福島正則、加藤清正は最低の裏切者 二股目
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 19:43:11ID:uefRh3KT家康に踊らされた大馬鹿者。
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 00:14:31ID:ZKXhfhej日本はそれでよかったと思うか?
なぁそこ答えてくれよ
俺は考えただけでガクブルしちまう
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 00:17:43ID:yhsSiZZFはなから満身創痍なわけだがw
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 00:44:06ID:S76sXNRxそんなことは心配するまでもない。
秀吉死後の豊臣政権は、関ヶ原一つ無かったくらいで存続が約束されるようなタマじゃない。
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 00:51:01ID:GXTLLu1k豊臣というか三成を中心とした奉行衆が実権を握ることだろうね。
その奉行衆の性格としては、朝鮮出兵に反対したように現実主義で
内政重視思考、小西らが幅を利かすことからも分かるように商業に
理解を示し、重商主義を助けるような政策をとることが考えられる。
海外との貿易も活発化し、日本史上空前の栄えた時代が到来していただろう。
おまけにキリスト教も普及したであろうから、現代の宗教地図も大きく
変わって、人々の文化、思考に多大な影響を及ぼしていた。
朝鮮には出兵しないだろうが、北海道、千島、樺太は日本領土として
確定された可能性も高い。
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 01:04:11ID:Bnyi3kW0何で話をそらすんだ?
>>18
同感
例え加藤福島らが西軍について他の一部大名も西軍について
西軍が勝ったとしても第二第三の家康が出る可能性があるし
そうでなくても地方分権は進むだろうと思う
一応秀頼が成人して強権を発動し安定政権を築く可能性もあるけど
IF要素が多すぎて考えても妄想に終わる
0021つづき
2006/12/01(金) 01:05:33ID:GXTLLu1k徳川をやりこめても、上杉、伊達あたりは完全な服従を示すような
家風ではないからだ。
そこで、毛利、前田の協力を得つつ政権運営を行うのであるが
前述したように経済面においての利益が全国に波及するので
地方有力大名達も争乱をおこしてまで豊臣政権に歯向かうことも
ないだろう。
徳川政権が極端に閉鎖的な政策をとったがために
日本の進化が遅れまくり、欧米に少なからず搾取され、それまでの
内向きの反動からか明治政府が極端な軍事国家が誕生したことも
否定できない。
脳筋馬鹿がこれほど一国の歴史に暗い影をおとしたことは
世界中を探してみてもそうは存在しないでしょう。
おわり
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 01:17:50ID:Bnyi3kW0家康時代は割と重商的だったけど
経済的には日本からの輸出品が少なく一方的に金銀が流出するため
閉鎖的になっていったという見方もあるので
誰の政権であっても同じように貿易量を減らすような政策を採るかもし
れない
ただその金銀流出も経済に暗い官僚、米以外の産業に積極的でない
武士のせいでもあり、武士教育の儒学朱子学がそれに影響を与えた
可能性も有るのでその点では家康にも責任あるかもしれない
江戸時代も後年は産業が活発で絹は明治時代に主要な輸出品目に
まで成長したが。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 01:19:57ID:Qklxqd4M非難派は、豊臣家というよりも豊臣政権にたって発言していて、
擁護派は、豊臣政権というよりも豊臣家にたって発言しているね。
まあ、加藤・福島の行動は政権に対しては裏切りというよりも
といっても良いが、豊臣家自体には忠誠心があったといっても
よいわけだからな。
双方の言い分が立つわけだ。
漏れは基本的に非難派なのだが、
そもそも鎌倉からの武士社会における政体っていうのは、裁判における公正さが売り物。
政所よりも侍所よりも問注所の仕事の方が詳しく教えてくれた記憶があるんだけどね。
つまり、武家社会の忠義ってそういった公正な裁判によって利益が守られる事に対してなんだけどね。
豊臣政権は別にそういったことに過失があったわけじゃない。
つーか、捻じ曲げたのが家康でその捻じ曲げた結果で利益をだして味を占めたのが、福島・加藤。
主君(豊臣政権)はきちんと仕事をしていたよ。それに大して裏切ったのが福島・加藤。
でも、豊臣家に対しては忠誠心というか愛着心があったんだろうね。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 01:30:39ID:yhsSiZZFまともなレスが続いているようで良かった
0025馬鹿中年
2006/12/01(金) 07:44:14ID:r6gDiokV>真剣な疑問なんだが何でそんなにも無理やりに擁護しようとするんだ
>本当に関係者か何か?
>というか本当にその程度の思考と論理の組立で社会人?
別に擁護はしていない。
>>3の意見だと「加藤福島は絶対悪」という「感情論」だけで、議論が進まない。
単に「心証」で清正や正則を裏切りというなら、他だってそういう意見になる。
私は「清正の詰めが甘かった」「正則は馬鹿だった」「二人がこうすれば豊臣家が存続できたのに」「政権としての豊臣家を残す為には二人はどうしたらいいか」という話ならどうにか出来ると思う。
だが、単に「心証」で「裏切り者」と言われても、「それはおかしいだろ」といわざるをえない。
0026馬鹿中年
2006/12/01(金) 08:34:55ID:r6gDiokV>まあ、加藤・福島の行動は政権に対しては裏切りというよりも
>といっても良いが、豊臣家自体には忠誠心があったといっても
>よいわけだからな。
>
>双方の言い分が立つわけだ。
ほぼ同意見ですね。ただ
>つーか、捻じ曲げたのが家康でその捻じ曲げた結果で利益をだして味を占めたのが、福島・加藤。
>主君(豊臣政権)はきちんと仕事をしていたよ。それに大して裏切ったのが福島・加藤。
ここら辺が微妙な気がするのは、秀吉死後の豊臣政権というのは家康の威望に頼っていたところがあり、事実家康が政権首班でした。
で、二人がどこら辺で家康と豊臣政権を分けて考えたのか?またどのように対処すべきだったのかは考察の価値があると思います。
>でも、豊臣家に対しては忠誠心というか愛着心があったんだろうね。
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 08:45:35ID:YkUTxZDY大坂の陣前の休息な大坂城との関係悪化までは秀頼を立てていたわけで、これに協力したから裏切り者、というのならそいつはきっと未来予知能力者に違いない
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 09:18:39ID:7zyZmoqX0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 10:00:06ID:yhsSiZZF婚姻を始めとして遺訓に背いとろうもん
後は前スレで
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 10:10:10ID:7xIR/Xmf「豊臣政権」をどうにかするんだとしたら、秀吉の死ぬ前に何とかしないと。
どの道三成や秀家にどうこうできたとは思えない。
まして清正や正則では……
そういう意味じゃ「豊臣政権」が滅んだのは、秀頼しか残さずに死んだ秀吉の責任であって、清正や正則をなじったところでどうこうなるようなものじゃなかったと思うが。
豊臣家が滅ぶのを傍観していたという意味では、福島正則はヘタレだったと思う。
あそこまで肩入れしておいて、大坂に味方するわけでもなく、徳川に釈明するわけでもなく、結局潰されている。
淀と一緒に死ぬ気が無かったのかもしれんが、大名としても豊臣家の家臣としても中途半端。
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 10:25:04ID:YkUTxZDYで、それを誰も咎めず子飼い連中すら同心したわけだが
つまり裏切り者というのなら、秀吉死後全員が即裏切り者
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 10:41:37ID:7xIR/Xmfで、シビアな事を言えば、「所詮その程度の家臣しかいなかった」というのが秀吉の評価につながっちゃうんだよな。
だから加藤清正や福島正則を貶めるよりはそれぞれの事情を考慮しようという>>8-9の意見もわかる。
だが、俺には福島正則の擁護は出来ない!
というか、どうすれば擁護できるんだ?
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 10:44:04ID:YkUTxZDYいなかったんだろうなw
ま、豊臣政権自体が軍事力を背景に一代で勃興した勢力
家臣団とも強い紐帯があったわけではなく、秀吉その人の器量に支えられていた以上、次代が力量以前の問題の幼君では求心力がなくなるのも当然
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 11:19:50ID:B7j03xty秀吉なんか足軽ですらなかったくせに
簡単に主家のっとってるし
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 12:00:37ID:a/1D5D6O福島が豊家の実権を握り、秀頼を一大名にして自分の家臣にしたのならこんなに批判されない。
散々言われてるんだからその辺をよく理解しろ馬鹿。
0036熊本人
2006/12/01(金) 12:25:07ID:Ax0OaHoN1612年の家康・秀頼謁見では常に秀頼の傍にいました。
熊本城には本丸御殿に「尚君ノ間」があり、豊家に大事ある時の為の物だと
言われております。
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 12:46:44ID:hH4OiHMlある日、唐突に信長信忠親子と織田政権の中央官僚が根こそぎ討ち死にしたわけだ。
残されたのは、他家へ養子に出した子らと国持ちの重臣達と外様の国持大名だ。
信長の意思を継ぐなら、権威や血筋より実力や器量を重視すべきなのは言うまでもない。
そうでなければ極端な話、畿内政権は足利氏に任せ、尾張国の実権は斯波氏に返さなければ道理に合わない。
つまり信長信忠の後継者に限っては、光秀以外なら誰が後継者になろうと、裏切りでもないし、簒奪でもない。
しかし秀吉の後継者は、事情が違う。秀吉は自分の後継者をきちんと指名して死んだのだ。
それをうぬらは忘れたか、清正よ、正則よ、一豊よ、七本槍どもよ、この恩知らず、恥知らずどもめ。
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 13:38:25ID:wrzA/vgS家康殺さずしかも関東で百万石以上与えるなんてただのアホだろ
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 13:48:53ID:Bza0wTB/伊達も上杉も前田も毛利も島津も潰しとけってか?
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 13:53:29ID:bK3tkAjD関ヶ原観る限り上杉の配置は正解だったわけだし。
問題は結局その譜代等(福島)が最低な(ryだからだろ。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 13:55:29ID:yhsSiZZF0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 14:36:37ID:dI6N+AnF秀吉の恩を忘れ、豊臣家を滅亡に追いやった最低の裏切者。
家康に踊らされた大馬鹿者。
前者は反対。後者は賛成。
裏切者は黒田たちで正則は馬鹿なマヌケだろ。
正則が高台院に言ったとされる、
「それがしが忘恩の凶徒と罵られながらも内府(家康)に
忠節を尽くしてきたのは、ひとえに秀頼公を思っての事であります。
これだけ恩を売っておけば、内府も秀頼公に滅多なことはできまいと存じます。」
これが本心だろう。
つまり正則なりの忠義を尽くした。
清正の死後、大坂の陣の時は弁解できないへタレだけど。
藩屏として幕府に殉じた会津藩は美しいが、
この時代の人間、それも正則にそれを求めるのは酷だろう。
9、10、13、25、26の人は鋭いね。
反対派は論破されてまともなレスが出ないね。
>二人がどこら辺で家康と豊臣政権を分けて考えたのか?
またどのように対処すべきだったのかは考察の価値があると思います。
秀吉逝去の瞬間から家康が最高官位・最高実力者だった事が致命的。
秀頼は権中納言、秀吉は前例がないとは言えゴリ押しでも、
家康より高位にしておくべきだった。
(在世中なら反対は出ないし、就けば降ろすのは難しい)
関白職は秀次死去から空位であり、将軍宣下が関白職とのバーターだった
背景を考えれば関白が最適だったが。(公家衆は関白を切望していた)
とにかく家康の力を削ぐべきだった。
それが出来なかったから死ぬ直前に哀訴した訳で、
太閤でさえ出来なかった秀頼首班を、自分達が出来るわけがない、
ここは次善策として豊家存続を計れば、家康は高齢、次は秀頼公、
と彼らが考えても無理はない。
結局2人に出来ることはそれくらいしかなかった。
秀吉の遺言は利家が往き続け、関白は秀頼成人まで空位、
という非現実的なものだったから、家康につけ込まれても仕方ない。
この辺りの整備をもっとちゃんとしておけば。
秀次存命時のように。
(秀次在世でも、との説があったが、在世なら家康は相当苦労した、
無理だった確率が高いと思う。
秀次は関白、これを降ろすのは難しい、
戦いを仕掛けるにも大義がない、無理押しすれば逆臣になる。
源氏の嫡流を名乗る家康が名を捨ててそこまで出来たか。)
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 14:39:32ID:yhsSiZZFあんたはまだまともそうだと思ったけどこれはいただけない
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 15:13:45ID:uFw0SyqF咎められてるじゃん
前田存命時に家康以外の大老5奉行他有力外様大名に
加藤ら一部の将に
この時家康に味方したのは伊達黒田福島藤堂大谷池田森ぐらいじゃなかったか
あと関ヶ原の時にも奉行らに咎められている
>>32
加藤はそれなりに擁護も出来ると思うが福島は
ただ縁故で取り立てられた直情径行の馬鹿だったとすれば
騙されて利用されていただけという擁護も出来ると思う。
結果として見れば裏切り者でも故意では無かったとして擁護
も出来るような気がする。
>>39
殺すのは難しいでしょ、200万石以上上げたのは失敗だったと思うが。
>>41
福島はともかく、他の東海道の大名はそれなりに家を残したのだから
単に時勢を読んだだけで最低というのは酷いんじゃないか?
>>43
9、10、13、25、26の人の何処が鋭いんだか、
一番支離滅裂で感情論で喚いてる気がする。
>>20前後の人は鋭いと言うか冷静で視野が広いって感じがするけど。
何て言うか加藤福島を擁護している人達(と言っても少数みたいだが)は
裏切り者という言葉に過剰反応しすぎじゃないか?
当時は恩人を裏切るとか一族でも裏切るとか普通だったんだから
別に二人が裏切り者でも良いと思うんだが
何がそんなに気に入らないんだ?
恩人を攻め滅ぼすとか普通にある出来事じゃないか。
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 17:28:38ID:D3wSlEyaただ、引っかかってるのはこの程度で最低かって事かな。
「裏切りだが、この程度、仕方ないし、良いじゃん、最低と言うほどじゃないよ」
というのが俺の印象。
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 17:34:11ID:b57OYvN/どうしてこうなった?
お母さんに味方しただけだろ
>恩人を攻め滅ぼすとか普通にある出来事じゃないか。
「珍しくはない」だけであって「普通にある」わけじゃないぞw
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 18:28:53ID:SXg/+vxwむしろ、おねの方に義理があるだろ。
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 18:33:29ID:SXg/+vxw何で福島や加藤が自らの滅亡の可能性もあるのに
守らなくてはいけないんだかw
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 18:42:35ID:hH4OiHMl0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 18:54:15ID:DxQPR+R00053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 18:54:20ID:uFw0SyqF自分は一族で恩があってというより
恩の有る主家を滅亡に導くような裏切りまでしておいて
自分の家も駄目にしたから最低だと思う
地位も名誉も何も残せなかった裏切りと言う意味で
>>48
まあ確かに
>>47>>49
北政所と加藤福島は仲が悪かった気もするけど?
北政所は関ヶ原時も中立か西軍よりの行動をしているし。
北政所は三成と仲が良い様な気もするが。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 19:01:58ID:tNekWppW駄目で最低なのは反論しないけど、
裏切り者という言葉は妥当じゃないよ。
結果として裏切ってしまった(豊臣が滅んだ)だけで、積極的に売りに走ったわけではない。
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 19:06:29ID:yhsSiZZF同意
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 19:12:45ID:w5MW9hhi西軍の総大将に毛利を立てた様に、家康を大将として支持した。家康はまだ律義者
のイメージが強かっただろうし、家康が寿命で早々に死ぬと思っていただろう。
そうなれば徳川家も只の五大老の一角、自分たちの発言権も強くなると思っても
可笑しくは無い。
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 19:27:34ID:uFw0SyqF結果として裏切ってしまっただけでも裏切り者なんじゃないか?
加藤に関しては結果として裏切ってしまったというのはまだ当て嵌まりそうだけど
福島はちょっと・・・
それに豊臣が滅んだのは結果だけど
また豊臣政権も当利家死後は完全に家康がトップ代行だから
家康に従う=政権を裏切っていないという論理も成り立つと思うが
福島は秀吉の遺言に背いているから秀吉に対してはやっぱり裏切ったことになるんじゃ
>>56
>家康はまだ律義者のイメージが強かっただろうし
秀吉死後次々と違反を繰り返すのを見て政権への律儀者
というイメージは消えているんじゃないかと
ただ恩賞をちゃんとくれるという意味では
秀吉の命を守って恩賞を与え様としない奉行よりは
律義者のイメージが強かったかもしれないと思う
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 20:41:56ID:G1ts0VoUけど馬鹿なのは間違いない
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 20:49:47ID:ATAVxh2s0060名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/01(金) 21:04:54ID:QTVMB5Pg福島正則、加藤清正は最低の裏切者だ
騙した社長は悪くない。むしろ悪役のキャラが際立っていてカイジが
惚れ惚れすると褒め称えたくらいだ。
しかしカイジと一緒に艱難辛苦をともにし九死に一生を得た仲間を裏切った前田、三好は人間じゃねえ
福島正則、加藤清正は最低の裏切者だ
0061名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/01(金) 21:07:38ID:3JZSsiDj彼に魅力を感じる人ってあまりいないでしょうね。
ある意味目先が利かない馬鹿とも言える宇喜多秀家は、
こういった大名の中で盲目的に豊臣方として戦い、
「豊臣の世なら1万石でも受けるが、徳川の世なら10万石でも受けない」
と大名復帰を断った。
これこそが忠義ではないかと私は感じます。
しかし、福島も川中島に転封になったとき、
「あのとき西軍に付いてればよかった」
とは思わなかったんでしょうか?
みなさんは、どう思いますか?
0062名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/01(金) 21:56:22ID:BjJRewX5そしたら家康厨も応戦してくれる。
加藤福島に先見の明を期待して、犬猿の仲の三成に従うことを要求するのは酷。
少し前、徳川は潰せないから伊達を潰せという議論が出てきたが、
家康は叩けないから加藤福島を叩けというんだろうか。
豊臣厨は論点がずれまくる。
0063名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/01(金) 22:01:48ID:yhsSiZZF0064名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/01(金) 22:24:18ID:mB0qW7Wf最低の裏切り者と罵られることは少ない
加藤・福島とは大違いである
加藤・福島も光秀のように動機をミステリアスにしておけば叩かれずにすんだだろう
0065名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/01(金) 23:10:23ID:dI6N+AnF東軍に付くように誘われたが、統虎は、
「秀吉公の恩義を忘れて東軍側に付くのなら、命を絶った方が良い」
と言い拒絶した。(ウィキ、立花宗茂より)
外様でも立花宗茂みたいなのがいるから、正則のバカさ加減が際立つんだよな。
晩年の秀吉は清正・正則をどう思ってたか。
豊臣の柱石に足る人物だと思ってたら中枢から外さないわな。
案外秀吉は見てたんだろう、人物を。
裏切りには2種類あって、
@故意に裏切る
A故意ではないが結果として裏切る
@は信念ある裏切り、コイツらは悪党だな。黒田や細川。
Aが正則。清正は死んである意味助かった。
有能でヤル気有り
有能でヤル気無し
無能でヤル気有り
無能でヤル気無し
この中で1番有害なのが無能でヤル気有りらしい。
正則も無能ではないが相手が悪すぎた。
庇う人間も全てを肯定していない、
感情論で否定する(かのように見える)から、
それは言いすぎだと言ってるんだろう。
「裏切者は裏切者、議論の余地なし」ではスレ立てる意味がない。
同好者で楽しんでるだから邪魔しないでくれと言うならそれでいいが。
0066名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:05:30ID:xN9OQ1R0三成・秀家・吉継・行長−豊家を操り傀儡政権化を企んだ奸人ども
0067名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:11:19ID:+yYHCbRV光秀は天下を取ろうとしたようにも思えるからじゃない
加藤・福島は保身に走って失敗した小悪党みたいな印象を受けるからかもしれない
>>65
同感
積極的に裏切っていればここまで言われることは無かったと思う
0068名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:12:23ID:xN9OQ1R0清正・・・築城の名手として名高い、男気溢れる武者
正則・・・豊臣のために西軍を打ち破る大手柄
長政・・・父官兵衛とともに秀吉の天下取りを支える
幸長・・・五奉行の父よりも才覚が上と言われる猛者
三成・・・神君家康公に逆らったバカ
秀家・・・秀でるのは武芸のみで宇喜多家のゴタゴタは放置
吉継・・・筋肉が崩れてキモいので三成しか相手にしくれない
行長・・・商人のくせして武士面したバチが当たってしまった
0069名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:14:27ID:s9Iz+81U明智光秀がマシに言われるようになったのは最近の話で、
ちょっと前までは明智光秀というと悪の権化のような人物と
思われてたんだけどな。
そういう事を知らない世代が出て気たというのが俺には驚き。
0070名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:16:04ID:bniMIFPv0071名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:16:20ID:xN9OQ1R0本能寺の変しかしらねえから
0072名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:16:53ID:aOSNRb/p浪人の分際が
0073名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:26:47ID:WznDjriY秀頼を殺さなかったとしたら、家康でも尊敬できる偉人として後世
に後ろ指をさされることもなかったはず。
天下人は姑息な手段で天下を取ってはならないのが鉄則だ。
この基本を忘れたものは例え天下を取ろうとも、いずれは歴史に
裁かれる。
何度でも言おう、家康は強いものには媚態をさらし、弱いものには
汚い手を使って天下を取ろうとするチンピラであると。
その姑息な行為は、決して消えることは無い。
0074名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:29:36ID:xN9OQ1R0時勢を読めない豊臣がダメだわ。
0075名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:30:10ID:+yYHCbRV清正・・・かろうじて熊本城の人
正則・・・誰それ・もしくは漫画の影響で馬鹿とか
長政・・・誰それ
幸長・・・誰それ
三成・・・関ヶ原で負けた人・もしくは漫画の影響で陰険とか小心
秀家・・・日本史選択なら5大老の一人と思い至るかも
吉継・・・誰それ
行長・・・誰それ
明智光秀・・・本能寺で信長倒した人
こんなもんだろ
多少歴史知ってる人なら加藤福島ああ関ヶ原で豊臣家裏切った奴等か程度の認識だし
0076名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:35:26ID:v+S8YQqZ豊臣が度重なる降伏勧告を無視して本土決戦を敢行したのだから
家康の意思とは無関係に秀頼は死ぬしかない
戦時中の日本軍をはるかに上回るキチガイを相手にしなければならないのだから
家康の方が可哀想だ
0077名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:39:58ID:AUfSN1NR虎退治の人じゃない?
> 吉継・・・誰それ
そんなにマイナー?
0078名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:47:22ID:xN9OQ1R0家康は約10年も我慢したんだからなぁ
いつ寿命が尽きてもおかしくないのにね
0079名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:52:21ID:aOSNRb/p有名人ですか?
0080名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:55:47ID:tPWoJV7G秀吉とは元同僚・同輩などと違い子飼い武将でありながら幼君を蔑ろにしそうな腹黒に味方する福島ら。
これらよりもオレは幼君を守り奉り、豊臣中興を成し遂げるという野望を持つ光成の方が好感を持てる。
0081名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:59:13ID:bniMIFPv加藤福島は結果として裏切りだと非難することは出来ないという
こういうのをダブルスタンダードって言うんだよ
言葉は正しく使おうね
0082名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:59:21ID:s9Iz+81U俺も戦国マニアになる以前にそのリストで知ってたのは
三成、明智、清正の三人だけだ。
0083名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 01:55:17ID:+wdLI3Mp相当あったと思う。(これについて異論もあろうが、長くなるので説明は省略)
「豊臣」の滅亡をある程度予測できたにも拘わらず「徳川」に天下を渡したことはやはり「裏切り」といえよう。
同じ豊臣家臣でも傍観者に近い立場にあったものや抵抗して左遷されたものと比べて、
加藤、福島のように積極的に「徳川」の天下簒奪に協力したものとでは、裏切りの濃淡は異なる。
つまり、彼らが裏切りの首謀者のひとりであることに変わりはない。
各大名は政権の行方をどう考えていたのか、試みにケース分けを作成してみた(多少おかしい部分があるかも)。
A豊臣から徳川への政権移動に賛成(徳川に服従)→徳川、細川、藤堂、黒田、池田
B豊臣政権の継続(徳川独裁体制)→福島、両加藤、浅野(大谷、蜂須賀?)
C豊臣政権の継続(合議制の継続)→前田、石田、宇喜多、増田、長束(毛利、上杉)
D自家の利益を視野に入れて状況をみつつ判断→主な外様大名、金吾
Aは説明するまでもないだろう。豊臣家が滅びることもやむなしと割り切っているのだろう。
Bは武断派と呼ばれる連中が中心だが、加藤、福島についてはやっていることはAと全く変わりない。
ただし、大谷は徳川の独裁体制には消極的賛成程度で、(家康の死まで)なるべく時間を稼ぎたいと思っていたのだろう。
Cは徳川の突出に反対する勢力だが、前田は利長の代でAに鞍替えし、毛利・上杉もあまり積極的とも
思えない。Bとの対立で関ヶ原を招き、豊臣の滅亡を早めてしまったのはこの連中のせい。
Dは日和見連中なので風向き次第ではどちらにもつく。定見のない連中。
ここで不思議に思うのはB(除く大谷)の連中がなぜAと同じ行動を取ったかということだ。
おそらく「律義者の家康殿は秀頼様を粗略には扱うまい」などと短慮し、政権交替の要件などを吟味していなかったのだろう。
大谷だけはただひとり、状況をある程度判断できていたと推察される。
政権交替の要件は関ヶ原後の戦後処理をみるとわりと簡単にわかる。
1)豊臣家蔵入地(200万石→45万石)→→→知行分配の権利を剥奪
2)鉱山・港湾等の運上金(豊臣系の奉行→徳川系の奉行)→→→通貨供給能力の剥奪
3)大坂城本丸に秀頼、西丸に家康(→家康は江戸・駿府へ)→→→人質を大坂から江戸へ移動
4)朝廷とのパイプ(京都所司代は徳善院→板倉勝重)→→→官位は家康が奏上(この結果、家康が征夷大将軍へ)
1)については徳川が誓詞を破りまくって知行を勝手に分配しているので、じわじわと進むだろう。
2)については豊臣は大坂城に金を溜め込む一方なので、通貨鋳造などの大義名分で剥奪可能かもしれない。
3)については大きな戦争でもないと無理。
4)については、増田、石田、長束のいずれかが奉行として健在なら、玄以が倒れても代替。
関ヶ原がなければ3)4)の要件を満たすのはなかなか難しいので、奉行派との徹底的な対立がなければ、
豊臣は徳川の傀儡政権化しても上記4つのうちいくつかは残り、家康死後に巻き返せたかもしれない。
奉行派の発言力が低下し、関ヶ原に至ったのは七将襲撃が契機だったことを鑑みると、三成襲撃を自重することで、
家康の政権奪取は史実より遅れたかもしれない(とはいっても家康のことがから策を練ってくるだろうが)。
いくら三成が憎いからといって、一気に叩き潰せば、豊臣家自体があやうくなることくらいわかろうというものを・・・。
徳川の独裁が強まれば、三成はいずれ自滅するだろう。それを看過して加藤、福島が自重すれば
徳川の政権奪取前に秀頼が成人し、歴史は変わっていたかもしれない。
0084名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 03:22:02ID:CFHPs4jGチンピラって部分だけ気になったんだけど
大名なんざみんなヤクザ、チンピラですよ
戦国は理屈よりも結果の時代ですから
方広寺の鐘の件なんてインネンの付け方はヤクザよりタチ悪いでしょ
もし現在何かの間違いで山〇組あたりが国家を掌握したら武家政権に近い国になりますよ
0085名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 03:49:01ID:YxddHrLyある意味正しいと思う。
俺も小学生の頃は関ヶ原の戦いに秀吉も参加してたように誤解してた。
NAVERで韓国人に聞いたら一番有名なのが加藤清正(侵略者)で
次いで有名なのが明智光秀(ゲーム信長の野望で知った)で
石田三成が最も知名度が低かった。
関ヶ原の戦いを豊臣秀吉と徳川家康が戦った戦いだと思ってる人が多かったし
長篠の合戦を武田信玄と織田信長・徳川家康連合軍の戦いだと勘違いしてる人が大勢居た。
向こうでは徳川家康は悪人豊臣秀吉を倒した既成のスーパースターという扱いで
小説『大望』(山岡荘八の徳川家康)は経営者の必読書であり
ある意味、日本より韓国での方が徳川家康マニアが多い。
加藤清正や小西行長は教科書に出てきて試験にも出るような名前だから
明智光秀や石田三成や福島正則とは比較にならないほど有名だそうだ。
意外なのが韓国の若い子供達は西郷隆盛を全く知らない事だ
かつては伊藤博文と並ぶ姦人として征韓論を唱えた大悪人として紹介されてたが
近年は豊臣秀吉や伊藤博文と違って西郷隆盛自体が話題に上る事が全くなくなり
「誰それ?」という反応だった。
0086名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 03:50:49ID:2trKWmv1裏切りとすら理解していなかった、ということで。
結局のところ、公私の私を優先させたわけよ。この二人は。
三成にいくら遺恨があると感じても襲撃すること時点でおかしい。
秀吉の決めた五大老・五奉行制への完全な謀反といっていいからな。
家康が七将を叱責したのは三成を生かすだけじゃなく道理的にも当然。
これが襲撃ではなく連名での弾劾状とか提出なら分かるのだが。
普通に考えれば婚姻や前田家への恫喝など家康に従ってても、そのやり方に少し
なりとも異を感じてもいいはずなのにそれであの行動だからな・・・・・
それとも関が原とかの勲功で家康が自分たちに一目は置くだろうとでも思ったのだろうか。
だとしたらもうどうしようもないな・・・・・
0087名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 04:00:38ID:YxddHrLy小山会議に出席してなかった点と大阪城冬の陣の時に存命してなかった事だ。
特に小山会議での福島の馬鹿っぷりが際立ってるので
福島の方が10倍ほど評価が悪くなってしまう。
加藤清正は領国が九州の僻地だし大事な政局時に九州に居たため参加できず
積極的に関ヶ原での出来事に関与できなかったから
悪いイメージを大分まぬがれている。
もし小山会議に加藤清正が居て福島正則が居なかったら
一番最初に「徳川家康に味方します!」と宣言しなかったかもしれないし
尾張という要地ではなく九州に領地を持ってたから家康に味方すると言っても
福島正則のようなインパクトや影響力は当然与えられないし
家康も大きな評価を与えなかったはずだ。
0088名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 04:19:01ID:YxddHrLy前田利家が徳川家康を弾劾して詰問状を送った時に
両者は敵味方に分かれてる。
大坂の前田利家の下に利家派の武将が参集する
毛利輝元・上杉景勝・宇喜田秀家・細川忠興・加藤清正・加藤嘉明・浅野幸長・佐竹義宣・立花宗茂・
小早川秀包・小西行長・長宗我部盛親・浅野長政・前田玄以・増田長盛・長束正家・石田三成
伏見の家康の下に家康派の武将が参集する
伊達政宗・福島正則・池田輝政・黒田長政・藤堂高虎・森忠政・織田有楽・黒田如水・有馬則頼
・金森素玄・新庄直頼
この時点で前田利家が病死せずに天下分け目の大阪城・伏見城の役が起こってれば
清正や幸長や忠興は裏切り者扱いされずに、正則や長政や輝政は裏切り者(犬)扱いされていただろう。
0089名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 04:41:31ID:p1IKE3ifまぁ毛利、前田、上杉の時点で足並みが揃うとはとても思えないだけに、
それですら家康に勝てるのかね?って気もするけども。
無論家康はそんな博打は極力避けるだろうけど。
0090名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 04:47:43ID:+wdLI3Mp申し訳ないけど日付と史料名教えていただけません?
自分もその人物名さがして本をめくっている最中なので
0091名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 05:10:15ID:p1IKE3ifその弾劾のころの家康の動きの中で、
清正も家康から水野家の娘かなんか貰ってなかったっけ?
0092名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 05:15:37ID:bniMIFPv0093名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 05:20:27ID:+wdLI3Mp今、関ヶ原合戦史料集をめくってみたんだけど、
清正は徳川方についていたという文章しかでていないからおかしいと思ったんだ。
桑田忠親の本でも同様だった。
何の文献にそんなことが書いてあるんだろう?
0094名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 05:25:23ID:p1IKE3if加藤嘉明なんかはじめっから家康よりだったはずだし、細川忠興が三成と結ぶ?
しかも秀次の時に大恩ある家康に対して?違和感ある。
長宗我部に関しても元親は一応利家より長く生きたはずなのに、盛親だけなにやってんだ?
0095名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 05:55:23ID:YxddHrLy何の歴史資料から抜粋したかまで分らずにスマソ
でも司馬亮の小説でも家康は清正や浅野や細川は100%自陣営に参集すると
思い込んでたので、利家陣営に流れてびっくりした旨書いてあったと記憶してるけど。
家康も読み違いがあったので、一旦仕切りなおしを考えて
利家の和解するよう考えた云々という内容だったはず。
表向き詰問状の名目は家康と正宗の事だけを取りあげており他の大名は不問にしたと思ってた。
奉行は清正やら正則やら蜂須賀やらも詰問状に乗っけたかったかもしれないが
あえて利家は陣営競争で不利にならないようにターゲットを家康・正宗に
絞ったんジャマイカ?
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/seki-nen1.htm
0096名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 06:41:27ID:+wdLI3Mpただ、あの先生はぶっとんでいるから・・・・
例えば小幡景憲は「城塞」の中で前田利常から殺されかけ、
木津川口の砦を設計して「豊臣方」として大坂冬の陣に参加なさったと書いているからw
0097名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 06:44:20ID:+wdLI3Mp前田は言い過ぎ 本多
0098名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 07:40:36ID:YxddHrLyここで全集を持ってるネラーが居たら、参考に教えて欲しい。
0099名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 10:46:21ID:Ci/uI36M細川は前田の縁者。で、その後家康から脅されて縁を切って、
加増貰っている。信長いらいン十年ぶりの加増。当然豊臣家の領地からね。
ちなみに家康の下に吉継も逝っている。
そんで、吉継は家康からも加増貰っている。
でも前田騒動の収拾とかもしている。ので微妙。
細川は秀吉に虐待された。黒田も虐待された。意外だが浅野も虐待された。
加藤はちょっと怒られた程度。
福島は極めて甘やかされた。朝鮮にもちょいいった程度だったしね。
それで、あんな行動でるわけだから、
あ、上杉討伐で100万石貰いたいとか放言したらしいね。
そもそも、上杉討伐の理由って知ってるか?
新城の建築を命じてそれに対する申し開きをするようして至った
わけなんだが、そもそも、会津移封のちに数年領地経営をしろと
いう命令を秀吉から受けていて(まあ当たり前、100万石の大領地なんだから)
ようやく、国許に戻って城を築いて領地経営にのりだす時にいきなりケチつけたわけだ。
福島よ・・・、お前もうすこし学習能力つけろやという顛末だよな。
0100名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 11:00:17ID:+wdLI3Mp>ちなみに家康の下に吉継も逝っている。
その参集表を昨日から探しているけどみつからない
出典おしえてくんね
0101名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 11:09:07ID:YxddHrLyhttp://newtenka.popsoft.com/daming/01/07/a.htm
0102名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 11:14:17ID:Ci/uI36Mこのへん記憶にたどって書いているんでチラシの裏程度と思ってくれ。
チラシの裏のWikiにも家康の方に逝ったとある。その程度の信憑性。
そーいや、武断派七将って結局9人だっけ?
誰と誰だっけ?
0103名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 11:24:53ID:+wdLI3Mp>誰と誰だっけ?
徳川実記なら福島、浅野、両加藤、池田、黒田、細川だよな
この手の記録はいい加減だからあまり興味ない
藤堂、蜂須賀は何してんだろう
0104名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 11:52:29ID:Ag9NCeH6三成がデカい顔してる間は自分達はうだつが上がらないのはわかってる。
れっきとした政略上の判断だろ。
家康が天下を取れば自分達の立場がどうなるかまでは読めなかったが、
武断派としての活躍は家康の下でのほうがやりやすかったということ。
0105名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 12:04:29ID:+wdLI3Mp当たり前だよな
>れっきとした政略上の判断だろう
>武断派としての活躍は家康の下でのほうがやりやすかったということ。
何活躍したの?具体例あげてくれ
関ヶ原で戦ったってのは抜きにしてくれ
金吾ちゃんだって戦ったのだからw
0106名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 12:16:21ID:Ag9NCeH6>関ヶ原で戦ったってのは抜きにしてくれ
それは抜きにはできないな
なぜなら、どちらに就くか判断する時点ではそれが一番重要だったから
0107名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 12:16:41ID:0Gwgt2Uw豊国神社の別当神龍院梵舜が天正11年(1583)から
寛永9年(1632)まで書いた日記がある。
この人物は北の政所と近しい存在だった。
これを読んで幾つかの疑問がある。
記述によると、
@
秀家が関ヶ原前の7月5日7日23日に出陣式と必勝祈願していて、
北の政所の代参に側近の東殿が来ている。
他にも政所と秀家の密接な関係が記されている。
また、政所は西軍敗戦の知らせに慌てて秀吉の遺品を神社に隠し、
そのまま徒歩で後陽成天皇の生母准皇邸に避難している。
(貴人が徒歩で!!)
A
政所縁者で東軍に加担したのは細川忠興の妹婿の木下延俊と秀秋のみ。
なぜ秀秋だけが悪し様に「裏切り者」呼ばわりされ、2年後の悶死したのか。
政所の指示で東軍加担したとされる割に、以降の記述は冷淡で
死去の際も「金吾殿備前岡山城にて死去」のみ。
B
淀殿はなぜ異常なほど家康を嫌ったのか。
関ヶ原直後は忠義を誉めているが、
将軍宣下、2年後の譲位後は掌を返すように貶している。
C
三成三女辰姫が政所の養女になり、
その後津軽二代藩主信枚公の妻となり三代藩主信義公の母になる。
D
慶長4年の豊国神社遷宮以降、加藤・福島・浅野長政たちが参詣した記録がない。
通説通り彼らが政所派なら、政所が毎月参詣したにもかかわらず不可解。
慶長8年幸長・高虎・清正・正則などが初めて参詣する時は、
この頃病気の時でも日参していたのに、決まってこれを避けている。
彼らと関係修復したのは慶長9年、家康の命令で
豊臣系大名によって高台寺が建立されて以降。
以上の資料から、
関ヶ原は通常考えられてる、
北の政所ー家康ー武断派vs淀殿 −三成ー文治派ではなく、
北の政所ー三成ー文治派vs淀殿 −家康ー武断派の戦いではなかったのか。
それが事実なら誰が裏切り者か変ってくるが。
0108名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 12:25:41ID:+wdLI3Mp>どちらに就くか判断する時点ではそれが一番重要だったから
何がいいたいのか、頭を整理してから答えてくれ
このスレでは加藤・福島が関ヶ原でどちらについたかなんて何も問題にしていないんだよ
関ヶ原の原因となった(であろう)私婚の禁や七将襲撃で徳川を後押ししたことが問題になっているんだ。
第一、加藤は関ヶ原本戦に参加していない。しかも毛利の誘いに応じる(西軍につく)構えもみせていた。
武断派として活躍云々をいうのなら加藤の行動をどう解釈するのかな。
0109名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 12:40:10ID:Ag9NCeH6実際に活躍したかどうかはまた別だろ
0110名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 12:42:18ID:+wdLI3Mpつか、それって当たり前のことじゃん
わざわざ書き込むようなことかw
0111名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 12:49:18ID:Ag9NCeH60112名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 12:52:23ID:+wdLI3Mp誰も思っていない
当たり前のことを何誇らしげに書いているんだ?
>だから、加藤福島は三成への私怨だけで行動したわけじゃないと言ってるわけ
誰がどこで書いているんだ?
指摘してみろよ!
0113名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 12:58:28ID:Ag9NCeH6>>86
0114名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 13:02:53ID:+wdLI3Mp了解!
86の意見を聞かなければ何ともいえないが
公私の私が「私的利益」でなく「私的感情」という解釈だったら
その言い分にも妥当性はあるかも。
でも普通は「私的利益」じゃねぇか?
0115名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 13:41:30ID:+wdLI3Mp立花宗茂のような生き方ってのは本当に稀有の存在だと思う。
相当いろんな面で「見えてた」人なんだろうね。
秀吉は宗茂を養子にして五奉行の一角に据えればよかった。
徳川の専横をある程度容認しつつ、それに歯止めをかけることができたかも知れない。
また秀吉に大谷刑部の判断力と石田三成の事務能力を備えた家臣が数人居れば
少なくとも秀頼成人までは豊臣政権(徳川の傀儡としても)は続いたと思う。
秀頼の器量が秀吉並みなら、歴史は変わっていたかも。
悲しきかな秀吉に人は集まらなかった。否、いたとしても登用できなかった。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています