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武功夜話は偽書?

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0001名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 12:21:27ID:618CGoao
一時『武功夜話』は贋作だって話題になってたけど、
昭和30年代成立だとか、江戸時代に一部が完成とか、
結局史料的価値はどうなんだ?
0002名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 12:30:56ID:exi/yBp0
( ´゚ω゚` )
0003名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 12:31:35ID:4DLiAtZu
( ´゚ω゚` )
0004名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 12:32:48ID:i9uyTOKq
( ・`,_ゝ・´)
0005名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 12:35:49ID:f1RYk2wV
武功夜話を良質な史料として持ち上げた作家。
堺屋太一、津本陽、遠藤周作、など。哀れなもんですな。
0006名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 12:53:00ID:bZzAiQei
前野将右衛門。
0007九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU 2007/01/20(土) 13:14:55ID:bJFtHMX7
新人物の合戦辞典はすごい。特に織田がからんだ合戦の項目は武功の逸話で埋め尽くされている
さすが小和田先生!さすが新人物往来社!
0008名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 15:15:49ID:nVlX8jFP
( /● ω ●\ )
0009名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 15:29:12ID:C82nMMiN
別に作家先生はどうでもいいだろ
連中の種本なんて名将言行録とか翁草とか徳富蘇峰なんだから
マジになっちゃった学者先生は気の毒だが
0010名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 16:47:07ID:f1RYk2wV
>>5の辺りはただ小説書いてるだけじゃなくて
歴史雑誌なんかで度々偉そうな講釈垂れてるから問題
0011名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 16:56:15ID:2Fmz3Xhk
戦国関連モノを立ち読みして面白かったら買おうかと思ったら
「武功夜話」によるととか平気で書かれてると買う気が無くなるな
0012名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 22:46:43ID:bqzwFyNd
また鈴木信者のスレ立てかよ。
0013名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 22:48:36ID:f1RYk2wV
鈴木氏はそんなに好きではないけれど、
『武功夜話偽書説』は異論の余地が無いのでは。
真書だとおもうなら、その根拠を出してみてよ。
0014名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/25(木) 21:02:29ID:5FvJT9yk
図に矢印の表現が出てきたのは日本史的にいつから?
0015名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/26(金) 01:59:33ID:tzAv/9Wd
>>14
天文年間の頃と言われているそうだ。
0016名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 00:25:08ID:Bylx8G1o
信忠の生母が誰であるかを示したものは武功夜話だけなんでしょ?
0017人間七七四年2007/03/05(月) 22:38:34ID:lL9au7H1
たまたま読んでた本に『武功夜話』のことが書いてあって
興味ぶかい分析をしているので紹介しときますね。

「この本は寛永年間(1624〜44)の編述だとか
享保15年(1730)の再写だとかいうのだが、
文中に美濃国の堂洞城に関する記述があって、
その中に「富加という所一筋道あり」と記述されている。
たしかに岐阜県の富加町には堂洞城跡はある。
(中略)
この『武功夜話』に記述のあった富加という地名は
昭和29年(1954)に加茂郡富田村と加治田村が合併した際、
その一字ずつをとって命名された新町名なのだ。
顕れたる馬脚、というべきか。語るに落ちる、というべきか。
『武功夜話』が作成された時期の上限がここに語られている。
昭和29年より古くに遡ることはできない。」

(服部英雄『地名の歴史学』角川書店、平成12年、227〜228頁)
0018人間七七四年2007/03/06(火) 12:06:44ID:dgvgeIzU
作家はまあ別にいいと思うんだよね。彼らの仕事は面白いフィクションを書き上げることなのだから。
その点では、武功なんていいネタ本になっただろう。

問題は、創作であり作者個人の歴史認識に過ぎないことを学説のように扱うことだろう。
「司馬史観」なんてその最たるもの。
0019中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/03/06(火) 12:17:26ID:TnbgEAEs
そしてその武功に魅せられてあっさり飛び付いた小和田オワタ
0020人間七七四年2007/03/08(木) 18:58:00ID:FpVojxjD
歴史読本6月号の武功夜話についての発言

>私自身も「決して良質な史料とはいえない」と自分の本には書いてきた。

>ただ書かれていることが全部間違いで、否定されるかといえばそうではなく、
>『武功夜話』にしか見えない話の中には、史料として使える部分もあるのではと考え、そのように接し、使ってきた。

>ところが、1999年、勝村公氏が、「偽書『武功夜話』と贋系図『前野氏系図』の検証」(『歴史民俗学』第15号)
>という論文を発表し、『武功夜話』偽書説の烽火をあげた。
>ついで、藤本正行、鈴木真哉両氏は、2002年に書名もそのものずばり『偽書「武功夜話」の研究」(洋泉社新書)を出し、
>『武功夜話』偽書説が主流となってきた趣がある。

>それぞれの主張については、両書を読んでいただくとして、
>私が気になるのは、両書とも、『武功夜話』の成立を明治以後としている点である。
>藤本正行、鈴木真哉氏は、明治40年以降、勝村公氏に至っては、昭和29年以降とする。
>だから偽書だという主張である。

>偽書ならば歴史の研究には使えないということになる。
>偽書と家伝史料・軍記物とでは全く扱い方が違ってくるわけで、
>「いつか原本に当って確認したい」と考えていたところ、閲覧の機会を得て、
>吉田龍雲氏の土蔵に入り、刊本となった『武功夜話』の原本とされる21巻本の「武功夜話」に接することができた。

>「千代女留書」といわれる「武功夜話拾遺」を含め、すべて、江戸時代のものと見てよいと私は判断した。
>江戸中期というよりは、後期の可能性が高い。
>しかし明治40年以降、昭和29年以降ということはありえないのではなかろうか。

>実は『武功夜話』には原本になったという21巻本の他にも先行する「武功夜話」があり、
>それらと刊本との照合も必要になるし、『武功夜話』の典拠とされる「覚書」類の研究も今後は必要になってくるように思われる。

静岡大学教授小和田哲男氏について
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160246355/
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