【武田】2万5千で上洛【信玄】その46
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 22:53:31ID:ArMmJZ7P【武田】2万5千で上洛【信玄】その45
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157793068/
ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。
テンプレ
>>2-30ぐらい?
0461名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 04:15:27ID:kJvMZT9o皮肉どうも。
信長厨がウザいだけなんで、心配ご無用。
0462名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 09:51:46ID:C7TR1qxU徳川くらいは滅ぼせたかも。
そーすれば、勝頼にバトンタッチしたときに
歴史がかわっていたかも。
0463名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 10:37:18ID:zCBGFSyz流石に釣り針隠さないと誰も食いつかんよ
0464名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 11:36:51ID:3vo6aJTd0465名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 13:11:11ID:znkN4DXa御旗楯無ご照覧あれれ?
0466名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 17:45:39ID:0uT3f9Bd太閤検地からのデータでは、当時の信長の領地だった所からは約450万貫、甲斐、信濃、駿河からは77万貫が
70年と検地の時じゃそんなに違いあるの?
0467名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 17:59:49ID:Ha17X5itていたわけではない。
0468名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 18:02:36ID:Ha17X5it0469名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 21:15:41ID:yD719WR+米の価値や流通ルート、商業的な収入や貨幣の流通やら色々考慮しなきゃどれだけ兵集められるか分からんし
まぁそんなもんデータに残ってないから正確なのは分からんだろうけど
0470名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 21:36:05ID:At/tryt60471名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 12:51:34ID:/9SpW+Vb尾張・・・570000
美濃・・・486000
近江・・・542500
伊勢・・・392000
三河などその他・・・約40000
計2003000貫
甲斐・・・230000
信濃・・・390000 駿河・・・150000
上野や遠江、三河など・・・約200000
計970000貫(ただし上野や遠江の土地が山岳ばかりなのを考慮せず)
収穫だけで計算すると差としては二倍とちょっとくらいだったのかな
0472OPS
2007/01/12(金) 13:51:00ID:gnXa8wFe労咳の症状があるのだから信玄が後五年長生きしたらとしたほうがいいと思う。
ちなみに信玄が長生きしても天下は取れていない。
せいぜい信長を京都から追い出すことくらいしか出来ないと思う。
0473名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 13:55:23ID:Rir165Y90475名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 07:57:08ID:abNK5Q2Y信長の統一後戦火とほとんど無縁だった尾張なんかは滅茶苦茶発展してそうだ
逆に謙信の管領就任記念の遠征の時には「相州亡国」と記録に残るほど徹底して略奪されたそうだからかなり酷いことになってただろう
0476名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 11:19:58ID:7T1BfoNF信長は、灌漑や治水事業を行ったという記録が残っていないので、
その間に尾張の生産環境が好転したという理由はあまりないんじゃないかな
どっちかというと三河の徳川のほうにそういう記録が散見される。
また、信玄率いる武田は灌漑と治水の功績で後世名を残しているわけだが。
(もっとも、信玄がやったわけではない事跡も信玄のお陰になっていたりする)
0477名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 12:13:09ID:A6FLv5x7信長の直轄事業での農村政策ってあんまり見かけないな
0478名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 12:34:03ID:UXMfeHSSそんな水害を気にしなくてはいけないような地で、
耕作する必要もしなければ、
耕作しなければならないほどの人手もこの時代はいないでしょ
0479名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 14:08:28ID:5Tzy0/vm軍の機動力も上がるし、流通の面でも
効果大。治安もいいし物も売れるから
農民としても作物を作れば作るほど売れるという
相乗効果で繁栄していたのではなかろうか
0480名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 14:57:44ID:7A8I38wZその当然のことを信玄だけやたら特別に取り上げているだけ
0481OPS
2007/01/13(土) 16:53:31ID:LLC6MbNu今もそうだし。
0482名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 18:05:42ID:TfseLCxS信玄だけやたら特別に取り上げているだけ
信玄だけやたら特別に取り上げているだけ
信玄だけやたら特別に取り上げているだけ
0483名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 21:23:38ID:jP9OQZOkそんなおかしいか?
そのとおりだと思うけど。
0484名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 21:52:18ID:dLEV8ZRw武田の治水は特に技術的に高い水準にあるから有名
0485名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 22:56:32ID:xgwhVJmt0486名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 23:25:56ID:mVlT1lAA特に初期の信長にとっての重要な商業拠点だった津島は、
周囲に弥富とか輪中地域が多いから水害の被害はあったんじゃないかな。
秀吉が堤防作ったり、江戸時代に薩摩藩が千の松原のとこつくったりしてたような・・・
と、戦国時代に詳しくない愛知県在住のROMがいってみました。
0487名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 05:22:47ID:sJZO1tEaまあ信玄がもっと長生きしても大規模な西上作戦は
死ぬ間際にしかやらないだろうから成功率0だろうな。
0488OPS
2007/01/14(日) 08:49:33ID:eRJIlkcE西上作戦の成功はないという結論が出たのでしょうか。
0489名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 10:19:56ID:CMWn7jO+現在は度重なる治水事業を経た後だから。
戦国時代の尾張は水害多発地帯で間違いない。
だからこそ江戸時代に大規模な治水工事が行われた。
0490名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 16:54:27ID:6k4XmEy+0491名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 17:12:12ID:15WIfdce名古屋市内で育ったならガキの頃に社会見学で木曽三川の千本松原へ出かけて
木曽三川のどうしようもない暴れっぷりも過大に聞かされて育ってるはずだが
何も勉強してなかったのか、それとも登校せずに引き篭もっていたのかw
0492名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 17:34:32ID:CMWn7jO+0493名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 17:54:36ID:+Go3pXMz良く知らないけど。
ちなみに千本松原地点を中心に行われた木曽川治水工事は、寶暦の薩摩藩の手伝い普請で行われ、
藩が潰れるんじゃないかというくらいの巨費を投じても、ついに完成しなかった。
千本松原の瀬割り堤は、総延長の1/10も造れずに頓挫した、
折角造った大ぐれ川の洗い堰は、藩士が去った半年後の洪水で簡単に壊れてしまった。
それ以降、二本松藩が担当した第11回目の手伝い普請まで次々治水工事が行われたが、
千本松原の瀬割り堤はとうとう完成せずに、明治を迎えている。
実際問題、信長がどれだけ裕福でも、木曽川治水には手の付けようがなかったんじゃねぇの?
やりたくてもやれなかったと。
0494名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 19:23:51ID:1Ex5IX6I0495名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 19:36:10ID:0+ithyRG0496名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 20:10:23ID:+Go3pXMz木曽川の水が西に向かって溢れやすくなったのは「御囲堤」が作られて以降の事
それ以前は、水の到達が早い揖斐川や長良川から尾張方向に向って溢れる現象もあったようだ。
それぞれの川の洪水到達時間が違うことから、尾張と伊勢の低湿地では洪水の往復ビンタ状態で、
水は長い時間引くことが無く、水に漬かった作物はすべて腐ってしまったそうだ。
従って木曽三川地帯での治水は霞堤のようなものでは駄目で、
中世から「輪中」と呼ばれるものが発達してきた。
これらの堤防の建設と補強は郷村単位の責任で、領主の出る幕はなかったんじゃないか。
仮に出る幕があっても、輪中堤防の補強程度の工事では、歴史に残らないんだろう。
それで信長の治水実績は歴史に残ってないんじゃないか。
0497名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 20:29:20ID:DivJzEfVすごく説得力あるな。同意。
普通、治水といえば複数の郷村にまたがる問題だから
一つの郷村だけでは対応できず領主権力が必要になる。
逆に各郷村で対応できる、せざるをえない場合なら大名は出る幕ないな。
0498名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 20:37:23ID:DivJzEfVこんな酷い環境でも人間は住もうとするんだな。すごい。
輪中、極めて特異な住環境。小学校の教科書に登場するわけだ。感動した。
0499名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/15(月) 14:58:51ID:Pibl9le8信長派なんでしょ
0500名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/15(月) 15:11:23ID:FfI2U6Ciヨイショが好きな奴ばかりじゃないってことさ
0501名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/15(月) 22:05:25ID:a6NJWREm0502名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 00:51:42ID:LqWWUKsR世間で実像以上に評価が高い人間を必要以上に貶める
0503名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 03:19:25ID:gVdmjZQ3/ | | ヽ l l ( 火◇風 ノ
/o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、 ノ ◇ ◇ ( 打席に立つこと林の如く
/o O / l´/ /' '\\ lo ',ヽ ( 山◇ 林 }
\___/. ト、 -・=- , (-・=-ハ ∧ `⌒/7へ‐´ 不振の言い訳すること火の如く
/ ,イ レ_ "" ) ・ ・)("" ミl~T--‐彡 /./
/ ̄ ̄l. 彡、┃ノヨョヨコヨi┃ノ'l l::::::::::彡ー7⌒つ、 年俸の札束こと山の如し
彡:::::::::::l ト、.┃ |ユコユコ|┃/| l::::::::::::ミ {,_.イニノ
彡ソ/ノハ ト、┃ヽニニニソ┃,イ 川ハ ヾー‐'^┴
┗━━┛
0504名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 04:00:46ID:xZkZNZ8d0505名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 09:48:53ID:7PkokE8sなおかつ勝頼が信玄時代からの宿将達の言う事をもうちょっと聞いていたら天下を取れたかもしれない
0506名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 10:08:55ID:0OmaX7+Vゲームなら。
0507名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 10:13:27ID:yGKQsdVj両職や比較的大身の領土を持った家臣達に逆らってたのなら、信虎のようにいくら戦績があろうと排除されるのが武田家なんだから
0508名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 13:56:48ID:LNmtRnPa0509名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 14:25:34ID:0OmaX7+V0510名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 16:10:56ID:VfC3tZuf個人の勝手で追放なんかできないって
大名家をなんだと思ってるんだ…
0511名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 17:43:20ID:uCUxFPBA最後は信虎も戦力になるんじゃないの?
九鬼を一蹴した信虎がかっこいい
0512名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 18:46:58ID:HPeJsGTYそもそもみんなが映画で見るような騎兵って想像の産物でしかないと思うんだが。
映画で見るよな演舞の剣戟が現実にはないのと同じようにさあ。
映画で馬上同士で剣をよくあわせたりしてるけどさ、
あれおかしくね。剣が短いから、あわせるだけが精一杯で
とても相手に傷を負わせることできんだろってかんじだし。
その前に、騎兵の速さをいかさず馬上ののろのろ剣をあわせてたら
足軽のいい標的だろっていいたい。
やっぱ、騎兵ってのは移動力重視のために存在してるんじゃないか?
敵がいないところに神速の速さで兵が現れるというところに騎兵の強みが
あると思う。あと敵を混乱させる役目とか。
その点、武田に限らず、坂東武士は義経の馬の使い方といい
馬術に長けていたと思う。
ただいくら馬術に長けた武田家とは言っても、
馬で横に列をくんでランスを構えて突撃するっていうヨーロッパで
用いられた戦い方はなかったと思う。
でも、それにしても一旦突撃して相手を撹乱てのが主目的であって、
相手の戦線がくずれれば追撃するのは歩兵が主役で、
騎兵も個別に逃げまどう兵を後ろから殲滅していくだろうがお手伝い程度だと思う。
騎兵なんて姿はかっこいいが映画で見るより地味な仕事だよ。
逃げまどう歩兵を後ろから速さでもって槍で突いたりするのはとても美しいと思うけどさ。
0513名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 20:02:26ID:eDRj8IA0信虎とその親父の間に親子の相克なんてなかったが。
0514名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 20:28:01ID:aD6Ey3eM悪いと思ってるなら蒸し返すなよ包茎
該当スレでやれ
0515名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 20:33:09ID:eDRj8IA0「だと思う」だけでは正直話の対象になれないわけだが。
0516名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 21:57:22ID:LNmtRnPa0517名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 22:16:15ID:pJRDj+Ob何から騎馬隊を思いついたんだろう?
元々騎馬隊という概念はあったのかな。
0518名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 22:30:37ID:xTiYCSE6源氏からじゃない?
0519名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 22:42:21ID:f/P8TwRh関東や奥州は昔から牧場がたくさんあって名馬を排出してたが
江戸期になって関東が都市化したため馬といったら木曽というイメージが
できたんじゃまいか?そんで武田軍ウマーみたいな流れになったとか。
0520名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 23:14:43ID:4kI89FXr武田含む関東の武士は、用兵術や兵の精強度訓練度重視の感がある。
騎馬隊は存在しなかったかもしれないが
武田は騎馬の機動力を生かした戦いが実際得意だったと思うね。
だから武田軍は平地戦が強かった。
0521名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 23:41:18ID:LNmtRnPa0522名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 23:48:01ID:fe/BA7DQ三河兵が強かったとか評判だが、三河の足軽1人で敵足軽を3〜4人殺してたわけじゃないだろうし
0523名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 23:51:31ID:MgHix5Zuというのが鈴木眞哉の主張だわな
以前軍事板でもこの「騎馬軍団(特に騎馬突撃)」についてスレ建って、
えらい議論になった事があるが、よくよく議論を読んでると、
騎馬突撃否定派は「映画影武者みたいな突撃あるわけない」とし、
「騎馬突撃があるとすれば、追撃戦とかくらいだろう」と主張。
で、これに対する騎馬突撃肯定派の意見が面白くて、
まず、「否定派が主張するような無謀な突撃あるわけがない」と頭から否定派に同意、
その上で「騎馬突撃というのは追撃とかで行われるのが普通なんだ」と反論してて、
結局双方考えているものは同じであるのに、意見が対立しつづける、という滑稽な結果になっていた。
もっとも「騎馬隊否定」の御大鈴木眞哉なんかは、
最初のころは「騎馬突撃はない。みんな下馬して戦った」と、
合戦中の騎馬武者の存在すら否定していたのが、
最近出た歴史群像の中では、
「合戦中の騎馬武者はいくらでもいた。追撃戦としての突撃ならあっただろう」
と主張が微妙にかわっていたのが面白かった
「否定派」が否定したいものと、
「肯定派」が肯定したいものとが食い違っているのに、
互いに譲らず議論しつづけてる印象を受けたね
0524名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 23:53:47ID:pJRDj+Ob足軽の強さに大差はなかったろうよ。
0525名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 23:58:49ID:MgHix5Zu家康が三河統一以後、石川、酒井の両家老のほかに「旗本一手役」なる、
家康の直轄軍を創設してこれを強化して徳川軍の主力にしたのが大きいよね
「領主連合」の色合いが強い当時の大名家にあっては、
大名自ら意のままに動かせる画期的な軍団だと思う。
本多忠勝、榊原康政、井伊直政、大久保忠世など、
後々「三河軍団」の代名詞となる有名な将のほとんどは、
この旗本一手役出身だもんね
武田ってこういうの組織してなかったのかね?
0526名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 00:08:00ID:gg1oQFInでは、騎馬隊があった可能性はあるが、映画のような集団での突撃があったかは不透明。
そして現在知られている騎馬隊とは、源氏の騎馬武者が大好きなある講談者が、武田の立地と
徳川様を追い詰めた武田が弱いわけない、という大義名分で
造り上げたファンタジー?
個人的には、川中島四回戦での高坂・馬場隊の戻りの速度がわかれば
騎馬隊の有無も判明すると思うのだが。
そんな戦いあったかは知らんがね。
0527名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 00:11:50ID:gI+5had0江戸時代の農民みたいな存在じゃなかったと思うぞ。
一家に一馬一牛くらい飼っていつでも兵役やりまっせってくらいのゲリラ兵じゃまいか?
0528名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 00:18:40ID:leNEW0En俺もあったのかどうか知らん
つか「騎馬隊」という騎馬武者だけの兵科についても件のスレでは否定的だったね
「寄親寄子」の制度が基幹の当時において、
そんな事はありえない、と
可能性としては各武将が指揮する備の中でならば、
「騎馬組」を組織する事はありえなくもないだろうが、
備の一つが丸々騎馬隊などはありえない、という話だったね
さっきも書いたけど、
肯定派も否定派も双方考えている事は似ていると思う
・時代劇のような突撃はない
・騎馬隊という組織はない
・騎馬の活躍は追撃やかく乱などがメインと考える
などなど。
ただこれを「だからこんなん騎馬突撃とは違うんじゃボケ」と否定するか、
「アホか、これこそが騎馬突撃なんじゃボケ」と肯定するか、
それだけの違いでもめてる感じだった。
そのスレの中に限ればね
0529名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 00:18:51ID:gg1oQFInもしそうだとしたら、馬の産地である武田の兵は
めっぽう強い事になっちゃうじゃないか。
・・・・ん!?
0530名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 00:21:24ID:leNEW0Enつか武田(特に甲州兵)はそういうもんでしょ
だから、「畑仕事があるときは仕事は出来ません」みたいなのを言うやつもいるわけで。
そしてそいつらまとめるのに武田は苦労してきていたわけで…
0531名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 00:27:55ID:r9+tH2rGそれは大丈夫だよ。農民だから農作業しなきゃいけない。いくさは小遣いかせぎ
0532名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 00:30:43ID:leNEW0En一人一馬というほど馬はいないわけでw
0533名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 00:31:20ID:r9+tH2rG0534名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 00:33:27ID:r9+tH2rGたびたび内容かぶってごめ
0535名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 00:33:39ID:leNEW0En農作業にも頑張ってもらわないといけないし、
合戦になったら貴重な移動手段だし……
まあむざむざ死ぬのがわかっている「影武者」のような贅沢な使い方は出来んなw
0536名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 00:34:03ID:leNEW0Enいえいえ、お気になさらず
0537名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 02:50:56ID:g4JJCkgA効果は十分あると思うが
0538名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 03:06:30ID:8MWkcOy9五十あれば流れを変えることもできるかもな。
0539名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 07:32:41ID:Iq7XKo1zやはり奇策か劣勢側の挽回策に思えるなぁ。
0540名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 08:08:27ID:HA8QgAlf騎馬だけを(しかも当時の身分ある人を)単独で突っ込ませるのは効率上も社会体制からも無理でしょ
歩(軍役で同行させた部下)騎混成の突撃がせいぜいじゃないの?
0541名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 11:13:18ID:4VzWMLje乱戦のところに突っ込んでも乱戦で身動きが取れなかったら馬を狙われて落馬して終わりだし。
そもそも騎馬武者って、実際に戦闘する時は下馬するらしいが。
0542名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 11:18:34ID:49HsNE0M大陸でもサファヴィー朝は騎馬で突っ込んでオスマンの火器
にやられちゃったみたいたまけど。
0543名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 11:20:56ID:quAuH0iR仮に騎兵部隊を編制できたとしても、無駄が多すぎて使い物にならないんじゃ?
まして日本の場合、鉄砲が爆発的に普及して戦国後期だと三割の装備率に達するし、既存の弓矢とかもあるし
0544名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 11:49:50ID:xM2qRhR8軍用馬として使える馬がでるのは十に一つぐらいの割合らしいし、50や100騎分を生産するのは無理というわけじゃないとは思うが
0545名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 11:53:16ID:quAuH0iR山岳地に強いからって地形を無視できるわけじゃない
結局のところ険阻な起伏であっぷあっぷになるか、分散を余儀なくされたところを袋にされるか
そんなところじゃないか?
だいたい、武田家の騎馬の率自体がそもそも高くない。騎馬だけを分離できるほど余剰があるとも思えない
0546名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 11:57:53ID:oW+V6Jbv先ず第一に当時の軍役に関する資料の研究が進んで編成が明らかになってるからだしな。
武田なんかはむしろ歩兵の組織的運用の嚆矢として注目されてるくらい。
後はまぁ、大陸や欧州のように使うには単純に馬という資源が足りなかったという事もある。
日本でも数があれば大陸の弓騎兵のような編成は可能だっただろうけど。
伊達が少数だけど鉄砲持たせて運用したって話があるよね。
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2007/01/17(水) 15:58:57ID:OKgc0npp欧州でも長槍隊や弓隊が騎兵を破った事例はいくらでもある。
騎兵を敵真正面に突撃させるのは、相手が民兵かよほど準備不足でないかぎり
自殺行為に近いと言えるだろうね。
突出した相手を横から強襲ってのが基本的な使い方で
騎兵は奇兵としての役目しかないように思う。あと斥候・伝令か
鎌倉時代は一騎駆けがあったらしいが馬上から敵を左に見て矢を射掛けるのが基本で、
一騎打ちについては刀はほとんどつかわず、とっくみあいで馬上から落として短刀で首を取る
ってのが常だったらしいね。
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2007/01/17(水) 17:03:36ID:OKgc0npp重騎兵の正面突撃が無効化されたのはスイス人がパイクを発明して以降だね。
それまでは騎兵の突撃は最強だったよう…
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB
0549名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 18:54:56ID:IC24w6z8しかしスレ違いなので巣にお帰り
0550名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 19:06:20ID:/RK/pLSj「専制体制」を領国内で完成させてたの?
織田の場合は言うまでもなく、
徳川の場合でも直轄の旗本先手備を常備軍の一つに据えて主力として、
大名の専制体制を作ってたわけだけど、
武田の場合はどうなんだ?
0551OPS
2007/01/17(水) 19:54:25ID:rwZcx6hc西上作戦の際の二万五千の兵力のうち八割方が農民だろ。
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2007/01/17(水) 20:42:15ID:ypnAc0U2古代の槍兵は?マケドニアのファランクスみたいな。
ゲルマンのシールドウォールもなかなかの防御力で、
弓兵との連携によってやっと撃破しているわけで・・・
0553名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 21:09:38ID:7zlWCNSL戦い方も違う考え方も違う土地も違う
0554名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 22:33:49ID:anAAixZ6まずお前の言う「専制体制」の定義を明らかにしないとどうしようもない。
しかしそれはたぶん不可能なのでその質問は却下する。
0555名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 22:38:46ID:TtclqTJA重騎兵による突撃をいかした攻撃は馬の品種改良のすすんだ中世ヨーロッパから
始まったらしいから、古代の騎兵は機動力のみを優先させえた奇兵としての
役割が大きかったんだと思う。だから古代で騎馬の突撃はなかったと予想してみた。
0556名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 22:48:08ID:admpihl9って勝手に騒いでるだけで
肯定派は、映画なんか最初から誇張に決まってるのに、と思ってる。
つまり、映画と事実を区別できないような奴が、勝手にショック受けて騒いでるだけ。
0557名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 22:50:46ID:ypnAc0U2むしろ実際の騎馬部隊の運用を知りたいな。
武田やその他の戦国大名での。
映画みたいな突撃を単独で行えば
ネー元帥の二の舞ですよ
0558名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 22:50:52ID:611sjg7q「専制体制」って言い方は大げさだったね
要は徳川とかが持ってたような信玄直轄の旗本衆が、
武田の家ではどれくらい機能してたのかを知りたいと思ったのさ
0559名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 23:09:41ID:LugpW0fxでも、織田も清洲会議みるからには家臣団の専横を許してるように見えるけどな
柴田が悪いのか羽柴が悪いのか分からんが
信玄はかつがれて親父追放したぶん、家臣団との連帯がつよかったが
勝頼は四男坊の元敵方諏訪の跡取りでもあったわけだから家臣団と不和になっても
しょうがない。
武田勝頼のウィキページの方が詳しいからどうでもいいけど
0560名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 23:13:06ID:iReJnrOLそりゃ信忠が死んだからな
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