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【武田】2万5千で上洛【信玄】その46

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/20(月) 22:53:31ID:ArMmJZ7P
前スレ
【武田】2万5千で上洛【信玄】その45
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157793068/

ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。

テンプレ
>>2-30ぐらい?
0853人間七七四年2007/02/16(金) 22:16:54ID:4FHd1jxm
>>852
馬の力を舐めてるでしょ。
人馬合わせて500Kg近いのがすごいスピードで走ってくるんだよ。
それも集団で。

動きが止まるどころか近づくのも難しい。
0854人間七七四年2007/02/16(金) 22:19:41ID:5BaechjP
>>853
戦国時代の馬はそんなにでかくないよ。
0855人間七七四年2007/02/16(金) 22:27:44ID:4FHd1jxm
>>853
騎馬武者が人間を跳ね飛ばす衝力を持ってることに変わりはないよ。
だから、それを止めるめるためには槍衾が必須なわけで。
0856人間七七四年2007/02/16(金) 22:27:51ID:5BaechjP
ネットで戦国時代の馬を調べると
戦国時代の馬と同じサイズ(体高130cm)の現代の馬を走らせると
分速150m(時速9キロ?)だったと言うのが有った。

まぁさすがにこれは遅すぎるだろうが、
すごいスピードとはとても言えなかっただろうね。
0857人間七七四年2007/02/16(金) 22:29:17ID:4FHd1jxm
>>854だorz
0858人間七七四年2007/02/16(金) 22:30:22ID:5BaechjP
>>855
君の想定している戦国時代の馬のスペックを聞いてみたい。
0859人間七七四年2007/02/16(金) 22:33:53ID:4FHd1jxm
>>858
スペックといわれてもね。
蒙古馬に近かっただろうってのは簡単に推測できるけど。
馬体は小さいけど、持久力があって気性が荒い。
0860人間七七四年2007/02/16(金) 22:39:03ID:5BaechjP
>>859
ちなみに、上のネットの検証では10分走ったらもう動けなったらしいよ。

ちなみにサラブレッドでも全力疾走は2・300メートル。
どこで全力疾走させるかは騎手のペース配分しだいらしが。
まぁ馬の持久力なんてそんなもん。
戦場を馬で走り回るなんてありえないから。
0861人間七七四年2007/02/16(金) 22:56:16ID:4FHd1jxm
>>860
それってここのことかい?
http://www.asahi-net.or.jp/~JT7T-IMFK/taiandir/x022.htm
まあこれはこれで面白いデータだとは思うけども。

別にいっつも全力疾走する必要なんて無いでしょ。
一度突撃して陣形崩しちゃえばあとは追撃戦だし。

0862人間七七四年2007/02/16(金) 23:18:05ID:5BaechjP
>>861
>一度突撃して陣形崩しちゃえばあとは追撃戦だし。
いくらなんでもギャグだよね?

さすがに時速9キロはないだろうけど、たいしてスピードが出ない体高130cm程度の馬で
1度の突撃で勝敗が決するの?
しかも基本的に両軍に騎馬がいるのに?
君の考えなら騎馬が突っ込めば相手の陣形なんて簡単に崩れるらしいが、
お互い騎馬があるんだよ?
お互いの騎馬がお互いの陣形を崩せたとしたら、それはそれで勝敗は決しないよ?
まぁ騎馬の突撃なんかで勝敗は決しないが。

実際に騎馬なんかで戦えないから、戦闘時は下馬すると当時の資料にも残っているんだろう。
当時の資料があるのに何で、なんの情報もなく妄想だけでそこまで考えられるかなぁ。
0863人間七七四年2007/02/16(金) 23:18:25ID:dooGVv7H
ここのスレ見て出直して来い。
サラブレットを引き合いに出すのは卑怯。
だって、速さの為に馬力や体力を犠牲にしたものだから。
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/l50
0864人間七七四年2007/02/16(金) 23:23:32ID:RTb/yU4r
つーか、メガ豚は戦国無双で歴史を語っているから痛い。
走りながら槍を振ったとして、人間の握力の限界ってどんなもんかは想像ぐらい尽くよね?
0865人間七七四年2007/02/16(金) 23:26:18ID:QpPJxAO8
話の流れでは、乱戦では弓矢鉄砲投石が使えないから歩兵は騎馬を防げないと言う主張みたいだが、
乱戦なら味方も入り乱れているからそんなところに突っ込めないだろう。
0866メガトン ◆xfEWihaR6w 2007/02/16(金) 23:26:57ID:Yr8Cyibc
騎馬戦を批判してる奴らって、一度実際の戦闘を想像してみたら?
刀槍だけ振り回すなんて言ってる連中はお前らだけだよ、そりゃ
熟練された騎馬武者じゃないと戦えないのは誰でも理解出来るよ。
馬で走りながら投石で戦ったりとかは考えないわけ?
それから機動力(陣形の形成や、歩兵に対する有利さ)に関して
明確な回答頂けてないんですが???

何より武田の騎馬軍と他の大名の騎馬軍を一緒にしてないか?お
前ら
0867人間七七四年2007/02/16(金) 23:27:09ID:tyn0JciU
別に騎馬隊が無敵でもいいけど
武田家が他の大名より優れた運用や技能、量などを有していたり
実績が無い限り
どの大名も騎馬隊持ってる以上
で終了じゃない?
0868人間七七四年2007/02/16(金) 23:29:12ID:4FHd1jxm
>>862
自分は>>841
>乱戦に陥ったとき横合いから殴りこむのに使ったとかは?
を前提にレスしてたんだけどね。

あと騎馬突撃が近代に入っても使われ続けたのは、その速度と
陣形を崩す衝力からだから。
一度陣形が崩れた軍隊は戦力にならない。中世ならなおさらね。

乗馬・下馬は場合によりけりとしかいいようがないね。
蒙古襲来絵図なんかじゃ乗馬して突撃してなかったっけ?
0869人間七七四年2007/02/16(金) 23:29:28ID:wh+yS7vW
だから、信玄マンセーされてて信玄廚に都合の良い甲陽軍艦でさえ
武田の騎馬軍団も戦闘時には下馬するものだと書いてあるんだが・・・
0870人間七七四年2007/02/16(金) 23:32:26ID:tyn0JciU
>>868
>あと騎馬突撃が近代に入っても使われ続けたのは、その速度と
>陣形を崩す衝力からだから。
でもその騎馬は西欧式の騎馬部隊であって
日本の戦国の騎馬隊には当て嵌まり難いんじゃないか?
0871人間七七四年2007/02/16(金) 23:33:31ID:wh+yS7vW
>>868
あの時代、日本の騎馬武者はまだ「我こそは○○」って名乗って一騎討ちする時代だったと言われている。
だから単独レベルだったら乗ったままでも不自然はない。もっとも一騎討ちなんて知るかの元の軍勢にやられたわけだが
0872名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/16(金) 23:39:01ID:93mQRQc9
>>860
人間だって全力疾走すれば2、300mが限界
しかし8分の力でよいなら42kmも走れる。
サラブレッドだってペース考えれば普通に3000m走るだろ競馬で。
適当に走らすならポニーでも戦場を駆け回るくらいはできるよ。
和種より強靭な本場の蒙古馬だっているしな。
0873人間七七四年2007/02/16(金) 23:40:16ID:4FHd1jxm
>>870
うん。
自分も西洋みたく大々的にやってたというには否定的。

ただ、臨時に小規模で騎馬突撃してみたり、移動して攻撃したら
馬と人の速度の差で自然と騎馬突撃になったりしたのはままあったんじゃないかなと。

>>871
それは自分も知ってるけど、実際馬に乗って戦闘できる(してた)っていういい証拠でしょ。
あと、前々から思ってたけどあの絵の馬やたら体格がいいよねw
0874人間七七四年2007/02/16(金) 23:45:29ID:tyn0JciU
>>873
でも小規模で騎馬突撃したら
あっさり防がれるんじゃ

結局追撃か陣形が乱れている所に乗り入れするぐらいにしか
効果的には使えないんじゃない?
0875人間七七四年2007/02/16(金) 23:48:50ID:wh+yS7vW
熟練者が単独レベルでやるんだったら問題はない。
だが、熟練度もばらばらの多数の兵が、軍団として騎乗したまま戦闘するとなれば話は別。
0876メガトン ◆xfEWihaR6w 2007/02/16(金) 23:50:32ID:Yr8Cyibc
>>867  
http://www.page.sannet.ne.jp/abe_t/sengoku_coium_1.html

お前って心底アホなんだねえ、これ読んでみろよ、武田家に
とての騎馬の扱い方がどれだけ優れていたかが分かる、まあ
戦闘で使用したとは書いていないが、それが「突撃に騎馬隊
は存在していない」との理由には当てはまらないね。
0877人間七七四年2007/02/16(金) 23:54:50ID:tyn0JciU
>>876
で具体的にどう武田軍団の移動速度が速かったんだ?
史実によって例示してくれ
0878人間七七四年2007/02/16(金) 23:58:54ID:4FHd1jxm
>>874
>でも小規模で騎馬突撃したら
場合によりけりだろうね。

ここ
ttp://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/index.html
の「季長、奮戦する」でも騎馬の集団が描いてあるけど、
あの後ろには沢山の徒歩がいたはずで。
戦国時代にもそういうことが結構あったんじゃないかなと。
0879名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/16(金) 23:59:11ID:93mQRQc9
>>875
俺は873と同じ考えだな。
熟練者が適当に随時、状況に合わせて
十数人〜数十人で集まって騎馬突撃というか騎馬独特の戦法をとった可能性はある。
0880人間七七四年2007/02/17(土) 00:06:40ID:5GWFRunc
>>877お前、史実史実って頭で考える能力ないの?心底アホんなんだねえ
輸送に使用する馬が、性能悪ければ(傾斜などに使用出来なければ)軍
全体も行軍する時に使う道が限られてくるに決まってるだろ、それだけ
敵から武田軍の行動が分かりやすくなってくることにも繋がる。
しかし様々な道を行き来出来る甲斐の馬であれば、馬の輸送隊ごと様々な
行軍の仕方が出来る(敵の目をかく乱させる)わけよ。
0881人間七七四年2007/02/17(土) 00:09:45ID:p+J0QM03
いや流石に史実によらなきゃ単なる妄想になるだろ
0882人間七七四年2007/02/17(土) 00:13:20ID:dCGEjdkU
とりあえず、当時の木曽馬の骨が出土してるそうだが
山岳部仕様に変形してるそうだ。
普通、馬は平野部は使えるが、山岳部は苦手だそうで、その優位性は大きいだろう。
実は、武田がすごいんじゃなくて、馬がすごいだけかもしれない。
0883名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/17(土) 00:15:53ID:hOauPOjY
まさに馬の差
0884メガトン ◆xfEWihaR6w 2007/02/17(土) 00:22:46ID:5GWFRunc
>>882それを言うと、また短絡的な見解になっちゃうよ。
実際に連戦連勝の武田軍だったんだから、
(兵は精強だった+輸送隊+騎馬武者)と考えるのが
正しい、日本屈指の山岳地帯の人間は戦に関しても無敵
だったんだね。

>>881何でそんなに騎馬軍団の有無にこだわるのかなあ?
華々しい武田軍に嫉妬してるとしか思えないんだが、な
らばその史実に「武田軍の中に騎馬突撃隊は存在しない」
っていう証拠でもあるの?一切騎馬は使用しなかったって
書いてあるの?
0885人間七七四年2007/02/17(土) 00:24:54ID:3ejkOqFu
れ、連戦連勝?パラレルワールドを見たな。
0886メガトン ◆xfEWihaR6w 2007/02/17(土) 00:25:17ID:5GWFRunc
甲斐産の馬に注目して軍の編成に利用した信玄が一番凄い
0887名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/17(土) 00:26:03ID:hOauPOjY
>>884
あることを証明していくのが史学だろーが。
つまらん煽りしかできんアホは出て行け。
0888メガトン ◆xfEWihaR6w 2007/02/17(土) 00:29:51ID:5GWFRunc
アンチ武田は、マイナスの部分だけ取り上げて、さもそれが全て
と認識してる人格破綻の脳内細胞腐ってる人間だってのはもう十
分理解してますから、これ以上歯向かうなって。
(甲斐信濃西上野駿河 三河と遠江の一部)これだけの領土を取
られる大名が劣ってるのは事実なのですよ。
0889人間七七四年2007/02/17(土) 00:31:09ID:p+J0QM03
>>884
誰と勘違いしているかは知らないけど
それなりにまともな論拠まともな話し合いでないと後でまとめにくい
0890メガトン ◆xfEWihaR6w 2007/02/17(土) 00:37:29ID:5GWFRunc
信玄の生涯戦績 50勝2敗20分け

この引き分けを負け戦と解釈しているのがアンチwwww
領土を拡大していった大名の中では脅威な数字




>>889 幼稚に喚いてるだけのアンチをまともに相手したって
「嘘だ!!捏造だ!!」言い張るのは目に見えているから無駄
0891人間七七四年2007/02/17(土) 00:47:11ID:p+J0QM03
>>890
だったら何かまともな論拠論証史料提示してください
そうすればあとでその部分だけ安価するから

あと誰か>>800はどこを指しているのか教えてください
0892人間七七四年2007/02/17(土) 00:56:33ID:XXHnk6ih
どうでもいいが、信玄の戦績は3敗だぞ?
見やすくまとまってるのはここttp://shingen3.hp.infoseek.co.jp/shingen/shin_kassen.html
0893メガトン ◆xfEWihaR6w 2007/02/17(土) 01:06:49ID:5GWFRunc
>>887つまらん煽りしてるのはお前らの方だろばーーーか
史学??何それ?今時の日本の大学教授やら学生やらの
意見にまともなのがあるの?
このスレにば違いなお前らが生息してる時点でアホ丸出し

>>891そんなに資料が欲しいんなら、自分で探せば?まあ
お前にとって都合の悪いのが見つかっても、どうせ捏造だ
とか言い出すのは目に見えてるからねえ 笑)
0894メガトン ◆xfEWihaR6w 2007/02/17(土) 01:13:26ID:5GWFRunc
http://museum.umic.jp/ikushima/history/takeda-sonogo.html

↑ ↑ はい、アンチの捏造発覚!家康の方から信玄を裏切った
んだよねえ、まあ信玄の方からそうさせるような工作をしてきた
わけだが、一概にアンチが喚く「信玄は家康との盟約を破った悪
党だ!」という見解にはならないね。
0895人間七七四年2007/02/17(土) 02:08:44ID:+6ELLMG6
>>891
一方的な妄想で悦に入りたいだけなんだろ?全部スルーすりゃええやん。
0896人間七七四年2007/02/17(土) 02:46:08ID:neQHlSoS
>>892
なんで長野業正がいないの?
0897人間七七四年2007/02/17(土) 02:50:56ID:ofmvwR2L
まー普通はある程度以上の勢力を持つ大名になると、当主の率いる本隊は
負けない。むしろ負けられない。負けちゃいけない。
本隊壊滅して、そのまま滅亡してった大名は結構居る訳で、
負けた後こそ信玄の強さを計る良い機会であるとも言える。
0898人間七七四年2007/02/17(土) 03:23:38ID:KyoMzEOw
>>896
俺も気になった。
0899人間七七四年2007/02/17(土) 03:37:13ID:6I4dOT0h
まあ信玄の場合負け戦も勝ちや引き分けになるからな。
0900人間七七四年2007/02/17(土) 03:44:13ID:6I4dOT0h
しかしこういうイキのいいアホがでないとスレが活気づかないのもな。
0901人間七七四年2007/02/17(土) 08:24:50ID:a+jdKJ3R
>信玄の生涯戦績 50勝2敗20分け

これ自体ものすごく眉唾だが、
戦績で本当だったとしてあの程度しか領土が拡大していないのだったら、
逆に笑える。
上で他の奴も言っているが領土を大幅に拡大している大名は、
大抵生涯に2・3敗しかしていないから、本当だとしても信玄がものすごく凄いとも思わないけど。
家康って生涯1敗なのかな?
三方ヶ原は敵が3倍だからしかたないか。
秀吉は無敗?
小牧長久手は1敗か?
信玄厨流のカウント方法なら最終的に家康が臣従したから勝にカウントしそうだがw
金ヶ崎はノーカウントかな?
0902人間七七四年2007/02/17(土) 08:44:03ID:9rTZrPBR
馬鹿に構ってるからクソスレ化してるな。
0903人間七七四年2007/02/17(土) 11:45:19ID:UBUsICVF
兵力差が数倍あれば負けにカウントされないのか?
だとしたら信長も長篠や姉川、その他多くが勝ちじゃなくなるのか?
信長厨は長篠は絶賛するのに、三方ヶ原は随分あまいんだよなあ。
どっちも有利な状況に相手を引き込んで撃破したという点で見事なものだろうに。
0904人間七七四年2007/02/17(土) 12:05:16ID:ohA7sNuI
>>903
たぶん>901へのレスだろうが、ここでは「兵数差があれば負けても当然」だった
といっているだけで、負けにカウントはしないなんて言ってないと思うが?

どちらにせよ、ここでは何度も出ているが「生涯戦績〜」という類のやつは
かなり恣意的なカウントをとっているのでそのまま使えない。
0905人間七七四年2007/02/17(土) 12:09:48ID:lS9zlgCm
その癖信長の戦績については同じような城攻め中断撤退も負けとしたりとかなw

騎馬に話を戻すと、戦史上その機動性を生かした戦術を実施して成功させた武将は世界史レベルでも稀
騎兵は防御に難点があるから、少数による迂回機動はリスクが高くて並の武将じゃ実施は無理、やっても各個撃破の良い餌
むしろ損害覚悟での重装騎兵の突撃のほうが、一定の戦果は約束されているから多用されている
「騎兵を本当の意味で利用できた名将」は司馬の小説のネタになったから知ってる人も多いんじゃ?
0906人間七七四年2007/02/17(土) 12:38:41ID:T6DfJtQ3
信玄が2敗しかしてない理論だったら戦国大名のほとんどが無敗になりそうなもんだが・・
謙信が無敗理論だったら戦国大名で1敗でもしたことがある大名がほとんどいなくなる
0907人間七七四年2007/02/17(土) 13:00:17ID:UBUsICVF
いや、さすがにほとんどはないだろう。
信玄の2敗北クラスの明確な負けをしてる武将はそれこそたくさんいると思うが。
戦国時代は基本的に勢力拡大させた大名よりも滅んだ大名や縮小した大名の方が多い
わけだし。
0908人間七七四年2007/02/17(土) 14:02:02ID:ufgMTKC5
ある程度勝ち組みの大名ならほとんど無敗と言った所か
0909人間七七四年2007/02/17(土) 15:08:55ID:19Pk9GYf
野戦での決定的な敗北でないかぎり負けにならないというカウント法なら
秀吉、信長、毛利元就あたりは無敗じゃまいか。
0910人間七七四年2007/02/17(土) 15:29:47ID:UBUsICVF
そういった意味では信長は伊勢長島第一次と第2次があるし、
道三救援もあるしなあ。
毛利は特に目立った敗北は見当たらないね。
秀吉は中国(外国の方ではない)戦線でなんか負けたことなかったっけ?
0911人間七七四年2007/02/17(土) 18:59:33ID:05E3TBXv
秀吉は知らないが秀長は無敗だな。島津まで撃退しちゃってるし
0912人間七七四年2007/02/17(土) 20:03:08ID:5GWFRunc
凄い馬鹿だねお前ら、ほんとに戦国厨なの?あきれてものが言えないね
特に>>899>>901

引き分けも負けになるんなら、どうして引き分けか考えたことあるの?
信玄が無理に攻めずに(内応で引き込む為など、あるいは本気で攻めず
どこかの敵対して攻めてるように見せるなど)行った戦闘は多々あるだ
ろう、お前ら合戦などが好きなんだったら兵法とかいうの多少理解して
るんじゃなかったの?

こいつらからすれば、小田原城も攻めれずに負け戦ってことになるのか
な?浜松城も攻めれずに負け戦ってことになるのかな?
0913人間七七四年2007/02/17(土) 20:10:43ID:5GWFRunc
データが曖昧とか言う以前に、列強を抑えて120万石まで領土
広げたんだから文句の一つも出やしないだろばーーか。笑)

信玄の勝敗分けの数字って、信玄自らが指揮した戦闘だろ?
ならば信長や元就みずからが指揮した勝敗と比較してみれば?
確かに信玄は戦闘多すぎだがこの記録は脅威

あと大名と配下の武将の記録を一緒にするな(秀吉道雪など)
0914人間七七四年2007/02/17(土) 20:37:24ID:5GWFRunc
義元は、自らは軍略には長けておらず全て雪斎頼み(だから桶狭間で
無様に負けた)、氏康はあまり領土を拡大できず、政宗の奥州におけ
る戦略は24才で終わり(戦闘数が少ない)、謙信は知っての通り無
敗といわれてはいるが領土を拡大出来ない辺り戦才家とはいえないね
その場の戦闘に勝つのだけが得意な武将。

で?有力大名の中の誰が信玄と一緒なの?
0915人間七七四年2007/02/17(土) 20:40:25ID:a+jdKJ3R
いいからsageろよ。メガトン
0916人間七七四年2007/02/17(土) 20:49:37ID:XXHnk6ih
信玄みたいな雑魚と同じレベルの有力大名なんていねーよ
0917人間七七四年2007/02/17(土) 21:11:25ID:UBUsICVF
さすがに120万石は雑魚扱いは出来んと思うが。
0918人間七七四年2007/02/17(土) 21:15:46ID:05E3TBXv
自分に都合の悪い書き込みはスルーをするメガトンであった
0919人間七七四年2007/02/17(土) 22:15:39ID:5GWFRunc
↑ ↑  まさしくお前らのことだな、都合の悪いことには一切触れず
とはまさしくだwwww

結局こういうのが悔しいいんだろ?お前らがどうこう言おうが世間では
永遠に武田信玄は最強なのですよ 残念〜〜〜〜  ↓ ↓ ↓

http://kotatujo.cool.ne.jp/hyo/itiran/itiran/takeda.htm
0920人間七七四年2007/02/17(土) 22:32:59ID:a+jdKJ3R
>>919
そのネットのなかで
>兵力に関しては、騎馬軍団が有名であるが、
>特別に騎馬軍団が存在したわけではなく、
中略
>むしろ信玄の得意戦法は、騎馬組織による敵軍の撹乱
>(騎馬団の突破力を利用し、敵の隙をついて兵を用いる術)
>であったと思われ、
とあるが、そのページをわざわざ貼るということは、
君自身も騎馬の運用が得意だったとかはともかく、
騎馬軍団が存在しない事には異論がないって事でいいかな?
0921人間七七四年2007/02/17(土) 22:36:55ID:5GWFRunc
>>920「刀槍を持って突撃」要因の騎馬兵が大量にはいないってことだろ。
しかし列強の軍勢よりは多少は多かったと書いてあるよ。
0922人間七七四年2007/02/17(土) 22:38:32ID:a+jdKJ3R
だから、列強の軍勢よりは多少は多かったけど騎馬軍団は無かった。
で良いんだよね?
0923人間七七四年2007/02/17(土) 22:51:47ID:AUwFcgWC
>>901
家康は74年の天野攻めで城を落とせず撤退時に追撃を受けて被害を受けたことがある
あと83年に北条と対峙した際に甲斐国境から新府まで撤退したことがある
上の基準なら負けに入らないだろうけどね

>>910
伊勢長島第一次は比べるなら戸石崩れ
第2次を敗戦にするのは酷い気がするがあえていうなら川中島の戦いか?
戦略で勝って戦術で一部負けているから
道三救援は本庄謀反における越後侵入失敗といったところか?

毛利は尼子に負けたりとかしてる
九州からの撤退は信玄流の基準なら負けに入らないな

>秀吉は中国(外国の方ではない)戦線でなんか負けたことなかったっけ?
何だろ?尼子を助けられなかったことかな

>>911
一応但馬攻めで城を攻めきれずに一度兵を引いたことがあって
それを敗戦と言われたりする、基準が厳しすぎるけどね

>>913
レスしても無駄だと思うけど
一般に言われている生涯戦績では
信玄は家臣が勝った戦は数えて、家臣が負けた戦は戦いに入れない
信長は家臣が勝った戦は戦いに入れずに、家臣が負けた戦は負け戦として数えている

>>892見ればわかることだけど
0924人間七七四年2007/02/17(土) 22:58:19ID:AUwFcgWC
でも現実は武田8%
北条13%織田15%だっけ
騎馬兵の率は
0925人間七七四年2007/02/17(土) 22:59:07ID:QX7US/wH
秀吉、謙信、信玄、元就、元春あたりが生涯無敗であってますか?
0926人間七七四年2007/02/17(土) 23:03:12ID:UBUsICVF
家康が天野攻めで城を落とせず追撃を受けて敗走したのは敗戦になるんじゃないか?
戸石崩れって負けじゃないのか?君の基準だと。俺は負けだと思うが。
伊勢長島第2次の無残な様子を見るととても負けじゃないとは思えないんだが・・・。
0927人間七七四年2007/02/17(土) 23:13:08ID:5GWFRunc
>>922 釣りで言ってるの?それとも自分のレスした字も読めない馬鹿なの?
輸送隊や敵を撹乱させる為の騎馬隊は騎馬軍団じゃないの?

>>925秀吉の直接指揮した戦闘は織田家配下の時がほとんど、元就も信玄より
実戦回数少なかったりしないか?それに西日本だし。
武田軍が最強と言われる所以はやはり有力な列強と隣接して戦っていたから
こそだと思う。
0928人間七七四年2007/02/17(土) 23:14:34ID:AUwFcgWC
>>926
分かり難くて済まない
>上の基準なら負けに入らないだろうけどね
これは>あと83年に北条と対峙した際に甲斐国境から新府まで撤退したことがある
に係っていて天野攻めにはかかっていない積りで書いた

第二次伊勢長島攻めは大きく分けて
北伊勢三郡の鎮圧・長島周辺の砦攻撃・織田軍撤退時の追撃
と言う流れがあって
織田は伊勢長島に呼応する北伊勢3郡を鎮圧し、
長島周辺の砦をいくつか落として(中には落とせないものもあったみたいだが)
それから長島そのものは攻めきれず、長島から撤退した時に追撃を受けて大きな被害を出した
最後の追撃の点だけ見れば負けにもなるだろうけど
それ以外の部分は織田はそれなりに戦果をあげている

この第二次以後は長島一揆も長島周辺に追い詰められている
北伊勢3郡を制圧という非常に大きな部分を見逃して語るのは間違いだと思う
0929人間七七四年2007/02/17(土) 23:18:11ID:AUwFcgWC
>>925
元春は知らないけど残りは一般的に敗戦あるってことになっているよ
0930人間七七四年2007/02/17(土) 23:19:42ID:tAFgh9Ch
騎馬軍団の定義がないから話がすれ違ってるんでは

騎乗兵だけで編成され
ランスみたいな長槍もって
チャージする重装騎兵部隊は日本にゃいないだろ

しかし、西欧中世の騎士がバナレット連れ歩いてたように
従士率いて戦う騎乗戦士なら存在した
0931人間七七四年2007/02/17(土) 23:31:01ID:3ejkOqFu
いきなりですまんが、
>>927
>それに西日本だし。
撤回してもらいたいね。
0932人間七七四年2007/02/17(土) 23:32:50ID:UBUsICVF
>>928
ふうむ、しかしそうなると貴方にとって伊勢長島第2次は勝ちなの?ちょっと無理があるような。
信長はこの戦い以降しばらく伊勢長島に手をだせず、その打撃が伺える。
信玄の戸石崩れも、戸石を攻める直前に小笠原を追い出し、村上の共同勢力を破壊している。
真田が戸石を落としたことで村上が崩れていったのは戦略的状況がその前から
整っていたからだし、その意味でこの小笠原追放は大きな意味を持つ。しかしそれでもって
戸石崩れを敗北ではないといえないだろう。損害の大きさや作戦目的を一部しか
果たせず敗走したことは負けになるんじゃないかと思うが。
0933人間七七四年2007/02/17(土) 23:34:13ID:iasPS/Qd
>>930
おおむね同意だけど、その騎乗戦士がどういう運用されてたのかで
また一揉めあるんだよね。
0934人間七七四年2007/02/17(土) 23:42:54ID:ohA7sNuI
>>926>>928
というか、もともと第二次長島攻撃は当初は長島を攻撃するつもりがなかった。
最初の出兵目的は北伊勢で蜂起した豪族連中の鎮圧。これがスムーズにいって
しまったのでさらに長島への直接攻撃も企図。そのために周辺の砦の攻略と、
長島攻撃の為に船を集めようとするが、この船の手配が上手くいかなかった。
(安濃津などでも難航。当時まだ健在だった北畠の工作もあったとか)
一月以上経っても集められなかったので攻撃は断念。包囲を解いて撤退した。
この時に追撃を受けて柴田勝家が負傷。氏家木全が戦死。

トータルすれば出兵目的は達成したのでその点は勝利と言えるが、欲張って
事前の計画になく用意も整っていない追加目的は失敗と。
0935人間七七四年2007/02/17(土) 23:48:01ID:kAs6KY2m
騎乗兵だらけじゃないと騎馬軍団と定義できない、とかいう人もいるから話が食い違う。
0936人間七七四年2007/02/17(土) 23:54:09ID:kAs6KY2m
>>924
北条20%じゃなかった?
しかし、そもそも騎馬兵は小隊指揮官と伝令だけな訳で
そんなに比率が違ってくること自体不思議なんだが。
小隊がそれだけ細分化されてた、ってことなのか?

北条は、1兵科だけで編成するが部隊があったっていう話はどこかのスレで見たが。
0937人間七七四年2007/02/18(日) 00:00:35ID:AUwFcgWC
>>932
当然第二次は勝ちだと思っていますよ
戦術的には一部負けたところはあると思っていますが
というか北伊勢3郡10万石?ほどを低く見すぎていない?

信玄の戸石崩れに関しては小笠原と村上は別勢力と考えているので
二つは別の戦争と考えています
戸石上城を攻める前の対小笠原戦は戦略的にも戦術的にも武田の勝利と考えてるけど
0938人間七七四年2007/02/18(日) 00:02:49ID:8/18s4GO
>>936
北条は14%だと思ったが。
北条の騎馬武者含有率が高い一因は、中小武士の多さ
0939人間七七四年2007/02/18(日) 00:03:50ID:05E3TBXv
>>926
戸石崩れは上田原の大敗に次ぐ大きな大敗だよ。村上義清が高梨と交戦中の留守を狙って二倍もの兵力差で挑んだ
奇襲戦でありながら二倍もの被害を出して負けた負け戦。
挙句重臣の横田高松まで討ち取られてる。
武田厨は必死に負けていないと作り話さえ作ってなかった事にしようとしてるけどね。
0940人間七七四年2007/02/18(日) 00:10:42ID:44CiyCMP
>>932
伊勢長島に手を出せずというが
単に包囲して無力化したから、攻めるための水軍などの用意が整うまでは
遭えて手を出す必要は無かっただけなんじゃ
佐和山や鯰絵なんかも包囲して無力化したら、実際に落とすのは暫く後回しとかしていたんだし
それに伊勢長島から帰還後一週間ほどで畿内に出陣している
実際の所織田軍の規模からすればその程度の損害しか受けていないんじゃないか

>>934
そんなところだと思うが
>この時に追撃を受けて柴田勝家が負傷。氏家木全が戦死。
これは一次で二次は林が戦死
0941人間七七四年2007/02/18(日) 00:17:22ID:TiVB7oDg
俺は>>934におおむね賛成で、ただ長島攻めと北伊勢攻略戦はわけられるものだと
思っている。北伊勢を信長が攻略したのは見事でけちをつけることではないが
その後に長島攻めを計画し、それにつまづいて帰りに追撃をうけて大損害をだしたのは
敗北と捉えられるのでは?と思う。
0942人間七七四年2007/02/18(日) 00:21:53ID:44CiyCMP
>>941
まあそう思うならそれでいいんじゃない
その辺は個人の感性の問題だと思うから
0943人間七七四年2007/02/18(日) 00:42:39ID:eCjSqM6h
>>940
>これは一次で二次は林が戦死
そうでした。間違い。

>>941
まあ長島に関しては失敗ですね。ただ、それでイコール敗北とみなすかどうかは
それなりに意見の分れる部分でしょう。

一点だけ言うと。
第一次と異なり、大損害なんて出していませんから。損害がでたのは殿の林隊の
話で、これは敵前からの撤退である以上殿に多少の損害が出るのは折込済みであり
織田軍に大損害がでたようなものではない。金ヶ崎で秀吉は隊の半分を失うという
損害を受けてますが、評価は「大成功」です。
0944人間七七四年2007/02/18(日) 00:55:49ID:44CiyCMP
騎馬兵の率は
武田8%
北条13%・14%・20%
織田15%でいいの

あと942の個人の感性の問題というのは
長島攻めと北伊勢攻略戦を分けるか否かと言う部分です
自分としては『北伊勢を平定して長島の一揆勢は勢力の過半を失った』と(意訳)
信長公記に書かれるぐらいだから同一の相手と戦った一連の戦争とみて
いいんじゃないかと言う気がしますが
よくよく考えればこれを分けないと考えると69年の関東遠征も一つの戦いみたいに
評価することになるのか
でも川中島は川中島で一連の城攻めや戦闘をまとめて評価しているか

>>943
確かに長島攻めに限っても意見分かれるかもしれませんね
矢田城を修築したりしていますし
0945人間七七四年2007/02/18(日) 01:01:40ID:TiVB7oDg
>>943
一揆に追い立てられ、体制を立て直すこともできず、暖をとることもできず
豪雨の中で人足や雑兵には凍死するものが多く、信長はその中を進んで
夜半に大垣に着いた、っていう状態なのに?
それに殿の林隊は郎党一同枕を並べて討ち死にした、という状態はさすがに
やばいと思うのだが。与力も討ち死にしてるし。
この理屈でいうと戸石崩れの横田高松の殿も同じ理屈なのかな?
0946人間七七四年2007/02/18(日) 01:12:27ID:44CiyCMP
>>945
そりゃそういう観点からの見方なら
殿の役割は本隊を逃すことだから
戸石崩れも同じようになるでしょ
他に家康の犬居城からの撤退とかもそれと同じになるんじゃない
0947人間七七四年2007/02/18(日) 01:16:09ID:44CiyCMP
同じと書いたけど戦略的政治的には同じじゃないか
第二次伊勢長島での林隊の壊滅は織田家にとっても
織田家の敵対者にとってもさほど影響ない事柄だけど
武田の戸石崩れは政治的にも大きな痛手になったね
0948人間七七四年2007/02/18(日) 01:23:23ID:TiVB7oDg
そして戸石崩れは横田隊が壊滅し、大損害といわれる。
伊勢長島第2次は殿が壊滅し、豪雨による凍死者も多数出ているのに
これは大損害じゃないのかな?まあ、これは>>945さんじゃなくて
>>943さんの大損害じゃない、というのにこたえているんだけどさ。
0949人間七七四年2007/02/18(日) 01:28:49ID:TiVB7oDg
上田原はともかく、戸石崩れは政治的には大きな痛手だろうか?
戸石で敗れた後も村上は上田原直後のように押し返すことは出来ず、
逆に戸石を落とされると勢力の崩壊が始まった。
政治的にはもうこの頃になると信濃における武田の優位は強くなってたと思うが。
これはもちろん小笠原を戸石城の前に攻略して共同勢力を破壊しておいたことが
大きいのだが。
0950人間七七四年2007/02/18(日) 01:30:32ID:HADoshBs
騎馬軍団と聞いて、全軍が騎馬編成とすぐに解釈する奴は、普段から単細胞
何だと思う、オレオレ詐欺にひっかかるみたいな、あるいはメディアの情報
を鵜呑みにするような感じ。

武田軍は野戦で勝った後、敵を追撃する時などに、騎馬隊で素早く追撃して
たんだよ、また敵の目を撹乱させるのにも有効だったわけだ、敵に見方の兵
の位置を確認させておいて、それが騎馬隊だから素早く別の場所に移動でき
るわけだね、騎馬の扱い方が他の大名より優れていたんだと思うね。
0951人間七七四年2007/02/18(日) 01:40:02ID:igKBliV6
そうですよ。信玄は勝ち戦の時しか騎馬隊出さないんですよ。
0952人間七七四年2007/02/18(日) 01:48:09ID:44CiyCMP
>>948
大損害では無いと思う
兵数的にはともかく全体の割合で言うなら大した被害じゃないんじゃないか
10月26日に岐阜ついて11月4日には河内へ出陣しているし
>>949
そりゃこの時点では上田原の時とは違い信濃での優位・国力差で
致命的な痛手にはなりにくかっただろうけど
この敗戦の結果
岩村田を焼き討ちされ
その前に築摩から追い払った長時が戻り平瀬城に入って旧臣を集めて蜂起し
おまけとして野々宮合戦の逸話もある
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