何故132でスレ違いの意見を書いたかというのは七将襲撃の背景にある
石田三成への憎悪を書きたかったからだ。
三成は税を厳格に取る一方で公共工事を行った。
農民は農閑期は家で寝ているしかなかったのだが、公共工事に従事すれば
収入を得る機会を得る。いわゆる出稼ぎのシステムだ。
これによって、領民の一年間の総労働時間は増加(雇用促進)し
新田開発などで収入も増えた。
しかし、無能な領主、なにもしない領主では税を厳格に徴収すれば一揆や謀反が起こる。
無能大名にとっては結構きついシステムだな。福島はどう思ったのだろうか?

立花宗茂が大坂陣後に筑後柳川に復領したときに隣領の有馬氏と境界をめぐるいさかいがあったさい
宗茂は約1万石を有馬氏に譲って境界線の川の水権を得たと聞く。
目先の領地より、領民の仕事と新田開発の余地を優先した、まことに彼らしい判断だ。

それにくらべて肥後では
加藤さんはせっせと名城を作っていた。(時期は多少遡るが)
名君と称されるのだから、雇用促進という意味ではいいかもしれんが
城をいくら立派にしても領民の収入は増えないよw