戦国武将の身長
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 08:56:45ID:umdaW2Ff戦国時代はどんなもんなのだろう。
たしか
・130cm〜140cm
山県 昌景
・150cm〜160cm
伊達政宗
加藤清正?
徳川家康
・170cm〜180cm
織田信長
・180cm〜190cm
前田利家
・190cm〜200cm
加藤清正?
・200cm〜
前田慶次
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 09:00:09ID:K5mvR20E0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 09:06:38ID:TjIhgDnD0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 09:23:13ID:OsfdBgGzそこまで詳しくわからんだろうに・・・
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 09:24:50ID:MbqDpguG0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 09:31:15ID:c9mg8A0p日本人としては平均、ないしわずかに高いくらいである。
顔面は細面で、鼻筋が通った美男子、貴族的または現代的な
形質とみなされる」(遺骨検案報告書 昭和49年)
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 09:58:36ID:mMzQ58QQ斎藤義龍 197cm
三浦義意 227cm
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 10:00:58ID:L6i69AAF0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 10:10:23ID:J1VpM/Or0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 10:17:51ID:jwYmO3vn0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 10:19:19ID:jwYmO3vn栄養足りない状態だとそれくらいになるんだろうな。
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 10:34:01ID:K2YDi5vWそれはそうとこんなに小柄なら馬はボニーサイズで十分だな
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 10:42:31ID:ZxEwCxx5江戸時代になってから平均身長が縮んだと会田雄次が言っていた。
ちなみに宮本武蔵は「巨人症」という背が異常に伸びる、
一種の病気だったようで、二メートル近くあった。
ただ、巨人症の人は早死にするそうな。
斉藤義龍も二メートル近くあったようだけど、すぐ死んだね、そういえば。
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 10:46:08ID:umdaW2Ff・130cm〜140cm
山県 昌景
・150cm〜160cm
伊達政宗 156〜159
加藤清正?
徳川家康
前田利家?
織田信長(163?)
・170cm〜180cm
織田信長(170?)
・180cm〜190cm
前田利家?
藤堂高虎(188)
・190cm〜200cm
加藤清正?
斎藤義龍 197cm
宮本武蔵
・200cm〜
前田慶次
三浦義意 227cm
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 11:26:34ID:Idd7AvXy0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 11:33:26ID:jwYmO3vn文字通り180cm以上と考えるのは、どうかなあ。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 11:52:59ID:M5HXx7ZJ風魔小太郎は2m以上あったらしい
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 12:02:56ID:xGmfNXbd150センチ台が平均の当時ならば長身というだけで
異形のものとして畏れられ歴史に名を残した可能性も有る
食生活レベルは当時と大して差の無い近代日本の農村からだって
稀に180センチ台の長身は生まれてきて力士・軍人とかだと公式に記録に残っている
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 12:08:27ID:LrqJo9CT0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 12:16:56ID:bvIqFBu1生まれる時代を間違ったorz
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 13:50:16ID:YyZyHq8d秀頼様を忘れないであげてください
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 13:50:57ID:YyZyHq8d0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 14:02:34ID:w81JwG5s0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 15:18:46ID:11yc+lB7当時の漁村でも必ずしも食われまくったという事はないかも。
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 15:42:01ID:mMzQ58QQ前田利家182cm
宮本武蔵182cm
加藤清正191cm
豊臣秀頼197cm
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 16:41:04ID:rK7cnoWkそれに関して近代(明治〜昭和戦前)の証言
オレのひいじいさんは漁師だったが、生魚は痛むから荷車でせいぜい一日に範囲までしかもっていけない
もちろん干物とか塩漬けとかあるけどね
漁港周辺は今と違って大漁に沸き、処分に困るほど
道には秋刀魚や鰯や鯖が山盛りの荷車から落ち、近所の子どもが拾って持ち帰る
だから浜の人は魚は買ったことがなかったそうだ
戦国期も舟や網に違いはあるだろうけど、どちらかといえば処理に困ったくらいだと思うよ
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 17:51:48ID:11yc+lB7その干物や塩漬けが多かったんじゃ?
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 20:33:51ID:1xUgOX/O0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 21:08:37ID:11yc+lB7すでにそうやって割り出されてるよ。
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 23:27:42ID:a02PfLAD0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 23:28:21ID:a02PfLAD0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 23:31:11ID:dCuO55Hj船も小さいし、人力だし、漁法だって穏やかだろうし、
そこまでの大量は無いんじゃないか?
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 07:07:20ID:30us0Ydt0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 11:54:25ID:uVxXLhjI160cm以下と180以上に分かれているな、、、。
・130cm〜140cm
山県 昌景
・150cm〜160cm
伊達政宗 156〜159
加藤清正?
徳川家康
石田三成 156cm
・170cm〜180cm
織田信長(170?)
・180cm〜190cm
津軽為信は 180cm
前田利家182cm
宮本武蔵182cm
藤堂高虎(188)
・190cm〜200cm
加藤清正 191cm
斎藤義龍 197cm
豊臣秀頼 197cm
・200cm〜
前田慶次
風魔小太郎 2m以上
三浦義意 227cm
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 12:48:58ID:BF2qeBcKこのリスト見るとこの二人もそう特別チビじゃないのかもな
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 13:20:53ID:adBeaMZS当時としては平均身長より7cm程度低い程度で、
「やや小柄」程度じゃないかな。
>>34
織田信長の身長は165cmでよ。
それで当時としては大柄だ。
津軽為信は 180cm ってのはうそ臭い。
前田慶次が2m以上ってのも講談の世界ですら190cm程度で
実際は170cm程度だよ。
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 13:22:44ID:T3alriDW0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 13:43:42ID:wkpOV/jN馬が死ぬぞ
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 14:05:06ID:IrplqORH城井鎮房181cm
長宗我部信親185cm
矢島満安209cm
風魔小太郎218cm
>>38
何かの時は格好がつかないから馬乗ったが
通常は歩いていたとか書かれているものがあるね(歩いた方が速いらしい
加藤清正は朝鮮で捕獲した体高190cmと言われる重種の馬に乗っていたそうだ
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 14:15:55ID:IrplqORH×城井鎮房181cm
〇城井鎮房182cm
よくある身の丈6尺(181.8)表示だから正確なものではないが
前田と武蔵に合わせて182にしておこう
この人も6尺だな
↓
佐久間盛政182cm
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 15:09:44ID:lQvujP2J0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 15:41:45ID:lNu8BoY6清正も190あったとか160とか諸説あるな
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 16:29:33ID:7F1fij3Q0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 16:49:55ID:d/f8mi4x0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 17:28:02ID:bHCa5YTnまぁ利家の兜は鯰尾だしな
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 17:35:53ID:VcBOfGzs140センチ
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:44:27ID:nb+yt5om天を衝かんばかりの豪快な偉丈夫の前田慶次が現代では至って普通の身長だったり、織田信長や伊達政宗が意外と小男(ただし当時は長身の部類である)だったりと…。
う〜ん、イメージぶち壊しwwwwww
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 00:50:33ID:WptgGBGW体格的にバランスを見れば戦国時代のほうが頑健に見えるかもしれんし
戦国時代の人間が現代人を見たら、縦にばっかりひょろ長くて
今にも折れそうな木偶の坊とでも言うんじゃないか
江戸時代辺りなら栄養状態が異常に悪くて脚気寸前の貧相な人間も多かったらしいがね
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 05:52:35ID:TN2pCNaN当時は日本の中でも人種的な混交が少ないから単に坂東武者はデカかったということかもしれんが。
もっともこれは海音寺潮五郎の小説で出てきた話なので信憑性はよくわからないw
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:27:57ID:ILSiLwQm0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 05:26:32ID:VDXLF2Tc意外とそうかも
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 06:32:03ID:GhD2Z0Wc人類は小型化する進化をしていたのかもしれん
超こじつけ
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 16:52:58ID:k3ZYgNzR当時の小柄な馬を操るには適しているんじゃないかな>低身長
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 23:12:36ID:9fO3CTY7でもオーラは凄かったんだろうな。
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 01:54:55ID:OZY7Ox6uとか山県を描写している小説はあった
まぁ小説だが
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 04:33:58ID:8o3xg+Gv0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 08:24:19ID:P2NDgiZi戦国時代の単位が尺=約30cmであるため、
尺で身長を記録しているから、
5尺(約150cm)と6尺(180cm)に集中している気がする。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 13:01:33ID:uwG6CHe9体格は圧倒的に現代人が勝るよ
昔の人の骨格みると皆頭ばかり大きく肩幅は狭いし手足も短い
かなり華奢な体つきをしている
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 13:42:00ID:RxiLbOSL足より長かったらしいよ
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 16:12:14ID:Uhzp3Ti0パプアニューギニアの原住民みたいな感じ
チビでムキムキ。
で、戦闘的・・強いというか、ヤバイ
もしくは井岡とか渡嘉敷みたいな小っさいボクサーみたいな
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 16:24:54ID:8CkEJRzU政宗159センチは骨が出てきたんだからガチとして、
ただ「何々という書物によると」なんていうのは当てにならない。
180こえるような武将の記録は眉唾もいいところだろ。
−10〜20センチぐらいで考えた方がよさそう。
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 18:02:10ID:Ljxm4aAj0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 18:08:17ID:mb9vmyyL絶対190とかそんないるわけない
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 18:41:14ID:8CkEJRzU大男もたまにはいたかも知れんが(チェ・ホンマンとかジャイアント馬場みたいな)
大男と伝わるその大半は嘘だと思う
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 18:42:02ID:vxwbK8IU170cmどころか160cmもなかった。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 18:54:56ID:vxwbK8IUちなみに山県昌景は兎口症だったから、
表現は悪いかもしれんが、妖怪のような姿をしていたかもしれない。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 19:26:54ID:uwG6CHe9文部省の統計によると男性は160cm越えている
江戸時代に入ってから何故か下がっていき
江戸中期から明治にかけてが日本史上で最も小さい
男性で155cmぐらいまで落ち込む
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 19:35:06ID:Bw8cerFd高坂と山県が並んだら周囲の者は笑いをこらえるのに必死だったんだろうか。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 19:42:03ID:/4wC+hkH0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 03:51:13ID:BQvndn4S>戦国時代なんて平均身長170もなかったんだろ?
当たり前。現代日本が平均170
>絶対190とかそんないるわけない
日本人は平均身長180もないんだろ?
絶対2mとかそんないるわけない
って言ってるようなもん
いるかいないかで言えばいる
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 04:50:56ID:z3H03r5e大きい人間なら、力士とかを見ればいい
日本史上もっとも平均身長が低い江戸時代でも、
190cmクラスとか2mオーバーとかの人間も意外にそこそこ居る事が分かる
トップクラスとしては天保期の生月鯨太左衛門(229cm)、文政期の大空式左衛門(228cm)
有名どころでは最強と言われる横綱雷電は身長197p、体重168.7sって記録がある
体重から考えれば、身長にも信憑性は高いんじゃないかな
小兵横綱と言われた秀ノ山雷五郎も、164cmくらいらしいよ
変り種で大童山、寛政6年(1894)のとき身長l15cm体重71kgだが、実は7歳
あまり大きすぎる力士は客寄せメインで取組みが組まれなかったし、一般力士の平均は
もう少し小さかっただろうけど、大きい人間は居ないことは無い
まぁ珍しくはあったろうけどね
力士の体格とかの資料は相当数残ってるから、結構信憑性はあるだろう
ちなみに、明治の力士には身長226cm体重172kgの釈迦ヶ嶽雲右衛門とかが居るな
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 05:01:38ID:z3H03r5eなんか大童山の数字がおかしいが
寛成6年で120cm、71kgで、写楽の浮世絵に結構描かれるイロモノ力士
2歳で既に115cm、33kgだったと言われてたりする(さすがに誇張と思うが)
当初は客寄せなので寛成10年までは取組みは無い
成長すると159cm、169kgで身長はあまり伸びなかったみたいだ
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 05:07:40ID:Fd6sNYTd槍をかかげ、血しぶきをあげて敵をけちらす姿は効果絶大だ。
そして彼らを統率しているのが、現代から見ると小柄な秀吉、家康や政宗といった
知者、くせ者達そろいなのも面白い。
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 05:34:15ID:z3H03r5e出世した人間が著しく大きくても不自然じゃないと思う
一度や二度ならともかく、普通の体格じゃ毎回武功をあげながら生き残り続けることはなかなか難しいのではないかな
何度も戦場を生き残り、名をあげ出世し武将となった人間の体格が大きいのはむしろ当然じゃないかと思うが・・・
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 06:53:21ID:7lWz/NmU鉄砲が普及してなかった頃は矢傷が断トツ
鉄砲が普及してからは鉄砲傷が断トツ
槍傷は二番手でしかない。
で、遠戦での負傷原因は70%を超える。
戦国時代の戦いは我々の思った以上に遠戦が主だった。
長宗我部元親が「和が軍は鉄砲装備率が高いのでほとんどの敵は近づく前に撃破できる」
と自慢してた逸話もある。
遠戦の場合、背は高いより低いほうが飛び道具が当たりにくくかなり有利。
近接戦闘でも本当に背の高い奴が有利だったかなあ?
そんなでかくて目立つ奴が先頭にたって突っ込んできたら
いかにも飛び道具の的になりそうなんだが。
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 06:54:03ID:BQvndn4S馬鹿げた平均身体の答といたかいないかで言えばいた
のレスに何であんな安価付けたわけ?
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 07:00:31ID:7lWz/NmUそれは事実。
平均身長が150cmの時代であろうと巨漢は存在した。
ただ、力士の229cmはどうかなあと思う。
実は人間というでかくなると虚弱になる。
度の過ぎた巨人は漫画などに出てくる巨人のような天下無双の化け物ではない。
世界最大の巨人とされギネスにのってる人物は膝など足腰の炎症に悩まされ、
25で寝たきりになり30でこの世を去った。
そこまで行かなくても馬場やアンドレ・ザ・ジャイアントを見ればわかるとおり、
巨人と言われる人間は非常に動きが緩慢だ。
それに力士は身長より体重だろう。
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 07:07:13ID:7lWz/NmU理想的に動ける範囲なんじゃないかな?
2m以上の人間は脳下垂体の成長ホルモンが止まらない
症状の巨人症の疑いがあり、医者の診察が必須。
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 07:29:15ID:XAmocumF0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 07:30:41ID:7lWz/NmUは? 単なる連続カキコだろうが。
自演するならIDを一回一回変えてるよ。
ID変えずに自演するバカはいないだろ。
>>49
おいおい、それはない。
鎌倉時代でも男子で160ちょっとだよ。
>>68
うーん微妙だなあ。
戦国期は160cmは出てなかっという資料の方が多いがな。
それに156cmの上杉謙信が大柄とされてたりね。
思うに地方によって人の大きさが結構違うのかもしれない。
織田と毛利の戦いで「毛利の武士は上方の武士より小さく武装も悪い」と書かれてたり、
豊臣と長宗我部の戦いでも似たような事を言われてたりした。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/sintyou.htm
http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub201.htm
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/123.html
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 08:08:27ID:7lWz/NmUまず>>79の訂正
誤 多分、人間は人体構造的に195cmくらいが
理想的に動ける範囲なんじゃないかな?
正 多分、人間は人体構造的に195cmくらいまでが
理想的に動ける範囲の限界なんじゃないかな?
続いて追加分
ちなみに巨人が不利と言うのは
10cm立方の豆腐なら水から出しても崩れないが
20cm立方の豆腐を水から出すと途端に自重で崩れる事からもわかる。
重量が八倍なのに表面積は四倍でしかないからね。
水が体重を支えてくれる水棲生物ならともかく、
陸上動物でしかも二本足の人間が無闇にデカくなるのが
いかに不利な事かわかるだろう。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 08:56:01ID:z3H03r5eだから巨漢力士が強いのかどうかは分からんね
ほとんど見世物扱いだろうし
強すぎて取組みにならないためと説明されることが多いが、あやしい
たぶんそんなに強くなかったんじゃないかね
あと、俺も別に矢の命中率が変わってしまうほどウスラデカイ人間が武将に良いなんて言ってないのよw
その前に巨漢力士を書いてたから誤解招いたかな
ただ、敵の首を取るには白兵戦で有利な体格のほうが良いんじゃないかってだけで
合戦の大半は弓なのはそうだけど、下っ端から論功で加増を受けるには白兵戦の槍働きが必須だしね
裸一貫から始めた武将はそういう槍働きで出世したわけだろうし
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 08:59:44ID:z3H03r5e最初はもうちょっと違う内容のレスだったんだ
アンカなおし忘れです スマソ
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 10:08:23ID:XiMgj5/f150cm台の人は5尺、160cm以上くらいになるともう6尺といってたんだろう。
それで6尺の人よりでかい人がでてきたりするとその人は7尺呼ばわりされるわけだ。
180cmくらいでも7尺、210cmと記録されててもおかしくないな。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 11:45:32ID:YYdWQ2eL0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 14:13:30ID:g6+ikRGs6尺になるのは170以上じゃないかな。
200cm以上なんて現代でもほとんどいない。
身の丈7尺や8尺なんて男が講談のようにゴロゴロとは考えにくいな。
身長なんて目測か自称に頼るしかないわけだから
当時の記録からは「小さい、普通、大きい、とても大きい」
くらいしか読み取れないと思う。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 16:16:25ID:BQvndn4Sそんなのがゴロゴロいたらそいつ等のお陰(せい)で平均値が上がった事になり、
ノーマルな人達の平均が下がる(最大公約数の人達はもっと低かった)って本末転倒な主張になる
平均に関与しない程度のレアケースって考えた方がいい
平均はどうたらの話にレアケースを持ち出すのは主題に対するデータとしては無意味
力士も含めた当時の平均なのかどうなのかは知らんがなw
もし、力士は除いた(と証明出来る)平均値としてなら意味はある
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 16:30:04ID:Z1DP40zW格闘技の無差別級は言わずもがな。
槍働きの一騎駆け武者に当時の平均身長を大きく超える人間が多くてもおかしくはないと思う。
小さいと矢に当たりにくいから有利というのは疑問に思う。
矢傷が多いのは致命傷じゃないからじゃなかろうか?
組み合ったら負けた方は首取られる。当然それ以上遺体に傷は付かない。
という仮説はどうだ?
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 19:05:57ID:EaM4VtEXどう考えても身長の大きさは関係無い。雨霰と降ってくるだろうし。
むしろ大きい方が敵を威圧したり肉弾戦になった時に有利だから大きい方が圧倒的に良いだろう。
小さいと不利しかない。
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 19:14:11ID:FrmyVzDkそりゃ体格がいい方が強いに決まってるからね
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 00:08:50ID:Q183MpEC一体どこできいたんだろう
今は170ちょっとだっけ?
今でも2メートル近い人はそれなりいるから
180以上の人がそこそこいてもおかしくない。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 00:30:22ID:vx+zbiNOだが、当時も平均身長からの体格のバラつきが十分にあることはわかる
平均の話にレアケースを持ち出すなというが、今してるのはむしろ戦国武将には当時の
レアケースである大柄の人間が有利だったため、大柄な武将が多いのではないかという議論
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 00:36:33ID:vx+zbiNO×平均の話にレアケースを持ち出すなというが、今してるのはむしろ戦国武将には当時の
レアケースである大柄の人間が有利だったため、大柄な武将が多いのではないかという議論
○平均の話にレアケースを持ち出すなというが、今してるのはむしろ戦国武将になるには
当時のレアケースである大柄の人間のほうが有利と思われるため、身長の記録が残っている
武将に大柄な人間が多いのはそれほど不自然ではないのではないかという議論
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 03:09:21ID:6o9vZsy5・・化け物の類として殺されてるんだろうな
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 03:57:47ID:Dq9lTtnZかのくにじゃイ・スンシン?よりも軍神としてあがめられてる悪寒
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 04:00:20ID:/muvR37X0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 04:07:33ID:vx2KSz94スレ違いだけど、全盛期のG馬場はかなり俊敏ですw
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 04:18:36ID:BhEY4Knwいやあビデオ見たが
あくまで「今よりは」だったな。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 04:20:43ID:BhEY4Knw>>89
マラドーナみたいに背の低い人もいるよ。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 07:08:07ID:BhEY4Knwいやケガした時だけのデータじゃないよ。
日本人の古来よりの遠戦主体説は俺のオリジナル説じゃないんだけどね。
詳しくはこのスレ見てね。
http://makimo.to/2ch/hobby7_army/1128/1128176890.html
昔は遠戦議論の専用スレもあったんだが見つからなかった。
ただ、戦国時代は首鳥がはやったのでむしろ遠戦での
死傷率は比較的、低下しているそうな。
それでも鉄砲、弓の死傷率が圧倒的で次が弓、刀に至っては
首取り用に過ぎなかったらしい。
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