戦国時代の源氏の嫡流ってどこ?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 10:47:19ID:wqfPMGgOもしかして足利氏が名乗っていたの・・・?
そんな馬鹿な。
ってなわけで戦国時代における源氏の正当な系統ってどこなの?
or平氏も
0002名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 10:58:13ID:vAiQBEvQ0003名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 11:05:11ID:5CUPi7+a範頼の子孫だと名乗っていたはず。
頼朝の子孫は全滅したんじゃ。
大きな一族だから、直系は絶えても傍流はかなりの数が残っているはずだ。
0004中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 11:33:07ID:2YN0+spW平氏:西洞院
藤原氏:摂家
橘氏:薄
終了
0005名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 11:43:37ID:YcENbRQP0007名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 12:12:13ID:dx6bA9UOとりあえず新田について
源氏長者の遍歴
は押さえてから終了して欲しいな
0008中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 12:23:15ID:2YN0+spW時は治承・寿永の頃、源氏諸家の危機に際し源氏最長老の源通親だったかが
源氏長者として一族を取り纏めたことに由来だったと思う
その後通親の後裔の久我が継承するも足利義満が纂奪し以後源氏長者と淳和奨学両院別当は
セットになって足利家が独占。足利滅亡後徳川が継承し
明治になって久我に返還された
0010中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 12:33:39ID:2YN0+spW0011名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 12:34:31ID:VAvxhwpm0012中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 12:39:45ID:2YN0+spW新田がどういう位置にあったのかわかろうというもの。
源氏の嫡流などという妄想を語る以前に、新田などまな板にも乗れない存在だったということよ
0014中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 12:47:49ID:2YN0+spW嫡流なんて
0016中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 12:54:31ID:2YN0+spW0017中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 13:02:41ID:2YN0+spWそういうことを話すのか?
0019名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 13:03:40ID:YcENbRQP経基流に限るなら多田源氏も大和源氏もあるし
0020中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 13:06:30ID:2YN0+spW0022名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 13:17:17ID:YcENbRQP明らかな僭称は嫡流に成り得んだろ。
0023中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 13:19:54ID:2YN0+spW日本はイエの概念が強いからな。有名な戦国時代の貴族山科言継は桓武平氏から四条流に入ってるが
公卿補任には藤言繼と記載され言継の次男から薄に入嗣した諸光は
橘諸光となってる。はっきり言って血は関係ないんだよな
0025中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 13:27:49ID:2YN0+spW平安末の時点でも嫡流の判断なんてあやふやなのに
時代が下った戦国の世でどの家が源氏の嫡流だなんてナンセンスだと思うが。
しいて上げるなら源氏長者の足利と久我。何がしたいスレなのかよくわからん
0026名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 13:27:50ID:YcENbRQPここは戦国時代板だから俺は認めたくないなあ
0028中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/27(土) 13:41:30ID:2YN0+spW0030前田 ◆MAEDAxMYTY
2007/01/27(土) 14:30:00ID:KEFuq4gQ0031名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 14:30:38ID:YcENbRQP試しに地下平氏の嫡流を考えてみて不毛さを再認識。
0032名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 14:54:33ID:yo5114+E0033名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 18:02:37ID:bxzyhqLt0034名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 18:35:59ID:n+JE5mHH0036名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 20:11:02ID:F2XwlcFG以降、鎌倉・室町幕府の河内源氏が源氏嫡流を称する
よって、戦国時代の源氏嫡流は足利氏でFA
〜終了〜
0037奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/01/27(土) 23:27:46ID:XxNe/avk0038人間七七四年
2007/02/23(金) 12:31:01ID:vfGmc5FN0039人間七七四年
2007/02/23(金) 12:36:40ID:DFLs7juj新宮十郎の末裔らしいが
0040人間七七四年
2007/02/23(金) 15:08:58ID:NJ1lJrFm0041人間七七四年
2007/02/23(金) 23:44:37ID:TBAMsVgL0042奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/02/23(金) 23:53:29ID:vEvm0MMq0043人間七七四年
2007/02/24(土) 04:20:14ID:LjvfqGS70044人間七七四年
2007/02/24(土) 12:33:42ID:Mk6CzCNC0047人間七七四年
2007/02/24(土) 20:58:13ID:Mk6CzCNC0048奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/02/24(土) 21:02:10ID:8tSbNiGr足利氏にしてみれば分家がなぜ逆らうんだろうと疑問だったんじゃないかと。
0049人間七七四年
2007/02/26(月) 21:36:31ID:Sq7SGvCG頼朝ー頼家ー実朝ー八幡ときて、最も血筋が近い範頼の家系である吉見氏に移るのは当然の流れ
また安定した勢力を持って武士の棟梁として君臨していた足利が嫡流とも言える
0050奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/02/26(月) 21:55:37ID:xZI4PzTb0051人間七七四年
2007/02/27(火) 01:27:02ID:uulZF0P0頼朝子孫を称する島津を押した方が良い
それに吉良氏は戦国時代に断絶した
0052人間七七四年
2007/02/27(火) 02:02:19ID:w9E7HFgJ0053人間七七四年
2007/02/27(火) 03:56:57ID:+VKjaCbW>>頼朝子孫を称する島津を押した方が良い
は?
そっちの方が春かに怪しいじゃん。
つーか、ほとんど事実ではないというのが定説。
0054人間七七四年
2007/02/27(火) 10:16:04ID:4NuuaG+l0055人間七七四年
2007/02/27(火) 12:27:02ID:uulZF0P0>>51に書いたのは、系図捏造説が濃厚な吉良氏を嫡流だと言うのは、島津を頼朝の子孫だと言う位アホだという事なんだが
お前は空気が読めないとか人から言われてるだろ?
0056奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/02/27(火) 21:30:38ID:UiOqAshs0057人間七七四年
2007/02/28(水) 00:17:04ID:kR6vVrZ9土佐吉良氏の系図の信憑性さえあれば良かったんだけど…
吉見氏が範頼の子孫だと言うのは信頼できるらしい
0058奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/02/28(水) 00:25:07ID:ntMfKkYf信憑性は措いといて。
0059人間七七四年
2007/02/28(水) 11:43:02ID:5Q2XD+Lm0060中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/02/28(水) 13:13:40ID:Ps9dvV+cだったら何遍同じことで叩かれてんだか。学習しようぜ!
0061奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/02/28(水) 21:49:25ID:ntMfKkYfやかましい。レベルに応じて話題を楽しむスレがあってもいいだろ。
気に入らんならすっこんでろ。
0062中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/02/28(水) 22:00:08ID:Ps9dvV+cNHK総合の宇多源氏薬屋スレにて待つではお先に
0063奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/02/28(水) 22:07:20ID:ntMfKkYf0065人間七七四年
2007/03/17(土) 12:13:31ID:2PKGuTxU0066人間七七四年
2007/04/01(日) 11:40:10ID:xk0+mleThttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1116921328/
吉見一族 〜その系譜と事暦〜
http://www.yoshimi-rekishi.or.tv/
もう一つの清和源氏・能登吉見氏の歴史
http://www.geocities.jp/tgbqg409/YoshimiGenji.htm
0067人間七七四年
2007/04/01(日) 11:41:37ID:xk0+mleT希望http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E5%B8%8C%E6%9C%9B
範頼http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%AF%84%E9%A0%BC
全成http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%87%8E%E5%85%A8%E6%88%90
義円http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%86%86
摂津源氏
太田氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ota_k.html
土岐氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/toki_k.html
大河内氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/o_kouti.html
河内源氏
範頼の子孫・吉見氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/yosimi_k.html
希義の子孫・吉良氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tos_kira.html
足利氏(喜連川)http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kiturega.html
足利氏(平島)http://www2.harimaya.com/sengoku/html/awa_kubo.html
新田氏(岩松)http://www2.harimaya.com/sengoku/html/iwama_k.html
石川氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/mk_isika.html
0068人間七七四年
2007/04/01(日) 11:42:40ID:xk0+mleThttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E5%AB%A1%E6%B5%81
摂津源氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%82%E6%B4%A5%E6%BA%90%E6%B0%8F
源頼政
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%94%BF
多田源氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E6%BA%90%E6%B0%8F
多田行綱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E8%A1%8C%E7%B6%B1
河内源氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%86%85%E6%BA%90%E6%B0%8F
源義家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E5%AE%B6
源義朝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E6%9C%9D
源頼朝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%9C%9D
0069人間七七四年
2007/04/04(水) 08:22:42ID:Af4COHWt0070人間七七四年
2007/04/04(水) 08:33:10ID:c2IJl9Sd0071人間七七四年
2007/04/04(水) 08:39:29ID:Af4COHWt佐竹は、八幡太郎義家の弟の義光の子孫。
よって、佐竹より足利の方が嫡流に近い。
0072人間七七四年
2007/04/04(水) 09:52:26ID:c2IJl9Sd0073人間七七四年
2007/04/06(金) 06:52:36ID:2I+C9VSWもともと佐竹は嫡流争いでそうそうな負け側。
ただ源氏と言うだけの存在に成り下がってる。
佐竹が誇っているほど良い家では無い。
0074人間七七四年
2007/04/06(金) 07:23:36ID:gkxroaNg義光は頼義の三男
義国は義家の三男
当主から見ればどちらも三男だし
頼朝の系統だって厳密な意味では嫡流とは言い難い
ただ、義光は宗家争いに負けたから河内源氏宗家には大きく遠退いたけど
0076人間七七四年
2007/04/06(金) 08:33:48ID:zMuNW+fA嫡流を考えるなら男系で途絶えた家は普通除外するだろう
0077人間七七四年
2007/04/07(土) 10:49:03ID:VKmUYjal0078人間七七四年
2007/04/07(土) 12:09:52ID:xAwKexsq0079人間七七四年
2007/04/11(水) 05:44:49ID:qnEXxioW清和源氏の嫡流の事か?源氏長者の事か?
0080人間七七四年
2007/04/25(水) 22:16:45ID:ktFjneqz0082人間七七四年
2007/05/06(日) 10:14:40ID:X6x9RaIh0083人間七七四年
2007/05/06(日) 10:33:19ID:37reZt450084人間七七四年
2007/05/06(日) 11:08:17ID:A8loxZ6F7が特にクソ過ぎる
0085人間七七四年
2007/05/06(日) 11:25:29ID:vE3gi5xC0086人間七七四年
2007/05/06(日) 14:22:09ID:uaQLHok60087人間七七四年
2007/05/06(日) 14:37:02ID:EEf4BYeK何処の源氏の嫡流なのか?
代表的なのは清和源氏だろうけど。
0088人間七七四年
2007/05/06(日) 15:03:53ID:V2PKkwjG0089人間七七四年
2007/05/06(日) 15:17:38ID:81ETURI4足利→徳川だと思うけど
義昭死後から家康が将軍に任命されるまでの間が
どうなるのかわからん
0090人間七七四年
2007/05/07(月) 15:16:30ID:zdtQuxNc仮冒
0091人間七七四年
2007/05/07(月) 22:44:13ID:YlOskF7T略―足利義満―足利義持―久我清通―足利義教―久我清通
―足利義政―足利義尚―久我豊通―足利義稙―久我通言
―久我晴通―久我通堅―徳川家康―徳川家光―徳川家綱
―以下徳川慶喜まで略―久我建通―明治四年氏姓禁止により氏長者消滅
0092人間七七四年
2007/05/08(火) 20:09:43ID:3QAFcxKbだから桓武平氏の嫡流はどこなんだよ?
0094人間七七四年
2007/05/09(水) 20:19:28ID:VrIALEZl桓武平氏の嫡流はより先に平姓を賜った高望王流だろ
0095奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/09(水) 20:35:47ID:pcWb6M5v0096九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU
2007/05/09(水) 21:53:29ID:yyDKDwLh菅原長者=五辻
清原長者=舟橋
小槻長者=大宮・壬生
王氏長者=白川伯王
大中臣長者=藤波
高棟と高望はどっちが格上かという話だ
0097奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/09(水) 21:56:17ID:pcWb6M5v0098九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU
2007/05/09(水) 21:59:37ID:yyDKDwLh小槻が地下の最高位を得てからもう朝廷への道は閉ざされた
0099奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/09(水) 22:01:49ID:pcWb6M5v0100九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU
2007/05/09(水) 22:29:55ID:yyDKDwLh日記を読み比べるといかに氏長者というものが重要なもんだったかがわかる。
とくに貴族全般が貧困の底であえいでた時代にあって
氏長者が本来の意味を失っても
一族の求める直接的な要求において違う意味で重要な役得を帯びてくるのは実にあわれだ
こういった必死な連中の前では秀吉が簒奪者以外の何者でもなかったかががよくわかる
橘長者も滅んだしな
>>99
納得できないのは公家全般ではなく地下だろ
そもそも公家というのが当ってるのかは疑問だし
まあそういう「下克上」が一次的な利によって引き起こされるばかりではないのは
土御門が安倍とともに加茂(かでい)も襲っちまって格が逆転してるの見るとわかるけどな
0101奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/09(水) 23:10:19ID:pcWb6M5vつか垂仁後裔って朝臣姓でいいんだろうか。
0102九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU
2007/05/09(水) 23:20:15ID:yyDKDwLh0103奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/09(水) 23:32:56ID:pcWb6M5v0104九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU
2007/05/09(水) 23:42:06ID:yyDKDwLh0105人間七七四年
2007/05/10(木) 09:40:01ID:+eZdhioL坂東平氏の千葉氏かな
0106人間七七四年
2007/05/10(木) 09:53:31ID:b89ta8OS孫の代で将門を討った貞盛系、曾孫の代で貞盛の子らを逐った忠常系。
どちらを取るかは考えてくれ
0107人間七七四年
2007/05/10(木) 19:53:38ID:+eZdhioLで貞盛系の嫡流はどこだろう?
高望から長男ー長男で貞盛だし
0108人間七七四年
2007/05/11(金) 14:19:08ID:Gh3OROO7干公 ─ 信盛 で絶えているようだが
0109奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/11(金) 20:44:42ID:nGNzqxhy0110人間七七四年
2007/05/11(金) 22:36:47ID:CR2dtWQ5で嫡流は維将ー維時ー直方と続き
直方の子孫が北条氏や熊谷氏
ただし、北条に関しては系図捏造説が濃厚
因みに貞盛の四男維衝は源頼信らと共に、四天王と呼ばれる程の武勇に秀でた武将
この維衝が伊勢平氏の祖
そして伊勢平氏の庶流から清盛ら平家が現れる
でいつの間にか桓武平氏嫡流の様になってた訳
0111人間七七四年
2007/05/11(金) 23:08:33ID:CR2dtWQ50112人間七七四年
2007/05/12(土) 01:31:34ID:7zpop8B+0113人間七七四年
2007/05/12(土) 01:57:36ID:4aLm7F0e0115人間七七四年
2007/05/12(土) 10:09:55ID:RYfloEu0全く発展はしていないが
0116人間七七四年
2007/05/12(土) 10:48:08ID:LswW+x8j@国香―貞盛
A良持―@将門A将頼B将平C将文D将武E将為
B良兼
C良正
清和天皇―貞純親王―経基王―@満仲A満政B満快
満仲―@頼光A頼親B頼信
頼信―頼義―@義家A義綱B義光
義家―@義宗A義親B義国C義忠
源 義光―@義業―佐竹昌義―隆義―秀義
A親義
B義清(那珂川武田郷)―武田 清光(鹿島神宮社領侵略父子共に甲斐市河荘流罪)― 信義……武田 信玄
源 義家―為義―@義朝―@義平A朝長B頼朝C範頼D義円E義経
……らしい。
なんで義円だけルビが【ぎえん】なんだ?
0117人間七七四年
2007/05/12(土) 10:59:55ID:LswW+x8j平 重幹の孫娘
源 業光と義綱とな間に源氏の統領争奪戦がおこり、義光が義忠を討ち殺し、義綱一家佐渡流し。
骨肉骨肉……。
この人がいなけりゃ、義朝も義経もさして苦労しなかったんじゃないんだろうか。
0118人間七七四年
2007/05/12(土) 11:07:25ID:RYfloEu0源氏衰退の最大の原因は、
やはり為義、義朝親子が争ってしまったことでしょう
その前だと義親の問題もあるし
義光もそうだけど、本当に代々骨肉だよね
0119人間七七四年
2007/05/12(土) 12:00:49ID:LswW+x8j盛者必衰の理ありき
ってか口は災いの元の平氏のほうがまだ綺麗に見えてくる……。
半分逆恨みなんじゃないかってすら感じてしまうm(__)m
ちなみに、
八幡太郎義家―義国―足利 義康―義兼―義氏―泰氏―頼氏―家時―貞氏―@尊氏
A直義
尊氏―@直冬
A義詮―義満
B基氏(関東公方系)―氏満―満兼―持氏―成氏
『見るべきものはみつ』
内因壊の源
外因壊の平
って印象……。
0120人間七七四年
2007/05/12(土) 13:23:21ID:7zpop8B+貞盛の養子となって大掾の職を引き継いだ一族
しかし貞盛流の嫡流と呼べるかどうか
0121人間七七四年
2007/05/13(日) 13:05:50ID:wN1/SZibなにより繁盛は養子な訳だしね
維将が貞盛の嫡男だよ
嫡流はこの子孫から探すのが妥当
0122人間七七四年
2007/05/13(日) 13:46:38ID:ln7iocXq役職と領地を継承した大掾は
紛れもなく嫡流だよ
長男云々で言ったら頼朝も嫡流じゃなくなる
0123人間七七四年
2007/05/13(日) 16:17:38ID:3aJH0bI/正論だな
0124人間七七四年
2007/05/13(日) 16:49:22ID:wN1/SZibそれはともかく甥の繁盛になぜ大掾を継承させたのかが疑問
子沢山の貞盛の男子達をさしおいて、なぜ養子の繁盛を嫡男にしたのかなぁ?
というか本当に嫡男なのか?
そういえば同じく養子にした維茂は余五将軍と呼ばれ武勇に秀でてたよね
0125人間七七四年
2007/05/13(日) 17:12:28ID:wN1/SZib因みに鎮守府将軍の職は国香ー貞盛ー繁盛ー維茂と継承されてるよ
常陸大掾と鎮守府将軍の職がどちらが格上なのかは良く分からないけど
紅葉狩りの話には維茂が貞盛の嫡男だという事になってる
でこの子孫が城氏
大掾氏が常陸平氏の本家だというのは間違いないのだろうけど
0126人間七七四年
2007/05/13(日) 17:42:11ID:ln7iocXq頼朝の系統自体が違うと言っているのだよ
義家から下ると血筋的にはもっと近い者が大勢いる
だが、祖父為義が先代義忠の養子になり
河内源氏を相続した事から嫡流を名乗る事となる
まあ、細かく言えば河内源氏自体
血筋的には源氏の嫡流じゃないだろと言う話しになるけど
要するに血筋ではなく
宗家を継いで力を有する者が嫡流となる
極端な話し血縁がなくても嫡流になる
徳川なんかがその例
0127人間七七四年
2007/05/13(日) 19:19:30ID:wN1/SZib氏長者だっただけ
0128人間七七四年
2007/05/13(日) 19:36:45ID:ln7iocXq頼朝や尊氏も嫡流ではないと言う事になるな
0129人間七七四年
2007/05/13(日) 20:15:46ID:wN1/SZib0130人間七七四年
2007/05/16(水) 16:39:28ID:e3IAhJJZ>>126の通りなら嫡流は大掾じゃなくて、清盛一家の平家もしくは
平姓を称した織田になるはずなんだけどな
0131人間七七四年
2007/05/16(水) 18:24:33ID:0I6gtJdP無論、嫡流は途絶えてるから・・・何処?
0132人間七七四年
2007/05/17(木) 17:39:02ID:zFuxyDSzっていうか散々既出だ
0133人間七七四年
2007/05/23(水) 12:28:54ID:8R0wIcaz0134人間七七四年
2007/05/24(木) 06:59:11ID:GXOElr3n0135人間七七四年
2007/05/24(木) 17:55:19ID:ZcIKvFZ+摂津源氏の嫡流は太田氏
坂東平氏の嫡流は千葉氏
伊勢平氏の嫡流は伊勢氏
0137人間七七四年
2007/05/25(金) 21:57:24ID:wzgWnwPH日本史板にいくつか関連スレッドがあるから見てくるのはどうでしょう
「源氏と平氏の子孫はどうなった2」とか
ただ伊勢平氏の嫡流は山木(八巻)氏だと思う
0138人間七七四年
2007/05/25(金) 22:04:06ID:pCrLaFhd0139人間七七四年
2007/05/26(土) 17:05:45ID:DaNkq5aZ河内源氏の嫡流が足利氏というのは間違いない
で摂津源氏の嫡流は源頼政の嫡孫から始まる下間氏
本願寺の重鎮というのが微妙だが…
0140人間七七四年
2007/05/26(土) 18:49:19ID:oDGFpanTあっこれは嫡流関係ないね。
0141人間七七四年
2007/05/28(月) 00:44:07ID:DRdK2Z+h毛利なのか?まさか
0142人間七七四年
2007/05/28(月) 03:50:19ID:xPtPLFMI毛利より北条や安田のほうが大江の本家筋だわな
0143人間七七四年
2007/05/28(月) 23:34:35ID:c7c1ZLuYただ毛利は大江氏の嫡流ではないだろうな
0144人間七七四年
2007/05/29(火) 10:58:44ID:kCSMd8Ff匡範は広元の兄
0145奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/29(火) 21:31:26ID:hMhaqBxG0146人間七七四年
2007/05/29(火) 22:58:43ID:Lj3dvTsuそれとも伊勢氏だろうか
はたまた自称平家の子孫嫡流を名乗る伴家だろうか
山木は滅亡したそうだけど
0147人間七七四年
2007/06/04(月) 20:16:06ID:OMkMA8WE0148人間七七四年
2007/06/17(日) 15:52:20ID:k2Gh1ZX40149人間七七四年
2007/08/02(木) 16:01:04ID:zcrr60Hu出生順と家格とか
0150人間七七四年
2007/08/12(日) 19:18:55ID:5jjmjuKm0151人間七七四年
2007/08/12(日) 20:49:04ID:sDVgCFoH久我や西洞院のような堂上家はスルーしようや
0152人間七七四年
2007/09/05(水) 14:57:03ID:i/SzWdLk0153人間七七四年
2007/09/28(金) 15:14:14ID:JzvaUG9B0154人間七七四年
2007/10/10(水) 16:15:51ID:oGz26LwK0155人間七七四年
2007/10/10(水) 19:48:33ID:oGz26LwK0156人間七七四年
2007/10/11(木) 00:52:47ID:HzmBeWdw0157人間七七四年
2007/10/11(木) 02:07:07ID:jcY9g0KG貞盛の太刀を継承している
0158人間七七四年
2007/10/11(木) 06:49:09ID:/T7GZ7ML0159人間七七四年
2007/10/11(木) 16:57:10ID:HzmBeWdw0160人間七七四年
2007/10/12(金) 05:56:12ID:VuS7GzQu0161人間七七四年
2007/10/12(金) 11:20:00ID:Qlvk6rvi0162人間七七四年
2007/10/12(金) 18:50:13ID:VuS7GzQu0164人間七七四年
2007/10/29(月) 13:52:17ID:AjDtZsqc0165人間七七四年
2007/10/29(月) 14:08:52ID:Z7GtDe+Q0166人間七七四年
2007/11/06(火) 20:46:42ID:2Y0ESW5x0167人間七七四年
2007/11/13(火) 13:06:41ID:AjCy5bXhあるいは清和源氏以外のマイナー源氏?
あるいは勝手に名乗っている偽物源氏かな?
0168人間七七四年
2007/11/13(火) 14:37:25ID:S+IrBYpb0169人間七七四年
2007/11/13(火) 16:23:58ID:AVNSloYo明治になって姓と苗字の違いがわかってない
どん百姓が源だの平だの藤原だのを勝手に「苗字」として名乗った、が真相だろう。
0170人間七七四年
2007/11/13(火) 16:58:27ID:xmaZVYEO0171人間七七四年
2007/11/14(水) 00:02:42ID:dhlTmrE+でも平って人たまにいるじゃん
姓と苗字の違いをもう少し詳しくplease
0172人間七七四年
2007/11/14(水) 00:42:37ID:QILSAwKQ「本姓」という言葉をご存知だろうか?
その氏族に朝廷(国家)から与えられたもので、
主に日本史で姓といえばこれを指す。
例として長尾景虎を挙げると、「長尾」は苗字で長尾氏の姓は「平」なので
彼が上洛して天皇に拝謁した際は「平景虎」と名乗ることになる。
所謂「源平合戦」の源氏と平氏や豊臣家などは
姓と苗字を変えていない(というよりその姓の嫡流なので変えなくていい)
例ということになる。
0173奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2007/11/14(水) 00:53:27ID:i0f0aF340174人間七七四年
2007/11/14(水) 09:34:47ID:22+E/8nr0175人間七七四年
2007/11/14(水) 12:02:40ID:1jkKsfv0たとえば本物の藤原氏の子孫で
今現在苗字が「藤原」になってる人はいないのよ。
みんな近衛とか九条とか三条とか冷泉とかの苗字になってる。
明治維新後、氏は苗字に統一されて「本姓」がなくなっちゃったから、
現在の源さんとか平さんとか藤原さんは、本物じゃないってこと。
そのあたりの姓と苗字の違いは近世以前はちゃんと認識されてて
源氏だの平氏だの仮冒する場合は先祖を源氏とか平氏の子孫にくっつける
やり方をするのが普通で、苗字を源とか平にしてしまう馬鹿はいなかったってこと。
0176人間七七四年
2007/11/14(水) 12:26:47ID:QILSAwKQ家康とかね。
0177人間七七四年
2007/11/14(水) 14:41:40ID:wOrBq1iUむしろ本来はその方が正しい
本物ならねw
0178人間七七四年
2007/11/14(水) 15:02:26ID:1jkKsfv0本物の藤原北家の子孫で今も苗字が藤原っていう家。
聞いたことないんだが。
0179人間七七四年
2007/11/14(水) 15:12:14ID:jfq1hIvC豊臣秀義
0180人間七七四年
2007/11/14(水) 16:18:27ID:wOrBq1iU明治に長者を選出して本姓名乗ればよかったのに
実際本物は消滅したも同然で偽者のみ存在するとは間抜けな状態だな
0181奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2007/11/15(木) 00:18:32ID:Uq/BUmGZ惜しいのは養子入りまくりで男系で繋がってない点。
0183奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2007/11/15(木) 23:29:25ID:Uq/BUmGZ>>182
近衛は不要な養子を迎えた残念な家だよね。ほっとけば皇族に準じられたのに。
0184人間七七四年
2007/11/20(火) 20:52:51ID:wSP4Sk0g足利義満の前の源氏長者に北畠親房がいたことを忘れるな
0185人間七七四年
2007/11/21(水) 16:59:21ID:X6zk0H/1近衛家は関して言えば
藤原道長の男系の直系の血が絶えたことが
一番残念だ
0186人間七七四年
2007/11/21(水) 17:12:38ID:j8xlDmhQ鎌倉源氏といわれるほどだからね。
強いて言うと頼朝の末子とする忠頼(だっけ?)は
京都(公家?)に土着し本堂氏と名乗ったそうな。
ちなみに孫の公暁の母は賀茂重長の娘(ここらに松平繋がり?)。
0187人間七七四年
2007/11/21(水) 17:16:25ID:j8xlDmhQもちろん母親は伊東氏らしい。
0188人間七七四年
2007/11/22(木) 10:10:24ID:ynv0scQK“近くで天皇を衛る”なんて
さすが公家筆頭
0191人間七七四年
2007/11/22(木) 15:04:20ID:cMQZ+uwL0192清和源氏信者
2007/11/22(木) 15:25:22ID:cMQZ+uwL0193人間七七四年
2007/11/22(木) 16:26:31ID:sH44+Ksg0194たられば君
2007/11/22(木) 18:04:24ID:kqfrWrAh0195人間七七四年
2007/11/22(木) 18:21:18ID:cMQZ+uwL0196人間七七四年
2007/11/22(木) 22:30:59ID:qGixxrZV0197人間七七四年
2007/11/22(木) 22:47:16ID:cMQZ+uwL0198人間七七四年
2007/11/23(金) 21:02:08ID:IESkLVph0199人間七七四年
2007/11/26(月) 11:06:56ID:6qSLUhxHつーか長男の家系=嫡流じゃないだろ、そもそも。
0200人間七七四年
2007/11/26(月) 13:01:37ID:FaSpgRON0201摂津源氏信者
2007/11/26(月) 16:17:00ID:uAj1YTiQ0202人間七七四年
2007/11/26(月) 16:48:05ID:6qSLUhxHもはやどれが嫡男の系統と呼べるのか・・・・
頼光流と頼信流はもう別の氏族みたいなもんでしょ、
平安末期になると。
単純にどっちが嫡流とか言えないんじゃないすか?
0203摂津源氏信者
2007/11/27(火) 05:05:44ID:qlFJh0sN0204たられば君
2007/11/27(火) 08:15:43ID:Npcay9oI伊勢平氏ではあまり揉めなかったところを見ると、惣領制が興ったのは
西国のほうが早かったのでは。
0205太公望
2007/11/27(火) 09:15:42ID:n5JsSevg0206人間七七四年
2007/11/27(火) 12:01:19ID:2wCHFU50維衡−正度−正衡の系統以外は中央政界で生き残れず、嫡流に従属するしかなかったから
そもそも争いが起きようがない。
源氏のほうは庶流も受領階級ぐらいの地位は保持しててそれなりに力があったから
争いが絶えなかったんだろう。
0207人間七七四年
2007/11/28(水) 09:45:12ID:jgkg7lfahttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/hondo_k.html
出自ほぼ不明らしいけど・・
0208人間七七四年
2007/11/28(水) 10:53:09ID:XqVrI/WY偽物の多田氏なら甲斐武田家にいたが
摂津源氏にこだわるなら太田氏が嫡流だろ
0209人間七七四年
2007/11/28(水) 10:58:59ID:DXlbJLyZ0210たられば君
2007/11/28(水) 16:11:53ID:ThofYy8+みんな法体だけど
0211人間七七四年
2007/11/28(水) 16:38:01ID:2HfcWzJW0212人間七七四年
2007/12/01(土) 23:50:27ID:pv5H3zsZ直系の子孫が神奈川県在住。
0213摂津源氏信者
2007/12/03(月) 15:38:44ID:3FlGqTIG0214人間七七四年
2007/12/03(月) 16:49:03ID:5lrsX0nR俺が摂津源氏の嫡流だったのか・・・今まで知らなかった。
ありがとう。今から先祖のこと調べてみるわ。
0215人間七七四年
2007/12/04(火) 17:00:47ID:OnyEdtyP直系って誰から数えて言ってんだ?
0216人間七七四年
2007/12/04(火) 17:47:31ID:fb5gymWn0217たられば君
2007/12/04(火) 18:33:08ID:BmT72pzK0218奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2007/12/04(火) 23:01:10ID:Rkmav0s+0219人間七七四年
2007/12/05(水) 01:53:34ID:5Q6P09XIなら足利に近い血筋の者がベストじゃないのかな
0220奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2007/12/05(水) 23:56:05ID:8BHc4u5G0221人間七七四年
2007/12/06(木) 12:21:47ID:apxup+MXその次が今川。
0222人間七七四年
2007/12/06(木) 12:45:16ID:XRSAw0PR久我氏じゃないか
0223人間七七四年
2008/01/02(水) 03:01:38ID:6UPAPqvVそれは今川が意図的に流した噂話
足利将軍家>将軍家連枝○○公方>斯波氏>渋川氏
が実際
渋川氏は斯波氏を継いだことがあるし
斯波氏は鞍谷公方を継いだことがある
将軍家を継ぐのは、まず尊氏以降の連枝だと思う
0224人間七七四年
2008/01/03(木) 04:24:21ID:EsEhYsTTうちの母は四国の真ん中辺りに代々住んでいて
“多田”を名乗っている。
関西に嫁に行くと決まった時、じーさまに
「兵庫に祖の氏神様が奉られているからお参りするように」
と言われたそうだ(多田神社・摂津源氏)
田舎の田舎で代々そこに住んでいて
祖は兵庫に奉られてると伝えられたのに驚いた。
あと多田神社の周りに多田姓を名乗る人は多いが
土地が“多田”とついているからそこから頂いたという人も多い。
名前だけで調べるのは限度があるよ。
0225人間七七四年
2008/01/03(木) 22:02:13ID:O5dyDYxrでも四国阿波国には確かに南北朝頃から摂津源氏多田氏の一族
がいたようだね。今でも香川、徳島あたりは多田姓が多いらしい。
0226人間七七四年
2008/01/05(土) 22:06:24ID:73c1Snc7頼朝の弟である阿野全成(義経の同母兄)は北条政子の妹を嫁にとった。最も将軍家に近い家系と言える
0227人間七七四年
2008/01/05(土) 22:08:09ID:73c1Snc70228人間七七四年
2008/01/05(土) 23:32:15ID:IWbELxJC0229人間七七四年
2008/01/06(日) 00:05:18ID:4eN6EQmY女系で公家になった藤原系阿野氏ならいたけど
0230人間七七四年
2008/01/06(日) 01:02:36ID:hr9QPpst1400年前後の、どこが早い時期なんだよw
0231人間七七四年
2008/01/06(日) 01:45:44ID:Wl1RS6hy御旗楯無も御照覧あれ
0232人間七七四年
2008/01/08(火) 19:55:43ID:rjfGkzE20233人間七七四年
2008/01/09(水) 01:38:42ID:SCtFKaA/終了終了。
0234人間七七四年
2008/01/09(水) 11:46:15ID:nwn8PAZe責任持って証明をよろしく
0235人間七七四年
2008/01/09(水) 12:42:25ID:G9mKY/qV阿野氏とか雑魚もいいとこ
0236人間七七四年
2008/01/11(金) 22:04:47ID:Uuet48PB0237人間七七四年
2008/01/18(金) 08:40:19ID:4kzwLn+B0238人間七七四年
2008/01/18(金) 15:29:13ID:oPymbb8w「我が家中には副将軍が4人いる」
とかなんとか言った逸話があったな。
小早川と吉見はわかるがあとが思い出せない。
0239人間七七四年
2008/01/18(金) 19:11:29ID:lCY9eMym0240奇矯屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ
2008/01/20(日) 10:04:49ID:dR+N0JwU副将軍かどうかはともかく前に調べたやつ。
出羽隆綱 →佐々木高綱(先鋒)
熊谷信直 →熊谷直実(先鋒)
吉見広頼 →源範頼(頼朝舎弟・次鋒)
天野隆重 →源全成(頼朝舎弟・次鋒)
宍戸隆家 →八田知家(なりすまし頼朝舎弟・衛軍)
小早川隆景→土肥実平(脇大将)
こんなとこ。スレ違いだな。
0241匿名
2008/02/23(土) 17:39:28ID:hJRonJg4北朝は認めないが、今更、南朝後胤を擁立する気もない。
天皇家は、明仁様で不満もない。
岩松など新田の支流。
新田家嫡流は、南朝を正当とし、故義貞の教えを守っている。
新田家嫡流家の総意である。
家訓である。
0242人間七七四年
2008/04/03(木) 03:16:03ID:Smv7ZMQ00243人間七七四年
2008/05/24(土) 18:03:00ID:1CMd9nJGんで清光の子供が常陸に行って、佐竹の祖となったと調べたらわかった。
0244人間七七四年
2008/05/30(金) 19:51:09ID:LwoCSQAr0245人間七七四年
2008/05/30(金) 19:52:14ID:LwoCSQAr0246人間七七四年
2008/05/30(金) 19:54:23ID:VC2gz8GV0247人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 07:29:32ID:Xsm7lZ/r公家社会では官位がステータスシンボルであり、源氏長者は基本的に最高の官位をもつ源姓の者がなる
源氏長者でさえ、嵯峨・村上の間で変更したし、
南北朝時代には村上源氏嫡流と看做されていなかった北畠氏がなっている
その後は足利氏や徳川氏に移っていったのを見ても分かる通り、
源氏長者は源姓であれば血統は割とどうでも良いわけだな
そして「源氏の嫡流」には大体3つの考え方がある。それぞれ対照の範囲が大きく異なる。
どの線で考えていくかで各々の認識に大きな違いが出てくる。
1・皇別氏族としての源氏全般の嫡流(源氏長者&淳和院奨学院両別当)
2・中でも清和源氏の嫡流
3・とりわけ河内源氏の嫡流
2・3は平安時代からほぼ同一視されてるだろう。清和源氏の嫡流=河内源氏の嫡流でおk
(摂津源氏は多田を相続したが、その後は嫡流としてどれだけ看做されただろうか?)
そしてその後、源家将軍が絶えた後は、御門葉最大勢力の足利氏だろう
足利義満が1を満たしたことで、あたかも1〜3の嫡流が全て一本化されてしまった感があるが、
義満以降の歴代将軍は1・2・3を兼ねていただけ(義尚など例外はある)で、厳密には一本化したわけではない
1573年に室町幕府が滅亡したとされるが、それまでは足利将軍家が1〜3を兼ねていたで問題ないだろう
日本中の大名が建前上は将軍の家臣筋だったわけだしさ
京を追われてからも義昭は位階などを取り上げられてないし、また幕府滅亡後に「源氏の嫡流」を名乗った家もないようだ
だから1588年に辞官するまでは足利義昭が1・2・3を兼ねた嫡流だったと考えられないだろうか?
その翌年あたりに源姓に改姓した徳川家が以後は2・3、後に1も兼ねた嫡流だったかもね
0248人間七七四年
2008/07/09(水) 15:44:14ID:0wuS8Y3y義昭以降は、 古川公方の喜連川足利家が嫡流と認められてるのでは?
0249人間七七四年
2008/09/20(土) 08:18:25ID:nd6LbMNR0250人間七七四年
2008/10/12(日) 23:06:37ID:E36TiQ8g信長「寺燃えす」
0251人間七七四年
2008/10/13(月) 09:12:47ID:wMnspnbc逸見氏は甲斐源氏嫡流の家柄ながら、武田氏(若狭、甲斐、安芸)の家臣だから、ややこしいんだよな。
0252人間七七四年
2008/10/13(月) 10:17:45ID:lnlCbmnV北條や千葉、熊谷は言うに及ばず伊勢も疑問だらけだし
0253人間七七四年
2008/10/13(月) 10:20:17ID:bGjIY5vA0254人間七七四年
2008/10/13(月) 10:44:16ID:lnlCbmnVそれは論外
0255たられば君
2008/10/13(月) 12:12:16ID:fDEDudjkダメかなあ。
0256人間七七四年
2008/10/13(月) 12:44:57ID:AsXnkRaeもしあったら伊東、立花あたりか?
0257人間七七四年
2008/10/13(月) 13:00:06ID:l5uOW6lW0258人間七七四年
2008/10/13(月) 13:13:04ID:AsXnkRae>>257
長尾は確かに平氏だが上杉の名跡を継いだ時点で藤原氏になる。
0259人間七七四年
2008/10/13(月) 13:43:53ID:2WMdEHD1・
・
足利
・
・
斯波
・
・
長男、大崎
次男、最上
0260人間七七四年
2008/10/13(月) 14:43:49ID:2WMdEHD10261人間七七四年
2008/10/13(月) 17:14:15ID:8CfYEAOK宝賀みたいな古代豪族オタは、なんでも古代豪族認定したがるけど
0262人間七七四年
2008/10/13(月) 19:14:09ID:COY0OLKm0263人間七七四年
2008/10/13(月) 20:37:55ID:HYzG7PCI0264人間七七四年
2008/10/13(月) 20:47:18ID:EBtAFFlF武家藤原氏の嫡流はやはり藤原秀郷の系統だろうね
つまり小山氏・結城氏
0265人間七七四年
2008/10/13(月) 20:56:12ID:lnlCbmnV全部仮冒だね。
武家平氏でまともなとこがほぼ無いから出自不詳の関東豪族主体の諸蕃氏族と考えればちょうどいい。
そうすれば血筋なんて意味が無くなるから最大勢力=嫡流で執権北條→伊勢→後北條→織田が妥当か。
正統な平氏なら大掾か。
>>256
仮冒だよ。
挙げるとしたら吉井松平だけど血筋は代わってるんだよな。
>>257-258
上杉の称藤氏と長尾の称平氏は共に仮冒。
>>261
城と大掾はいいと思う。
それまで隆盛を誇っていた豪族がある時期を境になんの前触れも無く急速に姿を消したのをどう説明する?
なんでもかんでも貴種に従うなら織田信長、羽柴秀吉、徳川家康はいづれも歴史の表舞台に立たなかったよ。
>>262
紀氏はわりと多いよ。
0266人間七七四年
2008/10/13(月) 20:57:37ID:lnlCbmnVご冗談を。
0267人間七七四年
2008/10/13(月) 23:02:22ID:e1xplBiQ小野氏の末裔だと武蔵七党の横山党・猪俣党の末裔の成田・横瀬(由良)・中条・猪俣・藤田
出雲の神西氏、佐渡の本間氏等・・・あと飛騨の内ヶ島氏が横山党の末裔とも言われているw
まあはっきりしないのが多い上に、横瀬氏は源姓を名乗ったりしてるし
仮冒するほどの価値はなかった模様
0268人間七七四年
2008/10/13(月) 23:57:09ID:EBtAFFlFえっと何でかな?秀郷流で良いと思うけど
0269人間七七四年
2008/10/14(火) 02:51:01ID:Jexik8IU称秀郷後裔諸氏で秀郷に繋がる確かな家が無い上に、秀郷自体が藤氏なのか非常に疑わしい。
利仁流も似たようなもの。
0270人間七七四年
2008/10/14(火) 07:33:30ID:P4vG4vK/>称秀郷後裔諸氏で秀郷に繋がる確かな家が無い上に
おいおい小山、結城でさえ「秀郷に繋がる確かな家」には入らないのか?
「結城系図」は秀郷流諸氏が残した系図中では、もっとも充実したものなのだが。
>秀郷自体が藤氏なのか非常に疑わしい
秀郷の父、村雄は従五位下に叙爵されているところからみて藤氏とみることに矛盾は無いだろう。
もし仮に仮冒であったとしても、その子孫は代々鎮守府将軍に任じられたりしているので、中央では藤氏として扱われていたということになる。
現に永承2年、藤氏長者の藤原頼通が興福寺修復のために全国の藤氏諸大夫に寄進を要請した際、
秀郷後裔の陸奥・経清が寄進をしている史料が残っている。
又、矛盾と述べたがその矛盾と言えば、清和源氏二代満仲は初代経基の子とするには矛盾があることになってしまう。
そうすると、足利であろうが、武田であろうが、佐竹であろうが「仮冒」ということになってしまうよ。
0271たられば君
2008/10/14(火) 09:32:23ID:VPHPTUtl貞純親王の子が経基、元平親王の子が満仲みたいな感じで。
嫡流の印象は男系と母方の貴種性に振り回されるから
平直方の婿に始まり藤姓上杉が継承した佐竹氏ではピンと来ないね
0272人間七七四年
2008/10/14(火) 10:35:58ID:TkFjPKn9・高棟王流:西洞院家
・坂東平氏:千葉氏
・伊勢平氏:伊勢氏
・貞盛直系(1):熊谷氏
・貞盛直系(2):大掾氏
その他:北条氏、三浦氏、城氏、上総氏・・・
0273人間七七四年
2008/10/14(火) 17:40:58ID:TkFjPKn9・河内源氏(清和源氏嫡流):足利氏
・摂津源氏:太田氏
・大和源氏:宇野氏
・甲斐源氏:逸見氏、武田氏
・信濃源氏:井上氏、村上氏
・美濃源氏:土岐氏
・義朝子孫:吉見氏、阿野氏
・その他:新田氏、石川氏、下間氏、大河内氏
0274人間七七四年
2008/10/15(水) 11:55:09ID:Z/yf6IGcうん。
頼朝後裔の源氏を称した時点で秀郷流嫡流を放棄してるわけで。
秀郷については豊沢と藤成に違和感があり系図上の位置付けが不明。
子孫云々〜藤氏として扱われていたことについては、徳川がまさにそのケースだね。
満仲については、資料に残りやすい中央に近い点で秀郷より信憑性が高いと言える。
個人的には秀郷流が藤氏を称するのは氏姓の歴史から見て問題無いと思うが、
武家藤氏の嫡流というなら明確な藤氏から武家になった家が選ばれるべきと思う。
0275人間七七四年
2008/10/15(水) 12:26:03ID:5jT3MEbF0276人間七七四年
2008/10/15(水) 12:58:26ID:Z/yf6IGcどうせ仮冒するなら途絶えたとこの方がロマンがある。
0277人間七七四年
2008/10/15(水) 23:26:22ID:76NjtFp/武家藤原氏の嫡流はやはり小山・結城氏だろうか。また系図のはっきりしてる所では伊予の西園寺氏など
その他、上杉氏、伊達氏・・・
0278人間七七四年
2008/10/15(水) 23:51:46ID:ogDM2aVa土佐一条か伊予西園寺か播磨の下冷泉か
この面子だと武家藤氏の嫡流というよりただ地方に避難してる公家という感じがする
まあ仮冒でも武士団の棟梁筋と呼べそうなのは
北家秀郷流:小山・結城氏
北家勧修寺流:上杉氏 だよなあやっぱり
大内、陶氏滅亡後の多々良氏嫡流ってどこになるんだろう?
0280人間七七四年
2008/10/16(木) 01:13:13ID:NDbnEnAh0281人間七七四年
2008/10/16(木) 01:27:59ID:kVahL7cZ0282人間七七四年
2008/10/16(木) 03:22:30ID:NDbnEnAh武門橘氏も誰か頼む・・・
0283人間七七四年
2008/10/16(木) 18:00:27ID:x5z5hiWNやはり山口氏でしょう。祖を大内義弘とし、江戸時代には牛久藩主、維新まで男系を維持できてるよ
もしかするとこの山口家は傍流で嫡流の山口家というのがあるかもしれんが
0285人間七七四年
2008/10/16(木) 21:59:34ID:XSmbVASx武家の最上位に就いた点では摂家将軍を輩出した九条はどうかな。名目だけだけど。
あと人臣最高位の点で一条か。
両家は嫡流を争ってたし、仮に片方を嫡流とするともう片方は分家になって二重でウマー。
0286人間七七四年
2008/10/16(木) 22:14:55ID:ceQNs/Da小鹿島氏は公頼流じゃなかったっけ?
0287人間七七四年
2008/10/16(木) 23:56:21ID:fEgGLXGz0288人間七七四年
2008/10/17(金) 00:13:11ID:anJq4RTL・伊勢氏
清盛を代表とする平家は伊勢平氏であるが、平家は平氏の中の血筋では傍流に過ぎないという説がある。
しかし高望の子維衝から代々平氏最大の勢力を誇り、清盛まで至って大臣にまでなった。
その意味で嫡流だという説も根強い。そして平家滅亡後最も有力な伊勢平氏の家が伊勢氏
頼朝の系統が滅亡した後、源氏嫡流が足利氏に移ったという考え方と同じである。
また伊勢氏は室町幕府で将軍に礼儀作法を教示するという名門であった
0290人間七七四年
2008/10/17(金) 00:20:03ID:anJq4RTL貞盛の本領と役職を継承したのは貞盛の甥繁盛を祖とする大掾氏である。それをもって平氏嫡流とする説は根強い
しかし繁盛は貞盛の養子であり、嫡男であったかどうかは疑問が残る。
さらに嫡流は本領を継ぐものという考え方では源氏嫡流は石川氏だという説まで登場してしまう
0291人間七七四年
2008/10/17(金) 00:30:09ID:anJq4RTL×高望の子維衝
○貞盛の子維衝
・熊谷氏
貞盛の子維将の家系である。貞盛の養子の繁盛、四男の維衝に対して維将は次男。(長男は夭折したと思われる)
長幼の序で言えば維将流こそ平氏嫡流と言える。
また同じ維将流を称した北条氏の系図に不明な点が多いのに比べ、熊谷氏ははっきりしている
そして戦国時代、江戸時代も活躍し滅亡することなく乗り切った
問題点は官位がさほど高くない所、勢力が大きくなかったという点である
0292奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/10/18(土) 13:22:33ID:vwKhR0/K父の名さえ確定しにくい時政が直実の従兄弟かハトコに設定されてるし。
0293人間七七四年
2008/10/18(土) 20:35:55ID:W4phmkX5維将→熊谷氏
維衝→伊勢氏
繁盛→大掾氏
維茂→城氏
0294奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/10/18(土) 20:51:07ID:vwKhR0/Kとりあえず常陸大掾家や十五郎は除外だな。
0295人間七七四年
2008/10/18(土) 22:16:24ID:W4phmkX50296奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/10/18(土) 22:19:48ID:vwKhR0/K0297人間七七四年
2008/10/18(土) 23:29:48ID:W4phmkX50298人間七七四年
2008/10/19(日) 15:09:16ID:qKqhv5+60299人間七七四年
2008/10/20(月) 10:43:03ID:7AGVM/S7なんていう人がいるが、どうなんだろう?
貞盛の子のうち、最も栄えたのは維衝。ここから伊勢平氏の流れになっていくが、代々当主の官位もはっきりしており、桓武平氏の中で最も栄えている。
清盛の代でいきなり出てきた家ではなく、先祖代々勢力があった。
また坂東の平氏が悉く清和源氏の勢力下に置かれる中で、それを潔しとせず独立できていたのが伊勢平氏であり平家
因みに貞盛が将門討伐の功として朝廷から賜った「小烏丸」は平家に伝えられたという
平家はやはり桓武平氏嫡流だったのではと思うが如何か・・・
0300奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/10/20(月) 23:41:57ID:J/+BsQpG0301人間七七四年
2008/10/21(火) 02:56:58ID:Ec9LxOGq仮冒を含めても良いのかどうかで、見解は大きく別れるわな
0302人間七七四年
2008/10/21(火) 09:29:42ID:vlVmFiCg徳川にしても朝廷から源氏と認められてるから血筋が怪しいだけで源氏なのは確実だし、
他の仮冒とみられる諸氏も任官の際は氏姓を名乗るわけで、
朝廷の帳簿に載る以上はいちおう認められているわけだ。
それこそ執権北条発行の公文書なんて署名は「官位(位階)平朝臣」でほぼ統一されてて、
名字の北条や諱が書かれるなんて稀だしな。
仮冒かどうかの判断は人によるから、もし仮冒がダメなら俺基準だと桓武平氏はほぼ全滅だし、
ちゃんと任官しているのならなんでもありでいいかなとも思い始めてる…。
0303人間七七四年
2008/10/21(火) 09:56:47ID:mPIV4Dgs摂津源氏→河内源氏→鎌倉将軍家→足利家→平島公方家
平氏嫡流の流れ
貞盛→伊勢平氏→平家→伊勢氏
0304人間七七四年
2008/10/21(火) 20:33:10ID:KaLTOWUa0305人間七七四年
2008/10/21(火) 20:58:39ID:vlVmFiCgちゃうちゃう嫡流ちゃう
0307奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/10/21(火) 23:14:13ID:aTUP6Kcr0308人間七七四年
2008/10/21(火) 23:50:36ID:mPIV4Dgs源氏において鎌倉将軍家滅亡後に足利家に嫡流が移ったように、
平家から嫡流は伊勢平氏で最も名門である伊勢氏に移ったと考えるのが妥当
室町幕府のみならず徳川幕府でも故実家として名門だったし
とりあえず伊勢氏が伊勢平氏嫡流だったのは確実
0309奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/10/21(火) 23:52:47ID:aTUP6Kcr0310人間七七四年
2008/10/22(水) 01:32:55ID:3tsfE4vf0311人間七七四年
2008/10/22(水) 05:46:48ID:uv51fFlY義国足利 柴田勝家
義国新田 徳川家康
義光甲斐 香宗我部親泰
義光信濃 三好長慶
頼光摂津 北条綱成
頼光美濃 明智光秀
桓武平氏 織田信長
北家秀郷 蒲生氏郷
北家利仁 斎藤道三
南家為憲 吉川元春
菅原氏 前田利家
在原氏 長野業正
なんだかそうそうたるメンツだなw
まともなのが一人もいないww
0312人間七七四年
2008/10/22(水) 21:48:16ID:MmkwKMmu桓武平氏嫡流として伊勢氏のネックとなる部分は鎌倉時代以前の動向が明らかじゃない事なんだよな
日本各地のあらゆる名家が源平合戦に参加してるのに、伊勢氏の活躍ぶりが分からない
記録が残ってるのかもしれないが
0313人間七七四年
2008/10/22(水) 22:13:38ID:MmkwKMmuまた戦国時代、江戸時代も名門として存続した
源平合戦でも熊谷直実が活躍。子孫のうち最も栄えたのが安芸熊谷氏。毛利家家臣としてこれまた活躍
因みにHARIMAYAの武家家伝では熊谷氏が北条氏族となっているが、これは完全な誤り
平直方も北条直方になってしまっている
0314奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/10/22(水) 22:37:20ID:HST8yi+L0315人間七七四年
2008/10/22(水) 22:41:27ID:uv51fFlY言ってること矛盾してるよ。
鎌倉以前の動向が明らかでないんならそもそも本当に平氏なのかわからないよ。
0316人間七七四年
2008/10/22(水) 23:02:43ID:MmkwKMmuう〜ん。確かにそうかもね。書き込みした後「伊勢貞継」で検索してみたら・・・
そもそも、いつから足利家に仕えたかも分からないらしい。
幕府での名門っていう待遇と系図を見ただけで伊勢平氏嫡流なんて言ってしまったが、まだ断定は早そうだ
因みに同じ伊勢平氏の関氏なら源平合戦からの動向がはっきりしてる
0317人間七七四年
2008/10/22(水) 23:11:37ID:MmkwKMmu光盛の出家後は没落したに等しいありさまだけど。
0318人間七七四年
2008/10/23(木) 01:04:15ID:eNSHfyDF0319人間七七四年
2008/10/24(金) 08:48:20ID:hDGJkLzSおそらく麻生太郎も源氏なんでしょう。小池百合子や石場茂るや石原信照も源氏。
先代の小泉安部福田も源氏。
今度の総選挙如何によっては小沢一郎が新たに奥州源氏の末裔であることが判明するかもしれない。
俺の先祖は紀伊の漁村に居て、代々漁師か海賊をやってたそうですが
もし俺が立身出世したら、実家の物置から突如ぼろぼろの巻物が見つかって
そこには清和天皇を筆頭とする先祖代々の系図が、、、
0320人間七七四年
2008/10/24(金) 09:56:39ID:VVM5boG70321人間七七四年
2008/10/24(金) 11:16:46ID:mPyIjgme0322人間七七四年
2008/10/24(金) 15:47:04ID:75kn65hcそもそも源氏長者は清和源氏と限らんでしょ
でも戦国時代は一応足利だろそんで義明がゴネてるけど一応義明でそのあと家康だろ
清和源氏の嫡流だって頼朝の家系より多田源氏の方が嫡流とか言うのと違うだろな
ようわ>>319だろ俺が天下取ったら俺が源氏の嫡流なわけ
実際多田源氏の子孫だし
>>319が天下取って源氏と名乗ったら彼が源氏の嫡流よ
0323人間七七四年
2008/10/24(金) 19:23:09ID:PCxE21rO0324人間七七四年
2008/10/24(金) 19:38:30ID:QMY4MUJd源氏嫡流は江戸時代になっても足利だよ
0325人間七七四年
2008/10/24(金) 19:51:32ID:cZjiPFPC鎌倉 : 小鹿島
南北朝
〜
戦国 : 楠木
戦国
〜
江戸 : 甲斐荘
0326人間七七四年
2008/10/24(金) 21:26:41ID:QMY4MUJd桓武平氏嫡流:熊谷家
藤原氏嫡流:九条家(五摂家筆頭の近衛家は藤原氏の男系でない)
0327人間七七四年
2008/10/24(金) 22:59:41ID:RpLUrAiA>>322
kwsk
0328尼子
2008/10/24(金) 23:01:20ID:8OdvNnXZ0329人間七七四年
2008/10/25(土) 13:06:14ID:+ae3VZn6桓武平氏良文流:三浦和義
清和源氏義国流:畠山鈴香
藤原北家利仁流:加藤智大
0330人間七七四年
2008/10/27(月) 18:24:59ID:KQECeLqd0331人間七七四年
2008/10/29(水) 21:29:30ID:qR/LLkiP0332奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/10/29(水) 22:27:10ID:syg126jh0333人間七七四年
2008/10/30(木) 08:14:33ID:NN4MVlgj0334人間七七四年
2008/10/30(木) 09:17:35ID:sr4Kfdla分家の吉良や今川がその次、今川範政は征夷副将軍になったから足利一門
でも破格の立場。
足利将軍家>鎌倉公方の系統>吉良>今川>斯波・・・
これでいい気がする
吉見氏は最初ののりよりがそもそも庶子だから対象外。
0335人間七七四年
2008/10/30(木) 09:29:27ID:sr4Kfdla阿波忌部氏とかの子孫じゃねぇか?
0336人間七七四年
2008/10/30(木) 09:42:56ID:sr4Kfdla吾妻鏡にのってないみたいだから、鎌倉幕府から存在自体を
認められていないようだ
0337人間七七四年
2008/10/30(木) 09:45:45ID:sr4Kfdla父は目黒祐樹、母は江夏夕子、伯父は松方弘樹と共に俳優という
芸能一家の長女として誕生した。
母方祖父方曽祖父は市川松蔦二世、大伯父は市川門之助、父方祖父は近衛十四郎(1977年没)、祖母は水川八重子、従兄は目黒大樹、従弟は仁科克基、
十枝真沙史、従妹は仁科仁美である。
またえらい名前に変更しましたな。
目立つ。近衛って。
父方祖父は近衛十四郎の近衛を引き継ぎましたか?
0338人間七七四年
2008/10/30(木) 10:35:01ID:sr4Kfdla徳川は足利の分家の分家のまた分家。
将軍になったから皆が従ってただけ。
将軍であり、源氏長者であっても嫡流ではない。
0339人間七七四年
2008/10/30(木) 10:36:15ID:sr4Kfdla0340人間七七四年
2008/10/30(木) 12:30:29ID:gxLvvsSM0341人間七七四年
2008/10/31(金) 10:51:10ID:W7Q+Wwzzぷらっとはまず桓武平氏高望流の嫡流がどこなのか明示しなさい
0343人間七七四年
2008/10/31(金) 13:30:53ID:PayfnYFJ0344人間七七四年
2008/10/31(金) 13:47:28ID:LPMK3Amf意味がわからん。
戦国大名の子孫が持つ家柄は使い道があまりなさそう。
現代の政治家が持つ格式は実生活上使えそう。
ただそんだけ。
0345人間七七四年
2008/10/31(金) 16:42:53ID:Ey5hEXOz安部は平知貞の系譜だから平氏
福田よくわからん
0346人間七七四年
2008/10/31(金) 17:17:04ID:W7Q+Wwzzで、その限りなく正解に近いものはどこなんだよ
0347人間七七四年
2008/10/31(金) 17:47:16ID:WV+DuLbC四つくらいのページを見ただけでこれだけ異説があるよ
諸説全部集めようかと思ったがとても無理
1盛継━盛経━貞継━貞信━貞長━貞道━早雲
2盛継━盛経━貞継━貞信━貞長━貞行━貞経━貞国━貞藤━早雲
3盛継━頼継━貞信━貞行━貞国━早雲
4盛継━盛経━経久━盛久━盛綱━盛富━盛種━盛貞━早雲
5盛継━盛経━教経━経久━盛綱━盛貞━早雲
6盛継━盛富━盛種━盛貞━早雲
山城、備中、伊勢の違いなら当然の事だが、2と3、4から6みたいに同じ系統なのに盛継からわずか数代の人物がバラバラってどゆこと?
0348人間七七四年
2008/10/31(金) 17:58:40ID:WV+DuLbC0349人間七七四年
2008/10/31(金) 18:29:46ID:LwpsVdKn糞の価値並みに実利がないから無意味
実利がある家は規模の大小はあれど、細川氏みたいになってる
0350奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/01(土) 00:10:14ID:KmXQYI5I嫡流ってのは今までのこっている家で比較せにゃならんから答えは非常に出しにくい。
高望流で考えてみる。
諱で見れば高望の嫡子は国香以外に考えにくい。
国香の嫡子は貞盛、次点は繁盛以外に考えにくい。
(こいつらは曲りなりにも「将軍」だし)
ただ貞盛の跡は維叙ではない(父系で繋がらない養子)のでここは維衡でいい。
平安時代の諱は兄弟で共有するものだと思っている。
0351人間七七四年
2008/11/01(土) 00:11:23ID:Y7AG5DVQ現在は意味ないかと
0352人間七七四年
2008/11/01(土) 00:25:39ID:vVjRZPv9(嵯峨とか)他の流れまで含めちゃうと清和だけでもややこしいのに、さらに複雑になると思うんですが。
初歩的な疑問を投げ掛けてしまい申し訳ありません。
0353奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/01(土) 00:36:03ID:KmXQYI5I0354人間七七四年
2008/11/01(土) 03:03:10ID:KmR9w2KR足利義昭が、普通に嫡流じゃないの?
公家限定の源氏だったら久我家でしょ?
0355人間七七四年
2008/11/01(土) 06:47:45ID:HvGt0vS3質問が2つ
1、貞盛の後を次男の維将ではなく、四男の維衝とした理由は?
2、維衝が貞盛の嫡男だとして維衝流の嫡流はどこ?
0356人間七七四年
2008/11/01(土) 06:48:11ID:qLlFs+BC0357人間七七四年
2008/11/01(土) 10:32:01ID:jCIlDFcQ足利以外存在しないんだよ、清和源氏の嫡流は
0358人間七七四年
2008/11/01(土) 11:59:30ID:88akBdwbたぶんうちが嫡流で間違いないと思う。
0359人間七七四年
2008/11/01(土) 12:29:41ID:hskZrBHMてかお前の書き込みからはなんも判断できん
0360奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/02(日) 10:45:10ID:3MZdTp6L1.貞盛の子らは上野介常陸介を歴任しているけれど、孫のうち帯刀常陸介に任じられたのは
正度しかいないから。
2.↑の次の世代でいま悩んでる。
0361人間七七四年
2008/11/02(日) 10:59:20ID:1MxR2aRqどちらでも嫡流に近いとは思うが
嫡流ではないだろ
0362人間七七四年
2008/11/02(日) 23:56:20ID:ss+Twq58常陸介などという官位よりもっと位の高いもので考えたらどうだろうか?
維衡流が嫡流かどうかという事ではなく、下級の位を根拠に庶嫡を論じるのはどうかと。
貞盛の子らのうち、維将は肥後守という大国の国守に任じられている。
そして維将の子である維時も肥後守に任じられている
貞盛の四男維衡も伊勢守という大国の国守に任じられているが、これは手違いによるものであり、任官後2ヶ月後に解官されている
子孫が再び伊勢守に任じられているが。
家が勢力をもってくれば当然官位も高くなってくる訳だから、常陸介に任じられていなくても高い官位に任じられていれば何ら問題はないはず
貞盛ー維将ー維時という流れも嫡流と言えなくは無い。子孫の熊谷氏はそれほど栄え無かったが・・・
もちろん貞盛ー維衡ー正度という伊勢平氏の流れも嫡流の候補と言える
0363奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/02(日) 23:58:14ID:3MZdTp6L0364人間七七四年
2008/11/03(月) 01:55:14ID:SX1wceZZスマン勉強不足だった。
介だから次官で大した事ないと思い込んでいたが、親王任国の介は実質的国守で他国の国守と同列またはそれ以上の格があったんだね〜
まぁ「大国」の国守も結構な位ではあるけども・・・
0365人間七七四年
2008/11/03(月) 02:59:05ID:SX1wceZZ正度以降伊勢に勢力を持ったら常陸や上総などとは関係なくなってくるし
維衡流つまり伊勢平氏を桓武平氏の嫡流とするなら
貞盛ー維衡ー正度ー正衡ー正盛ー忠盛ー清盛
の「平家」が嫡流でいいだろう
で、源氏が頼信〜頼朝まで嫡流が続き、将軍家が三代で滅んだあと足利氏に嫡流が移行したように
平家滅亡後にどこの家に嫡流が移ったかというのが問題な訳だ。
伊勢氏、関氏、さらには頼盛の子孫などが候補
0366人間七七四年
2008/11/04(火) 00:53:15ID:gELDmnoh平家滅亡後に嫡流となったのは伊勢氏、関氏、長崎氏、池氏あたりが候補か。
維将流を嫡流とするなら熊谷氏で確定
庶流になるが坂東平氏の嫡流なら上総氏→千葉氏
0367人間七七四年
2008/11/04(火) 22:23:28ID:I0X2CAkz0368人間七七四年
2008/11/05(水) 01:18:48ID:QXyZDRro正度の子供達をあげると(官位と子孫も併記)
長男・維盛:駿河守、子孫不明
次男・貞季:駿河守、子孫に関氏、山木氏
三男・季衡:下総守、子孫に伊勢氏
四男・貞衡:左衛門尉、子孫に桑名氏、大和氏、杉原氏
五男・正衡:出羽守、子孫は平家
兄弟の官位の中で一番格上なのは大国の国守である下総守ではないだろうか
だからと言って季衡が正度の嫡男かどうかとはまた別の話
0369人間七七四年
2008/11/05(水) 01:26:55ID:QXyZDRro剛の者として有名であり、上総介や検非違使を歴任している
平忠常の反乱鎮圧を命じられるなど中央から平氏の棟梁として見なされていた可能性も否めない
0370人間七七四年
2008/11/06(木) 00:35:23ID:3m6rjyO30372人間七七四年
2008/11/06(木) 18:10:06ID:3m6rjyO30373奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/06(木) 22:27:03ID:9OWMa4Ul本来なら維盛だと思う。
上総介宗盛・信濃守帯刀長盛基の兄弟は名家の嫡子に申し分ない。
ただそのあとの磊落ぶりが激しすぎるからなあ・・・
近いものを探るために、まずここでは正衡にしておこうか。
0375人間七七四年
2008/11/07(金) 15:49:57ID:wQRPGcC+平氏の嫡流がどこかを考える上で正度の嫡男が誰かなんて全く無意味だろ
正衡―正盛―忠盛―清盛という平家への流れが実際には嫡流になった訳で。
源氏でも満仲の嫡男は頼光だが、源氏の嫡流になったのは頼信の系統である河内源氏だからな
考えるべきなのは平家滅亡後に嫡流がどこへ移ったかという事。
さんざん既出だが、鎌倉将軍家が三代で滅んだ後、足利家に嫡流が移ったように、こういう家が平氏ではどこになるのかというのが問題なんだよ
0376人間七七四年
2008/11/08(土) 11:23:24ID:StwVYddQどぞ!
↓↓↓↓↓↓↓↓
0378奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/08(土) 19:19:44ID:8AopE6ph血統的に近いから頼盛の家系でいかがかな。
0379人間七七四年
2008/11/08(土) 21:11:28ID:StwVYddQ分かっているならダラダラともったいぶらずに、本当のところ教えて下さいよ
0380奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/08(土) 21:16:44ID:8AopE6phダラダラと調べながらやってるから待ってよ。
0381人間七七四年
2008/11/09(日) 22:03:23ID:CBCGuO0t0382人間七七四年
2008/11/10(月) 11:30:58ID:P9N3pkOt1.熊谷氏
2.伊勢氏
3.関氏
4.大和氏
5.杉原氏
まぁ後はぷらっと次第
0383人間七七四年
2008/11/10(月) 11:55:28ID:s3lgWDij源氏の嫡流…
0384人間七七四年
2008/11/10(月) 13:07:52ID:pdHtHkYK八万太郎義家の流れ。
信長や家康みたいな、にわか武家とは格が違うわ
0385人間七七四年
2008/11/10(月) 15:18:01ID:D14bcbZXイタイイタイ病ですね?わかります。
0386人間七七四年
2008/11/10(月) 16:03:46ID:ce3Fqbo00387人間七七四年
2008/11/10(月) 16:53:09ID:D14bcbZX(自称)足利持氏後裔で血筋も現代まで男系で繋がってるからな。
0388人間七七四年
2008/11/10(月) 17:24:00ID:nrnPqJZ8武田が足利より格上だったことなんて、
義昭追放から武田滅亡までの数年しかなくね?
0389人間七七四年
2008/11/11(火) 00:55:49ID:ujQHNN9q0390人間七七四年
2008/11/11(火) 04:12:31ID:5rotz1gv0391人間七七四年
2008/11/11(火) 05:07:10ID:fkNdHPB50392人間七七四年
2008/11/11(火) 07:18:42ID:ifV6Ns6f銀座でお香の店をやってるらしいけど
0393人間七七四年
2008/11/11(火) 15:17:58ID:ZjjingG1は今西熊谷氏の系統
0394奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/11(火) 23:20:39ID:VxOT3ZMj平家滅亡後、最も栄えて今に続く確実な血統を考えるか。
定義ってのが難しい。
0395人間七七四年
2008/11/12(水) 00:08:30ID:sMl75ZSnじゃあ平家に一番近い現代まで続く家系と、最も栄えて今に続く家系をそれぞれ挙げてよ
0397人間七七四年
2008/11/12(水) 05:27:41ID:sMl75ZSn悪い悪い。ぷらっとの考えも聞こうと思っただけ
平家滅亡後に栄えた家で家系もしっかりしたところでは>>382
熊谷氏は維将流の嫡流、他の家はいずれも伊勢平氏嫡流に申し分ないのでは
平家に近い家系で言えば出自が確実なところは頼盛の家系。嫡流は光盛で断絶。
池氏が残っているが、戦国時代の動向は今のところ不明。←ここは調べる必要あり
清盛の子孫を称するところはどこも怪しい。平家嫡流を自称する栃木の伴家などは論外
0398人間七七四年
2008/11/12(水) 08:28:53ID:OzOSBNt1それか室町幕府政所執事伊勢氏(傍流に後北条氏あり)とか
戦国時代に最も家格が高かった平氏と認識されてる家ということで
0399人間七七四年
2008/11/12(水) 08:44:13ID:YOzLXvMg熊谷氏は平氏ではない可能性が
0401人間七七四年
2008/11/12(水) 11:28:46ID:sMl75ZSnソースは?ぐぐったけど見つからなかった
0403人間七七四年
2008/11/12(水) 14:10:57ID:BY3kUQVq0404人間七七四年
2008/11/12(水) 15:49:32ID:X7Z/4WTFパトロール隊に入ったんだからもう創価学会は関係ありません」が合い言葉のw
創価学会員が通り魔から子供を守るパトロールだといって集団でうろついてるんですが
創価学会員がいつカマを持った通り魔に変身しないかとかえって怖いんですけどwww
なんでも通行人をつかまえての誹謗中傷行為や人権侵害行為も
生活安全課の創価警官の●お願い●でやってあげてるんだとか言ってますけどwwwww
熊本隆談www
0406人間七七四年
2008/11/12(水) 21:46:39ID:sMl75ZSn源氏長者と清和源氏嫡流は全くの別物
0407人間七七四年
2008/11/12(水) 23:52:18ID:6pF5JibD両方ともまだうちの土地で町史にちゃんと記されている。
そのお城はいまもある。どうだすごいだろ。没落してっけど。。。
0408人間七七四年
2008/11/13(木) 00:43:32ID:ysJugEBi最近は小学生でも2ちゃんに書き込みするのか。
嫌な時代になったもんだ。。。
0409奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/13(木) 00:50:03ID:btiliOLuhttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/kuma_mt.html
>一説に、熊谷氏は宣化天皇を祖とする丹治姓・私市氏の後裔ともいい、直季の時に熊谷氏
>を名乗ったのだという。
ここだろうな。上殖葉皇子の丹党は講師を招いて勉強会を開きたいもんだ。
0410人間七七四年
2008/11/13(木) 23:30:18ID:hIqMPqUX>別説では宣化天皇を祖とする丹治性・私市氏の後裔とも言われている。
>先に私市直季が熊谷氏を名乗っており、その孫の熊谷直孝の後継として平氏の一門である平直貞が養子に迎えられ、
>それ以降、熊谷氏は平姓を称するようになったと言われている。
以上が熊谷氏が平氏の出じゃないなどというネタの原因だが、
平直方の子孫であるのは諸説で共通。桓武平氏維将流なのは間違いないな
0411奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/14(金) 00:14:35ID:DZiUk+9i平安時代は妻問婚だから、義兄弟が兄弟のようになってたりする。
熱田大宮司家が尾張氏から藤原氏になったようにさ。
兄弟通字に当てはまらない人物は養子や入婿を疑いたくなるんだよ。
0412人間七七四年
2008/11/14(金) 02:45:52ID:iHudjSKc・伊勢氏
・関氏
・杉原氏
・大和氏
の4氏が今のところ候補に挙がっている
0413人間七七四年
2008/11/14(金) 17:08:00ID:8ykNATa7>徳阿弥が新田義貞の子孫であるのは諸説で共通。清和源氏新田流なのは間違いないな
どうみても間違いだろうwwwww
0414人間七七四年
2008/11/14(金) 17:18:44ID:+5J9yxU9朝までデキル奴だけで【応仁の乱】【戦国時代】について語ろう
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1226649392/
0415人間七七四年
2008/11/15(土) 01:01:08ID:Xg7K6gUm蜷川氏が伊勢氏の初期の動向を伝えている。足利義兼の代から家臣であるらしい
0416人間七七四年
2008/11/15(土) 09:57:48ID:apvcA63L熊谷氏は平直方の子孫にしては弱小過ぎなのが気になる
0417人間七七四年
2008/11/15(土) 10:44:16ID:qysllS+vまぁ自称だし仕方ないよ。
0418人間七七四年
2008/11/15(土) 22:01:47ID:Z9Ox+ef50419人間七七四年
2008/11/15(土) 22:25:01ID:Z9Ox+ef50420人間七七四年
2008/11/16(日) 00:36:05ID:HJsImQf70421人間七七四年
2008/11/16(日) 00:58:27ID:yMuYI+Vuいない
が正しいだろ。怪しいのばっかだし。
0422人間七七四年
2008/11/16(日) 01:25:07ID:lkqveNOm太田は北面の武士が鎌倉へ出稼ぎに来て上司に仕えたもの。
上杉はもはや足利だろ
0423奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/16(日) 09:08:59ID:28AI/CTNなんせ「悪魔の証明」だもんなあ。
関氏について
・資盛流説はガン無視。盛国と実忠が資盛流なら世代数が合わない。
・山木兼隆分流だとすれば名乗りがおかしいうえ、誰だかわからない名前だけの叔父が出現。
・・・織田氏と同レベルだぞこれ
0424人間七七四年
2008/11/16(日) 09:19:37ID:HJsImQf70425奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/16(日) 09:40:57ID:28AI/CTN大和・杉原なら文句が言いにくいけれど、現代まで続いてたっけ。
0426人間七七四年
2008/11/16(日) 11:41:25ID:oz2Oe9Rp中枢部。今でいうと永田町みたいなとこか?
0427人間七七四年
2008/11/16(日) 12:23:53ID:yMuYI+Vu武家平氏に仮冒じゃないとこなんてないだろ
坂東平氏は最早言うに及ばず
0428人間七七四年
2008/11/16(日) 13:08:24ID:HJsImQf7>>415にある通り伊勢氏の初期の動向は蜷川氏により分かっている。
>>427
全然違う。伊勢氏と関氏は祖が異なる
0429人間七七四年
2008/11/16(日) 13:23:54ID:HJsImQf7嫡流は光盛で断絶したが、他の系統が池氏として存続、鎌倉時代は御家人になっている
しかし、ぐぐってみても池顕盛から先の系図が見つからない
あとWikipediaなので参考にはならないと思うが、「朽木氏」の項目に「桓武平氏の嫡流池氏」との文がある
0430人間七七四年
2008/11/17(月) 09:58:24ID:nReGdI0t0431人間七七四年
2008/11/17(月) 15:47:05ID:JAmbJ2ji今の価値観を物差しにあーだこーだ言っても仕方あるまい
当時にも嫡流か否かなんてのを確定させてステータスにする価値観あったわけ?
0432人間七七四年
2008/11/18(火) 22:36:04ID:HMPnKhsrあと池氏の分家なんかは無いのだろうか?
頼盛の家系について調べても八木氏は養子を迎えて血筋切れてるし、なかなか戦国まで続く家が見つからない。
0433人間七七四年
2008/11/19(水) 10:20:10ID:stJDCHbT清盛のほうが分家筋だってよ。
じゃ、北条や熊谷の方が嫡流なんじゃねぇの?
0434人間七七四年
2008/11/19(水) 11:11:11ID:vqij6pf20435奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/19(水) 23:18:21ID:BdvdbsQY検証してみてくれ。
0436奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/19(水) 23:23:01ID:BdvdbsQYhttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/s_yagi_k.html
辺境には期待したくなるが・・・
0437人間七七四年
2008/11/20(木) 06:53:29ID:aJS38MM+頼盛の子孫としての八木氏が盛定で断絶してるのはそのため。山名家から盛重を養子に迎えたが、この時点でもはや平氏ではないとも言える
そもそも薩摩八木氏が頼盛からの流れという事自体が自称の域を出ないし
0438人間七七四年
2008/11/20(木) 07:16:58ID:aJS38MM+検証の必要はあり
0439人間七七四年
2008/11/21(金) 14:31:53ID:XaVg5CI4桓武平氏嫡流:小谷家
0440人間七七四年
2008/11/22(土) 15:44:50ID:ztdEsjOu頼盛───保盛─┐
│
┌─────────┘
│僧都
├─心圓
│
│<初代>
└─頼晴──────┐
上神 │
左近将監政員│
┌─────────┘
│
└─某───────某───────某───────政有──────某─────┐
四郎 │
┌───────────────────────────────────────┘
│
└─某───────某───────則常──────某───────常儀────┐
権之進 丹和右京亮│
┌───────────────────────────────────────┘
│
└─某───────政貞──────某───────某───────某─────┐
四郎 │
┌───────────────────────────────────────┘
│
└─某───────某───────政鑁──────某───────某─────┐
小谷 │
┌───────────────────────────────────────┘
│
└─政種
甚八郎
0441人間七七四年
2008/11/22(土) 18:50:45ID:u4eRt8O00442人間七七四年
2008/11/22(土) 23:11:18ID:32DzPFPJ0443人間七七四年
2008/11/23(日) 00:12:55ID:i7/pYlCs>>436
光盛の下向記事は何に書いてあるのかね?
これだけじゃなんとも言えないけど、最低でも分脈にあるなら南北朝期までは信用出来そうに思う。
平氏の系図は源氏に比べて通字が綺麗に並んでることが多いけど、ちょうど戦国期に盛から信へ変わってるのが気になるね。
足利持氏━蔭山広氏━広親━広忠
の流れを連想した。
養子を迎えてるとか分家したとかでないとちょっと疑問だし、そうだとしてもどうかなと。
0444奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/23(日) 20:44:20ID:cgExIeURいや、オレも知識足らんのだからみんなで考えようよ。
>>443
下向したのは盛定とその婿の盛重の代になっているね。
盛定が庶子であっただろうとすれば問題ないのだろうけど、尊卑分脈にあっても
光盛が九州に地頭で下向したり受領したような記録もなければ、その子は
wikiですら男児が出家した一人くらいしか見当たらず、長盛だの宣盛だのと
諸説あって定まらないないような状態。
下段であなたが示したように養子だったり(盛重が山名氏だからここでの嫡流には失格?)
郎党による仮冒だったりするなら無理はないけれど、苦しいよなあ。
0445人間七七四年
2008/11/23(日) 22:27:30ID:9poudDcJ八木氏は頼盛の男系でないので問題外
鎌倉時代に御家人となった池氏だが顕盛の代に養子をとり男系断絶。分家などがあったかどうか検証必要
上神氏・小谷氏の系図で某が多いようだが、単に省略しただけで名前がしっかり載った家系図がある可能性もあり。
検証必要だが小谷家は現代まで続く名家である
0447443
2008/11/23(日) 23:06:04ID:i7/pYlCs下向記事は但馬へのです。
但馬、土佐、日向、薩摩と移動が多いから古い方から一つづつ精査してみれば…と思ったけど
息子の時点で怪しいなら仮冒認定でいいんじゃないかな…
>>445
某と省略することはまず無いです。
諱が伝わってない場合でも体裁を整えるために後付けしますから。
それに諱が伝わってない理由を考えたらやはり怪しくなりますし。
>>446
>>445ではないですが私は除外です。
0448人間七七四年
2008/11/23(日) 23:42:35ID:9poudDcJ当然外れる。嫡流は男系であるべき(佐竹氏が源氏の男系で続いていても到底嫡流とは呼べないが)
>>447
省略したというのは、ネット上の某HPでの系図の事
小谷家に伝わる家系図にはちゃんと歴代の名前が載っていると思われます
0449人間七七四年
2008/11/24(月) 00:14:37ID:xC2c3fx0長男:保盛ー頼清(政員)ー保清→上神氏・小谷氏
保盛ー保教→安村氏
次男:為盛ー家保ー家衡→鬼丸氏
三男:仲盛ー盛重ー盛順→財部氏
盛重ー重兼→下村氏
四男:知重→池氏・松尾氏
五男:光盛(嫡男)→男系は断絶
六男:隆弁
七男:保業ー光度→池氏
保業ー保定→潮崎氏
これらのうちいくつかの家系が現存。
また戦国時代に多く見られたような平家子孫を称した武士の家とは違い、
戦国武将としての行動を積極的に起こしていないのも興味深い点
0450人間七七四年
2008/11/24(月) 09:46:42ID:EE0EAyal某で省略するのがおかしいのは系図実物でもHPの写しでも同じことです。
諱で二文字と某で一文字の違いでは不正確にしてるだけで大した省略にはなってないし、
そもそも諱を略してるのに通称を記してますから全く省略になってませんしね。
略したいなら
政有━(三代略)━則常
こう書きますよ。
0451人間七七四年
2008/11/24(月) 15:57:31ID:dsZVZXdb違う違う。おかしいと言ってる部分が完全にズレてるよ
>>440は下のHPからのコピーなんだが専門家が運営している訳じゃないんだからつっこんでもしょうがないでしょ
http://www.geocities.jp/masa_tsujimoto/REKISHI/sensyu/meike/kotani.html
そこのサイトに載ってる系図もどこかのHPで載ってる系図か本で見た系図を元に作ったんだろう
政有━(三代略)━則常と参考にしたサイトではなっていても、個人のHPで、その人の嗜好で政有━某━某━某━則常とする事もある訳で。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/011/01105.htm
このサイトも参考にした可能性あるが、こっちでは某を使ってない。
そもそもの出典となる家系図が何なのか明記されてないんだから、小谷家に伝わるオリジナルを見て作った系図じゃないって事ですよ
0452人間七七四年
2008/11/24(月) 17:38:25ID:dbpYYhTp全然知らなかった
レベル違いすぎて書き込みできないよ…
0453人間七七四年
2008/11/24(月) 18:33:54ID:EE0EAyal把握
>>440がズレてるから自分で修正したんだが、通称がどうしても某の下に来ちゃったんだ。
とりあえず保留か。
>>452
素人がgdgdするスレだからいいんじゃまいか。
俺は佐竹の男系が途切れてるのは知ってるけど、名字が佐竹の人は義昭とK―1ファイターしか知らんもん。
0454人間七七四年
2008/11/24(月) 19:03:59ID:EE0EAyal則常と常儀の間は一代となっているが、則常の次が九代常信がおり、常儀は十一代目だから一代足りないか
http://www.sakai.zaq.ne.jp/yoshimi8839/page036.html
0455人間七七四年
2008/11/24(月) 20:34:06ID:xC2c3fx0小さな領主程度の存在で頼盛の子孫を称するメリットは無いと思うな
その点で小谷氏、財部氏、下村氏などが頼盛の子孫だというのはリアリティがある
0456奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/24(月) 21:38:58ID:GIXeCaAy┌保業┬保房─保長
│ └光度┬貞度
│ ┌保教└為度
頼盛┼保盛┼頼清─保清
├知重└光惟
├仲盛─貞成─貞親
├為盛─俊盛
├光盛┬長盛
├静遍└教性
└隆弁 参照:宮廷公家系図集覧(近藤敏喬編・東京堂出版)
※保業の系統は尊卑分脈に載っていないが存在が確認できるので記載。
※為盛は倶梨伽羅峠で討死しており、右兵衛佐でも嫡流からは一歩下がる。
頼盛のこの中で堂上公家は保盛(正三位)と光盛(従三位)だけ。
0457人間七七四年
2008/11/24(月) 21:54:01ID:xC2c3fx0俺は信用できると思うが。歴代の当主の名前がしっかり表記された系図が小谷家にあると思う
同様に財部氏や下村氏、安村氏も仮冒ではないのでは
0458奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/24(月) 22:14:08ID:GIXeCaAy>>449を引用してみるよ。
長男:保盛┬頼清(政員)ー保清→上神氏・小谷氏【期待・史料待ち】
: └保教→安村氏【たぶん絶望】
次男:為盛ー家保ー家衡→鬼丸氏【同上】
三男:仲盛ー盛重┬盛順→財部氏【ちょい期待】
: └重兼→下村氏【同上】
四男:知重→池氏・松尾氏【あえてパス】
五男:光盛(嫡男)→男系は断絶【そうだね】
六男:隆弁【坊主ガン無視】
七男:保業┬光度→池氏
: └保定→潮崎氏【とりあえずパス】
本居宣長は無視すべきだと思うんだ。所詮は自身の立身が基になってるから。
0459人間七七四年
2008/11/24(月) 23:34:56ID:xC2c3fx00461奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/25(火) 23:10:48ID:xA6IAR06まず頼盛の家系は清盛家が滅んでしまったら本宗に見られるようになるでしょ。
六波羅一門の系図を眺めていて、こういう仮説を立ててみた。
「盛」の字を下に持つ者>親の一字を持つ者>兄弟から字を譲られる者
└正嫡 └別家 └庶子
忠正は庶子、忠度は別家という考え方。
0462人間七七四年
2008/11/25(火) 23:20:13ID:r8E4+Udqどうせ平氏を仮冒するなら頼盛の方が本当っぽいのに
やっぱり本物の子孫がいると、系図の詐称はしづらいのかね
0463奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/25(火) 23:28:38ID:xA6IAR06平氏そのものが家格の低い出身なので仕方ないとはいえ西洞院ではないはず。
0464人間七七四年
2008/11/25(火) 23:56:16ID:NB2QEL/M0465奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/26(水) 00:02:41ID:7EuuJ9Xz0466人間七七四年
2008/11/26(水) 01:58:30ID:fWRInp/Iそりゃやっぱり幕府の故実を司った伊勢氏でしょ
でも新田に関して岩松氏ではなく横瀬氏を嫡流としたことを考えたら
徳川家が源氏長者であるように自称平資盛子孫の織田家を平氏長者にしたかもしれない
0467人間七七四年
2008/11/26(水) 15:06:16ID:3PI+T6Jd0468人間七七四年
2008/11/26(水) 19:40:56ID:fWRInp/I0469人間七七四年
2008/11/27(木) 23:48:02ID:ym0b5TeJ小谷家には鎌倉時代からの歴代当主の名を記した家系図が伝わってますし
0470奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/27(木) 23:53:17ID:zrioAXz80471人間七七四年
2008/11/28(金) 14:39:02ID:5k9awQGs西小谷家は資料館も併設している
0472人間七七四年
2008/11/30(日) 22:58:09ID:NGBrrS2E桓武平氏嫡流は小谷家って事でいいかな?
0473奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/30(日) 23:07:27ID:BA8jT4XW0474人間七七四年
2008/12/01(月) 14:48:13ID:oRfq/32j小谷家が開設している資料館行って、展示してある家系図調べて来てくれないかな?
うちは関東だから行けないのが残念だが・・・
0475人間七七四年
2008/12/02(火) 09:46:03ID:WR10EwWE妙に略されてるけど
0476人間七七四年
2009/01/03(土) 00:54:35ID:CTYj0csK平氏嫡流は小谷家
っていう結論になったね
0477人間七七四年
2009/01/04(日) 21:00:40ID:+9sDp4zX武田や佐竹とかじゃないの
0478人間七七四年
2009/01/04(日) 22:27:05ID:zWfqXVnv0479人間七七四年
2009/01/05(月) 04:40:22ID:ImAJzpIs0480人間七七四年
2009/01/05(月) 15:38:01ID:xgZc4Qk5頼朝の家じゃなくて頼朝自身の血筋。公家のほうで生きているとは聞いたんですが・・・。
0482人間七七四年
2009/01/06(火) 11:14:24ID:B5UDmHsPそんで実力もあったし
武田や佐竹はもっと遠いから、嫡流から
頼朝自身って子供やその子孫って意味?
そんなの戦国時代にいるのか?
0483人間七七四年
2009/01/07(水) 19:34:24ID:ZkY2Wg+D頼朝の兄弟の子孫は除くって事か?
頼朝の子孫は男系も女系も断絶してる。秀吉と同じ
0485人間七七四年
2009/01/07(水) 20:47:22ID:BtgaucQoしかしよく考えると上杉景勝の血統なんだけど清和源氏足利一門を名乗ってもいいの?
0486人間七七四年
2009/01/08(木) 09:43:20ID:CpKDjq57吉良上野介の長男の子孫?
0487奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/11(日) 00:34:13ID:VccPFU+v0488人間七七四年
2009/01/15(木) 01:58:57ID:mFy7NF+S0489人間七七四年
2009/01/15(木) 03:48:47ID:0ViEVL/p武田庶流の我が家も傍流男系と女系のオンパレードだぜ
んで俺は女系子孫なんだけど男系だと別の武田庶流に繋がってるぜ
菩提寺の坊主曰く我が家と俺の男系先祖の家は婿で男系先祖が入れ替わってるらしいぜ
超ややこしいぜ
0490奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/16(金) 00:05:40ID:4/o39gEH0491人間七七四年
2009/01/19(月) 01:03:11ID:5r02iZrd「北条氏は平氏だった!」でみんな驚いていたが、
北条氏の先祖が怪しいという点を突っ込みたかった
0492人間七七四年
2009/01/19(月) 01:49:39ID:1Plccspk>「北条氏は平氏だった!」
どういう意味?
あれって珍説紹介番組だよね、ってことは本当は仮冒じゃなくてガチに平氏な説を紹介したってこと?
それともゲストに氏と名字の区別が無いから驚いてたってこと?
0493人間七七四年
2009/01/19(月) 14:05:25ID:T57NVT49武田信玄は徳栄軒信玄について考えてみました。
「元服前」
武田勝千代
「元服後」
武田太郎晴信
武田大膳大夫晴信
武田信濃守晴信
源晴信
源朝臣晴信
武田=苗字・家名
勝千代=幼名
太郎・大膳大夫・信濃守=仮名(けみょう)・通称・字(あざな)
諱(いみな)が一般に使用されないために、通常相手を指すときに使用する名。
太郎=輩行名(兄弟や親族間の順序を表す名)
大膳大夫・信濃守=官職(大名の場合朝廷からの正式な任命が行われることが多いが、
一般の武士の場合「○○衛門」などの大名からの与えられた通称や、私称の官職もどきの名が多い。)
晴信=諱(いみな)=忌み名とも書かれ、親や主君等目上の者しか知らない名。
原則的には公式文章等でしか使用しない。元服時につけられるのが一般的です。
晴=将軍「義晴」の一字を賜ったもの。「偏諱(へんき)」と言い、上位者から賜るが、名誉なこととされる。
信=通字=家代々に使われる名の一字。武田氏の場合父が「信虎」、弟が「信繁」、
子が「義信」のように代々「信」が通字として使われている。
源=氏(うじ)=武田氏は清和源氏出身であるため、氏は「源」。
朝臣(あそん・あっそん)=姓(かばね)=氏族に与えられた称号。身分や職業を表す。
*元服後の正式な名乗りは次の形式であることが一般的です。
武田「太郎」源(朝臣)晴信
「」の中は、任官すれば官職名が入ります。一般の武士の場合は上記の通称が入ります。
(朝臣)は使用しない場合もあります。
出家後
法諱=信玄。別号=徳栄軒。院号=法性院。道号=機山。
法性院機山信玄大居士・
信玄は出家後には徳栄軒信玄と名乗ったようです。
0494人間七七四年
2009/01/19(月) 16:19:16ID:hS8VJyt/北条は微妙。あまり宝賀の仮冒説を信用しすぎるのも危ない
0495人間七七四年
2009/01/19(月) 18:43:13ID:FVGGaIb30496奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/19(月) 22:19:50ID:O6rkFahz0497人間七七四年
2009/01/21(水) 16:55:27ID:KqB68alBガチに平氏な説ですよ
ゲストの皆さんは平氏がすべて壇の浦で滅んだと思っているらしく・・・。
番組では平清盛は平氏の傍流、北条氏が平氏の本流という説明
大学教授やら、北条の子孫の住職なんかもこんな説明してた
0498人間七七四年
2009/01/21(水) 17:53:21ID:J6YiaE7b0500奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/21(水) 23:45:42ID:JoJosPOq0501人間七七四年
2009/01/23(金) 17:35:36ID:Vzt8JDlIで、伊勢平氏の嫡流はどこだという結論になったんだっけ?
あと平家は伊勢平氏の中では分家みたいな説明する専門家やHPがいくつかあるけど、
じゃあ本家はどこなのかという肝心な所が書かれていない。
0502人間七七四年
2009/01/24(土) 17:40:30ID:Q8bT/sLL0503人間七七四年
2009/01/24(土) 20:56:25ID:nKworxU2うちは、語り継がれているのは桓武平氏を祖とする。
三浦氏の生き残りの末裔って教えられました。
ついでに三浦は北条に滅ぼされたのですが、北条も同じ平氏だと、
親から教わりました
0504人間七七四年
2009/01/24(土) 22:30:43ID:j36VW2MN0505人間七七四年
2009/01/26(月) 16:03:32ID:CnouMToV0506人間七七四年
2009/01/28(水) 08:41:18ID:RVEsGffY0507人間七七四年
2009/01/28(水) 08:52:26ID:IF2xKilN0508人間七七四年
2009/01/28(水) 11:48:07ID:Uuufw0vE宝賀の言うように仮冒の疑いがかなりあるから微妙。
長らく土地を牛耳って支族を大量輩出してた古代以来の氏が、
忽然と姿を消した理由は仮冒以外に説明がつかない。
0509人間七七四年
2009/01/28(水) 16:34:18ID:RVEsGffY0510人間七七四年
2009/01/30(金) 00:01:15ID:Vjlgof7+0511奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/30(金) 00:23:41ID:vUu3tj6/0512人間七七四年
2009/01/30(金) 05:50:09ID:W/WYX2wI房総には三浦氏系の正木氏もいたし。
鎌倉時代の長尾は三浦の家臣筋で、三浦本家と一緒に執権北条氏に滅ぼされた。
0513人間七七四年
2009/01/30(金) 15:20:49ID:cslQ81Fs0514人間七七四年
2009/01/31(土) 08:15:59ID:oAu8GGxH0516人間七七四年
2009/01/31(土) 11:01:08ID:UAIDCdxd良文と忠通の親子関係が絶対成り立たない
0517奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/31(土) 20:15:37ID:FfJIPwHx事跡が薄いから疑われやすいのかな。
0518奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/31(土) 20:30:55ID:FfJIPwHx0519人間七七四年
2009/01/31(土) 22:30:11ID:l8Hmv/LW世代が一番怪しいんだけどね
為通の生年は1000年代前半で、良文の生年は886年
忠通の生年をどこに置いても無理がでる
0520人間七七四年
2009/02/02(月) 02:07:23ID:lFqMIV1D0521人間七七四年
2009/02/02(月) 02:09:26ID:lFqMIV1D伊勢氏は伊勢平氏の一流であるのは間違いないのでは
0522人間七七四年
2009/02/02(月) 03:52:58ID:M7/qPvdo0523人間七七四年
2009/02/02(月) 18:22:54ID:lFqMIV1D0524人間七七四年
2009/02/02(月) 18:58:27ID:iWBNdG8B0525人間七七四年
2009/02/03(火) 19:51:59ID:ODGVVR0t0526人間七七四年
2009/02/03(火) 20:19:51ID:gCR2xyZq0527人間七七四年
2009/02/05(木) 00:02:20ID:HotyPrgM0528人間七七四年
2009/02/05(木) 00:07:46ID:HotyPrgM0529人間七七四年
2009/02/10(火) 23:24:28ID:du9B2Hs+0530奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/02/11(水) 00:27:26ID:jCeQvJPw0531人間七七四年
2009/02/11(水) 09:43:30ID:qAKLHnI9>>523の答え出しとけ
0533人間七七四年
2009/05/23(土) 18:43:26ID:lZ6QNQsM鎌倉時代から南北朝時代までは阿野全成の子孫の阿野氏が源氏の嫡流とみられていた。
0534人間七七四年
2009/05/24(日) 01:11:36ID:J3VoSK2P0535人間七七四年
2009/05/24(日) 09:25:25ID:cv8S2gap「源氏長者」は源氏の嫡流でもなければ武家源氏の棟梁と言う意味でもなく、
朝廷における公家源氏のリーダーと言う意味。
0536人間七七四年
2009/05/24(日) 14:04:33ID:J3VoSK2P清和源氏の嫡流ってやっぱり実朝で終わり?
0537人間七七四年
2009/05/24(日) 15:53:08ID:cv8S2gapそして足利氏なども河内源氏。
0538人間七七四年
2009/05/27(水) 13:06:03ID:qyF0AOF40539奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/05/28(木) 06:26:55ID:hukZ/sOv0541人間七七四年
2009/06/01(月) 20:45:18ID:gZdyHtk+0542奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/06/02(火) 07:20:10ID:mnEpv82D0543人間七七四年
2009/07/03(金) 07:57:48ID:DiNZ+Ui7(木曽氏ってのはたまたま頭に浮かんだだけで、どこでもいいんだけど)
0544人間七七四年
2009/07/12(日) 20:20:21ID:/n+rvz2I0545人間七七四年
2009/07/12(日) 20:33:38ID:eD8ReSzF0546人間七七四年
2009/07/15(水) 09:12:32ID:/cPC+29Y「源氏の長者」は征夷大将軍とは関係ない。というか、武士とも関係ない。
「源氏の長者」というのは、『朝廷の源氏貴族のリーダー』と言う意味。
足利義満以降、武家政権の長が朝廷を統制する根拠となった。
0547奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/07/18(土) 08:17:56ID:3ymRoS4Nただ、源氏長者が武家の長であるという逆は全く成立しない。
0548人間七七四年
2009/09/03(木) 11:18:59ID:DZGw55uF平氏嫡流→熊谷氏
0549人間七七四年
2009/09/03(木) 13:16:06ID:Krb6rCt2しずかちゃん?
0550人間七七四年
2009/09/29(火) 15:08:31ID:+cAVQuvD・伊勢氏
・山木氏
・小谷氏(頼盛流)
・池氏(頼盛流)
0551人間七七四年
2009/09/30(水) 12:13:24ID:5Bgj6TFZ源氏と双璧をなす武門を築いたのは平維衡であり、伊勢平氏こそが嫡流である
0552人間七七四年
2009/09/30(水) 13:12:35ID:+f/oo1/Y0553人間七七四年
2009/09/30(水) 23:35:58ID:QWwsMGiR0554人間七七四年
2009/10/02(金) 11:57:17ID:/2Rd4Ptuお前こそスレを見直せカス
0555人間七七四年
2009/10/02(金) 12:22:20ID:h7GVUGhQ(´∀`)
0556人間七七四年
2009/10/03(土) 22:48:31ID:psGELFfb0557人間七七四年
2009/10/04(日) 02:15:16ID:rxor6HQi他は雑魚だし
0558人間七七四年
2009/10/05(月) 18:04:01ID:nuCCDDeaあと戦国時代に勢力拡大したのと、嫡流かどうかも全く関係ない
0559人間七七四年
2009/10/08(木) 22:52:59ID:D09IEEhu0560人間七七四年
2009/10/09(金) 09:11:59ID:uk3YKID4伊勢氏の傍流に過ぎない小田原北条家
どちらも平氏の嫡流には関係ない
0561人間七七四年
2009/10/11(日) 02:04:48ID:g0zoXcDq源氏嫡流
室町→足利
戦国→足利
江戸→徳川
明治以降→吉良
0562奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/10/11(日) 07:01:10ID:Ppsg77kz高棟王の系統かつ武家で高名な氏族ってのが思いつかんね。
0563人間七七四年
2009/10/12(月) 23:04:42ID:gCpYrY+Vそもそも高棟王流は嫡流じゃないしね
0564人間七七四年
2009/10/14(水) 22:04:58ID:Gh71DRU6「武蔵の住人、熊谷次郎直実」って名乗ったら、
「ならば自分は名乗れない(あまりにも身分が違うため)源氏の中にも
顔を知っているものもいるだろう。早く首をとり手柄にせよ」
と平家物語に書かれた、あの熊谷氏?
0566人間七七四年
2009/10/15(木) 07:46:42ID:WNw8ZfsBそう。その熊谷氏
維将流ならば熊谷が嫡流
ちなみに北条は仮冒
0567人間七七四年
2009/11/30(月) 02:09:12ID:MaKBymRF親に秘密で蔵を勝手に漁ってたら昔の刀や弓がたくさん出てきました。
売ったらどれくらいするのかな?
0568人間七七四年
2009/11/30(月) 03:09:37ID:AfLsn4ED0569人間七七四年
2009/12/24(木) 10:56:54ID:7OqhCK7m0570人間七七四年
2010/01/17(日) 12:51:25ID:qujwXJbf頼朝の弟である範頼の子孫吉見氏。現代の皇室典範に則れば文句なしの将軍家
多くに分かれた吉見氏であるが、嫡流は能登吉見氏とされる
吉見氏の歴史
http://www.geocities.jp/tgbqg409/YoshimiGenji.htm
概説http://www.yoshimi-rekishi.or.tv/noto1.htm
石見吉見氏 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/yosimi_k.html
0571人間七七四年
2010/01/17(日) 13:01:32ID:qujwXJbfhttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/tos_kira.html
木曾義仲の子孫を称する木曾氏は完全に捏造である
0572人間七七四年
2010/01/17(日) 13:21:07ID:qujwXJbf頼盛流
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/011/01105.htm
子孫はどこに行き着いたか
http://www.hikoshima.com/bbs/heike/100738.html
http://blogs.dion.ne.jp/fm7/archives/1062010.html
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/daijiten-tairano-yorimori.htm
0573奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2010/01/18(月) 20:29:49ID:wnyj/5O80574人間七七四年
2010/02/17(水) 15:23:03ID:2WMqYZdV0575人間七七四年
2010/03/23(火) 15:15:56ID:UhXBIPBC0576人間七七四年
2010/03/29(月) 18:29:17ID:hwbEJYL00577奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2010/03/29(月) 21:56:21ID:0hjDLiPE0578人間七七四年
2010/03/30(火) 23:14:26ID:eAv4UTZmどこの武田だ
→武田は義光の不祥事ですでにアウトじゃ。それいったら頼朝も父、祖父、曽祖父と謀反人だらけだが
まさか出自不明の熊本じゃねえだろうな
→和泉細川が出自不明?一門内の家格は高くはなさそうだが1京兆2阿波3典厩以外はどっこいどっこいだろ
上杉分家じゃねえか
→それいったらその上杉は江戸時代は吉良家嫡流の直系だろ?
0579奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2010/03/30(火) 23:27:06ID:t+OuzUPU・嫡流に謀叛だとかどうでもいいし。
・忠興は藤孝の子でありたくなさそうであり、藤孝は誰の子なんだろう。
・吉良家嫡流というか、吉良家だけどそこまでいうならもう少し現代まで追及しよう。
ただ今見返すとちょっと皮肉具合が足りんかなと反省。
>どこの武田だ→上杉分家じゃねえか→斯波氏没落してたけど無視かよ→まさか出自不明の熊本じゃねえだろうな
本家は若狭じゃなかったっけ→異姓に乗っ取られてんじゃねえよ→本家没落しても残ってたのに無視かよ→まさか出自不明の熊本じゃねえだろうな
とりあえず改変。
0580仙台藩百姓
2010/03/30(火) 23:48:50ID:Yhe6pT2g0581奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2010/03/31(水) 00:07:59ID:mdTqTFqN0582人間七七四年
2010/03/31(水) 01:23:07ID:7KJr+IEH出ないと議論が平行線をたどるだけ
0583人間七七四年
2010/03/31(水) 02:49:40ID:FYvb/X8Y→?
・吉良家嫡流というか、吉良家だけどそこまでいうならもう少し現代まで追及しよう
→鷹山は繋ぎで現在の宇宙学者様まで吉良の男系じゃ
0584奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2010/03/31(水) 22:08:39ID:EjRYWebOこれっていちいち答えなきゃならんことなん?
0585仙台藩百姓
2010/03/31(水) 23:36:58ID:j6cf5yJS血筋だけで結論付けるのは不可能に近いお( ^ω^)
0586人間七七四年
2010/03/31(水) 23:49:14ID:FYvb/X8Y和泉細川は油窃盗すること没落してるし
0587人間七七四年
2010/07/04(日) 05:16:16ID:hiWGh97L0588人間七七四年
2010/07/09(金) 08:37:36ID:ekLoP+Wj百万石以上を領する平氏嫡流の大本命
0589人間七七四年
2010/07/16(金) 08:02:32ID:Qe/byPGR3月20日は、日本の記念の日
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/39/267_1.html
源氏が平家に勝利した、
徳川家の記念の日だった。
0590人間七七四年
2010/09/20(月) 00:26:48ID:NB40A3Ll0591人間七七四年
2010/09/27(月) 17:42:48ID:ZitCp4yf0592人間七七四年
2010/10/26(火) 18:38:13ID:tOTyClt5関東から伊勢に本拠を移したという意見があるが、
それは後付けの理由でその前から伊勢に勢力を扶植しているはず。
0593人間七七四年
2010/11/04(木) 23:18:35ID:I0Tb++8W暦応2年から伊予国守護、その後備後国守護として活躍する岩松頼有その人を岩松・田島経政の出家した姿か、後継者である可能性が高いという。
新田義貞の鎌倉攻めにおいて、岩松経家と並ぶ岩松軍団の大将として、新田遠江(田島)又五郎経政がその人であろうという。
『新田町史』
0594人間七七四年
2010/11/23(火) 23:35:13ID:d9A+D83Z現在の当主は確か五十代目くらい。大阪にお住まいです
0595人間七七四年
2010/11/23(火) 23:41:13ID:d9A+D83Zただし、しんごさんの経歴がちょっと怪しいので要確認
0596人間七七四年
2010/11/24(水) 00:17:43ID:R+zG0Lpw0597人間七七四年
2010/11/24(水) 12:37:11ID:cOJMqoAm武家藤原って言うと、秀郷系な気がしないでもないけど、武藤氏って秀郷系
だっけ?
0598人間七七四年
2010/11/24(水) 18:41:34ID:R+zG0Lpw尊卑分脈だと、少弐氏は藤原秀郷流
0599人間七七四年
2010/11/24(水) 19:08:52ID:k+KFzo0O0600人間七七四年
2010/11/24(水) 21:24:39ID:vi2STGdx0601人間七七四年
2010/11/24(水) 21:25:37ID:vi2STGdx0602人間七七四年
2010/11/25(木) 00:18:04ID:HOaVku5X0603人間七七四年
2010/11/25(木) 00:25:54ID:WrrBzyvx継いじゃったんだっけか。
それはそうと、嫡流って、上総氏じゃないんだっけ?
0604人間七七四年
2010/11/26(金) 10:01:36ID:jUVRxgVVだけど、断絶したため一族の千葉氏に移りました
0605人間七七四年
2010/12/07(火) 02:32:58ID:43RZjQJp0606人間七七四年
2010/12/29(水) 10:56:19ID:qyhamv8k0607人間七七四年
2010/12/29(水) 13:30:36ID:rTrbKtJv信憑性の高い「滝山寺縁起」に、藤原俊経と藤原俊継として記述されている
三河国額田郡の伊勢神宮領にいた藤原氏が、伊勢氏と名乗る
0608人間七七四年
2010/12/30(木) 00:46:53ID:AJLBOGaB新羅三郎とかググっていやになるくらい極悪だ。
また坂東平氏が同族である平家一門を棟梁とせず、源氏に忠誠を
つくすのも不思議。
0609吉崎俊雄 ◆FCa.QMH14U
2010/12/30(木) 01:57:19ID:2897g0T3ニワカ戦国オタやんけ
0611人間七七四年
2010/12/30(木) 08:48:42ID:bETf7E3T0612人間七七四年
2010/12/30(木) 18:26:03ID:1o55m5iB清和源氏全部と比較すんなよw
せめて源為義の血縁って仲悪いよねくらいにしとけって
0613人間七七四年
2010/12/31(金) 06:36:34ID:lPBGDycj頼朝の系統が滅んだ後は 完全に源義国の系統つまり足利氏に移った
それは江戸時代を通して同じ
これは頼信系が清和源氏嫡流ならばの話だが、頼光流となると太田氏か
下間氏は自称だし
0614人間七七四年
2010/12/31(金) 07:16:16ID:Q22KzlYo0615人間七七四年
2011/01/01(土) 02:46:43ID:7I2E3x0N◆鎌倉幕府◆
【勝者】源頼朝:清和源氏為義流、藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡矢作)
・藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏足利流、三河守護
・藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼→足利義氏→のちに足利尊氏
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(清和源氏足利流、三河国幡豆郡吉良)、今川氏(清和源氏足利流、三河国幡豆郡今川)、石橋氏(清和源氏足利流、三河国碧海郡)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱◆
【勝者】細川政元:清和源氏足利流、細川吉兆家/本貫地:三河国額田郡細川)
・藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義清→足利義実→細川義李(初代細川氏)
・”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆関ヶ原の戦い◆
【勝者】徳川家康:清和源氏新田流、本貫地:三河国加茂郡松平
◆江戸幕府◆
【勝者】徳川家康:清和源氏新田流、本貫地:三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(三河国幡豆郡吉良)
・附家老の8割が三河国出身
◆大坂の役◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏新田流、本貫地:三河国加茂郡松平
0616人間七七四年
2011/01/01(土) 02:47:46ID:7I2E3x0N・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国は全国で最大人数
【熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利一族被官】
饗庭、朝倉、飯尾、伊勢、大草、高、久下、小嶋、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
神谷、山下
【その他】
岩堀、宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、中条、堤、長、西部、本郷、松平、三浦、丸山、大和
0617人間七七四年
2011/01/01(土) 02:50:08ID:7I2E3x0N【東海道】
・伊賀国守護:仁木義直、細川清氏、仁木義長
・伊勢国守護:仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・志摩国守護:仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・尾張国守護:中条秀長
・三河国守護:仁木頼章
・伊豆国守護:石堂義房
・遠江国守護:今川範国、仁木義長、今川範氏
・駿河国守護:石堂義房、今川範国、今川範氏
・武蔵国守護:仁木頼章
・安房国守護:斯波家長
【畿内】
・摂津国守護:仁木頼有、細川繁氏
・和泉国守護:細川顕氏
・河内国守護:細川顕氏
【北陸道】
・若狭国守護:斯波(大崎)家兼、斯波高経、斯波氏頼、細川清氏、石橋和義
・越前国守護:斯波高経、細川頼春、斯波氏経
・能登国守護:吉見頼顕、吉見頼隆 ← 吉見氏は源三河守範頼を祖とする三河ゆかりの氏族
・越中国守護:吉見頼隆、細川頼和、斯波高経
0618人間七七四年
2011/01/01(土) 02:50:51ID:7I2E3x0N・奥州探題:斯波(大崎)家兼
・羽州探題:斯波(最上)兼頼
・下野国守護:斯波頼兼
【山陰道】
・丹波国守護:仁木頼章、仁木頼夏
・丹後国守護:今川頼貞、荒川詮頼、上野頼兼、仁木頼章
・但馬国守護:今川頼貞、吉良貞家、仁木頼勝
・伯耆国守護:石橋義和
・石見国守護:上野頼遠、上野頼兼、荒川詮頼
・因幡国守護:吉良貞家、今川頼貞
・伯耆国守護:石橋和義
【山陽道】
・備中国守護:細川頼之
・備後国守護:仁木義長、石橋和義、細川頼春
・安芸国守護:細川頼之
【南海道】
・紀伊国守護:細川氏春、
・淡路国守護:細川師氏、細川師春
・阿波国守護:細川和氏、細川頼春、細川頼之、細川頼有
・讃岐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之
・伊予国守護:細川頼春、細川頼之
・土佐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之
【西海道】
・九州探題:一色範氏、一色直氏、細川繁氏、斯波氏経
・筑後国守護:一色直氏
・肥前国守護:一色直氏、一色範光
・肥後国守護:一色直氏
・日向国守護:細川頼春、一色直氏、一色範親
0619人間七七四年
2011/01/01(土) 08:55:59ID:AzaHZwX2もし建武政府が足利を滅ぼしていれば新田に嫡流が移ったりしてたのかな?
0620人間七七四年
2011/01/01(土) 10:48:11ID:7I2E3x0N伊勢氏
新編岡崎市史20(総集編) 足利家の根本被官で室町幕府政所執事などを務めた武士。ふつう桓武平氏で平季衡の子孫とする。
『滝山寺縁起』にみえる足利家被官の藤原俊経(肥前前司)・藤原俊継(伊勢前司)は「伊勢系図」にのる同名の人物と官途が一致するので伊勢氏の先祖にあたるとみられる。
とすると桓武平氏というのも必ずしも信をおけないことになるが、もとは藤原姓であったのを事情あって後に平氏に変えたのかも知れない。
『縁起』に登場する伊勢氏は、俊経・俊継父子のほかに、俊経の兄弟に滝山寺僧円辰、その子に同じく増恵がおり、鎌倉中期の滝山寺の隆盛に尽くしたひとが多く出た。
鎌倉時代の伊勢氏について知りうることは少なく、上総で足利貞氏の守護代を務めた伊勢九郎宗継がいるが系図にはあらわれない。
康暦元年(1379)に尊氏の近習であった貞継(俊継の孫)が政所執事に任じられ、以後伊勢氏がこの職を世襲した。ほかに将軍右筆や御番衆になった一族もいる。
明徳2年(1391)伊勢貞行が御料所額田郡山中郷の代官に任じられ、以後山中郷は伊勢氏の所領となった。寛正6年(1465)当時、山中郷代官は伊勢氏被官の蜷川親賢であった。
伊勢俊経
新編岡崎市史20(総集編) 鎌倉前期の武士、足利氏被官。『滝山寺縁起』に肥前々司藤原俊経(法名願仏)と見える人で、足利氏被官伊勢氏の先祖とみられる。
弟相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は滝山寺僧侶であった。滝山寺に持仏堂を建て、古市場御油畠などを寄進した
伊勢俊継(初代伊勢氏)
新編岡崎市史20(総集編) 鎌倉中期の武士で足利氏被官。『滝山寺縁起』に伊勢前司藤原俊継とある人で、肥前前司俊経の子。
滝山寺に足利義氏追善のため檀那として法華堂を造営し、田畠3町8段をこの堂に寄進した。
また碧海荘青野・宇祢部の料田畠も足利(斯波)家氏に働きかけて寄進させた。そのほか滝山寺の諸造営にかかわって財政的な援助を惜しまなかったのは、
叔父の円辰や従兄弟の増恵が滝山寺僧侶であったからであろう。
0621人間七七四年
2011/01/01(土) 10:55:01ID:7I2E3x0N同地域で藤原氏が伊勢氏を名乗った事例
藤原惟康(伊勢惟康もしくは高橋惟康)
■藤原道隆→伊周→忠頼→惟康(伊勢惟康)
http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/fujiwara/fujiwara_hoku/fujiwara_hoku12.html
■藤原実範(三河守)→女子(兄は藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住))→伊勢惟康
大森葛山の祖・維康(惟康)について、「伊勢新二郎大夫、成高橋殿、三河国高橋庄領主故号、母実範三位女、外戚伯父伊勢権守令養育之」と「姉小路系図」に註記される
高橋庄は高橋郷(現豊田市高橋辺り)を中心に豊田市域の北部中央、矢作川中流を挟む一帯から尾張国境に及ぶ庄域をもった大荘園であり、十一世紀頃の開発とされる。
安元二年(1176)二月日の八条院領目録に庁分御荘として参河国高橋・参河国高橋新庄があげられる。
0623人間七七四年
2011/01/02(日) 16:36:39ID:kyaN9mnw事実、義国が開墾した足利荘を継承したのは義康
義重(新田氏祖)は長男ながらも庶子であったため、上野に移り新田荘を開拓。
足利尊氏が新田義貞に滅ぼされたとしても、足利氏の傍流が嫡流となったんじゃないかな
0624人間七七四年
2011/01/02(日) 16:43:45ID:kyaN9mnw安濃津氏、桑名氏を名乗る
戦国時代の杉原氏はこの系統というが詳細不明
0625人間七七四年
2011/01/02(日) 23:13:00ID:3taXSQDq0626人間七七四年
2011/01/03(月) 00:22:23ID:ShgXXsQy日和見した自分はともかく息子の山名義範は頼朝から数少ない源氏門葉に
選ばれてるし、源氏の中でも名門と認められた家の一つと言えそう。
新田荘の大半を失い、無位無官だった義貞の時代の世間の評価はともかく。
0627人間七七四年
2011/01/04(火) 10:47:07ID:Qj7dehaT新田家は単なる源氏の豪族扱いじゃね?
だって頼朝に味方しなかったのだから。
ようするに、新田家は足利家の単なる庶家。
吉良>斯波>>>>>新田。
0628人間七七四年
2011/01/05(水) 01:34:56ID:dezmAO7G今の時代にはあわん日本は四方海に囲まれた海洋国家。
なぜか信長、謙信の方が戦上手だしビジネスセンスが有りそう。
0630人間七七四年
2011/01/05(水) 10:55:44ID:Gleok3x4矢銭二万貫を堺に要求するのが信長のビジネスですし
0631人間七七四年
2011/01/05(水) 12:43:13ID:i0m7Dt8A0632人間七七四年
2011/01/07(金) 00:29:57ID:cLo4/zOq上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、
足利家家人の上杉三郎入道(頼重)より前は不明。その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
事実上の始祖である上杉三郎入道(頼重)の日名屋敷
新編岡崎市史20(総集編) 鎌倉末期に額田郡日名にあった上杉氏の屋敷。足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。
0633人間七七四年
2011/01/07(金) 00:32:55ID:cLo4/zOq足利家氏(初代斯波氏)は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し、そこが本拠地
滝山寺における足利義氏一周忌関係者
・足利家氏(斯波家氏)
足利義氏の法華堂造営、田畑寄進、足利義氏の骨が埋め込まれだ大日如来奉納
・足利義継(吉良義継)
初代東条吉良氏、出家し滝山寺にて僧侶、高野山より足利義氏の骨が埋め込まれた大日如来を受け入れる
・藤原俊継(伊勢俊継)
初代伊勢氏、叔父と従兄弟が滝山寺の僧侶、田畑寄進
室町幕府の政務執事で著名な伊勢氏であるが、三河国額田郡の伊勢神宮領に由来が濃厚
藤原俊継(初代伊勢氏)の父である藤原俊経は、滝山寺に持仏堂を造営し、足利義兼と真福寺に法華堂を造営
足利一族と伊勢氏との繋がりは、三河国で足利義兼の代まで遡る
0634人間七七四年
2011/01/07(金) 14:19:56ID:g/ystK6Uhttp://genjiroyal.lolipop.jp/
0635人間七七四年
2011/01/16(日) 16:23:54ID:bj05WlEU明治時代にお家が乗っ取られて実は男系でもなんでもないという話が数年前にあったな
足利義廉ー智恵
ll
進悟
llー義弘ー義徳
典子
こんな系図まで載ってたし。
http://yomi.mobi/read.cgi/academy6/academy6_history_1136378226
0636人間七七四年
2011/02/02(水) 10:56:10ID:G1o4ELr0八幡殿四代嫡孫 旭 征夷大将軍 源義仲!
義仲三十三代義明が長子
嵯峨嵐山ノ源宗家八幡殿三十七代
旭八幡 源尊義なり!
プッwww
0637人間七七四年
2011/02/02(水) 19:52:14ID:3zeDNjhk0638人間七七四年
2011/02/02(水) 23:06:02ID:eXNFV6vI0639人間七七四年
2011/02/05(土) 23:42:48ID:d3qOQTYZ頼朝の弟の系統
皇室典範に習えば吉見家が代々将軍家を継承してたのだろう
0640奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/02/05(土) 23:50:14ID:AKRyEDaB何の系図をかじってどういう感覚を持っていたら、コレで宗家とか名乗るきっかけになるのだろう。
0641人間七七四年
2011/02/06(日) 00:33:10ID:LJlFF11S0642奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/02/06(日) 00:37:47ID:NxoFo9lk0643人間七七四年
2011/02/06(日) 20:58:43ID:Fiob7uPe多田院御家人じゃないの?
幕末時点で朝廷や徳川も一応認めていたんだし。朝廷が多田隊に御所を警備させたのも、源氏の嫡流だからだろ。
0644人間七七四年
2011/02/07(月) 23:25:14ID:bcFs05ar0645人間七七四年
2011/02/08(火) 19:59:43ID:NRuvLAFqで平氏はというと、伊勢平氏の嫡流桑名氏もしくは平家一門頼盛の子孫小谷氏になる
源氏と対比される平氏ってのは坂東平氏ではなく伊勢平氏だね
0646人間七七四年
2011/02/08(火) 20:01:22ID:NRuvLAFq摂津源氏嫡流なら太田氏
0647人間七七四年
2011/02/14(月) 20:07:58ID:gVaEjymU0648人間七七四年
2011/02/15(火) 18:04:16ID:MMMet+KY他に居るなら、持ち上げられていいはず
0649人間七七四年
2011/02/16(水) 13:57:01ID:+8ZgDGjqそのサイトの千家って千葉県旭市に行った木曽氏とは別族なの?
義仲大河化を目指してるようだけど。
来年は清盛大河だって言うし、
個人的には義仲でまた源平やるくらいなら新田義貞を主役に南朝視点の大河をやって欲しいわ。
0650奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/02/17(木) 00:54:08ID:ZiVA/Hf20651人間七七四年
2011/02/17(木) 02:09:40ID:If62oVw90652人間七七四年
2011/02/20(日) 20:43:14.90ID:f9vTY7Jn名門中の名門のはずなのにパッとしないよねえw
0653奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/02/20(日) 21:54:17.48ID:4Fc/A5CP0654人間七七四年
2011/02/20(日) 22:20:40.05ID:ZRP5cHTk0655奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/02/20(日) 22:44:16.23ID:4Fc/A5CP0656人間七七四年
2011/02/22(火) 11:05:09.34ID:NSSWvL14足利、今川、細川
足利>今川>>>>>>>細川
0657人間七七四年
2011/02/22(火) 14:39:09.78ID:ZJBUe1e60658人間七七四年
2011/02/22(火) 15:33:37.02ID:xBKwFyd1平氏:貞盛(or繁盛)系統で一番身代の大きい奴
藤原氏:秀郷系統で一番身代の大きい奴
橘氏:遠保(or公頼?)系統で一番身代の大きい奴
以上。
0659人間七七四年
2011/02/22(火) 23:42:26.23ID:FH683oWS0660人間七七四年
2011/02/23(水) 00:14:43.00ID:WSosvxvyアホクサ
0661奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/02/23(水) 03:04:59.11ID:XCUPIfbo0662人間七七四年
2011/02/23(水) 08:04:48.91ID:rbD34aF50663人間七七四年
2011/03/08(火) 00:07:04.63ID:EKVnE8VG0664人間七七四年
2011/03/08(火) 06:40:08.44ID:29aN7KNOってか実質おなじか。
0665人間七七四年
2011/04/17(日) 13:26:53.01ID:bVAdlYDh分家はいないのかな
0667人間七七四年
2011/04/18(月) 12:30:49.10ID:3g2FQNzH仁和寺で由緒あるから間違いのない家系
0668人間七七四年
2011/04/18(月) 15:32:03.55ID:1iETjzID>源頼朝から三代で「源氏の嫡流」ってのは歴史の表舞台から消えたけど
もしかして足利氏が名乗っていたの・・・? そんな馬鹿な。
別に足利氏が源氏長者でいいじゃん。何でそんなこと言うの?
少なくとも「馬鹿な」ってことはないだろ。
>>1よ居たら答えてくれ。
0669人間七七四年
2011/04/18(月) 22:40:10.13ID:gd2Qbgk10670人間七七四年
2011/04/19(火) 00:09:57.44ID:Zel4zI7v伊勢氏も系図がはっきりしない
0671人間七七四年
2011/04/19(火) 23:23:23.82ID:VXgwzCDx藤原氏:秀郷系統で一番身代の大きい奴
九州の大友氏?
秀郷→近藤→大友
0672人間七七四年
2011/04/20(水) 03:06:58.77ID:ErnJZgni0673人間七七四年
2011/04/24(日) 00:14:46.96ID:didE3Ggy0674人間七七四年
2011/04/26(火) 09:31:51.58ID:O/Jckm0+http://s1.shard.jp/deer/0204/45/296_1.html
ペリーが東インド艦隊司令長官として日本遠征を命じられたのは、1852年3月24日。
源頼朝が征夷大将軍に就任したのは、皇紀1852年(西暦1192年)。
しかも、源氏が平家を打ち破って天下を統一したのは、
西暦1185年3月24日志度合戦
旧暦1185年3月24日壇ノ浦の合戦の結果だった。
ペリーは間違いなく「源頼朝」の生まれ変わりだった。
0675人間七七四年
2011/04/27(水) 22:33:11.68ID:6MkMGsEl平清盛の男系で最後となった六代御前。
どちらの人生も泣けてくる。
0676人間七七四年
2011/05/01(日) 23:54:19.34ID:cQeFuf+qそんな証拠はないよね?
すると、普通の一般人が、気づかずに嫡流のケースがある。
その場合、その一般人は、自分が嫡流で「すまそ」状態になり、かわいそう。
0677人間七七四年
2011/05/10(火) 21:57:09.78ID:bMrVRP/G平氏の嫡流は平頼盛の子孫にあたる仁和寺の若林さん
0678人間七七四年
2011/05/10(火) 22:13:51.16ID:1ue1BZSu頼朝が妬んで領地を奪ったくらいだし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E6%B0%8F
0679人間七七四年
2011/05/14(土) 04:11:31.55ID:WSmPGcyHこの経政は、南北朝内乱初期に、陸奥南部で親類の相馬氏と共に活動する新田左馬亮経政である(相馬文書)。
また「新田左馬亮経政代田島小四郎」(相馬文書)という記述から、経政の代官として田島小四郎なる人物が派遣されている。
代官には普通一族の者がなる場合が多いから、この史料は経政か田島氏であることを裏書するものである。
ところがこの経政は、史料上では建武2年(1336)に姿を消し、暦応元年から岩松頼有が伊予国守護、その後備後国守護として活躍する。
岩松氏惣領家は岩松経家が建武2年に中先代(北条時行)の乱で戦死してから、岩松三郎直(正木文書22)国が跡を継いで活躍する。そのように考えると、
この岩松頼有は岩松経政(田島系)の出家した姿か、あるいはその後継者である可能性が強いが、
それを確定する史料がない。
『新田町史』
0680人間七七四年
2011/06/01(水) 08:36:35.42ID:bx49W+E6【音楽/事故】韓国アイドルグループ「BIGBANG」のテソン(D-LITE)が人轢く運転事故、男性は死亡★3
1 :落花流水ρ ★:2011/05/31(火) 20:35:47.21 ID:???0
日本でも人気が高い韓国のアイドルグループ「BIGBANG(ビッグバン)」の
メンバー、テソン(22=日本での活動名はD−LITE=ディライト)が31日未明、
ソウル市内で乗用車を運転中、道路に倒れていたオートバイを運転していた人を
ひいたなどとして道交法違反容疑で警察の取り調べを受けた。聯合ニュースが伝えた。
同ニュースによると、この人は死亡したが、ディライトの車にひかれたことが
原因かどうかは不明。ディライトは当時、制限速度が時速60キロの道を
約20キロオーバーで走行。停車中のタクシーに衝突して止まった。
この衝突も容疑に含まれるという。調べにたいして「ガタンという感じがして
ブレーキを踏んだが、ブレーキが利かなかった」と話しているという。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110531-783719.html
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/img/teson-110531-006-ns-big.jpg
http://www.asahi.com/showbiz/korea/images/AUT201105310032.jpg
「BIGBANG」D-LITEが乗っていた乗用車
http://www.wowkorea.jp/upload/news/84505/20110531075609697.jpg
前スレ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1306821803/
★1 2011/05/31(火) 10:24:02.98
0681人間七七四年
2011/07/03(日) 17:21:18.65ID:1W+w/iTq0682人間七七四年
2011/07/04(月) 03:25:27.42ID:2SMYMG7i喜連川氏じゃないの?
0683人間七七四年
2011/07/09(土) 10:44:58.31ID:SO6Gonst0684人間七七四年
2011/07/12(火) 17:38:45.93ID:UYldFE/L0685人間七七四年
2011/07/13(水) 01:43:37.84ID:Z48sQGPn得川=新田=源氏
徳川家康が源氏を名乗ったのは征夷大将軍就任直前
0688人間七七四年
2011/07/15(金) 08:29:10.79ID:mlmKveIYhttp://s1.shard.jp/rabbit1/0204/46/305.html
「ゲンジ(源氏)ス・カン」となると元王朝も、「源王朝」となる。
0689人間七七四年
2011/07/15(金) 10:26:31.68ID:5U4x766K0690人間七七四年
2011/07/19(火) 13:16:58.03ID:4fPQ3lP/細川・畠山などは義包(義兼)の下から分かれたようである。義包(義兼)は長け八尺あまりで、力人に勝れた人であった。ほんとうは為朝の子というが、赤子の時から義康が養った。世にはばかって人に言わなかったので、それを知っている人はいない。
>ほんとうは為朝の子というが、赤子の時から義康が養った。世にはばかって人に言わなかったので、それを知っている人はいない。
細川氏です
0691人間七七四年
2011/07/19(火) 17:04:49.43ID:NZRnPvO40692人間七七四年
2011/07/20(水) 02:21:05.25ID:L/QsdpEU【岡崎市中心部地区/現在の岡崎城周辺】
・三河守護所
・額田郡公文所(所領の管理他、鎌倉末期は足利尊氏の祖父(上杉頼重)が担当)
・矢作東宿(足利宗家が経営する宿泊施設)
・高一族(足利根本被官)の屋敷(高一族没落後、一族唯一の菩提寺(総持寺)が屋敷跡に建てられる)
【岡崎市北部地区/岡崎市中心部地区より北に5キロ】
・足利宗家の屋敷(大門屋敷)、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・上杉一族(足利被官、下野守護他)の屋敷(日名屋敷)
・仁木一族(幕府執事、伊賀守護他)の屋敷及び城(仁木城)
・細川一族(管領家、阿波守護他)の屋敷及び3つの城
【岡崎市南部地区/足利宗家の屋敷より南に10キロ】
・上地一族(細川氏分家)の屋敷
・上地一族(仁木氏分家)の屋敷
【豊田市中心部地区/足利宗家の屋敷より西に15キロ】
・上野一族(石見守護等)の屋敷
・中条一族(尾張守護等)の屋敷と城(金谷城)
【豊田市南部・安城市地区/足利宗家の屋敷より南西に4キロ】
・斯波一族(管領家、奥州管領)の屋敷
・石橋一族(将軍御一家、備前守護他)の屋敷
【西尾市幡豆郡地区/足利宗家の屋敷より南に15〜20キロ】
・西条吉良一族(将軍御一家)の屋敷と城(西条城)
・奥州吉良一族(奥州管領、関東公方御一家)の屋敷と城(東条城)
・一色一族(四職家、九州探題、丹波守護他)の屋敷
・今川一族(将軍御一家、九州探題、駿河守護他)の屋敷と城(今川城)荒川一族(戸賀崎氏分家)の屋敷
0693人間七七四年
2011/07/20(水) 02:22:36.04ID:L/QsdpEU途中、三河の矢作川のほとりの矢作の宿で三河在国の足利党の19家の兵馬の出迎えをうけたが、ここで倒幕の決意を固めた。
19家とは
西条吉良
東条吉良
今川
一色
仁木
細川
斯波
戸賀崎(荒川)
畠山
桃井
渋川
岩松
石塔
上野
鹿嶋
粟生
倉持
高
上杉
0694人間七七四年
2011/08/20(土) 10:27:21.31ID:C7FY9R4d言った者勝ちの世界か・・
0695人間七七四年
2011/08/21(日) 00:57:24.25ID:l+4kFAWb0696人間七七四年
2011/09/14(水) 11:40:58.29ID:NwXKMjSn源氏ったって
清和と宇田と村上と嵯峨とかがあるんだが?
久我家をもって宗家と言われても他には関わりがない。
0697人間七七四年
2011/09/18(日) 11:48:28.30ID:XS2R6NC+徳川が多田神社を霊廟にしたり
幕末朝廷が多田隊を組織したのが証拠
0698人間七七四年
2011/10/14(金) 17:36:39.90ID:BLpJ2srr戸崎or戸賀崎?
0699人間七七四年
2011/10/14(金) 18:20:09.45ID:Q+MhNr+C候補地は岡崎市戸崎、西尾市戸賀崎の二つある
戸崎(戸賀崎)義宗は、兄弟の細川義季と行動を共にしていたらしく、細川一族の氏神 村積神社の神官をしていた
墓も細川義季と同じ豊田市の隣松寺にある
尊氏の頃は荒川と名乗り、活躍したのが荒川詮頼だ
伊奈忠次で有名な伊奈氏は、荒川氏が信濃に移り住んで、再び三河に戻ってきた一族らしい
0700人間七七四年
2011/10/29(土) 19:30:38.35ID:8/8z7d0X現人神という点も同じ
0701人間七七四年
2011/10/29(土) 23:54:11.43ID:UVwK876l当たり前の知識をドヤ顔で披露してる痛い奴発見
そもそもここは戦国板なんだから源氏は清和源氏を指すってことぐらい分かるだろ
これだから近頃のゆとりは
0702人間七七四年
2011/10/31(月) 07:43:36.96ID:ySVucqFD平氏は坂東なら熊谷氏、伊勢なら杉原氏
0703人間七七四年
2011/10/31(月) 11:53:15.08ID:ymQ5YXFM昔の学生より今のゆとりのほうが
学力高いんだとよ
0704人間七七四年
2011/11/02(水) 15:49:33.58ID:AWvU8HHG0705人間七七四年
2011/11/02(水) 16:52:56.62ID:EFTRd1bK昔の荒れまくっていた
学校に比べ今は落ち着いてるな。
非行も男女不順交友とやらも発生率減っているらしいし。
0706人間七七四年
2011/11/02(水) 18:22:46.39ID:EFTRd1bK0707人間七七四年
2011/11/03(木) 06:31:44.83ID:F7gNBckt0708人間七七四年
2011/11/03(木) 22:07:26.17ID:9Iri7EzQ河内の坪井八幡宮の鳥居に坪井氏寄進と書いてあった。坪井氏は土着してまだ続いてるみたい。
だれか意見よろ。
0709人間七七四年
2011/11/04(金) 07:27:10.35ID:NZSILcmX0710人間七七四年
2011/11/04(金) 14:52:03.91ID:pCRLqLh5・正法寺(愛知県豊川市)
了信坊(源範円)が中興、鎌倉時代初期には、源範頼の息子範円(のりかど、はんえん)が太子堂に居住した。
貞永元年(1232年)9月1日、浄土真宗の開祖親鸞が関東から帰京する際、聖徳太子像を拝むため太子堂を訪れた。
このとき範円は親鸞に教化されて弟子となり、名を了信坊に、寺を太子山上宮院正法寺に改め、天台宗から浄土真宗に改宗した
0711人間七七四年
2011/11/04(金) 21:30:15.20ID:xxfoGyXy0712人間七七四年
2011/11/04(金) 23:15:51.81ID:pCRLqLh5伴野長房(*〜1397)
小笠原・蔵人大夫・三河守・出羽守・出羽前司・入道道鎮。三河国幡豆郡の豪族。領地が隣接することから足利高氏に早くから出仕し側近。
1345年天竜寺供養に従軍、六番隊後陣10人衆のひとり。1349年「観応の擾乱」に尊氏派。貞和8月師直邸に参じる。若狭一色家の与力となる。息に長春・長正。
0713人間七七四年
2011/11/04(金) 23:17:52.62ID:0G6XGC5k0714人間七七四年
2011/11/05(土) 01:09:22.03ID:2IefyQud0717人間七七四年
2011/11/05(土) 09:30:51.82ID:zxSw2M0a源氏で源をそのまま苗字にした家系はほぼ無いってことね
源氏は足利とか吉良とか別に苗字があるんだよ
0718人間七七四年
2011/11/05(土) 11:06:15.45ID:aW3dAspfなんか根本的に間違ってないか?
新田、足利は分家だろ。
新田、足利にとってはまさに頼朝、頼家、実朝で滅んだ源家が本家。
源を本姓にして残った家ってのがオリンピックに出た家以上に眉唾なんだが?
そこは、何源氏なんだ?
村上源氏は早くに源の名乗りをやめてる。嵯峨もそうだし、宇田は最初から佐々木だろ?
水泳選手は政治家として自民党が担ごうとしたくらいらしいから、本当に源氏かもしれんがなw
0719人間七七四年
2011/11/05(土) 11:41:46.69ID:zxSw2M0a何も勘違いしてないよ。
今本家とか嫡流がどうとかの話題じゃないし。
友達に源さんがいるって人がいたから
「本姓と苗字は違うんだよ。源は本姓であって、ほとんどの源氏は別に苗字があるだよ。足利とか吉良みたいにね。でも源氏の中にも、源義忠流の一部みたいに本姓と苗字を同じにした人たちも居たよ。」って話をしただけ。
0720人間七七四年
2011/11/05(土) 12:31:39.23ID:etxuESy2吉見氏はスレタイ通りのレスだろが
次にたまたま三好長慶が出てきたから、同族の伴野氏を出しただけだが
文句あるのか?猿
0722人間七七四年
2011/11/06(日) 01:00:20.51ID:FZHcwHEf苗字が源だってだけじゃあ、その友達が本物かはわからないよ。
明治になって各々が苗字付けるときに、苗字と本姓の違いを知らない無学な人が、「源って名門の苗字パクろうぜ!」ってなった可能性はあるね。
0723人間七七四年
2011/11/06(日) 02:05:00.13ID:bjSq6cQm0724人間七七四年
2011/11/06(日) 02:13:21.72ID:FZHcwHEf皆じゃないよ。近衛家などの藤原氏なんか皇族由来じゃない最大勢力だよ。
ただ源氏や平氏を自称する家は多いよ。ほとんど捏造だけどね。
農耕民族日本人だよ。大概の家はホントは百姓の子孫だからね。百姓の中でも小作人がほとんどだしね。
0725人間七七四年
2011/11/06(日) 02:23:52.42ID:bjSq6cQmでもさ、直系だけじゃなく、女系も視野に入れたら、数百年の長い歴史の間にどこかしら繋がってる気もするけどなぁ
0726人間七七四年
2011/11/06(日) 02:35:44.30ID:FZHcwHEfああ母方か。なら可能性はかなり広がるね。けど母方の母方の母方の〜って把握してる人少ないでしょ。
0727人間七七四年
2011/11/06(日) 02:42:28.62ID:bjSq6cQm昔は身分制度があったからあれだけど、現代の場合、例えば先祖が農民だった俺が、吉良さんという女と結婚して出来た子は先祖が皇族みたいな感じで現代になってどんどん広がっていってるんだろうなって思う。
0730人間七七四年
2011/11/15(火) 00:45:41.12ID:8UYCPU5Nhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E6%B8%85_%28%E7%9F%A2%E7%94%B0%E5%88%A4%E5%AE%98%E4%BB%A3%29
>なお、矢田庄、矢田御厨、矢田郡などの呼称の所領は当時足利氏の所領に存在していないと言われており、矢田判官代なる義清の通称は誤りであり、根本所領の梁田判官代とされるのが正しいと思われる。
三河 矢田郷前城(愛知県西尾市上矢田町郷前)
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Yada-Gomae-jo.html
>足利一門の矢田判官義清、義実が居住した地と云う
0733奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/11/15(火) 23:09:32.32ID:KmiQLYZn0734人間七七四年
2011/11/17(木) 02:26:06.03ID:5XJRjcbihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E6%B8%85_%28%E7%9F%A2%E7%94%B0%E5%88%A4%E5%AE%98%E4%BB%A3%29
>なお、矢田庄、矢田御厨、矢田郡などの呼称の所領は当時足利氏の所領に存在していないと言われており、矢田判官代なる義清の通称は誤りであり、根本所領の梁田判官代とされるのが正しいと思われる。
三河 矢田郷前城(愛知県西尾市上矢田町郷前)
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Yada-Gomae-jo.html
矢田郷後城
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Yada-Goushiro-jo.html
矢田熊子城
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Yada-Kumako-jo.html
>足利一門の矢田判官義清、義実が居住した地と云う
http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den056.htm
>「高階系図」には、高惟長(こうのこれなが)・惟信(これのぶ)兄弟が義清に従いこの戦いで討死したことを記している。
寺津八幡社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E6%B4%A5%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A4%BE
>建久年間(1190年 - 1199年)に大河内氏の初代、顕綱(あきつな)によって創建されたと伝えられる
何故、初代大河内氏の大河内氏顕綱が三河に逃げてきたか
三河国菅生郷(現在の岡崎城周辺、地頭職は足利義兼と推定)の郷司だった高階惟長
三河国矢田郷を本拠とした足利義清
源頼政の同盟者であった足利義清と足利義清と行動をともにした高階惟長からみだったんだね
大河内氏顕綱が、矢田郷と目と鼻の先にある寺津の地に寺津八幡社を建てたのも、足利義清が関係している
0735人間七七四年
2011/11/17(木) 02:33:24.35ID:5XJRjcbi0736人間七七四年
2011/11/23(水) 21:17:25.12ID:u8Qg8Hqt0737ラーメン大好き@名無しさん
2011/11/26(土) 13:33:12.45ID:0+l7uZwn個人的に言えば佐竹かなあ
徳川は元々得川といったらしいがあれは鼻紙に写した系図らしいね
徳川が源氏なのは嘘もつき続ければ本当になるの典型例だな
マジで
恥を知れってカンジだな
0738人間七七四年
2011/11/26(土) 23:26:59.72ID:gH3s7u6E成功が約束されていた
0739人間七七四年
2011/11/27(日) 08:59:33.92ID:PCz8tsV7(?_?)
負け組新田の末裔を名乗ってるけど?
>>737
あの時代、血統なんてアクセサリーに過ぎなかったんじゃね?
今のBや半島の人達程の拘りは無いと思う。
織田の平氏に豊臣の藤原氏に徳川の源氏って、
笑えるじゃん?
今だと、新田、平、藤原、佐々木って苗字名乗るようなノリだろ
0740人間七七四年
2011/11/27(日) 12:41:15.43ID:XGf+6o2a田畑耕す仕事に戻れ
0742人間七七四年
2011/11/27(日) 22:35:37.59ID:PCz8tsV7くだらねぇ
0743人間七七四年
2011/11/27(日) 22:51:07.86ID:9knFDQRh日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→義兼→義氏→のちに足利尊氏
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国幡豆郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→義清→義実→細川義李(初代細川氏)
・”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆関ヶ原の戦い◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
0744人間七七四年
2011/11/28(月) 02:55:40.58ID:tKgoIJGcククク
0745人間七七四年
2011/11/30(水) 17:27:56.80ID:n3sVf6xX源為朝の血は2回入っている
0746人間七七四年
2011/12/01(木) 03:49:44.42ID:FSh3OjRD0747人間七七四年
2011/12/01(木) 10:48:04.05ID:LRmN/ACk松平氏の第4代当主
正室:閑照院殿(鈴木重勝の娘)
鈴木重勝
鈴木重勝の父は重員といい、足助重範と楠木正成の娘である真佐子との間にできた子供で、大和国高取で生まれたという。
鈴木重員は父の志を継いで南朝に属し、嫡男の鈴木重勝と共に北朝方と戦ったという
0748人間七七四年
2011/12/01(木) 10:56:25.59ID:LRmN/ACk加茂六郎と号した。足助氏の祖。
正室:源為朝の娘
父重直より三河国加茂郡足助荘の荘官職を継承し、同地に黍生城を築き居住したとされる。
父祖に続き河内源氏の嫡流に臣従したと考えられ、源為義の八男為朝(鎮西八郎)の娘を娶るなどした
足助重範
足助氏の七代目惣領。
元弘の乱では後醍醐天皇に味方し、天皇の呼び掛けに応じて集まった者三千余人の総大将をつとめた
弓の名手としても知られる重範は、笠置山で幕府の大軍を相手に荒尾九郎、弥五郎兄弟を遠矢で討ち取るなどして奮戦した。
しかし、落城後に捕えられ、京都六条河原で処刑された。
0749人間七七四年
2011/12/02(金) 18:32:16.44ID:vNUlpY3K血統には含まないのがセオリー
0750人間七七四年
2011/12/02(金) 20:53:18.43ID:++FXGjtn稀にみる貴種ということになるw
0752人間七七四年
2011/12/04(日) 20:04:16.25ID:BhOani1O具体的に例は?
0753人間七七四年
2011/12/06(火) 20:26:07.94ID:+ctngKwH0755人間七七四年
2011/12/07(水) 13:02:03.18ID:cDjsCFXf◆鎌倉幕府◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→義兼→義氏→のちに足利尊氏
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国幡豆郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→義清→義実→細川義李(初代細川氏)
・”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆関ヶ原の戦い◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
0756人間七七四年
2011/12/07(水) 13:03:19.46ID:cDjsCFXf総所得ランキングトップは江ノ電沿線、金融資産トップは京王井の頭線沿線。
リーマンショックで打撃を受けたのは近鉄長野線沿線――。
総所得ランキング
01位 江ノ島電鉄線(神奈川県藤沢市〜鎌倉市)
02位 阪急甲陽線(兵庫県西宮市)
03位 京王井の頭線(東京都渋谷区〜武蔵野市)
04位 東急東横線(東京都渋谷区〜神奈川県横浜市)
05位 東急こどもの国線(神奈川県横浜市)
06位 東急田園都市線(東京都渋谷区〜神奈川県大和市)
07位 相鉄いずみ野線(神奈川県横浜市〜神奈川県藤沢市)
08位 東急目黒線(東京都品川区〜神奈川県横浜市)
09位 名鉄西尾線(愛知県安城市〜吉良町)
10位 名鉄豊田線(愛知県日進市〜豊田市)
11位 東急大井町線(東京都品川区〜神奈川県川崎市)
12位 東急世田谷線(東京都世田谷区)
13位 小田急小田原線(東京都新宿区〜神奈川県小田原市)
14位 名鉄三河線(愛知県豊田市〜碧南市)
15位 東急池上線(東京都品川区〜大田区)
ソース:東洋経済オンライン
http://www.toyokeizai.net/life/living/detail/AC/a9f0b48216dc7b01346aec09db603d62/
ソースのソース:株式会社野村総合研究所 第2回全国のエリア別所得・金融資産を推計
http://www.nri.co.jp/news/2010/100330.html
0757人間七七四年
2011/12/12(月) 19:47:52.52ID:6CiWebzC0758人間七七四年
2011/12/17(土) 15:04:15.79ID:syO/nL/h国津神の子孫の嫡流が諏訪家
0759人間七七四年
2012/01/24(火) 20:33:25.67ID:ltgUx2lk0760人間七七四年
2012/01/25(水) 15:41:01.61ID:rov92xZ3http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1325431811/l50
0761人間七七四年
2012/01/29(日) 11:57:59.91ID:T0SiYrScすでに嫡流は13世紀前後までに全員殺したんだよ。
分留でも血が濃ければ
北条、信長
あたりじゃねーの?その理論で源家も存在しない。
0762人間七七四年
2012/02/02(木) 20:14:58.34ID:VPUQB4NC平氏は平維衡の子孫杉原家
0763人間七七四年
2012/02/03(金) 08:06:17.24ID:bv1pj4gK0764人間七七四年
2012/02/05(日) 19:59:23.45ID:gNTj/W45源家子孫なら吉見
0765人間七七四年
2012/02/26(日) 12:49:40.94ID:YOdCH6xH0766人間七七四年
2012/02/26(日) 18:57:35.09ID:8Sjoyaa7家康はん清和げんぢ中流以上の武田にコンプレクスかなりあて、
昭和期かなりタブーやたろけど、関東上州に新田分流(本流?)の
由緒正しい家系図保持の庄田はんと領地みつけて、江戸日本唯一の
恒久免税村なて 武田→正田の漢字アナグラムで 年一 当主が江戸しろ
来て将軍あいさつして 徳川の家系支える
いま平成にいたるまで TOKYO=江戸は 支配層にまで
得川ゆかりのこてる まだ江戸オワテないし
0767人間七七四年
2012/08/10(金) 23:45:45.64ID:U7qTe6480768人間七七四年
2012/10/16(火) 10:19:03.11ID:CY+D/IAA清和源氏だろうが
0769人間七七四年
2013/03/11(月) 18:33:30.56ID:SBlykQ85http://music.geocities.jp/jphope21/0204/46/305.html
英語で「ゲンジ(源氏)ス・カン」となる。
0770人間七七四年
2013/03/12(火) 20:57:03.18ID:JwepzjXs0771人間七七四年
2013/12/07(土) 12:33:30.24ID:GGfpM0+b0772人間七七四年
2013/12/07(土) 17:30:37.13ID:glWnfOkx0773人間七七四年
2014/04/29(火) 21:45:37.81ID:ntdDpkFS古文書のも藤原家康とサインした後
天下取りに成功しつつあるときは
源家康とサインしている
そこから近江・上野・相模・武蔵・下野と
新田・得川や足利ゆかり品々を三河岡崎近辺にコンプリート
寺社仏閣の古文書も書き換え、吾妻鏡など古典も都合よく再編纂
0774人間七七四年
2014/04/29(火) 22:31:19.37ID:hvbboNmZ0775人間七七四年
2014/04/30(水) 06:07:34.17ID:QwbroW4y0776人間七七四年
2014/04/30(水) 12:29:31.80ID:Cko50qSQその一派の河内源氏の嫡流は頼朝・足利
源氏の長者は義満から代々足利家
家康も源氏の長者を継承
0777人間七七四年
2014/04/30(水) 20:19:44.57ID:YjHEzFMh自称なwww
0778人間七七四年
2014/05/01(木) 13:46:06.04ID:BSNZf2OI0779人間七七四年
2014/05/03(土) 11:31:00.04ID:hhoG/em+自称の氏の長者て何やねん。
0780人間七七四年
2014/05/03(土) 11:41:47.79ID:S6zkr5eT0781人間七七四年
2014/05/03(土) 21:31:15.61ID:0WB627dI日本語読解力が足りないらしなw
おまえ日本人?
0782人間七七四年
2014/05/03(土) 21:33:29.01ID:wcH1D2gB0783人間七七四年
2014/09/14(日) 05:58:05.42ID:bGluuRy2クラッシックプラグマティストアブラカレー
クラッシックプラグマティストアブラカレー
0784人間七七四年
2015/01/25(日) 17:00:56.24ID:wTYTNOWl0785人間七七四年
2015/01/26(月) 15:46:44.33ID:7ai5KviP0786人間七七四年
2015/03/27(金) 22:03:19.91ID:nvq1MCXB但馬の山名氏
安房の里見氏が嫡流に含まれるだろう
徳川氏が新田得河氏の末裔ならば嫡流に含んでよいのだろう
0787人間七七四年
2015/03/28(土) 01:31:13.03ID:r5KOFc4E0788人間七七四年
2015/03/28(土) 13:29:46.13ID:6oIQyRNF三国同盟 --【傀儡】-- 足利義氏(氏康の甥)
(今川・武田・北条)
↑ ↑
| |
【対立】 【対立】
| |
↓ ↓
足利義輝 --【推戴】-- 関東管領 --【擁立】-- 足利藤氏
|↑↑↑ (憲政・謙信)
||||
||||
||| --【傀儡】--- 細川晴元・細川持隆
||| | |
||| 【傀儡】 【擁立】
||| | |
||| | -----------
||| | |
|| -----【傀儡】---- 三好氏 --【擁立】-- 足利義維・足利義栄
|| | |
| -------【義栄を新将軍として擁立】----------
|
|
| 朝倉義景 --【家臣化】--足利嗣知
| |
↓ 【讒訴】
足利義昭 --【傀儡】-- 織田信長 |
--【擁立】-- 明智光秀 --------------
0789人間七七四年
2015/04/24(金) 20:56:49.30ID:iU/OzUUW山名氏では山名氏政が嫡流
徳川氏では徳川家康が嫡流
0790人間七七四年
2015/04/25(土) 18:28:15.38ID:Ojfkha5A0791人間七七四年
2015/04/26(日) 02:26:36.34ID:BdWYFTzw0792人間七七四年
2015/05/04(月) 07:44:31.78ID:Fv4o2Ett0793人間七七四年
2015/05/22(金) 00:17:07.84ID:6Y4u/RoUそもそも名門でもなければ傍流しかいなく貴族でもない落ちぶれて山賊やる賊がげんじなのでたいしたことない
源氏は鬼退治童話が有名だが陳腐な鬼退治神話で栄誉を虚飾して大和で寄生階級ものとして暮らしたが、生活は貧窮でやっていけなくて
坂東武士団や伊勢氏からだいぶ遅れた後発組として始まってしまったため
すでにいい土地は書いたれ切ったので貧しい僻地に入植ことになった
それが佐々木、佐竹、武田など
ただこの時の入植グループのうち源氏として有名な傍流扱いされるあの源なんかはむしろ入植すらできない規制階級だったので苗字が源のまま
そして前後の乱に乗じて東北の私有化を画策して実質改易→追放に近い身分に陥って
所詮坂東武士団に寄生するようになった
この時源家は落ちぶれ一家として坂東武士に仕え、何より坂東武士団はそれに対する目付けと支配者であったっていうのが現実の構図
またこの頃から苗字が源の源氏に対し賊、悪などの呼称がまかりとうるようになる
前後九年前は苗字のある田舎豪族と苗字を持たない源姓の寄生階級の源氏で構成された源氏は
苗字のある田舎豪族と前後九年で改易され落ちぶれ上総氏と秩父氏の徒党として仕え監査の下にあったってのが源氏の実態
0794人間七七四年
2015/05/22(金) 00:17:55.34ID:6Y4u/RoUで上総氏は義朝を駒、カード、手段として部下として育成したが失敗した。
頼朝は上総を暗殺して主君ないし養父殺しとして警戒されたが上皇院と坂東武士団の二重傀儡として将軍形式権力を作られたが暗殺され一族は粛清された
この頃佐々木いや、京極は西国の有力者として台東し、京極、大友、足利が源氏豪族の新興権力として台東し、彼らに島津が加わり私有化行動及び半幕府クーデターで侵攻し北条一味(十数名で全員死亡したのが通説)
を排除して公認的ではない違反的な私有幕府を展開
但しこの悪行が極まり京極、足利は討たれ元々実態のない私有侵攻型幕府は実態が完全になくなり前期戦国になる
この頃の源氏といえば
足利、武田、大友、細川(足利系)、京極、今川なんかが有名で残りは精力的に潰れたり小さかったりした
新田は元々弱い豪族だから従属的地位として地方豪族になって潰れる。有名な新田、里見は三浦の傍流的な流党だった
佐竹は上杉を招いたことでルーツ的に藤原上杉佐竹氏になった。この系統は後に相馬含む
その源って戦国時代でどちらかといえば悪者役として滅ぶんだよな。武田は巻き添えに近い
0795人間七七四年
2015/05/22(金) 00:48:19.92ID:6Y4u/RoU大和天皇系→源氏化、平治化と坂東武士団の台東で衰退
上皇天皇系→承久の乱で追放
なんたら天皇系→魔王登場で追放
→足利に地位を追われたのが今の天皇
源氏自称傍流
坂東における徴税代官?のようなものになる→後九年などで坂東武士団の従属と監視を受ける犯罪一族になる
→秩父暗殺→地位を奪ったら平次の乱で死亡
→上総暗殺→くるえる頼朝はなぜか一族を抹殺→傀儡将軍→馬に蹴られて粛清→一族抹殺
足利系
地頭足利としてグンマーに入植、但し地位は地頭か地頭未満でおそらく児玉党のいっちゅう→源氏クーデター前後に台東→源氏追悼で失脚
→この失脚で粛清(自陣)された畠山氏の地位を盗んで足利畠山家ができる(後の応仁の乱の原因)
→源氏による幕府クーデター鬼神京極の力で勝利京極いなければ状態、ついでに足利畠山氏を攫う→天皇を貶める→鬼神京極、知の細川で転覆私有幕府を開始
→京極と揃って暗殺→畠山応仁→存在しない幕府→信長チートで復活→足利追放→細川、京極は取り入りで成功、京極は徳川、足利の立役者
鬼神京極
源氏がしゃしゃき領に入植→佐々木氏渋谷家に匿われ武士団佐々木氏が始まる→承久の乱で京を燃やす(京の悪鬼事件)
→足利と組んで転覆、鬼神京極が立役者→鬼神打たれる前後の世代もやたら闘死していて一旦衰退
→脇役のママ150年が始まったら何故か関ヶ原勃発。落ちぶれた京極は鬼神の動きで闘将立花を迎え撃つも闘死、但しこの闘死落城の瞬間関ヶ原で西軍が敗北した
この京極の牽制がなければ最強の立花が西軍の勝利は揺るぎなかった
→大名に復帰
→明治の騒乱の前後うまく政府派に寝返り生き延びる
細川→語るべくもなし薄弱な官僚でまるで近衛文麿のようであり天皇を廃止応仁で没落し、ガラシャと縁戚になり
地位は無縁だったはずが改易の連続で「家紋が九曜紋である」のを理由に坂東武士団系国土の多い大熊に移動させられ地位を得る
→近衛文麿→細川オワタ
0796人間七七四年
2015/06/13(土) 16:46:30.24ID:9FF1YWme0799人間七七四年
2015/06/13(土) 21:44:56.33ID:X13vJz/I専門家(笑)の目で、清和源氏の系図を見ると
清和源氏嫡流は伊勢平氏に事実上服従して滅びた摂津源氏(多田氏が嫡流)
これに対して河内源氏は摂津源氏の弟が作った分家。
どちらも、清和源氏。
血筋として遥か格下の平氏に従った摂津源氏を武家源氏の頭領と認めたくない人達が、河内源氏(有名どころでは八幡太郎、加茂次郎、新羅三郎、鎮西八郎、悪源太義平、源右大臣頼朝、足利尊氏、武田信玄)を武家源氏の嫡流としたんじゃね
0801人間七七四年
2015/10/31(土) 00:11:47.87ID:FtrvIc5m0802人間七七四年
2016/02/10(水) 05:55:32.37ID:ijhC9ro3https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0 メジャールールブック総務京都米予算
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田コスト
0803人間七七四年
2016/08/25(木) 21:14:18.37ID:18m4sR16…八幡太郎義家の、軍勢でのオオカミ退治の功績によるもの
源義家の狼退治伝説 - 地元あちこち
kacco.kahoku.co.jp/blog/m-katono/53770
> 「医学部北門から南に延びる旧新坂通りのこの辺りのゆるい坂道は、
> 八幡太郎源義家が後三年の役に奥州下向の折(1083年)、
> 万民を悩ます狼を退治し埋めた所と言い伝えられている。」
> 昔は中山の辺りには狼が多く住んでおり、 この辺りまで下りてきて
> 住民に危害を加えていたそうです。
>>649 義仲は、オオカミ数頭相手に一人で立ち向かい斬殺
人形劇『平家物語』vol.5 - 22〜24話
http://kiratemari.exblog.jp/4627472/
> 駒ヶ根の牧が狼の群れに襲われ、愛馬が餌食にされたことに腹を立てた義仲が、
> たった一人で狼数頭に立ち向かい斬殺する光景を目の当たりにして、
> 将来天下にはばたく武将の相を見て取り、その教育係を引き受けた…
**退治で名を上げるのは源氏が多いな
0804人間七七四年
2016/08/26(金) 00:27:28.91ID:o1Yy7a5p0805人間七七四年
2016/08/28(日) 14:52:13.65ID:9JpDfFWC0806人間七七四年
2016/08/28(日) 14:59:39.80ID:9JpDfFWC何故ならば清盛が安芸と播磨に領地が有って京都の防衛上、備中に兵隊を置いて西国に睨みをきかさないといけないから。と思うが……。
0807人間七七四年
2016/09/19(月) 15:32:16.42ID:CbYPdHFW0808人間七七四年
2016/09/20(火) 12:18:00.44ID:rj/XUKp00809人間七七四年
2016/09/22(木) 20:10:11.24ID:c+6SOXU80810人間七七四年
2016/10/11(火) 20:26:47.13ID:c9g7GvEz0811人間七七四年
2016/10/22(土) 21:30:09.93ID:/qQdrt6S@苗字が源であり、兄弟の長幼に係わらず氏の長者が嫡子と決めたものを優先する(次男の源義親へ)
A源の嫡流が途切れたとき(源実朝で終了)は遡って一番近くの血筋で地方に分岐した氏の長者(足利一族)を嫡流とする
B苗字が源から変更したものを優先する(源⇒足利、新田などが優先。足利⇒別性は後位)
つまり源頼光⇒源頼信⇒源頼義⇒⇒⇒⇒源実朝で氏の長者が滅んで、遡って足利氏へ嫡流が移り、足利義昭で氏の長者が滅んで新田へ移るところだが新田の氏の長者はすでに消滅しており、再び遡って・・・とやっていく
0812人間七七四年
2016/10/22(土) 22:21:03.15ID:vtFoeoU20813人間七七四年
2016/10/23(日) 04:34:46.76ID:OZC6Lb/R二、<鎌倉&室町時代>足利の血統⇒足利義昭(消滅)
三、<戦国時代>(消滅)
四、<江戸時代>吉良が最上位
源⇒足利⇒《斯波は抜き(足利義昭より先に凋落のため)》⇒吉良(もしかして吉良上野介義央で終?)⇒
0814人間七七四年
2016/10/23(日) 08:33:57.44ID:EtU1DDkJ仮に吉良が途中で没落しているときは【@吉良の傍流で】【A繁栄している家で】【B繁栄度が共存する場合は格上なほう】が源氏の嫡流
《※徳川≠源氏》
0815人間七七四年
2016/10/23(日) 08:59:02.47ID:6Q8DAnL8〔源氏⇒上野新田・下野足利〕
〔足利⇒陸奥斯波(尾張斯波)・三河吉良〕
A繁栄しているほうを優先
(鎌倉末期)〔足利>新田〕
(江戸初期)〔吉良>斯波〕
B格の上下は意味あるか???繁栄度が五分なら格上を優先???
(新田≒足利)
(斯波≧吉良)
0816人間七七四年
2016/10/23(日) 10:02:20.06ID:BHMhKKCeそんな遠い血縁より途中で分かれた分家がいるだろ
0817人間七七四年
2016/10/23(日) 11:25:33.47ID:teLU/S9E徳川家康が御三家を設定して、後の将軍の庶子よりも遥かに大きい地盤を有している(開祖の傍系の)形態は似ていますが、
戦乱がないまま幕末へ向かったので先ずは近縁の連枝へと世継ぎができていますね
すると戦乱が多発した室町時代では大きい地盤が残っていて人望もある有力な傍系に氏族が集まりやすかったため、結果として足利が嫡流と認められたのでしょうなあ
開祖にさかのぼる必要は取り下げ
0818人間七七四年
2016/10/23(日) 11:32:44.46ID:gEf26Ui30819人間七七四年
2016/10/23(日) 11:40:24.20ID:y+MEqfzn嫡流の転換時には【@血統が確かで】かつ【A最も強勢を誇っている家系】であることが必要といえます
0820人間七七四年
2016/10/23(日) 11:41:58.36ID:GVUTXh0y嫡流の大転換時(近縁の連枝が絶えた場合)には【@血統が確かで】かつ【A最も強勢を誇っている家系】であることが必要といえます
0821人間七七四年
2016/10/23(日) 19:48:17.07ID:M+07UejJ新田荘は源義国の長男の源(新田)義重
足利荘は源義国の二男の源(足利)義康
二男の系統であっても足利のほうが源平合戦での功が大きいので、長男の系統の新田よりも遥かに地位が高くなり鎌倉時代では足利が源氏の嫡流へ
0822人間七七四年
2016/10/30(日) 04:32:45.80ID:38vE+bXE清和天皇⇒源経基⇒⇒⇒源実朝
(第二次嫡流)
源義国⇒足利義康⇒⇒⇒⇒足利義昭
(第三次嫡流)
足利義氏⇒吉良長氏⇒⇒⇒
氏姓の直系が途切れた時に一族の中で『最大権力者の家』が直系を公言(暗黙の認証?)できるような時代背景のため、源⇒足利⇒吉良となります
0823人間七七四年
2016/10/30(日) 11:49:40.69ID:rTkxv6dQ0824人間七七四年
2016/10/30(日) 12:21:28.84ID:Y4bJhZhZ俺の先祖に当たるけどな。
実は言うと鎌倉時代に加賀とか備後にその末裔が守護『追捕師』として派遣されたんだよ!
村上源氏だけではないから平家が敗れた後の土地に派遣されたのは伊勢、播磨、安芸、因島、北信濃などは村上源氏だけどな!
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています