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【外交】北条氏政を低評価してる奴は無価値【天才】

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0001去病 ◆jNfzY2GRwo 2006/12/20(水) 03:24:31ID:Br9Wr0JT
何か黙って聞いていれば氏政が無能だの、滅亡の最大要因だの、小田原評定だの
ごちゃごちゃ言ってるが、北条厨の俺から言わせれば決してそんなことはない
武田、上杉に加え、織田、徳川を相手に北条家の領地を増やし、繁栄させた氏政の手腕お見事
はっきり言って氏康が残したあんな難しい状況で、英断を連発した氏政は父の名に恥じない名将
まぁ、戦略的失敗はあったものの子の氏直も戦に関しちゃなかなかだと思うしね
北条家に凡庸君主はおらんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・!!グオゴゴゴ
0208仙台藩百姓2007/02/13(火) 21:56:30ID:A8PwOnY6
たんまりウンコでもしてくるお( ^ω^)
0209人間七七四年2007/02/13(火) 22:15:53ID:LuAtTqwh
207
この前行ってきたよ。そんで鈴持ち帰ってきた。
願いが叶ったら返しにいくといいらしい。
新鮮なフラワーが六束も備えてあったのが、深くにもグッときたな。
0210人間七七四年2007/02/13(火) 22:40:24ID:1gVqtCmK
親父に無能と世間にばらされた人だよね?
0211人間七七四年2007/02/13(火) 22:54:50ID:4WIpzYae
>>210
低評価は、滅亡後の物。家康と秀吉の対立が突然終わるとは、当時誰も思わなかったはず。
0212人間七七四年2007/02/14(水) 00:02:15ID:Lj6DLdOd
>>210
それの元ネタは中国の故事らしいですよ
0213人間七七四年2007/02/14(水) 02:26:52ID:KdlBQzsW
家の滅亡に徳川が関わってると、もれなく変なエピソード付けられて愚君扱いされてしまうからな。
0214人間七七四年2007/02/14(水) 10:07:02ID:x6ByroZL
親父に馬鹿にされるほど愚鈍だったんだよな。
そりゃ家臣もついてこない罠。
0215人間七七四年2007/02/14(水) 13:51:10ID:6jrDn17m
それなら馬鹿を当主にした親父も大概じゃね?ってことにならないか?
嘆くだけ嘆いて家を滅亡させるような奴を当主にすんなよwって感じで
まあ汁なんたらは完全な作り話だけど

何度もいわれてるが日本は幸村とか負けても良い終わり方人間は美化して
終わり方が格好悪いと必要以上に低評価するのはなんかなあ
0216人間七七四年2007/02/14(水) 15:16:10ID:Zwk27a6W
「馬鹿だから」なんて理由で廃嫡出来るわけないだろw
御家騒動の元になるだけ
だから北条家も終わりだって嘆いたんだろ
まあ、面白くするために後世に付けられた話しだが

100石200石の侍でも不祥事起こすと暗愚で凶悪な人物にされたりするわけで
250万石の大国あっけなく潰したんだから必要以上に酷評されるのは無理ない
0217人間七七四年2007/02/14(水) 17:15:41ID:rFRAvItN
むしろ長男新九郎が廃嫡だったんじゃないか?
瑞渓院腹じゃないらしいし
0218人間七七四年2007/02/14(水) 18:48:29ID:lB4JQMfA
>>217
新九郎は廃嫡じゃなくて単に早死にしただけでは?
0219人間七七四年2007/02/14(水) 19:08:12ID:hyplx/bl
>216
実際はそうだろうねぇw

まあ、北条が滅んだのは氏政だけのせいではないにしろ
事実上のトップが汚名を被るのは仕方ないんだろうな
いささかやりすぎの気もするけどそこは上にも言われてるように
秀吉とか家康と絡んだ分大きく誇張されてるのかもね。
もし小田原前に亡くなっていたら今よりもっと評価されたり
北条自体も大名として残ったかもしれないのかな?
0220人間七七四年2007/02/14(水) 19:35:17ID:79KgR5oO
氏政の失敗は、家康の心を読み違った事だけだろう。本当に馬鹿ならおとなしく上洛してるよ。それに最大領土も氏政だから。
0221人間七七四年2007/02/14(水) 19:59:16ID:tpgYZHWF
北条の凄いところは親兄弟の間に争いがまったくと言っていいほど起こっていないこと
今川家や武田家、織田家、長尾家、斉藤家の骨肉の争いは言うに及ばず、あの家康でさえ
子息を自刃に追いやっているのにである
毛利家と北条家の一族の団結の固さは戦国時代には極めて珍しい
滅亡の瞬間にもごく一部を除いて一族と家臣が最期まで団結していたのは驚愕に値する
武田家滅亡の際に裏切りと離散が繰り広げられたのとは対照的である
0222人間七七四年2007/02/14(水) 20:49:31ID:9knhWsRu
単に仲が良かったというだけならともかく、
実際は外様の家を継いで強大な固有の勢力をもつ氏照・氏邦と、
小田原や伊豆を治める身内の宗家は仲良しと言う訳でもなく、また氏照と氏邦の間も性格的な不一致はあったようだ。

さらには氏政と氏照は年齢的にもほとんど差がなく、氏照の方が若い時期から多くの実績を示していたため、
氏康の器量を受け継いだのは氏照では無いかと言う事で、一応そういう話もなくはなかったらしい(八王子資料)
にもかかわらず表立った後継争いは一切なく最後まで身内で争う事はなかった。
余程システムがしっかりしていたんだと思われる、それこそ法的な面だけでなく、精神的な面で。
0223人間七七四年2007/02/14(水) 22:11:53ID:rFRAvItN
氏照に関しては
氏邦と不仲だとか
妾腹だとか
三田の娘を連れ帰ったら嫁が愛人とカンチガイして娘を刺し殺したとか
謙信に倣って女色を断ったら嫁が浮気とカンチガイして子供道連れで自害したとか
わけわからん逸話が多い

つーか比佐怖ぇー
0224人間七七四年2007/02/15(木) 02:31:29ID:kVkoAxLk
家を潰したっつっても秀吉の一存だからなあ。
なんで氏政氏照は助命されなかったのか分からん。
その後なし崩しに取り潰し。
0225霍去病 ◆jNfzY2GRwo 2007/02/15(木) 09:25:55ID:Y0S5bugp
北条は最後まで抵抗したってのもあるけどのさばらせておくと危険だしな
0226人間七七四年2007/02/15(木) 12:02:21ID:kVkoAxLk
そういう意味では毛利島津よりヤバイ存在→人物的には上とも取れるな。
0227人間七七四年2007/02/15(木) 13:23:29ID:CSMnm0wp
秀吉は傘下に入ったとはいえ依然強力な勢力である徳川を弱体化させたい。
そして、徳川の隣に同盟関係だった北条がいると危険。

氏政がどうというよりもこういう情勢であった為、島津とは違う処置になったように思える。
北条も転封で良かったように思えるけど、そこらへんは良く分からんなあ。
0228人間七七四年2007/02/15(木) 16:47:24ID:1oCydzjx
この時期の秀吉は小牧長久手の負けを引きずっているから、完全な勝利を見せつける必要があったのだろう。
0229人間七七四年2007/02/15(木) 20:33:41ID:R6G0hV4V
家康は結果的に強力な武田遺臣と北条氏が100年かけて整備した肥沃な関東平野を手に入れたわけだ
0230人間七七四年2007/02/15(木) 21:07:06ID:cayFGp5K
家康がやたら関東平野に野心が無いと
北条に申し開きをしてるのが逆に怪しく感じるな
0231人間七七四年2007/02/15(木) 22:25:36ID:R6G0hV4V
それにしても風魔一党の末路は哀れであった
家康も召抱えて隠密に使ってあげればよかったのに
0232人間七七四年2007/02/16(金) 02:03:44ID:cKsrAy1f
>231
家康は伊賀や甲賀のものをすでに召抱えているから必要なかったんじゃない?
仮に風魔一党を召抱えると伊賀や甲賀系と仲違いして内輪もめになる可能性もあったと思うし。
0233人間七七四年2007/02/20(火) 13:13:22ID:T1KVEqQs
氏政ってある意味不幸かも…

そーいや昔、某野望をプレイしてた時に氏康が死んだ後に何故か氏政ではなく氏照が北条家当主になってたよ…

バグかと思ったが、何度プレイしてもコンピュータは氏照を当主にしてた。

本当に氏政は不幸だ…
0234人間七七四年2007/02/22(木) 01:19:29ID:vruV4qz5
【関東】川越夜戦【分け目の決戦】
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1172072178/
0235人間七七四年2007/02/22(木) 09:56:42ID:TghmFN9Q
俺なんか某野望をプレイしてたとき
氏康が亡くなったので、氏政を後継者にしたんだ
そうしたら、武蔵で氏照が、上野で氏照が独立したぜ
あのときは泣きたくなった
0236人間七七四年2007/02/22(木) 13:35:10ID:z4yMGhzL
>>235

そ、そりゃ本当か!?

うーん、北条兄弟は仲が悪いのか?

不思議だ…
0237人間七七四年2007/02/22(木) 17:23:32ID:SW8PZxBN
ゲームの北条家は悲しいほど分裂してくれる。
能力値はどうでもいいんで、まずそこの改善をお願いします。
0238人間七七四年2007/02/22(木) 18:44:46ID:D2sBAY0o
能力値はどうでも良くはないが、
独立する氏照・氏邦を見たときの切なさに比べればまだ耐えられるw
0239人間七七四年2007/02/25(日) 22:47:08ID:793vmoq3
>>235
氏照が二人か
0240_2007/02/28(水) 05:54:56ID:GsjZN53x
>>207
氏政公は純愛だったよね。親の都合で別れさせられ、その奥さん(黄梅院。通称梅さん)
は別れた直後にショックで病死しちゃうし。確か20台で。
0241人間七七四年2007/03/03(土) 15:01:00ID:AR8uw2gN
氏政とお梅さんの子の氏直は
祖父・信玄の生き写しだったというね
0242人間七七四年2007/03/04(日) 19:16:05ID:BOmM+Frg
氏直は信玄というよりも、信長とか勝頼みたいなタカ派で決戦派なんだよね。
氏康とか氏政みたいなとりあえず篭って、勝機を見出すというタイプじゃなかったし
秀吉との戦いでも決戦を志望したし。

長篠の二の舞になっていた可能性が高い。
0243人間七七四年2007/03/04(日) 19:18:02ID:hh8GjlM0
氏直が決戦を志望してたのって初めて聞いた、
家康の婿という関係上反対してたのは知ってるけど。
0244人間七七四年2007/03/04(日) 19:22:42ID:BOmM+Frg
>>243
秀吉戦では、決戦派(野戦派)と篭城派(氏政等)と降伏派に分かれたわけだけど、
氏直、氏邦が決戦を志向していたのにも関わらず、
氏政とかが反対して意見に決着が着くまでとりあえず意見が出るまで
篭ってみようとなったのが篭城であり小田原評定。

結局氏直が降伏したから開城となったけど。
0245人間七七四年2007/03/04(日) 22:07:01ID:NIRaD43y
>>244
違う、籠城で決まってる
それにブチ切れて氏邦が鉢形へ帰ったという話もある
いわゆる「小田原評定」は根拠がない、イメージだけの言葉

なお、軍評定の後も幾度と無く評定は開かれているが、
そもそも月二回通常の評定は開かれる訳で
0246人間七七四年2007/03/04(日) 22:24:58ID:BOmM+Frg
>>245
氏直も氏邦と同じような意見だったのはわかる?

ようするに、篭城に決まったのはいいものの氏直は決戦を主張していたことも間違いが無いし
「篭城」することを決めたのは氏直じゃなくて氏政だったからな。

氏政は小田原城さえあればどうにかなると判断していたんだろうけど、
氏直は小田原城の防御力なんて信じていなかったのは当然だし
秀吉が撤退するとは思えなかったのも当然だろうし(だから降伏した)
0247人間七七四年2007/03/04(日) 22:49:27ID:hh8GjlM0
氏直が氏邦と同意見って言うのは何の記述が根拠?
0248人間七七四年2007/03/05(月) 06:05:58ID:wKYTBHrI
小説
0249人間七七四年2007/03/05(月) 07:13:06ID:MICx35Zx
まさか
0250人間七七四年2007/03/05(月) 07:37:10ID:jKA8XU1j
>>244、246
小田原評定で妥協案としての籠城だったのか、そもそも評定で籠城と決まったのか、
どっちなんだよw
0251人間七七四年2007/03/08(木) 22:28:05ID:Sbq9ziqP
篭城を決定づけたのは松田憲秀の意見が大きいわな。
0252人間七七四年2007/03/08(木) 23:38:45ID:4+p3KZO/
秀吉が最も得意とする城攻めをさせる篭城を選択した事自体

氏政の無能を如実に物語る

過去の秀吉の戦歴を全く考察していない怠慢は度し難い無能
0253仙台藩百姓2007/03/09(金) 01:27:09ID:JyTZHGM0
篭城は間違ってないお
野戦じゃ一瞬で壊滅して終わりだお( ^ω^) 
寡兵相手でも勝てない弱々北条が大軍相手に打って出ても万に一つも勝ち目ない
どのみち開戦した時点で終わってるし
犠牲が少なくて済んだだけ篭城して正解だお
0254人間七七四年2007/03/09(金) 02:16:35ID:TvJWIWfM
篭城だろうと野戦だろうと後北条氏に勝ち目は皆無。
天下の大半を制した関白秀吉との実力差は明らかで、
無謀にも秀吉に逆らった時点で後北条氏の破滅は決まっていた。

しかも氏政は、かつて小田原城に攻めて来た上杉軍を篭城で撤退させた成功体験を盲信し、
秀吉軍に対しても同じ戦法が通用すると思っていたのだからお笑いだ。

関東の北条の支城は全て豊臣軍に攻略され、
取り残された小田原城は完全包囲。

城内の物資は減る一方なのに対し、
豊臣軍は卓越した兵站が確立されているので、
長期の攻城が可能。

物資が尽きて撤退すると踏んでいた北条の読みは見事に外れ、
内通者まで出る始末で、無様な内部崩壊。

天下の情勢や客観的な相手との戦力差を考察できない氏政は、
安倍晋三のような能無しのクソ。

0255人間七七四年2007/03/09(金) 03:45:32ID:HDL9aHtM
豊臣方の物資は結構かつかつだったという話もあるがな
0256人間七七四年2007/03/09(金) 05:39:40ID:8eH9hpQ0
>秀吉が最も得意とする城攻め
>関東の北条の支城は全て豊臣軍に攻略され

つ忍城
0257人間七七四年2007/03/09(金) 21:16:15ID:KlciBV79
>>254
そのとうりだと思います。
って言うか、このスレは釣りじゃあないのか。
氏政が無能なのは明白なのだが。
0258人間七七四年2007/03/09(金) 21:51:24ID:acNh4Dnp
最盛期を築いた手腕は無視ですか、そうですか
0259人間七七四年2007/03/09(金) 22:52:18ID:UyTnfmYb
>>257
無能て!おまえのことやろ。
0260人間七七四年2007/03/10(土) 01:54:35ID:GS9Nzrlg
>>259
釣られるな!
0261仙台藩百姓2007/03/10(土) 03:13:24ID:Rw4/4R7W
武田が滅び上杉は内乱で疲弊し関東どころじゃなくなった
怖い連中がいなくなったのを幸いに
親から受け継いだ国力で小大名らを攻撃し
ちまちま領地を掠め取ったに過ぎないお( ^ω^)
それにしても政宗公が破竹の勢いで佐竹を追い詰めたからであって
政宗公の活躍がなかったら北関東の雑魚相手に一進一退を続けて生涯を終えたお
0262人間七七四年2007/03/10(土) 06:10:26ID:6hLi90WW
なるほど
0263人間七七四年2007/03/10(土) 09:28:14ID:Kbnp0M1H
>>261
それこそ周りの小大名の領地を切り取るばかりで関東に出ることも
できなかった分際で、なにほざいてんだか
0264人間七七四年2007/03/10(土) 10:09:33ID:ebKCXeMz
上杉の内乱に積極的に介入して景虎を当主の座につけた後、武田勝頼、上杉景虎が織田、徳川に滅ぼされないよう支援する。第一武田勝頼を見捨てて織田と組んでも、本能寺の変が起こらなかったら織田にほろぼされただろ。織田に対しても武田に対しても日和見だし。
0265仙台藩百姓2007/03/10(土) 12:54:17ID:Rw4/4R7W
仲間のつもりで織田と同時に武田に侵攻したけど
信長にほとんど無視された状態だしね(≧ω≦)プッ
伊達家とも誼みを通じたと思っていたようだけど
政宗公は近いうちに関東攻略を始めると公言していたし(≧ω≦)プッ
とんだ勘違い野郎だね(≧ω≦)ブフフ
みんなにコケにされて憐れなり汁かけ飯('A`)
0266人間七七四年2007/03/10(土) 15:50:17ID:Kbnp0M1H
伊達が関東攻略ってwwwww本気で成功すると思ってんのかよ
どうせど田舎から出てきて、補給に苦しんで冬には帰るんだろ
城攻めの名人の秀吉でさえ大軍で支城を潰してから包囲したってのに
伊達ごときが単独で落とせるわけねーだろ

0267人間七七四年2007/03/10(土) 16:22:52ID:YbhtrxbR
だから釣られんなって
0268人間七七四年2007/03/10(土) 16:28:59ID:Kbnp0M1H
>>267
空気悪くしてすまない。いや、うまそうな餌だったもんでw
0269人間七七四年2007/03/10(土) 18:01:32ID:k4t+4GfM
よくわかんないけど、北条氏政って低評価されてるの?
親父が凄すぎるから?
0270人間七七四年2007/03/10(土) 18:17:28ID:NBqRpvS4
家を滅ぼしたから+後に入ってきたのが戦国の最終勝利者だから(プロパガンダの一貫で貶められる)
0271人間七七四年2007/03/10(土) 19:04:14ID:k4t+4GfM
家を滅ぼしたっていっても、どっちみち秀吉とか家康相手じゃ難癖つけられて滅ぼされるのは目に見えてたんじゃない?
先見の明はあんまりなかったのかもしれないけど。
0272人間七七四年2007/03/10(土) 19:10:59ID:QtGqiuy+
氏政を擁護するとしたなら、
小田原征伐前、四国の長宗我部や九州の島津も秀吉に逆らって征伐され、
減封されただけで、本領は安堵されて生き残っている。

氏政が関白秀吉の惣武事令を無視し、
真田の名胡桃城を奪取したのも、
過去の例を鑑み、
秀吉軍が攻めて来て負けても、
最低限自家を保存できるという思いがあったからでは。
0273仙台藩百姓2007/03/10(土) 19:31:43ID:Rw4/4R7W
家康のウンコたれですら秀吉と合戦までしたけど豊臣政権最大勢力として残ったお( ^ω^)
家康に比べれば北条はもっと楽に生き残れたはずだお
0274人間七七四年2007/03/10(土) 21:38:46ID:NBqRpvS4
家が残ったかどうかで言えば、
氏直が生前山陰の一国貰える、という話をもらったのに死んでうやむやになった、という点も考えろ

272の言うように、
あとは上杉・毛利も言えることだが、
地方の覇者は一回は中央と戦ってるんだよ、どっかの矜持の欠片もないヘタレを除いてな
ああどこのヘタレだったっけ、なあ仙台藩百姓さんよ
0275人間七七四年2007/03/11(日) 23:47:11ID:7kbxsdLb
名胡桃の一件が、氏政の意思かどうかはハッキリせんだろ。
0276人間七七四年2007/03/12(月) 00:19:07ID:R1HIc+cp
伊達なんて常陸の片田舎から出てきた出自不明のへっぽこ武士だろ。
0277人間七七四年2007/03/12(月) 01:28:50ID:9Zvm/2vf
氏真でさえ家を残したというのに・・
0278仙台藩百姓2007/03/12(月) 01:32:33ID:NC8LHG0o
物を知らぬにも程があるお(;^ω^)
伊達家は京都扶持衆として活躍し守護職や探題職を承った名家ですよ
政宗公で十七代目
版籍奉還まで大大名として三十代続きました
五代やそこらで潰れた家とは訳が違いますよ(≧ω≦)プッ
0279人間七七四年2007/03/12(月) 01:49:20ID:IczP2VzX
嫡流が消えただけで家自体は大名として幕末まで続いた件について
0280人間七七四年2007/03/12(月) 02:04:27ID:cC0mRqa9
というか伊達みたいに由緒の怪しい家と、伊勢一門の北条を家格で比較してどうする
0281人間七七四年2007/03/12(月) 02:08:06ID:I09CrNzS
江戸時代途中から後北条は伊達の一門に乗っ取られましたが
0282人間七七四年2007/03/12(月) 05:43:02ID:3zDrWhk/
その伊達の一門が後の喪家学会4代会長を生むわけだ
酷い話だな
伊達から法華を持ち込んだだけでも迷惑なのに
0283人間七七四年2007/03/12(月) 07:03:28ID:rNhvjHwq
>>274
>上杉・毛利も言えることだが、
 地方の覇者は一回は中央と戦ってるんだよ、どっかの矜持の欠片もないヘタレを除いてな
 ああどこのヘタレだったっけ、なあ仙台藩百姓さんよ


歴史認識が甘い。
上杉、毛利は信長亡き後、旭日昇天の秀吉の実力を素直に認め、
従順に秀吉の傘下に入っている。

伊達政宗の件だが、
天正十八年、関白秀吉の小田原征伐が発動された際、
無条件降伏して小田原に参陣したのは賢明な判断だ。
どう足掻いても勝てっこないんだから。
氏政のように愚かな選択をしたら、
伊達家の取り潰しは必定。




0284人間七七四年2007/03/12(月) 07:15:34ID:cC0mRqa9
>>282
幕末のgdgdぶりを見るだけでも、仙台藩にとっても伊達は疫病神だよ…
0285人間七七四年2007/03/12(月) 09:33:46ID:dmQtU7Cx
もともと仙台藩に該当する地域にいたわけでもないしな。
あの辺りの人にとってはただのよそ者でしかない。
しかも同じ外様でも、明治維新の中心となり徳川に対する恨みを晴らした
毛利・島津と違って、仙台伊達は完全に空気、蹂躙されるだけの存在だった。
家が続いたことを必死に自慢してる奴がいるけどバカじゃねえのw
家が続いたことは確かに立派だが、その子孫が何をしたかも重要だろ。
ある程度の地位をもらって満足し、幕藩体制になじんでしまった奴が
藩祖だもんな。そりゃ子孫もヘタレだわ。
0286人間七七四年2007/03/12(月) 10:02:24ID:9Zvm/2vf
たしかに、氏政がヘタレなのは氏康のせいだよな(笑)
0287人間七七四年2007/03/12(月) 10:07:36ID:mkkDTRNR
伊達がドンゴリなお陰で薩長土肥の兵隊はレイプしまくることが出来たわけだ。
0288仙台藩百姓2007/03/12(月) 11:49:33ID:NC8LHG0o
本来なら他藩のように勝馬に乗ればよかったんだお
だが伊達家は「善意」で会津救済の為に開戦したお
さすが伊達家(T_T)
でも正直伊達家が徳川の為に戦う理由もなく
大義ないのでは士気も奮わず中止した
別に会津が蹂躙されようと伊達家の責任ではない
感謝されても非難される覚えはないお( ^ω^)
0289人間七七四年2007/03/12(月) 14:24:55ID:I09CrNzS
伊達はスレ違いだし、幕末は板違いだ
(・∀・)カエレ!
0290人間七七四年2007/03/12(月) 20:50:55ID:DrZeNKSn
>>283
上杉・毛利が何で秀吉の力を認めたと思ってるんだ?
織田に攻めまくられた(特に景勝は滅亡を覚悟してるほどに)から、織豊系の恐ろしさを身をもって体感していたからだろうに
過程を無視して結果だけを自慢げに語られても困る

政宗の判断自体は妥当だったのは依存無い
ただしあんなギリギリまで粘って置いて賢明も何もないよ
大体あのタイミングで間に合ったのは北条が粘っていたおかげだろう
もし後一ヶ月はやく北条が降伏していたら取りつぶされていた危険性が高い
伊達厨はちょっとは氏政に感謝しとけ
0291人間七七四年2007/03/12(月) 22:59:06ID:BJwNsve4
上にも書いてあるが、名胡桃城の奪取が無ければ豊臣=北条の
交渉は決裂しなかった可能性も高い。
そしてこの一件が氏政の指示であったという証拠が無いかぎり
氏政が無能という理屈はなりたたんでしょ。
0292人間七七四年2007/03/13(火) 00:34:57ID:+ppfNrhs
名胡桃は突発性だと思うけど
結局は瀬戸際外交に失敗したんだろう
こういうのは結果論で批評していいと思う
0293人間七七四年2007/03/13(火) 00:47:47ID:5keuxCws
結果論だと面白みないでしょ。アホでも言えるし。
0294仙台藩百姓2007/03/13(火) 01:34:20ID:rms9JIhu
政宗公もまさか北条がここまで役立たずだとは思わなかったお(;^ω^)
漁夫の利を獲ようと様子を窺っていたが
成す術もなくあっと言う間に追い詰められて終了
政宗公の神眼を持ってすら見抜けなかった無能ぶり
恐るべし蛆親子
0295人間七七四年2007/03/13(火) 07:17:31ID:Ou28If4b
落ち目のものしか戦って勝てず、
盟友のピンチには日和りで答え、
下手な小細工をして失笑される政宗公ほどではありませんよ
0296人間七七四年2007/03/15(木) 23:50:09ID:LBKJKq/Y
逆に氏政の悪い点を指摘するほうが難しくね?
単に時流が読めなかっただけだろ
0297人間七七四年2007/03/16(金) 01:45:42ID:kziHh1+h
まあそれが最大の欠点な訳だが
しかしそれを差し引いても、十分有能だと思うけどな
0298人間七七四年2007/03/16(金) 04:26:41ID:iMQszcFS
結果 一万一千石…
何幕末まで生き延びてんだよ
ちょっとは動け…
0299人間七七四年2007/03/16(金) 04:49:37ID:kziHh1+h
むしろ江戸期に滅びるべきだった
0300人間七七四年2007/03/16(金) 10:11:13ID:pwIFHN+3
300回目の汁かけ!
0301人間七七四年2007/03/17(土) 11:09:09ID:6xwM/xPg
明治の廃藩置県の時まっさきに名乗りをあげたのが狭山藩(北条氏)
幕末の時に小藩でもなめられないように武装に金かけすぎて財政が破綻寸前だったそうだ
0302人間七七四年2007/03/17(土) 15:51:44ID:Cq4NTRxK
>>301
さすが伊達政宗の血筋、あとさき考えない金の使い方だ
0303人間七七四年2007/03/18(日) 03:40:52ID:1Bnn4GRE
見栄っ張りで意地もなく権力者に尻尾を振るのなんかは政宗の血だろうな
0304人間七七四年2007/03/18(日) 19:13:39ID:2e/roEQL
でもそれ大塩平八郎のときからだからまだ氏恭じゃないよ
城代の命で大坂城の留守を預かって与力同心を取りまとめた狭山藩の数少ない見せ場
残念ながら狭山歴代藩主の評価は高くない、つーか低い
0305人間七七四年2007/03/18(日) 19:34:51ID:FU96kxy2
何か累代の偉そうな家臣の知行地が多くて
藩財政は苦しかったと聞くが
0306人間七七四年2007/03/18(日) 21:58:24ID:N+h4Zb8+
一万石っていっても表高だからねー実高はどうだったのだろうか?
狭山のあの辺りなら川とかも近いからそこそこ農業でもやっていけると思うが。
(あの辺りは結構ため池も多い)
0307人間七七四年2007/03/19(月) 14:03:06ID:0/CvdKLC
自称官軍の天誅組にタカられたのが駄目押しだったかも
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