豊臣秀頼の謎
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 18:54:04ID:P6Azl3VA側室が大勢いた中で淀の方だけが立て続けに2人も産んでいるのは不自然だ。
また秀吉が矮小な男だったのに対し、秀頼は偉丈夫だった。
顔も全く違ったようだ。
大野治長は淀の方と何度も密会していたようだが
彼こそが本当の父親では無いだろうか。
北政所も秀頼が秀吉の子供では無いと思っていたから
あんなにあっさりと家康に靡いたのではないか。
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 19:02:35ID:qO1C4m1x目と鼻が大きく、顎の先もしっかりしてました。
確かに秀吉とは似ていないかもしれませんね。
0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 19:17:13ID:df9bM7SB0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 19:19:57ID:CTJ1Xqo0淀の父親である長政はそれなりに偉丈夫だったと思うが?
成長期の栄養状態も秀吉と秀頼では雲泥の差だろうし。
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 19:24:03ID:qO1C4m1x鑑定によると年齢は20〜30歳くらいで、頭蓋骨の右顎が介錯の際の打撃で割れていました、
近くから秀頼の愛馬・太平楽と思われる馬の骨も流出し、
これらの特徴と発掘された場所などを史書と照合した結果、豊臣秀頼の首であると言われています。
この頭蓋骨は、京都・清涼寺境内の「秀頼公首塚」に葬られています。
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 20:14:38ID:BG4NjttN>>5
「秀頼の首」(木崎國嘉 共同出版社)は私も読んだよ。
貝殻を敷き詰めた上に首を置いて埋めてたから、首が残ってたらしいね。
「庶民の首ではない」って鑑定結果がでたらしい。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 20:30:12ID:lTgUgCYW0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 20:47:00ID:1p2pmFJ4○デブ
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 02:18:37ID:RqsX/cnZ0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 03:28:26ID:gJiTMzeG世間に秀頼を出したくなかったのかな。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 15:00:14ID:92iQL+wI秀吉に似てるか確認するのだが、淀に似てて、納得する。
秀吉の統一は天に愛されたから事出来た事、日輪の子とまで言っていた真に秀吉の子ならば
滅ぼされたり、首を切られるような運命に無いと。
英雄秀吉の子ならば滅びぬはず、と言う自慰的な妄想が怖いが、妙な説得力がある描写だったな。
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 15:10:42ID:WVZ5XUxT大酒飲みで周りに迷惑かけまくって
80才位で死んだ。
って説の本を見た事あるよ。
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 15:11:16ID:Dw+eJQbk0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 15:11:55ID:OZY7Ox6u0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 15:58:55ID:3Yj3fKAAワロタwww
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 16:11:45ID:8MOGxgM2やっぱ寒いところはいやなのかね
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 16:40:49ID:5pYR6FQp0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 17:43:19ID:r98JdSG4三成の子や幸村の娘、伊勢北畠の子孫も行ってる
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 18:08:57ID:mb9vmyyL義経
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 20:46:19ID:nUVbXuWj0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 20:50:54ID:aEn93HPw0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 21:14:36ID:WXyEmR9n0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 22:20:40ID:fz3XHOom一人だけ、それも二度も子供を産む女というのはどう転んでも不自然の極み。
秀頼の首に、あと秀吉の骨の一部でもあればDNA鑑定できるのにな。
徳川が秀吉の墓を壊したんだろ。その時秀吉の骨もどっかに棄てたのかな。
真実を闇に葬ったのは徳川だ。バカ者めが。
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 22:28:24ID:l7EnJfW20026奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/11/15(水) 22:44:12ID:73azWRCG0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 23:39:11ID:ptXv9ZUd秀吉の墓から出てきたミイラと、秀頼の首と推定される頭蓋骨をDNA鑑定できないのかな?
確か秀吉の血液型はO型だったよね?
淀殿の血液型がわかるものや、DNA鑑定ができるものは残ってないかも?
大阪の太融寺の墓って確実に、淀殿の遺体が埋葬されたかどうか疑問視する説もあるみたいだし。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 00:11:07ID:9N5YDNpVまじでDNA鑑定してすっきりさせてほしい。
当時の秀吉もこのことを考えないはずはなかっただろう。
それなのに何故淀殿と秀頼を溺愛したのか、それが一番の謎だな。
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 00:43:25ID:nkXoxLFN当時の秀吉はボケ爺だからな、わかんなかったんだろ。
仮にボケてなかったとしてもせっかくの世継ぎなんだからもう誰の子でもよかったんじゃないのか。
自分が種無しということくらい自覚あっただろうし
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 00:57:06ID:wFAGCoXq遺骸があっても判別出来なかったかもしれない
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 01:14:34ID:12HPNkuP0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 02:24:54ID:7oT9v4700033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 02:35:17ID:/kcksEd30034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 07:12:51ID:7lWz/NmU長浜の神社に秀吉が納めた娘の息災祈願。
あとは鶴松と秀頼ね。
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 10:22:53ID:cdUDC/1/だから秀次養子にしたんだよね。
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 11:59:08ID:pBZXKWWg亡くなったとされる秀勝の年齢と秀吉の北近江拝領の時期を考え合わせれば
南殿の連れ子の可能性だってあるのに、ひたすらまず秀吉の子ありきなのがな
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 13:10:09ID:XfFSQI5K常に、おつきの人とか周囲にいるわけだし
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 20:22:35ID:2CqQ4jJX何十人じゃ済まないだろう。
普通に千人切りいくかどうかの単位じゃねえ?
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 22:18:41ID:9N5YDNpVそれを手放しで世継ぎ誕生と有頂天になるとは痛々しいことだ。
よっぽど切羽詰ってどうでもよくなってたのかな。
つーか、秀吉の娘ってなんだよ。養女じゃなくて実子なのか?
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 22:20:43ID:9N5YDNpV見落としてた。おれへのレスだったか。。。
側室の数は百人以下だったのでは?
千人いくかいかないかって、そんなに側室抱えたら財政破綻しそう。
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 22:24:26ID:2CqQ4jJXいや、ネネが信長に言いつけた時も
側室に対しての嫉妬ではなく、秀吉が女と見ると見境なく
手を付ける事を愚痴ったんじゃなかったっけ?
あと、朝鮮の役の際、渡海した武将の妻女は見境なく大阪に呼びつけてたとか
言われてるよね。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 22:35:39ID:GcVUXCld0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 00:05:06ID:Q183MpEC10数年前でも難しいのに
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 00:46:16ID:vx+zbiNO0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 03:55:30ID:ASnoURpj0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 06:05:10ID:f3xtn3V5淀殿に子どもを産ませたなど、物理的に不可能である。
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 06:11:35ID:vx+zbiNO彼は普通に淀殿と不仲じゃなかったか・・・
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 06:18:13ID:4TW+sScL長浜時代に、石松丸秀勝の他に、娘がいたのではないか?、という説があるらしい。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 06:46:37ID:g/K6/N3xそれなら納得
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 08:19:43ID:8UlqEvOh0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 08:35:45ID:w8HDj0Ad0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 12:29:34ID:GdUa5TPtどうせぶっ殺されたわけだし
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 14:43:35ID:rSTsa39g自殺じゃん
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 17:48:00ID:vX0KCK/O0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 19:49:52ID:f3xtn3V5信長は明智光秀に殺されました
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 20:09:08ID:zHiyKmRW0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 20:21:45ID:FOAHdRtf0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 20:31:51ID:DNY2/L/eするのってどうやってしたんだろうか。夜中だって一人にはならないよな、普通。
目撃者だって居そう(本当に居るかどうかは置いといて、そういう話が出そう)なもの
なのに、伝聞調ではなく推測調の話しか聞いた事ないのも不思議なんだよな。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 22:02:14ID:+Ov3l/JO傍から見ると、大筒一つで和睦する暗愚そのものなんだけど
周囲の人間を信服させる力は持っている人だったみたいだ
大阪の陣終了まで、淀殿の近臣は淀殿を裏切らなかった
しかもその近臣というのが、北近江は浅井時代からの乳母(しかも何人も)だったり
乳姉妹だったりと、成り上がりの秀吉が淀殿を側室にしたことを快く思ってなさそうな面々で
淀殿が不義密通していても押し黙ってそう
鶴松を妊娠するまでは、淀殿は結構寂しく暮らしていたらしいし
目が届かなくても不思議はない気がする(側室だけでも16人だしね)
一人目の子供が出来た時、秀吉がつるっと騙されたんで
また次やっちゃったとかなのかな・・・・・・?
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 00:20:20ID:iwT9bVIj0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 00:28:46ID:sEWHGj7f0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 02:22:14ID:IbtJIjIHそうとうあの若い女に溺れて盲目になっていたのだろう。
それほどまでに秀吉を虜にしたからには小悪魔的な魅力もあったのだろうか。
秀吉は側室は多かったが、淀へのひいきぶりは群を抜いている。
まるで玄宗皇帝の楊貴妃への異常な寵愛ぶりを見ているようだ。
どっちにしても食わせ物の女には違いなかっただろう。
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 02:38:15ID:IbtJIjIHたとえば、源氏物語を例に考えてみよう。
あれは完全なフィクションだが、実際に起こすことは可能だから
作者が物語りにしたのだと思う。
当時の身分の高い女性には多くの世話係がついていた。
乳母や身の回りの世話をする少し年齢が上の女性や
同年代の話し相手の女性など十数人はいたと考えられる。
あの物語の中で、貴族階級の人妻も不義密通する逸話が多い。
それにはまず、ターゲットにした人妻を口説く一方で
人妻の乳母や一番地位が上の世話係の女性とも親しくなるという手順をとる。
口説くためには、外掘りから埋めるというわけだ。
そうしておけば、いざ人妻の寝所にしのんで行く時に
男の心情にほだされた乳母や世話係りの女性が味方になってくれて
上手く人払いをしてくれたり、見張りをしてくれたりする。
時には主人の留守中を見計らって男を招いてくれることもある。
日頃の手紙のやり取りも、それらの女性が間にたってくれるし
けっこう女主人に忠誠を尽くすもののようだ。
特に乳母ともなれば、女主人との付き合いは何十年と長いから
何かあれば咎めを受ける覚悟もあるほどの忠誠心を持っていただろう。
源氏物語では、帝の寵妃が宿下がり中に乳母の手引きによって
妃に恋焦がれていた男(主人公)が寝所に入るくだりもある。
そして、その妃は男との不義の子を帝の子と偽って産むことになる。
だから城を与えられ目の行き届かぬ淀なら尚更たやすく密通ができる。
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 03:39:25ID:iwCTm1F5子供生まれてからは、秀頼にべったりだし、論理観の無い女だったんだろうが。
当時からそういう噂あっただろうし、種なしの子供ってのは明らかにおかしい話だからな
秀頼が大坂で降伏せずに自害したのも、秀吉の子として死ぬには大阪城で戦って死ぬしか無かったと思ったのかもしれないなあ。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 05:24:05ID:BbyQ6L7k秀吉の一粒種だと思えば、寧々がもっと秀頼に情愛を持ってても良さそうな気がするが。
こないだ京都に行った時、小さな博物館で秀頼と寧々の間の手紙らしきものが展示してあった記憶があるんだけど
秀頼自身は北の政所に叔母のような親愛の情は持ってたとは思う。
0066名無しさん
2006/11/18(土) 05:42:41ID:0aMqTPLxそれといくら老いぼれでも自分の子かどうかはわかるだろうから
他人の子でも良いから豊臣を残したかった可能性もある
市の娘の子なんだから信長の血縁だし血が絶えるなら織田家に返す
積もりだったのかもしれない
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 05:54:47ID:BbyQ6L7kそれだったら秀次でもいいのに・・・
というか秀次の方がずっといいのに・・・・
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 11:45:47ID:J1TKkHkbつまり「自分の子供」が出来ないなら「自分が跡継ぎにしたい血筋の子供」を作ろうとした可能性。
それだと周囲がどれだけ怪しんでも本人的には満足なんだから溺愛もするだろう。
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 12:21:35ID:HwxDYYrw0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 14:32:49ID:iwT9bVIj秀頼は姪と結婚したのか?
母親も姉妹だしヤバいな
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 15:26:02ID:IbtJIjIH昔あった秀吉を主人公にした大河はその解釈だったな。秀吉自らが淀と他の男との逢引を許して
生まれた子を自分の子として世間にお披露目をした。その相手の男というのは
その大河では三成ということになっていた。三成説が根強いのは何か根拠があるのかもしれん。
>>65
その手紙に興味が湧いた。寧々は実際のところ秀頼に冷たかったのではないかもしれないよ。
秀頼に情愛はあっても、淀の味方になりたくなかったのかもしれない。
最初に淀が産んだ子は寧々が手元で慈しんで育てていたらしいからね。
秀吉の子でなくても、受け入れて可愛がる度量のある女性だったのかもしれない。
ところが、二番目に生まれた秀頼を淀は頑として手放さなかった。
寧々としては、本当は秀頼を自分の手で秀吉の後継者に相応しい男に養育したかったのかもしれない。
だが、淀が手放さず秀頼ベッタリになって駄目母ぶりを発揮してしまったために秀頼は・・・。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 15:32:11ID:PKJCyycIもともと浅井は大柄な家系だったそうだが、父親が貧疎ならあそこまでは行かない
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 15:33:17ID:lLJJTqng0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 18:26:40ID:rgffYqiGチャンスはあったはず!それに大柄だぜ?
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 19:10:05ID:5rdCU4Zx0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 20:24:21ID:iwT9bVIj0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 00:55:10ID:a6LbmnH5子供の身長は、その公式で出した数字のとおりになるってよ。
推定身長からでも計算はできるはず。秀吉と淀だと不自然な数字が出るかもね。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 01:16:31ID:UgTApLx/0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 01:30:55ID:NLgnI8M60080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 01:56:20ID:16bXzT9U0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 02:05:10ID:AnwiR2p0俺の母親159cmで父親156cmで俺183cmなんだけど
どういう算出方法だと合うんだろ?
でも頭くるほど顔が似てるんで親子なのは間違いないんだが。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 02:16:30ID:1M8MOt0K3×4のインブリード効果
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 12:35:11ID:p7sp1pZf顔なんて他人でも似ることあるよ。残念ながらおまえの本当の両親は別にいる。
もしかしたら父親だけ違うのかもしれないが
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 16:27:28ID:U66HaUmP0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 16:54:07ID:AnwiR2p0Σ(´Д` )アッサリ!
で・・でもでも親父の昔の写真とか顔だけそっくりで背だけ小さくて笑えたぐらいだったよ。
>>84
俺の姉貴も155cmだよ。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 17:29:25ID:FyCpbwZOチェホンマンの両親もチビだから、かんけーないとおもうぞw
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 17:40:34ID:an7uvxVL0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 18:10:05ID:K5ti3M8X大野治長→茶々の乳兄弟、現在最有力候補
石田光成→北近江出身。昔から根強い噂がある。
京極高次→従兄弟で妹の夫。よく恋愛関係のネタにされる。
前田利長→従兄弟の夫。小説でネタにされていた。
徳川家康→たぶん妄想
父親の噂のあるのってこのぐらい?
個人的には最有力の大野治長は違うと思う。
プライドの高い茶々が身分の低い大野との間に子を作るとは思わないし、
大蔵卿局に権力が偏るのを他の侍女が良しとは思わないはず。
最後まで侍女たちが離脱しなかったことを考えても、
治長と男女の関係はなかったと思う。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 18:24:56ID:ujSbY1jCそうか?
織田系って、人の身分にこだわらない印象があるんだが
むしろ気心しれた乳兄弟だからこそ、口裏合わせやすい気がするが
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 18:58:14ID:X2s28w6W0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 19:00:06ID:JOMP/bHb0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 19:05:14ID:JOMP/bHb秀次がアレは俺の子だよとか言いふらしてたのてたのかもしれんな
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 19:39:18ID:S/5Ahi22そうなると、周辺の侍女たちも主人の立身のためにみな協力しそうな気もするな。
後々の大奥のようなシステムはまだ確立されていなかった時代の話だし。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 20:40:28ID:g5IV/31v滅ぼされた。その事実がなによりの証拠だと思う。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 20:49:23ID:ujSbY1jC幼君について行く奴が居るほど甘い時代じゃなかったので
裏切られた等は参考にならない
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 21:10:44ID:nr/MRbI30097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 21:11:45ID:X2s28w6W0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 21:51:01ID:ptKCyIIJ0099奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/11/19(日) 21:54:23ID:FS52YIkH0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 23:21:25ID:6QbTN80xおいおい顔なんてチョン見たらわかると思うけど
そっくり関係ない
中日の福留とチェホンマンと柏レイソルの南
3人ともチョンの血だけど顔そっくりだろ?
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 00:59:44ID:RrnidbzI秀頼は相当なキモデブ
相撲レスラーになれるぞこれw
こんなの可愛がってた淀は凄いw
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 01:19:33ID:7PZ4IIuE秀吉が淀をえこひいきし始めたのは側室にする前からじゃなかった?
並々ならぬご執心ぶりで側室に迎え、その直後から特別待遇。いくら市の娘だとしても度を越してる。
>>101
秀頼の画像を見たことあるよ。ヲタな感じで、かなりのキモメンだった。
実際、アキバあたりにいっぱいいそう。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 12:21:07ID:WqsPg4Pt苦しいってのに自分だけ腹いっぱい飯食ってたんだろうな
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 13:17:45ID:KQvjtPag秀吉死後のお相手は治長がしてたそうだしね、歌舞伎者に夜伽命じたりしてた話もあるしな。
まあそれらの話に確証は無いのだが・・・
秀頼の親だと、大野治長は実際怪しいね、幼なじみだしね。
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 13:58:51ID:7PZ4IIuEもしかしたら秀吉の側室になる前からセクフレを何人も渡り歩いたかもしれん。
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 14:35:43ID:OEgQQKF/0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 15:06:12ID:mWPWl8jh0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 16:14:54ID:tlnjLOyVうん、だけど秀忠は全然いい気持ちはしなかっただろうね。
秀忠は奥さんの影響もあって、羽柴家を潰せと叫んで意欲的だったし。
表面化はしなかったが、裏では徳川父子の確執があったと思われ・・・
まあ、正信の手腕もあったろうが・・・
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 21:08:22ID:vKWtN4Qm秀忠が利用して豊臣家を潰そうとしたの?
そんな笑い話のような事で家康がつっかってきたのなら
どう考えても家康は秀頼をぶっ殺したくてぶっ殺したくて仕方のない状態だったと
普通の人は思うんだけど。
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 21:44:06ID:pca/TYah色白っぽいとこも似ているか
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 22:19:07ID:tlnjLOyVヒント)
@淀君とお江与の険悪の仲の状態
A淀君の家康に対する異常な執念
B天海和尚・藤堂高虎・柳生宗矩ら幕僚の暗躍
あまり強い根拠はないけど・・・
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 22:30:57ID:mkJOItRzあのレベルの身分でそう簡単に密通なんてできるわけないだろ、常識考えろ
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 22:39:37ID:tlnjLOyVC林羅山、崇伝和尚らが鐘銘問題を改竄して、秀忠と共に豊臣家に因縁をつけた
D最悪な事態となり、家康はもう往生際の悪い豊臣家を潰すしかないと観念した
・・・こんな感じかと思う。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 23:07:51ID:7PZ4IIuEそんなことはない。身分の高い人には高い人なりの方法で密通はしていたんだよ。
もちろん表沙汰にはならないようにはしているけど。そういや、千姫も後家になった後に
酒浸り、男漁りなどご乱行の限りを尽くしたというじゃないか。いや、これは極端な例だが
少なくとも普通に密通ぐらいなら多かれ少なかれやっていても不思議はない。
ところで家康は出戻りとか後家が大好きだったらしいとかいうね。
側室もそういうのが多かったんじゃないか?ならば、なおさらのこと。
それに、淀が秀吉の死後も髪をおろさなかったのは、そういうことも理由だったりして。
普通、たいていの女性は髪をおろすだろう?
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 23:21:17ID:+/H539RZ0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 03:21:19ID:qUvxjRTp「院殿もてんねき見える女医者」 「お局の名に近い子おろし」 「お局の女医者とはすまぬこと」
中条流とは堕胎を専門にする女医が江戸期に流行したそうだ。
豊臣秀吉の臣である中条帯刀が始祖であり、特に「中条丸」なる薬は水銀と米粉を混ぜ合わせ錠剤にしたお粗末な丸薬は
大ヒット商品となったそうです。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 11:55:15ID:pWqUc39q0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 12:07:37ID:qUvxjRTp山岡荘八の徳川家康?
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 12:58:24ID:7XFhI6OOそれもあるけど。その他に隆慶一郎の「捨て童子・松平忠輝」・・・
それと新田次郎の「武田信玄・勝頼」の要素もちょっこと入ってる。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 13:04:04ID:7XFhI6OO多分そうだと思う。でなきゃ秀忠が豊臣家を滅ぼす理由がないと思われ。
秀忠本人が秀頼を憎いと思ったかどうかはわからんけど、
お江与は姉の淀君とまとめて甥の秀頼のことを嫌っていたのではないかと・・・
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 13:05:21ID:pWqUc39q0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 13:11:29ID:7XFhI6OO36・7歳という成熟した年齢を考えると、家康の老齢を考えると・・・
それは全く否定できないと思うね。
秀忠には天海和尚(随風)、林羅山、崇伝和尚、藤堂高虎、柳生宗矩ら
という素晴らしい自分の幕僚ブレーンもいるし・・・
きっと、秀忠は自分の時代が到来したと思ったのではないかと。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 17:08:12ID:Vi7pool90124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 17:47:05ID:WnQAIaM9日本の女は伝統的にヤリマンだよな。
かつての農村なんか乱交パーティー状態。
平安時代の貴族もかなりのヤリチンヤリマンの集まりで
本当に乱交パーティーを開いた者達まで現れてお上の知るところとなり
その者達は島流しの咎を受けたという記録もあるようだ。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 18:06:35ID:bYT9WEP0てことはただの推測?
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 22:01:00ID:65u+MKD1だったら、他の側室達も密通してた可能性あるじゃん。
お手つきの侍女とかなら、さらにその可能性大。
何で淀だけ??
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 23:22:26ID:TYuU1TZG淀は天下人たる秀吉の側室となり跡継ぎを生むことで、江与よりも優越していた。
その後、江与が夫の秀勝と死別した後、秀忠と再婚し、淀にとって良く分からないうちに天下が徳川家に移った。
そうしているうちに、江与の夫が将軍職に就任する事となり、「秀頼が家康の後を襲う」という淀の勝手な妄想が叶えられなくなった。
おまけに、自分は一地方政権の国母に成り下がったのに、江与は将軍御台所として淀よりも優越してしまった。
丁度その頃、秀忠、江与夫婦の長女である千姫が、秀頼に嫁入りするため大坂へとやって来た。
この娘の嫁入りに、身重の体に鞭打って江与がついて来た。
個人的にどういう思惑があったか知らないが、徳川家が「元主家に充分な礼を持って接している」という事を示すためだったのかもしれないし、
冷え込んできた豊臣徳川両家の融和を図ったのかもしれないし、ただ単に妹が姉に嫁入りする娘の貢献を頼みに来ただけなのかもしれない。
ただ、臨月の体で上洛し、そのまま向うで出産しなければならないほど、江与は無理をしていた。
「御台所(江与)はしきりに物語などをし給うが、御袋様(淀)は気色も変え給わらず」
その時の淀、江与の会見の様子である。
江与もそりゃ怒るわな。
ちなみに常高院(淀の妹、江与の姉)もその場に居たらしいが、そちらとはうまくやっている。その時生まれた子供を養子に出すくらいには。
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 23:54:00ID:PCwgSEFx常高院に江与の娘って・・あーたら
そんなこといえば
淀も江与の娘を養女としてるし、その後公家に嫁がせてもいるよ。
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 03:04:49ID:tL1cWocu淀はそもそも秀吉の側室になんかなりたくはなかった。
他の側室達のように喜んで秀吉の側室になったわけではない。
むしろ秀吉など早く死ねばいいぐらいのことは思っていたのでは。
世継ぎを産んで自分の栄達を極めること以外は考えていなかっだろう。
だが、普通にしていたのでは種無しの秀吉では無理。他の大勢の側室同様埋没し
ただ秀吉の性奴隷で一生を終わるだけ。こんな屈辱は我慢がならないであろう。
手段は選ばぬといったところではないか。
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 05:44:42ID:yNK3jtpS舌切って死んじまえ!
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 07:57:32ID:t5R38ynd0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 15:52:15ID:a6wK+UoUちょっとワラタw ナイス突っ込み
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 16:04:49ID:vPYwVXYG0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 16:15:08ID:f7+Md5tz長政はピザだし市は巨体だし、茶々自身も大柄で
秀頼もボブサップのような体型だったそうだから。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 16:27:36ID:gq+TFjotボブサップは素敵すぎる身体じゃないか
それなら威厳ありまくりw
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 17:06:48ID:Alyft0ehそれが淀君とお江与の仲が険悪になる要因と思われ・・・
秀忠が妻の影響で直接、豊臣家を滅ぼす意志を持つきっかけになったのでは・・・
まあ、家康が淀君の情夫の可能性がないともいえないが。
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:39:20ID:U5Ey95vh0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 00:44:25ID:heUR3Nfy個人の誹謗中傷が山盛りじゃないか。
訴えられるぞ。
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 00:45:21ID:heUR3Nfy0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 01:04:55ID:EfbripcG死刑にすべき!
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 15:28:26ID:d8U/UAoZ0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 22:46:05ID:8hd698Viつ大野治長
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 11:02:27ID:DA527ELLそれだったら淀と江与が口裏併せて豊臣家滅びてしまえ!ってのもありかも。
淀は内側から豊臣家を崩して、江与は旦那を焚きつけて外から滅ぼして、とか。
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 11:13:47ID:smmwDGXn0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 19:58:08ID:dnqP/aO3淀は土地(地名)なので、死刑にしたくてもできません。
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 23:38:09ID:csQDWAxF淀君の「君」は娼婦に使う言葉だからつけるなとか言ってる奴?
娼婦みたいなもんだから淀「君」って呼ばれてるだけだろwみたいな
0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 01:36:04ID:ViQihS5A0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 03:28:49ID:xTL7Acfh死刑もなにももう死んでるしね(笑)
>>146
少なからず存命している時には呼ばれていない呼び方だよ。
0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 04:46:57ID:AuPD20l/筑前の死後に出家したらしいから、そのあたりからは「大広院」が妥当じゃね?
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 11:06:23ID:n91HrDypそれも、史料がないからね
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 19:17:50ID:jOAgcQBB0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 19:43:57ID:ie872JZX「俺は子種なし」っていうのはありうるのかな?
他人(例えば家康)からしたら「あの猿は子種なしプギャー」とかは
ある程度想像ついたかもしれないけど、この時代って子供出来ないのは全て
「女の不妊」が原因とされていた時代でしょ?
子が3年ないのは去れ、の時代だし。
他人事なら冷静に判断できる事でも自分のことになると「いやまさかw」ってのは
現代でもありうる話じゃないかなぁと思うんだけど・・・どうだろ。
あと淀が豊臣滅亡の原因のひとつというのもどうなんだろう。
家康が出した条件の「淀が人質になるなら責めないであげてもいいよ」という
のに対して淀自身は承知したという事らしいし(秀頼がそれに反対して大阪の陣勃発)
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 19:52:40ID:8BhsxLhA>のに対して淀自身は承知したという事らしいし(秀頼がそれに反対して大阪の陣勃発)
これについてのソースはどこなんだ?
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 21:50:48ID:v49LTj4h0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 21:54:48ID:8BhsxLhA0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 22:42:42ID:ie872JZXごめん、どっかで何度か見た程度でソースは無理だ。
そのうちのひとつの話では淀自らが人質になるって話だった。
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 23:49:03ID:SCEnA8Ge0158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 00:39:25ID:6jtg3pWn駿府記のことじゃないかな?
以前自分が前スレで同じ質問したときにそう返ってきました。
家康の側近が書いたらしい。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 00:43:54ID:+6smgo4l模造幕府と言われてるぐらいだし
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 04:08:28ID:3Hz2YlWy0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 09:00:46ID:8PGLqjNoとにかく豊臣家が突っぱねたのは事実
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 21:34:07ID:TDGeKGEL多分捏造って言いたかったんだと思う
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 22:39:07ID:/XU7MVkdしかし秀吉の場合、あれだけ女好きでヤリまくっていながら子ができなかったのだから、さすがに秀吉の方に
原因があるんじゃないかと周囲はみてたんじゃないか?
だからこそ、茶々にだけ何故できたんだという話にもなっているわけで。
0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 04:19:14ID:ArFyB3Xb0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 11:28:40ID:EiWDBcJE当時の医学知識は本当に低くて、普通に前世の業や母体の不出来で病気に
なると考えてた時代、明らかに因果関係があるからといって当時の人が
「肉体的な問題」と考えていたかどうかはまた別問題だろう。
まぁ要は憶測では話がこじれるだけだから、どちらにしろ主張したいなら
当時の史料に見える妊娠認識を論拠に持ってくるべきだと思う、という事で。
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 12:23:17ID:YgLdhdpL0167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 12:33:16ID:E1ldtEGMあれだろう?子持ちの側室とは、秀吉が若い頃に囲ったやつじゃないのか?
どこの馬の骨とも判らん身分の低い女じゃなかったかね。
いつものように遊んでいたら思いがけず女が孕んだとかで拾って側室にしたんだろう?
なんか、いまひとつ信用できないんだよな。本当に秀吉の子だったのか?
しかも、その子は3歳ぐらいで病死して、その後その側室が子を産んだという話もなく
秀吉の元を去ったのではなかったかな。
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 13:08:21ID:40VvKWKv(原因は男性側である秀吉にある)てことでしょ。
0169前田 ◆LIBERALCQY
2006/11/27(月) 13:17:07ID:2YsX0Is3実はこういう話がある。
ヒトの誕生について研究していた、とある男が精子と卵子は合体するものだと唱えた。
だが幕府の学者は「ただの汁と女子の中のものが合体するわけない」と言い、奉行は嘘つき男の処刑を命じた。
処刑のとき男はギャラリーに向かい「それでも合体している」と叫んだという。
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 21:23:20ID:51ad5rd0でも本当の父親なんて淀以外に知りようがないわけで。
議論するだけ無意味
0171名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 21:52:56ID:PB0itUzjそれでも一度勇気を持って奥さんを問い詰めるべきだよ
頑張れよ 自分の子だったらいいな
0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 00:05:25ID:LrhQAKlTもしそれが本当なら、男と女あって子供が出来るという認識はあっただろうし
赤の他人から見たら、秀吉ほど女を囲っているのに子供が出来ないのを
「秀吉が無精子」と考えている場合もあるとは思うけど、
それを当の秀吉本人が認識できるかどうかというと別問題な気がする。
例えば現代でも夫婦に長年子供が出来ないと、
まず不妊症を疑うのは「女」の方。
妊娠するメカニズムが判明し、男が原因で不妊という事も一般的に
なってきている現代でも、子供が出来ない原因を一番最初に考えるのは女の方。
あの時代ならなおさら秀吉が「俺、子種ないかも」というようには考えないと思う。
周りがどう思っていたにせよ、秀吉本人がそう思っていなくて
茶々が子供を生んだら「ほらみろ、他の女が不妊だったのだ」と思うんじゃないかな
0173奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/11/28(火) 00:16:22ID:HnrGs0CF0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 01:17:45ID:QDdNJUjJ0175名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 11:29:07ID:Eu4HBzve0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 13:09:55ID:fvz3oki7他の種というのならともかく、かつて子供をもうけた実績(?)があるのなら、
以後子供ができないのは女の責任扱いにされるのじゃないかね。
0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 13:32:59ID:Rw47ru/A0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 14:42:27ID:JvFM2AwT勝の字が付いてる武将が実の父親だったりしてな
まあそれだったにしても勝家はないだろうが
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 15:58:18ID:Eu4HBzve秀次は子沢山だけど父親似だったのか?
0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 17:38:26ID:j+dyknzy0181名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 00:49:18ID:vOU7xkf3ぐらいか?その間他の男ともできず?老齢の秀吉が毎日やってたとも思えないし
好みもあったろうし中には年に1回も相手にされない人とかもいたんじゃ?
やったとしても相手がじじいの秀吉。ずいぶんかわいそうな生活だな。
陰ではやってたのかな?
0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 01:07:45ID:RZUWVgmL秀吉だぞ?
0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 14:01:19ID:bjuH9NXs側室なんて数多ければいいってもんじゃない。子孫を残す目的での側室制度なんだから
ある程度の数の子供をもうけられる人数さえいれば良い。あとは蛇足、無駄。
100人に、それぞれ年に数回程度もない子種しか分配できないなら効率が悪すぎる。秀吉は頭悪すぎ。
0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 15:19:40ID:GVK66hu3ハーレムは男の夢、ってやつだ
効率だけじゃない
0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 15:35:46ID:87Y9tfxU手を付けただけの侍女やら何やらまで含めるならその位いても不思議はないが
確認できる「側室」がそんなに多数いたというのは見た事ないぞ。
0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 16:08:34ID:GVK66hu3どっかの時代小説に載ってたのを誰かがwikiに載せたとかじゃないの
意外とこういうパターンはありそう
0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 21:33:54ID:5hn2zXew最初だけ手をつけただけでそのままだったってのが小説であったな、そういえば。
0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 21:54:29ID:ZFzJbswY私も見た事あるな、その小説。
確か、妾3人いたうちの一番若い妾に野菜しか食べさせず
(野菜だけの生活をすると、体臭が芳しくなるという事で)
手をつけないままで秀吉に所望され側女として大阪城あがったけど、
秀吉はその頃お茶々が気に入りでそっちに入り浸り、結果その女は
秀次の妾として1度手をつけられ、その後茶々の侍女となったって話だったね
0189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 02:18:54ID:/uUVlhoj司馬遼だな
0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 17:01:08ID:P6gPSf/E0191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/02(土) 00:48:44ID:90lBJiA+茶々の侍女になって秀次妻子惨殺を免れたのはある意味ラッキーかも。
0192名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 13:34:00ID:C9jl57fY0193名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 13:42:22ID:dW/yldnS営んでたそうだから全滅ってことはないのでは。
0194名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 13:47:03ID:wCTYSq9H秀頼の娘や側室だって殺していない
男子を殺すのは致し方ないことだし
0195名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 14:00:53ID:8CmRGxX0忠義暑いのなら、多分女主人と一緒に果てるんじゃないかね。
もしそこで茶々が「生き延びよ」って言っていたなら
落ちる事も当たり前にあるだろうし。
0196名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 19:50:14ID:wT4YoKyqしかし、秀次の末娘は大坂の乱後に首を刎ねられたんだよな。
0197名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 19:59:15ID:FXzfbSAu0198名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 23:52:30ID:imMxsMSp0199名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/05(火) 01:09:46ID:LEGqSoXq現に秀頼の為に命をかけて戦った奴も居るじゃないか。
0200名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/05(火) 02:45:01ID:zHq5STIs0201名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 02:16:41ID:+Emq0scB0202名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 11:58:53ID:xfgUKgpVどういうこと?秀次の妻子は全員川原で処刑されたんじゃなかった?
0203名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 22:30:23ID:CrM0tQYjhttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150038398/112-
0204名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 22:37:10ID:j9+qzvpX> 119 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [sage] 投稿日:2006/12/03(日) 15:35:42 ID:loKjQsao
> >>116
> 秀次の末娘お菊は秀次事件の生き残り。
> 正確には、秀次の娘は四人のうち三人が生き残っている。
> 一人は真田幸村に嫁いでいるし、一人は梅小路氏に嫁いでいる。
> 母親は殺されているけど、娘は一人を除いて助命されたわけ。
>
> お菊は母方の祖父に預けられて成人して結婚。
> 大阪の陣で夫が大阪方についたので、彼女も密書を届けたりと夫のサポート。
> ↑無駄骨だったらしいけど。
>
> 大阪の陣で養父や夫が死んで、養家に身を隠したけど、
> 残党狩りで見つけ出されたお菊は処刑されてしまいました、と。
ついでに秀次の妻子は皆殺しじゃないよ。
第二(?)の正室の池田輝政の妹の若政所は助命されて池田家に返されているし、
↑にあるように女児は4人中3人は助命されている。
そして、生き残った女児2人は大阪の陣では大阪方に着いている。
0205名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 22:42:33ID:L6R3G75Yむしろ秀頼がいたからこそ
豊臣の世から徳川の世への天下の移行が最小限度の被害でスムーズ
にいったんだと思う。
むしろ秀頼が誕生せず秀次健在のほうが秀吉没後の天下は
不安定な状況が続き、家康も突出する機会が無くで
もっと乱れた世になっていたろう。
0206名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 22:42:55ID:VjK5DxX3長浜時代の二人の子も同一人物の妾が産んだ子で
ちと疑わしいんだよね。
0207名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 01:42:08ID:niLFB6zg確かに・・・秀次がいれば家康は場合によっては幕府を開けなかったかもしれないが、
じゃあ豊臣は安泰かといわれるととてもそうは思えんな・・・。
0208名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 07:05:44ID:PrGLNZSfそもそも淀派という勢力自体起こらなかっただろうし。秀頼が生まれていなければ。
0209名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 07:19:39ID:e1XP0VYF第二次戦国時代は確実に起きただろうと思う。
豊臣秀次は印象が薄くて分らないが器量人だったのだろうか?
織田信雄や足利義昭より器量人であれば文句無く天下は磐石に治まり
戦国時代から天下泰平の世に確実に移行していっただろうし
また、それだけの器量がなければ、たとえ秀吉に殺されずとも
大老や奉行を御していくこともできず、派閥争いや権力闘争や
群雄割拠が再度起こり戦国の世に戻っていったことは想像に難くない。
肝は自派閥をどうせ作っていったであろう家康を断罪・征伐できるかどうかが鍵
家康を成敗できるほどであれば否応なしに天下は沈静化していったはずだし
結局、成敗できなくて放置・黙認という事であれば室町幕府と同じになる。
0210名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 08:58:31ID:UaLzWENe蒲生と前田が長生きしていたら蒲生の言う通り前田の天下だったのかも。
(形としては北条執権家に近い形態だったかも知れないが。)
秀長と堀秀政が長生きしていたら秀次でも支えられたかねぇ。
0211名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 09:21:35ID:e1XP0VYFいや、むしろ第一次長州征伐で厳罰処分を下し、国替えしてれば
もうしばらく徳川政権は持っただろうと思う。
しかし日本全体にとってはもっと悲惨な状況になった可能性が否めないけど。
0212名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 14:24:09ID:Gc53KXrY0213霧夜エリカ ◆Erika.Q1tw
2006/12/08(金) 14:35:15ID:T8NEmIHX0214名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 18:49:41ID:MM//tzUy彼は必要な時に必要なことをせず、決断すべき時に決断しなかっただけの人。
だから加害者といえるほど「何かをした」わけでもなく、
また被害者と主張できる筋合いもなかった。
そういう人物に対しては、私は評価が低い。
0215名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 19:19:49ID:5T1gZs42(長浜時代に子があったが早死にしたと伝えられるとしても)、
秀吉がほぼ男性不妊に近い状態だったことは確かだろうな。
家康なんかは子の母が特定の妻妾に偏らないように、意図的に
一種の産児制限までしてる。
産婦人科医や不妊治療の経験者なら、淀の妊娠が奇跡だってことが
わかるんじゃないか?
0216名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 21:05:07ID:81dE/bPc長浜の妙法寺に秀勝の墓があることについて、小和田哲男氏は、秀勝の戒名は子供につける戒名なのか、どうか疑問視してるらしいね
0217名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 23:45:08ID:ahgA4Klg完全な種無しである無精子症よりも、精子の数が極端に少ない人や精子の活動が極めて悪い
男性不妊の人の方が多いといえるよ。秀吉はこれにあたるだろう。
だからあれだけの数の女性と関係しながら、片手に余るほどの数しか女性を妊娠させられなかった。
若い時分よりずっと一緒だった正妻でさえ一度も妊娠することができなかったのに
老齢になってからの妾が、それも一度だけならまだしも、同じ女性が立て続けに
二回も妊娠というのは不自然の極み。だから浮気相手の子確定。
0218名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 02:28:25ID:HKi74jHx時々案外普通に淀殿妊娠したんでないかと思うときも有る。
当時の高貴な女性って、「男の中の男の娘」で、本人も武芸に秀でているから
男性ホルモン濃度がかなり高そうなんだよな。
タイプ別にするとダイアナ妃みたいな。
非常に美人だけど、男装したら普通にカッコイイ兄ちゃんに見えるタイプ。
こういう人は、大抵、妊娠しにくい。
相対的に女性ホルモンが減るので
性周期が不確定で排卵の回数が極端に少なかったりしがち。
といっても、男性側の精子の出来が良く夫婦仲が良かったら
一生の間に2,3人は妊娠可能な場合が多いんだけどね。
あまり沢山子供が出来ても家督争いがややこしくなったりしがちだし
その位で普通は丁度いいんだろうけど。
こういうタイプを何人も抱えても、一人に裂ける時間が充分確保できないなら
誰も妊娠させることができず、不能のレッテルを貼られる可能性大。
秀吉の好みがそういう妊娠しにくいタイプの女性だったのが問題で
実はちょっと精子の出来が悪い程度だったのだとしたら
安産家系の淀殿ならなんとかなるかも?
0219名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 07:52:25ID:1j0V6Fdmもう何でもありじゃね?
0220名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 07:54:10ID:inEeNx2C多指症だし、弟も種無しだったし
秀吉の性機能に関して何かしらの先天的欠陥があったと見る方が医学的だと思う。
0221名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 12:42:44ID:oyhZ63pg逆だろ。
そんなこと言ったら農民なんて子無しだらけで、お公家さんは子沢山ということになるぞ
0222名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 12:46:26ID:181E4nty全然関係ねーよw
武芸の教育を受けたからって男性ホルモン増えねーし。
0223名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 13:39:05ID:1AwCd02k0224名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 23:13:19ID:kLVhb4tG秀長が長生きしてたらまぁ基本的に実力面では一切問題はなかったろうな、
強いて言えば秀次が秀長に対していらん事考えないのと、秀長が秀次に従順であることが前提だけども。
なんと言っても存在がでかすぎる、頼れる叔父様なんていうレベルではなく、
要所の大和に100万石を持ち、日本中の大名に慕われ、信長家臣時代の中小部隊から
槍と采配を振り続け、10万の兵力を指揮出来る実力はそれ自体が比類ない。
この人物を秀次がどこまで扱っていけるか、というのは難しい、
明らかに自分以上の実力を持つ配下を認めて上手く使っていくのもこれまた
大変な器量が必要なことだからね。
また秀吉がいなくなると、どう見ても日本中に自分以上の存在がいない事が明白な中で、
秀長と言う人物は抑えていける人物なのか?というのも結局はわからん。
曲がりなりにも戦国時代を生き抜いてきた人物。
家康のように、実は野心家だったなんて事も無いとは言い切れない。
万が一そうだった場合、堀辺りじゃ止め得ないだろう、まして秀次なんぞ赤子の首を捻るより簡単。
0225名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 00:14:16ID:IX4NcVQK待て待て、秀長は意図的に裏方に徹していた部分があるから、当時のひとたちにも正当に評価されていない傾向がだいぶあるぞ。
本人もそれをよしとしていた部分があるし。
それにあくまで、秀吉あっての秀長だろう。補佐役として有能でも、トップとしても優秀かどうか、またみながついてくるかどうかは不明。
0226名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 01:15:08ID:2bV4EmdZ色々遺言を残したが、秀頼を北政所の養子にする事や
自分の菩提やら位牌は大阪城内の一室で北政所が管理する事や
淀や他の妾に対して北政所に絶対服従する旨も遺言すべきだった。
北政所が内政や大阪城の内務を取り仕切れば三成を押えつけられ
武断派と文治派の両方に対する重しの役目も出来た。
実際に秀吉は戦争と政務で、ほとんど近江には居なかったが
その留守の間、北政所が家中を万全に取り仕切り身内同士の争いや
謀反などが起きなかったのだから、秀長も秀次も大政所も千利休も死に
家中を治める人間として北政所しか居ないという事に思いが浮かばなかったのは
呆けてたためだろうか?
0227名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 01:21:25ID:aQoGC3xn0228名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 01:30:35ID:twA+gZUH慕われていたってのは恐怖も意味もあるのでそれで十分。
また四国・九州平定戦のように秀吉なしでも確実に実力を見せてる合戦もあるので、
大和100万石の実力が揺るぐ理由は無い。その時点で秀次とは次元が違いすぎる。
もちろんそこから諸侯がついてくるかどうかは話は別なので、秀長が天下を取れるかと言うと話は別だが、
もうこうなってる時点でこのスレ的にはNGだろうと思うので、
まずは秀次が偉大すぎる叔父を扱いきれるかどうかということ。
0229名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 01:45:11ID:Ya7DOhB9北政所は過大評価されてるけど、
意外とそんなに能力があった人ではないと思う。
夫と同様、トップには向いてない人。
0230名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 01:56:50ID:twA+gZUHもしもこの点を見誤る人物だったとしたら夫が天下取った時点でもっと権勢を誇って自滅していたことだろう。
0231名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 02:02:48ID:IKDLn2K7教えてください。
0232名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 02:02:53ID:aQoGC3xn0233名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 10:45:49ID:2bV4EmdZしかし、家康が政権獲りに奔走しゴリ押しで豊臣家の領地を家康親派の大名に分け与えたとしたら
案外、北政所は抵抗もせず家康の好きなようにやらせてた可能性も否定できない。
芳春院のように家康に敵しえる人物が豊臣家には居ないと悟って
緩やかに家康に政権が譲渡されるのを生温かく見守ってしまった可能性もあるとは思える。
淀君のように後先を見ず、「絶対に天下は譲らん!」「全面戦争だ!」とは
やらなかった気もする。
0234名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 10:59:41ID:2bV4EmdZ豊臣旗下の子飼いの武将の既得権益を守るために
徹底して鬼になり、後鳥羽上皇と戦った彼女のように
徳川家康を敵として戦う旗印となり
徳川家を崩壊させて万全な豊臣体制を築いた可能性もあるが
北条政子ほどの器量を北政所が持ってたかどうかは妄想の域を出ない。
0235名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 13:00:45ID:iT29+GS30236名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 13:02:51ID:yEB3Id1k「豊臣の天下」というものに固執していたかどうかだなーと思う。
今回の大河じゃないけど、「私とうちの人とで作り上げた豊臣家」だという
認識だと、そこまで豊臣という家が天下人であるというこだわりがあるわけもないし。
見性院のように「夫あっての一族」という見解だと、夫の死後さっさと
家を出る事にためらいはないという可能性もある。
個人的な考えだけど、高台院はそこまで豊臣の天下を欲していなかったんじゃないかな。
夫の出世は喜びだけど、それはあくまで夫あってのものであり
その後は誰が天下をとっても自分のあずかり知らぬ場所での話し、みたいな印象がある。
0237名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 13:25:18ID:twA+gZUHそれ大蔵卿局じゃねw
0238名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 14:13:34ID:2bV4EmdZ命の保証、所領安堵、既得権益の確保に微力を尽くした程度で終わってしまったのは残念。
豊臣家の天下に対しては覚めた目で見てただろうけど自分が可愛がった大名達を守る意識だけは
しっかりと持ってただろうし、実際に、それに沿った言動をしてたしね。
0239名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 14:23:37ID:2bV4EmdZ秀吉が小田原陣中から北政所へ送った手紙やら
成人した秀頼が正月に北政所へ送った手紙を展示してたけど
それから推察すると淀君と北政所は激しく対立していたというよりは
将軍職が徳川家に奪われて以降は、淀君は秀頼を北政所(徳川家康に手厚く保護されていた)に
頼らせる事によって、秀頼の身の保全を保ちたい気持ちが表れてるように見受けた。
0240名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 15:03:22ID:aLbhNYsE0241名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 15:06:22ID:aLbhNYsE0242名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 15:17:15ID:aLbhNYsE0243名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 15:21:08ID:aLbhNYsE0244名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 15:32:25ID:ZmcFShTlしかし、北政所も言われているほど聡明ではないような。
結局子飼いの加藤、福島、小早川も改易だし
秀吉の墓も掘り返され、豊国神社も破壊されるしね。
せめて国松の遺体ぐらい引き取ればいいのに
側室の京極竜子が引き取って埋葬してるを考えると
北政所って意外に存在感のない人だと思う
0245名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 15:46:46ID:twA+gZUHそれにしては「意外に存在感があった」人であって、本末転倒だ。
0246名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 17:30:17ID:yEB3Id1k必要以上に存在や価値を誇張されている感じがあるな。
(子飼いの武将SUGEEEEE=その母代わりもSUGEEEEE!!みたいなノリか?)
秀吉の恋女房であった事は事実だろうけど、
秀吉亡き後はその辺の妻子と変わりないと思う。
0247名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 19:19:23ID:Ya7DOhB90248名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 19:58:15ID:2bV4EmdZ家康の本性を見抜けなかった点では普通のババアと言われても仕方ないかも。
しかし家康が豊臣家の家臣の大半を騙す程の超一流の役者だったと考えれば
ネネがどうこうより家康が超人だったと考えざるを得ない。
0249名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 21:35:51ID:aLbhNYsEある資料で、秀吉の死後次に天下を取るのは徳川だから徳川の味方をしろと子飼いの武将に言ったと書いてあった
0250名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 21:38:54ID:2bV4EmdZいや。そうじゃないよ。秀頼うんぬんに関してはある程度悟ってたとしても
子飼いの加藤・福島・秀秋の改易を読めなかった点に関してだよ。
まさか改易されると知ってたら北政所は間違っても子飼いの大名たちに「家康に味方しろ」だなんて言ってないよ。
0251名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 21:50:22ID:Y71Xw9CL秀秋は跡継ぎがいなかったし、そこまで北政所が面倒見られるかなぁ
西軍についたとしても新体制で後の代までの家の保証は無理じゃない?
0252名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 21:51:10ID:aLbhNYsE滅ぼされていたと思う
0253名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 22:16:45ID:153WVUS7つか家康自身も、もともと改易させるつもりがなかったっていう説もあるし
0254名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 16:15:54ID:4YNunU3C0255名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 22:23:56ID:t1s30Cjr治長や三成って巨漢なの?
それとも他の巨漢が父親なの?
0256奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/12/12(火) 22:26:20ID:hOPcJ25q0257中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/12/12(火) 22:27:45ID:ojQiwknP0258名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 00:38:47ID:i+4Xx5dL0259名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 00:47:59ID:N13WuH67末娘のお江がまさにそんなに体型。
0260名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 13:35:43ID:w5tvQeX90261名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 14:14:01ID:Sm//0/z7美意識の問題を含むから結局良く分からんとしか言いようがない。
女性だと分かり易いけど例えば現代だって「肥満で巨漢」でも力士みたいな
感じなら男前といって問題ないわけだし。
0262名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 15:07:00ID:rz5Av01Hアフリカでは太ってる女性の方が持てたと思った。
また平安女性の美の基準にもふくよかとかとかも(黒い長髪もだが)あったはず。
五月人形や金太郎モデルから判断すると武士も福福しい方が恰幅が良いと
判断されただろうと思われる。
秀吉のように背が低くて痩せてるのは見た目で損をしたと思う。
曹操は呂布から「このガリガリ野郎!」と罵倒された記録があるので
当時の中国でも痩せてる事は格好良くないというイメージがあったのかもしれない。
中国で痩せてる方が美しいという風に解釈され始めたのは清代からだと思われる。
清の皇帝は、それまでの王朝の皇帝と違い痩せてる者が多く
チャイナドレスとなった清の女性の服装も痩せてる女性には似合うが
太ってる女性には似合わない。それまでの中国女性の服装とは180度
コンセプトが違うので、多分そこで美的感覚の逆転現象が起きたのだろうと思われる。
ちなみに江戸中期は胸や尻のデカイ女性は鳩胸、出尻と呼ばれて馬鹿にされた。
0263名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 15:13:31ID:4mxqjOZy杉浦日向子の本で読んだけど、江戸時代は力士がモテたらしいから、
戦国時代でも色白デブ=かっこいいって認識だったのでは?
つーか江戸期に作られた講談の方が多いだろうから、デブ長政=かっこいいってのは江戸時代の認識かもな
0264名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 16:19:19ID:odlAROXd0265名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 20:25:17ID:w5tvQeX9ドラマなどに登場する長政は現代の感覚での男前で設定されているのか
わりと細面のイケメン風だよね。実際はピザ・・・そして秀頼もピザ。
こうなってくると戦国一の美女と誉れの高い市も怪しいものがあるような。
肖像画を見る限りは、はかなげな感じで美しいと思うが。
>>262
横槍入れてすまんが、清の宮廷婦人の服装は現在のチャイナドレスとは程遠いよ。
体の線がぼやけるほどダブっとしているし、漢服に比べて洗練されてない。
やはり遊牧民の実用性重視の防寒服なんだなと思わせる垢抜けない形態のデザイン。
0266名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 20:27:18ID:ciIY/neT女好きの秀吉もしかり
夫が梅毒であるという事実を知るのは長年連れ添った寧々
となると、当時秀頼は秀吉の子であると認識されていなかったのでは?!
関が原の正則、清正ら寧々子飼いの武将の離反
うなずけるな
0267名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 20:54:41ID:Sm//0/z7上でも言われているように、現代の感覚でピザだろうと当時の基準でどうだったかは
また別の話、てのがテンプレ解答。
市も同じで現代人から見てどうあれ、当時の人にとっては美人だったのも知れない。
むろん直接見たわけじゃないから結局はわからんのだが…というかこのての議論は
たいていそんな決着にしかならんから正直あんまり意味ないと思うんだけどな。
0268名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 21:24:12ID:odlAROXdオクレ体型は昔も今もダメダメだな。
0269名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 21:28:49ID:SopapHeWお市は小柄どころか長身だよ。
着物着てもおはしょりが作れなかったとか。
巨漢の長政と長身のお市の娘の茶々も大柄だったらしい。
0270名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 22:46:44ID:98XY8az80271名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/14(木) 06:41:37ID:cFZSmZWw秀次が秀長を抑えていくというより、秀長が秀次を守り立てていかなきゃならない立場だろ。
叔父と甥が争うケースとは、叔父が自分の子に継がせたい場合がほとんど。
なんのために秀吉が秀次を後継者にしたんだ? 一族の中に他に有力な後継候補がいなかったからだろ(秀頼誕生までは)。
秀長が秀次を押しのけて天下を奪ったとしよう。で、その天下は誰に譲るんだ?
そう考えれば秀長の方こそ、秀次を大事にしなければならない立場。それほど秀長も愚かじゃないよ。
0272名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/14(木) 18:58:07ID:4MrPMHbS0273名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/14(木) 22:29:45ID:tVN3xJdz秀吉という天才が上にいればこそその論も当てはまるが、
秀次がそれに及ぶ事はあり得ない、その下にいるうちに秀長の心境に何が起こるかなんて、
誰にもわからんと思うが。秀長は秀次の弟を養子にしてるし。
また、秀次の周りにも勢力が出来てくる訳で。
家康があそこまで牙をむくとは当時の誰も予想できなかったろうし。
0274名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 22:47:08ID:epO3Gu+B豊臣家を割って、弱体化させてまで。
そこまで秀長が愚かだとは思えないがな。
豊臣家全体で考えてみなよ。
0275名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/16(土) 02:19:18ID:Ctk0cr2l他の凡百の武将だったら、むしろそれまでの経歴で見ても裏切るなんて思わない。
だけど俺は秀長と言う人物の実績は決して人がいいだけの弟ではないと思うんだよ。
愚かじゃないどころか、秀吉に勝るとも劣らない能力を持っていたと思うんだよね。
それに比べて秀次は排除すべきではなかった、という以上の存在ではないのはもう明らかだし、
古今東西見てもここまで実力のかけ離れた身内同士で完全に巧く行ったケースって少ないんだよね、
そして必ず秀長に頼らなければ、大老らは抑えきれないのも事実な訳で、
そうである以上秀長が事実上の指導者になるのは目に見えてる。
そうなった時に秀次とその周辺の人物関係もあるという事。
0276名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/16(土) 10:24:35ID:6ud9nYeo秀吉にしても、秀頼が産まれなければあくまで秀次に後を託すしかなかったわけで。
秀頼が誕生したからこそ、秀次を排除してもかまわなかった。これも叔父甥の関係。
秀長が天下を奪ったとして、ではその後継者を誰にするか。秀吉があれだけ悩んで、身内の中ではまだマシな方だった秀次に
決めたその苦労を、また秀長がするだけのこと。今度は秀次という選択肢がひとつない状態で。
家康と秀忠も、能力的にはかなりかけ離れているが、それでも誰かを後継者に指名し、その者を守り立てていかなくてはならない。
家康が天下を奪ったのと、秀長が奪う場合とはまるで意味が違う。自分の首を絞めるだけ。
0277名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/17(日) 03:26:04ID:Ao/X+6WW秀次は・・・というより秀次の周囲の人物が秀長を排除にかかる可能性があると言う事。
秀長が事実上秀次の上に位置してる限り、当然秀長の配下らの方が秀次の配下より力を持つ、
その中で諍いが起こらないとは思えない。
実際関ヶ原だって、豊臣家臣同士の争いが無ければああも家康に漬け込まれる事は無かった訳で。
0278名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/17(日) 03:28:10ID:Ao/X+6WWそれだけで言うなら争う理由などあるわけない。
でもそれは一大名、一武将同士での話、天下人とその宰相ともなれば話は全然変わる。
0279名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/18(月) 05:54:31ID:g7h6j5wGだからそうならないように、年長者の秀長が、後見役に徹するだろ。
秀次派と秀吉派がいがみあったのは、あくまで秀頼が産まれて秀吉が秀次をないがしろにしようとしたため。
キミは秀長を高く評価しているようだが、それならなおさら、息子溺愛した最晩年の秀吉並の判断力しかないということはないだろう。
秀次をたてるように、一歩身を引くさ。そうしなければ、豊臣政権自体が危ないのだから。それがわからぬ秀長でもあるまい。
関ヶ原はそもそも家康に対抗できる存在が豊臣家中にいなかったため。
それでも、後継者が秀頼ひとりしかいなかったから、織田家の跡目争いのように豊臣家VS豊臣家という構図にはならずにすんだ。
(本当は家康としてはその方がさらにつけこみやすかっただろうに)
0280名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/18(月) 22:39:04ID:S/DHp4UU実際そういう身内の争いは大抵、本人同士は大して関係ないもんだ。
応仁の乱もそうだし。
0281名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/18(月) 23:59:13ID:g7h6j5wG秀長に息子でもいるなら、秀次を排除する理由(及び豊臣家が2派に分かれる理由)はあるが、そうじゃないから
秀次を立てざるをえないといってるんだろ。代わりがいないんだから、後継者争いになる余地がない。
そもそも、代替わりで一族の長老格の実力者が若い後継者を補佐するのはよくあることで、うまく機能した例はいくらでもある。
叔父甥でいうなら、保科正之はその好例だ。
0282名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/19(火) 06:51:05ID:hezfzAuBたかだか一大名家ならば俺もこんな事は言わない。
家臣団を見る限り豊臣家ならば大丈夫と出来る根拠が薄すぎる。
0283名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/19(火) 06:52:56ID:YZiJQ4YY>応仁の乱は完全に後継者争いじゃないか
とんでもない、そんな単純な戦じゃないよ。
たしかに発端は室町将軍家と河内畠山家の後継者争いだけど、
あれほど長期間の大乱になったのは別の要因が絡んでいるため。
0284名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 14:42:50ID:w0AyvJqQhttp://www.shimogo-kyosaikai.org/bunkazai/no9/image/img01_asai.jpg
豊臣秀頼
http://sans-culotte.up.seesaa.net/image/toyotomi_hideyori.jpg
お市
http://www.biwa.ne.jp/~kohoku-s/chiiki/img_kank/odani04oiti.jpg
どうみても、祖父の隔世遺伝が強いな。父親は、誰であっても
長政の遺伝子が強かったら結局、ピザには変わりは無いとw
0285名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/21(木) 21:16:48ID:i2+xqj9U>たかだか一大名家ならば俺もこんな事は言わない。
ひょっとして保科正之知らないのか?
幼い将軍家綱を補佐し天下を治めた叔父(家光の実弟)だぞ。まさしく天下人とその宰相そのものなんだが。
それと応仁の乱が様々な思惑があったため(それと当事者たちにことを収拾する力がなかったため)あれだけ長続きしたのは事実だが、
それが豊臣家とあの時代にもあてはまる根拠は?
実際に、家康という出色の人物がいたから、豊臣家が揺らいだ後も元の戦国に戻ることなくわずかな混乱で天下は治まっている。
応仁の乱とは時代背景も何もかも異なっているんだが。
0286名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 03:06:20ID:X3zJ8ZvTいくらなんでも過大評価しすぎでしょ。
100歩譲って宰相だったとしてもこの状況下での秀長と、
比較できる人物じゃないだろう。
んで応仁の乱と情勢が違うというけど、情勢が変わったのは
関ヶ原や大阪の陣を経た事で家康が大名家の植え替えに成功してるからでしょ、
破壊する側の家康はそういう合戦を望むところだけど、
まだまだ外様が元気なあの情勢で豊臣側がそれをやったら応仁の乱より
酷い情勢になる可能性すらある。それで豊臣家がもつのか?
0287名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 23:12:12ID:5PEnS2IGそれと本当に保科正之のこと何も知らないってことも。
知らないなら、少しは調べてから書き込もうよ。まじめな書き込みにはまじめに応対するからさ。
それと、大名家の国替えの話なんて誰もいってない。後半の文章は(も)意味不明だ。
0288名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 02:35:54ID:oIpCj0WGそれでこの状況下での秀長と比較対照にするには過大評価が過ぎるだろう。
一体何が出来るの?、そんなに保科正之を評価するなら彼が裏切った場合
家綱の治世がどうなるかを聞かせて欲しいところ。
秀長が裏切った場合は秀次を潰すくらい造作も無いだろう。
0289名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 08:49:14ID:3AF2sUPkそれはそのまま豊臣家滅亡の道だと何度も説明しただろ。
家康が秀忠を裏切って潰すのは造作もない。だがそれになんの意味がある?
キミがいっているのはそれと同じ。
元百姓の成り上がりであるだけに
・譜代の家臣がほとんどいない(有力大名はほとんどが元同僚か、かつての敵。いいとこ与力くらい))
・一族&後継者が極端に少ない(子がいないのも致命的だが、一族でまともだったのは秀長と長政くらいしかいない一族)
これが豊臣家及び豊臣政権のウィークポイントであり秀吉&秀長が苦労してきたところ。
それをふまえた上で、秀長が秀次を追い出すことがありえるかどうか考えてくれ。
本人の意思とは無関係に派閥ができるといったが、それも家康秀忠親子に当てはまる関係だよ。秀長はそこまで愚かじゃないと思うな。
0290名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 12:41:55ID:oIpCj0WG保科正之はどこいったんだよ。
0291名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 12:49:18ID:ZjVuXOr70292名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 13:07:46ID:EcOEo4dw0293名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 15:41:57ID:k74Q/ss4アホだと思ってた秀頼のオ−ラに圧倒され、
自分の生きているうちに豊臣家滅亡させておかないとやばいって思った話は、
スル−ですか。
0294名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 16:33:18ID:E/hagV4Zあれは、自分が老齢である事で秀頼の若さに嫉妬したとか、次男秀康亡き後の家康の息子達(忠輝は除く)は、
脆弱(貧弱)な秀忠と、幼い三兄弟(尾張、紀州、水戸藩祖)しかいなかった点。秀頼が2メートル近い巨漢だった為。
まぁ、カリスマはその大木から自然と血統の流れで少しは出ていたんだろな。そりゃ、20前後の巨漢な青年を70歳の
老人が見ればびっくりするだろ。圧倒される感じでね。で、家康は大阪の陣に踏み切った訳だが最近では、秀忠が積極的
に本多父子や金地院などの謀略を利用して潰そうとしたみたいだね。実際、大阪の陣で大阪城で秀頼に味方する大名が
一人もいなかった点は徳川家康の器量のが遥かに上だと諸大名も思ってたんだろう。しかも、秀頼って、秀吉の子供じゃない
って事も薄々、皆知ってたんぢゃないかな。秀頼の最後の大名としての臣は、加藤清正と浅野幸長だけ。両人の死後は彼の
運命は死しか残って無かった。
0295名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 17:39:14ID:VGcQUiGF0296名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 17:45:09ID:lCep5Acw顔は丸顔で眉毛が太く、鼻はだんご鼻ということぐらいはわかっている。
家康のDNAと照合してみたらおもしろそうだ。
0297名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 18:17:53ID:k74Q/ss4栄養の部分が大きかったんじゃない。
それは、戦後の日本人の身長の伸びを見れば明らか。
戦前までは、
デブ巨体=金持ちの象徴
だったんじゃない。
好きなだけ好きなもの食べれる人なんて限られていた訳だし。
0298名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 19:07:13ID:2mEOwn5W血縁者の出自から考えると、土豪クラスだった可能性が高いみたいだし。
実際問題として、自分で農耕もし多少の経済的なゆとりもある土豪クラスが
一番体に良いもの食ってるよな。
0299名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 19:11:59ID:3AF2sUPk288の質問に答えておこうか。
家綱には息子がいなかった。だから正之に野心があるならば、彼か彼の息子をその後継者として擁立させれば
容易に主家のっとりは可能だった。
実際、家綱の後には宮将軍を擁立しようという動きもあったくらいで、近親で実権も握っていた正之の家系に宗家が
移ることは十分にありえる仮定。正之が望まなかったから実現しなかったが。
少なくとも、実子のいない秀長には無理な方法だな。
で、秀長が秀次から天下を奪って、その政権をどうやって維持するんだ? 誰に継がせる?
0300名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 20:45:15ID:btAM5OrCピザの遺伝子が勝つような気がする。
0301名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 20:46:19ID:k74Q/ss4体によい食べ物って言うのは、飽食の現代人が考える発想で、
少なくても身長が伸びる事とは関係ないよ
0302名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 20:53:02ID:oIpCj0WG他の老中はそれを眺めてるの?ありえなくない?
そうやって将軍家を巧く操ろうとして、弾き出された老中も多いというのに、
保科正之がそれ以上の存在とは残念ながら思えんが。
秀長とは固有の武力という点と外様の五大老に張り合いうるという時点で桁が違う。
0303名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 00:38:45ID:jls1R+Ox0304名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 00:44:51ID:Etchl89+家康ってデブデブ言われてるが年をとってからデブになっただけだぞ。元々は、若い時から武芸に励んで
乗馬、弓、剣術に優れていたと言われる。もっとも、今の人間から見たらピザには変わり無いがw
0305名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 00:45:08ID:jls1R+Ox残念ながらそれはない。せいぜい雑兵あがりがいいところ。
ただ秀吉の親父の弥右衛門が蜂須賀小六の親父の部下だったことは
考えられる。たとえ苗字なしの極貧の小作人出だとしてもね。
0306名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 13:11:18ID:EIfbh80W小作人か土豪かもわからないじゃないのか。
そしたら出自が明らかになってない奴ら全員小作人出身になっちまう
0307名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 13:16:31ID:eP4lHFTj豊臣家が滅んだことは全く関係なし
0308名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 13:20:23ID:xvbbYPvj>脆弱(貧弱)な秀忠
増上寺を掘り起こした時に、歴代将軍の遺骨も調べられたけど、
秀忠は身長160センチほどで、骨太のいかにも戦国武将って感じだったそうだよ。
時が経つ程、徳川将軍の骨は公家化し骨の細い弱弱しいものになっていったそうだけど、
一番古い秀忠の骨はきちんと残っていたらしい。
秀忠以降は公家化が進んだにせよ、秀忠は戦国武将としての
平均値はあったんじゃないか?
0309名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 13:28:25ID:nXtOw4W/信玄のように、体が弱くて安全な本陣でしか指揮を取らなかった人でも将としては有能な訳で
大将としての能力って、本人の身体能力とか、勇敢さだけじゃないんだよね。
0310名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 14:05:08ID:x5KGsU/z信玄に敗れて、糞を漏らした直後に書かせた自画像では
家康は随分、痩せてるよね。その時点では、さほど太ってなかったと思う。
おそらく秀吉に屈する前後では太っていたが
その後、健康問題を真剣に考えるようになり養生訓に彼自身が書いてるように
肥満は健康に良くないという意識を持って老後はダイエットを実行していたのだろうと思う。
0311名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 14:18:27ID:Fgg92Kz+死んだらすぐに痩せて長生きしただけでしょ
0312名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 15:06:31ID:5GDLb40+信玄と戦ってた時は激務だろうし、げっそりしてて、秀吉と手を結んでからは40代入って太りだしたのだろう
>>311 秀吉死後痩せて長生きって????
当時は多少太ってるが健康の証だろう。今とは食糧事情も違うし。
家康が健康の為に鷹狩りや、薬飲んだりしたのが長生きの証ならともかく、ダイエットとはw
0313名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 16:17:46ID:jls1R+Ox0314名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 17:04:57ID:8Vmtn6QB実際にそうやって主家乗っ取りに成功した一橋家の例があるのだが。
定信が止めねば、治済はもう少しで大御所になるところだったし、他の御三家・御三卿にも養子・嫁を送って
そのほとんどの乗っ取りに成功。
少なくとも、秀長より実現性の高いのは間違いない。
固有の武力を持とうが、五大老に張り合えようが、秀長が豊臣乗っ取って、誰に継がせるんだ?
その答えをまだ聞いていないよ。秀長が死んでおしまいになるなら、そんな意味のないことを秀長がするわけがない。
0315名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 18:13:59ID:xKoH7J+D正確に言うと自分の配下と秀長の配下の調整まで全部。
それができなきゃ争いが起きる可能性を否定する事などできない。
秀吉の下だけですら武断派・文治派でわかれてるのに、それにさらに秀長の直属の配下の権力が強まって、
さらに秀次の側近の権力も強まる、実際それも秀吉の虐殺に繋がった一つの要因だし。
これに江戸時代とは比較にならないほどに強力な外様大名の圧力が加わってくる情勢。
これらが丸く収まると思う根拠が欲しいんだが。
秀長が天下を奪って後継を誰に・・・とかそういう問題ではない、まず自身の身の安全の確保の問題。
それは既に>>228の時点で言ってる。
上記に比べれば徳川家内での後継争いは所詮家康・秀忠・家光が100年かけて創り上げた箱庭の中での
争いに過ぎない、誰が継ごうが彼らにとっては可愛い子孫が継ぐ訳で。
0316名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 18:20:34ID:8Vmtn6QB>正確に言うと自分の配下と秀長の配下の調整まで全部。
だからそれは、秀忠と家康の関係にもあてはまるだろ、と言ってる。
駿府に発言力の強い大御所(及びそのブレーン)がいて、江戸の将軍はやりくい立場ではあったが、それでも両者はうまく
機能して、同族争いなど起こっていない。
代替わりのたびに同族間の争いが起こっていたら、それは当事者がよほど愚かな場合のみだ。
0317名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 18:30:08ID:xKoH7J+D売り言葉に買い言葉で出た発言だと思ってわざとそこはスルーしてたんだが本気?
だとしたらもういいや、俺から何も言う事はない。
0318名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 18:36:55ID:8Vmtn6QB実際に、後継者を指名しいったんは引退した先代が、再び実権を獲り戻したのが秀吉と秀次の例だ。
実績の大きい同族者の扱いが難しいのは、それが先代自身でも先代のブレーンでも違いはない。
違いがあるなら、どこがどのように変わってくるか具体的に指摘したら?
言ったろ。まじめに書き込むならまじめに応対すると。
0319名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 23:22:04ID:x5KGsU/zもしくは勝頼と武田逍遙軒信綱の関係の方が、もっと近いかもしれない。
明らかに主君の勝頼より発言力が大きく心の底から勝頼を見下し
諸将の前でも御一門筆頭の座を明らさまにして尊大に振舞ってた。
そして、俺こそが武田家の家督を継ぐべきだという気持ちが噴出して
あっさり勝頼を裏切って織田家に信濃・甲府を献上してしまった。
でも人間のあくの強さとか考えると、穴山のような酷い事を秀長がするはずないし
人間ができてるから、きちんと甥の秀次に従って立ててただろうという事は
想像に難くない。多分、自身は以前よりも目立たないように発言も差し控え
官位なども返上して家督を子供(養子)に譲って出家した可能性も相当高い。
0320名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 00:07:45ID:11duRH82それが現実的かも。
しかし出家してそこまで実務から身を引いてしまったら結局外様連中を抑えられない、
かといって出家しても信玄のように号をつけただけでは出家の意味が無い。
難しい所だな。
0321名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 00:44:16ID:swns4sydもちろん外様を押さえつけられないんだけど
高台院のように諸大名への影響力は持ち続けただろうと思うよ。
本人の意思とか無関係にね。
0322名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 00:48:20ID:11duRH82収拾つかないまま次の世代へ持ち越してしまいそう。
0323名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 00:51:12ID:swns4sydたとえば淀君の父(浅井)や叔父が生存して家を保っていたら
豊臣政権内に侵食してきて官職や軍権を一族で抑え
家康なんか出る幕もなく
逆らおうモンなら七族まで誅殺したんじゃないかな。
実質的な日本の王が淀君になって、彼女の庇護下で秀頼が安穏と生活を送れた可能性もなきにしもあらず。
0324名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 00:54:52ID:swns4syd外戚の浅野氏が我が身を盾にしてでも絶対に北政所政権を守り通す事は想像に難くない。
0325名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 09:09:27ID:FcUGzuwB0326名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 13:47:45ID:oOV4QP/L淀より味方する大名は多そうだが
0327名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 21:51:52ID:b77EETCH他はまだなんとかなるとしても。
秀長が生存していたとしても、せいぜい前田利家くらいの働きくらいだったかと。
家康が恐れていたのはあくまで秀吉だったしな。
0328名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 23:27:17ID:jNIboLTh0329名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 18:17:14ID:cYIRN6jKどっちだろうか
0330名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 09:21:40ID:66H5iMqVねねだけに原因があるとは考えにくい
あれだけの女とやったのに茶々しかデキてないんだし
0331名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 18:47:20ID:zHEFt0Da0332名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 00:26:56ID:vzmziUu0精子の活動が極端に悪いかのどっちかだろう。だから運がよければ妊娠はする。
しかし、いずれにしても続けて二度も妊娠するほど受精率が高いなら上記のような
男性不妊の定義には当てはまらなくなる。相当数打って当たる程度の確率でしか妊娠できない
男性不妊の精子で同じ女が立て続けに妊娠するのは医学的見地から見てありえない。
それほど受精率が高いのなら、初期の段階で正妻であるねねが妊娠しているはず。
0333名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 00:50:37ID:2h0fg/5z鶴松が成長してれば日本史も変わってただろうね…。
0334名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 00:58:55ID:2vlXehgc影響は飾り程度で、実権もへったくれもなかっただろう。関白にするに
は幼すぎて朝廷も許可しないだろし。ただ鶴松も秀頼も生きてれば淀の方
がどちらか一方を三成に貸した可能性がある。そうすれば関が原で東軍に
ついた大名が西軍について西軍が勝利した可能性もあったかもしれないな。
0335名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 01:26:11ID:ncn0BE/Uまた秀次を関白にもしてなければ、彼に切腹させる事もなかった。
さらに言えば、三成が武功派武将に、あそこまで嫌われなかった。
秀吉は鶴松が死んだ後、半狂乱になって豊臣政権を自ら破壊する行為ばかりしたが
それらの愚行が無ければ人心も豊臣政権から離れず
家康の豊臣政権を切り崩す戦術があそこまで上手くいかなかったろう。
秀次一人が生きてるだけでも家康は傍若無人な行為はしずらい。
0336名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 01:32:24ID:ncn0BE/U秀吉は彼をどうする気だったんだろう?
公卿の一人として右大臣程度のポストを与えてそのまま置いておくか
もしくは、どこかしかるべき土地に数十万石を与えて三好秀次か
豊臣秀次か分らないが大名としてあげるか
もしくは、どこかの大名の養子として送り込み、蒲生秀次とか吉川秀次とかにして
地方へ追っ払っただろうか?
0337名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 06:50:10ID:vCy3AaSb〜れば
〜たら
〜れば
こればっかだね
0338名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 09:16:51ID:yOKLV4vdあるようだ。
秀頼がいなくて秀長が長生きしたとしても、秀長は豊臣家をまとめることもできずに秀次と不毛な同族争いして家康を喜ばせるだけだろう、
なんていってるくらいだ。
やたら秀長を過小評価している意見には首をかしげるが。
0339名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 16:34:23ID:ncn0BE/Uまだ、新生で先祖代々の家来も居らず
信長が次々とつけた武将を配下にさせられ
蜂須賀党のような、おそらく気性の荒い山賊みたいな人から
秀吉を上司とすら思ってない与力武将から内政のために登用した奉行系の
人まで様々雑多に居たのに、秀吉自身は東奔西走で安土・京・岐阜・尾張
その他様々な戦地に走り続け、その間の残された武将を喧嘩もさせず
丸くおさめ、なおかつ戦地でも、それらの扱いづらい部下を持ちながらも
並以上の戦績を収めた。これは十分に名将の評価は与えうるし
利家と比べても全然ヒケを取らない。
大軍を率いる武将の格というか能力から言えば
信長、秀吉、家康>利家、秀長>越えられない壁>秀次と見て良いと思う。
また、家内をまとめる調整能力を見れば、秀吉にすらヒケをとらないかもしれない。
治めるのが難しいと言われた大和の国を大規模な一揆や大虐殺も伴わず
なんとか統治する所までこぎつけたんだからね。
利家の方が徹底して一向宗の弾圧や圧政をして不器用な統治の仕方だったとさえ思う。
0340名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 18:55:24ID:fL4v10al上の方の論争は秀長の能力や勢威を過小に評価してるもんじゃないよ。
まあ327はおかしいけど。
0341名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 18:56:18ID:nUb86iJF0342名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 19:12:47ID:yOKLV4vdそうかな。
秀長vs秀次をしきりに主張していた意見があったが、あれこそおかしいだろ。
327はどこがおかしいのかさっぱりわからんが。
0343名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 23:33:38ID:/kDUz6Epましてあの豊臣政権の状況で、当主が秀次じゃ。秀長がいくら優秀でも無理ある。
上で秀長が隠居してしまうかもしれないと言う意見があったがそれが一番ありえそう。
0344名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 23:35:07ID:/kDUz6Ep0345名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 11:21:41ID:yu0sIai00346名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 11:23:34ID:yu0sIai0秀次と協力しあうのも無理な狭量な男と。
輝元を支えた両川のような立場は期待できないってわけね。
それこそ過小評価だろ。
0347名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 11:45:08ID:Vrz9jZWn「天にニ日なし」を良く知ってただろうから
主君に少しでも自分が猜疑心を持たれる可能性を感じたので
身を韜晦して隠遁したのだろうと思う。
秀吉と秀長は肉親の上に精神的にも裏切る事や猜疑心を持つ事自体が
ありえない関係だったかもしれないが、秀次と秀長がそうだったとは
思いがたいからね。もし秀次が項羽のように親族にだけ物凄く甘いと
定評のある人物であれば親族は身を韜晦する必要もないが
多分、そんな事はないと思うので、秀長はおとなしく隠遁したでしょう。
それを持って無能なんて評価はできない。
それだったら上記の張良や黒田如水が無能で、ハンゾウや項伯や秀次が
優秀だという結論になってしまう。
0348名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 11:56:23ID:Vrz9jZWn秀頼誕生を大袈裟に喜び、自らは「日本国を守るために防人をしたい」などと
九州か北海道への赴任を願い出るなり
「政治に疲れました、もう出家して余生を穏やかに過ごしたい」などと隠遁を申し入れれば
秀吉は喜んで認めてたんじゃないだろうか。
それでも、三成あたりが秀吉に何かを吹き込んで隠遁した秀次を殺害させる可能性はあるだろうけど
秀吉が死んだ後に偽書まで作って秀次を殺すほどの大胆な事を三成はできる人間でもないだろうから
多分、秀次自身は寿命を全うできたでしょう。
0349名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 18:03:12ID:ozehYDIg0350名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 19:21:10ID:2CjrU6R80351名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/30(土) 11:47:29ID:PLcnFcku彼の死因一つをとっても、そうだし
実年齢に関しても疑わしい部分があるし
秀吉のSEX回数に比しての極端な子の少なさや
弟の秀長も子が出来なかった点や、秀吉が多指症であった点からも
秀吉の遺伝形質や染色体異常に関しても、彼のDNAが万一採取できたら
面白い研究結果が出るんじゃないかと思える。
0352名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/30(土) 18:50:15ID:Ai4bJlPMでもって秀次の弟で秀保というのをその娘の婿として養子にしていた。
彼のDNAは採集不能だろう。
墓も骨も家光のアホがどっかに投げ捨てちまった。
0353名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/31(日) 10:06:33ID:7syHOwE1小一郎は兄と違って側室などの浮ついた話も聞かないし、
経歴をたどってみる限り、実は忙しすぎて子を作ってる暇が無かっただけなのでは・・・と思う事がある。
0354名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/03(水) 23:17:16ID:nheKVNFi狡兎死して走狗煮らる、の例はたしかにあるものの、漢の高祖はその代表例で、あそこまで
功臣が粛清されていった新政権は珍しい。
秀次が、高祖ほどに周辺を切り捨てていくと定評のある人物であればともかく、歴史を顧みれば
身内に優しく一族で盛り立てていく方がむしろ一般的。強大な敵が残っているならなおさらに。
まして秀長は調整能力に長けた武将で、その実績はキミが>>339で書いてあるとおり。
秀長なら秀次を立てながら、豊臣家を支えて家康に対抗していくだろうと思う。が、仮に隠遁
するとすれば、自分が何をしても家康には敵わないときっぱり諦めた場合かな。
高台院のパターンだね。
>>349
全然。
秀吉でさえあれほど手を焼いた家康を、秀長なら翻弄できる、とはとても思えないからね。
0355名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 03:01:43ID:cLWw89vL秀長が総大将として100%実力を振るえるのであれば、秀吉と同じく家康を抑えることは可能だと思われる。
だが秀次の政権であってあくまで秀次の補佐としてという程度のものならば
それは難しいかもしれないし、変に秀長が秀吉同様の権力を持てば、史実の秀吉と秀次のように、
軋轢が生まれてしまう事もありうるわけで、彼の性格を考えると、そうなる前に隠遁する可能性も高いと言う事。
前田利家と比較する方がおかしい、実績が違いすぎ。
0356名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 08:15:40ID:z9zDO/mg家康ならなんでもできるなんて考えてそうだ。
0357名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 13:44:23ID:Hfl/xEGL掣肘できたんだから秀長ならいっそうでは。
0358名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 08:21:11ID:vWF/TJEgどのへんが?
戦場では(局地戦とはいえ)負けて、搦め手でなんとか和睦させ、臣従させるのにも妹を送って母親まで送って、それでようやく
挨拶に来た家康を、半ばだまくらかして臣下の礼を取らせてとりあえずまとめて、その後も細心の注意を払い最重要人物として
扱っているぞ。秀長や利休たちの尽力もあったから知ってるはずだろ。
三河から切り離したり、石川数正を引き抜いたり、いろいろ揺さぶりをかけたものの徳川家はまったく弱体化せず、朝鮮出兵も
拒絶され、結局豊臣政権の中でも別格の存在のまま、最期も家康を筆頭とする五大老に秀頼のことを託す形にせざるをえなかった。
家康の最期と比べればどれだけ不安定な政権状況だったかわかるはず。
秀吉&秀長でさえ、そこまでするのが精一杯だったのに、秀次&秀長で、状況が好転する理由がないだろ。
0359名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 10:33:07ID:do1GiG3vどのような形で政権奪取をおこなえるんだろうかという疑問があるんだが。
つか家康がそういう動きをおこなえるもんなんだろうか。状況や条件は史実よりも
厳しくなってるのに。
0360名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 10:36:17ID:do1GiG3v0361名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 21:33:29ID:cYPKoKuRというか秀次の存在はこの場合マイナスにしか働かんと思われる。
存在する以上は秀次があくまで君主であって、秀長はそれ以上の能力は出せない。
0362名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 21:54:25ID:kkXGe7RN0363名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 22:03:47ID:cYPKoKuR0364名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 22:38:45ID:NFM07Y+z0365名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 23:43:33ID:LL4CAUFn本姓で呼ばなきゃいけない理由でもあるのだろうか
平頼綱みたいに名字が不明もしくは使ってなかったというなら話は別だけど。
0366名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/07(日) 00:00:32ID:1U57xFsZ家光って秀吉の墓だけでなく秀長の墓も荒らしたの?
0367名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/07(日) 02:34:44ID:VnyQHHxF何が楽しくて続けてるの?
0368名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/07(日) 06:18:46ID:L+EBTGuj秀長の司令官としての力量も、政治的戦略的なお膳立てを秀吉がしっかりした上での物だからな。
参謀も黒田官兵衛とか蜂須賀とか居るわけで。それに重要な政治的な判断も秀吉が行う訳だしね。
秀吉死後の豊臣家の政治的難色を乗り切るのは、もっと実行力の有るタイプの政治家が必要だと思う。
仮に秀長が長生きしていたとして、秀吉死後の派閥争いを押さえきれるのだろうか?正直、三成一人押さえられたか疑問だよ。
利家と大差無い役回りでないのかね?
0369名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/07(日) 07:42:39ID:+viUpYFu朝鮮出兵でも渡海こそしなかったものの名護屋城の普請や大船の建造、
九州での出陣など大小様々な賦役を課せられてる
秀吉が豊臣政権下の家康を優遇したのは事実だが別にそれは家康を持て余してたとかそういうわけじゃなく、
変な言い方だが家康の人間性と実力を信頼してのことだろ
本当に邪魔ならそれこそ難癖つけて攻め滅ぼしてるよ
0370名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/07(日) 09:02:58ID:6uFoqYk20371名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/07(日) 12:34:57ID:RknJFRGQその話はとっくに終わってる訳だが。
>>368
秀長は紛れも無く豊臣正規軍の総司令官になるわけだぞ、
その時点で何が変わるか、考えてみればわかりやすいだろう。
0372名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/07(日) 12:46:37ID:vVQwaXyD反対むなしく朝鮮出兵で総司令官を任されることになる
秀長の立場では武断派も文治派も顔を立ててやらねばならんから
ストレスによって確実に病没するので秀吉より長生きできない
何も変わらないな
0373名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/07(日) 13:33:00ID:0kkDnABoその一つは、西日本全般における軍事指揮権や服属地への仕置き等の権限であり
例えば四国九州征伐において長宗我部島津などの戦後処理を秀長が行い秀吉がそれをそのまま
追認しているのもその一例である。
東日本に関しても北条外交について家康に意向を申し送ってるのがわかる書状などがあり、病がなければ
西と同様の権限を与えられていた可能性は高い。
0374名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 04:08:35ID:iJW/mFNWそれが結果的に家康と東国とのつながりを強めてしまった。
0375名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 05:11:18ID:WLwzEBvP名目はもちろん秀頼が当主なのは間違いない。
家老の守り役は片桐且元なのも間違いない、家老類としては大野治長兄弟や片桐兄弟とかが判断してたようにも見えるが。
淀君が女城主だったんじゃないのだろうか?。
あと有楽斎と信雄も親類としていたそうだが、権限があったのか無かったのか。(こいつらは大坂の陣の前に逃げ出してるから責任なんぞ無かっただろうけど)
仮にも家老で宰相であるはずの片桐兄弟が最終的に追い出されてるし、結局、淀君が政治判断の決定権もってたのだろうけど。
こんな物が豊臣家なのかって疑問も有るな。淀君の私物のような状態な感じが読み取れる。
秀頼哀れ(´д⊂)
0376名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 08:29:44ID:Bqn1kSfZいくら天下人でも、いくら邪魔な存在でも、誰でも難癖つけて滅ぼせるほど簡単じゃない。大物であればなおさら。
隙あらば弱体化させようとは狙っていたが、政治的に家康が巧みに交わし、表向きは協力して、重用せざるをえない形に
持っていっただけ。
信長に難癖つけられた時に、信康さえ死に追いやったほどの家康なら、そのへんはお手の物だろう。
実際に秀吉死後の家康の行動には、無駄もなければ迷いもない。
天下獲りのため、秀吉の死をずっと待っていた者の行動だね。その家康の人間性を、秀吉もかなりの部分は見抜いていたから
諸大名に牽制させようとして合議制の形にもっていったわけで。あまり役にはたたなかったが。
0377名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 18:16:12ID:WLwzEBvP淀君とか侍女共に囲まれて育てば、どんなボンボンができるか誰でもすぐ解る。
仮に他家に預けられて男らしく厳しく育てれば、淀君の言うことなど聞かない、しっかりした政治家になる可能性もあったが。
利家や家康に預けて育てるとかの選択肢も、秀吉が死んだ時点で厳しい。
他家に預けられた秀頼が病死でもしたもんなら、毒殺と疑われて、大変な事になる。
そんな可能性が有るだけで他家に預けることも出来ない。
結果、秀頼は、15才になれば天下を秀頼に帰すなどと言う約束を信じさせられて育ったとか。
淀君は家康を豊臣家の家老程度にしか思わずに、単純に、天下を家康に奪われたと思って恨んでたのだろう。
まともな譜代の家臣が居ないことがここまで尾を引く物か。滅びる原因は内に有りだな
0378名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 21:57:47ID:QpaazcPqあと淀君って呼び方は不快に感じるひと
結構いるみたいだからわざとじゃなければ
やめたほうがいいかも。
0379名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/09(火) 08:44:15ID:dewO3jbP秀吉くらいの独裁者になれば気に喰わない相手にいくらでも難癖はつけれるわけで
それこそ大坂の陣における方広寺鐘銘事件程度の言い掛かりでも構わない
存命中の秀吉が家康の本性を見抜いてたというのも疑わしいな
後世の我々からすれば家康が律義者なんて笑止千万だが、
当時の家康は巧みにそれを韜晦してた
太閤遺訓でもしつこいくらい「内府は律義者だから〜」を連呼してる
家康のことを秀吉が警戒していたとする積極的な史料を自分は知らない
0380名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/09(火) 19:36:19ID:g52H93Ko徳川は一応豊臣家の臣下だが、石高は日本最大の大名だぞ。
0381名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 02:08:01ID:o/zi5jKb家康に預けていれば立派な三法師2号が出来ただろうに。
0382名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 02:19:55ID:iPUiEBCb頼朝の命を救った清盛の愚は避けようとするはず
度量というか性格的なものかもしれないが
0383名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 19:57:29ID:vE4nKGY5豊氏長者になってないから。
>>378
淀君の君は遊女を意味してるからな。徳川は汚いな。
0384名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 23:38:50ID:aRZWPPpI浪人中に自ら坂崎って名前にしたらしいが、実際は秀家が同じ宇喜多姓を
名乗るなって事だったらしい。後の、大阪城の千姫略奪事件も凄いものがあったなw
東軍は痛い奴が多かった。よって、負けた。
0385384
2007/01/10(水) 23:39:39ID:aRZWPPpI0386名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 14:14:35ID:ICgy3iiF高貴な婦人を「君」ってつけるのは珍しくないし、まあ、呼び名だから時代で意味が変わっていくの物だが。
手元の小説の山岡荘八の徳川家康にも「淀の君」で通して有るね。
0387名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 14:21:38ID:fIXFqYS7その時代の意味って考えてもいいんじゃない?
秀吉存命時に淀君って呼んでるなら尊称、江戸時代に入って
からなら卑称の可能性が高い、とかさ。
0388名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 18:33:22ID:7gYlPeB7卑称とは限らないと思うけど。
0389名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 13:29:44ID:eJ9kyqm6呼び方が悪いから徳川悪いなんて言う論理の>>382みたいな子も現れるくらいだしw。
0390名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 13:58:43ID:rWdD8DPd本人死亡後だとしたら、良し悪しは別にしてそう呼ばれ始めた
背景なり理由なりが何かあったんだろうとは思えるけど。
ちなみにここでいう背景とか理由は彼女に対する個としての
意識を向けない範囲まで含めて、ね。
0391名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 12:24:02ID:Socw3rl5その「しつこいくらい」「連呼」している不自然さをみて、キミはなにも感じないのか。
信長存命時の秀吉は、家康に負けず劣らず律儀で、織田家に絶対の忠誠を尽くしていたぞ。
表面上いくら律義者を装っていても、一度目の上のたんこぶが取り除かれた場合野心ある者はどう動くか、
それを身をもって証明してみせた秀吉自身が、家康を警戒しないと、本気で思っているのか?
現に義元が死んだ途端に今川家に手の平返した家康だぞ。
それから難癖をつけて滅ぼす場合は、確実に勝てる見通しがついた上で動かないと、むしろ自分の命取りになる。
大阪の陣の場合は、すでに有力大名のほぼすべてが徳川家に従っていたという確固たる既成事実に加え、
豊臣家があくまで徳川政権を認めず、臣従することを拒否したから言いがかりが成立した。
徳川政権下での一大名家としての豊臣家なら存続することは十分可能だったが、秀頼や淀にそこまでする外交力が
なかっただけ。
0392名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 15:03:15ID:FQq6Pyorでも他の外様に比べればまだ信用できる存在だった訳だ。
で、結局もっと疑わしいそいつらの抑えの意味でも、家康を信頼しないと、
成り立たなかった。
この時点で無理がある気がする。
0393名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 16:49:53ID:kJrsloVU秀吉の約束に従って千姫を嫁にやったりって、なかなか出来ないぞ。
当時天下人の立場の家康が、前天下人の子供の秀頼に官位や嫁をやるのは、懐柔してるようにも見えるが、結局次世代に不安を残すし
自分が死んだ後が心配で、とてもやれることでは無いと思う。
まあ最終的に死ぬ前に憂い絶ったが、それまでの15年は軽くはない。
これが律儀と言われてる処だろう
0394名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 05:04:47ID:H3WRUmTu0395名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 10:56:44ID:dAB1GCG8結局、秀頼の代で終わってしまってるし、自身は秀吉の子として生まれ、死んで行ったのだから
あんまり父親を特定する意味もないんじゃないか・・・?何かが変った、変ってたと思えない。
むしろその辺の考証は斎藤道三・龍興の方が面白い、スレ違いだからしないけどな。
0396名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 18:29:36ID:UjW82/BM自分が認めた相手(義元、信長、秀吉)には、実直に仕えている。
しかしその対象はあくまで個人に対してであって、家に対してじゃない。
当人が死ねばそこまで。義理はなし。
0397名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 21:45:54ID:l3gbdjWn0398人間七七四年
2007/02/12(月) 19:06:56ID:x4zHCgiR0399人間七七四年
2007/02/12(月) 19:28:51ID:nzqP3mXA0400人間七七四年
2007/02/12(月) 19:33:50ID:x4zHCgiR秀頼がひとかどの人物であったとする方が話としては俄然面白くなるね。
実は死んでいない説もあるそうだし。
0401人間七七四年
2007/02/12(月) 19:51:03ID:nzqP3mXA0402人間七七四年
2007/02/15(木) 10:08:56ID:vPh2evz1子孫もいないし、やろうと思えばできそうなんだが
0403人間七七四年
2007/02/15(木) 10:36:09ID:HCf+uFj6そこらへん疑問。
0404人間七七四年
2007/02/16(金) 22:09:21ID:n4BENox4母親の貞操に不安というのは、子供として想像するのもかなり嫌な事だが・・・
大坂で戦って、死んでやるという事が秀吉の子供のしての義務だと思ったのか(血を関係なく生き方として)
と妄想してます
0405人間七七四年
2007/02/16(金) 22:21:18ID:EkVjj5Pxせいぜい10万石では?
しかも豊臣姓を返上させて。
0408人間七七四年
2007/02/23(金) 21:32:00ID:gM+DHk9gあながち妄想でもないかもしれない。
夏の陣では淀や治長よりも秀頼の方がやる気満々だったと思われる説もあるし。
国替えを断固拒否したのも淀ではなく秀頼だったはず。
0409人間七七四年
2007/02/23(金) 21:42:52ID:1+AQ+jsn0410人間七七四年
2007/02/23(金) 23:28:27ID:iCv1DPfk政務や武芸の稽古すら皆無に等しいし
秀頼は普段なにをして時間を潰していたんだろう?
0411人間七七四年
2007/02/24(土) 00:21:18ID:gcxVC/lW若気の至りって奴よ
まあオチンチンに毛が生えたころから侍女と槍まくって思い残すことはないだろうね
0412人間七七四年
2007/02/24(土) 00:23:32ID:gcxVC/lW京大坂に隣接する国をまるまるやるかよw
0413人間七七四年
2007/02/24(土) 02:08:35ID:RcWCCXD5書道が好きだったってどっかの本に書いてあったな。
城から一歩も出ないのは、江戸の将軍もそうだだしね。
まあ豊臣家は秀頼にしか存続の証は無いからね。
戦乱の次代でも無いのだし、それはそれは大切に扱われていただろう。
0414人間七七四年
2007/02/24(土) 02:18:03ID:TdpYYtEG「大坂城」って意味なら、その広さや設備だけで日常生活には十分な気もするんだが。
0415人間七七四年
2007/02/24(土) 08:02:32ID:x/b65K1j大野は浅井家の時代から茶々に付き従ってたから十分あり得る
0416人間七七四年
2007/02/24(土) 10:35:01ID:pMgI+sMc0417人間七七四年
2007/02/24(土) 17:55:37ID:0IlGcVez0418人間七七四年
2007/02/27(火) 02:39:50ID:UfAUsnAb遅レスだけどワロス
ひょっとしたら毎回口に出していたのかもしれん
「あれ、おっかしいな〜毎回飲ませているのに〜」って感じで
淀殿はフェラを拒否したのだろう
0419人間七七四年
2007/02/27(火) 02:52:36ID:JdR97uEz実際に実現させない条件で釣ろうとする2ちゃんねらー家康の常套ともいえる手段
0420人間七七四年
2007/03/01(木) 00:38:51ID:+QWLGTycその発想はなかったわ
0422人間七七四年
2007/03/31(土) 04:14:51ID:dPJV9yip0423人間七七四年
2007/03/31(土) 07:49:43ID:O2topJbj0424人間七七四年
2007/04/01(日) 12:39:13ID:qp6OWRmJ現代社会を悩ます引き篭り問題の解決がいかに難しいことなのかを四百年前に証明した事績がある
0425人間七七四年
2007/04/01(日) 18:33:33ID:TTcM/GY2と、釣られてみる
0426退屈@親父
2007/04/02(月) 21:28:54ID:+7f6TVp6age
0427人間七七四年
2007/04/02(月) 23:06:41ID:/7UFMeS7秀吉の後継者なのに長者をついでないだとwwww
0428人間七七四年
2007/04/03(火) 17:46:54ID:xeJPGqUR姫君とか若君って呼び方も戦国時代の前からあるし
源氏物語でだって「紫の君」って出て来る位だし
元は身分が高い人がつけてたのを
遊女やらが憧れでつけ始めたのかもしれん
あと戦に負けた平家の女性が遊女になったとき
教養として身につけてた琴やらをやり始めたのが
芸者の発祥とも言うし、貴族的な文化を受け継いでるのかも
0429人間七七四年
2007/04/03(火) 17:55:25ID:Slb0IYVW少なくとも同時代の史料では淀君どころか位の高い武家女性を「〜君」と呼んだ例もないようだし
後世の俗称であろうことは想像に難くないが、具体的な典拠がよく分からん。
0430人間七七四年
2007/04/04(水) 01:20:52ID:TJbWz5/0>「君」ってつけるのは別に卑称じゃないんじゃない?
「小谷の方」を「小谷君」と、「松の丸殿」を「松の丸君」と呼ばないことに疑問を抱いてほしい。
0431人間七七四年
2007/04/08(日) 09:05:33ID:or6XOV2s0432人間七七四年
2007/04/08(日) 09:06:34ID:or6XOV2sスマン間違えた。
「茶々君」か「淀殿」であって、「淀(城)の女主人」に「淀君」はNGだということでは?
0433牟田 ◆MAEDAxMYTY
2007/04/22(日) 09:46:56ID:VFZaMDPA0434人間七七四年
2007/05/03(木) 18:08:51ID:XVNehw33秀吉には沢山の側室がいたが南殿と淀殿を除いては誰も秀吉の子供を生んでいない。
宣教師たちも秀吉には子種はないと疑っていたし、
何よりの証拠は秀吉死後の側室たち。
他家にとついで子供を生んでいるのが何人もいる。
お種さん(伊達正宗側室)や前田利家の娘摩阿姫など。
0435人間七七四年
2007/05/03(木) 22:25:42ID:0B4iNi2Y0436人間七七四年
2007/05/04(金) 00:33:36ID:d6+7qEmY大野との恋愛の結果できた人物なのか
0437人間七七四年
2007/05/14(月) 15:47:31ID:vL7o1LCh偉人でもそういう説が出てくると評価が下がる気がする
0438人間七七四年
2007/05/16(水) 19:14:27ID:Mi60HufR0439人間七七四年
2007/05/16(水) 19:41:47ID:T8kGRvYg0440人間七七四年
2007/05/16(水) 20:26:07ID:BXyBtQt+0441人間七七四年
2007/05/16(水) 22:10:15ID:VT7AVtxAユーモアのセンスがあまり…
0442人間七七四年
2007/05/16(水) 22:15:40ID:O43VrOl00444人間七七四年
2007/05/17(木) 04:15:51ID:nsIeSZIN南殿の間にも子がいるしそこまで否定したら
もう何でも自分の都合のいいように解釈できないか?
0445人間七七四年
2007/05/17(木) 14:47:08ID:AqfY6bbHだからこの件に関しては永遠の謎だな
0446人間七七四年
2007/05/17(木) 23:28:07ID:f/reZSbR一応血液型は分かるらしいぞ(遺物から調べて分かるらしい)
明らかに生まれない血液型ならそれでも1つの証拠になりそうな気がするが。
0447人間七七四年
2007/05/17(木) 23:35:01ID:8IgnChdQ自分の子供だと気づいていなかったら同じかと
0448人間七七四年
2007/05/20(日) 14:38:46ID:oGlyQC6G0449人間七七四年
2007/05/20(日) 19:07:44ID:kynSVUG3言われているほど仲が悪くなかったとかその程度
0450人間七七四年
2007/05/31(木) 00:59:50ID:LMQQeBQlそれが事実ならば家康が大阪を攻めても秀頼には手心を加えるかもしれない
もしくは大阪城を出ても悪いようにはしないかもしれない。
・・・・と大阪方に思わせるための流言が発端じゃね。
0451人間七七四年
2007/05/31(木) 01:53:16ID:PXHE8IEVこの人物に特筆すべき事績なんてあるの?
0452人間七七四年
2007/05/31(木) 02:44:01ID:IApVLAWt0453人間七七四年
2007/06/05(火) 02:22:26ID:QT4BRB3i側室といっても、
実際は臣下筋から預かった人質で、ヤッてなかったとか…
0454人間七七四年
2007/06/05(火) 03:30:43ID:kAdMbngz指は6本あるし、顔はサルだし、子はいなさすぎるし、
遺伝子がおかしかったのかも知れぬ
0455人間七七四年
2007/06/05(火) 06:25:59ID:1mRY8ABL0456人間七七四年
2007/06/05(火) 07:52:49ID:qLzPdHP2それかマジに完全なる突然変異、進化か退化かわからんけど
0457人間七七四年
2007/06/05(火) 11:53:58ID:neiaKc9/大丈夫とは違うのか?
0458人間七七四年
2007/06/05(火) 13:12:46ID:IQKDAQEy0459人間七七四年
2007/06/05(火) 13:14:25ID:A/WvG2mO使ったことは皆無なんだろうなあ。
0461人間七七四年
2007/06/05(火) 13:39:22ID:IQKDAQEy0462人間七七四年
2007/06/05(火) 14:14:02ID:e3Iji6U9評価も何も、評価できるような事は何もしていないがな>秀頼
評価に見えるとすればそれは家康の孫娘の婿へのまなざしだろ。
自分の孫の婿を悪く見ようとはしないものだからな、人情として。
0463人間七七四年
2007/06/05(火) 14:48:11ID:CwIWRPeB大勢いるウチの一人にすぎないけどね。w
0464人間七七四年
2007/06/05(火) 15:04:39ID:IQKDAQEy秀頼は父秀吉には及ばんがなかなかの男 (家康談)
秀頼が初めて牛を見て驚き、世間の笑いものになった
しかし家康は、誰でも初めて見たら驚くだろう、と言って 評価を変えなかったのも面白い
0465人間七七四年
2007/06/05(火) 15:12:08ID:zF6HWXTM弟の秀長、妹の朝日(三度結婚したが)に子供が居ないのはおかしい。
日秀と秀吉は弥右衛門の種と言われ、秀長と朝日は竹阿弥の種という説もあるが
もしかしたら日秀だけが種違いの姉で秀吉、秀長、朝日は父方の遺伝子異常で生殖能力に問題があったのかなと思えなくもない。
0466人間七七四年
2007/06/05(火) 15:43:49ID:CwIWRPeB三成の柿パスの話もあるし、家康って相手の立場をよく理解する人だったようだね。
0467人間七七四年
2007/06/05(火) 15:44:55ID:CwIWRPeB秀長には娘がいたはず
0468人間七七四年
2007/06/05(火) 15:52:40ID:QT4BRB3i三好さんが精子たっぷり体質だったんだろう。
秀次は父親に似たんだな
0469ピザ頼
2007/06/05(火) 18:33:37ID:IZzjLtmNhttp://www.shimogo-kyosaikai.org/bunkazai/no9/image/img01_asai.jpg
豊臣秀頼
http://sans-culotte.up.seesaa.net/image/toyotomi_hideyori.jpg
お市
http://www.biwa.ne.jp/~kohoku-s/chiiki/img_kank/odani04oiti.jpg
0470人間七七四年
2007/06/06(水) 01:08:26ID:B9KjSpTG次男がいたら秀朝だったかな。つか本来鶴松が秀頼で秀頼は秀朝だったのかもな。
0471人間七七四年
2007/06/06(水) 01:35:26ID:HhJ0XG9v>評価も何も、評価できるような事は何もしていないがな
家康もそう思ってたから侮っていたが、
実際会ってみたらなかなかの傑物で驚いた、という話でないの?
何もしてないが素質だけは色々とあったのかも知れぬ
開花する前に摘み取られてしまっただけで
まあ秀頼が大物だったほうが物語的には盛り上がるな
0472人間七七四年
2007/06/06(水) 05:28:02ID:f71Zm31i0473人間七七四年
2007/06/06(水) 07:08:56ID:/gVUpkyg最近の研究では、秀頼がわざと堀を埋めるのを黙認したと言う見方が強くなってますね
大坂の陣も家康と秀頼が前もって打ち合わせされていた出来レースというのも最近の研究結果でほぼ決まったようです
淀には全く発言権が無かったようで、陣の最中、家康に用意されたルートで淀を残して脱出したようです
この出来レースを知っていたのは秀頼と幸村の二人だったようで家康が晩年書き残した『家康語録』にも残っています
0474人間七七四年
2007/06/06(水) 07:21:45ID:c/CMghQx才覚があっても所詮若造だし、戦国の世を生き残った海千山千の家康の前じゃ赤子同然でしょ
0475人間七七四年
2007/06/06(水) 12:11:23ID:gIv8gIly大坂の陣の時の家康は寿命が近い焦りも有ったんだろうが、
関ヶ原の時に見せたような用意周到さが欠けてるような気がする
のこのこと前線に出てきて真田・毛利に殺されそうになってるし
0476人間七七四年
2007/06/06(水) 13:24:15ID:gtN77NH1これは家康の名をまっぷたつにして、豊臣を君として楽しむと読めるWW
0477人間七七四年
2007/06/06(水) 13:31:14ID:t83GXptv相手のレベルに合わせたんじゃないの?
0478人間七七四年
2007/06/06(水) 15:10:49ID:c/CMghQx実際はどうだったかわからんけど、家康には秀頼>秀忠に思えたんだろうなあ
だから自分の生きてるうちにとかなり無茶なことやってる
年取って弱気になってたのかもしらんが、確かに秀忠は覇気のあるタイプではなさそうだし
0479人間七七四年
2007/06/06(水) 16:03:48ID:jZuPaiHa秀頼ごときが比較してもらえるような存在じゃ無い。
鐘銘事件なんてやさしい『警告』だよ?牢人を既に集め始めていた豊臣家への。「火遊びは大怪我するから止めておけ」って
逆に物事を穏便に収めようとした知恵って言ってもいい。「反省」して「恭順」してくれればそれで事は済んだのだもの。
それをせず滅亡へ突っ走ったのが豊臣家の愚。
0480人間七七四年
2007/06/06(水) 18:47:10ID:gIv8gIly将軍職は譲っても重要な用件は本多親子を通じて駿府の家康に伝えられ、そこで大御所に裁決されてた
更に秀忠は関ヶ原の時の醜態で軍事上の無能を天下に曝け出した後だったからな
家康が秀忠には豊臣家は扱いかねると見て強引な手で豊臣家を除こうとしたというのは有り得ない話じゃない
家康死後に秀忠が大大名改易みたいな辣腕を発揮できたのも家康が死ぬ間際に豊臣家を潰してくれたおかげ
0481人間七七四年
2007/06/06(水) 19:14:29ID:f71Zm31i秀頼って酷いヤツだな
0482人間七七四年
2007/06/06(水) 22:32:56ID:HhJ0XG9v秀忠が抜きん出た政治感覚持ってたことには同意するけど、
家康的にはそれでもまだ何か物足りなかったんじゃないのかな
筋金入りの戦国武将だし、秀頼のような強い相手にでも
分を弁えず噛みつく見境のなさの方が怖かったのかもしれない
ちょっとした歪みがきっかけで絶対的な優位が呆気なく崩れる瞬間を
何度となく目の当たりにしている御仁なのだし
秀頼に放置できない危険なものを感じたのは間違いないでしょう
鐘銘事件が優しい警告だったとは俺には思えないな
淀や秀頼が大人しく恭順することを期待するような楽天家じゃないでしょう
稚拙で強引だが効果的な、二人の性質を完全に見越した万全の計略だよ、あれは
0483人間七七四年
2007/06/06(水) 23:02:54ID:XYi2UoIDなぜ他の大名家を改易するに当たってはそうしなかったのか?
大坂の乱には羽柴家潰しの他に「公共事業」という現代的側面があったが
徳川は小早川家・加藤・福島・最上などを滅ぼす際になぜ戦をして
「公共事業」による経済効果を発生させようとしなかったのか?
0484人間七七四年
2007/06/06(水) 23:14:49ID:WoXVf09a豊臣は幕府の命令を全く聞かずに浪人を雇って武装篭城したから処罰しただけだ
その他大名には改易にしても滅ぼしてなどいない
加藤も福島も最上も子孫がちゃんと生き残っている
小早川は当主が死んで血筋が絶えたのでなくなっただけだ
0485人間七七四年
2007/06/06(水) 23:22:44ID:gIv8gIly何十万の兵力動員して豊臣家潰しても得られる領地はたった60万石で割に合わない
戦後も褒賞の少なさに腹を立てた松平忠直がキレちゃったりと色々大変だったんだぞ
「公共事業」だなんてとんでもない
0486人間七七四年
2007/06/07(木) 00:10:32ID:56UWO5WK0487人間七七四年
2007/06/07(木) 00:34:49ID:yikreNsL「最初はぁ潰すつもりはぁ、なかったんだけどぉ。
あいつの息子、見た瞬間にやばいかもこれって思ったんだよねぇ」
以心○伝さん
「だってぇダチの○康がマジやべぇ、あいつに潰されちまう。お前さぁ喧嘩売っとけよ。
なんとかしろって。言われてぇ。ホントマジ勘弁して欲しかったしぃ」
0488人間七七四年
2007/06/07(木) 01:18:17ID:PZvMrcPl浅野幸長と加藤清正への遠慮からだと思うよ。
だから二人が死ぬやありとあらゆる難癖を秀頼に付け始めた。
もしあと5年早く大阪の役を始めれば肥後の清正、紀州の幸長が大阪方につき
下手したら尾張の正則まで大阪方につく。そうなれば尾張以西の西国大名の何割かは大阪方へ
また全国の浪人衆は喜び勇んで最寄の大阪方大名へ馳参する。
関ヶ原AGAINの可能性が無かったとは言えない(そうなれば幕府が勝っても秀忠政権の権威はボロボロになる)
0490人間七七四年
2007/06/07(木) 01:51:36ID:nAGTCMS3大坂の陣開戦を聞き福島正則がこう言ったらしいな。
0491人間七七四年
2007/06/07(木) 04:42:26ID:PZvMrcPl清正は早く死んだおかげで正則のように末代までの汚名をかぶらずに済んで、或る意味ラッキーだった。
0492人間七七四年
2007/06/07(木) 04:44:56ID:PZvMrcPl結局、死に際を間違えて川中島に移封されるなど受け入れ難い恥辱を得てから腹を切ったので世間の笑い者で終わったw
0493人間七七四年
2007/06/07(木) 05:14:25ID:JJBla47o後年幕府に因縁付けられて改易された時は割と世間は同情的だったらしい>正則
0494人間七七四年
2007/06/07(木) 05:15:42ID:yikreNsL福島は毛利と同様に救援物質とか金品、武将も大阪方に派遣してるし、許してやれよ。
司馬遼太郎も福島正則は立場上出陣できなかったって言ってるし。
0495人間七七四年
2007/06/07(木) 06:21:32ID:uVi7qqdV弱い立場になると途端に日本人は同情的になるからな
秀頼が落ち延びた伝説が当時から囁かれてたってのは、
豊臣方に同情的な人間が多かったってことの証だろうし
0496人間七七四年
2007/06/08(金) 00:07:53ID:KX+JW692>幕府にとっても参陣した諸大名にとっても非常な負担
それこそが公共事業的側面たるゆえんである。
幕府や全国の大名家が大金を支出することによって
現代でいうところの軍需産業などが活性化する。
羽柴家などは毛利元就のように調略を仕掛けるだけで潰せたが、
あえてあのような大規模軍事作戦を決行したのはそのためだと考えられる。
0497人間七七四年
2007/06/08(金) 00:14:45ID:glj5bfmP幕府および徳川家に恨みを抱く者たちを生かしておいたから
江戸幕府は後にあっけなく崩壊したのだ。
毛利や島津を族滅しないでそのまま存続させるなんて
何を考えているのかと言わざるを得ない。
小早川も加藤も福島も最上も、生かしておいても何ら利点がない。
弟たちまでも容赦なく殺し尽くす恐怖政治の権化・源頼朝公ならば
主家はもちろん一族郎党にいたるまで皆殺しにしてしまうだろう。
0498人間七七四年
2007/06/08(金) 00:32:36ID:Ll0OF/Xs0499人間七七四年
2007/06/08(金) 04:14:59ID:20Bf9xyqそんな危険な公共事業をしなくとも「名古屋城築城」
「江戸城の石垣、総堀の賦役」などの公共事業で
家康は外様大名の財産を散財させて景気対策を行なったが
それの方が100倍賢いよね?
その後も「木曽三川の堤防工事」「参勤交代」「大名家の鉢代え」など徳川家は常に外様大名の蓄財を許さず
大名家に散財させて公共事業を行なった。
そのため大名や武士どもは貧窮にあえいだが町民どもはどんどん豊かになっていった。
0500人間七七四年
2007/06/08(金) 11:48:09ID:bQTNFebO最近の研究では幕府の命による「公共事業」に参画する事は、大名家にとっても
軍役に順ずる「お家の名誉」と捉えられていた、とされている。
0501人間七七四年
2007/06/08(金) 13:38:55ID:3gEMjGYHお家の名誉ってそりゃ幕府に普請命じられて露骨に嫌な顔は出来なんだろw
表向きは「有り難き幸せ」と言いながらも内心では舌打ちってのが本当のところ
散財の為のお役目は避けれらないんだから、それならせめて軽めの普請が良いと
便宜を図ってもらうために幕閣に賄賂というのは日常茶飯事だったらしいがね
0502人間七七四年
2007/06/08(金) 17:58:54ID:20Bf9xyq今でも彼等の墓が木曽川の方にあったはず。
どうせ従うなら喜んでやらせていただきますと言った方がそりゃ将軍への印象はいいよ。
でも薩摩隼人は誰しも幕府を恨んだし必ずこの恨みはいつの日か晴らすと
肝胆を舐めてたみたいよ。
0503人間七七四年
2007/06/08(金) 19:15:16ID:A44TMxpt都市や河川の整備をした方が遥かに世のため人のためになるいいことだよ
豊臣にはそういう発想がないからすぐに不満が爆発して内部崩壊を起こす
0504人間七七四年
2007/06/08(金) 19:28:23ID:3gEMjGYH0505人間七七四年
2007/06/08(金) 19:29:10ID:UF95F/xlガタイはよくなるよ。
秀吉の場合は超貧乏だったから小さい頃、満足に食事が
出来なかったから成長できんかった可能性が高い。
0506人間七七四年
2007/06/08(金) 20:00:20ID:bQTNFebO大阪以外は普通にやってない。普請は軍政の延長線上ばかり。
民生の異常な軽視は豊臣政権の特徴。
0507人間七七四年
2007/06/08(金) 20:13:03ID:3gEMjGYH大坂だけっつうかまあ大坂が中心なのは事実なんだが、
京街道や大和街道の整備や宇治川・淀川の治水なんかにも手を出してかなりの成果を挙げてる
関西における今にまで続く秀吉人気はこれらの公共事業に拠るものも大きい
無益な侵略戦争をした分相対的に民に還元される分は少なかったろうが、やることはちゃんとやってたよ
0508人間七七四年
2007/06/08(金) 20:50:47ID:20Bf9xyq樹齢数千年の屋久杉とか秀吉の命令でバンバン切り倒されたし
世界的に見ても貴重な自然遺産が失われたと思う。
0509人間七七四年
2007/06/08(金) 20:53:11ID:wg+eRV49秀吉は、大名たちの知行地を加増して上げたかったんだよ。
徳川みたいに大名たちの力を削ぐために海外出征したわけじゃない。
そこのところを勘違いしていると思うぞ。
0510人間七七四年
2007/06/08(金) 21:03:33ID:MoGaALXg屋久島の自然形態が変化したのは秀吉の頃じゃなくて
江戸時代中期以降のことなんだけどな
有名なウィルソン株にせよ秀吉の時代じゃなくてそれ以降に伐採されたものだという研究者も居るくらい
無知乙
0511人間七七四年
2007/06/08(金) 21:03:35ID:20Bf9xyq多くは丹羽長秀から召し上げた長束正家や
堺・近江・京・博多らの茶道つながりの商人どもが献策し
秀吉が果断に実行したものが多い。
特にゴールドラッシュに沸いた豊臣時代に金は死蔵してたら
たんなる金属でしかないという卓越した経済感を持ち
持ってる金は常に商人どもに貸し出しで大きな商売をさせ
畿内の街道整備、神社仏閣の復興、聚楽第、大阪城、伏見城、名護屋城の建設
運河の造成で持ってる金銀をばらまきまくった。
そのため関西地区は史上未曾有の好景気で沸き返った。
しかし逆に太閤検地、五公五民などで百姓は今まで以上に貧しくなり
ろくに公共事業も行なわれない機内以外の地区は所得格差拡大のために
貧民層が増えた。
0512人間七七四年
2007/06/08(金) 21:05:33ID:20Bf9xyq無知はおまえだ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8B%E4%B9%85%E6%9D%89
0513人間七七四年
2007/06/08(金) 21:07:41ID:MoGaALXgttp://www.bunpei.jp/writings/multi/multi1997/essayNo33.html
なんかを見てね
0514人間七七四年
2007/06/08(金) 21:29:44ID:YhltPetv一気に大坂城内に突入して城主とその取り巻き連を討ち取りゃよかったんだ
千姫や常高院を犠牲にするのはやむを得ないだろ
北条貞時だって平頼綱一家を根絶やしにした際に
自分の娘を犠牲にしているのだ
0515人間七七四年
2007/06/08(金) 21:40:44ID:u/a69fAi随分偏った読み方するなあ
0516人間七七四年
2007/06/09(土) 00:27:38ID:bbC6r46R「樹齢数千年」の部分を当然のように消し去り
拡大解釈して人を罵倒する ID:MoGaALXgも普通に気が狂ってるよ。
0517人間七七四年
2007/06/09(土) 01:07:18ID:RbrZvu190518人間七七四年
2007/06/09(土) 01:14:25ID:nw/vEirH0519仙台藩百姓
2007/06/09(土) 02:23:31ID:3hnLZ469おっと、思わず失笑が漏れてしまったお( ^ω^)プピー
0520人間七七四年
2007/06/09(土) 08:13:56ID:qxJsDWcC伊達家家臣のスレへぜひお越しください。
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1170677706/l50
0521人間七七四年
2007/06/23(土) 23:02:30ID:72fm0Jnk親しくしていたとは思う。
愛人関係かどうか別として…。
0522人間七七四年
2007/06/27(水) 07:57:11ID:Cj55Vl3G0523人間七七四年
2007/06/27(水) 18:23:27ID:y//7/TZxみんなそんなに興味あるの?
つかわかったところで何になるんだ。
0524人間七七四年
2007/06/28(木) 03:05:48ID:iUZO8gZB>つかわかったところで何になるんだ。
それを言ったら歴史スレの存在自体を否定する事になるだろw
推理小説読んだりRPGをするのが何になるんだという愚問と一緒。
0525人間七七四年
2007/06/28(木) 03:27:37ID:RdW5vt7E「秀頼は秀吉の子供じゃなくて淀君が密通して生んだ不義の子、
だから家康がそれを殺して政権を奪っても無問題」
という風に気休めにする人も居る
0526人間七七四年
2007/06/28(木) 03:53:29ID:Rhm5w9XB0527宇喜多直家信者
2007/06/28(木) 04:30:42ID:BMI26Zi50528人間七七四年
2007/06/28(木) 06:07:15ID:LNndRBX5秀吉が淀殿のそばにいなかった時期になる…
という説を聞いたことがある
0529人間七七四年
2007/06/28(木) 06:46:47ID:RdW5vt7E(その頃三成は朝鮮出兵で渡海中)
秀吉は肥前名護屋に淀を呼び寄せてるし、自身もたびたび大坂に帰阪してる
秀吉が淀にタネを仕込むことは十分に可能
0530人間七七四年
2007/06/28(木) 08:06:29ID:zYJmWomq家康がそのこと持ち出して陥れようとかしなかったところを見ると、
本気でそんな流説信じてる人間は少なかったんじゃないかなーとか思う
0531人間七七四年
2007/06/28(木) 09:41:21ID:2QJkT8Nv10年以上待ち続けたんだよ。
自分も老いてきて豊臣家が服従する姿勢を見せないから
豊臣家を滅ぼすに至った。
多分喜び勇んで起こした戦でもなかったと思う…。
ちなみに大野治長に徳川家の家臣になった治純がいるけど
残念ながら彼のことがよく知られていないんだよね…。
0532人間七七四年
2007/06/28(木) 09:58:41ID:ZU4zDzDO0533人間七七四年
2007/06/30(土) 15:29:12ID:efhtlPIC事実関係としては主君から涙を流して託された遺孤を惨殺した事実は変わらないしね。
0534人間七七四年
2007/06/30(土) 15:36:46ID:tVXJmA+eしかし秀吉も最後はかっこわるいよな。劉備が孔明に託したみたいに、
「秀頼を頼みまする。しかしこの子が天下人の器でないようならこの子に
変わって天下を治めてくだされ」とか言ってたら家康は天下を奪えなかったんじゃ
ないかと妄想してみる。
0535人間七七四年
2007/06/30(土) 15:51:04ID:rNApb5RF林羅山の豊臣秀吉譜ではそのように遺言したことになっておりまするw
いくら幕府の御用学者とはこんな根も葉もない捏造をして学者としての良心が咎めなかったんだろうか
0536人間七七四年
2007/06/30(土) 20:01:44ID:efhtlPIC秀吉「秀頼を頼みまする。しかしこの子が天下人の器でないようならこの子に
変わって天下を治めてくだされ」
秀吉の死後
秀吉に「この子が天下人の器でないようならこの子に変わって天下を治めてくだされ」と
言われたから俺が天下人!アイアムボス。俺の権力天下一いいいいぃぃぃぃぃぃ!」
と完全正当化しちゃったわけかw
0537人間七七四年
2007/06/30(土) 21:38:09ID:efhtlPIC後世の史家からの評価が全然違ったものになったのにね。
実際、残酷な易姓革命のイメージが強い中国でもそういう例が多い。
最も過酷な時代の一つだった三国時代でも漢の献帝や蜀の劉禅も食い扶持を与えられ
天寿を全うしてるものなあ。
0538人間七七四年
2007/06/30(土) 22:04:23ID:9VfLEyJg>いくら幕府の御用学者とはこんな根も葉もない捏造をして学者としての良心が咎めなかったんだろうか
どうゆう意味?これが事実なら家康にとってマイナスイメージだからわざわざ捏造するとは思えない。
とゆうことは本当に秀吉はこう遺言したのか?それなら逆に家康尊敬するわw
0540人間七七四年
2007/06/30(土) 23:46:49ID:Wmwky73G天下人の哀願はいかなる状況においても降伏しか意味しない
秀吉が泣きながら頼み込んだ時点で家康からすれば
「こいつは俺に降伏した」と軽蔑の対象にしかならない
降伏した分際で妻子がでかい態度を取り続ければ家康だって激怒するのは当たり前だろう
0541人間七七四年
2007/06/30(土) 23:59:38ID:9VfLEyJg「君臣豊楽 国家安康」に言い掛かりをつけて戦を始めるあたりどう見ても
徳川側から滅ぼしにかかってます。淀が悪女で馬鹿というのこそ江戸時代の
捏造ではないのか?そうでもしなけりゃ徳川に正当性がなくなるからな。
0542人間七七四年
2007/07/01(日) 00:03:19ID:UuEeieCY何でこの捏造話が家康にとってマイナスイメージなんだ?
家康の豊臣家からの簒奪&主君秀頼を弑逆したことを、
古代中国の易姓革命に無理やり当てはめて擁護する話なんだが
如何にも頭でっかちの腐儒が考えそうな逸話でしょ
0543人間七七四年
2007/07/01(日) 00:28:35ID:KuuXogZG>この子が天下人の器でないようならこの子に変わって天下を治めてくだされ
と頼まれたら普通は実行できなくない?本当にやっちゃったら家康はひどいやつだってことに
なるのが一般的な感覚では?だからそんな遺言が本当にあったとしても幕府側の
人間なら隠すだろうと思うのだが。
0544人間七七四年
2007/07/01(日) 00:36:30ID:UuEeieCY羅山の創作では秀頼が天下人の器でないならば、という条件付でも
秀吉は家康への政権交代を承認してることになる
秀吉に秀頼の補佐を頼まれ、それを承知しながらも死後に露骨に遺訓を反故にして、
最終的には秀頼殺した史実よりは断然マシだと思うぞ
幕府が隠そうとしたのはむしろ秀吉の遺言の方だろう
0545人間七七四年
2007/07/01(日) 00:43:16ID:oXalIFw4家康が守る必要などどこにも無い、だいたい秀吉自身が主君の織田家から
簒奪したようなものなんだから文句言う資格もない。そもそも戦国なんだから
やられるほうが悪い。
0546人間七七四年
2007/07/01(日) 00:53:00ID:UuEeieCY家康本人は豊臣家からの簒奪なんて大して気にしなかったろうが、
その後幕府の政権を運営していく人々にとって
家康の露骨な簒奪は如何にも都合が悪かったんだよ
幕府が儒教的論理で大名・旗本たちに主君への盲従を配下に強いながら、
その創始者が倫理糞喰らえだったら示しが付かない
だから古代中国の聖王の逸話をコピペして道徳的な非難を避けようとしたわけだ
0547人間七七四年
2007/07/01(日) 00:59:34ID:EOnugmn7でも実際見てみると、ガチで理屈抜きの下克上した奴って少ないんだよな
みんななんだかんだで小細工弄して自分の正当性主張してる
戦国だから下克上は当たり前、やられるほうが悪い、
なんてのは如何にも後世の人間の思い込みだと思う
やっぱり下克上なんて当人にとっても世間にとっても恥ずべき行いだったんだろ
0548人間七七四年
2007/07/01(日) 01:58:00ID:Au3Tgw8P冷静に見れば光秀の大義名分なんかいくらでもあるし
そんなに悪逆非道な人だと思えないが「全否定」だもんな。
当時も下克上が全面的に肯定されてたなんて全然思えない。
0549人間七七四年
2007/07/01(日) 06:31:29ID:F7vIArFx秀吉の奪い方は見事だとは思ったが、理屈に叶ってるとはやはり思わない、
結局、信孝も秀頼も同じく天下を取る器じゃなかった、嫌なら分相応の所に収まれとしか思えない。
むしろ関ヶ原から16年も生かしておいたことにこそ問題を感じる、家康の温情なのか不手際なのかは知らんけど、
光秀が否定されたのは、味方するに値しないその後の不手際の一点に尽きる。
0550人間七七四年
2007/07/01(日) 06:56:40ID:EOnugmn7だからあれこれ言い訳して自分の正当性主張する必要があったんでしょ
家康だって関が原のときは「秀頼のため」という大義名分掲げてたんだから
0551人間七七四年
2007/07/01(日) 10:03:22ID:Au3Tgw8P>むしろ関ヶ原から16年も生かしておいたことにこそ問題を感じる
単に浅野幸長、加藤清正の死没を待ってただけでしょw
彼らが生きてれば20〜30%の確率であるかもしれないが
大阪方につく、そうすると福島正則や池田輝政なんてやつらも大阪方につき
再度、西日本の大名や徳川の治世に不満な大名が大阪方についで
「関ヶ原リターンズ」になる。
もう寿命も近いし家康はその事態だけは絶対に避けたかったというのは
非常によく理解できる。
0552人間七七四年
2007/07/01(日) 10:03:48ID:S2dI0UyOあくまで「君側の奸臣を取り除く」を大義名分として戦っている
だからって奸臣を取り除かれた君がそのまま君臨することなどありえない
「君側の奸臣を取り除く」は「自分が天下を取る」と同義の言葉だ
ただ直接言うと生々しいから言葉を変えているだけで当時の常識といっていい
だから家康が関ヶ原で「君側の奸臣を取り除く」と言った時には
一部の教養のないバカを除けば「俺が天下を取るけどいいな?」と言われたと理解している
それで多くの大名の支持を得て勝利したのだから正当性は問題ない
むしろ豊臣の悪あがきは日本史上でも稀有な部類に入るといっていい
こんなのに絡まれた家康のほうが可哀想だ
0553人間七七四年
2007/07/01(日) 11:44:04ID:Au3Tgw8P絡みついたのは家康の方だろw
鐘銘問題とかストーカーの極致だわなw
伏見城呼び出しやら淀や秀頼の出仕を執念深く
いつまでもいつまでもいつまでもいつまでも粘着質性格全開で
絡みついてる家康のザマは尋常じゃねえ!
0554人間七七四年
2007/07/01(日) 12:05:16ID:0xovtYaE当時の5才までの子供の死亡率は50%以上。
3歳までなら70%ともいわれていた。
現にお捨が3才頃で亡くなっている。
ねねも他の側室も妊娠、出産まではできても、流産、死産で
無事育ったのが秀頼ただ一人、と考えた方が自然だ。
だから淀殿が妊娠したことに秀吉自身も疑問をもたず、
全面的自分の胤だと信じ盲目的に愛情を注いだ、と納得できる。
でも極端に秀吉に子胤が少なかったとか、遺伝的に弱い精子だったという
ことは充分考えられる。
淀殿は安産・子沢山のお市の血を引く鉄の子宮を持った女だったんだな。
妹の於江与もその血を濃く受け継いでいるし。
0555人間七七四年
2007/07/01(日) 12:36:39ID:61xPEezZ秀吉に記録に残っていない子供が居たというのは無理が有るんじゃないの
特に天下人となってからは尚更だろう
可能性が有るとすれば長浜時代とかその辺じゃね
南殿に秀勝を生ませたと言われてるのもこの頃だし
0556人間七七四年
2007/07/01(日) 13:34:09ID:0xovtYaE戒名からそんな幼少期に亡くなった人物のものではないそうだ。
当時は殿様の子どもであっても、死産や生後まもなく亡くなったら
墓もつくらず、位牌もないほうが当たり前だったから
天下人になってからもそういうケースならいちいち記録に
残さなかったと考えられるよ。そんな必用もないし。
いろいろ取りざたされてるけど、秀吉があれだけ溺愛したというのは
自分の子供と確証がもてるだけの環境で淀殿が妊娠し、妊娠しても
然るべきという思いがあったからだと思う。
女好きといわれた秀吉だけど、正式な側室は記録に残っているだけで
15〜16人。実は戦国大名にしてはさほど多いほうではない。
そのうち加賀殿みたいに大阪城内におかずに囲っていたのも
いたし、ほとんど夜伽をさせずに人質感覚で側においただけの側室も
いたかもしれない。
精力も衰えたであろう晩年の秀吉がそういう方面で寵愛をしたのは、
淀殿と京極殿がメインだったのかもよ。この二人は陣中まで呼んでるしな。
0559人間七七四年
2007/07/01(日) 14:53:54ID:srFLASXA正当性に問題があったから言葉遊びで糊塗する必要があったんでしょうに
誰もが真意に気づいても、それは気づかないフリをしているという暗黙の了解が前提
当時の家康には後年と違って豊臣を旗頭にしなければ諸将をまとめることなんてできなかったんだよ
だからその後十数年に渡って豊臣の存続を黙認するしかなかった
大阪の陣でも正当性なんてねじふせられるだけの力を持つに至っていたからみんな従っただけ
そこが家康のヒドさであり、すごさでもある
0560人間七七四年
2007/07/01(日) 14:56:09ID:Au3Tgw8P0561人間七七四年
2007/07/01(日) 15:02:04ID:61xPEezZ0562人間七七四年
2007/07/02(月) 20:25:57ID:m/TyUIGU0563人間七七四年
2007/07/02(月) 21:05:16ID:+8cN2TqLそんな怪しげな胤の子ならとっとと抹殺されてただろうに。
0564宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/07/02(月) 21:05:50ID:Pfg6pPka十月十日前を推定すると、文禄元年(1592)10月20〜30日。
石田三成…文禄の役で朝鮮に渡海、このころ辛州山城の激戦で負傷。
大野治長…肥前名護屋城まで従軍、ちなみにこの時淀殿も肥前名古屋城にいる。
個人的には、秀頼は大野治長の子ではないと思っているが、治長がこの頃
淀殿と行動を共にしてるのが気になる。
あと、この年治長は所領1万国を領したと言う。
しかし言っておくが、俺は信じてないぞ。秀頼は秀吉の実子と思っている。
0565人間七七四年
2007/07/02(月) 21:20:18ID:qrF5+hH4にも関わらず猜疑心の強い秀吉が大野治長や淀殿を追求しなかったのは、
よっぽど秀頼が自分の子だということに自信があったんだろうな
俺も秀頼は秀吉の子だと信じているが、秀吉の自信が何に根ざしていたのかは気になる
0566人間七七四年
2007/07/03(火) 08:38:59ID:U656fk6c大奥みたいに厳格に体系化されていなかったから、不義密通とか
何が何でも子種を!と無茶なことしでかさないように監視役として。
淀殿は淀城にいたし、北政所の管理下にもいなかったから当然そのぐらい
したんじゃないかな。
0567人間七七四年
2007/07/03(火) 09:09:03ID:U656fk6cつまり40週にあたる丸9ヶ月で、正常分娩の時期を迎える計算になる。
その計算だとその二人はどこにいたんだろう?
0568人間七七四年
2007/07/03(火) 11:26:44ID:SdR+72jL愛人関係と言われても否定できない気がする…。
0569宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/07/03(火) 20:30:28ID:MowoNZgM0570人間七七四年
2007/07/04(水) 01:46:08ID:AE8MCcoW0571人間七七四年
2007/07/04(水) 01:51:18ID:bjZI2/V50572人間七七四年
2007/07/04(水) 01:57:15ID:HOW56scA古代貴族みたいでキモイw
0573人間七七四年
2007/07/04(水) 02:40:28ID:AE8MCcoW天皇陛下を侮辱するなお
0574人間七七四年
2007/07/04(水) 12:19:14ID:yrRx/MaBこの辺の時代でも別に問題視されてないんじゃない?
0575人間七七四年
2007/07/04(水) 12:33:18ID:2pyNQyrG何代にも続く近親婚で初めて弊害がでてくるもんだ。
0576人間七七四年
2007/07/04(水) 12:51:34ID:HOW56scA家臣の比江山親興&吉良親実らが「同姓を娶るは畜生道と言われております、何卒御再考を」と諫言したと伝わってるから、
当時でも叔父・姪の近親婚を倫理的に問題視する意見は普通に有ったと思われる
あと秀頼&千姫は茶々、小督を通じての従兄弟同士でもあるからな
血のつながりの濃さは普通じゃない
0577人間七七四年
2007/07/04(水) 16:04:19ID:2pyNQyrG「血はつながらなくても形式上は兄妹になるので」
と大奥から猛反対をされ、やむなくその姫は島津藩に輿入れさせたという
エピなかった?実際の血の濃さよりも、形式にこだわったのかもしれない。
0578人間七七四年
2007/07/04(水) 16:13:25ID:AE8MCcoW士農工商くまなく儒教的な道徳観念を持たされた結果じゃないの?
吉宗は終生綱吉に感謝して尊敬はしてたみたいだけど
朱子学自体は屁のように思ってたと思う。
0579人間七七四年
2007/07/04(水) 19:28:14ID:loWBCrcV激怒した秀吉が侍女とその家族を殺してしまったことがあったらしい。
そんなに嫉妬深い性格だったら、
茶々と治長が噂になることすら許されなかったと思う。
0580人間七七四年
2007/07/05(木) 01:37:46ID:XKt3mD+5自分の侍女が自分の裁可も受けないで勝手に自分すら知らないよその男の奥さんになってたわけだから。
むしろ先に結婚したい旨、申し送っておけば笑って許してたかもしれない。
ちなみに大名が自分の侍女を家臣に与え事自体は少しも珍しくないしね。
0581人間七七四年
2007/07/05(木) 01:43:08ID:g+Xo95VBまあ実際どれだけの女と実際に関係結んでたかはわからないけど
0582人間七七四年
2007/07/05(木) 02:23:01ID:XKt3mD+5江戸時代の大奥は結構、間男が入り込んでたと聞いた
特に歌舞伎役者とか美男の誉れの高いのは出入り業者を装って通わせていたとか
堕胎専門医の中条流が大流行し、その丸薬が飛ぶように売れた事も記録されている。
0583人間七七四年
2007/07/05(木) 09:29:52ID:qG+A49kb監視の目が厳しかったんじゃない?
それにその手のプロの男たちと情事をすることはあっても
家臣の男を引っ張りこむことはしないんじゃ?
余談だけど相撲取りもかなりもてたみたいだね。
歌舞伎役者同様、男芸者といわれて、
そっちの営業も大事な仕事だったみたい。
0584人間七七四年
2007/07/05(木) 11:26:03ID:VckjC+zV0585人間七七四年
2007/07/05(木) 11:42:24ID:XKt3mD+5漫画の「へうげもの」でも(創作だとは思うが)そういう描写がある。
淀は淀城に居て浅井時代からの侍従で周りを固めてたなら完全監視は難しいと思う。
0586人間七七四年
2007/07/05(木) 12:59:05ID:rEAAxQ/U淀が生まれたときから自刃するまで側に仕えた
大蔵卿局。
彼女の息子とかなら平気で淀と謁見できそうだし
誰にも疑われない
当時は、のいの江戸城大奥のような
厳密な男子禁制は引かれてなかったのだし。
逆に、厳密な男子禁制に守られていた江戸時代の将軍は、
子無しが多いしなw
0587人間七七四年
2007/07/05(木) 13:22:34ID:g+Xo95VBそれに対して秀吉や他の連中が何のリアクション起こしてないってのが謎
少なくとも大野治長自身は真偽はともかく噂が流れた時点でタダじゃすまないと思うんだが
0588人間七七四年
2007/07/05(木) 13:28:15ID:VckjC+zVという程度のもので、大野個人の名前は挙がってなかったんじゃないの
つうか大野治長は最後大坂の陣で豊臣家に殉じたから特に記録に残り、
遡って秀頼の父親だったんじゃないかと疑われてるだけで、
関ヶ原以前は大蔵卿局のコネで何とか大名になったというだけの小者に過ぎない
実際に秀頼が密通によって生まれた子であったとしても他の別人の子供であった可能性もある
0589人間七七四年
2007/07/05(木) 13:32:44ID:g+Xo95VBだったらただのやっかみでスルーできる程度のレベルだな
家康や他の大名たちも秀頼が秀吉の子だって疑ってなかったんだろうか
真実がどうかよりもそっちの方が重要な希ガス
0590人間七七四年
2007/07/05(木) 13:34:33ID:qG+A49kbでも秀吉生前は無理じゃないかな。
そんなことが簡単にできるなら京極殿だって黙っちゃいないんじゃ?
どうにか馬の骨男の胤をしこんで秀吉の寵を争ったかもしれない。
ほとんど関心をもたれていなかった側室達も豊臣の嫡男になれるならと
必死で胤をしこんだかもしれない。
逆に淀殿しか秀吉の子供を産んでないから、当時の奥制度もある程度
秩序が保たれていたんじゃないかと思えるんだけど。
0591人間七七四年
2007/07/05(木) 14:14:01ID:Ct4p1fAh確かに他の側室がそれを実行する時間はあるんだよな。
鶴松の時点で疑われていたとしたら逆に「疑いがあってもあの扱い」
を間近で見ることになったわけだし。
0592人間七七四年
2007/07/05(木) 14:30:29ID:g+Xo95VB逆説的に秀頼が秀吉の子供であることの証明になりうるということか
0593人間七七四年
2007/07/05(木) 15:32:31ID:hKCjxj1x0594人間七七四年
2007/07/05(木) 15:51:59ID:g+Xo95VBまあ秀康の母親は淀とかとは全然立場が違うから一概には言えないが
0595人間七七四年
2007/07/05(木) 16:15:14ID:XKt3mD+5ママンが他の男と作った子供である可能性は否定できないよね。
百姓が農閑期のアルバイトとして城内で奉公してただけだし。
0596人間七七四年
2007/07/06(金) 11:35:04ID:jkXurG3i淀殿や京極殿みたいに実家が事実上なくなってなんの後ろ盾もない姫に
子供を産んでもらったほうがありがたかったかもな。
三の丸や加賀殿に子供が生まれて嫡男になれば、どうしたって生母の
実家が重用されしゃしゃりでてくるし、織田や前田が台頭すると
血縁者の少ない豊臣家の命取りになりかねない。
そういう意味でも秀吉が淀殿や京極殿を寵愛したのかもしれないと思ったし、
0597人間七七四年
2007/07/06(金) 15:12:20ID:uSNRWrpaなんだかんだ言ってもとても正妻を大事にしてるし気も使ってるじゃない。
彼女の実家の浅野家に対しても重用してるしね。
なかなか老人になってから糟糠の妻に手紙を頻繁に出して御機嫌取りなんてできるもんじゃないって
彼の好きな能やら田楽踊りなんかも綺麗な側室じゃなくて寧々としばしば仲良さげに
あーだこーだ言いながら観賞してたし、政治向きな発言も多いに許し
留守中の城の仕置きは寧々と秀長に任せっきりにしてたようだしね。
0598人間七七四年
2007/07/06(金) 17:17:09ID:jkXurG3i正室の出自が問題なのではなく、嫡子か庶子かが問題なわけで
ねねに子供がいたらどんなに淀殿の出自がよくても庶子扱いしか受けなかったはず。
現に秀頼誕生当初は秀次がいたので庶子扱いされ、ねねの元には置かれず
淀殿の元に置く事を許しているし。
淀殿への厚遇は手柄をたてた家臣への褒美みたいなもんじゃないかな。
ねねには「ねねが一番。淀はお拾いの母だから2番」みたいな手紙を書いていて
子なしで若くもない妻が一番だよ、と書いているからお世辞かもしれないけど
長年連れ添ってくれた妻への本音じゃないかな。
だからねねが淀殿への嫉妬から秀頼を疎んじていたなんていう
後年の検証は納得がいかない。
豊臣の後継者である秀頼を可愛がったと思うし、期待していたはず。
淀殿のことだって内心面白くないにしても、秀吉同様に豊臣家にとって
手柄をたてた淀殿を認めざるを得ないと思う。秀吉のフォローが
あれだけあるんだから、正室としての誇りも保たれていただろうし。
秀頼の側近である新派と、旧秀吉派(ねね派)の家臣団の政権闘争や思惑が絡んで
あんな結果になったんじゃないかと思うんだ。
0599人間七七四年
2007/07/06(金) 17:29:26ID:uSNRWrpa後世の創作だという説もあるね。
普通に無関心もしくは秀頼の味方だったとか。
0600人間七七四年
2007/07/06(金) 17:39:07ID:pks2ZdPb実際世話焼いてたし、淀殿もねねのこと結構頼ってたしね。
家康との二条城での会見のときとか。
淀殿とは険悪な仲ではなかったし、
秀頼のこともそれなりに可愛がってたと思う。
疎んじていたとは思えない。
0601人間七七四年
2007/07/06(金) 17:53:57ID:uSNRWrpa豊臣家正室からの許可もあって豊臣家功臣を粛清したと言い訳できると思ったんじゃないかな。
いわば天皇家の御料地を与えるのと同じ感覚だと思う。
0602人間七七四年
2007/07/06(金) 22:38:38ID:60YSUb6A0603人間七七四年
2007/07/06(金) 23:56:28ID:L5GhfMz+そもそも側室は所詮借り腹で、子供はあくまでも正室の子として扱われたからね
ねねも秀頼と一緒に過ごした時期があったはず
秀吉が死んであっさり表舞台から退いちゃったから淀殿が前面に出てきたわけだけど
家臣たちの間では秀頼の母親はあくまでねねという意識があったのかもしれない
0604人間七七四年
2007/07/07(土) 09:52:06ID:5r4Nd+IS作戦にでたのかもしれない。あくまで家康に臣従の立場をとらせているように
思う。それと秀頼側近に対する威嚇という意味もあったかも。
家康殿がいるからには、好きにはさせませんぞ、という。
淀殿が君臨し、政治に介入していたということを示す史料もない。
秀頼の御袋様ということで敬われていただけのようだ。
0605人間七七四年
2007/07/07(土) 12:11:38ID:fnx9fFe1政治向きの仕事も忌避せずそつなくこなしてたが
秀次の死、朝鮮征伐、夫の死を通して虚無感というか
もう政治向きな事には関わりたくないと単に思っただけだったかも
ねねの実家が北条家のような実力者だったら本人の意思と関係なく
北条政子のようになってたのかもしれないが
ねねにとっては子供も居ないし親戚筋や実家に天下を獲らしたい人も居ないし
秀頼にはちゃんと淀殿もついてるし、自分が居ても単なる邪魔者だと思ったんじゃないかな。
0606人間七七四年
2007/07/07(土) 12:58:09ID:fnx9fFe1秀頼の補佐人に自分と年齢のたいしてかわらない利家を選んだのは失敗だったな。
利家の命数まで知ってたら当然、秀吉は別の人を補佐人にしたのは間違いない。
最も信頼して可愛がってた秀家あたりに一時的に関白就任を許して秀頼を
秀家の後釜にすえるよう頼むとか出来なかったんだろうか
0607人間七七四年
2007/07/07(土) 13:10:30ID:5r4Nd+ISかなりやりやすかったという側面はあると思う。
後家の発言権は意外と強い時代だったからね。
ねねを慕う有力家臣がいたのも事実だし、豊臣ではねねの親族が
取り立てられていたし、新秀頼派と旧秀吉派の豊臣の家臣間同士の争いが、
結果的にねねを排除しようとする方向にいったとは考えられるかな。
ただどっちの派も秀頼への臣従の意は変わらないわけで、
豊臣大事、豊臣安泰のアプローチの仕方が異なるのと
立身出世の欲も絡んで、関ヶ原で対決することになり、東軍に
豊臣恩恵派がつくなんてことになっていったのだと思う。
ねねは隠居しちゃったけど、いざという時は秀吉の正室として
駆り出されているし、家康がご機嫌取りをしているぐらいだから、
まだまだ豊臣への影響力は強いものだったということはわかる。
それは秀頼とはまだなにかしらパイプを持っていたということなんじゃないかな。
豊臣と完全に切れていたとは考えにくい。
ねねだって豊臣の存続ということを一番大事に思っていたと思うよ。
大阪の陣の寸前に、ねねが間に入って家康に交渉して
秀頼の処遇を家康に一任すれば豊臣の存続は可能だったと思う。
ぶなんなところで高家として生き残っていたかもしれない。
0608人間七七四年
2007/07/07(土) 13:23:07ID:fnx9fFe1高台寺所属の掌美術館に秀頼(直筆)がねねにあてた手紙が残ってる。
文意は時節の挨拶を親し気にする他愛のない文章だったように記憶してる。
http://www.kodaiji.com/museum/Treasure.html
0609人間七七四年
2007/07/07(土) 13:25:54ID:fnx9fFe1あえて、ねねが読みやすいようにかな文字で書いてある所に
心配りというか気遣いが感じられる(いや、もしかしたら当時は女性への手紙は仮名文字が普通だったのかもしれないが)
0610人間七七四年
2007/07/07(土) 13:31:38ID:YGVBQxvcその後も>>608のように秀頼・淀とのやりとりは続いてるし
邸宅の修築・増築なんかも秀頼名義で行ってるそうだから
関係はきわめて良好だと思う。
ねねも豊臣の存続を願ってたことは確かと。
0611人間七七四年
2007/07/07(土) 15:25:56ID:JFJadjx5ただのし上がった後の覇王としての秀吉しか知らない淀と違って、
ねねは名家だろうと勢力が大きかろうと実力で排除してきた秀吉を見てきてるわけで、
その秀吉が死んだ後の豊臣家に天下を治める実力が無い事も冷静に分析できたんだろね。
0612人間七七四年
2007/07/07(土) 22:41:31ID:Lg7efh8g権力の世襲という概念自体重んじていなかったのかもしれない
ある意味で最も戦国時代的な考え方のできる女性だった可能性がある
0613人間七七四年
2007/07/07(土) 23:55:34ID:hcelmKRHスレ違いだけど、羽柴(木下)は実際にはかなり高貴な家のはず。
秀吉や秀長の幼少期にはすっかり零落していたには違いないけど、
まるっきりどこの馬の骨ともわからない出自の人物が
関白や太政大臣などの最高官職に就けるはずは無いし、
主君・織田信長に養子をくれるように頼み込めるわけが無い。
元々は、少なくとも織田家と同格(もしくはそれ以上)の家柄だったはず。
0614人間七七四年
2007/07/08(日) 01:06:56ID:UkFQ//YV0615人間七七四年
2007/07/08(日) 02:17:11ID:uVPlodk3あんたは井沢元彦かw
0616人間七七四年
2007/07/08(日) 07:54:42ID:Hx1kp2HN0617人間七七四年
2007/07/08(日) 10:05:04ID:CpJP06fw足軽クラスならとても扶持米だけでは食べていけないから百姓しながら
生活していた。
百姓も貧富の差が激しくて豪農だと武士の下っ端より裕福な生活が
できたし、身分制度が確立する前は、百姓が蔑まれていたとかでは
ないみたいだよ。江戸時代の農民とはイメージが違うそうだ。
秀吉が信長の家臣になっていた時点で苗字がないのはおかしいから
ねねと結婚する前にすでに木下姓であったという解釈もある。
0618人間七七四年
2007/07/08(日) 12:17:29ID:1o8DlmKz0620人間七七四年
2007/07/08(日) 18:00:57ID:8tftJF2j平頼綱みたいに本姓だけで苗字が無い(はっきりしない)ならともかく
羽柴という苗字がちゃんとあるんだから。
0621人間七七四年
2007/07/08(日) 22:38:03ID:wPSGanAh当時の人々が違和感を感じるのも無理はない
豊臣の天下が数百年も続けばそのうち違和感はなくなるかもしれんが
15年で権力喪失→30年で宗家滅亡では豊臣を苗字扱いしたところで誰も困らない
苗字が羽柴から豊臣に変わったと人々が考えても実害はないし
江戸幕府だってそれをただす必要もない
0622人間七七四年
2007/07/08(日) 23:30:28ID:aeVJtmrS「羽柴秀吉」じゃなく「豊臣秀吉」という呼ばれ方が
一般的なんだからそれに倣っただけだと思うが
0624人間七七四年
2007/07/09(月) 02:48:01ID:6pAy2YBg0625人間七七四年
2007/07/09(月) 08:01:01ID:P6ybMyjk秀吉の子かどうかの検証は可能じゃないか?
秀吉の骨は明治になって、破壊された豊国神社に無造作に剥き出しになった棺
に入って放置されているのを埋葬しなおしたというから存在する。
両者の墓を暴いてまで調査の許可がおりるとは思えないけど。
0626人間七七四年
2007/07/09(月) 08:18:58ID:h/Bn+1qf0627人間七七四年
2007/07/09(月) 08:27:06ID:P6ybMyjkがあったこともあって確定したんじゃ?
赤の他人か違うか程度の鑑定なら骨から鑑定できるんじゃないの?
0628人間七七四年
2007/07/09(月) 08:32:15ID:wkFueev2乾燥地域は1000年以上たっても条件さえ良ければ上手くDNAが残る事もあるが、
日本のような湿潤地帯は、よほどちゃんと保存されていないと、100年前の遺体ですらDNAの採取は難しいと思う。
0629人間七七四年
2007/07/09(月) 09:01:37ID:h/Bn+1qf>太古の昔の「骨、ミイラ」等からDNAが発見されることから、
>どのようなサンプルでもDNA抽出が可能であると思われがちですが、
>そういったものは、親子であるかどうかなどを照合する際に用いられる核DNAではなく、
>ミトコンドリアDNAを用いて行われてい ます。
>ミトコンドリアDNAにおける鑑定は、ルーツを辿るような広域の鑑定は可能ですが、
>検査できる範囲が限られているため、親子鑑定などにおいては 、
>結果らしい結果が得られないことも多いため、
>核DNAとミトコンドリアDNAは、それぞれ別物の鑑定手段だとお考えください。
だそうです
まあ自分も面白そうだから駄目元でもやってみれば良いと思うけどね
豊臣家なら子孫が居ない分反対もあんまり無さそうだし
0630人間七七四年
2007/07/09(月) 10:12:44ID:P6ybMyjk将軍家の墓を調査した時は秀忠のすね毛まで残っていたという。
骨同様にそこまで古いと髪の毛からのDNAの採取は難しいの?
聞いてばかりでごめんなさい。
0631人間七七四年
2007/07/09(月) 13:12:06ID:tfyxkOhy父から子供には遺伝されないよ。
(理由は卵子にはミトコンドリアが存在するが、精子には存在しないから)
0632人間七七四年
2007/07/09(月) 13:47:22ID:P6ybMyjkなんだ、じゃあ科学的に秀吉と秀頼に親子関係があったかどうかは
証明できないんだ。
永久に謎のままだね。
0633人間七七四年
2007/07/09(月) 14:05:24ID:tfyxkOhyいや・・・ミトコンドリアDNAは無意味だけどY染色体を
何かしらの方法で取り出せれば父子鑑定は可能だと思います。
ただし400年前の遺骨から抽出する事が可能かどうかという問題と
その遺骨が本当に本人のモノかどうかが問題になると思われます。
0634人間七七四年
2007/07/09(月) 14:22:32ID:P6ybMyjkあそか、秀頼の首かどうかの確定がないんだよな。
寺ではそういうことで埋葬しちゃったみたいだけど。
江与の遺骨はあるので、そのあたりから母方の血縁関係を調べて淀殿の子供と
はっきりさせて、それから秀吉との鑑定をしないと意味ないな。
でも江与も火葬されて埋葬されていたし、鑑定はどっちにしても難しいだろうな。
0635人間七七四年
2007/07/09(月) 21:59:22ID:anXqbUM5だーれも全く手出さなかったのか?
雨ざらしでも腐ったりしなかったのか?
てか本当に秀吉の骨なのか?
0636人間七七四年
2007/07/10(火) 06:52:03ID:UPXtBy5tうん、秀吉の墓付近にまさに無造作に放って置かれていたらしい。
たぶん盗掘されて放って置かれたんじゃないか?
家光の時代に豊国神社は破壊寸前までいって、一部を残し取り壊されたんだって。
ねねが泣きついて本殿や墓は残されたそうだけど、子孫もいないので
荒れ放題のまま放置され続けた。立ち入り禁止区域みたいになってたそうだ。
明治時代になって明治天皇が日本の歴史に貢献した人物ということで
保護を始めるまで手付かずで秀吉の遺骨も丁寧に埋葬されなおしたとか。
指が6本あったかどうか確認して欲しかったな。
0637人間七七四年
2007/07/19(木) 20:59:59ID:j1U1AVsSどうでもいいような下級武士のこいつらが出世できたのも秀吉の縁だろ?ヒデーやつらだ。
0638人間七七四年
2007/07/20(金) 07:56:48ID:SoFNmkdyだって豊臣関係は徹底的に潰されたんだから。
旧豊臣派の大名だって有力大名たちはなんだかんだでお取り潰しや改易。
なんとか生き残った親族だって徳川への恭順を誓ったからなのに
秀吉の墓を建て直したなんていうことを幕府に発覚したら
難癖つけられお取り潰しになるかもしれない。
結局誰も触ることができずに放置。
0639人間七七四年
2007/07/20(金) 13:08:12ID:sNpJ5TuM0640人間七七四年
2007/07/20(金) 19:05:11ID:SVRn0aWj誰もここを潰して自分の支配下に置こうなどと馬鹿な考えを抱かない
0641人間七七四年
2007/07/21(土) 10:54:35ID:Ibxm3wsTやっぱり上の代が偉大だとプレッシャー凄いだろうな
0642641
2007/07/21(土) 12:18:38ID:Ibxm3wsT0643人間七七四年
2007/09/02(日) 23:25:15ID:xN6jMmWT0644人間七七四年
2007/10/14(日) 08:16:47ID:FdVFANH90645人間七七四年
2007/10/14(日) 18:15:13ID:Eoct4bIz0646人間七七四年
2007/10/14(日) 19:03:43ID:unPCZziN言われるような教育環境だったそうだが、精神はまともに育ったのだろうか
侍女に手を出して2人も子を産ませてるが
案外「言うこと聞かないと殺すぞ」と脅してヤったのかもな
0647人間七七四年
2007/10/14(日) 20:08:24ID:YAUrr5Jk帝王学と言うか大将としての心得を教えられる人間が傍にいたのかな
0648人間七七四年
2007/10/14(日) 20:40:37ID:IIO+O64f0649人間七七四年
2007/10/14(日) 20:52:56ID:YAUrr5Jk淀の言い付けに従順だったとしてもそれも大将としては如何なものかってところだし
家康の場合の雪斎みたいな人物がいなかったのは豊臣の失敗だな
0650人間七七四年
2007/10/15(月) 18:12:44ID:FztL9y5+0651人間七七四年
2007/10/15(月) 19:57:01ID:gPSXc6lf秀頼周辺の側近グループだったとか。
0652人間七七四年
2007/10/15(月) 20:09:09ID:JtwXwWl+ボンクラ育成にもってこいだわww
0653人間七七四年
2007/10/15(月) 22:04:17ID:3j5QYXSj秀吉や家康も嫌いだけどこいつはマジで虫唾が走る
0654人間七七四年
2007/10/15(月) 23:43:27ID:/eyYHug2もともと織田が主家だからというのはわかるが
信忠あぼーんで織田が没落したのには
こいつにも原因があるわけだし。
0655人間七七四年
2007/10/16(火) 00:22:31ID:W+7f6Ge/0656人間七七四年
2007/10/16(火) 03:05:50ID:eK2V3GFn0657人間七七四年
2007/10/16(火) 04:35:57ID:MARVMhx80658人間七七四年
2007/10/16(火) 05:33:17ID:N3QZv8Ex0659人間七七四年
2007/10/16(火) 05:40:50ID:ecHIaEbR利家がもう少し長寿だったら秀頼に武将としての心得
(槍などの武芸、財テク、人心掌握術、自分より強い相手には従う処世術などw)
を叩き込んでくれただろう
0660人間七七四年
2007/10/16(火) 06:41:19ID:UdOU8arU武将としての心得なんて今さら叩き込もうとか考えるかね?
秀頼の悲劇は立場は頂点でありながら現実は2番手という微妙な状態が、
幼少期の頃から続きながら誰もそれを教えてやれなかったことだと思う
まあそんなこと口に出して言える奴なんかいるはずないけどさ
0661人間七七四年
2007/10/16(火) 12:33:03ID:uC6WVkqf秀頼自身の意見が主戦だったなら…
最後の最後まで自らは出馬せず戦は他人任せで落城してから千姫逃して助命嘆願て…
みっともないって自分で思わなかったのかねぇ
真田や毛利が突撃した日、まだ秀頼の予備兵力が城内に残ってたらしいけど秀頼出馬の上に全軍投入しても家康には届かなかったかな…
0662人間七七四年
2007/10/16(火) 12:39:08ID:YFKTRu51真田や毛利が突っ込んで敵陣を撹乱した後、こいつらが支援に入ってたら徳川方は苦戦じゃすまなかったかも
しかしそもそも譜代と浪人衆にしっかり連携しろというほうが無理
所詮は急造軍隊だしね
0663人間七七四年
2007/10/16(火) 12:50:58ID:UdOU8arU真田信繁と毛利勝永に出した指示からなかなかの判断力を持っていたことは伺えるが
その場その場での対応力ってのは場数踏まないと身に着かないだろ
0664人間七七四年
2007/10/16(火) 13:00:32ID:uC6WVkqf秀頼本人が家康本陣目掛けて突撃していたら秀頼を直接討つのにはかなりの心理的な抵抗があったろうね
豊臣全軍の士気も最高潮になるだろうし
妄想楽しいわw
0665人間七七四年
2007/10/16(火) 15:02:57ID:Fy7zPpclもしそれで秀頼を討った豊臣恩顧の大名が居たら
今の世でも永久に批判されてただろうなw
そして、秀頼と豊臣軍の勇姿は今以上に褒め称えられてた
そそくさと家康についた福島なら気にせず討ったかも知れんが
関ヶ原の秀秋なんて目じゃないほど叩かれてたはずだ
0666人間七七四年
2007/10/16(火) 16:44:45ID:UdOU8arU0667人間七七四年
2007/10/16(火) 17:27:44ID:Fy7zPpcl恩顧の中で真っ先に家康になびいた福島ですらそれなんだから
なおさら秀頼が出陣しなかったのが悔やまれるな
歴史通り、家康が勝って江戸幕府が開かれていたとしても
大合戦で主君を殺した奸臣達の総大将と言う汚名は免れなかっただろうな
ただ家康は捏造のプロだから抜かりなく嘘だらけの真実を世の中に広め
秀頼出陣などの真実は綺麗に闇に葬られてた可能性もあるw
または、秀頼が歴史上類を見ない暴君にされ
家康が泣く泣く正義の鉄槌を下したという超展開にされてるかもなw
やはり歴史は勝者のものだし都合の悪いことは残さんよ
0668人間七七四年
2007/10/16(火) 20:08:57ID:eK2V3GFn0669人間七七四年
2007/10/17(水) 14:42:27ID:L7g2kqOe「自分たちが家康に恩を売れば豊臣安泰」(北政所に語ったとされる本心)という思惑が外れたせいでえらいアンチがつくのなw
0670人間七七四年
2007/10/17(水) 18:29:54ID:iZYkfczNねねが恩顧の家臣と接触した事実はないんじゃなかった?
0671人間七七四年
2007/10/17(水) 21:33:03ID:+xoUJXce0672人間七七四年
2007/10/17(水) 22:44:56ID:1qG5A9kQ金吾チャンを蔑ろにして秀吉に叱責されてる。
秀頼に関しては>>671の言うとおり不仲ではないが
浅野と実家の存続を第一として距離を置いてる印象。
一般的に知られている朗らかで温和な女性像と
やや外れた一面も見受けられるね。
0673人間七七四年
2007/10/18(木) 00:09:55ID:cZ67MEiZどうもねねと淀に関してはこれは当てはまらないっぽいな
秀吉の死後、ねねは豊臣家それ自体に対して距離を置いてる感じがする
0674人間七七四年
2007/10/18(木) 00:31:02ID:/rql1Tp5淀が権勢をもった結果、秀頼と豊臣家に対して距離を取った
どっちなんだろうね
0675人間七七四年
2007/10/18(木) 00:38:45ID:if9/6yw5「どっちも」って言うのが正確なところのように思うな。
あと、ねねは秀吉が織田家の部将だった頃はともかく、天下取ってからは既に、さほどの影響力を
持っていたようには見えない。
0676人間七七四年
2007/10/18(木) 08:50:06ID:WW4kXuK0ねねの子として秀頼を育てていれば少しは違った?
0677人間七七四年
2007/10/18(木) 11:22:54ID:cZ67MEiZ淀もねねも実際には大した影響力なかっただろうし
朝鮮出兵が失敗に終わってればどの道同じ結果かと
0678人間七七四年
2007/10/21(日) 02:51:46ID:MxucxEiKここまで築いた豊かな生活をなくしたくないって言う
御家人の気持ちが強かったから自分たちに利のある鎌倉軍についただけで
ねねや淀が同じように大名に訴えかけたところで
豊臣につくより家康につく方が利があると思われてる以上
承久の乱の時のように、家臣が一致団結してくれるわけない
ねねは側室の子を育てようとしただけ
側室と子を鎌倉から追放し相続権の放棄を迫った政子よりは心が広いと思うが
乳母にべったりな嫡男より、手元で育てた次男を将軍にしたいが為に
自ら率先して嫡男を暗殺し、その子や妻と一族まで滅ぼした鬼母はそうはいない
あやうく於江がその二の舞になりそうだったが
0679人間七七四年
2007/11/04(日) 12:47:45ID:Dd/+y2opでもあのような悲惨なことには
ならなかったと思う…。
0680人間七七四年
2007/11/04(日) 15:14:49ID:u+WQxtVr北条政子の例は全く不適切だね。当時の鎌倉幕府に「豊かな生活」なんかない。
それどころか御家人達は朝廷側からおいしいエサでつられてた。朝廷は北条だけ
を名指しで「朝敵」として狙い撃ちしてたんだよ。他の御家人達は鎌倉を
裏切った方が「豊かな生活」できるよ。鎌倉御家人達は武家政治を守りたいから
朝敵とされても団結したわけで、豊臣VS徳川にはそんな大義はないね。
どちらについても単なる「家」と恩賞の問題だろ。
0682人間七七四年
2007/11/05(月) 13:07:34ID:dDhUvnbb大名は徳川幕府の成立によって初めて法的に規定された義務とともに権利を持つ自治体と成った。
0683人間七七四年
2008/02/17(日) 13:04:47ID:LXu/80NH戦場に出るくらい男らしいところ見せれば印象は全然違ったのに・・・。
すぐ討ち取られたかもしれないけどそれくらいの覚悟を見せて欲しかった
0684人間七七四年
2008/02/17(日) 13:58:15ID:i6LMmPDUそれはしょうがない。
0685人間七七四年
2008/02/17(日) 16:39:13ID:GQEAF0bf今で言うボブ・サップとほぼ同じ体格だぞ
筋肉の量は少ないだろうけど
そんな巨大な奴が刀や槍を振り回して大暴れしたら敵の兵も腰を抜かすだろ
当時の平均身長は今よりも低いんだし
0686人間七七四年
2008/02/17(日) 18:23:51ID:eXzcTIxqデブは筋肉があってすら、ちょっと動くと自分の自重でスタミナが無くなりすぐにへたれる。
ましてや普段から運動しない奴などはw
身長197体重161が正しいとすれば、甲冑をつけた常態の秀頼はおそらく、10分も
戦闘行為を続ける事は出来なかっただろう。
0687人間七七四年
2008/02/21(木) 21:27:53ID:w5O+htxc0688人間七七四年
2008/02/22(金) 10:29:54ID:IjAj8b390689人間七七四年
2008/02/22(金) 10:33:46ID:j8WKQ/Lz豊臣は名字じゃ無い。秀吉や秀頼の名字は羽柴。
豊臣秀頼と言うのは、家康のことを源家康と呼ぶようなもの。
0690人間七七四年
2008/02/22(金) 11:37:03ID:8AyrqpuM自分が百姓から命をかけて出世してきた分、自堕落に見えたんだろうか。
普通の世間知らずの武家が見下しているのとは一線を画していたような。
0691人間七七四年
2008/02/22(金) 12:04:58ID:j8WKQ/Lz実際秀吉自身が信長の配下になる前は、六角の家臣だったと言うもの有力な説ではある。
0692人間七七四年
2008/02/22(金) 12:35:14ID:Lf8SQQGX0693人間七七四年
2008/02/22(金) 23:56:50ID:evDmhEAr0694人間七七四年
2008/02/23(土) 04:19:28ID:TE6mm0QF御用学者の浅知恵というところか
0696人間七七四年
2008/02/23(土) 12:57:29ID:TE6mm0QFと常々疑問なわけだが
0697人間七七四年
2008/02/23(土) 22:14:25ID:gfcoVZ0wやっかみが多分にあるだろうし、それ自体後世の捏造の可能性もあるけど
築山殿については聞いたことがない
0698人間七七四年
2008/02/24(日) 00:10:12ID:4JJyg/nL当時エスパーニャとポルトガルは同君連合だったから
両国軍が連合して参戦してくれれば鬼に金棒
(当時の)最新兵器で幕府軍はたちまち壊滅だ
もちろん羽柴はキリスト教を解禁するなどの
返礼策を講じる必要があるが
0699人間七七四年
2008/02/24(日) 09:57:22ID:WmXYc1Yw秀吉自身のした事、家康の今川家からの独立を考えれば秀頼がどうなるか想像出来るだろうし。
でも、頼まずにはいられない親心なのでは。
0700人間七七四年
2008/02/24(日) 11:17:04ID:8655UYqG0702人間七七四年
2008/03/03(月) 17:50:25ID:extfW9jC紛れも無い事実。
教科書とかは名字と本姓の違いをちゃんと解説しないから
どうしてもこの手の誤解が払拭できないんだよね。
0703人間七七四年
2008/03/03(月) 18:15:55ID:fmaH5a4L0704人間七七四年
2008/03/03(月) 18:51:06ID:ohB0fK6Q豊臣といえば秀吉さんとこでまず間違いないからねぇ
0705人間七七四年
2008/03/03(月) 18:54:31ID:Nisgk/6Cまあ関ヶ原までは、徳川さんも前田さんも毛利さんも上杉さんも細川さんも、みんなみんな「豊臣氏」
だったわけで。
0706人間七七四年
2008/03/03(月) 20:05:20ID:INoEeiof他の女性とは子供が作れないのに、特定の女性とだけ子供を作れるような、
相性というか、精子と卵子の性質というか、ありえるのかな?
または、激務が続いてる時期は、精力も衰えて精子が薄くなって、子供を
作る機能が皆無に近くなっていたのだが、ゆっくりと過ごすことが出来るように
なると、造精機能も復活して、精子が濃くなって子供作れるようになるとか・・
そういうことあるのかな?
0708人間七七四年
2008/03/03(月) 21:20:00ID:Nisgk/6Cそりゃあ秀吉は朝廷の官位序列とは別に、支配下にある武家に対して「豊臣ノ長者」として、
家父長の権威でもその支配を正当化していたからね。
0709人間七七四年
2008/03/03(月) 22:38:20ID:TSqnBeKQ0710人間七七四年
2008/03/04(火) 15:54:10ID:aCWAdjuy0712人間七七四年
2008/03/05(水) 14:01:57ID:1l3rMtL5「藤原五摂家の持ち回り」であったため、秀吉の血統で関白職を独占し続ける為には「新摂家」を
設立せざるを得なかった。そのために作られたのが「豊臣氏」
0713人間七七四年
2008/03/07(金) 17:59:06ID:2WP1h2OW0714人間七七四年
2008/03/07(金) 22:22:51ID:P3azCuSLそれこそが正しい読み方だよ。
ちなみに、この正確な読みが用いられた作品は俺の知る限りたった一つ、
「独眼竜政宗」第30話しかない。
0715714
2008/03/07(金) 22:26:43ID:diHvvogk豊臣姓を使い始めてからは「羽柴秀吉」という名前では無くなったと
長い間思い込んできたので、初めて知ったときはかなり驚いたっけ。
0716人間七七四年
2008/05/14(水) 21:57:31ID:ipBFM7moノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y
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0717人間七七四年
2008/05/15(木) 12:52:46ID:+BaLtNyK話を蒸し返すようですまんなア。
秀吉にとって重要なことは、子(秀頼)が織田の血筋であること。
自分の血筋は重要ではないこと(そうならなお良いが)。
織田の血筋=天下人、という理論。
それでこそ、織田の旧臣達も豊臣に忠誠を尽くすはず。
そこで>>68もデタラメとも言えなくなる。
「お拾いは確かに自分の子だが、お捨ては淀が勝手に生んだ子だ」という秀吉の言葉。
当時から言われた、大野に似ている云々が真実味を帯びてくる。
豊臣にとって残念なのは、家光も織田の血筋として生まれたから、
秀頼の優位性が無くなってしまったことか。
0718人間七七四年
2008/05/29(木) 15:30:12ID:NWQx5P63ごめん、上げ足とるようで悪いが、訳が間違ってる
太閤の子供は鶴松だったが、死んでしまったので次の(生まれてくる)
子供は淀一人の子供にしたらどうか
と書いてある。これは後継者に秀次がいるし、また早世しないとも限らないので
過度な期待はしていないだけだと思うが
0719人間七七四年
2008/06/26(木) 14:20:12ID:V7+Hsb3Gその子どもが天草四郎時貞という説があるが
0721人間七七四年
2008/06/27(金) 11:08:33ID:fHTtBolt0722人間七七四年
2008/08/06(水) 20:05:55ID:cuInTZEFそんなデブをなぜ家康は恐れて滅ぼそうとしたのか分からない
0723人間七七四年
2008/08/06(水) 21:01:55ID:NoGw078u0724人間七七四年
2008/08/09(土) 09:40:32ID:IgiWuHu70725人間七七四年
2008/08/15(金) 08:31:44ID:JnSJXeqs結局子飼いの加藤、福島、小早川も改易だし
スレ違いですが、このサイトによると福島と加藤の改易は自業自得だったみたいですよ。
http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/3-11.htm
B大名改易は恣意的になされてはいない
(b)改易を具体的に検証する
を参照してください。
ソース文献
(笠谷著「大名改易論」、「近世武家社会の政治構造」所収)
0726人間七七四年
2008/08/15(金) 15:51:54ID:RncaQwV5科学的な調査で検証可能だよね。
0729人間七七四年
2008/08/27(水) 01:21:35ID:a4cGZhx0そもそも加藤・福島が北政所子飼いって自体が最近じゃ否定されてるだろ
本人をまるで訪れない子飼いなんているかw
0730人間七七四年
2008/08/27(水) 09:05:49ID:MJZUMugX0731人間七七四年
2008/08/27(水) 23:15:52ID:a4cGZhx0没交渉の「子飼い」なんているかよw
北政所周辺は細々とした書状のやり取りとかも記録に残ってるのに
そいつらとは何のかかわりもない
0732人間七七四年
2008/10/23(木) 18:11:17ID:VWnFj6O40733人間七七四年
2008/10/23(木) 18:14:21ID:/LpgPX/C「大男で酒飲みでいつも食い逃げしていた秀頼」という、変な伝承が残ってる。
0734人間七七四年
2008/10/24(金) 16:51:59ID:HIfrtLCmろくでなしにしてかわすしかなかったんだろうね
0735人間七七四年
2008/12/05(金) 01:17:45ID:gZmq6gT9秀次の継室(ウィキにはこう載ってた。正室、って書いてあるのもあるし側室ってのもあるけど)の一の台は秀吉の元側室だしね。
で、一の台の娘も秀次の側室になって、処刑される直前には秀吉がモノにしたとか。
ついでにネット情報で私は未確認なんだけど、ごめん。宣教師が、秀次が切腹になった理由として、秀頼は秀吉の子供ではない、と言ったからだ、と書いてるみたいだし。
三成説も強ち否定できないのでは?朝鮮出兵で九州の方に行ってたのは秀吉も同じで、淀殿を呼び寄せたりしたんじゃなかったっけ?
0736人間七七四年
2008/12/05(金) 04:57:06ID:/HeJp866三成が朝鮮に行っていた期間:1592年6月〜1593年9月
秀頼が生まれた時期:1593年8月29日
妊娠期間:280日前後(9ヶ月強)
物理的に無理(w
三成渡海期間は、熱心な三成研究をしている人のHPにあったもの。
この辺は当時の書状などからの計算と思われる。
0737人間七七四年
2008/12/06(土) 00:44:27ID:xaeS/y4x秀次説はどう?おもしろいと思うんだけど。
一の台は秀吉の側室だった頃の記録はあるのかな?寵愛されてたとか、されてなかったとか。
0738人間七七四年
2008/12/10(水) 23:13:57ID:ofpJSe+d確率は低いけど可能性はある
0739人間七七四年
2008/12/10(水) 23:44:36ID:O1fTnJFcそして、一の台が秀吉の側室だなんて初めて聞く。
「目をつけていたのだが召しだせなかった説」なら聞いたことがあるが
それも秀吉の上淫好みから出た信憑性のない醜聞的なものだと思う。
また一の台の連れ子のお宮の方が秀次の寝所に侍っていたというのは
「畜生塚」の由来の一つとも伝わっており、良く描かれている話だが
(母と娘と、両方と交渉をもったという事で)
処刑前に秀吉に召されたなんて話は初めて聞く。
0740人間七七四年
2008/12/11(木) 13:41:10ID:FFMUYZNy『時空警察』でやってたな、そのネタ
0741人間七七四年
2008/12/11(木) 20:58:49ID:b2M/lRXK一の台が秀吉の側室だったって話は有名だよ。ただ、一級史料として残っているかは私も分からないから、このスレで聞いてみた。
これ以上はスレチになりそうだが、どう?創作の可能性が強いのかな?
0742人間七七四年
2008/12/11(木) 21:01:10ID:b2M/lRXK「畜生塚」の名前の由来って他にもいくつか伝わってる?もしあれば教えてください。
私はその親子で…ということしか知らなかったもので。
0743人間七七四年
2009/01/18(日) 15:21:28ID:Kw2eZUDT0744人間七七四年
2009/01/25(日) 21:43:18ID:U4Mp9DGy0745人間七七四年
2009/02/15(日) 16:37:01ID:bT/itrN70746人間七七四年
2009/02/15(日) 17:42:22ID:Eu0Q92Dn0747人間七七四年
2009/02/19(木) 03:45:08ID:RecZJXhw0748人間七七四年
2009/02/19(木) 04:06:02ID:RecZJXhw0749人間七七四年
2009/02/19(木) 06:35:58ID:Sjllt2Vuそりゃ愛人やってるような奴ならそうかもしれんが
父親と母親を早く亡くし、伯父の庇護はあってもまともな愛を知らないんだぜ
茶々もそれなりの若さなんだから、若くて逞しい男が良いだろ
体面だけの愛で満足出来れば、世の中に不倫なんか存在せん
0750人間七七四年
2009/02/19(木) 09:18:20ID:64wsNwtQ0751人間七七四年
2009/02/25(水) 02:16:41ID:0En//biT0752人間七七四年
2009/04/09(木) 15:30:13ID:W+ji79eiそれとも条件によっては助命するつもりだったの?
0753人間七七四年
2009/04/09(木) 16:05:03ID:a9jqosZU時期によると思う
冬の陣および戦間期ならともかく、夏の陣の決戦以後では、たとえ生きたまま捕らえても
死罪になったと思うよ?
0754人間七七四年
2009/04/09(木) 17:41:19ID:kTLXC1m1いろいろ書籍も出ていてるし。
・大坂城に落城時の逃走経路が設置されいたとしてもおかしくない。
・夏の陣の後、海上通商路を使って大勢の浪人が九州に流れたそうな。
島原の乱で一揆勢が千成瓢箪を掲げていたのは、豊臣浪人が大勢混ざっていたから。
秀頼が九州に逃れた可能性大ではないか?
0755人間七七四年
2009/04/09(木) 17:48:08ID:a9jqosZU0758人間七七四年
2009/04/09(木) 18:49:58ID:WEM75V3X0759人間七七四年
2009/04/09(木) 19:17:17ID:oXqzHC/30760人間七七四年
2009/04/09(木) 19:29:48ID:FAG7AO8e暗殺しないとか無能すぎるだろ(笑)
狸は効率悪いやつなんだな
0761人間七七四年
2009/04/09(木) 23:44:16ID:tGsp6ryk秀吉、他にもたくさん子供できてたし、種もちゃんともってたんじゃないか?
出来てたけど、上から危険視されないように全部消したとか隠したとか。身元を隠させて偽名で自分の近くに置いたとか、可能性ないだろうか
0762人間七七四年
2009/04/10(金) 00:00:47ID:R5s/5I0k危険視されないためには実子人質として提出するほうがいいだに
0763人間七七四年
2009/04/10(金) 00:03:42ID:V2Yz14em信長が秀吉のガキを危険視しなければならない理由なんてない
>身元を隠させて偽名で自分の近くに置いたとか
世継ぎが山ほどいるならともかくいないのに隠してどうすんだ?
0764人間七七四年
2009/04/10(金) 00:14:34ID:mjSEsMr8あり得ないかやっぱり
0765人間七七四年
2009/04/10(金) 13:36:01ID:oX1rm0Eg遊女から子が出来にくくなる性病が蔓延していたのか?
0766人間七七四年
2009/04/11(土) 09:11:37ID:Z4SEcCrX性病の蔓延の為だとすでに考察してたと思うよ。
0767人間七七四年
2009/04/11(土) 12:32:39ID:Ci51joxO0768人間七七四年
2009/04/11(土) 12:37:32ID:reEl49IZ謙信とか勝家は最初から子作りする気がなかったわけだし
女を抱きまくってのに子供が生まれなくて困る秀吉の方が珍しい
0769人間七七四年
2009/04/19(日) 01:47:37ID:48wpC/Oq程度は違うが、利家、山内一豊、毛利両川も苦労してる。
0770人間七七四年
2009/04/20(月) 16:38:17ID:MYIyFahE長子鶴松も3歳で死んでるってことは「出来ても成人まで行く可能性がかなり低い」というのも1つの可能性なんだよな。
秀吉のDNAは「大きくなれば生命力も強いし高寿命だが、生まれてしばらくはかなり生命力が弱い」とかなんじゃね?
0771人間七七四年
2009/04/20(月) 17:35:29ID:19wRXfir0772人間七七四年
2009/04/20(月) 18:42:00ID:fQ/e3Gih0773人間七七四年
2009/06/25(木) 00:39:46ID:jLXbpgvN育ちのよくない武将に子無し率が高い気がする
0774人間七七四年
2009/06/25(木) 05:37:37ID:Y8LgohSzたぶん昔の成人女性は、特に身分が高ければ高いほど化粧がキモい
だからよほど女好きじゃないとエチしたくならない
側室より正室に子供が少ないのもたぶんそんな理由
家康が身分の低い女性ばかり好んで子供作りまくったのもそんな理由では?
0775人間七七四年
2009/06/25(木) 05:56:15ID:UM73WblF0776人間七七四年
2009/06/25(木) 12:09:00ID:c5+8+w4y0777人間七七四年
2009/06/25(木) 13:43:41ID:Qe/HnRDK子供ができたということだ。
相性がよかったんだな。
あとはあるとすれば、
大野くらいしかありえないな。
いずれにしても
徳川家って
墓まで壊すってのはどうなんだろうね。
0778人間七七四年
2009/06/25(木) 14:48:52ID:yz5MCvYv淀だけそれも2回というのは不自然
淀以外その時期やってないのなら
話しは別だが。
0780人間七七四年
2009/06/25(木) 18:36:52ID:4wVtWDpe秀吉の墓は豊国神社となって、秀吉を祭ってたからネエ。
>>778
超オキニの女ならヤリまくって妊娠することもあるんじゃねえの?
子ができず秀元を養子に迎えてたTEL元なんて、家臣から奪った女との間に子ができてるし。
0781人間七七四年
2009/06/25(木) 18:54:12ID:Dc46DBpmだから種無し
0782人間七七四年
2009/06/26(金) 09:46:29ID:00mr2RlN0783人間七七四年
2009/06/26(金) 09:47:48ID:00mr2RlN独眼竜でも功名でもそんなだったな
0784人間七七四年
2009/07/23(木) 12:25:26ID:xP5Wx8ys0785人間七七四年
2009/08/04(火) 14:58:40ID:tVJWxg4I0786人間七七四年
2009/08/09(日) 20:37:13ID:DK8pOwkK京極殿も相当のお気に入りだったみたいだけどこっちは子供は無し。
秀頼がデカイのは淀が大女だったので説明がつくけど一人だけ二回も妊娠したのは?
0787人間七七四年
2009/08/17(月) 22:26:58ID:s1XFkQFn0788人間七七四年
2009/08/21(金) 21:19:25ID:5gwY5O6k精子が極端に少なければ淀殿だけ、と言うのも仕方ない。
ナニが使えるのなら完全に死滅している可能性は以外と少ない。
0789人間七七四年
2009/08/25(火) 14:11:06ID:r3ET4Y8x秀頼の手蹟良かりし故
0790人間七七四年
2009/08/25(火) 16:39:32ID:ONicsfSu0791人間七七四年
2009/08/25(火) 17:43:58ID:y7OSZT/7秀頼のことを書状にしたためているから、最初の子は秀吉に
似てたのでは?
0792人間七七四年
2009/08/25(火) 17:46:15ID:KjZNoDuPそれは「今度の子は淀 (の手元で) ばかり (育てられている) の子でよろしくない」
って意味じゃないの?
0793人間七七四年
2009/08/25(火) 21:02:37ID:MXPqZc+T淀がごねたとしても秀吉の命令なら従うはずだと思うんだけど。
0794人間七七四年
2009/08/26(水) 08:58:18ID:f8HSjIGQ0795人間七七四年
2009/08/27(木) 07:47:33ID:JyYgBwtf0796人間七七四年
2009/08/27(木) 10:19:19ID:hBF7Hqyt秀頼が誕生してからの豊臣は外征の失敗と粛清でボロボロだから
秀頼を養子にしたら豊臣が崩壊した場合に自分が助からなくなる
ねねも秀頼に対して嫌な予感を抱いていたんだろう
0797人間七七四年
2009/09/02(水) 13:28:43ID:tXIK14jKそれでもまだかなりの貯蓄があった
恐るべし豊臣家
0798人間七七四年
2009/09/02(水) 16:05:41ID:OWkmXVSt0799人間七七四年
2009/09/02(水) 16:23:57ID:Z3tYiPqS0800人間七七四年
2009/09/02(水) 16:26:43ID:bwVYPjUWねねの養子になっているならなんで秀頼は淀の手元で育てられたんだろう?
0802人間七七四年
2009/09/09(水) 21:25:16ID:OKKt4Yq0淀が嫌がったんじゃないかな。
しかし、こんな国を滅ぼすジョーカーみたいな血統の長女を
側室にした秀吉がアホ。色ボケも甚だしい。
0803人間七七四年
2009/09/10(木) 01:58:23ID:krE5m0wL女系の娘の淀じゃなくれっきとした信長の娘である三の丸殿に子供が出来たりしていたらもっと酷い状況になっていただろうな。
0804人間七七四年
2009/09/10(木) 02:25:52ID:ISb2m6bP主家を乗っ取って、その娘まで側室にしてしまうんだからな
0805人間七七四年
2009/09/10(木) 02:49:10ID:mcTPnbxJ○姪
0806人間七七四年
2009/09/10(木) 04:09:44ID:rfFYC1YT0807人間七七四年
2009/09/10(木) 12:12:29ID:bZkS29Hy単に証拠を残したことがないだけだろう。
ていうか「家康は暗殺という手段を使ったことがない」と
断言するのはなんだかと思う。
物事は「ない」ということを立証するのは極めて困難なので。
0808人間七七四年
2009/09/10(木) 12:31:57ID:hC/zdyi0まあ証拠は無いんだろうけどね
0810人間七七四年
2009/09/10(木) 13:02:50ID:hC/zdyi0バッサリと切り捨ててしまうのもどうかと思う
もちろん伝承があるから、それが真実だと強弁するのも間違いだが
0811人間七七四年
2009/09/10(木) 13:12:08ID:pS2R0B5+0812人間七七四年
2009/09/10(木) 13:13:30ID:bZkS29Hyいや「絶対ない」という証拠は出せないものなんだよ。
せいせいが「確実に暗殺したと言い切れるものはない」程度だし。
0814人間七七四年
2009/09/10(木) 14:09:14ID:bgB2JlC0歌舞伎の題材にもなっているんだぞ?
0816人間七七四年
2009/09/10(木) 15:59:56ID:TWAvOb6a全部明治以降の説なのか。思い込みって怖いなあ
0818人間七七四年
2009/09/10(木) 21:06:51ID:mcTPnbxJ0819人間七七四年
2009/09/10(木) 21:22:25ID:/xiY5/n5ワロタ
0820人間七七四年
2009/09/10(木) 22:40:10ID:+4kI4z6Yただ江戸時代には大っぴらに語ることができない巷間の噂だったというだけで
幕府が倒れた後に日の目を見たということだ
まあ俗説の域を出ないけどね
体制が変わったりすると人の見方も大いに変わったり、発掘されたりして大いに面白い
0822人間七七四年
2009/09/10(木) 22:52:56ID:+4kI4z6Y真実か否かは別としてね
0823人間七七四年
2009/09/10(木) 23:40:45ID:YxUlMJfU豊臣恩顧の大名も長生きしていたら、家康も秀頼に付け入る隙が無くて
生きているうちに豊臣家を滅ぼすことができなかったかもしれないな
0824人間七七四年
2009/09/11(金) 00:18:31ID:ZSwzemck福島正則も加藤嘉明も黒田長政も、もし大阪の陣より前に死んでいれば、
「彼らが生きていれば〜」なんて言われたさ。
死んだ人間は責任がなくなるからな。どんな願望でも重ねる事ができる。
清正やら浅野やらが生きてたって、大阪の陣は起こったし、彼らが豊臣家に味方する事は
決して無かったさ。
0825人間七七四年
2009/09/11(金) 11:20:56ID:9VprWvm8そんな大昔のことでいつまでも縛られたら実際の当人にとっては迷惑以外の何物でもないよ
加藤も浅野も豊臣の我侭に振り回され続けることの心労で倒れたんだろう
0826人間七七四年
2009/10/09(金) 01:51:09ID:uGCOUNAm少しずつ継続的に盛るしかない。
毒まんじゅうだとしたら、数ヵ月後になって症状が表れたことになるけど
そんな毒なんてない。あれば教えて欲しい
それにそんな毒があれば薬物先進国の唐土で使われまくってるでしょ
あずみ的なものにしても当時の戦国大名を舐めすぎ
そんな不覚をとるような奴はいない
珍しいから水野忠重の例が有名なんでしょ
大体、そんなに暗殺者たちが強ければそいつらが天下をとってるよ
0827人間七七四年
2010/01/11(月) 15:44:36ID:QPIA34vO0828人間七七四年
2010/01/11(月) 18:19:16ID:v6w6VQef正室が石女だったのは仕方が無い
老年期にやっと成人するまで生きられる子供が生まれたというのは仕方が無い
側室からとういのは仕方が無い
ただせめて滅亡した家の娘ではなく既存大名家の娘だったら、と思う
それこそ文字通りの藩屏になったであろうにね
0829人間七七四年
2010/01/11(月) 18:34:19ID:kjPs9m4s0830人間七七四年
2010/01/12(火) 09:31:47ID:ET/DMXmy0831人間七七四年
2010/01/13(水) 03:36:37ID:otAMSufq現代でいうと中小企業で係長にさせてもらって別の企業から部長待遇で
誘いがあったので転職したらボロカスけなされたって感じ?
0833人間七七四年
2010/01/14(木) 19:39:07ID:AoUznQMz家康に秀頼を託したのは秀吉じゃん
全員で家康総攻撃とか遺言状でも残しとけよ!
0834人間七七四年
2010/02/11(木) 22:48:42ID:v55zNbU+0835人間七七四年
2010/02/19(金) 19:57:38ID:ZBwKoNRb0836人間七七四年
2010/03/23(火) 17:38:51ID:YMdPxeJh0837人間七七四年
2010/03/25(木) 22:24:38ID:T5sj7aKkまた、秀頼が秀吉と比べかなりの長身だったのも、淀とその両親が長身だった事や、秀吉と比べ遥かに栄養状態が良かった事を考えれば、別に不自然ではない、
そして、淀以外にも秀吉の子を産んだ女は居るので、秀吉は種なしでは無かったと思われる。
0838人間七七四年
2010/03/25(木) 23:09:20ID:qm/vO8yi0839人間七七四年
2010/03/26(金) 01:49:41ID:87ew18p8今では想像も出来ない
0840す@死
2010/03/26(金) 04:26:12ID:84v7zpxu淀だけに2人も子供が生まれるのは おかしい
淀の性格からしても、なんとかして子供が欲しいから
違う男と寝て得た子供だろう
0841岸挑戦
2010/03/26(金) 05:46:59ID:OuBjM3xN0842人間七七四年
2010/03/26(金) 06:06:15ID:lwhB5Hys何百人という側室に子供がまったく生まれず、なぜか淀君だけが連続出産
どんなバカでも、この状態を見れば理解できるはず
こんなバカでも一時的にせよ天下を取れたのは、運と側近の力が大きかったんだろうな
朝鮮出兵といい、朝鮮人でなくともコイツだけは日本という国にとっても勘弁してほしかったな
0843人間七七四年
2010/03/27(土) 00:21:35ID:XINCky970844人間七七四年
2010/03/27(土) 12:57:09ID:5htS/0nE旧織田家臣や土豪の出ならともかく、
加藤福島は秀吉がいなかったら武士ですら無かったかもしれない
それを大した恩じゃないというのは親に産んでもらった恩なんかないと言ってる厨2病と一緒
0845人間七七四年
2010/03/27(土) 19:20:26ID:r73wat9W0846人間七七四年
2010/03/31(水) 01:46:47ID:zk4gvJDN>秀吉がいなかったら武士ですら無かったかもしれない
そうだとしても、それを20年も30年も言われ続ければ誰だって嫌になるわな
0847人間七七四年
2010/03/31(水) 10:13:37ID:Fb3NexVRまるで野球の育成枠やサッカーの下部ユース上がりは一生そのチームに忠誠を尽くすべきだ、
と言っているようだ。
現実には正則も清正も、引き上げてもらった分だけの恩は働いて返しているわな。
0848人間七七四年
2010/03/31(水) 23:42:19ID:qhpBoKD4働いて返したといっても大勢に影響ない程度で、天下を大きく動かして豊臣の
ためになったようなことはしていない。
0849人間七七四年
2010/04/01(木) 00:21:25ID:WMBc6q0P足軽クラスから大名になるには相当な運がないと難しい
この場合、秀吉の運のおこぼれに預かったようなものだろ
正則は・・・・それこそ親戚じゃなかったら
酔って揉め事おこして死んでるだろw
0850人間七七四年
2010/04/01(木) 15:11:38ID:l23SNEkL正則>>>>>清正
なんだがな。
0851人間七七四年
2010/04/01(木) 18:33:01ID:9dehWQJN0853人間七七四年
2010/04/02(金) 01:03:21ID:we2iwgU3それは乳幼児の死亡率が高いから出てくる「平均寿命」
実際は幼児期を過ぎれば、おおむね平均して5,60まで生きる
0854人間七七四年
2010/04/02(金) 01:40:19ID:PHDvjvht0855人間七七四年
2010/04/07(水) 11:26:58ID:LHtey9FF秀吉は信長がいなかったら武士ですらなかったが
秀吉は信長の子孫に恩など返していない
秀吉がしていないことを加藤福島がやる義務はない
0856人間七七四年
2010/04/08(木) 01:15:24ID:zRFF7WWQ0858人間七七四年
2010/04/10(土) 15:45:20ID:IVkVuooi信長にとって秀吉はいたほうがよいくらいだろう
いなかったらスペックダウンした別の武将がその役割を果たしただけ
0859人間七七四年
2010/11/07(日) 09:42:38ID:pqCGwbvn0860人間七七四年
2011/03/29(火) 22:00:25.24ID:nvLGpUYl根拠は無い
0861人間七七四年
2011/03/29(火) 23:09:09.35ID:V7sNxdsa0862人間七七四年
2011/03/29(火) 23:39:38.71ID:VeiDKqDn0863人間七七四年
2011/03/30(水) 00:30:01.03ID:L5kzgLYq0864人間七七四年
2011/04/01(金) 01:00:40.42ID:yPJxTRy+根拠はない
0865人間七七四年
2011/04/01(金) 01:35:50.44ID:62UdVtGC0866人間七七四年
2011/04/01(金) 15:09:18.22ID:25hQRYnkこの秀頼の首から下は…わしの祖父、松平清康の体なのじゃッ!」
0867人間七七四年
2011/05/25(水) 14:10:43.93ID:xZ9xhlId0868人間七七四年
2011/05/25(水) 16:46:44.52ID:T4zBUTx80869人間七七四年
2011/05/25(水) 23:59:08.46ID:Jf8/6WBX0870人間七七四年
2011/05/28(土) 20:11:12.64ID:2cipKot3カブトの前面の飾りが、額の両脇に炎がめらめら上がるようなデザインだった。
秀頼が奉納した実存のヨロイがあるのかもしれない。
0871人間七七四年
2011/05/31(火) 11:41:43.24ID:wiHgvYtaそりゃ大名達から見限られるわけやで
0872人間七七四年
2011/05/31(火) 20:54:44.57ID:wIM6uHujものすごいイケメンで、頭が良い男だった。家康との面会では、見事な立ち振る舞いで、家康を圧倒。
同席した面々に、「やっぱり天下人だ」と思わせてしまい、家康は逆に、秀頼を抹殺することを決意
させてしまう。千姫が主役の少女漫画だが。
次回の話は、6月10日ごろ販売のチーズ!7月号増刊に載る模様。
0873人間七七四年
2011/05/31(火) 21:05:17.89ID:wIM6uHuj難聴で耳が充分聞こえなかったとしたら、人間としての影響力は大きく制限されるし、
(片方の耳は聞こえたと思うが)両耳が聞こえなかったら、自分の声もよく聞こえないので、
発音までおかしくなり、充分しゃべれなくなる。
耳と口が不自由なら、母の淀君なら、息子の秀頼を人前に出さなくなるだろう。
秀頼の頭蓋骨とされる首が、難聴の跡があったというのが気になる。ちなみに俺は左耳が不自由で、
聞こえないというよりは、聞き間違いが多い。
0874人間七七四年
2011/05/31(火) 21:15:47.16ID:wIM6uHujhttp://books.google.co.jp/books?id=Of7oe4ENX8oC&pg=PA122&lpg=PA122&dq=
秀頼%E3%80%80難聴&source=bl&ots=8eakdQB1Oa&sig=D2JbLocGBisCplDGAII3CrXBHgA&hl=
ja&ei=-tnkTaezHYKyvgO8qaybBw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=4&ved=0CCQQ6AEwAw#v
=onepage&q=秀頼%E3%80%80難聴&f=false
秀頼が生まれた月から逆算して、性交日?を調べると、秀吉はそのとき九州の名護屋城にいたそうだから、
秀吉の子ではないらしい。
秀吉の血判状(これで確か血液型はB型?)と、秀頼頭蓋骨のDNAで、親子関係を調査できればいいのだが。
0875人間七七四年
2011/06/02(木) 13:35:02.26ID:rzGJ/Ks9秀頼は名護屋城の子だが、秀吉が朝鮮出兵の指揮を取るために名護屋城に入った際、
側室の茶々と京極龍子を名護屋城に伴なっている(史料に残っている)。
ちなみに、秀頼の頭蓋骨は信憑性がない。
京橋口三の丸跡から発掘されたと言うが、大坂夏の陣の当時、外堀は埋められていたために
三の丸は完全に城の外で、秀頼がいたのは内堀中に(本丸か山里丸)限られるから。
最近、山里丸で数センチにも積もった爆薬によって焼けた土が発掘されており、
秀頼自刃の地は山里丸でほぼ間違いないとされており、三の丸跡から発掘されるはずがないとされる。
0876人間七七四年
2011/06/02(木) 21:14:18.40ID:/qXx2Xs/サンクス!。茶々が名護屋城まで行ったとは初耳だなあ。ならば秀吉は身に覚えがあることになり、
秀頼が実子だと秀吉が確信してもおかしくはない。
秀頼の頭蓋骨は信憑性がないことについて、お見事な情報、ありがとん。
0877人間七七四年
2011/06/13(月) 08:48:00.66ID:F1VT2bJkチーズ!増刊号の「華の姫」、発売されたので、つづきを読んだ。
国家安康、君臣豊楽という鐘の銘文で、家康が言いがかりをつける場面となっていた。
秀頼は自害することで皆を守ろうとするが…、今月号の出来はイマイチだった。しょうがないかな。
0878人間七七四年
2011/07/19(火) 23:47:08.32ID:gXEs0/csマジレスすると自分の精子からできなくても「子供」ではあることに違いはない。
0879人間七七四年
2011/07/23(土) 10:22:08.35ID:7aD6Tl2v0883人間七七四年
2011/07/24(日) 01:10:23.06ID:vyTTXp6Y武勇はともかく統治能力なんて、血統や官位と言った権威と、その神輿に涼しい顔して乗っかれる気概が有れば
周りがどうにかしてしまうのではないかと。
0885人間七七四年
2011/07/28(木) 12:39:35.04ID:R+4QAIcw今度で完結編らしいから、秀頼が死ぬシーンだな。
ぶあつい少女漫画だが、エロ漫画でもあるので(華の姫はそうでもない)男が読んでも楽しめる。
0886人間七七四年
2011/08/02(火) 02:17:35.10ID:scgInLsZだろうか。
0887人間七七四年
2011/08/02(火) 11:02:35.77ID:upMjgwv60888人間七七四年
2011/08/02(火) 14:24:50.26ID:lr5r6NgA0889人間七七四年
2012/02/04(土) 22:00:47.79ID:G/Stjisl0890人間七七四年
2012/02/12(日) 19:17:07.51ID:p/vZwXgoほかの男の子を産んでから秀吉の側室になったもの
秀吉没後再婚して子を産んだものがいますので
畑が悪い説はあり得ない
秀吉は種無しで確定しょう(だから石女とバカにされた北の政所は悪くない)
淀はどっか別の男との子を生んだんでしょう
南殿も多分架空の人物だから氏素性不明でその後も不明ってことなんだろう
淀にだけ子ができたんで大急ぎで長浜時代にも子がいたけど死んだとねつ造したんじゃないか
0891人間七七四年
2012/02/29(水) 15:01:46.70ID:2WHqJ9N/「淀はこの度めでたく、わしの子をみごもったわい!!」
ねね様はしばらく考えてから、口を開きました。
「こんな話をご存じですか。
狙った熊は決して逃がさない熊撃ちの名人がいた。
ところがある日、急いでいたのでうっかりして、
猟銃の代わりに傘を持って熊撃ちに出てしまった。
そして熊に遭遇。彼はまだ傘と気づかずに猟銃のつもりで傘を構え、
ひきがねのつもりで傘の持ち手をバーンと引いた。
すると熊はパタリと倒れた。見れば心臓を銃弾が直撃…」
秀吉「そんなバカな!あるとすれば、その弾は他の者が撃ったに違いない」
ねね「そういうことです」
0892人間七七四年
2012/03/20(火) 23:48:35.39ID:0aQHo2gIhttp://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120320-OYO1T00094.htm
0893人間七七四年
2012/05/13(日) 15:35:18.90ID:RDbff37v乳母一族が実の家族以上に結びつきが強く、夜の手解きも教えたのも確かだろうが、
育てた主君の出世は乳母一族の出世でもあるんだし、そんな危なっかしいスキャンダルを起こすのはアウトだろ。
乳母子って「家来として尽くす」というイメージが強いんだが、俺は他の男説を信じる。
0894人間七七四年
2012/05/13(日) 16:45:17.77ID:x9urS4Yjそもそも、秀吉が種なしだった場合、淀が出世するにはどうすればいいんだっけ?
0895人間七七四年
2012/05/14(月) 07:26:36.18ID:iBJ919P20896人間七七四年
2012/05/23(水) 20:33:48.47ID:uOFjeZwlねねが主人公だから非実子説を採ったものと推測
0897人間七七四年
2012/05/27(日) 20:40:10.46ID:qiO9ryYhもっと面白い戦いになっただろうに
0898人間七七四年
2012/05/27(日) 20:43:56.43ID:2eYp7UVN0899人間七七四年
2012/05/29(火) 05:33:30.09ID:R6oY2uoV0900人間七七四年
2012/05/30(水) 23:40:59.70ID:L2z2WECv体重43貫(161kg)
これが史実の秀頼であるとされる。
当時の記録には、
「世に比類無き御太り」
と記され、宣教師の記録にも残っている。
自由に身動きがままならず、馬にも乗れなかったとされる。
大坂の陣において真田幸村から出馬要請が来てもこれが仇をなし出れなかったらしい。
また、途中まで出るものの、やはり城外に出る寸前で改め引き戻したとの説もある。
大の大酒飲みであったらしい。
また、秀頼は大坂落城の時に自害せず、薩摩まで幸村と落ち延びたという超有名な一説がある。
時の薩摩藩主、島津義弘は逃げてきた秀頼を匿い、長屋を与えたという。
また、義弘は家臣や薩摩の民にも「無礼のないように」とする触れを出していたという。
当時の薩摩には、6尺5寸43貫並みの超大男の目撃情報が相次ぎ、その男は酔っては街に繰り出し民衆に迷惑をかけていたという。
その男の名が「秀頼」であったとされる。
0901人間七七四年
2012/05/31(木) 12:55:41.73ID:LtNA2mzK0902人間七七四年
2012/06/02(土) 16:31:51.10ID:x92aGY6v0903可愛い奥様
2012/09/05(水) 20:26:27.12ID:Mu05dtO7そう言う事できる奴(大野君)が事実上の父親。
大野君は体格良かったんでしょ。
0904人間七七四年
2012/09/06(木) 16:44:21.80ID:bqfjVVUV0905人間七七四年
2012/09/07(金) 01:47:29.30ID:98Rm+oYM0906人間七七四年
2012/09/07(金) 02:18:49.79ID:ChnG9aqg0907可愛い奥様
2012/10/24(水) 21:00:44.33ID:PSI1UIRJ最近なんとかという学者がいってたし・・・・・・・
0908人間七七四年
2012/10/24(水) 22:15:03.68ID:vD8peV7l0909人間七七四年
2012/10/24(水) 22:23:15.07ID:grU74UFj葵・徳川では治長と出来てる演出だったな。
0910人間七七四年
2012/12/06(木) 00:06:39.93ID:Lm0LQ0Yf茶々も割とたくさんの男性と接する機会があったんだよな。
0911人間七七四年
2012/12/06(木) 02:55:27.24ID:TY+uQ9i6…と、苦しい言い訳をしてみる
0912人間七七四年
2012/12/06(木) 23:56:17.78ID:vfXXA5yY現代人の感覚からいえばG・馬場が小錦みたいに太ったみたいなもんか?
で、顔があの残ってる肖像画のように軟弱マロ様丸出しだったら、
冬の陣の最初の顔合わせの時、後藤とか思わず「なんじゃコイツは!?w」と吹き出したろうな。
0913人間七七四年
2012/12/08(土) 23:54:05.31ID:WuLxbyQKその遺骸と秀吉の身内の墓の遺骸をDNA検査できないかな?
0914人間七七四年
2012/12/09(日) 00:13:57.07ID:/daresv6簡単にDNA検査とかいうなよ
0916猿飛佐助
2012/12/30(日) 13:37:14.69ID:HAlXVZ0k0917人間七七四年
2012/12/30(日) 21:11:07.43ID:NFtPzF6X0918人間七七四年
2013/01/05(土) 22:33:27.25ID:VrlLrGBH見つかった秀頼の首というのが本物であれば、目鼻立ちも大きくはっきりしていたらしいし
秀吉の要素皆無なんだよな。
大野は長身の美男子だったらしいのでまだこっちの方がありえる。
というか大野以外考えられない。
一緒に同じ乳吸って成長して、一緒に2度の落城を経験して、一緒に秀吉に仕えて、一緒に秀頼育てて、離反者続出の中最後は一緒に死ぬんだぜ?
いくら乳兄妹の絆が強いとはいえ主従の関係は超えてるように思う。
純粋に愛し合ってたのに秀吉がかっさらっていって、それでも忍んで会ってたらうっかり子供が出来ちゃった、みたいな感じじゃないの。
関ヶ原前年の密通騒ぎの一つに、家康と茶々の婚姻をぶっ壊して茶々を連れて駆け落ちしたという記録もあるし。
あの緊迫した情勢でさすがにそれはないかなと思うけど、子も生しちゃうような仲なら本当にそれに近い事は実際あったのでは?
0919人間七七四年
2013/01/06(日) 02:10:20.26ID:zSFoRaxZ>茶々も大柄だったらしいぞ
それは史料的に立証されたことでは無いし。
伝茶々着用の衣裳から推定身長を出したとかいう話もあるが
それは当時の小袖や打掛の着用仕様の知識の無い人が検証した結果だったりするしね。
0920人間七七四年
2013/01/08(火) 18:30:42.10ID:EWzOIM/T秀頼は、秀次と茶々の子供、ということになっている。
秀吉は自分の子供ができないのを気にして、極秘でことを進めた。
出産後は、秀吉は自分の子じゃないのをわかっているのに、秀頼を溺愛。秀次は処刑。
0921人間七七四年
2013/01/09(水) 02:02:01.25ID:0gvY7IViそりゃ小説や漫画はあくまでも「歴史を題材にしたフィクション」だから
どんな設定も作者の筆一つで変貌自在に創作できるもの。
誰を父親にしようと作者の勝手。
むしろ「今までの創作に無い設定」で構成しないと、
作品としての売りが出来ない。
0922人間七七四年
2013/01/09(水) 07:41:52.33ID:GG+zSJOR作り話とはいえ娯楽のための漫画だから、
とっても読み易い。
秀頼の父が秀吉じゃないのを承知のうえで、秀吉も ねね も、秀頼を守っていた。
育った秀頼は、すげえハンサムの英才に描かれてたわ。
0923人間七七四年
2013/01/09(水) 11:30:05.28ID:KzNpA190茶々が名護屋にいた時にできた子だし。
受胎期間的にも秀吉が大政所の件で大坂に行って帰って来たあたりのギリギリ微妙なラインなんだよね。
なので秀吉の子でも辻褄が合う。留守中にはっちゃけちゃった可能性もあるけどw
0924人間七七四年
2013/01/09(水) 21:54:52.58ID:GG+zSJOR秀吉はタネなしではなくて、精子の数が少ないか活性が悪いだけなので(現代でもそういう男はよくいる)
子ができないわけではない。
0925人間七七四年
2013/01/11(金) 02:07:57.18ID:r+DHKj3d秀吉留守の時もあり得るのが想像をかきたたせる。
三成はアリバイがあるからシロとして治長が名護屋滞陣してるのがなあ。
他に父親候補にあがってる名古屋山三郎は名護屋に来てるのかな。
0926人間七七四年
2013/01/15(火) 13:22:46.72ID:jCNJqBy5秀頼受胎当時、茶々は名護屋城にいて秀次は京の聚楽第にいたから
秀頼は秀次の子でないことが確かというだけで、
名護屋城にいた男は秀吉一人だけではないからやはり父親特定はできない。
たとえば秀次の弟秀保なんかも名護屋城に駐在してる。
秀吉が死んだ直後の同時代史料に秀頼は大野治長の子だという
伝聞もあるくらいだし。
0927人間七七四年
2013/01/17(木) 16:27:29.14ID:78Aq3uw2秀勝かと思ったわい。秀次の弟には秀保というのもいたんだね。17歳で変死。
豊臣家は、なんでこうも親族は少ない上に
早く死ぬのが多いのだろうか。
徳川家に政権が移るのも無理ねえや。
0928人間七七四年
2013/01/20(日) 21:41:35.30ID:dg8fbq/70929人間七七四年
2013/01/21(月) 02:09:45.89ID:wAEtEsOD茶々達が住まう屋敷は大坂城よりはユルユルだろうけどはたして逢引まで出来たかね。
天下人の寵姫に手を出すって命がけでしょ。そんな度胸のある奴いたのかな。
>>926
大野の密通疑惑は秀吉死去翌年には取りざたされている。その時期からいきなり名指しだよ。
朝鮮人捕虜の看羊録や多聞院日記、毛利家宛ての家臣からの手紙にもあるからかなりのスキャンダルにはなっていただろうね。
どれも駆け落ちだの妊娠だの「こんなのが流れてて大野も茶々もよく生きてたな」レベルの内容。
密通がただの噂であれ当事者へそれなりの処罰がないのが不思議なくらい。
(実は大野の下総流罪はこっちがらみ?)
そんな浮名を流しながらも関ヶ原後はしれっと豊臣家に復帰して重臣になってるし、大野はやはり特別待遇だったのだろうな。
自分だったら、真偽はともかく密通疑惑がたった時点でビビって表出れないわ…。
0930人間七七四年
2013/01/26(土) 10:56:07.50ID:5bbnSDoe淀殿との密通 [編集]
当時より、治長は淀殿と密通していたとの噂があった。
“
一、おひろい様之御局をハ大蔵卿と之申し、其の子ニ大野修理と申し御前の能き人に候、おひろい様之御袋様と共に密通之事に候か、共ニ相果てるべし之催にて候処に、彼の修理を宇喜多が拘し置き候、共に相果てるに申し候、高野江逃れ候共に申し候よしに候、(後略)、
”
―慶長四年十月一日付内藤元家宛内藤隆春書状
なるほどな。読めんけど。
0931人間七七四年
2013/02/01(金) 12:21:44.14ID:JmSHkFM2黙認してたのと同じような背景だったんじゃないの。
たとえ大野と男女関係があったのが歴然としたことでも
それでも茶々を側に置きたいというような秀吉の歪んだ愛情もあって
天下人の寵姫たる茶々を世間的な制裁の矢面になんて出来ないだろうし
(この点は憶測)
0932人間七七四年
2013/02/02(土) 04:03:36.17ID:ryH4epy8「(慶長四年9月10日に)家康と淀殿が祝言を挙げる事が決まっていたにも関わらず、その直前に大野修理が淀殿を連れて高野山に逃げた」、と。
当時の噂を書き留めたのだろうから尾ひれ羽ひれにより微妙に違いがあれども、内容的には看羊録の記述も同様のもの。
キーワードは「秀吉死後翌年、家康が大阪城に入城する頃の事」「家康・淀結婚予定だった?」「(なぜか)宇喜多に匿われる」「高野山」
>それでも茶々を側に置きたいというような秀吉の歪んだ愛情もあって
そうだとしたら相当歪んでるな〜秀吉。真正のMだろうね。大野もある意味ドMだろうけど。
侍女が勝手に結婚して子供作った時には一家皆殺しにしちゃったというのに…。
0933人間七七四年
2013/02/04(月) 19:46:18.85ID:OjILTFg6室として、政を後見せよといったという記述があるんだよな。
そして実際に「多聞記」には「十七日、(中略)大坂ニテ去十日秀頼之母家康ト祝言在之候、
太閤之書置在由候、大野修理秀頼之母ヲ連候、高野ヘ参候由珍重」
このとき、徳川家康57歳、淀殿31歳、大野治長31歳。
自分の愛妾に自身の死後は26歳年上のおっさんと再婚せよという秀吉も秀吉だが
(秀吉と淀殿の年齢差はさらにもっとあるが)事実だとしたら秀頼を守るためとはいえ歪んでるな.
淀殿が同年齢の大野治長と逃げたとしても仕方ないわ.
0934人間七七四年
2013/02/04(月) 21:20:47.37ID:L5KvGNzM0935人間七七四年
2013/02/05(火) 22:38:01.35ID:OFCMuNwbただそうなると、家康×淀、秀忠×お江、秀頼×千姫、という三代にわたる濃密な血縁関係が。
もし家康と淀に子でもできたらどうなっちゃうんだろ。秀忠と秀頼の弟で…もう豊臣だか徳川だかわからなくなっちゃうよ。
0936人間七七四年
2013/02/06(水) 00:29:07.55ID:/WtBwBKs全員不義を働いていないというのもまた不思議である。
望まぬ形で秀吉のモノとなった者は数多いし、我こそが天下人の子を産むと
野心に燃えた女が他にいてもおかしくない。逸話では淀殿だけやたらガツガツ
行動してるけど、他はみんな霞でも食ってたというのだろうか。
また秀吉があれだけ怪しまれる要素満載の大野を殺さなかったのも不思議。
噂には気づいていただろうに。個人的には、秀頼は秀吉の子だと思っている。
0937人間七七四年
2013/02/06(水) 09:49:59.28ID:ay0Cs0FSしかしながら、秀吉の子を産んで立身出世、と思う気持ちが一番強かったと思われるのも淀だよ。
望まぬ形で秀吉の側室になった者はいたかもしれないが、
京極竜子(京極高次姉妹)、三の丸殿(織田信長の娘)、摩阿姫(前田利家の娘)
皆実家は健在で帰る家はある。恋愛結婚だったという秀吉の正室ねねも勿論実家は健在。
秀吉の側室たちの中で淀の実家・浅井家だけが断絶しており、淀には帰る実家がない。
豊臣家にしか居場所のない淀がそれを望んだとしても不思議ではないがな。
あと、大野の密通記録が流通するのはは秀吉の死後。
秀吉の生前、その噂が流れ、秀吉が承知していたかどうかは不明。
0938人間七七四年
2013/02/06(水) 12:13:47.82ID:9sekY0Xz>>937
秀吉生前は鶴松、秀頼共に「誰の子だよw」という落首がはられたりしてるくらいで父親名を記録したものは見当たらない。
庶民ですらそう噂してたのだから当時の城内、諸侯の間でも色々憶測はされてただろう。
茶々も大野もさすがに秀吉生前はそういう関係は匂わせていないだろうけど、乳兄妹だから傍からみて親密だったろうし疑われやすかっただろう。
秀吉の狂気に拍車がかかったのはその辺の猜疑心からというのもあったりして。
もし不義密通がばれたら一族郎党惨殺だろうし、側室は人質的な意味合いもあるので、主人への不義を自制する上でも実家の存在は大きいね。
秀吉の側室というだけでそこそこいい生活できただろうし無理して下手な博打は打たないだろう。松の丸殿は子を産んでなくても京極家にあれだけ恩恵をもたらしている。
ただ実家がなく秀吉死後の郷がないとはいえ、茶々自身旧浅井家臣を多く抱えてる身で2度も賭けに出れたものか?
男の方もそんな命がけの行為ができるのは余程の忠臣、かつ内々に事を運べる人物だろう。
そんな訳で、後世の憶測では、もし種違いだとすれば↑な事ができるのは大野くらい?しかも秀吉死後に密通の噂が立ってるし生前から関係があったのかも?!→大野が実父説になるんだろうね。
0939人間七七四年
2013/02/06(水) 21:28:15.84ID:/WtBwBKsそう、そういう顔ありキャラのお姫様達と名を連ねられたのは子を産んだからこそ。
北ノ庄城落城から鶴松懐妊まで淀殿の足跡はようとして知れない。つまり、子供が
できて初めて周りに認識される程度のモブキャラだったということ。
秀吉が本当に100人単位で女を囲ってたのなら、その殆どはこうしたモブだった。
現代まで名が残っていないだけで、本当はもっと登場人物がいたはず。淀殿以上に
因縁のある人がいたかも知れない。その中で彼女だけが行動を起こしたとするのは
やっぱり不思議。
>>938
親兄弟の敵に嫁ぎ、子を産む。正室vs側室。豊臣vs徳川。いかにも世間が好みそうな
題材が満載だからね。ボケる前の秀吉のアンテナは異常だったし、少しでもクサイと
思ってたら大野を名護屋に伴わせなんてしないと思う。
0940人間七七四年
2013/02/07(木) 10:22:01.46ID:79s02161淀殿は鶴松出産以前から「兼見卿記」「言経卿記」などに
「大坂二ちゃちゃ方」「茶々御方」などと記録され、
大坂城に住む秀吉の側室として認知されていた
秀吉周辺は子を産まなかった側室でも名が残っているよ
竜子も三の丸殿も摩阿姫も秀吉の子を産んでいないし
秀吉に100人単位で側室がいたなどというのも史実ではない
0941人間七七四年
2013/02/07(木) 13:56:54.20ID:hXr43LMq100人側室待遇だと、その側室周辺の人間まで金銭的に面倒みないといけないからいくら秀吉でも破産しちゃう。
伊達家文書にある通りなら側室の人数は茶々も含めて14人みたい。あの秀吉の割には意外に少ない。
茶々は家柄的にもモブキャラ扱いできないだろうし、最初から正式な側室待遇じゃないかな。
個人的には、茶々の場合、政略のための側室と違って、秀吉好みの損得勘定抜きの愛人的側室な感じがする。
0942人間七七四年
2013/02/07(木) 16:57:15.44ID:Qn5zwJZn0943939
2013/02/07(木) 20:03:45.76ID:caWDNy24それって淀殿本人か断定はできないんじゃなかったっけ?例え本人だったとしても、
単に話の説明で登場しただけで秀吉の側室としての記述じゃなかったと思う。
自分も秀吉が大ハーレムを展開していたとは思わない。でも上の方の流れがそう
だったから(というよりスレ自体がそれ前提で立てられているから)、それが本当
だったらちょっと疑問があると思ったんだ。
14人の内1人だけが妊娠するのは、不妊症の男性には確率的に何らおかしくない。
秀吉以外にもなかなか子供ができなくて、晩年にようやく授かったという武将はいる。
何回も書き込んで申し訳なかった。ただ以前から確たる史料もないのに名将扱いの
人物がいたり、その逆な人物がいたりするのを見るにつけ、創作のイメージが真実
かのように語られるのは悲しいと思ってたんだ。
もちろん400年前の事なんて何が真実か分からないけど、淀殿周辺はそれが顕著
だなと。後世の「どうせこんなとこだろ」「こうだったら面白いよね」という思いが
作用しすぎてる気がする。
0944人間七七四年
2013/02/08(金) 11:00:50.12ID:yIe7/a27「兼見卿記」「言経卿記」の記載は淀殿本人だろ
前者は大坂城二の丸にいると書いているのだし後者は大政所に会いに行く記述
いずれも秀吉の身内でなければありえない行動
14人の側室の中で茶々だけが懐妊するのは(正室のねねも合わせれば15人中1人だけ)十分不思議だよ
しかも伊達家文書にあるのは秀吉が天下を取った後の晩年の側室の数なので
若い頃には別の側室もいたことだろう
0945人間七七四年
2013/02/09(土) 05:03:19.98ID:91DkNGlF織田の抑えといってもお伽衆の有楽や信雄。。。
織田系では信包の娘が先に側室にはいってるし、浅井旧臣はすでに秀吉配下として定着済みでどちらにしろ政略的に弱いような。
茶々像が講談などで勝手に悪く描かれてしまっているのは本人に関する記録が少ないのも原因の一つだろうね。
歴史重要事項にからみまくってる割に三度も落城、特に最後は大坂城と共に全て燃えちゃったからな。
あの肖像画ですら後年描かれた本人かわからないシロモノだし、記録の少なさはまさに敗者の極み。
茶々か侍女の日記でも残ってたら400年も秀頼出生でモヤモヤすることもなかったろうに。
0946人間七七四年
2013/02/15(金) 21:01:44.28ID:GGUq6G99いや、秀頼が秀吉以外の種だったとしても
淀殿やその侍女が密通してできた子だと日記に書き残すことは絶対ないからw
秀吉周辺は北政所が所有していた手紙などが「木下家文書」に残っていることから
豊臣家女性たちのことは比較的あの時代としてはまだ残っているほうなんだけどね。
織田信長周辺の女性たちなんて、正室の濃姫がいつ死んだかも分からないくらいお粗末。
0947人間七七四年
2013/02/16(土) 00:42:05.68ID:QtS+T+Lj○○と密会しちゃったテヘッ///とか日記に書いているかとかじゃなくて、
時代が違うから比べられないけれど、こちらも種違いが疑われていた崇徳帝が生母・待賢門院の周辺の日記や公式文書から不義の子説が濃厚になっているから。
記録から種付け期の所在と月経周期を推理して白河法皇との密会時期と重なっているらしい。
後世で月経周期や不倫時期まで暴かれちゃうのも本人達にとっちゃいい迷惑だけど、こういう類のネタはついつい下世話な憶測をしたくなるのもわかる。w
秀頼は記録も遺体もないから憶測であーだこーだ言うしかないけど、流れ的にはなんとなく大野っぽい気がする。
秀頼存命時から400年間も大野大野言われるのは徳川史観以外にも当時からそれらしき雰囲気があったんだよ。秀吉の異常な種の薄さや秀吉死後の大野の台頭、その後の豊臣家内での出世ぶりや最後の忠誠まで含めて。
あと、現代では理解できないけど乳兄弟って他が入り込めない何かがありそう。義仲と巴御前のような公私共の運命共同体的な。
0948人間七七四年
2013/02/19(火) 14:40:48.53ID:JsOPhDBSだから、日記や公式文書にそんなこと残ってない。
待賢門院の場合は、一月のうち数日だけ、里帰りしている日があるので、
その日に崇徳天皇受胎日を合わせ、待賢門院の月経周期を無理矢理割り出している。
そもそも待賢門院の月経日の記録など残っていないのに。
崇徳天皇を白河法皇の子にしたい学者が無理矢理やってるんだって。
0949人間七七四年
2013/02/20(水) 23:42:49.82ID:uUG65qtW藤原忠通との縁談が持ち上がったが璋子の素行に噂があったため忠通の父の忠実が固辞していることからも、それなりに噂が立つ下地がある。火の無いところに煙は立たぬ。
茶々の場合は茶々本人の素行以前に、まず秀吉は子種が無いのでは?という下地がある以上、当時の時点から噂が立つのはごく自然。出生直後から落書がはられているのだから徳川史観というわけでもなし。
可能性がある以上、まさか不義の子?というサイドから色々憶測するのも自由ではないかな。まあただの野次馬なんだけどね。
0950人間七七四年
2013/02/21(木) 10:23:50.66ID:NtKvsAoK崇徳院が白河院の種と言われたという伝聞が軍記物に記されるようになるのは
百年ぐらい後からだよ。すでに白河院も崇徳院も待賢門院もこの世にいない。
忠通は璋子と公家の密通の噂は記しているのだから、当時白河院とも噂があったなら記さないはずはない。
茶々の場合、秀吉の死後すぐ、茶々も秀頼も密通相手とされる大野も存命中から記録が残る。
待賢門院の例と茶々の例を一緒にできない。
茶々の場合、同時代史料にそういった噂が残るが、待賢門院は同時代史料には見当たらないってこと。
0951人間七七四年
2013/02/22(金) 23:16:31.72ID:+hBTzK9w崇徳帝は後世のこじつけの可能性もあるが、秀頼は秀吉の種無し疑惑に加え男女関係疑惑のある家臣の存在が当事者の存命中に記録されておりこじつけという訳ではない(それだけ当時から認識されていた。)ということね。
もう9割方大野じゃないの。これをまわりが面白おかしく不義の子にしたがってるだけとかいうのは無理な話。
0952人間七七四年
2013/03/07(木) 10:48:31.12ID:DLxhOUw6白河院政が全盛の時代に「崇徳天皇は白河院の子」なんて書いたりしたら
自分の身が危うくなるだろ。
だからそれまでは口伝だけにとどめておいて、白河院への憚りが完全に
無くなってから文書化したんだろ。
0954人間七七四年
2013/03/10(日) 13:34:47.05ID:0dtGSxLM家康と淀を結婚させ、秀頼の後見をさせ豊臣を守り立てるよう秀吉が遺言を残したからじゃないか?
秀吉が本当にそう言ったか定かではないが、家康が「殿下の遺言です」と話した可能性はある
秀吉晩年の秀頼の溺愛ぶりを知ってるだけに、ねねも疑いなく納得したはず。
夫の遺言に従い自ら身を引き、家康が淀を娶り大坂城に入ることが豊臣の為になると考えたのでは?
家康も、隠居場所として高台寺を与えることでねねの正室としての面子を立てた。
そう考えると、ねねが家康と入れ替わるように大坂城を出て
何の迷いも無く高台寺で暮らしてた理由が説明つくような・・・
0955人間七七四年
2013/03/10(日) 13:42:12.38ID:0dtGSxLM家康に与えてしまったことになるが
我が子可愛さで暴走してた晩年の秀吉ならありえると思う
0956人間七七四年
2013/03/10(日) 17:35:12.80ID:9d6Fdhl3家康が忠輝を見て信康と似てるからうざいとか,お市は信長と似て
美男子とかお市の子が市とそっくりとかどーーー見ても秀吉には子種
に問題有。男色をしなかったのももう自分でも知っていたのかも。
0957人間七七四年
2013/03/10(日) 17:38:42.83ID:9d6Fdhl3ナマで毎晩数年間やって誰も妊娠しなかったらオマエ自身
オカシイと今の医者は判断するだろう。
0958人間七七四年
2013/03/10(日) 17:43:52.96ID:9d6Fdhl3もう諦めなさい。15年セックスしまくって子供出来ないんだから
そういう可哀想な秀吉さんでしたって事。仕様がない。
0959人間七七四年
2013/03/11(月) 10:34:42.68ID:FdHbyN0d確かに、大老筆頭とはいえ家康だけが他大老を差し置いて゛西の丸゛入りしたのは、他に何らかの特別な事情があったとする方がしっくりくる。それが淀との婚姻なら納得。
そうであったなら豊臣首脳陣や反徳川の前田や宇喜多などは相当危機感をおぼえたろうね。
淀との婚姻は秀頼すなわち豊臣家を手に入れたも同然であり、パワーバランスが完全に崩れ他大老奉行は手も足も出せなくなる。
密通事件の際に宇喜多が大野を庇った記述があるが、反徳川派の婚姻反対の意図もあったとすればすっきりするな。
0960人間七七四年
2013/03/11(月) 16:27:34.06ID:X2uZVp9l淀への歪んだ愛情というより、我が子への歪んだ愛情
再婚話が本当だとしたら、家康と再婚させられる淀の気持ちや
豊臣家から追い出される形になるねねの気持ちまで及ばなかったんだろうな
0961人間七七四年
2013/03/11(月) 16:43:26.69ID:X2uZVp9l微笑ましさより、ちょい病んでるものを感じたんだけど
最終的に豊臣家から追い出される形になったねねが
豊臣は自分と秀吉が2人で築き上げたものと自分を慰める為に作ったんじゃないかね
まぁ、コレは家康淀の婚姻を前提にした想像でしかないけどw
0962人間七七四年
2013/03/11(月) 19:46:04.29ID:PD20Y2kn家康の西の丸入りと同時にねねが入った場所は、京都新城
これは内裏の斜め前に秀吉が建てた豊臣家の城で秀頼が内裏で元服した時にも入った場所
朝廷の中枢部に建つ豊臣の城にねねが入ったことはむしろ豊臣家の正室の象徴であって
ねねは豊臣家を追い出されたわけではない
天皇の住まいの目の前に建つ豊臣の城・京都新城は当然徳川家康の気に食わず
関ヶ原の戦いのとき家康が壊してしまった
家康が高台寺を建てたのはねねの住まいを壊してしまったからというのが大きい
0963人間七七四年
2013/03/14(木) 00:59:39.63ID:NQQwNE2d0964人間七七四年
2013/03/28(木) 17:49:09.46ID:5lDhkFqNへうげだと婚姻話の時期が違うみたいだな。
噂通り関ヶ原前に結婚したとして、もし淀に子供が出来たらやはり徳川の子だよな?
兄が秀忠、秀頼かぁ。また濃いのが兄弟だな。
0965人間七七四年
2013/03/29(金) 18:32:58.36ID:trN3Q83P秀吉の遺命なら、もっと前に入ろうとしたはずだし、色んな記録にも残っているはずだ
0966人間七七四年
2013/04/03(水) 06:26:42.64ID:zTCzE++u祝言の日程までかかれてるというのは噂にしてはちと内容も細かすぎているような。実際その頃大坂でゴタゴタがあったようだし。
そしてそれがどんな形の遺言だとて、家康と淀の祝言なぞ反徳川は快く思うはずがない。利家、三成が健在なうちは家康もそうそう動けまいよ。
0967人間七七四年
2013/04/30(火) 08:12:00.79ID:k7Rjeg/u0968人間七七四年
2013/05/03(金) 22:48:53.50ID:kGcfxbA9縮小しただけで家康は壊したわけじゃない
しばらくは木下家の京都屋敷になってた
0969人間七七四年
2013/05/16(木) 15:23:02.93ID:WLIP8Jm4関ヶ原の年、家康の命で京都新城の破壊(石垣や櫓、南門の撤去)と
北政所の京都新城退去が行われたのだからどちらでも同じ
木下利房は備中足守藩主であり、子のなかったねねから高台寺円徳院も継承しているため、
ねねの所領や土地の管理はしていたが京都新城を私物として木下屋敷にした事実はない
0970人間七七四年
2013/09/15(日) 00:13:27.00ID:IUNo1C5O0971人間七七四年
2013/09/17(火) 10:42:23.66ID:QF1uYFXQ0972人間七七四年
2013/09/18(水) 14:11:52.26ID:7yWBWFK/兵庫県で開催されるシンポジウムだけど。
「芦屋から大坂城の謎を解く〜トークと講演と講談の夕べ」
10月11日(金)18時30分〜
会場:芦屋市民センター ルナホール
主催:芦屋市・芦屋市教育委員会
講演「大坂城主 秀頼の実態」大阪城天守閣研究主幹 北川央氏
対談「大坂城落城の謎」有栖川有栖氏vs河内厚郎氏
講談「大坂城の残念石」旭堂南海氏
http://www.city.ashiya.lg.jp/kouminkan/acc/luna/osakajyo-arisugawaarisu.html
専門家やミステリ作家の意見聞きに行ってきまぁす。
0973人間七七四年
2013/09/18(水) 17:34:48.19ID:7LKKlfwbここの住人はグダグダ書き込まずに
この本読めばほとんど解決すると思うが
0974人間七七四年
2013/09/19(木) 19:12:24.28ID:Age0Sa1r0975人間七七四年
2013/09/19(木) 19:14:57.05ID:Age0Sa1r0976人間七七四年
2013/09/19(木) 19:23:34.10ID:Age0Sa1r0977人間七七四年
2013/09/19(木) 19:56:06.83ID:Age0Sa1r0978人間七七四年
2013/09/19(木) 19:59:01.69ID:Age0Sa1r0979人間七七四年
2013/09/20(金) 10:33:12.78ID:R/cXhO+B0980人間七七四年
2013/09/20(金) 10:34:53.79ID:R/cXhO+B0981人間七七四年
2013/09/20(金) 10:35:41.58ID:R/cXhO+Bレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。