福島正則、加藤清正は最低の裏切者 二股目
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0169長文連投スマソ4
2006/12/03(日) 21:16:24ID:7mh+82b4だが、家康(と家康の持つ力)は危険であり、
時がたてばたつほど太刀打ちできなくなる事だけはわかっていた。
そして長きに渡る天下争乱となるかもしれない事態の引き金を引く気概もあった。
そう考えると三成は一方の英雄と言えるのかもしれない。少なくとも事を起こし、
天下を二分する戦いまで形の上では持って行ったのだから。
三成のせいで豊家弱体と滅亡が早まったと言われれば結果としてはそうかもしれない。
しかし家康は時の経過とともに豊家恩顧大名達をどんどん取り込んでいっていたし、
清正・幸長らが既に亡く、他の大名達も代替わりして、大して危険性もなくなった
豊家を滅ぼしている。結局の所、三成が事を起こさなくても豊家は滅ぼされたろう。
その場合豊家は「一時は日本の政権を取った家なのに、滅ぼされようとしている時、
恩顧の者が誰も敵と事を構えなかった家」という不名誉なレッテルを張られたかも
しれない。長文連投スマソ。
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