった後、京へ戻られたよね。
しかし駿府は人大杉。政治と経済はやはり分けたほうがいいでしょ。
駿河一辺倒もそろそろ限界だわな。
0747人間七七四年
2007/05/03(木) 23:05:12ID:8oV/xN6Bなんで隣どおしであんなに格差があるんだ?
俺関西に住んでて中学のころ修学旅行でバスで駿河まで行ったけど途中通った愛知県は山と田んぼしかないようなところだった
世界の先進国家である日本にまだあんなところがあったんだな
0748人間七七四年
2007/05/04(金) 04:43:17ID:RvtU8gKz駿大受からないヤツは全員、低学歴
0749人間七七四年
2007/05/04(金) 04:44:31ID:RvtU8gKz駿大受からないヤツは全員、低学歴
0750人間七七四年
2007/05/04(金) 05:48:39ID:m1xtjJQB何故愛知県を自然のままに残されたのか。そっちを考えるべきだろうに
0751人間七七四年
2007/05/04(金) 08:21:01ID:li+8xzRC駿府はもっと凄いの?
0752人間七七四年
2007/05/04(金) 09:32:47ID:m1xtjJQBあぁ、愛知の西半分の話な
まぁ浜松は楽器やってる奴からすれば聖地だが
都市の規模では駿府には遠く及ばない
ロンドン都市圏に及ぶんじゃないかなって思うね
0753人間七七四年
2007/05/04(金) 20:18:28ID:emcQerxNたしか人口が800万人いるんだよな。
鉄道はすべて地下鉄だから踏み切り渋滞ないし、高速道路も片側10車線だから渋滞がない。
しかし、上さまも天才だよなぁ。駿府は全体核シェルターにしてあるんだから。
0754人間七七四年
2007/05/04(金) 20:19:48ID:f4HrvDLC0755人間七七四年
2007/05/04(金) 20:24:34ID:f4HrvDLC0756人間七七四年
2007/05/04(金) 20:41:42ID:4gruF2R50757人間七七四年
2007/05/04(金) 20:44:41ID:QZwZkk+Nあ、誰か来た
0758人間七七四年
2007/05/04(金) 20:49:12ID:mpy9zFwh道路や鉄道だけはやたら整備されてるよな
普通ならそれに伴い商業も発展するもんだが…
まいなーだけど料理はそこそこ美味いんだよな愛知
海老ふりゃ〜って知ってる?
0759人間七七四年
2007/05/04(金) 22:38:48ID:emcQerxNみんなはなんかUFO目撃だとか言ってるがあれはプラズマ兵器だろうな・・・。たぶん。
0760人間七七四年
2007/05/04(金) 22:43:46ID:emcQerxNそれ以降は大名家か公家衆、そして軍人くらいしか入れない。
0761人間七七四年
2007/05/04(金) 23:04:34ID:U+M12NPn0762人間七七四年
2007/05/04(金) 23:07:37ID:emcQerxN0763人間七七四年
2007/05/05(土) 09:15:32ID:fwSFy9OF上さまは神風をも起こすんだよ。
0764人間七七四年
2007/05/05(土) 10:25:22ID:TXdzQ+Xk村長さんに怒られるよ。
0765人間七七四年
2007/05/05(土) 14:38:40ID:fwSFy9OF原作は太宰治原作・黒沢明監督作品の「唯一の王者」だがな。
0766人間七七四年
2007/05/05(土) 19:43:59ID:fwSFy9OFその代わりに帝は上様に太政大臣・関白を永久的に保障なされた。
0767人間七七四年
2007/05/05(土) 21:33:50ID:TXdzQ+Xk将軍家は関白太政大臣も兼任していたんだ。
日本は世界的にも大変珍しい、立憲君主制だけど民主主義国家で
いられる理由が分かったよ。アラブの国が見本にしているが、あちらはまだ
民主主義には遠いようだ。最近同盟国から将軍を大統領にしては?との
提案が有ったらしいが歴史を重んじる上様は否定したらしい。
我々国民も上様は今のままの方が良いと当然思っている。
0768人間七七四年
2007/05/05(土) 21:37:40ID:42IzyGhv逆じゃないの?
0769人間七七四年
2007/05/06(日) 06:42:41ID:eq16NTIL最初は恐れ多くも義元公が討たれたらの話をしていたが、
ここの住人は愛国者が多く今川将軍家を称えるスレに変わってきたのさ。
0770768
2007/05/06(日) 12:28:12ID:FaabAhz4ほー面白そうだね。参加します。
0771人間七七四年
2007/05/06(日) 12:35:03ID:L+4c4Zmd0772人間七七四年
2007/05/06(日) 17:44:38ID:eq16NTIL選んだ理由もいまだに謎なんだけどね。
0773人間七七四年
2007/05/06(日) 18:12:34ID:GIWo5A/xそこで影武者と入れ替わったわけだ。
0774人間七七四年
2007/05/06(日) 18:47:23ID:d9twI0Jc0775人間七七四年
2007/05/06(日) 18:52:41ID:FaabAhz4地元の方じゃないの?豊明人か?
おれも地元だけどメジャーだよ。
0776人間七七四年
2007/05/06(日) 18:57:21ID:jz8GBVLx0777人間七七四年
2007/05/06(日) 20:12:03ID:FaabAhz40778人間七七四年
2007/05/06(日) 20:56:07ID:9uojeCbr0779人間七七四年
2007/05/06(日) 21:10:46ID:d9twI0Jc尾張国とか蝦夷々島なら知ってるがな。
0780人間七七四年
2007/05/06(日) 22:01:46ID:eq16NTIL今はそうなってるの。
永いことスパイ活動お疲れちゃん。ゆっくり休めとの上様からの御言葉だ。
0781人間七七四年
2007/05/06(日) 22:48:42ID:d9twI0Jc県なんていう制度なんか空想だろ!昔から国という制度は変わっていないだろうが。
0782人間七七四年
2007/05/07(月) 00:07:48ID:WnAo7ylG0783人間七七四年
2007/05/07(月) 02:23:25ID:Wqi+51VG「思っていただらあ」ってどこの言葉だよwwwもっと駿河弁勉強してくれや。そんなんじゃあ駿河でも遠江でも、どこ行っても笑われちまうら。
0784人間七七四年
2007/05/07(月) 07:03:00ID:9AI1bD9Wとりあえずレス番を確認してアンカーを直せとの上様からの命令だ
0785人間七七四年
2007/05/09(水) 06:23:11ID:2g63CbV90786人間七七四年
2007/05/09(水) 14:15:24ID:8FQyYwmr0787人間七七四年
2007/05/09(水) 15:53:12ID:kk4UtQ56エブリタイムボッキーズだろ。
0788人間七七四年
2007/05/09(水) 16:17:17ID:rB+skzC/蹴鞠が朝鮮起源だの、今川焼も朝鮮起源だの…
同じような捏造を清帝国やロシア帝国にもふっかけて怒らせちまってるらしいし。
日本に対抗する為に軍備も増強中だとか。
まぁ日本海には世界最強の幕府艦隊が目を光らせてるから滅多な事にはならんと思うが、
日・清・露の間に位置する国としてもう少し慎んでくれないもんかね。
0789人間七七四年
2007/05/09(水) 16:20:30ID:2g63CbV9歴史歪曲で荒さないで下さい。
0790人間七七四年
2007/05/09(水) 20:06:30ID:J3B0RbPEhttp://society6.2ch.net/diplomacy/subback.html
http://society6.2ch.net/kokusai/subback.html
0791人間七七四年
2007/05/09(水) 21:57:20ID:kk4UtQ560792人間七七四年
2007/05/10(木) 00:34:30ID:xcVsZWUe0793人間七七四年
2007/05/10(木) 15:38:35ID:usFo/ulI清やロシアがそれを狙って侵略を計画しているらしい。
半島から幕府に援軍要請が来たが上様は関わりたくないと断ったようだ。
ただ清やロシアは対馬や琉球も朝鮮領だと勝手に解釈していて
どさくさ紛れに狙っているらしい。
0794人間七七四年
2007/05/10(木) 15:55:50ID:usFo/ulI清やロシアとの戦に備えて海軍はさらに軍備を拡大してるようだ。
ただもうひとつの問題が半島からの難民だが幕府内でも対応は困難との
意見で固まってはいるが、人道上の問題なので発表できないようだ。
0795人間七七四年
2007/05/10(木) 15:56:30ID:fqCpdiVa琉球は琉球都督の島津義寿准将と、その父であり、南九州担当の鎮西探題副総督島津義尊陸軍中将がいるから負けはない。
0796人間七七四年
2007/05/10(木) 16:25:01ID:3kbp2Aoa実は朝鮮王は地下資源の譲渡で清、露に屈したようだ。
そればかりか対日侵攻の先陣を買って出たとのこと。
戦は避けられそうもなさそうだ。防衛ミサイルも配備されたみたいだ。
0798人間七七四年
2007/05/10(木) 17:04:24ID:oj0GPnB/0799人間七七四年
2007/05/10(木) 20:56:25ID:Tyicy3X30800人間七七四年
2007/05/10(木) 21:36:43ID:usFo/ulI長篠でぇ?
誰と戦ったの?
三段打ち?
鉄砲の三段打ちは今川軍ならごく普通に行っていたけど?
0801人間七七四年
2007/05/10(木) 21:44:16ID:nw5SVs3g大筒と鉄砲の保有量と運用に長けていた今川家でなければ
16世紀にこんな戦法思いつかんわな。
0802人間七七四年
2007/05/10(木) 23:30:46ID:fqCpdiVaあまりの勢いに味方の黒田如水驚いて馬上の松平元康を見ると元康すら糞尿だらけになっていたほどだったからな。
0803人間七七四年
2007/05/11(金) 15:43:33ID:xB6TntPp0804人間七七四年
2007/05/11(金) 16:49:24ID:LR4CkdYj0805人間七七四年
2007/05/11(金) 21:52:15ID:xB6TntPp吉川・小早川は毛利を守るための和平をするために必死だった。
0806人間七七四年
2007/05/11(金) 22:59:24ID:xB6TntPpそれと引き替えに島津の領国を薩摩・日向に限定したけど。
0807人間七七四年
2007/05/11(金) 23:11:01ID:bUP8a0Mz意味不明
義元普通に死んでるだろバカ
義元生きとったら、再び大軍勢引きつれて、織田滅亡するっちゅうねんw
0808人間七七四年
2007/05/11(金) 23:28:08ID:Qliwon4Iうちの祖父が、たまに昔話するんだけど、この話だけはうさんくさい。
メキシコとカナダの両大国に挟まれたアメリカが、
日本に歯向かったなんて嘘だよね?
じゃなきゃ。今みたいな友好関係は築けないよね?
0809人間七七四年
2007/05/12(土) 06:48:36ID:lr9FIFeGそのせいで政府が立ち行かなくなって南北戦争が再燃、合衆国と連合国に分裂したしな。
「リメンバ・駿河ハーバー」なんて、自分で攻め込んで来ておいて言うのはおかしいよ。
0810人間七七四年
2007/05/12(土) 07:38:52ID:CfZMwl4jポルゴグラードでヒトラーのナチスが大敗したんだよな
0811人間七七四年
2007/05/12(土) 10:21:07ID:+8BZlcFh分裂は五年間程。経済、産業に勝る北部が結局話し合いで南部を併合。
メキシコの脅威もあった南部にとって渡りに船だったらしい。
その後着々と太平洋戦略を進め、また日本に戦争をしかけ破れる。
しかし、清、露の脅威を共通の懸念として英国を含めた三国同盟締結。
30年前、日欧米による太平洋大西洋戦略会議発足。今に至る。
0812人間七七四年
2007/05/12(土) 13:06:23ID:HDtQ0gQw多分信長の性格からして自害してただろう
だが、今川が織田みたいに超スピードで全国平定したとは思えない
本願寺・毛利・島津といるわけだし
ロ―スピ―ドだと政宗が東北牛耳ってて、東北征伐もままならないだろう
上洛して幕府再興してたら別かもしれないが
幕府再興しない限り義元が生きてる時には天下統一はなくまだまだ戦国時代だったと思われる
0813人間七七四年
2007/05/12(土) 13:26:54ID:HDtQ0gQw信玄・謙信が死亡するのは確定として、以後長篠で戦死してない有名武将+真田+今川援軍で、武田有利かな
何10年後かに武田がが平定で間違いないと思う
だが、小田原落とせるかな・・・
武田・伊達・毛利・島津も東北、中国、九州平定して磐石なものとなってるだろうし
こりゃ全国平定どころじゃないぞ
0814人間七七四年
2007/05/12(土) 14:01:19ID:EAxvtib10815人間七七四年
2007/05/12(土) 14:47:01ID:QBrOoN310816人間七七四年
2007/05/12(土) 15:30:18ID:k4Te87ei今川が急激な変化をしなかったから全国支配がはやくできたんだよ?
0817人間七七四年
2007/05/12(土) 15:45:24ID:+8BZlcFhどっかの糞スレから来た妄想厨でしょ。
0818人間七七四年
2007/05/12(土) 18:28:33ID:HDtQ0gQwこれはこれは君達頭おかしいんですね^^
0819人間七七四年
2007/05/12(土) 20:23:40ID:+8BZlcFh0820人間七七四年
2007/05/12(土) 20:53:56ID:HDtQ0gQw0821人間七七四年
2007/05/12(土) 21:59:01ID:k4Te87ei日本を五百年近く治めている上様が織田にやられたなんて・・・。
お庭番衆に刈られるぞ!
0822人間七七四年
2007/05/12(土) 22:02:38ID:HDtQ0gQw0823人間七七四年
2007/05/12(土) 23:00:12ID:lo+7bX120824人間七七四年
2007/05/13(日) 09:42:14ID:H3tPLucaいろんな説があるが義元公は何年にいくつで逝去されたの?
0825人間七七四年
2007/05/13(日) 13:14:16ID:on53l2Dv(゜Д゜)ハァて言われぞ(゜,_ゝ゜)プッ
0826人間七七四年
2007/05/13(日) 13:16:36ID:4ziStFiw0827人間七七四年
2007/05/13(日) 15:02:06ID:s8+abOJE実は義元公が逝去されたのは1960年、ほんの数十年前なんだ
つまり義元様は
おかしいな、不思議と表が静かだ、ちょっと外を見てk
0829人間七七四年
2007/05/13(日) 16:30:20ID:xBq8IsdC0830人間七七四年
2007/05/13(日) 16:38:05ID:H3tPLucaそんなこと可能なの?単なる都市伝説ではないの?少なくとも
マスコミや幕府広報からは発表されてないよね。
0831人間七七四年
2007/05/13(日) 16:38:47ID:4sXc+dqf長脚になりたい、せめて子供は長脚にしたい女性がこないだ盗難事件を起こしてたな。
0833人間七七四年
2007/05/13(日) 16:50:35ID:xBq8IsdC遺体はミイラ化されて現在は冷凍保存なんだけど生き返る技術が出来るのはまだかなと思う。
0834人間七七四年
2007/05/13(日) 19:52:23ID:4iUUiILN小さい声でスマヌ
義元公が蘇生したら都合の悪い幕僚が結構いるのではないか?
例えばあの陸軍大尉とか・・・
おっと犬が鳴いているwww
はい!・・・・・・ちょっちょっと!
0835人間七七四年
2007/05/13(日) 20:03:37ID:WslNOq9Bしかし、その時代に義元公は生きているはずはない!既に逝去しているんだから。
謎は深まる
0837人間七七四年
2007/05/13(日) 22:18:26ID:nA407jfIアメリカの大統領は戦後そんなことを側近に漏らしていたという噂話がある
だが、そのYOSHIMOTOがご逝去されたはずの今川義元公という確証はこの世のどこにもない。
0838人間七七四年
2007/05/14(月) 11:49:32ID:udbV5JCk0839人間七七四年
2007/05/14(月) 22:13:37ID:ITijsGqkでもわが軍には今川戦法書という孫子の流れを汲みつつ時代に
沿った戦略を書き足していくマニュアルがあるらしい。
つまり米軍はその書物の存在は知らずに有能な軍師がいたのでは
と思ったのではないか。
米軍にとって今川幕府=YOSHIMOTO位の知識しかなかったんだろうな。
0840人間七七四年
2007/05/15(火) 22:50:01ID:rpK/wZbU案外安いな。
0841人間七七四年
2007/05/16(水) 01:43:01ID:wtj3DLT10842人間七七四年
2007/05/16(水) 10:18:44ID:xhqryfLz義元公は大変筆まめで陣中見舞いをした百姓にも感謝状を贈ったらしい。
またそれを皆家宝にしたから多数残ってるわけだ。故にレア度としては
大変恐れ多いが低い。
0843人間七七四年
2007/05/16(水) 11:43:57ID:U6ukdp7p能書家としては松井宗信のが評価が高い
0844人間七七四年
2007/05/16(水) 11:45:26ID:qHVu6dzQ0845人間七七四年
2007/05/16(水) 13:45:29ID:xhqryfLz0846人間七七四年
2007/05/16(水) 21:19:45ID:tG6oub40一応まじれす。
ホンモノは少ないらしい、よって価値があるとのこと。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/database/20070515/03.html
対尾張のある戦(名前忘れた)が終わった時期が明記してあり、
歴史資料としての価値もあるそうだ。
0848人間七七四年
2007/05/16(水) 22:06:29ID:4i/8y3pt多分、ローマ法王は代々氏真公の信者だったから、父の義元公の秘密を本気で知りたがってたんだな。
0850人間七七四年
2007/05/17(木) 19:45:29ID:TjhQFVfF駿河テレビや富士テレビ。テレビ三河、そしてケマリーズチャンネルならしってるが。
0851人間七七四年
2007/05/17(木) 23:05:07ID:JuyrGsVdまぁ正直そんなもんだけど番組進行に問題があるな。
今の時代ローカルだからと云って逃げられる事は出来まい。
0852人間七七四年
2007/05/18(金) 08:07:45ID:ygELvixR0853人間七七四年
2007/05/18(金) 11:31:03ID:OqXY6BR50854人間七七四年
2007/05/18(金) 12:14:52ID:P2OHDACiお菓子の今川焼きはその状況をお菓子で表したもの。
小学校のときに最初にならっただろ
0855人間七七四年
2007/05/18(金) 14:34:03ID:OqXY6BR5戦術を説明すればいいんじゃない。でもそんな簡単な問題出るか?
超好景気でかなりの人不足だから評定衆志望も少ないのかな?
軍は相変わらず人気らしいが。
0856人間七七四年
2007/05/18(金) 18:18:36ID:P2OHDACiそういえば最近、雪斎僧正の子孫とかいうヤツがいたなぁ。無道っていうんだっけか?
0857人間七七四年
2007/05/18(金) 18:35:04ID:OzfPVosHなんとか就職浪人4年目にしてやっと地元尾張の下請けに就職する羽目になった俺みたいな奴もいるけど
0858人間七七四年
2007/05/19(土) 00:27:40ID:35NM3Dzsそいつは織田無道といって駆け出しの頃雪斎の子孫を名乗って
パクられた香具師。
釈放後従来の織田を名乗り今度は「反!桶狭間」とかいう
仮想小説を出版して人気を博すも再び収監され今もなお
拘留されているインチキ坊主。
0860人間七七四年
2007/05/19(土) 02:55:56ID:T69kekUt詐欺事件が冤罪ぽかったらしく結局告訴取り下げになってたけどなぜなんだろう?
0861人間七七四年
2007/05/19(土) 07:21:07ID:A3ZtUXqE上洛戦での徹底した殲滅作戦にこの名がついた
黒船戦争での幕府軍の攻勢もこの名で呼ばれる
第二次世界大戦中に使用された武器にもこの名がついている
0862人間七七四年
2007/05/19(土) 14:48:28ID:WcaaPbZuおい、もまえら
そんな事より、
今日は桶狭間だぞ!
この時間はもう義元公は討たれてしまっていたのか?
教えて エロい人!
0863人間七七四年
2007/05/19(土) 15:28:22ID:sVfy4UbX0864人間七七四年
2007/05/19(土) 15:38:53ID:EhA3ni671560年5月19日
桶狭間の戦い
0865人間七七四年
2007/05/19(土) 16:04:12ID:kV3GuENUおよそ450年前に今川軍の勝利で終わってるよ。
それとも毎年5月19日は何か祭でもやってるの?
今川軍と織田軍に別れて綱引きとか流鏑馬とかやってるの?
0866人間七七四年
2007/05/19(土) 21:46:23ID:35NM3Dzs祭りをやっている地域は全国に結構ありそうだな。
寛大な御交誼は民の楽しみにの一環だと認めてるけどな。
0867人間七七四年
2007/05/19(土) 23:04:05ID:WalF9LsR合戦名 結果 相手
・花倉の乱 勝ち 玄広恵探、福島某
・第一次小豆坂の戦い 負け 織田信秀
・第二次小豆坂の戦い 圧勝 織田信秀
・桶狭間の戦い 圧勝 織田信長
0868人間七七四年
2007/05/19(土) 23:06:08ID:WalF9LsRずれずれになってしまった。
0869人間七七四年
2007/05/20(日) 00:20:13ID:EkQ5mqzI0870人間七七四年
2007/05/20(日) 18:16:22ID:XgJ0Ix+20871人間七七四年
2007/05/20(日) 18:21:36ID:nuyuassU客分で駿府に残った氏真公の軍資格、晴信の謀反に巻き込まれて逃走
伊勢で一揆の軍師とかもしてた
許されて甲斐に戻る途中の信濃で客死
0872人間七七四年
2007/05/20(日) 23:52:52ID:xhzuRBS9のちの世に人々がせかいから観に来たといわれる場所。今川大碑である。
0873人間七七四年
2007/05/21(月) 00:03:58ID:YHbgRsXF話を聞くと、「信濃を治めてたんですが、武田信玄 に攻められて国を取られました。 たすけて〜」 と言います。
信義に厚かった景虎は、「それなら助けてあげましょう」と返答し、こうして甲斐・信濃を制圧していた武田家と、「川中島」という場所で何度も戦いを繰り広げる事となります。
有名な 「川中島の合戦」 ですね。
しかしその一方で、これだけ戦いながらも上杉家の領土はぜんぜん増えていませんでした。
上杉家は軍を進攻させて一時的に周囲を制圧しても、兵を引いた後にまた取り戻される、というのを繰り返していたからです。
これは、謙信の領土戦略の欠如と同時に、領土支配欲の無さもあったと言われています。
彼の戦争は信義や大義名分に沿ったものであり、領土を広げるためのものではなかったからだ、と伝えられています。
上杉 謙信は「義」に生きた武将として後世に知られています。
今川家が武田家に対し、「塩止め(塩の輸出禁止)」 を行いそれを周辺諸国に要請したときも、
「それで一番困るのは甲斐の国の民である。そんな事は出来ない」と言い、逆に甲斐への塩の輸出を推奨したと言います。
敵を援助する事を 「敵に塩を送る」 と言うのは、これが元になっています。
武田信玄 は死の床で、跡継ぎの勝頼に、「あんな勇猛な男と戦ってはならん。 謙信は、頼むと言えば嫌とは言わぬ。 謙信を頼み、甲斐の国を存続させよ」と遺言し、また北条氏康 も、
「謙信は請け負えば、骨になっても義理を通す。 若い大将の手本にさせたいものだ」と語っていたといいます
http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugi.htm
0874人間七七四年
2007/05/21(月) 16:03:01ID:SnBY2Ynvメジャーな観光地なのになぜ過去形なんだ?
0875人間七七四年
2007/05/21(月) 20:29:56ID:PaIrjB38有名かつ尊ぶべき碑とかってのは若い連中の興味から外れてきているからなぁ・・・
10代後半の駿府に行きたいという人の割合が低くなってきているのは由々しき事態だ
0876人間七七四年
2007/05/22(火) 17:02:40ID:miRNgcvCたまに厨房どもがへんな書き込みするしな
0877人間七七四年
2007/05/22(火) 21:15:46ID:qWueG+SW足利家のせいで亡くなられた人々(鎌倉後期〜室町終了までの亡くなった人々)を慰める為に足利家の一門として氏真公自ら大碑に経を書いたって言うのは創作かなぁ?
0878人間七七四年
2007/05/22(火) 21:15:59ID:QZuaVyBh今の日本の教育方針は上様お気に入りの教育再生会議主導の
男子三人のうち一人しか生きられないスパルタ方式ですよ
お陰で俺の息子は学校で態度が生意気とか言われて先日教師と生徒に嬲り殺された
まだ10にも満たぬ歳だったのに文句の一つも言えないこんな世の中なんて
…そろそろ時間通り奴等がドアを叩いてきたか、それじゃな
0879人間七七四年
2007/05/22(火) 21:25:13ID:qGFCJBSe0880人間七七四年
2007/05/22(火) 21:36:43ID:QZuaVyBh夫は一人息子を失くしてからだんだん精神を病んでしまい
今の世に批判的なことばかり周囲に愚痴ることが多くなってしまいました
挙句の果てに上様を逆恨みするようなことばかり言って、世の中を悪く言っても仕方の無いことなのですのにね
ですので夫はこの度遠いところにある政府の矯正施設に投獄…あら失礼、
しばらくの間長期滞在することになりましたから二度とこちらに参ることはないでしょう
耳に壁あり障子に目ありと申します、皆様もどうかお気をつけあそばされるよう
ごめんなさいねごめんなさいね
0881人間七七四年
2007/05/22(火) 21:42:44ID:9lrnleCp私学は一応許可されたのが10年前だけど、そのせいで賄賂が酷い
矯正施設?それは初耳だけど今川の名を語ってるだけの犯罪組織が多すぎ。
ただのウヨクに監禁されだけで。監視国家ではあるけど。
0882人間七七四年
2007/05/22(火) 21:45:59ID:VeG4vTF30883人間七七四年
2007/05/22(火) 21:46:41ID:kKk8biei>>879
しかし国(幕府?)のため、大切な子供たちを
今まで通り世界をリードする人材に育て上げるには
教師の皆さんも変わらねばなるまい。
国(幕府?)の根幹に関わる問題だからな。
0884人間七七四年
2007/05/22(火) 22:14:36ID:qWueG+SW上様から直接渡されるため、いつももらう側は感激して泣いてしまう。
三年連続して勲章を貰うと、今川一門の教員に抜擢されるんだからまぁ当然泣くだろな。
0885人間七七四年
2007/05/22(火) 22:22:11ID:9lrnleCp売国奴と売金奴多すぎ。
0886人間七七四年
2007/05/22(火) 22:28:44ID:qGFCJBSe蝦夷地のアイヌ民族との宥和政策を掲げてきた今川家にあるまじき痴態
北海道開拓にあたった幕府第七師団の子孫として恥ずかしいぜ
0887人間七七四年
2007/05/22(火) 23:49:13ID:qWueG+SW0888人間七七四年
2007/05/22(火) 23:50:11ID:qWueG+SW0890人間七七四年
2007/05/23(水) 07:57:46ID:2muMaacF後継者に氏真がいるからなんの問題もない。
史実でも義元公は1562年の上洛後は、ほぼ隠居状態だろ?
義元公の役目は上洛まで。それはあの状態からなら氏真でも簡単に出来る。
軍事能力でも武田や上杉と互角の氏真率いる精強な今川軍団が尾張のこわっぱに二度不覚をとるわけがない。
強いて言えば、上洛が2〜3年遅れる程度だろ。
義元公の偉大なところは超大国の下地を創ったところ。
それは氏親にも氏真にも出来ないであろう偉業。
0891人間七七四年
2007/05/23(水) 10:59:48ID:cgZ/cLocそうでもないよ
確かに1562に一応上洛はしてるけど
京は既に荒れ果てていて
上洛=天下じゃないし
だからこそ、公家連中を駿府にかくまっていたわけで。
特に、その時の上洛は、
六角や朝倉などの由緒正しい大名達が一時的に今川家の顔を立てて
通したに過ぎない。
徐々に権限の移行を始めていたとはいえ、
実際には裏で彼らと戦っていたんだよ。
0892人間七七四年
2007/05/23(水) 11:11:04ID:r6edohmf0893人間七七四年
2007/05/23(水) 11:27:59ID:0Oqom0+Oまぁ武田晴信の裏切りはやばいが・・・
一色と北畠、細川らは今川方についたんだから余裕だよ
0894人間七七四年
2007/05/23(水) 14:11:58ID:2muMaacFみずからも精鋭率いて北陸、東北を制圧したりしているし。
軍事の面では義元は最早相談役って感じ。
上洛から今川天下統一までは東は氏真、西は元康が軍事を担っていた。
でも義元もしばらく活躍しているから隠居状態とは言わないか。
0895人間七七四年
2007/05/23(水) 16:47:21ID:MEITBK5zその代わり氏真公がその采配ぶりを天下に示すことができたので将軍家としては
この上ない結果になった。
0896人間七七四年
2007/05/23(水) 22:57:55ID:ge5zQqosおいおい、飯尾連竜や朝比奈泰朝、岡部なんかの初期重臣団も忘れて貰っちゃ困るぜ。
天下取りが軌道に乗り初めてからの松平氏の躍進が凄いからついついその影に隠れちゃうけど、
朝比奈が信玄坊主の奇襲的叛乱>今川領東西分断作戦を掛川城で食い止めたからこそ、
今日の今川の世が有るってもんじゃねぇか。
0897人間七七四年
2007/05/23(水) 23:36:06ID:MEITBK5z忘れてないよ!
その重臣たちを使いこなしていたのは、氏真公だろ?
彼らの活躍を知らない国民などいないでしょ。
俺の昇進に関わる問題だから禿げしく反論するがね。
0898人間七七四年
2007/05/24(木) 00:45:42ID:31uF9saqのちの北条瓦解を仕組んでいたとすら言われているからなぁ。
0899人間七七四年
2007/05/24(木) 18:05:29ID:rN0SBlXHその位の奴だから執権になって将軍家を蔑ろにして、専横政治が出来るのさ。
義元公も奴の腹黒さだけは読めなかった。
0900人間七七四年
2007/05/24(木) 23:15:57ID:31uF9saqしかし、彼らの死後に里見氏や結城氏、宇都宮氏に一気に養子を出して配下にしたりする早業!
朝比奈・岡部の両雄も元康・信康が死ぬまでは松平の影に隠れてしまっていたからなぁ。
0901人間七七四年
2007/05/25(金) 20:59:33ID:u4M6NQTu0902人間七七四年
2007/05/26(土) 13:51:34ID:RwnPoEAz0903人間七七四年
2007/05/26(土) 16:32:42ID:E3lpnJwY0904人間七七四年
2007/05/26(土) 21:19:39ID:RwnPoEAz0906人間七七四年
2007/05/26(土) 22:09:12ID:RwnPoEAzもしかしたら今川の世なんて夢の世界で、
本当は徳川某が幕府を開いていてそれは江戸幕府っていうものだったっていうのが現実なんじゃないかってさ。
0907人間七七四年
2007/05/26(土) 22:10:41ID:xRpygAi5某の名前はともかく江戸はねーよwwwwww
埼玉県南部だか神奈川県東部だか千葉県西部のちっこい漁村だろ?wwwwwwww
0908人間七七四年
2007/05/26(土) 22:54:39ID:sxtnAKOqちょっと早いが夏休みもらって御前崎あたりで
バカンスした方がいいぞ。君は疲れているよ。
0909人間七七四年
2007/05/27(日) 08:45:21ID:mKao48DZ今川杯を今川家の現当主が優勝力士に直接授与する噂があるよ。
0910人間七七四年
2007/05/27(日) 10:20:51ID:AYSqw/Vd将軍家は代々相撲よりサッカー贔屓だから、今回もご来場されないでしょう。
上様がスポーツ行事に出られるのは、サッカー将軍杯決勝と正月の箱根蹴鞠位か。
0911人間七七四年
2007/05/27(日) 14:25:16ID:xnVz3IlK0912人間七七四年
2007/05/27(日) 16:27:35ID:AYSqw/Vd0913人間七七四年
2007/05/27(日) 16:28:15ID:WXVbHEatWBCなんていう予選も勝ち抜けないベースボールのほうが人気だし。
昔は「清水・大鵬・今川焼き」って言ったものだが
0914人間七七四年
2007/05/27(日) 18:16:41ID:AYSqw/Vd口を慎め。二度とシャ場の空気を吸えなくなるぞ!
0915人間七七四年
2007/05/27(日) 21:09:41ID:xnVz3IlK0916人間七七四年
2007/05/27(日) 21:48:55ID:9TPWLoLW誰も口にはしないが、あの頃の将軍家と松平氏の関係が
蹴球という代理戦争で続いているのかな?
まぁ今は松平氏が公家になっているから政治的には問題はないけどね。
0917人間七七四年
2007/05/27(日) 23:22:37ID:146rZSWY俺国土交通省の役人なんだけど
それを受けてついに北越新幹線の終着上田駅から富士川経由で駿河総合駅に路線が延びるらしい。
あとは摂美往復線の稲葉山から那古耶経由で駿河まで来るんだって。
それで松平家飛翔の地として那古野から岡崎までを再開発するそうだ。
それでまた駿河国際空港がデカくなるらしい。
そういう俺は今川vs佐竹の「水戸決戦」が好きです。
鬼義重が鉄壁の今川陣を3段のうち2段まで打ち破って、朝比奈との一騎打ちで討死って奴。
敵ながら天晴れだと思う。
0918人間七七四年
2007/05/28(月) 22:05:46ID:oPwN7Aysまぁ、朝比奈の祖先は生前は鮫三匹を生け捕りにし、
死後は閻魔大王に地獄の道案内をさせたという勇者だからな。
鬼義重も剛勇の士ではあったが、相手が悪過ぎた。
0919人間七七四年
2007/05/29(火) 12:21:30ID:QUNb6Bp6実質、下野・常陸・南陸奥を得た義宣は勝ち組だな
0920人間七七四年
2007/05/29(火) 12:28:32ID:QUNb6Bp6強力な佐竹に対して損害を受けている部下を助けるために鬼義重に一騎打ちを挑んだ朝比奈はすげぇな。
もともと北条が宇都宮・那須に苦戦してて援軍に来なかったから数が少なかった朝比奈隊は苦戦したんだがな
0921人間七七四年
2007/05/29(火) 12:56:55ID:Usx/hrwA氏康は陣没。
0922人間七七四年
2007/05/29(火) 15:38:40ID:bldT9rJo0923人間七七四年
2007/05/29(火) 18:12:35ID:QUNb6Bp6奥州征伐の際に北条・佐竹・結城・里見・宇都宮・那須だったのに北条軍のみ奮戦し、夜に同士討ちを起してしまい氏康は負傷し、それがもとになり氏康は陣没したっていう説だろ。
0924人間七七四年
2007/05/29(火) 18:19:11ID:QUNb6Bp6奥州征伐の本陣。八溝山にそういう書物があるのが最近見つかったんだから間違いない。
佐竹義宣は後に常陸介兼右近衛中将にもなってる優遇ぶりも証拠といえる。
0925人間七七四年
2007/05/29(火) 18:21:44ID:Usx/hrwA0926人間七七四年
2007/05/29(火) 19:35:04ID:krcfQ9pdそれを義元公の恩義に報いるため病を押して出陣したんだよ
同士討ちは佐竹の謀略だろうが氏康の死とは無関係
0927人間七七四年
2007/05/30(水) 02:34:34ID:rxoVUBVu佐竹騒動があったからなあ・・・。
分家の秋田藩五万石は残ったが、佐竹本家五十八万石は取りつぶされた。
開幕以来、最大級の取りつぶしだぜ。
0928人間七七四年
2007/05/30(水) 21:52:32ID:rxYxvQ6b0929人間七七四年
2007/05/30(水) 21:56:05ID:rxYxvQ6b氏照が小田原に待機していて不在であった北条は戦上手の不在により同士討ちを回避できなかった。
北条は多くの兵を失い、後の没落に繋がった。
0930人間七七四年
2007/05/31(木) 00:46:47ID:hynnd8P60932人間七七四年
2007/05/31(木) 13:34:43ID:2DwZrxW/あまりにも有り得ないことを語ろうとしてるからな
0933人間七七四年
2007/05/31(木) 23:29:42ID:hynnd8P6超絶望的だよ・・・試験に義元公以後の将軍全員の名を書け!が出て出来なかった。
0935人間七七四年
2007/05/31(木) 23:43:26ID:hynnd8P60936人間七七四年
2007/05/31(木) 23:53:17ID:1evMbc7/0937人間七七四年
2007/06/01(金) 00:28:49ID:ZPbfbJTlまあ叙勲物の功績を立てれば華族になれる。
爵位は世襲可能。
0938人間七七四年
2007/06/01(金) 13:58:54ID:c4wTdKoU農民の場合、その地域で行われている郷士試験に受かって武士の身分になってから受けるか、軍隊に入るしかない。
0939人間七七四年
2007/06/01(金) 19:18:26ID:YcGjZ1Ib0940人間七七四年
2007/06/02(土) 10:48:28ID:Ewf886TH一代旗本株が五千万〜一億五千万
高いが家が栄えるなら良いよな・・・
0941人間七七四年
2007/06/03(日) 16:27:56ID:cQ/f8zl0やっぱり家柄なんでしょうか?
0942人間七七四年
2007/06/03(日) 17:48:25ID:xCgk90/H家柄なんて幾らでも詐称できるし
0943人間七七四年
2007/06/03(日) 21:13:59ID:cQ/f8zl00944人間七七四年
2007/06/04(月) 05:42:22ID:S2kCa6zM家督の売買が禁止されたのは旧公家や旧大名であって、普通の武士は対象外だ
0945人間七七四年
2007/06/04(月) 12:49:19ID:MfS4uYMO0946人間七七四年
2007/06/04(月) 20:38:46ID:JXN/dqzU0947人間七七四年
2007/06/04(月) 21:40:52ID:MfS4uYMO0948人間七七四年
2007/06/04(月) 21:56:49ID:MfS4uYMO0951人間七七四年
2007/06/05(火) 17:17:19ID:pstU7DNm久野・葛山・一宮・瀬名・ 由比・吉田・山口・飯尾・三浦が神将の候補だった気がしたが・・・
0952人間七七四年
2007/06/05(火) 17:31:16ID:pstU7DNm(幕府功臣百将画図には黒田孝高・佐竹義宣ら外様・反逆した功臣の武田晴信らとともに堀越氏の姿も見受けられる)
0953人間七七四年
2007/06/05(火) 18:51:41ID:u03kF/ucには敵対した大名・武将も入ってるよね
それこそ83首目に織田信長なんかもいる
0954人間七七四年
2007/06/05(火) 21:44:21ID:pstU7DNm0955人間七七四年
2007/06/05(火) 21:48:32ID:pstU7DNm0956人間七七四年
2007/06/05(火) 21:50:11ID:u03kF/uc0957人間七七四年
2007/06/05(火) 22:42:17ID:yDvV6Wkr足利義輝がどうなったかご存知の方教えて下さい。
天寿をまっとうしたというのは聞いてますが、
詳細な資料が見当たらないんだよな。
0958人間七七四年
2007/06/05(火) 22:57:30ID:u03kF/ucあと少し上洛が早かったらな;
義昭はいろいろと反今川で立ち回ったが
反今川連合崩壊後は、毛利に亡命するけど
最終的にまた一条院別当で収まったはず
0959人間七七四年
2007/06/06(水) 12:41:14ID:VpFC71oG松永は将軍を人質にしたから今川軍は攻撃できなかった。
しかし、義輝が「私ごと松永を討て!」の指令を出したため攻撃が再開された。
追い込まれた松永は義輝と共に自爆して果てた
0960人間七七四年
2007/06/06(水) 12:46:23ID:VpFC71oGこれがなければ今川家は永遠に征夷副将軍として足利家を補佐していくつもりだったので結果的に今川を征夷大将軍にする遠因にもなった。
0961人間七七四年
2007/06/06(水) 17:17:01ID:IWbK394Zもはや助からぬと最後に殺した松永の持っていた茶釜に火をつけて松永の軍団を道連れに自爆したと文献で読んだことがある
たぶん生きてたら戦国最強の武者として名を残したかもな、将軍だけど
0962人間七七四年
2007/06/06(水) 17:18:24ID:IWbK394Z○事もあろうに
0963人間七七四年
2007/06/06(水) 21:51:21ID:VpFC71oGみんな、義輝死ぬなーって願ったもんだよな。
義元はこれを気に出家したんだよな。
0964人間七七四年
2007/06/06(水) 22:10:48ID:AvTXahOe0965人間七七四年
2007/06/07(木) 20:03:40ID:Tl/oJEw4数十本の秘蔵の刀をとっかえひっかえで百人ほどは斬ったとされている
剣豪将軍の名に相応しいよな
そういや上泉伊勢守義綱って関東管領家が今川に吸収された後どうなったんだ?
0966人間七七四年
2007/06/07(木) 22:50:45ID:s/Xj27sh義元公の剣術指南にという三顧の礼を蹴ったらしい
0967人間七七四年
2007/06/08(金) 00:51:49ID:3mZh2WLu0968大谷隊馬廻
2007/06/08(金) 01:46:21ID:FjD3ZO9F静岡で下火なだけで奈良や九州とかでは盛んだぞ
0969人間七七四年
2007/06/09(土) 11:45:19ID:1pTAV/pJ刀は常に帯刀していたけど槍は本陣の飾りものに成り下がった。
0970人間七七四年
2007/06/10(日) 17:02:35ID:LlCsixMY0971人間七七四年
2007/06/10(日) 21:27:36ID:N5o3bScQつーか松平元康の子って長男の信康と次男の結城真康以外地味じゃね?
三男の里見の養子に入った氏忠とか只の凡将で雑魚だろ。
それ以降は名も良くしらんよ。確か。。一色と相馬あたりに養子に行ったと聞いたが・・・。
0972人間七七四年
2007/06/10(日) 22:11:29ID:mIOVU4C5里見の養子になったのは四男
三男は真忠でたしかどっかの四国の小藩の領主だったはず…
まあ地味ながら及第点はもらえる程度の領主だったらしいけど
0973人間七七四年
2007/06/10(日) 22:21:18ID:N5o3bScQ里見に行った四男は頼康だったな。
五男が一色の名跡を嗣いだ義秀か・・・
六男が得川忠臣(トクガワタダオミ)でいいんだっけか?
0974人間七七四年
2007/06/10(日) 22:23:36ID:SaqZ85K80975人間七七四年
2007/06/10(日) 22:24:08ID:N5o3bScQ松平は本家と三男しか名乗っていないはずだしな
0976人間七七四年
2007/06/10(日) 23:00:34ID:tEJdNv2hどの系統かご存知の方いますか?
0978人間七七四年
2007/06/11(月) 00:46:23ID:JqS4wu0G0979人間七七四年
2007/06/11(月) 01:02:03ID:K/QOgjeI軍神・朝比奈は今川家中無双の将だったんだろな
0980人間七七四年
2007/06/11(月) 03:06:29ID:9mTVOOsd史実によると桶狭間では
豊かな資源の宝庫の尾張の大名の織田が
今川の数倍の兵を持ってたのに
贔屓にしてた百姓上がりのゴマすり家来の
愚策を信じて兵を分散して奇襲したから負けたんだぜ
まぁ最大の難所だろ名古屋県は今でも中心都市のひとつだし。
0981人間七七四年
2007/06/11(月) 03:14:13ID:JqS4wu0Gなんだよ名古屋県ってwwww名児耶なんて小さな町だろwwwwww
愛知県の西部は田舎だぜwwwwww
過大評価が嫌いな義元公に謝って来いお前w
0982人間七七四年
2007/06/11(月) 06:12:41ID:qYYBzYR+やっぱり彼女の補佐がなかったら今川は天下を取れなかったと思うよ。
今川氏輝が長生きしてたら天下は取れたかというifも、おもしろそうだけど。
0984人間七七四年
2007/06/11(月) 10:39:46ID:BWkZIvQ20985人間七七四年
2007/06/11(月) 11:48:09ID:3lUNdm5w駿河を離れてのんびり田舎生活するのもいいかな・・・
独身だからコンビニくらい無いと不便なんだけど、どんなとこだろう?
0986人間七七四年
2007/06/11(月) 12:04:58ID:K/QOgjeI北条が分裂したあとに太田氏が江戸城に入ったが、それ以来開発されていないド田舎。
小田原より東にはあまり行きたくない。
0987人間七七四年
2007/06/11(月) 12:15:23ID:GG3aeuck0988人間七七四年
2007/06/11(月) 12:50:45ID:YOGUMr/J0989人間七七四年
2007/06/11(月) 14:18:29ID:K/QOgjeI0990人間七七四年
2007/06/11(月) 18:46:21ID:B9B/jvVo0991人間七七四年
2007/06/11(月) 18:50:27ID:JqS4wu0Gレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。