【蝙蝠】 長宗我部家総合 【四国】
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 17:03:28ID:DAj+o4iE0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 17:59:08ID:kpFmIpjB長宗我部兼序
長宗我部国親
吉良親貞
吉良親実
香宗我部親泰
長宗我部元親
長宗我部信親
香川親和
津野親忠
長宗我部盛親
長宗我部盛恒
長宗我部盛高
長宗我部盛信
長宗我部盛定
長宗我部盛澄
0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 18:07:04ID:ViF8v6V2悪意を感じるレスだなw
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 19:46:07ID:/RefynWxttp://www.vissel-kobe.co.jp/whatsnew/wn_1836.html
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 23:28:13ID:J4w2hi2N0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 08:30:12ID:qRnsvJAt0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 15:39:05ID:kt1oShHm魅力的なライバルが不足なのか読んでてわくわくしなかった
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 23:46:05ID:qRnsvJAtもしも四国が豊かなら、毛利や島津と肩を並べると
妄想だけは沢山しました。
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 00:05:07ID:vLhpQb1eそいつが俺の中の長宗我部元親のイメージに結構近かった。
普通の冷静なとき→若いころの元親
魔法解けてしわくちゃ→晩年の元親
最期のひどい狂態→信親死後の元親
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 01:36:35ID:R96UCxRP信ヤボだと延びやすいんだけどね・・・
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 14:32:33ID:7vfvPH71あれって絶版なんよね
買わなかった俺は何年も後になって中古書屋で見つけた時は嬉しかったな
しかも同じく絶版になってた「文禄・慶長の役」もあって小躍りしそうになったし
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 23:48:52ID:HOb3z77Iそして小6になって、一族の最期が長宗我部盛親の「斬首・晒し首」という悲惨な結末だったことを知り、さらに無情を感じたよ。。。。。。
ところで自分は鳥取県の出身だが、県西部の米子市に「長宗我部」という名字が2軒ほどあるよ。子孫なのかね・・・?
0014奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/11/10(金) 23:56:01ID:ScDEJ7SU0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 00:06:17ID:XSRMyi/7廃業したらしいが・・・
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 12:17:31ID:0YG5IoLcもう20年以上前だが、某全国紙が各都道府県の著名人を特集した連載があり、高知県の所で「殿様の子孫たち」というタイトルで山内家当主とともに、彼女が載っていた。
「関ヶ原の戦いでは盛親は豊臣家への恩義から西軍に味方した。長宗我部が小さくなったからと言って山内家を恨んではいけない、と父に常々言われた」ことや、
「この年(50代)になっても新しい仕事への意欲が湧いてくる。義に生きた先祖の血なんやわ」と語っていた。
顔も細面、細眉で、元親の肖像画の面影がどこかしら残っているように見えた。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 02:24:16ID:inIj86030018奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/11/20(月) 22:44:21ID:XFlJgg9b0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 21:09:39ID:NW6Aw2mP大河じゃなくてもドラマをやってくれ。
山内なんかより全然イイぞ。
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 22:07:51ID:2VcS4i9X0021奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/11/26(日) 22:48:21ID:BlRQuT/Zで、虐殺はあったの?
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 08:25:37ID:YBuIHMQ9で、元凶の六平太は、都合よく毒を飲んで死亡で退場w
遺された山内は、千代にさんざん詰られ、逃げられる。
で、次回、山内は怒涛の過労死。
思えば、辛い中間管理職人生だったなあ。
家康も、そんな性格を知り抜いて、底意地の悪い転封しやがったし。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 01:30:49ID:r+cimv7Q0024名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 21:30:40ID:gtzcS5Ue0025名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 00:54:34ID:1UiQLY73にしても長曽我部元親って、一回もドラマに出たことがないね。
0026名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 20:15:35ID:5Jb4IXN40027名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 20:35:32ID:ApUuGrLyコーエーの能力値は過大と言えるだろう
0028名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 21:44:55ID:DdTysl37秦氏はイスラエルから移住して来た部族の可能性があるそうだ
0029名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 22:14:58ID:3UFB8isT見たいよな。
無理だろうけど。
0030奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/12/08(金) 23:00:46ID:qF5ocqZr主人公ももっと魅力的に引き立つけど、最期が暗いから・・・
0031名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 23:16:34ID:FQfxE4MG0032名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 23:25:49ID:5Jb4IXN40033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/09(土) 00:20:51ID:SVIiGgc60034名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 08:58:18ID:JW3s57Rr関係あるかな?
0035ー
2006/12/09(土) 11:20:49ID:YYcYsaMcでやってほしい
0036名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 12:14:05ID:jdrTKJtu0037名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 12:32:46ID:n8VdLHmUエピローグで信九郎物語にすればいい
そういや盛親亡き後はやはり康豊が宗家を継いだ事になるのかな?
他にも一族の生き残りは多数いたようだが
庶子とは言え元親の子は康豊しか残ってないよね?
盛親の子は全員処刑されたようだし
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2006/12/09(土) 12:47:40ID:T1X0koKL人物はやりにくいジャマイカ?
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2006/12/09(土) 12:57:51ID:z2t4KTHv観光にははりまや橋とか室戸岬とか・・・(-.-;)
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2006/12/09(土) 17:37:11ID:sJlF2Vdg0041名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 20:28:45ID:trnmvUENあれを他県民に見せてはいけない
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2006/12/09(土) 21:50:52ID:n8VdLHmUイマイチどこが観光地になるのか分からんようなのもある
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2006/12/09(土) 22:16:17ID:emXmfun6赤穂浪士→本拠地の赤穂、泉岳寺、旧吉良邸の本所警察署、外伝など
勝海舟→品川の会見場、長崎、江戸下町風情の残っている深川、清澄白河、八丁堀近辺
長曽我部だけ岡豊、白地、坂戸、土佐中村、元山、大坂城
少々範囲が狭いな。
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2006/12/09(土) 22:50:32ID:sJlF2Vdg戸次川・朝鮮・伏見
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2006/12/10(日) 15:36:04ID:4vrxcdhpヨイショ出来る
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2006/12/10(日) 17:44:22ID:9z3PSw1/高知城は一豊厨であふれてたのに
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2006/12/10(日) 19:51:53ID:bm2ge4OH0049名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 22:54:51ID:/dhyWUDj0050名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 00:27:21ID:N2tZBuwR0051名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 12:17:08ID:rmF8y+lW0052名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 16:22:28ID:v5QWsglQこいつらのエピにすれば大河いけるかも。
キャスト?かつーんでいいよもう。
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2006/12/11(月) 19:55:34ID:HvQTv9270054名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 00:17:19ID:/nbuXltI会ったことないけど。
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2006/12/14(木) 19:24:16ID:aBmw4jgR0056名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/16(土) 16:45:34ID:wiFl1CDH0057名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/16(土) 17:15:13ID:NgNDv5cqあそこ、結構渋い戦争ドラマや時代劇作ってたから。
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2006/12/20(水) 17:09:15ID:nKsWPD28「伊達政宗」とか「琉球の風」なんてのはまさにそれらしい。
0059奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/12/20(水) 22:51:14ID:Ez9MDtH0再来年がちょっとだけターゲットになってるのかもしれんけど。
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2006/12/21(木) 00:06:33ID:eRRzjPiO0061名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/21(木) 19:53:56ID:sntAni0+つ【翔ぶが如く】
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2006/12/21(木) 20:28:03ID:mHVc98Xt姉小路頼綱の放送への圧力を(ry
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2006/12/22(金) 23:30:03ID:8CW4jY910064名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 23:37:11ID:ts0z3o/t0065名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 23:47:18ID:6mvdZxJR0066名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 23:49:03ID:kJNubv9eちょうすがめはきりしたんだったか?
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2006/12/23(土) 00:06:05ID:Upl7TQjw0068名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 00:14:24ID:KKYE8e7Dつか、今のクリスチャンも
日本でいうクリスマスとは別世界だろ。
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2006/12/23(土) 00:15:47ID:Pp8sLczl手のひらサイズのクッキーみたいなケーキだものね。
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2006/12/23(土) 00:16:32ID:Upl7TQjw喫茶店あるんだっけ
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2006/12/26(火) 16:57:37ID:rVAnBzA40072名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 17:24:47ID:7AEcDSJC0073名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 17:28:31ID:JS+mW8xn0074奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/12/26(火) 21:14:02ID:eAZeQe3P0075名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 00:32:07ID:MEfFAAJdどこもそんなもんだろ。
0076名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 01:35:17ID:IIq1bvKZ0077名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 23:26:57ID:lrDSZKyl0078名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 23:27:23ID:O7ybCNZ6元親パフェと名付けろよ。
ちなみに、お冷やのことは、山内とでも言っておけ。
0079名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 23:35:54ID:RtCkz16t0080名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/18(木) 00:01:15ID:E1/cTLwI欝にはならんがバカだとは思う。
サルも譜代がいなかったから苦労したね。
0081名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 12:20:09ID:BpWpe6a50082名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 12:54:19ID:AXPlDcOi0083名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 14:24:23ID:m6DprtChネタ?
0084名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 20:20:38ID:WdK2cV7Z「とか」って、浅野長政以外は…
0085名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/22(月) 09:42:33ID:bpy0KAEN0086名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 00:03:23ID:QjcY3y76漏れは優秀だったと思うよ、元親・・
0087名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 01:25:18ID:qe+g5f4a0088名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 21:16:48ID:3yjvtdcpまぁメジャーになりきれなかった地域だからね。
逆に畿内まで出いればってことか。
0089名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 23:14:24ID:dNjToRNR0090名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 10:15:08ID:6KirOvpT0091名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 20:43:18ID:U1u+NjPn0092名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 22:39:25ID:mVKARtRV0093名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 01:07:08ID:IkrH+cwU0094名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/07(水) 02:23:47ID:awD8/Mow0095名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 13:43:00ID:qi+esVfaが、単に「有名」って話だと、久武親直だろうね。
家を滅ぼした家臣でも、有名にゃ違いない。
0096人間七七四年
2007/02/19(月) 20:38:00ID:WaE+hLi+0097人間七七四年
2007/02/19(月) 21:21:40ID:4fdBw4Ro0098人間七七四年
2007/02/19(月) 22:03:18ID:a0b30a/Iちなみに幕末には吉田東洋なんかも有名。
0099人間七七四年
2007/02/20(火) 11:58:18ID:T1KVEqQsわたしゃこの話聞いてある意味凄いなってオモタ。
そんな私は九州人。
0100人間七七四年
2007/02/21(水) 16:14:01ID:LdC3vhjW頭の上にちんちん乗っけた人という印象しかない
0101人間七七四年
2007/02/23(金) 00:42:39ID:yhMulWPT0102人間七七四年
2007/02/23(金) 20:15:38ID:ESbV/qe3初陣像とか
0103人間七七四年
2007/03/03(土) 16:06:31ID:nhwfs9cH残念ながら現在の地元・高知県は山内一色です…。
地元人ながら何故あそこまで盛り上がるのか分からん。観光客による経済効果かね。
というか頼むから余所者の山内家なんかより、土佐生え抜きの長宗我部家の大河ドラマやってくれよ…orz
0105人間七七四年
2007/03/03(土) 21:34:53ID:7MQFgj6H途中下車してお墓参りに行ってきましたよ。
花粉たっぷりの杉の木があってイヤン。
高知と言うと坂本竜馬ってイメージだなー。
0106人間七七四年
2007/03/04(日) 10:21:44ID:LVU3eyTN0110人間七七四年
2007/03/04(日) 18:18:31ID:qr8F1G/r島津とどっちが強かったの?
0111人間七七四年
2007/03/04(日) 18:23:32ID:VzLHzLVDこうなったら高知にリア・ディゾンを呼ぶんだよ。
んでもってあの手この手で、サムライ長曽我部マニアにしてしまう。
あとは彼女がブログで勝手に宣伝してくれる。
0112奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/03/04(日) 23:42:58ID:k+99PJ2B0113人間七七四年
2007/03/05(月) 18:29:24ID:pJtlQAGr0115人間七七四年
2007/03/05(月) 19:10:03ID:rTbAsSDp0116人間七七四年
2007/03/05(月) 19:21:49ID:hfpJ0ZN+0117人間七七四年
2007/03/05(月) 19:38:02ID:wWGhZUaZ嫁は広末で
0118人間七七四年
2007/03/05(月) 20:54:52ID:ZcTNzXm3ただの阿呆だろうよ。
0121120
2007/03/05(月) 21:31:33ID:ZcTNzXm3そう言えば家来も捨てて九州から淡路島まで一気に逃げて秀吉に所領を没収され高野山に追いやられたとはみごとな策略だよな。
0123人間七七四年
2007/03/06(火) 00:21:49ID:L7+UMAJ4よめが玉木宏とかはどうよ
0124人間七七四年
2007/03/06(火) 18:47:17ID:VaGY6n1J宝塚で長曽我部を演ってもらおう
0125奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/03/08(木) 21:38:57ID:pvI/Mt620126人間七七四年
2007/03/09(金) 00:50:10ID:bmCmeA+I0128人間七七四年
2007/03/10(土) 14:54:38ID:QnBJb1tz元親て四国内だけの名将て感じだな。
本土だったらてんでダメそう。
0129人間七七四年
2007/03/10(土) 15:04:34ID:ZmNZz5IW戦況(上位家臣団壊滅)になったのが問題だろう。
元々一両具足のように兵農分離が遅く分権的な所が大きかったから、
そのせいで国内がぐだぐだになっちゃった。
0131人間七七四年
2007/03/10(土) 21:00:49ID:QnBJb1tzそれはわかるが、そこから持ち直すことができないのが元親の限界。
突発的な危機を如何に回避できるか指導者の手腕が問われるのに、その後の元親の行動は完全な丸投げ状態になっている。
あれでは指導者としての力量に疑問もたれてもしかたあるまい。
0132人間七七四年
2007/03/10(土) 21:14:07ID:ZmNZz5IW力及ばなかったのは事実だが。
0133人間七七四年
2007/03/10(土) 23:49:31ID:dogV0kKr仙石って策士なん?
0137人間七七四年
2007/03/19(月) 23:11:39ID:n6bTNe0a0139人間七七四年
2007/04/05(木) 11:37:06ID:IGYPjEfv0140人間七七四年
2007/04/05(木) 17:06:40ID:ZnxfjySH0141人間七七四年
2007/04/07(土) 00:29:58ID:YIiX7E94中朝大事のサヨクが支配する糞HKだし。
0142101
2007/04/13(金) 20:19:27ID:Bzg3KZdJ0144人間七七四年
2007/04/13(金) 22:04:40ID:ORyPvmllだいたいの古い大きな寺院は、「長宗我部に燃やされた」歴史を持っている。
実際には、全部が全部そうじゃあ無いとは思うけどね。
0146人間七七四年
2007/04/13(金) 23:13:37ID:Bzg3KZdJえっへっへ……そんなに知りたいの?仕方ないなぁこいつぅプニプニ
テレビでラス・ベガスで客に薦められて有名になるために日本に来た
とか言ってたの観たもんでさ、ああこいつは本国では芽が出ないと
踏んで“鳥無き島”へやって来た“蝙蝠”みたいなもんだなと
そう思ったわけ
どう?わかった?
0147人間七七四年
2007/04/13(金) 23:24:53ID:elcQpmzKあれ、何年か前に改装しなかったっけ?
確かに昔はただのガードレールだったけど……
長曽我部がイマイチメジャーになれないのは戦国時代では山内ワイフに名声を取られ
地域としては幕末スター軍団に名声を取られ
日記オカマのおっさんに名声を取られ
おまけにかんざし買ったどっかの坊さんにまで名声を取られ
全然観光資源にならんせいだと思う
おまけにユニークな名前から超スケベ元痴漢なんて馬鹿にされる始末(;´Д⊂)
0148人間七七四年
2007/04/14(土) 00:27:11ID:47EC29GMどうだろうね。
「元親はずるがしこいところもあるが、人に寛大であったために四国の覇者
になることができた」と、江戸期に成立した伊予だかの地誌に書いてあるそうだし。
0151人間七七四年
2007/04/15(日) 01:32:18ID:lSwcnBQtまぁ戦前の教育の方が良かった面も多々あるけどね。
0152人間七七四年
2007/04/15(日) 07:37:24ID:L+yMqtXL長宗我部に謀殺されたと思われる者が少なからずいる。
丈六寺の血天井伝説をはじめ、最後の阿波守護細川真之まで・・・。
そんな時代だったといえばそれまでだが、
やっぱり、だまし討ちは評価が下がるのはしかたないよ。
0153人間七七四年
2007/04/19(木) 10:31:34ID:Fok5r9EG下った者には寛大だが、逃げ帰って来た者には容赦ないようなw
0154人間七七四年
2007/04/26(木) 11:47:53ID:2pqEKrCk私は、鎌倉時代に土佐国の地頭として赴任してきた、曾我祐綱が祖とみている。
●曾我氏
曾我氏(そがし)は、相模国を発祥とする武家。
桓武平氏千葉氏の支流平常信の子祐家が、相模国曾我荘
(現在の神奈川県小田原市周辺)を本拠として曾我大夫を
称したのに始まるという。祐家の子祐信は、仇討ちで有名な
曾我兄弟の養父で、鎌倉幕府の御家人として活躍した。
実子の祐綱も功を立てて土佐国に地頭職を得た。
0155人間七七四年
2007/05/03(木) 11:16:18ID:sJbUfl+f0156人間七七四年
2007/05/03(木) 16:57:35ID:vzXLZvs40157人間七七四年
2007/05/03(木) 22:22:33ID:NvFQ/JxR0158人間七七四年
2007/05/04(金) 00:04:40ID:PlbNfD4d郵便局員は切腹汁!
0159人間七七四年
2007/05/04(金) 01:43:19ID:Dxpv5FKR元親公史跡前で降りて墓に行くまでの途中にうちの田舎がある
さびれててうらぶれてるけど逆に盛り上げたりせずにあのままにしておいてほしいとも思う
0160人間七七四年
2007/05/04(金) 02:16:48ID:eOAwTlAj0161人間七七四年
2007/05/04(金) 08:47:47ID:gv9qV5ub0162人間七七四年
2007/05/04(金) 20:18:19ID:+Gibe13v0163人間七七四年
2007/05/12(土) 16:44:20ID:+B9uSejP0164人間七七四年
2007/05/12(土) 17:51:52ID:cweGW3Sc引き篭もっていては勝てん
0165人間七七四年
2007/05/12(土) 22:13:12ID:dagccWqv家康と組んで「結果的に」勝てる可能性はゼロじゃないと思う。
0166人間七七四年
2007/05/12(土) 22:38:35ID:niEq2ZlQそんな場所に、野心ありありの家を置いておくほどお人好しじゃあ無いだろう。四国に生まれたのこと自体、長宗我部には不幸の始まりだったんじゃあ無いのかな?
0167人間七七四年
2007/05/13(日) 01:08:12ID:bPWKEnvh・寄生虫入りの鰹を献上
・機動部隊をマンシュタインに指揮させ上洛
・制海権を奪取し聯合艦隊に死守させる。
・第二時海馬作戦決行
・菜々におまお任せ
・逆回りで死国
まぁさぁ無理だよな。
10年早ければ歴史は変わったかもな。
0168宇喜多直家信者
2007/06/24(日) 22:11:19ID:FgrnJ3d0養子に出されたことと病弱だったのと海部に殺されたのしか知らんが
0169人間七七四年
2007/07/16(月) 21:49:17ID:m5Gy9ckG0170人間七七四年
2007/07/18(水) 04:06:13ID:oYQfJVasっていうけど、そんなに深いつながりが有るのか?
0171人間七七四年
2007/07/18(水) 04:17:43ID:CuS1j3xO兄弟の一人が一時期匿われてたのも史実とされる程度の史料はある。
来てたとしてもおかしくないが、まぁ京都の方に居たんだろうね、というのが定説。
0172人間七七四年
2007/07/31(火) 12:42:17ID:Z0ksUT9k長宗我部氏で国親、元親の他に美濃斉藤氏から嫁もらってる当主はいるんかな?
その辺のこと詳しい人、ここにいないんかな?
0173人間七七四年
2007/07/31(火) 13:32:03ID:eq5O5+Qpそもそもこれのソースは何だ。聞いたこともないが。
0174人間七七四年
2007/08/05(日) 05:18:12ID:G9vH7XiT国親の代でゼロ、幼稚園児飛び降り自殺未遂事件で一郡ゲッツ、
以後元親で四国と、かなりの高評価になる。
0175宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/08/06(月) 02:05:28ID:O+SFZHhX国親の妻に、元親を生んだ美濃斎藤氏出身の女祥鳳がいる。
ソースは詳しくは知らないが、「土佐物語」じゃないか?
0177宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/08/06(月) 14:49:50ID:O+SFZHhX0178人間七七四年
2007/08/06(月) 20:19:43ID:6tIwT/eZ0180176
2007/08/09(木) 15:11:40ID:lTGOZ6nP少なくとも土佐物語にはないから「違う」と言っただけ。
むしろこっちが175や172がどこでそのネタ仕入れたのか聞きたいんだが。
0181人間七七四年
2007/08/14(火) 21:44:57ID:MRz6lu0X自分の無学を省みず開き直っているお前の態度が哀れだから教えてやろう。
新人物往来社の戦国人名事典に載っている。
0182人間七七四年
2007/08/14(火) 21:59:29ID:gFE9rzM20183人間七七四年
2007/08/15(水) 20:34:38ID:+/cjcin3誤記・誤謬が多いことで有名な粗悪事典がどうしたって?
0184人間七七四年
2007/09/07(金) 13:50:00ID:pdAkyRZz0185人間七七四年
2007/09/07(金) 17:48:24ID:jPZuEdNJ0186人間七七四年
2007/09/07(金) 18:28:05ID:3ARjEtt90187宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/09/08(土) 02:49:30ID:KE7y/LvA主な家臣の名前だけ挙げると、
吉田政重
佐竹親直
中島親吉
中島重房
石谷頼辰
江村親家(小備後)
江村親俊
小島政章
公文重忠
近沢越後守
久万俊政
久万俊朝
片岡光綱
中山田泰吉
このほかにも外交僧の非有などがいる。
0188奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/09/08(土) 08:28:20ID:pxMaeW/R0190人間七七四年
2007/09/08(土) 19:05:22ID:uxv1h5vU0191人間七七四年
2007/09/08(土) 19:42:13ID:5GnITbgn山崎の合戦以後長宗我部氏に仕えてるよ
あの戸次川で敗死してるが
0192宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/09/08(土) 20:21:40ID:KE7y/LvA相撲取りに勝った久万兵庫(俊政)。
元親を諌めるために酒樽を砕いた福留隼人(儀重)とか。
0193人間七七四年
2007/09/08(土) 21:48:11ID:wwyoBaCr0194奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/09/08(土) 21:53:12ID:pxMaeW/R0196人間七七四年
2007/09/09(日) 10:51:21ID:piPYDdoo従臣しながら自領を拡張したし。
0197人間七七四年
2007/10/09(火) 14:11:25ID:SA42yQ/u国親の代では一条と敵対するまで至らないね
0198人間七七四年
2007/10/09(火) 20:43:10ID:6kREuM1i0199人間七七四年
2007/10/10(水) 16:40:05ID:oGz26LwK0200宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/10/11(木) 03:03:18ID:deVDaeOC0201人間七七四年
2007/11/01(木) 14:17:30ID:j1E7J5mS結局内政の謀が露見し伊予に追放はされたけれど。
0202人間七七四年
2007/11/03(土) 17:54:56ID:YI+D0r8C元親は内政を
A.傀儡として利用し、使い道が無くなった所で難癖付けて追放した。
B.保護したがのちに敵対活動をしてきたためそれを理由に追放した。
AもBも言い方は全然違うが過程と結末は同じw
0203人間七七四年
2007/11/04(日) 03:59:42ID:WkBYT9yG追放してから、信長と不仲になり始めた。
0204人間七七四年
2007/11/04(日) 04:32:44ID:fpD70y5F0205人間七七四年
2007/11/04(日) 18:25:49ID:sQzJpvOh0206人間七七四年
2007/11/19(月) 16:20:24ID:7azeyh38結構関係は良好だったのじゃない?
0209人間七七四年
2007/11/21(水) 00:55:14ID:3TMx4w/v0210人間七七四年
2007/11/21(水) 01:06:50ID:mCdvCirDまあ、四国政策の転換が原因だわな
0211人間七七四年
2007/11/21(水) 01:22:32ID:+GSWcD1L三好氏及び三好領の取り扱いと思われ。
初めは長曽我部にとっても織田にとっても三好は敵だったが、
足利義昭に味方した三人衆や、三人衆から離脱した義継も謀反の理由で1573年に滅亡。
1575年以降三好康長は信長に属した。
三人衆・義継亡き後の三好党の長老であった康長が織田氏に服属したことで、
三好氏は当然織田氏との結びつきを強めることとなる。
となると三好氏を敵とする長曽我部にとって面白いはずもなく……という展開。
山陽方面での織田―浦上ラインと浦上―三好ラインの絡みもあるかな。
0212人間七七四年
2007/11/21(水) 16:19:24ID:ynMHCPshちょっと調べてみましたが、三好長治(天正五、1577年自害)の死も関係ありそうですね
残った十河存保は信長に属したようですし
0213人間七七四年
2007/11/25(日) 23:51:34ID:24AyS5Fj一条内政は、織田政権(足利義昭の頃からか?)から公認された土佐守護だったからね。
追放すれば、当然宣戦布告したも同然。
0214人間七七四年
2007/11/26(月) 02:16:16ID:3kmuCmGN対外的な認識では、一条の被官長宗我部だったらしいしな
0216人間七七四年
2007/11/26(月) 04:22:22ID:3kmuCmGNなんかの資料に「土佐には一条の家人に、長宗我部とかいう
珍しい名字の奴がいる」みたいな記述があったという話をどっかで
よんだ気がする
0217人間七七四年
2007/11/26(月) 14:50:48ID:QbQHqfNn長宗我部元親は一条兼定を追放して幡多郡などを接収したとあるが、朝倉慶景氏の論文「天正時代初期の土佐一条家」によると、
この追放劇も京一条家の一条内基と交渉し、土佐一条家重臣の承認を得て行っている
この中で、元親は中村城代と認められた(城主ではなく、あくまで城代)が、権限がかなり限られており、
有岡真静寺の寺領没収を行おうとした際、同寺の本山である妙顕寺が元親正室実家の石谷氏・その縁戚の稲葉氏らに働きかけ、
撤回の圧力をかけてるのが所蔵文書にあるらしい
元親はその勧告を受け入れ、同じく中村城代の桑名蔵人に命じて寺領を返還してるらしい
これは幡多郡などの一条家所領はあくまで一条家のものであり、長宗我部氏に仕置きの権限がないという認識が、
中央にあったのを示してるものということ
兼追放後に内政が跡を継いで御所体制を成立させる、国内統制はこれで良かったのだが、
国外、とくに朝廷や織田氏などの中央へは逆に悪影響を及ぼす
信長公記にもあるが「土佐国補佐せしめ候長宗我部土佐守 惟任日向守執奏にて・・・」と、一条家陪臣という認識が広まったのである
しかしこの体制も波川玄蕃の謀反により、内政を伊予へ放逐(逃亡?)してしまう事により崩壊
これでは国内統制にも支障をきたし、中央を牛耳る政権へ口実を与えてしまう懸念がある為(信長の四国征伐も、
これが要因の一つだと考えられてる)、子の政親(この名前は定かではない)を久礼田土居に入れ御所体制を復活させる
『多聞院日記』
「土佐大将ハ長曾我部ト云人也 チヤウスカメト云ト思ヒシ面白キ名字也 土佐ノ一条殿ノ内一段武者也ト云々」 (天正13年6月21日条)
『四国御発向並北国御動座事』
「抑四国守護長曽我部宮内少輔元親 根本一條家大納言家侍 而無知其名者 近年元親長成 才知強勇・・・」
そして『お湯殿の上日記』にある
「とさの一てう殿しょ大夫しゆ四い せっつのかみ申 なかの御かと なかはしゝて申さるゝ ちよつきよあり・・・」(天正14年12月22日条)
と諸大夫成の勅許を得ている
これは戸次川合戦直後である事から、一条家陪臣という扱いから敗戦の責任は問わず、御所体制の継続を秀吉が認めた
(秀吉が継続させた?)と考えられてるらしい
これは朝廷権威を利用したい秀吉の意向と、朝廷との、京一条家との妥協の結果という考え
いくら仙石秀久の失態とはいえ、同じ立場の十河氏に比べ処罰がなさ過ぎるのがおかしいとの事
これと付随すると自分が思ってるのが、九州征伐中に秀吉から出された大隈一国を与えるという書状
元親は辞退しているが、これは元親を一条家から独立させる為ではなかったのだろうか?
そう考えると面白いかな
0218人間七七四年
2007/11/26(月) 19:10:26ID:idmdDhqm元親に大隅一国ってのは、土佐とは別にくれるってことかな?
0221人間七七四年
2007/11/26(月) 19:57:11ID:ez5oZD9g独立のために大隅くれるんだとしたらさ。
0222人間七七四年
2007/12/15(土) 17:05:50ID:PFIifTvU0223人間七七四年
2008/01/12(土) 15:38:32ID:/FF6k8+C0224人間七七四年
2008/01/31(木) 15:22:10ID:uQm8kwIw0225人間七七四年
2008/02/07(木) 03:17:30ID:r7Zr2xXGもう長宗我部氏に滅ぼされてるか、家臣団に組み入れられてるからなぁ。
0226人間七七四年
2008/02/23(土) 13:34:59ID:Cq5D9G/00227人間七七四年
2008/02/24(日) 04:01:28ID:BnwSJIvq0228人間七七四年
2008/02/29(金) 19:15:51ID:fDFilX5T0229人間七七四年
2008/03/02(日) 01:22:15ID:LuYZp2Ac0230人間七七四年
2008/03/02(日) 07:08:27ID:zemyLZWN0231人間七七四年
2008/03/03(月) 15:48:44ID:qQ5At3RH0232人間七七四年
2008/03/07(金) 08:45:37ID:TeM248Zy平井上総「関ヶ原合戦と土佐長宗我部氏の改易」(『日本歴史』718号、2008年)
0233人間七七四年
2008/03/08(土) 12:27:58ID:FJpwmE8Qもちろん、後半生の元親の変貌が大きいけど、
もともとの元親の性格もあったきがする。
よく比較される伊達政宗ほど粘っこくなかった。性格が。
一部の小説(『見知らぬ海』とかね)とかには、
「猛将」
タイプの人にかかれているけど、
どう考えても、本来は内政家であって、奉行タイプ。
差しだしではあるけど、秀吉以前に検地をしたり、
それをもとに一領具足の制度をつくったりしているし。
のちに「百箇条」の細かさをみても、そうだよね。
あと、
元親自身が兵を率いた戦さでは、彼は一応、不敗だけど、
べつに戦さが特別、上手かったとは思わない。
下手ではないけど、むしろ戦いをする準備にたけていた気がする。
元親が秀政権下で一番仲良かったのが、五奉行のうちでも地味な、
増田っていうのも、泣かせる。
かなり気があったらしく、烏帽子親になってもらっているしな。
0234人間七七四年
2008/03/08(土) 13:34:51ID:5YkPWQKJ盛親の烏帽子親が、増田長盛でおk?
0235人間七七四年
2008/03/08(土) 14:51:53ID:Wk2lRMSm0236人間七七四年
2008/03/08(土) 14:56:12ID:a/qYwIwX皮肉を言う時はもうちょっと落ち着いて画面を見ようよ。
0237人間七七四年
2008/03/08(土) 16:26:55ID:Wk2lRMSm0238人間七七四年
2008/03/08(土) 21:23:54ID:ln6LN9RR脳味噌無いなら、コメントしなきゃいいのに・・・痛すぎる
0239人間七七四年
2008/03/08(土) 22:22:53ID:Wk2lRMSm0240人間七七四年
2008/03/14(金) 18:27:09ID:WRAlHR/M石田三成や増田通してた大名は大体悲惨なことになってるな
津軽なんかはうまくやったなという印象だが
0242人間七七四年
2008/03/20(木) 02:38:18ID:GS4yPj56元親の話だけどさ。
外向的な感覚と先読みの才能はたしかに鋭い。辺境の小土豪としては、
ちょっと例がない。
そもそも、元親が斉藤=石谷氏ラインでの嫁取りをしたのは、
当時の足利幕府将軍の義輝との外交ラインを作ろう賭したからだと思っている。
もともと土佐には、応仁の乱のゴタゴタで細川に従って、逃げてきた石谷氏があった。
(土佐神社いったいを領有)
土佐物語などでは、
「美濃の斉藤は武勇が・・・うんぬん」
という話があるが、
そうではなくて、この土佐の石谷氏の親戚が、幕府の要職にあったことに目をつけて、
最初から外交目的で石谷氏を妻とした。
このとき、司馬遼太郎の小説なんかでは、美濃に元親の使者がいっているが、
実際には、石谷氏は美濃には在住せず、京都にあり、足利義輝のそばにいた。
『土佐国編年記紀事略』は戦国土佐を語る上では一級資料とされるが、
ここには、
「(元親の妻の父、石谷)兵部大輔は光源院義輝公の長男」
と書かれている。
義輝の年齢からして、これは明らかに錯誤であるが、それほど将軍と親密だったのだろう。
元親は石谷氏の娘を妻にしたのは永禄三年。
同年、石谷兵部大輔は、義輝の御小袖御番衆になっている。
御番衆は江戸幕府でいう直参旗本にあたるが、権力はそれより上で、
幕府直轄軍の指揮をとることが可能な役職だ。要職である。
ところが、この二年後の、永禄五年、義輝は三好によって殺される。
元親はせっかく作った中央とのパイプを失ってしまう。
ただ、幸いにも石谷兵部とその子の頼辰(斉藤利三の異母兄)は、
この戦さを逃げ延びた。
山科言継の日記に拠れば、義輝の死の翌年の永禄九年(1566)の八月。
石谷頼辰があらわれ、
「土佐国の長宗我部」
を言継に紹介している。
これはおさらく元親本人で、ひそかに上洛していたものと思える。
義輝が死亡したため、新たな中央とのパイプを作りたかったのだろう。
永禄九年(1566)といえば、本山との戦いが膠着しつつも、一段落むかえたところで、
対安芸戦を意識したところである。
まだ土佐の三分の一も押さえてない状態であるが、
元親の目ははやくも中央をみていたこととなる。
ちなみにこのとき、石谷兵部の同僚の細川藤孝は、
ひそかに義輝の弟で、のちの義昭をかついで、北陸へ逃走している。
若狭武田、朝倉とたより、ここで明智光秀と細川藤孝が意気投合したという。
もっとも、明智光秀の家柄は、もともと幕府とつながりがあり、
細川藤孝とも面識があった。
さらにいうと、石谷氏、斉藤氏、明智氏はともに美濃土岐氏であり、
何代にもわたって、複雑に婚姻を重ねて、半ば同族となってた。
0243人間七七四年
2008/03/20(木) 07:20:28ID:c+2daQdBのソースは何?
上げてる編年記紀事略には永禄六年に「頃年」という
記載があるだけなのでそれ以外だと思うけど。
0244242
2008/03/20(木) 09:25:32ID:GS4yPj56元親の婚姻は永禄六年の「頃年」が正解。
義輝横死が永禄八年、西暦の末年をあたまのなかで移植してしまいました。
もうしわけない。恥じてます。
ちなみに1575年までの元親の外交履歴をまとめると(西暦で)
1563 足利義輝側近の石谷大輔の娘を娶る
1565 義輝横死
1566 上洛し、石谷大輔の息子頼辰のつてをもって山科言継らに接近。
のちに京都一条氏が土佐へ下向するつてをつくる。
1567 細川藤孝、越前にて明智光秀と出会う。光秀、義昭に仕える
(光秀のそれ以前の履歴は不明)
1568 信長、義昭を補佐して上洛。
1568 元親 本山氏を降ろし、家臣団に組み入れ、土佐中央部の平定成る
1569 元親 安芸国虎を破り、土佐の三分の二を手中にする。
同年 土佐一条兼定、姻戚で同盟関係の津野氏とともに伊予に攻め入る
伊予西園寺と河野は連合、毛利がこれを助けて、両軍激突。
(鳥坂峠の戦い)
一条兼定敗走す。
1570 元親、弟の吉良親貞に一条領の城を奪わせ、以後、一条と交戦状態になる
1571 元親の動きと呼応したのかは不明だが、西園寺氏が河野と結び、
土佐侵入をはかる。
一条兼定は大友宗鱗に助けを乞い、大友軍、大挙して伊予へ押し寄せ、
西園寺氏の黒瀬城落城。一条家は大友氏の力を背景に、
土佐と伊予での勢力拡大をはかる。
1572 元親の謀略により、一条家重臣、津野定勝が家督を弟の勝興に譲る。
直後、勝興は元親に降伏。元親の三男を養子に迎える。
正確な時は不明ながら、一条家老臣、土井宗珊が、兼定に斬られる。
一条家内部で当主に対する不信感が強まり、元親がこれを利用する。
1573 この年、元親、兼定の子に自分の娘を娶らせる。
京都の権大納言従二位一条内基、基親に求めに応じて土佐下向。
兼定の子は、この歳、元服し、内基の一時をもらって内政と名乗る。
ただし、中村には居城せず、長宗我部領の大津に館を与えられ、
元親の監視下に入る。
と同時に、兼定は内基を通じて、朝廷より権中納言に昇進。
しかし、その直後に出家し、自得宗性と名のる。
(おそらくは元親、一条内基による強制)
1574年 兼定は元親の監視をくぐり、土佐脱出。
豊後大友氏を頼る。
(一説には、元親からの圧迫をうれえて京都一条家が進めともいう)
結果として、元親の幡多郡支配成る
1575年 兼定 大友家および伊予土豪の援助をえて、土佐復帰を狙うも、
元親の前に大敗(渡川、四万十川の戦い)
元親、明智光秀を介して信長に使者をだす。
また、宇喜多、毛利にも使者をだして、誼を通じる
0245人間七七四年
2008/03/20(木) 18:19:10ID:UzXsvd000246人間七七四年
2008/03/20(木) 19:49:29ID:c+2daQdB他人がネタにも肥やしにもできない長レスは一行煽りと変わらないよね。
0247人間七七四年
2008/03/20(木) 22:43:10ID:QbrRIAqyいいんじゃないかい?
0248人間七七四年
2008/03/21(金) 02:49:37ID:roJD346k蜷川・斎藤・石谷の三氏は婚姻関係があって、密接な間柄だったみたいだし。
あと、意外だったのが、元親正室が天正11年の七月に亡くなってたらしいことだな。
元親を扱った小説とかだと、大体の場合信親戦死の前後で描かれていることが多かったしね。
0249人間七七四年
2008/03/21(金) 10:55:43ID:+2z8rNMR0250人間七七四年
2008/04/10(木) 15:22:39ID:K0EOtMvy0251泉 こなた
2008/04/13(日) 09:48:05ID:WoMdbLql0252人間七七四年
2008/04/17(木) 23:42:31ID:iqUQZA9l足利義輝のご相伴衆を務め、「山科言継卿記」に義輝側近として記述アリ。
一説には義輝の庶子といわれるが、そうなると元親の妻の年齢がおかしくなる。
石谷氏には娘ばかりで男子がなく、同族の土岐一族の斉藤氏の子を養子とする。
斉藤氏と明智氏、石谷氏は美濃土岐家として複雑に婚姻を重ね、
互いの家に男子がない場合には養子を入れるなど、同族として行動していた。
ちなみに斉藤利三の妻は斉藤道三の娘。
信長とは妻を通じて義兄弟となる。
また、道三の死後、その娘のひとりを稲葉一鉄が保護し、嫡子の貞通に娶らせた。
利三が稲葉一鉄および貞通と親しかったのはこのため。
光政の娘で、元親の妻となった女子の名は不明。
法名は水心。
墓所は不明。
しかしながら、近年まで、
南国市岡豊城付近に「お水さま」とよばれる塚があり、
土地のもののあいだでは、
「えらい女性の墓」
だと伝えられていた。
ちなみに小説を史実だと信じて、wikiに元親の妻の名を「菜々」
などと堂々と書き込んだ、恥知らずの大馬鹿ものがあるが、どうにかしてほしい。
0253人間七七四年
2008/04/18(金) 00:06:59ID:PtcH2X7S専門書やら論文を読み始めたばっかりで嬉しいのは分かるが、
ネタ元が丸分かりでいい加減にしてほしいのだが。
0254人間七七四年
2008/04/18(金) 14:29:10ID:t7xjgHS+0255人間七七四年
2008/04/18(金) 23:44:59ID:YyoPREIu(もちろん適度な自重は大切だけど)
まあ、この程度ならスレが活性化するしいいんでないか?
0256人間七七四年
2008/04/19(土) 00:03:10ID:OGPMCYUBやっちゃう時点でもうその恥知らずの大馬鹿者と五十歩百歩だろw
0257人間七七四年
2008/05/02(金) 23:20:24ID:ltb1+M5Http://www.nhk.or.jp/nettyu/2008/sengokubusyo/0501/index.html
0258人間七七四年
2008/05/19(月) 15:01:51ID:uTIO6RaA0259人間七七四年
2008/05/20(火) 17:04:59ID:idunzVZ4ちょうそがべなら長宗我部に変換できる。
0260人間七七四年
2008/05/21(水) 00:36:43ID:tYxkY2200261人間七七四年
2008/05/21(水) 13:02:24ID:PE8EnorZ四国の人間でもないし、興味持ち始めたばっかりだから。でもやめた。
0262人間七七四年
2008/05/22(木) 16:11:04ID:4wHpL5wI0263人間七七四年
2008/05/22(木) 17:45:25ID:r+Oa0tAz0264人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 17:18:21ID:cMBhUCCi0265人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 19:11:37ID:QF3dcrB1大馬鹿者に苦言を呈するはずが晒し者の252哀れ
0266人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 23:54:30ID:1gZ5/uWn0267人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 00:37:13ID:AD+Vsi5U0268人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 00:47:24ID:qosN2Zuu0269人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 01:23:00ID:yZwHr0C+0270人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 01:26:50ID:AD+Vsi5Uならば賛成するぜよ。
仙石の馬鹿は誰が演じる?
0271人間七七四年
2008/06/09(月) 06:14:02ID:i9PB7/qY幕末の土佐藩士。山内容堂の元で参政となる。文武ともに非常にすぐれた傑物だが
元来気が短く人を馬鹿にする癖があり反感を買った。門閥家老を放逐し甥の後藤象二郎たちを登用、下横目岩崎弥太郎をつかう
幼少時に不遜な中間を斬り元服後も己をからかった容堂の客旗本松下嘉兵衛(秀吉の主君の子孫
いろいろあって江戸期に改易くらい旗本になった。山内家とは縁戚に当たる)を
酒宴の席でふるぼっこにする。松下は泣き叫び容堂も止めるが聞き入れず執拗にぼこぼこにし
結局容堂自身が席を立ち東洋をはがいじめにして止めるまで攻撃の手を緩めなかった
このような人物だったが一応やりすぎた後は悔い反省していたようでもある
文久2年本能寺の変の講義をした帰り路、基地外テロリスト武市の手下兼狂信者那須、大石らの兇刃に斃れる享年47
その首は大石の締めていた臭く黄ばんだ古ふんどしにくるまれ持ち去られた
ところでこの男、藩の重職にありながら長曾我部旧臣吉田大備後重俊の子孫である
つまり土佐では蔑視されてきた長曾我部侍なのである
よってテロリスト武市も最初は吉田なら腹を割って話あえば最後は分かり合えるとおもっていたという
0272人間七七四年
2008/06/13(金) 17:13:01ID:X6BbrmOw0273人間七七四年
2008/06/20(金) 20:20:38ID:d5/BU/LN0274人間七七四年
2008/06/22(日) 17:34:08ID:gLJg+Jnmhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%95%99%E6%94%BF%E8%A6%AA
wikiでは「大阪の陣では、長宗我部盛親の陣に参陣」とあり
http://www.geocities.jp/masaru_mania_top/KtosaH.html#han
こちらのサイトでは、「長宗我部改易後は徳川家に仕えて、大阪の陣では井伊隊に所属」とあります。
どちらが、本当なのでしょうか?
盛親に付いたか、徳川に付いたかで、彼の人生は大きく変わると思うのですが・・・
また、彼の大阪の陣後、の記録は何も残っていないのでしょうか?
0275人間七七四年
2008/06/22(日) 19:00:50ID:x4ZwFsWXWikiが誤り。
つか、個人サイトとWikiの記述が違っていたら、まずWikiが間違ってると思ったほうがよい。
典拠史料名が書いてある場合は別だが。
「福留覚書」によると井伊隊に属して冬の陣に参加した。
和平後に政親が大坂城に戦死した家臣の引き取りに入ったとき、盛親と出会う。
政親が事情を話すと、盛親は戦死した家臣の旗指物を持ってきて政親に渡す。
そして政親の父祖が長宗我部家に尽くしてくれたことを話し、政親は感動した。
但し「福留覚書」は直接見たことがないので、又聞きだ。
0277人間七七四年
2008/06/29(日) 01:14:23ID:3zzUCTwHこちらでもわかりましたら御知恵を拝借したいです。
1・一条兼定は最後、大友氏の庇護下に入ったまま豊後で死亡したのか?
御家再興の戦いで敗北した後、伊予に隠棲した(後、長宗我部の刺客に襲われ重傷、もしくは死去)のか?
どちらが正しいのでしょうか?(もしくは信憑性が高いのでしょうか)
本来、一条氏のスレで聞くべきなのでしょうが、一応長宗我部も絡む話なので・・・
2・http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217440967
窪川城は、1571年頃に一条→長宗我部に鞍替えしてから、使われていたのでしょうか?
その後の史書などに誰々が城主になったとか、合戦の拠点になったって記録はありますか?
3・http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1417442269
浦戸城(1591年築城)の前に、浦戸湾近くに城や砦はなかったのか?(土佐水軍・池氏の海賊砦とか)
4・「戦国史」というゲームのあるシナリオをプレイしていたところ、土佐に「広岡城」というのがあったんですが
ネットで検索しても土佐国の情報でヒットする物がありませんでした。これは実在する城ですか?
それとも別名がある?
質問厨ですが、よろしくお願いします。
0278人間七七四年
2008/06/29(日) 03:22:28ID:XZC0jOp81.豊後追放後、大友宗麟の庇護下で洗礼を受けドン・パウロとなった一条兼定は、宗麟の援助を得て伊予
に渡り、法華津氏・御荘氏・津島氏ら伊予の豪族と共に宿毛に侵入しました。幡多地域の諸将にも兼定に
加担する者が現われ、宿毛地域の回復には成功しました。なおも故地の中村を奪還せんとする兼定は
中村の栗本城に入るも、渡川の合戦で長宗我部軍に敗れます。
ひとまず伊予の法華津氏の城に逃げた兼定は、宇和島の沖の戸島に20余名の家臣と共に隠棲します。
元親は兼定の元家臣の入江左近を買収して戸島に仕向け、兼定を討たせようとします。これにより兼定は
重傷を負いますが、晩年はキリシタンとしての信仰生活を送り、天正13年に同地で没したようです。
天真院殿と号された墓が今も戸島には残っています。
2.窪川城は当地付近を領有していた仁井田五人衆の一人、窪川氏の居城で、初め津野氏、のち一条氏に
仕えた後、長宗我部氏の支配下に入っています。別名を茂串山城ともいいます。
合戦の拠点となった伝承は今のところありません。
城主の窪川氏は文禄の役に出陣して戦死、跡継なく断絶。長宗我部元親は当地を同じ仁井田五人衆の
志和氏に負託しました。その後、志和氏は元親に攻められ滅亡し、当城は元親の家臣・八木正久のもと
一領具足20人と共に守りました。長宗我部氏滅亡後は土佐藩の家老・山内一吉(林氏)が当地に赴任、
当城の向かい側に窪川土居を築いて統治し、当城は廃されたようです。
史料としては「南路志」所収の「仁井田郷談」が詳しいものの一つです。
3.浦戸城はもともと南北朝期に交戦の記録が見られますので、鎌倉期〜室町初期に当地の土豪が
築いていたというのが一般的な見方のようですね。
その後の天文年間に本山梅慶が利用、永禄3年に長宗我部国親が攻め落とし元親に引き継がれます。
縄張りからみて、海上からの敵の上陸を阻もうとする山城式で、豊臣氏に降伏後に初めて水軍を務めた
長宗我部氏が水陸両用の作戦に適した城として築き直したのが大きな特徴の城です。
浦戸湾口近くには、長浜城や横浜城、それに池城などの城もありましたが、いずれも内陸部の山城です。
4.高知で「ひろおか」と言えば一般的には吾川郡の「弘岡」を指す事が多いですね。
しかもゲームにも登場するような城で「ひろおか」にあるとすれば、土佐七雄(土佐七守護)の一人だった
吉良氏の「吉良城」ではないでしょうか。もっとも「弘岡城」という別称はあまり用いられませんが・・・。
吉良氏は対峙していた本山氏によって滅ぼされ、その後、長宗我部氏により当城も落とされ、長宗我部
元親の弟・親貞が入城して名跡を継いで吉良親貞と名乗りました。親貞の子・親実は元親の跡継問題で
自刃させられ、当城も廃されたということです。
些か簡略ながら、以上のような事情です。
0279人間七七四年
2008/06/29(日) 08:27:25ID:3zzUCTwH迅速・詳細な回答ありがとうございました。
非常にわかりやすく、参考になりました。
どう御礼を言っていいのやら。
本当にありがとうございました。感謝感激です。
0282人間七七四年
2008/06/29(日) 16:30:43ID:NpPF2yEm0284278
2008/06/30(月) 00:41:11ID:UiVHftm5ご質問1.について、あと少し言及いたしますね。
渡川の合戦は天正3年でしたね。一条兼定に大友宗麟の援助があることを懸念した
長宗我部元親が刺客を送ったのは天正10年です。刺客の入江左近は兼定の元の
小姓で、夜半に兼定の熟睡中を襲います。一命を取り留めたものの兼定は片腕を
失ったとの事です。その3年後、兼定は熱病にて没し、享年42歳と伝えます。
念の為、補遺まで。
0285人間七七四年
2008/06/30(月) 07:32:11ID:tiLggtmb0286人間七七四年
2008/06/30(月) 09:26:10ID:SdXiki6S大ともに流れついたのは偶然で奴の天運がなかったら
そのまま漂流死してたというの?
0287人間七七四年
2008/06/30(月) 09:28:32ID:tiLggtmb0288人間七七四年
2008/07/01(火) 00:10:33ID:/96Kcluk誰でもは知らないだろうけど、下調べできることもあるからね。
一応、長宗我部家に関わる事項も含まれているからおおめに見てあげようよ。
0289人間七七四年
2008/07/01(火) 21:15:14ID:IDgAdFn4スレ違いだとか、ググレカスと思うならスルーすればいいのになあ
何で回答できない奴に限って文句ばっか言うんだろう
0291人間七七四年
2008/07/02(水) 00:54:56ID:rOWcK1Dr0292人間七七四年
2008/07/04(金) 02:58:13ID:l1l7yOCH誰しも学習したから知ったわけだしね。
目くじら立てずに教えてあげたらいいじゃないのよ。
0293人間七七四年
2008/07/04(金) 22:55:38ID:Kp4L5rzPそれと同等の知識をネットでホイホイと得ようとするからムカツク!
ってことだろう。
ネットで知識を得た人間は同じくネットで情報を得ようとする人間に対し寛容であるが、
出費や労苦を伴う行動で知識を得た人間はそういった人間に寛容になれないってこと。
古城研究家や合戦研究家で城址・戦場跡を実際に歩いて研究に活かす人が、
直接城址・戦場跡に赴かずに卓上でのみ研究する人を嫌うのと似てるな。
前者が後者を特に嫌うのは、前者が実地に赴いて思考した自分の結果(本や論文)を
後者が自分の知識に取り入れる、所謂「他人の褌で相撲を取る」ってのがある。
2ch的にはどーでもいーんじゃね? って感じだがw
0294人間七七四年
2008/07/05(土) 13:54:02ID:iLjgWzOVいくら改変が進んでいても現地で初めて発見することや納得することがある
0295人間七七四年
2008/07/08(火) 12:29:55ID:COCtWxkfそれを仕事にして商売している人が
そういう想いを感じるのは損得勘定もあるし理解できるのだが
世の中には遠くの遺構までわざわざ出向いたり
資料を実際に垣間見る余裕もない人もいるんだから
わかる人が教えてあげてもいいような気するけどな。
どうしても自分から教えたくないならスルーしてればいいだけで
「(他者からでも)知られる事が気に食わない」って人は何なんだろ。
0296人間七七四年
2008/07/08(火) 14:21:04ID:iF2xuY9a料理作って食おうと思ったらそこにやってきた奴に食われたように気分
自分で努力しろ
勉強ってのは努力を鍛え苦労に耐えるようになるのが本文
知識や学力はなくても生きていけるがその訓練のためにみな勉強をさせられるわけだし
0297焼肉+ ◆JUU/.JUU/.
2008/07/08(火) 19:22:07ID:Go9tK2kV長宗我部と打つのがそんなに面倒くさいのかな?
本筋に戻れよみんな。
0298人間七七四年
2008/07/09(水) 17:09:28ID:fGANvmLU0299人間七七四年
2008/07/10(木) 02:25:43ID:fpZMJAQmちょろっと検索すれば出てくるような事と
現地人だったり現場の人間じゃないとわからない事では
まったく別だと思うが。
みんながみんなあちこちの遺構や博物館に行けるわけじゃないだろ。
0300人間七七四年
2008/07/23(水) 20:07:27ID:AUZ/S/KD0301人間七七四年
2008/07/27(日) 21:44:37ID:3zXfrOMJ0302人間七七四年
2008/07/28(月) 05:01:04ID:Da3ikmdP司馬遼太郎の小説は良かったですが他に良いのがなくて・・。
0303人間七七四年
2008/07/28(月) 12:51:05ID:BkV79JBIあの男の作品は歴史好きにとって無双やバサラ並に害悪
0304人間七七四年
2008/07/28(月) 13:03:11ID:dj+OPuTm0305人間七七四年
2008/07/28(月) 13:18:41ID:eMyUUJ81司馬の本は、小説として読む分には害は無いだろ。
アレを歴史として読んじゃう馬鹿には、害があるのだろうが。
0306人間七七四年
2008/07/28(月) 13:19:23ID:LpokS9Uz小説指して害悪とか言ってる連中は史書と文献だけ読んでりゃいい
>>302
呼んだのは「夏草の賦」ですか?
司馬先生の本ですと盛親を扱った「戦雲の夢」もありますので、どちらかまだ読まれてないのでしたらどうぞ
光文社からは徳永信一郎先生著の、学陽書房からは宮地佐一郎先生著の「長宗我部元親」が刊行されています
またPHPから荒川法勝氏の作品が刊行されていますので、この辺りを読むとよろしいかと
0307人間七七四年
2008/07/28(月) 14:55:48ID:5vZ5q7P3が、司馬を読まずして歴史を語れるか!なんて真顔で言い切る奴を量産している害悪もまたすさまじい。
司馬個人は勉強家で、小説と割り切って作ってるのは知ってるのでとやかくは言わないが、
それを変に解釈するやつが問題。
0308人間七七四年
2008/07/28(月) 22:18:51ID:rJ/e721dそういう連中って歴史を玩具と思っているからいざ論文とかかかせると
すぐ資料がよめないとかつまらないとか言い出すし大河みて騒いでる愚民と一緒で
歴史好きだからどうなんだって感じ
歴史界に人材は入らないからいてもいなくてもよい
卒論審査とかもそういう奴は重点的に減点して落第させてるよ
小説ってなぁwってかんじ。教授とかも蔭ではそういう連中はせせら笑ってる
まぁ学生来なくなるとおまんまの食いあげですから表面では言いませんけどね
0309人間七七四年
2008/07/29(火) 00:03:12ID:JepSAdztそして司馬氏のことで悪い雰囲気になってしまい申し訳ないです。
私が読んだのは夏草の賦と戦雲の夢です。
歴史の知識を得たり語るのであれば、歴史の書物や論文を読めば良いですが、史実を壊さずに小説(物語)として読める、面白い作品を知りたいと思いました。
研究した知識を文にした論文や伝記ではない物が好みですが、元親記は面白かったです。
史実を無視したゲームの内容は酷いので、歴史ではなく武将コメディストーリーだと思って割り切っています。
司馬氏は歴史を題材にして多くの人を楽しませる作家。
歴史の先生や研究者は学者。
シェフと料理研究家みたいなジャンルの違いがあるので比較はできないと思っております。
0311人間七七四年
2008/07/29(火) 00:57:59ID:wfwDyRcy0312人間七七四年
2008/07/30(水) 02:38:13ID:tttmKepD何年かまえの「日本歴史」の新年の特集記事で、学者の先生方に
おすすめの小説や、好きな作品を聞くという企画があったが、愛読書として
司馬遼太郎などは普通に挙げられていたんだがね。
また、「小説から歴史に興味持ったやつ=馬鹿」といいたげだが、史学科の
学生の水準はそんなに低く無いぞ。
もちろん、小説は小説、史学は史学ってのは当たり前。例えば坂本竜馬の
研究をする際に、先行研究や史料を用いても、「竜馬がゆく」を用いたりはしないがね。
0313人間七七四年
2008/07/30(水) 04:09:42ID:eh7+9lCJきっかけは何であれ、そこから深く知識を広める奴もいれば
ミーハーなだけで終わる人もいる。
個人の資質の問題であって
小説やゲームで興味持ったから、必ずしもそういうフィクションを現実だと思ってる
馬鹿ばっかり、みたいな決め付けをするのもどうかと思うね。
まあ、大半はそうなんだろうけどもさ。
あえて得意気に言うこともでもない。
0314人間七七四年
2008/08/02(土) 05:40:03ID:jxcpmRTd放鶴絵図は凄く好きだ。
0315人間七七四年
2008/08/03(日) 05:21:38ID:uZx4WuNt0316人間七七四年
2008/08/04(月) 23:55:37ID:DIKLfJo90317人間七七四年
2008/08/05(火) 23:27:23ID:+kXvmFOf0318人間七七四年
2008/08/06(水) 02:20:14ID:9KO3py5y0319人間七七四年
2008/08/23(土) 15:34:02ID:bJeazht/0320人間七七四年
2008/08/30(土) 10:24:44ID:GvehSQtuのような立場に立ったから長曽我部は乗り換えたという形?
0321人間七七四年
2008/08/30(土) 11:00:12ID:l7oBNNTi小説だとかなりイメージが悪いし
主家が滅亡した後は他家に仕えてるし。
0322人間七七四年
2008/08/30(土) 11:11:30ID:l7oBNNTi0323人間七七四年
2008/08/30(土) 15:37:22ID:igbtLWlB侍従
土佐守
久武弟は世渡り上手って感じかな
半分くらいスケープゴート的に扱われてそう
0324人間七七四年
2008/08/31(日) 03:41:35ID:ewBR+AS20325人間七七四年
2008/08/31(日) 13:57:25ID:VP4H/5Pd0326人間七七四年
2008/09/04(木) 10:38:12ID:uW2LRVxG高虎が領土を割譲してくれるとまで言ってたのに、メンツ丸つぶれだな
夏の陣では高虎に召抱えられていた自分の遺臣を躊躇なく殺しまくる外道ぶり
0327人間七七四年
2008/09/04(木) 19:22:58ID:WUmJkSWf0328人間七七四年
2008/09/07(日) 02:25:20ID:SkQXjI6d0329奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/09/13(土) 00:44:54ID:JZ7xnILG0330人間七七四年
2008/09/14(日) 01:45:39ID:LOs93M6n滅茶苦茶恨まれてるよ
0332人間七七四年
2008/09/21(日) 21:57:22ID:IX6mj0EG0333人間七七四年
2008/10/09(木) 15:26:02ID:Bw/zrYbk0334人間七七四年
2008/10/12(日) 15:19:07ID:LjcTxaYy0335人間七七四年
2008/10/13(月) 13:33:13ID:GCafl1uK私は野中姓ではありませんが、小学生のころ、野中姓(この姓は少ない)の同級生から「俺と○●は遠い親戚なんやで」といわれたり、
中学生のときもある女の子から先祖はいっしょなんやでと言われたことがありました。
それから長宗我部家の末裔(直系はいない)という曽我部姓のひとが何人か小学校のころにいました。
家臣の一人が記した『南海治乱記』には、長宗我部軍の擁する土佐兵は小型馬(土佐駒)に乗り、鐙は木製で、
鎧は切れて麻糸で補修するといった具合でこれでは戦に勝てないと書かれているようです。
親孝という名は父親の野中肥後守貞吉の代から長宗我部国親に仕えるようになり、彼の一字「親」をもらって
名づけたようです。
秀吉による朝鮮侵攻にも参加したようです。親孝をはじめとして土佐兵はこの海外遠征に乗り気じゃなかったようですが、
元親は自分達だけでも行くといったので結局参加したようです。戦功は結構あったようです。
0336人間七七四年
2008/10/13(月) 15:05:12ID:2sZvvljQ0337人間七七四年
2008/10/14(火) 14:06:30ID:RTwOuX1T伊達政宗や真田幸村、長宗我部元親といった戦国武将が若い女性のあいだでブームになっている。
戦国時代を扱ったゲームソフトや大河ドラマの影響のせいか、武将ゆかりの地や博物館などで女性の姿が目立ち始めたのだ。
ここ1〜2年で「長宗我部元親ファン」が増える
「ゲームの影響なんでしょうか、最近若い女性が増えてきているのは確かで、(参拝客の)90パーセント以上は若い女性です。
昔にはなかったことで、ビックリしてます」と話すのは、高知市の若宮八幡宮の大久保千尭宮司(65)。
戦国武将の長宗我部元親が戦勝祈願したとされる同神社に若い女性の参拝客が増え始めたのはここ1〜2年のことで、
女性客はどうやら「長宗我部元親ファン」らしい。大久保さんは「(坂本)竜馬さんは全国区だけど、まさか元親がそういう対象になるとは」と驚きを隠さない。
突然の「元親人気」を受けて、神社では元親にちなんだミニチュアののぼりや絵馬を製作したところ、売れ行きは好調という。
境内には長宗我部元親の銅像があり、こちらも「かっこいい」と評判に。神社周辺にも元親ゆかりの史跡もあり、人気スポットになっているようだ。
「(長宗我部元親について)びっくりするほど知っていて、こちらも勉強しているんですが、逆に質問されたりして。刺激になりますね」
と大久保さんは話す。
http://www.j-cast.com/2008/10/12028334.html
土佐の蝙蝠スイーツきめええええええええええwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0338人間七七四年
2008/10/14(火) 14:11:51ID:XXgNrcrH0339人間七七四年
2008/10/25(土) 13:05:33ID:dL7vw3E00340人間七七四年
2008/11/14(金) 15:05:16ID:5jh+S0Ow0341人間七七四年
2008/11/14(金) 15:26:43ID:RYYZqBY3http://www.nicovideo.jp/watch/sm5012065
うはw
0342人間七七四年
2008/11/24(月) 02:24:39ID:Lzd2vEGR0343人間七七四年
2008/11/24(月) 12:35:16ID:Lzd2vEGR2008年11月24日09時00分
東京や大阪などの長宗我部ファンの若者らがインターネット上でつくっている
「長曾我部最高委員会」の会員二十人が二十三日、高知市の長宗我部一族ゆかりの地を巡った。
テレビゲームや小説の影響で全国的に戦国武将ブームが起きており、土佐の長宗我部氏も、
伊達政宗や真田幸村らとともに高い人気を誇っている。
同会は長宗我部の大河ドラマ化などを目指し、昨年結成。
会員は現在約百七十人で、ネット上で情報交換したり、イベントなどを開いている。
今回は高知市長浜の秦神社での一族の供養祭に合わせて来高。地元住民らの案内で元親の居城、浦戸城跡なども巡った。
同市長浜の雪蹊寺で元親の長男、信親の甲冑(かっちゅう)を見学した千葉県の女性は「身長一八〇センチ以上と
伝えられているように大きな鎧(よろい)。実在していたことを強く感じる」。
同会「総大将」で千葉県の会社員、林太一さん(28)も「顕彰会や地元の方と史跡を巡れて本当にうれしい」と満足げだった。
若者らに囲まれた長宗我部氏の子孫、清藤英子さん(84)=高知市梅ノ辻=は
「(多くの若者から注目されていることに)なんで?って、たまげちゅう。ご先祖さまも喜んじゅうと思います」と話していた。
http://203.139.202.230/?&nwSrl=235619&nwIW=1&nwVt=knd
高知の売り込みきんもー☆
0344人間七七四年
2008/11/24(月) 23:01:52ID:p+/MFqgy0345人間七七四年
2008/11/26(水) 23:47:24ID:OhAYeNhI0346おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk
2008/12/03(水) 08:00:06ID:BLb6xW7q>戦功は結構あったようです
鏡川の畔には今だって「唐人町」という地名があるぐらいじゃないか(月の瀬橋から少し下流の左岸一帯)。
捕虜にした朴好仁以下、実に300名ほども土佐に連れ帰って住まわせた地名だからこそ唐人町。
ここ、当時は一等地だったと思う。
捕虜であったとしても、きっと丁重にもてなしていたに違いない。
0347おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk
2008/12/03(水) 08:06:09ID:BLb6xW7q山内が入国して築城間もない高知城(河内山城)を睨みながら自害してしまったと聞く。
それが「薫的神社」の始まりではないか >>335
0348人間七七四年
2008/12/03(水) 08:20:43ID:XAY7dP830349おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk
2008/12/03(水) 08:25:10ID:BLb6xW7q「唐人町」は月の瀬橋よりもより下流の天神橋付近にあるんじゃったぁorz
0350人間七七四年
2008/12/05(金) 22:40:15ID:m1nemBZR県境から、宇和島→卯之町(西園寺公広の黒瀬城)→大洲(宇都宮豊綱、大野直之)→松山
という今の線路は当時の街道や進軍路とは違うかもしれないが、
何度も峠を越え、リアス式海岸が見えてもすぐに山に入り見通しの悪い地形を見て、
このルートを通り攻め込もうとした久武親信たちは苦労したんだろうと実感した。
土居氏などの地元勢には、地の利を生かして守りやすい土地かも。
伊予を攻略するには、瀬戸内から松山平野の主要部に侵入できた毛利に比べてハンデがありそうに思えた。
0351人間七七四年
2008/12/22(月) 15:53:39ID:QgHBP6md0352人間七七四年
2009/01/04(日) 20:58:07ID:883hmWZN長宗我部の事績なら、『土佐物語』をどうぞ。
土佐統一のエピソード、家老や若年寄級の活躍、朝鮮出兵時の面白いエピソードなどがてんこ盛りです。
絶版だけど。。。
0353人間七七四年
2009/01/05(月) 12:02:30ID:LazuKY4R0354人間七七四年
2009/01/15(木) 22:47:04ID:vpPelYQU0355人間七七四年
2009/02/03(火) 14:51:28ID:4X7KIJKh0356人間七七四年
2009/02/06(金) 05:15:07ID:yJQrbG2a0357人間七七四年
2009/02/06(金) 05:51:50ID:3LRR+qZGhttp://weekly.yahoo.co.jp/97/busho/index.html
0358人間七七四年
2009/02/06(金) 22:27:11ID:9PqMrJ980359人間七七四年
2009/02/08(日) 00:26:17ID:Q8Z4kk+H0360人間七七四年
2009/02/08(日) 01:06:41ID:zF/2lcjP0361人間七七四年
2009/02/17(火) 22:06:51ID:wfQdAYGl0362人間七七四年
2009/02/17(火) 22:35:13ID:5nFjl2Ek0363人間七七四年
2009/02/18(水) 04:49:22ID:qBexJ7/n先祖が山内氏に仕えて270年間その禄をはんできたから、山内氏には恩顧がある。
おまけに、長宗我部の家来じゃなくて香宗我部氏と津野氏の家来だったしw
長宗我部ファンなのはいんだけど、山内氏を悪くいう人が少なからずいてどうも、ね。
しかも、土佐の縁のない者がしゃしゃり出て来るのも気にいらん。
0364人間七七四年
2009/02/18(水) 04:50:53ID:qBexJ7/n×>土佐の
0365人間七七四年
2009/02/18(水) 22:53:41ID:0n4q/Zudうちもそもそも津野→一条→長宗我部の配下で
その後は山内に仕えたからな〜。
0366人間七七四年
2009/02/19(木) 00:58:37ID:VAEsB0NQ0367人間七七四年
2009/02/19(木) 21:26:47ID:XW1obkZx長宗我部時代なんて40年もねーんだし
0368人間七七四年
2009/02/28(土) 10:53:17ID:H/+3o7YC0369人間七七四年
2009/03/01(日) 03:43:46ID:Bv1NOyKL土佐物語注文したら、別の土佐物語来たわ
土佐の人はいっこくだって書いてあった
0370人間七七四年
2009/03/07(土) 20:32:41ID:AnC0AKI0貴公の先祖の時代、同郷の郷士たちを鉄砲で卑怯に撃ち殺した山内にそんなに恩義があるのか。
長曽我部は、確かに盛親はヘタこいたが、
簡単に近江者になびく調子のいい土佐モンには幻滅する。
土佐が幕末に主導権を握れなかった理由もよく分かるw
0372人間七七四年
2009/03/15(日) 19:53:58ID:dymPvvbO0373人間七七四年
2009/03/15(日) 20:43:00ID:8K55dJjI早明浦ダムの用地提供とか。
0374人間七七四年
2009/03/15(日) 23:56:03ID:dtPynBAWこれが謎なんだな。なんでそんなえら〜いお方が高知なんぞのど田舎からでたのか???
日本国のミステリーにしてもえいがやない?
ファッション界の山本寛斎、音楽界のつんく(なんとかかんとか)は高知関係者だし。
ミスコンテストでも世界一とか日本代表とか出してるし。。。
もっとも高知出身者が高知を好きだとは限らないが。
0375人間七七四年
2009/03/16(月) 18:23:36ID:k2Q+j0t/0376人間七七四年
2009/03/16(月) 19:59:12ID:LtgtWR2r0377人間七七四年
2009/03/16(月) 23:19:45ID:uUc1HeiO特異な地域性がそうさせたのは一理あるとおも。
0378人間七七四年
2009/03/20(金) 15:03:17ID:TAA5U+TV0379人間七七四年
2009/03/25(水) 03:37:59ID:dle5nFAJその程度の人材は、どの県でも何頭のジャンルで輩出しているだろう。
「近畿で適当に三角形やら四角形とか描くと、どっかしらの霊山神社に当たって、
なにやらいわくありげに思える」のといっしょで、特に突出しているとは思えないな。
ところで、長宗我部盛親が、関ヶ原の陣で、
土佐を出立し、上坂した時期って何か資料あるのかな。
長束に止められて西軍入り、というところから「あ、いたんだ」って感じで始まるw
0380人間七七四年
2009/03/25(水) 17:03:51ID:7f3wy0RDやなせ西原ごときで高知は漫画大国だ漫画甲子園だのと朝鮮臭いからみんなに嫌われる。
0381人間七七四年
2009/03/26(木) 10:01:29ID:XbtOnAKo0382人間七七四年
2009/03/26(木) 11:56:28ID:weYyZbyO0383人間七七四年
2009/04/11(土) 17:16:58ID:y18nycFl0385人間七七四年
2009/04/20(月) 23:36:16ID:QxCmluVX0386人間七七四年
2009/04/23(木) 15:55:30ID:zgCf/lSP0387人間七七四年
2009/04/23(木) 16:39:34ID:vJJl6vog0389人間七七四年
2009/04/24(金) 03:56:33ID:+TGQYqyd0390人間七七四年
2009/04/24(金) 13:15:33ID:BPOGjdbG批判する前にもっと研究しなはれw
0391人間七七四年
2009/05/01(金) 23:28:54ID:Vxbn7FAp0392人間七七四年
2009/05/02(土) 00:34:38ID:CQaulv8y0393人間七七四年
2009/05/02(土) 01:08:58ID:Px52swE30394人間七七四年
2009/05/02(土) 02:04:32ID:SCHixyT70395人間七七四年
2009/05/02(土) 03:05:45ID:jBMbTWhI0397人間七七四年
2009/05/04(月) 00:00:54ID:+lyGEvLu安芸氏攻めの毒入れ井戸は視聴者から猛抗議w
0399人間七七四年
2009/05/04(月) 10:56:08ID:2vjh+EGeんで次か次が「野の虎」の回
0400人間七七四年
2009/05/04(月) 11:08:33ID:dYsgDnWD0401人間七七四年
2009/05/04(月) 17:04:53ID:2vjh+EGe0402人間七七四年
2009/05/04(月) 19:11:37ID:AbvPAoSU0403人間七七四年
2009/05/04(月) 23:54:38ID:DMbYLa7u0404人間七七四年
2009/05/08(金) 00:20:50ID:A9L3OR7w0405人間七七四年
2009/05/13(水) 15:50:28ID:UMO/cg8O0406人間七七四年
2009/05/13(水) 17:54:38ID:JoJQGr680407人間七七四年
2009/05/14(木) 00:40:19ID:sV51rjNF賛同する!
0408人間七七四年
2009/05/26(火) 15:22:19ID:xA2XVwDe0409人間七七四年
2009/05/26(火) 21:47:10ID:/ThARNHnhttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243232302/
0410人間七七四年
2009/05/27(水) 15:17:29ID:mAyRd8Gh0411人間七七四年
2009/06/02(火) 05:39:35ID:+GI4mKn/0412人間七七四年
2009/06/03(水) 01:52:21ID:QuGG+HxW0413人間七七四年
2009/06/04(木) 18:04:11ID:P4QfkND40414人間七七四年
2009/06/06(土) 00:54:24ID:hszyo0M4ttp://uproda55.2ch-library.com/001244G8V/gogo001244.jpg
0415奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/06/06(土) 06:22:09ID:+U0w1Pyd0416人間七七四年
2009/06/06(土) 22:50:37ID:hszyo0M4津野親忠に家督を譲っていたら・・・
石高は削られても土佐藩主として長宗我部家は存続できた?
仙石秀久以上に、久武親直が嫌い。
0417人間七七四年
2009/06/07(日) 03:20:56ID:JtbX4mG2関ヶ原で本心ではなくても西軍側に起った事で
既に徳川にしてみれば潰す口実ができたようなものでは?
万一、家として存続できたとしても国替えになったのでは、と。
また久武弟の件、単なる私欲からの行動だけとはいえないのかも。
現存する文献では徹底的に悪役扱いだけど
それまで一企業の社長だった長宗我部が豊臣という大企業に呑み込まれ
その一員として機能しなければならず、更には引き続いてそれが
徳川に取って代わろうとしていたんだよ。
その時代の流れに合わせて長宗我部自体の内部改革も必要だった訳で
変革を望まなかった者たちが国政を左右できる立場にいたのでは
到底その流れにはついていけず土佐の将来も危ぶまれた。
そういう意味ではあながち不要な人物でもなかったのでは、と思う。
もちろん「好き嫌い」で言えば「大っ嫌い」だけどねw
仙石? 問題外!w
0418奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/06/07(日) 05:04:50ID:Xsy0d/Wa長宗我部家は四国から出ずに四国を切り取りまくって
関ヶ原まで日和見を決め込めばよかった。
・・・無茶なのはわかってるけどさ。
0419人間七七四年
2009/06/07(日) 18:29:03ID:Tr/u3E9x大坂に大坂城守備兵を派遣、家政自身は高野山へ入っている、
一方息子至鎮は、上杉攻めに従軍中で、そのまま家康に従い東軍として行動、
関ヶ原後に息子至鎮があらためて阿波を賜っている。
父家政も家督を息子に譲りはしたが、特に咎めを受けた訳でもない。
明らかに両天秤にかけていながら、うまく乗り切っている。
0420人間七七四年
2009/06/07(日) 22:45:07ID:Bs2aDeBq長宗我部、島津、伊達とかさ。
リーマン大名じゃなくて自ら切り取りたる大名の家系。
東西両天秤の他に、第3の選択肢もあったんじゃないかな。
関ヶ原が長引きさえすれば。
如水だけじゃないと思うんだよな。
その辺りが両天秤のみの大名とは違って、中途半端になったんじゃないかなぁ。
0421人間七七四年
2009/06/08(月) 10:07:19ID:t6E+Kwli温度差が有ったであろうことは想像に難くない。
0422人間七七四年
2009/06/08(月) 10:10:37ID:t6E+Kwliつづき
んがしかし、もう少しうまく立ち回れなかったのか。
長宗我部の場合は、断絶してしまったからこそ、
想像が広がる余地があって面白い。
0423人間七七四年
2009/06/08(月) 17:06:25ID:hGdnCW06そもそも、秀吉・家康とかと同じラインだったわけだから。
他家との交流エピソードがほとんどないもんな。
まぁ、盛親はその犠牲者と言えるかもしらんな。
0424人間七七四年
2009/06/08(月) 21:20:43ID:qaPxB4b9どっちにせよ、大坂か京都あたりに政権を作ろうと思ったら、
近場の四国には相当に信頼できる大名じゃないと大きな領地は与えられないでしょう
天下取れないなら100万石もらったとしても四国からは叩き出されているんじゃないかな
0425人間七七四年
2009/06/08(月) 21:31:13ID:cMUeSuzg上手に呼吸を合わせられたら・・・
長宗我部元親率いる四国勢と紀州雑賀の鉄砲隊が連合して機内に攻め込み、
東の徳川・北条家と共に挟み撃ちにして羽柴秀吉を粉砕する。
北条氏政は評価が低いけど、実際はかなり優秀な人物だったみたいだし。
北条氏の最大版図(250万石)は氏政の代だったのでしょう?
または中国や帝政ロシアみたいに女性でも家が継げれる風習があれば、
>>414みたいな優秀な娘が(ゲーム上の架空の娘ですが)、
家督を継ぐ、という選択肢もあったかもしれません?
帝政ロシアだと、皇帝の娘が即位したりしている。
0427莫邪 ◆Bakuya.ugA
2009/06/09(火) 01:06:30ID:R5+AQ3yLとはいえ、優秀な水軍がいないから11日間のあいだにできることは少ないな
0428人間七七四年
2009/06/09(火) 04:05:58ID:2UtwnSCw四国の統一安定化後の出口は、中国地方にならないか?
小早川とガチはシンドイと思う。
0429人間七七四年
2009/06/12(金) 17:31:36ID:GXlaIS8mそれ以前に光秀支援に動こうとすると、どうしても海路を大きく迂回して
侵攻しなきゃいけないし、どうにもできそうにないな。
長宗我部ってなんか二、三のIFを重ねないと生き残れたように思えない。
0430人間七七四年
2009/06/12(金) 20:33:29ID:CA1Gymrtそうだとしたらちょっと能天気で楽しいですね。
0431人間七七四年
2009/06/12(金) 20:38:14ID:F1fhs4vb0432人間七七四年
2009/06/13(土) 00:32:23ID:s/CHp7ro土佐は豊かだったんですね!
0433人間七七四年
2009/06/13(土) 01:36:57ID:H/n11ihB0434人間七七四年
2009/06/13(土) 19:34:04ID:cjooLJMt0435人間七七四年
2009/06/13(土) 21:10:21ID:X4BaLaim確か長宗我部元親に降伏。そこで四国統一が達成。
しかし、すぐに秀吉の四国征伐がはじまった、でいいですよね。
0436人間七七四年
2009/06/13(土) 21:12:45ID:WUcFEGYA八月九日の本多正信書状で大智表に長曾我部が侵攻している記述が見られ、
十河城落城後でもそこで抗戦してた勢力が存在する事が確認できる。
7月19日長曾我部の家臣久武親直の書いた伊予金子氏宛て書状で十河勢による攻撃に
対応して出兵している上、その攻撃は予断を許さぬものである事も伺える。さらに元親は
伊予金子氏に対しても自身の出馬を要請しており十河勢は守勢一辺倒ではなく
攻勢を取りさえしたことがわかる阿波でも秀吉が土佐泊城に
天正12年十月時点でも支援している旨の書状が存在し、翌年の四国侵攻でも秀長がまず土佐泊に上陸し、
緒戦が木津城包囲戦であった事から、まだ落城していない事がわかる
河野氏の降伏も藤田達生氏の『日本近世国家成立史の研究』によって史実ではなく伊予を統合していない事が明らかにされている。最近では長曾我部の四国平定に関して定説は以上のような理由で否定されてる
0437人間七七四年
2009/06/13(土) 22:56:07ID:s/CHp7ro伊予側の事情を追加すると、毛利が明確に羽柴陣営となるまでは金子氏を介在して伊予(毛利陣営)とは停戦状態。
毛利が羽柴陣営に与したことがはっきりしてから伊予侵攻を再開して南部の喜多郡あたりでの戦闘が続いているが、
河野氏が支配した伊予中央部での戦闘の記録はない。
従来『大日本史料』の記述で天正12年に風早郡で長宗我部と毛利が戦闘していたと言われていたが、
毛利・河野氏の戦闘相手は長宗我部ではなく織田陣営に走った来島氏の残党である得居通幸。
東の道前側からの侵攻が行われた様子はないものの、新居郡に隣接する周布郡の黒川氏(河野氏の縁戚でもある)は
長宗我部よりの態度も見せていたようで河野ー長宗我部間の和睦工作も行っていたらしい。
ただし、小早川傘下の井上春忠など毛利家臣が湯築に在城していてこれらの工作は効を奏していない。
0438人間七七四年
2009/06/14(日) 19:15:30ID:b4klHOFp0439人間七七四年
2009/06/17(水) 19:55:10ID:es80fi8h司馬遼太郎のだけ持っているのですが
人物蔵書や人物文庫のがいいのかな。
0440人間七七四年
2009/06/18(木) 02:24:36ID:wJfRXuwo0442人間七七四年
2009/06/20(土) 00:37:45ID:RuHDPVBd0443人間七七四年
2009/07/04(土) 14:33:56ID:5Tq4iELs0444人間七七四年
2009/07/05(日) 15:19:52ID:jcKd8fex直系かどうかは聞いてないのでわかりませんが
祖父の話によると祖父の曽祖父は薩英戦争にも参加したそうです
何か福留隼人に関する本、事を教えてもらいませんか?
0445人間七七四年
2009/07/05(日) 23:00:59ID:7RoKWRuB叫んでいた福留氏(高知出身)もご子孫で、直系に近いとは聞いた事があるよ。
そう言えば、故郷の友人が住んでいるのは、高知市の田辺島(たべしま)だったなあ。
子供の頃、そいつの家に行った時の遊び場の一つが「はいとさん」という神社の境内で
それが福留隼人を祀った神社だと知ったのは高校に入ってからだったw
地図をググったら出てきた出てきた・・・懐かしい!
あ、ご参考までにこんなのもありましたよ。
↓
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1222961137
と同じく長宗我部家臣の子孫より。
0446人間七七四年
2009/07/06(月) 22:52:42ID:atnJKccsそうです!隼人神社は田辺島にあります
僕はおととい祖父に初めて連れて行ってもらいました
祖父は「はいとうさん」と呼んでいました
僕は「はやとさんの間違いじゃない?」と聞くと「わしらははいとうさんと呼びよったがなあ」と言ってました
調べてみるといろいろな呼び方があるようですね
家紋は祖父によるとあまり覚えてないけど梅の花みたいだったと言っています
0447445
2009/07/07(火) 00:55:33ID:XD+UdRoe何だ、高知在住の御仁だったのかあw
それならば、歴民や市立・県立図書館の学芸員さんに訊ねてみるとか
方法は贅沢すぎる程あると思うよ。
あとは、貴方のおじいさんや他のご親類からの聞き取りをもっと詳しく
して記録に残しておくことかな。今しかできない作業はお早めに。
私の場合もそれを進めている最中なんだけどねw
ちなみに福留氏は「福富」とも称し、平家の家人が祖と聞いているよ。
田辺島を干拓して作地にし、「はいとさん」「はいとうさん」の隼人神社が
その城跡。「長宗我部地検帳」にも出ていたよ。
祖先調べはかなり根気の必要な作業だけど、やればやるだけ面白くて
のめり込んでいくこと受け合いw
頑張って下さりませ!
家紋までは分からなかったので申し訳ない!
0448人間七七四年
2009/07/08(水) 22:20:13ID:150bma7v曽祖父の代は大津に住んでおり家系図などあったそうですが
今はなくしてないそうです
現在受験勉強で忙しいので、それが落ち着き次第調べてみたいと思います
いろいろ情報ありがとうございます!
0449人間七七四年
2009/07/09(木) 00:52:03ID:wexiOFXIいえいえ、あまりお役に立てなかったかも知れないけど・・・w
落ち着かれたら是非とも調べてみて、またレポして下さいね!
これからもご先祖様の事を大切になさって下さいな。
それから、受験での良い結果をお祈りいたしておりますね!
0450人間七七四年
2009/07/16(木) 03:36:42ID:XjF4aG6g伊予の大名は長宗我部勢といて秀吉軍に抵抗したということでは?
長宗我部に降伏していない伊予の有力大名がいたなら、秀吉軍に味方して領地は安泰にならないだろうか。
秀吉の四国攻めの時には、長宗我部が伊予を支配下においていたと思う。
河野氏が降伏した時点で伊予を統一したようなもの。
それでは四国統一とはいえないのかな。
0451人間七七四年
2009/07/17(金) 20:51:56ID:eOna58Or0452人間七七四年
2009/07/18(土) 01:00:52ID:ctiBUSuG国力の乏しい僻地から身を起こし、
土佐、阿波、讃岐となんとか力を付けた所で、最強の相手登場。
負けると分かっていながらも、既に後には引けない状況。
苦労して手に入れた領土も、その一敗でもとのサイズに。
明治維新から昭和戦後の日本が歩んだ道と被る人物。
変に脚色、誇大化されたエピソードがないだけに、寂寥感が引き立つ。
0453人間七七四年
2009/07/31(金) 15:24:19ID:nJoE0c+g0454人間七七四年
2009/07/31(金) 23:08:32ID:3cbgwtDy岡山に宇喜多がいるし、鳥取は山名がいるし。
瀬戸内も村上水軍とか独立勢力だし。
0455人間七七四年
2009/08/02(日) 11:27:18ID:Ab08u+Y2一応、宇喜多も毛利の傘下ではあったがな
裏切られちゃったけどね
0456人間七七四年
2009/08/13(木) 13:21:11ID:vKa2b+d+0457人間七七四年
2009/08/15(土) 10:49:13ID:08SshVdk目立たないとこに、ひっそりあるね。
0458人間七七四年
2009/08/15(土) 17:00:51ID:8h6ESKGW祖父の代で一度、お家断絶して、父の代で再興して土佐中央に勢力を拡大、それから、数年で土佐平定してさらに十年以上かかって四国制覇をした、まさに出来人に相応しいと思う。
因みに武田信玄もよく似た境遇です
0459人間七七四年
2009/08/15(土) 20:38:43ID:nBXK6Aed所領を失っただけなのは”断絶”って言わない気がするけどな。
江戸幕府が大名を統制してるのと違ってあくまで、私的な勢力争いの過程なんだから。
あと、土佐統一数年とかどんだけ脚色?元親が跡を継いでから数えても10年以上かかってるでしょ?
それすら国親の代でも長い時間かけて本山氏らを押し込んでる状況があってこそなのに。
長宗我部を推す人ほどイメージで語ってるんじゃない?
0460人間七七四年
2009/08/15(土) 21:37:18ID:c/Rwg6BQ0461人間七七四年
2009/08/16(日) 06:04:52ID:mPqSYsGC0462人間七七四年
2009/08/16(日) 16:39:00ID:+XJXj2n5土佐の辺境性を考えれば、10年超が長いとは言えない。
太閣検地の際で石高は約9万8千石。三河の3分の1程度。
対して、面積は三河の4倍。単純計算ながら、どんだけ非効率か。
分国法を100カ条も整えなければならないほど、開明的とは言えない地域。
他地域の覇者のように、特段優れた家臣がいるわけでもない。
三傑とまでは言わないが、優れた人物である事は間違いない。
0463人間七七四年
2009/08/17(月) 12:58:40ID:dgnsGWVi三河統一の12倍のエネルギーがいるということかね。
あの山がちな地形なら、納得出来なくもないな。
0464人間七七四年
2009/08/17(月) 14:28:46ID:1clqWMef0465人間七七四年
2009/08/17(月) 14:30:48ID:vAxVDjDC0466人間七七四年
2009/08/18(火) 13:15:38ID:h4VDvYRj幡多地域なんか、今でも中央部から隔離されてるわけで。
0467人間七七四年
2009/08/20(木) 00:10:00ID:Xw+GB6To0468人間七七四年
2009/08/20(木) 00:21:36ID:Xw+GB6To>>465
土佐は東西に長く、各々の平野をつなぐ街道も山と海が接近した道しかない。
今でこそ高速道路ができてマジになったが数年前までは車でも移動に難儀するような土地柄だ。
軍勢の移動や兵站の確保に苦労するだろうし、何より攻め難い。
安芸氏攻めでは狭い街道を本隊が進んで、元親直卒の別働隊が山地の間道を伝って安芸城の後背をつく奇襲作戦だった。
0469人間七七四年
2009/08/20(木) 01:53:59ID:y1eMHg0Dよく攻めていったものよねえ。
0470人間七七四年
2009/08/20(木) 20:29:35ID:Av0qjr1F四国制覇の為の土佐統一した足がかりはかなり大きい
まあ大したライバルもいなかったし
0472人間七七四年
2009/08/22(土) 16:42:04ID:PwPjVxFV追放=降伏じゃないだろ。
織田に通じている疑いを持たれて追放されただけ。
鳥取城主に迎えられた吉川経家に降伏したとでも言うのか?
これ以上は山名スレでw
0473人間七七四年
2009/08/22(土) 17:14:37ID:mWodhHjL三千貫ってマジか?
元親の祖父の代で一度滅亡してるやん 親父が再興してからやしね 武田と似てる
0474人間七七四年
2009/08/22(土) 19:30:02ID:Vi+y6r9Q0475人間七七四年
2009/08/22(土) 22:13:15ID:x1WYOZE9なにいってんの?
秀吉くるかなり前から吉川元春の進攻で無血開城して降伏してるの知らないのか?
あの辺は吉川元春の進攻にほとんど無血開城降伏してるぞ
毛利の支配体制は地元国人による地方自治を認める体制
あの辺は今まで同様山名に任せたにすぎん
毛利方なのに織田につこうとしたから豊国は家臣達に反対され追放されたんだ
貴方が的外れなレスをしなければすぐ終わった話だ
豊国は山中を支援していて吉川元春が進攻した途端、ブルッて山中を裏切り毛利に
今度は秀吉が来た途端、ブルッて織田へ、そして追放
くだらん男だ
0476人間七七四年
2009/08/23(日) 21:43:30ID:Dy4CTaKS元レスは毛利の中国統一云々で、山名は降伏した、いやしてないという話だが、
この場合の降伏についての考え方が違うっぽい。
一時の降伏をもって因幡山名氏全体の降伏と採るか否かだ。
自分は因幡山名氏そのものは当主の豊国が織田方に健在のままだから、毛利に降伏したとは見なさない。
475は豊国本人はどうでもいい、山名の家臣と領地が毛利の支配下になったから降伏だ、としているんだろ?
そりゃ話が合わんわ。
ちなみに456はオレじゃないし、豊国をくだらん男とする意見には同意だw
だが豊国は元々毛利方じゃないから、毛利を裏切って織田についたとする考えには賛同しない。
親の仇の味方だった毛利になんで盲従せねばならんのだ?
というわけで終わる。これ以上はレスしねーからなw
0477人間七七四年
2009/08/24(月) 03:52:20ID:70m0W69V>自分は因幡山名氏そのものは当主の豊国が織田方に健在のままだから
だからなにいってんの?
1573年に豊国自身、吉川元春に降伏してんだよ
家臣を吉川元春の元に派遣してるし
秀吉進攻時、豊国自身は織田と誼みを通じてはいたが一旦篭城してんだよ
織田方ならなんで篭城すんだよw
そして徹底抗戦の家臣と折り合いがつかず(豊国自身一人で降伏、追放などな諸説ある)が山名はれっきとした毛利方
何度も言ってんのに頭悪いのか?
もういい加減スレ違いな事言わせんなよ
さ、皆さん長宗我部の話に戻りましょう
0478人間七七四年
2009/08/24(月) 23:10:53ID:/fl3F0M10479人間七七四年
2009/08/25(火) 02:40:10ID:h/8+ROCh0480人間七七四年
2009/08/25(火) 21:18:29ID:LfEp0a3Q0481人間七七四年
2009/08/26(水) 02:41:08ID:dk9zg2rq気をつけて巡礼しろよな
0482人間七七四年
2009/09/10(木) 15:24:12ID:QpPSqde50483人間七七四年
2009/09/10(木) 22:14:12ID:qdt63uxi豊臣にもなすすべもなく、降伏しているし。
どう考えても弱い。
四国のフタ、鳥なき島のコウモリ、・・・・・
土佐物語の指摘は当たってるな。
政治力、経済力、軍事力。どれを取っても、全国で通用せず。
同じ四国の三好とかが、信長上洛軍にあっさり負けてるから、四国弱い確定で、
弁護しようがない。
一向一揆のほうが強いは。
0484人間七七四年
2009/09/10(木) 22:16:43ID:TBU3FfWa0485人間七七四年
2009/09/10(木) 22:25:59ID:Ky+r91fgそれに長宗我部軍が島津軍に負けたのは
阿呆の仙石の責任だしね、これ常識なw
0486人間七七四年
2009/09/10(木) 22:26:17ID:MKxQQGDR0487人間七七四年
2009/09/11(金) 00:15:12ID:ZSwzemck信親が生きていても、関ヶ原のとき状況として一緒なのなら、西軍に参加せざるを得なくなるのは
避けられないと思うが、
長宗我部の改易は、関ヶ原での行動よりむしろ、その後の家中のゴタゴタなので。
信親が、少なくとも盛親よりも強力に家中を統率していた事は容易に想像できるので、
減封はあっても、あのような没落は無かったと思う。
0488人間七七四年
2009/09/11(金) 09:43:25ID:W/ldolMThttp://bl★og.liv★edoor.jp/new★s2chplus/archives/5★066★322★4.html
☆☆☆☆☆☆
李鵬が言ってた、20年後に日本なんてなくなるって、こういう事か。
1000 :名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 21:55:04 ID:IsvYN1LJ0
1000なら
鳩山:「譲歩を引き出しました。ソースコード開示しなくてもいいそうです。やったー!」
でもEAL3並みの要求を飲まされる。日本の適合性評価機関は承認されない。
結局技術はばっちり漏洩する。終わり
↑ ↑ ↑
中国 「IT製品、ソースコード開示せよ。情報漏洩はないから」…日本側が撤回求めるも、予定通り実施へ
http://s03.megalodon.jp/2009-0911-0412-34/pc11.2ch.net/test/read.cgi/prog/1204019152/34-35
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
鳩山首相の夫人、鳩山幸さんの旧姓や出自が不明だそうですよ。
鳩山幸さんはサイエントロジーというカルトと関係があるという噂があります。
http://an★tikimchi.see★saa.net/art★icle/127578850.html (日本アンチキムチ団)
764 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/09/06(日) 01:04:07 ID:/WrcABwtO
幸夫人のごお父様は中国人ではなく、キム・ジョンウォン(漢字不明)という朝鮮北部出身の貿易商だったようです。
戦後は日本に渡り、幸さんが渡米するまでは神戸の商社に勤めていたようです。 キムさんは幸さんが渡米した直後、
北海道室蘭に引っ越し、貿易商を営みながら総連支部の設立に尽力されたと話しておりました。
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 2
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1252279762/
0489人間七七四年
2009/09/13(日) 04:40:46ID:2wfg+5U5>>487の言うように謹慎中の親忠切腹も当然起こらなかった。
ってか関ヶ原直後に盛親隠居して家康に詫びて、藤堂高虎と親しい親忠が家督相続してれば、とか思ったり。盛親には悪いが。
0490人間七七四年
2009/09/13(日) 11:20:11ID:7kN7ZLuT恩賞確保の為に長宗我部は改易すんだろ
0491人間七七四年
2009/09/14(月) 00:22:19ID:oBfKGa8A0492人間七七四年
2009/09/24(木) 15:16:05ID:S6JbVDhM0493人間七七四年
2009/09/25(金) 00:20:52ID:T489/zDC0495人間七七四年
2009/09/27(日) 11:22:32ID:GyeKkhY50496人間七七四年
2009/09/27(日) 20:08:36ID:zu1bfL530497人間七七四年
2009/09/28(月) 12:37:57ID:ShQ8HRVD0498人間七七四年
2009/09/28(月) 15:52:23ID:AHhfgwoW0499人間七七四年
2009/09/29(火) 05:23:48ID:bnfzHTFP0500人間七七四年
2009/09/29(火) 08:58:11ID:qNvBHKlX後になって真田の武名のみ上がったので兵たちは不満だったとか。
ttp://www.geocities.jp/senryusai/senryusai.sanadamaru.html
ここ見ると実際は目立たない八丁目口や谷町口のが激戦だったとか。盛親隊は冬の陣でも結構活躍してたんだな。
夏の陣でも藤堂高虎隊に痛撃与えてるし軍事的才能はあったんだな、盛親。
0501人間七七四年
2009/09/29(火) 12:07:50ID:/3ov0qWL演出が上手だったのが真田や木村、その為にはDQNになれるのが真田w
軍事以前に演出も外交も下手だったのが長宗我部って気がする
というか盛親って後世に名を残したい真田、木村とは違う感覚?
0502人間七七四年
2009/09/29(火) 14:35:23ID:EBfWhuWkほとんど唯一の大名出身者だし、元親以来の旧臣たちのために何とかしたい、と思うのは当然だよなぁ。
大坂城から落ちた事を云々言えるわけがない。他の浪人とは動機が違う。
0503人間七七四年
2009/09/29(火) 22:23:40ID:9H7VtgzN0504人間七七四年
2009/10/08(木) 08:58:36ID:LqvpbeK2彼がいなければ、三好の衰退はあそこまで酷くない。
元親の功績の半分は彼のおかげ。
0505人間七七四年
2009/10/09(金) 02:40:51ID:XnJpoDfP三好長治はアレだが、元親と主に戦ったのは十河存保の印象しかない。
まあその存保も織田信長の後ろ盾がないと阿波を維持できなかったんだがな。
0506人間七七四年
2009/10/10(土) 14:21:18ID:oRBnid/o演出というか、戦後の境遇の違いだろ。
真田は中央に近しい土地にいたんだし、有力大名の元をを転々として知り合いも多かった。
何より徳川幕府以降も宗家は続いて、兄貴は大名として存続したんだから
語り部になってくれる人なんていくらでもいた。
真田家の名誉のために流布した面も多かったろう。
長宗我部は断絶した上、中央とろくに交流がなく誼を通じた大名、有力者が全くいなかった。
盛親の武勇譚を語ろうにも、そもそも盛親自体の人と為り、来歴なんか
知ってる人がいないし、知ってても一族郎党処刑され家をつぶされた罪人のことなど
持ち上げて語り伝えようなんて人物はいなかったろう。
土佐には徳川肝煎りの山内が来て、元家臣は徹底的な弾圧を受け
元主家の武勇譚をまともに語り継げる環境などなかった。
0507人間七七四年
2009/10/10(土) 16:54:21ID:/SMRCPMS長宗我部は引きこもりっつーか、友達いないんじゃない的な・・
0508人間七七四年
2009/10/11(日) 01:29:22ID:Fs9WtBaU京から大坂城へ入るまでの道中での逸話から家臣達には・・・。
0509人間七七四年
2009/10/11(日) 17:05:49ID:YweEDtf+大阪の陣で功を上げれば土佐は無理だろうし、間違いなく小大名だろうが、
お家再興はできたかもしれんぞ。
0510人間七七四年
2009/10/11(日) 19:13:43ID:Tf2guOt4単純に豊臣のほうが自分を高く買ってくれたからでしょ。
あと、大阪の陣の段階になっても、豊臣家の実力を過大評価、
逆に幕府の実力を過小評価していたと思われる。
0511人間七七四年
2009/10/11(日) 20:25:19ID:YweEDtf+いくらなんでもそこまで情弱じゃないだろ。
都から遠く離れた土佐に引きこもっていた頃ならともかく
曲がりなりにも京都にいた訳で
全国の大名が誰一人として豊臣方に付かない事は知っていただろうに。
あと、長宗我部が大阪の陣で活躍話が残らなかったのは
戦場で最期を遂げなかったのが一番の理由だろうね。
他の武将と違って名を挙げるためでなく
お家再興のために大阪城へ入ったから、なんとしても生き残ろうと考えたからだろうが。
0512人間七七四年
2009/10/11(日) 20:37:06ID:0g47+bQ/0513人間七七四年
2009/10/11(日) 20:37:59ID:KESK4QTUいや、逆に京都に居たから徳川政権の強大さが見えなかったんじゃないか、と思うんだけどね。
大阪陣以前は幕府は、西日本には殆ど勢力を持ってなかったし。
立花宗茂なんかは江戸にまで出て徳川政権の力と言うものを直接に見ていたけど、盛親は
京都と言う政権の外縁で、情報としてのみそれを知っていたわけで、
そういう皮膚感覚の部分での違いはあると思う。
0514人間七七四年
2009/10/11(日) 20:42:23ID:n45A/2mE関ヶ原の際には東西両陣営見比べて東軍有利と一度は判断したんだからな。
盛親は戦死じゃないので、講談的に真田信繁や木村重成・後藤基次みたく絵にならんのだろ。
0515人間七七四年
2009/10/11(日) 21:36:30ID:fIHFhddb江戸時代の昔はともかく
現代の一般人的には、大阪の陣での活躍話が知られてるのは真田だけだろう。
木村や後藤、明石らの武勇伝を知ってる人は盛親の活躍も知ってるし
盛親を知らない人は彼らのことも知らんだろ。
0516人間七七四年
2009/10/11(日) 21:46:19ID:Fs9WtBaU0517人間七七四年
2009/10/12(月) 00:37:40ID:lnCzE9cr0518人間七七四年
2009/10/12(月) 00:43:54ID:gJjFYMvB0519人間七七四年
2009/10/12(月) 01:37:34ID:JPEzkgYpともに人間味があっていいし、現代人は共感出来ると思う。
ゲームとかは置いといて二人とももう少し評価されてもよいのではと思う。まあ、俺が摂津人、土佐人の間に生まれたから贔屓目かな。
0520人間七七四年
2009/10/12(月) 03:56:25ID:cKqpy5b40521人間七七四年
2009/10/12(月) 23:29:07ID:HGK/17T70522人間七七四年
2009/10/13(火) 00:56:06ID:YR4zQCpX国内の他地域に手を出して秩序を乱すなんて冒険はもう出来ないから、あたえられた領土を守って
汲々としているより他無い。
薩摩の場合はそれでも、琉球と言う「日本域外」の手を出せる場所があったが、土佐の場合
どこまで行っても太平洋。
0523人間七七四年
2009/10/18(日) 19:56:02ID:cJL0HVmD元親の爺さんが、増長しなけりゃ、国親の代で土佐統一して〜元親ってラインなら なんとかなったかも
0524人間七七四年
2009/10/23(金) 17:57:14ID:fXCuBoQi0525人間七七四年
2009/10/26(月) 00:24:55ID:ae1CgAvk盛親は大坂の陣直前、京都所司代板倉勝重に「徳川方に従軍して戦功立てたい」とか言って、
油断させて京を脱出して大坂入城したんだっけ。
家名復活させたいなら本当に徳川方に従軍して戦った方が良かったのに。
旧臣率いて戦功立てれば旧領復帰は無理でも、数万石の大名か高家旗本にはなれたかも。
0526人間七七四年
2009/10/26(月) 21:54:32ID:ZvdXJ+Ds徳川と長宗我部はかつては同盟したりと縁がある関係だし。
0527人間七七四年
2009/10/26(月) 22:12:29ID:mpUr/cPi盛親がどういう算段でいたのかは知らんが、それに付き合わされた旧家臣団が哀れすぎる。
0528人間七七四年
2009/10/26(月) 23:28:32ID:JHe8fDU40529人間七七四年
2009/10/27(火) 00:00:36ID:DzUT9l5k後に琉球(沖縄)も支配下に置くことが出来た。
島津家久(忠恒)は煮ても焼いても食えぬ、狸親父みたいな人物だった?
0530人間七七四年
2009/10/27(火) 00:35:48ID:khcWuOvo0531人間七七四年
2009/10/27(火) 00:51:31ID:RVEZIq9z徳川に付いて数千石の旗本あたりに収まるくらいは比較的容易だったかもしれんが、
やっぱり土佐領主復帰への拘りが強かったんだろうね。
だから大坂の陣では人生最後の大博打で豊臣に付いたのかな。
0534人間七七四年
2009/10/27(火) 17:18:22ID:cMxVH6Va0535人間七七四年
2009/10/27(火) 17:57:20ID:khcWuOvo現実に毛利家は動員かけてたわけだし。
0536人間七七四年
2009/10/27(火) 23:33:43ID:WXzxwB37動員かけてヤル気だけ見せればよかったわけだし。
0537人間七七四年
2009/10/28(水) 13:05:18ID:7Y6WsWBR0538人間七七四年
2009/10/28(水) 14:40:41ID:IlX4Tek60540人間七七四年
2009/11/16(月) 15:50:29ID:/b1gU9du0541人間七七四年
2009/11/19(木) 01:34:37ID:c4ucFjYu盛親も井伊直政と懇意だったから、兄さえ殺さなければ減封くらいで済んだのに。
0542人間七七四年
2009/11/19(木) 14:53:44ID:1C4vJlZR0543人間七七四年
2009/11/23(月) 09:03:16ID:hQCEvYa3外から見たら盛親が親忠殺した事になるわな。
0544人間七七四年
2009/11/23(月) 18:02:35ID:fEQfWI7d0545人間七七四年
2009/11/23(月) 18:13:44ID:jgdlniVm史実の晩年ように殆どボケ老人として、それこそ生きているだけの状況じゃ、
何にも出来ないし。
0546人間七七四年
2009/11/23(月) 22:41:34ID:9QJDp756後北条氏みたいに小大名若しくは大身旗本として家を残せた?
0547人間七七四年
2009/11/23(月) 22:58:09ID:jgdlniVmつーか、大阪の陣で、どこかの大名に陣借りして、徳川について戦えば、
普通に大名復帰の目はあったでしょ。
盛親は大逆転に目がくらんで、大勢を見ることが出来なくなっていたとしか言いようが無い。
0548人間七七四年
2009/11/23(月) 23:14:04ID:PqSCAxCe0549人間七七四年
2009/11/26(木) 23:30:34ID:vPZOtNJc京で監視されている時、盛親が会う事の出来る徳川家臣は勝重くらいだろうし。
0550人間七七四年
2009/11/27(金) 01:04:44ID:IiICFUvM0551人間七七四年
2009/11/29(日) 11:59:44ID:do+danFR旧西軍の子孫で大阪入城した連中にもそれが言えるな。
秦から見てりゃ勝ち目なんてないのに、大阪の使者から
「勝利の暁にはどこそこを領地に差し上げる」
とか言われると、勝てるかもって思うんだろうか。
人生上手く行かない人の選択肢に例えると
こつこつと生きる→東軍参加して、徳川体制で旗本。
一発逆転でマルチ商法→大阪入城。
0552人間七七四年
2009/11/29(日) 17:59:21ID:2Z8X5KLJ0554人間七七四年
2009/11/30(月) 10:56:43ID:wFPgWKMp筑紫茂成のように、関ヶ原改易組が大坂の陣で徳川方に参陣して、のちに
大身旗本に取り立てられた例があるからなあ。
盛親の場合、捕らえられたのエピソードを考えると、多分に心情的なものも
ありそうだよね
0556人間七七四年
2009/12/01(火) 22:17:53ID:4q/pDRIJどの程度信憑性があるかは知らんが、有名なものでは命乞いしときながら、「命と
この右手さえあれば」などと嘯くあたり、盛親が大坂方に与したのには、心情的な要素もあるのかなと感じた。
0557人間七七四年
2009/12/01(火) 22:33:00ID:utM4WvRMやたら強気だったりやたらしおらしかったりと、どうも精神的に不安定だったんじゃないか、
って感じも伝わってくる。
だいたい大阪陣でも、勇敢に戦ったかと思えば、陣変えの話がこじれて
ピーピー泣きはじめたといったような話まであるし。
どうも盛親ってのは、精神状態のふり幅が大きい人だったんじゃないかね?
0558人間七七四年
2009/12/01(火) 22:36:13ID:AfnkolOO負けた方だし。
0559人間七七四年
2009/12/02(水) 03:58:24ID:z5oJRIU10560人間七七四年
2009/12/02(水) 17:57:44ID:j0NsLqu60561人間七七四年
2009/12/03(木) 12:49:55ID:mztEk3WV人生で一番脂がのる時期に、軟禁さながらの寺子屋先生。しかも、地方覇者である元親の後継大名がだ。
そこから手堅い人生なんか、現代でも選択肢としてないだろ。
0562人間七七四年
2009/12/03(木) 14:40:32ID:V3mksWFu控訴カベファビョヤス
キムチカサダ
0563人間七七四年
2009/12/03(木) 19:50:17ID:J0mdqV5a0564人間七七四年
2009/12/03(木) 22:59:17ID:Yp7btIOU島津忠恒(家久)はネットで検索するとDQNの家久とか散々な言われよう
ですが、長宗我部みたいに潰されたり、毛利みたいに削られる事なく
薩摩藩を成立させ、明治維新まで力を蓄えていったのだから。
また、確か忠恒の代で初めて官位も参議・中納言と公家の位まで昇れた
のですよね?
0565人間七七四年
2009/12/04(金) 00:52:45ID:go4JswTG0566人間七七四年
2009/12/04(金) 08:42:20ID:OgEFbTiu0567人間七七四年
2009/12/06(日) 15:23:52ID:2SQxUA63人格低劣なのと能力に欠けるのは別物だし
よく言われるDQN四天王は、あれだけ無体なことをやらかしておいて
なおそれを上回る実績叩き出してるから困る(隣人にいたら的な意味で)
運がよかったとしか言えん
逆に長曽我部は徹頭徹尾、運がなかったんだろうね
元親は遅すぎたとよく言われるが、
じゃあ二十年早けりゃどうだって言うと、一条細川三好の全盛期で余計にどうにもならん……
0568人間七七四年
2009/12/07(月) 03:42:09ID:jIBefXr/まあ、長可はともかく、ほか三人は実績もすごいし運も強い気がする。
三好氏もそうだけど、四国の戦国大名って、徹底的に運に見放されてる感があるな。
0569人間七七四年
2009/12/10(木) 00:29:33ID:C9F/6zUV弟も謀殺してしまったし。松永久秀が裏で何かやったのでしょうね。
「久秀」、あの仙石秀久と名前が似ている。
が、松永久秀は徹底した悪人であり、かえって憎めない面もあると
いったら怒られるでしょうか?仙石久秀のほうが虫唾が走って嫌いなの
ですが、同じ意見の方はいますか?
0570人間七七四年
2009/12/10(木) 00:37:35ID:tNKMZQ0M武将としてイマイチでも、その後見ると能吏ではあったんだろうし
0571人間七七四年
2009/12/10(木) 03:04:52ID:p5MYn9AH個人的には、義興は多分病死だと思う。
永禄六年の六月の終わりに、義興側近の奈良長高の文書から
八坂神社で病気平癒の祈願が行われていて、結局義興が死ぬのが
八月とのこと。義興が松永に討たれたと言う話の初出は『足利季世記』で
やや後のものになるし、ちょっと俄には信じ難いな
0573奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/12/10(木) 21:04:27ID:ZQhZLLhy0575人間七七四年
2010/01/02(土) 09:02:52ID:0wQqVnOc> 個人的には、義興は多分病死だと思う。
同意する。
0576人間七七四年
2010/01/04(月) 07:24:57ID:nL1k+SGt0577人間七七四年
2010/01/04(月) 07:35:26ID:UD/PaMLH商人や農民身分の者が郷士株を買った者も多い(龍馬の家もそうだ)
そしてなにより、上士の中にも多くの元長曾我部家臣の家がある。
0578人間七七四年
2010/01/04(月) 07:38:44ID:UD/PaMLH全国どこでも見られたこと。
その「差別」が、土佐において特にひどかったわけでもない。
大河のアレはあくまで演出にしか過ぎないことはきちんと把握しておくべき。
0579人間七七四年
2010/01/04(月) 12:40:35ID:Vj+9Mwlv0580人間七七四年
2010/01/04(月) 14:31:31ID:vHdWldPX加賀藩なんかと比べると相当ひどかったらしいが。
0581人間七七四年
2010/01/04(月) 22:29:00ID:f1KFPFNK長宗我部旧臣がプチ反乱起こしたからな
それで厳しい差別されるハメに(・ω・)
0582人間七七四年
2010/01/04(月) 22:34:21ID:CRoSyb1M現地民との軋轢を回避した人事。
0583人間七七四年
2010/01/05(火) 14:59:57ID:CEbQnN6G戦国時代には吉田孝頼、重俊、政重等を排出して長宗我部国親、元親、盛親に仕えた名門。
山内氏と祖先が同じ縁で政重の弟正義が山内氏に出仕した。
0584人間七七四年
2010/01/05(火) 16:02:29ID:IYCq0tlXhttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157454306/539
539 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/29(火) 14:53:52 ID:QOnJiNVq
1386年に土佐守護代として細川頼益が入部し、国人らは細川氏の被官に組込
まれ守護支配が浸透し始めた。その後、細川頼益血統は、土佐守護代家とし
て細川京兆家の土佐支配を在国しながら補佐する。当然、土佐の守護の京兆
家よりも在国する守護代家の方が、土佐の諸国人への支配を実質的に掌握す
ることに成り、土佐は京兆家の分国でありながら、実際には細川土佐守護代
家が支配する分国となってしまう。
土佐守護代家は。頼益以降、満益、持益、勝益、最後に政益・国益兄弟となる
が、勝益の代に応仁の乱が勃発し、土佐国人の長宗我部氏・安芸氏・大平氏ら
を引き連れて東軍に参加し京で戦闘を行っている。
また、細川政元時代は、政益・国益兄弟が、土佐守護代を務めるが、この頃から
細川京兆家の土佐支配は、弱体化し始める。政益・国益兄弟は在国と在京を繰り
返しているものの、長曽我部兼序が、細川政元の信任を得て守護代家の了解の
下に土佐国内で力を伸ばし始め、土佐群雄のなかで一頭抜きん出る存在となった。
京兆家はともかく、守護代家の土佐支配は、まだ堅固であり、細川一門の軍勢
が土佐国内に駐留している間は、守護代家に反旗を翻す国人は存在せず、長曽
我部兼序の立場も堅固であった。
しかし、細川政元は家臣によって暗殺され、細川氏は内紛状態となり、同族同
士の抗争となった。各地の細川一門は次々と帰京し、土佐守護代家も例外ではな
く上京し、細川一門の軍勢は、土佐から撤退してしまう。
土佐守護代家分国支配体制は一気に崩壊してしまった。
ここに兼序は後楯を失うことになり、いままで兼序の横柄な態度に憎しみを増
幅させていた本山梅慶を中心として、反長宗我部連合が結成されたのである。
兼序は初戦は勝利したとはいえ多勢に無勢であり、岡豊城で自刃し落城した。
0585人間七七四年
2010/01/19(火) 21:12:34ID:Qm5iph2j明日、元親公墓にお参りしてくるノシ
駅前とかどこもかしこも龍馬ばかりでウンザリなんだぜ。
0586人間七七四年
2010/01/19(火) 21:46:41ID:oGtuwkmkうらやましいぜ。
0587人間七七四年
2010/01/19(火) 21:51:12ID:wbdTaqxc0588人間七七四年
2010/01/20(水) 01:16:46ID:85OgJdaz信長、秀吉、家康と絡んでるし。
0589人間七七四年
2010/01/20(水) 05:56:45ID:GvfLDqod戦争がらみの話題はすべてカット。ついでに政治がらみもカット。
テーマは女性が果たした歴史的役割、そしてイケメン。
すべてが女性の視点から描かれた現代的純愛ドラマ。請うご期待。
0590人間七七四年
2010/01/20(水) 22:38:13ID:N/eA7wll0591人間七七四年
2010/01/20(水) 23:54:49ID:Al3S1n+gんで、子孫は小浜藩の重臣として栄えたらしい。
0592人間七七四年
2010/01/21(木) 00:13:33ID:4KEE6LIoその息子(元親の外孫)が仙台藩家臣の家に養子にいった。
伊達騒動で有名な柴田外記がそれ。
その子孫は船岡城代を世襲したとかいうけど、血筋がずっと続いているのかまでは判らない。
0593人間七七四年
2010/01/21(木) 02:30:38ID:yrTCLI96以前、柴田外記の子孫と原田甲斐の子孫が仲直り(?)をしたというニュースをやってましたっけ。
外記と敵対陣営の伊達兵部が流されたのも土佐・・・因縁ですね。
由比正雪の右腕だった丸橋忠弥も盛親の子と称していたけど、盛親の京都浪人時代には
他にも子がいたといいますよね。現代まで続いているのかは分かりませんが。
元親の弟の島弥九郎親益(親房)の直系という方が長宗我部友親と名乗っておられるようです。
↓
http://www.soratobuniwa.com/top2_sengoku.shtml
高知の秦神社での長宗我部慰霊祭も仕切られているみたいでして、長宗我部一族の末裔の
方々も集まられるようですよ。
そう言えば、天誅組にも長宗我部四郎と名乗った島義親がいましたが、一族でしょうか。
0594人間七七四年
2010/02/08(月) 06:29:04ID:+HLpQ6ga0595人間七七四年
2010/02/08(月) 23:15:09ID:mI71h7HC0596人間七七四年
2010/02/17(水) 19:18:51ID:xEC9RWrt0597人間七七四年
2010/02/17(水) 23:40:56ID:OxPsj9+50598人間七七四年
2010/03/05(金) 08:36:12ID:6zU1TLJ9http://www.google.co.jp/
0599人間七七四年
2010/03/06(土) 22:21:33ID:bmAnSyI2生き残るために機転を利かしてある村で占い師(と言っても
適当なことを言う詐欺師みたいな感じ)をやったり
その村で、盗難事件が発生すると機転を利かせて、犯人を見つける
探偵みたいな事をやったりとその生涯は面白いよ。
0600人間七七四年
2010/03/07(日) 00:47:09ID:JaAfrwCv長宗我部氏の御子孫と思われる人なら
7、8年ぐらい前まで共同通信で高い役職について働いていて定年退職されたよ
自分はその後間もなく辞めてその方とも面識ないが、社内連絡の定年退職者リストに
長宗我部と載っていて名前の最後にやはり親とついていたので
長宗我部氏の子孫だろうと自分は推測したけどね
0602人間七七四年
2010/03/09(火) 10:41:47ID:5Ef4iOEX0603人間七七四年
2010/04/18(日) 07:20:01ID:SD22qkXJ0604人間七七四年
2010/05/01(土) 22:22:12ID:qDue2MF70605人間七七四年
2010/05/05(水) 08:22:37ID:PuQrmR3Jまわりへの調子が良いってだけで、どっちも
最前線で陣頭指揮するくらいが適任な人?
0606人間七七四年
2010/05/05(水) 13:50:55ID:+KYPagxX仙石は能吏ではあったんじゃないか?
そもそも逸話にあるような軍監が作戦指揮取れるのかも疑問
0607人間七七四年
2010/05/11(火) 23:14:13ID:ve0jb6Ma長宗我部の甚大な被害に対し,仙石に秀吉は甘い処置で終わらしたらしいし。
側室の小少将は明智光秀の妹の娘とwikiの元親のページに書いてあって、そこをクリックすれば細川真之のページへ行く。
…細川真之の生まれた年と光秀の生まれた年はたった10年の差しかないけど。
光秀が本当は1515年生まれだとして、妹が1年だけ離れていたとしたら、有り得なくはない話…でもないよなぁ。
岡本牧西の妻が光秀の妹なの?歳の離れた姉ではないのか?
まぁ、光秀に姉妹がいたって話は史料的にないらしいが…。
でもwikiに堂々と有る辺りは、元親正室が光秀の姪という説よりも真実性高いのかね。
単に名前が同じだから同一人物じゃないかと見ているだけ?
そう言ってしまうと、朝倉義景の側室だった小少将の可能性だって…。
実は生き延びたんじゃないかって説も有るらしいし。
取り敢えず、細川真之の母、三好義賢の妻、元親の側室は、名前が同じなだけの別人の可能性があるって事でいい?
0608人間七七四年
2010/05/12(水) 04:53:51ID:mOiSEaE/0609人間七七四年
2010/05/12(水) 07:02:50ID:E27K4CUs>取り敢えず、細川真之の母、三好義賢の妻、元親の側室は、名前が同じなだけの別人の可能性があるって事でいい?
細川真之:1538年生
長宗我部右近大夫:盛親の弟であれば1575年以降生
元親が婆専でもない限り、小少将が同一人物というのはありえないだろうね。
0610人間七七四年
2010/05/12(水) 08:49:10ID:YeyMYTRw0611人間七七四年
2010/05/20(木) 19:09:11ID:Czc+iNAZ仙石の他は十河と降ったばっかの長宗我部しかいないから仙石しか指揮する人いないんじゃね?
明確な総大将かはともかく秀吉腹心なのだから発言権が一番強いだろ。
>>607
改易は甘い処置なのか?
仙石家譜に「絶対に進んで戦ってはならない」と秀吉から指示をうけていた記録があると聞いたが、まあ仙石家譜見たことないから知らんけど。
十河→改易 仙石→改易 長宗我部→お咎めなしだから一番長宗我部が甘い。
0612人間七七四年
2010/05/29(土) 23:29:32ID:bmE0QDLr【武田】2万5千で上洛【信玄】その63
768 :人間七七四年:2010/05/27(木) 09:38:43 ID:/3cZdWVD
>723
というより
織田が畿内で本願寺に足止めされていた1570年代後半に
長宗我部が讃岐阿波の織田勢力を自分の下に組み込んでいったのが問題
織田は本願寺毛利のせいもあって四国に兵を動かすことは出来ずにその長宗我部の動きを黙認
長宗我部の方もあくまで織田に代わって讃岐阿波の治安を請け負っているだけだよー
讃岐阿波の豪族が織田から離反したり離反しようとしたりしているから動けない織田の代わりに
動いているだけあとでちゃんと返しますよー
と言言い訳しつつ着々と自分の勢力下に組み込んでいく
この辺の外交は狐と狸の化かし合いみたいで面白い
で本願寺が片付いて情勢が変化し織田も四国へ動けるようになると織田は長宗我部との約束を履行しようと
どさくさに紛れて長宗我部が組み込んだ領土を返還すれば許すと言っているのに
長宗我部はそれを拒否
別に本来の長宗我部の領土を献上しろといったわけではない
また讃岐阿波の諸勢力も長宗我部の影響下にあったわけだが一応は独立の勢力
彼らが長宗我部から織田に鞍替えしてもそれを止めることは出来ない
0614人間七七四年
2010/06/15(火) 02:51:37ID:A3iu/Ysbhttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/news/20100610-OYT8T01028.htm
友親氏は長宗我部家の歴史を綴った著書「長宗我部」も発行されました。
皆さんは、この一連の動きをどう思われますか?
0615人間七七四年
2010/06/15(火) 16:09:07ID:LcpO1JsW友親とかいう人胡散臭い
0616人間七七四年
2010/06/15(火) 21:13:49ID:PgHvI8dK0617人間七七四年
2010/06/15(火) 21:22:50ID:T0fkS8pM大々的に取り上げるほどでもないよなぁ。
しかも香宗我部氏と違って二代目ですでに胡散臭いし。
0618人間七七四年
2010/06/15(火) 21:45:04ID:s3s+k11D島弥九郎の子孫と伝わる家が江戸時代土佐藩に存在し、伝わっている
史料が今回寄託されるっていう話だろ。
そういう古い家の出の人が自分の家に伝わる資料とか家伝なんかを
まとめたりして本を出したり寄託したりって時々あるじゃん。
まあ、以前「自称」織田宗家(柏原藩主家とは別物)が高家武田家の末裔や
光秀の末裔(これは祖と伝わる光秀の子からして伝承レベルのものだけど)と
「和解」してたのがニュースになってたりしたから、疑ってかかりたくも
なるんだろうけど。
0619人間七七四年
2010/06/15(火) 21:56:36ID:T0fkS8pM自称織田宗家や光秀子孫と違って、こっちは国親からの系図も分かってるし、
どういう史料が残っているかは興味がある。
長宗我部ブームのおかげで、こうやって史料が出てくるのはありがたいね。
0620人間七七四年
2010/06/27(日) 12:07:50ID:u4qnTlPm>http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1216357191
0621人間七七四年
2010/06/28(月) 08:21:57ID:seb3G/TV次スレ建てろよ
0622人間七七四年
2010/06/28(月) 08:47:41ID:aVkNWVWo0623人間七七四年
2010/06/28(月) 13:32:47ID:seb3G/TV欲しいよ〜
じゃあ、ココでやっていいの?
0625人間七七四年
2010/06/28(月) 17:18:00ID:t7Pn+G1N0626人間七七四年
2010/06/29(火) 13:14:54ID:PUybID8a俺インポなんだよ…
0627人間七七四年
2010/07/01(木) 23:27:38ID:Zgn7FV2+発行年月:2010年6月 価格:1,890円
出版社:バジリコ
【目次】
序 大陸より─一族の遠祖、秦の始皇帝
第1章 土佐─秦一族から長宗我部家へ
第2章 興隆─土佐内乱と勢力拡張
第3章 中興─長宗我部元親伝
第4章 暗転─長宗我部の滅亡
第5章 血脈連綿─忍従の徳川時代
跋 家名復活─幕末以降の長宗我部
長宗我部友親(チョウソガベトモチカ)
長宗我部元親の末弟、親房から十七代目の当主。
盛親亡き後本流が絶えたため、祖父親(ちかし)(秦霊華)が
長宗我部家の末裔として昭和天皇の勅使から元親の正三位への
贈位記を受け取る。早稲田大学卒。共同通信社に入り、経済部長
などを経て、02年常務監事、04年退任。42年高知県高知市生まれ
0628人間七七四年
2010/07/12(月) 01:12:08ID:YElwHDal高知県は、銃や刀などで武装した侍がたくさん居て、
いつもいつも殺し合いをしてるんでしょ。
長宗我部と山内の内戦はいつ決着が付くの?
この前もニュースで、長宗我部派の軽装甲機動車が、射場からMINIMIを発射し、
山内派の邸宅を銃撃してるシーンが放送されたよ。
0629人間七七四年
2010/07/31(土) 13:10:02ID:tmKB7t2nこれは申し訳ないがひどい本だった。基礎資料が「土佐物語」w
少なくとも大阪の陣までのことで、子孫ならではの情報、なんてものは一個もなかったし。
典型的な素人による俗説中心の歴史書風エッセイ。
0630人間七七四年
2010/08/09(月) 13:01:08ID:MLKdDRWS0631人間七七四年
2010/08/11(水) 08:20:51ID:G9yuI0At接収したであろう山内が残してなきゃ史料なんてろくにないんじゃないの
0632人間七七四年
2010/08/12(木) 11:46:12ID:j+UGvruV代々伝わる古文書を山内に宝物館に献納したというのも気に入りませんな〜
0634人間七七四年
2010/08/15(日) 15:41:11ID:Lgk5Hspz何故に山内ごときに媚びを売るのでしょうね
0635人間七七四年
2010/09/03(金) 11:58:50ID:x3raOT+Hしょせん、ゲームのイメージで語る奴らだけがワイワイやってるだけか?
0636人間七七四年
2010/09/04(土) 01:38:24ID:NFVKn23D0637人間七七四年
2010/09/05(日) 08:06:24ID:/EQn9skb0638人間七七四年
2010/09/05(日) 09:41:26ID:CqKTKl55まあ、復帰できたのも一条氏が根回ししてくれたからでしょ
0639人間七七四年
2010/09/06(月) 23:11:04ID:iqaeAb4Eこれ買おうかどうか迷ってたんだが
価値としては末裔の方が書いたっていうだけの本って認識でよろしいか?
0640人間七七四年
2010/09/07(火) 02:37:13ID:bL+S9xHmでも財布に余裕があるのなら買っておいても、という感じかな?
もちろん、一家に一冊ではありませんがw
0641人間七七四年
2010/09/08(水) 10:23:04ID:6eyVD4hPそれとも別スレでやってんの?
個人ブログとかでは大人気っぽく見えるのに
0642人間七七四年
2010/09/08(水) 12:19:55ID:tCZ8KuC+0643人間七七四年
2010/09/08(水) 23:15:00ID:SeKlTdnI0644人間七七四年
2010/09/09(木) 00:10:10ID:0pSnr2gn中身も見てないんだけど、過去に1回だけ開いてログが残ってる
肥後・阿蘇のスレがグングン伸びてるのが気になるな
0646人間七七四年
2010/09/09(木) 19:17:21ID:MJs9f6fZ0647人間七七四年
2010/09/18(土) 16:40:54ID:I4UOsV9i0648人間七七四年
2010/09/18(土) 22:40:33ID:bZt8Z+IZ「賦役」の賦なの?
0649人間七七四年
2010/09/19(日) 01:50:02ID:Lve28aXb夏にワッと勢いよく生い茂げるけど、
華やかな花を着けずに一季節だけでアッサリと枯れていく夏草と
元親と長曾我部って家をかけて、その軌跡を歌ったっていうようなことじゃない?
0650人間七七四年
2010/10/04(月) 04:30:06ID:1htGPDhJかつお嫌いよさこい嫌い土佐便嫌い
0651人間七七四年
2010/10/04(月) 07:05:42ID:6vixKDPB0652人間七七四年
2010/10/06(水) 08:28:28ID:s2cNL0TS0653人間七七四年
2010/10/06(水) 09:51:14ID:2kFGu8Ju0654人間七七四年
2010/10/11(月) 09:54:47ID:3lhBZK0M0655人間七七四年
2010/10/11(月) 09:55:44ID:ae11A3Zs0656人間七七四年
2010/10/11(月) 11:12:42ID:TSu4UR+z高知では山内派と長宗我部派がいるみたいだけどね
0657人間七七四年
2010/10/11(月) 20:54:44ID:dQVawwpD0658人間七七四年
2010/10/31(日) 03:51:09ID:BhFdWb490659人間七七四年
2010/10/31(日) 10:47:06ID:d1WZoohX0660人間七七四年
2010/10/31(日) 19:45:04ID:Z37GK4GE0661人間七七四年
2010/11/17(水) 00:09:16ID:Kd0+PHAb0662人間七七四年
2010/11/17(水) 21:25:53ID:9zuwp9ke0663人間七七四年
2010/11/17(水) 21:38:53ID:SWn6ydPm0664人間七七四年
2010/11/20(土) 10:34:44ID:Ms5qkbZ80665人間七七四年
2010/11/28(日) 12:02:08ID:gvTg23Zcこれは。。
0666人間七七四年
2010/11/30(火) 17:07:26ID:7TGiYcBc河野は、末期はほとんど、小早川氏伊予支店状態なので、
戦後、伊予が小早川に与えられたのも、末期の河野氏政権が小早川伊代支店状態だったことを考えると、
現状維持みたいなものだと思われる。
0667人間七七四年
2010/12/27(月) 13:26:13ID:U+ZnqaVRまぁとっくに知ってるだろうが一応。
ttp://ty-archives.blog.ocn.ne.jp/mikikigusa/2010/12/post_513d.html
0668人間七七四年
2010/12/27(月) 14:24:22ID:K6ZicA5k0669人間七七四年
2010/12/28(火) 20:58:08ID:CObiP7Qp0670人間七七四年
2010/12/30(木) 03:38:32ID:hTcwkD82だって海外の没落貴族ってことになるんでしょ
0671人間七七四年
2010/12/30(木) 11:15:36ID:yNJIlVof0672人間七七四年
2011/01/10(月) 17:06:54ID:HfnaplL5元親時代も中央では「一条家の家来に、変な名のがいる」って認識で、
泡沫扱いだった気がする……。
0673人間七七四年
2011/01/10(月) 18:32:40ID:CSvVreNS0674人間七七四年
2011/01/10(月) 19:44:54ID:yIpRnDDj信親の烏帽子親って信長でしょ?
0675人間七七四年
2011/01/10(月) 22:26:53ID:/MnE+w4Z会ったことはなかったはずだし
0676人間七七四年
2011/01/12(水) 00:51:08ID:QQgHp7kL中島可之介がお使いに行ったんだよね。
あの「鳥なき島の蝙蝠」とか言われた話。
0677人間七七四年
2011/01/12(水) 01:18:49ID:AnxQ9j2I0678人間七七四年
2011/01/19(水) 22:35:02ID:fWCsTuwJ讃岐男に阿波女、伊予の学者に土佐の鬼
0679人間七七四年
2011/01/19(水) 23:13:57ID:W6KS0yvZ0680人間七七四年
2011/01/19(水) 23:33:38ID:+dgpcxH3「亡き上様(信長)の偏諱をいただいた憂い奴」とか?
0681人間七七四年
2011/02/06(日) 14:42:46ID:jl7eD4ar高知城と山内家に対する憎悪または恨みの気持ちは300年経っても
けして消えることはないと。300年でも消えない恨みの気持ち。
たかだか戦後60年で消えない恨みの気持ち。重なり合いました。
そして納得いたしました。
0682人間七七四年
2011/02/06(日) 14:57:10ID:0dJnmti0中島可之助の話が出たので
中島可之助は主君元親の使いとして、岐阜の織田信長を訪れ、以下のようなエピソードだけで知られるようになった。
信長「元親はムチョウトウノヘンプクじゃな」
可之助「ホウライキュウノカンテンにそうろう」
信長にはちょっともってまわった言い方をするくせがあった。
「ムチョウトウノヘンプク」と音読みした言葉は「無鳥島之蝙蝠」である。すなわち、「鳥なき島のコウモリ」というわけだ。
コウモリは鳥のところへ行ったり、ネズミのところへ行ったりして態度をコロコロ変えるので節操がないと人に思われてきた。
元親は鳥が一羽もいない島(四国)のうちだけで「自分は鳥だ」と言い張っているコウモリのような男に過ぎない、というのだ。
いきなり「ムチョウトウノヘンプク」とやられては面食らわないほうがおかしい。しかし、可之助は「ホウライキュウノカンテン」だと言い返したのである。
「ホウライキュウノカンテン」は、通常「蓬莱宮の寛典」にあてられる。神仙思想の蓬莱山にある宮殿。寛典とはゆとりのある扱い・処置ということであろうが、これだけでは何が何だかわからない。
元親が蓬莱宮の主で、寛大な心を持った人物だといいたいのだろうか。
「カンテン」は寒天のことだという説もある。寒天はテングサを煮た液を乾燥させたものだ。「(信長よ、あんたは)蓬莱宮の天狗さ」とシャレたのだという。
しかし、寒天の考案は江戸初期のことであるというから、その通りの意味であったとしても、可之助のエピソードは後世の創作、ということになる。
いやいや、可之助の言った言葉には意味はないのだ、という説もある。
ただ面食らわせた信長へのお返しに煙に巻いたのだという。実際、信長も可之助の言葉の意味がわからなかったらしい。
ともあれ、自分の言葉に素早く反応した可之助を褒めたという。
使いに出す人物にはそれなりの機知が働く者を、という好例でもある。
0684人間七七四年
2011/02/06(日) 18:07:28ID:75hRiTv7山内氏が直接長宗我部を倒した訳じゃないし、
長宗我部侍への扱いは、ほめられたものじゃないけど、
四国の他の地域では長宗我部への恨みはいろんな逸話になって残ってますし、
なんかお互い様だろう、さっさと水に流せよ〜って思います。
0685人間七七四年
2011/02/06(日) 18:10:44ID:K+FK8oq80686人間七七四年
2011/02/06(日) 18:37:08ID:etKgD4+U山内の長宗我部に対する冷遇は半端ないからなあ…
相撲を餌にして鉄砲で皆殺しとかさ
0687人間七七四年
2011/02/06(日) 19:48:29ID:jl7eD4ar絶対に赦さないとおっしゃってました。先祖代々受け継がれてきたそうです。
日本国内でさえ300年経っても消えない恨み。ましてや他国からの戦後60年の恨み。
そう簡単に消えるもんじゃないと理解できました。良い悪いではありません。
0688人間七七四年
2011/02/06(日) 21:08:57ID:rYLWjxEJ長宗我部さんも同じ穴のムジナでしょ
一条氏にどんな仕打ちをしたか胸に手を当てて思い出してみたら?
大内滅ぼした陶みたいなことやっといてまあ w
0689人間七七四年
2011/02/06(日) 21:54:35ID:fjucPFXNそれともその人の兄弟なのかな?
0690人間七七四年
2011/02/06(日) 22:07:41ID:+CypoHqm421 :人間七七四年[sage]:2011/02/06(日) 09:12:42 ID:rYLWjxEJ
家康公が一豊様に土佐全土を任せたのに、盛親に土佐半国寄越せと難癖つけて、
浦戸一揆起こした長宗我部一派を断罪して”天下の政(まつりごと)”の意味を”丁寧に”教えてやった「山内家」に一票。
0691人間七七四年
2011/02/06(日) 23:58:23ID:75hRiTv70692人間七七四年
2011/02/08(火) 04:06:01ID:xD42pO4Hこの二人が混同され始めたのっていつ頃だったんだろうな。
0693人間七七四年
2011/02/08(火) 21:32:00ID:ZAa/7Z7r仮に年寄り女を愛したとしても、とてもじゃないけど子供は産めないだろうしね
俺もあの本は読んだけどそれほど価値はないと思った
単に現在の末裔の人が綴っただけの本だね
0694人間七七四年
2011/02/09(水) 00:28:49ID:A95gSdU/ま、あの本は「エッセイ」と思ってくださいなw
0695人間七七四年
2011/02/11(金) 22:41:09ID:2JtzGM5+元親の母親が斉藤氏。正妻も斉藤氏。
近親婚じゃん
0696人間七七四年
2011/02/12(土) 11:35:35ID:Z9SBtHE5嫁はまだしも母親って戒名以外の情報ないよね?
0697人間七七四年
2011/02/12(土) 19:50:39ID:Zwv+XcOmhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%AE%97%E6%88%91%E9%83%A8%E5%85%83%E8%A6%AA
0698人間七七四年
2011/02/12(土) 20:32:56ID:zqw5ptnw誰でも責任もなく出典もまんざら明らかにされることなく
好き勝手に編集できるんだからなぁ
0699人間七七四年
2011/02/13(日) 00:21:09ID:5XuYnBFa曲輪にしては離れた場所に同じ数字が複数あるから何か変だなと不思議だったんだけど。
0701人間七七四年
2011/02/13(日) 09:22:42ID:PmzqBTST質問:山内一豊のどこがすごい武将なのでしょうか。
回答No9
すごいのは山内一豊ではなくて司馬遼太郎です。
これに尽きると思うのですが・・・
結局、利家もそうですけどメディア系の主役は、武将が格好よく見えたらそれは作家の手柄です。
司馬は断定が多いなど、歴史書としてはあまりよいとはいえませんが、歴史小説としての質は評価されてしかるべきでしょう。
というより、山内の場合、運ですからね・・・あそこまでなったのは。
主君を選んだ運、戦場で生き残れた運、器量のある妻に恵まれた運・・・まあ、運も実力のうち、といいますが・・・
また、分かりやすい例として、ゲームでの評価もありとは思いますね・・・信長の野望(蒼天録)での能力(最低1~最高100)。
山内一豊:政治61、統率45、知略46
こんな程度です。このくらいばごろごろいます。
ちなみに土佐の出来人は
長宗我部元親:政治79、統率86、知略83
こんな感じです。まあ、山内とではやっていることも格が違うのですが・・・結局、山内というのはこの程度の人物、ということです。
長宗我部はテレビゲーム >>>>>>> 司馬遼だからなあ w 流石ゲーム脳(爆笑
0702人間七七四年
2011/02/27(日) 23:46:37.91ID:buPWfL54関ヶ原とか良いとこなしで幕末まで生き残ってる毛利より何倍もいいよ
0703人間七七四年
2011/02/28(月) 19:28:35.28ID:Eq1oT528それ以外は大した人いないし
0704人間七七四年
2011/02/28(月) 20:12:23.28ID:rRpSNukP0705人間七七四年
2011/02/28(月) 20:31:46.76ID:Eq1oT528盛親は冗談にもならないよ
以後の没落はこいつのせいだしね
0706人間七七四年
2011/02/28(月) 21:05:27.88ID:Ch4hDelP0707人間七七四年
2011/02/28(月) 23:52:31.10ID:rRpSNukPそれで十分
0708人間七七四年
2011/03/01(火) 00:48:47.88ID:9VVsL/o90710人間七七四年
2011/03/01(火) 13:48:03.23ID:5rPLXR5q一年ちょいで新体制に移行できるわけもないし、良し悪しは別にして
「盛親の体勢」になる前に関ヶ原になってしまった印象はある。
あと、ちょっと確かめたいんだけど、島親益の母親が寝取りだったって
ネタの大本の資料って何なのか分かる人いる?
0711人間七七四年
2011/03/04(金) 07:08:54.43ID:ZQKuUvgR0712人間七七四年
2011/03/04(金) 23:16:52.73ID:spN8OATt0714人間七七四年
2011/03/05(土) 00:43:56.86ID:NneSHg3b0715人間七七四年
2011/03/05(土) 02:19:10.71ID:zjCwI7w/0716人間七七四年
2011/03/05(土) 02:32:05.95ID:zjCwI7w/ここは総出で加担していた方が後々良かったかも知れん
0717人間七七四年
2011/03/05(土) 17:01:28.08ID:PWCljJTe0718人間七七四年
2011/03/05(土) 23:32:17.02ID:NneSHg3b0719人間七七四年
2011/03/06(日) 03:01:02.37ID:xkTFjHH4>>717
毛利の輝ちゃんが大坂に、形としては毛利から出奔したってことでスパイ送り込んだのが家康バレて、
その家臣は毛利のこと知らぬ存ぜぬで通して散ったわけだが、
送り込む際に、残していく一族郎党はまかせろ、と約束していたにも関わらず、
家康にバレたことにビビッて一族郎党処刑してた。
0721人間七七四年
2011/03/06(日) 09:40:16.68ID:+NPDK2cx知名度上がってもう少し人気も出ると思うがなあ
0722人間七七四年
2011/03/07(月) 08:23:09.55ID:qNUSBNGV0723人間七七四年
2011/03/07(月) 10:25:15.65ID:rO2Ufc5M0724人間七七四年
2011/04/06(水) 00:22:00.91ID:FuAu4roA本当に気になる人物だ
0725人間七七四年
2011/04/06(水) 19:40:09.16ID:vwlVfdXX少なくとも元親はもんのすごく期待してたことは分かる
死んだとき、遺品に凄まじい刀傷などの損傷があったことを考えると
死に際は奮戦したんだろうなぁ
0726人間七七四年
2011/04/06(水) 19:59:34.14ID:xh/l3Cc70727人間七七四年
2011/04/06(水) 20:07:46.17ID:eITkek1W史料ってあったっけ?
どこかの人みたいに突然寺にこもるなんてのは分かり易い例だけど。
息子死んでんだからショックは受けたろうが、創作物で書かれるような
耄碌とか乱心の様子は特にないよね。
0728人間七七四年
2011/04/06(水) 21:26:38.30ID:vwlVfdXX盛親を跡取りにするのに反対した家臣を殺したり耄碌や乱心とまでは言わないけど
やっぱかなり若い頃のキレがなくなった印象を受けるんだけどな
0729人間七七四年
2011/04/06(水) 21:50:36.08ID:eITkek1Wいや、だからそれって史料ないよね、という。
>>724 からの流れだと、「史実の信親は」どういう人物だったのか
という話だから、伝承を混ぜてしまうと話が変わってしまわないか?
0730人間七七四年
2011/04/07(木) 00:23:35.05ID:CtmQSdJb土佐一国に押しやられたとはいえその地で生まれ育った大名ともなれば
息子が死んでいようがいまいが離れたくなんてないだろ
0731人間七七四年
2011/04/20(水) 17:19:06.22ID:Kz2wMV8L横レスだが
1587年5月13日〜16日に秀吉が秀長、島津義久、北郷時久へ
大隅国を長宗我部元親の領国とする予定だとの旨を伝えたとある。
(ソースは「大友家文書録」「旧記雑録後編」)
その理由として「信親の戦死を悼んで」などが加えられてあったり、
次男親和を跡継ぎにする旨の朱印状を早急に発行したりと、
家督相続を円滑に進めるよう、かなり気をくばっているフシがある。
元親はいずれも退けているが、
秀吉は自分の心遣いを退けたことについては触れていない。
実際の信親についてだが、
多くの発給文書や神社の棟礼などから、
元親は信親を小さい頃(千雄丸時代)から政務に付き添わせ
じっくりその内政手腕を教え育ててきたということが伺える。
ただ戦績についてはなにぶん若くして死んだので資料が少ない。
中富川や戸次川からの印象だと血気盛んといったところか。
しかしそれはつまり、自分の武芸に自信があったということではないだろうか。
また、武芸に関して百箇条には「第一鉄砲、弓馬を専ら心がけること」とあり、
長宗我部家には近沢越後のような砲術弓術に長けた兵法者もいたわけだから
それなりの教育は受けてきたと見ていいんじゃないだろうか。
0732人間七七四年
2011/04/21(木) 02:00:10.34ID:6AFrPauoそいつの苗字はは宗我部だった
0733人間七七四年
2011/04/21(木) 03:29:11.05ID:iA8Z8map土佐にはわりといる名字らしいよ。
本当かどうかはともかく(笑)
0734729
2011/04/22(金) 20:55:21.32ID:rh4mabHWこちらの書き方が悪かったかな。
あくまで「元親が何か具体的なアクション起こしてる」史料がない話。
秀吉の動きはある程度裏付けされてるけど、最終的に沙汰止みになった
理由自体は、元親が気落ちしてたからか、トップとして転封をマイナスに
捉えたか、家内の反対にあったか、第三者的な横槍が入ったか……
考えられる原因は、複合的にしてもいろいろあるわけだし。
0735人間七七四年
2011/04/22(金) 21:35:53.40ID:0zObPnoK意味が全然違うから、ちょっと気になって。
秀長に対する指示だったわけだけど、
内容が公になっているにも関わらず、
10日程度で義弘への安堵に切り替わってる。
元親の辞退とみて間違いないでしょ。
0736人間七七四年
2011/04/24(日) 18:34:36.77ID:GKk4rqZu地理的に身内や家臣を一部割って送り込む形になるんだろうから、
独立性の高い支藩のようなものを作るイメージしてた。
入封? 一部転封? とか言い回し思いつかなかった。
0737人間七七四年
2011/04/27(水) 12:42:13.32ID:flLt03GC0738人間七七四年
2011/04/27(水) 17:44:50.85ID:sT2L1acB0739人間七七四年
2011/04/27(水) 21:16:30.72ID:HoJ0IPQL0740人間七七四年
2011/04/28(木) 01:25:18.51ID:gLKQHk1u誰か答えて。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1161038701
0741人間七七四年
2011/04/28(木) 22:23:14.62ID:7/Htvn/v最終的に盛親助命を決定したのがトップの家康である以上、
(これを失策とするならば)失策は家康。
大坂城入城にのみ個別に話を絞るならば、責任は板倉勝重。
井伊に責任等は一切ない。
0742人間七七四年
2011/04/29(金) 13:43:43.17ID:ZicXv6Zu仙台藩が龍ヶ崎に飛び地持っていた。
対馬の宗氏も佐賀県に飛び地もっていた。
0743人間七七四年
2011/04/29(金) 14:07:24.83ID:q4A7x0Lvそもそも長宗我部主役で面白くするのが無理なのかもしれないが。
0744人間七七四年
2011/04/29(金) 18:45:21.68ID:B7R6A/EQ【井出圭亮】オキザリスの旗/長宗我部元親伝・其之壱
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/comic/1304036383/
0745人間七七四年
2011/04/30(土) 10:30:52.68ID:nyRlVY+c0746人間七七四年
2011/04/30(土) 15:49:03.24ID:mY+L3zOIそれと、肥後天草は肥前唐津藩の飛び地
カトキヨがキリシタンを毛嫌いしてて
弾圧どころか関わりたくもなかった(寺沢に押し付けた)ことが原因とも
0748人間七七四年
2011/05/01(日) 14:38:10.86ID:6Gw9gWNt平井上総「関ケ原合戦と土佐長宗我部氏の改易」(『日本歴史』718号、2008年3月1日発行)
0750人間七七四年
2011/05/02(月) 17:41:44.35ID:xqfYYxIS長宗我部ファンが見向きもしなかったら、普通の戦国ファンではなおさら反応無し?
0751人間七七四年
2011/05/02(月) 19:40:28.73ID:O7iatNxI0752人間七七四年
2011/05/02(月) 22:10:10.47ID:wOKtZyfb隠岐氏か宗氏か松前氏をメインにすべきだった。
0753人間七七四年
2011/05/03(火) 13:50:37.94ID:XNY2nNr7滅びの美学ではないかもしれんが息子の散り方とか日本人好みだと思うがな
後はしらん
0754人間七七四年
2011/05/03(火) 14:17:41.93ID:9iR+h3OIそれこそ因縁のセンゴクなんかは信長・秀吉・家康とも絡んでるし、ド派手な挽回劇してるから、
あの慢画の成功次第では他のメディア展開もされて、似たような経歴の山内一豊並の知名度にはなるかも知れない。
山内一豊=内助の功
仙谷秀久=挽回・逆転人生
みたいな代名詞になるかもな。
長曽我部家はそういう代名詞的なモノがない。滅びの美学とも言えない尻すぼみな感じだし。
0755人間七七四年
2011/05/03(火) 14:34:40.82ID:XNY2nNr7しょうがないだろ地方なんだからよ
司馬みたいに取り上げてくれる人がいれば…
0756人間七七四年
2011/05/03(火) 15:21:20.14ID:BO4gHPeK・超僻地の未文化弱小勢力からスタート
・中央文化をニワカ取込み。
・コツコツ勝利し、地方覇権を握る。
・勝てるわけのない強大な勢力と、戦わざるを得ない状況に追い込まれる。
・負けて、それまで築いた全てを失い元のサイズに。
歴史に学ばず、いかに太平洋戦争が馬鹿げた戦争であったか、と言いたかったんだろ。
0757人間七七四年
2011/05/03(火) 15:27:05.59ID:zq/DM1GV0758人間七七四年
2011/05/03(火) 15:32:47.57ID:BO4gHPeKそこに噛みつく方が、どうかしてると思うぞ。
意思解釈して欲しいんだけどなぁ。
0759人間七七四年
2011/05/03(火) 16:17:24.76ID:zq/DM1GV0760人間七七四年
2011/05/03(火) 21:12:03.87ID:GiUWgUGo三好とか堺方面に興味あっても西四国にあんまり興味なかったって感じだし
0761人間七七四年
2011/05/03(火) 23:09:46.14ID:XNY2nNr7信親も島津関係だし
0762人間七七四年
2011/05/04(水) 10:15:11.61ID:sJLDPFuj結果はともあれ。
0763人間七七四年
2011/05/04(水) 14:55:57.63ID:tH3vVRxa0764人間七七四年
2011/05/04(水) 16:33:02.33ID:oUOD0Ct5よっぽど上手い人が書かなきゃ大河ドラマは厳しい。
0765人間七七四年
2011/05/04(水) 16:39:59.17ID:lArBd81K正に上手い人が描いて何とかなった部類だろう
0766人間七七四年
2011/05/04(水) 16:48:21.50ID:TamDG9zr地味な毛利だって大河にもなったじゃないか
0767人間七七四年
2011/05/04(水) 17:04:10.91ID:sJLDPFuj適当な人数で、迫力のない殺陣ではちょっとなぁ。
0768人間七七四年
2011/05/04(水) 17:13:11.30ID:q4pe6jZw毛利元就は3本矢のエピソードがあったり、桶狭間並の大勝利ありで派手だろ。
一代記だけでなんとかなる逸材だよ。島津や長曽我部とは違う。あきらめろ。
一般人は数十人規模のローカル合戦や、中央政権に絡まないローカル大将や、伝説的な勝利のない奴らに興味なんか持たないよ。
しかも結果は尻すぼみだぞ?マニア以外に面白味なんて見つかりやしない。
0769人間七七四年
2011/05/04(水) 17:18:45.53ID:oUOD0Ct5ただ今はろくな作家がいない。NHKも天地人のやつみたいな御用聞きしか採用しない。
0770人間七七四年
2011/05/04(水) 18:38:52.08ID:TamDG9zr0771人間七七四年
2011/05/04(水) 21:56:45.44ID:3ubKT8OIそのいずれにも該当しない約二名が、ここ数年内で大河化されてたけど。
奥さんが有名な人と、陪臣の人ね。
また、全く該当しないのに、大河化されてメジャーになったのもいるよね。
東北の人だけど。
尻すぼみで言えば、戦国大名屈指の方がメチャメチャ映像化されてますな。
三傑の一人ね。もちろん、後半生は全てカットされてるわけだが。
やっぱり、脚本次第だと思うぞ。
まぁ、大河化しにくい最大のネックは、同郷の競合相手だと思うけど。
0772人間七七四年
2011/05/05(木) 00:42:10.75ID:BdWGGTFM0773人間七七四年
2011/05/05(木) 00:58:46.02ID:btO43r+5その後の息子、孫はたいした活躍もなくむしろ孫に至っては悪評しかないじゃないか
物語のしようがないわ
0775人間七七四年
2011/05/05(木) 09:24:56.58ID:O5ODz9zp0776人間七七四年
2011/05/05(木) 09:45:15.55ID:hQ7jlZiA誰かと違って秀吉と戦わないで降伏したわけじゃないし書き様はいくらでも有る
0777人間七七四年
2011/05/05(木) 13:42:42.09ID:btO43r+5輝元はいらない子
0778人間七七四年
2011/05/05(木) 18:15:01.27ID:Bru6OfWI面白かった!元親かっこいい!これから楽しみ!
…っていう長宗我部のファンはいないのか!?
0779人間七七四年
2011/05/05(木) 18:51:33.86ID:hQ7jlZiAまさに誰得
キングダムに倣い杉
0780人間七七四年
2011/05/05(木) 22:01:40.46ID:fZvfpmr7無理やり美化しなくて結構。
四国の戦国時代はドロドロしてるくらいが丁度いい。
0781人間七七四年
2011/05/06(金) 03:06:14.63ID:I2xgpaPU原作は夏草の賦があっても、脚本家が面白いドラマを書けるとは思えないから。
長宗我部をつまらなく書くなら漫画もいらない。
長宗我部を盛り上げたい一部人達の集まりがあるが、それでさえ冷めた目で見てる。
ゲームで名前は広まっても、史実に興味がある人が少なすぎ。
まだ時期ではない気がする。
あくまでも個人的な意見です。
0782人間七七四年
2011/05/06(金) 03:21:40.32ID:pEUR5TBG0783人間七七四年
2011/05/06(金) 18:06:34.77ID:wsiad3q2どっちの作品も最後はバッドエンドだからなw
武将の良い所を隅から隅までむしゃぶる美味しいとこ取りの司馬でさえ長宗我部はBADEND
並大抵の作家が扱えるほど簡単な題材じゃあないわな。
0784人間七七四年
2011/05/06(金) 20:48:12.76ID:/HQmqh4J0785人間七七四年
2011/05/06(金) 21:38:43.35ID:TeVMt8eN0786人間七七四年
2011/05/06(金) 22:12:43.71ID:Zd91IunM0787人間七七四年
2011/05/06(金) 22:31:35.40ID:wsiad3q2幾ら郷氏とはいえ無理やり龍馬と長宗我部を繋げるのも無理あるだろ。
どう頑張っても長宗我部は由井正雪の乱までしか絡められん。
しかも丸橋だって本当に長宗我部の子孫かどうか解らん。
元親の末子の康豊だって司馬が短編で出しちゃってるしな。
0788人間七七四年
2011/05/06(金) 22:51:17.81ID:/HQmqh4J0791人間七七四年
2011/05/07(土) 23:19:45.28ID:EbOriiT+国敗れてどうのこうのみたいなのが。
0792人間七七四年
2011/05/09(月) 08:41:53.77ID:7E5dqyqh俺を含めここのスレにいるような史実厨からは叩かれるだろうし
ゲームから入った腐女子からもイメージが違うと叩かれる
0793人間七七四年
2011/05/12(木) 20:27:39.72ID:AkjSrjjc> でも高杉にしろ大村にしろ三成にしろみんな円満で終わるとはいえんと思うが
高杉の場合はタタミの上で死んだからなあ。
0794人間七七四年
2011/05/14(土) 20:54:50.28ID:LzyFhXR1ttp://yj.shueisha.co.jp/info/new_serial2/
0795人間七七四年
2011/05/16(月) 07:29:36.14ID:KA4jQlJ0あの漫画を読んだ多くの人に、長宗我部があんな内容だと思われたらマイナスじゃないか?
全国的に「長宗我部つまんねー」と判断される。
0796人間七七四年
2011/05/18(水) 15:43:42.77ID:NuWk8Ntr皆に嘲笑われながらも泣きながら陰で努力した少年元親が初陣で大暴れして、
返り血に染まりながら敵の城を落としてへたり込む元親、陰の特訓に付き合った弟親貞が泣きながら抱きついて来て、
後から来た親父が感涙にむせび泣き、その後ろで涙を堪えながらうんうんうなずく後見役っていう激熱黄金パターンが・・・
0797人間七七四年
2011/05/18(水) 15:49:41.45ID:V114vfGe戦国らしさとか出せそうにない画力の作者で
すぐ打ち切られそうだな
0798人間七七四年
2011/05/20(金) 17:03:08.95ID:IKhYfTe+元親の初陣って、1000(長曽我部)対2000(本山)の正面衝突だっけか?
その中の局地戦で50(元親)対100(本山)じゃなかったか?
0799人間七七四年
2011/05/20(金) 20:15:30.85ID:1XCCT0C8後々にも活躍する凄い武将なんだけど、オキザリスの漫画には登場したかな?
連載をするために土佐物語を読んでれば絶対に外せない場面のはずだがな。
本山が浦戸城に退いた後に元親の部隊が単独で支城うしのえ城を占領してる。
0800人間七七四年
2011/05/20(金) 20:21:20.82ID:AFeR0SIT0801人間七七四年
2011/05/20(金) 20:38:24.51ID:1XCCT0C8オキザリスの関係者が答えを見たら、知識を与えることになるから。
連載するからには自分で勉強するべきことだし。
ヒント、名前に「親」が入ってます。
0802人間七七四年
2011/05/20(金) 23:34:39.50ID:AzDzQJ12あの漫画は主人公マンセーっぽいから出さないだろな。
0803人間七七四年
2011/05/21(土) 20:33:03.15ID:Zm++fiai「うしのえ」じゃなくて「うしおえ(潮江)」だった。ごめんなさい。
元親は本山を倒すのに10年以上かかってるけど、漫画ではどうするんだろう。
初陣が終わると同時に連載も終わりで良いよ。
0804人間七七四年
2011/05/27(金) 10:57:36.35ID:lDAFHgq+ヤングジャンプの連載漫画オキザリスの旗が酷すぎるショックで、長宗我部ファンは気を失っているようだ。
0805人間七七四年
2011/05/27(金) 13:43:30.66ID:9zAyOm9B漫画は激つまらん
史実の長宗我部好きには特にいいことない
0806人間七七四年
2011/06/05(日) 01:35:41.14ID:vhrTXleG0807丁ο児 ◆Kd2TSsZIFU11
2011/06/05(日) 18:38:00.91ID:qkU9wE7Qでも戦雲の夢は「城塞」ともパラレルなので、もっと好きです。
0808丁ο児 ◆Kd2TSsZIFU11
2011/06/10(金) 20:36:24.01ID:bbfsZ2FV元親は極めて現代人の発想と似ている。
如水は長政を捨てごろしにしても天下をとろうと考えた、とも言われる。
しかし、それが元親の愛すべき部分と言えるかもしれない。
0809人間七七四年
2011/06/22(水) 01:12:12.77ID:QauUwt//0810人間七七四年
2011/07/02(土) 10:10:23.03ID:m3f4JD32長宗我部ファンからは評価されてるの?
0811人間七七四年
2011/07/03(日) 01:19:44.65ID:K6Ed8o/G0812人間七七四年
2011/07/03(日) 16:37:40.29ID:ypCp99dXだいたいなんでオキザリスなの?
ラテン語知ってて俺カッコイイ?
家紋の図案も計算して描いてないように見えるし、考証なんか関係ないってことじゃないのかな
てか、絵柄的には集英社よりも講談社にいるような作家にも思えるけどなあ
0813人間七七四年
2011/07/05(火) 09:33:24.23ID:fI+53HkA高知で元親と信親の墓参りもしました。
長宗我部が好きだからオキザリスの旗には絶望してる。
あの漫画を喜んでる長宗我部ファンはいるのか?
0814人間七七四年
2011/07/05(火) 09:51:42.67ID:3FhYUtZx0815人間七七四年
2011/07/05(火) 10:16:25.83ID:fI+53HkA長宗我部を侮辱してる漫画だから早く終わってほしい。
0816人間七七四年
2011/07/05(火) 12:58:18.87ID:gs+JNpMD0817人間七七四年
2011/07/06(水) 00:53:03.78ID:Pk4g7BU7絵だけみると、少年誌っぽい感じだったけど。
0818人間七七四年
2011/07/06(水) 06:50:24.09ID:qEb700wL0819人間七七四年
2011/07/06(水) 09:12:44.37ID:3NrIE39J歴史を知らない人が、あの漫画を史実だと認識したら大変だ。
最初から長宗我部の名を出さずファンタジーだったら、単なる下手な漫画で済むのだが…。
0820人間七七四年
2011/07/06(水) 16:33:47.07ID:zCteengv三國志演義だと思えば
0821人間七七四年
2011/07/07(木) 11:40:27.91ID:2aZaF5z3長宗我部好きにとっては、どうなの!?
もう悲しいし腹立つしで泣けてくるよ…。
あんな長宗我部元親は見たくないから早く連載終了してほしい。
0822人間七七四年
2011/07/07(木) 12:50:07.14ID:75Zx58qZ0823人間七七四年
2011/07/07(木) 16:15:25.51ID:rHcH2NP3絵柄がちょっと…あとキャラクターの描き分けが微妙
0824人間七七四年
2011/07/07(木) 16:25:53.64ID:aO1L71O8置き去りはここの酷評で悪いイメージが膨らみすぎたか
思ったより普通だった
0825人間七七四年
2011/07/08(金) 13:57:30.31ID:xLhSdLN4オキザリスの旗のスレを見るといい。
あの漫画を見たら、長宗我部元親が嫌いになりそうだよ。
つまらない人物だし、土佐の戦国がヤンキーの喧嘩レベルみたい。
まともに甲冑すら描けてないから土佐には装備が無いように見える。
こんなにつまらないのか。長宗我部元親は?
0826人間七七四年
2011/07/08(金) 19:39:45.76ID:gY9UxHUu0827人間七七四年
2011/07/08(金) 19:50:18.55ID:5fwntULK0828人間七七四年
2011/07/09(土) 02:11:40.99ID:fvJwJUknもう読まんけど
0829人間七七四年
2011/07/09(土) 07:52:19.21ID:RdASvRiH0830人間七七四年
2011/07/09(土) 08:44:07.35ID:xiIxbWtkオキザリスはサブタイトルに「長宗我部元親伝」とか堂々とつけてるし、本格戦国物として世に出てる漫画なんだよ。
元親ですら、まともな装備してないし、初陣前だって姫若子らしい描写は皆無。
全員ヤンキー言葉。
長宗我部が汚されてる漫画だ。
0831人間七七四年
2011/07/09(土) 09:45:39.55ID:jrwzE3EF0832人間七七四年
2011/07/09(土) 09:46:56.59ID:6Skf7aUe0833人間七七四年
2011/07/09(土) 11:02:53.31ID:Iq5sN6gU隆慶みたいに史料を読み潰してから書いてくれればよっかたんだが
元親記をモチーフにしたファンタジーです。と最初から開き直ってれば好感が持てた
0834人間七七四年
2011/07/09(土) 11:05:38.65ID:RdASvRiH0835人間七七四年
2011/07/09(土) 12:15:04.82ID:J84E88+rオレは好きだけどなぁ。w
でも、「センゴク」が最もリアルかも。
戦国武将列伝
http://www.leed.co.jp/book/b1055.html
大名の口述筆記まで再現していたのは、
この雑誌のマンガだっけ?
他の漫画は、大名が自ら筆を取りすぎて不自然極まりない。
0836人間七七四年
2011/07/09(土) 14:46:51.68ID:mWt1BKQ/0837人間七七四年
2011/07/09(土) 14:50:02.08ID:J84E88+r他のマンガと比較してだよ。w
民衆の怨恨をなだめる戦後処理とか他に有る?
0838人間七七四年
2011/07/12(火) 22:21:48.25ID:G0dMdteEどうせどれも変な性格づけしてあったりするじゃないか
そういう点では横山シリーズが一番リアル
0839人間七七四年
2011/07/14(木) 19:22:33.66ID:w61ZRSXA面白くさえあればいいんだよ
・・・置き去り酢は全く面白いところがないから
どうしようもないが
0840人間七七四年
2011/07/14(木) 21:30:29.83ID:fnws8bZs単に長宗我部の名前使いたかっただけじゃないのかっていう
0841人間七七四年
2011/07/18(月) 16:15:33.80ID:DbI1kgaU打ち切りは近い
0842人間七七四年
2011/07/18(月) 21:50:01.51ID:f2zfAvoJヤンキー漫画みたいな口調に、戦国時代とは思えない手抜きのような下手な絵。
キャラクターの性格も魅力ないし、あんな元親は有り得ない。
絶望してる長宗我部ファンは大勢いるんじゃない?
0843人間七七四年
2011/07/18(月) 23:36:48.97ID:rHf5k4TA0844人間七七四年
2011/07/19(火) 23:44:39.67ID:gXEs0/cs仙石嫌いだけど普通に読める。
長宗我部がどんな風に書かれるか楽しみだ。
0845人間七七四年
2011/07/24(日) 06:01:28.95ID:2yMgwFcJそうそう。君はそうやって人の言うことを聞いとくべきだよ。
中学生とは思えないほど稚拙な文章だったけど、面白かったよ。
0846人間七七四年
2011/07/31(日) 02:28:22.72ID:m60rZuMYあの漫画が酷いから史実の長宗我部元親まで変な目で見られてる。
絵が描けてないから、戦国の土佐には館や甲冑が無いと思ってる人までいるし…。
かなり迷惑じゃない?
0848人間七七四年
2011/08/01(月) 20:24:52.82ID:AOSoMw0U酷い内容だからフィクションだと分かってもらえれば良いが、オキザリスの旗は「長宗我部元親伝」とかタイトルが付いてるのが嫌悪感。
あれが元親を伝える漫画かよ!
0849人間七七四年
2011/08/12(金) 04:05:07.64ID:GonQ/GCT0850人間七七四年
2011/08/12(金) 04:13:04.35ID:GonQ/GCT0851人間七七四年
2011/08/12(金) 04:15:44.38ID:S9ad4s0b0852人間七七四年
2011/08/12(金) 04:39:20.17ID:GonQ/GCT0853人間七七四年
2011/08/22(月) 20:03:41.68ID:tXBlYLD1調べるものによっちゃ長宗我部家臣として一万石越える石高持ってたとか、長宗我部以前には土佐七雄に次ぐ豪族とか出てくるんだが、土佐物語とか元親記読んでも具体的な話としては秀吉の四国攻めの時の頭首が討ち死にくらいしか出てこない
名前が残らんほどの弱小家臣にしては城跡とか史料とか、そこそこの規模だった形跡残ってるみたいだし・・・
0854人間七七四年
2011/08/23(火) 23:33:37.02ID:vyOtQDVa0855人間七七四年
2011/08/24(水) 19:49:54.39ID:OTpvp+Cc0856人間七七四年
2011/08/24(水) 23:48:28.70ID:2CR58Dom谷忠澄?
秀吉の四国攻めの和議のところで色々出てくるよな
外交役だからあまり表に出てこないんでないの?でもそっちも興味あるな
片岡氏は存在もよく解らんし、秀吉の四国攻め以外も戦いに行ってるはずなのに討死しか出てこないない
いつの間にか部下になってて名前が出てきた瞬間に討死って意味分からん
かと思えば末裔?が幕末から明治にかけて活躍したらしいし
0857人間七七四年
2011/08/25(木) 01:22:56.18ID:jR+baeDUそんなことねえだろwww
…と思ってたんだが、
一時、「長宗我部」で検索したら
「長宗我部元親 左目」ってのが予測されてて
うわあ…って思ったことがある。
0858人間七七四年
2011/08/27(土) 10:57:59.44ID:t5rnUv/fかなり昔仕事で早明浦に行ったんだが、本山の本拠が本当に山の中で
笑った記憶がある。
ほんとよくあそこから高知市や四国に出て行ったわ、本山も長宗我部も
0859人間七七四年
2011/08/29(月) 11:42:39.11ID:msHMfA3n谷は神主から武将に転身したんだっけ?
0860人間七七四年
2011/08/29(月) 18:05:29.04ID:nNH3AHOcみたいだね
残ってる史料が少ない(少なくとも俺は知らない)から
全体像としてどういう人か詳しくはわからないけど
なかなか武骨な印象を与える人だ
自分の命をかけて羽柴に下るよう元親を説得したり
「そのまま持って帰ってこい」って言われた信親の遺体を
自分の判断で勝手に火葬したり(あまりにも痛々しい姿だったので)とかね
十河存保登場したけどめちゃくちゃオッサンでワロタ、老けすぎだろw
このオッサンが戸次川で信親と一緒に戦死するのか…なんか信親かばって死にそうで、そんな展開になったら思わず胸が熱くなるな
0862人間七七四年
2011/09/07(水) 17:49:13.81ID:kDJk3pSoてことは長宗我部も朝鮮民族の子孫てことなのか
0863人間七七四年
2011/09/07(水) 18:16:08.82ID:h7dXex/50864人間七七四年
2011/09/07(水) 19:14:05.26ID:aHOPq/f5少なくとも大陸に住めなくなったから逃げてきた中国人の子孫であることは確かだよ
0865人間七七四年
2011/09/08(木) 15:41:35.10ID:JLFXPMQJ0867人間七七四年
2011/09/23(金) 11:31:56.14ID:IQfylyaE一条家みたいに京都から逃れてきたのとか、平家の落武者が落ち延びてきたとかは聞くけども、渡来人までとは・・・
0868人間七七四年
2011/09/23(金) 12:02:46.69ID:rJRy+Qwm元親公の墓参りに行くとコメントしてあった。
0869人間七七四年
2011/09/23(金) 15:12:09.78ID:NCupvuAp秦氏が渡来系であるというのは
日本書紀にも記述があるのでまぁ間違いない。
秦氏の末裔かどうかは微妙(蘇我氏の後裔など諸説ある)。
0870人間七七四年
2011/09/23(金) 15:27:14.12ID:ZMzWoBXn> 渡来人ってことは間違いないのかい?
渡来人と「称していることは」間違いない、とまでしか言えない。
0872人間七七四年
2011/09/23(金) 17:51:23.89ID:nCGXXiFD0873人間七七四年
2011/09/23(金) 18:01:39.94ID:EjbyRQlfま、他になにも付加価値がないから一応名乗っとくか、みたいな感じでしょ
日本的には昔の外国の王室の子孫だとかって、ぶっちゃけどうでもいいはず
しかも戦国時代じゃもう既に二千年ぐらい経ってしまってるし
0874人間七七四年
2011/09/24(土) 04:37:22.39ID:L/cQE3If守護大名のような正当性もない
秦氏や蘇我氏の部民なら律令制以前からの朝臣というステイタスもあるし
正確な家系図がなくても名乗りやすい
秀吉が藤原長者なる手続きを踏んでから豊臣姓を賜ってるくらいだから
政治的ポジションとして必要な従五位下を賜るには重要なことなんでそ
0875人間七七四年
2011/09/25(日) 09:52:11.71ID:7l3/axaeって認識でいいのかな?
0876人間七七四年
2011/09/25(日) 09:56:30.68ID:MAsVfcZHただ、その渡来人が本当に始皇帝の子孫であるかどうかさえ疑わしいけど
そうであるとされてる
少なくとも大陸から難を逃れて日本に渡ってきた中華の人ではあるらしい
0877人間七七四年
2011/09/25(日) 12:43:59.86ID:bagXjkoS中国の庶民ではなく、やはりそれなりの階層だったと思われる。
0880人間七七四年
2011/10/13(木) 20:16:52.99ID:DcDgwHyh伊達騒動で原田甲斐斬った柴田朝意は
元親の孫な
0881人間七七四年
2011/10/14(金) 15:05:42.42ID:021jL+uWそれは知らなかったよ
0882人間七七四年
2011/10/15(土) 02:13:24.18ID:z7/kDjYy0883人間七七四年
2011/10/15(土) 02:17:50.06ID:X1BCkiC1普通に山内に吸収されただけだよ。
0884人間七七四年
2011/10/15(土) 06:03:18.79ID:R9utnDhJ0885人間七七四年
2011/10/15(土) 12:11:47.73ID:MFv7M0Z8戸次川から逃げ帰るときにも確か海賊衆が頑張ってたね
0886人間七七四年
2011/10/16(日) 10:28:24.88ID:eHsjS6wb0887人間七七四年
2011/10/16(日) 21:31:21.85ID:A52EXOH9長宗我部家はどちらかというと水軍メインなんだよね
0888人間七七四年
2011/10/16(日) 23:25:51.05ID:P/XqyUsb0889人間七七四年
2011/10/17(月) 00:20:46.84ID:+gZuYONt0890人間七七四年
2011/11/05(土) 01:51:36.97ID:mRKpCngc島津義弘が国許に送った増援要請の手紙にもあるように
上杉征伐にしては やる気出し過ぎだろ
0891人間七七四年
2011/11/05(土) 01:56:46.21ID:U4oi5nsU家中にはっきりと示そうと思ってたんじゃね
兄達を差し置いての家督相続でだいぶ揉めたそうだし
0893人間七七四年
2011/11/05(土) 11:33:50.68ID:3mUEhYjC統制しきれてないから。
それもあって関ヶ原じゃああだったという。
0894人間七七四年
2011/11/05(土) 17:38:32.99ID:VDRLJ5gu親和の方が合戦経験もあって家臣も従ったろ
0895人間七七四年
2011/11/06(日) 01:59:21.29ID:nY9y5NJF信親の娘と結婚させて、信親の血筋に継がせたかったんでしょ
しかし、盛親の鳥帽子 増田長盛以外はなかったのかね
信親が信長の一字貰ってるのと比べるて格が落ちすぎる気が
0896人間七七四年
2011/11/06(日) 02:42:48.60ID:Sm4xRrXL0897人間七七四年
2011/11/06(日) 14:30:30.30ID:Q1ryFLJG香川氏は讃岐の守護代で細川の重臣だったし、津野にしても土佐国内でかなりの力を持ってた名族
0898人間七七四年
2011/11/07(月) 10:53:28.09ID:diKLUiP6家中秩序が大混乱するので余程の場合でないと家中から賛成されない。
0899人間七七四年
2011/11/07(月) 14:24:57.73ID:ah3+zwjjそれでも実例はあるけどね。まあ少ないが。
0900人間七七四年
2011/11/07(月) 18:43:04.33ID:M5Db82El武田さんちの諏訪君ですな
織田さんちの北畠君はどうだったんだろ
0901人間七七四年
2011/11/08(火) 00:05:12.72ID:9ALPlT3t0902人間七七四年
2011/11/08(火) 00:58:28.89ID:A12B+gG20903人間七七四年
2011/11/08(火) 01:00:04.17ID:p5bYQBiE秀吉との関係を考えるなら正室の子の盛親より
次期当主は親和のほうが秀吉の心象が良いんじゃないかと考える者がいたとかどう?
0904人間七七四年
2011/11/08(火) 02:40:13.50ID:KWLQPXu9その理由で盛親の方が正室腹でなかったっていう説もあるよな。
他が庶子なら普通は正室腹が跡継ぎとして問題ないのに
そこで問題が起ったって事と、跡継ぎにしては盛親の偏諱元がショボすぎるってことで。
0905人間七七四年
2011/11/08(火) 20:21:03.94ID:p5bYQBiE0906人間七七四年
2011/11/12(土) 00:25:30.37ID:q6t7V/m/0907人間七七四年
2011/11/13(日) 16:52:46.85ID:1S2s14920908人間七七四年
2011/11/13(日) 20:36:51.90ID:5V3Pt1FH大名に復帰してたかな
0909人間七七四年
2011/11/13(日) 20:45:59.90ID:3nR3DUd2徳川側についてれば可能性大
0910人間七七四年
2011/11/13(日) 20:55:03.69ID:zmxz93ic0911人間七七四年
2011/11/13(日) 22:13:25.61ID:1S2s14920912人間七七四年
2011/11/13(日) 22:15:12.78ID:JV+cyfz10913人間七七四年
2011/11/13(日) 23:08:36.44ID:Uzpu1LTJそんなもんお前以外の誰にもわからんよ
独立自尊の精神なら誰もが知っているがな
0915人間七七四年
2011/11/15(火) 00:25:48.18ID:vt97rb4Z徳川方として参戦して、大阪の陣だけでは大名復帰は難しいかな
いいとこ交替寄合ぐらいか
0916人間七七四年
2011/11/15(火) 02:53:52.21ID:YAGnxBSk立花宗茂だって江戸で苦労してるのに。
京で引きこもってちゃ、そりゃチャンスもないわな。
0917人間七七四年
2011/11/15(火) 14:42:31.89ID:SLvpW4+L> 京で引きこもってちゃ、そりゃチャンスもないわな。
法的には流人なので
京都から出るには幕府の許可が必要だったはず。
0918人間七七四年
2011/11/15(火) 20:09:53.08ID:BpciN+jHほぼ大勢の定まった時世に天下を相手に戦うんだから、土佐と伊予もしくは阿波とか、
それくらいはっちゃけててもいい気がするんだが
0919人間七七四年
2011/11/16(水) 10:25:16.68ID:9+scNtHn0920人間七七四年
2011/11/16(水) 23:56:33.16ID:BOyelTxC0921人間七七四年
2011/11/17(木) 07:05:05.96ID:FLLchfo60922人間七七四年
2011/11/17(木) 07:16:38.25ID:Fz4PaiSwそれとも京都一条のほう?
0923人間七七四年
2011/11/17(木) 14:22:55.43ID:Rby+wEqr0924人間七七四年
2011/11/17(木) 14:42:53.36ID:QnwZ4TOUいつの頃の話してんだよ
0925人間七七四年
2011/11/17(木) 14:45:12.35ID:eJ9GH13w0926人間七七四年
2011/11/17(木) 18:12:54.55ID:+HAiG0aj長宗我部はその滅亡まで、久礼田御所こと一条政親が土佐で顕在で、長宗我部も一応それを立てた形にしているんだよ。
例えば戸次川合戦で長宗我部が敗戦の責任を問われなかったのも、「陪臣だから」一義的な責任を追求されなかった、
と言われている。
龍造寺に対する鍋島みたいなものと認識されていた、という話だな。
0927人間七七四年
2011/11/17(木) 19:05:39.28ID:RRtgxLfP0928人間七七四年
2011/11/17(木) 19:09:44.40ID:+HAiG0aj0929人間七七四年
2011/11/17(木) 19:13:20.66ID:G6y8FUWwあくまで名目上とはいえ格的には一条家を上に置いていたわけだ。
0930人間七七四年
2011/11/17(木) 19:43:40.35ID:QnwZ4TOU家康の秀吉死後の外様大名詣では
最初に長宗我部家じゃなかったっけ
0931人間七七四年
2011/11/18(金) 00:09:32.36ID:IN7/IDzv0932人間七七四年
2011/11/18(金) 00:48:22.50ID:yp4LAcLV0933人間七七四年
2011/11/25(金) 13:31:33.32ID:1WUSyaqZ0934人間七七四年
2011/11/25(金) 13:38:09.97ID:/90dCj26土佐中村の一条家は官位もっていた。
0935人間七七四年
2011/12/01(木) 03:24:50.91ID:j3tfLd8v終盤で
戸次川→えっそんな不条理な
関が原→えっそんな不条理な
大阪の陣→えっそんなry
で終盤フラストレーション溜まることうけ合い
戸次川の後に老いた元親が色々それっぽい事言って、盛親はダイジェストが無難か
まんま夏草の賦ですね
0936人間七七四年
2011/12/03(土) 10:35:04.35ID:WVUO/9GT長宗我部3代と後北条5代は大河ドラマ化してほしいよなあ。
0937人間七七四年
2011/12/17(土) 11:19:47.34ID:3IpVYzM5岩城貞隆が関ヶ原で改易の後に大坂の陣で東軍について信濃川中島で大名に復帰してるから
盛親も東軍につけば数万石とはいえ大名に返り咲けただろうな
0939人間七七四年
2012/01/17(火) 19:15:48.14ID:2HDPRxkO0940人間七七四年
2012/01/24(火) 22:29:03.05ID:yr8Ie6iu本編もあと少しで終わるし需要あるかどうか・・・
>>971
生きていたならイーズ・ギルに(´・ω・`)
0941人間七七四年
2012/02/18(土) 11:34:18.51ID:C8MlbevI官位も何も土佐一条と京一条は同格だよ?
0942人間七七四年
2012/02/18(土) 19:42:09.41ID:gmGYK7uIなんでやまのうちごときは長宗我部の元家臣と子孫を徹底的に差別してしもたん?
0943人間七七四年
2012/02/19(日) 10:15:00.52ID:q+L1gSPw0944人間七七四年
2012/02/19(日) 17:45:21.66ID:dJcL5vCM部下をいびるイヤな上司になりやすいんだよな。
無意識に自覚があるからだろうな。
0945人間七七四年
2012/02/20(月) 20:36:02.06ID:jevNIgZe0946人間七七四年
2012/02/23(木) 20:07:07.53ID:WFICJAEl> なんでやまのうちごときは長宗我部の元家臣と子孫を徹底的に差別してしもたん?
それは後世の捏造な。明治後の自由民権運動のころの。
幕末の土佐藩の執政者だった吉田東洋も長宗我部系だぞ。
0947人間七七四年
2012/02/23(木) 21:17:45.45ID:Fj0icrLY上士と下士に分けた次点で徹底的に差別してるだろうが
0948人間七七四年
2012/02/23(木) 22:02:33.80ID:WFICJAEl商工業や農業での経済的な成功から新たに「郷士株」を購入した新興ブルジョア層だ。長宗我部侍とは
かなり違う。彼らが「長宗我部侍」とされたのは、維新後の後付の設定だ。
0949人間七七四年
2012/02/23(木) 22:45:09.65ID:gd1XxK/8死んでいるとかなんですかね?
0950人間七七四年
2012/02/23(木) 23:56:08.03ID:/T7jLLw60952人間七七四年
2012/02/26(日) 17:20:34.96ID:R+dD4BtP土佐物語読んだけど、出てこないよ。
長宗我部の伊予方面軍を鉄砲のつるべ打ちで全滅させた?は?
0953人間七七四年
2012/02/26(日) 22:19:38.66ID:R+dD4BtP0954人間七七四年
2012/02/27(月) 09:04:20.94ID:vVNtbA/Q>史料にも山内家への不満は一切見つかっていないし、
>山内家としては最大限の処遇をしたのでないか」と説明。
http://unkar.org/r/news/1276262787/1
0955人間七七四年
2012/02/27(月) 21:16:17.94ID:duJIn7Nfけど身分制度では下士のまま
0957人間七七四年
2012/03/06(火) 17:16:22.22ID:G8dGGwSp0958人間七七四年
2012/03/09(金) 16:01:04.50ID:GwXyxxLIちょうすけべもとちかんさんとの関連は、見たことも聞いたこともありません。
0959人間七七四年
2012/03/09(金) 18:57:19.00ID:rJ3MZDqj0960人間七七四年
2012/04/23(月) 00:09:20.66ID:J5nl1GWg楽しみ楽しみ
0962人間七七四年
2012/05/16(水) 02:58:32.83ID:fsDmeT4T0964人間七七四年
2012/05/16(水) 19:59:44.19ID:MAcCntDg0965人間七七四年
2012/05/16(水) 22:09:14.37ID:oXKy+zrS0966人間七七四年
2012/05/16(水) 22:52:51.28ID:hIHUugwV長宗我部隊大活躍!
藤堂隊を殲滅
0967人間七七四年
2012/05/23(水) 18:40:54.62ID:uOFjeZwl長宗我部氏の遺臣が山内一豊によって処刑されたと伝えられる種崎事件の慰霊祭が6日、高知市種崎で初めて開かれ、約200人が73人の霊を弔った。(2011.03.07高知新聞)
http://yubarimelon.blog.so-net.ne.jp/2011-03-07-1
0968人間七七四年
2012/05/23(水) 22:54:21.50ID:vkAGIboj戦国鍋・戦国武将がよく来るキャバクラ 〜長宗我部元親〜
http://www.youtube.com/watch?v=kdCGUC5JIq0&list=FLkvedUgkwlwD-LJnQR0_Gmg&feature=mh_lolz
0970人間七七四年
2012/05/24(木) 20:03:14.39ID:RUfx5DI1バカですか?
いや、キチガイですね? 分かります。
0971人間七七四年
2012/05/24(木) 20:06:55.02ID:HOo9O5x2馬鹿か
0972人間七七四年
2012/05/25(金) 18:22:18.35ID:WvnfMwu50973人間七七四年
2012/05/25(金) 20:08:18.16ID:NAn9S6UM長宗我部が中国近畿九州いずれに侵攻しても即一手詰み。
0974人間七七四年
2012/05/25(金) 21:31:06.42ID:WvnfMwu51580年頃の諸情勢を勘案して、どういう流れになったのかということです。
0975人間七七四年
2012/05/26(土) 02:21:31.41ID:celnBJGK背後の憂いを消しておくことも必要だから、中国・九州平定が先かもしれないけれど
そこは放っておいて、急いで上洛というのが現実的だろうね。
0976人間七七四年
2012/05/26(土) 02:45:45.49ID:Dyf5BrsT0977人間七七四年
2012/05/26(土) 23:51:22.90ID:celnBJGK0978人間七七四年
2012/05/27(日) 01:10:40.20ID:D3heVzrE0979人間七七四年
2012/05/27(日) 04:57:56.21ID:3I+K9aR6スレ住人に嫌われてるからなあいつ
自演ばれてないと思ってるみたい
0981人間七七四年
2012/05/27(日) 09:23:06.91ID:g2774pK70982人間七七四年
2012/05/27(日) 10:51:29.84ID:f+UBXRvo0983人間七七四年
2012/05/27(日) 11:12:52.60ID:g2774pK7>>982=「自称『通りすがり』くん」=「『山内家』&『蜂須賀家』連投くん」
=荒らし【我是正牌的 ◆9jqT62Xq22(=岡山嘘吐気違蛆虫)】だね。
きみ、いろんなところで自己主張してて嫌われてるんだね。
0984人間七七四年
2012/05/27(日) 11:14:19.12ID:g2774pK70985人間七七四年
2012/05/27(日) 15:25:05.42ID:f+UBXRvo投票スレ云々が書いてあったから見に行っただけなのに
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。