>>784
>大老としての地位にある以上。 
>“大老はまったくあてにならないんじゃない”じゃすまないよで終わりだし。 

>大老という政権の方向性を定める地位と奉行職では、重みが違うんだが、 

まあ、このあたりは平行線という事で、
個人的に小早川隆景あたりなら諫言できただろうし、実際に効果認められるとおもうけどね。

>軍監として渡鮮してた浅野長政が秀吉に諫言したのは秀吉本人の渡鮮で蟄居したのは秀次事件 
>のからみじゃなかった? 
>間違っているなら教えてください。 

そうそう。
確か朝鮮の役の時は、諫言つーか悪態ついただけだっけ(狐憑き呼ばわりしたんだっけ)?

>そうだね。 
>当時行長の娘は3〜4才の幼児だったけど行長と宗義調が懇意でそう言う運びになったんだったよね。 

宗義智は島井宗室に、父と思って指示に従いますって起請文同時にだしている。
宗義智は朝鮮と交易は死活問題だからね。
このラインで和平交渉の努力がなされたといってよい。

ちなみに、加藤も宗義智に嫁だそうとして、断れたそうな。

>言い忘れたけど清正は秀吉に唐入りをするとしたら先方は加藤虎之助か小西弥九朗かって煽られて 
>無邪気に乗せられてただけじゃないの? 

秀長死亡時に、唐入りしましょうとか秀吉を乗せたという俗説がある。

どっちかっていうと問題は運命の1596年。三成の讒言(というか和平ぶち壊したくなかったんだろう)で
国内戻されたときの地震で真っ先に蟄居の加藤が秀吉の下に駆けつけた後、
加藤が許されて、三成以下の和平派が遠ざかれた。
で、9月の謁見後、慶長の役開始。

無論、何かあったとは明確な証拠も無いけど。

関ヶ原前に清正も家康から嫁貰っている。その際にわざわざ妻を離縁しているし・・・。
七将の時も当然主導的な役割を担っただろうし。

こう個人的な意見だが、(一応)天下泰平後の清正という男の行動を見ると、
権力者に擦り寄るたびに乱が起きている印象があるのだ。

三成とも行長とも福島とも違い、なんか人としてのラインを実は密かに
超えているのではとも最近思っている。