【本能寺の変】明智日向守光秀【山崎の戦い】
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0607人間七七四年
2009/11/29(日) 15:29:30ID:OirgyiMwここのブログ主さん(霊視能力が凄いらしい)によると
本能寺の変の犯人は羽柴秀吉。
光秀は信長に対して絶対の忠誠心の持ち主。
信長は大事な客人(家康公)を任せられると
光秀に対しては常に信頼していた。
信長公は秀吉のことを ずるいヤツいつでも捻り潰してやる と思っていた。
秀吉の部下(忍者部隊?)が、本能寺に宿泊予定の信長を「ここは危険」と
誘い出し暗殺すると同時に本能寺を焼き討ちにした。
光秀が駈け付けたときには、すでに「日向守謀反」の流言が・・・・・・・。
この時 秀吉は高松には居なくて、京に近い所に居た。
光秀は家康公宛の手紙を斉藤利三の長男に託し、最後の一戦に挑んだ。
家康公は三河に戻ってから速やかに軍勢を整え出陣しようとしたが、
山崎の合戦の結果を知り出陣を取り止めた。
ちなみに、斉藤利三の長男はその後比叡山で仏門に入り修行し、
江戸幕府で天海大僧正として活躍したその人。
との事。
これって 一つの説として有り得る(時系列的に)事ですか。
詳しい方おられましたら解説を御願いしたします。
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