武田家滅亡を防ぐには 2
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2006/12/05(火) 19:36:42ID:P9geflSu武田家はあっけなく滅亡してしまいました。
滅亡を防ぐにはどうすればよかったのでしょうか。
武田家滅亡を防ぐには
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154886583/
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2006/12/06(水) 00:11:21ID:cJPaHD3b0003名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 05:00:34ID:4KH8RKWZ覇王の系譜はかならず滅びるという歴史の教訓だ
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2006/12/06(水) 22:41:06ID:w/93xQk70005名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 09:02:31ID:D39BL5zd0006名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 12:30:21ID:hKW6akbl0007名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 18:44:46ID:eqIm4CU9,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、 , -‐、/./.- 、
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2006/12/09(土) 17:50:23ID:LBKNr8nE0009続
2006/12/09(土) 18:01:38ID:LBKNr8nE0010名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 18:23:48ID:wsTPP4XE朝倉が逃げた時点で勝機は去ってるよ。
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2006/12/09(土) 18:55:37ID:LBKNr8nE0012名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 21:50:16ID:zvsF6jVW日本史@2ch
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2007/02/06(火) 18:08:37ID:6WPSxryUとりあえず信長に臣従するべきだったのでは。
0014人間七七四年
2007/02/12(月) 10:06:20ID:84pds1NVあれで氏康が邪魔しなければ駿河・遠江を短期間で落とし
徳川は勢力を拡大できないままに強大化した武田と相対する事になり
かなり厳しい情勢になったと思われる。
ま、それが逆に武田滅亡を早める可能性もあるが。
0015人間七七四年
2007/02/16(金) 09:28:55ID:s22TsVYxもし上杉と同盟して、後ろの心配を無くした上で駿河・三河に進行していたら・・・
0016人間七七四年
2007/02/16(金) 09:39:38ID:7NOnz0rLそれじゃ駿河攻略する力がつかない
0017人間七七四年
2007/02/16(金) 12:27:28ID:AFS099Bt北条と結んで今川アボンだけで充分
0018人間七七四年
2007/02/16(金) 12:29:51ID:EidaDHtH落ち目の氏真時代でさえそうだったのに同盟以前の状況でどうしろと
却って武田が壊滅、良くて信虎以前の状態に逆戻り
0019人間七七四年
2007/02/16(金) 12:33:37ID:JjOxi/Ru0020人間七七四年
2007/02/16(金) 15:17:20ID:LPoxj3/m0021人間七七四年
2007/02/16(金) 15:37:02ID:RsiGCYhDそりゃ通達も協議もなく「今川攻めたけど味方してね」じゃ不信抱く。
いつ自分が今川の立場に立たされるかわからんからな。
0022人間七七四年
2007/02/16(金) 16:42:32ID:JjOxi/Ru0023人間七七四年
2007/02/17(土) 00:09:11ID:ohA7sNuI味方につけることも不可能ではなかったろうがね。
0024人間七七四年
2007/02/17(土) 16:05:14ID:szrUWiGN死んだ事はばれなかったと思うし、朝倉が撤退していてもまだ
信長には武田に全兵力をぶつけることはできないだろうしね。
信長を潰せなかったにしても大打撃を与える事は出来たはず。
0025人間七七四年
2007/02/17(土) 16:49:13ID:wJ3uU8FS0026人間七七四年
2007/02/17(土) 17:31:34ID:/w7wow1G0027人間七七四年
2007/02/17(土) 18:07:13ID:3ejkOqFu0028人間七七四年
2007/02/17(土) 19:08:56ID:/w7wow1G0029人間七七四年
2007/02/17(土) 21:54:35ID:+/AzTRGY0030人間七七四年
2007/02/18(日) 01:10:10ID:vl7DLho60031人間七七四年
2007/02/18(日) 01:13:34ID:Cg8OydVg終わって見ればみんな旗本程度の小領主。
0032人間七七四年
2007/02/18(日) 01:22:55ID:efX1xOgV0033人間七七四年
2007/02/18(日) 01:51:56ID:vl7DLho60034人間七七四年
2007/02/18(日) 03:14:00ID:ZTOq6XrN上杉謙信と仲直りして組んでれば尚最高かつ最強。
そして天下統一の為、舞台は九州に以下略。
0035人間七七四年
2007/02/18(日) 03:39:48ID:vl7DLho60037人間七七四年
2007/03/17(土) 13:47:45ID:uR0GiCRs,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、 , -‐、/./.- 、 書き込みのはやきこと風の如く
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0038人間七七四年
2007/03/17(土) 20:47:13ID:ja3ebWlN秋山信友は美濃を棄て、甲斐に戻り勝頼の相談役に。また、旗頭はあくまで武田信勝とし、馬場・山県・内藤・原・甘利・高坂などの譜代重臣を繋ぎとめておく。
0039人間七七四年
2007/03/17(土) 20:54:52ID:ja3ebWlN決してこちらから攻めずに、国力の温存。
謙信死後の御館の乱では、北条氏とともに景虎をもり立てる。
0040人間七七四年
2007/03/17(土) 21:05:09ID:ja3ebWlN北条と共に駿河に進攻。東駿河を北条氏に。西駿河武田が統治。
海津城の高坂昌信に真田・依田・小笠原信峯・木曾を与力とし、美濃に出兵。
勝頼と信勝は重臣らと共に三河作手城、長篠城を攻める。
0041人間七七四年
2007/03/17(土) 21:07:28ID:2QQgKAuJそれを見て勝頼以下甲斐の軍勢8千で討伐に出るも三河勢が不穏な動きを見せたので城の包囲に兵を残して甲斐に戻る
武田の動員力減少を見て取った信濃衆が各所で不穏な動きをするも押さえ込むのに時間を要す
その間に三河勢が小豪族化した遠江、駿河を軍事外交で制圧し甲斐を南側からけん制する。
結果、武田は信濃への動員力が落ちる
0042人間七七四年
2007/03/17(土) 21:10:45ID:ja3ebWlNあぁ続き考えるのメンドクセ
0043人間七七四年
2007/03/19(月) 21:53:19ID:yDl5umKX0044人間七七四年
2007/03/28(水) 19:46:44ID:yaZ4AcgN実は信長との和睦を望んでいたからともいう。
それを知ってか知らずか信長は武田討伐の軍を起こし、それが信長の
周辺を手薄にさせ、結果本能寺の変につながった。
武田は自らが滅びることで信長を道連れにしたとも言える。
0045人間七七四年
2007/03/28(水) 23:14:14ID:v9uYvn3K両者とも生存できたということなんだろうな。
0046人間七七四年
2007/05/06(日) 00:29:14ID:ASY6ZRTh0047人間七七四年
2007/05/06(日) 14:27:52ID:wQrH+mRZ0048人間七七四年
2007/05/06(日) 18:44:04ID:x1naqOyqありえないと思っていたようだし。
信玄と敵対した時の互いの宣伝合戦は凄まじいものがある。
だが武田を滅ぼした後わずか3ヶ月で信長父子は死。
信長にとって武田を滅ぼしたのが本能寺に直結したとは
言えないだろうが運命の分かれ目だったのは間違いないな。
0049人間七七四年
2007/05/22(火) 06:31:28ID:ra9UC8aMもうどうしょもないっしょ。手薄な状態は作るべきではないが、武田
でも上杉でもあそこまで領土広がったらそういう状態はできるんじゃ
ないか。そこで、明智ほどの直属に寝返られたら終わりだろう。
信長の管理力の無さと言ってしまえばそれまでだけど。
0050人間七七四年
2007/06/28(木) 23:49:34ID:SGlKxviZ0051人間七七四年
2007/06/29(金) 00:19:21ID:v4zKzzhF0052人間七七四年
2007/06/29(金) 07:32:03ID:BVHrJ7SLそれを言えば武田も一応は家をつないではいるのだが。
0053人間七七四年
2007/06/29(金) 19:37:48ID:6N3EnOaj0054人間七七四年
2007/06/29(金) 21:45:21ID:g8t8Isto,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、 , -‐、/./.- 、 書き込みのはやきこと風の如く
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0055人間七七四年
2007/06/30(土) 21:42:09ID:EPKjFYCmこれいい!
0056人間七七四年
2007/07/01(日) 18:34:24ID:r6LuxK5xいやいや、管理能力の中には忠誠心を高めるという技術も入るぞ。
ムチだけじゃなく、飴も使い分けないとダメだよ。
0057人間七七四年
2007/07/14(土) 01:52:12ID:NFf7W1fm竜宝の子が生き延びて僧侶になって「たまたま」生き長らえ
一時は島流しにあい不遇をかこち、
高家になったといっても、5代綱吉の時代にやっとw
しかも元は家臣だった柳沢家の助力でやっとなれただけだから、
武力や知力で繋いだというわけでもないしな。
たまたま生き延び、どうにか存続・・・って感じだ。
0058人間七七四年
2007/07/14(土) 04:17:35ID:c9eyyLNdたまたま後裔が生き延びてれば、必ずお家を再興できるわけじゃない。
武田は高家にするだけの価値がある名家だと判断される下地があってこそ。
0059人間七七四年
2007/07/15(日) 19:05:00ID:ed4rODtM0061人間七七四年
2007/07/16(月) 06:43:46ID:ftu8LhSB武田の家柄も強さも、実際に伝わっている地域といえるし。
あとは、軍艦がどうよりも、武田の遺臣がかなり徳川に集まっていたのも理由になるな。
名前だけの復興をさせるだけで、家臣団の引き締めを計れるなら言うことない。
0062人間七七四年
2007/07/16(月) 17:42:49ID:g1xensCNそれなら信清系も米沢藩で続いてるよな。
武田の正統は、穴山氏から家康6男信吉にいったと思うのだけど、その後どうなったの?
0063人間七七四年
2007/07/19(木) 09:49:24ID:p/hx2Vx2穴山は武田一族であるし、梅雪は母、嫁からの縁もあるけど
武田の正統という意味合いでは実質苦しい。
で、信吉は二十歳あまりで若死にしたんだよ。
竜宝系の高家登用はひとえに柳沢の地位固め策の一つだし、
旗本になった盛信系、上杉家臣となった信清系
それぞれに家柄は続いてはいるけど
戦国大名として名を馳せた武田を存続させたという印象はない。
0064人間七七四年
2007/08/03(金) 12:52:48ID:GmVCfvAb0065人間七七四年
2007/08/03(金) 23:52:29ID:TXaau/Ho伝説じゃないの。勝親って何かの系図に載ってるのか?
何番目の子で、母は誰なんだろう。
誰が紹介してる逸話?出典は何?
天目山に落ちる途中に、勝頼の幼児が土地の人に預けられ
まもまく死んだ・・・・・・なんて話もあるが、
甲斐国内の話であっても裏付けのない「伝説」程度なのに、何でまた摂津なんかにw
0066人間七七四年
2007/08/04(土) 04:20:12ID:ygwht7FDそれより、嫡子の信勝の位牌が千葉にあって、開祖となっている寺があるんじゃなかったっけ?
そっちの方が浪漫だ。
0067人間七七四年
2007/08/04(土) 20:05:24ID:eevZxcqq0068人間七七四年
2007/08/04(土) 22:18:00ID:HED2FVpy京都に進軍すればよかった。
それなら信長包囲網の参加勢力も動き出したかもしれないのに。
0069人間七七四年
2007/08/04(土) 22:42:13ID:a8MTchRI景勝を討つ。
これしかないだろう。
こうしてその後同盟でも組めば、北と東が安全地帯になる。
北条も織田ではなく、武田につくだろうしな。
もっともその場合は、北条に武田がつくというのが正しいが、
0070人間七七四年
2007/08/04(土) 22:45:04ID:AIQ9Q7Pu美濃を攻撃するというのはどう?
仮に武田軍が大垣あたりまで進出できれば、朝倉も身近の武田軍を頼りにして
後退しなかったかも知れない。
その後、墨俣〜犬山付近を尾張方面の防御線として、主力は関が原から近江へ。
三河の徳川は今川と協力して遠江で牽制する。
瀬田も大分近づいてきましたよ。
0072人間七七四年
2007/08/04(土) 23:20:31ID:4eTcN2hbせいぜい甲信でお山の大将になって満足(これも相当な能力がなきゃできないとは思うが)か
あって義昭の下で管領ぐらいできれば、みたいな。
じゃなきゃ、いつまでものんびり川中島とか箕輪城なんかで戦ってないし。
三方ヶ原の時だって、とんとん拍子に上手くいって織田を駆逐したとしても、
所詮は織田包囲網の一角でしかないんだから、武田幕府を開くどころか副将軍になるのも難しいんじゃないかなあ。
だったら、おとなしく天下人(織田に限らず)の傘下に入って、アホのふりしてのうのうと新政権を迎えるぐらいじゃないと、滅亡回避は厳しいと思う。
天下人からしても、清和源氏の名門で声望もある武田一族なんか、邪魔以外の何者でもないしね。
0073人間七七四年
2007/08/04(土) 23:54:47ID:ZKsOuds0千葉には武田信吉(お都摩の方の子)が城主として居たけどね。
信勝の、位牌があるだけならわかるけど
(誰かが供養のために祀ったのならある可能性もある)
でも、開祖となると話が違う。
007473
2007/08/05(日) 00:40:35ID:M+fRBCfu自分は武田の滅亡期のことはそれなりに調べてて
16で戦陣に死んだ信勝にそんな話あるわけないじゃん
伝説や浪漫以下の、何かの誤解じゃあるまいか?と思って
少し検索してみたんだけどさw
その寺ってさ、房総の智蔵寺のことかぁ?
そこなら開山は1502年、または1503年。
勝頼の子の信勝は(1566〜1582)だぞ。
生まれてもいないのに、何故、しかも安房で開基できるのか。
>嫡子の信勝の位牌が千葉にあって開祖となった
それって、単に房総武田の真里谷氏信勝のことじゃないの?
0075人間七七四年
2007/08/05(日) 01:12:01ID:cg/eRB3z結局織田(+秀吉)徳川以外は君主専制出来なかったんだから
滅ぶべくして滅んだ
0076人間七七四年
2007/08/05(日) 08:21:30ID:VrGPg0DK0077人間七七四年
2007/08/05(日) 11:45:47ID:twAew6ro0078人間七七四年
2007/08/05(日) 11:50:32ID:kwPT/6pG0079人間七七四年
2007/08/05(日) 13:25:44ID:twAew6ro0080人間七七四年
2007/08/05(日) 15:06:58ID:yyZtD+vF0081人間七七四年
2007/08/05(日) 18:18:35ID:hpd/rFH10082人間七七四年
2007/08/05(日) 20:25:27ID:nT0/YHhj0083人間七七四年
2007/08/06(月) 00:02:55ID:fU2geXnO0084人間七七四年
2007/08/06(月) 10:07:28ID:KQEwOB0nそれなら自分で調べてみたら?
真実味があるか、ガセかは、以外と簡単にわかることだよ。
滅亡した家の、某が実は生き残ってた説って
ほんとにただのメルヘンだなと思う次第。
石神井城の照姫伝説みたいに、「伝説」は近代でも創作できる。
その辺の古い塚を、小説(作家の創作人物だというのは明白でも)に
登場する人物の墓で実在と主張し、
逸話を捏造造する輩はなんと現在でもいるわけだ。
0085人間七七四年
2007/08/29(水) 16:01:51ID:T4W+3nlb携帯からすまん
勝頼三男の勝親(幼名勝三)は池田恒興に匿われて摂津尼崎のなんとかってゆー寺に保護されてる
ただ病気で若死にしてるけどな
小和田や童門の本で見た気がするし恒興の子孫にあたる光政の編纂?の書籍やらにもそれらしい記述あるみたいだぞ
んで寺には一応今でも墓あるんだと
ぐぐれば見つかるんでない?
0086人間七七四年
2007/08/29(水) 22:10:44ID:cRH7uhCCその説の詳細を伝えてくれた85に文句を言うわけでは無いので、
念のため。
勝頼の子で信勝意外の男児については
「史料上の裏づけをとることが難しい」
柴辻俊六、平山優・篇 『武田勝頼のすべて』
また、上野晴郎氏の『定本武田勝頼』には
天目山逃避中に地元民へ預けて後に死んだ幼児の塚伝承があること。
そして系図のなかでの「勝三」については
「一説には一向宗の僧となるか」との付記があるのみで
本分中ではなにも触れていない。勝親という文字もない。
他にも色んな武田本を読んでるけど、
この説は聞いたことが無いし、
名家の壊滅にありがちな創話臭さを感じるのは確かだ。
勝親を検索してみたところ元亀三年生まれとまで、
生年と没年が書かれているけど(wikiか?)
高野山の過去帳にもそういう人物の存在は聞いたことが無いな。
墓は尼崎市にあるということで、墓碑の写真があったけど
やけにはっきりした刻みの字だったぞ。
0087人間七七四年
2007/08/30(木) 02:33:30ID:6WTiobRzなどでくぐってもみたが、かなり不鮮明。
元亀三年(1572)生まれ〜天正十二年没とか、
亡くなったのは天和2年(1682)とか、
元禄13年(1700)に善念寺を開基とか。驚異的長寿www
武田姓を名乗ってたとか、名乗ってたならどういう身分なんだ?
寺住職の名字が「武田」というそうだから、
単なる家系○飾も考えられると思う。
堂門や小和田先生は、その詳細には触れず(調べず)
「こういう話もある」的な記述をしてたんじゃないのかな。
0088人間七七四年
2007/08/30(木) 21:22:32ID:sbEg2SlO2、甲斐と信濃の諏訪や高遠以外は献上。
3、それでもダメなら
「領地は諏訪か上野あたりで10万石くらいでいいよ」
とか行ってみる。
これでもダメだろーな
0089人間七七四年
2007/08/30(木) 21:50:22ID:0ukqxBq+0091人間七七四年
2007/08/31(金) 03:00:09ID:KXtEzMZa0092名無し野電車区
2007/09/05(水) 20:13:04ID:2yLoobS6氏真と三河へ共同出兵、北から武田2万、東から今川2万の
計4万で乱入、徳川は一週間で滅亡。
さらに尾張三河国境に今川と武田が砦築いて兵を置きけん制して
おけば
織田は尾張から動けず小大名のままw
0093人間七七四年
2007/09/05(水) 20:28:03ID:xmwwzBjY0094人間七七四年
2007/09/05(水) 21:31:27ID:qIB7OVoOどうなったのかが知りたいのですが?詳しい方宜しくお願いします。
義信廃嫡→死亡で四男の勝頼が家督を継いでから長篠→天目山の
流れになりましたが、継室三条腹で三男の信之は勝頼が継いだ頃どこで何をしていたのか
気になったもので。
それと甲斐武田家滅亡は、勝頼が織田方に降伏して徳川の配下に下れば回避の可能性が
あったかもしないと思いました、家康は武田武士に寛容だったようなので。
0096人間七七四年
2007/09/05(水) 22:58:28ID:ZCQcFpCL戦で信長に勝てるほどの軍才がないのに信長に喧嘩を売ってしまった。
天下を望めるほどの才能も力もないのに勢力を拡大し続けようとした。
過ぎた望みは身を滅ぼす。
0097人間七七四年
2007/09/06(木) 00:33:26ID:V/BgaNOW信長の大軍と戦い善戦の末に勝頼の切腹で降伏
本能寺の変
この混乱に武田嫡流の信勝を旗印に上杉の助けを借りて甲斐、信濃を維持
豊臣と同盟を結んで徳川を挟撃
これで駿河を確保
秀頼を支える五大老として後事を任される
これで明治まで家名を保ち、武田家は侯爵となる
真田は直江並に高禄を与えられ筆頭家老として遇される
0098人間七七四年
2007/09/06(木) 01:22:34ID:2qlxPDbz0099人間七七四年
2007/09/06(木) 13:16:39ID:wenxIv/i通説では武田信之は1553年に夭折。
上総武田家に養子に入り武田豊信と同一人物とする伝承もある。
0103人間七七四年
2007/09/06(木) 23:10:46ID:p6/4dUVHが、助命したとしても甲信に残すなんてするわけがない。安土なり岐阜なり京なり
自分の手元において、よければ甥扱いで表向き厚遇実質無力な一貴人。悪ければ
出家させて寺へ入れて半幽閉状態。将来的に、忠誠と能力が認めれれば捨扶持渡さ
れて武田家名を復活ってところか?
010494
2007/09/06(木) 23:39:09ID:TuJhu1O9レス有難う御座います。
甲斐武田宗家歴代当主でも最も知名度のある信玄の実子で継室三条腹の三男でありながら、
謎に包まれてハッキリしていない辺りが、何とも言えない感じですね。
実子で三男を信玄が手元から放して上総に養子に出した説も微妙ですね。
明確に信之の経歴が記された書とかが出てきて欲しい気もします。
0105人間七七四年
2007/09/07(金) 00:18:08ID:KXgcnS48>謎に包まれてハッキリしていない、
それは成人する前に早世したから、事跡がないだけのことだよ。
少し過去スレを読んで貰えばわかると思うけど、
勝頼の子たちの伝説はみな信憑性というものが無い。
信之が上総に養子云々も、与太説の類だろう。
養子に出したのなら武田側に文献や過去帳に普通に残るはずだ。
「○○年、上総のどこそこの家名を継ぐ」とね。
信玄の遅い子で活躍することの少なかった信貞や信清でさえ、
どこの家の名跡を継承したかちゃんと記録されてるのに、
正室の産んだ三男の記録が残されないわけが無いと思う。
0109人間七七四年
2007/09/07(金) 21:50:01ID:WBuRxsnT余計な後ろ盾がつかないから
0111人間七七四年
2007/09/07(金) 22:55:31ID:WBuRxsnT他に追従する勢力が無く、自力だけて他の大名つぶせるほどに突出してる訳で
軍事的外交上の政略結婚は対してメリットが無いだろう
いっそ天皇家から嫁でも迎えるぐらいだ、政略結婚なら
0112人間七七四年
2007/09/07(金) 23:22:36ID:D8nV+hPcだろうね。信忠が26まで正室を迎えなかったというのも当時としてはちと異常。
信長の構想では内親王か高位の公家あたりから正室を迎えるつもりったのだろうと思う。
松姫に関しては武田と諏訪のように側室に迎えて武田を継がせる男子を産ませるってことも考えられるけど、
当時の武田と違って武田遺臣を押さえ込むくらい圧倒的な力でどうとでもなるんだからこれもあまり考えられない。
0113人間七七四年
2007/09/08(土) 02:50:04ID:LyM3nKHn松姫を意識していたかなんてこともわからないし。
正室を迎えていない=松姫への未練、って図式は
小説家や歴史作家の推測とか想像の範疇にあると思ってるんだけど。
0114人間七七四年
2007/09/08(土) 03:02:30ID:13lpPubU0116人間七七四年
2007/09/10(月) 02:52:29ID:WztiwZeF>本能寺前に迎えをよこした
自分はその話はナシと思ってるけど。
いつかどこかの姫スレでも話題になったけど、
松姫を迎えにいったという下嶋氏(だったかな)の家系図の書き添えは
信憑性に欠けるのでは・・・という意見の一致を見たような。
自分も同様に思う。
他にそれを裏付ける史料もないし、信松院にもそんな逸話は
伝わっていないし、あまりにも芝居じみた話だよ。
>>115
ドラマや戦国悲恋小説のネタとしては格好の題材だろうね。
0117人間七七四年
2007/10/06(土) 04:15:42ID:ixoWvQWt信長や信虎の「信」って字が頻繁に使われるのって
武田家と織田家だけじゃないかな?勝頼とか例外はいるが
0118人間七七四年
2007/10/10(水) 15:32:49ID:oGz26LwK0119人間七七四年
2007/10/10(水) 16:36:45ID:LUydQFRkどうなったと思うの?
自分は昔から盛信贔屓だがもしも話に興味が沸かない。
この手の「もし」話はきりがないし、愚問だと思う。
信玄志死亡時に盛信は推定十代半ばであろうし、
また史料が少ないので憶測もしにくい。
母の油川氏の血筋から、諏訪四郎よりは家臣受けが良いのでは、
という意見を時々見るが、
義信事件の余韻〜信玄の死に対する家臣団の精神的亀裂や動揺、
織田家の勢力拡大による時流の嵐をもろにうける危急はさけられまい。
0120人間七七四年
2007/10/11(木) 16:39:08ID:HzmBeWdw0121人間七七四年
2007/10/11(木) 18:38:20ID:v5RUeXTO義信(嫡男)、義勝(勝頼の嫡男)
前者はクーデター失敗で幽閉後死亡
後者は幼少ということで勝頼が後見人として元服するまでは仮に勝頼が継いでいたといった形になってたはず
0122人間七七四年
2007/10/11(木) 19:52:38ID:GyJxZJOiちなみにその陣代説も信憑性薄い。
0123人間七七四年
2007/10/12(金) 06:33:27ID:VuS7GzQu0124人間七七四年
2007/10/12(金) 07:16:31ID:a7wtihjB0125人間七七四年
2007/10/12(金) 19:21:40ID:CWgxctpuやはり西上作戦
あれさえ起こさなければ滅亡は無い可能性が高い
従属もしくは家臣化される可能性は非常に高いが
>>124
村上と仲良くしてたら村上の下風に立たされてただろうな
0126人間七七四年
2007/10/12(金) 22:57:43ID:5QvCJGMH天下となるともっと前にまで遡る必要があるけど
0127人間七七四年
2007/10/13(土) 03:15:25ID:+oWOfA+U今どき勝頼陣代説を真面目に語っているのは、
童門センセイとか、大河便乗出版物の著者くらいなもんだと思うぞw
>>123
滅亡を防ぐにあたっての重要な点、それは信玄の健康長寿。
0128人間七七四年
2007/10/14(日) 16:26:39ID:SQ3uSno1村上を討たないのは無理だろう。
村上と対立したのはかなり初期の話で、村上とこじれないようにするには、北信濃どころか中信濃にすら出れない。
>>125
西上作戦が、本来は徳川攻略が目的に過ぎないのであったら、あれはアリだったと思うけどなぁ。
家康を討って、遠江と三河を手中にする足がかりができていたなら、大きく変わったと思う。
三方原の段階なら、家康が死んだ場合、織田とは三河以東に関知しないことで、同盟継続も可能な気がする。
0129人間七七四年
2007/10/17(水) 18:35:44ID:n+w3dh1Z娘婿の穴山・木曽は裏切り、元娘婿の北条に攻め込まれ、敵の大将は娘の元婚約者。
唯一味方の上杉景勝との婚姻は勝頼時代。
0130人間七七四年
2007/10/23(火) 23:28:15ID:l9gRMtgl武田壊滅の遠因が信玄にもあることはそりゃ明確なことだが、
129の上げている>婚姻政策の失敗、は天正十年の「結果」なのであって
予測などとても出来ないことではないか?
信忠が武田攻めの責任者であることとは織田家中の事情であって
松姫の元婚約者だから、という意味合いなど無いはず。
また、穴山や木曽のあの行動は
娘婿だったから・・・に起因するものでもない。
敵味方表裏一体の戦国動乱の世に、
終末の結果だけからみた少し単純すぎる考え。
0131人間七七四年
2007/10/26(金) 16:22:15ID:0+egEXAB織田や北条はともかく、簡単に裏切るような奴を婿にしたのは見る目が無かったと言われても仕方ないかと。
娘婿故に諏訪の勝頼を軽視したのは事実だろうし。
0133人間七七四年
2007/11/06(火) 23:09:50ID:PwnyJSv80134人間七七四年
2007/11/18(日) 14:18:01ID:zGtZb6c/jfgfgj
tutututr
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kukutk
yeryryrr
0135人間七七四年
2007/12/30(日) 02:16:05ID:O/roF3tl勝頼は本来だったら、武田氏を継ぐ可能性はまず無い筈だったわけで。
義信失脚時に、ほかの兄貴二人もアウトだったために回ってきただけ。
で、信玄は勝頼を後継者としてのポジションを確立させようとするが、
2ねんかそこらで病死・・・
0136人間七七四年
2008/01/01(火) 13:44:22ID:JcPEW5n/家督相続をしっかり定めて、争いごとが起こらないようにしたんだろうが・・・・
0137人間七七四年
2008/01/12(土) 13:27:56ID:tPoHAK/a0138人間七七四年
2008/02/06(水) 22:27:58ID:o/ezx/ln上杉家の元で、武田家の支流が存続している
0139人間七七四年
2008/02/10(日) 18:35:00ID:Bw+LR3FI0140人間七七四年
2008/02/12(火) 12:53:46ID:7/y6O7reなんて今さらな知ったか。
信玄の末男である信清が上杉景勝を頼って
諸役御免の三千石で召抱えられ、米沢へ国替えのさいに
千石減らされたが存続・・・なんて、さんざん語られてることだよ。
竜宝の家系が柳沢吉保のおかげで高家になり、
柳沢家の血を入れて、武田宗家として現在まで存続してることもな。
0141人間七七四年
2008/02/12(火) 19:47:29ID:ykaZvThr0142人間七七四年
2008/02/25(月) 23:12:00ID:owa2nBDt武田は源氏の血を引いてるから信忠の子供は将軍になれる
織田は一応平家の子孫だからなれんが
0143人間七七四年
2008/02/26(火) 23:16:15ID:yxrF8D4U0144人間七七四年
2008/02/27(水) 19:12:23ID:SSTzfM/00145人間七七四年
2008/03/03(月) 13:27:06ID:s5tKW/Nkとおもったらwikiみると信玄死後、武田家に戻ってきたが
「信虎時代を知る老臣たちは慄き、勝頼に信虎の甲斐入りに強く反対したという。
勝頼も無用の混乱を避けるべく、その意見を受け入れ、叔父・信廉に信虎を預けたと言われる。」
う〜ん 無理があったか
0146人間七七四年
2008/03/05(水) 14:55:54ID:gEoDmKOO0147人間七七四年
2008/03/24(月) 01:27:04ID:Qsxr7i750148人間七七四年
2008/05/19(月) 14:06:54ID:KqikBfb7hfdfhdfd
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0149人間七七四年
2008/05/19(月) 19:35:58ID:OSsQsKy8甲斐武田家存続の可能性
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1154436922/
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