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秀吉の戦術観

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/30(月) 10:18:39ID:hQ9caAzs
信長・家康と比べてどうよ?
個人的には一番だと思うのですが
0029名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 10:45:57ID:Jp8F4Zht
賤ヶ岳の戦いは見事だと思うが
0030名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 12:08:06ID:99caVJ9D
数多いんだし勝って当然
0031名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 15:09:23ID:+e62geKV
秀吉は相手の3倍4倍程度の兵力は惜しみなく投入するタイプだからな。
勝って当然。これをやれる大名にしか天下統一なんぞできないよな

戦術って言ってもな、桶狭間ですら信長の戦略の勝ちだろ?
末端の指揮官の戦術の話なら分かるけどな。
0032名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 15:24:26ID:cyCDBkHO
賤ヶ岳は勝って当然とは言わんけど、最初から有利な状況だったと思う
柴田の所領が北国の北ノ庄って時点でかなり儲けもんだし
0033名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 15:44:03ID:9lPa4CJ1
>>31
桶狭間における信長の戦略って?
0034名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 20:42:47ID:n28mU1QP
桶狭間における信長の戦略は、国内戦であることをいかした強襲連続作戦、言い換えるならゲリラ戦だな。
別に本陣じゃなくても、とにかく強襲してはさっと引く、そういう戦い方を繰り返すようだった。
崩して引いて、崩して引いて。

で、その一回目の強襲で良い結果出ちゃったんで、勝ち馬に乗ってきただけの連中は慌てて逃げていっちゃった。
0035名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 20:54:36ID:f0ere92D
>>28
正確に言えば内戦戦法の技術、だな。
付け城による被害軽減策、あるいは敵の封じ込め。

まあ、北条など内戦防御を強いられる奴らが行き着く正攻法ではあるけど。
0036名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 21:10:15ID:99caVJ9D
>>32
柴田なんて秀吉にくらべれば雑魚同然なんだから勝ってあたりまえだろ
0037名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 21:12:34ID:cyCDBkHO
>>36
秀吉厨は頭に血が上ったら文章も読めなくなるのかね
0038名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 21:43:18ID:99caVJ9D
すまん
秀吉の戦術が優れていたんだよな
0039名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 01:57:03ID:g6D6rUyh
秀吉の戦術は、相手が先に動くのを待ち、その動きを予想し、弱点を一気に突く、
後の先の戦術を得意とする。
小牧・長久手で負けたのは、我慢しきれず先に動いてしまったから。

0040名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 04:24:27ID:0JmNQdki
信長=戦略家
秀吉=戦術家
家康=自分の価値と評価を高める手腕が一流

の印象
0041名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 11:15:42ID:NfgkvaXE
信長は戦術も一流だがな
0042名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 14:03:29ID:Q79wIwpK
勝家にしても秀吉に頭下げれりゃな、西はほっといて上杉北条攻めてりゃ
徳川と同じように大大名だっただろう。
意地があったのだろうが

信長秀吉家康は戦争上手いからね、負けても巻き返すし、政略も計略も思いのまま。
実際、他の大名とは格が違うわな。
0043藤田信吉2006/11/11(土) 14:10:28ID:FP8iAXO1
>>42
柴田は秀吉に「織田家中で争うより、北条を攻めようぜ」って手紙送ってるよ
秀吉はこの機にどうしても柴田を叩きたかったから無視してたけどな
とりあえず高柳の本でも読め
0044名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 14:30:27ID:K2YDi5vW
賤ヶ岳はブック
0045名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 14:50:22ID:sY1f/eNG
>>43
清洲城でも謀殺されそうになったし
単なる謀略だと見切ってたんじゃないのか?
勝家が秀吉の天下獲りを認めるわけがない
北条攻め云々は秀吉に隙を作らせるための幼稚な口上だろう。
0046藤田信吉2006/11/11(土) 15:09:09ID:FP8iAXO1
>>45
>清洲城でも謀殺されそうになったし
小説とごっちゃになってんじゃないの?
あと手紙は秀吉側の対柴田の策謀を暗に非難したもので、
柴田の謀略ととるのは的外れ
0047名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 15:18:00ID:Wb89OtnC
>>45
お前のIDはNGだな。
0048名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 22:14:57ID:ZsSe6T1I
藤田よ秀吉厨には何いっても無駄なのさ。
0049名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/04(日) 12:28:44ID:vJSDrkNm
家康が秀吉より勝っているものって精子以外ある?
0050名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/04(日) 12:36:39ID:XrnyJ34j
旗本
0051名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/04(日) 13:17:34ID:cFfzym2m
家臣団においては絶望的に家康に劣っていたかも知れないな
更に元を辿れば出自が劣るのが全ての要因に繋がるのだが
0052名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/04(日) 15:57:37ID:Su5rBr8b
その分、個人としての能力は戦国最強だろ
0053名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/07(水) 21:36:26ID:gOC4NVWw
家康の出自もなあ。祖父以前は名前すら出てこない。
0054名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/07(水) 22:15:03ID:t4Sl+9hX
>>53
ちゃんと系図があるだろ。
0055人間七七四年2007/02/19(月) 09:34:26ID:vPhtY6a/
>>54
ばーか
0056人間七七四年2007/02/19(月) 09:38:09ID:3E2XhP1g
高祖父の松平長親は家康が生まれたとき岡崎城で謁見してるが。
0057人間七七四年2007/02/19(月) 10:00:36ID:BHu1cxKD
>>56
馬鹿と豊臣厨に付ける薬はない。
0058人間七七四年2007/02/19(月) 10:11:34ID:/mn9xJ2Q
>>26
>一切の否定を許さない厳然たる前提

>戦略機動力 羽柴秀吉
>火力の集中 織田信長

何が『一切の否定を許さない厳然たる前提』だよ。お前のようなゲーム厨は歴史
語るなよ、いや騙ってるのかwwwwゲームやマンガだけじゃなく本読め本。

秀吉は物量、信長は機動力これが歴史好きの一般的常識だ、よく覚えとけよw
0059人間七七四年2007/02/19(月) 10:46:40ID:BHu1cxKD
>>58
信長は機動力+物量だろ。
0060人間七七四年2007/02/19(月) 11:02:40ID:vPGaqnQC
なんでそこまで必死に芝生やさなきゃレスできんのだろう
異論だからといってこの煽りは厨過ぎるだろ
0061人間七七四年2007/02/19(月) 15:06:42ID:NO8hR+zn
中国大返しや余呉合戦での柴田勢強襲など、機動力こそ秀吉の戦術上の最大の特徴だと思うんだが
政戦共に信長の後継者というのに相応しい
0062人間七七四年2007/02/19(月) 20:56:35ID:7WSSAFZ3
水攻めや兵糧攻めなど、持久戦も結構あるぞ。
まぁ城攻めに関してはこの時代随一だったろうな秀吉は。
野戦でなら、まだ他に強そうなのが思いつくが。
0063人間七七四年2007/02/23(金) 16:02:10ID:1uD1cqfV
信長は軍制や戦略によって大抵勝敗を決しておくタイプ。
不利な場合は得意の機動戦で撹乱して勝利をもぎ取るやり方が目立つ
秀吉は軍制等は基本的には信長の模倣。ただし攻城における強襲を好まず長期包囲するタイプ
ただし野戦の場合は信長の機動戦を大きくした感じ。
家康は戦争における信長との関わりが少ない為軍制や戦略は独自。とりわけ革新的でも長けてるわけではない
戦略的に常に不利な場合が多いので戦術的経験はピカ一。長期的な戦争でも粘り勝ちするタイプ
0064人間七七四年2007/02/23(金) 16:39:22ID:5AoT0JjA
武田家旧家臣を取り込んだのがでかいんじゃないの?
0065人間七七四年2007/02/28(水) 21:11:12ID:eS/zrDHL
家康は、秀吉にちゃんとした子がいれば配下の有力大名で終わったかもね。
0066人間七七四年2007/03/22(木) 22:19:00ID:cyPgu3wj
万単位の軍隊を戦場間で高速機動させるのは日本人離れしててカコイイと思う。
世界戦史レベルの戦術家といえるんでは?
0067人間七七四年2007/03/22(木) 22:30:15ID:PixdLCTf
ものはいいよう
0068人間七七四年2007/03/22(木) 22:50:50ID:M1OmClVy
>>66
言えるだろうね
0069にゃんこ2007/03/22(木) 23:22:18ID:anNzwC6O
一級史料「天正記」によると、大返しでは、多くの兵が脱落し、山崎に追いついた
のも1万強でしかなかったらしい。だから、摂津衆と四国遠征軍1万数千を
主力として戦ったらしい。
秀吉のすごいのは、「信長は生きている」というデマで畿内の諸勢力の動揺を
抑えて、「秀吉が帰ってきた」という報で、畿内の諸侯を結集すれば勝てる
と踏んだこと。スピードが第一と理解したこと。
一度は、一部の家臣を河内に派遣して光秀に味方する事を決めた筒井が、後に
光秀を裏切ったのは、秀吉側の情報操作のためだろう。すごいな。
0070人間七七四年2007/03/23(金) 12:11:29ID:QJh3UDUg
>>64
三河国人衆ナメんなぁ!
0071人間七七四年2007/03/23(金) 13:05:38ID:1XlDtPU8
三河国人衆の時代にはたいした実績ないからなあ。
一向門徒にやられっぱなしで。
0072人間七七四年2007/04/21(土) 17:36:54ID:YfkJlSWv
家康なんかと比べてはかわいそうだ。
0073人間七七四年2007/04/21(土) 18:10:30ID:SpP5szo6
>>65
 秀頼とて、世に言われている程に暗愚ではなかったろうけど、
秀吉が生前に後継体制を固めて置かなかったのが痛い。
 まあ、後継者自身の力量がどうでも、上手く運営できるシステムを
確立したのがいた以上、鮮烈に現れているわけだが
0074長門 ◆q8GdomS4XA 2007/04/22(日) 04:17:29ID:cGX8VaEN
暗愚じゃないかもって言われてもなぁ

一度でいいから大阪の陣で戦場に出ればまだ評価されたかもね。
まさか完全引きこもりとは。
母に文句の一つ言えなかったのかと
0075人間七七四年2007/04/22(日) 20:59:26ID:SbDZ2Gpf
秀吉没後の後継体制ってそれほどひどいものとは思わないが。
後継者争いにつながる他の候補もいなかったし、有力大名たちの合議制で運営するシステムは、鎌倉幕府初期の
有力御家人たちの連合政権に近いものがある。

結果があのように変わったのは、北条家と徳川家の性格の違いかね。
0076人間七七四年2007/04/23(月) 16:15:09ID:J2qCqrQh
北条は気に食わない将軍殺したり首を挿げ替えてたけどな。
0077人間七七四年2007/04/24(火) 05:32:35ID:5LUqjK/q
性格というか、家康が自身の政権構築にあたって鎌倉幕府のような歪な権力の三重構造を嫌ったんだろうな
0078人間七七四年2007/04/24(火) 07:03:15ID:IJ0mTx1I
有力御家人同士、はては北条同士の争いがずっと続いたもんな。
0079人間七七四年2007/05/29(火) 23:01:53ID:8wk0PI6R
 
0080人間七七四年2007/08/05(日) 21:24:34ID:aTVRh6O9
秀吉ほど戦での「知恵」が働く武将はいないと思う
0081人間七七四年2007/08/07(火) 21:22:37ID:zdgU1sFx
羽柴秀吉 対 吉川元春
羽柴秀吉 対 小早川隆景
羽柴秀吉 対 毛利元就

勝つのはどっち?
0082人間七七四年2007/08/12(日) 02:16:09ID:xBElCBxs
秀吉って中国出陣当初は羽柴勢7000人程度でしかなかったんだろ。
変化自在の戦術に毛利方は手玉に取られていった感じだな。
秀吉といえば戦略家・政治家という評価が高く、
スレタイの戦術家としての評価が低いように聞くが、
戦にあって最も直接的要素の戦術に秀れてこそ結果を出している訳で、
現場の判断力・指揮能力から秀吉の戦術は極めて優れている。
0083人間七七四年2007/08/12(日) 13:38:29ID:mAdpcZkf
>>81
秀吉だろ
能力が違いすぎ
0084人間七七四年2007/08/12(日) 13:57:25ID:fdqtM2Pl
軍師やらなんやらの側近の力を度外視してどっちがすごいもないだろう。
秀吉の一番の長所は有能な人材を味方に引き込むところだと思うが。
0085人間七七四年2007/08/12(日) 14:05:15ID:8LJocjMf
秀吉って家康に250万石与えたり母親を人質にして諸大名に「家康恐るべし!」
て思わせたり。
さらには朝鮮出兵させずに力を温存させ・・・
もう家康に自分から権力を譲ったとしか思えない、アホにも程がある。
0086人間七七四年2007/08/14(火) 02:14:49ID:hB3m2lbk
>>85
よく言われることだが、朝鮮や明を倒すのは秀吉の中では決定事項だったんだろう。
徳川を出したらまた知行を与えなくちゃならんからな。
清正等の子飼大名に「明国に500万石与える」とかやりたかったんだろう。
0087人間七七四年2007/08/14(火) 02:39:54ID:JwjxCgQG
秀吉は部下が優れてた。
劉邦タイプ。
りゅうほうと違うのは空気が読めて政治力がある感じ。
0088人間七七四年2007/08/15(水) 00:50:26ID:4Mk8M55f
いや、どちらも同じだな。
成功する前は他者の言を採用する度量があるんだが、
成功した後の空気の読め無さ加減は尋常では無いという点で。
0089人間七七四年2007/08/15(水) 18:09:52ID:/LHbtEmR
劉邦は空気が読めなかったのではなく、
読めていたからこそ外様の有力諸王を滅ぼしたのだと思うが。
おかげで死後呂后の専横というとんでもない内輪もめがおきたのに、
漢の政権そのものを打ち倒すような外様の勢力は存在しなかった。
0090人間七七四年2007/08/15(水) 18:18:53ID:JeIvBhoZ
あれ、じゃあ空気が読めない度は
秀吉>劉邦か
0091人間七七四年2007/08/15(水) 18:32:06ID:/LHbtEmR
真面目に考えれば、後継者が幼すぎるって問題があるから一概に言い切れないけど。
秀吉のほうが武功派と奉行たちとの対立も緩和できず、内をまとめられなかったし、
家康を筆頭に大きな外様勢力の粛清も出来なかった。
結果からすれば、自分の死後の政権についてよりよい対策を取ったのは、
劉邦だったと言ってよいのではないでしょうか。

まあ、もちろん運の要素も大きいと思うけど。
0092人間七七四年2007/09/30(日) 13:20:37ID:qFh9BXY3
本能寺の変が起きて、秀吉が中国大返しする際に秀吉はどの程度の国が明智側と読んでの決意だったのでしょうか?
私は山城・近江・大和・丹波・丹後は自分が戻る頃には支配下に入ってて長浜の家族が人質になる前に急いで決着しないとすべてオワタと思い急速反転したと思いますが。
姫路に戻ってきたら蒲生が安土を退去したものの降伏してないし、筒井は明確に明智側とはいえない態度。細川まで明智と組まないのかYOoooo!
挙句の果てに摂津で四国遠征軍まで俺に味方かよ。話が出来過ぎててワラタwww
という事で姫路あたりからすでに楽勝ムードが漂い始めたおいしい戦争だった罠。
秀吉「なんだよクソ光秀〜家康くらい殺しておいてくれよ」
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