【外交】北条氏政を低評価してる奴は無価値【天才】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001去病 ◆jNfzY2GRwo
2006/12/20(水) 03:24:31ID:Br9Wr0JTごちゃごちゃ言ってるが、北条厨の俺から言わせれば決してそんなことはない
武田、上杉に加え、織田、徳川を相手に北条家の領地を増やし、繁栄させた氏政の手腕お見事
はっきり言って氏康が残したあんな難しい状況で、英断を連発した氏政は父の名に恥じない名将
まぁ、戦略的失敗はあったものの子の氏直も戦に関しちゃなかなかだと思うしね
北条家に凡庸君主はおらんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・!!グオゴゴゴ
0208仙台藩百姓
2007/02/13(火) 21:56:30ID:A8PwOnY60209人間七七四年
2007/02/13(火) 22:15:53ID:LuAtTqwhこの前行ってきたよ。そんで鈴持ち帰ってきた。
願いが叶ったら返しにいくといいらしい。
新鮮なフラワーが六束も備えてあったのが、深くにもグッときたな。
0210人間七七四年
2007/02/13(火) 22:40:24ID:1gVqtCmK0213人間七七四年
2007/02/14(水) 02:26:52ID:KdlBQzsW0214人間七七四年
2007/02/14(水) 10:07:02ID:x6ByroZLそりゃ家臣もついてこない罠。
0215人間七七四年
2007/02/14(水) 13:51:10ID:6jrDn17m嘆くだけ嘆いて家を滅亡させるような奴を当主にすんなよwって感じで
まあ汁なんたらは完全な作り話だけど
何度もいわれてるが日本は幸村とか負けても良い終わり方人間は美化して
終わり方が格好悪いと必要以上に低評価するのはなんかなあ
0216人間七七四年
2007/02/14(水) 15:16:10ID:Zwk27a6W御家騒動の元になるだけ
だから北条家も終わりだって嘆いたんだろ
まあ、面白くするために後世に付けられた話しだが
100石200石の侍でも不祥事起こすと暗愚で凶悪な人物にされたりするわけで
250万石の大国あっけなく潰したんだから必要以上に酷評されるのは無理ない
0217人間七七四年
2007/02/14(水) 17:15:41ID:rFRAvItN瑞渓院腹じゃないらしいし
0218人間七七四年
2007/02/14(水) 18:48:29ID:lB4JQMfA新九郎は廃嫡じゃなくて単に早死にしただけでは?
0219人間七七四年
2007/02/14(水) 19:08:12ID:hyplx/bl実際はそうだろうねぇw
まあ、北条が滅んだのは氏政だけのせいではないにしろ
事実上のトップが汚名を被るのは仕方ないんだろうな
いささかやりすぎの気もするけどそこは上にも言われてるように
秀吉とか家康と絡んだ分大きく誇張されてるのかもね。
もし小田原前に亡くなっていたら今よりもっと評価されたり
北条自体も大名として残ったかもしれないのかな?
0220人間七七四年
2007/02/14(水) 19:35:17ID:79KgR5oO0221人間七七四年
2007/02/14(水) 19:59:16ID:tpgYZHWF今川家や武田家、織田家、長尾家、斉藤家の骨肉の争いは言うに及ばず、あの家康でさえ
子息を自刃に追いやっているのにである
毛利家と北条家の一族の団結の固さは戦国時代には極めて珍しい
滅亡の瞬間にもごく一部を除いて一族と家臣が最期まで団結していたのは驚愕に値する
武田家滅亡の際に裏切りと離散が繰り広げられたのとは対照的である
0222人間七七四年
2007/02/14(水) 20:49:31ID:9knhWsRu実際は外様の家を継いで強大な固有の勢力をもつ氏照・氏邦と、
小田原や伊豆を治める身内の宗家は仲良しと言う訳でもなく、また氏照と氏邦の間も性格的な不一致はあったようだ。
さらには氏政と氏照は年齢的にもほとんど差がなく、氏照の方が若い時期から多くの実績を示していたため、
氏康の器量を受け継いだのは氏照では無いかと言う事で、一応そういう話もなくはなかったらしい(八王子資料)
にもかかわらず表立った後継争いは一切なく最後まで身内で争う事はなかった。
余程システムがしっかりしていたんだと思われる、それこそ法的な面だけでなく、精神的な面で。
0223人間七七四年
2007/02/14(水) 22:11:53ID:rFRAvItN氏邦と不仲だとか
妾腹だとか
三田の娘を連れ帰ったら嫁が愛人とカンチガイして娘を刺し殺したとか
謙信に倣って女色を断ったら嫁が浮気とカンチガイして子供道連れで自害したとか
わけわからん逸話が多い
つーか比佐怖ぇー
0224人間七七四年
2007/02/15(木) 02:31:29ID:kVkoAxLkなんで氏政氏照は助命されなかったのか分からん。
その後なし崩しに取り潰し。
0225霍去病 ◆jNfzY2GRwo
2007/02/15(木) 09:25:55ID:Y0S5bugp0226人間七七四年
2007/02/15(木) 12:02:21ID:kVkoAxLk0227人間七七四年
2007/02/15(木) 13:23:29ID:CSMnm0wpそして、徳川の隣に同盟関係だった北条がいると危険。
氏政がどうというよりもこういう情勢であった為、島津とは違う処置になったように思える。
北条も転封で良かったように思えるけど、そこらへんは良く分からんなあ。
0228人間七七四年
2007/02/15(木) 16:47:24ID:1oCydzjx0229人間七七四年
2007/02/15(木) 20:33:41ID:R6G0hV4V0230人間七七四年
2007/02/15(木) 21:07:06ID:cayFGp5K北条に申し開きをしてるのが逆に怪しく感じるな
0231人間七七四年
2007/02/15(木) 22:25:36ID:R6G0hV4V家康も召抱えて隠密に使ってあげればよかったのに
0232人間七七四年
2007/02/16(金) 02:03:44ID:cKsrAy1f家康は伊賀や甲賀のものをすでに召抱えているから必要なかったんじゃない?
仮に風魔一党を召抱えると伊賀や甲賀系と仲違いして内輪もめになる可能性もあったと思うし。
0233人間七七四年
2007/02/20(火) 13:13:22ID:T1KVEqQsそーいや昔、某野望をプレイしてた時に氏康が死んだ後に何故か氏政ではなく氏照が北条家当主になってたよ…
バグかと思ったが、何度プレイしてもコンピュータは氏照を当主にしてた。
本当に氏政は不幸だ…
0234人間七七四年
2007/02/22(木) 01:19:29ID:vruV4qz5http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1172072178/
0235人間七七四年
2007/02/22(木) 09:56:42ID:TghmFN9Q氏康が亡くなったので、氏政を後継者にしたんだ
そうしたら、武蔵で氏照が、上野で氏照が独立したぜ
あのときは泣きたくなった
0237人間七七四年
2007/02/22(木) 17:23:32ID:SW8PZxBN能力値はどうでもいいんで、まずそこの改善をお願いします。
0238人間七七四年
2007/02/22(木) 18:44:46ID:D2sBAY0o独立する氏照・氏邦を見たときの切なさに比べればまだ耐えられるw
0240_
2007/02/28(水) 05:54:56ID:GsjZN53x氏政公は純愛だったよね。親の都合で別れさせられ、その奥さん(黄梅院。通称梅さん)
は別れた直後にショックで病死しちゃうし。確か20台で。
0241人間七七四年
2007/03/03(土) 15:01:00ID:AR8uw2gN祖父・信玄の生き写しだったというね
0242人間七七四年
2007/03/04(日) 19:16:05ID:BOmM+Frg氏康とか氏政みたいなとりあえず篭って、勝機を見出すというタイプじゃなかったし
秀吉との戦いでも決戦を志望したし。
長篠の二の舞になっていた可能性が高い。
0243人間七七四年
2007/03/04(日) 19:18:02ID:hh8GjlM0家康の婿という関係上反対してたのは知ってるけど。
0244人間七七四年
2007/03/04(日) 19:22:42ID:BOmM+Frg秀吉戦では、決戦派(野戦派)と篭城派(氏政等)と降伏派に分かれたわけだけど、
氏直、氏邦が決戦を志向していたのにも関わらず、
氏政とかが反対して意見に決着が着くまでとりあえず意見が出るまで
篭ってみようとなったのが篭城であり小田原評定。
結局氏直が降伏したから開城となったけど。
0245人間七七四年
2007/03/04(日) 22:07:01ID:NIRaD43y違う、籠城で決まってる
それにブチ切れて氏邦が鉢形へ帰ったという話もある
いわゆる「小田原評定」は根拠がない、イメージだけの言葉
なお、軍評定の後も幾度と無く評定は開かれているが、
そもそも月二回通常の評定は開かれる訳で
0246人間七七四年
2007/03/04(日) 22:24:58ID:BOmM+Frg氏直も氏邦と同じような意見だったのはわかる?
ようするに、篭城に決まったのはいいものの氏直は決戦を主張していたことも間違いが無いし
「篭城」することを決めたのは氏直じゃなくて氏政だったからな。
氏政は小田原城さえあればどうにかなると判断していたんだろうけど、
氏直は小田原城の防御力なんて信じていなかったのは当然だし
秀吉が撤退するとは思えなかったのも当然だろうし(だから降伏した)
0247人間七七四年
2007/03/04(日) 22:49:27ID:hh8GjlM00248人間七七四年
2007/03/05(月) 06:05:58ID:wKYTBHrI0249人間七七四年
2007/03/05(月) 07:13:06ID:MICx35Zx0250人間七七四年
2007/03/05(月) 07:37:10ID:jKA8XU1j小田原評定で妥協案としての籠城だったのか、そもそも評定で籠城と決まったのか、
どっちなんだよw
0251人間七七四年
2007/03/08(木) 22:28:05ID:Sbq9ziqP0252人間七七四年
2007/03/08(木) 23:38:45ID:4+p3KZO/氏政の無能を如実に物語る
過去の秀吉の戦歴を全く考察していない怠慢は度し難い無能
0253仙台藩百姓
2007/03/09(金) 01:27:09ID:JyTZHGM0野戦じゃ一瞬で壊滅して終わりだお( ^ω^)
寡兵相手でも勝てない弱々北条が大軍相手に打って出ても万に一つも勝ち目ない
どのみち開戦した時点で終わってるし
犠牲が少なくて済んだだけ篭城して正解だお
0254人間七七四年
2007/03/09(金) 02:16:35ID:TvJWIWfM天下の大半を制した関白秀吉との実力差は明らかで、
無謀にも秀吉に逆らった時点で後北条氏の破滅は決まっていた。
しかも氏政は、かつて小田原城に攻めて来た上杉軍を篭城で撤退させた成功体験を盲信し、
秀吉軍に対しても同じ戦法が通用すると思っていたのだからお笑いだ。
関東の北条の支城は全て豊臣軍に攻略され、
取り残された小田原城は完全包囲。
城内の物資は減る一方なのに対し、
豊臣軍は卓越した兵站が確立されているので、
長期の攻城が可能。
物資が尽きて撤退すると踏んでいた北条の読みは見事に外れ、
内通者まで出る始末で、無様な内部崩壊。
天下の情勢や客観的な相手との戦力差を考察できない氏政は、
安倍晋三のような能無しのクソ。
0255人間七七四年
2007/03/09(金) 03:45:32ID:HDL9aHtM0256人間七七四年
2007/03/09(金) 05:39:40ID:8eH9hpQ0>関東の北条の支城は全て豊臣軍に攻略され
つ忍城
0257人間七七四年
2007/03/09(金) 21:16:15ID:KlciBV79そのとうりだと思います。
って言うか、このスレは釣りじゃあないのか。
氏政が無能なのは明白なのだが。
0258人間七七四年
2007/03/09(金) 21:51:24ID:acNh4Dnp0259人間七七四年
2007/03/09(金) 22:52:18ID:UyTnfmYb無能て!おまえのことやろ。
0260人間七七四年
2007/03/10(土) 01:54:35ID:GS9Nzrlg釣られるな!
0261仙台藩百姓
2007/03/10(土) 03:13:24ID:Rw4/4R7W怖い連中がいなくなったのを幸いに
親から受け継いだ国力で小大名らを攻撃し
ちまちま領地を掠め取ったに過ぎないお( ^ω^)
それにしても政宗公が破竹の勢いで佐竹を追い詰めたからであって
政宗公の活躍がなかったら北関東の雑魚相手に一進一退を続けて生涯を終えたお
0262人間七七四年
2007/03/10(土) 06:10:26ID:6hLi90WW0263人間七七四年
2007/03/10(土) 09:28:14ID:Kbnp0M1Hそれこそ周りの小大名の領地を切り取るばかりで関東に出ることも
できなかった分際で、なにほざいてんだか
0264人間七七四年
2007/03/10(土) 10:09:33ID:ebKCXeMz0265仙台藩百姓
2007/03/10(土) 12:54:17ID:Rw4/4R7W信長にほとんど無視された状態だしね(≧ω≦)プッ
伊達家とも誼みを通じたと思っていたようだけど
政宗公は近いうちに関東攻略を始めると公言していたし(≧ω≦)プッ
とんだ勘違い野郎だね(≧ω≦)ブフフ
みんなにコケにされて憐れなり汁かけ飯('A`)
0266人間七七四年
2007/03/10(土) 15:50:17ID:Kbnp0M1Hどうせど田舎から出てきて、補給に苦しんで冬には帰るんだろ
城攻めの名人の秀吉でさえ大軍で支城を潰してから包囲したってのに
伊達ごときが単独で落とせるわけねーだろ
0267人間七七四年
2007/03/10(土) 16:22:52ID:YbhtrxbR0269人間七七四年
2007/03/10(土) 18:01:32ID:k4t+4GfM親父が凄すぎるから?
0270人間七七四年
2007/03/10(土) 18:17:28ID:NBqRpvS40271人間七七四年
2007/03/10(土) 19:04:14ID:k4t+4GfM先見の明はあんまりなかったのかもしれないけど。
0272人間七七四年
2007/03/10(土) 19:10:59ID:QtGqiuy+小田原征伐前、四国の長宗我部や九州の島津も秀吉に逆らって征伐され、
減封されただけで、本領は安堵されて生き残っている。
氏政が関白秀吉の惣武事令を無視し、
真田の名胡桃城を奪取したのも、
過去の例を鑑み、
秀吉軍が攻めて来て負けても、
最低限自家を保存できるという思いがあったからでは。
0273仙台藩百姓
2007/03/10(土) 19:31:43ID:Rw4/4R7W家康に比べれば北条はもっと楽に生き残れたはずだお
0274人間七七四年
2007/03/10(土) 21:38:46ID:NBqRpvS4氏直が生前山陰の一国貰える、という話をもらったのに死んでうやむやになった、という点も考えろ
272の言うように、
あとは上杉・毛利も言えることだが、
地方の覇者は一回は中央と戦ってるんだよ、どっかの矜持の欠片もないヘタレを除いてな
ああどこのヘタレだったっけ、なあ仙台藩百姓さんよ
0275人間七七四年
2007/03/11(日) 23:47:11ID:7kbxsdLb0276人間七七四年
2007/03/12(月) 00:19:07ID:R1HIc+cp0277人間七七四年
2007/03/12(月) 01:28:50ID:9Zvm/2vf0278仙台藩百姓
2007/03/12(月) 01:32:33ID:NC8LHG0o伊達家は京都扶持衆として活躍し守護職や探題職を承った名家ですよ
政宗公で十七代目
版籍奉還まで大大名として三十代続きました
五代やそこらで潰れた家とは訳が違いますよ(≧ω≦)プッ
0279人間七七四年
2007/03/12(月) 01:49:20ID:IczP2VzX0280人間七七四年
2007/03/12(月) 02:04:27ID:cC0mRqa90281人間七七四年
2007/03/12(月) 02:08:06ID:I09CrNzS0282人間七七四年
2007/03/12(月) 05:43:02ID:3zDrWhk/酷い話だな
伊達から法華を持ち込んだだけでも迷惑なのに
0283人間七七四年
2007/03/12(月) 07:03:28ID:rNhvjHwq>上杉・毛利も言えることだが、
地方の覇者は一回は中央と戦ってるんだよ、どっかの矜持の欠片もないヘタレを除いてな
ああどこのヘタレだったっけ、なあ仙台藩百姓さんよ
歴史認識が甘い。
上杉、毛利は信長亡き後、旭日昇天の秀吉の実力を素直に認め、
従順に秀吉の傘下に入っている。
伊達政宗の件だが、
天正十八年、関白秀吉の小田原征伐が発動された際、
無条件降伏して小田原に参陣したのは賢明な判断だ。
どう足掻いても勝てっこないんだから。
氏政のように愚かな選択をしたら、
伊達家の取り潰しは必定。
0285人間七七四年
2007/03/12(月) 09:33:46ID:dmQtU7Cxあの辺りの人にとってはただのよそ者でしかない。
しかも同じ外様でも、明治維新の中心となり徳川に対する恨みを晴らした
毛利・島津と違って、仙台伊達は完全に空気、蹂躙されるだけの存在だった。
家が続いたことを必死に自慢してる奴がいるけどバカじゃねえのw
家が続いたことは確かに立派だが、その子孫が何をしたかも重要だろ。
ある程度の地位をもらって満足し、幕藩体制になじんでしまった奴が
藩祖だもんな。そりゃ子孫もヘタレだわ。
0286人間七七四年
2007/03/12(月) 10:02:24ID:9Zvm/2vf0287人間七七四年
2007/03/12(月) 10:07:36ID:mkkDTRNR0288仙台藩百姓
2007/03/12(月) 11:49:33ID:NC8LHG0oだが伊達家は「善意」で会津救済の為に開戦したお
さすが伊達家(T_T)
でも正直伊達家が徳川の為に戦う理由もなく
大義ないのでは士気も奮わず中止した
別に会津が蹂躙されようと伊達家の責任ではない
感謝されても非難される覚えはないお( ^ω^)
0289人間七七四年
2007/03/12(月) 14:24:55ID:I09CrNzS(・∀・)カエレ!
0290人間七七四年
2007/03/12(月) 20:50:55ID:DrZeNKSn上杉・毛利が何で秀吉の力を認めたと思ってるんだ?
織田に攻めまくられた(特に景勝は滅亡を覚悟してるほどに)から、織豊系の恐ろしさを身をもって体感していたからだろうに
過程を無視して結果だけを自慢げに語られても困る
政宗の判断自体は妥当だったのは依存無い
ただしあんなギリギリまで粘って置いて賢明も何もないよ
大体あのタイミングで間に合ったのは北条が粘っていたおかげだろう
もし後一ヶ月はやく北条が降伏していたら取りつぶされていた危険性が高い
伊達厨はちょっとは氏政に感謝しとけ
0291人間七七四年
2007/03/12(月) 22:59:06ID:BJwNsve4交渉は決裂しなかった可能性も高い。
そしてこの一件が氏政の指示であったという証拠が無いかぎり
氏政が無能という理屈はなりたたんでしょ。
0292人間七七四年
2007/03/13(火) 00:34:57ID:+ppfNrhs結局は瀬戸際外交に失敗したんだろう
こういうのは結果論で批評していいと思う
0293人間七七四年
2007/03/13(火) 00:47:47ID:5keuxCws0294仙台藩百姓
2007/03/13(火) 01:34:20ID:rms9JIhu漁夫の利を獲ようと様子を窺っていたが
成す術もなくあっと言う間に追い詰められて終了
政宗公の神眼を持ってすら見抜けなかった無能ぶり
恐るべし蛆親子
0295人間七七四年
2007/03/13(火) 07:17:31ID:Ou28If4b盟友のピンチには日和りで答え、
下手な小細工をして失笑される政宗公ほどではありませんよ
0296人間七七四年
2007/03/15(木) 23:50:09ID:LBKJKq/Y単に時流が読めなかっただけだろ
0297人間七七四年
2007/03/16(金) 01:45:42ID:kziHh1+hしかしそれを差し引いても、十分有能だと思うけどな
0298人間七七四年
2007/03/16(金) 04:26:41ID:iMQszcFS何幕末まで生き延びてんだよ
ちょっとは動け…
0299人間七七四年
2007/03/16(金) 04:49:37ID:kziHh1+h0300人間七七四年
2007/03/16(金) 10:11:13ID:pwIFHN+30301人間七七四年
2007/03/17(土) 11:09:09ID:6xwM/xPg幕末の時に小藩でもなめられないように武装に金かけすぎて財政が破綻寸前だったそうだ
0303人間七七四年
2007/03/18(日) 03:40:52ID:1Bnn4GRE0304人間七七四年
2007/03/18(日) 19:13:39ID:2e/roEQL城代の命で大坂城の留守を預かって与力同心を取りまとめた狭山藩の数少ない見せ場
残念ながら狭山歴代藩主の評価は高くない、つーか低い
0305人間七七四年
2007/03/18(日) 19:34:51ID:FU96kxy2藩財政は苦しかったと聞くが
0306人間七七四年
2007/03/18(日) 21:58:24ID:N+h4Zb8+狭山のあの辺りなら川とかも近いからそこそこ農業でもやっていけると思うが。
(あの辺りは結構ため池も多い)
0307人間七七四年
2007/03/19(月) 14:03:06ID:0/CvdKLC■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています