【武田】2万5千で上洛【信玄】その46
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 22:53:31ID:ArMmJZ7P【武田】2万5千で上洛【信玄】その45
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157793068/
ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。
テンプレ
>>2-30ぐらい?
0853人間七七四年
2007/02/16(金) 22:16:54ID:4FHd1jxm馬の力を舐めてるでしょ。
人馬合わせて500Kg近いのがすごいスピードで走ってくるんだよ。
それも集団で。
動きが止まるどころか近づくのも難しい。
0855人間七七四年
2007/02/16(金) 22:27:44ID:4FHd1jxm騎馬武者が人間を跳ね飛ばす衝力を持ってることに変わりはないよ。
だから、それを止めるめるためには槍衾が必須なわけで。
0856人間七七四年
2007/02/16(金) 22:27:51ID:5BaechjP戦国時代の馬と同じサイズ(体高130cm)の現代の馬を走らせると
分速150m(時速9キロ?)だったと言うのが有った。
まぁさすがにこれは遅すぎるだろうが、
すごいスピードとはとても言えなかっただろうね。
0859人間七七四年
2007/02/16(金) 22:33:53ID:4FHd1jxmスペックといわれてもね。
蒙古馬に近かっただろうってのは簡単に推測できるけど。
馬体は小さいけど、持久力があって気性が荒い。
0860人間七七四年
2007/02/16(金) 22:39:03ID:5BaechjPちなみに、上のネットの検証では10分走ったらもう動けなったらしいよ。
ちなみにサラブレッドでも全力疾走は2・300メートル。
どこで全力疾走させるかは騎手のペース配分しだいらしが。
まぁ馬の持久力なんてそんなもん。
戦場を馬で走り回るなんてありえないから。
0861人間七七四年
2007/02/16(金) 22:56:16ID:4FHd1jxmそれってここのことかい?
http://www.asahi-net.or.jp/~JT7T-IMFK/taiandir/x022.htm
まあこれはこれで面白いデータだとは思うけども。
別にいっつも全力疾走する必要なんて無いでしょ。
一度突撃して陣形崩しちゃえばあとは追撃戦だし。
0862人間七七四年
2007/02/16(金) 23:18:05ID:5BaechjP>一度突撃して陣形崩しちゃえばあとは追撃戦だし。
いくらなんでもギャグだよね?
さすがに時速9キロはないだろうけど、たいしてスピードが出ない体高130cm程度の馬で
1度の突撃で勝敗が決するの?
しかも基本的に両軍に騎馬がいるのに?
君の考えなら騎馬が突っ込めば相手の陣形なんて簡単に崩れるらしいが、
お互い騎馬があるんだよ?
お互いの騎馬がお互いの陣形を崩せたとしたら、それはそれで勝敗は決しないよ?
まぁ騎馬の突撃なんかで勝敗は決しないが。
実際に騎馬なんかで戦えないから、戦闘時は下馬すると当時の資料にも残っているんだろう。
当時の資料があるのに何で、なんの情報もなく妄想だけでそこまで考えられるかなぁ。
0863人間七七四年
2007/02/16(金) 23:18:25ID:dooGVv7Hサラブレットを引き合いに出すのは卑怯。
だって、速さの為に馬力や体力を犠牲にしたものだから。
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/l50
0864人間七七四年
2007/02/16(金) 23:23:32ID:RTb/yU4r走りながら槍を振ったとして、人間の握力の限界ってどんなもんかは想像ぐらい尽くよね?
0865人間七七四年
2007/02/16(金) 23:26:18ID:QpPJxAO8乱戦なら味方も入り乱れているからそんなところに突っ込めないだろう。
0866メガトン ◆xfEWihaR6w
2007/02/16(金) 23:26:57ID:Yr8Cyibc刀槍だけ振り回すなんて言ってる連中はお前らだけだよ、そりゃ
熟練された騎馬武者じゃないと戦えないのは誰でも理解出来るよ。
馬で走りながら投石で戦ったりとかは考えないわけ?
それから機動力(陣形の形成や、歩兵に対する有利さ)に関して
明確な回答頂けてないんですが???
何より武田の騎馬軍と他の大名の騎馬軍を一緒にしてないか?お
前ら
0867人間七七四年
2007/02/16(金) 23:27:09ID:tyn0JciU武田家が他の大名より優れた運用や技能、量などを有していたり
実績が無い限り
どの大名も騎馬隊持ってる以上
で終了じゃない?
0868人間七七四年
2007/02/16(金) 23:29:12ID:4FHd1jxm自分は>>841の
>乱戦に陥ったとき横合いから殴りこむのに使ったとかは?
を前提にレスしてたんだけどね。
あと騎馬突撃が近代に入っても使われ続けたのは、その速度と
陣形を崩す衝力からだから。
一度陣形が崩れた軍隊は戦力にならない。中世ならなおさらね。
乗馬・下馬は場合によりけりとしかいいようがないね。
蒙古襲来絵図なんかじゃ乗馬して突撃してなかったっけ?
0869人間七七四年
2007/02/16(金) 23:29:28ID:wh+yS7vW武田の騎馬軍団も戦闘時には下馬するものだと書いてあるんだが・・・
0870人間七七四年
2007/02/16(金) 23:32:26ID:tyn0JciU>あと騎馬突撃が近代に入っても使われ続けたのは、その速度と
>陣形を崩す衝力からだから。
でもその騎馬は西欧式の騎馬部隊であって
日本の戦国の騎馬隊には当て嵌まり難いんじゃないか?
0871人間七七四年
2007/02/16(金) 23:33:31ID:wh+yS7vWあの時代、日本の騎馬武者はまだ「我こそは○○」って名乗って一騎討ちする時代だったと言われている。
だから単独レベルだったら乗ったままでも不自然はない。もっとも一騎討ちなんて知るかの元の軍勢にやられたわけだが
0872名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/16(金) 23:39:01ID:93mQRQc9人間だって全力疾走すれば2、300mが限界
しかし8分の力でよいなら42kmも走れる。
サラブレッドだってペース考えれば普通に3000m走るだろ競馬で。
適当に走らすならポニーでも戦場を駆け回るくらいはできるよ。
和種より強靭な本場の蒙古馬だっているしな。
0873人間七七四年
2007/02/16(金) 23:40:16ID:4FHd1jxmうん。
自分も西洋みたく大々的にやってたというには否定的。
ただ、臨時に小規模で騎馬突撃してみたり、移動して攻撃したら
馬と人の速度の差で自然と騎馬突撃になったりしたのはままあったんじゃないかなと。
>>871
それは自分も知ってるけど、実際馬に乗って戦闘できる(してた)っていういい証拠でしょ。
あと、前々から思ってたけどあの絵の馬やたら体格がいいよねw
0874人間七七四年
2007/02/16(金) 23:45:29ID:tyn0JciUでも小規模で騎馬突撃したら
あっさり防がれるんじゃ
結局追撃か陣形が乱れている所に乗り入れするぐらいにしか
効果的には使えないんじゃない?
0875人間七七四年
2007/02/16(金) 23:48:50ID:wh+yS7vWだが、熟練度もばらばらの多数の兵が、軍団として騎乗したまま戦闘するとなれば話は別。
0876メガトン ◆xfEWihaR6w
2007/02/16(金) 23:50:32ID:Yr8Cyibchttp://www.page.sannet.ne.jp/abe_t/sengoku_coium_1.html
お前って心底アホなんだねえ、これ読んでみろよ、武田家に
とての騎馬の扱い方がどれだけ優れていたかが分かる、まあ
戦闘で使用したとは書いていないが、それが「突撃に騎馬隊
は存在していない」との理由には当てはまらないね。
0878人間七七四年
2007/02/16(金) 23:58:54ID:4FHd1jxm>でも小規模で騎馬突撃したら
場合によりけりだろうね。
ここ
ttp://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/index.html
の「季長、奮戦する」でも騎馬の集団が描いてあるけど、
あの後ろには沢山の徒歩がいたはずで。
戦国時代にもそういうことが結構あったんじゃないかなと。
0879名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/16(金) 23:59:11ID:93mQRQc9俺は873と同じ考えだな。
熟練者が適当に随時、状況に合わせて
十数人〜数十人で集まって騎馬突撃というか騎馬独特の戦法をとった可能性はある。
0880人間七七四年
2007/02/17(土) 00:06:40ID:5GWFRunc輸送に使用する馬が、性能悪ければ(傾斜などに使用出来なければ)軍
全体も行軍する時に使う道が限られてくるに決まってるだろ、それだけ
敵から武田軍の行動が分かりやすくなってくることにも繋がる。
しかし様々な道を行き来出来る甲斐の馬であれば、馬の輸送隊ごと様々な
行軍の仕方が出来る(敵の目をかく乱させる)わけよ。
0881人間七七四年
2007/02/17(土) 00:09:45ID:p+J0QM030882人間七七四年
2007/02/17(土) 00:13:20ID:dCGEjdkU山岳部仕様に変形してるそうだ。
普通、馬は平野部は使えるが、山岳部は苦手だそうで、その優位性は大きいだろう。
実は、武田がすごいんじゃなくて、馬がすごいだけかもしれない。
0883名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/17(土) 00:15:53ID:hOauPOjY0884メガトン ◆xfEWihaR6w
2007/02/17(土) 00:22:46ID:5GWFRunc実際に連戦連勝の武田軍だったんだから、
(兵は精強だった+輸送隊+騎馬武者)と考えるのが
正しい、日本屈指の山岳地帯の人間は戦に関しても無敵
だったんだね。
>>881何でそんなに騎馬軍団の有無にこだわるのかなあ?
華々しい武田軍に嫉妬してるとしか思えないんだが、な
らばその史実に「武田軍の中に騎馬突撃隊は存在しない」
っていう証拠でもあるの?一切騎馬は使用しなかったって
書いてあるの?
0885人間七七四年
2007/02/17(土) 00:24:54ID:3ejkOqFu0886メガトン ◆xfEWihaR6w
2007/02/17(土) 00:25:17ID:5GWFRunc0887名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/17(土) 00:26:03ID:hOauPOjYあることを証明していくのが史学だろーが。
つまらん煽りしかできんアホは出て行け。
0888メガトン ◆xfEWihaR6w
2007/02/17(土) 00:29:51ID:5GWFRuncと認識してる人格破綻の脳内細胞腐ってる人間だってのはもう十
分理解してますから、これ以上歯向かうなって。
(甲斐信濃西上野駿河 三河と遠江の一部)これだけの領土を取
られる大名が劣ってるのは事実なのですよ。
0890メガトン ◆xfEWihaR6w
2007/02/17(土) 00:37:29ID:5GWFRuncこの引き分けを負け戦と解釈しているのがアンチwwww
領土を拡大していった大名の中では脅威な数字
>>889 幼稚に喚いてるだけのアンチをまともに相手したって
「嘘だ!!捏造だ!!」言い張るのは目に見えているから無駄
0891人間七七四年
2007/02/17(土) 00:47:11ID:p+J0QM03だったら何かまともな論拠論証史料提示してください
そうすればあとでその部分だけ安価するから
あと誰か>>800はどこを指しているのか教えてください
0892人間七七四年
2007/02/17(土) 00:56:33ID:XXHnk6ih見やすくまとまってるのはここttp://shingen3.hp.infoseek.co.jp/shingen/shin_kassen.html
0893メガトン ◆xfEWihaR6w
2007/02/17(土) 01:06:49ID:5GWFRunc史学??何それ?今時の日本の大学教授やら学生やらの
意見にまともなのがあるの?
このスレにば違いなお前らが生息してる時点でアホ丸出し
>>891そんなに資料が欲しいんなら、自分で探せば?まあ
お前にとって都合の悪いのが見つかっても、どうせ捏造だ
とか言い出すのは目に見えてるからねえ 笑)
0894メガトン ◆xfEWihaR6w
2007/02/17(土) 01:13:26ID:5GWFRunc↑ ↑ はい、アンチの捏造発覚!家康の方から信玄を裏切った
んだよねえ、まあ信玄の方からそうさせるような工作をしてきた
わけだが、一概にアンチが喚く「信玄は家康との盟約を破った悪
党だ!」という見解にはならないね。
0897人間七七四年
2007/02/17(土) 02:50:56ID:ofmvwR2L負けない。むしろ負けられない。負けちゃいけない。
本隊壊滅して、そのまま滅亡してった大名は結構居る訳で、
負けた後こそ信玄の強さを計る良い機会であるとも言える。
0898人間七七四年
2007/02/17(土) 03:23:38ID:KyoMzEOw俺も気になった。
0899人間七七四年
2007/02/17(土) 03:37:13ID:6I4dOT0h0900人間七七四年
2007/02/17(土) 03:44:13ID:6I4dOT0h0901人間七七四年
2007/02/17(土) 08:24:50ID:a+jdKJ3Rこれ自体ものすごく眉唾だが、
戦績で本当だったとしてあの程度しか領土が拡大していないのだったら、
逆に笑える。
上で他の奴も言っているが領土を大幅に拡大している大名は、
大抵生涯に2・3敗しかしていないから、本当だとしても信玄がものすごく凄いとも思わないけど。
家康って生涯1敗なのかな?
三方ヶ原は敵が3倍だからしかたないか。
秀吉は無敗?
小牧長久手は1敗か?
信玄厨流のカウント方法なら最終的に家康が臣従したから勝にカウントしそうだがw
金ヶ崎はノーカウントかな?
0902人間七七四年
2007/02/17(土) 08:44:03ID:9rTZrPBR0903人間七七四年
2007/02/17(土) 11:45:19ID:UBUsICVFだとしたら信長も長篠や姉川、その他多くが勝ちじゃなくなるのか?
信長厨は長篠は絶賛するのに、三方ヶ原は随分あまいんだよなあ。
どっちも有利な状況に相手を引き込んで撃破したという点で見事なものだろうに。
0904人間七七四年
2007/02/17(土) 12:05:16ID:ohA7sNuIたぶん>901へのレスだろうが、ここでは「兵数差があれば負けても当然」だった
といっているだけで、負けにカウントはしないなんて言ってないと思うが?
どちらにせよ、ここでは何度も出ているが「生涯戦績〜」という類のやつは
かなり恣意的なカウントをとっているのでそのまま使えない。
0905人間七七四年
2007/02/17(土) 12:09:48ID:lS9zlgCm騎馬に話を戻すと、戦史上その機動性を生かした戦術を実施して成功させた武将は世界史レベルでも稀
騎兵は防御に難点があるから、少数による迂回機動はリスクが高くて並の武将じゃ実施は無理、やっても各個撃破の良い餌
むしろ損害覚悟での重装騎兵の突撃のほうが、一定の戦果は約束されているから多用されている
「騎兵を本当の意味で利用できた名将」は司馬の小説のネタになったから知ってる人も多いんじゃ?
0906人間七七四年
2007/02/17(土) 12:38:41ID:T6DfJtQ3謙信が無敗理論だったら戦国大名で1敗でもしたことがある大名がほとんどいなくなる
0907人間七七四年
2007/02/17(土) 13:00:17ID:UBUsICVF信玄の2敗北クラスの明確な負けをしてる武将はそれこそたくさんいると思うが。
戦国時代は基本的に勢力拡大させた大名よりも滅んだ大名や縮小した大名の方が多い
わけだし。
0908人間七七四年
2007/02/17(土) 14:02:02ID:ufgMTKC50909人間七七四年
2007/02/17(土) 15:08:55ID:19Pk9GYf秀吉、信長、毛利元就あたりは無敗じゃまいか。
0910人間七七四年
2007/02/17(土) 15:29:47ID:UBUsICVF道三救援もあるしなあ。
毛利は特に目立った敗北は見当たらないね。
秀吉は中国(外国の方ではない)戦線でなんか負けたことなかったっけ?
0911人間七七四年
2007/02/17(土) 18:59:33ID:05E3TBXv0912人間七七四年
2007/02/17(土) 20:03:08ID:5GWFRunc特に>>899と>>901
引き分けも負けになるんなら、どうして引き分けか考えたことあるの?
信玄が無理に攻めずに(内応で引き込む為など、あるいは本気で攻めず
どこかの敵対して攻めてるように見せるなど)行った戦闘は多々あるだ
ろう、お前ら合戦などが好きなんだったら兵法とかいうの多少理解して
るんじゃなかったの?
こいつらからすれば、小田原城も攻めれずに負け戦ってことになるのか
な?浜松城も攻めれずに負け戦ってことになるのかな?
0913人間七七四年
2007/02/17(土) 20:10:43ID:5GWFRunc広げたんだから文句の一つも出やしないだろばーーか。笑)
信玄の勝敗分けの数字って、信玄自らが指揮した戦闘だろ?
ならば信長や元就みずからが指揮した勝敗と比較してみれば?
確かに信玄は戦闘多すぎだがこの記録は脅威
あと大名と配下の武将の記録を一緒にするな(秀吉道雪など)
0914人間七七四年
2007/02/17(土) 20:37:24ID:5GWFRunc無様に負けた)、氏康はあまり領土を拡大できず、政宗の奥州におけ
る戦略は24才で終わり(戦闘数が少ない)、謙信は知っての通り無
敗といわれてはいるが領土を拡大出来ない辺り戦才家とはいえないね
その場の戦闘に勝つのだけが得意な武将。
で?有力大名の中の誰が信玄と一緒なの?
0915人間七七四年
2007/02/17(土) 20:40:25ID:a+jdKJ3R0916人間七七四年
2007/02/17(土) 20:49:37ID:XXHnk6ih0917人間七七四年
2007/02/17(土) 21:11:25ID:UBUsICVF0918人間七七四年
2007/02/17(土) 21:15:46ID:05E3TBXv0919人間七七四年
2007/02/17(土) 22:15:39ID:5GWFRuncとはまさしくだwwww
結局こういうのが悔しいいんだろ?お前らがどうこう言おうが世間では
永遠に武田信玄は最強なのですよ 残念〜〜〜〜 ↓ ↓ ↓
http://kotatujo.cool.ne.jp/hyo/itiran/itiran/takeda.htm
0920人間七七四年
2007/02/17(土) 22:32:59ID:a+jdKJ3Rそのネットのなかで
>兵力に関しては、騎馬軍団が有名であるが、
>特別に騎馬軍団が存在したわけではなく、
中略
>むしろ信玄の得意戦法は、騎馬組織による敵軍の撹乱
>(騎馬団の突破力を利用し、敵の隙をついて兵を用いる術)
>であったと思われ、
とあるが、そのページをわざわざ貼るということは、
君自身も騎馬の運用が得意だったとかはともかく、
騎馬軍団が存在しない事には異論がないって事でいいかな?
0921人間七七四年
2007/02/17(土) 22:36:55ID:5GWFRuncしかし列強の軍勢よりは多少は多かったと書いてあるよ。
0922人間七七四年
2007/02/17(土) 22:38:32ID:a+jdKJ3Rで良いんだよね?
0923人間七七四年
2007/02/17(土) 22:51:47ID:AUwFcgWC家康は74年の天野攻めで城を落とせず撤退時に追撃を受けて被害を受けたことがある
あと83年に北条と対峙した際に甲斐国境から新府まで撤退したことがある
上の基準なら負けに入らないだろうけどね
>>910
伊勢長島第一次は比べるなら戸石崩れ
第2次を敗戦にするのは酷い気がするがあえていうなら川中島の戦いか?
戦略で勝って戦術で一部負けているから
道三救援は本庄謀反における越後侵入失敗といったところか?
毛利は尼子に負けたりとかしてる
九州からの撤退は信玄流の基準なら負けに入らないな
>秀吉は中国(外国の方ではない)戦線でなんか負けたことなかったっけ?
何だろ?尼子を助けられなかったことかな
>>911
一応但馬攻めで城を攻めきれずに一度兵を引いたことがあって
それを敗戦と言われたりする、基準が厳しすぎるけどね
>>913
レスしても無駄だと思うけど
一般に言われている生涯戦績では
信玄は家臣が勝った戦は数えて、家臣が負けた戦は戦いに入れない
信長は家臣が勝った戦は戦いに入れずに、家臣が負けた戦は負け戦として数えている
>>892見ればわかることだけど
0924人間七七四年
2007/02/17(土) 22:58:19ID:AUwFcgWC北条13%織田15%だっけ
騎馬兵の率は
0925人間七七四年
2007/02/17(土) 22:59:07ID:QX7US/wH0926人間七七四年
2007/02/17(土) 23:03:12ID:UBUsICVF戸石崩れって負けじゃないのか?君の基準だと。俺は負けだと思うが。
伊勢長島第2次の無残な様子を見るととても負けじゃないとは思えないんだが・・・。
0927人間七七四年
2007/02/17(土) 23:13:08ID:5GWFRunc輸送隊や敵を撹乱させる為の騎馬隊は騎馬軍団じゃないの?
>>925秀吉の直接指揮した戦闘は織田家配下の時がほとんど、元就も信玄より
実戦回数少なかったりしないか?それに西日本だし。
武田軍が最強と言われる所以はやはり有力な列強と隣接して戦っていたから
こそだと思う。
0928人間七七四年
2007/02/17(土) 23:14:34ID:AUwFcgWC分かり難くて済まない
>上の基準なら負けに入らないだろうけどね
これは>あと83年に北条と対峙した際に甲斐国境から新府まで撤退したことがある
に係っていて天野攻めにはかかっていない積りで書いた
第二次伊勢長島攻めは大きく分けて
北伊勢三郡の鎮圧・長島周辺の砦攻撃・織田軍撤退時の追撃
と言う流れがあって
織田は伊勢長島に呼応する北伊勢3郡を鎮圧し、
長島周辺の砦をいくつか落として(中には落とせないものもあったみたいだが)
それから長島そのものは攻めきれず、長島から撤退した時に追撃を受けて大きな被害を出した
最後の追撃の点だけ見れば負けにもなるだろうけど
それ以外の部分は織田はそれなりに戦果をあげている
この第二次以後は長島一揆も長島周辺に追い詰められている
北伊勢3郡を制圧という非常に大きな部分を見逃して語るのは間違いだと思う
0930人間七七四年
2007/02/17(土) 23:19:42ID:tAFgh9Ch騎乗兵だけで編成され
ランスみたいな長槍もって
チャージする重装騎兵部隊は日本にゃいないだろ
しかし、西欧中世の騎士がバナレット連れ歩いてたように
従士率いて戦う騎乗戦士なら存在した
0932人間七七四年
2007/02/17(土) 23:32:50ID:UBUsICVFふうむ、しかしそうなると貴方にとって伊勢長島第2次は勝ちなの?ちょっと無理があるような。
信長はこの戦い以降しばらく伊勢長島に手をだせず、その打撃が伺える。
信玄の戸石崩れも、戸石を攻める直前に小笠原を追い出し、村上の共同勢力を破壊している。
真田が戸石を落としたことで村上が崩れていったのは戦略的状況がその前から
整っていたからだし、その意味でこの小笠原追放は大きな意味を持つ。しかしそれでもって
戸石崩れを敗北ではないといえないだろう。損害の大きさや作戦目的を一部しか
果たせず敗走したことは負けになるんじゃないかと思うが。
0934人間七七四年
2007/02/17(土) 23:42:54ID:ohA7sNuIというか、もともと第二次長島攻撃は当初は長島を攻撃するつもりがなかった。
最初の出兵目的は北伊勢で蜂起した豪族連中の鎮圧。これがスムーズにいって
しまったのでさらに長島への直接攻撃も企図。そのために周辺の砦の攻略と、
長島攻撃の為に船を集めようとするが、この船の手配が上手くいかなかった。
(安濃津などでも難航。当時まだ健在だった北畠の工作もあったとか)
一月以上経っても集められなかったので攻撃は断念。包囲を解いて撤退した。
この時に追撃を受けて柴田勝家が負傷。氏家木全が戦死。
トータルすれば出兵目的は達成したのでその点は勝利と言えるが、欲張って
事前の計画になく用意も整っていない追加目的は失敗と。
0935人間七七四年
2007/02/17(土) 23:48:01ID:kAs6KY2m0936人間七七四年
2007/02/17(土) 23:54:09ID:kAs6KY2m北条20%じゃなかった?
しかし、そもそも騎馬兵は小隊指揮官と伝令だけな訳で
そんなに比率が違ってくること自体不思議なんだが。
小隊がそれだけ細分化されてた、ってことなのか?
北条は、1兵科だけで編成するが部隊があったっていう話はどこかのスレで見たが。
0937人間七七四年
2007/02/18(日) 00:00:35ID:AUwFcgWC当然第二次は勝ちだと思っていますよ
戦術的には一部負けたところはあると思っていますが
というか北伊勢3郡10万石?ほどを低く見すぎていない?
信玄の戸石崩れに関しては小笠原と村上は別勢力と考えているので
二つは別の戦争と考えています
戸石上城を攻める前の対小笠原戦は戦略的にも戦術的にも武田の勝利と考えてるけど
0939人間七七四年
2007/02/18(日) 00:03:50ID:05E3TBXv戸石崩れは上田原の大敗に次ぐ大きな大敗だよ。村上義清が高梨と交戦中の留守を狙って二倍もの兵力差で挑んだ
奇襲戦でありながら二倍もの被害を出して負けた負け戦。
挙句重臣の横田高松まで討ち取られてる。
武田厨は必死に負けていないと作り話さえ作ってなかった事にしようとしてるけどね。
0940人間七七四年
2007/02/18(日) 00:10:42ID:44CiyCMP伊勢長島に手を出せずというが
単に包囲して無力化したから、攻めるための水軍などの用意が整うまでは
遭えて手を出す必要は無かっただけなんじゃ
佐和山や鯰絵なんかも包囲して無力化したら、実際に落とすのは暫く後回しとかしていたんだし
それに伊勢長島から帰還後一週間ほどで畿内に出陣している
実際の所織田軍の規模からすればその程度の損害しか受けていないんじゃないか
>>934
そんなところだと思うが
>この時に追撃を受けて柴田勝家が負傷。氏家木全が戦死。
これは一次で二次は林が戦死
0941人間七七四年
2007/02/18(日) 00:17:22ID:TiVB7oDg思っている。北伊勢を信長が攻略したのは見事でけちをつけることではないが
その後に長島攻めを計画し、それにつまづいて帰りに追撃をうけて大損害をだしたのは
敗北と捉えられるのでは?と思う。
0943人間七七四年
2007/02/18(日) 00:42:39ID:eCjSqM6h>これは一次で二次は林が戦死
そうでした。間違い。
>>941
まあ長島に関しては失敗ですね。ただ、それでイコール敗北とみなすかどうかは
それなりに意見の分れる部分でしょう。
一点だけ言うと。
第一次と異なり、大損害なんて出していませんから。損害がでたのは殿の林隊の
話で、これは敵前からの撤退である以上殿に多少の損害が出るのは折込済みであり
織田軍に大損害がでたようなものではない。金ヶ崎で秀吉は隊の半分を失うという
損害を受けてますが、評価は「大成功」です。
0944人間七七四年
2007/02/18(日) 00:55:49ID:44CiyCMP武田8%
北条13%・14%・20%
織田15%でいいの
あと942の個人の感性の問題というのは
長島攻めと北伊勢攻略戦を分けるか否かと言う部分です
自分としては『北伊勢を平定して長島の一揆勢は勢力の過半を失った』と(意訳)
信長公記に書かれるぐらいだから同一の相手と戦った一連の戦争とみて
いいんじゃないかと言う気がしますが
よくよく考えればこれを分けないと考えると69年の関東遠征も一つの戦いみたいに
評価することになるのか
でも川中島は川中島で一連の城攻めや戦闘をまとめて評価しているか
>>943
確かに長島攻めに限っても意見分かれるかもしれませんね
矢田城を修築したりしていますし
0945人間七七四年
2007/02/18(日) 01:01:40ID:TiVB7oDg一揆に追い立てられ、体制を立て直すこともできず、暖をとることもできず
豪雨の中で人足や雑兵には凍死するものが多く、信長はその中を進んで
夜半に大垣に着いた、っていう状態なのに?
それに殿の林隊は郎党一同枕を並べて討ち死にした、という状態はさすがに
やばいと思うのだが。与力も討ち死にしてるし。
この理屈でいうと戸石崩れの横田高松の殿も同じ理屈なのかな?
0946人間七七四年
2007/02/18(日) 01:12:27ID:44CiyCMPそりゃそういう観点からの見方なら
殿の役割は本隊を逃すことだから
戸石崩れも同じようになるでしょ
他に家康の犬居城からの撤退とかもそれと同じになるんじゃない
0947人間七七四年
2007/02/18(日) 01:16:09ID:44CiyCMP第二次伊勢長島での林隊の壊滅は織田家にとっても
織田家の敵対者にとってもさほど影響ない事柄だけど
武田の戸石崩れは政治的にも大きな痛手になったね
0948人間七七四年
2007/02/18(日) 01:23:23ID:TiVB7oDg伊勢長島第2次は殿が壊滅し、豪雨による凍死者も多数出ているのに
これは大損害じゃないのかな?まあ、これは>>945さんじゃなくて
>>943さんの大損害じゃない、というのにこたえているんだけどさ。
0949人間七七四年
2007/02/18(日) 01:28:49ID:TiVB7oDg戸石で敗れた後も村上は上田原直後のように押し返すことは出来ず、
逆に戸石を落とされると勢力の崩壊が始まった。
政治的にはもうこの頃になると信濃における武田の優位は強くなってたと思うが。
これはもちろん小笠原を戸石城の前に攻略して共同勢力を破壊しておいたことが
大きいのだが。
0950人間七七四年
2007/02/18(日) 01:30:32ID:HADoshBs何だと思う、オレオレ詐欺にひっかかるみたいな、あるいはメディアの情報
を鵜呑みにするような感じ。
武田軍は野戦で勝った後、敵を追撃する時などに、騎馬隊で素早く追撃して
たんだよ、また敵の目を撹乱させるのにも有効だったわけだ、敵に見方の兵
の位置を確認させておいて、それが騎馬隊だから素早く別の場所に移動でき
るわけだね、騎馬の扱い方が他の大名より優れていたんだと思うね。
0951人間七七四年
2007/02/18(日) 01:40:02ID:igKBliV60952人間七七四年
2007/02/18(日) 01:48:09ID:44CiyCMP大損害では無いと思う
兵数的にはともかく全体の割合で言うなら大した被害じゃないんじゃないか
10月26日に岐阜ついて11月4日には河内へ出陣しているし
>>949
そりゃこの時点では上田原の時とは違い信濃での優位・国力差で
致命的な痛手にはなりにくかっただろうけど
この敗戦の結果
岩村田を焼き討ちされ
その前に築摩から追い払った長時が戻り平瀬城に入って旧臣を集めて蜂起し
おまけとして野々宮合戦の逸話もある
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。