【本能寺の変】明智日向守光秀【山崎の戦い】
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0001名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 19:58:46ID:EjRn4TJ6明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。
通称は十兵衛。
父は明智光綱のほか、明智光国や明智光隆の説もある。
さらに信長に仕えるまでの前半生には不明な点が多いが、
明智軍記では美濃明智城主として斉藤道三に仕え、その没後は諸国を遍歴したとされる。
-------wikipedia---------
0613人間七七四年
2009/11/30(月) 08:57:18ID:8x5RokDCこの説は、時系列的には合っているのですか?
(例えば 斉藤利三の長男の生年月日と天海の亡くなった日付や年齢)
自分は日本史上の事件や出来事は好きなのですが日付や年号が苦手でして・・・・・。
>>609 さん URLは下記です。
http://plaza.rakuten.co.jp/honmaki/
左側のカテゴリーに 本能寺や天海の事がのっています。
(ちなみに、飯島愛さんの亡くなった原因は 豊胸手術のシリコンが
破れた事による腎臓疾患だそうです。)
宜しく御願い致します。
0614人間七七四年
2009/11/30(月) 09:32:17ID:xFhEpZPV電波すぎるわ、そこは。
日本史板にもスピリチュアルで戦国時代(とくに信長)を霊視するみたいなブログがあったが、
のぞいてみたら少し古い学説(現在ではありえないと証明されている)がゆがんだ形で使われていて、
どんだけ〜と思ったよ。
こういう人たちは自分が読書で得た知識と夢の世界で得たインスピレーション(つまり妄想)がごっちゃになってて、
自分でもソースがどこから来たのかわからなくなってるケースが多いね。
0615人間七七四年
2009/11/30(月) 10:29:27ID:8x5RokDCブログ主さんが冒頭で仰っていますが、
「あくまで 私の霊視によるもの。」 ということですね。
ありがとうございました。
0616人間七七四年
2009/12/05(土) 02:16:24ID:96ZYAxwiこれは明智光秀の父なんでしょうか? 頼高=光綱なんでしょうか?
0617人間七七四年
2009/12/05(土) 09:34:28ID:vWezOkVs従って創作するのなら父親は誰でも可能
0618人間七七四年
2009/12/05(土) 11:55:12ID:cWji67Z90619人間七七四年
2009/12/05(土) 13:58:03ID:rlpIzfUyいいように食い物にされるのとどっちがいい?
0623人間七七四年
2010/01/15(金) 16:37:49ID:c5UFLdL20624人間七七四年
2010/01/15(金) 16:52:36ID:4zACAdwN0625人間七七四年
2010/01/15(金) 23:00:35ID:NeCJ83sg地元に波多野、和久、白波瀬、樋口、大槻の後裔とされる家(ほとんどが自称)がたくさんあるからな!
0627人間七七四年
2010/01/29(金) 19:53:43ID:m5TRymwy丹波の城を明け渡す時の態度が良かったから秀吉に取り立てられて、
その後も活躍したから国持ち大名になれたんだっけ?
0628人間七七四年
2010/02/07(日) 17:01:07ID:jnfp8DPlじゃあ俺の吉も同じか
0630人間七七四年
2010/02/19(金) 15:53:12ID:bHoSrDgShttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1266557387/l50
0631人間七七四年
2010/02/20(土) 05:14:45ID:ZFtSzfaP0632人間七七四年
2010/02/20(土) 11:48:24ID:6EtmGD1Nヒモごときにごたごたぬかすな!
0633人間七七四年
2010/02/20(土) 12:43:42ID:coTT7D4S0634人間七七四年
2010/02/20(土) 18:21:12ID:cObx018c「足軽 明智」と苗字だけ書いてある
0635月孔雀
2010/02/23(火) 06:31:03ID:OpbnAqyT各地の親明智の大名が、参戦するも、動かず。
秀吉軍、突撃。親明智の大名、動かず。秀吉、勝利。
ほとんど、関が原と、同じ構造だ。
0636人間七七四年
2010/02/23(火) 06:58:16ID:0qdNrR560637月孔雀
2010/02/24(水) 06:12:02ID:650utbqV0638月孔雀
2010/02/25(木) 19:10:22ID:oj/IbesT0639人間七七四年
2010/03/05(金) 19:16:14ID:FN4/gZjO0640人間七七四年
2010/03/05(金) 19:28:16ID:oilZdp0u0641人間七七四年
2010/03/06(土) 00:55:51ID:1dfGXnWc0642人間七七四年
2010/03/06(土) 22:45:30ID:a0zpEgP/0643人間七七四年
2010/03/21(日) 21:52:37ID:hqxdZnU9モリマン登場
0644人間七七四年
2010/03/23(火) 09:49:26ID:0BnbCCVCモリアガ乱登場だろうヲタばかり飛ばすから
0645人間七七四年
2010/03/24(水) 12:00:34ID:IB3SoUCA|戦国スーパーリング光秀│・検索オプション
└────────────────┘・表示設定
| Google検索 | I'm Feeling Lucky | ・言語ツール
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
○ウェブ全体から検索 ◎日本語のページを検索
0646人間七七四年
2010/03/26(金) 17:19:16ID:H+6kWPsT明智がいなかったら、今頃日本文化は滅んでてもおかしくないくらいですよね?
あと、生き残り説大賛成です。信長と違って寺や人民や部下から守られたっていい人間だと思います。
彼は何処ぞの武将たちと同じく、生まれる時代を間違えてしまったのかもしれません。今の政治家に彼くらい国民を大事にして、現実を見られるひとがいたらなぁ
0647人間七七四年
2010/03/27(土) 12:14:44ID:pBMHbLEX信長を過大評価しすぎ。
革命家かなにかのように思ってるのか?
小説じゃなくちゃんとした歴史書くらい読みな。
織田との対立要素が多いのならそもそも信長にあれだけ
取りたてられて出世なんかしないだろうよ。
0648人間七七四年
2010/03/27(土) 19:16:05ID:uZCvXMaM1 :毘沙門天の化身:2010/03/24(水) 12:48:06 ID:CFPJijBX0
,ィ'ノ///イl,l,l,l,l,l,l,'、ミミヾミ)) |::| .:|
'ソノ/ヘi川川Kハヘッ'"~ |::| .:|
,{三三} |::| .:|
rf三三t=っ |::| .:|
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ハi、'、'、ヽ'、ミ'、ヾ',i,l,l,i,ツノノリ,川,l,l,'!, |::| .:|
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トミミfr'" l| li j三シノ |::| .:|
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Tfハ `"" 彡| lヾ`~´ ,ツ |::| .:|
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'"´〈(丶ヽ'、 _'ー、__;. ィ /^l::::`丶、|::| .:| たわけども、やらないか
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http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1269402486/
0649人間七七四年
2010/03/27(土) 21:41:40ID:EogLs3uF始めはよかったけど途中から噛み合わなくなったあたりは少なからず対立要素があったからだと思うんですが…通ずる部分もあったとは私も思います。
あと、信長を過大評価したつもりはありませんでしたのでご理解下さい。むしろきらいです。
でも他の大名達と一風変わったことをしてましたよね?
0652人間七七四年
2010/04/30(金) 14:02:49ID:RgJfCY51両者に何らかの対立があったことは、「織田信長は、三河の国主 徳川家康と甲斐の主将たちのために盛大な饗宴をもよおすこと
にしたが、その接待役に明智光秀を任じた。この催しについて、信長と光秀は密室において語っていたが、明智光秀が信長になにか
反論し、それに逆上した信長は立ち上がり、怒りを込め、一度か二度、明智を足蹴にしたという」
フロイスの「日本史」での記述が根拠になるかもね。
但し、足蹴りの件は著者のフロイス自身が「噂で聞いた」と断り書きしているので、その分は割引して評価すべきだが。
これ以外の対立要素があるとすれば、いわゆる「四国問題」が挙げられるが、両者の対立を推測させる史料がないのが弱いな。
0653人間七七四年
2010/04/30(金) 14:51:17ID:OvM3jz6wそれほどの事がないと主君を虐げる事はせんよ
0654人間七七四年
2010/04/30(金) 15:09:26ID:RgJfCY51確かに、小早川宛の書状にそういう趣旨の文言はあるけど、その書状の書式礼が不自然極まりなく
偽文書説が通説だと思うので、根拠にならん。
また、変後の書状のうち西尾光教宛書状には「(信長)親子悪逆天下の妨げ討ち果たし候」としかなく
恨みはダイレクトに読みとれないし、細川宛・土橋宛書状には恨みを看取させる文言すらないよ。
0655す
2010/05/01(土) 00:05:20ID:XlKuvCUN常識派の明智とは根本的に人間の質が違うと思う
0656す
2010/05/01(土) 00:35:11ID:XlKuvCUN1582当時ノブを謀反で殺そうと思った人間は明智以外にいなかったろう
0657す
2010/05/01(土) 00:40:33ID:XlKuvCUN黒幕とかナンセンスだと思うよ
0658人間七七四年
2010/05/01(土) 08:01:38ID:pryJ2rMZ>反論し、それに逆上した信長は立ち上がり、怒りを込め、一度か二度、
>明智を足蹴にしたという
これが本当だったら密室の密談なのにセキュリティ低いよなw
0659人間七七四年
2010/05/01(土) 17:33:57ID:2r2L4yis宣教師なりの主観も入ってるし、噂話の類も多いし。
まあ、これは日本の公家の日記とか寺社の記録なんかも同じだけど
0660人間七七四年
2010/05/23(日) 10:20:03ID:DrjsR2aW0661人間七七四年
2010/05/25(火) 17:13:38ID:NBZWuVgDほんとの子孫かどうかはわからんです。
しかし元ビジネスマンらしく史料をデーターとしてよく読み込んでいる。
とくにYASUKEとフロイスの記述との関連。
信長の蹴飛ばしも「余は余の死を自ら招いたな」も
生き残った近習のYASUKEの情報だという。
そこは筋が通っている。
しかし信長による光秀家康暗殺指示説は無理。
なんで暗殺予定現場に茶道具一式取揃え嬉々として乗り込んだのか?
よっぽど信長が耄碌して危険意識が欠如していたなら別だが。
0662人間七七四年
2010/05/26(水) 14:44:14ID:RfsLSF2W光秀が常識派というのと、
人間の質が信長と対局というのはどうして?
何か一次資料から読み解いた見解なのか?
0663人間七七四年
2010/05/26(水) 22:39:50ID:LYpYIyoy足利義昭について織田家に来たけど、早々に臣従してるし。
結構気があってたんじゃないか?
0664人間七七四年
2010/05/27(木) 06:47:43ID:I8M9AokR0665人間七七四年
2010/05/28(金) 12:22:56ID:ysbV+LTt光秀は神・信長の信者だった。
ゆえに本能寺は信長との心中。
0666人間七七四年
2010/05/29(土) 06:42:19ID:lpMRa9Ml恨みを抱く背景など皆無。
いじめとか八上城の人質の件とか全部後世の創作。
0667人間七七四年
2010/05/29(土) 22:40:12ID:sxljX8c5その分大事に酷使されてたよな
0668人間七七四年
2010/05/30(日) 16:15:15ID:uYczhSMPキチガイ司馬の筆にかかると、暴君に身を挺して戒め、それを足蹴にされると
呆然自失となり、それが本能寺への伏線につながったような書き方だからね
歴史小説家ってロクなのしかいないね
0669人間七七四年
2010/05/30(日) 18:54:13ID:U5/ReNtx悔しかったら自分で歴史検討して公にしてみろよバーカwwwっていうことだろう
>>668みたいなのは吼えてるだけの阿呆で世の中の屑と思うだろうな歴史小説家は
ムカつく話だなぁ
0670人間七七四年
2010/06/01(火) 15:14:53ID:hOhqFjwR歴史小説家を批判できるのは結局は歴史小説家しかいない。
司馬のアンチが藤沢周平というぐあいに実作で示すしかない。
佐藤賢一の『女信長』なんて設定は無茶苦茶破天荒だが
いままでの信長がSで光秀がMみたいな歴史常識観をひっくり返した。
歴史小説家にしかできん功績だ。
0671人間七七四年
2010/06/04(金) 12:57:15ID:ThJQ0SUI自分は石ころにように討ち捨てられていたところを信長に拾われて大出世した
その恩に報いるためにこの軍法を定めるのだ
なんて書いてるくらいだからねえ
0672人間七七四年
2010/06/04(金) 14:12:33ID:g+4PSJNP御大将に物申す。
武田ぁ攻めでの御折檻
く川様接待不首尾のお怒り
また、近江坂本、丹波領地を召し上げ、出雲、石見を切り取れとの冷たき御沙汰!
いやまた、丹波で、足の不自由な母を、見殺しにされた仕打ち!
等!
語り尽くせぬ怨み有れども!
0673人間七七四年
2010/06/04(金) 14:18:04ID:Zw1PFi/Z0674人間七七四年
2010/06/05(土) 12:09:22ID:Prj5urZi戒律も守らない坊主なんてニートより質が悪い
光秀が進言したにせよいいことだったと思う
0675人間七七四年
2010/06/05(土) 20:53:19ID:i/3v7OaI0676人間七七四年
2010/06/06(日) 00:33:48ID:j4PRuoFx京の喉元にあるし
0677人間七七四年
2010/06/06(日) 04:40:35ID:s/m3wPmn確か白河上皇の時代から勝手に暴れまくって手に負えなかったみたいだし。
(現代でもヤクザと結びついてるような組織だ。焼き討ちしてもまだくたばらない。)
今でこそ堂塔伽藍は文化財だけど当時は軍事要塞としても使われてたから仕方なかろう。
だいたいあの時代に日本中でどれだけの文化財が焼失したと思ってんのよ。
信玄なんて諏訪の神様(の子孫であり代理人)を殺しちゃってるんだぜ。
ま、そういう時代だったってことでしょ。
0678人間七七四年
2010/06/06(日) 09:29:46ID:1M77aNAN0679人間七七四年
2010/06/07(月) 01:42:47ID:qxi5Why5まあでも信玄は信虎の代から諏訪社信奉を熱心に続けてるし、
その後も諏訪明神旗を押し立てて戦うほど、
強く諏訪社を信仰したのではあるけどね。
大祝家といっても血筋的にはすでに入れ替わりがあったようだし、
守矢家、金刺家とかとの内訌も激しかった時期をひきずってる時代だし
あの頃の諏訪家って、神氏というより武力であの土地を統率する
領主という感じだったんじゃないかな。
0680人間七七四年
2010/06/08(火) 19:00:25ID:7ef3ewd4戦国大名では「天下統一」は無理だったかもしれん。
本能寺直前の織田の領土もカエルが腹一杯にパンク寸前
まで水を飲んだ状態だったんだろう。
0681人間七七四年
2010/06/08(火) 20:13:38ID:X1SQi70Z0682人間七七四年
2010/06/09(水) 14:19:34ID:7UI/4H/z武力統一のみでは何年かかるかな。
どこかで妥協して連立政権にならんと。
外交僧の安国寺の「高転び」は下手すると
どこかで討ち取られるかもという予見だな。
毛利も殺されるとわかれば必死だろう。
案外西の桶狭間があったかもしれんな。
0683人間七七四年
2010/06/09(水) 14:43:58ID:0k/trCEc0684人間七七四年
2010/06/09(水) 17:56:56ID:4xQj/Ivc0685人間七七四年
2010/06/09(水) 20:11:01ID:imBKfDKxあの世で桶狭間と本能寺をぐるぐる廻ってる。
0686人間七七四年
2010/06/15(火) 11:22:47ID:mIEa+YIm1581年3月武田家滅亡を受けて、
@第一次構造改革(譜代→実力派家臣へ)畿内から譜代家臣、林・佐久間を追放、滝川一益を伊勢から上野へ移封。
A第二次構造改革(実力派家臣→織田一族へ)畿内から実力か家臣を追放、織田一門で固める。
B→本能寺で家康一行を暗殺し、三河に光秀を封入する一石二鳥を狙う。
(中国へ行くと見せかけた)光秀軍に本能寺で家康一行を討たせ、その足で徳川の領地で残党狩りをさせ、
駿河・三河・遠江に移封。北条(相模・武蔵)討ちの準備をさせる。
Cしかし、徳川領に移封されると土岐氏が滅亡の憂き目を見ると悟った光秀が、その計画を乗っ取って逆に信長を討ってしまった。
っていう主旨なんだけど、肝心の光秀の動機である、
徳川領(駿河・三河・遠江)に移封されると土岐氏の団結が崩壊し、滅亡してしまうと光秀が思ったのはなぜか?
の根拠が弱い。
本人は解明したと盛んに吹聴してるけど、その詰めの甘さが彼の説が受け入れられていない最大の理由だと思う。
0687人間七七四年
2010/06/15(火) 15:05:49ID:RWTI273S「明智光秀―正統を護った武将」井尻 千男
ttp://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAZ84261/
>>686
@Aは先行研究で指摘されているし妥当な見解だと思うが、BCの土岐一揆崩壊防止って論旨
は意味不明だったね。
明智家臣団の中核を土岐一揆で固めたわけではないし、光秀の所領は近江・丹波・山城であって
美濃に所領を貰ったことも一度もないからね。
評価できるのは実証史学者でも引用することがある「細川家記」のデタラメっぷりを明解に指摘した点
だけかな〜
0688人間七七四年
2010/06/16(水) 14:09:56ID:FMf6KKiC>687 686
両作者ともビジネスマン出身なんだな。
経済学でいう「合成の誤謬」というのがある。
細部の情報分析はかなり正確なのに全体像がまるでおかしな結論になる。
たとえば光秀が細川家の足軽出身とか
彌助とイエズス会との接点とかは参考になる。
しかしあの時点で信長が家康や天皇家に武力を用いたと
主張するのはかなり無理がある。
また井尻説もどうしてむしろ光秀こそ天皇排除の
信長のブレーンではないかと考えないのか?
後の徳川による「天皇封印」のブレーンの一人が
天海であるように天海光秀説もそういうところから出てきたのかもしれんけど。
たしかに信長を合理主義者と崇める近代史観批判はそのとおりだが
逆に光秀を尊王主義者とするのもこれまた同じ近代史観ではないか。
いずれにしろ「天皇vs政治権力」は今の政治にも通ずる日本史の奥深いところだな。
0689人間七七四年
2010/06/16(水) 21:19:41ID:Mspaz0eB出版社のページ見たら、
>信長は天皇制を蔑ろにし、自らが『王』となろうとしていた。
>一方で光秀は教養にあふれ、和歌を詠み、茶の湯をたしなむ
>趣味人の顔を持った武将だった。
>そして「天皇親政」を懐に抱いていた光秀は、
>神仏をも恐れぬ信長のふるまいに国体の危機を感じ、決起にいたったのである。
という内容説明が書いてあったので一気に萎えた。
すでに何人もが語ってきた話じゃないのか、それは?
0690人間七七四年
2010/06/20(日) 17:58:22ID:lP3jfRbe歌は敦盛、茶の湯だって茶器コレクションしてたし
まるで野生人みたいな扱いだな
0691人間七七四年
2010/06/21(月) 02:29:13ID:Zfo/XzzF残念ながら幸若舞は当時の能楽系芸能の主流派から見たら、立ち居地は下。
0692人間七七四年
2010/06/22(火) 07:15:23ID:i5eoFFpD敦盛好きなんです。とか言ったら笑われちゃうわけか。
0693人間七七四年
2010/06/23(水) 17:28:23ID:aqUNiyqM飯は厚盛り。
そこな調理人。
薄づくりの汁なぞ出したら即刻首が跳ぶわ。
0694人間七七四年
2010/06/23(水) 20:13:34ID:EJ7pVILE0695人間七七四年
2010/06/23(水) 22:38:44ID:/S4wckAGいや、子孫とかいうんじゃなくて
例えば江戸川乱歩が光秀ファンだったとか。
0696人間七七四年
2010/06/23(水) 23:39:33ID:gJBk02qzだってそれ以前には明智といえば、光秀しか連想できる人がおらんでしょ
元々少ない苗字ですし
好き勝手に苗字を名乗れた時代でも、明智ってのは裏切りの代名詞みたいな感じですから
敬遠されたようです
0697人間七七四年
2010/06/24(木) 17:18:27ID:oG9JXK6wそれ自体に根拠がない。
また本当に勤皇家だったとしても、重臣たちはどうなんだ。
重臣たちまで勤皇家でなければ、「信長殺し」には同意すまい。
これが忠臣蔵の浅野内匠頭なら、1人でやったのだから
浅野個人の感情で吉良を斬ったといえるだろう。
だが本能寺の変は、重臣たちまで一緒になって信長殺しに
走っているのだから、光秀1人の感情などで事件が起きるはずがない。
怨恨説にせよ、「○○のために〜」という黒幕説にせよ、
この辺をクリアできないから説得力がないんだよ。
0698月孔雀
2010/06/28(月) 22:34:03ID:eOA4M0pW美濃攻略にも一枚かんでいるだろう。そこから、信長の飛躍は、始まった。
本能寺の変の真相が良く解らない。
毛利は、安芸、周防、長門に、領地を減らすことで、「和睦」を
秀吉が勝ち取っていたような。
だから、石見銀山のある、大事な出雲、石見に、国替えに光秀はなった。
これは、当時の世界情勢から考えると、すごい大事な職である。
中央から離れるのが、そんなに嫌だったのか・・・
それまでの腹心では、なくなる訳だから?
まあ、信長が考えたと思われる、
日本全土、直轄地みたいなことは、無理だったんかなー。
天皇もいなくなりそうだし・・・それでも良かったんかな・・・
0699人間七七四年
2010/06/28(月) 22:40:35ID:/17Rz++bとかいうのもあり得なくもない
おっと、信忠殺す必要ないじゃん
0700人間七七四年
2010/06/29(火) 06:50:39ID:HO1kw+T60701人間七七四年
2010/06/29(火) 07:27:53ID:nzXSve9k0702人間七七四年
2010/06/29(火) 22:19:07ID:tX7QbRlVだから国替えの話は近世の俗書にしかない話。
信用できない。
まず高柳光壽著「明智光秀」(吉川弘文館人物叢書)でも読め。
0703人間七七四年
2010/07/08(木) 10:08:01ID:pU+gwK/j織田信成が織田信長の子孫って本当?【3代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1277120346/
0704人間七七四年
2010/07/09(金) 08:21:27ID:M57Wu8qC「本能寺の変の謎」 米田一雄
ttp://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-08885-3.jsp
0705腐歴七七四年
2010/07/16(金) 23:57:25ID:3magSUkrそこで今日は見分け方の一部を紹介します。
ツンデレなのが三成、ツンだけでデレ期が無いのが1の光秀
関ヶ原で敗れたのが三成、関ヶ原まで隠れてたのが光秀
僧侶から武士になったのが三成、武士から僧侶になったのが光秀
綺麗な顔してやるのが三成、綺麗な顔した男と寝るのが光秀
知略の人なのが三成、被虐の人なのが光秀
主家の存続に必死なのが三成、主家が滅びてもビッチなのが光秀
地面に仕掛けた爆弾を爆発させるのが三成、傷心度が高まると爆弾を爆発させるのが光秀
胸に志を抱くのが三成、信長の胸に抱かれるのが光秀
家康の台頭に頭を痛めているのが三成、家康の大砲に腰を痛めているのが光秀
意地でシリアスに決めるのが似合う三成、自慰で尻穴をいじるのが似合う光秀
不義を許すまじと蜂起するのが三成、不義と知りつつも浮気するのが光秀
佐和山に城があるのが三成、さわやかに尻を出すのが光秀
三成は無駄に喋るのを好まないが、光秀は魔羅をしゃぶるのを好む
娘を人質に取ろうとするのが三成、娘と一緒に人質に取られるのが光秀
扇子が武器なのが三成、メンズが好きなのが光秀
己の正義を掲げるのが三成、己の性技を捧げるのが光秀
0706腐歴七七四年
2010/07/16(金) 23:58:14ID:3magSUkr三成は曹丕と仲良しだが、光秀は僧衣でも中出しが好き
友であっても負けられないのが三成、友のを咥えるのをやめられないのが光秀
誰にでも素っ気ないのが三成、女にだけ素っ気ないのが光秀
信じた道のため清正に戦いを挑むのが三成、信長のため濃姫に戦いを挑まれるのが光秀
囚われても柿を食わないのが三成、囚われて縄が食い込むのが光秀
秀頼の上意で戦うのが三成、元親と騎乗位でまぐわうのが光秀
毒舌で誤解されるのが三成、舌で五回するのが光秀
死の直前まで家康の命を狙うのが三成、痔の直前まで家康のデカチンをねだるのが光秀
味方を得るため諸侯の説得に走るのが三成、味方を得るため諸侯とセックスに走るのが光秀
東軍前線を背後から突く作戦を急ぐのが三成、前立腺を背後から突かれてイくのが光秀
秀吉の子飼いなのは三成、信長の子が欲しいのは光秀
残念な最期を迎えたのが三成、ザーメンを最奥で迎えたのが光秀
武士の矜持を守ったのが三成、後ろのバージンを守らなかったのが光秀
三成の衣装は軽装だが、光秀の依存は重症
大一大万大吉が三成、随一男根大好きが光秀
無双の三成×光秀ってイケメン同士で壮絶に逆年の差なのがむしろ萌えるんだけど異端…?
0707人間七七四年
2010/07/17(土) 01:37:12ID:zCQd7kJQ0708人間七七四年
2010/07/18(日) 10:18:32ID:7EEakSZ9ネタっぽいが一応反論しておく。
光秀=天海はありえない。
理由は「ギネスの壁」。
史料として信憑性の高い「当代記」には光秀67歳とある。
これでは光秀は120年以上生きたことになってしまう。
0709人間七七四年
2010/07/18(日) 12:58:47ID:bks0mI3x実際はどこの誰かもわからないような人物なので信長より若くても全然不思議ではない
0710人間七七四年
2010/07/19(月) 12:14:24ID:W0yYztNW0711人間七七四年
2010/07/19(月) 22:16:07ID:Apjofuz5もっとアテにはならないが明智軍記だって55歳、細川家の記録や
系図類でも57歳のいずれか。
信長より年下という史料は一つもないから、年上だったことは
ほぼ間違いなかろう。
以前信長は自分より年上を重用しないなんて書きこみを見たことが
あるが、柴田勝家なんかはどう見ても信長より年上だし。
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