15世紀初期に倭冦により朝鮮人はさらわれ、被虜人とされた
被虜人の送還を朝鮮側は幕府に求め、同時に倭冦を禁圧するよう要請してきた

宗貞茂はそれとは別に朝鮮と独自に通交して倭冦禁圧を約し、当時、対馬倭冦で
有力だった早田氏などのもとから朝鮮人の被虜人を取り返し送還し始めた
宗氏が朝鮮と通交を求めたのは九州探題少弍氏の弱体化と対馬人口の減少のため
ではないかと
対馬では有力な産業がなく、倭冦になるか無断で朝鮮に移住するかする者が少な
くなかった
倭冦で朝鮮側に投降してそのまま朝鮮に住みついた者は「投降倭人」と呼ばれ
生活苦などで朝鮮に帰化した対馬島民は「来投倭人」と呼ばれいた
宗氏は朝鮮との友好関係を築き、対馬を発展させるため、朝鮮との交易、来投倭
人の対馬送還を実現させ、宗氏の禁圧により対馬倭冦も下火になった