【本能寺の変】明智日向守光秀【山崎の戦い】
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2006/12/28(木) 19:58:46ID:EjRn4TJ6明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。
通称は十兵衛。
父は明智光綱のほか、明智光国や明智光隆の説もある。
さらに信長に仕えるまでの前半生には不明な点が多いが、
明智軍記では美濃明智城主として斉藤道三に仕え、その没後は諸国を遍歴したとされる。
-------wikipedia---------
0662人間七七四年
2010/05/26(水) 14:44:14ID:RfsLSF2W光秀が常識派というのと、
人間の質が信長と対局というのはどうして?
何か一次資料から読み解いた見解なのか?
0663人間七七四年
2010/05/26(水) 22:39:50ID:LYpYIyoy足利義昭について織田家に来たけど、早々に臣従してるし。
結構気があってたんじゃないか?
0664人間七七四年
2010/05/27(木) 06:47:43ID:I8M9AokR0665人間七七四年
2010/05/28(金) 12:22:56ID:ysbV+LTt光秀は神・信長の信者だった。
ゆえに本能寺は信長との心中。
0666人間七七四年
2010/05/29(土) 06:42:19ID:lpMRa9Ml恨みを抱く背景など皆無。
いじめとか八上城の人質の件とか全部後世の創作。
0667人間七七四年
2010/05/29(土) 22:40:12ID:sxljX8c5その分大事に酷使されてたよな
0668人間七七四年
2010/05/30(日) 16:15:15ID:uYczhSMPキチガイ司馬の筆にかかると、暴君に身を挺して戒め、それを足蹴にされると
呆然自失となり、それが本能寺への伏線につながったような書き方だからね
歴史小説家ってロクなのしかいないね
0669人間七七四年
2010/05/30(日) 18:54:13ID:U5/ReNtx悔しかったら自分で歴史検討して公にしてみろよバーカwwwっていうことだろう
>>668みたいなのは吼えてるだけの阿呆で世の中の屑と思うだろうな歴史小説家は
ムカつく話だなぁ
0670人間七七四年
2010/06/01(火) 15:14:53ID:hOhqFjwR歴史小説家を批判できるのは結局は歴史小説家しかいない。
司馬のアンチが藤沢周平というぐあいに実作で示すしかない。
佐藤賢一の『女信長』なんて設定は無茶苦茶破天荒だが
いままでの信長がSで光秀がMみたいな歴史常識観をひっくり返した。
歴史小説家にしかできん功績だ。
0671人間七七四年
2010/06/04(金) 12:57:15ID:ThJQ0SUI自分は石ころにように討ち捨てられていたところを信長に拾われて大出世した
その恩に報いるためにこの軍法を定めるのだ
なんて書いてるくらいだからねえ
0672人間七七四年
2010/06/04(金) 14:12:33ID:g+4PSJNP御大将に物申す。
武田ぁ攻めでの御折檻
く川様接待不首尾のお怒り
また、近江坂本、丹波領地を召し上げ、出雲、石見を切り取れとの冷たき御沙汰!
いやまた、丹波で、足の不自由な母を、見殺しにされた仕打ち!
等!
語り尽くせぬ怨み有れども!
0673人間七七四年
2010/06/04(金) 14:18:04ID:Zw1PFi/Z0674人間七七四年
2010/06/05(土) 12:09:22ID:Prj5urZi戒律も守らない坊主なんてニートより質が悪い
光秀が進言したにせよいいことだったと思う
0675人間七七四年
2010/06/05(土) 20:53:19ID:i/3v7OaI0676人間七七四年
2010/06/06(日) 00:33:48ID:j4PRuoFx京の喉元にあるし
0677人間七七四年
2010/06/06(日) 04:40:35ID:s/m3wPmn確か白河上皇の時代から勝手に暴れまくって手に負えなかったみたいだし。
(現代でもヤクザと結びついてるような組織だ。焼き討ちしてもまだくたばらない。)
今でこそ堂塔伽藍は文化財だけど当時は軍事要塞としても使われてたから仕方なかろう。
だいたいあの時代に日本中でどれだけの文化財が焼失したと思ってんのよ。
信玄なんて諏訪の神様(の子孫であり代理人)を殺しちゃってるんだぜ。
ま、そういう時代だったってことでしょ。
0678人間七七四年
2010/06/06(日) 09:29:46ID:1M77aNAN0679人間七七四年
2010/06/07(月) 01:42:47ID:qxi5Why5まあでも信玄は信虎の代から諏訪社信奉を熱心に続けてるし、
その後も諏訪明神旗を押し立てて戦うほど、
強く諏訪社を信仰したのではあるけどね。
大祝家といっても血筋的にはすでに入れ替わりがあったようだし、
守矢家、金刺家とかとの内訌も激しかった時期をひきずってる時代だし
あの頃の諏訪家って、神氏というより武力であの土地を統率する
領主という感じだったんじゃないかな。
0680人間七七四年
2010/06/08(火) 19:00:25ID:7ef3ewd4戦国大名では「天下統一」は無理だったかもしれん。
本能寺直前の織田の領土もカエルが腹一杯にパンク寸前
まで水を飲んだ状態だったんだろう。
0681人間七七四年
2010/06/08(火) 20:13:38ID:X1SQi70Z0682人間七七四年
2010/06/09(水) 14:19:34ID:7UI/4H/z武力統一のみでは何年かかるかな。
どこかで妥協して連立政権にならんと。
外交僧の安国寺の「高転び」は下手すると
どこかで討ち取られるかもという予見だな。
毛利も殺されるとわかれば必死だろう。
案外西の桶狭間があったかもしれんな。
0683人間七七四年
2010/06/09(水) 14:43:58ID:0k/trCEc0684人間七七四年
2010/06/09(水) 17:56:56ID:4xQj/Ivc0685人間七七四年
2010/06/09(水) 20:11:01ID:imBKfDKxあの世で桶狭間と本能寺をぐるぐる廻ってる。
0686人間七七四年
2010/06/15(火) 11:22:47ID:mIEa+YIm1581年3月武田家滅亡を受けて、
@第一次構造改革(譜代→実力派家臣へ)畿内から譜代家臣、林・佐久間を追放、滝川一益を伊勢から上野へ移封。
A第二次構造改革(実力派家臣→織田一族へ)畿内から実力か家臣を追放、織田一門で固める。
B→本能寺で家康一行を暗殺し、三河に光秀を封入する一石二鳥を狙う。
(中国へ行くと見せかけた)光秀軍に本能寺で家康一行を討たせ、その足で徳川の領地で残党狩りをさせ、
駿河・三河・遠江に移封。北条(相模・武蔵)討ちの準備をさせる。
Cしかし、徳川領に移封されると土岐氏が滅亡の憂き目を見ると悟った光秀が、その計画を乗っ取って逆に信長を討ってしまった。
っていう主旨なんだけど、肝心の光秀の動機である、
徳川領(駿河・三河・遠江)に移封されると土岐氏の団結が崩壊し、滅亡してしまうと光秀が思ったのはなぜか?
の根拠が弱い。
本人は解明したと盛んに吹聴してるけど、その詰めの甘さが彼の説が受け入れられていない最大の理由だと思う。
0687人間七七四年
2010/06/15(火) 15:05:49ID:RWTI273S「明智光秀―正統を護った武将」井尻 千男
ttp://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAZ84261/
>>686
@Aは先行研究で指摘されているし妥当な見解だと思うが、BCの土岐一揆崩壊防止って論旨
は意味不明だったね。
明智家臣団の中核を土岐一揆で固めたわけではないし、光秀の所領は近江・丹波・山城であって
美濃に所領を貰ったことも一度もないからね。
評価できるのは実証史学者でも引用することがある「細川家記」のデタラメっぷりを明解に指摘した点
だけかな〜
0688人間七七四年
2010/06/16(水) 14:09:56ID:FMf6KKiC>687 686
両作者ともビジネスマン出身なんだな。
経済学でいう「合成の誤謬」というのがある。
細部の情報分析はかなり正確なのに全体像がまるでおかしな結論になる。
たとえば光秀が細川家の足軽出身とか
彌助とイエズス会との接点とかは参考になる。
しかしあの時点で信長が家康や天皇家に武力を用いたと
主張するのはかなり無理がある。
また井尻説もどうしてむしろ光秀こそ天皇排除の
信長のブレーンではないかと考えないのか?
後の徳川による「天皇封印」のブレーンの一人が
天海であるように天海光秀説もそういうところから出てきたのかもしれんけど。
たしかに信長を合理主義者と崇める近代史観批判はそのとおりだが
逆に光秀を尊王主義者とするのもこれまた同じ近代史観ではないか。
いずれにしろ「天皇vs政治権力」は今の政治にも通ずる日本史の奥深いところだな。
0689人間七七四年
2010/06/16(水) 21:19:41ID:Mspaz0eB出版社のページ見たら、
>信長は天皇制を蔑ろにし、自らが『王』となろうとしていた。
>一方で光秀は教養にあふれ、和歌を詠み、茶の湯をたしなむ
>趣味人の顔を持った武将だった。
>そして「天皇親政」を懐に抱いていた光秀は、
>神仏をも恐れぬ信長のふるまいに国体の危機を感じ、決起にいたったのである。
という内容説明が書いてあったので一気に萎えた。
すでに何人もが語ってきた話じゃないのか、それは?
0690人間七七四年
2010/06/20(日) 17:58:22ID:lP3jfRbe歌は敦盛、茶の湯だって茶器コレクションしてたし
まるで野生人みたいな扱いだな
0691人間七七四年
2010/06/21(月) 02:29:13ID:Zfo/XzzF残念ながら幸若舞は当時の能楽系芸能の主流派から見たら、立ち居地は下。
0692人間七七四年
2010/06/22(火) 07:15:23ID:i5eoFFpD敦盛好きなんです。とか言ったら笑われちゃうわけか。
0693人間七七四年
2010/06/23(水) 17:28:23ID:aqUNiyqM飯は厚盛り。
そこな調理人。
薄づくりの汁なぞ出したら即刻首が跳ぶわ。
0694人間七七四年
2010/06/23(水) 20:13:34ID:EJ7pVILE0695人間七七四年
2010/06/23(水) 22:38:44ID:/S4wckAGいや、子孫とかいうんじゃなくて
例えば江戸川乱歩が光秀ファンだったとか。
0696人間七七四年
2010/06/23(水) 23:39:33ID:gJBk02qzだってそれ以前には明智といえば、光秀しか連想できる人がおらんでしょ
元々少ない苗字ですし
好き勝手に苗字を名乗れた時代でも、明智ってのは裏切りの代名詞みたいな感じですから
敬遠されたようです
0697人間七七四年
2010/06/24(木) 17:18:27ID:oG9JXK6wそれ自体に根拠がない。
また本当に勤皇家だったとしても、重臣たちはどうなんだ。
重臣たちまで勤皇家でなければ、「信長殺し」には同意すまい。
これが忠臣蔵の浅野内匠頭なら、1人でやったのだから
浅野個人の感情で吉良を斬ったといえるだろう。
だが本能寺の変は、重臣たちまで一緒になって信長殺しに
走っているのだから、光秀1人の感情などで事件が起きるはずがない。
怨恨説にせよ、「○○のために〜」という黒幕説にせよ、
この辺をクリアできないから説得力がないんだよ。
0698月孔雀
2010/06/28(月) 22:34:03ID:eOA4M0pW美濃攻略にも一枚かんでいるだろう。そこから、信長の飛躍は、始まった。
本能寺の変の真相が良く解らない。
毛利は、安芸、周防、長門に、領地を減らすことで、「和睦」を
秀吉が勝ち取っていたような。
だから、石見銀山のある、大事な出雲、石見に、国替えに光秀はなった。
これは、当時の世界情勢から考えると、すごい大事な職である。
中央から離れるのが、そんなに嫌だったのか・・・
それまでの腹心では、なくなる訳だから?
まあ、信長が考えたと思われる、
日本全土、直轄地みたいなことは、無理だったんかなー。
天皇もいなくなりそうだし・・・それでも良かったんかな・・・
0699人間七七四年
2010/06/28(月) 22:40:35ID:/17Rz++bとかいうのもあり得なくもない
おっと、信忠殺す必要ないじゃん
0700人間七七四年
2010/06/29(火) 06:50:39ID:HO1kw+T60701人間七七四年
2010/06/29(火) 07:27:53ID:nzXSve9k0702人間七七四年
2010/06/29(火) 22:19:07ID:tX7QbRlVだから国替えの話は近世の俗書にしかない話。
信用できない。
まず高柳光壽著「明智光秀」(吉川弘文館人物叢書)でも読め。
0703人間七七四年
2010/07/08(木) 10:08:01ID:pU+gwK/j織田信成が織田信長の子孫って本当?【3代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1277120346/
0704人間七七四年
2010/07/09(金) 08:21:27ID:M57Wu8qC「本能寺の変の謎」 米田一雄
ttp://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-08885-3.jsp
0705腐歴七七四年
2010/07/16(金) 23:57:25ID:3magSUkrそこで今日は見分け方の一部を紹介します。
ツンデレなのが三成、ツンだけでデレ期が無いのが1の光秀
関ヶ原で敗れたのが三成、関ヶ原まで隠れてたのが光秀
僧侶から武士になったのが三成、武士から僧侶になったのが光秀
綺麗な顔してやるのが三成、綺麗な顔した男と寝るのが光秀
知略の人なのが三成、被虐の人なのが光秀
主家の存続に必死なのが三成、主家が滅びてもビッチなのが光秀
地面に仕掛けた爆弾を爆発させるのが三成、傷心度が高まると爆弾を爆発させるのが光秀
胸に志を抱くのが三成、信長の胸に抱かれるのが光秀
家康の台頭に頭を痛めているのが三成、家康の大砲に腰を痛めているのが光秀
意地でシリアスに決めるのが似合う三成、自慰で尻穴をいじるのが似合う光秀
不義を許すまじと蜂起するのが三成、不義と知りつつも浮気するのが光秀
佐和山に城があるのが三成、さわやかに尻を出すのが光秀
三成は無駄に喋るのを好まないが、光秀は魔羅をしゃぶるのを好む
娘を人質に取ろうとするのが三成、娘と一緒に人質に取られるのが光秀
扇子が武器なのが三成、メンズが好きなのが光秀
己の正義を掲げるのが三成、己の性技を捧げるのが光秀
0706腐歴七七四年
2010/07/16(金) 23:58:14ID:3magSUkr三成は曹丕と仲良しだが、光秀は僧衣でも中出しが好き
友であっても負けられないのが三成、友のを咥えるのをやめられないのが光秀
誰にでも素っ気ないのが三成、女にだけ素っ気ないのが光秀
信じた道のため清正に戦いを挑むのが三成、信長のため濃姫に戦いを挑まれるのが光秀
囚われても柿を食わないのが三成、囚われて縄が食い込むのが光秀
秀頼の上意で戦うのが三成、元親と騎乗位でまぐわうのが光秀
毒舌で誤解されるのが三成、舌で五回するのが光秀
死の直前まで家康の命を狙うのが三成、痔の直前まで家康のデカチンをねだるのが光秀
味方を得るため諸侯の説得に走るのが三成、味方を得るため諸侯とセックスに走るのが光秀
東軍前線を背後から突く作戦を急ぐのが三成、前立腺を背後から突かれてイくのが光秀
秀吉の子飼いなのは三成、信長の子が欲しいのは光秀
残念な最期を迎えたのが三成、ザーメンを最奥で迎えたのが光秀
武士の矜持を守ったのが三成、後ろのバージンを守らなかったのが光秀
三成の衣装は軽装だが、光秀の依存は重症
大一大万大吉が三成、随一男根大好きが光秀
無双の三成×光秀ってイケメン同士で壮絶に逆年の差なのがむしろ萌えるんだけど異端…?
0707人間七七四年
2010/07/17(土) 01:37:12ID:zCQd7kJQ0708人間七七四年
2010/07/18(日) 10:18:32ID:7EEakSZ9ネタっぽいが一応反論しておく。
光秀=天海はありえない。
理由は「ギネスの壁」。
史料として信憑性の高い「当代記」には光秀67歳とある。
これでは光秀は120年以上生きたことになってしまう。
0709人間七七四年
2010/07/18(日) 12:58:47ID:bks0mI3x実際はどこの誰かもわからないような人物なので信長より若くても全然不思議ではない
0710人間七七四年
2010/07/19(月) 12:14:24ID:W0yYztNW0711人間七七四年
2010/07/19(月) 22:16:07ID:Apjofuz5もっとアテにはならないが明智軍記だって55歳、細川家の記録や
系図類でも57歳のいずれか。
信長より年下という史料は一つもないから、年上だったことは
ほぼ間違いなかろう。
以前信長は自分より年上を重用しないなんて書きこみを見たことが
あるが、柴田勝家なんかはどう見ても信長より年上だし。
0712人間七七四年
2010/07/19(月) 22:55:44ID:eZYL6JxZお前もう終わってるよ
0713人間七七四年
2010/07/20(火) 00:14:45ID:F04eEAeU0714人間七七四年
2010/07/20(火) 00:41:37ID:RE/TGWyXそれを何か一つに統一しようとする方が無理がある。
その無理を承知で虚構を盛り上げていくのがいわゆる勝者の歴史であり、それは改めていうまでもなく、勝者の都合の良いように出来ている。
0715人間七七四年
2010/07/20(火) 01:03:16ID:puZz36hrこんな大事件なのに
むしろ日常の生活の中で起きた軋轢とか
もっと人間臭い動機があるような
例えば
中央では信長の夜伽相手の番長格だった光秀が
加齢と共にだんだん飽きられて信長と疎遠になり
若い蘭丸ばかりに目が向く信長に嫉妬
蘭丸が横に控えている信長から
「もうお前は用無し、中国でも行って来い」
「殿のお相手はこの蘭丸にお任せあれ」
くらい言われたんじゃないかな
絶望が憎しみに変わり
やがて6月2日早朝にて・・・・・
0716人間七七四年
2010/07/20(火) 10:01:06ID:u9nXhvRY本能寺の時点では乱丸はもう信長公のお相手役じゃない。
坊丸や力丸に御寵愛が移っていた。
いい歳こいて乱丸がなぜ前髪だったかも謎。
光秀もいつ光慶にお呼びがかかるか気が気でなかったかもしれん。
「本能寺裏門の変」より
0717人間七七四年
2010/07/20(火) 20:34:00ID:F04eEAeU0718人間七七四年
2010/07/20(火) 22:00:40ID:4YynIo7jいずれにしろ裏門はきちんと警備せんとな。
越後の御館の乱とか高坂弾正との一件とか。
戦国の嗜みにそれなりの敬意を払うのは当然だ。
「本能寺の変」がそれらとは全く無関係と誰が言い切れるだろうか?
0719人間七七四年
2010/07/20(火) 22:14:42ID:F04eEAeU0720人間七七四年
2010/07/21(水) 00:28:53ID:G0+cDjXG0721人間七七四年
2010/07/25(日) 12:07:53ID:+1rRirXf0722人間七七四年
2010/07/25(日) 14:31:53ID:2Qp3Xw+o0723人間七七四年
2010/07/25(日) 17:44:53ID:ICn02cwS0724人間七七四年
2010/08/20(金) 10:22:55ID:sE07/ShI0725人間七七四年
2010/09/01(水) 02:33:05ID:iMP96ckm↑それは内緒。
0726人間七七四年
2010/09/03(金) 20:19:41ID:hHwgu0drhttp://img.7netshopping.jp/bks/images/b7/1200088867.jpg
http://img.7netshopping.jp/bks/images/b5/07199055.JPG
0728人間七七四年
2010/09/04(土) 00:14:05ID:5IzXXR1x0729人間七七四年
2010/09/04(土) 05:01:03ID:59DgmgF0光秀を指すのではないかってのくらいかな
0731人間七七四年
2010/09/07(火) 09:27:42ID:ybjkabCN0732人間七七四年
2010/09/08(水) 09:39:14ID:QgD2TnaXそれも足軽であったと。
0733人間七七四年
2010/09/10(金) 13:11:19ID:MfDW04hy0734人間七七四年
2010/09/11(土) 20:57:56ID:FHBU9M2U戦国じゃ公家と乞食はさほど変わらん世
0735人間七七四年
2010/09/12(日) 00:02:12ID:vSHv4xHJまして公家となるとなおさら
0736人間七七四年
2010/09/12(日) 15:12:13ID:YnZXy6Sottp://www.poplar.co.jp/dbps_data/_material_/poplar/search/shinkan_dayori1009/978-4-591-12049-1_o.jpg
0737人間七七四年
2010/09/12(日) 22:33:17ID:zxaBQ/FG0738人間七七四年
2010/09/12(日) 22:37:56ID:vSHv4xHJ信長に仕える前はただの足軽だったんだからな
0739人間七七四年
2010/09/12(日) 23:10:15ID:zxaBQ/FG百姓想いで愛妻家で忠義者な光秀
逆に信長が凄く悪者になってたり・・・
そういうのも嫌いじゃないんだけどね
0740人間七七四年
2010/09/12(日) 23:18:33ID:9xOUmoYY織田家仕官後は朝廷復興に尽くす
朝廷幕府をないがしろにした魔王信長に
光秀公の尽くしんぼフォルダが火を噴くぜ
って展開かな?
0741人間七七四年
2010/09/12(日) 23:32:17ID:i4ORg5Pp0742人間七七四年
2010/09/12(日) 23:35:59ID:fSrXPlmR0743人間七七四年
2010/09/25(土) 19:45:42ID:HYeyqePB0744人間七七四年
2010/09/29(水) 14:43:56ID:1LSTzDs7ケチはこの家康にまかせなさい。
0745人間七七四年
2010/09/29(水) 15:58:34ID:/O+PSkda0746人間七七四年
2010/10/01(金) 14:48:15ID:+5wXm8D4今年は中止だと!!!!!!
わざわざ休み入れた俺の気持ちどうしてくれる!!!!!!!!!
0747人間七七四年
2010/10/03(日) 18:08:30ID:EycAvyDHttp://ecx.images-amazon.com/images/I/51Iu-YoxsqL.jpg
0748人間七七四年
2010/10/03(日) 18:10:54ID:EycAvyDHttp://img.7netshopping.jp/bks/images/b7/1200088867.jpg
ttp://img.7netshopping.jp/bks/images/b5/07199055.JPG
ttp://ecx.images-amazon.com/images/I/51Iu-YoxsqL.jpg
0749人間七七四年
2010/10/03(日) 21:32:51ID:ensfXEPi>朝廷幕府をないがしろに
朝廷はともかく、幕府つまり義昭が追放されてから
本能寺の変まで10年も経ってるんだが?
この間光秀は何をしていたの?
0750人間七七四年
2010/10/05(火) 21:43:32ID:pwQe3UYk0751人間七七四年
2010/10/06(水) 04:05:01ID:6ywXiZT70752人間七七四年
2010/10/08(金) 19:38:42ID:26sW03UD「本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意」藤本正行
ttp://www.yosensha.co.jp/book/b69966.html
0753人間七七四年
2010/10/08(金) 23:38:55ID:pj1ZBv+qあくまで光秀が主導しての謀叛として論じて、藤田氏の将軍黒幕説とか
子孫?の明智氏の家康同盟説やらに反論してる
斎藤利三の三男の利宗の遺談の筆記とかいう怪しげなのを持ち出してたのが面白かった
0754人間七七四年
2010/10/09(土) 10:59:48ID:rn5B3dUN是非には及ばずの解釈をあれほど展開する意味あるのか?
遺談の筆記はかなりうさん臭くてワロタ。
あんな与太史料を用いる藤本には藤田・桐野を批判する資格はないよ。
0755人間七七四年
2010/10/09(土) 13:56:18ID:xN9sNYs8触れず、いまだに義昭黒幕説なんか言ってる藤田なんか
電波で、批判されてしかるべきと思うけどね。
谷口や桐野は「単独説」で一致するんだから、批判するにしても
もう少し言い方があるとは思うが。
谷口の光秀67歳説にしても、紹介はしてるが自らは賛成か反対か
書いてないのもどうかと思う。
0756人間七七四年
2010/10/09(土) 16:52:03ID:1yrSCPzu「是非に及ばず」のところは勉強になったけどなぁ。
遺談は…原本探して欲しかった。本当に存在したのか分からないような史料は困る。
0757人間七七四年
2010/10/12(火) 13:15:55ID:Rw+V5wdq0758人間七七四年
2010/10/12(火) 16:29:21ID:MA9brHJU思わず失笑
0759人間七七四年
2010/11/03(水) 09:10:02ID:iy6eiSkeしかし、あの子孫の家康同盟説、辻褄あわせとしては素晴らしくないか。
いろいろ感心するところは多かったな。
推測で史料がない、というよりも、論理的におかしい点なんかはどういうのが見つかってるのかな。
それと黒人奴隷が脱出南蛮寺に入った、というイエズス会の話はあまり聞かないけど本当なの?
だとしたらフロイスあたりがやたら詳しいのも理解はできるんだよな。
最後は天海とか春日の局までうまくつなげるところは笑ってしまうぐらいだった。
0760人間七七四年
2010/11/03(水) 09:31:34ID:5GH12Uka子孫の本は家康同盟説の叙述以外は論理的で結構マトモ。
>黒人奴隷が脱出南蛮寺に入った
本能寺のすぐ近所にパードレ・カリオンがいた南蛮寺があって、黒人ヤスケがここに避難した可能性は大だな。
ただヤスケ自体の記録が残ってないから真実とは断定できん。
子孫の本もそう書いていた気がする。
0761人間七七四年
2010/11/03(水) 14:58:11ID:iy6eiSkeほ〜。
家康談合説というのも、どこでいつ、とかそういう点にもふれているし、つじつまはあってるようにも感じる。
問題は、信長が家康をどう思ってたか、というところからはじまって、そんなことはありえない、のなら簡単なんだけど
それまでの戦で家康が強力なのを実感した信長が、どう考えていたか、は少し検討する必要があるかもしれないような。
実際に家康が信長に謀反なんてのはまずありえないとは思うけどね。
あくまで信長のほうから見て、という点で。
0762人間七七四年
2010/11/03(水) 15:42:31ID:5GH12Uka家康討ちってのは本城さんの覚書などが根拠だと思うが、素朴な疑問として確実に仕留めるならば家康
を京都に足止めした方が確実だし、さらに言えば数百の軍勢で家康の宿所を強襲した方がいいと思う。
また、信長はかつて丹波の波多野親子や越中の寺崎・石黒親子を召喚して謀反の罪で殺して(切腹含む)
いる前例があるが、これらのケースでは大軍率いて強襲なんてスキームは採っていない。
加えて、氏は「本城さんらにも家康討ちの噂が伝わっていたかも知れない」(131p)と書いているが、織田家
首脳ではなく本城のような末端の兵まで噂が広まっているならばそれはもはや「陰謀」ですらないし、フロイ
ス日本史を根拠にした「信長と光秀の密談」という氏の主張と矛盾している。
つまるところ氏の説は結論ありきでこじつけた妄想というしかないね。
家康と信長の関係は書札礼の文言から家来同然の同盟関係にあったといえるが、それ以上に信長が家康
をどう思っていたかはわからないな。
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