トップページsengoku
149コメント50KB

武田家滅亡を防ぐには 2

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/05(火) 19:36:42ID:P9geflSu
上杉家は明治まで存続したのに対し
武田家はあっけなく滅亡してしまいました。
滅亡を防ぐにはどうすればよかったのでしょうか。

武田家滅亡を防ぐには
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154886583/
0002名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/06(水) 00:11:21ID:cJPaHD3b
無理
0003名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/06(水) 05:00:34ID:4KH8RKWZ
武田家も嫡流は滅んだが織田家も嫡流は滅んでるからな
覇王の系譜はかならず滅びるという歴史の教訓だ
0004名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/06(水) 22:41:06ID:w/93xQk7
( ´゚ω゚` )
0005名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/08(金) 09:02:31ID:D39BL5zd
(・ω・;)
0006名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/08(金) 12:30:21ID:hKW6akbl
(^ω^; )
0007名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/08(金) 18:44:46ID:eqIm4CU9
      ,ィ                      __
      ,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、        , -‐、/./.- 、
    / | |    ヽ   l l        ( 火◇風 ノ
  /o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、      ノ ◇ ◇ (
  /o O / l´ ノ      ヽ lo ',ヽ      ( 山◇ 林 }
  \___/. ト、  ●    ● ハ  ∧      `⌒/7へ‐´  
 / ,イ   レ_ ;  ( _●_) ミl~T--‐彡    /./      
/ ̄ ̄l.  彡、   |∪|  ノ'l  l::::::::::彡ー7⌒つ、     
彡:::::::::::l  ト、___ヽノ /|  l::::::::::::ミ  {,_.イニノ   
彡ソ/ノハ   ト、 \  / ,イ  川ハ ヾー‐'^┴ 
0008名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/09(土) 17:50:23ID:LBKNr8nE
マジレス!するとまず考えられるにポイントは二つ!上洛途上!信玄亡き後の武田軍の選択!もう一つは長篠の戦い!あとは自由に議論して欲しいがまぁこれは俺!個人の考えでもありこぉいう仮説を唱えている人は、たくさんいるだろうが前者の方で考えればあそこは甲斐に引き返す
00092006/12/09(土) 18:01:38ID:LBKNr8nE
のではなくて三方が原での勝利!勢いそのままに信玄亡き後も上洛を続けせめて信長を潰すべきだった。後者で考えれば戦さの結果!多くの有能な重臣を失った事を考えればあのタイミングで信長と対峙するのは避けるべきだったといえるだろう...
0010名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/09(土) 18:23:48ID:wsTPP4XE
武田単独じゃ信長は倒せない。
朝倉が逃げた時点で勝機は去ってるよ。
0011名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/09(土) 18:55:37ID:LBKNr8nE
いやあの時点で押してれば信長はかなりヤバかったよ↓絶対的カリスマ!信玄が没っしたとはいえあそこで引いて信長に時間的猶予!与えてしまったのが運のツキ↓
0012名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/09(土) 21:50:16ID:zvsF6jVW
甲斐武田家存続の可能性
日本史@2ch
0013名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/06(火) 18:08:37ID:6WPSxryU
次スレに移行した途端、過疎ったなあー。

とりあえず信長に臣従するべきだったのでは。
0014人間七七四年2007/02/12(月) 10:06:20ID:84pds1NV
ポイントは最初の駿河侵攻。
あれで氏康が邪魔しなければ駿河・遠江を短期間で落とし
徳川は勢力を拡大できないままに強大化した武田と相対する事になり
かなり厳しい情勢になったと思われる。
ま、それが逆に武田滅亡を早める可能性もあるが。
0015人間七七四年2007/02/16(金) 09:28:55ID:s22TsVYx
川中島が余計な仕事だったように思える。
もし上杉と同盟して、後ろの心配を無くした上で駿河・三河に進行していたら・・・
0016人間七七四年2007/02/16(金) 09:39:38ID:7NOnz0rL
上杉と同盟するってことは信濃の過半を放り出すということ
それじゃ駿河攻略する力がつかない
0017人間七七四年2007/02/16(金) 12:27:28ID:AFS099Bt
マジレスすると3国同盟しなきゃ良かった。
北条と結んで今川アボンだけで充分
0018人間七七四年2007/02/16(金) 12:29:51ID:EidaDHtH
今川攻めたら北条は今川に味方するだろ
落ち目の氏真時代でさえそうだったのに同盟以前の状況でどうしろと
却って武田が壊滅、良くて信虎以前の状態に逆戻り
0019人間七七四年2007/02/16(金) 12:33:37ID:JjOxi/Ru
結局三国同盟とはなんだったのか
0020人間七七四年2007/02/16(金) 15:17:20ID:LPoxj3/m
信濃なんて蕎麦畑じゃなく相模取ってりゃよかったのに
0021人間七七四年2007/02/16(金) 15:37:02ID:RsiGCYhD
>>18
そりゃ通達も協議もなく「今川攻めたけど味方してね」じゃ不信抱く。
いつ自分が今川の立場に立たされるかわからんからな。
0022人間七七四年2007/02/16(金) 16:42:32ID:JjOxi/Ru
村上、今川、武田の三国同盟なら天下取れた。
0023人間七七四年2007/02/17(土) 00:09:11ID:ohA7sNuI
三国同盟以前の今川と北条は争っていたから、話のもっていきようでは北条を
味方につけることも不可能ではなかったろうがね。
0024人間七七四年2007/02/17(土) 16:05:14ID:szrUWiGN
信玄が死んだあとも西上の意見に賛成。その方が逆に信玄が
死んだ事はばれなかったと思うし、朝倉が撤退していてもまだ
信長には武田に全兵力をぶつけることはできないだろうしね。
信長を潰せなかったにしても大打撃を与える事は出来たはず。
0025人間七七四年2007/02/17(土) 16:49:13ID:wJ3uU8FS
空中もとやチョップが使えたなら上杉、北条とてうかつには近付けまい!
0026人間七七四年2007/02/17(土) 17:31:34ID:/w7wow1G
とりあえず長篠を避けていたら本能寺の時に武田は存在していた…
0027人間七七四年2007/02/17(土) 18:07:13ID:3ejkOqFu
武田が滅亡しないなら本能寺も起きない。
0028人間七七四年2007/02/17(土) 19:08:56ID:/w7wow1G
いや武田の存在はあのころ小さくなってきているはずだから…同じような事がなにかが怒ってもおかしくないぞ素人めばかやろう…
0029人間七七四年2007/02/17(土) 21:54:35ID:+/AzTRGY
武田義信が武田家をついで武田信玄隠居、武田勝頼は武将にして3国同盟を守って今川氏真と共に上洛。
0030人間七七四年2007/02/18(日) 01:10:10ID:vl7DLho6
となると形の上では今川が上になるが…しっくりこないな
0031人間七七四年2007/02/18(日) 01:13:34ID:Cg8OydVg
けっきょく小笠原も村上も家をつないだからな。
終わって見ればみんな旗本程度の小領主。
0032人間七七四年2007/02/18(日) 01:22:55ID:efX1xOgV
小笠原は譜代にして筑前小倉藩15万石の大身でわ
0033人間七七四年2007/02/18(日) 01:51:56ID:vl7DLho6
武田も長篠戦ってなかったらあるいは関ケ原に参戦してたりしてな…5大老ではなく6大老になってたりして その前に武田が甲斐信濃2国もってたら家康の力は少なくても3割か4割減だろうな 関ケ原じたいなかったかもしれないな。
0034人間七七四年2007/02/18(日) 03:14:00ID:ZTOq6XrN
信玄が死んだフリして長篠に織田・徳川連合軍を誘き寄せ一網打尽。
上杉謙信と仲直りして組んでれば尚最高かつ最強。
そして天下統一の為、舞台は九州に以下略。
0035人間七七四年2007/02/18(日) 03:39:48ID:vl7DLho6
あ、その前に小牧長久手もないだろう…いやあったら徳川は滅亡か三河か遠江あたりの一国だけの大名だったろうな いややはり甲斐信濃の国力は武田のものだから家康にはそんな力はないな
0036人間七七四年2007/02/18(日) 03:50:12ID:z55wqnIj
>>34最初の方はまんま乱世幻記だな。
0037人間七七四年2007/03/17(土) 13:47:45ID:uR0GiCRs
       ,ィ                      __
      ,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、        , -‐、/./.- 、 書き込みのはやきこと風の如く
    / | |    ヽ   l l        ( 火◇風 ノ
  /o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、      ノ ◇ ◇ (  他人と会話せざること林の如く
  /o O / l´ ノ      ヽ lo ',ヽ      ( 山◇ 林 }
  \___/. ト、  ●    ● ハ  ∧      `⌒/7へ‐´  ネットで煽ること火の如く
 / ,イ   レ_   ( _●_) ミl~T--‐彡    /./
/ ̄ ̄l.  彡、   |∪|  ノ'l  l::::::::::彡ー7⌒つ、    部屋から動かざる事山の如し
彡:::::::::::l  ト、___ヽノ /|  l::::::::::::ミ  {,_.イニノ
彡ソ/ノハ   ト、 \  / ,イ  川ハ ヾー‐'^┴
0038人間七七四年2007/03/17(土) 20:47:13ID:ja3ebWlN
1572年。信玄死去。家督をついだ勝頼は駿・遠・三から撤退。
秋山信友は美濃を棄て、甲斐に戻り勝頼の相談役に。また、旗頭はあくまで武田信勝とし、馬場・山県・内藤・原・甘利・高坂などの譜代重臣を繋ぎとめておく。
0039人間七七四年2007/03/17(土) 20:54:52ID:ja3ebWlN
木曾・穴山・一条などの親族衆は当主は新府城詰めにしておき、三枝・駒井・小山田・曽根・横井・小幡などの足軽大将クラスを織田・徳川領国境に配置。
決してこちらから攻めずに、国力の温存。
謙信死後の御館の乱では、北条氏とともに景虎をもり立てる。
0040人間七七四年2007/03/17(土) 21:05:09ID:ja3ebWlN
景虎が上杉の当主になったら、武田・北条・上杉の三国同盟を結ぶ。
北条と共に駿河に進攻。東駿河を北条氏に。西駿河武田が統治。
海津城の高坂昌信に真田・依田・小笠原信峯・木曾を与力とし、美濃に出兵。
勝頼と信勝は重臣らと共に三河作手城、長篠城を攻める。
0041人間七七四年2007/03/17(土) 21:07:28ID:2QQgKAuJ
その結果、知行を減らされた家臣たちの不満が高まり一部の信濃衆が隣国と手を結ぼうとする。
それを見て勝頼以下甲斐の軍勢8千で討伐に出るも三河勢が不穏な動きを見せたので城の包囲に兵を残して甲斐に戻る
武田の動員力減少を見て取った信濃衆が各所で不穏な動きをするも押さえ込むのに時間を要す
その間に三河勢が小豪族化した遠江、駿河を軍事外交で制圧し甲斐を南側からけん制する。
結果、武田は信濃への動員力が落ちる
0042人間七七四年2007/03/17(土) 21:10:45ID:ja3ebWlN
山方三方衆を威圧し、味方につける。三・遠の交通を遮断し、各個撃破していく。徳川を滅ぼしたら、本願寺・六角拯偵・毛利らと織田包囲網を築き、総力戦。
あぁ続き考えるのメンドクセ
0043人間七七四年2007/03/19(月) 21:53:19ID:yDl5umKX
武田晴信が隠居して武田義信が家督相続して武田家当主、3国同盟を守って徳川を今川氏真に滅ぼさせる。織田は武田と今川で倒す、あるいは上杉と和平を結んで今川、武田、上杉で織田に対抗、北条氏を説得する。
0044人間七七四年2007/03/28(水) 19:46:44ID:yaZ4AcgN
勝頼が武田のもとにいた信長の庶子、勝長を送り返してきたのは
実は信長との和睦を望んでいたからともいう。
それを知ってか知らずか信長は武田討伐の軍を起こし、それが信長の
周辺を手薄にさせ、結果本能寺の変につながった。
武田は自らが滅びることで信長を道連れにしたとも言える。
0045人間七七四年2007/03/28(水) 23:14:14ID:v9uYvn3K
結局信長が武田滅亡にこだわらなければ本能寺は起こらず、
両者とも生存できたということなんだろうな。
0046人間七七四年2007/05/06(日) 00:29:14ID:ASY6ZRTh
0047人間七七四年2007/05/06(日) 14:27:52ID:wQrH+mRZ
なまじ 信玄が京に向かわせたのが 間違い!義昭なんかに 振り回されてからに
0048人間七七四年2007/05/06(日) 18:44:04ID:x1naqOyq
確かに、信長はそれを根に持って武田と和睦などは
ありえないと思っていたようだし。
信玄と敵対した時の互いの宣伝合戦は凄まじいものがある。
だが武田を滅ぼした後わずか3ヶ月で信長父子は死。
信長にとって武田を滅ぼしたのが本能寺に直結したとは
言えないだろうが運命の分かれ目だったのは間違いないな。
0049人間七七四年2007/05/22(火) 06:31:28ID:ra9UC8aM
でもさ、明智なんて直属中の直属部下ジャン。そこが裏切っちゃったら
もうどうしょもないっしょ。手薄な状態は作るべきではないが、武田
でも上杉でもあそこまで領土広がったらそういう状態はできるんじゃ
ないか。そこで、明智ほどの直属に寝返られたら終わりだろう。
信長の管理力の無さと言ってしまえばそれまでだけど。
0050人間七七四年2007/06/28(木) 23:49:34ID:SGlKxviZ
 
0051人間七七四年2007/06/29(金) 00:19:21ID:v4zKzzhF
むしろ管理力がありすぎて謀反されたと言った方が正しい
0052人間七七四年2007/06/29(金) 07:32:03ID:BVHrJ7SL
>>31
それを言えば武田も一応は家をつないではいるのだが。
0053人間七七四年2007/06/29(金) 19:37:48ID:6N3EnOaj
長篠の戦後に織田家との同盟の話を蹴ったのが滅亡の始まり。
0054人間七七四年2007/06/29(金) 21:45:21ID:g8t8Isto
       ,ィ                      __
      ,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、        , -‐、/./.- 、 書き込みのはやきこと風の如く
    / | |    ヽ   l l        ( 火◇風 ノ
  /o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、      ノ ◇ ◇ (  他人と会話せざること林の如く
  /o O / l´ ノ      ヽ lo ',ヽ      ( 山◇ 林 }
  \___/. ト、  ●    ● ハ  ∧      `⌒/7へ‐´  ネットで煽ること火の如く
 / ,イ   レ_   ( _●_) ミl~T--‐彡    /./
/ ̄ ̄l.  彡、   |∪|  ノ'l  l::::::::::彡ー7⌒つ、    部屋から動かざる事山の如し
彡:::::::::::l  ト、___ヽノ /|  l::::::::::::ミ  {,_.イニノ
彡ソ/ノハ   ト、 \  / ,イ  川ハ ヾー‐'^┴
0055人間七七四年2007/06/30(土) 21:42:09ID:EPKjFYCm

これいい!
0056人間七七四年2007/07/01(日) 18:34:24ID:r6LuxK5x
>>51
いやいや、管理能力の中には忠誠心を高めるという技術も入るぞ。
ムチだけじゃなく、飴も使い分けないとダメだよ。
0057人間七七四年2007/07/14(土) 01:52:12ID:NFf7W1fm
>>52
竜宝の子が生き延びて僧侶になって「たまたま」生き長らえ
一時は島流しにあい不遇をかこち、
高家になったといっても、5代綱吉の時代にやっとw
しかも元は家臣だった柳沢家の助力でやっとなれただけだから、
武力や知力で繋いだというわけでもないしな。

たまたま生き延び、どうにか存続・・・って感じだ。
0058人間七七四年2007/07/14(土) 04:17:35ID:c9eyyLNd
ま、それでも武田の名跡にそれだけの価値を残してきた結果だからな。
たまたま後裔が生き延びてれば、必ずお家を再興できるわけじゃない。
武田は高家にするだけの価値がある名家だと判断される下地があってこそ。
0059人間七七四年2007/07/15(日) 19:05:00ID:ed4rODtM
仮に竜宝の子が途絶えてたとしても、仁科盛信の系統が武田に復して、結局は存続できたと思うけどね。
0060人間七七四年2007/07/15(日) 20:37:08ID:JI+zpzVT
>>58
それは軍鑑によって武田の虚名が天下に鳴り響いていたからじゃないか?
0061人間七七四年2007/07/16(月) 06:43:46ID:ftu8LhSB
軍艦がどうより、幕府の開かれた場所が関東というのが大きいだろ。
武田の家柄も強さも、実際に伝わっている地域といえるし。
あとは、軍艦がどうよりも、武田の遺臣がかなり徳川に集まっていたのも理由になるな。
名前だけの復興をさせるだけで、家臣団の引き締めを計れるなら言うことない。
0062人間七七四年2007/07/16(月) 17:42:49ID:g1xensCN
>>59
それなら信清系も米沢藩で続いてるよな。
武田の正統は、穴山氏から家康6男信吉にいったと思うのだけど、その後どうなったの?
0063人間七七四年2007/07/19(木) 09:49:24ID:p/hx2Vx2
>>62
穴山は武田一族であるし、梅雪は母、嫁からの縁もあるけど
武田の正統という意味合いでは実質苦しい。
で、信吉は二十歳あまりで若死にしたんだよ。

竜宝系の高家登用はひとえに柳沢の地位固め策の一つだし、
旗本になった盛信系、上杉家臣となった信清系
それぞれに家柄は続いてはいるけど
戦国大名として名を馳せた武田を存続させたという印象はない。
0064人間七七四年2007/08/03(金) 12:52:48ID:GmVCfvAb
勝頼の子の勝親が摂津に寺を与えられて保護されたって話あるけどこれは史実なのか…?
0065人間七七四年2007/08/03(金) 23:52:29ID:TXaau/Ho
>>64
伝説じゃないの。勝親って何かの系図に載ってるのか?
何番目の子で、母は誰なんだろう。
誰が紹介してる逸話?出典は何?

天目山に落ちる途中に、勝頼の幼児が土地の人に預けられ
まもまく死んだ・・・・・・なんて話もあるが、
甲斐国内の話であっても裏付けのない「伝説」程度なのに、何でまた摂津なんかにw
0066人間七七四年2007/08/04(土) 04:20:12ID:ygwht7FD
>>64
それより、嫡子の信勝の位牌が千葉にあって、開祖となっている寺があるんじゃなかったっけ?
そっちの方が浪漫だ。
0067人間七七四年2007/08/04(土) 20:05:24ID:eevZxcqq
その寺の名は?千葉には かなり 武田家旧臣がはいってきてる。
0068人間七七四年2007/08/04(土) 22:18:00ID:HED2FVpy
三方ヶ原の戦いで信玄が死んでも僅かに時間を稼いで影武者でも立てて
京都に進軍すればよかった。
それなら信長包囲網の参加勢力も動き出したかもしれないのに。
0069人間七七四年2007/08/04(土) 22:42:13ID:a8MTchRI
おたての乱のときに、影虎を全面支援して、
景勝を討つ。

これしかないだろう。
こうしてその後同盟でも組めば、北と東が安全地帯になる。
北条も織田ではなく、武田につくだろうしな。
もっともその場合は、北条に武田がつくというのが正しいが、
0070人間七七四年2007/08/04(土) 22:45:04ID:AIQ9Q7Pu
信玄が三国同盟を堅持し、没落する今川氏を支援しつつ、主力は木曽谷から
美濃を攻撃するというのはどう?
仮に武田軍が大垣あたりまで進出できれば、朝倉も身近の武田軍を頼りにして
後退しなかったかも知れない。
その後、墨俣〜犬山付近を尾張方面の防御線として、主力は関が原から近江へ。
三河の徳川は今川と協力して遠江で牽制する。
瀬田も大分近づいてきましたよ。
0071人間七七四年2007/08/04(土) 23:04:19ID:N9x73tJw
>>70
没落し始めている今川と木曾谷経由で美濃を攻める、さてどっちが容易いかな?
0072人間七七四年2007/08/04(土) 23:20:31ID:4eTcN2hb
多分、信玄には天下への野心なんかなかったんだろうね。
せいぜい甲信でお山の大将になって満足(これも相当な能力がなきゃできないとは思うが)か
あって義昭の下で管領ぐらいできれば、みたいな。
じゃなきゃ、いつまでものんびり川中島とか箕輪城なんかで戦ってないし。
三方ヶ原の時だって、とんとん拍子に上手くいって織田を駆逐したとしても、
所詮は織田包囲網の一角でしかないんだから、武田幕府を開くどころか副将軍になるのも難しいんじゃないかなあ。

だったら、おとなしく天下人(織田に限らず)の傘下に入って、アホのふりしてのうのうと新政権を迎えるぐらいじゃないと、滅亡回避は厳しいと思う。
天下人からしても、清和源氏の名門で声望もある武田一族なんか、邪魔以外の何者でもないしね。
0073人間七七四年2007/08/04(土) 23:54:47ID:ZKsOuds0
>>64 >>66
千葉には武田信吉(お都摩の方の子)が城主として居たけどね。

信勝の、位牌があるだけならわかるけど
(誰かが供養のために祀ったのならある可能性もある)
でも、開祖となると話が違う。
0074732007/08/05(日) 00:40:35ID:M+fRBCfu
>>66
自分は武田の滅亡期のことはそれなりに調べてて
16で戦陣に死んだ信勝にそんな話あるわけないじゃん
伝説や浪漫以下の、何かの誤解じゃあるまいか?と思って
少し検索してみたんだけどさw

その寺ってさ、房総の智蔵寺のことかぁ?
そこなら開山は1502年、または1503年。
勝頼の子の信勝は(1566〜1582)だぞ。
生まれてもいないのに、何故、しかも安房で開基できるのか。

>嫡子の信勝の位牌が千葉にあって開祖となった
それって、単に房総武田の真里谷氏信勝のことじゃないの?
0075人間七七四年2007/08/05(日) 01:12:01ID:cg/eRB3z
豪族連合では無理でしょ
結局織田(+秀吉)徳川以外は君主専制出来なかったんだから
滅ぶべくして滅んだ
0076人間七七四年2007/08/05(日) 08:21:30ID:VrGPg0DK
徳川もたいがい、豪族連合だったとおもうがなー。
0077人間七七四年2007/08/05(日) 11:45:47ID:twAew6ro
リーダーが 長生きしたからね
0078人間七七四年2007/08/05(日) 11:50:32ID:kwPT/6pG
未だに豪族云々いうあほがいるとはな
0079人間七七四年2007/08/05(日) 13:25:44ID:twAew6ro
支配階級イノセント 支配されるものシビリアン!
0080人間七七四年2007/08/05(日) 15:06:58ID:yyZtD+vF
徳川は織豊政権の下地があったから
0081人間七七四年2007/08/05(日) 18:18:35ID:hpd/rFH1
上総の武田豊信が信玄3男という説があるけど、本当かねえ?
0082人間七七四年2007/08/05(日) 20:25:27ID:nT0/YHhj
>>54ワロタ
0083人間七七四年2007/08/06(月) 00:02:55ID:fU2geXnO
やはり信虎様に甲斐にお戻りになっていただくしかあるまい
0084人間七七四年2007/08/06(月) 10:07:28ID:KQEwOB0n
>>81
それなら自分で調べてみたら?
真実味があるか、ガセかは、以外と簡単にわかることだよ。

滅亡した家の、某が実は生き残ってた説って
ほんとにただのメルヘンだなと思う次第。

石神井城の照姫伝説みたいに、「伝説」は近代でも創作できる。
その辺の古い塚を、小説(作家の創作人物だというのは明白でも)に
登場する人物の墓で実在と主張し、
逸話を捏造造する輩はなんと現在でもいるわけだ。

0085人間七七四年2007/08/29(水) 16:01:51ID:T4W+3nlb
64へ
携帯からすまん
勝頼三男の勝親(幼名勝三)は池田恒興に匿われて摂津尼崎のなんとかってゆー寺に保護されてる
ただ病気で若死にしてるけどな
小和田や童門の本で見た気がするし恒興の子孫にあたる光政の編纂?の書籍やらにもそれらしい記述あるみたいだぞ
んで寺には一応今でも墓あるんだと
ぐぐれば見つかるんでない?
0086人間七七四年2007/08/29(水) 22:10:44ID:cRH7uhCC
>>85
その説の詳細を伝えてくれた85に文句を言うわけでは無いので、
念のため。

勝頼の子で信勝意外の男児については
「史料上の裏づけをとることが難しい」
柴辻俊六、平山優・篇 『武田勝頼のすべて』

また、上野晴郎氏の『定本武田勝頼』には
天目山逃避中に地元民へ預けて後に死んだ幼児の塚伝承があること。
そして系図のなかでの「勝三」については
 「一説には一向宗の僧となるか」との付記があるのみで
本分中ではなにも触れていない。勝親という文字もない。

他にも色んな武田本を読んでるけど、
この説は聞いたことが無いし、
名家の壊滅にありがちな創話臭さを感じるのは確かだ。

勝親を検索してみたところ元亀三年生まれとまで、
生年と没年が書かれているけど(wikiか?)
高野山の過去帳にもそういう人物の存在は聞いたことが無いな。


墓は尼崎市にあるということで、墓碑の写真があったけど
やけにはっきりした刻みの字だったぞ。
0087人間七七四年2007/08/30(木) 02:33:30ID:6WTiobRz
武田勝親 (尼崎市)善念寺
などでくぐってもみたが、かなり不鮮明。

元亀三年(1572)生まれ〜天正十二年没とか、
亡くなったのは天和2年(1682)とか、
元禄13年(1700)に善念寺を開基とか。驚異的長寿www
武田姓を名乗ってたとか、名乗ってたならどういう身分なんだ?
寺住職の名字が「武田」というそうだから、
単なる家系○飾も考えられると思う。

堂門や小和田先生は、その詳細には触れず(調べず)
「こういう話もある」的な記述をしてたんじゃないのかな。
0088人間七七四年2007/08/30(木) 21:22:32ID:sbEg2SlO
1、勝頼自ら隠居して家督は信綱叔父さんに。
2、甲斐と信濃の諏訪や高遠以外は献上。
3、それでもダメなら
「領地は諏訪か上野あたりで10万石くらいでいいよ」
とか行ってみる。

これでもダメだろーな

0089人間七七四年2007/08/30(木) 21:50:22ID:0ukqxBq+
安芸まで落ち延びて、安国寺恵瓊と同族の誼で合流する。
0090人間七七四年2007/08/30(木) 21:59:57ID:xkvZJgam
>>89
若狭や土佐はだめ?
0091人間七七四年2007/08/31(金) 03:00:09ID:KXtEzMZa
信親の墓はねつ造ということだね。
0092名無し野電車区2007/09/05(水) 20:13:04ID:2yLoobS6
65年に織田と婚姻なんか結ばずに三国同盟堅持。
氏真と三河へ共同出兵、北から武田2万、東から今川2万の
計4万で乱入、徳川は一週間で滅亡。

さらに尾張三河国境に今川と武田が砦築いて兵を置きけん制して
おけば
織田は尾張から動けず小大名のままw
0093人間七七四年2007/09/05(水) 20:28:03ID:xmwwzBjY
単なる疑問なんだけど織田が急成長するってのは当時も予想されてたのかな?
0094人間七七四年2007/09/05(水) 21:31:27ID:qIB7OVoO
あの、質問なのですが、武田信玄の三男で三条腹の武田 信之は生まれた後
どうなったのかが知りたいのですが?詳しい方宜しくお願いします。

義信廃嫡→死亡で四男の勝頼が家督を継いでから長篠→天目山の
流れになりましたが、継室三条腹で三男の信之は勝頼が継いだ頃どこで何をしていたのか
気になったもので。

それと甲斐武田家滅亡は、勝頼が織田方に降伏して徳川の配下に下れば回避の可能性が
あったかもしないと思いました、家康は武田武士に寛容だったようなので。
0095人間七七四年2007/09/05(水) 21:54:06ID:sMLFKedM
>>1
せめて前スレの有力意見をテンプレにして
書いとけや。
ループ防止にもなる。
0096人間七七四年2007/09/05(水) 22:58:28ID:ZCQcFpCL
いろいろ考えたんだけど結局、身の丈に合わない望みをもったことが滅亡の原因じゃないかな。

戦で信長に勝てるほどの軍才がないのに信長に喧嘩を売ってしまった。
天下を望めるほどの才能も力もないのに勢力を拡大し続けようとした。

過ぎた望みは身を滅ぼす。
0097人間七七四年2007/09/06(木) 00:33:26ID:V/BgaNOW
勝頼が真田を頼って逃亡
信長の大軍と戦い善戦の末に勝頼の切腹で降伏
本能寺の変
この混乱に武田嫡流の信勝を旗印に上杉の助けを借りて甲斐、信濃を維持
豊臣と同盟を結んで徳川を挟撃
これで駿河を確保
秀頼を支える五大老として後事を任される
これで明治まで家名を保ち、武田家は侯爵となる
真田は直江並に高禄を与えられ筆頭家老として遇される
0098人間七七四年2007/09/06(木) 01:22:34ID:2qlxPDbz
謙虚な妄想に感動した
0099人間七七四年2007/09/06(木) 13:16:39ID:wenxIv/i
>>94
通説では武田信之は1553年に夭折。
上総武田家に養子に入り武田豊信と同一人物とする伝承もある。
0100人間七七四年2007/09/06(木) 18:59:23ID:DnV6ryFq
>>97
信勝を信長が生かすと思えないのが難点
0101人間七七四年2007/09/06(木) 19:33:29ID:fBywppUe
>>97
真田も小山田同様、保身に走っちゃいそうなのも難点。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています