【外交】北条氏政を低評価してる奴は無価値【天才】
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0001去病 ◆jNfzY2GRwo
2006/12/20(水) 03:24:31ID:Br9Wr0JTごちゃごちゃ言ってるが、北条厨の俺から言わせれば決してそんなことはない
武田、上杉に加え、織田、徳川を相手に北条家の領地を増やし、繁栄させた氏政の手腕お見事
はっきり言って氏康が残したあんな難しい状況で、英断を連発した氏政は父の名に恥じない名将
まぁ、戦略的失敗はあったものの子の氏直も戦に関しちゃなかなかだと思うしね
北条家に凡庸君主はおらんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・!!グオゴゴゴ
0753人間七七四年
2009/10/28(水) 12:14:27ID:7Y6WsWBR・パワーバランス
・勝因のない勝利
0754人間七七四年
2009/10/28(水) 12:17:00ID:R2XYFonp時折兵を前線に押し出していけば、勝手に大名や領主は北条に降ってくるからな。
だから近世化による分国支配を深化させていけば、
急がなくても東国はやがて北条の支配下になるはずだったわけだ。
ところが信長が現れて、収穫逓増によって速い近世化を推し進めてきた。
それでも信長が死んだ頃は緻密さにおいては恐らくまだ北条のほうが上だったが、
家康と結んで小牧長久手沼尻合戦やったくらいから歯車が狂いだした。
家康と組んだのは、北条の昔からの「西を同盟で固める」作戦からだったが、
信長以上に収穫逓増効果を知っていた秀吉が、その後僅か五年の間に
西日本を傘下にして、北条家以上に中世を克服して家康さえも降伏させた。
0755人間七七四年
2009/10/28(水) 12:29:59ID:7Y6WsWBRこれは武田信虎や、太原雪斎の戦略に乗っかっただけかと。
氏政も氏康もあんまり理解してなかったみたいだねー。
0756人間七七四年
2009/10/28(水) 13:04:21ID:xphTWaRp0757人間七七四年
2009/10/28(水) 13:31:47ID:Kn3cr6hM0758人間七七四年
2009/10/28(水) 13:51:33ID:7Y6WsWBR>はっきり言って氏康が残したあんな難しい状況で、
って。
どう考えても、外交と戦は苦手じゃん?
0759人間七七四年
2009/10/28(水) 14:00:12ID:7Y6WsWBR氏政の正当な評価付けを手伝ってあげてるのにw
0760人間七七四年
2009/10/28(水) 14:07:03ID:C94RTtsD慢性的な不満が渦巻いていて配下も民衆いまひとつ士気が低い
先進的な政策がマイナスに働いていた感が否めない
0761人間七七四年
2009/10/28(水) 15:56:40ID:c7NWjtbV>それでも信長が死んだ頃は緻密さにおいては恐らくまだ北条のほうが上だったが、
それは何を根拠に言ってるんだ?
0762人間七七四年
2009/11/01(日) 22:29:49ID:FF+s9z9j分国支配って近世化と言えるの?
おもいっきり中世かと。
しかも親族を重要拠点に配置するなんて、
世代が進むにつれ内紛の元になる弊害ばかりの古典的な手法。
伊達稙宗や織田信秀、毛利元就の失敗が主な例。
全く中世を克服してないと思うんだけど。
0763人間七七四年
2009/11/01(日) 22:57:38ID:cPJopLv/分国支配そのものが近世化って訳ではなくて、旧来の権力構造を一斉検地等で
整理統合し、在地の土豪を含めた形でピラミッド化、組織化したのが北条の先進性
であり(プレ)近世化なんだな。
その組織のハブとなるべき位置に親族を配置し、破綻させることなく運営したんだ。
5代にわたり、親族や有力譜代の間で一度も内紛を起こさなかったのには理由が
あるんだよ。
本質的には、それら失敗例と比較して、北条は何が違ったのか、を考えるのが、歴
史学的には建設的だよ。
0764人間七七四年
2009/11/02(月) 19:50:08ID:wuGakYOJ北条厨は徳川が北条の善政と制度をそっくり踏襲したから江戸幕府はうまくいったと主張。
その根拠として歴史家でもない勝海舟が早雲の業績による遺徳を徳川が引き継いだからだと言っていると主張していた。
さて勝の早雲評は家柄もなにも持たない空拳の浪人だと言っている。
さあ、勝の言ってることがまったくアテにならないのがわかるだろう。
0765人間七七四年
2009/11/02(月) 22:08:51ID:Jg3H6JRK0766人間七七四年
2009/11/02(月) 22:15:49ID:+m968kjI豊臣家のイメージ=山口組(関西から関東を攻略中、圧倒的な武力で関東勢沈黙…)
伊達家のイメージ=住吉会(取りあえず中立、いざとなったら山口組に恭順)
0767人間七七四年
2009/11/03(火) 09:14:41ID:P4CRvnD+0768人間七七四年
2009/11/04(水) 08:59:12ID:H7ygVC19北条厨房って毎回、意味のわからない抽象的な言葉し書けず誤魔化してるようだな。
まったく具体例もソースも一度たりとも書けないのが低い知性の北条厨。
相変わらず北条は意味はわからないがとにかくすごい自信だwww
0769人間七七四年
2009/11/04(水) 19:34:39ID:Zzo+XNWn紹介するのは無駄ではないだろうから一応
とても有名な一次史料として「小田原衆所領役帳」がある。
起請文に関しても相当数あり、それらから北条家の組織形態は研究が進んでいる。
また、組織の維持管理に不可欠な伝馬に関しても北条家は早くから存在していた
ようで、1524年の制札で「印状を持たないものへの伝馬仕立ての禁止」など、一次
史料がある。
確か、戦国遺文の後北条家編には、その辺が相当数載っているはずだけど。
0770人間七七四年
2009/11/07(土) 11:14:29ID:ucRm6jPpまったく史料転記は出さない池沼北条厨。
具体例は一切出さず、ひたすら抽象的に北条がすごいと説くアホ。
北条のピラミッド型組織が先新性で、所領役帳が存在するとすごい組織力の証明らしい…ヤッパリ北条厨は頭が悪いな。
0771人間七七四年
2009/11/08(日) 00:50:43ID:I3n6KL5g0772人間七七四年
2009/11/08(日) 10:26:31ID:YQaOk6bN0773人間七七四年
2009/11/29(日) 20:31:39ID:Lff34nAM0774人間七七四年
2009/12/02(水) 21:38:31ID:aqG96DWe0775人間七七四年
2009/12/09(水) 02:31:50ID:2BF5Heg2同じことしたら、氏政みたいに時勢を読めない馬鹿扱いになってたのかな
0776人間七七四年
2009/12/09(水) 04:17:46ID:mOJdHVTZあそこまで差がついている場合は、死に場所を探して大坂に参じた人なわけで。
なので、大名で大坂方についたのは皆無だったでそ。
北条は250万石だし、徳川と同盟を結んでいるはずだったし、東北では伊達が
どちらかといえば北条方という感じだったし。
0777人間七七四年
2009/12/09(水) 10:42:14ID:s4sdeOEe0778人間七七四年
2009/12/09(水) 17:49:41ID:+CoJcqgj真田が方贔屓されんのは
1.爺有名、親父チート、兄貴優秀のチートの申し子
2.忍者系のエピソードにことかかないアクの強さ
3.所領を失って死に場所を求める潔さと気の毒な感じ
4.敵が家康で巨悪な感じ
これだ。
氏政は
一.早雲〜氏康にいたる輝かしい血筋
二.馬鹿っぽい感じの怒られエピソード満載
三.関東ほぼ制覇しながらちくぜんにいいようにやられてしまった不甲斐なさ
四.敵が筑前であきらかに巨悪
と、こうくる。
広大な領地を失ってなお存命、でその後筑前に一泡吹かせるような
素敵エピソードがあればよかったかもな。
氏康が心配性の説教好きじゃなくて褒めて伸ばすタイプだったら
馬鹿エピソードも減っていたかもわからん。
0779人間七七四年
2009/12/11(金) 19:53:25ID:YhpSPJXE0781人間七七四年
2010/02/08(月) 00:56:50ID:P/I+kBhy北条は信長が死んだ時は最強軍団だった。なんかすればよかったのだが・・
439:02/08(月) 00:40
>>426
最強なのか?
四万の兵力がありながら、5千(一説には7千)の上杉に川中島四郡を取られるし、
8千の家康勢にも勝てず....とほほ
0782人間七七四年
2010/02/08(月) 11:08:48ID:HrYI6VWR0783仙台藩百姓
2010/02/08(月) 21:17:52ID:gsLi33Pe常にあらゆる状況を想定するのが戦術というものだお( ^ω^)
0784人間七七四年
2010/02/09(火) 05:21:00ID:UlaoDvWB0785人間七七四年
2010/02/09(火) 13:26:46ID:4GpG7GxE勝てるはずの無い決戦に臨むのはバカ。
>>783
戦闘教義ってのは知ってると思うが、
旧ソ連や米軍だって戦闘教義の想定外の戦闘ではそこまで強くないぞ。
アフガン戦やベトナム戦争が良い例だが、
大国家の軍隊は同じく軍隊を相手にするのは強いが、ゲリラを相手にするのは存外弱い。
0786仙台藩百姓
2010/02/10(水) 14:46:31ID:F0XVb1Zp特別戦術が抜きん出ているわけではあるまいお( ^ω^)
それにベトナムやアフガンが単純にその国だけの戦いではなく
かつては共産主義圏と資本主義圏の戦い、今は民族・宗教戦争だお( ^ω^)
それにベトナム戦争あたりからは各メディアからの戦争情報流布が広く行われるようになり
先進国ほど戦闘に様々な制約をかけられるようになったお( ^ω^)
現代戦はもはや戦地での将校や兵の強弱で勝敗が決する程簡単なものではなく
北条の戦いと比較するなど余りにナンセンスだお( ^ω^)
0787人間七七四年
2010/02/10(水) 15:41:43ID:JfJqVg7z0788人間七七四年
2010/02/10(水) 18:34:49ID:Vi/+1AFA天正壬午だけうまくやれるわけも無く
0789人間七七四年
2010/02/10(水) 20:36:45ID:JeQEFLtf> 元々アメリカやソ連は国力を頼りにごり押しするのが常套手段で
> 特別戦術が抜きん出ているわけではあるまいお( ^ω^)
専門(なのか?)の日本史以外でいい加減なことを言うのはやめておけ
0791人間七七四年
2010/02/10(水) 23:08:26ID:v8TCCRuE取りあえず中世の関東は人口増加が著しいって研究もあるし、それなりにいい社会だったんだろうね
0792仙台藩百姓
2010/02/10(水) 23:25:23ID:F0XVb1Zp北条厨も戦争を単に戦術の幅でしか捉えられない軍事オタクかお┐ (´ω`) ┌ヤレヤレ
もまえらはカタログと教本見ながら脳内演習でもしていればいいと思うお( ^ω^)プ
0793789
2010/02/10(水) 23:58:02ID:qfjWiRaK北条厨とかレッテル貼って自分が上位であるように誇示するのは恥ずかしいぞ。
俺が突っ込んでいるのは>>789で指摘した部分のみだ。
それと、アメリカの軍事力で特筆すべきは兵站だ。その点古代のローマと比較
するべきかもしれん。
兵站=国力 とか考えてるなら、ロジスティクス理論を勉強しろ、としか言いようが
ない。
0796人間七七四年
2010/02/11(木) 02:58:54ID:NF8sIJTv0797人間七七四年
2010/02/11(木) 03:15:08ID:M+CWvZ30普通に臣下の礼をとっていれば最低でも100万石はもらえたはず
0798人間七七四年
2010/02/11(木) 10:40:13ID:SxR/Qrrp兵站と国力は、関連はするが違う物だぞ。
相対的に国力があっても兵站がだめな国なんて腐るほどある。
というかそっちの方が多い。
0799人間七七四年
2010/02/11(木) 11:35:50ID:HRG/tJgA例えばどこよ?
0800人間七七四年
2010/02/11(木) 12:58:06ID:VAY9kq1u秀頼も同じ部類
に対して、景勝や勝頼が比較的に高評価を受けてるわけは
逆に行動は起こした上での失敗だからだ
人物を評価する側から見て、結果よりも経緯や事情なんかを配慮してもらえるんだね
で、この氏政に関していえば。。。
完全なまでに輝元、秀頼レベルの暗愚だろ。
こいつで名将なら戦国大名ほとんど名将だよ
0801仙台藩百姓
2010/02/11(木) 13:38:16ID:nzKdAUUz国力と兵站が別物とか太平洋戦争時の無能将官と全く同じ思考でワロタお( ^ω^)
そもそも別けて考えていいものなど何もないお
戦争とは総力戦だお( ^ω^)
>>795
戦術とは戦略の一端であり戦略は政略の一端であるお( ^ω^)
何一つおかしなことなどあるまいお( ^ω^)
0804人間七七四年
2010/02/11(木) 16:08:50ID:Mx5nAanR近代史における「総力戦」って概念は、国民国家が成立して成熟し、より
高度な軍事的運用が出来るようになったWW1以降の概念だと思うが?
0805人間七七四年
2010/02/11(木) 16:56:52ID:VAY9kq1u国力のなさを兵站でカバーして臨む戦術のことな。
ベトナムがアメリカに勝ったのは、まさにその兵站のお陰だし。
ただ一つ付け加えておくと
兵站+政略がゲリラ戦の必勝法であり
戦を長期化、泥沼化させつつ敵の政情を揺さぶるというのが肝
で、北条氏政の取った作戦とは、ただの引きこもり
ゲリラ戦するわけでもなく、敵の政情揺さぶるでもなく、国力で対抗するでもなく
まさに無策。暗愚。
戦略的にも戦術的にも無策なのに、政略面で降伏も和平交渉もしなかったから滅びたわけで
こんな大名が高評価得られるわけないわな
0806仙台藩百姓
2010/02/11(木) 21:08:46ID:nzKdAUUzだから現代戦と比較するのはナンセンスだと言っているじゃんお(#^ω^)ピキピキ
0807人間七七四年
2010/02/11(木) 23:11:12ID:913HtK5s誤解して勝手に近代戦に置き換えてるのはお前だよ。
あらゆる状況を想定してあらゆる訓練を施すってのはありえないってのを
戦国時代よりよほど訓練を施せる現代における大国の軍隊であっても無理だと言ってる。
中世の地域国家に対して、
あらゆる状況を想定して、あらゆる訓練を施すって脳内演習でしか成立しえない。
0808人間七七四年
2010/02/11(木) 23:30:39ID:rQApdErLベトナムは北爆でフルボッコされてるだろw
二次大戦の戦争ルールならベトナムなんぞ瞬殺されとるわ。
0809人間七七四年
2010/02/11(木) 23:33:35ID:eLl0c27G0811人間七七四年
2010/02/12(金) 00:16:52ID:ZsKWCVjS柴田→戦闘→滅亡
上杉→従順
毛利→従順
長宗我部→戦闘→降伏
島津→戦闘→降伏
徳川→戦闘→和睦
伊達→降伏
信雄→戦闘→和睦→バカ
北条→だんまり→篭城→降伏→滅亡
戦闘を経て和睦するか、戦闘で負けて降伏するか、逆らわず恭順するか
生き残った大名は進路をしっかりさせているが
北条は争いもせず、さりとて降伏もせず・・
いかに、今の今まで地元の弱小相手に偉そうにしかしてなかったか、恵まれた環境だったか
戦国の最後の最後で氏政の無能さが露呈することになったんだろうね
他の大名は皆、地元地域で凌ぎを削って生きてきた大名たちだから強国相手の対応も備わってるが
北条はずっとお山の大将だったから、滅亡したんだね
0813仙台藩百姓
2010/02/12(金) 08:44:20ID:HQryFEejもまえそれはいくらなんでも屁理屈過ぎるお( ^ω^)
北条がいつそんな想定すらできない特殊戦術を使う敵と戦ったというのだお( ^ω^)…
0814人間七七四年
2010/02/12(金) 10:39:36ID:IcYHt/Jf現代戦は無差別な大規模な爆撃が出来ないってだけだろ。
北爆末期に実施した無差別爆撃は国際世論の反発こそ招いたものの
北側を講和会議に出席せざるおえない状況にまで追い詰める事に成功してる。
0815人間七七四年
2010/02/12(金) 11:02:40ID:iI2sK1nrこの北条おかげで明治の太政官や現在まで続く、無能のお上におとなしく従い、反乱しない、政治に興味を持たないと言う奴隷根性に調教された関東民が作られた。
0816人間七七四年
2010/02/12(金) 14:32:01ID:ETSZZHsh違う。
軍事板にでも行って聴いてみろ。
核攻撃でもない限り、空爆でトドメは刺せない。
必ず地上軍の投入が必要になる。
0817人間七七四年
2010/04/18(日) 00:45:35ID:+XWGthEg0818仙台藩百姓
2010/04/18(日) 06:08:11ID:+rN30vFS0819人間七七四年
2010/04/18(日) 07:51:59ID:+XWGthEg0820人間七七四年
2010/04/18(日) 12:26:17ID:p3Lrgtwhどんな人でも、その辺りにいる人と大して変わらんがね。
頭が3つぐらいある人なら会ってみたい気もするがね。だが、その人が気の毒に
思うし、会うのも怖いけど・・・。
0821人間七七四年
2010/04/18(日) 15:50:04ID:EvMdvu/n0822人間七七四年
2010/04/18(日) 20:36:49ID:izT1xgPE「終わりダメなら全てダメ」」だと思うんだが。
0824人間七七四年
2010/04/18(日) 22:16:22ID:VHRUG52Pそれも一面の真実だろう。
ただそれを適用すると、多くの歴史上の人物がダメな部類に振り分けられる。
カエサル・ナポレオンあたりを全否定するのはさすがにどうかと思うしね。
0825人間七七四年
2010/04/18(日) 22:21:09ID:WHud5XwHカエサルもナポレオンも、本人の最期はともかく、彼らが作り出した物は
その後の世界に大きな影響を……というかスタンダードになったのが非
常に大きい
0826人間七七四年
2010/04/19(月) 08:51:52ID:3tbVDOvMナポレオンの若い頃からの奇人ぶりは有名
彼らも狂える天才信長公と同じ
サヴァン症候群やアスペルガーだった可能性がある天才。
0827人間七七四年
2010/04/19(月) 19:40:33ID:EPnmHDHu・・・カエサルがサヴァン症候群とかアスペルガー症候群とか
事蹟すら知らないとしか思えない
てんかん持ちなのは史実だが
0828人間七七四年
2010/04/20(火) 01:33:03ID:Vtm9NAdg>はっきり言って氏康が残したあんな難しい状況で、英断を連発した氏政は父の名に恥じない名将
そうかなあ?
単に周りの英傑や勢力に.言いように振り回されてただけのような気もするが?
北条が自分でなにかしようとした場合は、大軍を率いて少軍の徳川に返り討ちにされたり
真田攻撃にファビょって滅亡のきっかけを作ったりとあまりロクな事もしてないが。
0829人間七七四年
2010/04/20(火) 01:38:49ID:Vtm9NAdg武田、上杉、織田、徳川の対応というよりは
関東の中小勢力への弱いものイジメを続けたという事に尽きるだろう。
北条は強い勢力に対してはやや屈辱的外交をする以外どうにもならんが、
弱いものイジメが得意なだけだ。
0830仙台藩百姓
2010/04/20(火) 14:40:18ID:16yh7yYe0831人間七七四年
2010/04/20(火) 14:44:47ID:c9qJy1zO秀吉は八公ニ民だったし。
0832人間七七四年
2010/04/20(火) 14:49:39ID:tbPK+vYk国家間の争いで互いに身を削るようなことを普通しないだろ。
強大な勢力が弱ってきた頃に攻めを打つのは正当なことであり、かつ、成果を
出したことは評価しないわけにはいかないと思うけど。
0833仙台藩百姓
2010/04/20(火) 23:20:59ID:16yh7yYe北条の場合、たまたま運よくそうなっただけじゃんお( ^ω^)
中央から離れていたから討伐から免れていたり、混乱に巻き込まれなかっただけで
そこに北条の意図は全く絡んでいないものを評価とか言われても無茶過ぎるお( ^ω^)…
0834人間七七四年
2010/04/21(水) 00:14:02ID:61lf9OQJやはり守り強さがものをいったでしょ。
謙信にも信玄にも小田原城まで追い詰められたけど
篭城戦なら世界中のどんな軍隊が来ても絶対に守りきれると
自身を持ってたと思う。
その自身が過信となって秀吉には負けた。
0835人間七七四年
2010/04/21(水) 11:13:16ID:fBRaAAmmこの繰り返しだからな氏政は
0836人間七七四年
2010/04/21(水) 18:42:46ID:WG2wj2/T別に大して対応してないじゃん。ただ単に「対応しきれなかった」だけ。
別の言い方をすると「手を付けられない相手には対応できなかった」と。
>>834
それって氏康の話だが。
別に氏政は小田原までせめこまれる局面はなかった。
所詮は武田、上杉も拮抗している地方勢力の一つで
長々と小田原を攻めている余裕はなかった。
それと全国勢力の豊臣を似たようなものだと錯覚した。
0837人間七七四年
2010/04/21(水) 19:02:04ID:WG2wj2/T北条を恐れているとかではなく「関東に固定されている勢力なので慌てて手をつける必要がない」みたいに
とらえているのが面白いよね。
それで西国や北陸、徳川などを配下にしてからやおらと北条を料理しにかかるんだから、
なめられていると言ってもいいくらい。
0838仙台藩百姓
2010/04/21(水) 21:12:57ID:Zs9JCAGa0839人間七七四年
2010/04/21(水) 21:25:13ID:noWM7moM0840人間七七四年
2010/04/21(水) 23:01:12ID:fTQQalRL0841人間七七四年
2010/04/21(水) 23:18:50ID:WG2wj2/T長宗我部や毛利も近畿に隣接している勢力だから、さっさとカタをつけないといけない。
北条への優先順位は低いよ。
0842人間七七四年
2010/04/22(木) 02:32:29ID:J+E7AFfV統一なんて絶対無理だろ。
すでに島津軍崩壊してたし。
0844人間七七四年
2010/04/22(木) 20:04:17ID:r12t9Kof0845人間七七四年
2010/04/22(木) 23:29:51ID:K/JBUvNo無理だな。
だいたい大友最大の勢力と言われた田村本家を継承した宗麟の次男が大友重臣たちと一緒に島津に内通してたくせに豊後からして各拠点がまったく落とせなかったし
立花城に至っては国人たちも島津の攻城命令をみんな一致して拒否したし、島津自身もすでに力攻め自体できなかった。
おまけに秋月は筑前豊前筑後での支配圏を成立させ自立傾向を強めてた。
秋月は明らかに第二の龍造寺化をし始めていた。
遠からず島津と秋月は利害対立を始める。
また島津はやり口が汚く九州で民衆から反感を買いまくっていて各地の国人たちは決して心服していなかった。
秋月、大友、島津の三極化になるだけ
0846人間七七四年
2010/04/23(金) 12:41:04ID:eopVOO4/臨時で税を取りまくるわ
敵が来ても守ってくれないわ
高利で金を貸すわ
ぜんぜん善政なんてしてねー。
関東は伸びしろがたんまりあった発展のキャパがある場所なのに
北条統治下では暗黒大陸のように
独自文化芸術の発展すらなかったし
畿内の文化の流入さえごくわずかの貧困地域に転落していた。
0847人間七七四年
2010/04/23(金) 13:01:41ID:IPaYMYun苛烈な四公六民もあれは甘い七公三民もある。
とはいえ氏康のころは
「煮物の逸話」だったかのようにそっちの方も厳しくはなかったろう。
しかし、この逸話で検地を徹底的に行い農民どもに
隠し田畑を吐き出させるように強く進言してたしなめられてるのは氏政だしなあ。
0848人間七七四年
2010/04/24(土) 13:25:50ID:8GSPfc79利根川なんて氾濫放題なのにさ。
北条による人災ばっか。
0849人間七七四年
2010/04/24(土) 15:37:28ID:Vb9AWyew棟別銭の値上げとかいろいろあったしな。
0850人間七七四年
2010/04/24(土) 15:41:00ID:Vb9AWyew北条の治水製作は本当聞かないなあ。
あと、武田や上杉が来ても小田原城に篭るだけって本当に正しいのか?
そりゃ小田原城は町を含んでいるのは有名だが、
その他の地域はどうなるんだ?
略奪・レイプ・人攫い・狩り働きされ放題だろ。
0851人間七七四年
2010/04/24(土) 15:48:36ID:HzIVuTcp武田や上杉がきた時期の小田原城は
まだ小田原城外郭部の民の家をも覆い守るほどの大城郭にはなってないから小田原城下もボロボロにされてるだろね。
上杉や武田にとっては充分に示威行為を見せつけて帰れたんじゃないかな。
0852人間七七四年
2010/04/24(土) 16:06:30ID:EPZ6i1rc謙信が1回目の越山で小田原まで来れたのは上野から相模までの親北条勢力が片っ端から寝返ったからだし。
信玄には小田原急襲されて、駿河争奪戦でも完全にしてやられたけど。
治水はちょっとググっただけで、氏房の印判状とか出てきたけど。
市村高男氏の東国の戦国合戦にも、支配が安定して前線から離れた北条直轄領では夫役が治水に比重が移り始めてるって、いくつかの文書と共に紹介されてるし。
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