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なぜ盾は日本で普及しなかったか

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0001名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/15(月) 11:23:05ID:jrEObPcK
日本において、西洋などに見られるような
手に持つタイプの「盾」はなぜ普及しなかったのでしょうか?
戦国時代に盾持って武器振り回していた武士っていたんでしょうか?
0724人間七七四年2007/10/08(月) 12:56:56ID:tcExDfEs
>>723
もう半分が見てぇ
つか鎧格好良い
0725人間七七四年2007/10/08(月) 19:26:29ID:hYf+eiBY
地中海・欧州で本格的に盾を使用したのは
「海の民族」とその後継のアッシリアだと
言われている。
メソポタミアやエジプトのチャリオットの弓に
対抗するため、円形の大盾が発達したと。
0726人間七七四年2007/10/08(月) 20:31:41ID:My4CYWQh
>>723
置き盾っぽくね?
短甲は靴まで銅や鉄のもあるんだよな
0727人間七七四年2007/10/08(月) 20:32:23ID:My4CYWQh
>>725
海の民というとフェニキア人?
0728人間七七四年2007/10/08(月) 22:23:50ID:SIYRvKXr
>>714
はだしのゲンで賭場荒らしをする前に腹にさらしをきつく巻くシーンがあったな。
0729人間七七四年2007/10/08(月) 22:28:19ID:Q1PMSXi/
>>1はバカ?
日本は世界で一番盾を使ってる国だぞ
むしろ銃が普及してないのがおかしいくらい

http://www.nanwa.biz/
http://www.nanwa.biz/guard/type5.html
0730人間七七四年2007/10/09(火) 02:05:43ID:zvVsESSi
騎兵に対しては長槍ってのが洋の東西とわず定番だよなあ。
戦場では太刀ではなく、結局、槍だってのも常識だよなあ。

槍を使う以上、両手がふさがる、盾は持てない・・・・それだけでね?
0731人間七七四年2007/10/09(火) 18:35:10ID:Sa3DQtRo
>>730
ある意味そうかも。
平安後期から鎌倉にかけての武装だと騎兵は弓、歩兵は薙刀を初めとする長物各種だから、
こうした両手持ちの武装をずっとしてたのが盾を持つ習慣が減った一因だと思う。
0732人間七七四年2007/10/09(火) 19:48:17ID:44G6oUmT
>自衛隊用大盾「ニンジャ」
ttp://www.nanwa.biz/guard/image/xl_l.jpg

毎度思うが近年の日本の武器兵器のネーミングセンスは何とかならんのかw
0733人間七七四年2007/10/09(火) 22:18:49ID:GBHWE9KA
>>730
ただ、海外の槍騎兵は盾を持ってるのも多いしなあ。
騎兵盾は腕にはめるから、左手で手綱を握れるし。
0734人間七七四年2007/10/09(火) 22:55:46ID:4Ek7KYYY
長槍の密集隊形で騎兵のチャージを防げても、
盾ではどう頑張っても防げないからな。

その槍衾を崩すために、鉄砲が普及していくわけで。
0735人間七七四年2007/10/11(木) 03:34:50ID:c7qwJe/h
古墳時代の盾は古代ローマの盾と同じぐらいのサイズだな。
ttp://www.general-museum.fks.ed.jp/syuzohin/harayama/harayama3.html
0736人間七七四年2007/10/11(木) 11:32:25ID:Eh8CCgQS
>>730
ただ日本の盾が廃れた時代はまだ日本には槍がないんだよな
そこがみんなひっかかってるわけでさ
どのみち神武東征のさなかかあとかそのぐらいからこつぜんと盾と矛が消えいきなり弓と日本刀の時代になるんだよな
0737人間七七四年2007/10/11(木) 18:58:50ID:GYyP0Y/Z
言いたい事はわかるが、はしょりすぎだろw
0738人間七七四年2007/10/11(木) 20:23:29ID:GYyP0Y/Z
長槍の密集隊形が発達したのは、やはり騎馬突撃等々に備えてって事なんだろうかね?
0739人間七七四年2007/10/11(木) 22:21:33ID:+yUUPblr
開けた土地なら歩兵同士でも長槍の密集隊形のほうが優位だと思うよ
0740人間七七四年2007/10/12(金) 04:55:09ID:Ia66yXcB
ギリシアの長槍はローマの剣に負けてるわけで。
0741人間七七四年2007/10/12(金) 17:23:05ID:1QY4NKSX
片手使いの長槍と日本の長槍はまた違うんじゃないの
0742人間七七四年2007/10/12(金) 23:18:10ID:Hsm9UeK8
>>740
ローマの長槍はガリアの剣に負けてるわけで

まぁどちらの例もファランクスがまともに機能できない地形での勝負だし
0743人間七七四年2007/10/13(土) 03:22:19ID:MhVKZ8rt
ファランクスの最大の弱点はそのアドリブの効かなさなのかもしれないな
まともに機能できないのがわかってるなら他の闘い方すればいいのだが団体行動の訓練にほとんど時間をとられてるからもうそれしか出来ないんだな
0744人間七七四年2007/10/13(土) 05:24:32ID:0/k6mK2c
 元々歩兵の密集陣は農業技術の発達で市民を兵士として大量動員できるようになってから始まった戦術だからなぁ
 士気や錬度がそれほど高くない歩兵の打撃力と耐久力を得るための運用法だからね。
 早々アドリブは利かない。
 というか古代〜近世までは合戦中のアドリブでどうにか出来る戦いってのはあまりない。
 戦闘前の準備段階(地形や敵の手の内の読み合い)で勝負がほとんど決定してしまう。
 合戦中に相手の出方が判っても対応することはあまり出来ないんだな。

 ファランクスは正面への戦力集中という点では大変優れているけど、その分戦闘機動性を犠牲にしているので
騎兵や軽歩兵によるサポートがないと、簡単に弱点である側面を突かれてしまうし、
 わずかな障害物で陣が乱れてその結果、防御力が低下するので
 いかなる場合においても万能、とはいえないんだよね。
 打撃力というか正面突撃力に特化した兵種かと。
0745人間七七四年2007/10/13(土) 06:52:25ID:cRDQSsdI
ハルバードなどの長柄武器の乱戦には弱かったらしいね
0746人間七七四年2007/10/13(土) 11:12:06ID:sLLPq+UO
68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 03:10:47 ID:dz5gOBAl
長刀、此レ倭中国ヲ犯スヨリ始テ之有リ
[日本海賊が中国に攻めてきたときに初めて我々は長い日本刀の力を知った]

彼ラ是ヲ持チテ跳躍光閃シテ前ニ進メバ我兵ハ己ニ気ヲ奪ワレルノミ。
[彼らが日本刀を使って稲妻のように早く攻め込んでくると我ら中国の兵は集中を乱し混乱するのみだった]

倭ハ躍ヲ善クシ、一度足ヲ逆エバ別チ丈余、刀長五尺ニテ、則一丈五尺ナリ。
[日本人はフットワークが巧みで一息で1丈も飛び込んでくる。彼らの日本刀の刀身は五尺あるので一丈五尺も先から斬り込まれる事になる]

我ガ短兵器ハ接シ難ク長器ハ捷ナラズ、身多ク両断ス。
[我々の武器のうち剣などの短めの武器では日本人には近づくことが難く槍などの長柄武器では遅すぎて日本人のスピードに付いていけない、我々の多くが両断されて死んだ。]
0747人間七七四年2007/10/13(土) 14:37:40ID:IwYt7lx4
長い槍は一人で戦ったら回り込まれてお陀仏だね
だから何人も集まってハリネズミみたいにするんだろう
横に回り込まれるなら長槍で円陣(方陣?)組むのってシルトロン陣形っていうんだっけ?
中に弓兵とか剣兵入れて盾も持てば連戦連勝じゃね?
0748人間七七四年2007/10/13(土) 19:48:22ID:xsCbv92p
いつも思うんだがその陰流の目録持って海賊行為してた連中は一体何者なんだろう
0749人間七七四年2007/10/13(土) 21:31:21ID:53+jhfs6
牢人とか傭兵の類でしょ。
0750人間七七四年2007/10/14(日) 04:23:27ID:TdNfz7VO
>>747
あーいやー…
まず円陣は動けない。機動性ゼロ。
この時点で著しく不利。
 また、戦力の集中という点でも不利。
ある面で敵部隊と交戦に入った場合、他の面の兵が遊兵になってしまう。
同数の部隊同士でぶつかり合うと円陣のほうが粉砕されてしまう。
 戦闘に入る前段階で有利な地形に陣取れれば、防衛には有利かもしれない。
0751人間七七四年2007/10/14(日) 07:59:39ID:xEUW85DE
陰流の目録とるくらいのやつなら、若い時期に結構本気で剣に打ち込んでた経験を
持ってるやつなんだろうな。まあそのあと、海賊に落ちぶれたわけだがw

しかし戦場で盾が多く使われるって形は、結局、どこでも古代の話でねーの?
ほんとは、鎧がちゃんとしてなかっただけでは。
単に経済力・工業生産力の問題だけだったりしてw
0752人間七七四年2007/10/14(日) 17:39:05ID:i209i8Hc
海賊って言うとただ略奪してるようにみえるかもしれないけど
実際は商人なんだよ
ただ商談がこちらに有利に成立しなければ暴れるかもよという武力を背景に商談を進めるというなんともんぁーな商人なの

また倭寇はちょうど元寇のあとすぐが一番盛んなんだ

なので拉致被害者救出、略奪には略奪で報復、軍船の焼き討ち、大陸の軍事的情勢に関する情報収集も包括的にやってた
弘安の役までの元軍の規模などの情報収集などに倭寇は大きく貢献している
のちに大陸から幕府に泣きが入って「もうやめてくれ」っていうまでは幕府は見てみぬふりで傍観していた
0753人間七七四年2007/10/14(日) 19:01:48ID:Rx3s5Xdf
つか、後期倭寇の90%程が日本人ではないという現実。
0754人間七七四年2007/10/14(日) 20:56:22ID:6xhszBD3
真倭二三偽倭七八 でしょ。

明の兵士は盾+刀が多かったみたいだけど、利き腕でじゃない方の片手で日本刀のような両手武器の攻撃は受け切れなかったんだろうかね。
両手と左手で腕相撲するようなもんかなと。
戚継光の鴛鴦陣を見ると、両手用の盾で倭寇の攻撃を防いでいるし。
(無論、これでは攻撃が出来ないので、それは別な兵士が行う。)
0755人間七七四年2007/10/14(日) 22:31:06ID:5WtCSmYL
>>754
明と朝鮮の盾って藤を編んだものだよね。
強度はどんなもんなんだろうな。
0756人間七七四年2007/10/15(月) 08:14:09ID:aCwfmXr6
>>753
>>752の後の話だよそれは

幕府が倭寇をとりしまるようになってからも倭寇という名の海賊は活動を続ける
倭刀をもって和服っぽい格好をして海賊行為をするとみんなびびってにげごしになるため
初期の倭寇を騙って海賊をする者があとをたたなかったためだ
0757人間七七四年2007/10/15(月) 15:27:38ID:XDwaQUdK
>>754
籐甲兵を真っ先に思い浮かべてしまうなw
さて、火攻めの準備に取りかかるか。
0758人間七七四年2007/10/15(月) 21:13:46ID:XVuFfL0z
かの国と中の国の連中はその頃からやっぱそんなだったんだな…w

某本で読んだんだが
イエスズ会が教徒の日本人を奴隷として連れていこうとしたのを
国家元首の立場にある秀吉が多いに憤りを感じて行動を起こした事について
この頃の日本人の同胞に対する感情の度合は
現代における拉致問題の体たらくを見れば…ってのがあった
0759人間七七四年2007/10/16(火) 14:15:47ID:Vtr4ZIOm
>>755
和弓で貫通する程度の強度のようだね
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e04.htm
0760人間七七四年2007/10/17(水) 14:32:59ID:dRXY96Yr
大袖を盾に使って刀刃を避ける描写が太平記にあるね


向ふ敵を御方の射手に射すくめさせて、七人の者共鎧の射向の袖汰合せ、
跳懸々々鍔本に火を散し、鋒に血を淋ひで切て廻けるに、
山名が前懸の兵四人目の前に討れて、三十人深手を負ければ、
跡につゞける三百余人進兼てぞ見へたりける。
0761人間七七四年2007/10/17(水) 14:51:35ID:nvLC5i7x
西洋の剣はどちらかというと叩き切るというイメ−ジ。
体がでかいから重い剣でもOK。
盾で一撃を防げばチャンスはあるが、日本刀は小回りが
きくから盾で防ぐと逆にきられるから
0762人間七七四年2007/10/18(木) 00:11:51ID:dl5k+jWH
>>760
射向の袖だから左肩を突き出して進んだのか
0763人間七七四年2007/10/18(木) 11:37:33ID:/8hUc8Te
脇構えとか八双とかも鎧の袖を盾にしての構えとすれば
隙がねー構えってことになるんだな
0764人間七七四年2007/10/22(月) 13:04:18ID:H+jqjnG3
日本人が全力で動くとき風のように漂って動く。常に一人で陣に入って、たくさんの兵も抵抗できない。
その刀の使い方は、長い方で構え守り、短いほうで止めを刺す。しゃがんでいるかのごとく低く移動し、決して下がらない。
相手が何人いようと対応する、日本列島の中だけの絶技である。

屈大均
0765人間七七四年2007/10/22(月) 22:40:54ID:rADH/Bbt
中国に大量に輸出された刀って戦に使われた事はあったんだろうか
0766人間七七四年2007/10/23(火) 18:18:42ID:D2QF+F/i
時代による。
でも主に美術品扱い
0767人間七七四年2007/10/24(水) 06:10:33ID:fgP98KPD
東西を問わず、手持ち式の盾が中世には廃れた代わりに、甲冑が発達した訳だが
西洋では堅牢に発達したプレート・メイル(スーツ・アーマー:全身板金鎧)に対抗すべく、ウォー・ハンマー(ベクド・コルバンの様な戦鎚)やウォー・ピック、それにメイスやフレイル等の打撃(殴打)系武器が戦場に現れた訳だが
日本にも具足の上からでもダメージを与えられる対鎧用の打撃武器ってあったっけ?
金棒(鉄棒)くらいしか思いつかん…。
0768人間七七四年2007/10/24(水) 12:48:47ID:MziVQrq3
日本の場合は、可動部分の多い鎧だから、
動くと隙間が出来る。
そこをピンポイントに刺突出来る槍が隆盛した。
足軽用の長槍は用途が別としても、士卒も槍を持っている奴が多い。

あと大身槍や長巻なんかは、どちらかといえば鎧ごとぶったぎる系じゃね?
上記と金砕棒以外なら、鉞や掛矢なんかもあるね。
0769人間七七四年2007/10/24(水) 18:12:12ID:0chVec2/
南北朝時代は日本刀そのものが巨大な打撃武器の性質も兼ね備えてるからなぁ
上で出てる太平記なんかでも脚を両断した同じ刀で鎧ごとぶん殴ったりしてる描写がいくつも出てくるしな
殴るのと斬るのを同じ刀でやってる

>>768
>上記と金砕棒以外なら、
マサカリってのもあったね

0770人間七七四年2007/10/24(水) 18:51:15ID:MziVQrq3
>>769
鉞[まさかり]ですぜ、だんな。
0771人間七七四年2007/10/25(木) 07:12:31ID:+x4RMaJX
金砕棒は最上義光が長谷堂城の戦いで使ってたな
どっちかっていうと丈っぽいが
>>768
掛矢って何かと思ったら槌のことか。
英語にするとウォーハンマーw
0772人間七七四年2007/10/25(木) 11:44:12ID:XAYp9/2i
>>771
いつの世も、ハンマーとドリルは戦う漢の浪漫ですゼ、旦那ァw
0773人間七七四年2007/10/25(木) 12:38:18ID:MrSQ28qR
みんなムロフシに憧れてんだなw
0774人間七七四年2007/10/25(木) 15:30:28ID:41a91J6Z
俺は愛洲移香斎か辻月旦に憧れるなぁ
0775人間七七四年2007/10/25(木) 20:50:04ID:t3gB/RW2
>>772
じ、じゃあパイルバンカーはさしずめ管槍ですか?(;´Д`)
0776人間七七四年2007/10/26(金) 12:19:24ID:6QwfKEv5
刀や槍を持って雄叫びを挙げている鎧武者も恐いが
金砕棒や鉞を持って暴れまくる鎧武者の方が、迫力が倍増する件について
0777人間七七四年2007/10/26(金) 15:34:02ID:4squnCy6
日本には一発芸的武器も残ってるよね

0778人間七七四年2007/10/26(金) 19:53:39ID:DO3/kRlg
鏃の種類が異様に多い事に驚いた
0779人間七七四年2007/10/26(金) 21:30:59ID:2KhrcWWp
>>776
俺は巨大な大太刀ふりまわすほうが迫力あると思うがなぁ

「小跳して片手打の払切に切て上りけるに、太刀の歯に当る敵は、どう中諸膝かけて落され、太刀の峯に当る兵は、或は中にづんど打上られ、或尻居にどうど打倒されて、血を吐てこそ死にけれ。
0780人間七七四年2007/10/26(金) 23:34:33ID:yz8MDzET
しかし大太刀も金砕棒も南北朝を頂点にどんどん衰退していく。
大太刀に至っては、すり上げられる(刀身を短くする)始末だしね。

集団戦に向かなかったのと、振り回す系の武器は刺突系の武器とは相性が悪いらしい。
0781人間七七四年2007/10/27(土) 11:56:52ID:HhrKPlTS
刺突系と相性が悪いというのは少し誤解があって
正確には集団で使われる日本の長「槍」襖と相性が悪かった
大太刀とはいえ一部例外を除き4尺から5尺が限界だが槍なら7尺ぐらいでも普通に扱えるから
日本の槍は中心が長く柄の部分のかなり深いところまで中心が入っているためなぎ払っても穂先が破壊されない

実際中国を荒らした初期倭寇は大太刀を使い、中国の槍相手に有効だったわけだし
刺す武器と相性が悪いというと少し意味合いがずれてくる
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
長刀、此レ倭中国ヲ犯スヨリ始テ之有リ
[日本海賊が中国に攻めてきたときに初めて我々は長い日本刀の力を知った]

彼ラ是ヲ持チテ跳躍光閃シテ前ニ進メバ我兵ハ己ニ気ヲ奪ワレルノミ。
[彼らが日本刀を使って稲妻のように早く攻め込んでくると我ら中国の兵は集中を乱し混乱するのみだった]

倭ハ躍ヲ善クシ、一度足ヲ逆エバ別チ丈余、刀長五尺ニテ、則一丈五尺ナリ。
[日本人はフットワークが巧みで一息で1丈も飛び込んでくる。彼らの日本刀の刀身は五尺あるので一丈五尺も先から斬り込まれる事になる]

我ガ短兵器ハ接シ難ク長器ハ捷ナラズ、身多ク両断ス。
[我々の武器のうち剣などの短めの武器では日本人には近づくことが難く槍などの長柄武器では遅すぎて日本人のスピードに付いていけない、我々の多くが両断されて死んだ。]
0782人間七七四年2007/10/27(土) 15:20:31ID:ukTgEuIX
それはそれで違うぜ。

日本槍は、日本刀に容易に両断されない工夫がなされている。
明兵が異国たる日本の武術に対応できないのは当然かもしれないが、
日本でその対策が為されていないわけ無かろう。
もし刀が槍に勝るのならば、雑兵はもとより武者が槍を主武装にし続けた説明がつかない。

具体的には鎌や鍵を取り付けることで、受け流しを容易に出来るようにした。
そもそも日本刀同様に茎形式なので、
穂先だけではなく蕪巻くらいまで(穂先から1Mくらい、全体の1/3)は茎が埋まってる。
そこらあたりは「太刀打ち」という呼称で呼ばれていることからも用途は想像していただけるだろう。
島津家で用いられた袋槍などは、この茎が無いおかげで簡単に柄を切り離されたけどね。
中国槍は、形状を見る限りは後者だと思われるので、切断されてもしかたない。
0783人間七七四年2007/10/27(土) 15:28:55ID:ukTgEuIX
要するに
日本刀対策のなされていない槍は、柄を切断されるので日本刀と相性が悪いのは事実だが、
柄が容易に切り離せない日本槍との比較には役に立たない、と。
0784人間七七四年2007/10/28(日) 01:16:54ID:JHVe+kb/
戦国時代は一対一を考えての戦術は考えてないから槍が使われたのでは?
槍は長い方が有利という考え方があったけど
一対一を考えるなら、一撃目を避けられたら長い方が弱いに決まっている。
しかし、縦列をつくって前進するという戦術単位を考えればその弱点を補い
長い方がより有利になってくる。

倭寇なんかは、そもそも規律正しい武装集団ではない。
遊撃部隊のようなもので、一人一人が
暴れ回っていたのだろうから、携帯品も身軽さを重視していたろうと思われる。
また、鎮圧するがわにとっても
倭寇は神出鬼没で軍が駐屯している町にきてくれるものではないから
盤面のチェスのような固定的な戦場で干かを交えるというものにはなりえなかったと思う。
小集団からなる警備兵との小競り合いに終始したのではなかろうか。
そういった場合、一対一、一対多に柔軟に対応できる武器がものをいう
そのような場面で、いきなり側面に攻撃をうけた場合柄で防いでは両断される日本刀は
新たに出現した脅威だった。ということではないかと推測してみる
0785人間七七四年2007/10/28(日) 03:06:40ID:HWzGAVai
槍は密集陣と相性がいいからね。
薙刀とかだとスイング、斬撃が使えなくなるから戦法の幅も狭まるしリーチの面でも不利だし。
ちなみに古代ヨーロッパでもガリア人は大振りなロングソードで武装してて散会せざるをえなかったのに対して、
ローマ軍はメインアームに刺突メインの片手槍、サブアームに小振りなグラディウスだから、
密集陣を組んで防御と密度を高められたので優位に戦えたって話もあるらしいし。
0786人間七七四年2007/10/28(日) 13:59:43ID:tCODAOEy
>>781>>782はよく読むと同じことが書いてあるんだが
0787人間七七四年2007/10/28(日) 14:06:26ID:tCODAOEy
>>785
なぎなたって突き斬りや脚払いもあるけどやっぱり主に切り払う武器だというのが一般的な認識だとおもうけど

薙刀で斬撃しないなら
なぜスイングを意味する薙ぐという字があてられていたのかね


http://search.live.com/images/results.aspx?q=%E8%96%99%E5%88%80&mkt=ja-jp&scope=&FORM=LIVSOP

0788人間七七四年2007/10/28(日) 16:15:46ID:tCODAOEy
>>784
初期倭寇は確かに非正規軍で乱戦が一番強かったのは確からしいんだけど
かなり統率された部隊だったと言われてる
中国の鄭若曾は胡蝶陣と呼んで記録に残してるが倭寇は部隊長の扇の指示によって部隊が一糸乱れず行動していたようだ

0789人間七七四年2007/10/28(日) 17:05:02ID:lo9NElBy
>>787
よく読めと…。
おそらく、密集陣を組むと長刀の特色である払いが使えなくなる、使いにくくなるから
槍より密集陣の相性は悪いということでは?

>>788
なる。倭寇sugeeee!
0790人間七七四年2007/10/29(月) 12:45:12ID:rjyUEPBJ
>>765-766
欧陽修『日本刀歌』
邑夷造透不麦通 世借切玉破線労 
宝刀近出日本国 負皮装貼香木報 
越雫得治海東  黄白向森鶴軋
古金偉人好事手 侃服可以址妖凶

玉石を斬れるようなすごい剣はわが中国ではもう造れない
だが近隣の日本国では香木など使った美しい拵えのそのような宝刀がまだ造られている
偉人や好事家はその刀を得るため例え悪魔に魂を売ろうとも金銀を持って森や海を越える
って感じかなぁ
0791人間七七四年2007/10/29(月) 18:05:49ID:hVr1lKsq
>>790
室町時代の輸出貿易品じゃなくて、11世紀の古名刀のことを言ってるから
希少価値も品質もそのように言われておかしくない物だったんだろうな。
0792人間七七四年2007/10/30(火) 05:52:00ID:EDcH0KLe
盾はどこでも古代のもので、時代とともに廃れていったって認識はすでに共有されてるぽいな。
そして銃砲が発達すると、重い鎧は意味無いから、同様に廃れていくと。

倭寇の強さを、あんま賛美するのも考えものだろう。
戦国まっただなかの日本と、平和まっただなかの明人では、最初からハンデがある。
武術としては拳術・棒術を基本とする中国とは違い、柔術・剣術を日本人が基本としたのは
興味深い両民族の文化的相違点だが・・・

日本人的な戦い方というものに、大陸の人は不慣れだったってのも大きいと思うぞ。
つまり文化の違いであり、時代の違いである。
0793人間七七四年2007/10/30(火) 14:54:34ID:d0s63wFF
倭寇の活発だった時代は鎌倉時代で戦国時代ではないよ
倭寇の強さを賛美って言うけど当の中国人が賛美(恐怖・畏怖)してる資料があるよというだけ

明が平和っていったって隣国には軍事大国元があったんだから周囲に危機がなかったわけではないし
軍事に力を入れてなかったとすれば自業自得だけどね

というか万里の長城が現代のこる大規模なかたちになったのは明代なわけだが…
長城の築城費用は要するに莫大な軍事費なわけで城は作るが軍隊には力を入れませんとかいうのはありえない
つまり明は明なりに軍事にえらい力を入れていたんだからハンデも糞もない
0794人間七七四年2007/10/30(火) 20:28:37ID:p3GjR5Wa
明はそのころ熱心に大砲を作ってますた。
0795人間七七四年2007/10/31(水) 00:30:14ID:Ign8Z06z
宋明は腐ってるよなww

支那は唐でオワットル希ガス
0796人間七七四年2007/10/31(水) 04:14:09ID:rlOW5yMj
刀は振り回す系の武器といわれてるが
倭寇などに使用者が多かったといわれる陰流などでは受け流しと斬りが同じアクションで行われるようになっている
なので単純に振り回すのとは違い特に突きに対して大きなアドバンテージがあった

陰流系統では「突きはばか者の技」といわれ刺突攻撃はカモにされていた
0797人間七七四年2007/10/31(水) 17:43:56ID:YOEaDcmG
突きへの防御がフォローされてるってのは一部フェンシングと通じるものがあるね。
フェンシングだと先制権を取った側の攻撃(ほとんどは突き)からスタートし、
この突きを如何にスムーズに防御反撃するか、またその反撃に対して如何に迎撃するかっていう、
言わば反撃と反撃のキャッチボールがキモだからね。

しかし世界的に見るとこの突きへの防御がしっかりなされてる武術は意外と少ないんだよね。
明治以降の現代剣道でも突きへの防御が滅多に見られないし。
0798人間七七四年2007/11/01(木) 13:25:59ID:huF/p+Mb
>>795
漢文習ってた頃は中国めちゃすげーと思ってたが
近現代とのギャップに失望するよな
0799人間七七四年2007/11/01(木) 22:16:14ID:1obeTmEv
江戸時代の日本人は、論語とか唐詩選見て中国をめちゃくちゃ尊敬しただろうなあ
俺も昔は中国人好きだったが実際合うと碌な目にあったことがないw
0800人間七七四年2007/11/01(木) 23:13:00ID:zdQ++zpy
誰もが通る道だよな。
イタリア人がローマ人でないように、
中共人は漢人じゃないぜ。

日本人もそう言われないように研鑽しないとな。
0801人間七七四年2007/11/02(金) 16:21:01ID:MX0f/rfY
みんなが尊敬した中国人は…


日本へ逃れて日本人になりました。
0802人間七七四年2007/11/03(土) 09:27:06ID:1qVwpylQ
水戸黄門に仕えた中国人の子孫っているの?
0803人間七七四年2007/11/03(土) 14:33:41ID:Ry7IVLxf
うっかり八べえ?
0804人間七七四年2007/11/05(月) 05:41:58ID:NKxSpBul
http://homepage1.nifty.com/sira/taiheiki/iganokami.html
0805人間七七四年2007/11/05(月) 18:02:40ID:34tIKNf8
毒矢が武器として用いられなかったから。まぁアイヌ系は一部で使ってたらしいが。
日本刀は両手で力任せに振り回すからね。
0806人間七七四年2007/11/05(月) 18:29:52ID:JDHDPfjo
戦場では片手で使う物だけどね。
柄は片手で持つのが精一杯くらい短かったらしいし、
武蔵の二刀流も、戦場では片手で振り回さなければならないから、それに備えてという心構えからだし。

そんななか長柄刀を好んで使ったのが、薩摩と関東。
0807人間七七四年2007/11/05(月) 22:36:48ID:+HIbS4TA
>>806
うーーん。片手両手両方ありだけど
馬上やそのたのことを考えると片手で扱えるようにしたほうがいいというのが
武蔵だろう
0808人間七七四年2007/11/06(火) 03:44:02ID:gVNgYu8q
日本刀は「両手」で扱う
これは両手で柄を持って離さないという意味ではない
両手で振るい
片手で振るい
両手で防ぎ
片手で防ぐ
刀身に手を添えることもふくめどんな把持も可とされる
手を添えるのみならず肩に添え肘に乗せ胸にそわせ腰に当てと千変万化
片刃で反りのある日本刀ならではの攻撃法であり防御法であろう
それらを臨機応変に変化させる
刀身に手を触れたがらないのは競技剣道ぐらいのものだろう
0809人間七七四年2007/11/06(火) 23:44:59ID:m6w+ZJLe
雨の日に自転車に乗るとき
レインコートを持ってたら態々手に傘を持って運転しないだろ?
0810人間七七四年2007/11/06(火) 23:53:57ID:siMsg9+G
>>809
上手い例えだね。
0811人間七七四年2007/11/07(水) 20:11:01ID:s6pECFsz
>>804
南北朝の頃の武器って資料が少ない気がする
初めて見た>金棒
0812人間七七四年2007/11/08(木) 08:45:11ID:UkqQqSRQ
南北朝の頃作られた刀はわりと残ってると思うが
刀以外の武器特に鈍器とかは日本の場合消耗品扱いというかいらなくなったら捨てられちゃうんじゃないかな
0813人間七七四年2007/11/10(土) 20:58:36ID:mEmHt6fO
ビックリドンキー
0814人間七七四年2007/11/12(月) 18:02:39ID:jEw0jFnE
結局、持ち盾はあったけど、衰退していったんでしょ?
どの時期にどんなのがあることが分かってるんです?
0815人間七七四年2007/11/12(月) 19:46:29ID:U1cS6Mon
分かってるんです!
0816人間七七四年2007/11/13(火) 11:55:46ID:k2DV9aKg
八世紀に120cmぐらいの長さの持ち盾
0817人間七七四年2007/11/17(土) 19:22:50ID:dyOgXRtE
野伏は走り散りて馬武者にからかひあへ
懸けば引、引かば送り、敵に強りあはず、
城あらば踏み留まりて矢ぶすまをつくれ
いかにもいかにもむつしかきをもつて野伏の能となす
0818人間七七四年2007/11/19(月) 13:22:32ID:RDtbfXAQ
まあ大鎧みたいな全身鎧の発達が早かったからだろうな
0819人間七七四年2007/11/19(月) 15:00:35ID:15Hd9LpS
ループも良いところだが、持ち盾の機能は大鎧に吸収されてるからな。
0820人間七七四年2007/11/19(月) 16:00:42ID:WQPCnbct
ループするけどある程度攻撃を弾くことが出来る鎧を持ってるのに態々片手を潰してまで盾を持つ必要が無いからな
0821人間七七四年2007/11/19(月) 16:09:08ID:15Hd9LpS
まあ要するに、このスレを見返せってこったな。
0822人間七七四年2007/11/19(月) 17:36:26ID:3uy9L6Jw
だから盾なんてゲームの世界ですらRPG(笑)なんて下等ゲームの世界くらいでしか使われていないわけで。
格ゲーでも盾持って戦う奴なんかほとんどいない。
0823人間七七四年2007/11/19(月) 18:59:06ID:Zkx1dSAL
おまえらファーストガンダムをバカにすんなwwwwww
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