【本能寺の変】明智日向守光秀【山崎の戦い】
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2006/12/28(木) 19:58:46ID:EjRn4TJ6明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。
通称は十兵衛。
父は明智光綱のほか、明智光国や明智光隆の説もある。
さらに信長に仕えるまでの前半生には不明な点が多いが、
明智軍記では美濃明智城主として斉藤道三に仕え、その没後は諸国を遍歴したとされる。
-------wikipedia---------
0002前田 ◆MAEDAxMYTY
2006/12/28(木) 20:05:23ID:rSWFE0Zx【春華好みの】 明智光秀総合スレ 【美青年?】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152026247/
安倍=明智光秀
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167229893/
新春SPドラマ 明智光秀〜神に愛されなかった男〜
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1162368808/
有能?無能?明智光禿を語る。
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152875129/
明智光秀の野望
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1158600288/
もしも明智光秀が反乱を起こしていたら
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163419238/
天海=明智光秀だった!!!
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151671577/
0003名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 20:10:18ID:Fl1o2Mh00004名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 20:14:24ID:E1Zgd6Ub0005名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 20:20:53ID:rpla/GGM0006名無し議論スレにて投票方法審議中
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2006/12/28(木) 22:17:19ID:KfNyxgwf0008名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 22:36:13ID:S4oz49AE0009奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/12/28(木) 22:40:07ID:dTAKoqTT0010名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 04:31:00ID:ceGkAOgA0011名無し議論スレにて投票方法審議中
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2006/12/29(金) 08:22:03ID:JnR93mXa0014詩人
2006/12/29(金) 11:59:40ID:mYy6slxz0015名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 14:43:32ID:RW9YQHk30016名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/30(土) 16:52:28ID:aMx8I2AI有能?無能?明智光禿を語る。
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2007/02/08(木) 03:37:21ID:dKbTh72t三男が光頼と言い、生き残ったって本当かな?
0018名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 14:32:03ID:i7oSEy5J0019名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 13:36:54ID:3023bWQp出産は彼女が故郷に戻って後の事で、信州で産まれました。
0020名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 18:18:55ID:e46c4CJ4直後に本能寺
後をついだ秀吉が、朝鮮経由で中国を目指そうとするも敗退
0021人間七七四年
2007/02/12(月) 18:28:31ID:WRaxkkSwどれが当たってても不思議じゃない
0022人間七七四年
2007/02/17(土) 15:45:34ID:TvcRqIPA虐める奴と虐められる奴の人間関係にはほとんど宿命的なものがある。虐められる奴は
何をしてもその原因を作り出すだけに終わり、虐める奴にとっては、相手が何をやってもなおさら虐めたくなる、
そういうものだ。
こんな逸話がある━━━ある酒宴の席で、信長が七杯入りの大杯になみなみと酒を注いで光秀に一気飲みを強いた。
多分、光秀が下戸だったからであろう。光秀が辞退すると刀を抜いて、酒が飲めぬならこれを飲めと言って脅した。
ここで恥も外聞も無く土下座して、堪忍してくださいと言ったら、信長も散々嘲笑ってお終いにしたかもしれないが、
悪いことに光秀は飲んだ。自尊心が許さなかったからであろう。信長は命根性の汚い奴と言って
罵りながらも欲求不満に陥って、次はもっと酷い目に合わせてやろうと考えたに違いないし、
光秀は光秀で腸の煮えたぎる思いだったに違いない。
光秀の教養が気に食わない、したり顔が気に食わない、祝辞を言う時のなんということのない一言が気に食わない、
城を落とす為に母親を差し出したのが気に食わない、和議を結ぶ算段をしたのが気に食わない、ということになるのである。
つまり、原因はそんなところにあるのではない。光秀がそっくりそのまま信長お気に入りの秀吉の真似をしてみた所で、
やっぱり虐められただろう。信長の草履を懐に入れて暖めていたのがばれた光秀を想像してごらんなさい。
どんな目に合わされたものか、想像するだに恐ろしい。
これはもう徹底した相性の悪さに由来するものであって、光秀は信長に仕えるべきではなったし、
信長も光秀など使うべきではなかったのだ━━━こういう非建設的な人間関係は、虐められる側はもちろん、
虐める側のツキも落とす。だが、もっとまずいことに光秀は有能な男であり、純粋に能力だけを評価することも出来た
信長には、到底捨てるわけには行かない駒であった。それに、恐ろしい事だが、
やる事為す事悉く気に触って虐めつけたくなる相手、言わば常時自分の残忍さを挑発し、ぶつける事の出来る相手を
手放したりできるものだろうか。ことに、信長のような脆弱な自我の持ち主の場合、この手の存在によって
己が強者の立場を確認していなければ不安だったのではないか。
もちろんこんな関係が未来永劫に続くはずもなく、当然のように犠牲者が牙をむき出して相手の喉首に食いつく時が来る。
本能寺で信長がのうのうと寝ていたのは、信長だけではなく光秀にとっても不運だったに違いない。
彼にはその後の天下を維持する力量など、そもそもなかったからである。
0023人間七七四年
2007/02/17(土) 18:13:36ID:mlOjtouiにしても前提としてる史料がよくわからんから
長文の割にからみどころがわからんが、どこぞのコピペか
0024人間七七四年
2007/03/19(月) 00:13:04ID:RfZ7iZ/nhttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174220839/
0025人間七七四年
2007/03/26(月) 22:42:37ID:Yk5Jzjbo(スレタイそのまんま)を読んだが古い本のためか
誤りが多い。
太田午一が信長の右筆だとか、将軍義昭の二条城と
信忠が立てこもった二条御所が同じものだとか。
0026人間七七四年
2007/04/17(火) 05:10:31ID:jR6WCrkI0027人間七七四年
2007/04/17(火) 09:03:41ID:tcU6NybF0028人間七七四年
2007/04/17(火) 09:21:40ID:qzSPwhhn0029人間七七四年
2007/05/06(日) 00:29:31ID:bst7kYBI一般には55とされてるが67が正しければ
そんな爺さんだったのか・・・
0030人間七七四年
2007/05/06(日) 20:57:48ID:56TbfRlE0032奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/06(日) 22:40:29ID:268z6/f70033人間七七四年
2007/05/06(日) 22:46:47ID:YmTAePDf面子が色んな意味でかなり豪華。
0034人間七七四年
2007/05/07(月) 08:11:30ID:v5UnEjMRただ、どこかに光秀が産まれた年の干支が書いてあるって読んだ気がす。だから55と67なのかね?
0035人間七七四年
2007/05/19(土) 17:49:34ID:NkhECmFx0036人間七七四年
2007/05/20(日) 00:17:31ID:S7kOZ8nxうん、謀反起こしたけど不思議と別に悪く思えないんだよな〜
なんか光秀って存在快感があるようでないようなわからん武将。
0037人間七七四年
2007/05/20(日) 00:28:09ID:7nqzpc0M0038奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/20(日) 00:32:00ID:DEFy4LeS0039人間七七四年
2007/05/21(月) 11:48:14ID:2FO3E6Ve娘婿の弥平次(秀満)の方が目立ってるし・・・。
0040人間七七四年
2007/05/26(土) 23:02:05ID:8SXbJ53Z彼を人質にすりゃ諸将も身動き取れなかっただろうし、
投降させて殺害することもできる。
せめて信忠でも捕まえときゃまた違った展開になってただろう。
たとえ信長を殺してしまった(あるいは自害してしまった)としても、
それを隠して、生きて捕らえてあるという噂を流すべきだったのでは
ないのか?
0041人間七七四年
2007/06/16(土) 23:22:47ID:JmJ+yFH3前のあの悪い光秀に戻ってくれないかな あっちのほうが史実だし
0042人間七七四年
2007/06/25(月) 05:36:52ID:AAZyByMO輩四、五百人も餓死候。罷出で候者の顔は、青腫候て人界の躰にあらず候。
とかく五日、十日の内に必ず討ち果たすべく候」
「青腫候て人界の躰にあらず候」なんて表現の仕方がダークな感性を醸し出してるよな。
乱世に生きてるんだから当然と言えば当然だし、宣伝効果も見込んでるんだろうけど。
信長「丹波国日向守働き、天下の面目をほどこし候」
牛一「都鄙の面目これに過ぐべからず」
立入左京亮「名誉の大将也、弓取りはせんじてのむべき事に候」
フロイス「戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった」
軍記物の話では無く、リアルで同時代人から功績を評価され、武人として有能だと評されてる。
へうげもの光秀より、せんごく光秀の方がそれっぽいよな。
0043本能寺の変、四百二十五年目の真実。
2007/06/28(木) 11:24:49ID:nEpJulEf「野望、柴田勝家!」が真実だった。
明智光秀の軍事同盟者は柴田勝家、、、
0044人間七七四年
2007/06/28(木) 11:42:05ID:Rhm5w9XB0045宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 15:41:15ID:BMI26Zi5朝廷黒幕よりはありそうな気もするが、
0046人間七七四年
2007/06/28(木) 15:57:55ID:zVdKM8qV0047人間七七四年
2007/06/28(木) 16:04:08ID:6Z7U/mcO0048人間七七四年
2007/06/28(木) 16:04:53ID:hDlorhkU0049宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 16:09:07ID:BMI26Zi5「明智が家臣斎藤利三が土佐に来られり」
これは、かなり重要な証拠ではないか。誰も気付いてないが、
俺は発見した。
0050人間七七四年
2007/06/28(木) 16:19:33ID:6Z7U/mcO0052宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 17:26:32ID:BMI26Zi50053人間七七四年
2007/06/28(木) 19:56:26ID:wCUx68qu利三は本能寺の直前に稲葉家への帰参を信長に命令されたり、
場合によっては切腹させられる危険もあったね。
0054人間七七四年
2007/08/02(木) 13:38:41ID:sj2BTn8ohttp://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1186020363/
0055人間七七四年
2007/08/06(月) 20:32:13ID:Zh7p9ZQE光秀が名君とかありえないから。さしたる理由もなしに裏切りおって。
信長と信忠のタッグなら、有史以来始めて、日本が世界に覇権を唱えられたかもしれないのに。
0056人間七七四年
2007/08/06(月) 20:33:33ID:6tIwT/eZ各地を統治した名君でありながら、織田信長を本能寺の変で討ったため逆臣の汚名を浴びてきた
明智光秀の“復権”をめざす「明智光秀公ゆかりの地連絡協議会」が1日、光秀の生誕地で、
一族の墓もあるとされる可児市瀬田の天龍寺で発足した。ゆかりの地となっている全国7市町から
観光協会長ら15人が出席。光秀ゆかりの名所発掘などで協力することを誓い合った。【小林哲夫】
協議会の発起人は、京都府亀岡市観光協会(中沢広司会長)。光秀が築城した亀山城跡があり、
毎年「光秀まつり」を開いてきた。かつては「主君を討った」イメージから脚光を浴びることが
少なかったが、近年はテレビドラマの影響もあり、功績をたたえる声も高まっているという。
さらに観光振興を図るため、可児市など光秀ゆかりの地に協議会への参加を呼びかけた。
この日参加したのは、ほかに▽光秀の墓があるという山県市▽産湯井戸の伝説がある恵那市
▽明智神社のある福井市▽光秀築城の周山城跡などがある京都府京北町▽同じく福知山城跡が
ある同府福知山市。
会合では毎年、持ち回りでの協議会開催や、ゆかりの地の名所旧跡の掘り起こし、
観光客誘致のパンフレットやマップ作製、合同キャンペーンなどの事業展開を決めた。
また、「名君・光秀」をNHK大河ドラマにする誘致運動を実施することで合意。
今後、各自治体で署名運動などを展開していくという。
可児市観光協会の林則夫会長は「生誕の地で協議会を発足でき、感慨深い」と感謝。
すでに展開している光秀グッズや資料を紹介し、全国規模での展開を期待した
参加者らは、会合のあと可児市瀬田にある明智城跡を視察した。
毎日新聞 2007年8月2日
岐阜:MSN毎日インタラクティブ
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/gifu/news/20070802ddlk21040063000c.html
0057人間七七四年
2007/08/06(月) 20:45:14ID:Zh7p9ZQE大局が見定められない愚将でも、民政さえ良ければそれで良いのか。
そりゃーさ。正論ばっか吐いて信賞必罰な上司って煙たいけどさ。
「くそー。正論が全てじゃないんだー」とか喚きつつも
光秀のようにだけはなってはならないと常々自らを戒めてるよ。
正論が全てじゃないつって、ホントは自分の思いどおりしたいだけだもんな。
そういう幼稚な気持ち受け入れて欲しいのかね。光秀押してる人間は。
普通に恥ずかしいと思うけどな・・・・・・。
0058人間七七四年
2007/08/06(月) 20:52:03ID:sPxE1Yux>>49-53
だれが信長を殺したのか??書籍??PHP研究所
ttp://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?select=4-569-69073-4
0059人間七七四年
2007/08/07(火) 12:57:51ID:5g0dcKpxhttp://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20070806-237637.html
今度は染五郎だって。
0060人間七七四年
2007/08/27(月) 20:21:11ID:5U6SbxxU困るのは長宗我部よりも、明智や斉藤。黒幕とは言い難い。
0061人間七七四年
2007/09/06(木) 22:04:39ID:o8t32LmE明らかに光秀自身一般的な系図にある明智氏と深い関わりがあるにきまってる
明智氏の正真正銘の血縁者である光春、光忠をvs秀吉戦に動員できる事自体
明智氏と光秀が深い関係性でなければできないことだと思うのだが
0062人間七七四年
2007/09/19(水) 13:06:05ID:EwqM16pR0063人間七七四年
2007/09/19(水) 16:15:43ID:CIGKjspH明智光春って、明智光安の息子って言われているけど、
明智秀満(三宅秀朝の子)と同一人物説が今は有力。
つまり、明智の血縁じゃないよ。
光秀の娘の婿になって、明智の名乗った人物。
明智光忠も光安の息子って言われているけど、
光秀の娘と結婚して明智を名乗った出自不詳の人物。
一説には、明智城下の下級武士(半農)の出と言われている。
明智光安の息子って都合良く書かれた後年編纂の史料はあるけど、
当時の一級史料には、明智光安との関係があると考えられるつながりは皆無。
0064人間七七四年
2007/09/19(水) 18:12:02ID:IGucNnFi調べても出てこん どんな本にも光秀の戦争に関しては全く載っていない
0065人間七七四年
2007/09/19(水) 20:39:25ID:9NOmfruY戦歴というと丹波攻めが一番有名だけど、これは結構時間もかかったし苦戦した
こともある。
赤井直正の黒井城を攻めていたとき、合力していた波多野秀治が裏切ったため
光秀は敗北、吉田兼見が慰めたりした(『兼見卿記』)。
しかし平定が完了したときは信長にも「天下の面目」と言われた(佐久間信盛を
叱った書状、信長公記)。
戦歴については谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)の明智光秀の
項目にかなり詳しく書いてあるよ。
あとは光秀が城を築いた京都府亀岡市の『新修亀岡市史』あたりか。
0066人間七七四年
2007/09/20(木) 14:26:27ID:SGKwB49A任命された藤木権兵衛は斎藤孝藤の家臣団の一人だったのでしょうか?
後に山崎、関が原の戦いに加わったのでしょうか?
明智丹波衆ですか?
0068人間七七四年
2007/09/24(月) 00:11:51ID:XncoRbc8秀吉みたいに大国相手で与力もらってるわけでもないのに
京に限りなく近い丹波とその周辺の2国の軍勢を自由に動かせるとかこいつどんだけ権限持ってるんだよ…
ホント、なんでやっちまったんだろうな
0070人間七七四年
2007/09/24(月) 23:37:03ID:i1GsxNsj築城知識もさることながら大抜擢なのかな。
00711111111111111111
2007/09/25(火) 00:43:07ID:5gqhiQ/q何トチ狂ってんだこいつらww
0072人間七七四年
2007/10/12(金) 20:14:50ID:iqTBDl2y0073人間七七四年
2007/10/13(土) 09:59:25ID:Ffj/ew6Aもう少し具体的に。
0074人間七七四年
2007/10/13(土) 16:53:43ID:40ApmYGZかと思えば、信長による高評価や丹波攻略だけに専心できない当時の状況を考慮して、その戦才を非常に高く評価する人もいる。
秀吉は城攻めの名人、勝家は野戦に優れるイメージがありますが、彼らに比べ、光秀の武略はとらえどころがない感じがするんです。
優秀なのは間違いないけど、例えば山崎の戦術もあれがベストだったのかというと、考えてしまう。
0075人間七七四年
2007/10/13(土) 18:37:04ID:3be0n2TF0076人間七七四年
2007/10/13(土) 23:23:27ID:Ffj/ew6A・丹波攻めは、よく各地に軍を引き抜かれていた。
・山崎の合戦は、近江の押さえで兵が足らなかった。
0077人間七七四年
2007/10/14(日) 16:33:51ID:SQ3uSno1秀吉が城攻めが得意ってのは、疑問だがなぁ。
いくつか上がるであろう有名な城攻めも、すでに大勢が決まっているに等しい状況ばっかりじゃね?
0079人間七七四年
2007/10/14(日) 23:23:14ID:GcRo7uRj秀吉や家康は嫌い
0080人間七七四年
2007/10/15(月) 01:07:55ID:/iTdq+PP美濃森氏の連中やら道三の息子を本能寺で血祭りに上げた
みたいだが
美濃森氏自体元々土岐氏の家臣だったわけだし斎藤利治自体道三の息子
で義龍や濃姫だったかと兄弟姉妹関係に当たる 自分の母親と道三の子供
を何故殺すか
理解に苦しむ
0083人間七七四年
2007/10/15(月) 01:44:20ID:0Jd/pPPh0084人間七七四年
2007/10/15(月) 01:54:32ID:/iTdq+PP光綱以下みんな明智光○って言うように
明智氏は必ず名前の冒頭に「光」をおいているから
織田氏自体頻繁に「信」が使われるのは信長のお祖父さんの代からであって
その前まで織田常松とか織田敏定とかそんな名前が多かった
0085人間七七四年
2007/10/15(月) 02:20:25ID:/z8PjG8c>自分の母親と道三の子供
自分の母親?
光秀は小見の方の子供じゃないよ?
0086人間七七四年
2007/10/15(月) 02:29:23ID:/iTdq+PP光綱やら光秀の「光」の一文字こだわらなければならないわけで
明智氏の長男には必ず「光」が使われる
光秀は長男に光慶と言う名を付けている
それ以外にはみんな秀満とか自然丸と名を付けている
光秀は妻木氏だの言われるが信憑
性はあまりないと思うが
武田氏だって河内源氏源頼信が祖だから子孫の名前の
「信」と言う一文字に異様にこだわるだろ?
0087人間七七四年
2007/10/15(月) 02:31:55ID:/iTdq+PP斎藤利治って古見と道三の子供じゃないの?
0088人間七七四年
2007/10/15(月) 02:40:25ID:IvvxD0RSもう一人の腹心溝尾茂朝の実力は如何に?
0089人間七七四年
2007/10/15(月) 03:15:47ID:/VHDBtkaとはいえ、浪人でうろうろしてた前半生、
民政と軍事で死ぬほど忙しかった後半生と
光秀みたいな上司に何十年も仕え続けるってのは、
現代以上の競争社会にあって、
活かせる能力・特徴があったからとしか考えられないが。
家宰みたいな立場で家臣団の調整役だったとか。
そういう調整に、光秀が専心してる余裕はなさそうだし。
0091人間七七四年
2007/10/15(月) 09:18:55ID:/z8PjG8c斎藤利治の方のことを言っていたの?
斎藤利治の母親は不明。
小見の方という説はある。
>>80で
>自分の母親と道三の子供を何故殺すか
と書いてあったけど、本能寺で殺した側に回ったのは光秀だから、
光秀が小見の方の子供と言いたいのかと思った。
斎藤利治は殺された側だしな。
0093人間七七四年
2007/10/16(火) 14:45:43ID:odEJuNwm信長とか政宗は大量虐殺者だから領土を広げられただけ。
0094人間七七四年
2007/10/16(火) 17:41:18ID:fcDXI7Cp0095人間七七四年
2007/10/27(土) 01:23:27ID:Gvp8z6qJ0096人間七七四年
2007/10/27(土) 05:37:20ID:Gvp8z6qJ0097人間七七四年
2007/10/31(水) 23:19:20ID:Fm0ZC0ka関ヶ原の戦いの時に、事故で亡くなったとか。
詳しい人いる?
0098人間七七四年
2007/11/01(木) 09:22:39ID:nCaS8rXa光秀男系子孫の可能性があるね
0099人間七七四年
2007/11/01(木) 09:58:05ID:TRIoT7oM井戸は大和の国人。
遠山と原は、美濃に縁がある。
荒深は光秀の後名「荒深小五郎」かな?
0100人間七七四年
2007/11/01(木) 10:28:18ID:nCaS8rXaそのとおり。
光秀の遺児たちが匿われたという俗説があるのが井戸・遠山・原の各氏。
井戸氏は女婿だし遠山・原は同族だから無理な話ではないかも。
荒深氏は光秀在命中から隠し子が当主になったという話があるね。
0101人間七七四年
2007/11/01(木) 10:50:53ID:TRIoT7oM事故死(溺死)したのは、光秀自身という説もあるそうな。
>>100
お詳しいですな。
井戸良弘の室は筒井順慶とwikiではなってるから、光秀の娘で順慶の養女かな……?
それとも良弘の子、覚弘や治秀の室かな? ネット検索だけじゃ、よく分からないや。
0102人間七七四年
2007/11/01(木) 15:58:08ID:q2k85rCe信長の無理難題を常にこなしてきたんだから
たった・・・たった一度の秀吉の戦いでの失敗で終わったが・・w
0103人間七七四年
2007/11/01(木) 16:05:35ID:M/lSAxJK0104人間七七四年
2007/11/01(木) 17:51:51ID:rDpGjANY>>103もその通りだが、だからこそ、信長の影響力や他将の能力を読み違えた
本能寺の変への「謎」がという名の霧が晴れる事はないよね。
0105人間七七四年
2007/11/09(金) 04:56:14ID:62MxDv7j0106人間七七四年
2007/11/09(金) 10:50:02ID:jkUPF74o【夢】>>415の話をまったり待つスレ【前世】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/occult/1186729847/
0107人間七七四年
2007/11/09(金) 15:38:14ID:Ep2D1PSC0108人間七七四年
2007/11/09(金) 15:48:15ID:sTnoj5yLどの斎藤氏?
0109人間七七四年
2007/11/14(水) 03:22:30ID:Hskxu79+0110人間七七四年
2007/11/14(水) 04:31:55ID:bwhaaf970111人間七七四年
2007/11/14(水) 15:47:06ID:nt0Rszrw0112人間七七四年
2007/11/15(木) 10:04:29ID:FHPF27Li羽柴にとって光秀の命がけの謀反と山崎は皮肉なことにおいしい獲物にしか
なりませんでした 光秀にとって信長退治は不幸の始まりだった。
光秀にとって信長はまずい獲物でしかないわけだ。
0114人間七七四年
2007/11/16(金) 05:09:03ID:Jebs4WLb0115人間七七四年
2007/11/16(金) 05:16:16ID:u1QKdRqv信長と明智はまあまあだけど、秀吉はダメだ。徳川はもっとダメだけど。
0116人間七七四年
2007/11/16(金) 07:00:14ID:Jebs4WLbこいつは異端者だよ
信長秀吉なんて人生の歩む道とか目標とかホントそっくりなんだよね
なんというか明智光秀って奴の人生はそれらと正反対に歩んでいるんだよなぁ
信仰対象が違うというか
信長も秀吉も天下を取ることに必死であった
やり方の食い違いはあるだろうが目標は同じなんだよ
そもそも岐阜の連中なんて戦国武将としては異端だよ
0117人間七七四年
2007/11/16(金) 13:53:40ID:DpfoThnF光秀も信長路線の武将だよ。反乱を起こしたのは権力中枢から弾かれた事と、年齢から来るあせりに過ぎない。
戦国時代は思想信条で動くような時代ではないぞ。リアルな権力闘争の結果だ。
0118人間七七四年
2007/11/16(金) 14:46:02ID:cKAek6Jr0119人間七七四年
2007/11/16(金) 14:46:50ID:cKAek6Jr0121人間七七四年
2007/11/16(金) 15:54:53ID:DpfoThnF秀吉なんて元から権力中枢に入っていないだろ。
織田家の高等政策を決定してたのはすでに信長側近の官僚グループ。光秀は織田家の高等外交に
ずっと係わっていたのに四国でその政策決定グループから弾かれた。
つまりただの武将に格下げされた訳だ。
0122人間七七四年
2007/11/16(金) 17:47:38ID:cKAek6Jr0123人間七七四年
2007/11/16(金) 19:48:05ID:FyPB7bnU0124人間七七四年
2007/11/17(土) 00:33:46ID:o8FkqOXe明智光秀と濃姫って従兄弟なんだろ?
深い縁があるんだろ?
0125人間七七四年
2007/11/17(土) 00:40:19ID:YO1cGkw00126人間七七四年
2007/11/19(月) 14:35:01ID:2SfzRTcSむしろ血縁が無い故に、光秀が織田家に仕官を望む際、義昭という手土産が必要だったとも考えられる。
0127人間七七四年
2007/11/20(火) 16:10:17ID:RFaXBeOP秀吉と光秀って私的に交流とかなかったの?中国四国方面の切り取りの担当に最終的には秀吉が選ばれたワケだけど
光秀としてはライバルという意識しかなかったのかな?
0128人間七七四年
2007/11/20(火) 16:48:49ID:u6gOY5YH一次資料で親密だったとかは証明されてないね。
でも一緒に京都奉行をやった仲だから、懇意であっても不思議ではないか。
0129人間七七四年
2007/11/20(火) 16:57:31ID:HNz6S+nrそして、一つの可能性として光秀は変後、どこかの城に居た濃姫を保護した、
もしくは保護した後、解放した、とか
ただその行いは明智にとってプラスイメージに繋がる事なので、後世抹消された
それに連なり、濃姫という存在も公文書から消えた
という可能性も無くも無いかも
>>127
光秀と秀吉はお互いに進物を送りあう関係だった
表面上は悪くは無かっただろうね
秀吉がそそのかした説も、その辺からの飛躍じゃないかな
ちなみに勝家と光秀は確か遠縁ではあったものの
縁戚を結んでいたようで、仲は悪くなかったはず
なので当時、変直後には勝家と光秀が共謀して変を起こした
との報告書が残っている大名も有ったようだ
上杉だったかな
0130人間七七四年
2007/11/20(火) 17:11:11ID:u6gOY5YH>勝家と光秀は確か遠縁ではあったものの
そういや、柴田家を出た柴田勝定を明智家で引き取ってるな。
勝定の嫁が明智秀満の妹だとか。
0131人間七七四年
2007/12/02(日) 02:08:01ID:q7ElZfbAその中でも光秀はトップクラスで、勝家とも縁戚だったら最強じゃん。
秀吉なんか眼中になかっただろうな。
0132人間七七四年
2007/12/03(月) 01:04:13ID:214Kiwtv光秀にとって(結果的に秀吉に撃たれたけど)、本能寺が最後の徒花で存在感を示しただけ
秀吉の天下取りへの露払いをしただけなのは歴史の皮肉だね
いずれ秀吉と勝家の織田家跡目争いになってただろうけど
ま、信長が生きてる限りは秀吉は権力への野望をあからさまに表に出すような愚かな真似はしないだろうけどね
0133人間七七四年
2007/12/04(火) 22:58:42ID:siCgqp5hある時期までは信長の権力中枢で高等外交も担当していた光秀と比べるべくもない。
つーか天下統一がある程度確立したら秀吉も光秀もまとめて追い出されてただけだろ。次世代の権力者は
信長と信忠の側近官僚グループ。方面軍司令官の中でもまともに生き残れたのは信忠の補佐官役やってた
滝川くらいだったんじゃないか?
0134人間七七四年
2007/12/18(火) 20:01:17ID:tMJ/pGwC急にチャンスがきたので思わず討ってしまった
0135人間七七四年
2007/12/19(水) 22:15:57ID:ZtyrwUch光秀はそれを逃さず捉えた
後先考えてたら(天下統一まで視野に入れて)あの行動はなかったね
つまり信長を討ち取る事が目的になってしまった
結果的には秀吉の天下取りの露払いの役目をしてしまった皮肉
光秀殿 是非に及ばず 安らかに眠られい
後世の我々はちゃんと評価しておりますぞぃ
0136人間七七四年
2007/12/20(木) 13:30:33ID:l8r/5VYi光秀殿、あなたのせいです。
0137人間七七四年
2007/12/22(土) 02:11:14ID:xUkebBrp_>\ 父さん!
< 強い電波です
/|/\\
`-\ ハ
/|
(◎) / |
_ノ(ハノ ヾ
/ \
`/ ノ人 ヽ
fイ・ヽ\) ヽ
|| | ヾ) )
|人_ノ(。。 ヽ )
| ⌒ | ノ リ
人 | |ノ iノ
\ ⌒ ノノノ
_>ー―-"ヽ_
/L_|Vヽ//_/ヽ
`/| | o / / |
0138人間七七四年
2007/12/23(日) 01:07:56ID:aSsGSqWO0140人間七七四年
2007/12/24(月) 00:27:09ID:fZI8BkzD本能寺で捕らえた捕虜から信忠の居場所を聞き出したんじゃないの??
0141人間七七四年
2007/12/24(月) 00:44:57ID:q8JVkfde0142人間七七四年
2007/12/24(月) 14:55:08ID:ra3ZUZdWだからこその反逆。
光秀ほどの人間が後先計算しないはずがない。そこまで追い詰められていた
っていうのが現実。
それであそこまでやったんだから上出来だよ。
統率力がなかったら秀吉の軍と対峙する前に自壊してるはずだから。
0143人間七七四年
2007/12/24(月) 15:01:15ID:p353cHyD>光秀は反旗を起こさなくてもいずれは処分されただろうな。
何故?
0144人間七七四年
2007/12/24(月) 15:09:11ID:z32oPOt2林や佐久間見りゃ解るだろ。天下がある程度定まってしまえば大軍団を保持する指揮官なんぞ
信長にとって害悪でしかない。譜代でもなければ権威ある名族でもない光秀や秀吉は、どう考えても
いずれ粛清される。
0145にゃんこ
2007/12/24(月) 15:52:28ID:Esya6KB9と。(細川への手紙)
実際に、本能寺後、10日ほどで、光秀は近江や若狭の国人衆を配下に組み入れ、
筒井も一端は引き入れた。(秀吉接近を知って、後に引き返して裏切ったが)
光秀に勝算はあった。100日内に畿内を抑えて大大名として自立できるはずだった。
本能寺後、滝川軍は解体、四国遠征軍は内紛、川尻は配下の反乱、柴田は苦戦。
譜代の少ない、秀吉軍も解体する可能性が大きかった。配下の国人は、秀吉の家臣
ではないのだ。しかし、この頃の秀吉は、運と力量が絶好調で、短期間に国人達を家臣にして
戦国大名として自立した。
秀吉の奇跡的な成功によって、後世の人間は、光秀のチャンスと秀吉のピンチを
見失った。
0146人間七七四年
2007/12/24(月) 16:04:39ID:niFxF51O0147人間七七四年
2007/12/24(月) 17:42:49ID:uOPvvDFc0148人間七七四年
2007/12/25(火) 04:19:17ID:4jM4DGxo0149人間七七四年
2007/12/25(火) 08:52:45ID:uCT0ySHU0150人間七七四年
2007/12/25(火) 08:55:11ID:3sP62fxk0151サイコトリー
2007/12/25(火) 22:46:19ID:P1kzTH92>>145にゃんこさん、別スレにいらっしゃいましたね。
変わらず野望説ですな〜。自分は前から怨恨複合説ですが、>>145の内容は理にかなって
いますね。光秀は自身の与力軍があそこまで味方をしてくれないと予想していなかったろう
し、秀吉も畿内周辺国人衆があそこまで味方をしてくれると予想しての行動ではなかった
と思われます。光秀も信長の存在感及び影響力が死んでなお強いかったのだと、謀殺後、
思ったと思います。
0152人間七七四年
2007/12/25(火) 23:17:03ID:shFpd9ny0153にゃんこ
2007/12/25(火) 23:33:41ID:ARN9Cgxxだから1万300人にもなるのです。当時の軍制で、光秀の直轄軍などわずか
でしょう。細川が例外というべきです。
光秀の味方が秀吉より少なかった理由は、時間の短さが主原因だと思います。
国人一族が、「信長死す」の一端の情報では動かないのが普通でしょう。
1,「信長が光秀に殺された」とのうわさが届く
2,噂の真偽を巡って、一族で話し合う。
3,噂の真偽を確かめる使者を京都へ送る
4,使者からの報が届いてから、一族で今後の去就を話し合う
多くの国人が、「秀吉が帰ってきた」「信長が生きている、と秀吉が主張している」
との報を受けたのは、1〜3の段階でしょう。
秀吉が短期間に帰って来なければ、筒井順慶が一度は光秀側に立つ事を決定した
ように、雪崩現象で、もっと多くの国人衆が光秀側についていたでしょう。
むしろ10日ほどで、近江や若狭の国人を引き入れたのはすごいと思いますよ。
0154にゃんこ
2007/12/25(火) 23:36:50ID:ARN9Cgxx寄騎の過半は、最初から・・・・
0155にゃんこ
2007/12/25(火) 23:44:33ID:ARN9Cgxx1万300→1万3000
まあ、当時の軍制から考えてうち1万人は寄騎だよな。
仮に、近江の30万国を光秀が領した説を採用しても、直轄兵は7500人。
寄騎の率いる兵はは6500人もいる。丹波なんかは、寄騎の領地だろ?
0156にゃんこ
2007/12/25(火) 23:51:23ID:ARN9Cgxxしかし、30万石のうち、多くは、配下に分け与える。この配下の率いる兵は
光秀の直轄兵ではない。しかし、寄騎とも考えにくい。信長によって、光秀に
付けられたわけではないから。
こうなると、何が何だかわからなくなる。
まあ、しかし、1万3000人の過半は、寄騎だったと考えるのが普通だわな。
光秀なんて、元々の領地がゼロなんだから。
0157サイコメトリー
2007/12/26(水) 13:04:52ID:wPULK4dc悪く言ったつもりはないです。自分も光秀が戦国期では最も知勇兼備な武将だ
と思ってますよ。>>151は彼の心情を推察したのです。
出はどうであれ、浪人の身であった光秀が自力であそこまで成り上がったのは
やはり実力者だからだと思います。また傀儡将軍といえども将軍との取り成し
活動も出来、故事にも通じ、そして領民からも慕われる。結果として惜敗しま
したが、山崎の合戦の内容をみれば、彼の人となりが分かります。
にゃんこ さんは本当に博識ですな。本能寺関連スレいくつか覗いてますが、
知識の豊富さがうかがえます。そこでまた聞きたいのですが、前にもスレましたが、
慎重にまた順調に織田家で出世をして来た光秀が、天下にチャンス有りと思ったと
はどうしても考えられない・・。
ましてや、朝廷・家康・秀吉・その他黒幕等とはフィクション以外の何もでもない。
(多少の関連作用はあるだろうが・・)にゃんこ さんの自説を再度、教えて下さい。
0158人間七七四年
2007/12/26(水) 14:09:08ID:de/RhtUA>仮に、近江の30万国を光秀が領した説を採用しても、直轄兵は7500人
30万石あれば10000人くらいは動員できるよ
急場ならなおさら
0159にゃんこ
2007/12/26(水) 22:20:22ID:chcDof2C1万石250人説は、惣村の支持の得にくい、遠征の動員です。
300人以上説は、惣村の協力の得やすい、防衛の動員です。
この時の光秀軍は、中国地方への遠征の動員でしたよね。
0160にゃんこ
2007/12/26(水) 22:26:43ID:chcDof2C145に書いたように、にゃんこの説は、オーソドックスな「単独野望説」です。
秀吉の奇跡的逆転が無ければ、光秀は少なくとも、大型戦国大名として、畳の上で
死ねたと思います。
0161にゃんこ
2007/12/26(水) 22:36:06ID:chcDof2C現代では、人権が広まってますから、誰にでも発言権があります。それ故、「善政」
などと誉めてもらいたければ、大多数の人々に利益を、すべての人々にも不利益を
与えないようにしなければなりません。誰にでも発言権があるから。はっきり言って
、ほぼ不可能ですね。
しかし、昔は、発言権に限りがある。戦国時代の「善政」とは、地侍以上、あるいは
せいぜい、名主以上の階級のための「善政」ですよ。彼らより下の者に発言権はない。
たぶん、光秀を慕う領民とやらの中に、大多数の下人や作人は含んでいないでしょう。
知っていたなら、「釈迦に説法」ごめんなさい。
0162人間七七四年
2007/12/26(水) 23:00:04ID:Q/ZpYvhw伊勢貞興の評価が低いのが悲しい
俺すごく好きなんだが
0163人間七七四年
2007/12/26(水) 23:23:32ID:o28xfSII0164古今神勇志士
2007/12/26(水) 23:40:48ID:+eCHl+Mq0165サイコメトリー
2007/12/27(木) 11:46:17ID:dz/fU2Mp>>にゃんこ
ありがとうございます。
>>162
伊勢は自分も好きです。表面にはあまり出て来ない武将なのはしょうがないですよ。
>>163
自分は野望説支持者ではないですが、自身の年齢がいくつであろうが、あまり関係
がないと思いますよ。家康然りです。
0166人間七七四年
2007/12/27(木) 19:06:00ID:uiJKS62pコピペして各板に貼り付けよう 知人にも話そう
小泉純一郎
・戦前大臣を務めた祖父小泉又次郎は純粋な日本人とされる。だが、純一郎の帰化朝鮮人である父が鮫島姓を買い取り
又次郎の娘をたぶらかして婿として小泉家に入る そこで小泉家は帰化朝鮮人である純一郎の父に乗っ取られた
参照http:// 上下くっつけて
ja.wikipedia.org
/wiki/%E5%B0%8F
%E6%B3%89%E7%B4
%94%E4%B9%9F
・父親の純也は、鹿児島東加世田の朝鮮部落の出身者といわれる 日大卒業名簿には、純也の日本名はなく、
見知らぬ朝鮮名が書かれているという
純也は朝鮮人の帰国事業、地上の楽園計画の初代会長であった
・結婚後、子供をもうけ即離婚した宮本佳代子は在日企業エスエス製薬創業者の孫
・小泉の元秘書官の名前は飯島勲←注目 帰化朝鮮人
・派閥のドン森喜朗も生粋の朝鮮人 ←森も帰化人がよく使う通名
・小泉は、横須賀のヤクザ、稲川会と関係が深い
安倍晋三
・岸家 毛利元就が陶晴賢と厳島沖で戦い大勝を収めた際、寝返って毛利方についた船の
調達人が「ガン」と称する帰化人であったという 毛利はその功績によって「ガン」を
田布施周辺の代官に召したてた このガンを岸家の先祖とする説がある
・祖父岸信介が文鮮明と共に 反共団体 国際勝共連合(統一教会)を設立
・官房長官時代統一教会「合同結婚式」に祝電を送り、話題に
・安倍のスポンサーは、下関の朝鮮人パチンコ業者である
・グリコ森永事件時、明らかになった帰化朝鮮人企業森永のご令嬢と結婚
・そのわが国のファーストレディーは電通(会長成田豊、半島生まれの帰化人)勤務という分かりやすい
経歴の持ち主の朝鮮の血筋
・韓国、中国の留学生に日本の企業に入ってもらうために住居費分、学費免除分、生活費など月計20万〜30万円相当の支給
日本人のワーキングプア層を全く省みない また帰化系在日系朝鮮人が日本の企業で技術を盗み、半島の現代などの企業に
伝授していることが深刻な問題になっている
・多くの朝鮮人が差別を主張し、警察、原発、自衛隊で職を得ている
0167人間七七四年
2007/12/27(木) 20:40:44ID:l03IOQdf0168人間七七四年
2008/01/02(水) 20:59:57ID:edFZf76rあの折檻状だけど、最近の多くは信盛への奮起を促したもの
と考える人が多くなっては来てる。林に関しては追放後即亡く
なっているので単純な追放と考えるには異論もある。
カタチはどうあれ結果として組織改変が進み、光秀は畿内
総司令長官のような立場になったけど。
0169人間七七四年
2008/01/04(金) 23:28:53ID:zgPSdDw6江戸時代から檀家を努める寺の伝承で先祖が明智家臣らしいのですが、戦国までの家系図は無いので分からないのです。
ただ江戸時代から現在の家紋や名字を使用していた事は判明しており、先祖の出身地からも伝承の根拠はあるもので……
0170人間七七四年
2008/01/05(土) 00:04:57ID:ARoswuq/0171人間七七四年
2008/01/05(土) 11:39:49ID:+VFYS++l是非に及ばず
0173169
2008/01/08(火) 01:20:54ID:ZQ54g5GAただ明智氏との関連は曖昧な伝承のみで全く解からないのです。もし戦国期から士族だったならば、おそらく何らかの関わりがあったと思うのですが……
0174人間七七四年
2008/01/08(火) 01:37:48ID:FbDPmQ8K0175サイコメトリー
2008/01/08(火) 14:44:32ID:DaZjC7WB明智光秀は細川父子を始めとする寄力軍を従える事が出来たら、秀吉を破れただろうか?
0176人間七七四年
2008/01/08(火) 15:32:09ID:XdbsXxlF細川・筒井が光秀方なら、畿内の目立った反光秀勢力って蒲生父子と信孝・丹羽軍くらいしか無いし。
天王山で秀吉を破るくらいは出来たんじゃないだろうか。
もっともそこで勝利しても柴田・羽柴・徳川・織田兄弟に囲まれて危ういとは思うけど。
ところで津田信興って実際のところどうだったんでしょう?
0177176
2008/01/08(火) 16:45:15ID:XdbsXxlF彼についての資料がなかなか無いので、どなたか詳しい方はおりませんでしょうか。
0178人間七七四年
2008/01/11(金) 15:09:31ID:2+GqILOc0179人間七七四年
2008/01/12(土) 14:21:41ID:y5qM/KRRで、二人は洗礼を受けていると
0180人間七七四年
2008/01/13(日) 08:20:57ID:BeyOd1Bs0181人間七七四年
2008/01/13(日) 21:47:14ID:rGmtDiRX2chオカ板の前世スレで、細々と自分の夢を語る所から、物語は始まった・・・
【戦国・前世】415・お市総合【日月・ひふみ】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/occult/1200010173/
なにがガチでどれがネタなのか?
おまいらにはこの世界に渦巻く嘘と真実を見抜くことができるか!
0182人間七七四年
2008/01/21(月) 17:27:49ID:e2hiIPN5基本的に信長は光秀をとても信頼してたし悪くも扱ってない
本能寺の変当時の石高は明智32万石、秀吉20万石
しかも秀吉よりも早く城を持たされている
これだけ見ても光秀を信長がいかに頼りにしてるかわかる
本能寺の変についてだが
信長からの酷い仕打ちを恨んで討ったという人がいるがそれはない
その証拠に
光秀は母親を人質に出してない(歴史の資料にそんなのありません創作)
家康の接待は失敗してないし、暴力も振るわれていない(信長公記にそんな記述ありませんこれも創作)
例の国替えについても作者不明の明智軍記だけがソースだから信憑性なし
秀吉への援軍も毛利は強いので信頼のおける光秀を送ることにしただけで他意はないのは明らか
0183人間七七四年
2008/01/21(月) 17:30:08ID:zyf+CrEmだから今はそう言う仕打ち云々より、四国政策等にかかわる光秀の政治的立場の弱体化が
乱を誘発した、って説が有力だろうに。
0184人間七七四年
2008/01/21(月) 17:35:31ID:u9l1QVsG0185人間七七四年
2008/01/21(月) 17:48:47ID:e2hiIPN5信長が朝廷を壊そうとしていたからである
だから仕方なく光秀は信長を討ったのだ
これでわかるように本能寺の変の黒幕は壊されたら困る朝廷なのである
その証拠に
信長の死後に公家たちは祝宴をあげて喜んでいる
信長の死後に朝廷は光秀に京都の治安維持を任せている
そして銀500枚を光秀から受け取り、返礼もしている
公家の中では光秀を征夷大将軍にとの声も上がっている
黒幕は朝廷・・・それを知った秀吉に朝廷はそれを隠蔽してくれと頼み
それを受け入れた秀吉は朝廷から優遇されている
0186人間七七四年
2008/01/21(月) 17:51:18ID:KzDO2X0k@母親を人質
A家康の接待
B国替え
これの元ネタって何なのかな?
>>183
その説はよく聞くけど誰が言ってるの?
0187人間七七四年
2008/01/21(月) 18:01:40ID:irU58cZ6本能寺の恋
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151763279/
0189人間七七四年
2008/01/21(月) 18:04:39ID:CPAAmJWs0190人間七七四年
2008/01/21(月) 18:11:46ID:KzDO2X0k公家達にも便宜をはかってる。
0191サイコメトリー
2008/01/23(水) 17:26:52ID:54cFz2CZ何らかの怨恨があった事は間違いないと思います。
野望説や陰謀説も完全否定は出来ませんが、変 後の光秀の動きと状況は、
用意周到な準備をした、それとはどうしても考えられないのだが、どうでしょう?
(別スレでも同じ事を書いてます。)
0192人間七七四年
2008/01/23(水) 17:41:39ID:z/zOtCzm0193サイコメトリー
2008/01/23(水) 17:49:58ID:54cFz2CZ0196人間七七四年
2008/01/23(水) 18:00:12ID:z/zOtCzm> 秀吉・信孝辺りになるな
こいつらは側近でもなんでもない。秀吉はただの方面軍司令官でしか無いし
信孝にいたっては親族衆で光秀の競争相手なんかじゃ無い。
側近ってのは菅谷とか森兄弟とか、そういう信長の政権中枢の事だ。
0198人間七七四年
2008/01/23(水) 18:31:24ID:6X+BHeotそういう意味ね
>>197
四国攻めは信孝が直訴したという話だし
三好は秀吉が保護してたよね。
つながり的には
長宗我部家→光秀
三好家→秀吉
0201人間七七四年
2008/01/23(水) 20:32:04ID:3g+Me3bY0202人間七七四年
2008/01/23(水) 22:21:10ID:ZZ3/W9Zf0203人間七七四年
2008/01/23(水) 23:07:18ID:6tyMf28P0204人間七七四年
2008/01/23(水) 23:19:31ID:z/zOtCzm外様は生き残るだろ。光秀や秀吉みたいな氏も素性もない、平時には何の役にも立たない連中は
粛清されただろうが。
0205人間七七四年
2008/01/23(水) 23:30:53ID:dZKKyipY0206人間七七四年
2008/01/23(水) 23:35:19ID:z/zOtCzm0207人間七七四年
2008/01/23(水) 23:38:59ID:dZKKyipY0208人間七七四年
2008/01/23(水) 23:53:51ID:z/zOtCzm何故違う?
信長の息子じゃなくても、信澄は磯野員昌の養子に入って、員昌を放逐して
磯野家を乗っ取ったりしてるな。
0209人間七七四年
2008/01/23(水) 23:57:46ID:z/zOtCzm信澄を養子にもらったんだけどね。
0210人間七七四年
2008/01/24(木) 03:37:15ID:+0b694vSその根拠は?
0211人間七七四年
2008/01/24(木) 03:44:09ID:j38sKQmW門閥があるわけではない。強い譜代家臣団を持っているわけではない。
どこかの土地に強い地縁を持っているわけではない。
基本的に本人の才能だけの存在。
世の中が平らかになれば、必要ないだろこんな存在。少なくとも織田政権が子孫を養う必要性は
全く無い。そう言う意味で光秀や秀吉のような「存在」は、平時には役に立たないのだよ。
0212人間七七四年
2008/01/24(木) 05:57:08ID:vWLV1oxO0213人間七七四年
2008/01/24(木) 09:01:20ID:4EKmb1oR@:卓袱台返しの四国政策変更。後処理も他の武将に割り振り。
A:斉藤利三に切腹命令。
B:@Aに関して翻意を促した光秀を叱責。(というか殴る蹴る?)
C:上記のように色々したあげくに領地に戻らせて軍隊召集の権限を使わせる。
これだと信長も油断しすぎだよな?
明智には、中国・九州で活躍の場を与えれば、それで納得するはずと思ってたってことかね。
0214サイコメトリー
2008/01/24(木) 09:49:15ID:mi3TDjNr平時の時に役に立たない秀吉・光秀と誰かがスレってましたが、それはどうかな?
彼らは軍隊を指揮命令するだけの武断派ではなく、どちらかといえばシビリアン
コントロールのパイオニアだと思うけど、各国で各武将達への交渉や調略は、綿密
な情報収集能力と政治力によりものだと思うよ。信長が天下を掌握した後、一族で
中央集権国家を確立したいと思うのは当然(彼に限らないよ)
家康もそうだった様に能力が高い武将ほど、戦が無くなれば、目障りな存在になる
のは戦国期だけではないと思うがどうだろう?
>>213
文献等を確認していないが、Aの斉藤利三と稲葉一鉄の揉め事が昔から気になって
ました。すごくりアリティが有る様に思うんだよね(自分的には・・)
どなたか詳しい情報、教えて下さい。
0215人間七七四年
2008/01/24(木) 10:21:56ID:f+7w9EtS織田内の立場は明らかに稲葉が上だから それ擁護して謀反とか光秀はそこまで馬鹿じゃないでしょ
本能寺に光秀本人が来てないと言うなら別ですが
0216人間七七四年
2008/01/24(木) 11:48:13ID:WG6BXbYjあなたはこのスレ参加するのは無理だよ。
0217人間七七四年
2008/01/24(木) 11:53:53ID:f+7w9EtS0218人間七七四年
2008/01/24(木) 12:00:11ID:ocqI27+k0219人間七七四年
2008/01/24(木) 20:45:49ID:vWLV1oxO稲葉家を出奔して明智家に移籍した利三を、一鉄が帰参させようと信長に訴えた。
戦国期にはちょくちょくある話。
0220人間七七四年
2008/01/25(金) 03:39:17ID:58hOflPW斉藤利三の件は、編纂史料でしか確認できないからいまいち信頼性に欠けるのかな。
桐野作人氏の「だれが信長を殺したのか」(PHP新書)に概ね書いてる。このスレ見てる人は既読の人多いんだろうけど。
稲葉氏の『稲葉家譜』と細川藤孝関連の『永源師檀紀年録』ってのに載ってるってさ。
一応大略は、那波直治が稲葉家から明智家に移籍。稲葉が信長に訴える。信長、光秀に命じて戻させる。又、利三に切腹指示。
猪子高就が助命嘆願して受理。しかしさらに信長は光秀を譴責。
詳細は書いてないので、利三にも帰参の指示がでてそれを拒否した為なのか、ヘッドハント的に他家の人を引き抜く様なことをして
それを信長が不快に思った為に自害を命じられたのかは良く分らないっぽい。
別の史料で利三は天正六年頃には明智家に行ってたようなので、今更帰参させようとするのは不自然な感じだけど。
『永源師檀紀年録』には、天正十年に利三と那波が一鉄に諫言したら怒られて追放されたので、明智家が受け入れたって載ってるらしい。
結局、史料が詳らかでなかったり、相違があったりで良くはわからないんだよな。これ。
フロイスが書いてる、変の前に光秀が信長に口答えして足蹴にされた噂があるっていう話に噛み合うのは確かなんだが。
0221人間七七四年
2008/01/25(金) 03:53:14ID:k0QQOqkt0222サイコメトリー
2008/01/25(金) 09:37:22ID:3ZICTnfbありがとうございます。
>>220
丁寧にありがとうございます。
詳細は不明ながら、やはり斉藤利三に関する事で信長といざこざがあった事は
ほぼ間違いないですね。斉藤の件を含めた細かな怨恨が鬱積となり、そのピーク時
に寡兵で信長が本能寺に居るって情報を掴めば、決断してしまうと思うなぁ。
良く本能寺の変は謎だ謎だと書かれてるけど、自分は全く謎だとは思わない。実行
犯も動機も自分は明白だと思うから。へうげもの説などの秀吉黒幕説は、秀吉を信奉
する者の美化談話と思いますが、どうですか?(でも、へうげものは好きです)
0223人間七七四年
2008/01/25(金) 15:46:57ID:3MtGq9xu正規の家臣が同じ織田家中で勝手に移動すれば問題になること明白
雇った光秀が一番問題だが、稲葉にしてみれば裏切り出奔した利三を討つ事も出来ないもんね
0224人間七七四年
2008/01/25(金) 19:46:37ID:9rWBS+gxやってた光秀がこうあからさまに他家と諍いの種まくのかなってのも疑問なんだよな。
利三が待遇に不満があって稲葉家を3回に渡って立ち退きと帰参を繰り返したとか、那波が美濃には帰らない
と言って突っ撥ねてたのを藤孝がようやく説得して帰参させたとかいう逸話を考慮すると、人材を引き抜いた
ってよりは困って自分を頼ってきた奴を保護したっていう感覚だったのかも知れない。光秀は。
どっちにしても信長からは、明智家を優先して織田権力内の他家を蔑ろにする行為にしか見えないんだろうけど。
でも単純に、浪人から部将、郡持大名、国持大名、方面軍指揮官?と早いスピードで出世したぶん家臣団が
手薄になって、多少は縁のある美濃出身武将引き抜いたっていうことも想像できなくもないからなあ。
なんとももどかしいね。さすがにもう新しい史料は出てこないよな。
0225人間七七四年
2008/01/25(金) 20:56:15ID:aqnx80Md石田三成のフィギュアや上杉謙信が描かれたマグカップなど、戦国武将を題材にした商品の専門店
「時代屋」が東京・台場の商業施設にオープンし、若い女性客らでにぎわっている。
店先では伊達政宗の巨大キャラクターが来店客をお出迎え。45平方メートル余りの店内には
戦国武将の家紋を記したTシャツなど200種類以上の商品が所狭しと並ぶ。特に小型フィギュア、
ミニのぼり、タオルなど1000円前後の商品がよく売れるという。話題の彦根城築城400年祭の
PRキャラクター「ひこにゃん」も好評だ。
昨年12月に店が誕生して以来、来店者の約7割は20、30代の女性客が占める。彼女たちに人気の
武将のトップは、関ケ原の戦いに敗れた石田三成で、真田幸村、明智光秀ら非業の死を遂げた武将が
続く。豊臣秀吉、徳川家康ら“勝ち組”の人気はいまひとつ
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2008012501000509.html
>彼女たちに人気の武将のトップは、関ケ原の戦いに敗れた石田三成で、
>真田幸村、明智光秀ら非業の死を遂げた武将が続く。
ですって
0227人間七七四年
2008/01/26(土) 05:08:38ID:7F+EuZcT明智と柴田は繋がり深いし、本能寺の時も柴田は明智と挙兵したと言われてたしね
0228人間七七四年
2008/01/26(土) 07:55:36ID:EVd8J4fFただ谷口克広氏の織田信長家臣人名辞典だと花押が異なったりしてるので別人じゃないかって書いてるね。
明智軍記(だったかな?)だと、配置転換?を拒否して勝家の怒りを買って明智に移ったことになってるらしいけど、
信憑性は低いだろうし...。
0229サイコメトリー
2008/01/26(土) 12:54:50ID:oRmvcZbA歴史的文献には一級と称する物から無価値とする物まで様々だと思うが、
その文献を作成した人物のベクトルを史料から推察するのは面白いですよ。
それに明智軍記が100%無価値と判断出来る人は現代にはいないはずだから。
資料的な価値が低い文献からも、様々な情報収集は可能だと思うしね。
0231人間七七四年
2008/01/26(土) 13:54:12ID:gFi8x9DG滅んだりした武将を称える話(お世辞で褒めても政治的利益の無い話)は個人的に信用してるよ
0232人間七七四年
2008/01/26(土) 17:10:22ID:KMDETEuL0233人間七七四年
2008/01/26(土) 18:39:46ID:ahD4Btnv絵本とかも悪役で書いてたよ。
実際、俺も一時期、その様に洗脳されてたしね。
これも、これとう退治記の影響か?
0234人間七七四年
2008/01/26(土) 18:43:53ID:BBfEQZC8お前何歳だ?昭和40年ごろには既に光秀の再評価は定着していたぞ。
無論子供向けの世界でも単純な裏切り者と言う描写は消滅していた。
0235人間七七四年
2008/01/26(土) 21:25:58ID:ahD4Btnv俺ん所は!お前が横槍入れても、その事実は変わらん。
今は戦国時代屈指の武将だと認識してるがな。
お前は現代屈指の自己チューだ。
0236人間七七四年
2008/01/26(土) 22:27:48ID:IcNC/BK9この前の光秀主役のドラマは悪役ってか、かわいそうな人って描き方だったw
逆にゲームだと信長が大魔王で明智秀満(明智家)が正義の味方だしw
そういった物はとにかく現代風の解釈すぎるwww
0237人間七七四年
2008/01/26(土) 22:36:20ID:25nWNaR1最近、市役所の汚職でテレビでよく出てくる山奥の出ですかいの?
0238人間七七四年
2008/01/27(日) 01:46:56ID:ib10EwbV光秀謀反理由も四国討伐大反対の為の行動だと思えてきた。朝廷とか秀吉がらみとかは却下。
しかし秀吉は三好一党支持派だったからライバルつぶしの為、四国問題を信長にふっかけたのかも。
とすれば秀吉もある意味黒幕。ま、次代者:信忠卿になったとき自分の地位を含め邪魔なライバルは一人でも多く潰した方が・・・
0241サイコメリー
2008/01/27(日) 02:18:00ID:R8Q8QkVu自分の所も、信長贔屓だったよ。光秀悪者扱い。
>>239>>240
まぁまぁ。(>>238最終的には秀吉黒幕って事なんだよね)
最近、デアゴスティー二の歴史ミステリーで本能寺の真相がってTVCM
バンバン流れててたから、買って読んでみたら、何て事ない、それこそ、
何を今更って感じでした。DG本もう買わね。
0242人間七七四年
2008/01/27(日) 07:33:21ID:jjraCoEN明智は四国政策
柴田は林・佐久間の二の舞
徳川は信康辺り(他の理由でもいいが)
公家は自分の既得権益の保守
羽柴は柴田と同じか何か
0243人間七七四年
2008/01/27(日) 10:14:46ID:ib10EwbV戦国武士道ってものは・・・
0244人間七七四年
2008/01/27(日) 12:44:30ID:jjraCoEN0245人間七七四年
2008/01/27(日) 13:13:41ID:DEhU2shg0246人間七七四年
2008/01/27(日) 14:27:45ID:a37XKOii信康の件は、まず無関係。
【信長の命令?】信康自刃の真相【家康の意志?】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196319097/
0247人間七七四年
2008/01/27(日) 19:21:30ID:jjraCoEN信長を討つ理由ある?
0249人間七七四年
2008/01/28(月) 01:03:48ID:0+AvCdfz0250人間七七四年
2008/01/28(月) 23:24:41ID:j2WRGoPW本能寺起こそうか揺れてる光秀が秀満に「本能寺起こそうと思うんだけど、どうかな?」と聞いて、
秀満は「本能寺を起こそうと思う気持ちはわからないでもないですが、
そのようなことをすれば、いつか天罰が下ります。滅相もないことで、やめておきましょう」と言った。
光秀は気になったので他の重臣4人に「本能寺どうかな?」と問いかけると、
重臣はそれぞれ秀満と同じ様に「滅相もないことで」と言った。
「・・・という風に重臣たちにも意見を聞いたので、お前の言うとおり、暫くそこらへんは自重しよう」と
光秀は秀満に言ったのだが、秀満は渋い顔で
「自分ひとりに秘密を漏らすだけなら、口を封じることも大丈夫だろうが、家臣数人にそれを聞くのはまずかった。
いつかその臣たちとの仲が悪くなったときに、それは絶対に災いの元になります。
本能寺を起こすなら、今この時しかありません、下知をお願いします」
秀満のこの言葉に押されるようにして、光秀が本能寺起こすって話なんだけど、
光秀って、性格的にどうなの?
0252人間七七四年
2008/01/29(火) 00:06:32ID:MqUzN7cM丹波を出る時には、謀反を重臣には告げていたのは本当だと思う。
城を出てから告げるようでは、戦いに支障が出るし。
0253人間七七四年
2008/01/29(火) 03:14:17ID:xRgBaj6s細かい点は、該当史書・軍記物を纏めた人の姿勢で違ってくるんじゃないかな。
打ち明けて、決行に決まったという以上のことは、正確にはわからないってことじゃないの。
0254サイコメトリー
2008/01/29(火) 09:41:16ID:Oly7QlXl分からない事と言ってしまえば、すべてみもふたもないが、>>250も言う様に決行の判断は
即決だったと思うよ。悲しいかな日和見武将連が動かなかった事が勝敗を分けた。しかしながら、
明智家の団結は山崎の合戦の内容を見れば明らかでしょう。明智家残念!
0255人間七七四年
2008/01/29(火) 13:32:13ID:FHhyQkw2いちおういろいろと面子は調べたけど、なんか微妙な気がするけど…
0256人間七七四年
2008/01/29(火) 18:48:02ID:3QedECQ10257人間七七四年
2008/01/29(火) 21:34:23ID:hbqxkehI0259人間七七四年
2008/01/29(火) 23:10:57ID:sk6X87m5[蒲生氏郷]織田家北陸方面軍寄騎
剣術の師 稲葉一鉄
軍学の師 織田信長 斉藤利三
茶道の師 織田信長 利休
憧れの武将 佐々成政
氏郷に皮肉られた武将
徳川家康
織田信雄
前田利家
荒木村重
0260人間七七四年
2008/01/30(水) 02:55:41ID:6se2KdfHあくまで丹波でだけど、赤鬼青鬼の呼名のあった勇将。
もっとも明智家臣になったのは氏綱でなく行重だとかいう話もあってどこまで本当かわからんが。
0261人間七七四年
2008/01/30(水) 03:40:07ID:bR91J0Dg0262人間七七四年
2008/01/30(水) 09:38:32ID:v7s8qTI2戦を求め傭兵として流浪の旅してた可能性大
0265人間七七四年
2008/01/31(木) 11:13:07ID:07j+Wc3c小説には利長の逸話を利家に引用されてる物があって混同されがち
0266人間七七四年
2008/01/31(木) 12:15:08ID:Z9s4Z+Om天正元年の明智光秀が攻めた静原山城の山本対馬守(山本久政?)と、
天正十年の山崎合戦の山本対馬守は親子なんでしょうか?
0267人間七七四年
2008/02/01(金) 13:52:12ID:lrleU/a0別人じゃないの?資料的に調べてないけど、天正元年の対馬守と天正十年の
対馬守じゃ似て非なるもの じゃない?
0268人間七七四年
2008/02/01(金) 15:51:09ID:/QXTDqbh正解
0270人間七七四年
2008/02/01(金) 16:34:38ID:BQV/gi1F頭が優秀でも手足がついてこなかったら転戦続きの中で功績立てるの無理だろうし、下手したら丹波攻めで
波多野が裏切った時や天王寺の籠城戦等で壊滅してたんじゃなかろうか。
>>260
荒木山城守が勇将ってのは、山崎合戦後に大勢が決まってるにも係わらず裏切らずに、秀満が坂本城に戻るのを
援護して、親子で堀秀政の軍に切り込んで討ち死にしたとこから来てるような感触があるね。
>>266
細川氏の家臣松井氏の御給人先祖附っていう史料だと、今一曖昧だけど一族っぽい感じだね。
0271人間七七四年
2008/02/01(金) 17:14:34ID:5HOndv9E>>267さん、
>>270さん、
ありがdd。
天正元年の山本対馬守は明智光秀に討たれてしまっているのに、
天正十年の山本対馬守が明智光秀側で戦に出ているのが不思議でしたので。
やっぱり親子かどうかよくわかりませんよね。
0272人間七七四年
2008/02/05(火) 05:49:50ID:SKRb9H3u時々既定の事実のような書き込み見るけど、あれだけだと信長の対応とか見ると信憑性無さそうなんだけど。
0273人間七七四年
2008/02/05(火) 22:38:04ID:IRIvuu2M0274信長
2008/02/05(火) 22:42:33ID:IRIvuu2M豊臣vs明智って構図ができる
0275信長
2008/02/05(火) 23:14:23ID:IRIvuu2M石田三成はガラシャといいなか
丹羽と斎藤福がいいなか
まだまだ明智と豊臣織田は縁を結んでます
0276信長
2008/02/05(火) 23:28:47ID:IRIvuu2M山崎の戦いで奮戦した連中に食い物にされているぞ
0277サイコメトリー
2008/02/06(水) 19:47:04ID:m7/3VELCうまく使っていれば、日本は世界でも有数の国になっていただろうね。
近隣国を侵略するのではなく、日本優位の貿易関係を近隣国と結び、アジアでの
立場を確立する・・・。信長じゃ内政に目が行く事は難しいよな〜。
0278人間七七四年
2008/02/06(水) 21:27:07ID:b6TUfAPC本能寺の変がなくて毛利を滅ぼした辺りで表舞台から徐々に退いて行きフィクサーとなると思う。
織田家総領は信忠だから統一は信忠にやらせると思う。
信忠を支えるスタッフは信長幕僚ではないと思うから刷新された人事となる。
方面軍団長辺りはその事を気にしなかったのだろうか?
次代者は確定しているのだからベクトル下がり気味の明智氏も当前・・・
0279サイコメトリー
2008/02/07(木) 07:46:02ID:z8+EGYiRやっぱり信長も中枢は親族で固めていくのかなぁ?
光秀や他軍団長は統一後はお役御免って所ですかね、光秀贔屓の自分としては
彼だけは内政官僚として重要視されると思うのは贔屓の引き倒しでしょうか?
0280人間七七四年
2008/02/07(木) 10:13:47ID:I73lXeuy織田信長は身内を贔屓にするような性格ではありませんのでどうでしょう?
信忠は後継者ですから特別としても、
信雄には厳しい態度をとっていましたし。
信孝の抜擢もかなり後のことですし。
津田信澄も有能だから抜擢された方かな。
中枢は馬廻衆(福富・菅屋・矢部・堀・長谷川・野村・猪子)と、
吏僚衆(村井・松井・武井…寿命が続く限り)が担っていくかと思われます。
天下統一後の柴田・羽柴・明智らはやっぱりお役御免でしょうね。
徳川も何れはお役御免の運命かと…。
信忠も中枢は馬廻衆に一任かな?
0281人間七七四年
2008/02/07(木) 13:51:31ID:jS+mAhKXそりゃたしかに佐久間は追放処分を受けたけど、だからって全てがそうなるとも
限らないし、佐久間の場合は役に立つかどうかというより譴責という意味も強い。
0282人間七七四年
2008/02/07(木) 14:48:24ID:H6EpCT2b0283人間七七四年
2008/02/07(木) 15:17:36ID:yuE/dDBD実戦経験豊富で能力もある奴に力持たすのは避けたいだろうし
0284人間七七四年
2008/02/07(木) 16:42:33ID:I73lXeuyあー、別に織田家から追放でも第一線から退くでもどちらでもいいですよ。
言いたいことは>>283と同じという方向で。
羽柴秀吉なんかは羽柴秀勝に強制家督相続させられそうですし。
補足
滝川一益と河尻秀隆は織田信忠に近い位置ですから中枢には残りそうかな。
0285人間七七四年
2008/02/07(木) 17:30:38ID:zubGj5qP一門衆の上に酒井や石川などの軍団長そえたり
信康を粛清したりしてるからな
0286人間七七四年
2008/02/07(木) 19:58:16ID:jS+mAhKXでもさ、史実の明智や羽柴だって、政権中枢からは外されていると言えるよ?
少なくとも信長が信忠に家督を譲って戦場にはでなくなるころから、織田政権
における中枢は信長とその側近たちで構成されていて、軍団長クラスの武将は
担当地域と敵との戦いがメインの任務で、中央の政権運営には明らかに携わって
いない。
0287サイコメトリー
2008/02/07(木) 20:25:51ID:z8+EGYiR局地的に見ればその通りだと思うが、決してシビリアンコントロールは
されていないよ。
0289人間七七四年
2008/02/07(木) 21:07:22ID:yeqJxa7Z0290人間七七四年
2008/02/07(木) 21:17:56ID:jS+mAhKX問題となんの関わりが?
軍団長が政権中枢に関わって政権運営に携わっていたら、それこそシビリアン
コントロールからはかけ離れていると思うんだが。
だいたい文官支配とかいいだしたら、(初期)江戸幕府だってなってないぞ。
文官だろうが武将だろうが、中央の統制力による支配という点では織田政権
だろうと豊臣だろうと徳川幕府だろうと変わらない。ここでは、明智や羽柴
といった軍団長の重臣が中枢の構成要員になれるかどうかという問題であり、
シビリアンコントロールかどうかは関係ない。
0291人間七七四年
2008/02/07(木) 22:22:26ID:I73lXeuy280です。
>中枢の構成要員になれるかどうかという問題であり
中枢といっても織田信長の独裁政権だから旗頭も馬廻も無いような気がする。
評定とか開いていたら別ですが。
基本は旗頭も馬廻もスタッフでいいんじゃないかな?
0292人間七七四年
2008/02/07(木) 22:43:34ID:vt+IVBXi権力と富のシンボリックタワー:安土城は次代者信忠にサッサとくれてやり自分は別場所に行って大御所として人生を全うするのだろう。
引退した信長は京近郊に自身の大邸宅をつくる。安土天主以上の華麗壮大な建築物を築くはず。
0293人間七七四年
2008/02/07(木) 23:50:01ID:u6cPOu2s江戸時代でも文民が政治を司ったことなどありませんぞ。
0295サイコメトリー
2008/02/08(金) 12:56:15ID:ezUNRBDkこんなに皆が突っ込んで来るとは予想してませんでした。
内容としては信長が絶対者とはいえ、方面軍の戦い無くして領土拡大は無理
だし、信長の側近達は方面軍団長に影響を与えるほどの力は無いって言い
たかったんです。戦国期における文治派と武断派って事でのシビリアンコント
ロールってだったんだけど・・、あっもういいです。サーセン した。
0296人間七七四年
2008/02/08(金) 14:53:31ID:xAkdxadf「信長の親衛隊」や「信長軍の司令官」読めばいいんじゃないのかな?
一概に影響を与えていないとは言い切れないと思うよ
0297人間七七四年
2008/02/08(金) 19:26:30ID:LtdsIdHD0298人間七七四年
2008/02/08(金) 23:14:16ID:7tLkeE52光秀みたいに中央近くを召し上げ、地方の2カ国くらいを与えるってとこかな?
0299人間七七四年
2008/02/09(土) 00:44:09ID:R7pS0KkL0301人間七七四年
2008/02/10(日) 01:38:05ID:3xrnDy5Y0302人間七七四年
2008/02/10(日) 03:15:27ID:bAtWIUUJ0304人間七七四年
2008/02/10(日) 03:23:03ID:bAtWIUUJ0305人間七七四年
2008/02/10(日) 03:24:58ID:3xrnDy5Y佐久間軍記
「世云。信長公十六歳ノ御時ヨリ。信盛先陣ヲ勤メ。近年ハ信勝大坂ヲ雖守。
強敵ニ向給フ時ハ。信盛有先鋒。信長。臣下ノ功ヲソネミ給フ┐アリ。■上諫言。
國持ニナランハマツ信盛ナルニ。此大坂ノ押ハ不足ニテ。心中イサマス。
時イカナルサンケンモ有ケルヤ。數年ノ忠功ヲステヽ。口惜次第ナリト云々。」
『如何なる讒言も有りけるや』
寛政重修諸家譜 [佐久間信盛]
「(天正)八年明智光秀が讒によりて右府の勘気をかうぶり、紀伊国高野山にのがれ、
のち病を療せむがため同国十津川の温泉に浴し、十年正月二十四日彼地にをいて死す。」
『明智光秀が讒によりて』
寛政重修諸家譜 [佐久間正勝]
「後明智光秀が讒により父信盛とゝもに高野山にのがる。信盛死するのゝち、右府
其咎なきことを知て後悔し、正勝をゆるして城介信忠に附属せしむ。」
『明智光秀が讒により』
『其咎ないきことを知て後悔し』
0306人間七七四年
2008/02/10(日) 03:42:32ID:EZzFqUde0307人間七七四年
2008/02/10(日) 03:44:56ID:bWKQE36Q0308人間七七四年
2008/02/10(日) 03:49:57ID:bAtWIUUJ0309人間七七四年
2008/02/10(日) 03:52:51ID:3xrnDy5Y信憑性が薄かろうと佐久間家では光秀の讒言だとされていた、って事だろ。
そして光秀はそう言うことをしてもおかしくない人間だと見られていたって事だ。
0310人間七七四年
2008/02/10(日) 04:35:18ID:bAtWIUUJ秀吉が天下の実権を握る様になってから、たくさんそうゆう書物を書かせ、自分の正当性を流布したのよ、その一部だね。
0311人間七七四年
2008/02/10(日) 04:42:25ID:3xrnDy5Yそれは豊臣がとっくに滅んだ寛政の時代にまで佐久間家にその伝承が「事実」として伝わっている
理由にはならんだろ。
0312人間七七四年
2008/02/10(日) 07:05:58ID:bAtWIUUJ0313人間七七四年
2008/02/10(日) 07:47:26ID:3xrnDy5Yだから、それこそ自分の家の名誉を守ると言うのならわざわざ光秀をセレクトしなくても、
それこそ徳川家に逆らって滅んだ豊臣家を作った、秀吉を選んでもよかっただろ。
つーかさ、これの真贋は別にしても、光秀は競争相手を払い落とすのに効果があるのなら、讒言くらい
平気でする武将だろ。
能力はもちろん有るにせよ、本質的には出世主義者、機会主義者の成り上がりのジジイだぞ。
0314人間七七四年
2008/02/10(日) 11:07:09ID:umnIdWp+温かく様子を見守ります。
0315サイコメトリー
2008/02/10(日) 13:05:59ID:RL2hhM4b戦国武将とは光秀に限らず、成り上がりを目指してます。
佐久間信盛だって例外ではないはず。
讒言をした光秀は酷い部将の如くスレってる人がいるが、戦国武将や大名がは
様々な策を弄する事は当たり前だと思うが・・。
0316人間七七四年
2008/02/10(日) 13:48:35ID:+2N+Uxjv0317人間七七四年
2008/02/10(日) 15:20:57ID:hq5R5gizとは言えないだろう。だから、信長への”謀反人”でもある光秀に・・・ということにしたんじゃないか?
秀吉の場合、もともと太閤に仕えていた家もかなり残っていたわけだし
0318人間七七四年
2008/02/10(日) 16:09:54ID:uoLkI7Dc建物ごと石山を欲しがっていた信長の期待を消し飛ばした
でブチキレ追放
0319人間七七四年
2008/02/10(日) 21:59:22ID:d55cngb2ところが、徳川では家康自身が光秀をそれほど悪人とみなしていないんだよね。
むしろ、かばっているようなふしもある。
逆に江戸時代における一般的な信長像の方が結構悪とされる傾向がある。
0321人間七七四年
2008/02/13(水) 23:02:13ID:MMSZ147X0322人間七七四年
2008/02/13(水) 23:24:05ID:0X/snWl5野球みたいに偉大な選手がどうこうじゃなくて
謀反人だからっていう悪い意味だろ
まあ永久欠番てのも間違ってたが
0323人間七七四年
2008/02/14(木) 09:28:39ID:XEgHFNEkどちらの方が忌み嫌われたのでしょう?
0324人間七七四年
2008/02/21(木) 18:35:55ID:yie99qYC秀吉・光秀は九州に移封
柴田は佐久間と同じ
家康は暗殺する予定だったぽい
0325人間七七四年
2008/02/21(木) 18:46:29ID:yONNAMub何を根拠に?(特に家康は)
0326人間七七四年
2008/03/02(日) 00:55:09ID:8SSkTXA0よく明智と遠山を同一氏族の様に書いてるんだが、
これって遠山明智城と土岐明智城を混同した勘違いなのかね?
それにしてはやたらおおっぴらに本とかに書かれてるのでむしろ正しいのかね?
0327奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/03/02(日) 01:34:40ID:1feLO3ae0328人間七七四年
2008/03/03(月) 07:27:35ID:3cf+185lやっぱり同時に坂本も? と想像してしまうね
0329人間七七四年
2008/03/08(土) 21:53:48ID:eUGQ92Yj0330人間七七四年
2008/03/09(日) 00:08:46ID:1HOwTsev光秀的なもの&秀吉的なものつぶしを徹底したから徳川の世が長く続いたんだと思う。
参勤交代も身分制度も全部そのためでしょう。
幕末見ると、びっくりするほどみんな骨抜きにされてる。
普通に考えて、家康が光秀をかばうのはおかしい。
権力者にとっては、謀反人がでたら困るわけだから。
まさか、自分はいい人だから謀反されないとか思うわけないし。
だから、実際あれだけ締め付けてるわけだし。
謀反は駄目だという雰囲気にしたいはずなのに、謀反人を褒める、
とても矛盾を感じる。
0331人間七七四年
2008/03/09(日) 01:38:00ID:nDgLC+PQhttp://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080308/acd0803082208013-n1.htm
> 逆に、光秀の動機は、はっきりしていました。「今なら、天下が取れる」という判断でしょう。柴田勝家は遠い北陸で上杉景勝と
> 戦っていたし、羽柴秀吉は備中(岡山県)で毛利氏と対陣、滝川一益は上野(群馬)…と、織田軍団の主戦力は各地に散っており、
> 畿内で大軍を動かせるのは自分だけという、絶好の状況でした。
>
> 自分に対する信長の仕打ちをうらんだとか、背後に黒幕がいたとか、珍説・奇説まで含めいろいろな説があります。でもやっぱり、
> 戦国武将らしく、転がり込んできたチャンスに食らいついたんだと思いますね。
>
> 信長は、裏切られるとはつゆほども思ってなかったのです。ここが不思議なところで、それまでにも松永久秀や荒木村重に叛(そむ)かれ、
> 大変な目に遭っているにもかかわらずです。彼ほどの人物であっても、人を見る目がなかったというしかないですね。
>
> 歴史に「if(もしも)」は禁句ですが、信長があのまま生きていたなら、日本の歴史はどうなっていたでしょう。私は、信長は安土から大坂に
> 拠点を移し、毛利攻めが一段落したあと、征夷大将軍となって幕府を開いたと推測しています。
0332人間七七四年
2008/03/09(日) 02:30:16ID:JjR+NcW9光秀が極悪人ならそれを討った秀吉はものすごく良い人になって
そこから権力を奪った徳川が悪人になってしまう
ただ結果的には民衆心理はやはり光秀は謀反人で秀吉は仇を討ったという評価に落ち着いたと
0333人間七七四年
2008/03/09(日) 21:33:12ID:uuXol7G/なかったのだから家康は内心光秀に感謝はしていたかもな。
表向きは光秀は許されべからざる謀反人だが。
なお江戸時代、信長の評価は低かったがこれは光秀とは
関係なく、彼の性格によるもの。
0334人間七七四年
2008/03/09(日) 22:09:18ID:nDgLC+PQどう評価すればいいのかと。
0335奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/03/09(日) 23:13:21ID:04obILtN0336人間七七四年
2008/03/10(月) 02:06:55ID:0JI4Yo0/本能寺に徳川が絡んでると考えてるはずだ
0338人間七七四年
2008/03/10(月) 06:35:06ID:sC4b20lxたいした事ないなぁ〜。信長寄下の武将軍が各地に点在してた状況が光秀を決起させた事等、周知の事実だよ。しかもその後の展開等語るべくもあるまい・・。
ここのスレ者達のが、知識と考察力あるよ。
0339人間七七四年
2008/03/10(月) 12:42:17ID:J5xq7ZQ7おまえやここのスレの人間は、この今谷教授の研究によってそういうことを言っているに過ぎないのだが。
ツーかキミ、脳みそ無いだろ。
0340人間七七四年
2008/03/10(月) 16:42:01ID:ijTtWIpp0341人間七七四年
2008/03/10(月) 17:39:52ID:jev3LKO1今谷教授がその説を立てたのではないよ。それに今谷明知らんから、戦国
語るなかれってか?
特に>>339! 持論を立てた上でスレろや、批判する事のみに固執する輩やろ、自分!
0343人間七七四年
2008/03/10(月) 22:13:35ID:sC4b20lx俺、人間の言語しか知らんから、あんたには伝わらへんかったね。
0344人間七七四年
2008/03/10(月) 22:25:44ID:J5xq7ZQ7今回の研究結果で、本能寺付近の信長が、これまでの想像以上に無警戒で無防備だったことが
明らかにされたわけだが、これによって色々と、信長のキャラクター性についても変更が迫られるかもね。
例えば信長の代表的な性格の一つとされ、光秀が本能寺に至った理由にすらされてきた「猜疑心が強い」
って言う部分も、この研究結果からはそう言う性格は見えてこない。むしろ自信過剰差が鼻につくくらいだ。
信長の性格が再定義されれば、自然と光秀の性格や、本能寺に至るまでの葛藤も再定義せざるを得なく
なるわけで、色々と興味深いことになりそうだ。
0346人間七七四年
2008/03/11(火) 07:36:01ID:VMgSLlzx0347人間七七四年
2008/03/11(火) 11:35:22ID:DMytRBAd>浅井に裏切られたり武田に裏切られたり松永に裏切られたり荒木に裏切られたり
武田と松永はどうなんでしょう?
0348人間七七四年
2008/03/11(火) 18:22:19ID:mhB5vQ5R0349人間七七四年
2008/03/12(水) 21:32:56ID:MSG/Ki3z0350人間七七四年
2008/03/15(土) 12:12:19ID:RDViGom4じゃあ何故明治天皇が大政奉還直後の超多忙時に信長を追悼したのか馬鹿な俺に教えてくれないか?
0351人間七七四年
2008/03/15(土) 18:10:58ID:ioOXeWwS当時の主流思想であり、明治維新のバックボーンでもあった南朝史観において
「朝敵」であった足利幕府を滅ぼしたのが信長だったから。
幕末期に何故「足利将軍像斬首事件」なんてものがあったかを、よ〜っく考えろ。
あの当時の政治情勢から言って、南朝史観の影響を大きく受けた「尊皇家信長」は、
早期に再評価されなければならない人物だったのだ。
少しは歴史、勉強しろ。
0352人間七七四年
2008/03/15(土) 23:08:28ID:AoFEYwioじゃあさ 何故豊臣徳川時代に御悔やみ発しないんだ?いくらなんでも遅すぎるでしょ
信長親衛隊長ともいえる佐々成政には切腹後一ヶ月以内に御紙を発しているんだよ
しかも天皇から御悔やみ受けてる戦国武将は当時の佐々と明治の信長のみ、家康含め秀吉その他誰も受けて無いんだ
この辺り詳しく説明してくれないか?
0353人間七七四年
2008/03/15(土) 23:17:23ID:ioOXeWwSあのなあ、足利幕府を倒した信長と、徳川幕府を倒した「新政府」を、重ねてることくらいわかるだろ?
新政府の「倒幕」を正当化する上でも、その前に「倒幕」をした信長の称揚はやって当然なの。
0354人間七七四年
2008/03/15(土) 23:27:23ID:AoFEYwio間違ってる?
ま、本能寺の帝関与説否定したいだけなんだけどね
0355人間七七四年
2008/03/16(日) 00:21:49ID:kk4//bBE織田信長が天皇を排除し自分が取って代わろうとしていたなどと言ってるやつは
史料を中途半端に読んでる作家だけよ
どうみても表向きは後陽成天皇を早く即位させたかっただけ
流石に天皇家を解体しようとしていた人を天皇自ら祭ったりしないっしょ
ケンクン神社の時期についてはよくわからんけど
佐々成政は宇多天皇佐々木源氏の血筋で完璧ホワイトカラーなのよ
当初秀吉光秀などが公家の面倒を任されていたのは有名な話だが禁裏は別物でおそらく
良い血筋の佐々などがなにかしら役目を受けて繋がりを持っていたのかもしれんね
秀吉の前任関白の正室に佐々が娘を嫁がせている関係もあり
禁裏に出入りする佐々の名は史料に出てくるし後陽成天皇とは関係深かったんでしょうな
0356人間七七四年
2008/03/29(土) 21:45:25ID:H1K2ubMa日向守(明智光秀)は水野勝成「鬼日向」の子孫である結城藩水野氏や
越前松平家の分家である糸魚川藩松平氏が代々使用しており、
特に忌諱された形跡はない。
0357人間七七四年
2008/04/08(火) 02:21:26ID:QiU9ddAe0358人間七七四年
2008/04/08(火) 02:24:57ID:QiU9ddAe0359人間七七四年
2008/04/15(火) 03:20:13ID:CA4t8AHG0360人間七七四年
2008/04/15(火) 21:33:15ID:PkfX4Xq10361信孝秀吉連合
2008/04/22(火) 06:43:20ID:EGEKpO410363人間七七四年
2008/04/29(火) 22:13:09ID:lXCkyTUf0364人間七七四年
2008/05/02(金) 20:10:09ID:QBu42zAn戦国時代、主君の織田信長を討った「本能寺の変」で逆臣のイメージが強い明智光秀を再評価しようと、
居城・亀山城があった京都府亀岡市で2日、「亀山城光秀サミット」が開かれた。
亀岡市などが主催。信長の居城・安土城の跡がある滋賀県安土町の津村孝司町長や、信長に焼き打ちされた
ことがある比叡山延暦寺の関係者ら約200人が集まった。
津村町長は、本能寺の変(1582年)について「戦国の世の常だ」と一定の理解を示しながら、変の後に何者かが
焼失させた安土城について「悔やまれるのは、当時最大の文化遺産がなくなったこと」と恨み節。
しかし、亀岡市の栗山正隆市長と「互いの発展を誓う」として“和解”の握手をし、会場から拍手が起きた。
また上田正昭京都大名誉教授(歴史学)が講演で、諸説ある本能寺の変の原因について「光秀の公武(朝廷と
武家)合体論が背景にある」と述べ、参加者は真剣な表情で聞き入っていた。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080502-OHT1T00226.htm
0365人間七七四年
2008/05/03(土) 08:29:24ID:dgWXuVwM>帝関与の話は眉唾
織田信長が天皇を排除し自分が取って代わろうとしていたなどと言ってるやつは
史料を中途半端に読んでる作家だけよ
>流石に天皇家を解体しようとしていた人を天皇自ら祭ったりしないっしょ
信長は朝廷官位体系から故意に外れ、執拗に正親町帝の譲位を要求したが、
自ら天皇になろうとしたのではなく、天皇をも支配する超越的絶対者になろうとしたわけ。
そのために利用したのが誠仁親王とその子五宮。
朝廷から左大臣任官を要請されても拒否し、
武田討伐後、なりふりかまわぬ三職推任を打診されても無視したのはそのため。
官職に就くことは天皇の支配下に入る事に他ならないからだ。
つまり、それは朝廷の否定であり、朝廷にとって断じて受け入れられない所業だった。
>どうみても表向きは後陽成天皇を早く即位させたかっただけ
即位させたかったのは誠仁親王。おいおいw
0367人間七七四年
2008/05/03(土) 09:13:50ID:dgWXuVwMここで自問自答するなよ
0368人間七七四年
2008/05/09(金) 12:31:23ID:Eyxbj1tR0369人間七七四年
2008/05/14(水) 06:12:11ID:7TL6qUV70370人間七七四年
2008/05/14(水) 08:46:05ID:yvjLTgJA0371人間七七四年
2008/05/14(水) 22:01:46ID:4Z0Flt6bサイナラ!
0372人間七七四年
2008/05/23(金) 01:16:26ID:DrVRfiyF本当にわからん
秀吉のことはある程度理解できるが
0373人間七七四年
2008/05/29(木) 00:59:34ID:D3SHRqlg0374人間七七四年
2008/05/29(木) 04:16:27ID:sHeVf5ZR0376人間七七四年
2008/06/12(木) 10:45:14ID:ogzvB5/tつーか>>374は
「信長様があのまま天下を獲ったら今頃日本はあんなことやこんなことにあふーん」
って気持ち悪い興奮するタイプだろ。
0377人間七七四年
2008/06/18(水) 22:28:22ID:BEprRkn4出世しずらくなったのは事実だと思う。
どこの馬の骨ともわからない奴は余計に信用されなくなり、身分に合わせた出世しか
できなくなった。
そして、リスクをとって新しい事をしようとした信長が殺された事で、
それ以降、リスクをそこまでおかす者はいなくなった。
今も日本では、総理すら何もやらない。
0378人間七七四年
2008/06/18(水) 22:42:14ID:BEprRkn4そもそもなんで信長は「猜疑心が強い」と言われていたの?
昔から、なんでそれなのに死ぬんだよと不思議だったが。
今まで見たものにも、そう書いてあるけど、理由の説明がないんだよね。
0379人間七七四年
2008/06/18(水) 22:55:07ID:vPBNNe9/粛清は多いな。そう言う意味で猜疑心は強いと思う。
ただ、武田滅ぼした後は一気に弛緩して油断しまくっているとも思う。
0380人間七七四年
2008/06/18(水) 23:18:03ID:BEprRkn4そんなに人並みはずれて多いですか。
むしろ、猜疑心のない戦国大名なんているのかな。
なんだか、良くも悪くも信長だけ特別扱いに見える。
0381人間七七四年
2008/06/18(水) 23:25:29ID:oEtvLXAcだが当時、貴族とうまくやるには血筋や教養が必要だったんだよね。
細川も条件を満たしてるから、細川をより重く用いてたら本能寺はなかったね。
0382人間七七四年
2008/06/18(水) 23:32:10ID:oEtvLXAcだとしたらスマソ。
0383人間七七四年
2008/06/18(水) 23:32:31ID:BEprRkn4武田滅ぼす前から、若い頃から、よく少数で動いたりしてたわけですが、それは無防備じゃないの。
猜疑心があったわりに、いつも裏切られてびっくりしてるし、後手に回ってる。
謀反した人を許したりなんて、猜疑心なくてもできませんが、それもやってる。
信長以外でも、そう思われるのかな、凄く矛盾を感じる。
0384人間七七四年
2008/06/18(水) 23:33:33ID:lnKRg9LR何にを根拠に。
細川父子などは、家柄を傘に自家安泰のみ計る輩やんけ。
0386人間七七四年
2008/07/21(月) 03:42:17ID:5wrvI95y信長と信忠父子で数千しか家来がいなくて しかも光秀にそれを知らせていたのでは
どうぞ自由に襲ってくださいというようなもの
数々の悪逆非道ぶりもそうだけど 自信過剰も甚だしい
マイウェイの人だからあそこまで突き進めたという側面もあるけど
最後は命取りになったな
光秀の本音はそろそろ静かな生活がしたかったけど
信長の家臣であり続ける限り不可能なことは分かっていた
とにかく信長を消去して頭を真っ白にしたかったのだろう
この機会を一気にものにした秀吉の決断力と行動力はまさに天才的
本能寺の変がなくてもいずれ天下は秀吉が握ったと思う
0387人間七七四年
2008/07/21(月) 08:03:51ID:+Rkb0OTe本能寺がなければ、ただの信長の司令官の一人として、普通に歴史に埋もれていたよ。
0388人間七七四年
2008/07/21(月) 08:10:13ID:5wrvI95yもちろん賢い秀吉はそれを周囲に悟られるようなヘマはしなかった
強い野心や自負がなければ中国大返しなど出来るはずがない
野心もなしに突発的に主君殺しをしただけの光秀との差が山崎の戦いに露骨に現れた
0389人間七七四年
2008/07/21(月) 08:11:38ID:+Rkb0OTe0390人間七七四年
2008/07/21(月) 08:18:25ID:5wrvI95yどちらかだけ語るなんてできないでしょ
光秀のたまたま出した足に当たったリバウンドを秀吉が絶好のタイミングで
シュート、見事ゴールに結びつけたという構図だと思う
0391人間七七四年
2008/07/21(月) 08:19:25ID:+Rkb0OTe0392人間七七四年
2008/07/26(土) 09:18:04ID:uF0SK31g0393人間七七四年
2008/07/28(月) 22:54:01ID:pLd6KqL/同意だ。
光秀と早いもの勝ち、みたいなイメージすらある。
本能寺スレでは、野心説、みたいなのは主流じゃないけど
やっぱり実行する本人にその意思がないと謀反なんてできるものじゃないものね。
大げさに言うと、1568年、信長と義昭との間に入って京で歴史の表に
登場して以来、ずっと野心はあったんじゃないかな。
同じく秀吉もね。
でも、あの大返しは一種の奇跡で光秀こそ、是非におよばず、って
思ったんじゃないかな。
0394人間七七四年
2008/08/13(水) 06:59:54ID:iFwbgy2U0395人間七七四年
2008/08/14(木) 02:41:39ID:56WpUe+7明智家としてなら
・家中法度
・家中軍法
・国立博物館の明智光春(秀満?)所用と伝わる南蛮胴具足
くらい?
0396人間七七四年
2008/08/14(木) 03:18:08ID:L5mYeDGi光秀も目が悪かったと聞くが。
0398人間七七四年
2008/08/22(金) 18:52:11ID:6Au2pn1a0401人間七七四年
2008/08/24(日) 09:49:25ID:JQujlbOH夏休みもそろそろ終わりなので、がんばって勉強しないと…。
たとえ三日でも天下を取りたいと思います。
0403人間七七四年
2008/08/24(日) 15:04:33ID:dQfvVX9O0405人間七七四年
2008/09/26(金) 01:42:42ID:sgPJESrjさらに、生存説があればさらに増える。生き残りの一族が落ち延びた先で作る場合もあるね。
0406人間七七四年
2008/09/28(日) 12:26:23ID:gRkCeTTf天正十年に二十歳も行かない若年なら、かなり晩年の子になり不思議だが。
0407人間七七四年
2008/10/17(金) 14:20:52ID:dW9yXcF3光秀の謎の一つだね>子供
0408人間七七四年
2008/11/03(月) 02:34:29ID:YCB29JZU11月4日(火) テレビ東京 19:56〜20:54
▽本能寺の変…家康は知っていた!?光秀と同盟▽平清盛は平家でない
厳島神社&日光東照宮に秘めた謎▽聖徳太子
▽「明智光秀は生きていた 家康との闇の同盟」。明智光秀は「山崎の戦い」で豊臣秀吉に敗れ、
坂本城に逃げ帰る途中、農民に刺殺されたとされるが、光秀は生き延びて、驚くべき姿で再び歴史に
登場していたというミステリーが浮上した。調査を進めると、光秀の居城の坂本城から4キロほど離れた
寺に、光秀が寄進した石灯籠(どうろう)があり、光秀が山崎の戦いで死んでなかったと裏付けることが
刻まれていた。また、別の寺には、教科書でも有名な光秀の肖像画が残されており、その絵には、
光秀の生存とその後の姿を伝える、驚きの一文が記されていた。
http://tv.www.infoseek.co.jp/VHF/tv_detail.html?pg=tv_detail.html&program=p0008081104195600&area=008
0409人間七七四年
2008/11/19(水) 13:43:17ID:M9SqsQxX0410人間七七四年
2008/11/21(金) 19:02:00ID:b34wIF7O領民には慕われていたようだが、勤王家ってのはどこから出た話?
0411人間七七四年
2008/11/22(土) 02:18:25ID:dtcjncUT>>409に代わって私が説明します。信長の朝廷解体・公家撲滅の企みを知り、
それを阻止するために信長に天誅を加えました。謀反ではありません。逆臣どころか稀代の忠臣。
その記録は石原完爾が発見して隠蔽。今は宮内庁が隠しています。
維新後、信長にお悔やみを伝えた天皇家(というより新政府→宮内省)、信長を持ち上げた陸軍としては都合の悪いものだっからです。
ただし、それを見つけたのが石原完爾だったからまだ良くて、統制派かガチガチの皇道派が発見していたら、秘密裏に焚書されていました。
0412人間七七四年
2008/11/22(土) 02:25:02ID:WkcwqPKN0413人間七七四年
2008/11/22(土) 02:31:07ID:dtcjncUT土地を全て天皇のものとし、かつ租税の少ない(ニ公七民)王土王民の世を目指していました。
それはあまりに理想主義で実現不可能だったでしょうが、最低でも武家政権の発生を阻止しようとしていました。
一時的に自ら征夷大将軍と太政大臣を兼ねて、天下統一し、
その後は自分を含め武家が政事に関わらないと決めていましたし、
足軽や野武士以外の全国の武士をリアル朝臣にし、天皇直属の軍を創ろうとしていました。
かといって異国嫌いなどてはなく、南蛮(西洋)や明と盛んに交易しようとしていました。
0414人間七七四年
2008/11/22(土) 03:07:18ID:dtcjncUTそのために、まずは徳川を含めた公議政体にし、徐々にイギリス流の立憲君主制・議会制民主主義国家にしようとしていました。
彼は勤皇家でしたが、出世奴とも神憑りの馬鹿とも無縁でしたから、
王政復古しても、公方と天子の首がすり替えられるだけ、薩長が徳川に取って代わるだけでは無意味だと考える近代主義者、民権論者でしたからね。
本能寺の変にしても坂本龍馬暗殺にしても真相は悪漢どもによって歴史の闇に葬り去られてしまい、
真相を知っているのは私を含めごく少数です(龍馬暗殺の黒幕は薩摩ということは徐々にに知られてはきましたが、多くの人は暗殺の本当の理由を知りません)。
0415スレ違い、板違いスマソ
2008/11/22(土) 03:28:33ID:dtcjncUT当時は薩長側にはもちろんのこと、幕府方にも近代化による対外侵略を夢見る者が多かったというのに、
龍馬、勝、横井は少数派の平和主義者でした。
さらに、坂本の凄い点は勝のように朝鮮や清が近代化に成功して日本のパートナーになれるとは考えていなかったところです。
つまり龍馬は今で言えば専守防衛のような国防構想を持ち、不平等条約撤廃も政体・文化・産業の近代化を背景に粘り強く交渉し続け、
朝鮮や清との貿易もごり押しなしでしようとしていたのです。
そもそも朝鮮と盛んに交易しても利は浅く、清は英仏ら西洋列強に独占されるからこれまた意味がないと考えて、
大日本ならぬ平和な小日本(←中国人が侮日に使う意味じゃなくて)での発展を目指していたのです。
彼を失ったことは明智光秀を失ったことと並んで我々に暗いかげを落としています。
0416人間七七四年
2008/11/22(土) 03:31:50ID:bVV4XJsJ0417人間七七四年
2008/11/25(火) 00:23:35ID:43Dejq8n0418人間七七四年
2008/11/28(金) 21:16:27ID:QU9s18zN0419人間七七四年
2008/12/20(土) 23:35:03ID:htdDzaDB当時の資料で「出雲」や「石見」とか具体的に名前が挙がってるんでしょうか?
0420人間七七四年
2008/12/21(日) 05:44:41ID:lrFLn9zz0421人間七七四年
2009/02/03(火) 12:53:24ID:L/7ujHgA0422人間七七四年
2009/02/03(火) 15:05:18ID:+E8Z2DKL笑えばいいと思うよ
0423人間七七四年
2009/02/12(木) 01:59:12ID:I6uHeOcm元ネタ判る人いる?
信長公記だと先方に三好笑岩、根来・和泉衆、二番手に原田、大和・山城衆で、明智は
佐久間と一緒に砦の構築してて、猪子兵介と大津伝十郎の検使を受け入れてた所を
包囲されたように記述されてるんだけど。
本願寺系の史料等でそういう記述があるのか、単にwiki記述者が思い込みで書いたのか?
どっちなんだろう。
0424人間七七四年
2009/02/16(月) 01:37:45ID:hpEIvHJO思いこみではないと思うよ。結構色んな本でみるよその説
0425人間七七四年
2009/02/16(月) 07:08:29ID:lSNvD46Q伯耆・出雲へ出陣せよとの命礼が出ていたから、『明智軍記』の作者が、
それをより遠方にしての国替えという話を捏造したと思われる。
0426人間七七四年
2009/02/16(月) 23:04:46ID:mhj0hkwL0428人間七七四年
2009/02/17(火) 05:08:01ID:xLUI+aEr0429人間七七四年
2009/03/04(水) 14:51:43ID:t1tQ5MVz彼らの記録って何かありますか?
二人とも本能寺以前に死亡したんですかね?
0430人間七七四年
2009/03/04(水) 16:58:50ID:sRTFYbQ2その名前は初耳だな。どこで見たか出典を教えてくれ。
0431人間七七四年
2009/03/04(水) 17:28:37ID:2qMBuR660432人間七七四年
2009/03/04(水) 18:17:24ID:t1tQ5MVzネットで検索しても名前だけは出てくるんだけど事績がまったくわからないので
実在したのかしないのか、出典は何なのかが知りたかったのです。
0433人間七七四年
2009/03/04(水) 19:16:36ID:hRT1EXAw信教は、註で筒井順慶のこと
康秀は、註で三宅弥平次のこと
とか書いてあるとかいうやつ。
0434人間七七四年
2009/03/13(金) 22:51:02ID:NslLLLXqそんな話は同時代の史料にはなく
事件から100年以上経って書かれた「明智軍記」に
初めて出てくる。
そのまま信じるわけにはいかないのは当然のこと 。
ちなみに同書は俗書として悪名が高いから尚更。
0435人間七七四年
2009/03/19(木) 22:45:07ID:VbUFy9XF元録時代からあったらしいね。
天海は光秀じゃないのか?
ってな噂
0436人間七七四年
2009/03/19(木) 22:56:32ID:WV6ahTMA花押が似てるんだっけ?
0437人間七七四年
2009/03/20(金) 09:37:49ID:0XXO49IX「義」「人」「も」
「無」が似ているそうです。
0439人間七七四年
2009/03/21(土) 00:53:08ID:++4Nx1Ksアマゾンではベタ褒めみたいだけど、謀反の原因は四国説だったりするの??
0440人間七七四年
2009/03/21(土) 01:13:58ID:UrrJO5QC本能寺の変徹底考察スレより↓
>>>814の本に書いてあるが、理由は「転封」だそうだ。
>この理由自体はさんざん語られているので珍しくもないが、驚くなかれ転封先は
>「徳川領の東海三国」と言っている。
>同書の内容は、四国問題で石谷頼辰に着目したあたりかなり期待させたが、後半は失速。
だそうだ。自分は読んでないので知らんけど。
駿河は、数ヶ月前に徳川に上げたばっかだと思ったけど、そこらへんどんな風に書いてるんだろう。
0441人間七七四年
2009/03/21(土) 01:16:50ID:0xnhnriJ素人が書いた本能寺の変研究本は全部そうだけど。
前半はそれなりにおもしろいこと書いてあるから、立ち読みしてみれば?
0442人間七七四年
2009/03/21(土) 10:07:00ID:51GPwnX6後半になるにつれて無理やりにでも定まった結論に向うために
だんだんと強引な、無茶な論理を展開するようになって、それで
グダグダになるんだよね。
0443人間七七四年
2009/04/30(木) 00:11:59ID:BdiaGRYh卒業アルバムの尊敬する歴史上の人物の欄に
明智光秀って書いたな
0444人間七七四年
2009/04/30(木) 16:41:40ID:hw4FwbbI0445444
2009/04/30(木) 16:53:58ID:hw4FwbbI申し訳ない
0446人間七七四年
2009/04/30(木) 19:23:07ID:eMWLTJKi0447人間七七四年
2009/05/02(土) 11:04:04ID:JhRs4Jby天海=明智光秀だった!!!
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151671577/
専用スレ読んでみろ。
0448人間七七四年
2009/05/02(土) 11:49:04ID:SCHixyT7恵那市明智町の日本大正村で3日から5日まで、恒例の「ちょっとおんさい祭」(実行委員会主催)が開かれる。
黄金週間に合わせたイベントで、22回目。初日は「明智光秀公武者行列」や火縄銃の演武などがある「第37回
光秀まつり」(中日新聞社後援)も繰り広げられる。
「光秀まつり」の呼び物である武者行列は午前10時半、明智B&G海洋センター前を出発。大正村の司葉子村
長と武者姿などの計約120人が、浪漫亭前までの約1キロを練り歩く。正午から居合の演武、午後1時から火縄
銃の演武などがある。
5日までの「おんさい祭」では、浪漫亭前の特設ステージでバンド演奏や大正琴演奏、恵那トビはしご登りなどが
登場。「街道催し物」として、村内各所で大道芸・紙芝居、鳴子踊り、盆栽展などが行われる。
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20090502/CK2009050202000017.html
0450人間七七四年
2009/05/03(日) 05:05:12ID:ZGb34WRPしくじりおったか!
0451人間七七四年
2009/05/04(月) 16:53:44ID:n4R9twpW光秀と従兄弟同士で血が繋がっているのは確かなんだろ?
0452人間七七四年
2009/05/04(月) 17:15:21ID:qtAw03100453人間七七四年
2009/05/05(火) 02:17:52ID:PQCGssLAγ⌒ヽ (~)
{i:i:i:i:i:i:} γ´⌒`ヽ
||‘‐‘||レ {i:i:i:i:i:i:i:i:}
/(Y (ヽ (´・ω・` )
∠_ゝ (:::::::::::::)
_/ヽ О─J
0454奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/05/05(火) 09:29:28ID:GiSJzL8s0455人間七七四年
2009/05/05(火) 10:10:55ID:qFhkJwGj身内も同然だったんじゃまいか
0456人間七七四年
2009/05/05(火) 10:54:17ID:NxNo3yPp光秀が勝手に明智姓を名乗っただけ
0457人間七七四年
2009/05/05(火) 15:43:13ID:PQCGssLA三宅弥平次→明智弥平次
三沢庄兵衛→明智庄兵衛
猪飼野三左衛門→明智三左衛門
0458人間七七四年
2009/05/05(火) 22:20:17ID:hIiqKVnA蒲生とか堀とかも同じ事してるし。
0459人間七七四年
2009/05/06(水) 13:22:15ID:A8TUpcdM0460人間七七四年
2009/05/06(水) 13:46:47ID:avYsSvhN0461人間七七四年
2009/05/06(水) 22:07:17ID:9cVgZD4m齋藤氏との抗争で明智城を攻められて没落した明智氏と光秀の関係は
江戸時代に成立した書物などに載ってあるが、どうも光秀が明智を名乗ってたため
無理矢理関連付けてる可能性が高い
0462人間七七四年
2009/05/09(土) 00:30:34ID:dlIgCBlv信州だか三重だかの
親父が大工って珍説もあったが、それでは朝廷と絡むだけの教養を得る事は無理だった様に思う
ある程度の教育受けるだけの出身だったのは確かだったんじゃないかな
平民が必死で教養身につけて出世する、というのもそれはそれで燃えるものはあるけど
0463人間七七四年
2009/05/10(日) 21:16:58ID:q/sCZJVmなんというか、あまりにステレオタイプで…
0464人間七七四年
2009/05/10(日) 22:21:30ID:RWYdDX09?こいつ
0465人間七七四年
2009/05/11(月) 00:06:20ID:Bd/wmJr0天地人の明智は黒歴史ですな。
0466人間七七四年
2009/06/09(火) 20:45:26ID:62fe845Nついでに二条城も行ったがついた頃には閉城していた。
勝龍寺城は平城で小さい(なぜか雉が飼われている)
山崎の合戦跡地(天王山に昇って)石碑を見た
古戦場を巡るのは楽しい。
次は伏見城に行く。
0467人間七七四年
2009/06/11(木) 11:04:34ID:rVgoSG040468人間七七四年
2009/06/27(土) 15:05:06ID:qaqwMPfu六チンの乱を語る
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1246072639/l50
0469人間七七四年
2009/08/03(月) 14:39:33ID:NsjzQHeP55歳没の辞世の句も、後世の創作みたいだし。
0470人間七七四年
2009/08/04(火) 01:26:25ID:eII3izoqなら天海とは別人だわ
0471人間七七四年
2009/08/04(火) 02:24:19ID:us3rQp1Nhttp://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/6291/nazo/jisei.html
0472人間七七四年
2009/08/05(水) 22:18:24ID:4iserXwVその天海ですら135歳説もあるから、なんとも…
0473人間七七四年
2009/08/08(土) 14:09:56ID:MZD2tnFO「五十余年夢 覚来帰一元 截箭離弦時 清饗包乾坤」
小栗美作正矩が詠んだ辞世の句。
>>470
これを支持しているのが谷口氏で、氏が2次史料である当代記の年齢記載を信用する理由も一応
説得的である。
光秀は晩年に眼病を患ったり(多聞院日記)、過労死したとの噂が立ったりしたが(言継卿記)、
この老齢だったらむべなるかな。
0475人間七七四年
2009/08/13(木) 12:46:11ID:gygDq2zEこんな話しがある。
上野寛永寺の末寺にある帳簿に南光坊天海は1526年生まれであると書かれていたと…
0477人間七七四年
2009/08/13(木) 21:34:08ID:gygDq2zE天海が亡くなった年は1643年だから、享年は117歳になる。
0479人間七七四年
2009/08/14(金) 01:20:43ID:g4UtFap6信長が自分より年長の者を重宝しない。45が正解。
また、天海は初代と2代目と2人いる。
斉藤道三と同じ。
0481人間七七四年
2009/08/14(金) 16:35:01ID:g4UtFap60482人間七七四年
2009/08/14(金) 20:22:52ID:ts4kDRwrなるほど、交代時期はいつ頃だと思う?
慶長17年に比叡山に石燈籠を光秀の名で寄進した時は天海=光秀
だったということか?
0483奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/08/15(土) 06:04:10ID:7tlmXxgB0485天秀光海
2009/08/15(土) 19:15:43ID:2YhS3m3m前半生は光秀 小栗栖から命からがら比叡山に運ばれ、
僧侶として修行 その後は天海として家康を補佐する。
時に秀吉に見破られそうになり(醍醐の花見、臨終の席)
ハラハラドキドキする展開がたまらない。
0486人間七七四年
2009/08/16(日) 07:13:01ID:H4Zi5f/yだから、天海の1536年生まれはガセだよ。
実際は80歳ぐらいで亡くなったんでしょ
0487人間七七四年
2009/08/16(日) 10:05:05ID:D20h+hXA原作は早乙女貢の「明智光秀」でいけるな。
主役はカメレオン俳優の松山ケンイチでw
>>486
渡辺幸庵は130歳まで生きたとされる。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E5%B9%B8%E5%BA%B5
0488人間七七四年
2009/08/16(日) 11:43:43ID:H4Zi5f/yあの時代といえば、室町時代に漫画でおなじみの一休宗純は88歳まで生きたそうです。やはり、お教を唱える人は長生きするような説もあるみたいです。だから、天海も長生きできたのでしょうね。
0489人間七七四年
2009/08/16(日) 14:40:03ID:Px3T5QjYどこかで見たことあるんだが思いだせん。淀は知らないか?」
「太閤様、あの僧侶は天海様と言って昔、比叡山で修行したことがあるらしいですよ。」
「比叡山焼き討ちの時に会ったことがあるのかなぁ。しかし、武士のにおいがするが気のせいかのを。」
0490人間七七四年
2009/08/16(日) 14:42:47ID:Px3T5QjY0491人間七七四年
2009/08/16(日) 17:34:59ID:IAQgQRBX0492人間七七四年
2009/08/17(月) 14:25:58ID:44IFuOJm0493人間七七四年
2009/08/17(月) 23:34:52ID:PB/pmcxf「君」って言うのは、辻君(遊女)を連想させる差別語らしいから、
「殿」って呼んだほうが良いらしいぞ。
0494人間七七四年
2009/08/17(月) 23:41:01ID:vAxVDjDC0495人間七七四年
2009/08/17(月) 23:46:16ID:U3dwiksm淀君様と読んでるね
これだと無礼に当たらないのでは?
0496人間七七四年
2009/08/17(月) 23:50:30ID:vAxVDjDC帝だって「治天の君」なわけで。
0498人間七七四年
2009/08/23(日) 02:41:31ID:bPIc6pUY0499人間七七四年
2009/08/23(日) 09:33:11ID:2fzNcp/Http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/6291/akechike/kasindan.html
0500人間七七四年
2009/08/25(火) 14:07:33ID:HmwYnTH1「(略)これらの催しごと(家康の饗応)の準備について、信長はある密室において明智と語っていたが
元来、逆上しやすく、自らの命令に対して反対(意見)を言われることに堪えられない性格であったので、…(中略)…
(明智光秀軍の)兵士たちはかような(本能寺を攻める)動きがいったい何のためであるか訝(いぶか)り始め
おそらく明智は信長の命に基づいて、その義弟である三河の国主(家康)を殺すつもりであろうと考えた。…(略)」
また、国内資料の『老人雑話』の中にも、関連するような記述があるので合わせて紹介したい。
「明智の乱(本能寺の変)のとき、東照宮は堺におわしました。
信長は羽柴藤五郎に仰せつけられて、家康に大坂堺を見せよとつかわされたのだが、
実のところは隙をみて家康を害する謀であったという。」
tp://www.geocities.jp/syutendoji28110/mitsuhide07.htm
tp://praha.at.webry.info/200904/article_2.html
明智憲三郎『本能寺の変 四二七年目の真実』
0501人間七七四年
2009/08/26(水) 00:13:19ID:K0h+4KvG織田家にいた光秀と家康の接点が見えねえし。
0503人間七七四年
2009/08/26(水) 12:55:20ID:x/9bl3hO明智憲三郎『本能寺の変 四二七年目の真実』によると、
武田征伐→家康の価値低下
↓
富士山見物・徳川領視察→信長が家康暗殺、明智を遠江三河に国替の計画
↓
「日本史」の口論事件→原因は光秀が四国征伐に反対、国替への不満
↓
信長が京都に家康をおびきよせる→「家康暗殺」を光秀に指示
↓
信長に不満がある光秀が、計画を「信長暗殺」に変更
↓
本 能 寺 の 変
本能寺の変のターゲットが家康暗殺だとする史料はいくつかあるけど、氏の著書のロジックは理解不能でした。
類似のロジックを用いた、円堂晃「本能寺の変 本当の謎」と同じニオイがするね〜
0504人間七七四年
2009/08/26(水) 18:51:36ID:K0h+4KvGすまん、光秀が家康と仲良くなる機会があるはずないから、
家康が本能寺の変の黒幕ってのはあり得ないかと。
あともし信長に家康暗殺を命じられたなら、なぜ矛先を変えて
信長を討ってしまったか、ということ。
迷文スマソ。
0506人間七七四年
2009/08/26(水) 20:10:29ID:b3SgXZsL少なくとも互いが敵対する理由は無いと思うが?
軍事同盟というのは所詮は利用関係で、必ずしも真に仲良くなる必要はないはず。
もはや天下統一を間近にした信長にとっては、同盟者の家康こそが最大の政敵であり、
部下である光秀をけしかけて家康を暗殺しようという意図があってたのかもしれない。
独裁政治を敷くなら連立政権とかは一切ありえず、全ては主従関係となろう。
しかしながらそういうやり方は紙一重で反撃にあうリスクも大きいし、信長がそこまでリスク
を犯してまで独裁政治に拘ったのかと。史料にも食い違いあがって自分もよくわからない。
>あともし信長に家康暗殺を命じられたなら、なぜ矛先を変えて
>信長を討ってしまったか、ということ。
信長の独裁権力に従うよりは、独立して家康との同盟を指向したとも考えられるぞ。
ほかに光秀が信長に謀反する理由というのはどんなものだ?
0507人間七七四年
2009/08/27(木) 00:21:10ID:18y5Gpto0508人間七七四年
2009/08/27(木) 07:39:37ID:FtTwuBer信長にも弟は何人か居たはずだけど、兄弟みんな仲良く譲り合ったのかな?
0509人間七七四年
2009/08/27(木) 08:27:54ID:ZcYVEkt4そんなもん100%ない
現に武田家滅亡した際の領土の分け前は家康が永年に渡って
武田家に抵抗したにも関わらず駿河一国のみ
信長は信濃・甲斐・北関東と3つもちゃっかり頂いている
しかも家康はこれに不満を一切漏らす事なく大いに喜ぶフリをした
何故なら信長に家康は駿河一国に不満なのかと思われたら、今度は自分が討伐対象になるから
これはもう同盟相手でもなんでもなく、1家臣扱い
0510人間七七四年
2009/08/27(木) 11:42:26ID:fh/z/qs1家康領が属国化するだけじゃね?
家康の家臣の松平家忠執筆の「家忠日記」なる史料があるが、この日記では主君家康を「家康」と呼び捨て
にしているのに対して、主君でもない信長を「上様」と記述している。
0511人間七七四年
2009/08/27(木) 12:30:46ID:18y5Gptoそれどこの「家忠日記」だ?
家忠日記には家康のことは普通に「家康様」って書いてあるぞ?
君はどんな家忠日記を呼んだんだ?
0512人間七七四年
2009/08/27(木) 12:57:09ID:fh/z/qs1増補続史料大成(臨川書店)の翻刻版やで。
手元にある天正10年4月〜6月分によると、
信長の記述は7箇所あり、6箇所は「上様」で1箇所が「信長様」とある。
対して家康の記述は9箇所あり、すべてが「家康」とある。
君はどんな家忠日記を呼んだんだ?
0513人間七七四年
2009/08/27(木) 15:42:18ID:kh14Epvhいみなだからだろうけど。
0514人間七七四年
2009/08/27(木) 17:51:03ID:dSCA1h+K様づけは見たことがない。
0515人間七七四年
2009/08/27(木) 22:14:58ID:PkjgSr5d盛本昌広の「松平家忠日記」にも、
>主君家康を「家康」と呼び捨て
>にしているのに対して、主君でもない信長を「上様」と記述している。
なんて指摘は無いな。どうもID:fh/z/qs1はヘンテコな解釈をしているようだ。
0516人間七七四年
2009/08/27(木) 23:06:18ID:fh/z/qs1お前は翻刻版と現代語訳の違いを理解しているのか?
0517508
2009/08/27(木) 23:30:41ID:FtTwuBer連立政権もダメ、臣下にもならない同盟者では、天下統一を間近にしたら「目の上のたんこぶ」。
0518人間七七四年
2009/08/27(木) 23:39:29ID:8lDpwHeZでも三遠駿の徳川家を潰すくらいなら関東の北条家を先に潰すんじゃないのかな?
それからでも遅くは無いような気がする
0519人間七七四年
2009/08/28(金) 08:55:46ID:/oHLJ1Nl0521人間七七四年
2009/08/29(土) 12:13:16ID:ChDyOWDQ何をもめているのかよく分からんが、信長の家康宛の書状の書札礼が、長篠以降同盟者のそれから薄礼化して
いるって事実で十分じゃね。
ま〜、民主・社民「連立政権」が誕生した場合の両党の関係みたいなもんだ。よけい分かりにくいか。
0522人間七七四年
2009/08/29(土) 13:18:24ID:MWHBjipA0523人間七七四年
2009/08/29(土) 19:14:54ID:UMfo2kgq出来た同盟って訳じゃないけどな。
0524523
2009/08/29(土) 19:16:51ID:UMfo2kgq0525人間七七四年
2009/08/29(土) 22:46:33ID:5QHHVMi2初めての同盟の相手がそれを裏切らないどころか信長のために何度も尽くす人物だったせいで
それが基準になってしまった
実際は家康みたい奴がそんなに居る訳も無く、浅井・荒木・松永と何度も裏切られ
でも何で裏切られるのかイマイチピンと来ず、最後は明智に裏切られて死亡
…てな事を考えたことがある
0526人間七七四年
2009/08/29(土) 23:04:55ID:VAwaWZcqそれってたぶん、織田の家臣になるかさもなくば合戦かというふうだったと思う。
信長は身内でも自分に従わない人間を次々粛清してたはずだ。
本能寺の変が無ければ、織田・徳川の連立政権になったかどうかだが、
連立政権がNGとすれば徳川は織田の家臣になれということになる。
0527名無しさん@そうだ選挙に行こう
2009/08/30(日) 16:50:51ID:dMK4pD6E0528名無しさん@そうだ選挙に行こう
2009/08/30(日) 17:32:23ID:lyx4gL6Q馬鹿だなあお前
秀頼が家康の臣下になったように、いずれ家康も信長に
同盟破棄して臣下の礼を取らされるよ
0530人間七七四年
2009/08/30(日) 22:49:44ID:oguXGupe例の二条城対面は、家康のいる場所に秀頼が出向いて挨拶したんだから、
どう取り繕おうがアレは臣従。少なくとも世間的にはそう考える。
つーか、もし豊臣家がアレを臣従と受け取らなかったとしたら、世間知らずにもほどがある。
0531人間七七四年
2009/08/31(月) 09:10:18ID:duJIzDkK前田利家の仲介で、家康も秀頼も利家の部屋なり屋敷なりに
出向くとかしたらどうだったんだろう?
つーか利家まだ生きてる?
0532531
2009/08/31(月) 09:19:48ID:duJIzDkK利家はあくまでも秀頼の忠実な臣下という姿勢を崩さない。
0533人間七七四年
2009/08/31(月) 12:10:10ID:duJIzDkK信長も最初の頃京に泊まる時は光秀の屋敷を使用していたらしい。
0536人間七七四年
2009/09/01(火) 11:52:44ID:Rb3Rt2Kn0537人間七七四年
2009/09/03(木) 10:21:20ID:fvIitaVg0538人間七七四年
2009/09/03(木) 12:52:22ID:4MOMpRcG0539人間七七四年
2009/09/10(木) 14:40:02ID:5haZ/8Jm天下人になるためには、
軍事的な才、行政・統治能力、カリスマ性、先見性、決断力、+もちろん運や野心などなど・・・
ほんとにいろいろなモノが必要だったと思うが、
結局、その多くを相応のレベルで兼備していた武将の一人が光秀だったと思う。もちろん秀吉や家康もそうだけど。
信玄もその一人とは思うが、逆に柴田勝家や滝川一益、さらに上杉、北条、伊達には、
天下人になるための大事な要素の中に「致命的な欠け」があったと思う。
光秀は結果的に山崎で敗れ去るので、「足らないモノ」があったのは現実だけど、
最初から資格のない人間ではなかったと感じる。
だから、「謀反人」の代名詞扱いされるけど光秀は嫌いになれないんですよね。
むしろもっとも魅力的な武将の一人w
ま、信長もそんな魅惑の武将の一人なんだけどね。
以上、戯れ言でございました。ごめん。
0540人間七七四年
2009/09/23(水) 16:34:52ID:ftVJOsnZ旧六角家臣で進藤賢盛って人がいるんですが
現在、ネット上でよく見られる記述だと
「六角家の衰退後は佐久間信盛に仕え、本能寺の変後は織田信雄、後に秀吉に仕えた」とあります。
で、最近ちょっと明智関連の本を読んでいたところ、彼の名前が出てきまして
彼自身は佐久間信盛に仕えて、近江志賀郡を安堵されているが、配下の侍は地元志賀に残って
坂本城主の明智軍の下に配属された、と書かれてありました。
つまり進藤家の代表である賢盛は佐久間家臣となっているが、その勢力は光秀軍に組み込まれた、と。
で、「本能寺の変後に織田信雄に仕える」とあるので
佐久間追放後〜本能寺の変当時の彼の動向がわからないのですが
当時の立地的に変直後に信雄に属したとは考えにくいのですが
変直後は彼はどこに属していたのでしょうか?
変直後の明智軍の勢力の中に彼の名前は見えたりしますでしょうか?
それとも中立を保つなどして光秀勢の中に彼の名前はなかったのでしょうか?
詳しい方がいましたら教えて下さい。
0541人間七七四年
2009/09/25(金) 01:14:54ID:8akKrHl0家忠日記の件もだけど、確か北条系の史料に武田征伐後、家康は駿河を今川氏真にあげようとするんだけど、信長にダメだし食らって結局、氏真に駿河をあげられなかったって
話をみたことがあるんだが、自領の人事にいちいち文句つけられてるんだから、もうすでに徳川は独立国と呼べないのでは・・・
0542人間七七四年
2009/09/25(金) 01:17:48ID:T44Pu3VK0543人間七七四年
2009/09/25(金) 01:42:10ID:8akKrHl0やはりそうですか、そうなると、信長が家康暗殺を画策する必要なくないですか?
現時点で徳川家は信長の言う通りになってるんですから・・・
あの時点で信長が徳川家を潰す事は織田分国に未編入の北条とか大友とか伊達みたいな
親織田派の地方大名に対する政治的信用を失うことになりえませんか?
自分工房なんでレベル低い質問して申し訳ないです・・・
0544人間七七四年
2009/09/26(土) 09:41:41ID:gKTVgodM駿河に関しては駿河を領有する以前の話だ。
信長は実際に氏真による駿河回収を後押ししていた時期があった(失敗したが)
んで、対駿河工作は家康がすることになった。
そういう経緯があったので、信長に対して「駿河は氏真に」と言うのは、信長の面子を立てるためと
家康の駿河領有の正当性の言質を取るために必要な発言。
0545人間七七四年
2009/10/19(月) 14:23:38ID:6hcG5nA1これに反論できる奴はいる?
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1227227491/801-n
0546人間七七四年
2009/10/21(水) 16:07:42ID:2/iPz7C30547人間七七四年
2009/10/21(水) 17:13:44ID:O2+GWH4d毛利にも行った逸話があるんだっけ。
0548人間七七四年
2009/10/21(水) 17:41:02ID:Rygz8uHd0550人間七七四年
2009/10/23(金) 02:06:03ID:uXI/5g0i光秀が美濃明智とは全く無関係という説かな?
でも光秀の家臣に美濃に縁深い「妻木氏」とかいるし、ちょっと無理ないか?
0551人間七七四年
2009/10/23(金) 06:26:12ID:TvrsTLhWそんなに簡単に斎藤家に仕官できるのか?
足軽ならともかく、ある程度の身分になるにはそれなりのコネが必要では?
0552人間七七四年
2009/10/23(金) 08:27:36ID:SpYdOryN秀吉の家臣にも美濃出身がいるが…
>>551
光秀は齋藤家に仕えてない
史料から確実に分るのは細川藤孝
足軽から出世した奴など何人かいる
0553人間七七四年
2009/10/23(金) 10:04:47ID:mg4xBUAwむしろ、これが光秀が美濃出身であることを説明してると思うけど。
0554人間七七四年
2009/10/23(金) 10:38:30ID:mg4xBUAwだとしたら、いきなり士分として仕えているので足軽のはずないけど。
0555人間七七四年
2009/10/23(金) 10:41:18ID:mg4xBUAw言行録?
0556人間七七四年
2009/10/23(金) 11:31:32ID:ZwA/lKH2「多聞院日記」天正10年6月17日条。同書は1次史料だから、細川仕官はガチ。
むしろ、2次史料にしか現れない朝倉仕官が俗説。
0557人間七七四年
2009/10/23(金) 12:10:04ID:mg4xBUAw多門院日記の記述なら信じてもいいだろうね。
ただし、天正年間に書かれた伝聞記事なので詳細まで正確かはわからないけれど。
ちなみに足軽足軽言ってる人がいるけど足軽衆というのは足軽大将さす場合があるよ。
公記でも足軽大将か、士分の武士の用法が多い。
事跡が伝わっていないのに信長滞在の折には自邸を宿泊所に宛てるほどの高官になってるし、
出自はそれなりの身分があったとは思う。
0558人間七七四年
2009/10/23(金) 12:11:59ID:ZwA/lKH20559人間七七四年
2009/10/23(金) 12:27:54ID:SpYdOryN「自分は信長様に石ころのような身分から取り立ててもらった」と書いてあるし
フロイスの書物にも
「光秀はいやしい歩卒であった」
「彼はもとより高貴の出ではなく、信長の治世の初期には、将軍の邸の一貴人兵部太輔(細川藤孝の事)と称する人に奉仕していたのである」
と書いてあるから非常に身分の低い出身で間違いない
美濃出身ってのは確信できないが、どうも出世するにつれて幕閣だから美濃の滅んだ名家
明智の名前を継ぐように賜った可能性が高い
0560人間七七四年
2009/10/23(金) 12:43:33ID:mg4xBUAwその当時と比べて低いという解釈であろう。通説どおり一時零落していたのであれば
それらの記述と矛盾しない。
美濃妻木城の妻木氏の妻を娶っていたことからも、その出自は美濃に由来するだろう。
そして、城主の同名衆と婚姻して家格としてつりあいの取れる程度の出自で、
婚姻を通じて互いにメリットのある家であると考えるのが自然である。
妻木と明智は共に東濃にある似たような規模の家である。
城主といえるほどの家ではないと思うが、美濃明智傍流であると推理してよいだろう。
そもそも明智は名家といえるほどの家かは微妙。名乗らせるならもっと適当な家があるだろうし。
0561人間七七四年
2009/10/23(金) 14:00:33ID:ZwA/lKH2参考になるかも。
「明智日向守光秀は美濃国土岐郡明智といふ里に生まれ、昔は土岐の一門とかやいひし。
貧しくなりはて、下部の一人をも持たず、越前国などさすらひ歩き、(以下略)」
0562人間七七四年
2009/10/23(金) 14:29:25ID:hSLwCQsc「御門重兵衛(十兵衛ではない)という人物が、信長のもとに現れ、
器量良く、諸事に見識があったので評判が立った。信長は早速召しだし、
明智重兵衛と名乗らせ、侍役を命じ・・云々」
土岐元頼の息子
若狭国小浜の刀鍛冶・藤原冬広の次男
石津郡多羅城主・進止信周の次男
素性知れず
なんてのが伝わってるから要するにどこの誰かさっぱり分らんって事
0563人間七七四年
2009/10/23(金) 14:47:42ID:mg4xBUAw進止信周説を唱えている史料では、明智光綱の養子となっているため、
当時の家制度としては出身は明智となる。
信長に出会った頃には既に明智ではないかと思うので御門説はイマイチ。
0564人間七七四年
2009/10/23(金) 21:17:15ID:SpYdOryNアホじゃないのかお前
妻木氏は土岐嫡流家に従い、応仁の乱以後土岐氏没落後は斎藤氏に従った没落家
分ったか?
0565人間七七四年
2009/10/24(土) 03:38:09ID:xQEMTOJjアホだなぁ。土岐に従っても妻木城主で領地安堵されてるし没落していないだろ。
お前の中で美濃明智家がどんな大大名かしらんがね。
0566人間七七四年
2009/10/24(土) 04:27:16ID:xQEMTOJj>土岐嫡流家に従い、応仁の乱以後土岐氏没落後は斎藤氏に従った
これは土岐没落後も生き残った大部分の国人にあてはまる。
土岐氏没落後にも土岐氏に従ったというなら没落と言えるが、そうではない。
斉藤氏は一時土岐氏にしたがった国人にも当然ながら領土の安堵をしている。
妻木氏も同じく土岐没落後江戸時代初期に至るまで妻木氏は妻木郷を一貫して治めている。
土岐氏との争いの最中に没落したとは初耳だ。ソースが必要だろう。
道三の時代には明智氏と妻木氏は共に東濃の小勢力と考えて良いと思うが。
0567人間七七四年
2009/10/24(土) 10:20:24ID:ZweaTTBQそして、土岐明智氏の所領には妻木郷も含まれていたから、妻木氏も没落したんじゃなかろうか。
一方、「土岐文書」によれば土岐明智氏は文亀年間に既に明智庄を失っているから、別途可児郡明智庄
を相伝した別の家系があり、それが光秀の先祖じゃないかって論者もいるな。
その先祖っていうのが、明応年間に土岐明智頼定と所領争いをした明智玄宣で、光秀は玄宣系明智氏
だと推論する論者もいる。
いずれにせよ、(俗説では義竜時代に没落した)光秀の家系が道三時代に没落したかどうかは証明しようがない。
0568人間七七四年
2009/10/24(土) 11:26:17ID:xQEMTOJj少なくとも織田家が美濃を治めてる時点で妻木郷を治めてる。
妻木氏は一時頼芸側にいたが、最終的に斉藤に従って所領を安堵されたという通説に逆らう必要も根拠も感じられない。
本能寺の変の折は遠山氏と共に森と戦って妻木城を落とされている。
この時に領地を削られたというのならわからなくもないが。
やはり、現時点で道三の時点で妻木氏が没落していたというのは無理があると思うけど。
妻木氏に限ってはね。
0569人間七七四年
2009/10/24(土) 12:07:08ID:c5LbUXY0美濃の小勢力を語る〜稲葉・氏家・安藤・不破 他
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1214108829/
0570人間七七四年
2009/10/25(日) 23:09:15ID:RKjxfevT妻木貞徳という人物について調べています。
『織田信長家臣人名辞典』という本では
1544〜1618。諱は貞行とも。
光秀の妻の従兄弟。
子に頼忠。
と、あります。
この人は妻木広忠・範賢・範武・範之らの妻木一族と関係ありますか?
もしくは上記の誰かの別名でしょうか?
まったく関係ない分家か何かの別人でしょうか?
0571人間七七四年
2009/10/26(月) 08:55:56ID:fb2U7FN5光秀の妻の父は勘解由左衛門範煕で、範煕の子が範賢・範武・範之(美濃国諸旧記)。
上記の史料に、広忠の家系は範煕の「嫡家」で、頼忠が光秀の叔姪、広忠が光秀の叔父とされているので、
広忠と範煕は兄弟になると思われます。
妻木頼安――広忠――貞徳―頼忠
|―範煕――女(明智光秀室)
0572人間七七四年
2009/10/26(月) 09:10:38ID:VD8mc7jVこれは「濃陽諸士伝記」を元に書かれたんでしょ?
内容も「濃陽諸士伝記」に酷似しているし
0573人間七七四年
2009/10/26(月) 09:16:45ID:fb2U7FN5所詮は2次史料です。
1次史料から証明できる事実は、光秀の近親者に「ツマキ」なる人物が存在したことだけです(「兼見卿記」「多聞院日記」)
0574人間七七四年
2009/10/26(月) 11:56:36ID:VD8mc7jVそれだけ分っててなんでそのツマキが光秀の妹であり、信長の妾である事実を隠すんだ?
>>571の事は出鱈目ってあるのに気付けよ
0575奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/10/27(火) 04:26:14ID:rqYd9ywh0576人間七七四年
2009/10/27(火) 14:34:34ID:Uucmbfzs■■織田信成が織田信長の子孫って本当?■■
1 :氷上の名無しさん@実況厳禁:2009/08/29(土) 17:48:08 ID:Du7ELlvd0
めちゃくちゃ胡散臭いんだけど
だいたい何百年も前の人間の子孫だってどうやって証明するんだよ
家系図もいくらでも捏造できるし、織田という苗字だっていくらでもいるし
その苗字も後で名乗ったものかもしれないしな
天皇家や徳川家なら時代が近い分まだ信用できるけどな
織田家なんてちゃんと存続してるかどうかも怪しいってのに
あと親戚中『信〜』って名前をつけるとか
いやらしいにもほどがあるw
本人達もことあるごとに『織田の子孫』って自慢するし
どんだけ面の皮が厚いんだか
俺には詐欺師にしか見えない
皇族の名をかたる詐欺師によく似てるわ
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1251535688/
0577人間七七四年
2009/10/27(火) 14:37:04ID:Uucmbfzs■■織田信成が織田信長の子孫って本当?■■
1 :氷上の名無しさん@実況厳禁:2009/08/29(土) 17:48:08 ID:Du7ELlvd0
めちゃくちゃ胡散臭いんだけど
だいたい何百年も前の人間の子孫だってどうやって証明するんだよ
家系図もいくらでも捏造できるし、織田という苗字だっていくらでもいるし
その苗字も後で名乗ったものかもしれないしな
天皇家や徳川家なら時代が近い分まだ信用できるけどな
織田家なんてちゃんと存続してるかどうかも怪しいってのに
あと親戚中『信〜』って名前をつけるとか
いやらしいにもほどがあるw
本人達もことあるごとに『織田の子孫』って自慢するし
どんだけ面の皮が厚いんだか
俺には詐欺師にしか見えない
皇族の名をかたる詐欺師によく似てるわ
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1251535688/
0578人間七七四年
2009/10/27(火) 19:53:56ID:NYbZwPC0・光秀は美濃出身を確認できない
・光秀の妻は妻木氏ではない
・美濃に親類がいる
後は全部、明智って事だけで明智庄出身
史料にツマキが見えるから光秀の妻は妻木氏と勝手に決め付けてるだけだよね
0579人間七七四年
2009/10/27(火) 20:14:39ID:m1xxhEkh違うけど。一次資料で確認されてる。しつこいなぁ。
0580人間七七四年
2009/10/27(火) 20:15:36ID:iz942A5F0581人間七七四年
2009/10/27(火) 20:36:52ID:lwFR4c1R「兼見卿記」では「ツマキ」と「光秀女房」は書き分けられている。
「多聞院日記」では「ツマキ」は光秀の妹と記載されている。
一次資料で確認されたのなら、史料名を出せよ。
0582人間七七四年
2009/10/27(火) 20:37:43ID:m1xxhEkh>>580なんて何が言いたいのかわからん。
史料を否定するだけなら猿でもできる。
ところで、惟任姉妻木ってどう解釈すればいいと思う?兼見卿記だったと思うが。
0583人間七七四年
2009/10/27(火) 20:52:41ID:NYbZwPC0まずはここをよく読め!!
http://dangodazo.blog83.fc2.com/?no=104
それからまたおいで
0584人間七七四年
2009/10/27(火) 21:15:00ID:m1xxhEkh光秀には妻木氏の妹がいるという一次資料があるのを知ってて光秀が
明智氏と縁もゆかりも無いと主張するのは本末転倒だと思うけどなー。
むしろ、自分で証明してるじゃん。妻木氏は自称明智庶流だよ。
兼見さんが、他の誰に正月の挨拶した妻木氏をもっとも普通に解釈すれば妻木氏は光秀の妻になると思うが。
進物の半分を贈るほどだ。
仮に明智家臣の妻木氏であったとしても、そこまで重要視された背景を考えれば否定するほどの材料も見当たらない。
一次資料で確認というのは誤解を生む表現だった。これは謝ろう。
>>583
それ読んでた。というか、知ってた。島津関係も好きだし、わりとこの界隈じゃ有名だし。
それでもできれば空気を読んで欲しかった。
0585人間七七四年
2009/11/01(日) 08:39:58ID:/1nW9mZu明智光秀の長男。十兵衛。
光秀に従い各地を転戦。本能寺の変の前に行われた愛宕百韻では結句を詠む。
亀山城を守備するが高山重友、中川清秀の攻撃をうけ死亡した。
明智 定頼(あけち さだより)
明智光秀の次男。十次郎。 筒井順慶の養子となる。
本能寺の変後、秀満とともに安土城に入り近江一帯の掌握に努める。
山崎の敗戦に接し坂本城で殉死した。
明智 光頼(あけち みつより)
明智光秀の三男。乙寿丸。
山崎の合戦後美濃洞戸に戻る。荒深吉衛光頼と名乗り一族郎党を率いる。
関が原の合戦では東軍につくため出陣するが増水した川で水死する。
0586人間七七四年
2009/11/06(金) 16:05:34ID:cttLKoTW0587人間七七四年
2009/11/06(金) 23:30:12ID:RE2qDETiそこまで書いたのなら長庶子の作之丞光重も入れてやれよ。
確実なのは、光秀には器量良しの12歳ぐらいの息子がいて(日本史)、家督相続者の仮名が「十五郎」(細川宛て書状)で
愛宕百韻の挙句に「光慶」なる名が記されたことぐらい。
0588奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/11/07(土) 02:46:50ID:PC7A+riw0589人間七七四年
2009/11/14(土) 12:07:39ID:/4yi6OCM0590人間七七四年
2009/11/14(土) 14:22:36ID:zcgcBoOiいたんだろうか?
信長なり信忠の側近とかからスタート?
0592奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/11/14(土) 23:57:24ID:vd6C8iAl0594人間七七四年
2009/11/15(日) 00:39:42ID:pNdpLFxzその山岸光重ってのが>>587の作之丞光重じゃね?
「美濃国諸旧記」に出てくる人物やね。
フロイスの「日本史」にある光秀の子は12歳前後らしいが、光秀がポックリ逝った場合に息子は年齢的に信長の即戦力には
なれんだろうね。
「当代記」だと光秀の没年は67だし、天正年間に光秀が過労で倒れて光秀死亡の噂がたったこともあるから(言継記)、光秀の
過労死は十分ありうる。
そんで、息子が>>590のいう側近スタートなら、明智家の領地は代替わりに伴い側近相応の領土に減封されたかも分からん。
谷口のいう「光秀老齢不安説」てやつはバカにはできん。
0596人間七七四年
2009/11/15(日) 16:25:31ID:Gr17/Ut2死んだんじゃなかったっけ?
0598人間七七四年
2009/11/15(日) 19:49:45ID:Gr17/Ut2明智軍記は知らんが、「川角太閤記」には、
坂本城で秀満が光秀の遺児たちを殺して自らも
自殺したとある。
この「光秀の遺児たち」には光慶(十五郎)も
含まれると思われる。
0599人間七七四年
2009/11/24(火) 00:12:47ID:rDEvC0Seどういう感じなんだろう。
0600人間七七四年
2009/11/24(火) 00:26:14ID:rDEvC0Se問題はそういう時に、細々とでもいいから御家継承を重要視するか、それともこのままでは御家断絶に近いような状況になりそうだからイチかバチかの勝負に出るか、そのあたりの「具体的状況」と
光秀自身の考え方の問題、このあたりはわけてじっくり整理してみないといけないだろうな。
0601人間七七四年
2009/11/24(火) 00:32:18ID:rDEvC0Seこのまま一族が減封とか辛い目にあうのだったら、優秀な自分が生きてるうちに勝負に出て天下はともかく、大きな領土獲得しておくか、
その後は後の話、とこういう感じじゃなかったかなとは思ってる。
遺恨とか、野望100%の野心、とかそんなガチガチな理由とは思いにくい。
0602人間七七四年
2009/11/24(火) 00:48:27ID:uC5UuRqL思いあたらん。
織田家中での国持武将レベルの御家継承は前例がないから、光秀が「老齢そのもの」を不安材料にしたかどうか
は分からんな。
ただ、信長は抜擢に応えられない簗田の指揮権をはく奪した前例があるから、光秀のムスコがヘマをしたら所領
の減封ぐらいはやると思う。
0603奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/11/25(水) 19:20:02ID:7FSoWYUl0604人間七七四年
2009/11/26(木) 16:28:14ID:7FiLlgLs遊びまわってる、武将としてはボンクラの類だろ。
0606人間七七四年
2009/11/27(金) 06:06:25ID:RE0oYKdkただ、本人たち、サルと光秀なんかは、信長はたいしたことない、と思ってたかもしれない。
今は結果論で考えすぎなんだよね、1582ぐらいにおいては、早いもの勝ち、でみんな勝負かけてたし、そこで生き残ったものがやっぱりたいしたもの。
とは思う。
0607人間七七四年
2009/11/29(日) 15:29:30ID:OirgyiMwここのブログ主さん(霊視能力が凄いらしい)によると
本能寺の変の犯人は羽柴秀吉。
光秀は信長に対して絶対の忠誠心の持ち主。
信長は大事な客人(家康公)を任せられると
光秀に対しては常に信頼していた。
信長公は秀吉のことを ずるいヤツいつでも捻り潰してやる と思っていた。
秀吉の部下(忍者部隊?)が、本能寺に宿泊予定の信長を「ここは危険」と
誘い出し暗殺すると同時に本能寺を焼き討ちにした。
光秀が駈け付けたときには、すでに「日向守謀反」の流言が・・・・・・・。
この時 秀吉は高松には居なくて、京に近い所に居た。
光秀は家康公宛の手紙を斉藤利三の長男に託し、最後の一戦に挑んだ。
家康公は三河に戻ってから速やかに軍勢を整え出陣しようとしたが、
山崎の合戦の結果を知り出陣を取り止めた。
ちなみに、斉藤利三の長男はその後比叡山で仏門に入り修行し、
江戸幕府で天海大僧正として活躍したその人。
との事。
これって 一つの説として有り得る(時系列的に)事ですか。
詳しい方おられましたら解説を御願いしたします。
0608人間七七四年
2009/11/29(日) 17:51:13ID:o9Vxz4Ia有り得ないから安心しておくれ。
しかし、少年少女をダマそうとすると、こうやっていろんなトンデモ説をくっつけるのか、と関心はする。
0611人間七七四年
2009/11/29(日) 20:49:11ID:k7PHmPmoまじめに考える気を無くしたよ。
0613人間七七四年
2009/11/30(月) 08:57:18ID:8x5RokDCこの説は、時系列的には合っているのですか?
(例えば 斉藤利三の長男の生年月日と天海の亡くなった日付や年齢)
自分は日本史上の事件や出来事は好きなのですが日付や年号が苦手でして・・・・・。
>>609 さん URLは下記です。
http://plaza.rakuten.co.jp/honmaki/
左側のカテゴリーに 本能寺や天海の事がのっています。
(ちなみに、飯島愛さんの亡くなった原因は 豊胸手術のシリコンが
破れた事による腎臓疾患だそうです。)
宜しく御願い致します。
0614人間七七四年
2009/11/30(月) 09:32:17ID:xFhEpZPV電波すぎるわ、そこは。
日本史板にもスピリチュアルで戦国時代(とくに信長)を霊視するみたいなブログがあったが、
のぞいてみたら少し古い学説(現在ではありえないと証明されている)がゆがんだ形で使われていて、
どんだけ〜と思ったよ。
こういう人たちは自分が読書で得た知識と夢の世界で得たインスピレーション(つまり妄想)がごっちゃになってて、
自分でもソースがどこから来たのかわからなくなってるケースが多いね。
0615人間七七四年
2009/11/30(月) 10:29:27ID:8x5RokDCブログ主さんが冒頭で仰っていますが、
「あくまで 私の霊視によるもの。」 ということですね。
ありがとうございました。
0616人間七七四年
2009/12/05(土) 02:16:24ID:96ZYAxwiこれは明智光秀の父なんでしょうか? 頼高=光綱なんでしょうか?
0617人間七七四年
2009/12/05(土) 09:34:28ID:vWezOkVs従って創作するのなら父親は誰でも可能
0618人間七七四年
2009/12/05(土) 11:55:12ID:cWji67Z90619人間七七四年
2009/12/05(土) 13:58:03ID:rlpIzfUyいいように食い物にされるのとどっちがいい?
0623人間七七四年
2010/01/15(金) 16:37:49ID:c5UFLdL20624人間七七四年
2010/01/15(金) 16:52:36ID:4zACAdwN0625人間七七四年
2010/01/15(金) 23:00:35ID:NeCJ83sg地元に波多野、和久、白波瀬、樋口、大槻の後裔とされる家(ほとんどが自称)がたくさんあるからな!
0627人間七七四年
2010/01/29(金) 19:53:43ID:m5TRymwy丹波の城を明け渡す時の態度が良かったから秀吉に取り立てられて、
その後も活躍したから国持ち大名になれたんだっけ?
0628人間七七四年
2010/02/07(日) 17:01:07ID:jnfp8DPlじゃあ俺の吉も同じか
0630人間七七四年
2010/02/19(金) 15:53:12ID:bHoSrDgShttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1266557387/l50
0631人間七七四年
2010/02/20(土) 05:14:45ID:ZFtSzfaP0632人間七七四年
2010/02/20(土) 11:48:24ID:6EtmGD1Nヒモごときにごたごたぬかすな!
0633人間七七四年
2010/02/20(土) 12:43:42ID:coTT7D4S0634人間七七四年
2010/02/20(土) 18:21:12ID:cObx018c「足軽 明智」と苗字だけ書いてある
0635月孔雀
2010/02/23(火) 06:31:03ID:OpbnAqyT各地の親明智の大名が、参戦するも、動かず。
秀吉軍、突撃。親明智の大名、動かず。秀吉、勝利。
ほとんど、関が原と、同じ構造だ。
0636人間七七四年
2010/02/23(火) 06:58:16ID:0qdNrR560637月孔雀
2010/02/24(水) 06:12:02ID:650utbqV0638月孔雀
2010/02/25(木) 19:10:22ID:oj/IbesT0639人間七七四年
2010/03/05(金) 19:16:14ID:FN4/gZjO0640人間七七四年
2010/03/05(金) 19:28:16ID:oilZdp0u0641人間七七四年
2010/03/06(土) 00:55:51ID:1dfGXnWc0642人間七七四年
2010/03/06(土) 22:45:30ID:a0zpEgP/0643人間七七四年
2010/03/21(日) 21:52:37ID:hqxdZnU9モリマン登場
0644人間七七四年
2010/03/23(火) 09:49:26ID:0BnbCCVCモリアガ乱登場だろうヲタばかり飛ばすから
0645人間七七四年
2010/03/24(水) 12:00:34ID:IB3SoUCA|戦国スーパーリング光秀│・検索オプション
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0646人間七七四年
2010/03/26(金) 17:19:16ID:H+6kWPsT明智がいなかったら、今頃日本文化は滅んでてもおかしくないくらいですよね?
あと、生き残り説大賛成です。信長と違って寺や人民や部下から守られたっていい人間だと思います。
彼は何処ぞの武将たちと同じく、生まれる時代を間違えてしまったのかもしれません。今の政治家に彼くらい国民を大事にして、現実を見られるひとがいたらなぁ
0647人間七七四年
2010/03/27(土) 12:14:44ID:pBMHbLEX信長を過大評価しすぎ。
革命家かなにかのように思ってるのか?
小説じゃなくちゃんとした歴史書くらい読みな。
織田との対立要素が多いのならそもそも信長にあれだけ
取りたてられて出世なんかしないだろうよ。
0648人間七七四年
2010/03/27(土) 19:16:05ID:uZCvXMaM1 :毘沙門天の化身:2010/03/24(水) 12:48:06 ID:CFPJijBX0
,ィ'ノ///イl,l,l,l,l,l,l,'、ミミヾミ)) |::| .:|
'ソノ/ヘi川川Kハヘッ'"~ |::| .:|
,{三三} |::| .:|
rf三三t=っ |::| .:|
,.ィ〜'i"i´l ̄l`i"ー-,、、 |::| .:|
,ィif《'、',',、l,l,l,l,l,l,l,l,l,ノハヾミ 、 |::| .:|
,イll{',',、'、'、〈{{l,l,l,l,l,l,l}}〉リノ,.ベ、 |::| .:|
,'j川'、ヽヽヽ'、',l,l,l,l,l,l,ノノノノィiリハ |::| .:|
ハi、'、'、ヽ'、ミ'、ヾ',i,l,l,i,ツノノリ,川,l,l,'!, |::| .:|
,!ミヾ丶、丶丶ヽヽ',ii,'ノノノノ,イリj,',','i, |::| .:|
Xiミミ三,r‐ァ- 、ヾ'、jlli,'ノツ彡≦ソノノj! |::| .:|
メjミミ三〈 / ``'' ー '"´ `ヾ゙',ニl ,ィi |::| .:|
トミミfr'" l| li j三シノ |::| .:|
'、ヾミ' tキ-、、 リ_゙i彡'′ |::| .:|
ゝ_>! `ヾミヽ、,,_、i ir;'_,,.ィ彡',}シ |::| .:|
彡ト'、 `ヾでラ≧ォi' rf=tiァラ´ }リ |::| .:|
Tfハ `"" 彡| lヾ`~´ ,ツ |::| .:|
_ノヽ'、 , 、l :, :、`' ,'__ |::| .:|
'"´〈(丶ヽ'、 _'ー、__;. ィ /^l::::`丶、|::| .:| たわけども、やらないか
:::::::::ヾヽ:::丶'、 _,.ィ='-三竺三ミヽ,_/-<:::::::::::::l ̄ ̄l
\:::::::ヾヽ::::`丶,ィt, ``゙ii''ii゙ '´`,イト、::::::`(二二三三二
:;:;::\::::::\ヽ、::::ヾミ'、__,洲l,__ji}' リ:l',:::::::f`f⌒ヽ_l_
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:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:|o:::l::::::::::::::::::::::::::::::::::::/::::::::::::::`ヽヾ<>、:.:.:
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1269402486/
0649人間七七四年
2010/03/27(土) 21:41:40ID:EogLs3uF始めはよかったけど途中から噛み合わなくなったあたりは少なからず対立要素があったからだと思うんですが…通ずる部分もあったとは私も思います。
あと、信長を過大評価したつもりはありませんでしたのでご理解下さい。むしろきらいです。
でも他の大名達と一風変わったことをしてましたよね?
0652人間七七四年
2010/04/30(金) 14:02:49ID:RgJfCY51両者に何らかの対立があったことは、「織田信長は、三河の国主 徳川家康と甲斐の主将たちのために盛大な饗宴をもよおすこと
にしたが、その接待役に明智光秀を任じた。この催しについて、信長と光秀は密室において語っていたが、明智光秀が信長になにか
反論し、それに逆上した信長は立ち上がり、怒りを込め、一度か二度、明智を足蹴にしたという」
フロイスの「日本史」での記述が根拠になるかもね。
但し、足蹴りの件は著者のフロイス自身が「噂で聞いた」と断り書きしているので、その分は割引して評価すべきだが。
これ以外の対立要素があるとすれば、いわゆる「四国問題」が挙げられるが、両者の対立を推測させる史料がないのが弱いな。
0653人間七七四年
2010/04/30(金) 14:51:17ID:OvM3jz6wそれほどの事がないと主君を虐げる事はせんよ
0654人間七七四年
2010/04/30(金) 15:09:26ID:RgJfCY51確かに、小早川宛の書状にそういう趣旨の文言はあるけど、その書状の書式礼が不自然極まりなく
偽文書説が通説だと思うので、根拠にならん。
また、変後の書状のうち西尾光教宛書状には「(信長)親子悪逆天下の妨げ討ち果たし候」としかなく
恨みはダイレクトに読みとれないし、細川宛・土橋宛書状には恨みを看取させる文言すらないよ。
0655す
2010/05/01(土) 00:05:20ID:XlKuvCUN常識派の明智とは根本的に人間の質が違うと思う
0656す
2010/05/01(土) 00:35:11ID:XlKuvCUN1582当時ノブを謀反で殺そうと思った人間は明智以外にいなかったろう
0657す
2010/05/01(土) 00:40:33ID:XlKuvCUN黒幕とかナンセンスだと思うよ
0658人間七七四年
2010/05/01(土) 08:01:38ID:pryJ2rMZ>反論し、それに逆上した信長は立ち上がり、怒りを込め、一度か二度、
>明智を足蹴にしたという
これが本当だったら密室の密談なのにセキュリティ低いよなw
0659人間七七四年
2010/05/01(土) 17:33:57ID:2r2L4yis宣教師なりの主観も入ってるし、噂話の類も多いし。
まあ、これは日本の公家の日記とか寺社の記録なんかも同じだけど
0660人間七七四年
2010/05/23(日) 10:20:03ID:DrjsR2aW0661人間七七四年
2010/05/25(火) 17:13:38ID:NBZWuVgDほんとの子孫かどうかはわからんです。
しかし元ビジネスマンらしく史料をデーターとしてよく読み込んでいる。
とくにYASUKEとフロイスの記述との関連。
信長の蹴飛ばしも「余は余の死を自ら招いたな」も
生き残った近習のYASUKEの情報だという。
そこは筋が通っている。
しかし信長による光秀家康暗殺指示説は無理。
なんで暗殺予定現場に茶道具一式取揃え嬉々として乗り込んだのか?
よっぽど信長が耄碌して危険意識が欠如していたなら別だが。
0662人間七七四年
2010/05/26(水) 14:44:14ID:RfsLSF2W光秀が常識派というのと、
人間の質が信長と対局というのはどうして?
何か一次資料から読み解いた見解なのか?
0663人間七七四年
2010/05/26(水) 22:39:50ID:LYpYIyoy足利義昭について織田家に来たけど、早々に臣従してるし。
結構気があってたんじゃないか?
0664人間七七四年
2010/05/27(木) 06:47:43ID:I8M9AokR0665人間七七四年
2010/05/28(金) 12:22:56ID:ysbV+LTt光秀は神・信長の信者だった。
ゆえに本能寺は信長との心中。
0666人間七七四年
2010/05/29(土) 06:42:19ID:lpMRa9Ml恨みを抱く背景など皆無。
いじめとか八上城の人質の件とか全部後世の創作。
0667人間七七四年
2010/05/29(土) 22:40:12ID:sxljX8c5その分大事に酷使されてたよな
0668人間七七四年
2010/05/30(日) 16:15:15ID:uYczhSMPキチガイ司馬の筆にかかると、暴君に身を挺して戒め、それを足蹴にされると
呆然自失となり、それが本能寺への伏線につながったような書き方だからね
歴史小説家ってロクなのしかいないね
0669人間七七四年
2010/05/30(日) 18:54:13ID:U5/ReNtx悔しかったら自分で歴史検討して公にしてみろよバーカwwwっていうことだろう
>>668みたいなのは吼えてるだけの阿呆で世の中の屑と思うだろうな歴史小説家は
ムカつく話だなぁ
0670人間七七四年
2010/06/01(火) 15:14:53ID:hOhqFjwR歴史小説家を批判できるのは結局は歴史小説家しかいない。
司馬のアンチが藤沢周平というぐあいに実作で示すしかない。
佐藤賢一の『女信長』なんて設定は無茶苦茶破天荒だが
いままでの信長がSで光秀がMみたいな歴史常識観をひっくり返した。
歴史小説家にしかできん功績だ。
0671人間七七四年
2010/06/04(金) 12:57:15ID:ThJQ0SUI自分は石ころにように討ち捨てられていたところを信長に拾われて大出世した
その恩に報いるためにこの軍法を定めるのだ
なんて書いてるくらいだからねえ
0672人間七七四年
2010/06/04(金) 14:12:33ID:g+4PSJNP御大将に物申す。
武田ぁ攻めでの御折檻
く川様接待不首尾のお怒り
また、近江坂本、丹波領地を召し上げ、出雲、石見を切り取れとの冷たき御沙汰!
いやまた、丹波で、足の不自由な母を、見殺しにされた仕打ち!
等!
語り尽くせぬ怨み有れども!
0673人間七七四年
2010/06/04(金) 14:18:04ID:Zw1PFi/Z0674人間七七四年
2010/06/05(土) 12:09:22ID:Prj5urZi戒律も守らない坊主なんてニートより質が悪い
光秀が進言したにせよいいことだったと思う
0675人間七七四年
2010/06/05(土) 20:53:19ID:i/3v7OaI0676人間七七四年
2010/06/06(日) 00:33:48ID:j4PRuoFx京の喉元にあるし
0677人間七七四年
2010/06/06(日) 04:40:35ID:s/m3wPmn確か白河上皇の時代から勝手に暴れまくって手に負えなかったみたいだし。
(現代でもヤクザと結びついてるような組織だ。焼き討ちしてもまだくたばらない。)
今でこそ堂塔伽藍は文化財だけど当時は軍事要塞としても使われてたから仕方なかろう。
だいたいあの時代に日本中でどれだけの文化財が焼失したと思ってんのよ。
信玄なんて諏訪の神様(の子孫であり代理人)を殺しちゃってるんだぜ。
ま、そういう時代だったってことでしょ。
0678人間七七四年
2010/06/06(日) 09:29:46ID:1M77aNAN0679人間七七四年
2010/06/07(月) 01:42:47ID:qxi5Why5まあでも信玄は信虎の代から諏訪社信奉を熱心に続けてるし、
その後も諏訪明神旗を押し立てて戦うほど、
強く諏訪社を信仰したのではあるけどね。
大祝家といっても血筋的にはすでに入れ替わりがあったようだし、
守矢家、金刺家とかとの内訌も激しかった時期をひきずってる時代だし
あの頃の諏訪家って、神氏というより武力であの土地を統率する
領主という感じだったんじゃないかな。
0680人間七七四年
2010/06/08(火) 19:00:25ID:7ef3ewd4戦国大名では「天下統一」は無理だったかもしれん。
本能寺直前の織田の領土もカエルが腹一杯にパンク寸前
まで水を飲んだ状態だったんだろう。
0681人間七七四年
2010/06/08(火) 20:13:38ID:X1SQi70Z0682人間七七四年
2010/06/09(水) 14:19:34ID:7UI/4H/z武力統一のみでは何年かかるかな。
どこかで妥協して連立政権にならんと。
外交僧の安国寺の「高転び」は下手すると
どこかで討ち取られるかもという予見だな。
毛利も殺されるとわかれば必死だろう。
案外西の桶狭間があったかもしれんな。
0683人間七七四年
2010/06/09(水) 14:43:58ID:0k/trCEc0684人間七七四年
2010/06/09(水) 17:56:56ID:4xQj/Ivc0685人間七七四年
2010/06/09(水) 20:11:01ID:imBKfDKxあの世で桶狭間と本能寺をぐるぐる廻ってる。
0686人間七七四年
2010/06/15(火) 11:22:47ID:mIEa+YIm1581年3月武田家滅亡を受けて、
@第一次構造改革(譜代→実力派家臣へ)畿内から譜代家臣、林・佐久間を追放、滝川一益を伊勢から上野へ移封。
A第二次構造改革(実力派家臣→織田一族へ)畿内から実力か家臣を追放、織田一門で固める。
B→本能寺で家康一行を暗殺し、三河に光秀を封入する一石二鳥を狙う。
(中国へ行くと見せかけた)光秀軍に本能寺で家康一行を討たせ、その足で徳川の領地で残党狩りをさせ、
駿河・三河・遠江に移封。北条(相模・武蔵)討ちの準備をさせる。
Cしかし、徳川領に移封されると土岐氏が滅亡の憂き目を見ると悟った光秀が、その計画を乗っ取って逆に信長を討ってしまった。
っていう主旨なんだけど、肝心の光秀の動機である、
徳川領(駿河・三河・遠江)に移封されると土岐氏の団結が崩壊し、滅亡してしまうと光秀が思ったのはなぜか?
の根拠が弱い。
本人は解明したと盛んに吹聴してるけど、その詰めの甘さが彼の説が受け入れられていない最大の理由だと思う。
0687人間七七四年
2010/06/15(火) 15:05:49ID:RWTI273S「明智光秀―正統を護った武将」井尻 千男
ttp://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAZ84261/
>>686
@Aは先行研究で指摘されているし妥当な見解だと思うが、BCの土岐一揆崩壊防止って論旨
は意味不明だったね。
明智家臣団の中核を土岐一揆で固めたわけではないし、光秀の所領は近江・丹波・山城であって
美濃に所領を貰ったことも一度もないからね。
評価できるのは実証史学者でも引用することがある「細川家記」のデタラメっぷりを明解に指摘した点
だけかな〜
0688人間七七四年
2010/06/16(水) 14:09:56ID:FMf6KKiC>687 686
両作者ともビジネスマン出身なんだな。
経済学でいう「合成の誤謬」というのがある。
細部の情報分析はかなり正確なのに全体像がまるでおかしな結論になる。
たとえば光秀が細川家の足軽出身とか
彌助とイエズス会との接点とかは参考になる。
しかしあの時点で信長が家康や天皇家に武力を用いたと
主張するのはかなり無理がある。
また井尻説もどうしてむしろ光秀こそ天皇排除の
信長のブレーンではないかと考えないのか?
後の徳川による「天皇封印」のブレーンの一人が
天海であるように天海光秀説もそういうところから出てきたのかもしれんけど。
たしかに信長を合理主義者と崇める近代史観批判はそのとおりだが
逆に光秀を尊王主義者とするのもこれまた同じ近代史観ではないか。
いずれにしろ「天皇vs政治権力」は今の政治にも通ずる日本史の奥深いところだな。
0689人間七七四年
2010/06/16(水) 21:19:41ID:Mspaz0eB出版社のページ見たら、
>信長は天皇制を蔑ろにし、自らが『王』となろうとしていた。
>一方で光秀は教養にあふれ、和歌を詠み、茶の湯をたしなむ
>趣味人の顔を持った武将だった。
>そして「天皇親政」を懐に抱いていた光秀は、
>神仏をも恐れぬ信長のふるまいに国体の危機を感じ、決起にいたったのである。
という内容説明が書いてあったので一気に萎えた。
すでに何人もが語ってきた話じゃないのか、それは?
0690人間七七四年
2010/06/20(日) 17:58:22ID:lP3jfRbe歌は敦盛、茶の湯だって茶器コレクションしてたし
まるで野生人みたいな扱いだな
0691人間七七四年
2010/06/21(月) 02:29:13ID:Zfo/XzzF残念ながら幸若舞は当時の能楽系芸能の主流派から見たら、立ち居地は下。
0692人間七七四年
2010/06/22(火) 07:15:23ID:i5eoFFpD敦盛好きなんです。とか言ったら笑われちゃうわけか。
0693人間七七四年
2010/06/23(水) 17:28:23ID:aqUNiyqM飯は厚盛り。
そこな調理人。
薄づくりの汁なぞ出したら即刻首が跳ぶわ。
0694人間七七四年
2010/06/23(水) 20:13:34ID:EJ7pVILE0695人間七七四年
2010/06/23(水) 22:38:44ID:/S4wckAGいや、子孫とかいうんじゃなくて
例えば江戸川乱歩が光秀ファンだったとか。
0696人間七七四年
2010/06/23(水) 23:39:33ID:gJBk02qzだってそれ以前には明智といえば、光秀しか連想できる人がおらんでしょ
元々少ない苗字ですし
好き勝手に苗字を名乗れた時代でも、明智ってのは裏切りの代名詞みたいな感じですから
敬遠されたようです
0697人間七七四年
2010/06/24(木) 17:18:27ID:oG9JXK6wそれ自体に根拠がない。
また本当に勤皇家だったとしても、重臣たちはどうなんだ。
重臣たちまで勤皇家でなければ、「信長殺し」には同意すまい。
これが忠臣蔵の浅野内匠頭なら、1人でやったのだから
浅野個人の感情で吉良を斬ったといえるだろう。
だが本能寺の変は、重臣たちまで一緒になって信長殺しに
走っているのだから、光秀1人の感情などで事件が起きるはずがない。
怨恨説にせよ、「○○のために〜」という黒幕説にせよ、
この辺をクリアできないから説得力がないんだよ。
0698月孔雀
2010/06/28(月) 22:34:03ID:eOA4M0pW美濃攻略にも一枚かんでいるだろう。そこから、信長の飛躍は、始まった。
本能寺の変の真相が良く解らない。
毛利は、安芸、周防、長門に、領地を減らすことで、「和睦」を
秀吉が勝ち取っていたような。
だから、石見銀山のある、大事な出雲、石見に、国替えに光秀はなった。
これは、当時の世界情勢から考えると、すごい大事な職である。
中央から離れるのが、そんなに嫌だったのか・・・
それまでの腹心では、なくなる訳だから?
まあ、信長が考えたと思われる、
日本全土、直轄地みたいなことは、無理だったんかなー。
天皇もいなくなりそうだし・・・それでも良かったんかな・・・
0699人間七七四年
2010/06/28(月) 22:40:35ID:/17Rz++bとかいうのもあり得なくもない
おっと、信忠殺す必要ないじゃん
0700人間七七四年
2010/06/29(火) 06:50:39ID:HO1kw+T60701人間七七四年
2010/06/29(火) 07:27:53ID:nzXSve9k0702人間七七四年
2010/06/29(火) 22:19:07ID:tX7QbRlVだから国替えの話は近世の俗書にしかない話。
信用できない。
まず高柳光壽著「明智光秀」(吉川弘文館人物叢書)でも読め。
0703人間七七四年
2010/07/08(木) 10:08:01ID:pU+gwK/j織田信成が織田信長の子孫って本当?【3代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1277120346/
0704人間七七四年
2010/07/09(金) 08:21:27ID:M57Wu8qC「本能寺の変の謎」 米田一雄
ttp://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-08885-3.jsp
0705腐歴七七四年
2010/07/16(金) 23:57:25ID:3magSUkrそこで今日は見分け方の一部を紹介します。
ツンデレなのが三成、ツンだけでデレ期が無いのが1の光秀
関ヶ原で敗れたのが三成、関ヶ原まで隠れてたのが光秀
僧侶から武士になったのが三成、武士から僧侶になったのが光秀
綺麗な顔してやるのが三成、綺麗な顔した男と寝るのが光秀
知略の人なのが三成、被虐の人なのが光秀
主家の存続に必死なのが三成、主家が滅びてもビッチなのが光秀
地面に仕掛けた爆弾を爆発させるのが三成、傷心度が高まると爆弾を爆発させるのが光秀
胸に志を抱くのが三成、信長の胸に抱かれるのが光秀
家康の台頭に頭を痛めているのが三成、家康の大砲に腰を痛めているのが光秀
意地でシリアスに決めるのが似合う三成、自慰で尻穴をいじるのが似合う光秀
不義を許すまじと蜂起するのが三成、不義と知りつつも浮気するのが光秀
佐和山に城があるのが三成、さわやかに尻を出すのが光秀
三成は無駄に喋るのを好まないが、光秀は魔羅をしゃぶるのを好む
娘を人質に取ろうとするのが三成、娘と一緒に人質に取られるのが光秀
扇子が武器なのが三成、メンズが好きなのが光秀
己の正義を掲げるのが三成、己の性技を捧げるのが光秀
0706腐歴七七四年
2010/07/16(金) 23:58:14ID:3magSUkr三成は曹丕と仲良しだが、光秀は僧衣でも中出しが好き
友であっても負けられないのが三成、友のを咥えるのをやめられないのが光秀
誰にでも素っ気ないのが三成、女にだけ素っ気ないのが光秀
信じた道のため清正に戦いを挑むのが三成、信長のため濃姫に戦いを挑まれるのが光秀
囚われても柿を食わないのが三成、囚われて縄が食い込むのが光秀
秀頼の上意で戦うのが三成、元親と騎乗位でまぐわうのが光秀
毒舌で誤解されるのが三成、舌で五回するのが光秀
死の直前まで家康の命を狙うのが三成、痔の直前まで家康のデカチンをねだるのが光秀
味方を得るため諸侯の説得に走るのが三成、味方を得るため諸侯とセックスに走るのが光秀
東軍前線を背後から突く作戦を急ぐのが三成、前立腺を背後から突かれてイくのが光秀
秀吉の子飼いなのは三成、信長の子が欲しいのは光秀
残念な最期を迎えたのが三成、ザーメンを最奥で迎えたのが光秀
武士の矜持を守ったのが三成、後ろのバージンを守らなかったのが光秀
三成の衣装は軽装だが、光秀の依存は重症
大一大万大吉が三成、随一男根大好きが光秀
無双の三成×光秀ってイケメン同士で壮絶に逆年の差なのがむしろ萌えるんだけど異端…?
0707人間七七四年
2010/07/17(土) 01:37:12ID:zCQd7kJQ0708人間七七四年
2010/07/18(日) 10:18:32ID:7EEakSZ9ネタっぽいが一応反論しておく。
光秀=天海はありえない。
理由は「ギネスの壁」。
史料として信憑性の高い「当代記」には光秀67歳とある。
これでは光秀は120年以上生きたことになってしまう。
0709人間七七四年
2010/07/18(日) 12:58:47ID:bks0mI3x実際はどこの誰かもわからないような人物なので信長より若くても全然不思議ではない
0710人間七七四年
2010/07/19(月) 12:14:24ID:W0yYztNW0711人間七七四年
2010/07/19(月) 22:16:07ID:Apjofuz5もっとアテにはならないが明智軍記だって55歳、細川家の記録や
系図類でも57歳のいずれか。
信長より年下という史料は一つもないから、年上だったことは
ほぼ間違いなかろう。
以前信長は自分より年上を重用しないなんて書きこみを見たことが
あるが、柴田勝家なんかはどう見ても信長より年上だし。
0712人間七七四年
2010/07/19(月) 22:55:44ID:eZYL6JxZお前もう終わってるよ
0713人間七七四年
2010/07/20(火) 00:14:45ID:F04eEAeU0714人間七七四年
2010/07/20(火) 00:41:37ID:RE/TGWyXそれを何か一つに統一しようとする方が無理がある。
その無理を承知で虚構を盛り上げていくのがいわゆる勝者の歴史であり、それは改めていうまでもなく、勝者の都合の良いように出来ている。
0715人間七七四年
2010/07/20(火) 01:03:16ID:puZz36hrこんな大事件なのに
むしろ日常の生活の中で起きた軋轢とか
もっと人間臭い動機があるような
例えば
中央では信長の夜伽相手の番長格だった光秀が
加齢と共にだんだん飽きられて信長と疎遠になり
若い蘭丸ばかりに目が向く信長に嫉妬
蘭丸が横に控えている信長から
「もうお前は用無し、中国でも行って来い」
「殿のお相手はこの蘭丸にお任せあれ」
くらい言われたんじゃないかな
絶望が憎しみに変わり
やがて6月2日早朝にて・・・・・
0716人間七七四年
2010/07/20(火) 10:01:06ID:u9nXhvRY本能寺の時点では乱丸はもう信長公のお相手役じゃない。
坊丸や力丸に御寵愛が移っていた。
いい歳こいて乱丸がなぜ前髪だったかも謎。
光秀もいつ光慶にお呼びがかかるか気が気でなかったかもしれん。
「本能寺裏門の変」より
0717人間七七四年
2010/07/20(火) 20:34:00ID:F04eEAeU0718人間七七四年
2010/07/20(火) 22:00:40ID:4YynIo7jいずれにしろ裏門はきちんと警備せんとな。
越後の御館の乱とか高坂弾正との一件とか。
戦国の嗜みにそれなりの敬意を払うのは当然だ。
「本能寺の変」がそれらとは全く無関係と誰が言い切れるだろうか?
0719人間七七四年
2010/07/20(火) 22:14:42ID:F04eEAeU0720人間七七四年
2010/07/21(水) 00:28:53ID:G0+cDjXG0721人間七七四年
2010/07/25(日) 12:07:53ID:+1rRirXf0722人間七七四年
2010/07/25(日) 14:31:53ID:2Qp3Xw+o0723人間七七四年
2010/07/25(日) 17:44:53ID:ICn02cwS0724人間七七四年
2010/08/20(金) 10:22:55ID:sE07/ShI0725人間七七四年
2010/09/01(水) 02:33:05ID:iMP96ckm↑それは内緒。
0726人間七七四年
2010/09/03(金) 20:19:41ID:hHwgu0drhttp://img.7netshopping.jp/bks/images/b7/1200088867.jpg
http://img.7netshopping.jp/bks/images/b5/07199055.JPG
0728人間七七四年
2010/09/04(土) 00:14:05ID:5IzXXR1x0729人間七七四年
2010/09/04(土) 05:01:03ID:59DgmgF0光秀を指すのではないかってのくらいかな
0731人間七七四年
2010/09/07(火) 09:27:42ID:ybjkabCN0732人間七七四年
2010/09/08(水) 09:39:14ID:QgD2TnaXそれも足軽であったと。
0733人間七七四年
2010/09/10(金) 13:11:19ID:MfDW04hy0734人間七七四年
2010/09/11(土) 20:57:56ID:FHBU9M2U戦国じゃ公家と乞食はさほど変わらん世
0735人間七七四年
2010/09/12(日) 00:02:12ID:vSHv4xHJまして公家となるとなおさら
0736人間七七四年
2010/09/12(日) 15:12:13ID:YnZXy6Sottp://www.poplar.co.jp/dbps_data/_material_/poplar/search/shinkan_dayori1009/978-4-591-12049-1_o.jpg
0737人間七七四年
2010/09/12(日) 22:33:17ID:zxaBQ/FG0738人間七七四年
2010/09/12(日) 22:37:56ID:vSHv4xHJ信長に仕える前はただの足軽だったんだからな
0739人間七七四年
2010/09/12(日) 23:10:15ID:zxaBQ/FG百姓想いで愛妻家で忠義者な光秀
逆に信長が凄く悪者になってたり・・・
そういうのも嫌いじゃないんだけどね
0740人間七七四年
2010/09/12(日) 23:18:33ID:9xOUmoYY織田家仕官後は朝廷復興に尽くす
朝廷幕府をないがしろにした魔王信長に
光秀公の尽くしんぼフォルダが火を噴くぜ
って展開かな?
0741人間七七四年
2010/09/12(日) 23:32:17ID:i4ORg5Pp0742人間七七四年
2010/09/12(日) 23:35:59ID:fSrXPlmR0743人間七七四年
2010/09/25(土) 19:45:42ID:HYeyqePB0744人間七七四年
2010/09/29(水) 14:43:56ID:1LSTzDs7ケチはこの家康にまかせなさい。
0745人間七七四年
2010/09/29(水) 15:58:34ID:/O+PSkda0746人間七七四年
2010/10/01(金) 14:48:15ID:+5wXm8D4今年は中止だと!!!!!!
わざわざ休み入れた俺の気持ちどうしてくれる!!!!!!!!!
0747人間七七四年
2010/10/03(日) 18:08:30ID:EycAvyDHttp://ecx.images-amazon.com/images/I/51Iu-YoxsqL.jpg
0748人間七七四年
2010/10/03(日) 18:10:54ID:EycAvyDHttp://img.7netshopping.jp/bks/images/b7/1200088867.jpg
ttp://img.7netshopping.jp/bks/images/b5/07199055.JPG
ttp://ecx.images-amazon.com/images/I/51Iu-YoxsqL.jpg
0749人間七七四年
2010/10/03(日) 21:32:51ID:ensfXEPi>朝廷幕府をないがしろに
朝廷はともかく、幕府つまり義昭が追放されてから
本能寺の変まで10年も経ってるんだが?
この間光秀は何をしていたの?
0750人間七七四年
2010/10/05(火) 21:43:32ID:pwQe3UYk0751人間七七四年
2010/10/06(水) 04:05:01ID:6ywXiZT70752人間七七四年
2010/10/08(金) 19:38:42ID:26sW03UD「本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意」藤本正行
ttp://www.yosensha.co.jp/book/b69966.html
0753人間七七四年
2010/10/08(金) 23:38:55ID:pj1ZBv+qあくまで光秀が主導しての謀叛として論じて、藤田氏の将軍黒幕説とか
子孫?の明智氏の家康同盟説やらに反論してる
斎藤利三の三男の利宗の遺談の筆記とかいう怪しげなのを持ち出してたのが面白かった
0754人間七七四年
2010/10/09(土) 10:59:48ID:rn5B3dUN是非には及ばずの解釈をあれほど展開する意味あるのか?
遺談の筆記はかなりうさん臭くてワロタ。
あんな与太史料を用いる藤本には藤田・桐野を批判する資格はないよ。
0755人間七七四年
2010/10/09(土) 13:56:18ID:xN9sNYs8触れず、いまだに義昭黒幕説なんか言ってる藤田なんか
電波で、批判されてしかるべきと思うけどね。
谷口や桐野は「単独説」で一致するんだから、批判するにしても
もう少し言い方があるとは思うが。
谷口の光秀67歳説にしても、紹介はしてるが自らは賛成か反対か
書いてないのもどうかと思う。
0756人間七七四年
2010/10/09(土) 16:52:03ID:1yrSCPzu「是非に及ばず」のところは勉強になったけどなぁ。
遺談は…原本探して欲しかった。本当に存在したのか分からないような史料は困る。
0757人間七七四年
2010/10/12(火) 13:15:55ID:Rw+V5wdq0758人間七七四年
2010/10/12(火) 16:29:21ID:MA9brHJU思わず失笑
0759人間七七四年
2010/11/03(水) 09:10:02ID:iy6eiSkeしかし、あの子孫の家康同盟説、辻褄あわせとしては素晴らしくないか。
いろいろ感心するところは多かったな。
推測で史料がない、というよりも、論理的におかしい点なんかはどういうのが見つかってるのかな。
それと黒人奴隷が脱出南蛮寺に入った、というイエズス会の話はあまり聞かないけど本当なの?
だとしたらフロイスあたりがやたら詳しいのも理解はできるんだよな。
最後は天海とか春日の局までうまくつなげるところは笑ってしまうぐらいだった。
0760人間七七四年
2010/11/03(水) 09:31:34ID:5GH12Uka子孫の本は家康同盟説の叙述以外は論理的で結構マトモ。
>黒人奴隷が脱出南蛮寺に入った
本能寺のすぐ近所にパードレ・カリオンがいた南蛮寺があって、黒人ヤスケがここに避難した可能性は大だな。
ただヤスケ自体の記録が残ってないから真実とは断定できん。
子孫の本もそう書いていた気がする。
0761人間七七四年
2010/11/03(水) 14:58:11ID:iy6eiSkeほ〜。
家康談合説というのも、どこでいつ、とかそういう点にもふれているし、つじつまはあってるようにも感じる。
問題は、信長が家康をどう思ってたか、というところからはじまって、そんなことはありえない、のなら簡単なんだけど
それまでの戦で家康が強力なのを実感した信長が、どう考えていたか、は少し検討する必要があるかもしれないような。
実際に家康が信長に謀反なんてのはまずありえないとは思うけどね。
あくまで信長のほうから見て、という点で。
0762人間七七四年
2010/11/03(水) 15:42:31ID:5GH12Uka家康討ちってのは本城さんの覚書などが根拠だと思うが、素朴な疑問として確実に仕留めるならば家康
を京都に足止めした方が確実だし、さらに言えば数百の軍勢で家康の宿所を強襲した方がいいと思う。
また、信長はかつて丹波の波多野親子や越中の寺崎・石黒親子を召喚して謀反の罪で殺して(切腹含む)
いる前例があるが、これらのケースでは大軍率いて強襲なんてスキームは採っていない。
加えて、氏は「本城さんらにも家康討ちの噂が伝わっていたかも知れない」(131p)と書いているが、織田家
首脳ではなく本城のような末端の兵まで噂が広まっているならばそれはもはや「陰謀」ですらないし、フロイ
ス日本史を根拠にした「信長と光秀の密談」という氏の主張と矛盾している。
つまるところ氏の説は結論ありきでこじつけた妄想というしかないね。
家康と信長の関係は書札礼の文言から家来同然の同盟関係にあったといえるが、それ以上に信長が家康
をどう思っていたかはわからないな。
0763人間七七四年
2010/11/04(木) 09:47:24ID:n7W2Bhkvなるほど、ありがとう。
部分的にはそうなのだけど、それであの本を全否定できるか、というともう少し検討が必要かもしれないかな。
要は、信長からみた家康、が大事で、暗殺の手段というのはまた枝葉の話かもしれないからね。
ところで、本城さん史料は本物確定なの?
フロイスの内容と妙に似通ってるところが不思議なんだけど、あれの信憑性が確実にならないとまた話が違うかな、ってね。
光秀の兵が、今度は家康、なんて思ってたのは、信康の話とかで単に両者が不仲かも、という噂話ぐらいかもしれないし、戦の前には「次の相手は誰だろう」ぐらいは当然考えるから、せいぜいその程度で
両者の密談とはまた別個に考えたかもいいかも、とかね。
唐突に「家康が相手」とか、他の史料や関連であの時期にそういうことを匂わせるようなものはあまり無い感じだし、そのあたり本城さん史料の特異性というか
100%の同時代史料なのか、これの確認がしてみたいというかね。
信長と家康の関係も、家来同然というのが、相互の信頼は強い、のかもしれないし、特にマイナスであったとも判断しにくい。
信長が家康を討とうとする、ということ自体に疑問を感じるんだが、全体の当時の状況や細かい点、富士遊覧から12年ぶりの家康上京、信長入京、無防備の理由、とか
信長ってのは回りからみて唐突、意表、みたいなことは多いから、家康をどう思っていたか、にやはり話が戻って検討してみるのかも面白いかも、ってね。
日向守光秀、に日光と入ってるなんてのは意外と聞いたことがなかった。うまい発見だなー。
0764人間七七四年
2010/11/04(木) 17:17:08ID:Y6U6W/na藤本正行著「本能寺の変」(洋泉社)って本で言われてるけど、
光秀と家康が2人だけで密談するなんて普通ない。
それぞれ重臣や小姓を連れて会うのが通常だから。
もしそれで話せば、秘密が際限なく広がるだろう。
信康の件は、一般に言われてるような信長の命令ではなく、
家康から相談された信長が、「家康の思うとおりにせよ」と
言っただけという説もある。
これは「当代記」という相当信頼性の高い史料によったもの。
0765人間七七四年
2010/11/04(木) 18:17:18ID:yBgPJcLV「信長公記」によると、安土で家康を接待した際に信長自ら家康の配膳をしたと書いてある。
信長が家康をどう思ったかは明らかでしょ。
>光秀の兵が、今度は家康、なんて思ってたのは、
変当時在京中の要人は信長親子と家康しかいないが(実際は家康は堺)、まさか主君信長を討つってのは
考えられん選択肢でしょ。
単に消去法で「今度は家康」って思っただけだと思う。
まったく関係ない話だが2.26事件の反乱軍の兵隊だった柳家小さん師匠は、反乱後しばらくは自分たちが
まさか反乱軍だとは気付かなかったそうな。
侍大将クラス以下の兵の心理もそんなもんじゃね?
0766人間七七四年
2010/11/04(木) 21:03:21ID:9DMwFjeL子孫の人の書いた本で一番印象に残ったのが近習のヤスケの存在。
ヤスケこそ信長の光秀「蹴倒し」現場の目撃者。
本能寺の変の最大の目撃者じゃね?
しかし悲しいかな二人の間の諍いがまるでわからない。
(もっとも日本語を解さないから信長もヤスケを側においたんだが)
歴史家らがまるで無視していたこのときの会話こそ本能寺の変の真相だと思うよ。
0767人間七七四年
2010/11/04(木) 21:24:43ID:OcNqeEaKhttp://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai
0768人間七七四年
2010/11/05(金) 08:57:25ID:fsB23AnHまだ藤本本読んでないのだけど、反論がそれだけというのはちと弱いきがする。
滅多に無いお祝いの席だから、普通でない、ことがあってもおかしくはない。
重要なのは、信長光秀、光秀家康、が直近で実際に会っていた、という事実ではないのかな。
この記録がないと「証拠をだせ」ですんでしまうけど、実際に機会があってその詳細まで伝わっている、というのは相当に重大なことだと感じる。
光秀としては命がけの問題だし、なんとか「密談の機会を作った」というのはあるかもしれない。
もちろん推測でしかないのだけどね。
>>765
そうそう、そこまでは信長ー家康の関係はものすごく良好だし暗殺なんてありえないとは思うのだけど、あの信長だから「豹変」というのはあるかもね、とそこを再検討してみたいということで。
信長ー家康不仲の可能性が合ったとしても、そこを拡大解釈して子孫説を正しいとは結び付けたくは無いけど、子孫説否定の根拠としての良好説がゆらぐ、というのはこれでまた大事じゃないかなって。
0769人間七七四年
2010/11/05(金) 08:59:54ID:fsB23AnHそそ、イエズス会のヤスケの話はあまり聞かないけど本当なの?
これはかなりの重大事件だとは思うけど。
それとヤスケは少し日本語がわかった、と記録にはあるよ。
0770人間七七四年
2010/11/05(金) 17:18:37ID:RxuBwHjg憲三郎氏の本は話を難しくしてないか?
細川家やヤスケのことなどは説得力があるんだが。
軍事的に見れば三河武士団のしぶとさと強さは
その昔一向宗門徒として家康にまで逆らったように「宗教」性にある。
織田家とはそこが違う。
あらためて信長は三河滞在中、三河武士団の結束力と忠誠力を実感したのではないか。
だからたとえ家康以下を討ち取っても第二の「石山本願寺」が出現するだけ。
つまり信頼関係以前の軍事的計算力が信長になければおかしい。
早い話が息子か孫を強引に跡取養子として送り込めばいいだけ。
そのための徳姫だったはずだが。
そこはあてがはずれたというのが信長の思いだったんじゃないのか。
憲三郎氏は話を込み入らせている。
本能寺の変の真相はもっと単純。
信長の光秀の「蹴倒し」。
そこにすべてがある。
0771人間七七四年
2010/11/05(金) 18:15:16ID:J0nNMZxL何故今になって取り上げられてるんだ?
藤本の本で触れられたからか?
昨年はあまり取り上げられなかったと思うけど。
0772奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2010/11/05(金) 22:20:41ID:OPF7Mo740773人間七七四年
2010/11/06(土) 10:32:23ID:PjEv63eO最初はマルチみたいなのが多くて敬遠されてたような。
ほんで、おそるおそるその内容をやっと語れるようになったかも。
12月に藤田も変わった感じの新刊出すってね。
0774人間七七四年
2010/11/07(日) 20:15:09ID:WytnDLHM大事なのはヤスケが「蹴り倒し」の目撃者だったということ。
そのことで十分。
信長と光秀の間に変直前にかなりの緊張関係があったことそれが大事。
名前は忘れたがある研究者によれば「四国問題」はもう決定済みでいまさら
光秀も蒸し返すようなことはしなかったろうという。
というより軍事的な機微に触れるようなことではない。
それはその後の信長の行動に示される。
もし光秀が何らかの軍事的作戦に異を唱えたら
信長は当然光秀の行動を監視し警戒を怠らなかったはずだ。
いくら信長が戦場から遠ざかり政治的になってきたとはいえだ。
軍人・武将感覚はそこまで落ちてはいないはず。
そこに「信長の油断」はない。
ましてや朝廷を脅すとか害するとかまたは家康暗殺とかの
密談ならいくら日本語を知らないヤスケといえども遠ざけるはず。
残るのは「斉藤利三問題」だけ。
0775人間七七四年
2010/11/08(月) 00:40:32ID:J2Fd1oEh密談の時はさすがにヤスケでも遠ざけたのだろうけど、足蹴、とかドタバタしたぐらいのことがわかるぐらいのとこにはいたのかな。
四国問題、だけど、決定済み、とまではいかないんじゃないかな。ちょっと結果論のような。
光秀としては懸案事項で、信長や回りから見ると決定事項でも、光秀から見ると最後の最後まで少しでも変更にならないか、という思いがあったというのは普通でしょう。
それか細かい点で光秀にとっては不満な点があったのかもしれないし。
あの信長に口答えしただけでもすごいことだし、信長からの重大な密約の要請があったからその見返りとしてつい、四国政策の見直しを、と言ってしまったのかもしれない。
どっちも重大事件だしね、光秀からすると。
で、利光問題、ってなにか教えてくださいまし。
0776人間七七四年
2010/11/08(月) 11:34:06ID:fHiNvJGm>信長に口答えしただけでもすごいこと
佐久間信盛の折檻状を読んだことがあるか?
何年も前の朝倉攻めのとき、信盛が
「そうおっしゃっても、我らほどの家臣はなかなか持てないものです」
と口答えしたことが追放の1つの理由にあげられている。
もう少し勉強しな。
0777人間七七四年
2010/11/08(月) 18:53:39ID:trjjZSiP信長「利三は稲葉一鉄の家臣だったそうじゃないか。もうそろそろ返してやれよ」
光秀「いやしかし」
信長「イラッ」
こんな感じ。
0778人間七七四年
2010/11/08(月) 22:59:48ID:6RX9usWZもっと深刻だったんじゃねえの?
切腹寸前までいったんだと。
それをどうにか信長側近の猪子兵助の取りなしでようやく助かったとか。
それも本能寺の三日前。(猪子兵助は本能寺で死亡)
それに斉藤利三はただの謀反人の家臣じゃない。
来年の大河ドラマお江のライバルお福(春日局)の父親。
そういえばドラマでお江は光秀に「あなたはなぜ伯父を殺したのですか?」と聞くそうだ。
やれやれ。
今から予約しておくこと。(笑)
そういえば大原麗子の『春日局』では光秀が五木ひろしで利三が江守徹の豪華メンバーだったな。
しかし磔になってる利三のシーンはあってもなぜ信長に背いたかまでは触れられなかった。
そこが肝心なのに。
偶然のなかで神(君)の意志がどこまで働いていたのかどうか?
0779人間七七四年
2010/11/08(月) 23:51:35ID:OTE89revだから、追放される、というのはすごいことでしょう。
別に、信長に口答えする、というのがすごくない、というのならともかく、同じことを言ってるだけだと思うけど。
>>777
ふむ。変直前にはちとうまく行ってなかった、という根拠にはなってるわいな。
利三というと、謀反随一也、がよく取り上げられるけど、あれは黒幕説に結び付けられるものじゃなくて、利三の働きを褒めたもの、ぐらいでいいのかな。
そういえば藤田の「証言〜」は子孫本と似た部分がいくつか感じられるけど、影響はうけてるのかな。桐野はともかく、堀新とは仲悪そうだな〜。
お江はいつ光秀に聞くの?ノベライズにそういうシーンでもあるのかな。
0780人間七七四年
2010/11/09(火) 06:01:08ID:QeTBe+tL0781人間七七四年
2010/11/11(木) 02:37:40ID:DUE0glwh「馬揃えの儀」=<信長は光秀軍の京での閲兵を予定していた>
この単純な仮説ひとつで本能寺の変のすべての謎が解ける!
光秀「野望説」「ノイローゼ説」「復讐説」その他すべての「黒幕説」。
答えはただひとつ。
黒幕にして即実行者「斉藤利三暴走説」あるいは「独走説」。
利三の信長への大いなる「殺意」。
長宗我部家とは光秀以上に縁が深い。
当日は四国遠征軍の渡海の日でもあった。
無論なんといっても上記の「切腹騒ぎ」がある。
信長のことだまたいつ振り返すかわからない。
だからといって光秀が利三をかばってくれるのも
あの安土での「信長の蹴り倒され」が限界。
そういうことで悶々としていたある日信長の使いがきた。
「今回の馬揃えは中止」
今光秀は愛宕神社参詣で留守である。
「よしこれだ!」
利三は馬揃え中止の使いを握りつぶす、ただそれだけでよかった。
これが光春かその他の重臣ならすんなりと伝えられたはず。
なんのことはない。
「本能寺の変」は偶然の上に偶然が重なっただけである。
かくて利三は戻ってきた光秀に「かねての手はずどおり京にて馬揃えとのこと」
そう報告すればいい。
かくして光秀軍の先頭を行く利三の姿。
本能寺では十人程度の完全武装の部下でいい。
相手は素っ裸同然である。
十数分の戦闘ですべてが決着した。
(以下次号)
0782人間七七四年
2010/11/11(木) 03:18:03ID:Jl/+qLeH家康もメチャクチャアヤシイ
信忠の堺同行を断って京都に残留させたがために
結局織田が潰れたわけだし、伊賀越えも事前準備説の説得力がある
0783人間七七四年
2010/11/11(木) 18:59:06ID:SfrKXaQMおん大将に物申す!
武田ぁ攻めでのご折檻!
くがわ様接待不首尾のお怒り!
0784人間七七四年
2010/11/12(金) 15:34:26ID:dXy0TlWz坂本竜馬の暗殺の謎とくらべると本能寺のほうが気楽だな。
竜馬暗殺は時代が近いこともあり類書を読むほど気が重くなる。
その点信長は安心だ。(笑)
竜馬と信長は「革命家」とするなら日本史はその革命家を生かさない。
その謎も興味はあるがあくまで暗殺のみに限ると全く違うことがある。
片方は死体が残り片方は死体がない。
「本能寺の変」の諸家の本を読むと通説としての「信長公記」がベースだが
異説として死体は阿弥陀寺の僧が引き取ったとある。
この辺のところは小説にもテレビ化もされてる(たとえば『信長の棺』)。
英雄の最期らしくかっこよく炎に消える。(できすぎ?)
最近の研究によれば「桶狭間の戦い」での『信長公記』の記述の正確さはが改めて見なおされた。
確かに『信長公記』は第一級の史料であることは変らない。
しかし最後の最後「本能寺の変」は太田牛一の創作。
それもかなり意図的。
そう「斉藤利三信長暗殺説」者としては思う、この頃の日和。
(以下次項)
0785人間七七四年
2010/11/12(金) 17:28:41ID:egcPmLYH>あの信長だから「豹変」というのはあるかもね
子孫さんの本には引用されていなかったが「老人雑話」に興味深い記述がある。
『信長は長谷川秀一に「家康を堺見物に案内せよ」と命令した。実は隙をみて家康を害する謀だった。
家康は運が強く、本能寺の変によって岡崎に逃げ帰ることができた。明智の謀反が無ければ家康の
命は危なかった。』
著者の江村専斎は下京の町衆で本能寺の変当時は18歳であった。
専斎にとって本能寺の変は強烈な体験だったようで、本能寺の変に関してはいくつかの逸話が紹介さ
れている。
同書は覚書で1次史料とはいえないが、こういった噂が流れていたであろうことは想像できるな。
もっとも、子孫さんの本は「家康と信長の関係」と「家康と光秀の密約・信長と光秀の陰謀」の両者をご
ちゃまぜにしている点で破たんしているが。
0786人間七七四年
2010/11/14(日) 03:04:43ID:oivq+DGY0787人間七七四年
2010/11/14(日) 08:51:23ID:A9PvCZdc0788人間七七四年
2010/11/15(月) 08:51:16ID:a6LwApCM0789人間七七四年
2010/11/15(月) 14:19:57ID:M4xEzsBW3行にまとめてということだが、早い話が「馬揃え中止命令の未達」と「斉藤利三暴発説」との連係。
それこそ御子孫氏が泣いて喜ぶ光秀完全無罪説。
もっとも問題はその後の光秀の行動。
長くなるから書かないが山崎の戦いまでの光秀が「腑抜け」状態だったことの理由にもなる。
竜馬暗殺が歴史の必然なら本能寺の変は偶然の所産と云えよう。
0790人間七七四年
2010/11/16(火) 16:54:17ID:T+qm7vQ0そして!
帝を自らの膝下とする所業!
赦しがたし!
天と神々に代わり!この惟任日向守光秀が………
0791人間七七四年
2010/11/16(火) 17:02:31ID:7L6Susgn0793人間七七四年
2010/11/17(水) 00:59:33ID:dYceaNm80794人間七七四年
2010/11/19(金) 16:15:12ID:wcBG2n0b子孫本だけど、藤本の反論で「機密漏洩をどう防いだか」というのがあるけど、大化の改新でもカキツの乱でも鎌倉でも、当事者が現場までノコノコ来て暗殺されてるでしょう。
ごく一部のものだけで共有してれば、ふいんきを察知出来なかったり極秘にしておくのは十分にありえるのじゃないかな。
細かいけど、当日の朝家康が京に向かった、というのは、まさにその時に変が起きていた、というのを知っていたのかな。
藤本がよく言うけど、信長が無防備だったのも、京に来たのもたまたまなら、実行は出来なかったことになる。
しても、警備が多くて失敗してたら家康の立場も危ないかもしれない。
もし警備が多かったり、家康と信長が合流してたりしたらどうなってたんだろう。
家康は、信長とは別のところに宿をとるだろうから、騒ぎが起きたらすぐ脱出、という感じだったのかな。
しかし、末端の兵なんかはわからないから襲っちゃいそうだし、そうなっても家康は精鋭揃いだから自信はあったのか。
子孫本を否定するには、当日ギリギリのピンポイントのをタイミングをどう解釈していくか、そういう矛盾点をつくのが明解な気がする。
後から解釈だから、いろんな点をうまく説明できてるとは思うのだよね、大返しとか家光母のの問題とか。
0795人間七七四年
2010/11/19(金) 21:05:48ID:h+OKyfzA「本城惣右衛門覚書」からも分かるな。
家康を討つという嘘をつけば、本能寺を攻めることが可能な訳だから。
0796人間七七四年
2010/11/19(金) 21:20:26ID:7t3WIvrm>そういう矛盾点をつくのが明解な気がする。
子孫さんの本で2次史料ながら証明らしきものがあったのは「信長が家康に害意を有していたこと」
たったそれだけ。
その他の論点は史料の裏付けのない氏の想像・妄想を書き散らしただけでしょ。
そもそも氏の論証に1次史料の裏付けが皆無である以上論証が成立すらしていないので、矛盾点を
つくまでもないよ。
0797人間七七四年
2010/11/19(金) 21:31:07ID:igKV3jAL0798人間七七四年
2010/11/19(金) 21:38:14ID:WQxOhVYY0799人間七七四年
2010/11/20(土) 02:44:49ID:n4KXD2rtもちろんそうなんだけど、学会じゃないんだから、そうやって否定しては面白くない。
推測とはいえツジツマがあってる部分が多いから、そういう点の矛盾とか不可能な点とか、そういうのをツッコんでいくのが2ちゃんらしいかと。
だもんで藤本の反論はちょっと弱いというかそれこそ「〜だったろう」でどちらとも取れるような感じ。
ま、藤本、谷口、藤田、が専門家かというとまた違う話になるけどね。
そういえば、三鬼御大が東大の山本をかなり厳しく批判してたよね。あれのその後とか知らない?
研究者としての姿勢をあれだけ厳しくつっこむというのもなかなかのもんだった。
0800人間七七四年
2010/11/20(土) 11:59:52ID:PWZJostQ0801人間七七四年
2010/11/20(土) 20:41:56ID:uq/C9GSn谷口を挙げてるが、先月出た
「織田信長家臣人名事典」第2版を読んでみな。
7500(抜き)と高いが、あれだけの事典書けるのは相当なもんだぞ。
だからといって本能寺論も正しいとはならないが(自分はおおむね賛成)。
0802人間七七四年
2010/11/20(土) 23:56:11ID:i0s4jKqWだが内川や細川程度で信長に仕えると失敗できないわ、一流の実力もないわで
気が気じゃないだろうな、実際に林や丹羽みたいなのが追放されてるし
0803人間七七四年
2010/11/20(土) 23:59:35ID:DCmSzMIW0805人間七七四年
2010/11/21(日) 07:42:37ID:djycgRLi>推測とはいえツジツマがあってる部分が多い
子孫本のどこが辻褄合ってるのか分からんが、仮に子孫がいう通り信長が家康領侵攻を計画していたとする。
そして、子孫のいう富士遊覧も敵領の現地踏査だとするととすると、家康排除後に徳川遺臣との合戦を円滑に
すすめる準備をしていたわけだ。
しかし、これは家忠日記天正10年6月3日条の次の記述と矛盾する。
「家康と同行していた酒井忠次から松平家忠に、家康が帰国次第、西国に出陣する旨が伝えられる。」
要するに徳川軍に戦の支度をしろって命令だな。この記述は変についての記述の前に書いてあるから、「西国」と
は毛利家のことになり、西国出陣の大将は信長だから命令したのは信長になる。
もし子孫の仮説を前提にすると、家康死亡で指揮の低下した遺臣をさくっと攻略したいはずなのに、徳川軍に戦闘
命令を出してわざわざ攻略の手間がかかることをしたという矛盾がある。
子孫本のどこがツジツマ合ってるか具体的に指摘できんなら、この与太本取り上げるのはもう止めにして。
>>803
丹羽氏勝は追放されたで。
0806人間七七四年
2010/11/25(木) 00:33:30ID:YqZTvPlO> >>796
> もちろんそうなんだけど、学会じゃないんだから、そうやって否定しては面白くない。
学会じゃなきゃ何を言っても否定はされないと考えるお前の感覚は完全におかしい。
0807人間七七四年
2010/11/25(木) 21:19:56ID:Z7LtvQ3N0808人間七七四年
2010/11/25(木) 21:29:41ID:Z7LtvQ3Nアク禁でうまく書き込めない。せっかく日記教えてもらったのだけど。
簡単で悪いけど、もし信長が寸前まで情報漏えいを防いだ、とするなら
用意周到という意味で、自分に不利な命令を出すというのもあったんじゃないかな。
家康と重臣さえ暗殺してしまえば残りは簡単、というのもあったろうし。
0809人間七七四年
2010/11/25(木) 21:34:57ID:Z7LtvQ3Nおお、成功。
で、つじつまがあう、というのは春日局重用、というのはどうだろう。
公家さんたちの日記改変、とかも謀反の存分、というのはまさにそういう光秀の裏切りのこととか。
他にも、信長の情報は取っておきながら長男のことを知らなかった、というのはいかにも「織田家殲滅
目的ではなく信長個人が最大のターゲット」というようにも思える。
まぁ、いかにも辻褄あわせだから、後から語ったものが有利なんだけどね。
生暖かく叩いておくれ。
0810人間七七四年
2010/11/25(木) 21:39:58ID:Z7LtvQ3N「読者を軽視しすぎではないか」「立場を勘違いしてないか」みたいにかなりのものだった、と思った。
>>801
いや、みなさん、独自の専門分野のある先達で尊敬しております。
>>800
つい筆がすべったというか、正体がでたというか、ね。
0812人間七七四年
2010/11/25(木) 21:59:23ID:K34eHT6j同感やな。
確かに「柳営婦女伝系」春日局の項目で「斎藤利三の伯父が光秀だ」って書いてあるが、利三の母は蜷川氏・妻は
稲葉氏で光秀と利三の血統上のつながりは確認できない。むしろ利三と濃密な血縁にあったのは長宗我部氏。
家康黒幕説の根拠に「春日局を家光の乳母に登用した」というのが必ず挙げられるが、抜擢すれば黒幕といえるの
であれば明智遺臣の木村吉清を30万石の大大名に抜擢した秀吉も黒幕になるのかね?
0813人間七七四年
2010/11/25(木) 22:24:57ID:Z7LtvQ3N斉藤は家臣にしかすぎないのだけど、重臣、という意味では光秀にかなり近くないだろうか。
利三黒幕とか、そそのかした、とまでは言わないが、光秀側の理由が四国問題としたら、変に
かなりのところで関わっていた、というのはそんなに間違ってないような。
で、秀吉の明智遺臣抜擢、も事後処理の時点では関わっていた、というのでどうだろう。
細川あたりがこっそり可能性をもらしていた、というのも一種の「つじつまあわせ」になるような。
大返しの話まで行くとスレチっぽくなってしまうけど、100%寝耳に水の変、というよりは
秀吉ならではの危機管理能力、で対応できた、そこには「さすが秀吉」ですますのよりも
「万が一の想定はしていた」とするほうが山崎までの一本道でつながりやすい。
もちろんつじつまあわせだから、なんとでもいえる、というのはそうなんだけど、子孫本がどうこうより
全部つなげて考えたほうが「つじつまはあう」と思うこともあるのだよね。
これは「史料根拠がない」から「正しいとはいえない」のだけど、あくまで辻褄、話があうかどうか、論理的な
矛盾点があるかどうか、そういう点でお聞きしているわけでね。
それと、家康黒幕、とは思ってない。あくまで光秀単独裏切り、ってところ。
だから家康から見て「変の直接関係者の親族を重用」ってのは、まだ軽い恩返しぐらいとは思う。
あの時点では260年も続くとはさすがに誰にもわからないわけだし。
0814人間七七四年
2010/11/26(金) 00:35:53ID:XFYuAb64秀吉初出の「永禄六年〜」には前半後半ある、みたいな話はあまり聞かないけど
あのあたりはどうなんだろう、後半は義昭時代のもの、というの。
あの解釈はどうなんだろうかって。
ほんで、逆に考えて、信長ー光秀、光秀ー家康が会った証拠がない、というのならそれこそ
「いつ密談したか」とツッコまれるけど、そういう事実はあるのですよね。
家康もずっと岡崎にいた、のならともかく、12年ぶりだったかで上京した事実はある、とこのあたりは
史料的根拠とは言わないけど、辻褄合わせる上でのそれなりの根拠にはなってるような。
春日局の件でも、謀反人の関係者を将軍が孫の乳母にする、というのは正史?でどういう
解釈かわからないけど、「一種の恩返し」とすればつじつまは合ってるような。
もちろん秀吉の件も。
こういうのは全く疑問に思わずにスルーしてしまうと、それまでなんだけど、
つじつまあわせ、ってのはそういうことで。
たぶん推測するに、専門的な方は史料的に確認できないことは最初から「問題視もしない」
という感じなんだろうだけど、こっちはシロウトだもんで「どうして」と思うと
それなりにつじつまあわせたくなって。
「子孫本のどこがつじつまあっってんの?」という質問はそういうことかと少し考えてみた。
のですよ。
結論だし、確認はしようがないけど、「信長が家康を暗殺計画、それを逆に光秀が信長を討った」とすると
信長があの日無防備でいたのも理解できるような感じで。家康が京に来る当日に起きた、とかギリギリの
タイミングとかも。
ま、ヨタなのはともかく、つじつまがあう、というのはそういう意味で。
0815人間七七四年
2010/11/26(金) 08:54:45ID:e3wUhhHHこの言い回しにはある種のバイアスがかかっててヘドがでるね。
第一に利三は徳川家にとって「謀反人」ではない。
第二に春日局は遺児になったあと公家の三条西家で教養を身につけ、夫の稲葉正成は関ヶ原で小早川家を
東軍につけた功労者。
「春日局の教養と前夫の徳川家への功績を考慮して将軍が孫の乳母にする」
こう言い換えたらどう?
0816人間七七四年
2010/11/26(金) 09:07:34ID:e3wUhhHH蒲生氏郷の伊藤半五郎宛書状、惟任謀反記、翁草を読んでみ。
特に「惟任謀反記」は信長もボロクソに描いている秀吉マンセー本だが、その書物ですら利三の武勇・人格
は称賛されている。だからこそ光秀も訴訟覚悟で稲葉家から引き抜いたんだろうね。
家康が同様のリスペクトをしていても不思議ではないよ。
0817人間七七四年
2010/11/26(金) 18:14:18ID:WJd/mw3H天正10年以前に光秀と家康が仮にどこかで会っていたとして、
その頃から2人が「信長討ち」で談合していたとでも
いいたいの?
そんなことあるわけないだろう。
いつどちらかが心変わりして信長にチクるかわからない。
そうしたら片方のクビが飛ぶんだぞ。
0818人間七七四年
2010/11/27(土) 03:07:07ID:ccN72JZy将軍家の乳母としては問題ないくらいに)、光秀云々は春日局が乳母になった経緯には
まったくもって関係ないと考えていいんじゃないのかな。
高名な武将を輩出した家柄、三条西家で培った教養、夫の功労というあたりで考えたほうがより妥当だと思うな。
0819人間七七四年
2010/11/27(土) 18:52:46ID:3WZcsTC4なので、直前に会ったという記録、の話ですよ。直前だからこそ秘密も守れるわけだし。
>>815
うん、一応以前にも聞いたことはある。
ただ、織徳同盟というのは破棄されたわけでもなく、当事者信長の死によって中断?されただけでしょう。
だから、第一の「徳川にとっての謀反人ではない」というのは、100%言い切れないのではないか、同盟相手の
謀反人、というのも織徳同盟がかなりの長期実績もあった堅固なもの、に近いとするなら
十分に意味のあるものではないか、というのを聞いたことがある。
なので、そんなにバイアスというかヘドが出るほど「結論ありき」ではないとも言えるんじゃないかと。
逆に、「教養と功績があってもそれより、主殺し、という信義にもとる行為の方を重要視して
乳母には選びにくい」という考えもあるのではないか、という風に話が進んでいった記憶がある。
818さんが言われるように、乳母になった経緯、が子孫本で言う「恩返し100%」とも言えないけど、
謀反と100%関係ない、ともまた明確には言い切れないのではないか、という感じね。
妥当、かフィフティ、ぐらいで。
そして、子孫本の一番弱点というか重要というか、信長ー家康の関係。
これは長年の同盟とは密接に関係するから、詳しい人に「信長が家康を暗殺する可能性」
がどんなものか。
家康側の史料で「織田家をどう思ってたか」とかそういったのが気になってたんだ。
もちろん徳川方が「ナガシノやアネガワは徳川主戦」とか信長を軽視してたのはわかるし
だったら、「よく同盟なのに主のように威張ってた信長をやってくれた」とそんなおかしな
「恩返し」の意味はなかったか、とかね。
どっちかというと、信長は家康を「武田をやっつけた」と感謝してるぐらいだと思うし、事実そうやって
接待してるし、「暗殺」したくなるほどの理由があったのか、とそういう方向でまとめてはみたいような。
0820人間七七四年
2010/11/27(土) 19:03:44ID:cjgAdQWk手を打つはず。
織田・徳川同盟堅持なら、信長の孫の秀信を取りつぶしには
しないはず。
こうやって粗がボロボロ出るんだがね。
まずあんたはまともな研究書を読んだほうがいい。
0821人間七七四年
2010/11/27(土) 20:26:30ID:qzLspR3E彼は以前に別の本能寺スレで朝廷黒幕説を主張してた人。
反論を聞く耳持たない人だから彼の中で「つじつまが合ってる」限り何言っても無駄だよ。
以前も>>806みたいな批判があったが馬耳東風だったもん。
0822人間七七四年
2010/11/27(土) 20:36:26ID:3WZcsTC4それもよく聞くけど、ガラシャや秀信ってのは1600あたりのまだ徳川家が政権とる前の
話でしょう、違ったら悪いが。
だからそのあたりはまず自分の一族が大事で、その後、政権がしっかりしてくる、孫まで生まれた
と、そのあたりになってやっとほとぼりがサメたというか、そういう「行為」をする余裕ができた
、みたいなのはどうだろう。
実際に徳川安定期には織田家はそれなりに残ってますよね、過度に大事にはしてないけど
豊臣滅ぼしてカタキはとったぞ、程度の。
あ〜いえばナントカで悪いけど、それなりにメチャクチャな時代考証無視はしてないはず
なんだけどね。
通説はそれなりには納得してるし反論とかじゃなくて、「粗が出た」といわれるような事柄が
全然別なところで話題になってたりして、「へ〜、そんな解釈もありか」とか思ったりしてて。
「つじつまがあう」とは個別の案件というより、そういうつなげてみて面白かったし、一度詳しい人に
聞いてみたいと思っただけなんですよ。
それと、まともな研究書、ってのは三鬼とか橋本、浅尾、池、堀、その他教えてもらって目は通した
ことあるけど、他にどういうのがあるんでしょう。
よかったら教えてほしいですね〜、自分でさがせ、と怒られそうだけど・・
0823人間七七四年
2010/11/27(土) 20:43:57ID:3WZcsTC4違うよ〜〜、立花とかの話でしょう、違いますよ〜、いくらなんでも。
それと、シロウトでちゃんとしたところで聞けないから、頭下げてペコッ、教えてほしいな、って。
何を言っても、とか、時代考証無視、史料のいいとこ取り、とかそんなおおげさなことじゃなくて、
シンプルに、論点整理して聞いているだけです〜・・
別に通説批判や学会批判してるわけじゃないので、生暖かく、がいいのですけどね〜。
0824人間七七四年
2010/11/27(土) 20:49:12ID:cjgAdQWkその研究者のなかに本能寺の変についての単行本を出してる人が
まったくいない。
だいたい近年信長研究で有名な谷口克広が入ってないのは
どういうわけ?
桐野作人「真説本能寺」(学研M文庫)
同「だれが信長を殺したのか」(PHP新書)
谷口克広「検証本能寺の変」(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)
鈴木眞哉・藤本正行「信長は謀略で殺されたのか」(洋泉社新書)
藤本正行「本能寺の変」(洋泉社歴史新書)
こういったところを読めば本能寺の変が「謀略事件」だったか
どうかわかるはず。
0825人間七七四年
2010/11/27(土) 20:59:03ID:3WZcsTC4ありがとう。一応読んでます。
で、「謀略」とか「黒幕説」じゃないのですよ。そして、そういった本の中の疑問を
ここで質問してるわけです。
最後の藤本本の疑問は最初に少し書いたのですけどね。
以前に、本能寺だけでなくもっと全体から勉強しろ、と言われたので。
反論を聞かない、とか、そんなことはなくいろいろな人に言われたようにしてるのですけど。
0826人間七七四年
2010/11/27(土) 21:18:38ID:qzLspR3Eそうなの?ま、どっちでもいいが。
>ただ、織徳同盟というのは破棄されたわけでもなく、当事者信長の死によって中断?されただけでしょう。
変後の甲斐国は川尻秀隆の生前から家康の名で勝手に知行安堵の書状を国人に発給している。
これは同盟中断のレベルではすまんだろうが。
>「教養と功績があってもそれより、主殺し、という信義にもとる行為の方を重要視して乳母には選びにくい」という考えもあるのではないか、
乳母に選ばれたのは家康の生前でしょ。
そのような儒教的順逆史観がその時期にコンセンサスを得てたのかな〜
松平清康を殺した阿部弥七郎は謀反人そのものだが、彼の父の定吉は従来通り仕官してたな。
主殺し、という信義にもとる行為の方を重要視してなかった証拠になるね。
0827人間七七四年
2010/11/27(土) 21:58:24ID:3WZcsTC4なるほど。もう少しわかりやすく言って、変後の同盟というのは有名無実、という
感じでいいのかな。
変直後から秀吉と遺児、家臣たちとの抗争が始まったわけだけど、家康は「うまく共倒れてくれればいい」
という感じで。小牧での秀吉との直接対決では織田家に味方するのが大儀名分になったわけだけど、家康から
見たらもちろん、徳川家が一番でそのために利用できるものは何でも利用、という。
順逆史観、というのもどうなんでしょうね、あの時期は一族が一番大事で、その維持のためには
個々の命とか名誉とかそういうのは軽く考えられていたようなことが多いですよね。
やっぱり利用できるものはなんでも、というか。
思うのは、謀反とか裏切りみたいなケースでも個々の事情というのはあったんじゃないか、というような。
つまり今で言うなら、情状酌量の余地はある、時は裏切り者でも許したり味方にする。
ただ、そうじゃない時、例えば直接関係者、は厳しくあたる、というような。
話し戻して、神君伊賀越え、の時に家康たちは光秀ー斉藤関係者によって危機に陥った。
とするなら、斉藤の遺族というのはやはり徳川からみて一種の直接的なウラミツラミの対象の相手、
というのもあるとは思うのですよね。
ただ、そんなことは戦国では些細なこと、それよりも局さん自身の能力の方を高く買った、とするのも普通ですよね。
当時の乳母の条件一般、乳がでること、とか、そういうのも今後覚えておきます。
順逆史観については一般論を踏まえた上で、当時は各個人がどのように考えるものか。
これも考えておくようにはします、コンセンサスね。
どうもありがとう、感謝です。
0828奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2010/11/28(日) 03:54:30ID:73OCXV290829人間七七四年
2010/11/28(日) 14:43:35ID:2qFAfW0S長宗我部家臣と親戚だったり、長宗我部に負けて本州に渡ったけど親戚は四国に残ってますとか
幕臣にも四国と縁のある人物が多いし、丹波衆も山城に出て交易してた家がたくさんあるし
人脈辿ると四国―畿内―美濃の交易に携わってる人物が多い
0831人間七七四年
2011/01/02(日) 11:56:23ID:hmwjN7SA0833人間七七四年
2011/01/07(金) 17:40:01ID:mj2xLmS0どういう意図だったのかね。当時にあった、主君におめおめと手打ちにされる
よりは反逆して返り討ちにするぐらいの気概なきゃ武士じゃねぇ、という考えからなのか、
或いは光秀をそもそも叛逆者と思ってなかったので出た言なのか。
0834人間七七四年
2011/01/07(金) 17:56:45ID:ND0YTlapとか
0836人間七七四年
2011/01/09(日) 16:50:23ID:T14Xa9Djhttp://www.geocities.jp/geniulegend/yours.html
0837人間七七四年
2011/01/10(月) 19:33:37ID:sHZO6Tsj戦国人物伝 明智光秀
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102998666
0838人間七七四年
2011/01/10(月) 20:06:41ID:/V1aW37H古いけど名著だと思うが。
0839人間七七四年
2011/01/10(月) 20:12:53ID:sHZO6Tsjまだ火の鳥伝記文庫しか読んでないw
0840人間七七四年
2011/01/28(金) 21:32:41ID:HrgDaO63>解釈かわからないけど、「一種の恩返し」とすればつじつまは合ってるような。
不思議で仕方がないんだが
なんで春日局が4男3女の末っ子だってことを誰も指摘しないんだ・・・?
「恩返し」が成り立つかどうかなんて
春日局の兄や姉の人生を並べれば一目瞭然だろ。
0841人間七七四年
2011/01/28(金) 22:09:01ID:oUX5ocwa0842人間七七四年
2011/01/28(金) 22:28:01ID:2B58RMaIみつ、あやこ、りんこ
いったい誰のネーミングセンスなんだろうか
0843人間七七四年
2011/02/03(木) 19:39:21ID:GwAAYKP00844人間七七四年
2011/02/03(木) 19:49:57ID:xlclxR050845人間七七四年
2011/02/03(木) 20:42:34ID:+9rfzbMnそれを言うなら毛利元就とか宇喜田直家なんかどうなるって話しになるな
0846人間七七四年
2011/02/12(土) 10:19:23ID:ckGHMDhP名の出典はどこだろ?
0847人間七七四年
2011/02/12(土) 12:41:16ID:4kz2Ny9vまあ名前の横に「?」なんてついてるから怪しい所だが
0848人間七七四年
2011/02/13(日) 09:57:39ID:rinFnhJSちょっと興味があって調べてるが、鬼日向・笹の才蔵・木俣守勝くらいしか出てこない。
もっと居ても良さそうなもんだが…
0849人間七七四年
2011/02/13(日) 10:10:23ID:SjLqhuhk0850人間七七四年
2011/02/13(日) 11:31:34ID:vnFbSaaW光秀の年齢は、子供たちの年齢からすればやっぱり五十代半ばを超えないというのが一番自然に思えるけどなあ
0851人間七七四年
2011/02/13(日) 11:47:20ID:HfkTjDmr山崎合戦で戦死してない奴は、ほぼ再仕官したとみて良いのでは?
高齢だとそのまま隠居かもしれませんが。
>>850
55歳説も越後騒動の小栗美作の辞世から採られたものだし、何とも言えないね。
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/6291/nazo/jisei.html
家系維持を最優先する武将が、30代半ばまで男子無しは珍しい気もするが……。
0852人間七七四年
2011/02/13(日) 22:57:23ID:QUkCQxSz0853人間七七四年
2011/02/15(火) 04:37:36ID:K2o3kDn9妙な奴だよなぁ
0854人間七七四年
2011/02/15(火) 04:58:01ID:STc4wb/o0855人間七七四年
2011/02/15(火) 11:01:10ID:NmImKMb0朝廷や本願寺とかから批判されてウツになったから
わざと近習だけで宿泊して、光秀に攻めさせたんだけど
それを悪用したのが秀吉だ。
0856人間七七四年
2011/02/15(火) 11:02:10ID:NmImKMb0光秀がボコられたのと領地召上げされたのって
定説なの?
0857人間七七四年
2011/02/15(火) 11:27:55ID:roOygjy4ボコは寸前に安土であったみたい。
ただ信長はあーいう人だから家臣がボコされたからといって
いちいち謀反起こしてたらきりがない。
それに寸前のことだから積年の恨みということにもならないし
怨恨説はやはり弱い。
それより別のとこで67才説は1−9でありえない
と言ってる人を見た。そんな年では戦場を渡り歩いてる頃に
できたはずがなかろうってね。
学会がどうって言ってたからそうなのかね。
0858人間七七四年
2011/02/15(火) 12:08:12ID:uCBb3cHn細川藤孝宛の書状に、「信長には積年の恨みがあった」とちゃんと書いてあるじゃねえかボケ!!!
0859人間七七四年
2011/02/15(火) 12:11:26ID:MMMet+KYそれは単に細川を味方に引き入れるために書いたことで、本心かどうかわからない。
でも、俺も怨恨説を指示する。内に溜めるタイプの人は、寸前で爆発するもの。
光秀がそうだったと思う。
0860人間七七四年
2011/02/15(火) 12:35:32ID:roOygjy4もう少し光秀の人生というか長いスパンで判断したほうがいいとは思う。
細川書状に、積年の恨みがあった、って書いてあったっけ。
0861人間七七四年
2011/02/15(火) 12:57:06ID:3q3kgmBB0862人間七七四年
2011/02/15(火) 12:57:07ID:EMUQ/9X/なったことも要因の一つだったと思うよ。
0863人間七七四年
2011/02/15(火) 13:05:46ID:TcHp5jUk>いちいち謀反起こしてたらきりがない。
いや謀反起きまくってたじゃんw
でも信長以外に重臣にも血の気が多い武将なんて居たっけ?
0864人間七七四年
2011/02/15(火) 14:39:16ID:roOygjy4忠臣蔵と勘違いしてるんじゃないか。
レキジョさんたちはやたら、誰にも野心や怨恨はあった、とか
それに火をつけた黒幕がいたはず、とか言ってるね。
荒木とか松永にも黒幕がいたことになっててビビったぞ。
0865人間七七四年
2011/02/15(火) 14:56:57ID:MMMet+KY部下の総数の多さから相対的に謀反数が多く感じるだけではないでしょうか
0866人間七七四年
2011/02/15(火) 15:24:27ID:Je5exri9http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/078f4162.0400bdaf.078f4163.d5699732/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f3734356%2f%3fscid%3daf_ich_link_mail&m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f11574204%2f
光秀は黒幕に操られて謀反を起こしたと信じてる奴は↑読め
0867人間七七四年
2011/02/15(火) 16:35:29ID:NmImKMb0信長に死んで欲しいと思われて
実際に働き掛けてた大勢力は山ほどあっただろうな。
家康公や中堅以下の大名はみんな思ってたんじゃないか?
0868人間七七四年
2011/02/15(火) 16:58:29ID:BqFasdjz>>805の通り信長の毛利攻めに従うつもりだったんだから
安土でも歓待されてたし少なくともこの時点で織田と徳川に深刻な亀裂は無いでしょ
0869人間七七四年
2011/02/15(火) 17:32:49ID:3q3kgmBB0870人間七七四年
2011/02/15(火) 17:40:25ID:roOygjy4家康としてはかなり信長の力は助かってる。
ただ統一後に信長の方が逆に家康をどう思ったか
これはちょとおもろい。
子孫説ってのだったか。
0871人間七七四年
2011/02/15(火) 17:42:27ID:Je5exri9http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1260435134/
清洲同盟の考察出来る人は来てくれ
0872人間七七四年
2011/02/15(火) 19:45:03ID:BTJBw8UD家康の息子たちは秀忠と夭折したもの以外みんな血気盛んなエピソード残してるのに
戦果を上げたというのも周りのフォローがよかったからじゃないかという気がするな
かといって秀忠みたいに守成を完遂させられる人柄という感じもしない
これが赤の他人でただの家臣なら普通に信長に無能呼ばわりされ嫌われるタイプだと思うが
信長は親バカだったんだな
「明智の領地を召し上げ森蘭にくれてやる」なんていうのはもちろん俗説だが、
そういう話ができるような素地が当時の織田家中にはあったのかもしれない。
功業の老臣を排斥して信忠とその取り巻きを取り立てるというような。
0873人間七七四年
2011/02/15(火) 20:50:32ID:NmImKMb0気が気じゃなかっただろうなw
0874人間七七四年
2011/02/15(火) 20:50:37ID:uCBb3cHnいや徳川家にはキチガイが多い
家康にキチガイの遺伝子が混じってたからだろう
0876人間七七四年
2011/02/15(火) 23:36:35ID:roOygjy4短期間ですごいとか。
強力な家臣がついてた掃討戦だからそんなに一方的な高評価も
どうかとは思うのだがこれを根拠に信忠が生きてたら
信長並みにあっというまに統一を果たしてたみたいな流れを
よく見かける。
夢と現実を混同してるようにしか思えないけどね。
0877人間七七四年
2011/02/15(火) 23:50:50ID:q6fKzHVoスレによってどうのいうなら、そのスレでやってくれよ。
あんたの中で、どこから掃討戦になってるのかしらないが。
0878人間七七四年
2011/02/15(火) 23:57:45ID:Je5exri9http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251717575/
0879人間七七四年
2011/02/16(水) 01:54:29ID:37iNv0YFから間違いなく有能だよな。三日天下とか言われて揶揄される事が多いけど。
ある意味信長に勝った事になるんだし。
0880人間七七四年
2011/02/16(水) 02:20:10ID:C+YZe3YA0881人間七七四年
2011/02/16(水) 02:28:08ID:gfzmDHHN0882人間七七四年
2011/02/16(水) 10:19:40ID:qcLd8BVS0883人間七七四年
2011/02/16(水) 10:21:24ID:sg+Tq5D+0885人間七七四年
2011/02/16(水) 14:13:10ID:6y5an6uX誰が送ってたんだ?
密使だけでは全然足らんだろうが
0886人間七七四年
2011/02/16(水) 14:16:39ID:H2OpZID40887人間七七四年
2011/02/16(水) 14:20:33ID:gfzmDHHN0888人間七七四年
2011/02/16(水) 14:59:27ID:eGdqwDcI0889人間七七四年
2011/02/16(水) 15:49:34ID:r8qdLzRq【今ごろ?】 もし豊臣時代に信長が帰って来たら?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1294076224/l10
直後に逃げるならまず美濃(当時の領主を知らないが)だろ。
0890人間七七四年
2011/02/17(木) 09:29:39ID:9Y4kI7xU日本文化研究所 所長 井尻 千男
↑に本能寺前の状況を丹念に調査したレポートが紹介されている。
面白かった。お勧め。
0891人間七七四年
2011/02/17(木) 12:59:02ID:O0rUpnvo>>866の本のほうがよっぽど核心を突いている。
仮に光秀1人が勤皇だっととして、重臣たちはどうなんだ?
重臣たちに反対されたら「本能寺の変」は起こせないんだが。
重臣たちも勤皇だったという証明をしてくれないか。
0892人間七七四年
2011/02/17(木) 13:00:44ID:O0rUpnvo0893人間七七四年
2011/02/17(木) 13:15:15ID:9pcyNm9L0894人間七七四年
2011/02/17(木) 15:06:52ID:25bWMdsM0895人間七七四年
2011/02/19(土) 13:37:40ID:9f7maYJB彼を倒せる千遇一在のチャンスだったと思う。
そのチャンスがあったから光秀は掴んだ。
でも光秀自身は見切り発車のような謀反だというのは自覚していたと思う。
実力者がひしめく信長の家臣団髄一の出世頭で、信長・信忠が光秀が謀反を起こすのなら
ぬかりはないと思わせた位の優秀な武将である光秀がそれでも謀反を決行した辺りに
なんとも言えない情念を感じる。
それが怨恨なのか何なのかさっぱりわからないけど、野望の類ではないと思う。
0896人間七七四年
2011/02/19(土) 13:55:21ID:vRmOJR6f一流を批判しつつ持論を展開するスレ
ある意味本能寺より恐ろしいですな
0897人間七七四年
2011/02/19(土) 16:12:53ID:Cq5htUcK0898人間七七四年
2011/02/19(土) 17:50:56ID:zIKYIjf3中の人なのかな。
0899人間七七四年
2011/02/19(土) 20:35:39.47ID:oyyQYvxH日本文化研究所 所長 井尻 千男
↑ここに光秀の生い立ちやら交友関係、趣味嗜好等の状況証拠がわんさか揃っている。
0901人間七七四年
2011/02/19(土) 21:11:38.46ID:NXF9Vf8O他にも子孫本がどうのとかしつこく言ってるのもいるし…
0902人間七七四年
2011/02/19(土) 21:19:55.73ID:oTAkUX6cそりゃあ家臣が協力せんとできんわな
0903人間七七四年
2011/02/19(土) 21:50:55.51ID:nwaqdOXq0905人間七七四年
2011/02/20(日) 08:46:24.51ID:EDyXiSyq0906人間七七四年
2011/02/20(日) 10:12:30.74ID:UyYO39/f信長父子を襲撃した後、家康も襲撃しようとしてたから
あながちでっちあげでもなさそうだな
光秀にも家康を憎む事情があったのか?
案外信長に家康が自分の事を悪し様にチクってるといった被害妄想意識があったのかも
0907人間七七四年
2011/02/20(日) 10:18:04.50ID:xnglCXwtその妹が天正九年に死亡したことが謀反の引き金になったとある
これがほんとなら、光秀は絶対67歳とかじゃない
55歳でも年取りすぎてるくらい
そりゃ、世の中には家康の子どもたちみたいに長子と末っ子の年の差44歳なんていう兄弟もあるがw
0908人間七七四年
2011/02/20(日) 17:49:04.84ID:8bq4LKvXこの手紙を受け取った細川父子が「あんた何言ってんだ?」とさぞかし困惑したであろう様子が目に浮かぶようだわ。
謀反を起こしたからという意味だけではなく、こんなへたれな明智に味方しようとは思わんだろう。
0909人間七七四年
2011/02/20(日) 18:17:59.96ID:VQWP8CDQ↓これに明智光秀の人間関係や生い立ち、思想が全て調査されて詰まっている。
明智光秀―正統を護った武将 [単行本]
日本文化研究所 所長 井尻 千男
0913人間七七四年
2011/02/20(日) 21:20:57.49ID:UyYO39/fそれならなんで真っ先に秀吉をやらなかった?
こっちの方が遥かに危険度大だろうが
0915人間七七四年
2011/02/20(日) 21:35:37.72ID:UyYO39/f0916人間七七四年
2011/02/20(日) 22:54:24.74ID:EYLknXXsなんとでもなる猿ぐらいにしか思ってなかっただろからね。
もちろんそれが間違いで信長なきあとの本気全開100%の
猿はとんでもないスーパーサイヤ人だったんだけどそんなの
「毛利への援軍要請する猿」の時点ではわからないもんな。
0917人間七七四年
2011/02/21(月) 00:58:51.52ID:a2daMW7H確かにな。織田四天王の1人でもなかったし。単に優秀な同僚という認識だったろう。
本能寺の変の後に織田家は秀吉に乗っ取られるけど、あんなに簡単(でもないかもしれんが)に
簒奪されたのは織田家が信長のカリスマ性に支えられていたのもあるけど、
秀吉の危険性を織田家家臣達があんまり認識していなかったのではないかなと思う。
気づいたら「こいつとんでもない奴」に成長していたと。
まあ秀吉自身も自分の野望、野心に気づいていなかったのではないか?
でも「信長の死(ついでに信忠)」でスイッチが入っちゃった。
秀吉と光秀は本能寺の変を境に真逆に別人な感じ。
秀吉は優秀な家臣の1人から天下人の器へ。
光秀は優秀な家臣から凡庸な人間に。
0918人間七七四年
2011/02/21(月) 08:36:43.30ID:A+TH+lxQ織田四天王などと後世の人間が適当に作った物を根拠に出すとはアホすぎだろお前
頭の中は大丈夫か?
死ねよボケ!!!!
0919人間七七四年
2011/02/21(月) 09:49:53.48ID:hwlKDNQT光秀はともかく秀吉は織田家で出世する過程でものすごく神経
使ってたとは思う。
出るくいは打たれるじゃないがあまり優秀で目立ってもかえって
反感買うかもしれないし。
馬揃えのときも見たかったというお世辞丸出しの手紙送ってるし。
だから秀吉の危険性とかその頃から将来のことを考えたとは
思わないが秀吉を過小評価させてたことは確かかもしれない。
これはせいぜい処世術というぐらいのことだが。
関白就任で一番驚いたのはあの世の信長かもね。
0921人間七七四年
2011/02/21(月) 19:11:57.29ID:2VKMnSQ60922人間七七四年
2011/02/21(月) 19:29:17.55ID:yQbirWY7信長は世界レベルの独裁医者からみれば普通の下ということな
日本の仙谷時代なんて平和だよ
0923人間七七四年
2011/02/21(月) 19:55:24.80ID:ydpig5yk0924人間七七四年
2011/02/21(月) 20:52:37.56ID:Hzy7ewq9日本史上一番真っ当に独裁者らしい独裁者は秀吉だと思うが
0925人間七七四年
2011/02/21(月) 21:07:55.85ID:ydpig5yk0926人間七七四年
2011/02/21(月) 21:17:42.71ID:a2daMW7H秀吉は元は農民だから成り上がりぶりは今で言うモロ成金というかどこか余裕がないというか。
ブレーキになる土台がない感じがする。
0927人間七七四年
2011/02/21(月) 22:48:53.94ID:8cBnTsZP0928人間七七四年
2011/02/21(月) 23:16:05.79ID:IEQuV8Vrhttp://auction.item.rakuten.co.jp/11037262/a/10000489
0929人間七七四年
2011/02/22(火) 10:03:39.78ID:6Pdx0oXm幼い嫡孫が継いだ事例と
当時の2番手以降が継いだ事例
どっちが多いの?
0930人間七七四年
2011/02/22(火) 11:32:28.48ID:usc1XZZzごくごく稀なモンから探した方が早いわ。
0931人間七七四年
2011/02/22(火) 13:19:10.25ID:TY39rbpQ前者2つは次男、後者は孫が継承
0932人間七七四年
2011/02/22(火) 14:11:33.97ID:K9cfbxxC0933人間七七四年
2011/02/22(火) 15:41:28.02ID:qFuGpqdW「黙れサル」って斬れなかったのだろうか?
0934人間七七四年
2011/02/22(火) 15:50:32.93ID:QUoufZ3H清洲会議に大きな対立はなく織田一門も勝家や秀吉も含めた重臣衆もほぼ納得の
シャンシャン会議だった、というのが今の定説。
0935人間七七四年
2011/02/22(火) 17:09:18.87ID:lhFrID1Rそれ何ソース?これ?
251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/21(月) 20:26:55.74 ID:wkwuCqjn
>>250
すまん、実はよく覚えてない
勝家が市を嫁にすることとか
織田家の跡継ぎの確認などをしたっていう
別に白熱しておらず、淡々と進んだってのをどっかで見た
秀吉と勝家の市取り争いってのも無かったらしい
0936人間七七四年
2011/02/23(水) 04:09:01.75ID:bvgp0bSM歴戦の将たちだからわかってただろうね。
議論に熱が入ったとすれば、跡取りよりも誰がどこを収めるかって方か。
0937人間七七四年
2011/02/23(水) 11:38:18.53ID:ziyw2Sdlあとはその後継が誰になるかというぐらいだったというんじゃ
なかったかな。
そうすると秀吉の発言がおかしくなるんだけど
川角の記述を創作と切り捨てて考えると言うか。
0938人間七七四年
2011/02/23(水) 11:42:40.86ID:GJglO8VJ何で家臣が出しゃばるのか意味不明。
光秀討ったの三男だし。
0939人間七七四年
2011/02/23(水) 12:36:23.47ID:QCW6C//5信長と信忠が消えてしまっては、重臣合議の上で跡目を決める以外にない。
信雄と信孝は犬猿の仲だしな。
彼らに織田家当主への意思あっても、重臣の支持なければ話にもならん。
0940人間七七四年
2011/02/23(水) 12:42:20.28ID:ziyw2Sdl家臣がでしゃばるのというのは領地再配分という
問題もあるし三法師がガキだから家臣同士が
ある程度まとめないとどうしようもない。
それと光秀討ったのは三男とか叔父二人が犬猿の仲とか
このあたりに違和感が残るが。
0941人間七七四年
2011/02/23(水) 12:59:20.49ID:gzihlnLBhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192629955/
貼っておきますよ
0942人間七七四年
2011/02/23(水) 17:13:52.19ID:cPmdIvZ60943人間七七四年
2011/02/23(水) 17:27:35.39ID:ijL54rNOでも岐阜の織田秀信家は清華家だから五大老並みなんだよね
宇喜多さん家と同様に「実質」豊臣準一門的行動を求められてた気もするし
決定的に弱体化したのは江戸幕府成立ででしょ
少なくとも豊臣政権では名実共に名門だったのに
0944人間七七四年
2011/02/23(水) 17:30:26.36ID:7Kj95/ZU光秀を山崎で破った秀吉と信孝の二人に勅使が御太刀を下賜したと「晴豊記」に書いてある。
織田家中に違和感があったかは分からんが、朝廷が「信孝も光秀退治の功労者」と評価したのは
間違いないんじゃね?
0945人間七七四年
2011/02/23(水) 18:36:12.98ID:ziyw2Sdlそりゃそうだが、信孝は兵が逃げて困ってたところに秀吉が
来てくれて助かった。
そういう意味で信孝は秀吉に頭が上がらないという感じがある。
家臣たちもそれはわかってただろうからね。
問題は信孝と秀吉のそういう関係がどこらでおかしくなるかだな。
仇討ちをしてくれたが家臣は家臣だろうというのが叔父たちの考えで
それは正論。
それが最終的にあんなことになって信孝は悔しかったろうが
早めに気づいていたほうだとは思う。
信雄なんか最後まで自分が上みたいに思って・・
0946人間七七四年
2011/02/23(水) 19:02:05.91ID:chNgF3Vv戻ってきた羽柴勢も脱落者出て疲弊してたようだし単独で合戦できるような状態でもなかったんでしょ
0947人間七七四年
2011/02/23(水) 20:02:03.25ID:ziyw2Sdlこれは秀吉ラッキの一つなんだが秀吉単独では合戦できないみたいに言うのも
どうだろうね。
なんだか話が細かくおかしな方向にいってるけど普通は光秀倒したのは
秀吉と言うし信孝が倒したという解釈はこの後を理解するのに間違ってしまう
可能性が高いよということ。
秀吉の力を借りた信孝ぐらいにしておかないとね。
0948人間七七四年
2011/02/23(水) 20:26:37.21ID:2nniHNQL信孝は信長暗殺の報で殆どの兵遁走。
よって山崎の戦で主導権取れず、軍の後方に追いやられる始末。
これでは戦後の主導権も取れん。
兵を掌握できるか否かが武将の力量の差。
0949人間七七四年
2011/02/23(水) 21:18:11.01ID:sihBS1Kl決め手他の兄弟とは別格扱いにし実績も作らせた。早めに家督も譲った。
でもそれが結局仇になったけど。他兄弟をどんぐのり背比べにしたから揉めた。
まさか彼も自分と跡継ぎが同時に討たれるとは思わんかっただろう。
0950人間七七四年
2011/02/23(水) 21:35:10.67ID:gzihlnLB>他兄弟をどんぐのり背比べにしたから揉めた。
明智君が総奉行として仕切った馬揃えでは、明確に順番付けてたね。
信忠>信雄>信包>信孝>津田信澄
0951人間七七四年
2011/02/23(水) 21:58:25.81ID:LxqQAL4zじゃあ五万とある殿様の命を直接救った家臣はどうなるんだ?
やっぱり家臣は家臣だろ。
下層から国主にまで引上げてやったら充分だ。
0952人間七七四年
2011/02/24(木) 00:39:07.71ID:Xn/095ITだから秀吉は忠臣を装って三法師や信雄を担ぎ、彼らを利用して柴田や滝川、信孝を撃退。
信孝を切腹に追いやったのも実質は秀吉だが、名目上命令したのは信雄。
家臣は家臣だから頭使わないと天下は取れん。
0953人間七七四年
2011/02/24(木) 00:40:38.59ID:vTOWU2yb0955人間七七四年
2011/02/24(木) 00:54:56.34ID:/VQjbXii0956人間七七四年
2011/02/24(木) 03:36:01.42ID:r8ik/6DO秀吉スレ行くとボコボコだし。
光秀は一応フロイスによると狡猾でイヤらしい人物みたいだったけどね。
能天気じゃ生きていけないしそれは悪口や悪いことではないんだろうけど。
0957人間七七四年
2011/02/24(木) 08:16:26.59ID:CEsY1/pD0958人間七七四年
2011/02/24(木) 12:52:11.32ID:FsnYVWli天皇がキリスト教禁止令出してるのに、そのお膝元の京で布教させたりしてたし。
0959人間七七四年
2011/02/24(木) 13:44:22.75ID:yBxZSbfl0960人間七七四年
2011/02/24(木) 17:58:20.63ID:RMlYz0kn0961人間七七四年
2011/02/24(木) 19:07:02.80ID:/VQjbXii後だしジャンケンっぽ批評だから鵜呑みには出来ないとは思うけど一面は捉えている
と思う。
信長は森長可とか松永みたいに毒を持っている人間を気に入っていたというから
信長に気に入られていた光秀が一般によく知られている誠実なタイプだとは思いにくい。
0962人間七七四年
2011/02/24(木) 19:18:56.70ID:vTOWU2yb信長との相性が良くないとか誰が言い出しただろ?w
0963人間七七四年
2011/02/24(木) 19:34:42.63ID:IDR+4Zr20964人間七七四年
2011/02/24(木) 21:08:48.99ID:/VQjbXii0965人間七七四年
2011/02/24(木) 21:41:33.01ID:Hj78bLQxというか光秀が信長の頭を仕切っていたんだよ。
そう考えたほうがより自然だ。
だから本能寺なんか起こりようがない。
あれは全くちがった角度から見る必要があるな。
0967人間七七四年
2011/02/25(金) 01:48:29.33ID:5BbzOnTu俺もそれだし
0968人間七七四年
2011/02/25(金) 08:17:40.94ID:XNk4G/C9江戸時代から戦前は謀反人ってイメージでほぼ鉄板か。
0969人間七七四年
2011/02/25(金) 12:14:55.90ID:7/+SBNGTWikipediaだけでも、与えてあったあれだけの権限をいきなりむしられたら
普通造反するわ。
会社でいうと営業本部長専務取締役をいきなり子会社の副社長に飛ばすようなものだしなあ。
0970人間七七四年
2011/02/25(金) 20:40:44.54ID:lCcEZZIc0971人間七七四年
2011/02/25(金) 21:28:07.73ID:b8hjnalM0972人間七七四年
2011/02/25(金) 21:33:15.62ID:q8XejkW30973人間七七四年
2011/02/25(金) 21:35:58.96ID:wDKwHvIx光秀は減封さっる訳ではなく、
中央から遠ざかるが、それまでの一国一郡から二ヶ国に加増だ。
別に光秀一人が遠方に国替えになる訳でもなく、
既に滝川一益は既に上野に国替え済であり、
柴田・羽柴・丹羽も毛利・上杉滅亡後は国替えは確実。
一角の傑物である方面軍司令官が、信長の人事構想を知らない訳がない。
君の私見だと、遠く関東へ飛ばされる滝川一益が、
光秀より先に信長の首を狙って暴発しているさ。
0974人間七七四年
2011/02/25(金) 22:30:36.61ID:XNk4G/C90975人間七七四年
2011/02/25(金) 22:32:51.43ID:fqGkly1o黒幕が生真面目な光秀利用しただけでしょ。
0976人間七七四年
2011/02/25(金) 22:52:10.26ID:GJ8XYXTFないよ。
つか転封自体ソースがない。ただ、>>973のような「光秀もいずれ転封されたかも」って
推論に異論を唱える研究者も特にいない。
0977人間七七四年
2011/02/25(金) 22:54:59.93ID:q8XejkW3福屋宛文書見る限り明智が山陰方面に進出する方針だったのは事実っぽい
それまでの織田の勢力拡張パターンからいくと可能性としては有り得る
って感じかな
0978人間七七四年
2011/02/26(土) 12:13:13.23ID:ktEnIRMJ高柳光寿氏の『戦国の人々』に,「運に敗けた光秀」という小文があるが
すべては、そこに尽きているといってよい。
鈴木眞哉「<負け組>の戦国史」2007平凡社新書 P173
0979人間七七四年
2011/02/26(土) 16:51:48.83ID:wEbLrppSたった100名で宿泊ってやっぱバカだよな。
信忠なんて援軍に行く途中なのに千人とかバカ過ぎw
0980人間七七四年
2011/02/26(土) 17:37:37.58ID:UL0wHRK2家康の接待してたけど、急に信長が西国行くって言い出したからその見送りで京に残っただけでしょ
27日付けの森乱宛信忠書状だとそうとしか思えんけど
0981人間七七四年
2011/02/26(土) 17:43:45.23ID:EsqqvJKp0982人間七七四年
2011/02/26(土) 18:38:37.18ID:wEbLrppS・本能寺で信長討たれてるー
・よっしゃじゃあ俺らも戦うぞ!
って成ったの?
普通逃げるでしょ?
0983人間七七四年
2011/02/26(土) 19:05:32.26ID:CKJJADrp>>979はどんな漫画を読んだのかな。
0984人間七七四年
2011/02/26(土) 19:09:07.02ID:dX5qDcS0信長は馬鹿だろ。
0985人間七七四年
2011/02/26(土) 20:16:33.69ID:mpfB7ukL0986人間七七四年
2011/02/26(土) 20:27:28.01ID:UL0wHRK2宛熊谷信直書状や6月2日付の今田経高宛吉川元春書状で確認できるように両川が
羽柴勢と対峙しはじめたのが21日〜ということ、20日まで安土に居た信忠が27日の時点
で信長の出陣が予定に無かった事として対応してるぽいことから考えて、信長自身の出陣
が具体化したのは、多分23〜26日くらい 日数的に動員とか無理だろう
戦局が動きそうだから機敏に対応して結果隙を突かれたんで馬鹿とかいうのは結果論だろう
そもそも3ヶ月前の武田攻めでは身の回りを固める部隊として明智や摂津衆を使ってたんだし
0988人間七七四年
2011/02/26(土) 21:15:02.94ID:Jt9S8F5h0989人間七七四年
2011/02/26(土) 21:31:36.16ID:gnBX7yJ3【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1298723473/
0991人間七七四年
2011/02/26(土) 23:47:30.14ID:NLyfoKIs光秀の石見・出雲の国替えを否定している学者って誰?
さぞかし沢山例示できるだろう。出来るだけ列挙してくれないか。
織田の版図拡大により新たな征服地を方面軍に支配させるのは、信長の基本方針。
国替えで空いた土地は、信長側近を取り立てる。
こんなの基本的な知識なんだが。
0992人間七七四年
2011/02/27(日) 00:56:27.72ID:lsp26II3将来の国替えはあるとしても、出雲・石見である根拠が薄い。
軍記物や俗書は根拠にならんよ。
0993人間七七四年
2011/02/27(日) 09:18:22.48ID:EaXrQM4m0994人間七七四年
2011/02/27(日) 11:58:50.59ID:rGlG8Dlv0995人間七七四年
2011/02/27(日) 11:59:31.94ID:rGlG8Dlv0996人間七七四年
2011/02/27(日) 12:00:13.56ID:rGlG8Dlv0997人間七七四年
2011/02/27(日) 12:00:54.92ID:rGlG8Dlv0998人間七七四年
2011/02/27(日) 12:01:35.97ID:rGlG8Dlv0999人間七七四年
2011/02/27(日) 12:02:17.15ID:rGlG8Dlv1000人間七七四年
2011/02/27(日) 12:03:00.40ID:rGlG8Dlv/ \
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