戦略ってのは、領土を取る順番、生産力、作戦や外交、人事面、強い相手をは決して戦わない、
ことが戦略の上位に位置するには必要不可欠なんだよ。

つまり、戦略面を優先する者は、上杉謙信や武田信玄とは弱いうちは戦わないし、
兵が10倍以上になったり、鉄砲で待ち伏せして飛び込むのを待ったり、戦略家は絶対的優位な位置にいないと相手とは戦わない。

逆に戦術家というのは、野戦で決戦することを基本的な戦いとし、全国の領土を奪ってから、
一番最後に取るべき小田原城を一番最初に攻めちゃったり、往周りの激しい位置にあり、本領ではないから放っておけばいい信濃の一部へ、無意味に戻って蹴散らしたり、

決戦を重視し、戦略的な面を考慮しない。戦略家として戦うなら、きっちり北条を2年3年かけて滅ぼし、小田原城を落とし、武田の西進は無視すべきなのである。よって、彼は戦略家ではない。


このように、上位の戦略家と戦術家は相容れぬものだと思っている。

つまり、戦術ナンバー1であり、信長の数倍も修羅場をくぐってきた、
柴田勝家の部隊は、まだある程度は通用していたが、

それ以下の羽柴、明智、前田、信長程度の後方部隊は弱い者いじめしかして来てないから、話しにならない。

柴田との対決で、戦術面の勝負は決してるし、
羽柴の逃走で、謀略面の通用しない織田軍の底が見えたし、

領土を城を取られて、中央防衛戦で城に立て籠もったときから、
織田の敗北は決まっていた。現に織田軍は逃げてばかりで、

一度も謙信や信玄に攻め来なかった。やる前から敗北が見えていた証拠。